いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

座間男女9人殺害事件について

事件発覚から約3年、現在公判中の通称・座間男女9人連続殺害事件について、風化阻止の目的で事件の概要と個人の感想を記しておきたい。 

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2020年9月30日、東京地裁立川支部において白石隆浩被告の公判が開始され、同被告は「起訴状の通り、間違いありません」と起訴事実を認めた。弁護人は、被告と被害者との間に事前に殺害の承諾があった(承諾殺人)とし、被告は当時心神耗弱状態にあり責任能力がなかったか、著しく低かった、と主張。しかし白石は弁護人およびその主張を不服とし、弁護側からの被告人質問への回答を拒否、検察側からの質問にのみ答えるという異例の公判となっている。判決は12月15日、計24回の公判が予定されている。

被害者は、当時15歳から26歳の男性1名女性8名。逮捕の9日後には、被害者遺族により実名と顔写真の使用をしないよう要請がなされたものの、多くのマスコミはこれを無視して被害者9人を実名・写真入りで取り上げた。公判では個人特定を避ける配慮として9人を被害順にA~Iと符合して行われており、本文ではそれに倣って被害者A~Iと記す。

 

■事件概要

2017年8月上旬から10月にかけて、白石はTwitter,CacaoTalkなどのSNS(会員制交流サイト)を通じて複数人と交流。男女9人をそれぞれ呼び出し、自宅アパートで首を絞めるなどして失神させた上、うち女性8人に対して強制性交を行い、9人の首を吊るなどして窒息死させ、遺体を細かく解体し、一部を自宅付近のゴミ捨て場やコンビニのゴミ箱などへ遺棄したものとされている。また一人目の被害者Aからアパート契約のために預かった51万円と所持していた現金約6万円、BからIについても所持金数百円から数万円をそれぞれ奪っている。起訴内容は、女性8人に対する強盗・強制性交等殺人、死体損壊・死体遺棄。男性1人について強盗殺人及び死体損壊・死体遺棄

被害者たちはいずれもSNS上で自殺願望を語っており、白石はそうした心理に付け込み「一緒に死のう」「自殺を手伝う」等と心中や自殺幇助を持ちかけるメッセージを送るなどして接触を図っていた。

A(21)…8月下旬に行方不明。中学でいじめに遭いその後家出や自殺未遂を繰り返す。「失踪します。必ず戻ってきます」と書き置き。駅で携帯電話発見。

B(15)…8月28日に行方不明。学校生活で悩み。8月28日は始業式だったが欠席。駅で携帯電話発見、防犯カメラに姿が確認された。

C(20)…8月15日、Aの紹介で共に白石と会う。高機能自閉症があり、介護の仕事・恋愛・バンド活動など対人関係で悩み。8月29日、ライブに行くと言って行方不明。唯一の男性被害者。

D(19)…9月15日夕方、バイトに行くと言って行方不明。

E(26)…8月に2度目の離婚。9月24日夕方から音信不通となり行方不明。

F(17)…過去にもSNSで知り合った人物を頼って家出。9月18日「首吊りか練炭希望」とツイート。

G(17)…9月30日昼前、「昼食を買ってくる」と出掛けたまま行方不明に。

H(25)…10月18日夕方、コンビニのアルバイト勤務後、行方不明。長らく引きこもり状態だったが半年前からバイトを始めていた。

I(23)…10月21日作業所を出てから行方不明。軽度の知的障害があり、9月から八王子のグループホームに入居。相武台前駅の防犯カメラに白石とIらしき姿が確認された。

白石はAから預かった金を返済したくないと考え、殺害しようと思ったと語っており、その際に性欲が溜まっていたこともあり昏睡させてレイプしたところ、思いのほか快感を覚えたという。以後の女性たちについては金銭目的ではなくはじめから強姦目的だったと証言している。唯一の男性被害者Cは、8月にAの紹介で白石と3人で会っており、その際には希死念慮が薄れたとしてその日は酒を酌み交わして別れている。白石によれば、このときCはAに対して好意があったように見えたという。A殺害後、Cは白石にAの所在(安否)を確認したとされ、白石はCを生かしたままでは(A殺害の)事件発覚につながると考え「口封じ」のために殺害したとしている。

 

 ■事件の発覚

9人目の被害者Iは通信用に同じID、パスワードを使いまわしており、それを知っていたIの兄がTwitterに接続したところ、白石のアカウントが浮上した。10月24日に捜索願を提出。Iの兄がTwitterで情報提供を呼び掛けたところ、過去に「会って食事をしたことがある」という女性が現れる。警察は容疑者の身元を割り出すため、彼女に10月31日JR町田駅への「おびき出し作戦」を依頼。白石の到着を見計らって女性が「ドタキャン」するかたちで、捜査員が帰宅する白石を尾行し、逮捕につながった(※)。

(※日テレNEWS24によれば、捜査に協力した女性は事件発覚の6日前、自殺志願の書き込みをして白石との接触を持ったが、彼女におごらせて元気にカレーを食べる姿を見て違和感を覚え、自宅への誘いを断ったという。当時、捕まってほしいという思いから捜査に協力し、おびき出し作戦の成功にも喜んでいたが、本事件から程なくして自殺している)

 

■犯行について

白石は過去の逮捕で得た知見により「位置情報」から身元が判明することをおそれ、当初は自殺志願者たちに「失踪」を偽装させるためスマートフォンを海に捨てるように指示していた。また被害者との待ち合わせの際には、周囲に「家出」と気取られぬよう「手ぶら」で来るようにといった細かな指示もあった。とくにAには警察への捜索届が受理されないように予め「失踪宣告」まで書かせている。www.youtube.com

対象をアパート自室に連れ込むと、精神安定剤睡眠導入剤を混入したアルコール類などを被害者に飲ませて意識を混濁させ、首を絞めて気絶させた上で女性には強制性交等に及び、最終的にロープ等で絞殺する手順だった。当初は“自殺”に見せかけて遺棄することも想定しており、第三者の手による絞殺の痕跡を誤魔化すためロープと首の間にタオルを挟んでいた。精神安定剤は被害者Aの所持品、睡眠導入剤は6月と9月に白石が虚偽の受診で予め得ていたものである。

通信記録によれば、インターネットで「殺し方」「死刑」「自殺幇助」「嘱託殺人」等を検索し、牛の解体動画や「人を食べるときの注意事項」といった猟奇サイトへのアクセスも確認されている。具体的な犯行手段の想定や自分に及ぶ刑罰について思慮が及んでいたことは明らかである。

解体は単独で浴室内で行い、効率について考えながら作業しており、「一人目は三日かかったが、二人目からは一日で解体できるようになった」と証言している。室内にはクーラーボックス3つ、工具箱5つがあり、その内7つから、猫用のトイレ砂に埋もれた状態で9人の頭部、腕、脚 、240本ほどの骨と乾燥した内臓等が見つかった。解体に使われたとみられるノコギリ、替え刃、キリ、キッチンばさみ、包丁2本と、ロープ、結束バンド等が押収された。包丁ではすべってしまうためキッチンばさみで肉を切り、肉片や内臓、細かい骨などは煮込んで、ペット用トイレシートで包んでから密封式ビニル袋に入れ、さらに新聞紙で覆ってからゴミ袋に詰め、アパートから離れた場所へ一般ゴミとして廃棄した。ロープとガムテープは白石が被害者Aとはじめて会ったときに購入したもので、解体用の刃物は入居前に揃えていた。多くの消耗品が必要で、一体の処理におよそ5000円程かかったと証言しており、生前のCに対して「給料は入りましたか」「手持ちは一万円くらいありますか?」など費用の当てにしていた節も見受けられる。処理時の臭いをごまかすためにカレールー等を試している(尚、人肉を食べてはいないと証言)。犯行前は遺体を山などへ捨てに行く想定もあったが、(ペーパードライバーで)車の運転ができず処置に困っていたとも述べている。

事件当初、「遺体発見の一週間ほど前、3人の男がコンテナボックス2個を運び込むところを見た」という近隣住民(83)による目撃談が報じられた。2か月で9体という殺害・解体ペースの異常なほどの早さも疑問視され、一部ネット上では複数犯説、臓器売買や人身売買説などに結び付ける向きもあった。だが駅近くの住宅街の木造アパート2階を借りて大掛かりな組織的犯行を行うメリットはなく、臓器売買説に至っては荒唐無稽としか言いようがない。個人的には、車を運転できない白石には大型コンテナを運ぶ術がないため、購入にインターネット通販かホームセンターなどを利用した際の単なる「配送業者」だと思われる。公判では、A殺害の2日後にクーラーボックスを買い足したとも証言している。

 

■生い立ちと家族

元々は両親と白石と妹の4人暮らし。父親は大手自動車メーカーの部品工場に勤め、後に部品設計等を手掛ける自営業になった(座間は日産のお膝元である)。白石が幼少の頃に座間市内の一軒家を購入。近隣住民によればごく普通の家族。父は社交的で、母は不愛想。白石は5歳下の妹(1、2歳下とも)の面倒をよくみていたが、高校生の頃にはほとんど姿を見かけなくなったという。事件との関連性は不明だが、小学生時代に「首を絞め合って失神ゲームをやって失神したことがある」と同級生に語っていた(フジテレビ系列『とくダネ』)。歯や視力の矯正などを受けていること、習い事はしていなかったが中学2年の頃から塾通いで携帯電話を持たされていたこと等からしても、子ども時代に経済的な困窮はなかったと考えられる。小学時代から中学1年までは野球、中学2・3年では陸上部に入っていた。中学文集では「勉強や遊びよりもひたすら部活を頑張っていた気がします」と記すが、文章量は他の児童の半分ほどの少なさで、両部活動の集合写真にその姿はない。

横浜にある県立商工高校の国際経済科へ進学。成績やスポーツで目立った業績はなく、あだ名は「ハム」。格闘技が好きだったので高校1年のとき柔道部に入ったがほどなく辞め、2年になると授業のサボりや居眠りが目立ったという。週3~5日はホームセンターやスーパーでアルバイトをしており、友人には「一人暮らしをしたいから金を貯めている」と話していた。家ではゲームに没頭していたという。同級生らの証言によれば、ホテルで睡眠薬を飲んで集団自殺を図り2週間ほど学校を休んだ時期があった(TBS系列『ビビット』)、自殺サイトで知り合った人たちと練炭集団自殺しようとした(『週刊新潮』2017年11月16日号)等と白石自ら学校で淡々と語っていたとされている。また拘置所での取材によれば、SNSでのナンパ行為は「17歳から」と話している。

高校卒業後、白石はバイト先のスーパーに正社員として就職し、戸塚で一人暮らしを始める。同時期、母親と妹が家を出ている。父親は周囲に「(妹の)受験のため」と説明していたが、その後夫婦は離婚。妹は学業に優れ、有名私大を出て一般企業に就職したとされる。白石のスーパーでの勤務態度に問題はなかったが2年余で退職(昇給前で給料は手取り14万円程。当時パチンコやスロットにハマり金欠だったという)した。豊島区に移り、電子機器販売の会社員やパチンコ店従業員など職を転々とし、人材派遣会社エクセレントで風俗向けスカウトマンとなり歌舞伎町界隈で活動していた。女性にはマメで優しかったとされるが、悪評も多い。歌舞伎町時代の関係者は、白石の印象を「細かくて勘繰り癖が激しく、何かあると店との仲介者も含め、あらぬ風評を立てるトラブルメーカー体質。嫌いなタイプだった」と語っている(日刊スポーツ)。斡旋した女性から200万円を横領しようとしたとも言われ、Twitter上では氏名・顔写真が公開され「極悪スカウト」と注意喚起される等トラブルも多かった。また当時交際していた女性の知人によれば、交際相手へのDVがあったとも言われる。

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2017年2月、白石は職業安定法違反の疑い(“未成年”や“本番行為”を扱う違法風俗店への売春人材斡旋)で茨城県警に逮捕される。逮捕後は実家に戻り、派遣アルバイトなどをしていた。当時の同僚らは「挨拶や言葉遣いは丁寧」「人付き合いはなかった」「黙々と作業していた」といった印象を語っている。2017年6月に懲役1年3か月、執行猶予3年の有罪判決が下され、以降働きには出ていない。本事件の発覚当時も執行猶予中の身柄だった。

「それまでも頻繁に実家には顔を出していて、顔を合わせると必ず挨拶をしていました。8月頃に、お父さんが“今日はこれから息子と飲みに行く”と嬉しそうに話していて、本当に自慢の息子という感じでした」(『週刊ポスト』2017年11月17日号)

いつからか実家2階の白石の部屋は全ての窓を光を遮るビニールのようなもので目張りされて、夏でも閉め切りだったといわれる。本件の発覚後、実家で一人暮らしをしていた父親は姿を消し、元の家から1時間ほどの場所で暮らしていた母・妹も転居を余儀なくされた。

 

■内面について

白石の内面、人間性のようなものについて少し深掘りしてみたい。2018年4月から東京地検立川支部で5か月を掛けて精神鑑定を行った結果、事件当時の被告には刑事責任能力はあったとされている。このエントリを書くにあたって、白石被告の証言は週刊誌のweb媒体に依拠するところが大きい。というのも、白石は自ら「取材料」として面会時の差し入れ上限額3万円を求めて、積極的に記者たちに“売り込み”を行っており、金払いのよい雑誌記者には度々証言を行ってきたからだ(新聞社やNHKなどでは基本的に接見で金銭授受をしない)。それら接見取材の記事を辿っても白石には犯行までの計画性、違法性への認識などはあったと見て差し支えなく、事件については概ね犯行事実を包み隠さず語っている印象を受ける。

当然、白石の証言が全て真実とは限らない。高校時代には周囲に「集団での自殺未遂」をほのめかしながらも、事件後の取材に対し「私自身、自殺しようと思ったことは一度もない」と矛盾した証言をしている(後述)。犯行についても同様の手口を繰り返したためか四人目以降の被害者について「よく覚えていない」としており、記憶違いや誤解から捏造された記憶・発言もあるだろう。今後の公判ではおそらく検察側の主張に合わせた応答をしていくに違いない。さらに週刊誌の取材向けには見栄や虚勢を張った嘘、あるいは懇意にしている記者に対する“リップサービス”さえ混じっているかもしれない。また2017年11月1日放映のフジテレビ系『とくダネ!』で、元同僚女性による「(仕事ぶりは普通だったが)ちょっと変わったところがあって、男性と添い寝する副業をしているって同僚が話していた」という証言が紹介された。白石がその電子機器販売会社にいたのはスーパーを辞めた後、おそらく2011~2012年頃(21~22歳前後の頃か)のことと思われ、「添い寝屋」が主に女性向け風俗アルバイトとして広がりを見せていた時期である(参考までに、女性利用者向けの男性キャストによる添い寝屋を題材にした山崎紗也夏による漫画『シマシマ』のモーニング(講談社)連載が2008~2010年。2011年には深夜ドラマ化もされている)。時期的には「男性利用者向けの男性による添い寝屋」ももしかすると実在した可能性はある。白石が(性指向に関わらず)金欠からそうした風俗アルバイトに手を出していたとしても不思議ではない。だが個人的には、元同僚が「又聞き」として語っていることや、前述の「集団自殺未遂」の件と合わせて考えると、「変わった人」だと思われたいがために白石がついた嘘か、驚くようなことを言って会社の人がどういう反応を示すかとからかったのか、あるいは「白石が添い寝屋について話をしていた」程度の事実が社内で膨らんで「白石は添い寝屋をやっていた」「しかも男性向けだったらしい」と尾ひれがついていったもののようにも思える。嘘か真か、真偽を確かめるすべはないものの、ワイドショーが取り挙げるようなスキャンダラスな側面について、白石には自己演出的な発言も多分にあるのではないかと私は考えている。他人にどう見られたいかを意識し、相手によってキャラクターを演じ分けるという意味では、その後「首吊り士」などのアカウントを使い分けて自殺志願者たちの心理的抵抗を下げようとしたことにもつながっていく。

 

白石のキャラクターや内面について考えるとき、私が各記事を参照していて特に気に掛かったのは、白石の「金」に対する執着、「女性」への偏見、「家族」との距離感についてである。

 

■「金」に対する執着

生い立ちの章で述べた通り、白石は幼少期から金に困っていたようには思われない。パチスロで金欠になったスーパーの社員時代の二十歳前後から「金」に対する執着が強まったと考えられる。またスカウトマン時代について「色管理(恋愛感情があるように見せかけて女性を従わせ、風俗店などで働かせること)」をしていた噂もあることから、この時期に自分で働かずに女性の“ヒモ”になりたいという願望を募らせたか、一時的に“ヒモ”生活を経験したのではないかと私はみている。

人生の、どの時点に戻りたいと思うのか。質問すると、迷わず答えた。

「ひとつは、高校進学のとき。進学校に行って、大卒になっていれば、給料が変わったでしょう。高卒の給料と、大卒の給料が違うって知らなかったんです。知っていれば、大学に行ってました。

 もうひとつは。高校卒業後、働いた『スーパー』を辞めなければよかったと思います。社会保険がものすごくしっかりしていて、充実していました。いま思えば、いい会社だなと思います」(『週刊女性』2020年9月22日号) 

ここでも思考の軸となるのは「金」である。一般的な感覚では、高校時代や前の職場でやり直したいとするならば本意でなかろうとも「もっと学識を広げたかった」「若いときにもっとパーッと遊びたかった」「周囲の人間に恵まれていた」「仕事にやりがいがあった」等と取り繕うものではないか。「金」という判断基準に左右されて自分の感情を出せなくなっているようにすら見える。自ら死刑を覚悟していると言いながらなぜそれほど「金」に執着するのかと思えば、“自弁(個人で購入できる弁当)”で400円のからあげ弁当や売店のお菓子を買ったとか、「おカネがないと本当に辛いと中の人からも教えてもらったので、出来るだけ蓄えて拘置所に行きたい」等と話している(『FRIDAY』2018年9月28日号)。被害者Aについて、白石は「(預金があったようだから)生かしておいてヒモになればよかった」、人を殺害する見返りが「50万では安すぎる」と発言し、反省するどころかもっと金を引き出せたのにという趣旨の後悔をにじませている。楽して稼ぎたいという思いはある程度理解できるものの、他人を犠牲に、ましてや命を奪ってなお呵責もないほどの「金」に対する執着は異様に映る。

 

■「女性」への偏見 

白石は「首吊り士」「パチプロ~」「_(アンダーバー)」「死にたい」等5つのアカウントでSNSを利用し、自殺願望のある女性たちとの交流を重ねる。検察官は「やりとりのあった対象」は37アカウントあったことが捜査段階で確認されたとし、ジャーナリスト・渋井哲也氏の面会取材によれば実際には「13人と会っていた」との証言を得ている。裁判官から「殺害した人とそうでない人の違いはなにか」と問われた白石は、

「自分に対して好意を持っていて、お金を持っていそうな場合、レイプをせずに、生かして帰しました。長期的にお金を引っ張ろうと思っていました」(2020年10月16日『文春オンライン』)

 としている。文言通りに受け取れば、金づるとして生かすか、性欲のはけ口として使い捨て、という極端に歪んだ女性観が白石には通底して存在している。10月21日の公判では、被害者Dの解体中も白石の部屋には加害に及ばなかった「別の女性」が出入りしており、殺害時にはカラオケ店に行ってもらっていたことが明らかとなった。その女性は「夜の仕事」をしているため「お金が引っぱれる」と判断し、「仕事で体を求められる女性はしないほうがいい」「しない方が親密になれる」と判断して性行為には及ばずに10日間ほどアパートに滞在させている(女性は「親が心配している」として自ら立ち去った)。白石は「警察に通報するかもしれないとも考えましたが、大丈夫だと思いました。知り合って、時間も経っていたし、信用、信頼、恋愛、依存のいずれかの感じがありました」とスカウトマン時代に養われた勘を働かせている。事実、女性は解体中の部屋に出入りしているが通報はしなかったという(2020年10月23日『文春オンライン』)。白石の女性に対する観察力・洞察力は人並みかそれ以上に思える。

 

学校でも職場でもいじめは絶えない

毎日のように通う場所、会う人間とうまくいかないと精神的にどんどん追い込まれていく

世の中にはニュースになっていないけど自殺未遂をしてしまって苦しい思いをしてる人がたくさんいると思います

そんな人の力になりたいです

#自殺

上は「首吊り士」アカウントから発信されたtweet。自殺志願者に寄り添うような文言や首吊りを指南してほしい人は私信をくれるようにといった内容。そして以下は、事件発覚から一年後に白石が語った自殺志願者へのアプローチについてである。

「あのアカウントは、完全に精神が弱っている子の気を引くためのキャラクター作り。『死にたい』というつぶやきとともに、『学校がイヤだ』とか『彼氏が欲しいのにできない』とか具体的な悩みを発信しているかたは特に取り込みやすい。

 そういうツイートをしている人を毎日5~10人くらい物色してアプローチしていました。1割くらいのかたから返信がありましたね。だいたい、『死にたい』と言う人なんてみんなかまってほしいだけ。それをうまく聞き出して、懐に入っただけです。自殺サイトではなくツイッターを使ったのは、以前、風俗店に女性を紹介するスカウトの仕事をしていたとき、ツイッターで女性を募集したらすごく集まりがよかったから。私自身は、死にたいと思ったことなんて一度もないです。

 被害者のかたたちのことは、最初から欲望の対象として見ていて、自分の家族や友人、お世話になった上司といった“大切な人たち”とは別の次元にいる。自分の中で線引きができているから、殺したことへの後悔とか、遺族に対する申し訳ないという気持ちとかって、一切ないんですよね」(『女性セブン』2018年11月1日号) 

白石はSNS上では自殺指南者・支援者・共感者などの顔を演じ分けて、その実は単なるレイプ魔だったと自認している。そして重要なのは、白石にとって「被害者の方たち」は“大切な人たち”とは別次元の、殺しても罪の意識を感じない対象だったという偏見である。

2017年8月18日に最初の犠牲者となる女性Aと座間市内の木造アパートを内覧し賃貸契約、22日から一人暮らしを始めた。この場所は父親が暮らす実家から3㎞しか離れておらず、保証人や物件探しも父親が行っていた。平成26年に同アパート1階で遺体が発見されており、白石が借りた2階の部屋もUBロフト付で2万2000円という格安のいわゆる「事故物件」(本事件後、家賃は11000円まで下落した)。仲介業者は、少し時期を待てば割引になると説明したが、父親はそれを断り早い時期での入居を希望。被害者Aへの犯行は入居の翌日であった。

「(職業安定法違反で)執行猶予中でした。次、逮捕されれば、実刑になると思っていました。そのため、レイプして、お金をうばって、殺害しないといけないと思ったんです」(2020年10月16日『文春オンライン』)

 やや分かりにくい文言だが、白石の人間性が現れている言い回しだと思うので細かく順を追って見ていきたい。

・白石は「執行猶予中」である

・次また逮捕起訴されれば「実刑」を食らう

・それはどうしても避けたかった

・Aに多少の貯金があることが分かった

・Aを金づるにして“ヒモ”になりたかった

・当初は借りたアパートでの同棲を持ちかけた(Aには白石が働いて養うと話していた)

・Aを殺す気はそもそも薄かった(公判で白石は「一緒にいた時間が長かったので、好意はありました」「ひどいことをしたと後悔している」と供述。8月18日前後にAと合意の上で性交渉を持ち、以降Aはメールの敬語がなくなり、スキンシップをとる等、それ以前より好意的になったとしている)

・交際相手の有無をAから直接聞かされてはないが、「私(白石被告)以外の男性との付き合いがあるような雰囲気だった。2度目のホテルで性交渉を持ちかけたが断られたこと、そして、自分のこれまでの過去の経験上、短期的にお金をひっぱることはできるが、長期的には難しいと思っていた」と供述。

・Aから預かった金を踏み倒したかった

・返済せずにいれば「男性」の登場や「警察沙汰」が怖い

・そうなる前に「失踪」したことにしてしまえば、金を返さずに捕まらなくて済む

・だから殺害することに決めた

・性欲が溜まっていたので、意識を失ったAをレイプし、思いのほか快感を得た

・レイプがバレれば実刑なのでAを殺害

・遺棄するのに輸送手段がないため解体処理

・処理にも5000円程かかるが見つかる訳にはいかない

・多少の金を奪いつつ、殺し続けなくてはいけない

という極めて利己的な発想である。白石の発想には常に「鼻先の人参を追いかける馬」のような、目先の快楽に対して短絡的な行動を選択してしまう性質が窺える。手取り14万円ではパチスロで存分に遊べないからと転職を繰り返し、法に触れてでも自分の稼ぎのために悪質スカウトを繰り返し、「自殺願望のある女性」は性欲のはけ口にできると考え発覚まで残忍な行為を繰り返した。2か月の間に被害者含め13人と会ったという証言が事実とすれば、週をまたがず次から次へと同時進行で接触していったと考えられ、あまりにも性欲に忠実な異常な行動力である。

なおAの交際相手について、『週刊新潮』2017年11月23日号では警視庁詰め記者の言質として「実は、Aさんにはスリランカ人の交際相手がいました。白石はそれを知っていたから“一緒に住もう”ではなく、“アパートにいつでも遊びにきていいよ”と友人関係を装って誘い出し、犯行に及んでいます」(実名部分をAとした)と語られている。 

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白石被告が住んでいたアパート間取り(『小説新潮』2019年8月号)
冒頭でも示した通り、白石は弁護人からの質疑に対して基本的に無言の態度を取っている。自身は起訴事実を認めており、死刑を受け容れる立場であり、自分の同意なく減刑を求めようとする弁護人など望まないという考えを表明している。

「僕は今の弁護人も解任したいのに、裁判所が却下するんです。でも、諦(あきら)めません。来週の公判前整理手続きでも、裁判所に解任を請求するつもりです。刑事訴訟法第38条の3の1の2によると、『被告人と弁護人との利益が相反する状況にあり弁護人にその職務を継続させることが相当でないとき』には、裁判所は弁護人を解任できるんですから。今の弁護人は弁護士が守るべき『使命』にも違反している。弁護士の使命は、依頼人の『正当な利益を実現すること』なんですよ(『弁護士職務基本規程第22条』)。だから、僕には彼の解任を請求する権利がある」(『FRIDAY』2019年11月1日号)

「今の」とある通り、はじめに着任した弁護人は取調べに際して黙秘を薦めたが、却って警察の追及が激しくなって白石の心が折れ、すでに一度解任請求を行っているのだ。こうした発言を見ても、白石の知能水準が劣っているとは思えず、むしろ自分の利益のために進んで学んだ節さえ窺わせる。しかしながら、さも法律を盾に自らの正当性を主張しているように見えるものの、その実は「自分の思い通りにならないと嫌だ」という幼稚さや「弁護人の言いなりになどなるものか」という受動的攻撃性(受け身的な反抗)、「自分が従えているのだ」と言わんばかりの支配欲やプライドの高さなどが透けて見える。また検察や裁判官に対しては質問に答えていることは、彼らを(短期結審と死刑を求める)自分のコントロール下に置きたい意図があるようにも思われる。

第11回公判では、4人目の被害者Dについて、殺害時の記憶は「断片的」としつつ、「相手が普通にしている状態を襲うことが快感につながった」と述べた。Dとは一緒に自殺する名目で顔を合わせるが、自殺方法の話題や悩みの話にはならなかったとしていることから、それまでの薬物による酩酊状態などの手筈を経ずに意識のある状態で強姦に及んだのではないかと思われる。3人への犯行が思い通りにいって驕りが生じたのか、Dには携帯電話のGPS偽装工作はしていなかった。しかし想定と違って自殺への段取りを踏もうとしない相手に対して、強引な手法をとって目論見を達成できたことで「快感」につながったとも考えられるのではないか。

これは私の想像に過ぎないが、白石は女性に対しても「この女性なら暴力で支配できるな」「この女性には心酔しているふりをして金を無心しよう」「こいつは金にならないから…」等と値踏みをし、キャラクターを演じて女性を手玉に取り、思い通りにコントロールしている状態に快感を得ていたのではないか。普段はおとなしくマメな白石だが、他人を自分の思い通りにしたいというパーソナリティが先鋭化されて、暴力的手段、DVやレイプとなって表出したようにも見える。

スカウトマン時代の悪行から、希死念慮の強い女性は扱いやすい、若い女性であれば風俗等に沈めれば金づるになる、あるいは風俗勤務の女性や短期間で大金を稼ごうとする女性には希死念慮を抱く者が多く金づるにしやすいとインプットされていったのであろう。とはいえ、風俗スカウト界隈で目を点けられている白石には女性を風俗に沈めることは難しく、風俗志望ではない一般女性に目を付けるしかなかった。しかしそうした発想を定着させるまでには、「女性」に対する恨みと復讐の意味合いが根底にあったのではないか。 その背景として、白石の思い通りにならなかった女性たち、母と妹の存在が大きいと私は推測している。

 

■「家族」との距離

白石容疑者は知り合った女性たちに対して「“きょうだい”はいない」と話しているが、実際には、母親について家を出ていった妹がいる。なぜそんなつかなくてもよさそうな嘘をついたのか。

女性セブン』2017年11月23日号では、精神科医の片田珠美氏に事件後の報道などを基に分析を依頼している。

「白石容疑者はごく小さい頃に“母親に見捨てられた”という感覚があるのではないでしょうか。お母さんはできのいい妹をかわいがり、自分のことに関心がないと感じていて、思春期の微妙な時期に、母親や妹への憎しみが募った。だから、彼の内的世界では“2人はいなかったこと”になってしまっているのかもしれません。

白石容疑者は高校時代から自殺願望を抱えていて、実際に睡眠薬を大量にのむという自殺未遂を起こしたことがあるとも報じられています。その自殺願望には、“母親への復讐”という意味合いがあるのかもしれません。自分自身が自殺願望を抱いて思春期を過ごしたので、10代の女の子たちに自殺をそそのかした可能性もあります」

 拘置所に収監後、家族は一度も面会に訪れておらず、手紙のやりとりもないという。継続取材を続けるジャーナリストの渋井哲也氏は「白石はそのことについて何も思っていないというが、少しだけ家族は自分と関係ない、とかばっているように感じた」と述べている。

また白石は弁護人の裁判で争う姿勢に異を唱える理由として、「裁判が長引くと、親族に迷惑がかかる」とも述べている。高校時代あたりから父親とは折り合いが悪いというが、親子の距離、家族の間柄にしては妙に空疎な印象を覚える。それでいてアパート探しは白石本人ではなく父親が行っていたという点も腑に落ちない。執行猶予中で家にいる息子と二人きりでは諍いになるため、どうにかして追い出したかったのかもしれない。近隣住民によれば「お父さんは家のお手入れが好きで、よく植木にハサミを入れたり、落ち葉を掃いたり、2階のベランダで洗濯物を干す姿を見ました」「(東日本大震災のときは)定職につかない息子の世話をしながらボランティア活動もされていました」「息子さんは、たまに実家に帰っていたようです。そんなとき、お父さんはとなり近所に『息子と飲みに行くんです』『彼女ができたんですよ』とうれしそうにしていたんです。仲のいい親子で、息子さんがこんな事件を起こすとは……」と語っている。近隣住民から見れば家庭的な面倒見のよい父親のようでもあるが、別居について「娘の受験で」と取り繕っていたように、白石の父親は外面を非常に気にする性質のようにも見受けられる。 彼らは本当に「ごく普通の家族」だったのだろうか。

離婚した母親とついていった妹についてはプライバシーの観点からか詳細な情報は得られず、離婚原因なども明らかになっていない。だが妹の高校受験という大事な時期に別居していることから推測するに、「不倫」のような一時的なものではなく家庭内不和は恒常化しており、白石の高校卒業(および就職による経済的負担の軽減)を見越して別居に踏み切ったとも考えられる。余談になるかもしれないが、倒産の危機もささやかれた日産が仏ルノーからカルロス・ゴーンをCOO(最高執行責任者)として迎えたのが1999年。国内の車両・部品工場5か所の閉鎖と国内生産台数の減産、全世界でのグループ人員2万1000人削減と下請け企業の約半数をカット、子会社・関連企業の株式売却を軸とした中期経営目標「日産リバイバルプラン」を発表し、当初3か年の計画を1年前倒しで達成した。事件に直接的な関係はないが、白石の父親にとっては取引先の減少など仕事に少なからぬ影響はあったと考えられる(当時白石は小学校高学年にあたる)。高校時代には父親との関係が悪化していた白石は(就職して一人暮らしを始めるとはいえ)実家に残ったことからすると、母親との間には確執があったのではないかとも考えられる。あるいは母親は成績優秀な妹を寵愛するようになり、白石は反感を募らせていったのかもしれない。また母親の職業は不明だがおそらく妹の付属高校・私大の学費などは父親負担ではないかとも考えられ、もしそれに生活費の援助もしていたとすれば、白石がパチスロにハマっていた二十歳前後には家の経済状況も厳しくなっていたと想像できる。

 

臨床心理士として多くの凶悪犯の接見や鑑定をしてきた長谷川博一氏の著書『殺人者はいかに誕生したか 「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く』(新潮社)を先日読んでいたこともあって、白石の家族に対する感情は土浦無差別殺傷事件の金川真大のそれに近いような印象を受けた。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

金川は、殺人の動機について「死刑になって死ぬため」、被害者への気持ちについて 「ライオンがシマウマを襲うときに何か考えますか」と人間らしい情念が欠如しているともいえる挑発的な態度をとり続けた。こうした点は白石とは異なり、排他攻撃的な気性が見受けられる。だが金川は自らを社会から逸脱した存在と位置づけ、その攻撃性は「常識に洗脳された人間」という自分のことを理解しようとしない全ての人間に対して向けられている。それでいて文通や面会には積極的で、質問には答えようと努力し、嘘はつかない特徴も顕著だったとされる。

ここで白石による家族に関する証言を見てみよう。

「父と母と妹の4人家族でした。母はとても優しく料理が上手な方でした。

 親からの愛情という意味では恵まれたと思います。歯の矯正をしてくれましたし、視力矯正で病院に通わせてくれました。お母さんの料理も美味しかったです。妹とは幼いころは遊んでいましたが、だんだん疎遠になっていきました。思春期になると兄妹ってそんなものじゃないですか?」

「地域の総合進学塾へ行っていました。母親に言われて、なんとなく通っていた感じですね。父親は、仕事中心でしたので、子育てに関わっていませんよ」

「このころ(高校のころ)父親と仲が悪く、早く自立したかったんです。ただ思春期的なやつで、些細なことでケンカしました。“早くお風呂に入れ”とか」(『週刊女性』2020年9月22日号)

 下は、金川の家族に関する質疑である。

父親の嫌いなところは——

コレといってないですねぇ。てか、ほとんど記憶がない。怒られるのはイヤだけど、これはフツーですし。さわいでいたら、静かにしろってヤツね

父親の好きなところは——

ないですな

父親はどんな人か——

マジメだねぇ。仕事頑張ってるねぇ。ガンコじゃないがカタブツだねぇ。エンジョイって言葉知らないかもね。理屈っぽい人かなぁ。動物で例えると牛馬の類。

 

母親の嫌いなところは——

別にないですね

母親の好きなところは——

う~ん、これといって。ま、ゲーム買ってもらったことぐらい

母親はどんな人か——

人畜無害な感じ。柔和。フツーの主婦。ああ、そういえば父母ともに操り人形でしたね。常識の。

 

両親の関係は——

関係は希薄。仲はよくもわるくもない。会話はないね。淡白ですなぁ。ま、父が家にいないからね。

 いづれも他人行儀と言うか客観的に「家族ってこういうものだよね」と定型的に語ったかのような似た印象を受ける。金川の父親は外務省のノンキャリア官僚、母親は教育熱心な専業主婦。不登校や進学・就職がうまくいかなかった金川は家に居場所がなかったに違いない。3人の妹弟は「家族の雰囲気が嫌い」「家族全員が本音を隠していて、関係が希薄でバラバラ」「家族に対して関心がない」と語り家族との縁を切りたいとまで訴えており、それでも金川は「傍から見れば不仲に見える状態でも、普通です」と擁護する。彼の心のはたらきについて、長谷川氏は本来存在している感情を無意識的に「無きもの」としてしまう防衛機制「否認」の一種と捉えている。異常な家族関係や解消されない鬱屈を無効化して受け容れることで自我を保ってきたのである。白石も「家族」に対する感情をあまり表しておらず、自分のことについては饒舌な反面、家族についてはオブラートに包み隠そうとしているような印象を受ける。白石の母妹についての情報はおそらく裁判でも出てこないと思われるが、白石の一部女性に対する支配欲は母と妹に対する意趣返しの屈折した表れなのではないかと私には思える。白石は父親に逆らうこともできず、「家族」を壊してしまったのは母妹だと納得したかったのではないか。そのために女性に対する歪んだ感情を膨らませていき、自分より弱い女性たちを食い物にすることが憂さ晴らしのような快感になっていったのではないかと思うのだ。

 

■自殺志願者について

本事件を受けて、2017年12月、 LINE、FacebookTwitter Japanなどが加盟する青少年ネット利用環境整備協議会では自殺に関する情報への対応策や類似犯罪の未然防止のための提言をまとめている。しかし既述の通り、「自殺志願者」と彼らを狙う犯罪は後を絶たない。自殺者は年間およそ2万人余り、とくに若年層には増加の傾向が認められ、15~39歳の年代別死因として最も多いとされ、世界的に見ても珍しいという。精神衛生や自殺予防のリテラシーは足りていない現状である。

被害者Cのメモアプリには「これからの私の選択は、いろんな人を傷つける」とあり、Twitterには「こんなクソみたいな人生でも一時だけでも良い思いをした」と投稿していた。人権家を気取るつもりはないが、Cの遺した言葉には「死にたい」感情と同じだけ「生きたい」という感情が含まれているように思える。自殺志願者の感情は振り子のように「死にたい」「生きたい」の間を行きつ戻りつし、言葉や行動に感情が伴わない場合も多い(顔も知らない男の家に行くことも「ふつう」ならありえない発想だが、悶々と悩み続けて冷静な思考判断さえ適わなくなった彼らの行動をだれが責めることなどできようか)。「だれかに殺してほしい」という感情は「自分の力で命を絶つことができない」ことや悩み疲れて「もはや自分で生死の是非を選択できない」ことの裏返しであり、それでも生きているということは「もう死にたい」という感情がいまだに自分の行動を制御できていない・支配されていない・自由な状態であるともいえる。裁判での争点として“承諾殺人”であったか否かが今後も論じられることと思うが、白石の毒牙には掛からなかったものの後に自ら命を絶った「おびき出し」協力者のことを顧みても、本当のところは被害者本人も含めて誰にも分からないと私は考えている。

1998年ドクターキリコ事件や2005年自殺サイト事件以降、自殺志願者の集う“自殺サイト”への取り締まりは強化され、2010年代にはSNSがネガティブな心情を吐き出す場所になった。様々なユーザーに開かれた空間だからこそ悩みを抱える者同士が励まし合ったり、医療保健機関や専門家などからの情報やアドバイスを得やすい反面、利用を誤れば本件のように犯罪者を誘引してしまう。情報量の多さなどもあって一般の人には「死にたい」といった危険信号が却って見過ごされやすい側面もある。誰にも気づいてもらえない、理解してもらえない孤独な感情。本当に弱った時、目の前に手を差し出されれば、相手の顔も見ずについその手を握ってしまうということはありうるのだ。

本稿の筆をとった理由のひとつは、一人でも多くの自殺志願者にこの事件を知ってもらい、たとえ希死念慮に苛まれてSNSで弱音を吐こうとも間違ってもこうした事件の被害者にはならないでほしい、自分の命を他人に委ねるという考えだけは選択しないでもらいたいという願いからである。はたして亡くなった被害者の気持ちはいかばかりか、安易に「10人目の被害者になりたかった」等という自殺志願者がいなくなりますように。

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〈2020年12月15日追記〉 

 2020年12月15日午後、東京地裁立川支部裁判員裁判の判決公判が行われ、矢野直邦裁判長は、被害者らは依頼を撤回したり全員が殺害時に抵抗していることから「殺されることを拒絶していた」と指摘し殺害を承諾していなかったと認定、犯行時の被告には周到な計画性や死体の隠蔽処理など刑事責任能力に「全く問題がない」とし、求刑通り死刑を言い渡した。

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〈2021年1月5日追記〉

2020年12月18日、白石被告の弁護側が控訴したが、同21日に被告本人が控訴取り下げを申請。

2021年1月4日の控訴期限を過ぎたため、白石被告の死刑が確定した。

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↓各相談窓口↓

特定非営利活動法人 自殺対策支援センターライフリンク

SNSやチャットによる自殺防止の相談を行い、必要に応じて電話や対面による支援や居場所活動等へのつなぎも行う。様々な分野の専門家及び全国の地域拠点と連携して「生きることの包括的な支援」を行う。

実施日時 2020年5月1日から
相談時間 月曜日・火曜日・木曜日・金曜日・日曜日 17時から22時30分(22時まで受付)
水曜日 11時から16時30分(16時まで受付)
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主要SNS(LINE、TwitterFacebook)及びウェブチャットから、年齢・性別を問わず相談に応じる。 相談内容等から必要に応じて対面相談・電話相談(一般電話回線の他に通話アプリ(LINE、Skype等)にも対応)及び全国の福祉事務所・自立相談支援機関・保健所・精神保健福祉センター児童相談所・婦人相談所・総合労働相談等の公的機関や様々な分野のNPO団体へつなぎ支援を行う。

実施日時 2020年4月1日から2021年3月31日(通年)
相談時間 毎日 第1部 12時から16時(15時まで受付) 第2部17時から21時(20時まで受付)
毎月1回 最終土曜日から日曜日 21時から6時(5時まで受付) 7時から12時(11時まで受付)
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10代20代の女性のためのLINE相談

特定非営利活動法人 BONDプロジェクト 

10代20代の女性のためのLINE相談。

実施日時 2020年4月1日から2021年3月31日
相談時間 毎週 月曜日・水曜日・木曜日・金曜日・土曜日
第1部 14時から18時(17時30分まで受付) 第2部 18時30分から22時30分(22時まで受付)
LINE 「10代20代の女の子専用LINE」友だち追加別ウィンドウで開く
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こどものためのチャット相談

特定非営利活動法人 チャイルドライン支援センター

18歳以下の子どもが対象。 電話相談(0120-99-7777/16時から21時)と、チャットによるオンライン相談を実施。

相談時間 毎週木曜日・金曜日・第3土曜日 16時から21時(チャット実施日カレンダー別ウィンドウで開く
チャット チャイルドラインチャット相談別ウィンドウで開く
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www.mhlw.go.jp

 

五霞町女子高生殺人事件について

 2003年7月、埼玉県草加市内の神社で行われた賑やかな夏祭りの晩、女子高生は忽然と姿を消し、3日後、40キロ離れた茨城県五霞町の用水路で変わり果てた姿で発見される。

本件は2007年より捜査特別報奨金制度に指定された事件であり、長く未解決のままとされている。事件の風化阻止と防犯啓発の目的で、事件の概要等について記す。

www.pref.ibaraki.jp

 付近での目撃情報、被害者の交遊関係、未発見の所持品などについて情報をお持ちの方は以下にご連絡ください。

 

■概要

2003(平成15)年7月6日(日)正午過ぎ、東京都足立区西竹ノ塚に住む都立上野高校通信制1年生・佐藤麻衣さん(15)は「20時には帰る」と父親に言って出掛けた。

草加市内のファストフード店で、アルバイト先の同僚(20)と昼食を取った後、東武伊勢崎線草加から新越谷へ向かい、洋服などを購入。

その後、18時頃に同僚と上り電車に乗車。同僚は新田駅(しんでん)で先に下車。このとき麻衣さんは「友達と瀬崎淺間(せざきせんげん)神社の祭りに行く」と話していた。そのまま一人で神社の最寄り駅である谷塚駅へと向かった。

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19時頃、麻衣さんは一人で会場に留まり、一緒に祭りを楽しむ相手を求めて複数の友人に電話やメールで連絡を取っていたことが通信履歴などから確認されている。

20時頃、かき氷屋台でアルバイトをしていた17歳の女性と意気投合。客の呼び込みを手伝うなどしてしばらく過ごした。

屋台の女性によれば、21時過ぎに麻衣さんの携帯電話に連絡が入り、祭りを後にすることになった。女性はお礼がしたいと言ったが、麻衣さんは「また連絡して」と言って別れた。

神社北側出口で見送って以降の消息は不明、携帯電話の反応は6日22時頃を最後に途絶えた。

 

行方不明から3日後の7月9日9時40分頃、神社のある埼玉県草加市から約40キロ離れた茨城県猿島郡五霞町川妻で散歩中の近隣住民が用水路に若い女性の遺体を発見する。周辺は民家の点在する農村地域である(その後の堤防改修や道路拡張により当時の現場とは様相が異なる)。

利根川沿いに築かれた堤防よりすぐ内側の幅2メートル、深さ1メートル程の用水路で、うつ伏せに腰を上げるようにして「くの字」のような姿勢だった。

翌10日、報道で事件を知った母親(52)から「うちの娘ではないか」と問い合わせが入り、遺体が麻衣さんだと判明する。捜索願は出していなかった。

 

■詳細

発見時、麻衣さんはその日、越谷市内で購入した上下黒のスポーツウェアを着用していた。これは祭りのときにもすでに着ていたものである。しかし履いていた白色のバスケットシューズ(AND1製)は発見されず、白色の靴下が汚れていないことから、別の場所で殺害され、車で運ばれて遺棄されたものと見られた。

当日彼女が所持していた銀色の女性物腕時計(一部ネット記事では「ROLEX」と記載されている。警察の公開画像でもそれらしい文字が読めるものの、他の所持品と違ってメーカー名の記載はないため模造品ではないかと考えられる)、黒色のパナソニック製携帯電話、赤色のビニール袋(赤地に銀色で「CALM」と書かれたショッパー。40×35センチ)、ピンキーアンドダイアンの白色バッグ(25×37×11センチ)、家を出た際に着用していた衣類(着替えたもの)は見つかっていない。利用駅コインロッカーなどの捜索されたが発見されなかったことから犯人が奪った可能性が高い。

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司法解剖の結果、死因は紐状のもので首を絞められたことによる窒息死喉元に強い打撃か圧迫を受けたことによる痣、胸を素手で殴られたような痕もあった。手の爪には抵抗して引っ搔いた痕跡がなかったことから、不意に首を絞められた可能性が高いとされた。

 

麻衣さんはマンションで母親(52)と兄(16)の3人暮らし。ヨルダン国籍の父親(38)は普段は大阪府内に別居しており、たまに家族の暮らす東京のマンションに訪れていた。

事件のあった6日には、母親は兄を連れて宮崎県にある母親の実家へ帰省しており、父親がマンションに訪れていた。麻衣さんも宮崎に行くことになっていたが、バイトの都合があった(5日に松戸店へ派遣されていた)ため、後から母たちと合流する予定になっていた。

 5月中旬から埼玉県草加市東武伊勢崎線草加駅内にある洋服店でアルバイトをしており、7月6日は勤めが休みだった。

 

麻衣さんの高校は通信制で、入学式に出席したあとは日曜日に行われる任意出席の授業には来ていなかったため、学校側は人物については把握していないとした。

中学時代の同級生は「明るくおしゃれでかわいい子」という印象を持っていた。目鼻立ちのはっきりした美人で身長も170センチ近くあってスタイルがよく、ファションセンスもあって“目立つ存在”だったという。

 

草加市瀬崎は、歴史的に見ると旧入間川、旧荒川の自然堤防上に発達した農村地域で、瀬崎淺間神社は1630年頃に同地に勧請され、以後同地の代表的神社へと発展した。東武鉄道谷塚駅の東口から神社までおよそ300メートルの距離で、周囲は店や住宅が並ぶ市街地区域。過去に近辺で似たような誘拐事件などは確認されなかった。

祭は通例7月第一週の土曜・日曜の二日間にわたって催され、地元商店街による神輿の練り歩きや普段は見られない神楽公演などが行われる。境内には100を超える屋台が立ち並び期間中はおよそ2万人もの人出で賑わう。

神社の前を通る県道49号(旧国道4号)はかつての日光街道奥州街道の一部で、国道4号に接続して北上すれば五霞町まで車で1時間程の道程である。

茨城県警のホームページでは最後の目撃場所が「神社前」とされているが、一方で「谷塚駅前のコンビニ入口で、飲み物を飲みながら誰かを待っているように座り込んでいた」とする報道もあった。

過去には2005年から遺族ら「佐藤麻衣さん被害の殺人事件の捜査に協力する会」が最大300万円の私設懸賞金を設けて情報提供を呼びかけており、下のチラシ(オレンジ色)では「神社北側出入口付近から車に乗せられた(乗り込んだ)と思われます」と記載していた。

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2008(平成20)年に親族らにより作成された情報提供呼びかけのチラシ

茨城県警が作成した現行のチラシでは「神社北出入口から行方が分からなくなっている」とやや抽象化されている。

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2020年現在の茨城県警チラシ

谷塚駅は海抜3.45メートルと埼玉県内で最も低地に位置し、大正14年の開業当時、周囲は桑畑が広がっていたという。普通列車のみが停車する駅としては乗降数も多く、1日平均35000人近くの利用があった。日曜の祭りの夜となれば近郊の人々も多く集まり、混雑していたに違いない。当時、駅前のロータリーでは普段からナンパ目的の車が県内外から集まっていたとされ、そうした“ハント族”の関与も推測された。

 

発見現場となった五霞町は、今日の地図上では茨城県の市町村で唯一、利根川以南の飛び地状になっている。これは古くより利根川は非常に氾濫の多い川で、元々は江戸湾東京湾)に注がれていたものを徳川家康の江戸入り(1590年)以降、「江戸の町を水害から守る堤防づくり」「新田開発」「東北や関東各所をつなぐ水運の確保」などの目的により東遷事業が行われてきた歴史と行政区分により生じたギャップといえるかもしれない。

平成の大合併では市民発議により埼玉県幸手市との合併協議が進められていたが、久喜市との合併を要望する幸手市の市民団体が幸手市長の解職請求を行い、協議はご破算となった。行政区分の上では茨城県に当たるが、生活圏としては埼玉県幸手市久喜市との連係が進んでいる。

土地柄として、水害の頻発地点だったため境や関宿のように河岸(港)は大きく発達せず、水稲耕地が総面積の約4割を占め、森林地帯はほぼない。近年では水害リスクの低下や交通網の発達などに伴い、大規模工場や物流拠点が置かれるなど産業転換も見せている。国道4号利根川を跨いで隣接する古河市も大規模工業団地がつくられ、茨城県内だけでなく埼玉県側からの労働人口も多いと考えられる。五霞町の人口は8000人強と県内で最も小規模な自治体である。

 

■時代背景

 バイトを始めて2か月で同僚と一緒に買い物に出掛けたり、祭りで出会ったかき氷屋台の店員とすぐに意気投合するなど、中学同級生証言と合わせて考えても外向的な性格だった印象を受ける。年齢に比べて大人びた容姿も周囲からの気を引いたことは間違いない。

当時のガールズファッションの流れとしては、90年代後半までの小麦色に焼けた肌を露出する“黒ギャル”から浜崎あゆみの人気によって“白ギャル”化が大きなトレンドして挙げられる。麻衣さんの当時の服装からすると、いわゆる「ギャル」というよりはR&B系アーティストやクラブカルチャーを意識したストリート系ダンスファッションのように見受けられる。

洋楽では90年代後半からの流れとしてメアリー・J・ブライジフージーズローリン・ヒル)、TLCブリトニー・スピアーズアリシア・キーズ、ディスティニーズ・チャイルドら女性アーティストは日本でも大きな支持を得ていた。

邦楽では、宇多田ヒカルが1998年『Automatic』、99年『First Love』を発表。モーニング娘。が1999年『LOVEマシーン』、2000年『恋愛レボリューション21』などが社会現象化し、絶大な人気を博した時期でもある。またavexが全国的野外フェスa-nationを開始したのが2002年夏であり、当時の代表的なアーティストとして浜崎のほか、dream、Do As InfinityEvery Little ThingBoaTRFら(ブレイク前夜のEXILEも)が出演していた。

 

2020年現在とはやや異なるため、当時の携帯電話事情についても大まかに確認しておく。

1999年にDoCoMoが“iモード”の提供を開始し、携帯電話所持率の低年齢化とともに、携帯電話向けインターネットサービスも急増した時期である。とりわけその後のSNSブームへとつながるメールを介した“出会い”は人気となり、若者の間にはメール中心の人間関係を指す“メル友”という語が普及した。並行してパソコンの普及も進んでいたこともあり、掲示板を介して趣味・同好の士で集まる“オフ会”も広く定着した。

2000年ヤフージャパンの1日あたりの総アクセスが1億PVを達成、2004年には10億PVを達成していることからもこの時期のインターネット普及の勢いが分かる(2020年現在は月間で約780億PV)。

1999年、無料ホームページ作成サイト『魔法のiらんど』リリース。出会い系サイト『エキサイト出会い』、『スタービーチ』の前身となる『Friends!』も同時期に開始。『ワクワクメール』が2001年サービス開始。2002年頃から“着メロ”や“ケータイ小説”が人気になるなど特に若者の間で携帯電話関連のさまざまなトレンドが発生していた時期である。パケット定額制サービスが2003年4月より開始され、利用の場面が更に急増した。

一方で1990年代後半の“女子高生ブーム”の延長もあって“出会い系”を通じた“援助交際(児童買春)”が社会問題化。2001~02年にかけて和歌山出会い系サイト強盗殺傷事件が発生。2003年にはいわゆる“出会い系サイト規制法”が公布され、若年層への悪影響や性犯罪につながるカキコミに罰則規定が設けられた。尚、『前略プロフィール』『GREE』『mixi』などSNSの登場は2004年、『Mobage』は2006年である。

  

■その他の事案

同時期に発生した自動車での連れ去り事件をいくつか挙げておく。

(尚、最も比較される機会の多い2004年6月に茨城県岩井市・現在の坂東市で発生した女子高生殺人事件については後日別稿とする。)

2004年12月に発生した千葉県茂原市で起きた『ホテル活魚』殺人事件はオカルト界隈でも知られている。22日4時20分頃、同市内に住む16~21歳の男性5人がJR茂原駅前で女子高生2人を取り囲んで恐喝。一人の女子生徒からポーチを奪い、もう一人を拉致。同日6時半頃、20キロ離れた東金市油井にある『ホテル活魚』(旧油井グランドホテル)の廃屋に連れ込み、ひも状のもので絞殺。発見を遅らせるため、現場に放置されていた大型冷蔵庫内に死体を遺棄した。

女子生徒らは昼間は働き夜間の高校に通う勤労学生で、普段から夜遊びに耽っていた訳ではない。2学期の終了と忘年会を兼ねてのカラオケからの帰りだった。遺棄現場は地元では有名な心霊スポットとして知られ、若者の出入りがあったことから、以前より地元住民から市や警察へ対策を求める声が寄せられていた。その後の調べにより、顔や腹などに殴る蹴るなどの暴行の跡が数か所認められ、犯人グループは過去にも近郊で十数回の引ったくり行為を繰り返していたと供述した。

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2002年7月に発生した群馬女子高生誘拐殺人事件(坂本正人)では、単独犯による強姦目的の拉致・殺害が行われた。加害者の坂本は仕事や借金、結婚生活がうまくいかなかったことから自暴自棄となり、目先の金欲しさに強盗。その後も離婚して会えなくなったこどもの通う小学校の襲撃や鬱憤晴らしのレイプを企てていた。

19日の昼頃から車で物色を始め、勢多郡大胡町のひと気のない路上で、終業式終わりの女子高校生(16)に道を聞くふりをして声を掛け、後部座席に押し込んで拉致。赤城山中の勢多郡宮城村の山林で強姦。女子生徒が逃走しようとしたことから、咄嗟に抑えつけ、無抵抗になるまで首を絞めた。

口から泡を吹いて痙攣する女子生徒を見て、坂本は病院に連れて行こうと思ったが、事件の発覚をおそれて翻意し、頭にビニール袋をかぶせてカーステレオのコードで首を縛って窒息死させた。目立つ色のブラウスを脱がせ、所持品から現金約2600円と携帯電話を窃取し、それ以外は遺体とともに山林に投棄した。その後、拳銃を買う金欲しさに女子生徒宅に身代金を要求したことなどから足がつき逮捕された。

 

また2004年1月に発生した茨城大女子学生殺人も当初捜査が難航し、本件との関連が長く疑われていた事案である。事件から11年後の2015年、関与をほのめかす人物について情報提供があったことで捜査が大きく進展した。

電気部品加工会社に勤める当時18~21歳のフィリピン国籍の男性3人が、酒を飲んでいた際に日本人女性を強姦しようという話になり、当時住んでいた土浦市から勤め先のあった美浦村界隈を車で徘徊。

深夜、偶々自転車で買い出しに出ていた女子学生を車で幅寄せして追い詰め、車内へ連れ込んで強姦。絞殺して全裸にしたうえで遺体の首や胸部などを切りつけ、霞ヶ浦につながる清明川河口付近の護岸から遺棄した。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

 

上の記事でも取り上げたが、2004年10月に埼玉県であったナンパ目的の「ハント族」による車内での監禁・強盗・殺人未遂事件もある。県内の同じ運送会社に勤める19歳から28歳の男性4人グループが春日部市内の私鉄駅前コンビニで「食事に行こう」等と声を掛けた女子高生2人を強引に車に乗せ、埼玉・千葉を連れ回した末に、茨城県岩井市内でわいせつ行為や現金強奪に及んだ。

女性が男の作業服に付いていた勤務先の社名を見て「覚えたからな」と発言したことで男性らは殺意を抱き、水面までおよそ18メートルの高さがある下総利根大橋の中央部から突き落とした。

女性2人は重傷を負ったが幸い千葉県側の岸に流れ着いて一命をとりとめ、同年11月にこの男性グループは逮捕された。4人は、千葉県野田市、埼玉県春日部市、同幸手市、19歳少年は住所不定だった。

 

類似性はやや低いと考えられるが、いわゆる「外国人」や「ハーフ」の少女を狙った事案として、2017年3月に千葉県松戸市に住むベトナム国籍のレェ・ティ・ニャット・リンちゃん(9)が行方不明となり、翌々日、同県我孫子市(あびこ)にある排水路脇の草むらに全裸の絞殺体で発見されたいわゆる松戸小3女児誘拐殺害事件が記憶に新しい。

手首には拘束痕が残り、顔面は殴打されて膨れ上がった状態で、強姦による裂傷も確認された。遺体発見現場から約20キロ北西に位置する茨城県坂東市利根川河川敷で被害者のランドセルや衣類が発見された。リンちゃんの通う学校の元保護者会会長の男が容疑者として逮捕・起訴され、2021年現在も上告中である。

この事件に関連して、2002年5月に茨城県取手市に住む小3女児・大川経香(きょうか)ちゃん(9)が行方不明となった事件も注目を集めた。飲食店従業員の母親に「友達と遊んでくる」と告げて外出し、18時頃に近くの公園で友達と遊んでいる姿を目撃されたのを最後に行方が分からなくなっている。経香ちゃんの母親はフィリピン人で、19時頃に仕事から帰宅した際には経香ちゃんが食べたと思われる空の弁当だけが残されていた。

千葉県我孫子市茨城県取手市利根川で隔てられているが、国道6号によりアクセスも容易である。松戸市からおよそ20キロ強の距離であり、経香ちゃんの通う小学校区は市内でも最も千葉県寄りに位置する。

リンちゃん事件やルーシー・ブラックマンさんの事件のように外国人、ないしは外国人寄りの容姿を好む性犯罪者などからすれば、祭りの雑踏にあっても麻衣さんの容姿は目を惹いたかもしれない。

 

■検討 

東京・埼玉幼女連続殺人事件(1988-89、宮崎学)や栃木県今市市に住む小学1年生吉田有希ちゃん(7)が殺害され茨城県常陸大宮市山林へ遺棄された今市女児殺人事件(2005)のように、都道府県を越えた「越境犯罪」の可能性は考慮に入れておかねばならない。

上に挙げた春日部ハント族の事例でも分かる通り、茨城県県西や県南地域は群馬・栃木・埼玉・千葉・東京からも比較的アクセスしやすいため、そうした事案は起こりやすい。利根川以北ではあるがやはり埼玉・千葉から比較的近い境町一家殺傷の事案でも、捜査は埼玉方面に広げられた。

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ここでは①遺体状況、②靴と所持品、③失踪現場と遺棄現場、④被害者の行動、の四つの項目について検討したい。

 

①前述の事例でもあるように、絞殺は事前準備がなくてもベルトやネクタイ、ショルダーバッグの紐、電気コードなど身の回りのもので犯行に及ぶことも可能である。はじめから脅迫や殺害を意図した犯行であれば、刃物を用いる方が相手に心理的恐怖を与える効果が期待できる。つまり殺害は計画的だったのではなく衝動的な殺意によってなされたのではないか。

着衣の乱れがないとはいえ、スポーツウェアの素材はおそらくジャージ様かスウェット地と思われ、そもそも皺や破れになりにくい。生前受けたとみられる首元の痣や胸の殴打痕は男性による加害と考えてよいだろう。体力の近い女性同士の争いであればひっかき傷や頭髪の引っ張り合いなど大きな痕跡が残ると思われる。

暴行目的で女性を車に乗せて、ひと気のない場所に移動して事に及ぼうとするも抵抗されたために…あるいは告発を免れるために、という線が最も想像しやすい線である。

発見された9日朝以前から現場に遺棄されていたのか、直前に遺棄されたのかは定かではない。当時の気象状況について越谷市の観測地点で7月6日から9日にかけて雨量はほぼ観測されておらず、気温は6日17.6-23.6度、7日19.5-22.4度、8日17.8-20.2度、9日18.0-22.9度と平年の同時期に比べてかなり低かった。だが発見時にはそれなりに腐敗が進行していたと思われる報道もあるため、しばらく野ざらしだったと考えられる。

遺棄されていた姿勢について、うつ伏せで腰を浮かせたような「くの字」と表現されている。たとえば地面に一文字に寝かせて水路の溝に転げ落としていれば、そうした姿勢になるとは考えづらい。また腕側と足側を2人で両側から持って投げ込んだとしても腰が浮いた「くの字」姿勢にはなりづらいようにも思える。必ずしも単独犯とは限らないが、遺棄については男性一人が被害者の腰を持って運び出し、水路に落としたのではないかという印象を個人的には受けた。

 

②靴を着用していなかったことについて、遺体の足から靴だけを脱がせて遺棄することはやや考えづらいことから「(犯人の部屋など)室内に入る際に自らの任意で脱いだ」とする見方もある。

だが一部には車内が汚れることを気にして「土禁(土足禁止)」にするカーユーザーもいるため、「乗車時に脱いでもらった」可能性はある。また犯人に元々そうした習慣がなくても、強姦目的であれば着衣を脱がせやすいようにするため、逃走を困難にするために乗車時にそうした嘘をついたとも考えられる。

また犯人と旧知の間柄であれば、麻衣さんは昼からずっと外出して歩き通しでいたことから車内で自発的に靴を脱いで寛いでいたとしてもおかしくはない。

 

③ノンフィクションライター・八木澤高明氏は下の記事で本件について触れ、遺棄現場について興味深い指摘を行っている。

www.akishobo.com

すでに述べたように、五霞町茨城県の市町村で唯一「利根川の向こう側」に位置しており、生活圏としては埼玉県や千葉県北西部により近い。隠蔽する意思が強ければ利根川に流したり、夏草の生い茂った河川敷に遺棄する方が発見されづらいように思われるが、犯人は堤防を越えずに埼玉県側の用水路に遺棄していた。「堤防」という心理的な境界の向こう側に遺棄することで自分の視界から遺体を遠ざけようとした、つまり犯人は堤防を隔てた「利根川の向こう」に暮らす茨城県の人間ではないかとする見立てである。

たしかに殺害した人間が理由なく近所に遺棄することは考えづらく、心理的に捜査の火の粉が向かないようにと遠方へ運ぶ心理はよく分かる。

遺棄現場を考えればそうした指摘にも一理あるように思えるが、麻衣さんが失踪したのは瀬崎浅間神社ないし谷塚駅周辺である。茨城県側で最も距離が近いのが守谷市坂東市で、それでも30キロ以上は離れており、その途中にある千葉県柏市、埼玉県三郷市越谷市などの方が市街化は進んでおりアクセスも容易である。各地で夏祭りが催されるこの時期、わざわざ茨城県から谷塚駅に狙いを定めて足を運ぶものだろうか。

犯人が麻衣さんのことを足立区在住と知っていたかどうかは分からないが、埼玉県南部や千葉北西部から目を逸らすためにより遠くに遺棄したとする方が分かりやすい。利根川沿いは農村落が多く、夜が早い。美浦村の事案のように当初から強姦が目的だった場合、周囲に山林が少ない低地であることから「人目につかない静かな場所」として川沿いに向かうことはごく自然な発想である。

利根川を越えて茨城県に向かう際に多くはNシステム(自動車ナンバー読取装置)設置個所を通過しなければならない。だが五霞町であれば渡橋せずとも茨城県側(境署管内)に遺棄することが可能となる。タクシーや運送業、毎日工場で県境を越える人間、あるいは質の悪いハント族であれば、そうした目論見が含まれていたとしてもおかしくないように思う。

 

④やや腑に落ちないのが、麻衣さんはなぜ父親に告げた20時に帰宅しなかったのかという点である。屋台の呼び込みに余程のめり込んでしまったのか、父親とふたりきりになりたくない等の帰りづらい事情があったのか。連絡を取り合った相手については警察も通信履歴から友人らへの調べはついているはずだが、それ以外に交友関係はなかったのか。

全日制の一般的な高校生とは異なるライフスタイル、彼女の人目を惹く容姿と社交性豊かな性格が様々なバックグラウンドを想像させてしまう。失踪前の携帯電話でのやりとりなどから“出会い系”等の線についても検討しようとしたが、コミュニケーション力の高い麻衣さんであればむしろ使う必要性はあまりなかったかもしれない。

 

事件当時の茨城新聞を確認すると、事件発覚当初の7月12日の記事では通説通り父親に「午後8時ごろには帰る」と告げて外出したとされていた。しかし一週間後の17日の続報記事では「午後10時ごろに帰る」に記述が変わっていたのである。なぜこうしたずれが生じたのかは定かではないが、いくつか推測すれば「普段は“午後8時”が門限だった」「在宅していたお父さんの記憶が曖昧だった」「当初“午後8時”と言って家を出たが、その後で電話やメールで“午後10時ごろになる”と連絡していた」などであろうか。

また通話記録は20時30分頃が最後で、22時過ぎに母、兄、アルバイト先の店員が入電して呼び出したが応答はなく、24時頃に同店員が(翌日のシフト変更があったため)再度電話を掛けるがこのときは呼び出しができない状態だった。当時のエリア電波状況までは分からないが、五霞町の遺体発見現場や利根川沿いの民家の少ないエリアであれば圏外だった可能性も高い。あるいは24時時点ではすでに犯人によって電源を切られた、電池パックを外された、端末ごと破壊された、川へ遺棄された等が考えられる。

帰宅予定が20時か22時かどちらの情報もあるため断定はできないものの、麻衣さんの中で22時帰宅予定だったとすれば、彼女の行動に対する見方は大きく異なる。21時過ぎに“電話を受けて移動した”のではなく、祭りが終わって“時間を見たら21時を回っていたので帰ろうとした”と考えられる。この2時間の「差」は彼女に対する心象を考慮するうえで重要である。

さらに麻衣さんは谷塚駅に着いてから友人に淺間神社の場所を確認していたという。神社は駅東口のロータリーを抜けてすぐ、距離にして300メートル程で、一度訪れたことがあれば間違えようがない。つまり麻衣さんは過去に神社に訪れたことがなく、谷塚駅周辺にも土地勘がなかったということになる。

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■犯人像について

麻衣さんがどこの入り口から境内に入ったかは明らかではないが、上の図で見ても駅から近い日光街道沿いの正面出入り口から入ったと見るのが妥当。かたや境内から立ち去ったとされる「北側出口」は住宅街の細い路地を抜ける道である。

下のストリートビューは「目撃場所」ではなく神社敷地を出る地点。もしかすると麻衣さんは「目撃場所」まで出たはよいが、祭り帰りで人が行き交う夜の住宅地で駅の方角が分からなかったのではなかろうか

 

神社正面出入口の日光街道は交通量が非常に多いため、神社前に車を待機させておくことはできない。とすれば、車は少し離れた住宅街に置いて、北口から出てくる女性客を待ち伏せるハント族がいても不思議はない。

「目撃場所」地点は人目につく通りではあるが、祭りの晩ということもありナンパ行為をしていても周囲からは見過ごされたとも考えられる。たとえば麻衣さんが駅の方角が分からず迷った素振りできょろきょろしていれば、目を付けられて「(駅や家まで)送っていく」等と言われて別の場所に停めていた車まで連れて行かれたことは充分にあり得る。

無理やり車に押し込んだのか、家に送ると言われて従ってしまったのかは分からないが、夜の街で車がどこへ向かっているのかは判別できなかったに違いない。15歳の少女が走行中の車内でできる抵抗などほとんどないに等しい。

 

路上で3人4人が近づいてくればやはり警戒するだろうし、グループが大きいほど余罪や発覚のリスクは大きくなる。たとえば一人が車上に待機しており、一人が声を掛けて車に引き込んだ末に…というのが筆者のここまでの考えである。

おそらく犯人は当時20歳前後の若者の犯行と思われ、所帯を持ったり職が変わるなどしてすぐに不良行為から足を洗ったことも考えられる。一方で殺害までせずとも性的暴行事件の場合、被害者や身内が届出を拒むケースもあるため、他に累犯があったとしても告発を免れているケースもないとはいえない。「谷塚」や「五霞町」近隣の者による犯行とは考えづらく、茨城県西部、千葉県北部、埼玉県東部と居住地の絞り込みが難しい事案である。

 

■ その後

捜査本部には、2007年7月時点で計49件、2009年までに計73件の情報が寄せられたものの犯人逮捕の糸口にはなっていない。2018年までに延べ1万7000人の捜査員が動員されたものの、情報提供は計91件と年々情報提供の減少も見られる。

瀬崎淺間神社の祭りは今般のコロナ禍等を鑑みて実施が見送られるなど、周辺地域でも事件そのものが過去のものとされてしまうことが危惧される。

 

 

 

 〔追記〕

2021年4月より茨城県では本件を含む4事案について、全国の自治体で初めて有力情報に対する報奨金を設置した。

対象となるのは、2000年5月発生の牛久市強盗殺人、2003年7月発生の本事件、2004年6月発生の坂東市の女子高生殺人、2021年4月に東海村で発生した指名手配殺人事件の4件。前者3件は被害者が未成年であり一刻も早い解決が望まれること、東海村の事件は発生から間もなく容疑者が明らかなことを考慮して選定された。

どれだけの反響が出ているかは分からないが、犯人をのさばらせないこと、警戒を緩めない姿勢を見せ続けることは類似事件抑止の観点からも重要である。美浦女子大生事件のように時を経ても再び捜査が進展するケースもあり、風化させない・事件を忘れないことが私たちにできる数少ない捜査協力である。

 

麻衣さんのご冥福と家族の心の安寧をお祈りいたします。

木下あいりさん殺害事件について

2005年広島県広島市で起きた小1女児・木下あいりさんへの性的暴行および殺害事件について風化防止の目的で記す。

事件のあった11月22日、少女の母校では、「安全・祈りの会」が毎年催され、在校生らは亡き先輩の冥福を祈り、命の大切さについて学んでいる。

www.home-tv.co.jp

 

 

■概要

2005年11月22日(火)15時頃、広島市安芸区矢野西4丁目の空き地で大きな段ボール箱の中に入れられた女児をガス会社の社員が発見した。箱はガスコンロの梱包に使用されるもので、はじめは空き地の所有者が箱の存在に気付き、ガス会社が取り換え作業などで置き忘れていったものと思って連絡したのだという。

現場は入り組んだ住宅街で車一台通るのがやっとの細い路地が多く、昼間でも住民以外の往来は少ない地域であった。

 

段ボール箱は黒色の絶縁テープで三重に封がされていた。中の女児は口をテープで塞がれ、小学校の制服の紺色のブレザー、白いブラウス、グレー色のスカート姿で草や泥の付着はなく、体育座りのようにS字に折り曲げた格好だった。

発見者は名札を確認して名前を呼び掛けたが返事はなし。血色が悪く、体温はあったが脈は感じられなかったという。すぐに病院に運ばれたが16時頃、女児の死亡が確認された。

 

被害者は公務員木下建一さん(38)の長女で矢野西小学校1年生の木下あいりさん(7)。死亡推定時刻は13~14時、死因は頸部圧迫による窒息死(鑑定は翌23日に実施)。身長125センチ、体重22.5キロ。

その日、学校は来春の入学生向けの就学前健康診断が行われ、在校生たちは午前中だけで授業を終えて12時半頃の早帰りだった。あいりさんは途中で同級生らと別れてひとりで下校する姿が目撃されていた。帰宅が遅いのを心配した母親は周辺を自転車で探し回るなど不安な時間を過ごす中、警察から訃報を受け病院へ駆けつけた。

同22日22時頃、段ボール箱のあった空き地から北東へ400メートルほど離れた駐車場の植え込みでゴミ袋に入った女児のランドセルなどが発見された。袋は紙製で、広島市内で推奨されていた「可燃ごみ」廃棄用のゴミ袋だった。当時あいりさんはランドセルにつける防犯ブザーが電池切れになっており携帯していなかった。

24日、遺棄に使用された段ボール箱の出処が判明。広島市安芸区と隣接する東広島市の量販店で販売された家庭用ガスコンロの内のひとつということが分かった。絶縁テープは市内の百円ショップで販売されていたものと判明。

25日にはテープから「指紋」が、被害者の衣服から第三者の「汗」が検出され、重要な手掛かりとして調査が進められた。

そのほか、あいりさんのクラスの下校時刻は給食や掃除の影響で12時35分以降とされ、下校途中での最後の目撃情報は12時50分前後と絞り込まれていった。

 

■逮捕

11月29日、広島県警海田署捜査本部は、ペルー国籍の日系3世の男性フアン・カルロス・ピサロ・ヤギ(30)に死体遺棄の容疑で逮捕状を出し家宅捜索。指名手配となる。

ヤギ容疑者は遺棄現場からわずか100メートル離れたアパートに住んでいた。事件当日も捜査員が聞き込みに訪れ、地図で空き地の位置を確認した際には日本語が分からないような素振りをしていた。

翌30日未明、三重県鈴鹿市の親類宅で容疑者が逮捕される。所持金はほとんどなく、前日の29日には人材派遣会社に登録抹消をめぐって電話で金銭を要求していた。調べに対し、容疑者は「犯行時刻頃に現場周辺にはいなかった」「コンロは買ったが、箱は事件より前に捨てた」等と言い、事件とは無関係を装った。

しかし広島に移送されて自供を始める。

「ペルーに残してきた娘のことを思い出して」「Hola(スペイン語で“こんにちは”)」と声を掛けたと供述。アパート前に座っていた容疑者と思われる南米系外国人男性が携帯電話を見せて下校途中の女児の気を引く姿が複数人に目撃されていた。その一方で、殺害については「殺せ殺せ」と「悪魔の声」が聞こえてきたなどと妄想性障害を思わせるような供述を行い、殺意を否認した。

 

逮捕の報を受けたあいりさんの父建一さんは「容疑者が逮捕されてもあいりが帰ってくる訳ではなく、悲しみが増すばかりですが、あいりのことを静かに偲びたいと思います」「今はまだ気持ちの整理がついていない状態であり、容疑者にはなぜ?という気持ちと憎しみばかりで言葉にすることもできません。今後はこのような事件が二度と起こることがないよう強く願っております」とコメントを発表した。

仲の良かったあいりさんの弟は、姉の死を十分に理解できないまま、「どうやったら生き返るの」「僕も死んであいりちゃんのところに行きたい」と言い、母からあいりさんは星になったのだと教えられると、昼間でも空に星を探すなどしていたという。

 

■印象操作

事件の本筋からはやや逸脱するが、犯人逮捕前、『週刊文春』12月8日号は、当時『週刊少年ジャンプ』に連載されていた探偵漫画で強盗殺人犯が人を攫って箱詰めするシーンが描かれていたとして本件との類似性を指摘している。一見すると乱雑なだけのように見えた絶縁テープの貼り方が、その漫画の強盗殺人犯の名「X・I」を表していたのではないかというのである。

 

そうした漫画やアニメの残虐表現からの影響を疑う見方は、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を筆頭にメディアが用いるレトリックのひとつである。いわゆる“オタク”と呼ばれるような熱烈な愛好家を変質者に仕立て上げて、ワイドショーコメンテーターがバッシングを繰り返し、オタク嫌悪の視聴者から支持を集めてきた。たしかにワイドショーのコア視聴者層とオタク層は重なりにくく、相性はよくないかもしれない。

前年に奈良で発生した、同じく下校時の7歳児が攫われて犠牲となった奈良小1女児殺害事件では加害者・小林薫の自宅から多数の幼児ポルノビデオやポルノコミックが押収された。その一方でサブカルチャーに類するアニメやフィギュアが押収された事実は伝えられていない。しかし一部ジャーナリストは、女児を美少女フィギュアのように自分の思うままに支配し殺害したとの見方から、犯人にオタク的性質を読み取った。オタクを「フィギュア萌え族」などと呼び、犯罪者予備軍であるかのような主張を行った。

そうした言論に対し、オタク側の立場を代表して反論する文化人や、下のようなネチズンたちの活動が活発化したのも2000年代の特徴である。2004年3月に掲示板に書き込みが始まった『電車男』は、翌年書籍化されて100万部を超えるベストセラー、映画化されて公開40日で観客動員200万人を突破、TVドラマ版の関東地区平均視聴率21.2%を記録(ビデオリサーチ社)と社会現象となり、オタク文化の認知が進んだ時期でもあった。

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仮に段ボール箱に遺体と美少女フィギュアを同梱していたり、逮捕後に部屋から大量のわいせつアニメが押収されたのであれば、加害者をオタク視することに異論はない。専門学生の少女(16)が手斧で警察官の父親を切り殺した京田辺市警察官殺害事件のように、犯人の行動にアニメやマンガからの直接的な模倣が読み取れる水準であれば、プロファイリングのひとつとして作品が分析される必要性もある。青森八戸母子3人殺害事件のように加害者自筆の殺人小説との関連・影響を考慮するうえで、所有していた漫画や書籍を精査することもあるだろう。だが、犯人が捕まってもいない全容も明らかにならない段階で、世に無数にあるアニメや漫画作品と犯行の一部分を切り取って関連性を導き出す連想ゲームにはたしてどんな意味があるというのか。

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筆者はそれなりにアニメや漫画に触れて育ったし、オタクでもなければオタクアンチでも殺人者でもない。アニメや漫画といった趣味に比べれば、人殺しや強姦魔について調べアウトプットする作業の方がはるかに不健全のようにも思える(自嘲)。アニメや漫画、小説などの影響を受けずに育った人は現代日本にほとんどいない。大半の人は好むと好まざると大なり小なりの暴力描写、殺人や犯罪表現、狂気、わいせつな作品に触れた経験があり、大半の人は人殺しや模倣犯罪もせず普通に暮らしている。

たとえば朝霞市中1少女監禁事件を起こした寺内樺風が高校時代に『涼宮ハルヒ』のキーホルダーを鞄に付けていたことと事件との間に因果関係があると考える方が難しい。しかし一部のメディアは「犯人は高校時代、アニメ、ライトノベルにハマって美少女キャラクターを象った人形型キーホルダーを鞄にぶら下げていた」旨の情報を伝える。コメンテーターやオタクアンチ層は曲解して「アニメやラノベのファンであること」と異常犯罪とを結びつけようとする。

本件で逮捕された犯人の自宅アパートにはディズニーアニメやマスコットのぬいぐるみがあり、後に見る裁判で検察側はあいりさんの気を引くためにそうしたアニメやぬいぐるみを用いた可能性に言及している。しかしさすがに犯行にディズニーアニメからの影響を読み解こうとするジャーナリストは現れなかったようだ。

 

■うそにまみれた男

調べにより、フアン・カルロス・ピサロ・ヤギは偽名で、年齢も詐称していたことが判明。本名はホセ・マヌエル・トレス・ヤギ(33)であった。

ヤギはペルーに妻と、被害者と同年代の小さな長男、長女を残し、2004年4月に名古屋空港から単身で不法入国(後に不法入国幇助により姉が逮捕)。三重県内の自動車部品工場に勤務後、05年8月から10月中旬まで安芸区に隣接する海田町の自動車部品工場で働いていた。

元同僚によれば、日本語は話せず挨拶にも返事をしないなど職場の外国人グループからも孤立しており、虚言の多さや無断欠勤の多さなど職務態度に問題があったため解雇されていた。従業員寮を出た後、11月から安芸区矢野西のアパートに暮らし始めたばかりで、日本人女性に声を掛けたり、部屋に連れ込んだりといった情報は聞かれなかった。

家宅捜索で、遺棄に使用された段ボール箱と合致する家庭用ガスコンロがアパート敷地内で発見される。発覚を逃れる目的で出入口の反対側の人目に付きづらい屋外に移動させたものとみられ、「型式番号」が削り取られていたことも報じられた。また梱包に使用された絶縁テープから採取された指紋とあいりさんの衣服から検出されていた汗は、いずれも容疑者のものと一致した。

日本国内にヤギの親族らは20人ほどおり、同じアパート別室にも3人の親類が暮らしていた。事件後、鈴鹿市へ移動する前に呉市に住む兄(38)のもとを訪ね、死体遺棄を打ち明けたが、その原因について「家の近くで自転車に乗っていたら女の子にぶつかり、排水溝に落として死なせてしまった」などと説明していた。兄はペルーの家族にもそのように連絡していた。

 

2005年12月6日の読売新聞が伝えるところによれば、ヤギは1992年12月12日に故郷グアダルーペでも少女を狙った類似事件を起こして逮捕されていた。女児(9)が容疑者の自宅前を通りかかった際、「ベッドの下に空気の抜けたボールがあるから取り出して空気を入れてほしい」と頼まれ、室内に入るとベッドに押し倒された。叫び声を聞いて母親とみられる女性が部屋に入ってきたが、男は女性を追い出して女児への暴行を続けた。「人に話したら殺すぞ」と脅迫してから女児を解放。逮捕後、犯行について一部認め、このときも「悪魔が乗り移った」と供述。暴行については覚えていないと説明した。女児を診断した2つの病院では、暴行の有無について見解が分かれたことから「未遂」として処理され、日本円で約2万3000円相当の保釈金で仮釈放が認められたとされる。

 

裁判での弁護人の証言によれば、こどもの頃に実父からベルトでぶたれるといった折檻を受けた経験があり、15歳で入った軍隊ではいじめを受けて脱走したとされる。「悪魔の声」はそれらストレス経験に端を発するPTSD様の症状ではないかと主張したが、同類の変調をきたすことなく長年社会生活を送れていたとして精神障害を疑うべき根拠とはされなかった。また姉に「悪魔憑き」様の異常言動が見られたこともあり、遺伝的な負因についての確認も要望されたが、神父の「祈り」によって治癒されたことから精神障害に由来しないとして鑑定は却下された。

 

■裁判

2006年5月15日、広島地裁(岩倉広修裁判長)で初公判。

トレス・ヤギ被告はわいせつ行為に及んだことを認めたが、「首を押さえたことはあるが殺意はなかった。部屋ではない」などと起訴事実の一部を否認。

弁護側は、責任能力を争う方針で被告の精神鑑定を申請(後に却下)。犯行は「悪魔の声」に抵抗できずに及んだものとする供述から、事件当時、被告は心神喪失心神耗弱状態だったとして無罪を主張。

検察側は遺体の鑑定結果などから、被告が下校途中のあいりさんに声を掛け、わいせつ目的で自宅アパートかその付近で犯行に及んだものとし、死刑を求刑する。

 

12時50分頃から13時40分頃までの間、「被害児童に対し、膣口、外子宮口及び肛門部に手指を挿入するなどしてもてあそび、膣口部に約0.2ないし0.3センチメートルの亀裂、外子宮口の周囲に多数の点状の出血、肛門部やや上部に米粒大の赤褐色表皮剥脱1個の各傷をつけたほか、上記行為と並行して、あるいは引き続いて、片手を開いて親指と人差し指の間で被害児童の頸部を前から握るように締めつけ、被害児童を頸部圧迫による窒息により死亡させた」とされる。

また犯行の前後に自慰行為をして射精した上、首を絞めた際、あるいは直後に、肛門部に指を無理矢理挿入し、同部位に1センチメートル前後の表皮亀裂部4個を生じさせた(生活反応である出血量が少なく「死線期」に生じた傷と推認されている)。

部屋にあったガスコンロの空き箱に児童を収めて梱包し、自転車に乗せて近隣の空き地に遺棄。遺体は服を着ていたが、靴下は左足のみ、パンツは前後逆に装着されていた。別の場所で発見されたごみ袋には、ランドセルと学用品、学童帽のほか、着せるのを忘れたのか、ブルマーが一緒に入っていた。遺棄した帰りに親類女性と出くわして、買い物に同行し、アパートで一緒に食事をしていたことも確認されており、親類女性によればその際とくに異変は見られなかったとされる。

 

被告人の供述した犯行の一部についても記しておきたい。

通りがかったあいりさんに挨拶をして会話を交わしていると、「突然寒気を感じて鳥肌が立ち、体が少し持ち上がった感じがして、上から物を見る感じ」になり、彼女だけ「劇場でスポットライトを浴びたように映し出されて視界に入り」、「この子を殺せ」という声が聞こえた。

逆らうことができず、抱き寄せて右手をあいりさんの口元に、左手を首に置いたところ、「もう死んでいる」「マスターベーションしろ」と聞こえ、それに従って自慰行為や陰部を触るなどのわいせつ行為を行った。「彼女をバラバラにしろ」との声も聞かれたがそれには従わなかったところ、悪霊は出て行って、普通の視界に戻った。それまで自分が何をしていたのかも分からず、寒さ暑さも分からず、感情も制御不能だったというのだ。

自己制御不能の感覚異常を主張する一方で、あいりさんの脈を確認したり、我が子のように抱き上げたり、おそろしい「悪魔体験」の直後に親類女性にはそれらの体験を明かしていないなど信用性に欠けるとして、判決では検察側の主張が概ね採用された。尚、ペルー人の親族によれば、人殺しや暴力行為など善くない行いをしてしまったとき「悪魔が入ってきた」という慣用表現を用いることがあるとされ、精神障害を示唆する表現ではないという。逆説的に、被告は自らの悪行を認識しており、善悪の弁別がついていたことは明らかだとされた。

 

永山基準

1978年に最高裁第二小法廷が示した判例に「永山基準」と呼ばれる(法的拘束力を持つものではないにしても)死刑適用基準として認知される一節があり、その後の死刑求刑事件において大きな影響力を持つことは広く知られている。

 

永山基準は以下の9項目において、「総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合には死刑の選択も許される」と示されたものである。犠牲者一人の場合は特別な事情がないかぎり、死刑になりづらいというのが「過去の裁判の傾向」となっている。

①犯罪の性質

②犯行の動機

③犯行様態(執拗さ、残虐性)

④結果の重大性(とくに殺害された被害者数)

⑤遺族の被害感情

⑥社会的影響

⑦犯人の年齢

⑧前科

⑨犯行後の情状

これらすべてを満たしてようやく「死刑」の選択もやむなしとされるほど、死刑のハードルは高い。一方で、1999年の光市母子殺害事件(大月孝行)のように当時18歳の元少年に死刑適用されるなど、このスケールのみが絶対的な基準にされる訳ではない。

 

7月4日、広島地裁で行われた判決審では「永山判決が示す死刑の適用基準を満たしていると考えても、あながち不当とも言えない」と事件の重大性を認めつつ、「死刑を持って臨むにはなお疑念が残る」として無期懲役が下される。岩倉裁判長は「犯情や遺族感情にかんがみれば被告の一生をもって償わせるのが相当。仮釈放については可能な限り慎重な運用を希望する」との意見を付け加えている。

本件を永山基準に照らし合わせてみよう。

①殺人、強制わいせつ致死、死体遺棄、不法在留

②わいせつ目的、および犯跡隠滅のために確定的殺意をもっての殺害。被害者とは面識なし。薬物摂取や精神障害なし。

③卑劣かつ冷酷非情。発育途上の、通常であれば性的欲望の対象とはなりえない児童に対し、手指を強引に何度も挿入し、自慰行為で射精までして自己の歪んだ欲望を遂げた極めて陰湿かつ執拗な犯行様態。

④「人ひとりひとりの命がかけがえのない尊いものである」とした上で、「それを複数奪う行為と単数奪う行為とを比較した場合,共に強い非難に値する行為とはいえ,なおその非難の程度に相当の差異があり,犯罪結果の重大性の観点においては,複数の命を奪う行為がより強い非難に値することも,また否定できない」として、被害者が単数だったことを重視。

学校は変則日課で、被告がそれを知っていたとする「計画性」は考えづらい。被告の供述にあるように娘のことを思い出して女児に話し掛けるうち、にわかに劣情を催した衝動的犯行だった可能性も拭えない。

⑤両親は極刑を強く望む。

⑥地域住民や同年代の子を持つ保護者、学校関係者に衝撃と恐怖を与えるなどその影響は軽視できない。また偽造の出生証明書等と用い、不法入国、不法在留によって出入国管理行政の適正な運用にも悪影響を及ぼした。

⑦公判当時34歳。⑧と合わせて考えても矯正不可能とは言いがたい。

⑧前科は認められず。検察側は被告がペルーで「幼女に対する性犯罪」により2度告発されていることを以て、異常な性癖による根深い犯罪性向が裏付けられると主張した。取調べを受けたことは事実だが、有罪判決には至っておらず、その嫌疑を以て前科と同等に見なすことはできない推定無罪(疑わしきは被告人の利益に)の立場を採用。

⑨犯行後に後悔の気持ちは見て取れない。隠蔽のため死体、所持品、ガスコンロを遺棄の後、鈴鹿市の親戚宅へ逃走(被告は新聞記者の追及を避けるためと証言)。逮捕直後も偽名と虚偽のアリバイを述べ関与を否認。遺族に謝罪する一方で、殺意はなかったと罪責軽減につとめ、「悪魔の声」への不合理極まりない責任転嫁に終始するなど反省は不十分。酌むべき事情なし。

 

概ね①②③⑤⑥については基準を満たしており、④⑦⑧⑨については不十分だったということになる。

死刑は、国家がその権力において生命を永遠に奪い去る冷厳かつ窮極の刑罰であり、その適用判断には極めて慎重な検討を要することは言うまでもない。誤審や冤罪による死刑執行を食い止める被告人の“最後の防波堤”ともいえる基準である一方で、多様化する凶悪犯罪にふさわしいものか、判決相場の固定化につながっているのではないか、遺族感情や国民の法感情、社会へ及ぼす影響を軽視しているなどとして、見直しを求める声も少なくない。

 

■被害者が被害者である権利

本件では2009年導入予定とされていた裁判員裁判に向け、あらかじめ争点を明確にすることで裁判の迅速化を図るための公判前整理手続きが行われた。そこで検察側は被害者ひとりの殺人、強制わいせつ致死、死体遺棄事件としては異例ともいえる死刑求刑の構えを見せた。

判決前の6月26日に行われた会見で父建一さんは、それまで報道各社が被害者と遺族への配慮から性的被害についての具体的表現を避けてきた対応に一定の理解を示しつつ、「性的被害の事実もできる範囲で詳細に報道してほしい」と訴えた。

「あいりは声を出すと殺されると思い、涙を出しながらも暴れなかった。何も悪いことをしていないから、暴行が終われば帰してもらえると思ったのでしょう。そんな希望も全然理解せず殺した。あいりは二度死んでいる。性的暴行は、女性にとって命を奪われるようなものです。」と性的暴行という犯罪そのもののの凶悪さを強調。

さらに「娘は“広島の小1女児”ではなく、世界に一人しかいない“木下あいり”なんです。きちんと実名報道してほしい」と報道陣に対して要望した。

 

性的暴行被害についてはたとえ命に別状がなくとも将来への影響を鑑みて社会的に伏せておきたい、触れないでもらいたいといった心理がはたらきがちな事情も理解できるし、そのような判断もまた尊重されるべきだ。しかし建一さんの主張は、被害の実態を実名で伝えてほしいという真逆の選択だった。

彼女が受けた暴行の惨状を包み隠さず知ってもらうことで、なぜ犯人の「死刑」を訴えずにはいられないのか国民の理解を求めたかったのである。メディア側の匿名措置を投げうってでも建一さんは国民に問おうとした。なぜ我が子がここまでされて、犯人の死刑が認められないのか。我が子はおぞましい苦痛を与えられ命を奪われたにもかかわらず、どうして鬼畜の所業をした犯人は生き延びることを許されるのか、と。

強制わいせつ致死の被害者遺族、そして性的暴行被害者の家族の立場を背負い、こどもたちの安全な将来のため、更にはそうした過去を必要以上に後ろめたいものとさせない社会機運の醸成を自ら買って出た勇気ある決断だと私は思う。本稿ではこの判断を尊重して、広島小1女児殺害事件ではなく、木下あいりさん殺害事件と表記させていただくこととする。

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性的暴行は被害者の一生を左右する大きな傷を心身にもたらす。家族は被害者を支え、社会はこどもたちやそうした被害者たちを守っていかなくてはいけない。2017年の刑法改正まで長らく強姦は女性被害者だけのものとされ、親告罪であった。被害者自ら訴え出なければ罪にも問われなかったのである。世の中には被害の声を押し殺して泣き寝入りした女性たち、男性たちがいる(改正前の「強姦罪」では、被害者の範疇に男性は含まれず、傷害などで告訴するしかなかった)。かつて被害者保護の役割を担った側面が時代を経て、却って被害者を告発から遠ざけ、後ろめたさを背負って生きることを強いてきた。現在も匿名報道が基本とされ、徹底した匿名審理が行われる。

だがこの事件は被害者甲、乙といったどこかのだれかさんではなく、ご夫婦の第一子「愛すべき宝物」としてその名を付けられ家族の愛情に恵まれて育ったあいりさん、弟が生まれるとお母さんに代わってミルクを与え、母が体調を崩せば水や食事の世話をした利発で優しいあいりさん、夏に千葉から広島に転入してきたばかりで西小に3か月しか通えなかったあいりさん、お母さんがかつて務めた「かんごしさん」という将来への夢を抱き、いつも白いうさぎのぬいぐるみと一緒に寝ていた寝相の悪いあいりさん、お母さんのために誕生日パーティーを企画してピアノを弾きながら自ら作詞した歌を弟と一緒に歌って聞かせたあいりさん、いつものように「バイバイ」と出勤する父を見送り「いってきます」と登校した何の罪もない木下あいりさんを理不尽にも襲い掛かった悲劇なのだ。私たちはその意味を噛みしめ、家族の意志を受け止めなければならない。

 

実名報道や匿名審理のあり方について、2016年に起きた相模原障害者福祉施設殺傷事件、通称やまゆり園事件の過去エントリでも取り扱っている。この事件では障害を持つ入居者が多数犠牲となり、一部の被害者家族から、実名報道を控えてほしい旨の要請が警察に入った。その一方で、一部の家族からは実名報道、実名での公判が希望された。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

 

建一さんらにとって2004年11月に発生し、ほぼ同時期に審理が進められていた奈良小1女児殺害事件(小林薫)も当然念頭にあったであろう。この事件は匿名報道が行われていたが、広島事件をきっかけにして遺族は判決を前に名前と写真を公にした。

奈良の事件も同様に残忍な犯行であることには違いないが、被告に他の少女への強制わいせつ、絞殺未遂、下着窃盗などの前科があったことや、被害者女児の親に「娘はもらった」「次は妹だ」と脅迫行為にも及んでいたこと、更に「反省の気持ちも更生する自信もない。早く死刑判決を受け、第二の宮崎勤(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人)か宅間守(付属池田小事件)として世間に名を残したい」との供述などによって、とりわけ被告の反社会性が際立った。社会的影響の甚大さなども加味され、2006年9月に死刑判決。被害者は1人でありながらも「永山基準」より踏み込んだ極刑判決となった。小林自ら控訴を取り下げ、10月11日に死刑が確定した(2013年2月執行)。

 

■長期化

一審判決後、検察側は量刑を不当として控訴。あいりさんの父建一さんは「聞くのは辛いが本当のことを知りたい」「自らの名誉回復のためにも矛盾のない言葉を。周囲の批判を和らげ、母国ペルーで暮らす親や子どものためでもある」と被告の家族に対する思いも述べた。弁護側も控訴し、事実誤認や量刑不当に加え、裁判所側に訴訟手続きの法令違反、法令適用の誤りがあるとした。

2008年12月、広島高裁(楢崎康英裁判長)は、証拠調べ請求の一部が却下されたことで必要な審理が充分行われなかったとして一審判決を破棄差戻とした。審理の迅速化と充実を目指して8回に渡って行われた公判前整理手続きだったが、その未熟さが問題視された。被告の調書の任意性という争点が認められなかったこと、またペルー国内での女児性犯罪に関する訴追資料が翻訳の遅れで公判前整理手続きに間に合わなかった点などが指摘された。

一審判決を切り捨てるかたちとなったことで、被告側は最高裁へ上告。2009年10月、最高裁控訴審判決を破棄した。ひとつは、重複や必要性に乏しい証拠の取り調べを避け、当事者主義に則って真相解明に必要な立証が行われなければならない点。更に、地裁の合理的判断にゆだねられた証拠の採否に対して、当事者からの主張もないのに審理不尽の違法を認める高裁判断は誤りとするものであった。

 

2010年3月中旬、弁護士を通じてヤギ被告から直筆の謝罪文、弁護団との面会を求める手紙が建一さん宛に送られていた。直筆の手紙には謝罪の言葉のほか、「あいりさん、ご家族のために祈り続けることが、私ができる唯一のこと」とスペイン語で書かれていた。建一さんには事件をひとごとのように語っているとしか思えなかったという。

 

最高裁判決を受けて、2010年4月から7月にかけ、広島高裁(竹田隆裁判長)での差し戻し控訴審が行われた。

「判決の内容は聞かせてやりたいが、被告の顔を見せたくはない」

建一さんは娘が愛用していたハンカチで遺影を包んで傍聴席の最後部に座った。

ペルーでの幼女への性犯罪について被告は黙秘を貫いた。双方の主張を踏まえても、無期懲役とする一審判決の量刑は相当であり、軽すぎて不当であるとも重すぎて不当であるともいえないとして、いずれも控訴棄却。

双方、上告せず、被告の無期懲役が確定した。

 

■所感

無期懲役判決について思う人は多くいるだろう。死刑推進派からすればなぜ人殺しを殺すことを躊躇するのかといった意見もあろうし、人権派からすれば容易に死刑判決を下すことに意義はない、被害者は真に被告人の死を望むとお考えか、と疑問を呈するだろう。

私自身としては判例主義からいえば「相当」な判決だったと考えている。性的暴行に対する重罰化というワンステップがそれまでに完了していなかったことが非常に悔やまれる。建一さんの仰られるよう肉体的な殺害とともに、性的暴行によって被害者は人間的尊厳を踏みにじられて「殺される」のだ。

刑法改正により男女ともに認められる非親告罪となり、性的被害を認められやすい環境、「被害者」となっても支援を受けやすい環境が徐々に整いつつある。そして多くは児童虐待だが、女性(母親や教師)による男性(主に男児、男子生徒)への性的暴行や虐待のニュースも聞かれるようになった。もちろん女性被害者の方が数として圧倒的に多い犯罪だが、男女ともに当事者意識を持ちうることは理解や共感といった面で社会的影響の「分母」が変わるという点で大きく異なる。「俺は男だから」「うちは男の子しかいないから」という「逃げ」はもはや通用しない。

 

これまでの性犯罪者更生プログラムの有効性を検証しながら、プログラムの改善、GPS装置や社会監視の強化、性欲抑制薬剤の導入検討などと並行しながら被害を最小限にする社会構築が求められている。

また本件は外国人犯罪ではあるが、米兵が起こすレイプ事件のように「外国人が起こす犯罪」に矮小化させてはいけない。すでに日本は移民受け入れを進めており、その数はコロナ禍が収束すれば再び増加の一途をたどる。社会の変質にどのような生活様式が必要となるのかも模索していかなければ人口とともに犯罪も増加、多様化が進むことになるだろう。「悪魔の声」はヤギ懲役囚にだけ聞こえたものではない。今後もそうした文化的齟齬から不可解に思われる裁判は増えていくに違いない。

 

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ハローキティとヒマワリが大好きだったというあいりさんは、事件の前年、幼稚園でヒマワリの種を貰って自宅で育てていた。父・健一さんはあいりさんから貰った種を継いで事件後もヒマワリを育て、その種を母校へ譲り、あいりさんのヒマワリは市内全域の小学校で大切に育てられている。また海田町市民グループは9月初旬に種をまきハウスで育て、11月の命日には大輪の花束を現場に手向けている。

 

将来同じような悲劇が二度と繰り返されない社会にしていくため、私たち一人ひとりがこうした事件を見つめ直し、声なき声に耳を傾け、あらためて性被害の苦しみや命の尊さについて考えていければと思う。

あいりさんのご冥福と遺族の心の安寧を心よりお祈り致します。

 

 

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参考・引用

■星になったあいり

STOP 犯罪 星になったあいり

広島地裁一審・差戻審判決;平成17年(わ)第1355号,平成18年(わ)第254号

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/496/033496_hanrei.pdf

■広島高裁、原判決破棄差戻;平成18(う)180

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/266/037266_hanrei.pdf

最高裁、原判決破棄差戻;平成21(あ)191

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/077/038077_hanrei.pdf

■広島高裁・差戻控訴審;平成21(う)202

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/644/080644_hanrei.pdf

つくば高齢夫婦殺害事件について

 事件の風化阻止のため、2017年末に起きたつくば市高齢夫婦殺害事件について概要の説明および考察を行う。

 

物証や目撃情報などに乏しい事件だがいくつか思いつくことを記す。憶測を含んだ一部事実に基づかない内容になるが、故人や遺族、関係諸氏に対する誹謗中傷の意図はないので何卒ご了承願いたい。

www.pref.ibaraki.jp

2018年1月1日元日の夕方、年始のあいさつに訪れた次女夫婦らがつくば市東平塚に暮らす両親のもとを訪れた際、二人の遺体が発見された。

被害者は建築業を営む小林孝一さん(77)と妻・揚子さん(67)で、子どもたちは独立しており夫婦2人暮らし。

司法解剖の結果、死因は頭部などの挫傷による失血死と判明し、茨城県警は殺人事件と断定し、4日、捜査本部を設置した。

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■事件当初

1日16時40分ごろ、次女の夫が「2人が倒れている」と通報。正面玄関は施錠されており、次女夫婦は長女から借りた合鍵で中に入った。

12月30日18時頃、次女が電話で揚子さんと話しており、元日の訪問予定を伝えていた。また31日朝8時以降、揚子さんの携帯電話には複数回着信があったがいずれも「不在着信」となっていたことから、当初2人が30日18時以降から31日8時の間に殺害された可能性が高いと見て捜査が開始された。

 

孝一さんは2階和室(寝室として使用)で寝具の間でうつぶせ、揚子さんは和室を出てすぐの2階廊下であおむけに倒れており、いずれも寝間着姿。死因はともに「頭部外傷による失血死」、凶器は「表面が平らな鈍器のようなもの」と見られているが発見や特定には至っていない。孝一さんは後頭部を中心に数か所(8から9か所?)の外傷と右腕骨折、揚子さんは顔面から後頭部にかけて傷は十数か所に及び、頭蓋骨に「骨折線」、腕に皮下出血(防御創)も見られた。

発見当時、玄関や勝手口は施錠されていたが、以前カラオケ店として使用していた1階と住居部分の2階の窓が数か所未施錠になっていた。夫婦が日頃使用していたとみられる自宅の鍵は建物内で見つかっている。2階和室には荒らされた形跡がなかった

■現場について

敷地は周囲が雑木林や果樹園に囲まれており、隣り合う家などはないものの、数十メートル裏手には新興の住宅が垣間見える。住宅構造を比較すると、小林さん宅は周囲に外塀などはなく、一般的な建売住宅や代々続く農村型の邸宅とはやや異なる。

国土地理院による航空写真では1980年5月には同位置に建物らしきものが確認できたが、1977年5月撮影の写真では森林しか確認できないため、およそ40年前に建てられたと推察される。現在の地図で見れば、古くからある農村部とつくばエクスプレス開業(2005年)以降の新興住宅や商業区域が入り混じる緩衝地域にあたるが、着工当時はまさしく「森の中の家」である。建設業で腕をならした孝一さんが自分の手でイチから建てたことが窺える。

家に面した道路は、道幅が車2台分の細い通りで、南北数百mにわたって小林さん宅以外に店舗や民家、防犯カメラなどはない(事件当時は不明だが、2020年現在は小さな外灯が点々と設置されている)。交通量自体はそう多くはないものの、日中は“抜け道”として利用する車もある。

小林さん宅のある「東平塚」地区の人口はそう多くないが、新興住宅が多い「学園の森」「苅間」、大学生向けアパートや学生宿舎のある「春日」地区など、周辺人口は非常に多い。近くを通る国道408号は交通量が非常に多く、車で数分の場所に大型ショッピング施設、国立研究施設、大学施設が存在する等、広域的に捉えれば“僻地”といった印象はない。

だが局地的に見れば、深夜になると著しくひと気がなくなる雑木林が続くこともあり、付近には「不法投棄禁止」の警告表示が存在する(過去に不法投棄があった現場に土地所有者が設置するのが通例)など、人目の届きづらい場所であることも確かである。

 

2018年4月、事件後に空き家となっていた現場から指輪やネックレス等貴金属820万円相当が侵入窃盗被害に遭うなど、時間帯によって「死角」となりやすくピンスポット的に防犯性は低い立地といえる。

(2018年9月、転売された盗難品から土浦市右籾の無職・内川誠(47)、無職・伊藤幸子(42)、住所不定自称塗装業・浅海博章(46)の関与が発覚し、窃盗容疑で逮捕。夫婦殺害との関連性はないと見られている。)

 

■事件報道と夫婦の人柄

 12月末に揚子さんと話したという60代女性によると、31日22時頃に小林さん宅の前を通った際、2階の部屋の電気だけが点いていたと言い、「夫婦仲もよかったので、驚いた」と話している。

夫婦を知る50代女性は「2人は近所付き合いが殆どなかったし、人に恨まれるようなことも思い当たらない」と語る(2018年1月2日,朝日新聞)

近隣住民によると、小林さんは自宅に防犯カメラや防犯照明器具のセンサーライトを設置していた。事件当時も設置・作動していたかどうかは明らかではないが、日頃から防犯に気を使っていたという。

捜査本部は、小林さんが建築業で使う阿見町の作業場など数か所を捜索した。(2018年1月8日,茨城新聞)

 夫婦は近所のスーパーから帰宅した12月30日19時30分頃から、揚子さんの知人が自宅を訪れたが反応がなかった31日7時頃の間に殺害

現場に残された血痕などから、犯人は2階にある腰高窓からベランダに出て逃走したとみられる。(2018年12月26日,読売新聞)

 捜査開始からおよそ1年間で捜査員のべ7900人以上を投入したが、情報提供は24件と少なく、夫婦の交遊関係からもトラブルは浮上しなかった。だが揚子さんが30日夜に近所のスーパーへ買い出しに行ったことや31日朝に知人が訪問していたこと等が公表され、犯行時刻は30日19時30分ごろから31日午前7時頃までのおよそ12時間ほどに絞られた。

 

建設業でも設計から大工仕事、鉄骨関係まで器用にこなした孝一さんは、約30年前、本業とは別に自宅1階を改装したカラオケ居酒屋を開店。そこで働いていたのが揚子さんだった。当時2人は共に別の配偶者があったが、のちにそれぞれ離婚し、約10年前に再婚した。

かつて居酒屋の常連だったという近所の住民は「孝一さんがすごく良い人でとにかくいつもにこにこしていた。揚子さんは客扱いが上手。だから結構みんな来ていた」と営業当時を振り返る。2人はカラオケが好きで衣装を着て大会などにも参加していたという。

経営は順調で店舗を増やして揚子さんが切り盛りしていたが、約5年前に「年でもう疲れたから」と経営の第一線からは退き、店を人手に貸すようになった。周囲の人々は金銭トラブルもなく、怨恨をもたれるような人柄ではなかったと語る。

 

一方で、ワイドショーの取材を受けた揚子さんの親族女性は「モノをはっきりいう子。ワーッと言っちゃうんですよね」「どこかで恨まれてるのかな、知らないところで誰かいるのかなとも思う」と語っている。

知人女性は小林さん宅の前で「黒いジャンパーの男」の後姿を2度目撃したことがあり、車ですぐに去ったと証言している。そのことを生前の揚子さんに伝えると「石を投げてトイレの窓ガラスを割られたりとかは何回もあった」と何者かによる嫌がらせを繰り返し受けていたことを明かしたという。また夏ごろには新聞や庭の花がなくなるといったトラブルが続き、孝一さんがそのことを警察に相談したと聞いた住民もいる。(同ワイドショー)

 

2018年12月31日,朝日新聞では、孝一さんの長男・照幸さんが取材に答えている。

署で父の遺体と対面すると、鼻がつぶれ、目の横が切れていた。「犯人を殺してやりたい。悔しい」と怒りと悲しみでいっぱいになった。

照幸さんにとって「父は何でも1人でできる職人」で、あこがれの存在だった。溶接や電気工事、内装まで1人でこなし、事故現場となった自宅も孝一さん自らが建てたという。

照幸さんにとって義母となる揚子さんとは、そりが合わなかった。孝一さんの所有物を揚子さんが売ろうとしたことなどがあり、口論になることがしばしばあった。

揚子さんとの不仲を知る友人から「犯人視」されたこともあり、捜査員からは連日事情聴取を受けたことで精神的苦痛を負った。「トラブルがあったことは事実だから仕方ない」「本音では、俺じゃないぞと早く疑いを晴らしたい」と胸中を明かした。

 残念ながら照幸さんの想いとは裏腹に、事件から一年を境にぷっつりと報道されることもなくなってしまっている。ご夫婦の人柄について上の証言からは、孝一さんは職人タイプだが不愛想ではなく温厚、揚子さんは商売っ気があり利発なタイプと推測される。

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■犯人像について

まず2階和室に荒らされた痕跡がなかったこと、事件後の4月に空き巣窃盗が行われた(金品が手つかずで残されていた)ことからも「窃盗目的」の可能性は極めて低く、殺害そのものが目的の犯行ではないかと考えられる。

 

この可能性を推し進めて考えると、孝一さんの仕事関係の線は比較的薄いように感じられる。

ワイドショー内で「鉄骨関係の専門家として業界では知られていた」との証言が紹介されており、畑違いの居酒屋経営に乗り出すほどであったことからも、事業は順調だったと考えられる。仕事関係で殺害の動機となりうるほどの恨みを持つとすれば、「雇用主にひどい扱いを受けた」といった社内のハラスメント被害や、「取引で大損させられた(騙された)」といった経済的被害に関する不満などが考えられる。そうした立場の人物であれば、始めから窃盗が念頭になくとも殺害後に何がしか物色するのではないかと考えられる。

 

ではかつて営業していたカラオケ居酒屋関係はどうか。

接客業であるから些細なことで他人から恨みや嫉みを買ってしまう可能性もなくはないし、配偶者の存在を知りながらも横恋慕して言い寄る客などもあったかもしれない。

だが第一線を退いて(店貸に移行して)すでに5年経ってなおも殺害動機になりうるほどの恨みや相当の恋愛感情があったとすれば、当時の従業員や常連客なり周囲が察するものもあったはずである。揚子さんは従業員とも親しい間柄だったらしく「(店に立たなくなってからも)カラオケをしによく顔を出していた」「店の大掃除のときにおせちを持参してくれた」といった証言がある。

店の規模・業態としても、強い恨みをもつ者があればすぐに捜査線上に浮上するものと考えられる。

 

ご夫婦が再婚に至るまでの経緯についての詳細は分からないため、再婚を前提として離婚したのか、偶々それぞれが離婚した後で再婚につながる交際へと発展したのかといった順序は定かではない。だがお互い離婚前からオーナー店主と従業員として知り合いだったことから考えれば、同時期に「他の交際相手」がいたとはやや考えづらい。

離婚時期や理由、元配偶者についての情報は出ていないが、離婚前に勤めていた従業員などは夫婦のいざこざ等についておそらく多少耳にしていたと思われ、元配偶者についても早々に捜査の手は及んでいると考えてよかろう。離婚直後であればともかく、離婚成立から少なくとも10年以上が経過していること、それぞれの娘や息子たちが独立しており、「夫婦で正月のあいさつに出向く」「塗装業の孫(照幸さんの息子・力也さん)が孝一さんの仕事を手伝う」など離婚・再婚後も親子の交流は続いていたこと等から、元配偶者の怨恨という線はないと筆者は見ている。

 

小林さん宅の独特の立地に焦点を当てて地図をみると、素人目には仮にここに家がなかったとしたら新興住宅街がもっと広がっていたかもしれないと想像が浮かぶ。小林さんが過去にどういう経緯でこの土地に居を構えたかは定かではないが、上述のように40年ほど前(1970年代末あたり)に森を拓いて家を建てており、「近所の人とも交流がなかった」といった証言からも、おそらく代々この土地を所有していた訳ではなかったと思われる。孝一さんは建築業界の伝手でこうした未開発の土地を入手したのかもしれない。

やや特異ともいえる立地や10数年で一気に進んだ周辺開発の状況を鑑みると、上述したワイドショーで取り挙げた「黒いジャンパーの男」や繰り返された嫌がらせは、“地上げ屋”とまでは言わないが“追い出し屋”のようなものだったのではないかと勘繰ってしまう。不動産会社から土地の購入を提案されていたとしても、孝一さんは自分でイチから建てた思い入れの強い家だからこそ離れがたかったのではないか。よもや殺害に至るほどの立ち退き要求があったとは常識的には考えにくいが、「黒いジャンパーの男」や嫌がらせに絡むひとつの仮説として記しておく。

 

『直撃いばらき つくば夫婦殺人 あす半年』2018年6月30日,毎日新聞

どうしても気に掛かるのは「家族」である。上の記事ではご夫婦それぞれに「子どもが3人いた」とされている。各人について把握できていないがおそらく30~40代の壮年期にあたる世代であろう。孝一さんの長男・照幸さんが親元を離れて弁当屋を始めたように、6人それぞれの人生がある。力也さんのようにすでに成人を迎えたお孫さんも何人かいるかもしれない。

照幸さんと揚子さんの「そりが合わない」きっかけとなった「孝一さんのものを売ろうとした」一件も、例えば「孝一さんと前妻との思い出の品」や「孝一さんが昔使っていた工具」などであれば、揚子さんが不要と考える気持ちも難色を示した照幸さんの気持ちも幾分理解できる。

10年前までほとんど面識もなかった相手が「父」「母」になれば誰しも戸惑って当たり前だし、親が選んだというだけで自分が気に入って家族に迎え入れた訳でもない。もしかすると夫婦関係の齟齬をそばで見ながら育った子よりも、単純に小さい頃かわいがってもらったという印象の強い孫の方が、以前の「祖父」「祖母」に強い愛着があったかもしれない。正面切って諍いになっていなくとも、「新しい親」「新しい祖父母」を迎えるという家族関係の変化に行き違いやわだかまりを抱く子や孫がいた可能性は十分に考えられる

下の平成30年版犯罪白書によれば、「非高齢群」65歳以下の加害者のうち被害者の「子」は7.8パーセントで、「孫」の項目は抽出されてないが「その他親族」のうち数パーセントは含まれていると考えられる。「子」や「孫」が殺害に絡む事案は概ね1割程度と考えても、離婚・再婚があり子どもが6人いた小林さん夫婦の家族関係と照らし合わせると、これは少なくない数字のように私には思われる。

http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/65/nfm/images/full/h7-4-2-05.jpg

 

■犯行について

元配偶者や他の交際相手などの線を消してもよいのではないかとする理由としては、「時間の経過」以外にも「犯行」について思う所があるからだ。

まず逃走経路が2階ベランダであることから、比較的運動能力が高い人物が推測される。冒頭の画像やgoogleストリートビューでも確認できる通り、小林さん宅の構造は「倉庫」や「雨よけ」「塩ビ配管」「母屋よりやや低層の増築部分」等から、一見すると母屋2階ベランダに侵入しやすそうな印象を受ける。

運動能力が高くない人であれば怪我のリスクをおそれるかもしれないが、若者やある程度の高齢でも高所の現場作業に慣れている人間(職種であれば大工や庭師、果樹園農家など)であれば「上れそう」と思わせる外観なのだ。そのためおそらく犯人は10代後半から50歳前後、あるいは高齢でも60歳代で、運動能力に長けた人物像が思い浮かぶ。

元配偶者や仮に他の交際相手がいたとしても被害者より一回り以上若くなければ侵入は難しいのではないかと思われる(情報がない以上、若い元配偶者・交際相手がいた可能性は否定できないが)。だがそうした親密な関係性であれば、他人に依頼する契約殺人ではなく自らの手で相手に復讐したいと考えるであろうことから、元配偶者や元交際相手による犯行の線は個人的にはあまり考えてはいない。

 

また「犯行時刻」についても実証はできないが状況から絞り込むことはできる。小林さん夫婦がスーパーから帰宅したのがおよそ19時30分頃。また寝間着姿で発見されていたことから考えても犯行は就寝直前から就寝中と推測される。既述のように農村部と新興住宅地が交錯する地域のため、暮れではあるがスーパーやショッピング施設、飲食店等は比較的開いていた(小林さん宅から最も近いスーパーは24時間営業)。店舗もほとんどないような農村集落であれば住民の就寝も早いかもしれないが、すぐ裏手の新興住宅街には深夜まで起きている家族もいたと考えられる。

普段のような通勤の車は少なかったにしても、外食や買い物の用事で23時頃までは小林さん宅の前の道を通った車が何台かはあったと思われる(当夜の営業時間は定かではないが、1kmほどの場所にファミリーレストランが3店舗集まっている)。この通りは道幅も狭く「小林さん宅」のほかに何もないためそこに車が停まっている等すれば印象に残りやすい。隣接する果樹畑にも駐車できる程度のスペースはあるが、裏手の新興住宅地から発見されるリスクもあるため、まず深夜に襲撃したと考える方が自然である。筆者の見立てでは、深夜0時以降から5時の間、周囲の家が寝静まり他に車が通らない時間帯に侵入したと見ている。

 

「凶器」に「表面が平らな鈍器のようなもの」が用いられる点については大きな疑問が残る。鈍器で殴打するシチュエーションというとTVドラマ等ではよく「突発的」「衝動的」に手近なモノを凶器にしての犯行を描く際に用いられる。まさしく“力任せ”ともいえる犯行であり、ご高齢とはいえ2人を骨折させ死に至らしめる程度に殴打を繰り返していることから男性による犯行と考えてよいと思う。

http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/65/nfm/images/full/h7-4-2-04.jpg

平成30年版犯罪白書によれば、殺害に用いられる凶器の約5割が刃物、およそ1割が鈍器とされる。「表面が平らな鈍器のようなもの」という鑑識はおそらく頭蓋骨に受けた打撃から推定されたものと考えられる。

持ち運び可能な鈍器を具体的に考えると、たとえば直径20~30センチ程度の大きな卓上灰皿、硬度のあるブロックレンガ、太い角材の切れ端、トロフィー類の重みのある土台や卓上時計、厚手の四角い花瓶などが思い浮かぶ。いずれにしてもそれなりに重量とサイズがなければ殺害に用いる「鈍器」にはなりえず、小型のリュック類を背負っていたとしても「刃物」や「スタンガン」「ロープ」等に比べて携帯性は劣る。

そうすると犯人は「鈍器」を用いる計画ではなかった可能性も考えられる。たとえば鞄に刃物などを携帯していたが侵入時の物音でご夫婦が目覚めて抵抗あるいは部屋から逃げ出そうとしたところを慌てて殴りかかったのではないか。ベランダや室内にあったモノを咄嗟に凶器に使ったことは十分に考えられる。

あるいは侵入と逃走のことも含めて考えると、2階ベランダに上る際に「アルミ製の軽い脚立」等を車庫の上に乗せて侵入し、人目を嫌って2階まで持ち込んだ場面も想像できる。突発的にそうしたモノで凶器に代用した可能性もゼロではないだろう。

 

すでに述べたように、私は31日未明(30日深夜~31日明け方)を犯行時刻と考えている。だがこの日取りにもやや不自然さを感じる。年末年始は休業の人が多く、生活のルーティーンが著しく変わるため、普段より夜更かししていたり早朝から遠出したりと行動が不規則で予測が立てづらい。不在になる家も多くなる一方で、31日の朝に来訪した揚子さんの知人や1日にあいさつに訪れた次女夫婦のように、年末年始は人の出入りが多くなるケースも大いにある。日本人の常習的窃盗犯などはそうした慣習も考慮して事に及ぶとされる。

もしこの日付に意味があるとすれば、①平日は犯人が仕事などで多忙を極める、②早々に、あるいは年内に夫婦を殺害したい意図があった、③早々に遺体を発見してほしい意図があった、④犯人が上記のような慣習に無頓着だった、などの理由が挙げられる。

①であればやはり被害者と同年代ではなくひとまわり以上若い世代と考えられる。②については近々に被害者とトラブルとなり期間を空けず殺害に及んだケースがそれに当たり、だとすれば周囲の人間が聞き知らなかったとしてもおかしくない。また芸能人の年末結婚ではないが、あえてニュース報道が減少する年末年始の時期を狙ったということも考えられる。③通例であれば加害者は発見を遅らせたい意思がはたらくものだが、いわゆる暴力団の見せしめ等によくあるケースであえて“不審死”“殺人事件”であることを生存者に知らしめて脅す目的である。この事件では孝一さんは建築業の第一線からは退いているためやや薄い線かもしれない。④はそうした発想に至らない若者や心神耗弱者、慣習に疎い外国人などが想定される。令和元年の住民基本台帳では市民人口が23.7万人、うち在留外国人が約1万人と人口比は高くないものの外国人人口は県内では抜きん出て多い。金品を奪わずに殺害に及んでいる点などは、2019年8月に茨城県八千代町で起きた老夫婦殺傷事件(※)を彷彿とさせ、もしかすると近隣で外国人とのトラブルがあった可能性も否定はできない。

(※8月24日3時すぎ、八千代町に住む大里功さん宅に「目出し帽」の男が土足で侵入し、功さん(76)が刃物により胸や腹10数か所を刺され死亡、妻・裕子さん(73)が腹を刺され重傷を負った事件。9月、現場から2㎞の寮で暮らすベトナム国籍の農業実習生グエン・ディン・ハイ容疑者(21)が逮捕された。前日に出刃包丁を購入しており、金品には手を付けていなかった。殺害の動機は明らかにされていないが、『週刊女性』の記事では、功さんの趣味である「釣り」や「ゴミ捨て」にまつわる外国人とのトラブルを取り挙げている。)

 

逃走について。31日未明の天候は晴れ、気温は‐1~1℃。真冬の深夜に徒歩移動はやや考えづらいものがある。「鈍器」が持ち込みであれば自動車かバイク、「鈍器」が現地調達であれば自転車も交通手段として考えられる。バイクや自転車であれば現場周辺で隠し置くには都合がいい。付近にコンビニエンスストアはなく、小林さん宅から北西は古くからある農村集落、南手に抜けると新興住宅や商業施設などは多いものの道路側を映す防犯カメラは限られる。

自動車、バイクでの逃走であればNシステム(ナンバー自動読込装置。運転者の判別も可能)に映り込む可能性もあり、小林さん宅付近にも設置個所がある。下の略図は、国道408号を右側の太線、小林さん宅を「K」、Nシステムを「N」でそれぞれの位置関係を表している。408号と小林さん宅に面した通りがほぼ平行に位置しているため、Nシステムを避けることはたやすいのである。そして国道まで出てしまえば深夜でも交通量があるため目立たず逃走できたのではないかと思われる。

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ここまで様々な可能性を思いつくままに論じてきたが、現状公開情報が少なく、ご夫婦自身も周囲の(代々暮らしている)地元住民との付き合いが薄かった面もあり、二人の生活実態や外部の人間関係などについて予測が立てづらい事件でもある。

筆者は、捜査進展のカギはおそらくこの5年ほどのご夫婦の隠居生活の中にあるように感じる。新たな追加情報が出てこない以上、当時の夫婦の暮らしぶり(どういうものを好んでいたか、どういう場所に通っていたか)や体調変化(失礼な話かもしれないが、たとえば認知症など夫婦二人暮らしだと発見や対応が遅れるケースも多い。また健康食品や民間療法などにアクセスしている可能性もある)、周囲の関係者の変化(事業に失敗した等)を今一度洗い直す必要がある。

いかような動機を持つ犯人にせよ、今も素知らぬ顔で暮らしていると思うと、恐怖以上に怒りがこみ上げてくる事件である。捜査の進展と一刻も早い解決を願ってやまない。

 

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(2021年1月15日追記)

茨城県警は、逮捕につながる情報提供に対し、最大100万円の遺族による私設懸賞金(2024年1月14日まで)が設置されると発表した。

孝一さんの長男・照幸さんは「情報提供者の個人情報は必ず守られるので、どうか勇気を持って犯人逮捕にご協力いただきたい」と話している。

■情報提供は県警フリーダイヤル (0120)144559 まで。


 

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福井市孫娘殺害事件と認知症について

2020年9月に福井県福井市で起きた高齢者による孫娘殺しについて事件の概要、所感等を記す。高校生の孫は祖父の介護のために同居しており、祖父には認知症の疑いがあったとされる。

〔追記〕2022年6月1日、福井地裁は懲役4年6か月を言い渡した。

 

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■概要

9月10日、福井市黒丸城町の住宅で、この家で暮らす高校2年生・冨澤友美さん(16)が死亡しているのが見つかった。警察は関与の疑いが強まったことから同居していた祖父・冨澤進(86)を同日深夜、殺人容疑で逮捕した。

9日の深夜、冨澤が息子である友美さんの父に電話で「喧嘩をしていたら動かなくなった」と伝えていた。連絡を受けて市内で別居している友美さんの父親が駆け付け、2階建て住宅の1階で倒れている友美さんを発見し、10日午前0時10分ごろ「娘が倒れていて動かない」と110番通報した。

[10日午後の現場捜査の様子/福井新聞

https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/gallery/1171832

11日、友美さんの父親は県警を通じて、「大切な娘を突然の事件で失い、その死を現実のものとして受け入れることができません。今はただ、娘との最後の時間を家族で静かに過ごしたいと思います」とのコメントを出した。

冨澤は「口論になりカッとなってやった」「孫にきつく当たられて腹が立った」と容疑を認めており(9月13日読売新聞オンライン)、事件当時飲酒していたとみられることから県警は衝動的に襲った可能性もあるとみて詳しい経緯を調べている。

友美さんは部屋着姿で、刺し傷のほかに目立った外傷や着衣の乱れはなかった。発見現場では、寝室など複数箇所で血痕が見つかっており、友美さんは台所で倒れたとみられている。争った形跡や外部からの侵入、荒らされた形跡等はなく、遺体近くで凶器とみられる包丁、台所で日本酒の紙パックが発見されている。

友美さんは上半身前面に鋭利な刃物による数か所の刺し傷があり、抵抗した際にできる傷(防御創)などはなかった、司法解剖の結果、死因は出血性ショックと判明。冨澤に目立った外傷はなかった。

 

■周囲の証言など

春に妻が脳梗塞で入院したため一人暮らしになった冨澤の元を以前から友美さんとその両親らが時々訪れ、食事をつくるなど世話をしていた。

7月ごろから友美さんが同居するようになり、家から友美さんの笑い声が聞こえることも度々あった。「きちんと挨拶をするやさしい子だった」と近隣住民は語っている。

知人によると友美さんは「両親がけんかばかりするから(祖父の家に)来た」と周囲に話していた。(9月10日,日刊スポーツ)

9日夜は少なくとも20時ごろまでは物音や言い争う声はなかった。

 

友美さんが通っていた福井市にある私立啓新高校の荻原昭人校長は、「友美さんは入学時から普通科進学コースに通い2年生になってからも事件の前日9日まで休みなく登校していました。夏休みに行った保護者との面談では、父親から『家族の都合で親せきの家で暮らしている』と報告を受けていました」と説明。

「例えば授業中とか、色んな生徒の発言をフォローしたり、常に人を思いやるような生徒」(TBS NEWS)、「学校の先生になるのが夢で勉学に励んでいました。控えめで明るく朗らかな生徒で、特に悩んでいるという話は聞いていなかった。担任が見ている中でもそうした気配もありませんでした」と話している。(9月11日NHK NEWS WEB)

 

冨澤の人柄について「優しい人でいつもにこにこしていた。孫娘を可愛がっており、幼少時は手をつないで歩いている姿をよく見かけた」(60代男性)

近くの男性は、冨澤が毎日のように自宅敷地内を歩く姿を見掛けており、数日前の夕方に立ち話をしていたところ、友美さんが家から出てきて頭を下げて挨拶をし、「じいちゃん、ご飯」と声を掛けていたと語る。冨澤の様子について「温厚な性格。その時も変わった様子はなく、まさかこんなことになるなんて思いもしなかった」と証言。(毎日新聞)

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                                                             by Candid Shots, via Pixabay

冨澤が86歳の高齢者であったこと等から “認知症”に言及した報道も見られた。

認知症の症状があった。町内会の集まりを忘れたり、受け答えがままならないこともあった」(ANN NEWS)

「9月10日午前0時過ぎ、普段なら電気が消えている時間帯なのに1階が明るく、妙に思った。物音は全くしなかった」(近くに住む女性)「自宅前でぼうっとしていた。よくある光景なので気にも留めなかった」(9日夕方に姿を見たという住民)(9月12日福井新聞ONLINE)

「福井南署の警察官が現場に着いた時、祖父は一階にしゃがみ込み、呆然としていた。かわいい孫を殺してしまい、何が起きたのか分からない様子でした。『自分がやった』とも言わず、会話にならなかったそうです」

「通院歴は確認されていないが、86歳と高齢ですから認知症がなかったとは言い切れません。ゼロではないと考え、体調面を気遣いながら捜査を進めている」(捜査事情通)

「進さんも20年ほど前に脳梗塞を患い、その影響で口の動きが悪くなって、口を開けるのに苦労していました。もう86歳ですから、ぼけてないとは言えません。カッとなったのかどうかは分かりませんが、進さんは若いときから他人の言いなりにはならず、おとなしい方ではなかった。孫娘は食事の世話などをしていたようですが、気が強いところがあって、自分の考えをはっきり口にするタイプでした」(一家を昔から知る近隣住民)

友美さん家族も10年ほど前まで、祖父宅で3世代で同居していた。祖父は元々農業をしていたが、その後、鯖江市が近いこともあり、眼鏡関連の仕事についていた。(9月13日日刊ゲンダイデジタル) 

 

「2人の間にトラブルは聞いたことがない」「(冨澤は)孫に優しく、一緒に買い物に行くと何でも買ってあげていたし、お小遣いもあげていた。まさかこんなことになるなんて…」(60代女性)

「(冨澤は)町内会の飲み会に参加したときは、みんなと楽しそうに語らっていた」(60代男性)

「最近は、物忘れやろれつが回らないことが増え、家の前でぼうっとしていることもあった」(別の男性)

ある高齢女性は10日ほど前に友美さんと会ったと言い、「これからはおじいちゃんと暮らす。高校までは自転車で通えるし、冬はバス通学する」と話していた。

7月下旬に冨澤と会った近所の男性「『孫が両親とうまくいかず、こっちに来た』と話していた」と振り返り、同居を喜んでいた様子だったという(9月13日読売新聞オンライン)。

また週刊文春2020年9月24日号の伝えるところでは、眼鏡会社の下請けを担う職人だった冨澤の仕事を息子(のちの友美さんの父親)が手伝っていたが、独身のまま四十代となったことに気を揉んで、お見合いまで世話をして結婚に至ったとされ、結婚の翌年に友美さんが誕生したとされる。

後述するご両親の関係が不調だったことの背景として、はじめから結婚についてやや打算的な側面があったのではないかと感じてしまうのは筆者だけであろうか。

 

 ■「楽しかった中学生‼」

友美さんのSNS等には、学校の部活やスマホゲーム、欅坂やYouTuberに関する投稿などが挙げられており、非行とは無縁の健全な十代という印象を受ける。気になった点と言えば、2020年に入ってfacebook, twitterの投稿を辞めていること、2019年5月に卒業DVDの一部らしい画像を貼って「高校生活、下校中イヤホンで音楽聞いて帰ってるのが一番楽しい気がする 楽しかった中学生‼」という文言、2019年4月と6月、2018年3月の投稿に「大好きな塾の先生」が登場している点だ。

元々SNSへの投稿頻度が多かったわけではないため、単に飽きた、友人たちとの交遊がtiktok等の他アプリに移行したともいえるが、高校進学以降、中学までの付き合いが希薄になったためとも捉えられる。

 

中学時代の友美さんは女子バスケ部で球技大会に熱く打ち込んでおり、高校入学当初は他の球技系を選択するつもりだった様子(高校で部活動に関する具体的なつぶやきなどもなくドラッグストアのバイトをしていたことから帰宅部を選択したのかもしれない)。高校入学当初は、(嫌な思い出でもなければ)中学の頃はよかったなぁ等と感傷に浸ることは多くの人に間々あることであるし、彼女の投稿は「高校つまんない、辞めたい」といった反抗的ニュアンスや具体的な不満が述べられてはいない。絵文字などもあってそれほど悲嘆に暮れている様子とも見受けられない。

だが同じ2019年4月「楽しいゲームない?」、5月「お姉ちゃん欲しい」といった短文投稿からも、高校入学仕立ての時期は何か物足りなさを感じていた節があり、中学時代に比べるとあまり充実していなかった様子も窺わせる。

友美さんには3つ下の妹がいるため、物心ついたときから「お姉ちゃん」として育ったことから、自分が困ったときに頼りになる相手・助けになる存在が欲しかったのかもしれない。「大好きな塾の先生」とは中学卒業のタイミングで離れているが、高校進学後も誕生日にLINEで私信を送るなど親しかった関係性をうかがわせ、恋愛感情は抜きにしても、学業以外の話を聞いてくれる家族でも学友でもない貴重な存在だったのかもしれない。身近に頼れる塾の先生がいたことも「楽しかった中学時代」の一因なのであろう。

祖父との同居について、SNS上では一切触れておらず、きっかけは友美さんの言う「親がけんかばかり」でなのか、冨澤が語っていた「孫が両親とうまくいかず」でなのかは判然としない。理由や期間は明確ではないが、両者の言い分から夫婦間・親子間に何がしかの不和が起きていたことは事実と見てよいかと思う。彼女が懐かしむように振り返る中学時代は、「まだ家庭の状況が今ほど深刻ではなかった頃」といった回顧のニュアンスも含まれていたのかもしれない。

 

■どのような事件なのか

「家庭内不和」の原因として考えられるのは、経済状況、性格的不一致、不倫、DV、健康上の問題、親戚関係、こどもの教育や進路、非行などであろうか。憶測にはなるが、「祖母の入院」、「友美さんと妹さんの学費」といった複数年にわたって継続される経済負担に加え、「祖父の認知症」という介護負担が重なって、家庭内不和が噴出したのではないかと筆者は考えている。

まだ友美さんが幼いとき(およそ10年前)に家族が祖父母の元を離れたことから、両親は祖父母との同居生活に満足していなかった、円満な関係ではなかった可能性も考えられる。もしかすると祖父母の世話について諍いを繰り返す親の姿に嫌気がさし、友美さんが単身で同居を決めたのかもしれない。

 

親との同居や介護、終末医療に係る負担をきっかけに不和が生じるのは珍しいことではないし、子や兄弟ではなく孫が祖父母の生活支援や介護を行う事例も今やレアケースというほどではなく近年は「ヤングケアラー」という新語も生まれ、社会問題のひとつとして認識されつつある。

ヤングケアラーは主に「同居する家族に高齢者や障碍者がおり介護支援などをする未成年者」を対象に用いられ、友美さんのように単身で高齢者の世話をするケースはそれほど多くはないが、広義には共働きや一親世帯などで乳幼児の弟妹の世話をする児童らも含まれると考えてよい。

公的福祉支援の認知不足、家庭の経済状況から支援活用がなされていない、「家庭の問題」として対処しようとする等の原因が考えられ、そうした皺寄せがこどもの学業停滞や進学の断念などにつながっている。保護者や児童側からそうした家庭状況について学校側に説明されることも少ないため、全容を把握し対応することの難しさもある。長期的に見れば児童本人や家庭にとっても大きな負担となってしまうことが懸念されている。

www.mhlw.go.jp

 

冨澤の供述と当日とったとみられている行動には辻褄が合わない点もあり、通報から逮捕まで丸一日を費やしていることからも自供は得られたが取調べは捗っていない印象を受ける(耳が遠いとの報道もある)。

遺体の損傷や現場状況から考えて、無防備な寝込みに襲い掛かり、起き上がって逃げようとする友美さんを刃物で繰り返し刺したとみられる。「喧嘩をしていたら動かなくなった」事案ではないことは明らかで、日頃の鬱憤と酒癖の悪さがそうさせたのか、激しいせん妄状態(*)にあり孫娘を泥棒かなにかと勘違いして襲ったのかは定かではない。

認知症というだけならば、この事件にあるような残忍なほどの危害を加えるケースは決して多くないが、怒りのきっかけが分からづらく、「急に怒鳴る」「物で叩く」程度のことは起こりうる。冨澤の場合、認知症+急激な環境変化(妻の不在、孫の同居)による精神的負荷(ストレス)+深夜のアルコール習慣という様々な要因が絡んでいると見られ、せん妄の因子としては充分のようにも見受けられる。

たとえば規則正しい生活をさせていれば防げた可能性は大いにあるが、家族介護、しかも専門知識のない高校生にそれを要求するのは酷である。もし仮に冨澤に認知症やせん妄があるとすれば、その口から語られる「事実」は「嘘」ではないが真実ともいえないだろう。

(*せん妄とは、一過性の意識障害で、認知機能の低下、見当識の混乱など認知症に近い低活動型、幻聴や幻覚、錯乱や興奮といったパニック症状のある過活動型がある。)

 

認知症は脳障害の一種で、記憶障害や見当識障害、判断力の低下などが主な症状で、なかでも調子の波が大きいものを「まだら認知症」と呼び、朝できていたことが昼できなくなって夜またできるようになったり、難しい作業はできても買い物がうまくできない(毎回同じ品物を買ってしまう等)といった可能領域の偏りが生じるなどして、周囲から症状の理解が得られにくい(誤解されやすい)ものとされる。

自分の過ちに対する“取り繕い”もよく見られる症状であり、例えば貴重品を紛失して「泥棒に入られたのかも」といった口実を並べ立て、後になって自分が別の場所に保管していたことに気付くことはよくある。何も記憶していないものの愛する孫を殺めてしまったことに何か「自分の納得のいく」理由を付けようとしているのではないか。そうした“取り繕い”が取調べを難しくしているとも考えられる。

さらにこの事件に限ったものではないが、付き合いのあった周囲の人間がほとんど高齢者といった偏りがあれば「周囲への聞き込み」もその信ぴょう性・中立性に留意が必要な場合もあるだろう(年寄りはあまねく認知症が疑わしい等といった暴論ではない)。高齢者の場合、「小さい頃は良い子だった」印象が10年後も「思い込み」として残っていたりする。孫に優しいおじいちゃんが、10年後には暴飲や脳機能の変異、情緒の乱れによってDV加害者になることもありえなくはない。

認知症は症状が変化しながら、原因によってはゆるやかな下りカーブ状に、あるいは下り階段のようにあるタイミングでガクッと障害範囲が広がるおそれもあるため、周囲の人間は観察や保護を続けなければいけない懸念が常に付きまとう。冨澤は独力での食事の支度が困難だったことからも、同居による家族介護か、施設入居型介護が必要な段階だったと見て差し支えないだろう。認知症は誰にでも起こりうる障害であり、たとえ認知症でなくとも親の介護や看取りはほとんど全ての人に係る問題だ。はたして超高齢社会の現実を見せつけられたような事件である。

 

最後になりましたが、友美さんのご冥福をお祈りいたします。

 

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(2020年9月18日追記)

事件に関する続報があったため、以下追記する。

捜査関係者によると冨澤疑容疑者は、逮捕前の任意の調べの際、身に付けていた下着の中にひもを隠し持っていて、これを見つけた警察官に対して「自殺するためのひもだった」との趣旨の供述をしていた。

冨澤容疑者は現在、落ち着いて調べに応じているということだが、事件に関する供述は二転三転して曖昧なうえ、「覚えていない」とも話している。 (9月16日,FNNプライムオンライン福井テレビ)

 進さんが自殺を謀ろうとしていた供述、事件に関する供述が二転三転して取調べがスムーズにはいかないことを伝えている。個人的な意見にはなるが、この点に関しては本当に自殺を試みたか(そのような意思があったか)については甚だ疑問がある。愛孫を殺めてしまったことに対してひどく動揺し、責任を感じて自殺を考えるという流れは論理的におかしくはないが、認知症の症状として「判断力の低下」が疑われるからである。

認知症の初期診断では「野菜」「動物」といった種目で画像などを見ないで思いつくだけ名称を挙げるテストなどが用いられる。日常会話であればそれほど不自由がなさそうな人でも、いざ診断の質問となると単語が頭に浮かんでこないという。また思考・判断力の低下によって「AかBかどちらか」といった質問を投げかけても比較することが困難で意思決定ができないため、相手の促すままに「はぁ」「どちらでも」「多分」「そうかもしれません」といった曖昧な(質問に合致しない)対応を取ることが多い。

そうした傾向から、認知症の方は信用している人間の意見に非常に流されやすくなってしまう(いわゆる“オレオレ詐欺”被害にもつながりやすい)。自分で判断を下すことが難しかったり、自分の判断に自信がなかったりすれば、家族や自分に親身になってくれる知人、銀行や病院、公的機関のように比較的信頼のおける第三者の意見に従う傾向が強く、無論、取調べを行う「警察」もそれに当てはまる。

「この紐でお孫さんを絞め殺そうとした?」「お孫さんを殺すつもりじゃなかったなら何に使うつもりだったの?」「じゃあ、自分で死のうとしたの?」といった質問を浴びせられれば、本心では孫を殺したくはなかった(後悔している)ことによって判断に混濁が入り、事実とは異なる証言・承認に転じている可能性は考えられる。

記事によれば「自殺するため」という供述は逮捕前(=10日)のもので、警察では当初から認知症に理解のある取調べが行えていたのか不明である。事件直後に(進さんが認知症である可能性を踏まえず通常の取り調べ方式で)矢継ぎ早に質問を投げかけた結果、冨澤の頭の中で事実とは異なる“ストーリー”が生じてしまった可能性も危惧される。

そうした認知力の低下を悪用して、たとえば友美さんを殺害した身内によってがうまく言いくるめられて身代わりに犯人になったということも考えられるが、おそらく逮捕前の警察の捜査で家族にも取調べを行い、そうした可能性は消えたのであろう。

調べに対し容疑を認める趣旨の供述をする一方、当時の状況などに関してはあいまいな部分も多いという。複数の関係者によると、認知症の治療を受けていたとみられ、症状の進行を抑えるパッチ剤(貼り薬)を使用していた。

捜査関係者によると、知人とのやりとりから女子生徒が9日22時ごろまで生存していたことが確認できており、県警は同日23時台の犯行とみて調べている。(9月17日,福井新聞)

 冨澤が認知症の治療を受けていた事実と、友美さんが22時頃まで起きていたことが発表された。通院歴などについては事件直後から確認されていたとも思われ、友美さんの「知人とのやり取り」はおそらく携帯電話からの通信履歴などが確認されたと考えられる。

この事件の痛ましさは、逮捕や裁判で決着できないことである。筆者の考えでは、進さんに心から殺してやりたいほどの憎しみが募っていたとは思えず、一時の乱心に近い凶行だったと推測される。自分の親やあるいは自分自身にも同じような災禍が起こるとも限らない、ある種の社会問題なのだ。

友美さんのご両親にしても、我が子を失った悲しみや自分たちが二人の同居のきっかけになってしまった悔しさを、責任能力があるとはいえない父親に対して正面からぶつけることもできない、文字通り“やり場のない”思いにさせられる事件である。

 

 

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(2021年3月12日追記)

3月11日、福井南署が逮捕・送検していた祖父・冨澤進(87)を殺人罪で起訴した。起訴内容は「概要」以下に同じ。公判は裁判員裁判で行われ、事件当時の精神状態が争点になるとみられる。

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(追記)

2021年5月25日、大阪市鶴見区諸口で本事件とどこか似たような状況を彷彿とさせる事案が発生していたので追記する。

www.sankei.com

25日11時半頃、自宅2階リビングで寝ていた孫娘(25)に祖母・森範子容疑者(84)が熱湯をかけ、金槌で頭を数回殴打して殺害しようとして金槌で頭を数回殴打したとして、殺人未遂の疑いで逮捕された事件である。

鶴見署の調べによれば、一家は森容疑者のほか娘夫妻や孫娘ら5人暮らしで、当時は家に森と孫娘の2人きりだった。孫娘は両腕や胸に火傷を負うなどしたが命に別状はなく、近くの交番に被害を申告。

「金づちで殴ったが、熱湯ではなくお湯をかけただけで、殺すつもりはなかった」と殺意を否認した。 

その後、犯行に及んだ背景や動機など詳しいことは報じられていない。

 

*****

 

〔2022年5月追記〕

2022年5月19日、福井地裁(河村宜信裁判長)で裁判員裁判が開始された。88歳となった被告は起訴内容について「殺意があって殺した、というのは間違い」と述べた。

起訴状によると、殺害時刻は20年9月9日21時55分頃から23時40分頃の間。

被告は「刺した記憶はなく、台所に孫が倒れているのと血の付いた包丁があったのは覚えている」とした上で、犯行時の心境などについて「覚えていない」などと述べた。

孫娘の殺害について「すまないなと思う」と反省の態度を示したが、検察側から現在の心境について問われると、「意識がなく、殺そうと思ってないのに事件が起きた。交通事故のような状態」と答えた。

 

検察側は、冒頭陳述で「被告は被害者に対して殺害の動機となる怒りやストレスがあり、犯行後も一定の記憶を保持していた」等と述べ、善悪の判断や行動の制御能力は著しく低下していたながらも残っていた、刑事責任能力に問える「心神耗弱」状態にあったと主張。

対する弁護側は、当時認知症や飲酒などの影響で「心神喪失」状態であったとし、刑事責任を問えないとして無罪を主張した。

 

24日、被告の精神鑑定を行った中川博幾医師への証人尋問が行われ、カルテ等によれば徘徊などの行動障害を伴わないアルツハイマー認知症だと診断した上で、「被告の認知症が犯行に影響を与えたとは考えにくい」と説明。アルコール検査などから犯行当日は普段より多量の飲酒があったと見られており、「(記憶障害や衝動的になる)複雑酩酊や(意識障害などが起きる)せん妄の状態が影響した」「抑制力が欠如して興奮が抑えきれず、衝動的に犯行に至ったと推察される」との考えを述べた。

被告には友美さんと喧嘩をする等して犯行の動機が認められ、首元を刺すなどの行為に一貫した合目的性があると指摘している。

5月31日、被告の刑事責任能力を認め、懲役4年6か月(求刑8年)を言い渡した。

 

 

三重県四日市・加茂前ゆきちゃん失踪事件と怪文書について

1991(平成3)年3月15日、三重県四日市市富田にて加茂前芳行さんの三女・加茂前ゆきちゃん(小学2年生,当時8歳)が失踪した行方不明事件。事件から3年後に届いた不気味な怪文書は人々の関心を集めるも、2006年に未解決のまま時効を迎えた。

未だ消息の分からない不明者の無事を願いつつ、以下では事件の概要、不審点をおさらいし、怪文書の解読等を行いたい。

 

捜査活動へのご協力のお願い ゆきちゃんを捜しています(三重県警,ウェブアーカイブ)

 

■経緯

14時頃、ゆきちゃんは友達と別れて帰宅(最後の目撃)。父・芳行さんは在宅だったが夜勤仕事のため熟睡中であった(普段から父親を起こさないように物音を立てずに過ごすため気付かなかった)。

14時半、母・市子さんがパート先から入電。「今日は遅くなる」「分かった」と会話し、ゆきちゃんの在宅を確認している。

15時半、小6の次女が帰宅。ゆきちゃん不在。テーブルには飲みかけの(まだ温かい?)ココアが残っていた。

16時頃、父・芳行さん起床。遊びに出ていると思い気に留めなかった(普段はランドセルを置いて校庭などで友達と遊ぶため)。

その後、高校生の長女が帰宅。父が夜勤へ。

母が帰宅。20時に警察に連絡し、家族・教員らで付近を捜索。

 

 ■不審点

・その日、友人の遊びの誘いを断っていた(理由は不明)。

・まだ寒い時期であったが、普段外出時に着用するジャンパーが家に置いたままだった。

・外遊びの際に乗る自転車は家に置いたままだった。

・ゆきちゃんの消息が分からなくなったのは、母親が電話でやり取りした14時半から姉が下校する15時半までの約一時間。家には就寝中とはいえ父親がいた。

・家族がTV出演やビラ配りなどで情報を募る。無言電話は多くあったが、身代金の要求といった犯人からの脅迫電話はなかった。

・目撃情報は多く寄せられたがいずれも有力な手掛かりには至らなかった(学校のジャングルジム、学校近くの十四川、近鉄富田駅での目撃、自宅から15m付近の四つ角で白のライトバンに乗った男と話していた等の情報あり)

・事件から約3年後、「加茂前秀行」(実際の父の名は芳行)と宛名書きされた差出人不明の3枚の怪文書が届く。詳細は後述。

・福岡在住の「緒方達生」と名乗る人物の手紙。ゆきちゃんはすでに亡くなっており、ゆきちゃんの顔見知りだった男女2人が誘拐したとして、ゆきちゃんの霊と交信して調査に協力する旨が書かれていた。後に「他の霊が邪魔するためこれ以上協力できない」と撤回。

・2003年10月、若い男性からの不審電話。「身長170㎝前後」「俺の髪型はパンチパーマだ」といった自身の身体的特徴を語ったとされる。「白のライトバンに乗った男」の目撃情報で、男の特徴がパンチパーマだったこと、当時その特徴については非公開であったこと等から関連を疑われた。

 

 ■犯人像

 家族の留守と父親の就寝時間の隙をついた誘拐事案と思われる。たとえば犯人は以前にゆきちゃんと面識があり、この日の15時頃、加茂前さん宅付近で待ち合わせの(あるいは呼びに行くと)約束をしていた可能性が高い。母親がパート勤務、父親が夜勤で就寝中ということまで犯人が聞き知って、「おうちの人に気付かれないように」15時頃に行くから家の外で合図を送ったら出てきてね、といった約束をしていたと思われる。警戒感を抱かせずに接触、約束をしていたとすれば、顔なじみでなければ20歳代から40歳代女性(ゆきちゃんから見れば、「おねえさん」から「ママくらい」の人)などは比較的接触しやすく、周囲からも(母親に誤認されて)注意を向けられにくいであろう。またゆきちゃんはふくよかな体格だったことも踏まえて考えると、女性単独ではなく、抵抗や逃走などに備えて(目撃証言のように)男女で攫いに来ていたと考えるのが妥当かもしれない。

 

■不気味な怪文書

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 平仮名カタカナ漢字が入り混じり、独特な語が用いられ、意味の通じにくい文章で、現物は鉛筆で下書きまでしてボールペンで書かれていた。この怪文書の存在が事件から30年近く経ち時効となった今なお注目を集める契機になっているともいえる。これまで多くの方によって解読を試みられており、現在では提唱者が判然としないため、気になった説を適宜紹介させていただく。

 

[1]

ミゆキサンにツイテ

ミユキ カアイソウ カアイソウ

おっカアモカアイソウ お父もカアイソウ

コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ トオモイマス

股ワレハ 富田デ生レテ 学こうヲデテ シュンガノオモテノハンタイノ、パーラポ(ボ?)ウ ニツトめた

イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ 裏口二立ツヨウニナッタ

イまハー ケータショーノチカクデ 四ツアシヲアヤツツテイル

ツギニ

スゞカケのケヲ蹴落として、荷の向側のトコロ

アヤメ一ッパイノ部ヤデ コーヒーヲ飲ミナガラ、ユキチヲニギラセタ、ニギッタノハ アサヤントオもう。

ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きくワッテ 家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイタ。

感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動イ

【トミダノ股割レ】

→「股割れ」という慣用句は存在せず、独自の言い回しである。内容を追ってみるに、女性器や性交渉を示唆する語として用いられている。「淫婦」「売春婦」を示している印象を受ける箇所もある。ではなぜ「売女(ばいた)」「淫売」「あばずれ」のような一般的な語句を用いなかったのか。さらに一部で固有名詞のようにも用いられていることから、他の方も指摘されているように「マタワレ」という語句の中にすでに人名等を示唆するヒントが隠されている可能性も考えられる。たとえば意味的にマタが分かれている(「三俣」など)、形象的に漢字の下方が枝分かれしている(「入来」「大木」など)、氏名に「マ」と「タ」が含まれている(名前にマとタが含まれる「マミヤタエコ」「マエカワタロウ」など)、「マタ=真田」といったような音訓を入れ替えてできた呼称かもしれない。

【カアイソウ カアイソウ】

宮沢賢治が生前発表した数少ない児童童話のひとつ『猫の事務所』の草稿版では、文章末に「みんなみんなあはれです。かあいさうです。かあいさう、かあいさう。」という表現が存在していた(雑誌『月曜』発表版には存在していない)。『猫の事務所』本文は事件と無関係と思われるが、怪文書中で繰り返し使用される「カアイソウ カアイソウ」とよく似通ったフレーズである。『猫の事務所』草稿は筑摩書房から出された『校本宮沢賢治全集』にのみ収録されたもので、この全集には本文のほかに推敲異文、補遺などが付されており(市販の文庫本などよりも)専門的な内容も含まれる。個人的には、怪文書に漂う独特のリズムも宮沢賢治の文章にやや近い印象を受けた。もし『校本宮沢賢治全集』を送り主が読んで真似たとすれば、文学部学生(卒業生)や国語・現代文の教諭など宮沢賢治に比較的関心・造詣があった人物と推測することもできる。

中にはカタカナの多さや文中の「ゝ」や「ゞ」等の使用から旧仮名遣いを連想し、高齢者による文書ではないかとする説もあるが、上で見たように「カアイソウ」ではなく旧仮名であれば「かあいさう」、「(アサヤンノ)イフトオリ」ではなく「イフトホリ」であり、旧仮名遣い“風”に見えるだけである。

【シュンガの表の反対のパーラポ(ボ)ウ】

→これを素直に解せば、春画(和製ポルノ映画の看板?) の裏のパーラー(喫茶店あるいはパチンコ店)。「春霞の裏」と解釈して、近隣の地名「霞ヶ浦」と結びつける見立てもある。また関連はないかもしれないが、「ポウ」に比較的音が近いPAO(パオ?)というパチンコ店は松阪市内に存在している。さらに四日市に昔から馴染みのある企業“東洋紡”に掛けて、パーラ(ー)ボウではなくトーヨーなのではないかという説もある(場所等は明示されていないがトーヨーらしき店の裏手にポルノ映画館がかつて存在したとする記事がある)。

【裏口に立つようになった】

→立ちんぼ(素人売春)するようになった。あるいはパーラーをパチンコ店とする解釈では、店の裏口=換金所の役回りになったという見立てもある。

【今はケータショーのあたりで四つ足を操っている】

→「四つ」「四つ足」は、「人間以下の動物」「畜生」を意味する古い差別用語。今はケータショー(警察署?北署?北小学校?)のあたりで被差別部落民を使って商売をしている、となる。アメーバブログmaeba28氏による事件考察ブログ『雑感』で紹介されていた地域を特定する説(ケータ=鶏太→昭和の作家・源氏鶏太→源氏小学校)も非常に興味深い。

【スズカケのケヲ蹴落として】

鈴鹿

【荷の向側のところ】

→「荷向(のさき)」と読んで「鈴鹿の先」という意味か。四日市から見て「鈴鹿の先」にあるのは津・松阪方面(または亀山・伊賀方面)である。あるいは「荷(二)の向こう側=サン(山)」と解釈して、滋賀近江と四日市鈴鹿方面とを分かつ「鈴鹿山脈」とする見方もあるが、かなり広域であり、遠回しな暗号を用いる意味が薄れてしまう。

【アヤメいっぱいの部屋】

→女郎部屋?ホテルの部屋?股ワレの部屋?あるいは犯人の家紋や暴力団組織の代紋として「菖蒲紋」や菖蒲と比類する「杜若紋」等を示す表現か。

【コーヒーヲ飲ミナガラ、ユキチヲニギラセタ】

→コーヒーには『クリープ(※)』や砂糖など「白い粉」がつきものである。「白い粉」はすなわち覚せい剤を連想させる。諭吉はその代金であり、股ワレはアサヤンにシャブ漬けにされていたと考えられる。

(※1961年森永乳業が発売した粉末状ミルククリーム。インスタントコーヒーの輸入自由化と普及、『クリープを入れないコーヒーなんて』のCMキャッチコピーによって今日よりも爆発的人気を博していた商品であったため、そうした連想も成り立つ)

いずれにせよトミダノ股ワレは家事を忘れてアサヤンとの肉欲・快楽に溺れた、言いなりの妾関係と見てよいだろう。

【アサヤン】

→“〇〇やん”といった愛称か、“ヤーさん(ヤクザ者)”のアナグラム(言葉遊び)、あるいは「朝」の字から“朝鮮人”“朝鮮系ヤクザ”なども連想される。

 

[2]

タ。ソレガ大きな事件トハシラズニ又カムチャッカノハクセツノ冷タサモシラズニ、ケッカハミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル

モウ春、三回迎エタコトニナル

サカイノ クスリヤの居たトコロデハナイカ トオモウ

ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ 平和希求トハチガウ

ミユキノハゝガ力弱イハネヲバタバタ ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、

広いダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル

股ワレハ平気ナソブリ

時ニハ駅のタテカンバンニ眼ヲナガス コトモアル、

一片の良心ガアル、罪悪ヲカンズルニヂカイナイ

ソレヲ忘レタイタメ股を割ってクレルオスヲ探しツヅケルマイニチ

カムチャッカの白雪】【八寒地獄に落としたのである】

→寒さ厳しい大陸方面へ売り飛ばした?八寒地獄は仏教語で、八大地獄(八熱地獄)の周囲にあるとされる。「死ぬほど凍える思いをしていること」の比喩か。

【サカイの薬屋の居たところ】

→「サカイ」は地域の“境界”を示すのか、あるいは酒井、逆井、堺、坂井など地名・人名の固有名詞か。「堺の薬商人」の倅であった戦国武将・小西行長を指し、豊臣秀吉に命じられた“朝鮮出兵”を意味しているとの説もある(小西は釜山から上陸し、漢城を経て平壌まで進軍した)。

【韃靼(ダッタン)海峡をてふ(蝶)が越えた】

→一見唐突に感じるが、安西冬衛(1898-1965)による処女詩集『軍艦茉莉』(1929)収録の一行詩『春』「てふてふ(蝶々)が一匹韃靼海峡を渡っていった」を引用しており、その前の「モウ春、三回迎エタコトニナル」と掛かっている。韃靼海峡はユーラシア大陸樺太間にある最狭7㎞ほどの「タタール海峡」「間宮海峡」のこと。安西は三重の隣県・奈良出身であり、この詩は小学生年代でも取り扱われることもある比較的よく知られた代表作のひとつ。

安西は1920年父親の赴任先だった満州・大連に渡り、1921年関節炎から右足を失い長い闘病を余儀なくされた。「一匹のてふてふ」は(漢字の「蝶々」よりも)か弱く儚い生命を表し、「韃靼海峡」は(地図上では)近く思えるが(「間宮海峡」とするよりも視覚的・音韻的に)荒涼とした厳しい海によって遠く隔たれた場所、という対比が際立っている。「てふてふ」には、身体的に不自由となった安西自身をはじめとする満州市民らの日本本土への帰郷という“すぐには叶いそうにない願い”が反映されていたと解釈でき、東アジアの“平和希求”にも通じる詩といえるかもしれない。

【コンナ 平和希求トハチガウ】

→「(ミユキサンの日本へ帰りたいという切実な思いは)『春』の詩にあるような平和希求の淡い願いとはちがう」となる。

だが「平和希求」で私が思い浮かべたのは「憲法九条」である。「九条=窮状」と読ませて、「ミユキサンは安西冬衛の窮状よりももっと過酷である」という意味とするのは強引か。

あるいは、アサヤンは「平和希求」を表明する活動や仕事をする人物だということを示しており「アサヤンのやったこと(誘拐→人身売買?)は(彼がいつも言っている)平和希求なんかじゃない」という意味か。なお事件と同じ1991年初頭に湾岸戦争が勃発し、翌1992年に日本はPKO(国連平和維持活動)法が可決して自衛隊を派遣する等、当時は今以上に憲法九条の議論が目立った時期でもある。

いずれにせよ書き手は、「ミユキノハゝ」当人と面識はなく、必死の思いで我が子を探しているさまをTV等で知ったような印象を受ける。念のため、実際に母親が韃靼海峡を越えたという事実はない。

【時には駅の立て看板に~】

→股ワレは平気な素振りだが、駅の(ゆきちゃんの載っている)立て看板を見て心痛めることもある。

【それを忘れたいため~】

→罪悪感から逃れたいために性交渉の相手を探し続ける(すでにアサヤンとは別れている?)

 

1枚目に比べると2枚目では暗号・なぞかけ的な要素がやや薄れ、詩的とも抽象的ともとれる表現を多用して、ゆきちゃんが大陸、朝鮮半島あたりに連れて行かれて寒い思いをしているかのような書き方をしている。

 

[3]

股ワレワ ダレカ、ソレハ富田デ生マレタコトハマチガイナイ

確証ヲ掴ムマデ捜査機関ニ言フナ

キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト

事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ。

ヤツザキニモシテヤリタイ 股ワレ。ダ。ミユキガカアイソウ

我ガ股ヲ割ルトキハ命ガケ コレガ人ダ

コノトキガ女ノ一番 トホトイトキダ

 【我が股を割るときは命がけ~】

→「我が子を産むときは命懸け これが人だ このときが女の一番 尊いときだ」ならば一般的にも通じる価値観として比較的納得できるが、これまでの文意で読むと「股を割る」は「性交渉(とくに売春のニュアンスを含む)」となるはずである。手紙の最後になって「股割れ」の意味が「性交渉」と「出産」に分裂したのか、あるいは送り主には「性交のときは命懸けであり女の一番尊いとき」といった信念があるのだろうか。

最後ついに「我」が文章に登場し、さらに続く文で「女」という語を初めて使っている。「股ワレ」が単に「女(という性別)」を示すだけではない(蔑称のようなニュアンスが含まれている)ことが明らかになる。送り主が女性であれば、わざわざ「我が股を割るとき」「女の一番」等と書くだろうか。「股を割るときは命懸け これが人だ このときが一番尊いときだ」でも書き手の信念としては意味は通じるはずだ。私には、ご丁寧に「私(送り主)は女ですけど」とわざわざ付け加えたような、「送り主は女である」と読み手に印象付けたい狙いが感じられてならない。

 

 さらに送り主の人物像について憶測を続ける。

送り主は「富田の股ワレ」自身であり、罪の呵責から告発めいた文書を送りつけつつ、自らの逮捕を免れたい気持ちとのアンビバレントによって遠回しな内容表現になった、捜査機関への口止めをしたとの見解も存在する。だが私の見方としては、“このときが女の一番尊いときだ”とする独善的な見解、さらに固有名詞をなぞかけのようにして故意に捻じ曲げて表現するきらい、詩の引用などの印象から、男性によるものではないかという印象を持っている(女性である可能性を否定できるものではないが)。

平仮名カタカナの混在した表記や、日本語として通じにくい表現が目立つこと等から、外国人説(在日朝鮮人など)を唱える者も少なくない。だがこれも詩の引用や熟語表現、なぞかけを駆使する点から見て、少なくとも日本の中・高程度の学校教育を受けた者、だと考える。

下書きをしながらも読みやすく清書せずに今にも途切れそうな弱々しい筆致は、丁寧・慎重な性格というより直接長文を書くことへの「自信のなさ」を感じさせる。筆圧や文字の癖を意図的に判別されにくくするために用いた筆致であろうという印象を持つ。稚拙な語り口に似つかわしくない難解な語句や唐突に断定的表現が散逸する文は、俗に“電波系”と呼ばれる精神障碍者が神から使命を“受信”して書いた文章の特徴とも類似した印象を受ける。だがここでは送り主は精神障碍者ではないと仮定しよう。

既述したように、宮沢賢治の全集や安西冬衛の詩、戦後から1970年代にかけての流行作家・源氏鶏太など、日常生活では用いられない引用を好んでいることから送り主には「文学かぶれ」の色を出している節がある。また地名など伏せれば済む固有名詞についてアナグラムやなぞかけのような暗号めいた言い回しを多用している点は、ある程度の知能の高さを示す一方で、「読み解けるものなら読み解いてみろ」と言わんばかりの幼稚さや「私が誰だかわかるかな?」といった挑発的態度すら醸し出しているように思える。

怪文書が送られてきたとされる1994年頃は、まだ一般家庭にはPCがあまり普及しておらず、文書作成は専らワープロが主流だった。一般企業のオフィス、役所や学校など文書作成を要する職場ではデスクに一台普及しており、こうした身元を明かしたくない、やや長い文書であれば手書きよりもワープロを用いた方が簡便に思える。おそらく思うまま一気に書きあげた訳ではなく、アナグラムやなぞかけに長らく(少なくとも一か月以上)の推敲を要したであろうし、書き直しをする上でもワープロでの作成の方が適している。怪文書らしい不気味な雰囲気をあえて出したかったという理由でなければ、あまりワープロを使わない職種(農業などの第一次産業の一部、現場作業員や工員などいわゆる肉体労働者)や高齢者、学生などの若年層は手書きになるかもしれない。

この怪文書の送り主は、下書きまでして苦労して書いているように見える反面、あまりに饒舌すぎはしないだろうか。そこに怪文書の真意が透けて見える。自分が犯行に関与したことを知らせたいのであれば、公開されていないゆきちゃんの特徴(会話から得られた情報や動作の癖など)を示せば文書の信ぴょう性が増すのにそうはしない。売名行為や嫌がらせの類であれば福岡の「緒方達生」のように名を出してゆきちゃんの行方・安否を知っているとでも騙りそうなものだが、はっきりとそう書き示す訳でもない。アサヤンや富田の股ワレを知っている第三者であれば、3枚に渡って靄もやとした長文ではなく「何処の誰があやしい」で済む話ではないか。あくまで文書の送り主は、TV報道や情報募集を訴える母親の姿を見て思いついた自分の“ストーリー”と創意を凝らしたギミックを披露したい、さらに「捜査機関にいうな」とわざわざ秘匿すべき重要情報であるかのように匂わせているのである。さらわれたミユキサンがヤクザらしい男・アサヤンを介して大陸方面に身売りされてもう3年が経つ、本人は辛かろう、苦しかろうし、母親は富田の股ワレ(送り主)を殺してやりたいほど憎かろう、と同情する素振りまで見せる。くどいほどに遠回しな言葉遊びの諧謔性に自ら酔っているようにさえ思える。この怪文書は関係者や誘拐に関与した人物によるタレコミなどではなく、明らかに愉快犯による警察に対しての挑発である。

とするならば、宮沢賢治安西冬衛源氏鶏太を引いたのは、単に自分が好きな作家ということよりも、実年齢を想定させづらくする意図があったと推察する。個人の憶測にすぎないが、この怪文書の送り主は三重県に土地勘のある当時十代後半から二十代半ばの男性で、文学やミステリ小説などに造詣のある(あるいは作家志望の若者のような)人物と考える。宮沢賢治の全集は高価なため、図書館を利用した可能性もあるだろう。

 

 はたして私の想像では、怪文書は直接犯人へと結びつく代物ではない。怪文書の送り主が示唆した国外への人身売買についても、私はないと考えている。たとえば「日本人の子どもは病気の心配が少ない」等の理由で海外では高値で取引されるといった都市伝説めいた噂もインターネット上では散見されるが、わざわざ危険を冒して8歳児を密入国させても、渡航費や仲介手数料がかさみブローカーの実入りは大きくならない。認識能力が未発達で逃亡などのおそれの少ない幼児を、性的搾取等が目的だとしても現地で調達する方がリスクやコストの面から見て無難なのだ。

では国内への人身売買としたらどうか。比較的近年まで置屋(遊郭、管理売春を行う飲食店)の文化が残っており“売春島”とも呼ばれた渡鹿野島と絡めて論じる者も少なくない。この島の存在は、1998年に起きた三重県伊勢市女性記者失踪事件でも言及されるほか2016年の伊勢志摩サミット会場に近かったことなどでも話題となった。2019年に『売春島「最後の桃源郷渡鹿野島』(彩図社)を著した高木瑞穂氏の文春オンライン掲載のインタビュー記事によれば、最盛期は1970~80年代前半で大型ホテルや遊興施設が立ち並び、島民200人のうち60~70人が娼婦であり、人材の斡旋は暴力団が取り仕切っていたとされる。現在では島の売春産業は風前の灯火だが、失踪事件のあった90年代は地方からの団体旅行客などでまだ比較的栄えており、高木氏によれば80年代から90年代後半にかけては暴力団員などに騙されて送られる女性が多かったいう。だが二十歳前後の娼婦であれば、島民たちも「彼女らは訳あって稼ぎに来ている」と良心の呵責も薄らぐものだが、置屋に8歳児が暮らすようになったとなればさすがに事件性を疑わざるを得なくなる。客にしても8歳児が選べると知れば「どういうこっちゃ」「さすがにやばい」とたちまち外へ漏れて通報されるであろう。いかに地元警察と癒着していようとも国内の店舗式性風俗の類へ即送られるとはなかなか考えにくいのだ。小学生から性的搾取を行う場合、2003年に起きたプチエンジェル事件のように需要が見込まれる大都市部でデートクラブやデリバリーのような無店舗型の業態でなければ、常に摘発のリスクに晒される。当時は携帯電話も普及しておらず、1980年代後半から若年代の売春の温床となっていたのは「テレクラ」であり、さすがに8歳児に電話で交渉させるのは考えにくい。マンションの一室に顧客をとるような極小規模な会員制売春に従事させられていた可能性などは排除しきれないものの、もし性的搾取による金儲けが目的だったとすれば(要望などがなかったとすれば)8歳児よりも需要が見込める10代前半から半ばの少女などを狙うのではないかと考える。

news.yahoo.co.jp

違法臓器売買については、死後の臓器保存や冷凍輸送等ができないこともあり、すでに述べたように国外であれば現地で調達されるであろうことから、ありうるとすれば国内需要であろう。1979年の角膜及び腎臓移植に関する法律から1997年臓器移植法成立までの間は角膜・腎臓以外の臓器移植は国内では認められず極限られた渡航手術に頼っていたため、ニーズは高かったはずだ。しかし1968年和田心臓移植事件を受けて世論の脳死判定への厳しい反発、法整備の遅れから、国内の臓器移植医療は世界的に見て大きく遅れをとっており、90年代前半の事件当時ではまだ限られた国立医大病院・一部の医師にしか設備やノウハウは普及していなかった。したがって臓器移植に使われたとする説もないと考えてよい。なお国内で初めて臓器移植に関する売買が事件として露呈するのは、失踪事件から15年後の宇和島徳洲会病院での臓器売買事件(2006年)である。

失踪当時8歳という年齢から、個人的には性的搾取が主目的とされた可能性は比較的低いと考え、養子目的の誘拐だったように思われる。実行犯(おそらく男女)が養子を求めていたのか、あるいは依頼者の要望に偶然合致したのかは分からない(依頼者が性的虐待を目的としている可能性はある)。もしかすると言葉巧みに彼女を騙して、加茂前ゆきではない人間として生きることを納得させてしまったかもしれない。30年の月日のうちに、元の家族の面影や声も記憶からは薄れてしまったかもしれない。それでもどこかで強く生きていてほしいと願っています。

茨城県境町一家殺傷事件について【ポツンと一軒家】

 茨城県境町一家殺傷事件について、風化阻止を目的として事件の概要説明およびその考察を行う。www.pref.ibaraki.jp

 

 

■事件の概要

 3連休の最終日2019年9月23日未明、茨城県境町は強い雨

深夜0時38分頃、110番に「何者かが侵入してきた」「助けて」「痛い痛い痛い痛い痛い」と女性が通報。ようやく自分の名前を答えられるような取り乱した状態で、救急車は必要ですかの問いに「いらない」と答えるも再度確認すると「やっぱりいる」と混乱があった(疑問①後述)。通話は1分ほどで途切れ、警察から掛けなおすが応答なし。物音はしたが他の人物の声は入らなかった。

 

およそ10分ほどで警察が現場に到着するも、2階寝室で会社員・小林光則さん(48)、パート従業員・小林美和さん(50)の夫婦2人が遺体となって発見された。通報は、発見時2階寝室に転がっていた子機から美和さん自らが掛けていたものとみられる。

当時小林さん宅には夫婦と3人のこどもがいた。2階別室で寝ていた中学1年・長男(13)は手足を刺され重傷、小学6年・次女(11)は催涙スプレーのようなものを手にかけられ両手に痺れなどの軽傷を負った。1階で寝ていた大学3年・長女(21)に怪我などはなかった。

 

■遺族の証言

長男と次女によれば、犯人は部屋の電気を点けてベッド(机の上にベッドがある一体型のもの)から降りるよう指示したという。「いきなり襲われた。怖かった」「(自分たちを)襲ったのは一人だったと思う」「暗くて顔はよく分からなかったが男性だと思う」「サイレンの音が聞こえると“ヤバイ”と言って(部屋から)出て行った」、また犯人の服装について「帽子とマスク姿、腰に黒いポーチ」と説明している。

長女は事件当初「物音やサイレンの音で気付いた」と報道。

「長女は事件のショックが大きく、しばらく事情を聴くこともできなかった。長女には女性の捜査員が付き『大変だったね』などと声を掛けるところから始めた。その様子を見る限り、彼女が事件に関わっているとは到底思えない」(関係者)(2019年10月3日東スポweb)

のち「2階でケンカのような言い争うような声が聞こえた」「恐くて部屋から出られなかった」との報道(10月3日東スポweb)があり、証言が変わったとの指摘もある(疑問②後述)。その後、長女が交際相手に助けを求める電話をしていたことが分かっている(10月24日朝日新聞)。

 

■住居、家族について

家の周囲は木立に囲まれており、外からでは家があるのかないのかもよく分からない。出入口は住宅の北側と東側の二か所。北側は釣り堀の駐車スペースと重なっており、当時は境界ロープが張られ、足元は雑草が生い茂った状態。東側を通常の出入り口としており、こちらには見知らぬ相手によく吠えるとされる飼い犬がいたもののこの晩は吠えなかった(※)。

地図を見れば、住居の周囲は林、その周りを畑と水路に囲まれており、一番近い隣家まで釣り堀池を隔てて約200mはある孤立した立地であることから「ポツンと一軒家」と形容するメディアもある。そんな農村地域の一角ではあるが、家の前の町営釣り堀はヘラブナ釣り師たちには知られた存在で、シーズンの週末ともなると県内外から100人近く集まる人気スポットだという。

(※事件当時、小林さん宅南手にある中古車販売業者で住み込みの従業員2人が起きており、犬の鳴き声はなかったがサイレンの音は聞いたと証言。)

 

この家は元々美和さんの実家で、かつて美和さんのご両親は自宅敷地内で鯉の釣堀、金魚養殖などを営んでいた(現在の町営釣り堀とは別)。美和さんの父親が亡くなり、母親の一人暮らしを案じて、10年ほど前に埼玉から一家で引っ越してきた(事件当時、母親は体調を崩しており入院中、と近隣住民の談)。

光則さんは引っ越しを機に実家のクリーニング店から会社勤めに転職。美和さんは郵便局にパート勤め。長男は父・光則さんがコーチを務める地元野球チームに所属し、試合では両親揃って応援する姿も見られた。長女は車と電車を乗り継いで県外の大学に通学しており、最近近所で恋人の男性が目撃されることもあった。長女の友人という女性は、「お父さんは雨の日、子どもの送り迎えをしていた。お母さんも真面目な人。家に遊びに行くこともあったが普通の家庭で、トラブルは考えられない」と話した。 

 

(上のmapでは見通しがきく状態で撮影されているが、9月の事件当時は木々や下草が鬱蒼と生い茂り、池の向こうからでは家屋があるとさえも分からない、よもや「通路」としては殆ど使えない状態となる。犯人が入念な下見を行っていたとすれば冬から春にかけて訪れていた可能性が高いと思われる。)

 

 ■警察の捜査

警察は100人体制で捜査本部を設置。当初は「土地勘があり、住居の構造を知っていた可能性もある」「夫婦を知る人物」による「怨恨目的の犯行」とみて捜査を開始。

・1階、2階とも無施錠の箇所があり、カギを破壊した形跡などはなかった。住居1階浴室脱衣所の窓に出入りした痕跡があることから警察は外部による犯行とし、1階の部屋に立ち寄った形跡がないことから素通りして2階へ直行したとみられる(疑問③後述)。

・寝室の遺体は光則さんがベッドにうつ伏せ、美和さんがベッドに右向きの状態。死因は失血死。背中に傷はなく、防御創があり、顔、首、上半身をめがけて十数か所の傷があった。損傷の大きかった光則さんは肺にまで達するほどの深い刺し傷、美和さんは首の切り傷が致命傷になったとみられる。

・金品を物色した形跡がない。

・雨天で周辺はぬかるんでいたが、屋内に土足痕はなし。

・北側の藪で血痕の付いた一組のベージュ色のスリッパが発見される。現場に駆け付けた警察は東側出入口からアプローチしており、犯人は北側を通って逃走したと思われる(疑問④後述)。

・凶器に使われた刃物、スプレーは発見されていない。

・長女の交際相手は重要参考人として呼び出しを受けるが早々に関与を否定されている。

・長女は恋人に助けを求める電話を掛けている(10月24日朝日)。

・夫婦の携帯電話の通信履歴、近隣住民や勤め先への聞き込みなどで、2人がトラブルを抱えていた様子や、だれかに恨みを買うといった話は全くなかった。近隣住民は光則さんは温厚、美和さんは子どもたちのために働くしっかりもので、夫婦仲も良好だったという。

・屋内外に家族・警察・救急関係者のものではない足跡が複数発見されたが、犯人との関連性は不明。事件当日の大雨でタイヤ痕などの捜索は難航したとの報道。

・事件から約1か月で延べ1500人の捜査員を導入。170件以上の情報が寄せられた。

・事件から約2か月で捜査範囲を隣の坂東市に拡大。

・事件から約6か月で延べ5300人の捜査員を投入。約230件の情報が寄せられた。

・小林さん宅のすぐ南側にある中古車業者の防犯カメラに手掛かりになるものは写っていなかった(警察・救急車両のみ)。

付近の防犯カメラ(※)の解析を終えているが容疑者特定には至っていない。(※境町9か所、隣接する坂東市7か所、現場から2.5㎞離れたコンビニエンスストアなど。コンビニのある国道354号は数十秒に1台ほどの交通量だったとされる)(また2020年9月現在、北面のポンプ小屋や釣り堀受付所裏手にも防犯カメラが設置されているが、事件当時それらの防犯カメラ情報は出なかったため事件後新たに取り付けられたものと考えられる。)

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画像の人物は、別の強盗事件の犯人

・上の防犯カメラ画像の人物は、一部でこの事件の犯人などとされているが、本件発生より前に別件で逮捕されている。

 

 これより疑問、他の事件との類似性などを検討しつつ、すでにある諸説を参考にしながら想定される犯人像などについて考えていきたい。

 

疑問①「やっぱりいる」…侵入者が間近に居り、警察に今すぐ来て助けてほしいあまりに動揺して出た発言と思われる。また「何者かが侵入してきた」趣旨の通報をしているという報道から、「侵入者をほとんど見ていない」あるいは「(すぐには思いつかない)見知らぬの相手」であったと考えるのが妥当。文字にされると不可解に見えるが、身内や知人をかばっている等の発想は不自然である(知人等であれば通報する前に話し合う)。

寝室・寝具の様子、声のトーンなど詳細は分かりかねるが、犯人が夫を切りつけている最中に、真横のベッドから電話を掛けていたとは考えにくい。おそらく犯人が夫を襲撃している間に、部屋の奥隅か、あるいはクローゼットや押し入れ、ベッドの下のような場所に籠って電話を掛けたと推測する(夫の状態が視界にないため通報時に救急車という発想に結び付けづらかったのかもしれない)。「痛い痛い」と発したことも切りつけられた痛みというより、犯人に無理矢理引きずり出されてベッドに押し付けられる際に発したものと推察され、通報を切ったのは犯人によるものと思われる。

(追記;あるいは、犯人が夫を殺害後、妻には手出しせずに一度寝室を出た。すると妻の通報の声が聞こえて、寝室に電話があったことを知った犯人は慌てて戻ってきて、妻を歯牙にかけた。「いたいいたい…」という流れも考えられる。)

 

疑問②長女の証言について…文言だけを読むと趣旨が変わったような印象を受けるが、長女は極度の心神喪失状態であったことを考慮に入れておかなくてはならない。また①②に関連して『週刊実話』2019年10月17日号に気になる記事がある。

それにしても、同事件は謎ばかりで情報も錯綜している。

「通報があった時、警察官が『救急車を呼びますか』と聞くと、美和さんとみられる相手は『いらないです』と報じられているが、『そんなことは言っていない』という話もある。また、“マスクをつけた人物に襲われたと長男と次女が話している”と早い段階で出たが、事件が事件だけに県警も慎重に捜査しており、“被害者とは面会しただけ。まだ事情聴取していない”と、当初は否定する情報も取材現場で飛び交った。

これは事件に当たった社会部記者による証言とされるが、地元境署の事件直後の混乱を象徴した記述である。

警察は、公にすべき情報と、犯人しか知りえないような秘匿すべき情報とを精査してからマスコミ各社に発表するが、事件直後の段階では整理がつけられなかったのである。たとえば事件直後はまだ長女と外部犯(交際相手など)の線などが潰しきれておらず、情報統制が難しかったのではないか。

そうしたことを加味すると、長女の発言は趣旨が変わったというよりも、上の10月3日東スポ記事のように警察から長女への調査対応が変わったことが考えられる。「事件に気づいたのはいつ?」「2階から人の声、物音を聞こえなかったか?」など質問の仕方によって返答が変わっただけのようにも思える。

「言い争うような声」については、おそらく父親が抵抗したり、通報時の母親の悲鳴が含まれていると思われるが、2階にいた弟妹が目覚めず1階で目が覚めるような声量だったのか、あるいは事件当時、長女は(たとえば交際相手とのメールなど夜更かしをして)熟睡しきっていなかったため物音や声が聞こえていたのか、など疑問が残る。

 

疑問③犯行について…犯行の流れを想定してみたい。犯人ははじめに2階にある夫婦の寝室へ向かう。寝た状態の父親に対して、肺まで突き刺さる一撃を加え、さらに執拗に攻撃を続ける。横で目を覚ました母親は慌てて受話器を持って、2人から距離を取り110番通報をする。電話は祖母が入院中だったため緊急連絡用に枕元にあったと推測される。犯人は父親が事切れたことを確認し、次に母親をベッド上まで引っ張り出して電話を切る。金銭など殺害以外の目的があればこのとき何か会話が交わされていたかもしれない。犯人はベッド上で母親を殺害。子ども部屋へ移動し、電気を点け、ベッドにいる2人を確認。引きずり下ろすようにしたのか口頭で命令したのかは定かではないが2人をベッドから降ろし、威嚇のため刃物とスプレーで危害を加える。サイレンの音を聞いて「ヤバイ」と呟き部屋を後にする。

家族の就寝時間は不明だが、どの部屋に誰が寝ているかまで分からなくても外から見て室内灯の消える様子などで「2階に寝室があること」は視認できる(おそらく犯人は消灯を確認してから寝入るまで1時間程度は待機したのではないか)。あるいは深夜に何度か通い、何時ごろどの部屋で寝ているといった就寝習慣を把握していたかもしれない。いずれにせよ犯人は家に人がいない時間帯ではなく、人が確実にいる時間帯を狙っており、「居空き」「忍び込み」などの窃盗目的とはやや考えづらい(※自動車窃盗については後述)。

 

長女だけが無傷だった、犯人が接触すらせず2階に上がったのはなぜか。もし長女が目的であれば、まず1階にいた長女を拘束してから他の家族に接触しなければ、通報や逃亡のおそれがある。また合理的に考えれば一人でいるところを狙う方が苦労しない(交際相手がおり、外出は車移動となるため狙う機会は限られるかもしれないが)。

たとえば「長女が両親への不満を口外していたのを聞きつけて代理で殺害するようなストーカー」でもいれば長女にだけは危害を加えずに…ということもあるかもしれないが、相当に倒錯した偏執者であり、こうした事件になる前に多くの兆しや余罪があって然るべきである(ストーカー説は後述)。

筆者の考えでは、犯人が外から小林さん宅を下見した際、1階で寝る習慣のある人物(長女)の存在に気付いていなかったのではないかとも思えるのだ。たとえば大学生と聞くと夜更かししてもおかしくないイメージだが、長女は車と電車を乗り継いでの遠距離通学だったため消灯・就寝時間が親弟妹と同じタイミングだったかもしれない。また長女の寝室が遮光カーテンや死角に当たっていたなどして、犯人の目に入らず、親と子が2階の二部屋に別れて就寝しているかのようにイメージされた可能性もある。報道では家の内部を熟知した者による犯行かのように伝えられているが、犯人は必ずしも小林さんの家族構成・3か所の寝室を熟知していなかったことも考えられるのではないか。

 

また夫婦を殺害した後、なぜ子ども部屋に入ったのか。夫婦殺害が主目的であれば立ち寄る必要性はあまり感じられない。ここで注目したいのは長男・次女に対して与えた危害に関してだ。犯人は、2人をベッドから降りるよう指示し、長男には手足を切りつけ、次女には手に向けてスプレーを吹きかけている(ベッド上の妹の手にスプレーを噴射して降りるように指示したとする解説もある)。これについて犯人は子どもたちに対して危害を加えてはいるが、殺意は見られないとみなすことができる。単に逃走の邪魔をされないために危害を加えるのであれば、ベッド上で顔に向けてスプレーを吹きかけてしまえば20秒で済む話で、ここでの犯人の目的は単なる足止めではない。また「予備の凶器」を準備するのであればスプレーよりもサバイバルナイフ等刃物の方が携行にかさばらずに済む。犯人の行動は子どもに対しては初めから殺意がなく、あえて自分の存在を見せしめたかったかのような印象を受けるのだ。スプレーは負傷などに備えた「予備の凶器」ではなく、子ども相手にビビらせる用途(せいぜい目くらまし用途)としてわざわざ準備したものだったのではないかと感じている。

 

疑問④逃走について…北側出入口でスリッパが発見されたことは非常に疑問ではある(後述)が、ぬかるみや生い茂った草、境界ロープに引っ掛かるなどして脱げたものか、運転のためにスリッパが邪魔になって捨て置いたとも考えられる。警察犬で念入りに確認しながらも追跡には繋がらなかったことからも、犯人は小林さん宅北側にバイクないし自動車を停めていたと思われる(豪雨の深夜に、自転車や徒歩でいる方が目立つ)。

距離までは推測できないが、強雨のなか部屋でサイレンが聞こえる時点ですでに救急車両は数百m圏内にまで迫っていたとも思われ、犯人はほとんど警官の到着と入れ違うようにして現場を去ったのであろう。敷地内に潜み、警官の挙動を見計らってから現場を離れた可能性もある(目と鼻の先に警官がいたためスリッパを回収する余裕がなかったとも考えられる)。だとすればパトカーは東側出入り口を通って、小林さん宅の南手に駐車してあることから、犯人は心理的に追跡を恐れて北西へ向かうものと推測される。

ごく近場の人間であれば別だが、おそらく計画殺人であることから警察の捜査の遅れを狙ってまず茨城県から離れることが考えられる。境町はその名の通り茨城・千葉・埼玉の県境に位置し、日本三大河川のひとつ「利根川」によって隔てられているため、規制線が敷かれる前に川を越えれば初動捜査の網をかいくぐることを期待できる。語弊があるかもしれないが茨城県西エリアは北関東連続幼女誘拐殺人事件、今市小1女児殺害事件のような“越境犯罪”に適した地理的条件に適っている。あるいは隣県から越境して犯行に及ぶために、この家に狙いをつけた可能性すらある。

周到な計画であれば、自動車ナンバー読み取りシステム(Nシステム)や防犯カメラのことを考慮に入れて幹線道路や高速道路を避けたい心理が働いたかもしれない(最寄りの高速道路インターチェンジとなる境古河ICは境警察署の目の前でもある)。だが一刻も早く県境を超えることを考えて動いたとすれば現場から10分強の「境大橋」から埼玉県幸手方面へ逃走するのではないか。境大橋近辺は古くは交通の要所に当たり、現在も深夜営業を行う大型小売店(ドン・キ〇ーテ)や温浴施設、道の駅などが集中しており、夜でも交通量は多い。なお一部サイト等によれば境大橋を通過する際にNシステムが存在するという。

 

ヘラ師トラブル説

 ヘラブナ釣り愛好家を俗にヘラ師と呼ぶが、北出入口に境界ロープを張っていたことから、過去にヘラ師とのトラブルが生じていたのではないかとする見方がある。シーズンには日の出から日の入りまで長時間営業で不特定多数の人間が出入りするため、不法投棄や騒音被害などあったかもしれない。引っ越してきてから10年も経って今更ロープを張るのだから何か近々にきっかけがあったと考えるのは自然だ。

地元のヘラ師にでも聞けば小林さん宅の家族構成くらいはすぐに分かるかもしれない。釣り堀の客層までは分からないが基本的にヘラブナ釣りは高齢者が大多数を占める趣味で、三十代四十代でも若くて印象に残る。ベテランのヘラ師は“連れ”とまではいかずとも共通の釣り場や釣具店へ通ううちに“顔なじみ”ができる。トラブルメイカーのような人物であれば余計に多くの人が記憶しているであろう。釣り掘再開から客への聞き込みも度々行われる中、「そういえばあの若いヘラ師来なくなったなぁ」「あの人、一時期よく来てたけど見なくなった」などと、事件を境に姿を現さなくなった人物が後々浮上してきてもおかしくない。

 

自動車盗難と外国人説

 2019年7月16日午前3時頃、蕨市内の自宅2階にいた高校2年生男子が窓から入ってきた男に首を切られる事件があった。侵入者は一階に駆け下り玄関から逃走。男子生徒と部屋に駆け付けた父親は「面識のない男」と証言。11月15日、技能実習生として2017年に来日し翌年在留期限が切れたにもかかわらず偽造在留カードを使用したとして逮捕されていた住所不定無職・柳偉強容疑者(22)を男子高生切りつけの強盗殺人未遂容疑で再逮捕した。調べに対して柳容疑者は「高そうな車がとまっていたので狙った」「車を奪って売るつもりだった」「殺すつもりはなかった」と一部容疑については否認。捜査関係者によると、事件当初、男子高生は男に「車のカギの場所」を聞かれたと証言している。柳容疑者は、近隣の防犯カメラの映像などから浮上した。

 疑問③でも述べたように大人が確実にいる時間帯を狙った関連性から自動車盗難の線を考えてみる。2019年の都道府県別の「住宅侵入」盗犯罪遭遇率(どれくらいの割合で住宅侵入盗犯罪に遭っているか)を確認すると、ワースト1が茨城県で639軒に1軒が被害に遭っている(ワースト2位福島県1/1073軒、ワースト3位千葉県1/1087であるから群を抜いて被害が多いといえる。北から福島、茨城、千葉と隣接する県である)。これらの県では古くから続く農村地域が多く、そうした家々は敷地が比較的広く隣家と離れており、施錠意識が低い傾向がある。また家族構成によっては自家用車を複数台所有していることが多い。マスコミ報道では「4年くらい前にトラクターなど農業用機械の盗難が多発した」「大きな犯罪は少ないが泥棒は多い」といった近隣の窃盗被害に関連付けた報道もある。

しかし茨城県警察2019年市町村別【乗り物盗】【住居侵入窃盗】件数を確認すると、自動車盗難はつくば市土浦市牛久市といった「県南地域」の被害数が際立っており、住居侵入窃盗についても境町は特段被害が多い地域とはいいにくい。また上で挙げた蕨市の場合、隣接する川口市に中国人などのエスニックコミュニティが非常に発達しており、在留カードの偽造や盗難車転売などに「犯罪グループ」が背後に関わっていたと考えられるが、茨城県西、千葉県野田市、埼玉県幸手市など近隣地域では(各市町村に数百から3000人程度の在留外国人は存在しているが)埼玉県南地域ほど大規模なエスニックコミュニティはなく、茨城県南部のような目立った自動車盗難の頻発は確認できない。

また他の方の仮説で、子ども部屋でサイレンの音を聞いて言い残した「ヤバイ」が、はたして「ヤバイ」だったのか、「やべぇ」だったのか、「やっべ!」だったのか、報道では分からないがその細かなニュアンスで日本人か外国人かの印象は大きく変わると述べられており、印象的だったので紹介させていただく。

 

農業技能研修生(農業実習生)説

 同じ2019年の8月24日、茨城県八千代町平塚で刃物で腹部胸部を複数箇所刺すなどして大里功さん(76)を殺害、妻・裕子さん(73)に重傷を負わせる事件があった。県警は9月2日、現場から2㎞ほどの場所に住むベトナム人農業技能研修生グエン・ディン・ハイ(21)を逮捕(刃物購入は認めたが犯行は否認。大里さん夫婦との接点や動機も不明)。逮捕の決め手とされたのは現場に残された「足紋」であり、そのことは逮捕後の9月5日頃には報道されている。

この事件では「足紋」が有力証拠とされ、先に挙げた蕨市切りつけ事件(同年7月)も事件直後、侵入の際にフェンスやベランダに遺した「靴跡」が押収されたことは報道されている。境町事件の犯人は「雨天時」を狙ったであろう計画性や「侵入の際スリッパを用いていた」ことからも、近々に起こった蕨市、八千代町の事件報道を参考に「足跡」「足紋」にかなり注意を払っていたと思われてならない。

境町と八千代町の現場は13㎞程度の距離に位置し、車で30分程とそう遠くはない距離である。時期や地理的に近しいこと、また来日外国人による犯罪のワーストが近年ベトナム人となったこと等から“農業実習生”説が注目される。また共に「刃物を使った残忍性の高い殺傷事件」であること、茨城県はアジア圏からの農業の技能研修生受け入れが多いこと等もそうした説を補強している(参考:『農業の外国人依存度、1位は茨城県 20代は半数』2018年8月9日日本経済新聞)。茨城労働局によると、県内の農林業に従事する実習生は2019年10月末時点で6378人に上る。そもそもが貧困層をターゲットにした出稼ぎ労働の斡旋であり、現地送り出しブローカーの悪質さや国内の監理団体による不正、雇用先での搾取などが露見し、制度自体が問題視されるようになって久しい。また妊娠すると帰国させられることから堕胎遺棄する事件技能実習生同士のトラブルによる殺人事件など凶悪な事件も近年増加している印象はある。しかしながら、いわば“金目当て”で来日している技能実習生による犯行ならば、1階を物色せず真っ先に2階寝室に向かうだろうか。

もしかすると周囲の畑などで接点があり、帰国前に凶行に及んだ等とも考えられなくはないが、小林さん夫婦は会社勤め、郵便局パート勤めでそもそも農業研修生や外国人コミュニティとの接触の機会がほとんどなさそうな点や、近隣住民の聞き込みには周囲の畑の持主にも及んだと考えられるがそうした線が浮上していない点からも、技能研修生による犯行もゼロとは言わないがやはり薄い。

 

ストーカー説

 2019年9月26日放送のフジテレビ系番組『バイキング』の近隣住民への取材によれば、小林さん宅入口には以前より防犯灯があったがその先にもつけたいと要望があり検討してつけることになったこと、2019年になって美和さんが北側駐車スペース沿いに(上述の)境界ロープを設置していたことを紹介。元警視庁刑事で防犯コンサルタントの吉川祐二氏のコメントによれば、自分の知らぬ間に相手の恨みを買うこともあるとし、美和さんや長女へのストーカーが存在した可能性に言及。番組では美和さんの自衛ともとれる行動はその存在に気付いていたからではないかとの見方を示した。

しかし実際に女性が男性からストーカー被害に遭ったとすれば、今日ではすぐに警察や身内に相談するであろうし、(単身世帯で頼れる人間がいないのであればまだしも)周囲のだれにも明かさず自力で解決しようという発想には至らないだろう。防犯灯やロープの設置も発案や手続きしたのは美和さんかもしれないが、もちろん光則さんに相談の上と考えられる。さらに美和さんにストーカーへの恐怖があったとすれば、とくに娘たちを守るためにも警察への通報や子どもへの注意喚起などあってしかるべきと考える。またストーカー対策が必要と考えたとすれば、容易に侵入できてしまう境界ロープよりも防犯カメラを検討するだろう。「森の中」ともいえる住宅環境から、夜に帰ってくると周囲が暗くて不便に感じていたり、過去に釣り客が管理事務所と誤って北側通路から訪ねてくることがあったりといった「防犯」以外の設置理由も考えられる。防犯灯や境界ロープの設置は、ストーカー対策というよりは、小林さんたちの住環境整備の意識によるものかと推察する。

また仮にストーカー目線で考えてみても、元々は夫婦のどちらか一方を狙っていたとすれば自宅に押し入るよりは、待ち伏せなどして単独でいるところを狙う方がリスクは小さい。はじめから夫婦両方の殺害を目論んでいたとすると、自分の愛情を踏みにじられたと感じて夫婦への憎しみへと転じる前に、一方的な愛情を募らせる(相手にアプローチする)接触段階がそれなりの期間あったと考えられる。だとすると、やはり既述のように警察や周囲の人間に何かしら相談する可能性は高まる。

犯行についても、居住地を知っているのであるから相手の反応を見るために手紙を送りつけたり、嫌がらせをするにしても脅迫状、不法投棄、窓ガラスを割る、車をパンクさせる、不審火といった細かいアクションを重ねてから発展していくのが通例ではないだろうか。一方的に敵意を募らせた偏執的精神障碍者による逆恨み的犯行の可能性ならゼロとはいえないものの、一方的に好意を募らせ過剰行動に出る“一般的なストーカー”の線はないように思う。

 

不倫相手説 

 この仮説を裏付ける証拠は何も明らかにされておらず、故人の名誉を傷つける意図はないが、夫婦に恨みをもつ人物、当人同士しか知らない(家族や周囲の人間に明かしたくない)人間関係、といった状況から妄想しうる犯人像のひとつとして紹介する。

夫婦のいずれかに不倫相手がおり、恨みを買ったとする仮説。当人たち以外に家族や周囲の人間は誰も認識しておらず、過去に出入りがあったため夫婦の寝室を知っており、子どもに罪はないとして殺さなかった。不倫相手本人による犯行か、あるいは実行犯に依頼したとするもの。

「夫婦仲は良さそうだった」とする近隣住民の証言を除けば、そういった人物が存在したと仮定すると事件へ発展してもおかしくないようにも思える。“田舎の人目”を思えば「過去に(小林さん宅に)出入りがあった」とまでは納得しづらいものの、既述のように下見に訪れていれば寝室が2階であることは分かる。しかし不倫関係があれば、定期的に直接コンタクトをとれる相手(仕事関係など)でなければ、基本的には携帯電話でやりとりをすることになる。職場への聞き取りや通信履歴を確認しても浮かんでこないとなると可能性はやはり相当薄い。

 (不倫相手が携帯電話を持たせていれば両親の携帯電話にも通信履歴が残らない、という意見も目にしたが、それもやや考えにくい。殺害後に携帯電話を回収したとすれば血痕など何かしらの形跡が残りそうなこと。また通信各社の回線情報・通信時間などによって契約端末も抽出可能と考えられる)

(本件とは無関係だが、2013年、境町塚崎で就寝中の夫が妻の浮気相手の男性に殺害される事件もあったため想起されやすい。)

 

元夫説

 2019年10月某サイトに書かれたカキコミ。

奥さん、再婚なんだってね。
長女は奥さんの連れ子で下2人が夫婦の子。

 2020年8月某サイトに書かれたカキコミ。

この家に長年牛乳配達をしているおばちゃんの話では、犯人は元夫だと言ってました。長女は自分の子だから無傷なのは当然だし姿も長女には見られてない。再婚したときも相当揉めたらしいと。そして元夫は家から出されてしまったらしい。この辺りは夜真っ暗で余程の家の構造を熟知してない限りピンポイントで夫婦の寝室にたどり着くのは無理と言ってました。犬も普通知らない人にはものすごく吠えると。ちなみに犬も大変可愛がってたと。現在まったく捜査ところか放置状態になってると言ってました。

 常識的に考えて牛乳配達員に家庭内の事情まで知る由はない(分かるのは家族構成程度)。「牛乳配達員」を騙ったデマであろう。仮に地元でこうした噂が存在するとすれば、長女と長男の年齢が少し離れており、長女だけが無傷だったことから立った妄想的中傷・陰口の一種と思われる。あるいは犯人がどこのだれだか分からない(自分もいつ危害に遭うかもしれない)状態よりも「自分とは無関係な人物」と想定することで安心感を得るような一種の防衛本能が生み出した噂とも捉えられる。元夫の存在を確認することはできないが、もしも嫉妬や恨みを抱くような元夫が存在するとすれば逃走する意味もなく早々に最重要参考人に上がっているはずだ。

 

 最後に、筆者としては「誰でもいいから殺してみたかった」類の妄執につかれた20~30歳前後の日本人男性を犯人像と見立てている。はなから子どもを殺害する気がないように見える点とあえて姿をさらしている点、通報されてからサイレンが聞こえるまで少しタイムラグが生じている点が引っ掛かるのだ。

子ども部屋では「ヤバイ」以外は無言だったことからしても子ども部屋での滞在時間は2~3分ほどの短時間と思われ、そう考えると母親に刃を向けて(通報を切って)から7~8分ほど過ごしていたことになる。刃物で十数回も切りつける犯行も、刃物の質にもよろうが随分悠長に感じなくもない。上野正彦『死体は語る』で書かれていたように、非力なためとどめを刺すことが容易ではなく事切れた後も切りつけていたのだろうか。だが見方を変えると、人を切りつける感覚を味わっていた(いたぶっていた)ようにも見受けられる。殺害直後の放心もあったかもしれないが、母親が失血死に至る様子を眺めるなどしばし感傷に浸っていたのではないか。あるいは、八千代の事件の犯行を真似て捜査の目を逸らすカモフラージュのためにそうしたのでは…と考えるのは穿ちすぎであろうか。

またサイレンが聞こえて「ヤバイ」発言は、普通に考えれば「もう警察が来た。捕まったらヤバイ。逃げなきゃ」の意味と捉えられる(外国人説含め語彙力の問題と言われればそれまでだが)。何が何でも復讐してやるといった夫婦への怨恨が主目的であれば、目的を遂げた後になって今更「ヤバイ」という発想には至らないようにも思える。言い換えれば大人(2人)を殺害し逃亡まで完遂することまでを目的に計画していた印象を受ける発言なのだ。いずれにしても前述のような近々の事件や犯罪、小林さん宅の立地について多少の知識はあるが、強盗殺人の経験はない者による犯行と考える。

 

 事件からすでに時間が経過し、情報の更新も停滞しており捜査の行き詰まりを思わせる。亡くなられたおふたりのご冥福をお祈りするとともに、ご遺族のみなさんの心の安寧のために一刻も早い事件解決を願います。

 

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(2020年9月20日追記)

9月19日茨城新聞クロスアイに「犯行当時の外見」と「スリッパ」について追加情報があったので引用する。

中肉の黒っぽい長袖と長ズボン姿で、黒っぽいマスクのようなものと帽子を着け、目だけ見える状態だった

県警は住宅の母屋につながる北側の小道で、血痕が付いたスリッパが見つかっていたことも明らかにした。家族の証言から、小林さん宅のものと確認された。捜査関係者によると、血痕は被害者のものである可能性が高く、犯人は小道を通って逃げたとみられる。 

 事件当時はコロナ禍以前ということもあり、現在ほど黒っぽいマスク(白ではないマスク)は広く流通していなかったため、犯人は「闇に紛れての犯行」を余程意識していたことが窺える。筆者は上述「疑問4」の項について、スリッパは犯人が事前に持参していたものと想定して執筆しており、「小林さん宅のもの」であったことは想定外であったため若干の加筆をしてみたい。

 

北側駐車スペースに車を停めていたという考えは依然として変わりない。犯人は林を抜けて侵入し、泥の付着などがあったため靴を浴室の外に置いていったか、あるいは浴室で靴を脱いでおいた。通常のスニーカータイプであればウェストポーチ・ヒップバッグの類では入れる容量がないため、屋内で携行はしなかった。あるいは携行していたと考えると、地下足袋やいわゆる「アクアソック」タイプの履物、薄手のサンダルなども考えられる。

スリッパの血痕の存在については発見当初(事件直後の2019年9月24日)から報道されていたが、一晩雨ざらしの状態だったこともあり正確な検証が難しいのかもしれない。しかし発見してただちに血痕と判明するほどの状態から推察するに、ポツリポツリとした少量のシミではなく、現場寝室で凶行の際に直接付着したものではないかと思われる。夫妻が就寝前に履いていたスリッパを寝室で調達した可能性もゼロとはいえないが、そうであれば屋内各所に足痕を残すことになる。侵入時に「足音」や濡れた「足跡」、滑りやすいこと等を嫌って1階(玄関や廊下など)で調達し2階へ上がったと考える方が自然であろう。

またなぜ投棄していったかについては、上述の脱げてしまって放置した可能性に加え、万が一検問などで止められた際に「小林さん宅のもの」を所持していては言い逃れできないという心理も働いて乗車前に靴に履き替えたのかもしれない(そもそも車中に泥にまみれたスリッパがあるだけでおかしい)。そう考えるとスプレー缶は処分に困るものの、犯行に使った刃物は逃走時に釣り堀池、あるいは越境の前後に利根川などで投棄している可能性もあるだろう。

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(追記)

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(2020年9月19日、23日追記)

事件発生から1年を機に、「境町大字若林地内における殺人・殺人未遂事件捜査に協力する会」によって「令和2年9月23日から令和5年9月22日まで」の3年間に事件解決等に結び付く情報を提供した者に最高限度額100万円の私的懸賞金を支払うことが発表された。この「事件捜査に協力する会」は地元の防犯協会や町民、警察OBらで構成する有志の会である。

家族を襲ったのは中肉の男で、黒っぽい帽子とマスク、それに黒っぽい長袖と長ズボンを身につけ、日本語を話していた。

亡くなった小林光則さんの父親はFNNの取材に対し、「ほとんど、なんだかわからない状態。区切りがついたような、つかないような出来事ですから...」と複雑な胸中を語っている。更にその後の取材で、現場周辺で作業着姿の不審な人物が目撃されていて、警察が聞き込み捜査を行っていたことがわかった。(2020年9月18日FNNプライムオンライン)

 

2020年9月23日,茨城新聞クロスアイでは、長男の元同級生が今も連絡を取り合っている様子や、近隣住民の犯人への怒り、コロナ禍で地域の結びつきが減ってしまい事件の風化を危惧する声などを紹介している。町が推進する家庭用防犯カメラ補助制度は、昨年度40件、今年度32件の申請があったとしている。

町が設置した防犯カメラは昨年度までに79台、本年度までの累計では129台に達している。

 

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(2021年1月6日追記)

現時点で関与は認められていないものの、本事件との関連が疑わしいとされる逮捕劇が2020年11月にあった。容疑者が過去に起こした事件、また本事件との関連について下のエントリを参照されたい。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

 

(2021年5月9日追記)

5月7日午後、昨年から県警が身柄を押さえていた岡庭由征(26)を夫婦殺害の容疑で逮捕した。詳細は上のリンク・埼玉・千葉連続通り魔事件についてをご参照されたい。

本稿は事実と異なる記載、筆者の見当違いも大いに含まれるが、ニュースサイト、アフィリエイトサイトではない個人のブログなので、事件の流れや筆者の考えの過程を残す意味でこのまま保存する。

今後、裁判などの進捗は機会があれば別記事としたい。