貝屋(創作)

 「この辺りでどこか面白い場所をご存知ですか」

 

 一人旅が好きなHさんは、よく旅先で現地の人にそうやって尋ねるのだそうです。大抵は知られた観光地か「何もない」と返ってくるそうですが、ごく稀に“アタリ”を引くこともあるそうで。観光情報には出てこない地元人しか訪れない小さなお店であったり、地元の人からすれば他愛ないけれど余所者からするとなかなか味わい深いスポットを知れたりすることもあるのだとか。“ハズレ”もあるが、「それも旅の一興。土産話にでもなれば」とどこへでも足を伸ばす、そういう人でした。

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 数年前、Hさんがある小さな港町を訪れたときのこと、夕凪に錆び猫をあやす老いた漁夫を見つけ、例によって「どこか面白い場所をご存知ですか」と尋ねた。

「せやのぉ、おいは詳しく知らんが、親父が言うとった話には…」と漁夫は煙草に火を点けた。

 

 

「まだ若い頃、おいが生まれる前やけ明治かそこいらの昔と思うが、N岬から辺り一帯に掛けて春には手で掬えるほど玉筋魚(いかなご小女子とも呼ばれる)の類が押し寄せたんだと」

 

「この辺りは昔から産地ですよね」

 

「ほおよ。今はご覧の通り見る影ものうなったが、昔の網元の家が釜茹で小屋をしつらえてどこの港も白い煙をもくもくと上げよった。男らが海に出ている間、女子ども集めてちりめん(ちりめんじゃこ)みつくろうて卸してた時期があった。海から見ると、じゃこの日干しで覆われて陸がびんびか光って見えたって。今みたいな電気の冷蔵庫もない時代やけ、そりゃようけ金になったらしい」

 

錆び猫は煙を避けるようにして漁夫の胡坐に陣取った。

 

「まぁ、江戸時代から昔の名残もあったと思うが、大きな網元はそういった女衆を集めて…ほら、なんじゃ…漁師らに都合しちょった」

 

「…女郎小屋、みたいな?」

 

「いや、まぁ今風の見方をすればそんなもんか知れんが。海で亡(の)うなる男もようけおった時代じゃで、後家さんやら父親亡くした娘やらもぎょうさん居った。そういう女子(おなご)にとっては食い扶持のためでもあり、男らにとってはまぁ数少ない娯楽いうんか、良く言えば男女の縁を取りなす“出会いの場”みたいな役目もあったんか思う。休漁の時季には親父なんかまだ毛も生え揃わん内からそんなところに入り浸りやったけ、方々で相当可愛がられた言うちょったのう」

 

「それはなんとも羨ましい話で」

 

錆び猫は首を傾げて顔を洗った。

 

「親父は“貝屋”なんて呼んじょったが、お袋にはそげん話はようせんかったの。おいがようやく手伝いに出るようになっと、家では無口なくせして海では嬉しそうにそげな話ばかり聞かせてくれよった。おかげで助平な親父の跡を継いじょるけの。中には河原者も居ったみたいやけ、N川か、K川か、その辺りかも分からん。この目で見た訳でなし、おいが話を聞いた頃にはとっくに無うなっとったかもしれん。昔は海沿いの番屋やら宿場のある離島なんかにはそういったもんが何かしらあったんやと。今じゃどこの港にも婆さんしか居らんがの」と言って漁夫は笑った。

 

 

翌日Hさんは図書館の古地図を手繰った。昔の遊郭らしい箇所をいくつか巡ったがそれらしい痕跡は何一つ見当たらず、空にはコンビナートの白い煙だけが海風に乗ってもくもくとたなびいていた。