大阪市北区メンタルクリニック放火殺人事件について

2021年12月、大阪市北区メンタルクリニックで起きた大量放火殺人事件について記す。

本稿執筆時の2021年12月30日、被疑者の死亡が報じられ、犯行動機などの詳しい解明は状況証拠の積み重ねなどに依らざるを得なくなった。ここではいわゆる「拡大自殺」の観点から事件を見ておきたい。

 

■概要

2021年12月17日午前10時20分頃、大阪市北区曽根崎新地1丁目の堂島北ビルから火の手が上がる。JR北新地駅が最寄りで、梅田駅にも程近い大阪の繁華街である。

すぐに119番通報され、約30分で消し止められたが4階「西梅田こころとからだのクリニック」約80平米の内25平米が燃え、中にいた28名が救急搬送される大惨事となった(うち西澤弘太郎院長ら25名が死亡)。

発火原因は「放火」とみられ、防犯カメラの映像に男が「白い大きな紙袋」を蹴り倒し、中のガソリンとみられる液体を撒いてオイルライターで着火する様子が確認された。ガソリンスタンドで「バイクに使う」と称して事前に購入していた。

クリニックの出入口付近で発火したため多くの患者が中に取り残された。さらに男は逃げようとする患者を阻止しようと進路を塞いだり、体当たりするといった強い殺意を窺わせる行動も見られた。周辺の防犯カメラから紙袋を自転車で運ぶ男が確認され、数年来通院していた谷本盛雄(61)と特定。現住建造物等放火と殺人の容疑がかけられる。

男は同日9時50分頃、クリニックから約3.5キロ西に位置する大阪市西淀川区姫島で3階建て住宅にも火を放ったいたとみられ、捜査が急がれた。

 

谷本自身も一酸化炭素中毒により意識不明の重篤な状態が長く続いていたが、回復や発話はできない低酸素脳症になる可能性が高く、動機の解明などは困難との懸念がされていた。また2011年4月には長男の頭などを包丁で刺す殺人未遂事件を起こし、4年間の服役をした後、通院するようになったとみられ、家宅捜索では2019年7月に京都市伏見区で発生し36名が亡くなった京都アニメーション放火殺人事件に関するスクラップ記事やガソリン約2リットルが発見された。

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12月30日午後、ICUで治療を受けていた谷本容疑者の死亡が確認され、本人から動機を語られる機会は失われた。天満署・捜査本部は、容疑者の遺した犯行計画とみられる「消火栓を塗る」「隙間はどうするか」といったメモなどの状況証拠を積み重ねて真相解明を図っていく。現場となったクリニックでは消火栓の扉に補修材のようなものが塗られ、非常階段扉には目張りがされていた等、メモに符合する事前準備がされていた形跡もあるとされる。

現在もクリニックの電子カルテの復旧、通院状況や治療内容からの裏付け作業は完了していない。被疑者死亡により不起訴処分となる見込みである。

 

■医師への恨み

「人生これからだって思えるのは先生のおかげ。命の恩人で感謝しかない」

「おちゃめな院長さんで、患者を緊張させないよう、居心地のいい場所をつくろうと考えていた」

報道では、クリニックの通院者らは事件に大きなショックを受けつつ、亡くなられた院長らを悼み、感謝の気持ちを語っている。職場復帰を目指す人に向けて集団ディスカッションなどを行う「リワーク」の取り組みや会社帰りに立ち寄ることも出来るよう夜10時までの夜間診療も行っており、「患者のことを第一に考えていた」と関係者からの信望も厚かった。

通院を続けている人々にとってクリニックは居心地の良い場所、安心できる場所である一方で、通院を辞めた人々にとっては居心地の悪い場所、満足のいくケアが受けられなかった場所ということもできる。たとえばどこかの病院についてインターネットでクチコミを見れば「私はこんな目に遭わされた。信頼できないヤブ医者だ」「別の医院をお勧めします」といった誹謗中傷めいた情報を目にする。

スーパーで「買ったイチゴがひとつ傷んでいた」「ここの当たり付アイスは“ハズレ”しか売っていない」などというクチコミをわざわざ書く人は滅多にいないが、主治医とそりが合わない、100%元通りに完治できなかった、自分の思った通りの具合にならないことが一度でもあれば医師は即座に非難の的となる。患者の生命やその後の人生をも左右しかねない重責を担う医師という職業は感謝されることも多い一方で、強い恨みを買いやすい立場ともいえる。

過去エントリーで扱った青物横丁医師射殺事件は、「体感幻覚」や精神疾患による妄想状態により医師の診療方針に納得できない患者が逆恨みして、医師の通勤時を狙って射殺するというモンスター・ペイシェントの先駆的な事案である。

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メンタルクリニックの性質上、医師への相談が長引いたり、回復を焦って処方の追加を求める患者も少なくない。発達障害抑うつ症状のある受診者らにとって、診断に必要な情報を的確に伝えることができない場合も多い。そもそも人に打ち明けづらい、ひとりで悩みを抱え込んできた場合が多く、複雑な事情が絡み合って簡潔に伝達できないこともあるだろう。そうしたなかで診療に落ち度がなかったとしても、「なぜこんなに待たされるのか」「もっと話を聞いてほしい」「なぜ先生は自分の言うことを聞いてくれないのか」と患者の不快を買ったり望み通りのケアにならなかったりするケースも生じやすい。亡くなった西澤院長も事件前に別の患者との間にトラブルがあり、話を聞いた院長の父親が警察に相談していたという。

下の産経ビズのリンク記事では、メンタルクリニックに限らないが患者による病院や医師への逆恨み事件を紹介している。

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さらに2018年に全国約2500件の病院が加盟する「日本病院会」が加盟病院で発生した火災102件について集計したところ、出火原因は「たばこ」「調理器具」の各14件を大きく上回る33件の事例で「放火」と報告されており、本件が必ずしも精神的不調が絡んだことによって生じたレアケースとは言えない側面も浮き彫りにしている。

 

■拡大自殺

精神科医・片田珠美氏は『拡大自殺 大量殺人・自爆テロ・無理心中』(2017,角川選書)の中で、2016年に起きた相模原障碍者施設殺傷事件(津久井やまゆり園事件、植松聖)、大阪教育大附属池田小殺傷事件(2001年、宅間守)、津山三十人殺し(1938年、都井睦雄)などの無差別大量殺人について、「拡大自殺」という概念を採用している。

拡大自殺 大量殺人・自爆テロ・無理心中 (角川選書)

第一章では、アメリカの犯罪学者J.レヴィン、J.A.フォックス「大量殺人の心理・社会的分析」で提唱した大量殺人を引き起こす6つの要因を手掛かりに各事件を分析する。

A:素因

①長期間における欲求不満

②他責的傾向

B:促進要因

③破滅的な喪失

④外部のきっかけ

C:容易にする要因

⑤社会的、心理的な孤立

⑥大量破壊のための武器の入手

第二章では2000年代以降に頻発したイスラム過激派などによる自爆テロとその背景にある移民社会に巣食う自殺願望との関連を読み解き、第三章では警官の発砲を期待して自暴自棄とも思える抵抗を試みる「警官による自殺」、第四章では経済事情や病苦など将来への不安から多く見られる「親子心中」、第五章では超高齢社会が直面する「介護心中」を扱っている。

 

いずれも拡大自殺を図る人間は絶望と厭世観に苛まれ、多くの場合は抑うつ状態に陥っている。うつ病患者にみられる自責感情、自殺願望は元々はある対象に向けられた憎悪であり、「愛する対象に向けられた非難が方向を変えて自分自身の自我に反転したものだ」とするフロイトの「サディズムの反転」という指摘は的を射ていると片田氏は説く。自傷行為を辞めた途端に外部への攻撃性を増したり、その逆の表出も、「怒りの矛先が自他の間を行き来する」ことはよくあることだという。

怒りの矛先が向かうシステムについて、W.ブロンベルグによる「他殺か自殺かは、復讐という動機の強さによって決まる。……また、投影と取り入れのメカニズムの相対的な強さによって決定される。投影が強ければ殺害が起こり、逆の場合には自殺が起こる」との論を引き、より「他責」に転嫁する傾向が強い場合に攻撃は外部へ向き拡大自殺が生じると説明する。

一般的には見ず知らずの相手に対する攻撃など考えにくいものだが、無差別大量殺人犯にとっては面識のない相手だからこそ、罪悪感も後ろめたさもなく「悪意の対象」に当てはめて攻撃できるのではないかとしている。他責的傾向には一種の「自己防衛」機能も含まれており、その意志を遺書にしたためたり、犯行後に自殺を図ろうとするのは、他者への攻撃を以てしても解消されない自らを苛む悪意の大きさの表出とも捉えられる。

また大量殺人に向かう人の心理として、不正に対する「怒り」を伴なうことも多い。自分だけが理不尽に害されている、抑圧を受けているといった逼迫した心理状況である。そうした困窮を世に問うため、あるいは相模原事件の植松のように自己正当化の論理から是正を求める義侠心にまで歪曲するケースもある。終章では日本社会の貧困化、自己責任論の一般化を通じて「国民総中流社会」から国民総「被害者意識」社会に転じる現況にその一因を見る。被害者意識の増大する社会では復讐が正当化され、そうした意識が「加害者」を生み出しやすい構造に陥っていると指摘する。

 

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■被疑者について

谷本は1960(昭和35)年生まれ、4人きょうだい(兄と姉、妹)。実家は鉄工所を営んでおり、自身も高校に通いながら15歳から職人仕事を手伝った。20歳まで父親の工場で働き、腕はよかったが、一緒に働いていた兄とのいさかいがきっかけとなり仕事に来なくなった。職を転々としながらも87年に大阪市西淀川区に3階建て住宅を購入、結婚生活を送り2児を授かった。90年に父親が亡くなり、兄が工場の後を継ぐことになった。谷本は法要の席で酔っ払って兄に恨み節を吐いて去ってしまい、以降30年来にわたってきょうだいとは絶縁状態となった。

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2002年3月に大阪市内の鉄工所に就職。所長いわく「職人としてほかの社員とは比べ物にならないくらい腕があった。真面目で職人気質、むやみにペラペラ喋らないタイプ。後輩からも慕われていた」と言うが、納得できないトラブルになると顔を真っ赤にして口を利かなくなり「こんなんやってられん」と帰ってしまうこともあったという。へそを曲げやすい、融通が利かない側面があったのかもしれない。

しかし08年7月、「どうしてもやりたいことがある」と退職し、9月に離婚。その後、一人暮らしをしていたが元妻に復縁を迫っていたとされ、09年8月頃には鉄工所へ「やり直したい」と再就職の申し出もあり復帰したが一年程で音信不通となった。

孤独感を募らせた谷本は次第に自殺を考えるようになったが、その後、「家族一緒に」という考えに変わったという。2011年に、元妻、こどもたちと再会して食事会を催し、明け方まで長男と酒を酌み交わした。しかし父親は意を決してカバンに入れていた出刃包丁で襲い掛かった。長男は必死に抵抗し、父親を部屋から閉め出してそのときは最悪の事態は免れた。警察の調べに対して「寂しさに耐えられず、家族を殺害して自殺する踏ん切りをつけようと思った」と供述していた。

裁判で弁護側はうつ病による精神疾患減刑を求めたが採用されず。裁判長は、離婚後の孤独感を動機の一因と認めた上で、自らが招いた困窮や苦悩を打開するために家族を犠牲にしようとするのは甘えであると指摘。「長期間真面目に働いていたこともあり、もともとは犯罪傾向を有するものではない」と更生の可能性も見据え、懲役4年の実刑判決を下す。出所後の谷本の暮らしぶりは明らかにされておらず、元妻らも取材には応じていない。

 

本件をレヴィン&フォックスの唱えた6要因と照らし合わせてみよう。

A:素因

①長期間における欲求不満…生活困窮か。

②他責的傾向…一家心中を目論んだ過去からも他責的傾向は顕著。

B:促進要因

③破滅的な喪失…妻子、服役、クリニック?

④外部のきっかけ…京アニ事件の模倣

C:容易にする要因

⑤社会的、心理的な孤立…失職、家族との絶縁状態、出所後の暮らし?

⑥大量破壊のための武器の入手…ガソリン

退職や離婚の詳しい理由は報じられていないが、それでも6要因はすべて満たされる。だが、ここで重要なのは谷本はクリニックに通っていたという事実である。男は自らの行いで、きょうだいと絶縁し、妻子とも離婚して、更に殺人未遂まで起こして関係を破綻させたのは間違いない。しかし彼は過去と向き合い、自分に非があることを認め、回復しようと、社会復帰しようという意志を持って通院していたのであり、決してナチュラルボーンキラーでも何も失うものはない“無敵の人”でもない。

恋人や好きな人に裏切られてストーカーになるのと同様、他人への信頼とは一種の依存であり、相手に裏切られたと感じれば強い恨みに転じる。男はクリニックを最後の頼みの綱として絶対の信頼や社会復帰への猛烈な期待を寄せていたと想像される。家族、妻子に「裏切られ」、事件を起こして全ての頼りを失った男はまさに生きるか死ぬか絶望の淵でクリニックを訪れたに違いない。しかし2019年7月前後に男の中で何かしら「裏切られた」と感じ、京アニ事件が目に飛び込んで、犯行計画が湧きあがったものとみられる。

 

■所感

被疑者死亡により怒りの矛先を向けることが適わなくなった被害者やご遺族の無念もひとしおである。無論、加害者が死ねば被害者が戻ってくるでもなく、動機が完全解明すれば何かが報われる訳でもない。だが加害者が罪を認める機会、刑罰に処することや反省に要する時間もまた被害感情の僅かな捌け口となる場合がある。筆者は死刑撤廃論者という訳ではないが、はたして死刑推進派は本件の顛末に「犯人が死んでよかった」とお考えだろうか。被害者や被害者遺族ではない人間に生じる極度の処罰感情ははたして「サディズムの反転」ではないと言い切れるだろうか。

こうした事件が起きるにつけ精神科への偏見やメンタルに不安を抱える人々に対する差別につながることに不安を覚える。トラブルが起こりえない訳ではないが、通院者たちは体調回復や社会復帰をめざす人々であり犯罪者予備軍などでは決してないということは誰もが肝に銘じておいてほしい。事件の過度な抽象化は新たな差別を生む火種となる。

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心療内科メンタルクリニックも不安や不調をケアすることでより多くの患者さんの生命や生活の危機を除く支援をしている、社会の屋台骨を縁の下で支える「なくてはならない場所」である。発達障害に困っている人、メンタルに不安を抱える人も風邪や花粉症のように気軽にケアが受けられる、だれもが回復を目指せる社会の方がより健全である。

何も気兼ねせず診療を受けるべきだし、生活保護で乗り切れるなら恥じることなく申請した方がよいし、働けるなら金を稼いでたまにはちょっと贅沢するとよい。生きることは死なないだけであって格好よいも格好悪いもない。サバイブすることが目的であって、テストのように点数が付く訳ではない。だからこそ自らの命を絶ってはいけないし、当たり前だが他人の命を奪ってもいけない。

 

亡くなられたみなさまのご冥福、被害者の早期回復を願いますとともに、関係者さまの心の御安寧をお祈りいたします。

 

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〔2022年1月14・15日追記〕

mainichi.jp

2015年に出所後は堺市の更生保護施設で過ごし、6月住之江区のマンションを借りた。大阪府警の調べによると、谷本容疑者はその後此花区内の二階建て民家に移って一人暮らしを続け、困窮のためか電気やガスは停まっていた。谷本は前述の自宅として住んでいた西淀川区内の三階建て住宅と、親族と共に相続で得た住宅を所有していた。2000年以降は定職に就かず、仲介会社を通じて住宅を貸し出して月7万円の家賃収入を得ていたが、19年9月に借り主が退去して以降の収入が途絶えていた。

数年前と2021年春の2回、此花区役所に生活保護申請の相談に訪れていたことが判明。だが担当者との話し合いの途中で「もういいです」と辞退することもあり、受給は実現しなかったという。このときも思い通りにならないと短気になる性分が災いしたのであろうか。

読売新聞によれば、出所前の2015年1月時点で約150万円の預金があったとされ、NHKの報道では2016年、2019(令和1)年に税金滞納を理由に土地建物が一時的に差し押さえられていたとされる。事件現場に落ちていた谷本の財布に残っていた所持金は約1000円で、2021年1月に83円を引き出して預貯金は底を尽いていた。21年11月頃に谷本はかつて暮らした西淀川の住宅に戻った。

更に産経新聞では、事件直前に此花区内にあった谷本の親族の墓が荒らされていたことを報じている。放火事件の3日前となる12月14日、親族男性が「骨壺が盗まれたかもしれない」と110番通報したとみられる。17日には墓地関係者が墓石が倒さいると通報していた。骨壺は現在も発見されておらず、容疑者が犯行前に盗み出した可能性もあると見て天満署捜査本部は調べを進めている。親族への当てつけなのか、それとも妻子に見捨てられ、工場を逃げ出し、心を許せる相手を全て失った男は、最期に亡き両親にすがろうとしていたのであろうか。聞き込みでも付き合いのある人物は発見されなかったという。

MBSは、谷本のスマートフォンの解析結果から、「死ぬ時くらい注目されたい」「大量殺傷殺人」といった検索履歴が残っていたこと、スケジュールアプリには事件の半年前となる6月14日に「踊り場の寸法をとる」という犯行計画を思わせる記述が残されていたと報じている。また、現場ビルのゴミ箱から谷本の自宅の鍵などが捨てられていた他、事件前夜にガソリン入りの容器を現場近くのコインロッカーに預けていたことが伝えられた。

朝日新聞は、クリニックの電子カルテの復元について伝えており、谷本は2~3年前から通院(読売では「2017年3月」に通院開始)し、(勤務実態は不明ながら)「仕事がうまくいかずに眠れない」等と訴え、睡眠薬の処方を受けていたとしている。上述の職場復帰を目指す人に向けた「リワークプログラム」の参加履歴はなく、西澤院長とのトラブルも確認されていない。

www.yomiuri.co.jp

読売新聞によれば最後の受診は事件の2週間前だった。9月9日には「20時54分踊り場ドアが閉まった」「21時13分先生が1階出入口から出てきた」と入念な下見の形跡も窺える。10月22日には「9時58分までに合計22人一気に入ってきた」と金曜午前中に行われるリワークプログラムで人が多く集まることを確認していたと推測される。11月30日、西淀川区でガソリン約10リットルを購入、12月2日には兵庫県尼崎市で20リットルを買い足していた。

 

愛知中3同級生刺殺事件

2021年11月、愛知県弥富市で起きた男子中学生による同級生殺人について記す。

加害生徒は現行犯逮捕されているが、報道では犯行の動機についてやや不可解な供述内容が伝えられている。

 

■概要

11月24日8時10分頃、弥冨市立十四山中学校から「正門に急いできてほしい」と消防へ119番通報が入った。生徒のひとりが腹部を刃物で刺され、心肺停止で市内の病院に運ばれたが、搬送先の病院で10時35分頃に死亡が確認された。

死亡したのは同中学3年生伊藤柚輝さん(14)。始業前の時間帯に別のクラスの同級生から廊下に呼び出され、腹部を包丁で一突きされた。死因は出血性ショック死。刺し傷は、大動脈や内臓にまで達し、肝臓を貫通していた。

加害生徒(14)は犯行後、刃物を持ったままその場に立ち尽くしており、教員の指示におとなしく従った。殺人未遂容疑で現行犯逮捕。「私がやったことで間違いない」と容疑を認め、25日朝、愛知県警は殺人容疑に切り替えて名古屋地検に男子生徒の身柄を送致した。

 

■緊急会見

11月24日、弥冨市教育委員会や十四山中学校関係者は緊急記者会見を開いた。

黒川利之校長は「なぜこんなことをやったのか私たちもよく分からなくて非常に混乱している」としつつ把握できた事件の状況を説明した。

 

同校は7時45分に開門、8時10分から「読書タイム」が設けられているため、事件の起きた8時頃にはクラス担任やほとんどの生徒が教室内にいた。3年生は2クラスあり、同校では別のクラスの教室への出入りが禁じられているため、廊下に呼び出したものとみられる。

腹を刺された被害生徒は血を流しながら自分のクラスへ戻り、倒れ込んだ。担任はAEDと心臓マッサージの処置をするとともに、職員室に通報。現場となった2階では悲鳴が響き、「教室内に結構な出血があった」。

両生徒の間にトラブルがあったのかについて、校長は「今のところ思い当たるところがない」、市教委の渡辺一弘課長も「これまで何かトラブルがあったかは分かっていない」と述べるに留まった。過去のトラブルも確認できず、11月上旬の市教委アンケートには2人に関するいじめの記載などはなく、11月中旬の修学旅行には両生徒とも参加していた。

夜に行われた保護者向けの説明会では、児童のメンタルケアへの希望が多く出された。学校からはスクールカウンセラーが一人派遣されると説明されたが、市教委から増員を要望する旨の回答があった。その後、文科省も追加配置に必要な財政支援を行うことを発表している。事件の背景が不透明なことに加え、受験シーズンを控えていることもあり、思いがけない事態に保護者らも不安を募らせた。

 

■被害生徒と加害生徒

柚輝さんは三人兄弟の真ん中で、保護者などからも「あいさつもよくできて人から好かれる子」「下の学年の子の面倒を見たり、ハンディのある子とも分け隔てなく優しく接するのをよく見かけた」「仲間外れやいじめをするような子ではない」とされる。

リーダーシップのある、学年の中でも目立つような中心的な存在だった。2年生のときは生徒会に入り、「学年を越えて仲良くなりたい」と全校生徒での球技大会を提案するなど、とにかくスポーツが好きだったという。一方で、威張っている訳ではないが命令口調が多いとする声もあった。

小学時代に柚輝さんと一緒に登下校していた女子生徒(16)は「友達思いですごく良い子。十四山中は人数が少なくアットホームで、先生たちも生徒をよく見てくれた。何かトラブルがあれば事前にわかるはず」と語った。

 

十四山地区は名古屋駅から車で約30分ほど離れた田畑に囲まれた長閑な地域で、同校は全校生徒139人と市内では最も小規模な学校だった。子も親も保育園時代から知っている者同士と言い、地域の結びつきは強かった。

加害生徒は両親、兄、祖父母、曾祖母の合わせて7人家族。昔からこの地に暮らす名士とされ、祖父はかつて市役所の幹部として2006年弥富市と十四山村の合併に尽力した地域のまとめ役とも目された。父親は農業系の仕事に従事し、自治会長なども務めた。少年は身長170センチ以上あり恵まれた体格をしていたが、寡黙で目立たない印象とされ、学校でも取り立てて指導が必要な生徒とは見なされていなかった。

小学生の頃は祖父のスマホでずっと「パズドラ」をやっており、外で友達と遊ぶ姿は見られなかったという。厳格で教育熱心な家で育ち、兄と比べられたり、受験が近づいて好きなゲームを遠ざけられるなどして不満を募らせたことなども考えられる。

双方と面識のある地元住民は、加害生徒は「注意されるとうるさいと怒ったり、上級生に敬語を使わずため口で喋ることもあった」「俺は他のみんなと違うというオーラを出していて、少し変わったところがある子」と言い、「和気あいあいとした学校の中で、2人の関係は距離があったと思います」と話している。同級生のひとりも「友人のひとりだが親友という訳ではなかった」と二人の関係を語る。

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柚輝さんと加害生徒は同じ小学校に通い、男子10人女子14~15人の1クラスで、当時は同じサッカー部に所属していた。中学にはサッカー部がなかったこともあり、柚輝さんは野球部、加害生徒はバレー部に所属し、2年生では同じクラスだった。双方の兄同士も友人関係だった。

十四山中出身者で娘を通わせる保護者は「土地柄、荒っぽいヤンキーとか不良っぽい子が要る中学でもないし、いじめが起これば大人がすぐ気づけるはず」「多感な年頃でもあるので、逮捕された生徒の思い込みによるところが多分にあるのではないか」と語っている。

 

■トラブル

愛知県警は事件の動機について、当初、加害生徒は柚輝さんから「いやなことをされた」趣旨の供述をしていることを発表。11月26日には「嫌なことが続き、今の生活がどうでもよくなった」と被害生徒に対する動機以外にも複数の不満が重なっていたことを仄めかす供述があったとされるも、トラブルの具体的な事実などは明らかとされず、供述の真偽も含めて慎重な取り調べが続けられた。

凶器とされた柳刃包丁は刃渡りが約20センチ。20日にコンビニで購入したプリペイドカードを用いて自分のスマホからネット通販で購入されたことが判明。1998年に中学校教諭刺殺事件で用いられたバタフライナイフ、2008年秋葉原無差別殺傷事件で用いられ銃刀法強化ともなったダガーナイフなどは、有害玩具規制の対象で青少年への販売や貸与が禁じられている。しかし日用品刃物として用いられる包丁は規制の対象外である。

 

同26日、身柄を名古屋少年鑑別所に移送。

28日には加害生徒が「いやなこと」の一部について「いじめ」と表現していることが明らかとされる。

また学校側は「いじめがある」とした加害生徒のアンケート結果を市教委に報告していなかった事実が指摘されている。加害生徒は前年9月の生徒会選挙に立った柚輝さんの応援演説に参加していた。21年2月のアンケートで「いじめがある」と回答し、演説をやりたくないのに協力を強制されて「嫌だった」、「不快に思う発言があった」旨の回答をしていた。その後、教諭が柚輝さんに「相手の気持ちになって行動しなさい」と注意を行い、加害生徒にも面談で様子を確認して「最近は大丈夫」と答えたことから、両者の関係は改善されたものと判断していた。

 

そのほか調べに対し、「数人の友人と話している際に、途中から割って入ってくるのが嫌だった」「給食当番だった被害生徒から加害生徒に箸をなかなか渡してもらえなかった」といった日常的な不調和があったとも報じられている。

中日新聞は、11月14日から16日にかけての修学旅行での加害生徒のスマホ没収トラブルを伝えている。ゲーム好きだった加害生徒は密かにスマホを持ち込んでいたが他の生徒に見つかり、学校から指導を受けていた。「事件の10日ほど前に殺害を決意した」などの供述からも、このトラブルが犯行の引き金となった可能性もある。

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しかし上記のような経緯で殺害の動機を持つにいたるものだろうか。元中学生としては、人間関係の葛藤は青春時代につきもの、「どうでもよくなった」と思うには導火線が短か過ぎはしないかと思ってしまう。相手を不快に思ったり、嫌々言うことを聞いたり、不信感を抱くといったことは往々にしてある。直接相手に自分の気持ちを伝えられない生徒、親や教諭に相談できず抱え込みがちな生徒、趣味や部活に打ち込んでストレスを発散することができない生徒もいるかもしれない。

三者としてはズル休みや不登校になるなり、相手に包丁を突き刺す前に殴り掛かるなど、他にやり様はなかったのかと思えてしまう。加害生徒のナイーブすぎる感性と被害生徒への奇妙な執着心を感じさせる。いわゆる“陽キャ陰キャ”論にするつもりはないが、自分とかけはなれた幼馴染への嫉妬に近い感情などもあったのではないか。

 

社会心理学者で少年犯罪に詳しい新潟青陵大・大学院碓井真史教授は、加害生徒が被害者意識を持ちやすいタイプだった可能性を挙げ、うまくいかないのはあいつのせいだと無理矢理関連付けてしまう「心理的視野狭窄」が起きていたのではないかと指摘する(『女性セブン2021年12月16日号』)。

またFNN・めざまし8に出演した碓井教授は、ノーマークのこどもが突然起こす凶悪事件を防ぐことは非常に難しく、追い詰められる前に周囲の大人に話せるかが重要だとした上で、「こども同士のことを大人に話すことは“裏切り行為”だって思うので、“事前にこどもたちに教えておく”」こと、日常的に相談しやすい雰囲気をつくっておくことが未然防止につながるとした。

 

■ネットの反応

下の画像は地域掲示板で事件当日に行われたカキコミ。

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事件当日、同学年であれば加害生徒と被害生徒は分かっていただろうが、生徒らは事件について何も知らされておらず、授業は自習に変更され、給食を済ませての早帰りとなった。

仮に上のような事情をすべて知りうる人間がいるとすれば、同じLINEグループに入っていたか、同学年の人間関係を熟知した密接な関係者である。時刻としては生徒も投稿可能ではあるが、特徴的な体言止めや投稿先サイトからして現役中学生による投稿とは甚だ考えにくい。

では学校サイド、教諭がこうした投稿を行った可能性はないか。常識的に考えて、教諭が生徒間のLINEグループ関係を把握していることはなく、当日に生徒への聞き取りなどは行われていない。これは警察関係者も同様である。

翌25日にはネタ元は不明だが、ワイドショーやWebメディアに「LINE外し」の文字が躍った。しかし少なくともこのカキコミは悪意のあるデマである。「同じ女の子をスキだった」などと煽り立て、興味を引こうと「燃料投下」を狙った人間によるものだ。

事件当日の24日加害生徒の自宅からスマホが押収されており、上述の凶器の購入履歴が確認された。その後も捜査は続けられているが、「グループLINE外し」の噂に類する仲間外れトラブルは確認されていない(12月4日『デイリー新潮』)。

 

また筆者が理解に苦しむこととして、未成年加害者の実名や顔写真を求めるネット世論の風潮がある。実名や顔が分かったところで、誰に利するものとお考えなのか。ただ「隠されているから知りたい」「守られているから壊したい」と匿名で暴れる仕草は見ていて気持ちが良いものではない。犯罪者の卒アル写真を見て喜べる人間は余程幸せなのだと思う(皮肉)。

本件と直接かかわるものではないが、2022年4月から少年法改正により18歳と19歳を対象に「特定少年」という位置づけが採用され、起訴された場合は20歳以上と同等の実名報道が行われることになる。また20歳未満の事件については検察から家庭裁判所へ一律に送致され、保護処分とするか否かが検討されるが、刑事処分が適当として検察への「逆送致」される範囲が従来より拡大される。

世論は厳罰化を求めているというが、こうした措置が加害者の更生・社会復帰を妨げる社会を反映していること、ただでさえ困難な社会復帰を実名報道や顔写真で阻まれた元服役囚たちがどういう行動をとるかまで考えていくと私には憂うべき世相にしか思えない。

 

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〔2021年12月15日追記〕

殺人と銃刀法違反の非行内容で逮捕されていた加害少年は14日、家庭裁判所へ送致された。今後、保護処分とするか刑事処分が相当として地検に逆送するかが検討される。同日、被害生徒の両親が文書でコメントを発表した。

「事件により息子が亡くなったことを今でも信じられない、信じたくない気持ちです」

と悲痛な心境を語った。家では弟の面倒をよく見てくれていたと言い、家族の誕生日や父の日、母の日の民にプレゼントや「今幸せに暮らせるのは父さんとママのおかげです」と気持ちのこもった感謝の手紙をくれるのを夫婦でいつも楽しみにしていたという。

加害者については、「愛情をもって育ててきた大切な息子を奪い、取り返しのつかない凶悪な行為をしたことについて絶対許すことはできません。一生をかけて償ってもらいたいと思っています」と述べ、家裁に対して厳重な処分を求めた。

アルバート・フィッシュについて

アメリカのシリアルキラーアルバート・フィッシュ(1870-1936)について記す。

“グレイマン”、“ブルックリンヴァンパイア”、“ムーンマニアック”、“ウィステリアの狼男”、“ブギーマン”など数々の異名を持ち、その犠牲者は100人は下らないとも言われており「すべての州のこども」を血祭りにあげたとの逸話も伝えられる。トマス・ハリスによる創作上のサイコキラーであるハンニバル・レクターの主要モデルの一人となった、犯罪史上まれにみる狂人である。

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■Dear Mrs. Budd,

1934年11月、デリア・フラナガン・バッド夫人の元に匿名の手紙が届く。文盲の夫人は息子にその手紙を読んでもらうことにした。

「親愛なるバッド夫人へ。

1894年、ジョン・デイヴィス船長の蒸気船タコマ号に私の友人が水夫として搭乗していた。サンフランシスコから中国の香港へ向けて出港した。香港に到着した彼は、他の二人と陸に上がって酒を飲んだ。

彼らが戻ったときには船は消えていた」

身に覚えのない不可解な外国の話は、徐に異様な方向へと転じていった。

「その頃、中国では飢饉が続いていた。どんな肉でも1ポンド1ドルから3ドルだった。人々は貧苦にあえぎ、飢えから逃れるために、12歳以下の子供はすべて肉屋に売られ、切り刻まれて食料として売られた。14歳以下の少年少女にとって街に安全な居場所はなかった。どこの店に行っても、ステーキやチョップ、シチューの肉を頼むことができた。少年少女の肉体が供され、そこから欲しい部位を切り取ってもらう。仔牛のカツレツとして売られている、体の中で最も美味とされる少年少女の背肉は、最も高い値段で取引された。

ジョンはそこに長く滞在して、人肉の味を覚えた。ニューヨークに戻ると、7歳と11歳の2人の少年を盗み出した。彼の家に連れて行き、裸にしてクローゼットに縛り付け、着ていたものを全て燃やした。毎日、毎晩、何度も折檻し、肉を美味しく柔らかくするために拷問した。最初に11歳の少年を殺したのは、彼のお尻が一番太かったからで、もちろん肉も一番多かった。頭以外のすべての部分が調理され、食べられた。オーブンで焼いたり、茹でたり、焼いたり、揚げたり、煮たりした。次は小さな男の子で、同じように食べられた。

当時、私は 409 E 100 St, リアライトサイド に住んでいた。彼は人肉の美味しさをよく話してくれたので、私はそれを味わってみることにした。」

そして、6年前の、バッド家に起きた忘れがたい出来事に話は及んだ。そこには長女グレースの誘拐と、おそるべき顛末が記されていた。

「1928年の、6月3日、日曜日、406W.15Stに住むあなたの許を訪ねた。イチゴのポットチーズを持参し、私たちはランチに食べました。グレースは私の膝の上でキスをしました。私は彼女を食べる決心をし、パーティーへと誘った。

あなたは「行ってもいいよ」と言った。彼女をウェストチェスターの空き家に連れて行った。そこに着くと、私は彼女に外にいるように言った。彼女は野の花を摘んだ。私は2階に上がり、自分の服を全て脱いだ。そうしないと彼女の血がついてしまうからだ。支度を終え、私は窓辺から彼女を呼んだ。そして彼女が部屋に来るまでクローゼットに身を潜めた。

裸の私を見た彼女は、泣き出して階段を駆け下りようとしました。私が彼女を掴むと、彼女は「ママに言う」と言った。私はまず彼女を裸にした。蹴られたり、噛まれたり、引っかかれたりもした。私は彼女の息の根を止め、自分の部屋に肉を運び、調理しやすいように彼女を細かく切り刻んだ。オーブンで焼かれた彼女の小さなお尻は、どれほど甘くて柔らかかったことか。彼女の全身を食べるのに9日を要した。私は彼女とセックスしなかったが、望めばそうすることもできた。彼女は処女のまま死んだのだ。」

バッド夫人はそのおそるべき手紙を直ちに警察に届けた。

手紙が届く10日前、ウィリアム・F・キング刑事はグレース失踪事件の捜査継続を宣言し、改めて地元紙で記事の掲載と情報提供を求めていた。犯人はキング刑事の呼びかけに反応したのである。

捜査機関は「デイヴィス船長」や「香港の飢饉」や「人肉食」に関する事実は確認できなかったものの、連れ去るまでの一連の整合性から、手紙の送り主がグレース誘拐の真犯人であると判断した。

 

 

■青年の妹

そう、はじまりは1928年5月25日のニューヨークワールド紙日曜版に掲載された求職記事だった。

エドワード・バッド、18歳」

灰色の顔をした小柄な紳士は、求職記事を見たと言ってバッド家のドアをノックした。ニューヨーク州ファーミングデールの農場主だと名乗るその男フランク・ハワードは、数百羽の鶏と6匹の乳牛を6人のこどもたちとともに飼育しているのだと話した。どのように農場を成功に導いたのか、そして今後はさらに人出が要り用なことを示し、夫人らを納得させた。

何より彼らを惹きつけたのは、エドワード青年と彼の友人ウィリーに週給15ドルの報酬を用意するという農場主の言葉だった。裕福とはいえない、エドワードのほかに4人のこどもを抱えるバッド家にとってそれは魅力的な額である。住み込み働きの話がまとまり、ハワードは数日中に迎えに来ると約束して別れた。一度電報で予定の変更があったものの、ハワードの謝罪もあり、バッド家の信頼を損ねるものではなかった。

6月3日、バッド家に再訪した農場主は、エドワード青年を農場に連れて行く前に用事ができた、と夫人に語った。その日、“姪の誕生日パーティー”があると言い出し、なぜかそこに10歳の長女グレースをエスコートしたいと懇願した。夫人は急な申し出に懸念もあったが、今後の関係を思えばそれほど強く抵抗することも躊躇され、紳士に娘を預けた。その日、ドレスアップして出掛けた少女は二度と家に戻ることはなかった。

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nydailynews.com

翌朝、家族は彼女が帰らないことを警察に知らせ、その経緯を説明した。調べにより、「フランク・ハワード」という名前も、農場の仕事も、行き先であるパーティーの住所もすべて架空のものと分かった。

グレースは、茶褐色のボブヘア、碧眼、身長4feet(120センチメートル強)、体重60lbs(約27キログラム)。フェルトの帽子、グレイのコート、毛皮の襟巻にシルクのドレスと白いソックス、白い靴といういでたちだった。

少女の母親は何百枚にも及ぶ性犯罪加害者らの写真を確認したが、あの貧相な農場主、娘を攫った男は見つけられなかった。なぜ男は農場主を装ったのか、なぜ突然少女が標的にされたのか。やがて全米中の警察へ少女の写真付きの捜索願が出された。

2年後、66歳のアパート管理人チャールズ・エドワード・ポープが逮捕されるも、疎遠になった彼の妻がけしかけた冤罪だった。その後も少女は発見されることなく、犯人逮捕につながる証拠も得られなかった。

 

■逮捕

バッド夫人への手紙には犯人の名前こそ記されていなかったが、その封筒には「N.Y.P.C.B.A(ニューヨーク民間運転手福祉協会)」の代紋が付いていた。同協会に出入りする関係者すべてから手書きサンプルを集め照合を行う。その後、建物の清掃員が自宅に文房具を持ち帰っており、転居の際に下宿先に置き残していたとの証言から、マンハッタンイースト128th St.55の寄宿舎を訪ねる。しかし同室を利用していた老人ハミルトン・ハワード・アルバート・フィッシュは数日前に転居した後だった。

寄宿舎の女将は、彼は息子からの送金に頼って暮らしていたと警察に伝えた。キング刑事は郵便局に手紙の傍受を依頼し、息子からの老人への送金を絶った。

1934年12月13日、息子からの送付物が誤ってこちらに届いているとの知らせを受けたフィッシュは金を受け取りに元の下宿先を訪れ、待ち伏せていたキング刑事は男に任意同行を求めた。フィッシュはグレース・バッド殺害について否定せず、そもそもは兄エドワード殺害が目的だったと供述した。

フィッシュは呪縛から解かれたように「血への欲望」を洗いざらい話した。エドワード少年を迎えに行く前に空き家となった露店に解体道具を隠しておいたこと、エドワード少年からグレースへの心変わり、列車の片道チケットを少女に買い与えたこと、彼の欲望を満たすためにノコギリや肉切り包丁をどうやって調達していたか…その後、男の証言通り、唯一捨て置いた「頭部」の骨がウェストチェスターヒルズの廃屋から発見された。

 

フィッシュは1903年に窃盗で逮捕されて以来6度の犯歴があったが、いずれも保釈金で出獄し犯行を重ねていた。ときにベルヴー精神病院で鑑定を受けたこともあったが、「無害で、正気」との鑑定が下されていた。

犯行について、少女をレイプすることは「思い浮かばなかった」と話した。しかし後に彼は弁護士に対して、グレースの首を絞めている間に2度の不随意射精をしたと打ち明けた。裁判では、この情報が誘拐は性的動機によるものだと主張するために使われた。報道の際、カニバリズムの話題は慎重に斥けられたが、こども殺しの余罪が次々と明らかとなり、国民全体を恐怖させた。

 

ブギーマン

ブギーマン”とは世界各地に伝わる、主にこどもを狙う“人さらい”の民間伝承である。姿形や特徴もまちまちであり、沼や森といった危険な場所、あるいはタンスや物陰といった身近な場所に潜む精霊、海賊など人身売買がモデルとみられるケースなど様々なスタイルが存在する一種の怪異/妖怪的存在である。聞き分けの悪い子どもに対して「よいこにしないとブギーマンがさらいにくるよ!」といって大人が叱ったりする。

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1927年2月11日、ブルックリンのアパートで4歳のビリー・ガフニーは友人兄弟と一緒に遊んでいた。12歳の兄がアパート自室へ帰った後、ビリーと3歳の友人は姿を消した。

やがてアパート屋上で発見された3歳児は、ガフニーの行方について聞かれると「ブギーマンが連れて行った」と答えた。大人たちは少年の証言を採用せず、地道な捜索を続けたが発見には至らなかった。

その後、ポーランドアメリカ人の連続殺人犯ペーター・クジノフスキ(1903-1929)が、28年12月に逮捕され、関与の疑いがもたれたものの、決定的な証拠や自白もないまま、ほどなく死刑が執行された(彼も複数のこども殺しをしていた)。

 

事件から7年後、フィッシュ逮捕の報を新聞で知ったブルックリンのトロリー運転手ジョセフ・ミーハンはその貧相な顔に見覚えがあることを思い出した。ジョセフによれば老人は小さな男の子を連れてトロリーに乗降したと言い、男の子は上着も着ておらず、母親を求めて泣いているのを老人がなだめていたという。

幼い友人が語った「ブギーマンが連れて行った」のは妄言ではなく、実在していたのである。調べにより事件当時、フィッシュが現場から数マイルの場所で塗装工の仕事をしていたことが裏取りされた。

フィッシュは手紙で弁護士に、ガフニーの“その後”について明かした。

イカー・アベニューのゴミ捨て場へ連れて行った。そこからそう遠くない場所に、一軒の家が建っていた・・・。私はそこにG少年(ガフニーのこと)を連れて行った。裸にして手足を縛り、ゴミ捨て場で拾った汚い布切れで猿ぐつわを噛ませた。それから彼の服を燃やし、靴をゴミ箱に捨てた。

その後、歩いて戻り、午前2時にトロリーで59丁目まで行き、そこから歩いて家に帰った。次の日の午後2時頃、私は道具を、重たい“キャット・オ・ナインテイルズ(九尾の猫。先が枝分かれした短い鞭で懲罰具、拷問具に用いる)”を持って行った。自家製だ。柄が短い。私のベルトを半分に切り、その半分を長さ約8インチの6本に切った。脚から血が出るまで鞭を打ったよ。耳と鼻を切り落とし、口を耳から耳へと切り裂いて、目玉をえぐり出した。その時、彼は死んでいた。私はナイフを彼の腹に突き刺し、口を近づけて血を飲んだ。

私は古いジャガイモ袋を4つ拾い、石を山ほど集めた。そして彼を切り刻んだ。私は塊をつくった。鼻と耳と腹のスライスをまとめて一塊にした。それから体の真ん中を切った。ちょうどヘソの下あたりだ。そして、後ろから約2インチ下のところで足を切った。これを大量の紙と一緒にひとまとめにした。頭、足、腕、手、そして足は膝から下を切り落とした。これを石で重くした袋に入れ、両端を縛って、ノースビーチに向かう道沿いにある、ぬるぬるした水のプールに投げ込んだ。水深は3~4フィート。すぐに沈んでいった。

私は肉を家に持ち帰った。彼の体の前部が一番好きだった。彼のおちんちんとたまたま(His monkey and pee wees)、そしてプリッとしたお尻をオーブンで焼いて食べた。私は彼の耳、鼻、顔と腹の部分を使ってシチューを作った。タマネギ、ニンジン、カブ、セロリ、塩、コショウを入れた。美味しかったですよ。それから、彼のお尻の頬を裂き、おちんちんとたまたまを切り取って、まずそれを洗った。ベーコンをそれぞれの頬にのせ、オーブンに入れた。その後、玉ねぎを4個収穫し、肉が4分の1時間ほど焼かれたところで、グレイビーソース用の水を1パイントほど注ぎ、玉ねぎを入れました。間隔をおいて木のスプーンで肉の背中を焼いた。そうすると、肉はとてもジューシーになる。約2時間後、七面鳥はきれいな茶色になり、中まで火が通っていた。七面鳥のローストの味は、彼の甘くて太い小さな背中の味の半分もしなかった。私は4日ほどで肉を食べ尽くしてしまった。彼のおちんちんは木の実のように甘かったが、たまたまは噛むことができなかったのでトイレに捨てた。

ガフニーの母親はフィッシュに息子の死の真相を確認しようと面会を求めたが、フィッシュが泣き崩れてそれを拒んだため、希望はかなわなかった。

 

■灰色の男

1924年7月14日、9歳のフランシス・マクドネルの両親は少年の捜索願を出した。マクドネル少年はポートリッチモンド地区で兄や友人たちとキャッチボールをした後、行方が分からなくなった。捜索隊によって自宅近くの雑木林の中にぶら下げられた遺体となって発見される。

少年は自身の付けていたサスペンダーで首を絞められて殺害されていた。遺体には性的暴行を受けた痕跡があり、去勢されていた。また脚と腹部に広範な裂傷を負い、ハムストリングス(股関節から膝の間の筋肉)はほぼ完全に肉が剥ぎ取られていた。

マクドネル少年の友人は、灰色の口髭の老人に連れて行かれたと証言。近隣でも同様の男性が小道を通って森に入る姿が目撃されており、事件の3日前にも誘拐未遂が発生していた。

スタテン島の農場で一人で遊んでいた8歳の少女ベアトリスは「ルバーブ探しを手伝ってほしい」と男に声を掛けられる。男は謝礼として金を見せ、少女が農場から出ようとしていたところ、気付いた母親が男を追い払った。その後、農場の納屋をねぐらにしようとした男は、少女の父親に見つかって締め出されていた。

フランシス少年の母親アンナ・マクドネルは事件当日に犯人と思しき不審な男に出会っていたことに気が付いて驚愕した。アンナは記者に対し、「手を奇妙にグー・パーさせながら、通りを徘徊し、何かぶつぶつと独り言をつぶやいていた。彼は、太い灰色の髪に、垂れ下がった灰色の口髭だった。彼の周りのものすべてが色褪せて“灰色”に見えた」と男の印象を語った。犯人は「グレイマン」と呼ばれ、懸命の捜査が行われたものの、男の特定には至らなかった。

しかしフィッシュがグレース殺害容疑で逮捕されると、フィッシュこそが「グレイマン」だと同定する目撃者が相次ぎ、1935年3月にビリー・ガフニー殺害を認めた後で、再逮捕される。フィッシュは動機について、「神が男児の去勢と殺害を命じた」と証言した。

フィッシュが実際に殺人罪で起訴され、裁かれたのは上記3事件のみである。その他1926年から1932年にかけて、エマ・リチャードソンら5歳から17歳の5人の少年少女殺害についても疑惑が向けられたが立件には至らなかった。100人近く「全州のこども」を標的としたことを自負していたフィッシュだが、大言壮語だったのか、誰かが捏造した“伝説”か。あるいはその大半がストリートチルドレンや身寄りのない子どもなど捜索願すら出されない、事件化しないような相手を狙った犯行だったのかも定かではない。また殺害人数ではなく、虐待や切断の被害者数だとする説もある。

 

電気椅子のおかわり

弁護人ジェームズ・デンプシー、検察官エルバート.E.ギャラガーの前で何人もの精神科医が男の糞便愛好、小児性愛、窃視症、露出症、ウロフィリア(尿愛好)、マゾヒズムサディズム、吸血、カニバリズムなど幾多の性的フェティシズムに関する所見を述べた。

類を見ないほど多くの倒錯的性向、精神病質を備えたフィッシュだったが、多くの凶悪犯と違って謙虚で、多くの精神病患者と違って激しい情動もなく落ち着いて見えた。

ジェームズ弁護士は精神疾患により責任能力に問えないと訴えたが、鑑定医の意見は割れ、フレデリック・P・クローズ裁判長は責任能力ありと認定し、陪審団も有罪を支持。被告人は死刑判決を下された。

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「未だかつて経験したことのない最高のスリルになるでしょう!」

1936年1月16日、シンシン刑務所の電気椅子に座ることになった男は、スイッチを入れる直前に「なぜ私がここに居るのかさえ分からない」と述べた。

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裁判資料とされた骨盤のX線写真(撮影1935年頃)。

上の画像は、逮捕後に撮影されたX線検査の画像である。当初フィッシュは、40代後半に精神的不調をきたし、自傷行為から鼠径部や腹部(直腸と陰嚢)に自ら針を埋め込んだと供述していた。精神科医はその真偽を確認するため実際にX線検査を行い、実際に骨盤領域に少なくとも29本の針が突き刺さった状態だったことが明らかにされた。

この体内に残った多数の針が影響して、電気椅子がショートし、フィッシュは一度の通電では死ねなかったと言われている。無論、見る者に衝撃を与えたX線写真に着想を得たブラックジョークではあろうが、過去の積み重ねによって男はきしくも“最高のスリル”を二度味わった、という逸話である。

 

■半生

その複雑すぎる性向を抱えながらいかなる人生を過ごしてきたのか。簡単に振り返っておく。

 

アルバート・フィッシュは1870年5月、ワシントンDCでイギリス系の父ランドールとスコットランドアイルランド系の母エレンとの末子として生を受ける。

父親は母親より43歳年長の“年の差夫婦”で、フィッシュの出生時は75歳で(当時としては相当な)高齢だった。川船の船長や肥料メーカーとして働いていたが、80歳のとき心臓発作で亡くなり、母親は幻視・幻聴をもつ精神疾患があり4人兄弟を養えないため、幼くして孤児院へ入ることとなる。尚、親族には父方・母方とも生来の精神病質が多かったことが判っている。

セントジョンズ孤児院で9歳近くまで過ごしたフィッシュは、ハミルトンという名前から「ハム&エッグ」とあだ名され、それを嫌って亡き兄の名アルバートを名乗るようになった。施設では頻繁に虐待を受けた。しかし彼は虐待を受けないように生活や行動を矯正するでなく、肉体的な痛みに快楽を見出すようになったと言い、殴打や鞭打ちの罰を受けて勃起した。

1879年、母親が公職に就いたことでフィッシュは引き取られ一緒に暮らすようになった。82年頃、近所の少年と関係を持ち、糞食や飲尿を仕込まれた。裸の男児見たさに公衆浴場へ通うようになり、結婚相談所や求職広告から相手の住所を得て卑猥な手紙を送りつける習慣がついた(終生の趣味となった)。

 

1890年頃、20歳でニューヨーク市へ移ってから売春などをして過ごしたが、やがて塗装工を本職とするようになった。母親の薦めで9歳年下の女性と結婚し、6人のこどもを授かっている。

しかし結婚後もレイプや痴漢を辞めることはなく、主に6歳以下の男児を標的とした。恋人と蝋人形館に行った際、陰茎の二等分線に魅了され、以来性器切除に没頭する。1903年、重窃盗の罪で投獄される。

1910年頃、デラウェア州ウィルミントンに勤めていた際、19歳のケデンとSM関係を持つようになった。フィッシュによれば知的障害の疑いもあったとされるケデンは、農家の廃屋に連れて行かれ、2週間に渡って拷問が続けられ、最終的に局部の半分を切り取った。

「彼の悲鳴と、彼が私に向けた視線を決して忘れないだろう」

フィッシュは彼の一部を解体して持ち帰ろうとしたが、暑さによる腐敗臭での発覚を恐れて断念した。腐敗を抑えるために酸化物をかけ、ハンカチにワセリンを塗って傷口を包み、10ドル札を置いて別れのキスをした。列車で帰宅したフィッシュはその後の彼の消息は知らないと語った。

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1917年1月、フィッシュの妻は寄宿していた便利屋のジョンとほとんどの家財道具を持って駆け落ち。フィッシュは一人親を担うこととなる。

この頃から使途ヨハネなどの声が聞こえるようになり、絨毯で体を巻き付けるなどの奇行をとることがあった。下腹部への針刺しに耽っていた時期であり、釘の付いたパドルで打ったり、オイルに浸した羊毛を肛門に差して着火するといった自傷行為エスカレートさせていった。

虐待の自覚はなかったが、彼はこどもたちやその友達にも自虐的行為を試すよう勧めた。カニバリズムへの強迫観念から生肉食を家族に振舞うこともあった。

1919年頃、ワシントンDCのジョージタウンで知的障害のある少年を刺した。フィッシュは知的障害者かアフロアメリカンであれば殺されても惜しくないと主張していた。後の証言では、こどもたちに金を払って、犠牲者となるこどもを調達させたこともあったという。この時期の犯行について立件されてはいないが、すでに人知れず殺害や食人への欲求がエスカレートしていたとみられる。

 

■所感

幼少から思春期にかけての自我形成期において、ドラッグや犯罪への誘惑はその後の若者の人生を狂わせる。フィッシュの家系には精神疾患が多く、遺伝的な精神病質の素地はあったのであろう。児童期の孤児院におけるいじめ虐待といった待遇は彼の成長および性徴を歪めるには充分な環境要因であった。親許に戻っても一般的な家庭とはかけ離れた暮らしだったのであろう。思春期を迎えると、悪友に染められていく。異常性欲をそのまま肥大化させていき、サディズムマゾヒズムの捩じれによって自らを傷つけ、愛する者を傷つけ、見ず知らずのこどもたちへとその捌け口を求めた。

20世紀前半の精神医学でどんな治療がなされていたのか、どんな薬が存在したのか、そもそもフィッシュは治療を受けていたのか。現代であればここまで症状を鬱積させず被害を抑えられたようにも思う。

 

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

木下あいりさん殺害事件の加害者トレス・ヤギ受刑者は、逮捕直後から一貫して「悪魔が入ってきた」「悪魔の声に殺せと命じられた」と証言した。これは精神疾患による幻聴や「不合理極まりない責任転嫁」ではなく、受刑者の出身であるペルーでは悪行に手を染めた人間がよく使う慣用表現だとされる。「悪魔」的感情・意志(いわば「気の迷い」)に導かれて罪を犯してしまった、という自責と後悔の念が入り混じった表現といえる。

一方で、フィッシュの考えを支配したのは、「悪魔」ではなく使途ヨハネや「神」であった。崇高な、絶対的な存在であり、その導きに誤りはなく、そのお告げに従うことこそが正しさなのだ。フィッシュにかぎらず自虐行動、自傷行為に身を捧げる人びとは罪の意識を傷や流血として表現しており、キリストの受難や磔刑と重ね合わせて意識されていることもあるという。神意に沿って行動した自分がなぜ電気椅子に掛けられるのか分からないのも尤もな話である。

彼を支配するものが神ではなく悪魔であったなら、自らの悪行を悔い苦しむあまりどこかの時点で自ら命を絶ち、こどもたちの被害は広がらなかったのではないか。“集団ストーカー”や“恐るべき隣人”ではなく、神に魅入られたことにもその不幸を感じる。

筆者は医師でもなければフィッシュを見知っている訳でもないが、フィッシュはあらゆる性倒錯を同居させた異常性欲者で、見た目や物腰以上に著しい人格障害を抱えていた気がしてならない。人間は神ではない。法廷は彼の存在そのものをおそれていたのだ。

 

 

実在の事件を基にした映画26; Movies based on true crime stories

実在の事件をベースにした映画26作品について記す。

事件そのものを描いた作品のほか、事件や犯人からインスピレーションを得て生まれた作品、物語の本筋と直接関係しないものの時代背景の一部として登場するものも含まれる。事実がどのようなものかを調べてみるもよし、どういった脚色が施されていたのかを確認するもよし、いずれも事件マニアには一作で二度楽しめる作品となっている。

 

 

■『八つ墓村』(1951/77/96)

金田一耕助ファイル1 八つ墓村 (角川文庫)

八つ墓村

1938年岡山県で起こった津山30人殺し事件をモチーフのひとつに、横溝正史が雑誌『新青年』『宝石』に連載した金田一耕助シリーズの第4作目。映画は1951年東映による片岡千恵蔵版、77年松竹による渥美清版、96年豊川悦司版がある。

津山事件の都井睦雄は両親を相次いで肺結核で亡くし、祖母と姉に育てられたが自らも結核を患い徴兵検査で丙種(甲種とは違い前線に立てない)とされた。夜這いの相手女性や村人から疎まれるようになったことから、自宅や土地を担保に散弾銃などを買い揃え、学生服に軍用ゲートル、頭に懐中電灯を結わえ、日本刀や匕首(あいくち、短刀)を携えた鬼兵のごときいでたちで1時間半ほどの間に11軒を襲撃し、合わせて30名を殺害し自決した。

 

■『サイコ』(1960)

サイコ (字幕版)

1957年に逮捕されたエド・ゲインをモデルにし、その後のサスペンスホラー界に多大な影響を与えた名匠アルフレッド・ヒッチコック監督による金字塔的作品。

それまで風変わりだが真面目な雑役夫として働いていたエドだったが、1940年代に父、兄、母を立て続けに失って以来、精神に変調をきたしていたとみられている。57年に金物屋の店主バニス・ウォーデンが行方不明となり、その日の朝に記録された最後の伝票からエドが逮捕された。彼の小屋の中には、首を落とされ内臓と血抜きされた被害者が処理された鹿肉のようにぶら下げられていた。家宅捜索で、人の皮膚や骨からつくられたゴミ箱や仮面、ベルトや衣類、ランプシェイドや食器が発見され、エドは墓荒らしをして9つの遺体を掘り起こしたことを認めた。彼を周囲の人間から引き離し唯一の友人・恋人であった亡き母オーガスタへの懐古から中年女性が標的とされた。

 

■『冷血』(1967)

冷血 (新潮文庫)

冷血 (字幕版)

1959年カンザス州の農場で起きたクラッター家殺人事件を加害者を含む関係者への取材をもとに再構築したトルーマン・カポーティによるノンフィクションノベルをリチャードブルックス監督がフィルム・ノアールに仕立てた。

被害者一家4人は手足を拘束され、至近距離から散弾銃で射殺されており、そのうえ農場主は喉を切られるという冷酷極まりない殺戮が行われたことから、当初動機は怨恨と考えられた。しかし一家は勤勉誠実な人柄で周囲とのトラブルも聞かれず、金品の被害もほとんどなく、女性に強姦の被害もなく動機が絞り込めなかった。

 

■『エクソシスト』(1973)

エクソシスト(字幕版)

言わずと知れたウィリアム・フリードキン監督によるホラー映画の金字塔。原作はウィリアム・ピーター・ブラッティによるものだが、悪魔祓いのモチーフはカトリック教会のエクソシスムに由来する。ウィリアムは1949年にメリーランド州で起きた悪魔憑き事件の新聞記事から着想を得たとしている。

コッテージシティに住む13歳の少年は一人っ子で、叔母とウィジャボード(「こっくりさん」のような降霊術の一種)をしてよく遊んでいた。最愛の叔母が急死した前後から彼の身に異変が生じ始める。水滴やノック音が聞こえ、肖像画が揺れて見えるといったものから、次第に彼の人格も豹変し、説明のつかない体勢で暴れたり奇声を発したりするようになり、体に様々な文字が浮かび上がることもあった。神父が呼ばれ、2か月以上に渡って悪魔祓いの儀式を施し、轟音と共に少年に憑いた悪魔は去ったとされる。

 

■『愛のコリーダ』(1976)

愛のコリーダ

1936年東京都荒川区の待合(貸座敷)で起きた阿部定事件をモチーフにした大島渚監督作品。

愛人の紹介で、うなぎ料理屋の女中として働くようになった定は店主石田吉蔵とも愛人関係になり、やがて駆け落ちすることになる。投宿先で情事に没頭し、より性的快感を得るために定の腰紐で吉蔵の首を絞めるようになった。定が吉蔵の首の痛みを和らげようと薬局で買ったカルモチン(鎮痛剤)を飲ませると、「眠る間、もう一度締めてくれ。痛いから今度はやめてはいけない」と言い残して吉蔵は床に就いた。定はその言葉を真に受けて扼殺、形見に局部を切断して持ち去った。シーツと遺体に「定吉二人」と血文字で書かれ、左腕には「定」の字が刻まれていた。

 

■『復讐するは我にあり』(1979)

復讐するは我にあり(上) (講談社文庫)

復讐するは我にあり

1963年に起きた西口彰事件を題材にした佐木隆三の原作を今村昌平が映画化。タイトルは聖書からの引用で、いかなる罪も神のみぞ知るところであり、裁きを下すのは作者でも読者でもないことを意味する。

福岡県内で2件の殺人事件が発生し、目撃証言などから窃盗詐欺を繰り返していた西口が指名手配される。西口は連絡船で投身自殺を偽装するなど一計を案じつつ、関西・中部方面へ逃走。さらに静岡で旅館経営者親子、東京都で弁護士を殺めてバッチを奪い、関東各地や北海道で自ら弁護士を騙って金銭を詐取しながら逃走を続けた。64年1月、熊本県玉名市教戒師古川泰龍氏のもとを訪れ、冤罪事件解消の活動に賛同するふりをして知己を得んとするも、古川氏の11歳の娘が手配書の西口だと気づいて御用となった。娘の旧友と名前が似ていたことから強く印象に残っていたという。

 

■『悪魔の棲む家』(1979/2005)

悪魔の棲む家(1979)(字幕版)

1974年ニューヨーク州ロングアイランドのアミティヴィルにある大邸宅で起きたデフェオ一家惨殺事件を基にしたジェイ・アンソンのルポ風小説『アミティヴィルの恐怖』が原作。スチュアート・ローゼンバーグ監督によるホラー映画は「実話を基にした」と宣伝され人気を博した。数多くの続編、関連作が制作されているが、日本では2005年マイケル・ベイ監督によるリメイク版が公開された。

事件は一家の長男ロナルド・デフェオ・ジュニアが、両親と2人の妹、2人の弟をライフル銃で射殺したもの。裁判で「家が私に家族を殺すよう命じた」などと主張したが長男には終身刑が課され、2021年3月に死亡している。ジェイの小説では、惨殺事件後に引っ越してきたラッツ家(夫妻と3人のこども)に次々と怪奇現象が襲い掛かる。

 

■『TATOO〔刺青〕あり』(1982)

TATTOO<刺青>あり

1979年に起きた三菱銀行人質事件の犯人梅川昭美の半生をテーマにした高橋伴明監督作品。

多額の借金を抱えていた梅川(当時30)は大阪市住吉区にあった三菱銀行北畠支店(現三菱UFJ銀行北畠支店)に散弾銃を手に単身で強盗に押し入った。客と行員30人以上を人質にとって交渉を続け、支店長と行員、警官2名の計4人を殺害。事件発生から42時間後、大阪府警警備部第二機動隊・零中隊(現在のSAT)により梅川は射殺された。人質犯が射殺された国内最後の事件となっている。母子家庭の極貧生活で粗暴に育った梅川はかつて広島県大竹市で強盗殺人を犯していたが、15歳であったため中等少年院送致となり僅か1年半で仮出所。「前科」とならなかったため、後に猟銃所持の許可を得ていた。

 

■『コミック雑誌なんかいらない』(1986)

NIKKATSU COLLECTION コミック雑誌なんかいらない! [DVD]

1980年代のワイドショーに踊らされる人々を皮肉った実在の芸能リポーターをモチーフにした滝田洋二郎監督作品。85年前後に世間を賑わせた芸能ネタのほか、豊田商事事件、日航ジャンボ機墜落事故、山一抗争などが登場する。

 

■『顔』(2000)

あの頃映画 「顔」 [DVD]

1982年愛媛県で起きた松山ホステス殺害事件から時効直前まで15年間の逃亡生活を続けた福田和子から着想を得てつくられた阪本順治監督作品。

福田和子は元同僚ホステスを殺害して家財道具を奪った強盗殺人そのものよりも、偽名と整形を繰り返しての和菓子店主との内縁関係やホステス、愛人などをしながら日本各地を転々と逃走し時効直前での逮捕劇で広く知られる。強殺を共謀した男は出頭を薦めたが、和子は10代で収監されていた折、松山刑務所事件(松山抗争で大量に逮捕された暴力団員による看守買収事件。組員らは飲酒・喫煙・賭博・拘置所内の移動が可能となり、無法地帯と化した)でレイプ被害に遭っており、刑務所にトラウマを持っていたため逃亡を止めなかった。

 

■『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002)

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(吹替版)

1980年に発表されたフランク・W・アバグネイルの半自伝『世界をだました男』を基にしたスティーブン・スピルバーグ監督作品。

経歴詐称によりパイロット、教員助手、医師、弁護士になりすまし天才詐欺師と謳われたフランクの逃走とFBI捜査官カールの追跡劇を痛快に描いた物語。フランク自身は出所後に自身の詐欺経験をもとに企業向けセキュリティコンサルタントとなったが、カールのような警部は実在しない創作上の人物であり、フランクいわく「(共著者は)物語を書いたのであって、私の伝記を書いたのではない」と内容に大きな脚色があるとしている。

 

■『殺人の追憶』(2003)

殺人の追憶(字幕版)

1986~91年にかけて韓国・華城(ファソン)地域で起きた10件の連続強姦殺人を基にした劇作家キム・ヴァンリムによる戯曲『私に会いに来て』を原作としたポン・ジュノ監督作品。

10~70代女性を狙った犯行からしばらく連続事件として着目されず、目撃証言なども「どこにでもいそうな男」が犯人とされて捜査が行き詰まり、長らく韓国最大の未解決事件とされていた。しかし2019年に最新のDNA鑑定技術により、別の強姦殺人で収監されていたイ・チュンジェ無期懲役囚の型と一致(2006年に全ての時効が成立していた)。新鑑定とイの自白まで、ユン・ソンヨさんが一部事件の冤罪を被りおよそ20年もの投獄を強いられていた。

 

■『モンスター』(2003)

モンスター プレミアム・エディション [DVD]

1989~90年に6件の連続殺人を起こしたアイリーン・ウォーノスをモデルとしたパティ・ジェンキンス監督作品。

凄惨な生い立ちから若くして娼婦に身をやつしていたアイリーンは30歳の頃、ティリア・ムーアと出会い共に過ごすパートナーとなった。2人は売春と窃盗で生計を立てていたが、気性の荒さや年齢によって困窮する日々を送ることとなり、フロリダで客の男たちを次々に殺害。2人が事故を起こして被害者から奪った盗難車を乗り捨てたことから逮捕された。当初アイリーンはレイプに対する正当防衛を主張したが、ティリアは司法取引に応じてアイリーンによる殺害を供述。パートナーに裏切られたアイリーンは容疑を認め、5つの死刑判決を受けた。

 

■『誰も知らない』(2004)

誰も知らない

1988年7月、豊島区西巣鴨で発覚した巣鴨こども置き去り事件をモチーフとした是枝裕和監督作品。

母親は売春などをしながらこども4人で暮らしていたが、87年に母親の交際相手ができ、千葉県浦安市で同棲を始める。巣鴨のマンションに残された14歳の兄は母親が時折送金してくる数万円を頼りに7歳長女、3歳次女、2歳三女を世話することとなるが、慢性的な栄養失調状態に。88年4月、長男らに暴行を受けた三女が死亡。7月に「親が帰ってこず、部屋が不良のたまり場にされている」という大家からの通報で事件が表面化。生後間もなく死亡し白骨化した二男も発見された。無戸籍問題、ネグレクト問題の先例として知られている。

 

■『ゾディアック』(2007)

ゾディアック(字幕版)

1968~74年にかけてカルフォルニア州サンフランシスコ市内で少なくとも5人が殺害されたゾディアック事件を描いたロバート・グレイスミス原作のノンフィクション小説を基にしたデビッド・フィンチャー監督作品。

若いカップルを銃撃する事件が立て続けに起こり、男性からの電話や暗号文が送りつけられるなどした劇場型犯罪である。弁護士を指名し、テレビへの電話出演を布告していたが、なぜか連絡はなかった。74年、サンフランシスコ市警に「今まで37人を殺害した」として大きく報道することを要求する手紙が届くも、以来連絡は途絶えた。2020年、それまで解読できなかった「340字暗号文」の解読に成功するが、逮捕の手掛かりにはならないと見られている。

 

■『冷たい熱帯魚』(2010・日本)

冷たい熱帯魚

1993年埼玉県熊谷市で起こった埼玉愛犬家連続殺人事件を題材にした園子温監督作品。

ペットショップ「アフリカケンネル」を経営していた夫婦が詐欺まがいの繁殖ビジネスを持ちかけて客とトラブルを起こし、獣医師から得た犬の殺処分薬・硝酸ストリキニーネを用いて4人を殺害。遺体は細かく裁断され、骨は灰になるまで焼却、肉は渓流に流すなどして隠滅され、主犯関根はその犯行を「ボディーを透明にする」と形容した。

 

■『先生を流産させる会』(2011・日本)

先生を流産させる会

2009年愛知県半田市の成岩(ならわ)中学校で発覚した事件を題材にした内藤瑛亮監督作品。

映画では5人の女子生徒が妊娠中の担任教諭に反感を募らせて犯行を画策する内容だが、実際の事件では男子生徒5人が呼びかけ、あわせて11名が加入していた。きっかけは部活での注意、席替えで障がいのある児童や不登校生徒に配慮すること対する反感とされる。糊やチョークを混ぜて作った擬似精液を車にかける、ミョウバンを給食に混入、椅子のネジを緩めるといった「いたずら」では済まされないものも含まれていた。給食に薬品を混入している様子を見掛けた女子生徒らが別の教諭に相談して発覚。男子生徒11人は教諭に謝罪した。「ゲーム的な感覚や友人との付き合いでしたことで、流産させようと本気に画策したわけではないと思う。命の教育を浸透させ、今後二度と起こさないようにしたい」と会見した校長の言葉にも非難が相次いだ。

 

■『恋の罪』(2011・日本)

恋の罪

1997年渋谷区円山町で起こった東電OL殺人事件を題材にした園子温監督作品。

慶大卒、東電初の女性総合職採用とエリートコースを歩んでいるかのように見えた被害女性だったが、退社後に連日売春に耽る二重生活を送っていたことで話題となった。男性中心の職場でストレスを抱え込み自律心を崩していたと考えられ、拒食症に陥っていたとの指摘もある。当時の女性たちの中には被害者に憐みだけでなく共感を寄せる声もあった。

 

■『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』(2013・日本)

I am ICHIHASHI 逮捕されるまで

2007年千葉県市川市で起きた英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の犯人市橋達也による逃亡手記を基にディーン・フジオカが監督・主演した作品。

行方が分からなくなったリンゼイさんの部屋で市橋の連絡先が発見され、署員が市橋のマンションを訪れたが、非常階段からの逃走を許してしまう失態を犯して公開指名手配に。喫茶店で個人レッスンを受ける間柄だった市橋は「レッスン代金を忘れた」と言って部屋へ連れ込み暴行後に殺害。浴槽をベランダに運び、遺体と土、脱臭剤を入れ、苗木を準備していた。自らハサミで顔相を変える手術を行い、北関東を放浪して、新潟、青森、大阪を経て、四国をお遍路で巡り、逮捕を免れるため図書館で無人島について調べた。沖縄県オーハ島での自給自足サバイバルと大阪での肉体労働を繰り返し、金をつくって美容整形も受けていた。

 

■『凶悪』(2013・日本)
凶悪―ある死刑囚の告発―(新潮文庫)

凶悪

1999年から2000年にかけて発生した茨城上申書殺人事件を題材にした白石和彌監督作品。

すでに監禁、殺人等の罪により死刑濃厚となっていた後藤は、伝手を辿って『新潮45』の記者に他の3つの殺人事件への関与を告発。死刑を先延ばしするための告発とも受け取れたが、記者が調査を進めると後藤がかつて慕った「先生」による遺産や保険金を狙った連続殺人であることが裏付けられていく。後藤の義理と記者の執念が埋もれかけていた完全犯罪を掘り起こした。

 

■『チャイルド44 森に消えた子供たち』(2015)

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

チャイルド44 森に消えた子供たち(吹替版)

ソ連ウクライナの殺人鬼アンドレイ・チカチーロをモデルとしたトム・ロブ・スミスによる原作小説を基にしたダニエル・エスピノーサ監督作品。

ソ連によるウクライナ人に対するジェノサイドとされるホロモドール下で育ったチカチーロは小学校教師となり少年少女へのわいせつ行為を繰り返した。思春期から勃起不全に悩まされていたが、1978年に9歳の少女を滅多刺しにしたところオーガズムを得、以後50人以上を殺害したとされる。「連続殺人は資本主義の弊害によるものであり、わが国ではこの種の犯罪は存在しない」とする全体主義的思想信念から適切な捜査が為されずいたずらに犠牲者を増やす結果となった。

 

■『IT/イット それが見えたら終わり』(2017)

IT(1) (文春文庫)

IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。(吹替版)

スティーブン・キング原作の1986年の小説『IT』はノルウェー民話「三匹のヤギのがらがらどん」に登場するトロールを基にしてつくられた作品だが、“殺人ピエロ”と呼ばれたシリアルキラー、ジョン・ゲイシーの存在とも無縁ではあるまい。アンディ・ムシエッティ監督は製作費3500万ドルから全世界で7億ドル超というホラー映画史上最高の興行収入を達成した。

ジョンは建築ビジネスを興して社会的信用を得ると、休日には“ポゴ”という名の道化師に扮して福祉施設などを訪問し、民主党員としても積極的に活動に参加した。その一方で青少年に「ポルノを見ないか」と自宅地下室に誘い込み強姦して殺害する二重生活を続け、自宅床下に9~20歳の青少年合わせて29人の遺体を埋めていたほか近くの川にも4体遺棄していた。78年の逮捕後の精神鑑定で多重人格症を主張したが認められず、冤罪や死刑制度の違憲性を訴えて上告を続けた。

 

■『サニー/32』(2018・日本)

サニー/32

2004年長崎県佐世保市で起こった佐世保小6同級生殺害事件、通称「ネバダたん事件」に着想を得て作られた白石和彌監督作品。映画は、かつてネット上で「史上最も可愛い殺人鬼」と目された少女の「その後」を描いている。

大久保小学校6年生の女子生徒がカッターナイフで同級生を切りつけて殺害。加害生徒は小説『バトルロワイヤル』や『ボイス』などホラー、バイオレンス小説に親しんでおり、被害生徒らとネットや交換ノートで同人活動を行っていた。元々はおとなしい性格だったが5年生の終わりに受験勉強のためミニバスケを辞めて以降逆上したり暴行するようになるなどトラブルが増え、精神的に不安定になっていたとされる。加害生徒の画像がネット上で出回り、「NEVADA」のロゴ入りパーカーを着ていたことから一部から「ネバダたん」と呼ばれアイドル視された。

 

■『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)

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1969年に起きたカルト集団マンソン・ファミリーによる女優シャロン・テート殺害事件をモチーフに、当時のカウンターカルチャーやハリウッド映画界を描いたクエンティン・タランティーノ監督作品。

ヒッピー文化が全盛を迎えたサンフランシスコを訪れたチャールズ・マンソンは、ラブアンドピースを唱える若者たちがセックスとドラッグに狂乱する姿を見て驚愕した。家出少女や若者たちに囲って共同生活を始め、窃盗やドラッグ売買で生計を立てさせた。68年に仲間を増やしてハリウッドへ移住。ビーチボーイズのデニス・ウィルソンの知己を得てレコードデビューを夢見たが反故にされ、牧場に移り住んでコミューン化し“ヘルタースケルター”と呼ぶ最終戦争へ向けた過激思想へと傾倒していった。

 

■『MOTHER マザー』(2020)

MOTHER マザー

2014年埼玉県川口市で起きた老夫婦殺害の犯人は孫である17歳の少年だった。異性交遊に夢中になって家を空けがちな母親は『誰も知らない』のバックグラウンドと通じるものがある。金の無心を繰り返して身内から絶縁され、ホームレス同然の時期もあった。生活保護を受けフリースクール通学をした時期もあったが長くは続かず、少年は塗装工として働き始めるも給料の前借りだけでは足りずカーナビ窃盗までしてパチンコでの浪費を辞められない母親に金を工面していた。母親は「殺しでもすれば手に入るよね」と長男に犯行をけしかけ、少年は祖父母のいのちと8万円の現金とキャッシュカード、カメラを奪い、母親と幼い妹の待つ公園へと戻り、3人はカラオケ店へ向かった。

母子の歪んだ関係性(映画では“共依存”という語を用いていたが、一般的な母子・親子関係は“共依存”には当てはまらないのだろうか)を繊細に描いた大森立嗣監督作品。

 

■『罪の声』(2020)

罪の声 (講談社文庫)

罪の声

1984・85年に複数の食品会社を標的として起きたグリコ・森永事件を基にした塩田武士の原作小説をTBSのエースディレクター土井裕泰(のぶひろ)監督が映画化。架空の犯人像が描かれるものの、「そうであってもおかしくない」肉薄した内容になっている。

事件は“かい人21面相”を名乗る犯人が江崎グリコ社長を誘拐した事件を皮切りに、丸大、森永、ハウス、不二家駿河屋など食品大手を次々と脅迫。本社への放火のほか、被害者こそなかったものの青酸ソーダ(シアン化ナトリウム)入り菓子がばら撒かれるなど日本中を不安に陥れた。脅迫状は警察に挑戦的な内容で関西訛りのくだけた話し言葉を用いた一方で、アマチュア無線家によって偶然犯行グループらしき通信が傍受されるなど計画の緻密さも持ち合わせていた。2000年全ての時効が成立したが、今もなお犯人グループ像について様々な推理が行われている。犯人のひとりとみられる“キツネ目の男”はあまりにも有名。

 

 

(気が向いたらつづく)

 

 

 

 

青森県八戸母子3人殺害放火事件

2008年、青森県で起きた母子3人が犠牲となった殺人放火事件について記す。

当時18歳の長男が親弟妹を標的にした家庭内殺人であり、当初「小説に書いたことを実現したかった」とする供述をしたことで注目を集めた。彼が過ごした「家庭」とはどんな場所だったのか、彼の記した「小説」とは何だったのか。

 

■概要

2008年1月9日22時40分頃、青森県八戸市根城(ねじょう)西ノ沢にある木造2階建てアパートで火災が発生した。火元となったEさん方は玄関には鍵が掛けられていた。火は40分ほどで消し止められたものの風呂場を中心におよそ36平方メートルが燃え、消火後の室内から3人の遺体が発見される。

居間の布団の上に「川の字」に並べられた遺体に火は回っておらず、住人である母(43)、二男(15)、長女(13)であることが判明。3人は普段着姿で、台所には洗っていない食器が残されていたことなどから夕食後に死亡したものとみられた。遺体には刃物による明らかな殺害の痕跡があったことから、八戸署は殺人事件として捜査本部を設置し、行方が分からなくなっていた同居の長男(18)の捜索を直ちに開始した。

火災からおよそ7時間半後の10日6時頃、長男はアパートから西へ約2.5キロ離れた八戸駅前で徘徊しているところを発見される。警官に「近づくな」と言ってサバイバルナイフを振り回すなどして抵抗したため銃刀法違反の現行犯逮捕となった。母親と弟妹の殺害および放火についても容疑を認めたため、20日、殺人、死体損壊、現住建造物放火等の容疑で再逮捕された。

 

■遺体

3人の死因はいずれも頸動脈を切られたことによる失血死でほぼ即死、正面から首を横一文字に振り抜いたものが致命傷とされた。いずれも煙を吸った形跡はなく、殺害直後に放火されたものとみられた。

母親が飲んでいたとみられるビールの飲み残しからは睡眠薬の成分が検出された。また母の腹部は十文字に切り裂かれており、内臓が一部はみ出た状態で、中にオルゴール式の人形が詰められていた。母と二男の「腕の内側」には死後につけられたとみられる複数の傷が確認された。

 

■殺人小説

一家は事件の5年ほど前に現場アパートに越してきた。母親は定職についておらず稀に朝市の手伝いに出ていたが生活保護で暮らしていた。母親はよく朝から酔っ払っている姿が見られており、長男は引きこもりだった。弟妹は母と仲が良かったが、長男は「母の酔っ払った姿を見るのがすごく嫌だ」と周囲に語っており家庭内暴力に及ぶこともあった。

駅で逮捕された長男は現金数万円のほか、8本のナイフとアニメイラストを所持していた。ナイフ7本は刃渡り10センチ前後の折り畳み式ナイフだったが、犯行に使われたサバイバルナイフは大型で全長48.5センチ、刃渡り約25センチのものだった。2007年10月に県内の専門店で購入したもので、強い殺意と計画性を窺わせた。

逮捕直後、長男は犯行については認めたものの動機については明確にせず、「パソコンを見てくれ」と供述。2007年10月頃、近所の喫茶店の女性経営者(54)に「小説を書き始めた」と話しており、焼け跡に残されていたデスクトップパソコン内には、首を切って人を殺したり、遺体を傷つけたりする内容の文章も発見され、本事件と共通する描写が複数確認された。

当初、新聞記事などでは「小説に書いたことを実現したかった」との供述があったと報じられた。しかしその後、長男は文章を見られたことを恥じるようになり「あれを見ても分かりません」と供述を二転三転させた。

離婚して別居していた父親も長男から小説の執筆については聞かされていた。主人公7人がそれぞれ事件を起こしてから出会い、一緒に破滅に向かっていくというあらすじだったとされる。父親が「赤川次郎みたいな明るい話にしろよ」と言うと、長男は「読んだことがないからわからない」と答えたという。

 

母の首の傷が極めて深かったことに関して、長男は「切断しようとしたが切れなかった」と言い、腹部に異物を詰めたことについて「理由はない」と供述した。2007年10月6日には酩酊状態の母親が「長男の態度を注意したら殴られた。長男が精神的に不安定なので入院させたい」として未明に八戸署まで相談に訪れていた。署員が保健所への相談を勧めたが母親は相談にはいかなかった。

放火については、浴室にマンガなどを持ち込んで灯油をかけてライターで点火したと供述。放火の動機を「小説が犯行の動機だと思われるのが嫌だったから」と証言している(自筆の小説のことか燃やした本の中に似た内容があったのかは不明)。自作の小説にも家族殺しのシーンが含まれていたが、「小説とは関係ない。模倣はしない」と話した。

県警は焼け跡から「人気パソコンゲームを漫画化したミステリー作品」など数種類を押収し、動機解明につながるものか慎重に確認を行った。マンガの中には次々に人を殺していく猟奇的なストーリーのものや、刃物で首を切ったりモデルガンで背中を撃つシーンなど暴力的描写も見られた。殺害された二男の友人によれば、二男は小学生のとき「兄にエアガンで背中を撃たれた」と話していたことが分かった。

2007年9月、京都府京田辺市で16歳の少女が父親を手斧で殺害する事件が発生した際には、事件を連想させかねない内容として「社会的影響に配慮した」結果、アニメ『School Days』『ひぐらしのなく頃に解』が各局で放映見送りや打ち切りとなった。

とりわけ東京埼玉連続幼女誘拐殺(1988-89年)以降、しばしば若年凶悪犯罪と暴力描写のあるマンガやアニメ、ゲームなどを関連付けて語る風潮は強くなっていた。長男は暴力的、猟奇的な内容の作品の愛好があったことから、「マンガやアニメの影響で-」と一括りに論じられ規制を求められる風潮に対して反発したかったのかもしれない。

 

■メディアの影響

京田辺市での斧事件の影響で放送が見送られた『ひぐらしのなく頃に』原作者の竜騎士07(ゼロナナ)氏は自身の制作会社7th Expansionホームページ上の「制作日記」において、2007年9月、ファンへのメッセージと作品についての見解を投稿した。

ひぐらし』の世界では、ひとりで膝を抱えて至った短絡的な発想でハッピーエンドになれることは絶対にありません。それこそが、「短絡的な犯行」に対する明白な否定であるつもりでいます。

暴力や猟奇殺人を描いた作品はゲームやアニメに限らず無数に存在するが、言うまでもなく殺人を誘発させようとしたり、問題解決の手段として暴力を肯定する目的で世に出た訳ではない。竜騎士07氏は物語のテーマを下のように表明し、メディアでの報じられ方や風評による“誤解”を解こうとした。

・ひとりで悩みこんで殺人しかないと考え至るのは、惨劇(バッドエンド)の近道である。

そして、それを打ち破るもっともシンプルな最初の方法として物語が提示したのが、

・ひとりで悩んだら、身近な人(友人・家族)に相談しよう!

ということです。

アニメやゲームが少年たちに「無関係」としたり、「何も影響を与えなかった」というのは語弊がある。受け手になにがしかの影響を与えること、『ひぐらし』であれば「独りよがりになるな、周囲の人を頼ろう」というメッセージを理解してもらうことが作品のもつ意義である。作品で描かれる手法を真似て実際に犯行に移すことは読み手のリテラシー不足や配慮の欠落であり、少年たちはまさしく「短絡的」な思考に陥っていたとしか思えない。

 

アニメやマンガ、ゲームが直ちに青少年の発育上問題がある訳ではない。たとえばそれ以前は小説もそうしたバッシングに晒されてきたし、国外ではヘヴィメタルロック等の音楽との関連を指摘する声も多かった。

1965(昭和40)年10月24日、大阪府吹田市で14歳の男子中学生が近所の主婦(40)を殺害した事件では、推理小説からヒントを得て「完全犯罪の計画書」なるメモを作成して実行に及んでいた。乱暴や殺害方法、死体の切断とコンクリート詰めにして川に遺棄するといったことまで30項目にわたって書かれていた。加害少年は異性に対する興味に悩んでいたと言い、主婦を自室に招こうとしたが拒否されたため犯行に及んだとしている。遺体を全裸にし弄んだ後、自室の押し入れに保管していたが翌日発覚した。

1979(昭和54)年に発生した早稲田大学高等学院生殺人事件は、事件直前に完結した筒井康隆の小説『大いなる助走』(※)の影響下にあったとされ、事件後に著者も『現代思想』昭和54年10月号などで「文学は社会にとっての毒である」としてその影響を認める発言をしている。1月14日正午ごろ、高校1年生の少年が自宅で金づち、ナイフ、錐などを使って祖母を殺害して逃走し、2キロ離れたビルの14階から飛び降りて自殺。部屋からは各新聞社に宛てた大学ノート40ページ(400字詰め原稿用紙90枚以上)に及ぶ長大な遺書と犯行のシナリオが発見された。

少年は祖父母、母親、妹の4人家族。祖父、離婚した父親は共に大学教授で師弟関係にあった。脚本家である母親は自分のやりたいことをするようにという教育方針だったが、祖母や周囲の期待は彼にエリートであり続けることを強いたとする。一方で彼自身は中学2年ごろから成績が降下し、「東大進学コース」から外れてしまったことからエリートであるべき自己イメージとそうでない自身に対する葛藤があったと考えられている。

いずれの事件にしても毒とするか薬とするかは少年次第といえ、彼らが傾倒した作品がいかなる内容であろうともその責任は本人に帰せられるべきである。戦争や人々の罪を聖書やコーランに帰せられるかといえばそうではあるまい。殺人犯にいくつかのインスピレーションや猟奇的発想の“種”を与えうるものではあるが、実際に彼らを行動に走らせるのは貧困や病苦、家族や周囲との軋轢、権力への反発といった現実での不満である。“あの事件”を思い起こさせるから「T社の自動車は生産を中止しろ」という人間はいるだろうか?事件より先に作品や文化に対する不理解、批判、糾弾が前提にあり、そうした関連付けが恣意的に行われる。

(※『大いなる助走』のあらすじは、有名文学賞直木賞がモチーフ)にノミネートされた同人作家が、受賞のためにすべてを捧げて選考委員たちを接待し、いよいよ受賞を確実視されたが、選考委員らに裏切られてしまい、彼らを殺害することを決意するという当時の文壇や業界に対する風刺的な内容である。)

 

放火という犯行について、文学的ロマン趣味からすべてが火に包まれて跡形もなくなればよいという刹那的な衝動に走ったのかも分からないが、2006年6月に起きた奈良エリート少年放火殺人事件などの影響もあったかもしれない。長男は小説執筆の参考になる雑誌を読んでいたとされ、写真週刊誌などで同時代の事件を調べていたものとみられる。同年代のアスリートやアイドルに興味が湧くように、同年代の殺人者やその犯行に惹きつけられてもおかしくはない。

奈良の事件では、名門校に通う16歳の少年が父親不在の晩に自宅に火を放ち、継母・腹違いの弟妹の3人を焼死させた。背景には、父親によるDVが元で、少年が小学1年のとき実母が実妹を連れて別居・離婚に至った過去があり、父親の元で育った少年は母妹と連絡を取ることは禁じられ、父の思い通り医師になることを強要され、成績が期待に沿わなければ精神的・身体的虐待を受けていたことがあった。少年は3人に対する明確な殺意はなかったとし、自分の生活環境すべてを破壊してこの状況から抜け出したいという思いで火を点けたと供述。06年10月、精神鑑定により虐待の影響とみられる後天性の広汎性発達障害と診断され、刑事処分より保護処分が適当とされ中等少年院に送致された。

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■切開

本件についてジャーナリスト大谷昭宏氏は「凶悪犯罪というより異常犯罪。凶器を多数用意し、この凶器がだめなら次がある、といったサバイバルゲーム感覚の異常さを感じる」とコメントを寄せ、長男の人格障害の兆候を指摘した。

腹部の切開については、『School Days』というアニメ(2007年7-9月放映)との関連が取り沙汰されている。Overflow(0verflow)より2005年に発表された同名アダルトゲームを原作とし、主人公の男子高生をめぐってメインヒロイン“言葉”と“世界”の2人が奪い合う三角関係が話の軸として描かれる。アニメ最終話では、妊娠したという恋敵を惨殺し、腹を裂いて「やっぱり嘘だったんじゃないですか、中に誰もいませんよ」というシーンが知られている。

また1998年公開の映画『踊る大捜査線THE MOVIE』に登場した猟奇犯も腹部にぬいぐるみを詰める犯行を行っている。舞台となる湾岸署に隣接する河川で死体が発見され、解剖により胃袋の中から小さな白熊のぬいぐるみが発見される。その後、署を訪れた犯人は不敵な笑みを浮かべ、「あの男も“死にたい”ッて言ったから手術してやった。“最後に何か食いたい”ッて言ったからサ」とその理由を述べる。警察の捜査をあざ笑うかのような純粋な狂気を表す存在として描かれている。

現実に起きた猟奇犯罪でいえば、1988年3月に名古屋市で起きた妊婦殺害事件が想起される。自宅アパートで臨月の主婦が腹を裂かれ、中から胎児が取り出され、代わりに電話の受話器とネズミのキーホルダーが入れられていたのを帰宅した夫が発見した事件である。この事件も主婦を殺害した上で、なぜ腹に「受話器」「ネズミのマスコットキーホルダー」を詰めたのか大きな疑問となった。すでにコールドケースであり、犯人の真意を知ることはできないが、たとえば受話器を「男性器」の象徴と捉える説や、受話器につながった「電話コード」を「へその緒」に見立てたとする説、ネズミのマスコットを「赤ん坊」に擬えたとする説などがある。

女性の腹部はたとえ妊婦でなくとも「命の宿る場所」としての象徴的な意味を持ち、長男にとってみれば自らの出自に直結する。オルゴール付きの人形は、彼の持ち物だったのか、計画の一部として新たに手に入れたものだったのか。証言通り、何の考えもなしに既知の猟奇じみた手口に擬えただけ、自分が愛した猟奇犯に近づけたことへの自己陶酔があったかもしれない。

人形についての詳しい供述がないためその計画性や真意は計りかねる。だが発想の飛躍が許されるのであれば、母親とつながっていた頃の仲たがいのなかった「過去の自分(赤ん坊)」に対する憧れ、あるいは「理想の自分」への生まれ変わりを表象しているようにも思える。

 

■問題家族

長男は父が37歳のときに授かった子で、甘やかすことはなかったが「欲しくてできた子だったからかわいがった」という。父親は民族派団体の構成員として八戸支部長を務めた人物で、長男が生まれてから3度逮捕されている。長男が幼いときは家に友達を連れてくることもあった。しかし小学2年の頃、父親が恐喝未遂で逮捕。周囲の友人は離れ、孤立を深めた。母親はスナック勤めで家計を支えようとしたが子育てとの両立は難しく、きょうだい3人は養護施設に預けられた。施設で少年はいじめに遭っていた。

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父親は母親に、離婚して生活保護を受けてこどもたちと暮らすように説得した。母親は離婚を受け入れたものの、別の男性と交際するようになり、子どもたちを引き取らなかった。3年後には父親が出所し、実家で5人暮らしが再開されるも3か月でまた逮捕されてしまう。現場アパートで暮らし始めた母親は酒に溺れ、男を連れ込むようになる。

どの時点かは定かではないが、二男が小学生の頃、長男からエアガンで撃たれるだけでなく、ナイフを突きつけられることもあった。弟が幼かった時分には長男の暴力衝動の捌け口にされていたと見ることもできる。

2004年7月、長男は自宅に立て籠もって放火未遂騒ぎを起こして警察も出動し、05年1月まで精神科の病院に入院措置を取った。回復して退院したものの、中学の後半を不登校になったまま卒業した。

2005年夏、服役を終えた父親は祭りの露天商を始め、長男は父親のアパートに転がり込んで店の仕事を手伝うようになった。この時期、長男は「父親好きだから」精神的に安定していたと母親は周囲に話していた。親子ともに額に汗しながら商売の苦楽を経験し、父親も少年の成長と情緒不安定から立ち直りつつあることを感じていたが、またしても恐喝未遂容疑で逮捕されてしまう。

長男は母親の元に戻ることになるが、母親と連日のように諍いとなり家庭内暴力を振るうようになった。母親の交際相手と親しくする長女に対する疎ましさ、二男の成長に対する苛立ち、愛情への飢えもさることながらさまざまな葛藤が彼の中で積み重なっていたとみられる。

逮捕後、インタビューに応えた父親は「3度も逮捕されて親子の「空白」をつくってしまった。小さい娘まで殺されて悔しいけれど、息子への憎しみの気持ちはどうしても出てこない。あいつも「被害者」だから」と複雑な胸中を明かした。長男は「小説家」になることを夢見る一方で、もう一度父親と一緒に働く生活も望んでいたとも報じられている。

 

少年法の現状

本事件も少年犯罪として犯行の業態だけでなく加害少年の取扱いや量刑に注目が集まった。本チャプターでは過渡期にある少年法の現状を簡単にまとめておく。

少年法はその名の通り少年を保護するための法律であり、20歳未満を一律「少年」として扱っている。従来は16歳未満を刑事事件として扱うことはできなかった(少年法 | e-Gov法令検索)が、1997年の神戸連続児童殺傷事件、2000年の西鉄バスジャック事件等を受け、2001年に刑事処分可能年齢(刑事責任年齢の制限)を14歳に引き下げる改正が行われた。しかし16~19歳であれば原則逆送となる重犯罪であっても、14~15歳では改正後の15年間で17人しか適用されなかった(殺人27人中2人、傷害致死97件中5人、強盗致死16人中0人など)(2017年5月28日、産経)。

また社会全般の成年年齢の見直しが進み、2007年に憲法改正国民投票では満18歳以上の投票権が認められ、2015年には公職選挙法の選挙権が18歳以上に引き下げられ、2018年には民法改正で成年年齢が18歳に引き下げられることが決定している(施行は2022年4月)。そうした流れを受けて、少年犯罪への厳罰化を求める声も高まっており、少年法は長らく批判の矢面に立たされてきた。

2021年5月、18・19歳を「特定少年」として逆送の対象犯罪を拡大する改正少年法が可決され、22年4月の施行が予定されている。刑罰主義的な立場と少年の社会復帰を重視する立場との折衷案ともいえるかたちである。これまで逆走の対象は、原則的に16歳以上で故意に死亡させた事件のみだったが、「特定少年」については罰則が1年以上の懲役・禁錮にあたる罪(強盗や強制性交など)も含まれることとなる。また本名や顔写真の公開といった報道規制についても成年相当と見なされる。

 

■精神鑑定と逆送

逮捕された少年は青森地検へ送検後、2008年2月に市内の医療施設で2カ月半に及ぶ精神鑑定を経て、人格障害が認められたものの「責任能力に問題はない」とされ、刑事処分が相当として家裁送致。弁護側はこれを不服として都内で鑑定留置が実施される。7月まで続いた2度目の鑑定では、「事件当時の記憶は完全に欠損している」とする少年の証言に基づき、犯行時は心神喪失状態で刑事責任能力はなかったとする結果になった。2度の鑑定結果は責任能力の有無について異なる判断を示したのである。

8月20日、青森家青森家庭裁判所で行われた少年審判で小川理佳裁判長は、少年が資質上の問題を抱えていたことを認めた。しかしその上で、「何らかの契機で飛躍的に高まった殺人衝動が家族に向けられ、空想上で描いていた殺人や死体損壊の行為を実現させるに至った」「犯行態様は残忍で猟奇的とはいえ、書いた文章や空想の内容に照らせば一貫している」として刑事責任能力を認め、検察官送致、いわゆる家裁での保護処分ではなく成年事件と同じく刑事裁判所での裁きが相当とする“逆送”を決定する。

 

■裁判

2009年3月9日の初公判は少年に対して特別な措置が講じられた。通常は傍聴人らが着席してから裁判官が入廷し、被告らは後から入廷して裁判が開始される。だが本件では顔を公に晒さないために被告が着席した状態で傍聴人が入廷し、起訴状についても氏名や生年月日の朗読は避けられた。長男は「記憶はないが、結果的に肯定します」と起訴事実を認めた。

検察側は、父親の3度逮捕、母親の酒癖や男性関係、母親の交際相手に懐く弟妹に憎悪を抱いての犯行と動機付けた。一方の弁護側は、精神障害の影響下にあり動機不明、判断能力や行動制御がままならなかったとし、治療後に再び家裁で審判をし直して医療少年院送致とすべきとしている。

東奥日報では、裁判員裁判に先駆けた短期集中審理との判断から、検察側、弁護側によるそれぞれの事件再現を並列させた「対等報道」の試みを行った。裁判審理の仕組みが変わるタイミングで、裁判報道のあり方にも一石を投じようとした格好である。下の記事では、青森家裁の判断、地裁との分立構造の曖昧さ、裁判の簡易化による弊害にも言及している。

www.asahi.com

当時の状況について、被告は「分からない」「覚えていない」を繰り返し、両親について「憎悪の感情は持っていない」と述べた。調書との齟齬については、取調べから早く解放されたいあまりに事実と異なった内容にも署名したと説明。

犯行については「月」の満ち欠けによる影響だとし、小学6年生から新月の頃になると衝動的な殺意が湧いてくる情動に駆られていたと述べた。彼の特異な感情変化は「普通」「激情」「冷酷」の三段階に分けられるが、犯行時は「冷酷」を超えた道徳的ストッパーの壊れた状態だったという。

多くの人はこうした説明を稚拙な嘘、絵に描いたような“中二病”的な発想のように思うかもしれない。だが精神障害においてはこうした不合理な自己認識・独善的な他者理解が行われることを肝に銘じておかねばならない。私たちに彼の発言を理解・共感することはできないが、同時に彼にとってそれは事実である可能性を排除できない。


父親は当初「死刑にしてほしい、骨は俺が拾う」と発言していたが、公判では「とにかく(被告を)追い込んだのは私たち。悪かったと謝りたい」「私は更生できると信じている。そのために自分の人生を全て捧げる」と長男を見守りたいとする決意を示した。

判決は検察の求刑通り無期懲役となった。すでに重病を抱えた父親は彼の出所後の更生を見守ることは現実的に難しいだろう。

 

■所感

この事件が気になったのは、2021年8月に滋賀県大津市で発生した小1女児殺害事件がきっかけである。家庭環境を比べることこそ愚かだが、複雑な親子関係、きょうだい関係が思いやられる事件である。

 

当時17歳無職の兄が6歳の妹を「公園のジャングルジムから落ちた」として1日朝、近隣住民に救急搬送を求めたが、100カ所以上の皮下出血、右副腎破裂、ろっ骨骨折などが判明したため虚偽通報の疑いが強まり、4日、少年が傷害致死容疑で逮捕された事件である。兄は容疑を認め、動機について「妹の世話がつらかった」「ちょっかいを出され、かっとなってやった」などの趣旨の供述を行った。

兄は小学生頃から、妹は生後間もない頃から大阪、京都の別々の児童施設に預けられていたが、妹が小学校入学となる21年4月から母親が引き取って一緒に生活を始めた。3人で暮らすのは初めてだった。

児相は母親との電話相談のほか、事件前の5~7月に計5回、自宅や妹の通う小学校を訪問。7月20日に妹と最後の面談をしており、そのときけがや家庭内トラブルは確認されていなかった。母親は「兄が妹の面倒を見てくれる」と話し、児相は相談を通じて「子どもと向き合っている」と判断していた。

一方で、母親は7月頃から家を空けることが多くなり、21日未明、兄妹は2人でコンビニ店を訪れた。女児に金を貸してほしいと言われ、不審に思った客の通報で警察に一時保護されたが、そのときもけがは確認されていなかった。県警はネグレクト(育児放棄)の疑いで児相(高島子ども家庭相談センター)に通告。児相は8月4日に母親との面談の約束を決めていた。

www.kyoto-np.co.jp

8月、京都新聞の取材(上リンク)に対して2人の母親は「すべて私が悪い。兄に妹の面倒を見させてしまった」「それをネグレクトと言うならそう。私の責任だと思っている」と自責の念を述べた。

8月25日、大津地検傷害致死の非行内容で大津家裁に送致。家裁は2週間の観護措置を決めた。9月17日、大津家裁(横井裕美裁判長)は少年の家庭環境や公的機関が一時保護などの措置をとらなかった点などを鑑み、「責任を少年のみに負わせるのは酷である」と保護処分が適切と判断。刑事処分を求める「逆送」ではなく少年院に送る決定を下した。少年は幼少期からしつけ名目でDVを受けており、人との深い関係性を築くことが難しかったとされる。また母親は事件前の7日間は帰宅しておらず、その間に暴行が繰り返されていた。

11月、少年の母親(41)が覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕される。8月初旬の家宅捜索で大麻覚せい剤、注射器が発見されていた。調べに対し、女性は容疑を否認していると報じられている。

 

ネグレクト、ヤングケアラー、DV、薬物中毒など少年の家庭ではいくつもの問題が生じていた。児相や警察、周囲との係わりが皆無だった訳でもない。ただそうした救済の手から彼らは零れ落ちてしまった。報道内容を見る限りでも彼らを加害者/被害者にせずに済んだかもしれないという思いが胸を締め付ける。

八戸の少年は小説に救いを求めた。はたして小説のエンディングはどのようなものだったのか二度と日の目を見ることはない。たまたま喫茶店に居合わせ、少年の話を聞いて「面白いじゃん」と言ってくれる人間がそばにいたならば、彼や家族の運命は大きく変わったにちがいない。自分にそんな機会が回ってきたとき、彼にどんな言葉を掛けられるだろうか。

ジョンベネ殺害事件

現代アメリカでもっとも有名な未解決事件のひとつ、1996年に発生したジョンベネ殺害事件について記す。少女はなぜ僅か6年でその生涯を終えなければならなかったのか。

ここでは犯人像を挙げる訳ではなく、なぜ人々はこの事件に注目し続けるのか、を中心に考えていきたい。

 

■概要

1996年12月26日朝5時52分、コロラド州ボルダーに暮らすパトリシア・ラムジーさんは「娘が誘拐された。いなくなった」と取り乱した様子で911番に通報を入れた。誘拐された彼女の娘こそジョンベネ・ラムジーちゃん(6)である。

前日25日の夜は友人フリート・ホワイトさん主宰のクリスマスパーティーに家族で参加し、ジョンベネちゃんは帰りの車中で疲れて眠っていた。帰宅後、父ジョンさんに抱えられて2階の寝室に運ばれ、寝かしつけられた。

翌朝、母親が部屋を覗くと姿を消しており、1階キッチン近くに身代金目的の誘拐を示す内容の手書きのメモが残されていた。ボルダー警察は直ちにラムジー家へ急行し、クリスマスシーズンで雑然とした邸内を一通り捜索したが、彼女の行方は分からなかった。

夫の勤め先や一家の知人らに連絡を取ったため、ラムジー邸には朝からホワイトさんら多くの関係者が集まり、動揺する夫婦を献身的に支えた。少女の部屋は立ち入りが禁じられたものの、客人らは邸内を歩き回り、片付けのために物を移動させたりした。脅迫状のメモには「明日の8時から10時頃」に連絡すると記されていたが、26日もその翌日も犯人からは何の音沙汰もなかった。

26日13時過ぎ、改めて少女の痕跡を見つけようと邸内の徹底捜索が開始される。父親が地下室の小部屋(ワインセラー)に入ると、白い毛布の上に横たわる娘の遺体を発見し、即座にテープを剥がして頬に触れた。手首のロープを解くことは諦め、蘇生を願ってそのまま2階へと移動させた。床に寝かせられた少女は警官によって死亡が確認された。誘拐と思われた事件は殺人事件へと変わり、結果的に、人々は邸内に潜在していたかもしれない犯行の痕跡や事件の証拠をうやむやにしてしまうこととなった。

 

■殺人事件

22時45分、遺体は検死局スタッフによりラムジー邸から搬出された。

 

ジョンベネ事件で最初に任務に当たったボルダー警察リンダ・アーント氏は、通報直後は誘拐事件だと考えていたが、遺体が邸内で発見されたことやジョンさんの行動、態度などを通じて自身の「経験と訓練から」ジョンさんによる児童虐待を強く疑ったという(http://www.acandyrose.com/03182000-arndtdepo-04102000.htm)。彼女は現場の証拠保全を怠り、見込み違いをしていたことで責任を追及され、半年のうちに現場を去ることとなる。

少女の遺体は口をダクトテープで塞がれ、手を腰で縛られた状態だった。死因は頭蓋骨が割れるほどの右頭部脳外傷及び3/16インチのナイロンコードで首を絞められたことによる窒息と判断され、性的暴行の痕跡(膣粘膜の擦過傷と鬱血)も見受けられた。脳浮腫の状態からみて、頭部骨折後45分から2時間程度存命だったと考えられ、絞殺されるまで息はあったとみられている。

身長47インチ、体重45ポンド。胃の中にはパイナップル様の断片が未消化で残っていた。死亡推定時刻については25日22時から26日6時とされ、より限定的な時刻を示すレポートはない。遺体を持ち運んだことにより死斑の出方に影響を及ぼしたため、死亡時刻の判定が一層難しくなっていた。

詳しくはデンバー・ポスト紙ジョンベネ剖検報告が確認できる。ジャーナリストのチャールズ・ボスワース・ジュニア氏と法医学者シリル・ウェクト博士による共著『WHO KILLED JONBENET RAMSEY?』では法医学的見地から事件の解釈が試みられている(下)。

Who Killed JonBenet Ramsey? (English Edition)

誘拐を示唆するメモの内容に反して遺体が自宅で発見されたことで、少女は家から連れ出されることなく殺害された可能性が俄然増してくる。当局は、身代金要求のメモは偽装工作であり、少女の両親ジョンとパトリシアが殺害を隠蔽するため“狂言誘拐”を装ったのではないかとの見方を強めた。

ジョンさんは1997年1月1日の初めての記者会見で、ラムジー家への疑いが増している状況について問われ、「(そうした考えを)信じられないほど吐き気を催させる」と憤りをあらわにした。筆跡サンプルの提出や毛髪などDNA鑑定資料の提供は行ったものの、警察の対応に強く反発したとも伝えられている。夫婦が早々に弁護士を介在させたことで警察は思い通りの捜査が難しくなった。同年4月、郡捜査当局を率いるアレックス・ハンターはラムジー夫婦に対する疑惑を公に認める。任意聴取やポリグラフテスト(嘘発見器)を拒否したことが報じられると、全米中から広く疑惑を持たれることとなった。4月30日、妻は6時間半、夫は約2時間の事情聴取が行われた。翌5月1日、夫婦は会見で改めて無実を表明した。

ボルダー郡地方検事アレックス・ハンター氏は、警察が両親への追及に執心するあまり捜査が難航したことを踏まえ、別の理論を探求する必要を感じていた。そこで97年3月、30年の捜査人生で200もの難事件を解決に導いたベテラン捜査官ルー・スミット氏に捜査チームへの参加を依頼した。スミット氏は事件当初「誰かがその家に入ったのなら、それはサンタクロースが煙突から降りてきたに違いない」と家人に語り、警察同様やはりラムジー夫婦による犯行と目星を付けていたことを後に明かしている。しかし彼の推測は当てが外れ、調査に入ると「外部犯」の可能性を疑う必要があると考えを改めた。

遺体の置かれていた地下室には小さな窓があり、そこから犯人が出入りした可能性があった。しかし警察は事件後に撮った写真を見せて、蜘蛛の巣があったのだから人の出入りはなかったと説明した。老捜査官は自ら蜘蛛の巣を壊すことなく窓から出入りして見せた。また蜘蛛の巣は一夜にして張り巡らされることもあるとして、前日に人が通らなかったことの証明にはならないのだと話した。スミット氏の目から見れば、捜査当局は夫婦犯行説を立証するための証拠しか探そうとしていない有様だった。

ラムジー家はボルダー警察に対して強い抵抗を示したため、代わってデンバー警察とスミット氏が事情聴取を行った。この尋問でスミット氏は夫婦の無実を確信したと言い、その後も外部犯行説にこだわり続けた。しかし警察捜査との方向性のちがいなどから98年9月に現場を離れる決意を固めた。その後もスミット氏は真犯人が野放しになっていることを警告し続け、捜査方針の転換を訴えた。ラムジー家の弁護士ハル・ハドン氏はスミット氏、検察との軋轢により辞職したスティーブ・トーマス元刑事らに協力を要請し、ボルダー警察の捜査に対するネガティブキャンペーン論陣を張って対抗した。こうして少女の殺人事件は、おおまかにラムジー家を疑う陣営と、外部犯を想定する陣営とに分かたれ、それぞれの主張に見合った証拠や仮説、論戦が次々と世に放たれることとなった。

 

ラムジー

ジョンベネ・ラムジーちゃんは、1990年8月に父ジョンさん、母パトリシアさんの間に生まれ、3歳年上の兄バークくんを含めて4人家族だった。

ジョンさんは1966年にミシガン州立大学で電気工学の学士号を取得後、海軍で土木技師などを11年間務め、大学時代から交際していた前妻との間には3人のこどもを授かったが、退役後の78年に離婚して別々に暮らした。尚、ジョンさんの兄弟、前妻(事件当時アトランタで再婚)と長男・長女らは事件後のインタビューに応え、虐待疑惑を断固として否定。ジョンは常に愛情深く優しい親だったと語っている。

89年にコンピュータソフトウェアを扱うアドバンスプロダクト社を設立。同社は企業合併により、ロッキードマーティンの子会社「アクセスグラフィックス」となり、ジョンさんは社員380人を率いるCEOとして手腕を振るった。同社は1996年に10億ドルを超える収益を上げ、ジョンさんはコロラド州ボルダー商工会議所による年間最優秀起業家に選ばれるなど社会的成功を収めた。同年5月時点で氏個人の純資産は640万ドルと報告されている。

パトリシアさんはウェストバージニア大学でジャーナリズムの学位を取得し、在学中の1977年にはミス・ウェストバージニアにも輝く美貌の才女であった。80年11月、23歳でジョンさんと結婚。7年後に、長男バークくん、90年にジョンベネちゃんを出産した。91年、一家はアクセスグラフィックス本社のあるボルダーの地に新居を構え、アトランタから引っ越した。92年にジョンさんは前妻との娘エリザベスさん(22)を亡くしており、交際相手とのドライブ中の車両衝突事故で事件性はないものと確認されている。

 

パトリシアさんは数々の慈善活動やこどもたちの学校活動を精力的に行い、さらに自分が果たせなかった「ミス・アメリカ」の夢を幼い娘に託すかのように、ジョンベネちゃんを数々のこども美人コンテストに出場させることに心血を注いでいた。これはパトリシアさんの一存だけではなく、彼女の母親も妹もミスコンテストで女王に輝いた経歴があり、一家にとってはごく自然なことだった。幼くして大きな期待を背負い、歌やダンスのレッスンに励んだジョンベネちゃんは「米ロイヤルミス」「リトルミスシャルルボワ」「コロラド州オールスターキッズカバーガール」「ナショナルタイニーミスビューティー」といった数々の称号を獲得し、6歳児でありながらその道では知らぬ者のいない美少女となった。祖母ネドラさんは「私の“ミス・アメリカ”よ」と言って幼い孫娘を紹介することもあったという。

1993年、パトリシアさんが36歳のとき、ステージ4の卵巣がんと診断され、以後3か月毎に定期検診を受けていた。多くの療法書を読み、病状は寛解を示していたが、子どもたちの成長を見守り続けることができない不安も抱えていた、と家政婦リンダさんは語る。そうした身体的不安がパトリシアさんをより精力的に活動させていた、一刻も早い我が子の栄冠を望ませていたと捉えることもできるだろう。だがジョンベネちゃんをよく知る人たちは、彼女は生まれながらにして「ステージに立つことを楽しむ才能があった」と讃え、「決して強制されていた訳ではない」と主張する。

ジョンベネちゃんは小学1年上半期しか登校することは適わなかったが、成績は優秀で思慮深く思いやりがあり礼儀正しく勤勉で模範的な生徒であった。その一方で、こどもたちは衣類はその場に脱ぎっぱなし、自分で片付けができなかった、とリンダさんは語っており、家事や生活面でのしつけは疎かな面があった。

1995年のクリスマスパーティーにサンタ役として雇われたビル・マクレイノルズさんは、まだ5歳だった少女に「特別な感情を抱いた」と振り返る。少女から瓶入りのゴールドラメ(グリッター)を贈られたのだという。サンタ役として多くの子どもたちと接してきたが、パーティーで自分がクリスマスプレゼントを貰うのは初めての経験だった。96年の夏、彼は心臓手術を受ける際もラメ入りの瓶をお守りとして病院に持っていき、自分が亡くなって火葬されたときは灰にラメを混ぜてほしいと妻に頼んだという。彼はサンタ役の仕事を引退し、少女から貰ったラメの瓶のひとつを葬儀でパトリシアさんに手渡した。

 

邸宅は15部屋もある一家4人で生活するには広大すぎるもので、維持や家事を代行のためにハウスキーパー(家政婦)を雇っていた。リンダ・ホフマン・ピューさんは月水金の週3日、9時から15時まで日当72ドルで働き、洗濯や日常的な清掃業務などに当たっていた。庭の手入れや大掃除で人出が要りようの際は他のメイドスタッフが集められることもあり、感謝祭の大掛かりな飾り付けの際にはリンダさんの家族が手伝いに来たこともあった。リンダさんや親しい知人など複数人に合鍵を渡していた。

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ラムジー邸は地上3階地下1階。両親は最上階、兄妹は2階に部屋があった

児童虐待の加害者の約8割が「児童の親」であることは知られている。当然、警察だけでなくニュースを知った人々の多くは両親を真っ先に疑った。葬儀を終えた夫婦は犯行への関与を全面的に否定した。だが庶民とはかけ離れた「セレブ家族」の暮らしぶりとプライバシーへの関心は高く、警察も夫婦への追及を止める気配はなかった。大衆心理として「成功者を襲う悲劇」は好奇の対象とされ、華美なメイクや衣装で飾り付けられた美しい人形のような少女は、一般庶民の目から見ればどこか「こどもらしさ」とはかけ離れた存在に映ったし、パトリシアさんの教育方針に疑義を呈する反応も大きかった。

やり手ビジネスマンに対する幼い娘への性的虐待疑惑や、いわゆる「ステージママ」そのものが児童虐待に当たるとするラディカルな反応、母の娘への過度な要求が少女の死に関連するのではないかといったスキャンダラスな憶測は、メディア報道や議論を過熱させていった。生前脚光を浴びた少女の悲劇的な死は、皮肉なことにタブロイド紙や庶民の欲望を満たす要素がすべて含まれていた。

また日本でいえば年末にテレビで特集が組まれる「世田谷一家殺人事件」が有名だが、メディアに登場する人物が多く、いくつもの仮説が生まれやすい素地を持った本事件もクリスマスと共に「毎年思い出される事件」となってしまった。多くの人々が家でテレビを見て過ごす時期に事件が起きたことも長きにわたって注目されている大きな要因であろう。

The Death of Innocence

愛娘を失っただけでなく全米中から疑惑の視線を向けられた一家は事件現場となった家を離れ、97年8月にアトランタ郊外へと引っ越した。上の共著『The Death Of Innocence』(2000)の中で、愛娘の喪失、一家に対する迫害と誹謗中傷の日々、そして拠り所となった信仰などについて、両親の言葉が綴られている。過去にジョンさんの会社で内部告発を行って職を辞した人物など同書に名前を挙げられた2人の人物から名誉棄損で訴えられるなど、事件の「場外乱闘」のように話題は続いた。その後、母パトリシアさんは2002年に卵巣がんが再発、06年6月に亡くなり(享年49)、ジョージア州セントジェームスエピスコパル墓地で娘の隣に埋葬された。

父ジョンさんは別の行方不明事件の募金活動を通じて知り合った女性と一時交際が報じられるなど事件に直接関連しないプライベートも注目された。その後、ユタ州モアブに移り住み、2011年に3人目の妻となる宝石商ジャン・ルソーさんと結婚してミシガンへ移った。

2016年、心理学者フィル・マグローがホストを務めるトーク番組『Dr.Phil』に出演したジョンさんは、犯人像について「ページェント(ミスコン大会)であの娘のことを知っていた小児性愛者だと思っている」と自説を述べ、フィル博士からの「犯人の本来の目的はあなたに罰を与えるためだったのかも」との投げかけに「残念ながらそうです、そう信じています」と語った。

 

■第三の声

911コールセンターに届いた通報は録音テープに記録され、内容の確認やバックグラウンドの音声から場所の特定や周囲の状況確認に使われることもある。下の動画で911テープに残されていた当時の音声(通報者はパトリシアさん)を聞くことができる。

 

「755 15th St.誘拐です、急いで」

911「何が起こったか説明してください」

「メモが残っていて…娘が居なくなった」

911「娘さんはおいくつ?」

「6歳、金髪で…6歳」

911「いつのことですか」

「分からない。ちょうどメモを見つけた。私の娘は…」

911「メモには彼女を連れ去った犯人が記されていますか?誰が連れ去ったと?」

「いいえ、よく分かりません。メモに身代金のことが書いてある」

911「身代金のメモですね」

「SBTCビクトリーと書いてある…お願い」

911「分かりました。あなたのお名前は?あなたは」

「パッシー・ラムジー...母親です。オーマイゴッド。お願い」

911「承知しました。警官を派遣します。よろしいですね?」

「お願い」

911「いなくなってどれくらいか分かりますか?」

「いいえ、分からない。私たちが起きたらあの娘がいなかったの。オーマイゴッド、お願い」

911「OK」

「お願い誰か寄越して」

911「私はハニーと申します」

「お願い」

911「深呼吸しましょう…(不明)」

「Hurry,hurry,hurry…(不明)」通話口を離れる。

911「パッシーさん?」5回呼びかける。

オペレーターの呼びかけに答えることなく、取り乱した母親は壁掛け式電話の受話器を元通りに置き直すまでの数秒間、「通話状態」が続いていた。911テープの生音では分かりかねるが、録音内容を強化することでバックグラウンドに上述の会話以外の声が含まれていたことが2016年にCBSのドキュメンタリー番組内で指摘されている(下リンク)。

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専門家らによれば、新たに判明した音声は「ヘルプミー、ジーザス、ヘルプミー、ジーザス」と取り乱したパトリシアさん、「お前に言ってるんじゃない」と荒ぶるジョンさん、そして「どうしたらいいの」「何を見つけたの?」と尋ねる第三の声だという。応対した911担当オペレーターのキム・アルクレタさんも番組に出演し、電話中に「部屋に2、3人の声があったように聞こえた」と専門家の説を補強し、「私にはリハーサルされたように聞こえた」と自身が感じた違和感を述べている。しかし彼女のそうした証言は事件当初から法的に採用されることはなかったという。

素直に受け取れば、第三の声の主は長男バークくんと考えられた。その短い会話の断片からは、早朝から声を荒げ取り乱した両親のもとに不安げに駆け寄る起きたばかりの無垢な少年の姿がイメージされる。その一方で、人物の声や会話について「専門家にしか判読できない」として疑義を呈する者もいる(自分にはこう聞こえたと独自の説を示す視聴者もいる)。またその内容について、両親の前で無垢を「装って」状況を窺う少年という受け止め方をする者、あるいは電話を切断し損ねた「フリ」をして家族は演技を続けていたのではないかとする見方さえあった。

またこの通報より3日前の12月23日にもラムジー家から911へ呼び出しが行われていたことが分かっており、これもリハーサル説を想起させる要因の一つである。このとき既にジョンベネちゃんの身に何かが起きていたのではないかといった見方がされることもあるが、97年1月10日時点で「ラムジー家に訪れていたゲストが酔っ払って掛けた可能性が高い」とCNNが報じている。あらゆる情報が一家の犯行と結びつけられて受け取られる状況からも、彼らに向けられた疑惑の目がどれほど厳しいものだったかが窺える。

 

両親は、娘の不在を知って同じ2階フロアにあるバークくんの部屋に確かめに入った、彼は寝ていた、と事件当初から話していた。上の著書でも、彼を起こして動揺させない方がよいと考え、知人宅で預かってもらうために7時頃に起こすまでの間、部屋で寝ていたと記されており、公にはバークくんは7時頃まで「部屋から出ていない」とされている。

事件直後から警察に強い疑念を抱かれたことでラムジー家は態度を急速に硬化させ、捜査は思うように進展しなかった。98年6月、両親以外の証言を必要としていた捜査当局はどうにかバークくんに再度の任意聴取を試みる機会を得た。少年は、パーティーから帰宅後、クリスマスプレゼントのニンテンドー・ゲーム機で父親と一緒に遊んだことは覚えていたが、何時に寝たかといった記憶はなかった。

 

当時、911テープの「第三の声」はまだ詳細が得られておらず、バークくんが電話口の近くにいたとも考えられていなかった。早朝の様子についてバークくんは、「大きな声が聞こえて目を覚ました」「母親が通報したとき起きていた」と話した。たしかに娘を捜しに彼の部屋を覗いたパトリシアさんは気が動転しており、布団でじっとしたままのバークくんを「寝ている」と判断した可能性は高い。さらに「7時に起こされるまで両親と会話したか」の質問には、ノーと答え、「ずっと自室にいた」と語っていた。

ラムジー家との関係悪化を望まない捜査当局は、その後も一家への強制捜査に踏み切ることはできずにいた。事件発生から1年後の97年12月時点で、捜査当局はジョンベネちゃんの両親について「疑惑の傘の下」にいるとし、兄バークくんについては「証人」のひとりだと説明した。

では第三の声はだれのものだというのか。少年自身の中で記憶が変容したのか、それとも誰かに言い含められて嘘をついているのか。それとも「第三の声」は存在しないもので専門家による誤解や番組制作サイドによる捏造なのか。バークくんの証言にしても、仮に「嘘」をつくつもりであれば「7時まで寝ていた、騒ぎに気付かなかった」とシラを切れば済む話であり、インタビュー時の落ち着きのなさは却って「嘘が上手なタイプ」ではない印象を受ける。バークくん以外に、屋敷に第三者がいたというのだろうか。

 

■多弁すぎるメモ

下は台所近くで発見された2ページ半に及ぶ脅迫状のメモである。

当初、犯人の要求する身代金の額が年初めにジョンさんが得たボーナスとほぼ同額だったことから、家族の財産事情に詳しい近親者や社内の人間によるものかと推測された。

JonBenet Ramsey ransom note.jpg
By Unknown author - <a rel="nofollow" class="external free" href="https://web.archive.org/web/20061208031500if_/http://www.thedenverchannel.com:80/2006/0818/9699449.jpg">https://web.archive.org/web/20061208031500if_/http://www.thedenverchannel.com:80/2006/0818/9699449.jpg, Public Domain, Link

ミスター・ラムジー
よく聞け!我々は外国人少数派閥を代表する個人の1グループである。わが国での提供はないものの、我々はあなたのビジネスを尊重している。現在、我々はあなたの娘を保護している。彼女は安全で無傷だ。もし彼女に1997年を見せたいのであれば、我々の指示におとなしく従え。
口座から118,000ドルを引き出すこと。100,000ドルは100ドル札で、残りの18,000ドルは20ドル札で用意しろ。銀行には適切なサイズのアタッシュを持っていくように。家に帰ったら、その金を茶色の紙袋に詰めろ。明日の午前8時から10時の間に、電話で配達の指示をする。配達には体力を消耗するので、休息を取るように。もし、あなたが早く金の支度が出来たのを確認したら、早めに電話をして、金の配達を早めて、娘と早く会えるように手配するかもしれない。
私の指示に反した場合、お前の娘は直ちに処刑され、遺体を適切に埋葬することもできなくなる。見張り役の2人のジェントルマンはお前のことを特に嫌っているので、刺激することのないように。警察やF.B.I.など、誰かに事情を話した場合、娘の首が切られる。野良犬と話しているところを見つかったら、娘は死ぬ。銀行に通報すれば娘は殺される。お金に印がついていたり、改ざんされていたりすれば、彼女は死ぬ。電子機器のスキャンを行い、発見された場合、彼女は死ぬ。騙そうとしても、我々は法執行機関の手口や戦術に精通していることを予め警告しておく。

私たちを出し抜こうとすれば、99%の確率で娘は死ぬ。指示に従えば、100%の確率で娘を取り戻すことができる。お前たち家族は常に監視されており、当局の動きも同様だ。頭で考えようとするな、ジョン。太った猫はお前だけではない、殺すのが難しいとは思うな。我々を見くびるなよ、ジョン。お前の南部の常識を使え。ここから先はお前次第だ。
勝利を!
S.B.T.C.

コロラド州調査局はラムジー家をはじめ関係者数十人から手書きサンプルを集めて鑑定を行った。メモ作成者の候補からジョンさんを除外したが、パトリシアさんを除外することも断定することもなかった。後に米ABCの特番で、手書きの専門家Cina Wongによってこの脅迫メモとパトリシアさんの100点余りの手書きサンプルの中に200もの類似点があったと指摘され、彼女の捏造である疑惑を補強した。

しかし911通報の際、「メモを見つけた」というパトリシアさんに対し、オペレーターは「誰が連れ去ったのか」と質問する。質問が求めていた答えはメモの冒頭にある「外国人少数派閥のグループ」である。しかしパトリシアさんは文末の「S.B.T.C、ビクトリー、と書いてある」と返答した。“S.B.T.C”が何を意味するのかは今も判明していないが、メモを一見すると「犯行グループ名」のようにも受け取れる。だが彼女が作成したのであれば、未知の「外国人グループ」であることを真っ先に伝えるのではないか。この返答は彼女がメモを発見したばかりで全文を通読しておらず全容を理解していなかったこと、メモを作成したのは彼女自身ではないことを示しているように思える。また事件直後、夫婦は筆跡サンプルとしてメモ帳の提出を拒んでいない。

デンバーポスト紙によれば、ボルダー警察が雇った筆跡鑑定士4人、ラムジー家で雇った鑑定士2人のいずれもが脅迫メモを「パトリシアさんによるもの」とは断定していないし、容疑から完全に排除もしていない。5段階スケールの4以上のスコアで「おそらく手紙を書かなかった」と判定されたと報じられている。

 

2ページ半に及んだこのメモはあまりに饒舌多弁な印象を見る者に与える。ドキュメンタリー番組では同じ内容の「写し」を手書きするだけでも20分以上かかると検証されている。メモは外部から持ち込まれたものではなく、その家にあったメモ帳とペンで書かれたもので、侵入者が犯行の最中に考えながら書いたものにしてはあまりにも冗長であり、夫婦共謀による偽装工作を人々に予感させるものであった。

犯人は脅迫メモをどの時点で書いたのかが判然としない。少女と接触する前に書いたものとは考えにくいが、殺害後に書いたとすれば、なぜ「誘拐」を匂わせた書き方をとったのか。誘拐をするつもりでメモを書いたが、少女が抵抗したり騒いだりしたため意に反して殺害に至ったのだろうか。地下室に遺体を置いたままで金を強請る目論見は本当にあったのだろうか。それとも単独犯が「誘拐グループ」を装い、捜査を攪乱する目的で組み立てた特殊なシナリオなのか。社会的成功を収めた父親に恨みや妬みがあったために宝物である少女の命が狙われたのか、犯罪者として有名になるために広く知られた美少女を標的としたのか。犯人との貴重な接点でありながら、このメモから書き手の真意を読み取ることは非常に難しい。

文言のすべてをここで精読する余裕はないが、冒頭にある“We are a group of individuals that represent a small foreign faction. We xx respect your bussiness but not the country that it serves.”という表現はとりわけ不自然さを感じさせる。たとえば「我々は集団Xに属する少数派閥である」といった表現であれば妥当な自己紹介に思えるが、自らを「外国人少数集団」を代表する「個人によるグループ」と名乗るのはいかにも遠回しで曖昧な言い回しであり、いわゆる犯行声明にはなっていない。「私はアメリカ人ではありませんよ、個人ではありませんよ」と言わんがために書かれた偽装工作であるように思える。

「わが国でサービスの提供はないが、あなたのビジネスに敬意を表します」と付け足していることも脅迫や身代金要求といった本筋からすれば不必要な自己紹介に感じられる。 "instruction" "monitor" "execution" "scanned" "electronic"  "device"といった語句は、当時としてはコンピューター分野で用いられた単語だとする指摘もある。犯人は社名こそ出していないが「どこかの金持ちの娘」ではなく「アクセスグラフィックス社CEOであるジョンの娘」と認知した上で狙ったことを示唆しており、脅迫文の後半ではYouではなくJohnに対する声明へとニュアンスが変化していく。文面には、少女の容姿など求愛的な表現は一切含まれていないことと併せて考えても、単なるペドフィリアのストーカーによる犯行ではなく、ジョンさん個人を強く意識した内容だと判読できる。

基礎的な単語のスペルミスや冠詞の誤り、繰り返されるフレーズ(she dies)や感嘆符(!)、あまり一般的ではない移行語(hence)の使用など、それは意図的に英語教養の低さを演出し、拙い文章に見せかけられたものだと考えられている。また事件の翌年に捜査コンサルタント業務に当たったルー・スミット氏により、誘拐ドラマ『身代金』、映画『ダーティハリー』『スピード』の会話に同じような言い回しがあることが指摘されている(「太った猫」のこどもを誘拐する点など)。

仮に犯人の意図したものが身代金や少女の殺害ではなく、「成功者の残りの半生を台無しにすること」だったとすればどうか。誘拐と思わせておきながら家に遺体を残すことで、「家族によって遺体が発見されること」をはじめから望んでいたとも考えられる。また自宅から幼い娘の遺体が出ることで「保護者による虐待」への強い疑いは避けられないことから、遠回しな社会的抹殺のシナリオも含まれていた可能性すら感じさせる。

 

■虐待疑惑

1997年8月、当時、児童の性的虐待の第一人者と見なされていたカルフォルニア大学デービス校ジョン・マッキャン博士が被害者の剖検報告、写真、顕微鏡スライドを再調査した。膣の開口部の異常な広がりや処女膜の状況から見て、炎症のような急性傷害だけではないと判断。排泄や自慰行為によるダメージではなく、「事件より以前の性的虐待」「慢性的な性的暴行」が行われていたとの見解を示した。

また少女は頻繁に「おねしょ」があり、幼児のようなトレーニングパンツを必要としていた。ボルダー郡の性的虐待チーム責任者ホリー・スミス氏は、調査3日目に被害者の全ての下着に便の染みが見つかったとも述べている。「おねしょ」についてはジョンベネちゃんの親も家政婦リンダさんも認識しており、94年10月には小児科医の診察も受けている。医師は同年代で2割程度はおねしょの兆候があるとして、それを大きな問題とは見なさなかった。

また、かかりつけの小児科医は「おねしょ」での診察のほか、泡風呂による皮膚炎、健康診断などを含めて3年間で5~6回の膣の検診を行ったと証言している。検鏡検査は行ったことはないものの、性的虐待の可能性となる兆候は認識されなかった、そうしたものが確認されればその都度通報している、と話した。しかし虐待への疑惑と絡めて、幼児期の性的暴行により泌尿器の発育に悪影響を与えたのではないかという印象を抱く者も少なくない。

ジョン・マッキャン博士とてジョンベネちゃんの身体を直接検査した訳ではなく、報告書やデータから「慢性的な性的暴行」と判断したまでである。博士の立場や、その時点では両親が嫌疑の最有力候補とされていたことも所見に影響しているようにも思える。「慢性的な性的暴行」が事実だとすれば、かかりつけ医が両親から虐待を口止めされている、あるいは医師の立場から虐待に気付かなかったり通報義務を怠ったことを隠蔽するためにこのような証言をしたというのだろうか。事件の根幹にかかわる部分で、専門家や関係者から相反する見解が提示されることで事件の理解はより難しいものとなった。

パトリシアさんに強い疑惑を抱く人々の中には、少女のおねしょに腹を立てたことが殺害の動機ではないかと考える者もいた。

 

■自白

事件発生から10年後、パトリシアの死から2か月後となる2006年8月、タイ・バンコクで容疑者が逮捕された。インターナショナルスクール教師のアメリカ人男性ジョン・マーク・カー(42)は小児性愛者であり、「身代金目的の誘拐を図った」と証言している、とタイ移民警察は発表した。男性は2001年にアメリカで児童ポルノ所持ほか5件の罪で起訴されたが出廷せず、国外逃亡を続けていたことが判明する。

集まった報道陣からの質問に対し、カー容疑者は「私はジョンベネを愛しています」「彼女の死は偶然だった」と訴え、意図して殺害した訳ではなく、アクシデントだったと述べた。「彼女が亡くなったとき、私はジョンベネと一緒でした」

しかしカーの元妻は、事件当日に彼と一緒に居り、事件現場であるコロラドにはいなかったと証言。かつてラムジー家も男性もアトランタ郊外で暮らしていた時期はあったが、両者の接点は不明であった。コロラド州に移送後のDNA型鑑定は不一致で、この男性は同月中に釈放されている。

異国で逮捕されて裁判に不安を感じて強制送還を求めたのか、狂言により有名犯罪者の仲間入りを果たしたかったのか、妄想性疾患があったのか、その目論見ははたして知れない。一時は国際ニュースとして大きく取り沙汰されたものの、衝撃の自白から一週間後に起訴は取り下げられた。

 

他にも未成年者に対する性的虐待の前歴があったことからジョンベネ事件の後、警察が注目した人物の一人としてゲイリー・オリバがいる。事件当時わずか数ブロックしか離れていない地域で生活していたホームレス男性である。1992年にオレゴン州で6歳の少女に性的暴行を行ったほか、電話コードで母親の首を絞めようとしたこともあり、ジョンベネ事件後に彼女への強い関心を公言していた。

彼は2000年に薬物事件で逮捕された。その際、オリバのバックパックにスタンガン(一部の研究者は外傷の一部をスタンガンによるものだと指摘している)やジョンベネの写真を所持しており当局は疑いを強めた。しかしオリバは取り調べに対し、スタンガンは護身用に知人から貰ったものだと説明。写真については「彼女は並外れた少女だった、彼女の死は著しい損失だ。彼女を思い出すために記念碑を建てるべきだ」などと性的嗜好から彼女に強い関心があった狂信的なファンであることは認めたが、DNA型鑑定によって事件への関連はないと容疑からは外された。

2016年4月に幼児と思われる性的暴行画像を複数所持したとしてオリバはまたしても逮捕される。押収された携帯電話には、美人コンテストの女王の写真が多数含まれていた。2019年1月矯正施設から旧友に宛てた手紙の中でジョンベネ殺害を自白する内容が書かれていたと報告されている。

ブラック・ダリア事件の過去エントリーでも似たような「虚偽の自白」について取り上げている。被害者への妄執から自らを「特別な関係」でありたいと願う感情を昂らせ、自分が対象を殺害したのだと思い込む異常心理はこうした大々的な事件ではまま報告されている。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

 

 

■法医学的根拠

2008年7月、停滞した事件は大きな転機を迎える。コロラド公安調査局は従来の分析技術と異なり、触れた程度で遺留するわずかな皮膚細胞などからDNA型を検出する「タッチDNA型鑑定」を実施。その結果、被害者の下着とレギンスの3カ所からラムジー家のものと一致しないDNA片が検出されたと発表した。犯人のものと思われる体液のDNAが判明したことで、ラムジー家の潔白は証明された。

ボルダー郡地方検事メアリー・レイシー氏は、DNA証拠は家族ではない外部犯だと示しているとし、「あなた方が犯罪に関与したかもしれないという疑念を一般に与えてしまった可能性について、深くお詫びします」とラムジー家に宛てて公式に謝罪している。これに対し、ボルダー警察の元署長マーク・ベックナー氏は、メアリー・レイシーは母親が娘の殺害に加担することはできないとする強い信念からラムジー家を免罪しようとしたと主張している。レイシー氏は2000年に地方検事に選出されるまで弁護士として10年間にわたって性的暴行犯罪の訴訟に携わってきた人物である。

web.archive.org

この発表を受けて、侵入者による殺人事件として2010年に改めて捜査は再開された。公的には容疑が晴れた一方でラムジー家に対する疑念を抱く人々が完全に払拭された訳ではない。タッチDNAスクレイピング法の鑑定技術について疑義を呈する者もあれば、新たに検出されたDNAはナノグラム単位の微量であることから、衣類の製造過程や事件発生から検証に至る過程で付着した可能性があるとする主張もある。

2016年10月、より精度の優れた法医学分析により、元のDNA沈着物には被害者のものとは異なる2人の男性の遺伝子マーカーが含まれていることを明らかにしたが、いまだ犯人特定にはつながっていない。事件の捜査そのものも閉じてはいないが新た証拠発見の望みは薄く、犯人の自白がないとすれば、DNA鑑定技術の進歩が事件解明の最も大きなカギを握っている。

 

■思惑

ラムジー家への公的な疑いが晴れた後、かつての捜査当局の動きが明らかとされる。2013年10月、コロラド州の地元裁判所が事件捜査を受けた1999年当時の大陪審の決定書を公表。娘を「誘拐されるような家庭環境で放置した」として両親を虐待の嫌疑で起訴するよう促す大陪審側の決議に対して、地方検事アレックス・ハンター氏が「証拠不十分」として反対して起訴を見送っていた事実が判明する。

それと聞くと、体制にNOを示す高潔な人物と思われるかもしれないが、一方でゴシップ誌の記者と頻繁にやり取りして未発表の捜査状況をリークしていた疑いも持たれており、ハンター氏に捜査を依頼されたルーク・スミット氏ですら彼の介入の仕方に難色を示している。また上述のスティーブ・トーマス元刑事の辞表提出は、このハンター氏の“妨害”を強く批判する内容であった。ラムジー家犯行説に異を唱える側の陣営も“一枚岩”とは言い難いものだった。

過去の大陪審の判断についてラムジー家の弁護人の一人L.リン・ウッド氏は、「明らかに混乱して妥協したプロセスの結果」と初動捜査の不備に加え、見込み捜査のために起訴を仕掛けていた事実を厳しく批判した。DNA型鑑定で潔白を認められた今日にあってそれまでの警察・大陪審側の“見込み違い”が明らかにされたことにより、ラムジー家を「被害者」とする見方が一気に強まった。

法執行部は強引に起訴に持ち込むことで(当時最も疑いを掛けていた)両親の離反を狙っていたのではないかとする見方もある。

 

■おしゃべりな前任者

2015年2月、98年からジョンベネ事件の指揮を執り、2014年までボルダー警察署長も務めたマーク・ベックナー氏は、ソーシャルネットワーキングサービスのRedditにおいてジョンベネ事件に関するAMA(Ask Me Anything)形式のオンラインセッションを行った。その後、オープンアーキテクチャだと知らずに発言していた(未解決事件について討議するクローズドサークル内での対話だと誤解していた)と後悔の弁を述べ、発言内容を削除した。氏は前年4月に法執行部を退任後、ノリッジ大学でオンライン講師を務めていた。捜査当局はベックナー氏がRedditでやりとりを行うことについて関知していなかったが、氏の発言内容はすでに公開済みの情報であり問題はない、とした。

当局の事件の処理について、同地では極めてまれな事件であり(クリスマス休暇で)十分な人員が配置されなかったことが現場の混乱を招いたとしたうえで、警察の初動捜査、調査のための現場保存について失敗があったことを認めていた。また夫婦に対する事情聴取について、2人を同席させて行うべきではなく、別々の機会を設けて供述書を作成すべきだったと付け加えた。ラムジー家はすぐに弁護士を雇ったため、事件後5か月間にわたって聴取が滞ったことにも言及。2008年に少女の下着、レギンスから検出されたDNA痕について、汗や唾液である可能性が高いが極微量であるため特定することはできなかったと述べている。上述のアレックス・ハンター率いるボルダー地区弁護士事務所についても、事件に介入しすぎたとして批判し、当時の捜査部門と検察との間に亀裂があったことを認めた。

 

■深夜のおやつ

2016年9月、米CBSのドキュメンタリー番組“The Case of :JonBenet Ramsey”では少女の胃の中に残っていた「パイナップルの断片」からある仮説が試みられた。それは消化状態から、彼女が生前最後に(専門家によれば、死の1~2時間前に)口にしたものと考えられた。事件のあった26日に撮影された邸内の現場写真では、ラムジー家のダイニングテーブル上にカットされたパイナップルとミルクの入った陶器のボウルが写り込んでいた。

だが母パトリシアさんは、少女にパイナップルを供した事実はないと尋問に答えている。ボウルがなぜそこに置かれていたのかも見当がつかない、と。警察は現場保管を怠って洗い物の許可を出してしまったため事件とのつながりは確認されないまま現物は遺棄され、検死報告でパイナップル片が見つかるまでその存在にだれも気を止めなかった。だれが死の間際に少女にパイナップルを食べさせたのか。

番組では、同じ家に住む9歳の少年に着目した。バークくんは親の目を隠れて夜更かしをし、妹を起こして遊び相手にしたのではないか。そのとき彼が深夜のおやつとしてパイナップルの支度をしていたものを、妹も口を付けた。一緒にシェアしたものか、あるいは少女が勝手に食べたのかは分からない。しかし何かのきっかけで2人は争いとなり、少年はカッとなって凶行に及んだのではないか。兄妹喧嘩が引き起こした最悪の「事故」を知ったラムジー夫妻は残された我が子を守るために事実を隠蔽しているのではないかとする見方である。

法医学者ヴェルナー・スピッツ氏は、キッチンカウンターの写真に見られた「大型の懐中電灯」について、少女の頭蓋骨を割った8.5インチの傷に「完璧に」フィットすると主張した。ただしこの懐中電灯が事件に用いられた痕跡は発見されておらず、頭部損傷と「完璧に」フィットする場面を再現するために撮影チームは数回のリテイクを要したとも伝えられている。

さらにスピッツ氏は少年には精神的な問題による「糞便の問題行動」があったと指摘。元ハウスキーパー兼乳母だったジェラルディン・ヴォディカさんは、パトリシアさんが癌で闘病中だった1997年にバークくんがトイレの壁に糞便を塗ったと述べている。元ハウスキーパーのリンダさんは、かつてジョンベネちゃんのベッドシーツに「グレープフルーツ大の糞便を見つけたことがあった」と言い、少女がクリスマスに貰ったキャンディ箱にも糞便が塗布されていたのを捜査官が発見したと述べた。そうした異常報告は、もしかすると少年はよく妹に糞便で嫌がらせをしていたのではないかと想像させるものだった。

放送直後、ジョンさん、バークさんは弁護士を通じて番組内容の一部に著しい名誉棄損がある、視聴者を騙す内容だとしてCBSスピッツ博士らを相手取り総額10億ドル近くの賠償を求める訴えを起こし、2019年に和解したとされる(Burke Ramsey vs. Werner Spitz | PDF | Violence | Crime Thriller)。

 

法廷は番組に行き過ぎた内容があることを認めたが、バーク殺害説は多くの人々に説得力を持って受け入れられた。ビジネスマンとして家庭で過ごすことの少ない父親、長い闘病ののち娘に執心するようになった母親は、少年に心理的不協和を生じさせ発達を幾分歪めてしまっていたとしても不思議はないように思われた。

兄が起こした「事故」説は、事件に新たな光をもたらし、事件マニアたちを再び活気づけた。バーク説によって導かれた新たな推論として、膣の内傷について「妹の膣を肛門と区別できずに指や物を挿したりしていたのではないか」という“お医者さんごっこ”仮説や、首にできたナイロンロープの痕跡は「少女を地下に隠そうとして運ぶために縛ったのではないか」とする理論、隠されたクリスマスプレゼントを探すために兄妹は深夜の地下室へ訪れたのではないかといった説などがある。

 

■20年後

ジョンベネ事件から20年を迎えた2016年には、数々の捜査ドキュメンタリー特番が組まれ、バーク犯行説を取り上げたニックファン・デルリークとリサ・ウィルソンによる著書The Craven Silenceも大きな反響を呼んだ。「ページェントの小さな女王」として脚光を浴び、母や周囲が期待する「自慢の娘」は、思春期に差し掛かろうとしていた兄にとって目の上の瘤であり、妬みの対象だったとする仮説は一般に広く受け入れられた。

『Dr.Phil』に出演した父ジョンさんは、世間がバークくんに対しても疑いを抱いていることについて聞かれ、「私はそうでないことを知っているので、そうした意見に何とお答えすべきか分かりません。9歳児には不可能な犯行だとする意見もあります」と慎重に否定した。

兄バーク・ラムジーさんは大学卒業後にソフトウェアエンジニアとなり、同番組で単独インタビューに応じた。自身が容疑者であるかのように制作された2016年のCBSドキュメンタリー番組について問われると「嘘、不正、歪曲、欠落」した表現であり、「偽りの、道義に反したテレビ攻撃」だと強く非難した。事件直後に彼は知人の家に預けられたが、その後父親が訪れ「ジョンベネが今天国にいると私に言いました、そして彼は泣き始めました。そして何も言わず私も泣き始めました」と当時を振り返った。

放送直後からジェスチャーの専門家やYouTuberらによって、彼のインタビューでの表情や語り口、挙動などから心理分析が試みられており、米国民の強い関心と、彼に対する強い疑いを裏付けるものと言える。普段からなのか極度の緊張のためなのかは分からないが、バークさんの表情は多くの視聴者に“不敵な笑みを浮かべている”印象をもたらした。

 

バークさんはこの番組でも「就寝中に異変には何も気づかなかったか?」「物音などで目を覚ますこともなかったか?」の質問にNoと答えている。母親がジョンベネちゃんを探しに入室した際、"Oh my gosh. Oh my gosh."  "Where's my baby."という声を布団の中で横になったまま聞いただけで、自分がどうすればよいのか分からなかったと話した。悪者が家に来ているのか、父親は追いかけていったのかも分からず、怖かったのだと思うと述懐する。

「第3の声」に関する疑惑についても、通報をしたその場に自分はいなかったとし、ジョンさんが「We're not speaking to you」とあなたに向かって発言したと推測されているとの問いかけに、「Definitely don't remenber that.I don't know.Unless someone erased my memory or something.(絶対にそんなことは記憶にありません。どうでしょうね、だれかに記憶を消されたとかでなければ)」と答えている。

また脅迫メモについて「母親の手記と思うか」の質問に対し、Yes/Noを示すことはなく、「ああ、正直に言えば、私はいつも母に「字を丁寧に書きなさい」とうるさく言われていたし、書き直させられていました。その脅迫文の書き方はだらしがないですよね」と、亡き母は手書きについて厳しい人物だったことに触れ、疑いについて間接的に否定した。

 

陰謀論との接続

2019年8月10日早朝、ニューヨーク・メトロポリタン矯正センターの独房でシーツで首を吊り、66歳の総資産5億5900万ドルの“億万長者”が命を落とした。性的人身売買の容疑で拘留されていた投資家ジェフリー・エプスタイン氏である。翌年には2002~05年にかけての未成年者に対する性的搾取および暴行について裁判が予定されており、45年の実刑が下される見込みであった。施設では自殺警戒の監視役が配されていたが、看守2名が監視を怠りながら書類上では見回りを行ったと虚偽の署名を行ったことが判明。氏の兄弟から検死の立ち合いを依頼された病理学者で元ニューヨーク市監察医のマイケル・バーデン氏は、自殺としては稀な、絞殺を示す特徴が発見されたとして他殺説の立場をとった。これにより単なる自殺ではないと考える懐疑論、エプスタイン氏と交友のあった政治家や著名人らが口止めのために彼を“抹殺”したとする陰謀論をはびこらせることとなる。

(そもそもバーデン氏自身が反主流、懐疑的立場をとる人物、物議を醸す病理学者として知られている。詳しくは下のワシントンポスト記事参照。

Michael Baden investigated JFK assassination and was defense witness for O.J. Simpson before Jeffrey Epstein autopsy - The Washington Post

エプスタイン氏の死亡により人身売買の全容を詳らかにすることは困難となったが、多くの被害者の証言、関係者への裏付け捜査が今日も続いている。少なくとも2000年代には思春期前の少女や未成年女性らが数多く犠牲になったことは事実である。氏の元交際相手で、少女らの調達や斡旋を担ったとして逮捕されたギレーヌ・マクスウェル被告は、(ジョンベネ事件以前の)1992年にエプスタイン氏のもとで働き始めた。TikTok上では、過去のジョンベネちゃんの写真にマクスウェル被告に似た風貌の女性が写り込んでいるとして、彼女の死をエプスタイン氏の事件と関連づけようとする#pizzagate陰謀論がバイラルされている。黒い短髪の白人女性が斜め後ろの角度から顔半分が見切れて写り込んでいるのは確かだが、その女性がマクスウェル被告だとする証拠はなく、「見ようによってはそう見える」程度である。画像は下のSnopes記事で確認できる。

www.snopes.com

別の事件との比較や関連性を疑う態度は事件マニアには必須のプロファイルスキルともいえる。しかし「少女の人身売買」があったこと、ジョンベネが当代では知られた美少女だったことは事実だが、両者を結びつけるにしてはあまりに根拠として薄いように思われる。

こうした主張が真摯な推論というよりBuzz狙いの陰謀論のように思われるのは、彼らがあらゆる児童誘拐・失踪事案を「反撃してくることのない億万長者」に強引に結びつけようとするためでもある。だれかが相手にする内は壊れた玩具で遊び続けることだろう。

 

■所感

ラムジー家の弁護士がOJシンプソン事件やトランプ元大統領との関連があるとして、端から疑惑を向ける人々は現在も数多くいる。だが通常の事件と違い、セレブリティが対象であり、メディア対策とイメージ演出が重要視されること、注目度の高い事件や警察への批判的対応に実績があることなどから弁護士事務所が選定されたこともそうした符号を生んだ一因と考えられる。

多くの登場人物はすべて真実のために、社会正義のためだけに行動してきたわけでは決してない。公権力の大きい日本とは異なり、有能な弁護士事務所であれば警察発表を覆す論客を揃えることやメディアキャンペーンを張ることも可能なのである。黒を白にすることはできないがグレーに変えることはできる。警察の初動捜査のミスに付け込み、弁護側はありとあらゆる手で対抗軸となる「外部犯」説を築き上げてきたと言っても過言ではない。

私たちの良心は疑惑のシーソーゲームに乗せられ、降りることができずにいる。犯人の実像も、犯行の動機もはっきりとしない脅迫メモを目にしたときから20年以上に渡って行ったり来たりを繰り返し、一歩も前進していないのと変わりがないように思える。

 

愛知県豊明母子4人殺人放火事件

2004年9月、愛知県豊明市で母子4人が殺害され、住宅ごと放火された豊明母子4人殺人放火事件について風化阻止の目的で記す。

2010年4月の刑法改正により殺人罪などの時効が撤廃されたため、公訴時効は免れたものの、捜査は解決の糸口を見出せぬまま現在も未解決のままである。

www.pref.aichi.jp

犯行をほのめかす人物を知っているなど、情報や心当たりがある方は愛知県警までご連絡ください。 

愛知警察署特別捜査本部 電話番号:(0561)39-0110(代)

 

 

■概要

2004(平成16)年9月9日4時25分頃、愛知県豊明市沓掛町石畑で民家の火災が発生していると近隣住民から119番に通報が入った。出火元は加藤博人さん方の鉄骨二階建て住居で、建物の構造こそかたちを留めたものの内部は全焼。焼け跡から住人の加藤利代さん(38)と3人のこどもたち(長男15・長女13・次男9)の4人の遺体が発見された。博人さん(当時45)は仕事で不在だった。

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次男の遺体は寝室ではなく居間にあった。23時半までサッカー日本代表の試合が放送されていたため、居間でTV観戦しながら寝入ってしまったとみられている。残る3人は2階寝室で発見された。各部屋から灯油の成分が大量に検出され、マッチや灯油を浸した新聞紙、蚊取り線香による「時限発火装置」のような痕跡もあり、殺害から発火までのアリバイ工作をしたと見られている。屋内にファンヒーター類もあったが、中の灯油が抜き取られた形跡はなく犯人が持ち込んだものと見られた。

4人の遺体に防御創など抵抗した痕跡はなく、就寝中に襲われたと考えられた。母親と長女は刃渡り約20センチの刃物で顔や背中など十数か所を刺されたことによる出血性・外傷性ショック死で、利代さんの背中には肺にせまるほどの深い傷もあった。長男と次男はバールなどの金属製鈍器による一撃で頭部を損傷したことによる急性くも膜下出血脳挫傷が死因とされた。男児には繰り返し殴打した形跡や刃物による傷はなかった。肺に吸い込んだ煤の状況から、息絶える前に火が放たれた可能性があるとされる。

4人の遺体の損傷状態、凶行後の遺体に布団を掛けられた現場状況等から、愛知県警は殺人放火事件と断定して特別捜査本部を設置。被害者宅から見つかった財布に現金は入っておらず、犯人に抜き取られたものかは不明。貴金属類や預金通帳などは手付かずのままだった。県警は当初から家族の殺害と証拠隠滅のために火災を計画していたとの見方を強め、捜査を進めた。

 

■立地など

現場となった加藤さん一家の自宅は、名古屋市中心部から南東およそ25キロ、豊明市役所から約3キロ北東に位置する。すぐ近くに大府市瀬戸市をつなぐ県道57号が南北に通っている。自宅建物は事件から2年後の2008年9月に解体され、現在は更地となっている。

 

 

周辺は、農村地域で家々は「孤立」も「密集」もしていない閑静な住宅地。周囲に店舗は少なく、街灯や防犯カメラもほとんどない。外飼いの柴犬ジャッキーは普段はよく吠える番犬だったが、犯行当夜に鳴き声は聞かれていなかった。首輪は外されており、利代さんの車の下で身を潜めて難を逃れていた。

玄関、勝手口は施錠されており、窓は(一部変形などにより確認できないものを除き)鍵が掛けられていた。唯一、2階長男の部屋の窓は開放されて網戸状態だったため出入り自体は可能だが、2階に上がるためにハシゴなどが用いられた形跡はなく、侵入経路は明らかにされていない。

8日23時頃までに、博人さんから利代さんへ「帰りが遅くなる」「鍵を置いておいて」とメールと電話で伝えていた。博人さんは自宅の鍵を持ち歩く習慣がなく、帰宅が遅くなる際は利代さんに連絡して「勝手口の鍵」を車庫物置に置いておいてもらうことになっていた。「置き鍵」は同場所で発見されたが、それを犯人が使用したかは不明である。

 

■夫への疑惑

博人さんは損益計画書の締め切りが10日に迫っており、9日の次男の誕生日を家で祝うため、事件の晩にはじめて日を跨いで残業していた。4時5分頃、近所に住む博人さんの兄が火災に気づき、博人さんの会社に電話を掛けて知らせている。無論、自宅に掛けて繋がらなかったためと推測できる。報せを受けて自宅に戻った博人さんは自力で立っていることもままならずお兄さんに支えてもらっていた、と近隣住民が語っている。

しかし事件から半年後の2005年3月11日、機械器具製造販売会社に勤務していた博人さんが不正転売目的に現金520万円を騙し取ったとして、詐欺容疑で逮捕。取引業者から水増し発注して余分にパソコンを購入させ、古物商に横流しして現金を得ていた。

また5月6日には、名古屋市内の取引先の社長と共謀して水増し請求を行い、勤務先の会社から約束手形を騙し取ったとして再逮捕。2001~04年まで3回に渡って額面計約5560万円相当を振り出させて、取引先からキックバックを受けていた。

それら騙し取った金の使途は、消費者金融への借金返済のためであった。博人さんは一家5人で生活するに足るだけの収入はあったものの、数年前から名古屋市の高級クラブに頻繁に通うようになった。そうした遊興費、交際相手との同棲資金、生活費が必要となり、借金を重ねるようになったと言い、事件の数年前から夫婦間にも離婚問題が生じていたとされる。

8月31日、名古屋地裁の判決審では懲役3年執行猶予4年を言い渡された。公判後、博人さんは愛知県弁護士会館で記者会見に臨み、殺人放火事件への関与を全面的に否定した上で、「犯人として厳しい取調べを受けた。嫌だと言っても拒むことができず、警察のやり方に納得ができない」と別件逮捕であった趣旨を発言。また「一部マスコミに、あたかも関与しているような報道をされた」とメディアへの強い不信感を示した。

その後も博人さんは現場近くに住んでいるがメディア取材には応じず、事件の5年後から毎年自宅跡地で行われている献花式には参加していない。その後の取材や遺族会への参加、ビラ配りなどの捜索活動は名古屋市に住む利代さんの姉が先陣に立って行っている。

 

状況からして、ひとり生き残った夫に対して不信感を抱くのは感情的には理解できる。不倫交際や詐欺犯罪に手を染めるなど、家族や会社に対する裏切りを続けていたことは否定できない。そうした別件逮捕の騒動がなかったとしても、生存した身内による保険金殺人などが真っ先に思い当たるケースである。兄からの電話を会社で受けた段階で、博人さん自身にはアリバイが成立する。しかし明らかにされている情報だけをつなぎ合わせていくと、「残業を口実に深夜にアリバイを講じて…」「依頼した人物に鍵の所在を伝え…」といった状況が想像できてしまう。

徹底追及のために任意聴取ではなく時間をかけて追及したい、という事件解決への熱意が県警を別件での逮捕に走らせた。しかし別件(母子殺害)への追及は人権侵害にほかならない。仮に供述などから逮捕に結びついたとしても、その後の裁判において「違法証拠」として証拠能力が否認され、冤罪に陥る危険性もある。火災によって現場の残留物の検証機会が失われたことによる焦りもあったとは思われるが、それでも逮捕までには犯行に結び付く直接的な証拠が不可欠である。

事件当初からおそらく最重要人物としてマークされてきたこと、また「厳しい取調べ」に転ばなかったばかりか、警察やメディアの対応に強い憤りを表明し、その後も態度を崩していないことからも、本稿では「夫ではない真犯人がいる」との見方で検討していきたい。情報の少なさから心象として夫への疑念のすべては拭いきれないものの、私たちが知りうるのは「夫犯人説」に立った上での警察・メディア情報がほとんどだということにも留意しておきたい。「事件に直接結びつく証拠は得られなかった」ことこそが現在までの警察の捜査から得られた事実にほかならない。

 

■不審情報

事件との直接的な関連は定かではないものの、事件の前年、気になる出来事があったとされる。2003年7月下旬の夜、利代さんが子どもたちを家に置いたまま地域の防犯パトロールを行っていら。すると20時半頃に次男から利代さんの携帯電話に「誰かがドアをガチャガチャしてる」と連絡が入った。利代さんは「絶対に開けちゃダメ」と命じてそのままパトロールを終えて帰宅。そのときは無事に済んでいたが、その後、自宅の様子を窺う不審者の存在を周囲に漏らしていた。

「甘えん坊」な性格だったという8歳の次男だが、母親に早く戻ってきてほしいからとわざわざそんな手の込んだ嘘を言うとは考えにくい。「ガチャガチャ」が鍵を持たず家に入れなかった博人さんによるものではなかったとすれば、犯罪性が疑われる出来事である。比較的大きい道路57号(瀬戸大府東海線)にアクセスしやすい立地は窃盗・強盗犯などに以前から目を付けられていたとしても不思議はない。

 

また火災直後の9日4時40分頃、地元消防団が加藤さん方から約100メートル西の三差路にポンプ車を止めていたところ、南方から見慣れないワゴン車が近づいてきたのを団員や近隣住民らが目撃していた。ワゴン車はポンプ車の手前で方向を変え、南西方向へ遠ざかった。車は尾張小牧ナンバーで、緑っぽい色(トヨタハイエースのスーパーGLとされる)。運転手は30~40代の男性で、「近所の人ではなかった」という。

現場の豊明市は「名古屋ナンバー」管区であり、県警も周辺地域での車両の洗い出しは行ったと思われ、ワゴン車の持ち主は近隣住民ではなかったと見てよいかと思う。余程近所であれば心配で野次馬に集まってくることもあろうし、県道57号を通ってくれば闇夜に火柱や煙が目に付いたかも分からない。だが4時40分に消火活動が行われている最中、車でわざわざ現場の目の前まで近づいてくる行動は不審に思われても仕方がない。「犯人は現場に戻る」といった通説もあるが消火の様子が気に掛かって戻ってきたというより、付近に車を停めて家屋が炎上する様子を窺っていたのではないかという気がしてならない。

 

■他の事件との比較

他の事件と比較することで、動機や犯人像などに結び付くものはないか。

過去に取り上げた殺人放火事件では、1995年4月に発生した岡山県倉敷市の老夫婦殺人がある。2人の遺体には無数の刺し傷のほか、腹部には包丁と登山用ピッケルが刺さった状態、さらには首から頭部が切断されて持ち去られており、強烈な怨恨を窺わせる犯行であった。自宅は市街地からは外れており、山林に隣接する立地。金庫は手付かずだったが、所有する山林の境界問題、土地や金銭を巡って数十件のトラブルを抱えていたとされる。

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放火には灯油が使用されており、出処は不明。遺体のあった木造2階建ての母屋ほか敷地内4棟が全焼している。通常であれば処理に困る「頭部」を持ち去るという異様な犯行から、単純な強盗殺人などではないことは明白である。

 

殺人放火で有名な事件を挙げると、1996年9月、東京都葛飾区柴又3丁目で発生した女子大生殺人も想起される。16時ごろ、母親が出勤して女子大生が自宅に一人でいたところ、何者かが侵入したと見られている。遺体は2階の両親の寝室で布団を頭から被せられた状態で発見され、口と両手を粘着テープで、足をストッキングで縛って拘束されていた。小型ナイフのような刃物が凶器と見られ、死因は首の右側の6か所の刺し傷からの出血多量。手には抵抗してできた傷が数か所確認された。

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1階居間の引き出しに物色された跡が見られ、保管してあった旧紙幣の1万円札が紛失していた。火元は1階和室押入、パソコン付近と見られ、2階仏壇近くにあったマッチ箱が玄関に落ちており、家族のものとは異なる(犯人のものと思われる)血痕が付着していた。動機ははっきりしていないが、被害者は2日後に留学を控えていたことから、彼女を遠くへ行かせまいとする偏執的ストーカー説も噂される。

 

2002年8月5日15時ごろ、千葉県松戸市常盤平駅から約1キロの閑静な住宅街でマブチモーター社長・馬渕隆一さん方に宅配業者を装った男性2人が押し入り、妻(66)、長女(40)を殺害し、現金数十万円と1千万円相当の貴金属類などを奪って2階建て家屋を半焼させて逃走。夫婦は恨みを買うような人物ではなく、社員からの信望もあり、周囲の人間関係にもトラブルはなかった。被害者の顔には粘着テープ、首にネクタイが巻かれ、殺害直後に周囲に混合ガソリンを撒いて点火したものと見られ、犯行に執拗さが感じられるた。その一方で、奪われたものの他にも多額の金品が残されていたことから、動機は「怨恨」「金品目当て」の両面から捜査が続けられた。

手掛かりが得られないまま3年が過ぎた05年9月、群馬県警で逮捕された連続窃盗犯小田島鉄男(のち畠山)、守田克実について、かつて2人が服役していた宮城刑務所にいた人物ら複数人がタレコミを行い、マブチモーター事件への関与が明らかとなる。2人は強盗殺人や窃盗でまとまった金が手に入ると、不正パスポートを使い、フィリピンへの渡航を繰り返して捜査を免れていた。小田島がそもそもの首謀と見られ、獄中で雑誌などから資産家・実業家について情報収集を行っており、守田や他の囚人に出所後に共犯するよう働きかけていた。また放火も証拠隠滅の目的で当初から準備していたものだった。

 

殺害後の放火について、倉敷老夫婦事件では、推定死亡時刻27日17時から21時頃でありながら火災の発生は28日未明となっており、犯人は数時間の間、首の切断や放火準備のために居座っていたことになる。長時間居座ってでも首の切断や放火が必要だったとすれば「逆らうとこうなるぞ」といった周囲への「見せしめ」のようにも捉えられる。

柴又女子大生事件での放火理由はやはり判然としないが、マッチ箱に付着した血痕から、切りつけの際に犯人も怪我を負ったと考えられている。もし室内に血痕を残していたならば、家ごと痕跡を焼却しようと火を放ったかもしれない。あるいは偏執的ストーカー説に乗じて考えるならば、遺体の焼却によって「彼女を永遠に自分だけのものにしたい」といった儀式的な願望が含まれていたとも考えられる。

豊明母子殺害のケースとの類似性で言えば、マブチモーター事件のように「証拠隠滅」を放火の動機と見るのが妥当である。とりわけ毛髪や血痕といったDNA型鑑定、微細な繊維片や下足痕といった残留物から犯人を絞り込む科学捜査は理性的な犯人からすれば脅威である。また住人が在宅・就寝時を狙っての侵入、さらに(蚊取り線香の出処は不詳だが)灯油の持ち込みがあったことから、殺害と放火は予め折り込み済みの犯行だったと思われる。

 

■混成強盗団

筆者の考えでは、豊明母子4人殺人放火事件の実行犯は複数人、更に当時の犯罪傾向と照らし合わせて考えるに、日本人と外国人の混成強盗団による犯行ではないかと見立てている。

混成強盗団とは、主に暴力団組織などが手引き・指揮役となり、情報収集、凶器などの調達、現地への送迎などを分業で行い、犯行の度に金に困っている外国人留学生・労働者らを集めて実行犯を任せる強盗の形態である。現場や被害者にゆかりがないため足がつきづらく、日本人に比べ捜査が容易ではない外国人を集めることで、グループの実態を捉えづらくしたものである。人の集めやすい都市部を拠点にしながら、犯行は地方へ出向いて行うことも多く、犯行に加わった外国人らは検挙される前に出国するヒットアンドアウェー式も大きな特徴である。

1990年代以降、日本へ訪れる外国人だけでなく不法在留者も大幅に増えていることや、天安門事件後の1990年代から2000年代はじめにかけて蛇頭をはじめとする密入国ブローカー、そして密入国者から金を吸い上げる密入国ビジネスが定着したことも混成強盗団活発化の背景とされる。また1991年の暴対法成立やその後の締め付けにより、暴力団そのものの担い手不足や構成員の高齢化が一気に進んだ影響から、あくまで「情報を売る」「手引きをする」という分業制ビジネスが効率的だったことも拡大に一役買ったのではないかと思われる。

 

混成強盗団に関して広く知られることとなった事件のひとつに「板橋資産家殺人放火事件」がある。2009年5月、東京都板橋区弥生町で不動産賃貸業を営む瀬田英一さん(74)方で火災が発生。周辺に80件近くの土地・物件を所有、3代続く大地主の資産家として知られ、敷地には建物が6棟あった。その内、夫婦が住居として使用していた家屋が全焼し、英一さんと妻・千枝子さん(69)が頭部を鈍器で執拗に殴られ、刃物で胸部・腹部を刺されて死亡しているのが発見された。現場には物色された痕跡があり、現金2千数百万円分の札束が残されていた。

 

夫婦は周辺住民とあまり接点がなく、連日パチンコ店に通い、英一さんは夜毎スーツを身にまとって池袋界隈のネオン街で豪遊する暮らしだった。英一さんは「金融機関は信用できない」が口癖で、ホステス相手に自宅に多額の現金があることを匂わせる発言もしていたという。敷地内の出入口4か所は常に施錠されており、敷地内の赤外線センサーは異常があれば室内に警報で知らせる仕組みになっていたため、当初は家に上がることのできた顔見知りによる単独犯との見方が強かった。

しかし大阪、愛知で別事件の逮捕者からこの事件の「犯行に誘われた」とする供述が挙がった。さらに09年9月に別事件で静岡県警に逮捕された暴力団員が上申書を提出し、日中混成強盗団による犯行であるとしてメンバー十数人を告発。ライター李策氏の記事によれば、メンバーの一部は別の窃盗や強盗事件で逮捕されたが、現場の火災により物証が得られずいずれも立件に至らなかったとしている。2021年現在も未解決のままである。

 

もうひとつ話題となったのが、1995年7月に東京都八王子市で起きた通称「スーパーナンペイ事件」である。閉店作業を終えたパート女性、アルバイト高校生2人の合わせて3人が、スーパー店舗2階の事務所内で射殺されているのを、迎えに来た知人男性らが発見した。高校生2人は粘着テープで口を塞がれ、手をつなぎ合わせるように拘束され、それぞれ至近距離から頭部を撃ち抜かれていた。パート女性は拘束されていなかったが銃把で殴られたような跡があり、頭部を2発撃たれていた(うち一発は未貫通)。傍にあった金庫の隅には弾痕が付いていたが、こじ開けられた様子はなく中にあった売上金約526万円は残っていた。

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犯行時間は2~3分の間と見られ、立て続けに女性3名を射殺していたことから、銃の扱いに長けた冷酷な犯人像が想定され、外国人犯罪も疑われた。事件は長期化したが、2009年になって思わぬ動きがあった。中国で覚せい剤密輸によって日本人男性4人が死刑判決を受けており、60代死刑囚から「(死刑囚の一人が)八王子の事件について事情を知っているかもしれない」と公安当局に供述していたことが判明。捜査員を派遣し、かつて日本で日中混成強盗団のリーダー格をしていた40代死刑囚に聴取を行うと、「(自分は知らないが)強盗団で関係した福建省出身の男性Kが実行犯を知っているかもしれない」と話した。

2013年になってようやくKを移住先のカナダから日本へ移送することができたが、八王子事件について「犯人を知っていたら死刑になってもいい」と関連を否定。カナダに強制送還された。しかし2020年7月の報道で、暴力団関係者の男性が強盗団のリーダー格だった04年頃、Kから預かっていた中国人男性が「八王子でデカいヤマをやってしまった。未解決の強盗殺人だ」と話していた、とも伝えている。しかしこの中国人男性のその後の行方は判明せず、事件は今も未解決である。

 

上の両事件の犯人が混成強盗団と確定している訳ではないが、はじめから「殺害は織り込み済み」とでもいうべき犯行態度が窺える点は豊明母子事件とも共通する。下の図表は平成19年警察白書から来日外国人刑法犯の検挙数をおおよその発生地域別に分けたものである。左図の桃色が中部地方、事件が起きたのは2004(平成16)年であるから外国人犯罪が増えていた時期であり、2005(平成17)年には関東地方(左図の青紫色)に肉薄する検挙数であった。検挙数がそのまま事件数となる訳ではないが、中部地方でも外国人犯罪が活発化していた時期と見ることができる。

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平成19(2007)年警察白書より

来日外国人犯罪を罪種別にみると、窃盗犯全体では2002年が20604件、03年が22830件、04年が27521件、05年が28525件と高い伸び率を示していた時期である。

当時は中国からの来日が多く、外国人総検挙件数の3割強を、侵入盗については6割以上を中国人が占めていた。一方で、自動車盗についてはブラジル人が53%を占めるなど、国籍等による外国人ネットワークのちがいから犯罪傾向を読み取ることもできるかもしれない。

 

以下に2004(平成16)年警察庁資料に記載された外国人窃盗・強盗事件を抜き出してみよう。

「2月13日中国人による強盗殺人等事件検挙(警視庁)」

「2月20日ロシア人グループによる連続自動車盗事件検挙(山形)」

「3月12日中国人による空き巣当事件検挙(愛知)」

「4月26日中国人グループによるエステ店等を対象とした緊縛強盗事件解決(警視庁、埼玉、神奈川、愛知、三重)」

「6月11日コロンビア人グループによる広域空き巣事件検挙(岩手)」

「7月15日 トルコ人によるドリル等を使用した広域にわたる自動販売機ねらい事件解決(富山、石川、福井)」

「7月28日暴力団組員と中国人グループによる資産家宅を対象とした広域連続緊縛強盗事件解決(警視庁、静岡、福井、愛知、滋賀、和歌山、福岡、大分)」

「9月1日中国人グループによるピッキングサムターン回しにより侵入する広域空き巣事件解決(京都、大阪、和歌山、兵庫、滋賀、奈良、三重、警視庁) 」

「9月8日ブラジル人グループによる広域にわたる特定郵便局対象の持凶器強盗事件検挙(福島、茨城、栃木、群馬、長野)」

「9月11日コロンビア人等グループによる空き巣事件検挙(警視庁)」

「9月13日ブラジル人グループによるコンビニエンスストア対象の連続持凶器強盗事件検挙(静岡、愛知)」

「9月17日台湾人犯罪組織による高級大型オートバイ盗・不正輸出事件(茨城)、台湾警察による逃亡被疑者の検挙」

「9月17日長野・愛知県にまたがる広域連続持凶器強盗殺人事件検挙(長野、愛知)」

「10月17日台湾人窃盗グループによる高級大型オートバイ盗事件検挙(警視庁)」

「10月27日ペルー人を首魁とする南米系外国人等による広域空き巣事件解決(神奈川)」

「10月29日中国人グループによる屋内緊縛強盗事件検挙(埼玉、千葉、神奈川) 」

「11月5日中国人らによる強盗・窃盗等事件解決(大阪、兵庫、奈良)」

「11月26日韓国人による組織的暴力すり事件検挙(警視庁) 」

「12月2日ブラジル人グループによる事務所荒し事件検挙(滋賀)」

「12月4日中国人によるけん銃及び刃物使用による屋内緊縛強盗事件検挙(警視庁) 」

そのほか密入国や不法滞在ビジネスなどに関連した事件は以下。

「5月12日旭川空港における中国人7人による集団密航事件検挙(北海道)」

「5月30日中国人による外国人登録証明書等偽造工場を摘発(愛知)」

「7月29日中国人による外国人登録証明書等偽造工場を摘発(愛知)」

「8月4日在日蛇頭による日本語学校不正経営並びに中国人大量不正入国事件解決(埼玉)」

「11月9日元暴力団員、中国人らグループによるクレジットカード不正作出・供用・詐欺事件検挙(岩手、警視庁、静岡、石川、兵庫、福岡)」

1年間に摘発・検挙された主だった来日外国人組織犯罪だけでもこれだけ全国各地で多数発生していることにまず驚かされる。しかもそれぞれのグループが1件や2件で捕まえられたわけでもない。数十件と繰り返し行われ、何百人と被害者が居り、被害額は数千万~何億円にも上るだろう。ヒットアンドアウェーが成功して未解決となっている事案や逃げおおせている犯人も多いと考えられる。

 

■東へ西へ

豊明市母子事件に話を戻そう。博人さんの年収は当時1千万円以上とされ、子どもたちの教育費のために利代さんは事務仕事などで働くこともあった。周辺は高級住宅街という訳でもなく、家屋を外から見ただけでは狙われるほど豪奢な暮らしぶりとは見受けられず、「なぜこの家が狙われたのか」は一見わかりづらい。

だが博人さんは高級クラブ通いにのめり込み、愛人を囲い込みといった生活を何年も続けたことで、多額の借金を重ねてそれでも夜の街から抜け出すことも家庭を顧みることもできなかった。夜の街での目立った振る舞い、金回りのよさはすぐに噂となり、ホステスやスタッフから裏社会の人々へと共有されていく。混成強盗団の情報屋や調査役へと伝わり、やがて目を付けられることになったのではないか。

単独犯が凶器と大量の灯油を抱えて侵入してくるとは到底考えにくく、途中で凶器を入れ替えるというのも不可解である。通例であれば実行犯グループは5人前後で構成され、刃物を持った男、バールを握る男、灯油を抱えた男、金品を探す男、送迎兼見張り役といったところか。侵入経路は不明だが、入念な下見があったとすれば「置き鍵」を知っていた可能性は高い。

4時40分、消火活動中に自宅近くまで接近してきた尾張小牧ナンバーのワゴン車。「中に犯人が乗っていた」とは思わないが、遂行を見守って連絡などを取り合っていた見張り役のように思える。計画的犯行であれば盗品か加工品の「見せナンバー」かもしれない。彼らが本件でどれだけ利益を得たかは分からないが、大部分は借金返済や遊興費、子どもたちの将来への貯蓄へと回されて、家にある金品は期待されたほど多くはなかったかもしれない。

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実行犯たちは次の現場、また次の現場へと凶行を繰り返し、やがて入れ替わるように本国へ帰って行く。指揮役も愛知の人間なのか、はたまた情報を仕入れて指南しただけの余所者なのか。すでに別件で捕まったが、本件では犯人に直結する物証がないため追及を免れている可能性もある。それとも今もどこかの繁華街で夜な夜な金になりそうな獲物の情報を漁る日々を送っているかも分からない。

 

 

亡くなられた4人のご冥福とご遺族の心の安寧をお祈りいたします。