いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

木下あいりさん殺害事件について

2005年広島県広島市で起きた小1女児・木下あいりさんへの性的暴行および殺害事件について風化防止の目的で記す。

事件のあった11月22日、少女の母校では、「安全・祈りの会」が毎年催され、在校生らは亡き先輩の冥福を祈り、命の大切さについて学んでいる。

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■概要

2005年11月22日(火)15時頃、広島市安芸区矢野西4丁目の空き地で大きな段ボール箱の中に入れられた女児をガス会社の社員が発見した。箱はガスコンロの梱包に使用されるもので、はじめは空き地の所有者が箱の存在に気付き、ガス会社が取り換え作業などで置き忘れていったものと思って連絡したのだという。

現場は入り組んだ住宅街で車一台通るのがやっとの細い路地が多く、昼間でも住民以外の往来は少ない地域であった。

 

段ボール箱は黒色の絶縁テープで三重に封がされていた。中の女児は口をテープで塞がれ、小学校の制服の紺色のブレザー、白いブラウス、グレー色のスカート姿で草や泥の付着はなく、体育座りのようにS字に折り曲げた格好だった。

発見者は名札を確認して名前を呼び掛けたが返事はなし。血色が悪く、体温はあったが脈は感じられなかったという。すぐに病院に運ばれたが16時頃、女児の死亡が確認された。

 

被害者は公務員木下建一さん(38)の長女で矢野西小学校1年生の木下あいりさん(7)。死亡推定時刻は13~14時、死因は頸部圧迫による窒息死(鑑定は翌23日に実施)。身長125センチ、体重22.5キロ。

その日、学校は来春の入学生向けの就学前健康診断が行われ、在校生たちは午前中だけで授業を終えて12時半頃の早帰りだった。あいりさんは途中で同級生らと別れてひとりで下校する姿が目撃されていた。帰宅が遅いのを心配した母親は周辺を自転車で探し回るなど不安な時間を過ごす中、警察から訃報を受け病院へ駆けつけた。

同22日22時頃、段ボール箱のあった空き地から北東へ400メートルほど離れた駐車場の植え込みでゴミ袋に入った女児のランドセルなどが発見された。袋は紙製で、広島市内で推奨されていた「可燃ごみ」廃棄用のゴミ袋だった。当時あいりさんはランドセルにつける防犯ブザーが電池切れになっており携帯していなかった。

24日、遺棄に使用された段ボール箱の出処が判明。広島市安芸区と隣接する東広島市の量販店で販売された家庭用ガスコンロの内のひとつということが分かった。絶縁テープは市内の百円ショップで販売されていたものと判明。

25日にはテープから「指紋」が、被害者の衣服から第三者の「汗」が検出され、重要な手掛かりとして調査が進められた。

そのほか、あいりさんのクラスの下校時刻は給食や掃除の影響で12時35分以降とされ、下校途中での最後の目撃情報は12時50分前後と絞り込まれていった。

 

■逮捕

11月29日、広島県警海田署捜査本部は、ペルー国籍の日系3世の男性フアン・カルロス・ピサロ・ヤギ(30)に死体遺棄の容疑で逮捕状を出し家宅捜索。指名手配となる。

ヤギ容疑者は遺棄現場からわずか100メートル離れたアパートに住んでいた。事件当日も捜査員が聞き込みに訪れ、地図で空き地の位置を確認した際には日本語が分からないような素振りをしていた。

翌30日未明、三重県鈴鹿市の親類宅で容疑者が逮捕される。所持金はほとんどなく、前日の29日には人材派遣会社に登録抹消をめぐって電話で金銭を要求していた。調べに対し、容疑者は「犯行時刻頃に現場周辺にはいなかった」「コンロは買ったが、箱は事件より前に捨てた」等と言い、事件とは無関係を装った。

しかし広島に移送されて自供を始める。

「ペルーに残してきた娘のことを思い出して」「Hola(スペイン語で“こんにちは”)」と声を掛けたと供述。アパート前に座っていた容疑者と思われる南米系外国人男性が携帯電話を見せて下校途中の女児の気を引く姿が複数人に目撃されていた。その一方で、殺害については「殺せ殺せ」と「悪魔の声」が聞こえてきたなどと妄想性障害を思わせるような供述を行い、殺意を否認した。

 

逮捕の報を受けたあいりさんの父建一さんは「容疑者が逮捕されてもあいりが帰ってくる訳ではなく、悲しみが増すばかりですが、あいりのことを静かに偲びたいと思います」「今はまだ気持ちの整理がついていない状態であり、容疑者にはなぜ?という気持ちと憎しみばかりで言葉にすることもできません。今後はこのような事件が二度と起こることがないよう強く願っております」とコメントを発表した。

仲の良かったあいりさんの弟は、姉の死を十分に理解できないまま、「どうやったら生き返るの」「僕も死んであいりちゃんのところに行きたい」と言い、母からあいりさんは星になったのだと教えられると、昼間でも空に星を探すなどしていたという。

 

■印象操作

事件の本筋からはやや逸脱するが、犯人逮捕前、『週刊文春』12月8日号は、当時『週刊少年ジャンプ』に連載されていた探偵漫画で強盗殺人犯が人を攫って箱詰めするシーンが描かれていたとして本件との類似性を指摘している。一見すると乱雑なだけのように見えた絶縁テープの貼り方が、その漫画の強盗殺人犯の名「X・I」を表していたのではないかというのである。

 

そうした漫画やアニメの残虐表現からの影響を疑う見方は、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を筆頭にメディアが用いるレトリックのひとつである。いわゆる“オタク”と呼ばれるような熱烈な愛好家を変質者に仕立て上げて、ワイドショーコメンテーターがバッシングを繰り返し、オタク嫌悪の視聴者から支持を集めてきた。たしかにワイドショーのコア視聴者層とオタク層は重なりにくく、相性はよくないかもしれない。

前年に奈良で発生した、同じく下校時の7歳児が攫われて犠牲となった奈良小1女児殺害事件では加害者・小林薫の自宅から多数の幼児ポルノビデオやポルノコミックが押収された。その一方でサブカルチャーに類するアニメやフィギュアが押収された事実は伝えられていない。しかし一部ジャーナリストは、女児を美少女フィギュアのように自分の思うままに支配し殺害したとの見方から、犯人にオタク的性質を読み取った。オタクを「フィギュア萌え族」などと呼び、犯罪者予備軍であるかのような主張を行った。

そうした言論に対し、オタク側の立場を代表して反論する文化人や、下のようなネチズンたちの活動が活発化したのも2000年代の特徴である。2004年3月に掲示板に書き込みが始まった『電車男』は、翌年書籍化されて100万部を超えるベストセラー、映画化されて公開40日で観客動員200万人を突破、TVドラマ版の関東地区平均視聴率21.2%を記録(ビデオリサーチ社)と社会現象となり、オタク文化の認知が進んだ時期でもあった。

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仮に段ボール箱に遺体と美少女フィギュアを同梱していたり、逮捕後に部屋から大量のわいせつアニメが押収されたのであれば、加害者をオタク視することに異論はない。専門学生の少女(16)が手斧で警察官の父親を切り殺した京田辺市警察官殺害事件のように、犯人の行動にアニメやマンガからの直接的な模倣が読み取れる水準であれば、プロファイリングのひとつとして作品が分析される必要性もある。青森八戸母子3人殺害事件のように加害者自筆の殺人小説との関連・影響を考慮するうえで、所有していた漫画や書籍を精査することもあるだろう。だが、犯人が捕まってもいない全容も明らかにならない段階で、世に無数にあるアニメや漫画作品と犯行の一部分を切り取って関連性を導き出す連想ゲームにはたしてどんな意味があるというのか。

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筆者はそれなりにアニメや漫画に触れて育ったし、オタクでもなければオタクアンチでも殺人者でもない。アニメや漫画といった趣味に比べれば、人殺しや強姦魔について調べアウトプットする作業の方がはるかに不健全のようにも思える(自嘲)。アニメや漫画、小説などの影響を受けずに育った人は現代日本にほとんどいない。大半の人は好むと好まざると大なり小なりの暴力描写、殺人や犯罪表現、狂気、わいせつな作品に触れた経験があり、大半の人は人殺しや模倣犯罪もせず普通に暮らしている。

たとえば朝霞市中1少女監禁事件を起こした寺内樺風が高校時代に『涼宮ハルヒ』のキーホルダーを鞄に付けていたことと事件との間に因果関係があると考える方が難しい。しかし一部のメディアは「犯人は高校時代、アニメ、ライトノベルにハマって美少女キャラクターを象った人形型キーホルダーを鞄にぶら下げていた」旨の情報を伝える。コメンテーターやオタクアンチ層は曲解して「アニメやラノベのファンであること」と異常犯罪とを結びつけようとする。

本件で逮捕された犯人の自宅アパートにはディズニーアニメやマスコットのぬいぐるみがあり、後に見る裁判で検察側はあいりさんの気を引くためにそうしたアニメやぬいぐるみを用いた可能性に言及している。しかしさすがに犯行にディズニーアニメからの影響を読み解こうとするジャーナリストは現れなかったようだ。

 

■うそにまみれた男

調べにより、フアン・カルロス・ピサロ・ヤギは偽名で、年齢も詐称していたことが判明。本名はホセ・マヌエル・トレス・ヤギ(33)であった。

ヤギはペルーに妻と、被害者と同年代の小さな長男、長女を残し、2004年4月に名古屋空港から単身で不法入国(後に不法入国幇助により姉が逮捕)。三重県内の自動車部品工場に勤務後、05年8月から10月中旬まで安芸区に隣接する海田町の自動車部品工場で働いていた。

元同僚によれば、日本語は話せず挨拶にも返事をしないなど職場の外国人グループからも孤立しており、虚言の多さや無断欠勤の多さなど職務態度に問題があったため解雇されていた。従業員寮を出た後、11月から安芸区矢野西のアパートに暮らし始めたばかりで、日本人女性に声を掛けたり、部屋に連れ込んだりといった情報は聞かれなかった。

家宅捜索で、遺棄に使用された段ボール箱と合致する家庭用ガスコンロがアパート敷地内で発見される。発覚を逃れる目的で出入口の反対側の人目に付きづらい屋外に移動させたものとみられ、「型式番号」が削り取られていたことも報じられた。また梱包に使用された絶縁テープから採取された指紋とあいりさんの衣服から検出されていた汗は、いずれも容疑者のものと一致した。

日本国内にヤギの親族らは20人ほどおり、同じアパート別室にも3人の親類が暮らしていた。事件後、鈴鹿市へ移動する前に呉市に住む兄(38)のもとを訪ね、死体遺棄を打ち明けたが、その原因について「家の近くで自転車に乗っていたら女の子にぶつかり、排水溝に落として死なせてしまった」などと説明していた。兄はペルーの家族にもそのように連絡していた。

 

2005年12月6日の読売新聞が伝えるところによれば、ヤギは1992年12月12日に故郷グアダルーペでも少女を狙った類似事件を起こして逮捕されていた。女児(9)が容疑者の自宅前を通りかかった際、「ベッドの下に空気の抜けたボールがあるから取り出して空気を入れてほしい」と頼まれ、室内に入るとベッドに押し倒された。叫び声を聞いて母親とみられる女性が部屋に入ってきたが、男は女性を追い出して女児への暴行を続けた。「人に話したら殺すぞ」と脅迫してから女児を解放。逮捕後、犯行について一部認め、このときも「悪魔が乗り移った」と供述。暴行については覚えていないと説明した。女児を診断した2つの病院では、暴行の有無について見解が分かれたことから「未遂」として処理され、日本円で約2万3000円相当の保釈金で仮釈放が認められたとされる。

 

裁判での弁護人の証言によれば、こどもの頃に実父からベルトでぶたれるといった折檻を受けた経験があり、15歳で入った軍隊ではいじめを受けて脱走したとされる。「悪魔の声」はそれらストレス経験に端を発するPTSD様の症状ではないかと主張したが、同類の変調をきたすことなく長年社会生活を送れていたとして精神障害を疑うべき根拠とはされなかった。また姉に「悪魔憑き」様の異常言動が見られたこともあり、遺伝的な負因についての確認も要望されたが、神父の「祈り」によって治癒されたことから精神障害に由来しないとして鑑定は却下された。

 

■裁判

2006年5月15日、広島地裁(岩倉広修裁判長)で初公判。

トレス・ヤギ被告はわいせつ行為に及んだことを認めたが、「首を押さえたことはあるが殺意はなかった。部屋ではない」などと起訴事実の一部を否認。

弁護側は、責任能力を争う方針で被告の精神鑑定を申請(後に却下)。犯行は「悪魔の声」に抵抗できずに及んだものとする供述から、事件当時、被告は心神喪失心神耗弱状態だったとして無罪を主張。

検察側は遺体の鑑定結果などから、被告が下校途中のあいりさんに声を掛け、わいせつ目的で自宅アパートかその付近で犯行に及んだものとし、死刑を求刑する。

 

12時50分頃から13時40分頃までの間、「被害児童に対し、膣口、外子宮口及び肛門部に手指を挿入するなどしてもてあそび、膣口部に約0.2ないし0.3センチメートルの亀裂、外子宮口の周囲に多数の点状の出血、肛門部やや上部に米粒大の赤褐色表皮剥脱1個の各傷をつけたほか、上記行為と並行して、あるいは引き続いて、片手を開いて親指と人差し指の間で被害児童の頸部を前から握るように締めつけ、被害児童を頸部圧迫による窒息により死亡させた」とされる。

また犯行の前後に自慰行為をして射精した上、首を絞めた際、あるいは直後に、肛門部に指を無理矢理挿入し、同部位に1センチメートル前後の表皮亀裂部4個を生じさせた(生活反応である出血量が少なく「死線期」に生じた傷と推認されている)。

部屋にあったガスコンロの空き箱に児童を収めて梱包し、自転車に乗せて近隣の空き地に遺棄。遺体は服を着ていたが、靴下は左足のみ、パンツは前後逆に装着されていた。別の場所で発見されたごみ袋には、ランドセルと学用品、学童帽のほか、着せるのを忘れたのか、ブルマーが一緒に入っていた。遺棄した帰りに親類女性と出くわして、買い物に同行し、アパートで一緒に食事をしていたことも確認されており、親類女性によればその際とくに異変は見られなかったとされる。

 

被告人の供述した犯行の一部についても記しておきたい。

通りがかったあいりさんに挨拶をして会話を交わしていると、「突然寒気を感じて鳥肌が立ち、体が少し持ち上がった感じがして、上から物を見る感じ」になり、彼女だけ「劇場でスポットライトを浴びたように映し出されて視界に入り」、「この子を殺せ」という声が聞こえた。

逆らうことができず、抱き寄せて右手をあいりさんの口元に、左手を首に置いたところ、「もう死んでいる」「マスターベーションしろ」と聞こえ、それに従って自慰行為や陰部を触るなどのわいせつ行為を行った。「彼女をバラバラにしろ」との声も聞かれたがそれには従わなかったところ、悪霊は出て行って、普通の視界に戻った。それまで自分が何をしていたのかも分からず、寒さ暑さも分からず、感情も制御不能だったというのだ。

自己制御不能の感覚異常を主張する一方で、あいりさんの脈を確認したり、我が子のように抱き上げたり、おそろしい「悪魔体験」の直後に親類女性にはそれらの体験を明かしていないなど信用性に欠けるとして、判決では検察側の主張が概ね採用された。尚、ペルー人の親族によれば、人殺しや暴力行為など善くない行いをしてしまったとき「悪魔が入ってきた」という慣用表現を用いることがあるとされ、精神障害を示唆する表現ではないという。逆説的に、被告は自らの悪行を認識しており、善悪の弁別がついていたことは明らかだとされた。

 

永山基準

1978年に最高裁第二小法廷が示した判例に「永山基準」と呼ばれる(法的拘束力を持つものではないにしても)死刑適用基準として認知される一節があり、その後の死刑求刑事件において大きな影響力を持つことは広く知られている。

 

永山基準は以下の9項目において、「総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合には死刑の選択も許される」と示されたものである。犠牲者一人の場合は特別な事情がないかぎり、死刑になりづらいというのが「過去の裁判の傾向」となっている。

①犯罪の性質

②犯行の動機

③犯行様態(執拗さ、残虐性)

④結果の重大性(とくに殺害された被害者数)

⑤遺族の被害感情

⑥社会的影響

⑦犯人の年齢

⑧前科

⑨犯行後の情状

これらすべてを満たしてようやく「死刑」の選択もやむなしとされるほど、死刑のハードルは高い。一方で、1999年の光市母子殺害事件(大月孝行)のように当時18歳の元少年に死刑適用されるなど、このスケールのみが絶対的な基準にされる訳ではない。

 

7月4日、広島地裁で行われた判決審では「永山判決が示す死刑の適用基準を満たしていると考えても、あながち不当とも言えない」と事件の重大性を認めつつ、「死刑を持って臨むにはなお疑念が残る」として無期懲役が下される。岩倉裁判長は「犯情や遺族感情にかんがみれば被告の一生をもって償わせるのが相当。仮釈放については可能な限り慎重な運用を希望する」との意見を付け加えている。

本件を永山基準に照らし合わせてみよう。

①殺人、強制わいせつ致死、死体遺棄、不法在留

②わいせつ目的、および犯跡隠滅のために確定的殺意をもっての殺害。被害者とは面識なし。薬物摂取や精神障害なし。

③卑劣かつ冷酷非情。発育途上の、通常であれば性的欲望の対象とはなりえない児童に対し、手指を強引に何度も挿入し、自慰行為で射精までして自己の歪んだ欲望を遂げた極めて陰湿かつ執拗な犯行様態。

④「人ひとりひとりの命がかけがえのない尊いものである」とした上で、「それを複数奪う行為と単数奪う行為とを比較した場合,共に強い非難に値する行為とはいえ,なおその非難の程度に相当の差異があり,犯罪結果の重大性の観点においては,複数の命を奪う行為がより強い非難に値することも,また否定できない」として、被害者が単数だったことを重視。

学校は変則日課で、被告がそれを知っていたとする「計画性」は考えづらい。被告の供述にあるように娘のことを思い出して女児に話し掛けるうち、にわかに劣情を催した衝動的犯行だった可能性も拭えない。

⑤両親は極刑を強く望む。

⑥地域住民や同年代の子を持つ保護者、学校関係者に衝撃と恐怖を与えるなどその影響は軽視できない。また偽造の出生証明書等と用い、不法入国、不法在留によって出入国管理行政の適正な運用にも悪影響を及ぼした。

⑦公判当時34歳。⑧と合わせて考えても矯正不可能とは言いがたい。

⑧前科は認められず。検察側は被告がペルーで「幼女に対する性犯罪」により2度告発されていることを以て、異常な性癖による根深い犯罪性向が裏付けられると主張した。取調べを受けたことは事実だが、有罪判決には至っておらず、その嫌疑を以て前科と同等に見なすことはできない推定無罪(疑わしきは被告人の利益に)の立場を採用。

⑨犯行後に後悔の気持ちは見て取れない。隠蔽のため死体、所持品、ガスコンロを遺棄の後、鈴鹿市の親戚宅へ逃走(被告は新聞記者の追及を避けるためと証言)。逮捕直後も偽名と虚偽のアリバイを述べ関与を否認。遺族に謝罪する一方で、殺意はなかったと罪責軽減につとめ、「悪魔の声」への不合理極まりない責任転嫁に終始するなど反省は不十分。酌むべき事情なし。

 

概ね①②③⑤⑥については基準を満たしており、④⑦⑧⑨については不十分だったということになる。

死刑は、国家がその権力において生命を永遠に奪い去る冷厳かつ窮極の刑罰であり、その適用判断には極めて慎重な検討を要することは言うまでもない。誤審や冤罪による死刑執行を食い止める被告人の“最後の防波堤”ともいえる基準である一方で、多様化する凶悪犯罪にふさわしいものか、判決相場の固定化につながっているのではないか、遺族感情や国民の法感情、社会へ及ぼす影響を軽視しているなどとして、見直しを求める声も少なくない。

 

■被害者が被害者である権利

本件では2009年導入予定とされていた裁判員裁判に向け、あらかじめ争点を明確にすることで裁判の迅速化を図るための公判前整理手続きが行われた。そこで検察側は被害者ひとりの殺人、強制わいせつ致死、死体遺棄事件としては異例ともいえる死刑求刑の構えを見せた。

判決前の6月26日に行われた会見で父建一さんは、それまで報道各社が被害者と遺族への配慮から性的被害についての具体的表現を避けてきた対応に一定の理解を示しつつ、「性的被害の事実もできる範囲で詳細に報道してほしい」と訴えた。

「あいりは声を出すと殺されると思い、涙を出しながらも暴れなかった。何も悪いことをしていないから、暴行が終われば帰してもらえると思ったのでしょう。そんな希望も全然理解せず殺した。あいりは二度死んでいる。性的暴行は、女性にとって命を奪われるようなものです。」と性的暴行という犯罪そのもののの凶悪さを強調。

さらに「娘は“広島の小1女児”ではなく、世界に一人しかいない“木下あいり”なんです。きちんと実名報道してほしい」と報道陣に対して要望した。

 

性的暴行被害についてはたとえ命に別状がなくとも将来への影響を鑑みて社会的に伏せておきたい、触れないでもらいたいといった心理がはたらきがちな事情も理解できるし、そのような判断もまた尊重されるべきだ。しかし建一さんの主張は、被害の実態を実名で伝えてほしいという真逆の選択だった。

彼女が受けた暴行の惨状を包み隠さず知ってもらうことで、なぜ犯人の「死刑」を訴えずにはいられないのか国民の理解を求めたかったのである。メディア側の匿名措置を投げうってでも建一さんは国民に問おうとした。なぜ我が子がここまでされて、犯人の死刑が認められないのか。我が子はおぞましい苦痛を与えられ命を奪われたにもかかわらず、どうして鬼畜の所業をした犯人は生き延びることを許されるのか、と。

強制わいせつ致死の被害者遺族、そして性的暴行被害者の家族の立場を背負い、こどもたちの安全な将来のため、更にはそうした過去を必要以上に後ろめたいものとさせない社会機運の醸成を自ら買って出た勇気ある決断だと私は思う。本稿ではこの判断を尊重して、広島小1女児殺害事件ではなく、木下あいりさん殺害事件と表記させていただくこととする。

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性的暴行は被害者の一生を左右する大きな傷を心身にもたらす。家族は被害者を支え、社会はこどもたちやそうした被害者たちを守っていかなくてはいけない。2017年の刑法改正まで長らく強姦は女性被害者だけのものとされ、親告罪であった。被害者自ら訴え出なければ罪にも問われなかったのである。世の中には被害の声を押し殺して泣き寝入りした女性たち、男性たちがいる(改正前の「強姦罪」では、被害者の範疇に男性は含まれず、傷害などで告訴するしかなかった)。かつて被害者保護の役割を担った側面が時代を経て、却って被害者を告発から遠ざけ、後ろめたさを背負って生きることを強いてきた。現在も匿名報道が基本とされ、徹底した匿名審理が行われる。

だがこの事件は被害者甲、乙といったどこかのだれかさんではなく、ご夫婦の第一子「愛すべき宝物」としてその名を付けられ家族の愛情に恵まれて育ったあいりさん、弟が生まれるとお母さんに代わってミルクを与え、母が体調を崩せば水や食事の世話をした利発で優しいあいりさん、夏に千葉から広島に転入してきたばかりで西小に3か月しか通えなかったあいりさん、お母さんがかつて務めた「かんごしさん」という将来への夢を抱き、いつも白いうさぎのぬいぐるみと一緒に寝ていた寝相の悪いあいりさん、お母さんのために誕生日パーティーを企画してピアノを弾きながら自ら作詞した歌を弟と一緒に歌って聞かせたあいりさん、いつものように「バイバイ」と出勤する父を見送り「いってきます」と登校した何の罪もない木下あいりさんを理不尽にも襲い掛かった悲劇なのだ。私たちはその意味を噛みしめ、家族の意志を受け止めなければならない。

 

実名報道や匿名審理のあり方について、2016年に起きた相模原障害者福祉施設殺傷事件、通称やまゆり園事件の過去エントリでも取り扱っている。この事件では障害を持つ入居者が多数犠牲となり、一部の被害者家族から、実名報道を控えてほしい旨の要請が警察に入った。その一方で、一部の家族からは実名報道、実名での公判が希望された。

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建一さんらにとって2004年11月に発生し、ほぼ同時期に審理が進められていた奈良小1女児殺害事件(小林薫)も当然念頭にあったであろう。この事件は匿名報道が行われていたが、広島事件をきっかけにして遺族は判決を前に名前と写真を公にした。

奈良の事件も同様に残忍な犯行であることには違いないが、被告に他の少女への強制わいせつ、絞殺未遂、下着窃盗などの前科があったことや、被害者女児の親に「娘はもらった」「次は妹だ」と脅迫行為にも及んでいたこと、更に「反省の気持ちも更生する自信もない。早く死刑判決を受け、第二の宮崎勤(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人)か宅間守(付属池田小事件)として世間に名を残したい」との供述などによって、とりわけ被告の反社会性が際立った。社会的影響の甚大さなども加味され、2006年9月に死刑判決。被害者は1人でありながらも「永山基準」より踏み込んだ極刑判決となった。小林自ら控訴を取り下げ、10月11日に死刑が確定した(2013年2月執行)。

 

■長期化

一審判決後、検察側は量刑を不当として控訴。あいりさんの父建一さんは「聞くのは辛いが本当のことを知りたい」「自らの名誉回復のためにも矛盾のない言葉を。周囲の批判を和らげ、母国ペルーで暮らす親や子どものためでもある」と被告の家族に対する思いも述べた。弁護側も控訴し、事実誤認や量刑不当に加え、裁判所側に訴訟手続きの法令違反、法令適用の誤りがあるとした。

2008年12月、広島高裁(楢崎康英裁判長)は、証拠調べ請求の一部が却下されたことで必要な審理が充分行われなかったとして一審判決を破棄差戻とした。審理の迅速化と充実を目指して8回に渡って行われた公判前整理手続きだったが、その未熟さが問題視された。被告の調書の任意性という争点が認められなかったこと、またペルー国内での女児性犯罪に関する訴追資料が翻訳の遅れで公判前整理手続きに間に合わなかった点などが指摘された。

一審判決を切り捨てるかたちとなったことで、被告側は最高裁へ上告。2009年10月、最高裁控訴審判決を破棄した。ひとつは、重複や必要性に乏しい証拠の取り調べを避け、当事者主義に則って真相解明に必要な立証が行われなければならない点。更に、地裁の合理的判断にゆだねられた証拠の採否に対して、当事者からの主張もないのに審理不尽の違法を認める高裁判断は誤りとするものであった。

 

2010年3月中旬、弁護士を通じてヤギ被告から直筆の謝罪文、弁護団との面会を求める手紙が建一さん宛に送られていた。直筆の手紙には謝罪の言葉のほか、「あいりさん、ご家族のために祈り続けることが、私ができる唯一のこと」とスペイン語で書かれていた。建一さんには事件をひとごとのように語っているとしか思えなかったという。

 

最高裁判決を受けて、2010年4月から7月にかけ、広島高裁(竹田隆裁判長)での差し戻し控訴審が行われた。

「判決の内容は聞かせてやりたいが、被告の顔を見せたくはない」

建一さんは娘が愛用していたハンカチで遺影を包んで傍聴席の最後部に座った。

ペルーでの幼女への性犯罪について被告は黙秘を貫いた。双方の主張を踏まえても、無期懲役とする一審判決の量刑は相当であり、軽すぎて不当であるとも重すぎて不当であるともいえないとして、いずれも控訴棄却。

双方、上告せず、被告の無期懲役が確定した。

 

■所感

無期懲役判決について思う人は多くいるだろう。死刑推進派からすればなぜ人殺しを殺すことを躊躇するのかといった意見もあろうし、人権派からすれば容易に死刑判決を下すことに意義はない、被害者は真に被告人の死を望むとお考えか、と疑問を呈するだろう。

私自身としては判例主義からいえば「相当」な判決だったと考えている。性的暴行に対する重罰化というワンステップがそれまでに完了していなかったことが非常に悔やまれる。建一さんの仰られるよう肉体的な殺害とともに、性的暴行によって被害者は人間的尊厳を踏みにじられて「殺される」のだ。

刑法改正により男女ともに認められる非親告罪となり、性的被害を認められやすい環境、「被害者」となっても支援を受けやすい環境が徐々に整いつつある。そして多くは児童虐待だが、女性(母親や教師)による男性(主に男児、男子生徒)への性的暴行や虐待のニュースも聞かれるようになった。もちろん女性被害者の方が数として圧倒的に多い犯罪だが、男女ともに当事者意識を持ちうることは理解や共感といった面で社会的影響の「分母」が変わるという点で大きく異なる。「俺は男だから」「うちは男の子しかいないから」という「逃げ」はもはや通用しない。

 

これまでの性犯罪者更生プログラムの有効性を検証しながら、プログラムの改善、GPS装置や社会監視の強化、性欲抑制薬剤の導入検討などと並行しながら被害を最小限にする社会構築が求められている。

また本件は外国人犯罪ではあるが、米兵が起こすレイプ事件のように「外国人が起こす犯罪」に矮小化させてはいけない。すでに日本は移民受け入れを進めており、その数はコロナ禍が収束すれば再び増加の一途をたどる。社会の変質にどのような生活様式が必要となるのかも模索していかなければ人口とともに犯罪も増加、多様化が進むことになるだろう。「悪魔の声」はヤギ懲役囚にだけ聞こえたものではない。今後もそうした文化的齟齬から不可解に思われる裁判は増えていくに違いない。

 

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ハローキティとヒマワリが大好きだったというあいりさんは、事件の前年、幼稚園でヒマワリの種を貰って自宅で育てていた。父・健一さんはあいりさんから貰った種を継いで事件後もヒマワリを育て、その種を母校へ譲り、あいりさんのヒマワリは市内全域の小学校で大切に育てられている。また海田町市民グループは9月初旬に種をまきハウスで育て、11月の命日には大輪の花束を現場に手向けている。

 

将来同じような悲劇が二度と繰り返されない社会にしていくため、私たち一人ひとりがこうした事件を見つめ直し、声なき声に耳を傾け、あらためて性被害の苦しみや命の尊さについて考えていければと思う。

あいりさんのご冥福と遺族の心の安寧を心よりお祈り致します。

 

 

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参考・引用

■星になったあいり

STOP 犯罪 星になったあいり

広島地裁一審・差戻審判決;平成17年(わ)第1355号,平成18年(わ)第254号

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/496/033496_hanrei.pdf

■広島高裁、原判決破棄差戻;平成18(う)180

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/266/037266_hanrei.pdf

最高裁、原判決破棄差戻;平成21(あ)191

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/077/038077_hanrei.pdf

■広島高裁・差戻控訴審;平成21(う)202

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/644/080644_hanrei.pdf