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気になる事件と考えごと

茨城県美浦村女子大生殺害事件について

 2004年、茨城県美浦村で起きた女性殺害死体遺棄事件、いわゆる茨城女子大生殺害事件について、風化阻止の目的で概要等について記す。

尚、本件は加害者3名のうち2名が検挙されている。主犯格とされる男性はすでに無期懲役で服役中。もう一人の元少年(当時18歳)についても2021年1月から水戸地裁(結城剛行裁判長)において公判が行われ、2月3日、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。

残る一名についても現在、国際手配中である。

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■概要 

「マネキンだと思いました。長い髪が水面に広がっていて…でも堤防(土手)に血の跡が見えたから死体だと気づいたんです」

2004年1月31日9時頃、美浦村舟子の清明川河口付近で散歩をしていた近隣に住む五十代男性が、水面にうつぶせの体勢で浮かぶ女性の遺体を発見し通報する。

同日午後、同じ大学に通う交際相手・男性(21)の届け出により、女性は30日深夜に外出したまま所在が分からなくなっていた阿見町在住の茨城大学農学部2年生・原田実里(みさと)さん(21)と判明。遺体状況から他殺と断定し、「顔見知りによる怨恨」と「行きずりによる犯行」の両面から捜査が進められた。

 

発見時は全裸姿で、血痕の付いた黒色のジャージズボンは付近に浮かんでいたが、当時着用していた黒色のセーターは発見されなかった。

死亡推定時刻は31日0時から2時ごろとされ、死因は首を絞められたこと(絞殺または扼殺)による窒息死。腕や太ももに圧迫による内出血、首や左肩には殺害後に刃物で切りつけた複数の傷、左胸に心臓にまで達する深い刺創があり、複数の凶器が使われたものとみられた。

大学付近にある実里さんの自宅アパートから発見現場までは約7キロ、車で10数分の距離。現場の護岸コンクリート斜面に点々と血痕が残されていたが、付近に争ったような痕跡はなく、遺体の足裏は汚れていなかったことなどから、別の場所で殺害され現場周辺で遺棄されたものと見られた。 

2月4日、所在の分からなくなっていた実里さんの自転車(サイモト自転車シティサイクル)が、自宅から約4キロ、遺体発見現場からはおよそ9キロ離れた土浦市古岩田西1丁目の空き地で、スタンドが立てられ鍵が点いたままの状態で発見された。後の調べで自転車の鍵と一緒に付けていた実里さんのアパートの鍵が所在不明とされた。

 

被害者アパート周辺は市街地で、周囲には0時まで営業するスーパーやコンビニ、夜間営業の飲食店なども多い地域で、茨城大学農学部のほか陸上自衛隊駐屯地や2つの大学病院や医大関連施設などがあり、人口は多い。

遺体の発見された清明川河口から霞ヶ浦湖岸にかけては広い田園地帯で、最も近い民家でも300メートルほど離れている。日中であれば河口付近は多くの釣り客でにぎわうスポットだが、夜間には全くひと気が途絶える。

自転車発見現場周辺は住宅街で、被害者が訪れて自ら乗り捨てたとは考えにくい場所であった。

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■長期化する捜査

30日21時頃、実里さんが自宅アパートに帰宅し、自宅で待っていた交際相手と飲酒・食事をする。

深夜0時頃、男性がうたた寝をしていると「部屋を出る物音を聞いた」が、「風呂かトイレ」に行ったものと思った。

31日8時頃、起床した男性が外出を伝えるメモ書きを発見。しかし実里さんが不在なことから、友人らに電話で消息を確認する。

15時頃、自宅に戻った男性が近隣での若い女性の遺体発見の報道を知って警察に届け出。

 実里さんは視力が0.1程度で日ごろコンタクトレンズか眼鏡を着用していたが、どちらも家に残されており、財布、携帯電話も部屋に置かれたまま。夜間に裸眼のまま自転車で外出することは困難と思われた。また男性との飲食時に着ていた部屋着(寝間着)から着替えて外出したとされ、携帯電話には帰宅した21時以降の発着信・メールの送受信はなく(交際男性による18時の通話記録が最後)、自家用車は置かれたままで、外出の理由は不明とされた。

また部屋から交際男性の水色のダウンジャケット、白いスニーカーが紛失しており、おそらく実里さんが着用して外出したものとみられたが発見に至らなかった。

事件発生から一週間後、メモの存在が公表された。報道によってブレがあるものの、外出することと帰りが遅くなる旨が記されていたとされた。当初、「友人に会いにでかける。遅くなる」との報道もあったことから、「他にも交際相手がいたのではないか」といった憶測も囁かれた。(後の裁判により「散歩にでかける。朝までには戻る」といった内容が書かれていたとされた。「散歩」は交際男性との間でケンカした際などに「頭をクールダウンするために家を出る」「一時的に距離を置くための外出」という意味合いで使うことがあった。)

 

 

31日3時頃、新聞配達員から遺体発見現場付近にあまり大きくない白っぽいワゴン車の目撃証言。

5時半頃、自転車発見現場付近に見慣れない白いステーションワゴンかワンボックスカーが停車していた目撃証言。作業員の履くようなズボンを履いた男性2人が荷台から自転車を下ろしていた。

また土浦市内で発見された実里さんの自転車は、空き地(資材置き場)入口に倒れていたものを作業員(上の目撃証言とは無関係)が脇にスタンドを立てた状態に直していたことが判明。1月31日8時頃にはその場に置かれていたという。

 

事件当初、アリバイもなかったことから交際男性による狂言ではないかとも疑いの目を向けられ、周囲には離れていった人もいたとされる。

実里さんは学業のほかに飲食店でのアルバイト、トライアスロンクラブのマネージャーをしており30日日中も渋谷で学連の全国大会の打ち合わせに出席するなど学外の交友関係が広かったこと、一年時のキャンパスは水戸であることなどもあって調査対象が拡大。捜査が絞り込めなかったことなどから事件は長期化した。

 

 ■逮捕まで

 2007年、実里さんの両親が情報提供者に最大で200万円の私設懸賞金設置を公表。

2008年から2014年にかけて公的懸賞金制度が適用されることとなる。

2010年の公訴時効撤廃を受けて11年より未解決事件専従の捜査班を設置。

2011年1月、遺体に付着したDNAを解析の結果、複数の男性のものと判明。

2013年、自転車発見現場付近の県道に停めたワゴン車から「作業ズボン姿の男性2人」が発見されたものとよく似た自転車を下ろしていたとの目撃証言。

2015年頃、事件の関与をほのめかす人物についての情報が寄せられ、実里さんとの接点は「不明」とされたが、捜査線上に事件当時十代から二十代で土浦市在住だった「フィリピン国籍の男性」が浮上した。

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2017年9月2日、茨城県稲敷署捜査本部は、任意によりDNA採取をし鑑定したところ遺体に付着していたものとほぼ一致したことから、岐阜県瑞穂市に住む工員・ランパノ・ジェリコ・モリ容疑者(逮捕時35歳)を強姦致死と殺人罪の疑いで逮捕した(同日、妹ら男女3名についても不正に在留資格を取得したなどとして逮捕)。

ランパノ容疑者らは、2007年に共犯者の母親に犯行を打ち明けたところ、フィリピンへの帰国を薦められたため同年3月ごろ出国。事件に関与した3人のうち、ランパノ容疑者だけが日本に戻り、2010年頃から瑞穂市で家族と暮らすようになった。残る2人はフィリピンにとどまっており、同国と日本との間に刑事共助協定がないため国際手配には更なる時間を要した。

投入された捜査員は延べ約3万4千人、約360件の情報提供を精査した末でのようやくの逮捕であったが、事件発生から13年以上もの月日が流れていた。

 

2018年末、共謀した元少年(事件当時18歳)が出頭の意思を示したとの情報が入り、捜査員を派遣。翌19年1月24日、成田空港から入国後に逮捕された。出頭には親族の薦めがあったとされ、逮捕直前のJNNによる取材に「本当にごめんなさい。こんな事件になると思わなかった。私は共犯者の車で連れて行かれただけ」と答えていた。

 

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 いささか余談にはなるが、同時期に発生した長期未解決事件、若い女性を狙った犯行などから、以下2つの事件との関連性も噂された。

ひとつは2004年6月20日、茨城岩井市長須(合併により現在は坂東市)の利根川沿いにある排水路脇の草むらで携帯ストラップによる窒息状態で倒れているところを発見され搬送先の病院で死亡した高校1年生・平田恵理奈さん(16)の事件(通称・岩井市女子高生殺害事件)。

もうひとつが2003年7月6日、埼玉県草加市にある瀬崎浅間神社の夏祭りで行方不明となり、その3日後に茨城県五霞町の用水路で遺体となって発見された足立区在住の高校1年生・佐藤麻衣さん(15)の事件(通称・五霞町女子高生殺害事件)である。

尚、『週刊実話』2018年1月24日増刊号掲載のノンフィクションライター・八木澤高明氏によれば、かつて上記2件の関連性について当時の境署副署長について尋ねたところ、「2つの事件に関連性はないと思います」ときっぱりと否定されたという。

筆者としても、遺棄現場として「人目につかないこと」を考慮した結果として川や田園に囲まれた場所が選択され、また茨城県西部は群馬県・埼玉県・栃木県・千葉県とも比較的近いため捜査を遅らせる意図で「越境」を狙ったなどの条件が重なったものと考えている。自動車を所持していて隠蔽や逃走を企てる累犯者であればあえて同じ轍は踏まないと見るのが妥当ではないか。

ほかにも2004年10月にあった埼玉県の同じ運送会社に勤める19歳から22歳の男性4人グループによる殺害未遂事件も類似点が多い。男性たちは春日部市内の私鉄駅前コンビニでナンパした女子高生2人を車に乗せ、埼玉・千葉・茨城を連れ回した末に、わいせつ行為や現金を強奪。女性が勤務先の作業服に付いていた社名を見て「覚えたからな」と発言したことで男性らは殺意を抱き、水面までおよそ18メートルの高さがある下総利根大橋の中央部から突き落とした。少女2人は重傷を負ったが幸い千葉県側の岸に流れ着き一命をとりとめ、同年11月にこの男性グループは逮捕された。彼らの犯行に使用された車両はシボレーアストロという白いワンボックスカーだった。

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■裁判

2018年7月17日、裁判員裁判による初公判が水戸地裁で開かれ、ランパノ被告は実里さんの殺害について「間違いありません」と起訴内容を認めた。

証人喚問で、被告の妻が「夫は真面目で、3人の子供をとてもかわいがっていた」と語ると被告はうつむいて涙ぐむ様子を見せた。

 「事件当時は若く、先のことを考えることができなかった」「娘が生まれて事件のことを思い出し後悔するようになった」と心境の変化を語り、「被害者や遺族に申し訳ない。子供を持って遺族の苦しみが分かるようになった」と反省の弁を述べた。

また弁護側は、被告の謝罪の意思として、被害者遺族への謝罪金として100万円の準備があることを伝えた。

 

ランパノ被告は事件当時21歳で美浦村内の電器部品加工会社に勤務。同僚だった元少年2人と酒を飲んでいた際、暴行を提案されたことが犯行のきっかけだとした。車で徘徊しながら自転車に乗った実里さんに目星を付けると、背後から車で近付き、進路を妨害。一人が回り込んで押し込み、もう一人が中から引っ張り込んだ。31日0時頃から6時30分頃(日の出前)の間、車内に連れ込んで強姦に及んだ後、絞殺。口封じ(告発回避)の目的で、暴行前から殺害までを計画していたことを明かした。被告らは過去に実里さんとの面識はなかった。

かつて交際していた男性は「遺族の意思を尊重した罰を与えてほしい」と述べ、 実里さんの父親は、検察官を通じて「幼いころから明るく優しい子だった。話したくてもあの頃には戻れない。悲しく、むなしく、残念」と語った。

被告は、共犯2人に車内にあったカッターナイフ等を渡したこと、川への遺棄を提案したこと、また犯行後、口止めを行っていたことを認めた。絞殺後に刃物を用いたことについて、川に遺棄する前に「とどめをさすつもりだった」とし、首の切りつけについては「一度だけ」、胸は「刺していない」と一部関与を否定した。詳細に関する質問では「分からない」「覚えていない」を繰り返し、裁判長から「よく思い出して答えてください」と注意される場面もあった。

フィリピンへ帰国後も日本に戻った理由について、「家族のために日本の方がお金が稼げるから」と説明。出頭しなかった理由として「家族に見捨てられるのが怖かったから」と述べた。

 

検察側は論告で「強固な殺意に基づく、執拗で残虐な犯行」と指摘し、「動機に酌量の余地はない」として無期懲役を求刑。弁護側は「若年の共犯者との共謀、飲酒の影響で思慮分別が乏しかったことで犯行がエスカレートするに至った」「現在は後悔し、反省している」として有期刑が相当すると主張。

7月25日、判決公判で水戸地裁・小笠原義泰裁判長は求刑通り無期懲役を下した。「被害者の人格・尊厳を踏みにじる卑劣な犯行。被害者の屈辱や恐怖、苦しみは筆舌に尽くしがたい」と述べ、殺害への主体性や共犯者の「兄貴分」的立場だったことなどから「有期刑を選択すべきような事情はない」と結論付けた。

 

2018年12月12日、控訴審初公判が東京地裁で開かれた。弁護側は、一審の無期刑が重すぎると主張。検察側は控訴棄却を請求し、即日結審した。

被告人質問では「被害者に申し訳ない。罪を償い、社会に出られたらきちんと生活したい」と更生の機会を訴えた。

2019年1月16日、東京地裁における控訴審判決で、栃木力裁判長は、被害者の人格を踏みにじる卑劣な犯行で、殺害態様も残虐と指摘したうえで、「被告が反省していることを踏まえても、無期懲役が相当」として第一審判決を支持し控訴を棄却。被告の無期懲役が確定した。

 

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2021年1月18日、共犯とされ自ら出頭した元少年(35)の裁判員裁判による初公判が、水戸地裁で開かれた。

 罪状認否に対し、元少年は「間違いありません」と起訴内容を認めた。証人尋問にはランパノ受刑者も出廷し、以前より元少年らと「日本人女性を味見したい」といった発言が交わされ、事件当日も元少年から「女を探しに行こうか」と襲撃を提案していたことを明かした。

検察側は「自らの性的欲求を満たし、死因に直結する首を絞める行為を担った」「被害者の尊厳を踏みにじり、命を奪った犯行様態は非常に悪質」と指摘。また元少年がフィリピンに逃亡する前に母親に宛てたメモに「首謀者は共犯の2人だ」とする内容があったことを明らかにした。「自己保身のために納得して殺害を行った、まさに鬼の所業」と糾弾し、被告の無期懲役を求刑した。

弁護側は、加害者3名のうち元少年が最年少で従属的な立場にあり、「殺害に積極的ではなく、殺害には少なくとも2度反対した」「共犯者に凶器を渡されて促されたことが殺害の決め手だった」「罪を償うためにフィリピンから再入国し、出頭するなど反省している」と訴え寛大な裁きを求めた。

 

2021年2月3日、水戸地裁・結城剛行裁判長は「抵抗も闘争もできない被害者を蹂躙した上で、執拗に攻撃を加えた」「無差別で暴力的な犯行により被害者の生命や性的な自由を軽視した」と犯行の悪質性を指摘した上で、当初は殺害に反対したものの最終的に「殺害の重要な行為を自ら行っており、“従属的な立場”にはなかった」とし、再入国・出頭を踏まえても無期懲役が相当すると判決を下した。

 

 

■所感

みぞれ交じりの夜更けに彼女はなぜ1人で出歩いたのか、男性との間にトラブルがあったのか、はたまた男性を驚かせるために意味深なメモを残しただけだったのかは分からない。

だが真相に近づいた現在にしてみれば、3人の乱雑とも思える犯行が発覚するまでになぜここまで時間を要したかといえば、やはり初動捜査での見当違いが発端と言わざるを得ない。逮捕の発端はランパノ容疑者が口外していたことによるもので、決して「地道な捜査が実を結んだ」わけでもない。国外逃亡を許しながらも犯人の一人が舞い戻ってくるという非常にレアなケースだった。

現在コロナ禍においても、帰国困難や強制解雇・研修打ち切りによる窮乏、あるいは「感染対策」として収監している不法在留者に対する事実上の締め出し(不法滞在者、積極的に仮放免 入管収容施設の「3密」防止:時事ドットコム)などを背景として、多くの外国人犯罪が取り沙汰されている。国民への支援も当然大切なことだが、不法在留者や農業研修生、留学生らの救済は人権だけでなく国際関係や治安維持の観点からも必要とされる。起きてしまった事件に対しては国外逃亡となる前の早期対応が迫られている。

また本件で活用されたDNA型鑑定にしても、初期段階で複数犯との見方が整っていればもっと早期に解決できたのではないか。日本では1989年に本格導入されたものの、データベース化は事件発生と同じ2004年からで標本数は少なく、活用方法は欧米ほど積極的ではないとされている。主に遺体の身元照合(井の頭公園バラバラ事件など)や血痕の特定(月ヶ瀬村女子中学生事件など)で用いられ、刑事事件の犯人捜査や裁判の証拠として用いるには慎重論も多い。科学捜査はその結果を否定することが難しく、冤罪を生む可能性もゼロではないため、有効性を過信することは危ういが、そうした知見が一般に広まれば一定の犯罪抑止には繋がっていくだろう。

被害者の恐怖は筆舌に尽くしがたく、加害者らがいかなる刑に裁かれようとその悔しさは晴らされるものではないが、残るひとりの加害者の一刻も早い逮捕を切望してやまない。

 

 

 

参考:

産経新聞、2018年7月24日

【衝撃事件の核心】茨城女子学生はなぜ命を奪われたのか 14年越しに被告が話した理由 判決は25日(1/5ページ) - 産経ニュース