島根県隠岐の島『蟹淵と安長姫』について

島根県隠岐諸島は最大の島・島後(どうご)。その北部にある隠岐の島町中村の元屋(がんや)地区には、次のような民話が残されている。

昔々、この村に1人のきこりがいました。

この川の奥に入り、淵の後ろの山で木を伐っていました。

つい誤って、斧を淵に落としました。淵に波が起こり、水煙が立ち上がりました。

怖くなり、帰ろうとするときこりを呼び止める声がしました。

「私は安長姫である。もう一度斧を投げ込んでくれ」

水の神様をお助けしようと、恐る恐るまた斧を投げ込みました。

明くる日、川下に大きな蟹の死骸が流れてきました。

きこりはそのことがあってから日に日に富が栄えました。村の人は川を安長川、淵を蟹淵と呼ぶようになりました。

 [隠岐島後民話・伝説案内板No.8]

 

■蟹淵をさがせ 

上の伝説が記された案内看板は下の地図位置(元屋川の中流)に掲示されている。周辺は農地が広がっており、この奥が「蟹淵」とされる。

 

調べてみると、元屋川水系は、小敷原山にある3つの水源から成り、西側から安長谷川、中央に元屋川、東側から東谷が合流して村へと注いでいる(元屋川水系 河川 - 川の名前を調べる地図)。安長谷川、樵はこの源流を上って杉を求めたに違いない。だがマップ上で遡ってみても深い森に覆われて、さすがに淵の位置までは分からなかった。

 

■茶山版と角川版

kanbenosato.com

歴史文化体験施設・出雲かんべの里ホームページでは、昭和57年(1982年)7月30日に収録された明治30年生まれの島民・茶山儀一さんによる語りが「蟹淵の主」のタイトルで保存・公開されている。解説によれば、昭和11年発行の横地満治・浅田芳朗編『隠岐島の昔話と方言』(郷土文化社報告第弐輯)が初出ではないかと記載されている。

 

茶山版では、「青い毛の生えたような蟹の爪」が浮かんでくる様子が臨場感をもって語られ、姫の言うには大蟹の名を「マエニケ」と呼んでいる。蟹の討伐後には「われはこの村の、あるとこの長者の娘であったけど、故あってここの身を沈めて主になっておる、が、元屋の人の雨がなくて日照りが続いたときには、ここに来て祈願をさっしゃい。必ずやご利益が現する。間違いないけん」と姫は言い残し、蟹淵へ雨乞いする習わしとなったという。

のちにTBS系列「まんが日本昔ばなし」で1990年11月3日(第772回)『蟹淵(かにぶち)』のタイトルで放映されており、文芸は同番組のメインライターの一人だった沖島勲氏、演出・作画は山田みちしろ氏(亜細亜堂)が担当した。こちらの出典は、角川書店が発行した「日本の伝説50」シリーズ『離島の伝説』(1980)に収録された酒井董美(ただよし)『年老いた木樵りと魔蟹』である。

角川版では、どこまでが伝承なのか、脚色があったのか分からないが、より物語背景や樵が淵に近づく動機を明確にしている。“長者の娘”は樵が幼い頃に可愛がってくれた人物とされ、その後、行方不明になってしまった。いつからか淵に魔物が棲みつき近づく者を帰さないのだと噂が立ち、だれも淵のそばへ寄り付かなくなった。かつて娘に少なからぬ憧れ・好意を抱いていた老樵は、そんな噂を振り払わんと一人で蟹淵へ伐りに入ったとされている。

 

酒井董美氏は、上の茶山氏の語りを収録した人物で、口承文学(民話・昔話)の研究者として知られる。『隠岐島の昔話』のレポートによれば、昭和40年代後半に行った島前・中ノ島にある海士中学校、本土の奥出雲にある横田中学校へのアンケート調査を比較し、家庭内で昔話を聞かせてもらった経験のあるこどもが少ない(海士19パーセント:横田58パーセント)として、隠岐島民話の伝承状態を大変危惧していた。

島根大学退官後は山陰民俗学会会長、上述の出雲かんべの里館長を務めた。氏による『隠岐島の伝説「蟹淵の主」を考える—横地満治氏収録本と茶山儀一氏の語りの比較を中心に』と題された論考も存在するが、所収は『島根大学法文学部紀要 文学科編』(1991)とのことで、残念ながら筆者は当分見られそうにない。島根県立古代出雲歴史博物館のサイトでも酒井氏の民話や民謡のデータが公開されており、こちらの解説では、雨乞いの部分はなかったが『隠岐島の昔話と方言』に収録されていた内容とほぼ同じとしている。

 

柳田国男『日本の昔話』

 なにか得やすい情報は他にないかと調べてみると、柳田国男『日本の昔話』に『蟹淵と安長姫』の題で所収されており、奇遇にも我が家の本棚に新潮文庫版があった(恥ずかしい話、かつて読んでいたことさえ失念していた!)。

底本は昭和5年3月アルス社から刊行された『日本昔話集(上)』(下のリンク・旧仮名)であるから、蟹淵の昔話は上記の『隠岐島の昔話と方言』(昭和11年)より少し早くに世に出ていたことになる。なぜ酒井氏は柳田版を初出としなかったのかは不明だが、全国各地で集めた民話・伝承を子ども向けに読みやすく書き下した説話集であるから、「口承文学」の枠から外したのかもしれない。柳田版の語り手がだれだったのかは記されていないが、内容は茶山版と大きな違いはない。

dl.ndl.go.jp

 柳田版では、茶山版と同じく樵は「年とった樵」「爺」とされ、安長姫は「絵にあるような美しい若いお姫様」と紹介されている。「昔から、この淵に住む者だが何時の頃よりかここには大きな蟹が来て住むことになって、夜も昼も私を苦しめていた」と姫から蟹の追撃を依頼された樵は「水の神をお助け申したい」と再び山上から滝壺へ斧を投げ込む。姫は喜んで「これから先は富貴長命、何なりともそなたの願うまま」と言って姿を消す。その後、この川の流れはどんな旱(ひでり)でも水が絶えず、この水の神に雨乞いをするときっと雨が降った、と話を締めている。蟹を倒して救ってくれた礼として、姫は樵に繁栄をもたらし、川は村を潤し、雨乞いの場として祀られたことを示している。

 

■「スーちゃん」の藤野版

1997年頃に開設された藤井和子氏のホームページ『スーちゃんの妖怪通信』でも『蟹淵の主』というタイトルで記事を書いておられる。このサイトの素晴らしいところは、在野の研究者ながら奇談や昔話・口承文学の保存のため、自ら各地へ赴いて聞き取りし、「語り部」「取材日」「場所」「同行者」「取材者」などを記した“学術調査資料”たりうる蒐集が為されている点である。2004年以来、更新は途絶えてしまったようだが、135話もの収録・公開に謝意を示すとともに賛辞を贈りたい。

聞き手は藤井氏、語り手は藤野ミヨコ氏(昭和10年、1935年生まれ)、聞き取りは2004年10月3日、場所は隠岐の島町教育委員会で、同委員会の方が立ち会っている。藤野氏は結婚して昭和34年(1959)から元屋に移り住んだ。当時の安長川上流にあった蟹淵は、小さな淵とはいえ暗く淀んで、何メートルかの滝もあったという。安長の杉材は橇(そり)に乗せて麓の村へと運ばれており、山は何百年と続く佇まいをそのまま残していた。

日本列島改造の時代(田中角栄日本列島改造論』発表は昭和47年)になると林道や作業道の開発が進み、蟹淵にも砂防が築かれて、不要となった岩石や土砂が投げ込まれた。平成元年に調査に訪れた酒井董美氏を藤野氏(と保育所の同僚ら)が案内した際には、淵のかたちはかろうじて残っていたが浅く小さくなっていた。酒井氏は「大きさは学校の教室の半分くらいもあろうか。その水面のあちこちに樹木が生えており、およそこの伝説のような雰囲気ではないように思われる」と綴っている。

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岩倉の乳房杉(樹齢800年とされる神木)

さて藤野氏の語ったものは茶山版、柳田版といささか様相が異なる。

老いた樵の話の前段に、角川版のように“長者の娘”の前フリが付される。

元屋の長者に美しい娘がおりました。

年頃になると、どこからでも縁談の声がかかり、

降るほど縁談が舞い込んできた、幸せなお嬢さんでした。

 なかなか頭を縦に振らなかったのですが、

ようやく西隣の五箇村の若者との間に縁談が整ったのです。

ある日、

五箇村へ行って来ます”

と言いおいて出かけたまま、

再び戻ってくることはありませんでした。

“ああ、あの娘さんも神隠しにあったのだろう”

と、みんながしばらく噂をしていましたが、

そのこともいつの間にか忘れられた形になっていました。

まさかの「神隠し」、花嫁失踪事件とでもいうべき展開である。気になるのは「あの娘さんも神隠しにあったのだろう」と以前にも似たようなことがあったかのように噂されている点である。結婚前の憂鬱、俗にいうマリッジブルー封建社会にももちろんあったと思うが、こうなると崇敬の対象・自然崇拝的な「水の神様」とはまた違った背景を想像させる。

尚、旧五箇村島後島の北西部に位置し、2004年10月1日に五箇村を含む島後の4町村が合併して、現在の隠岐の島町が新設された。聞き取り日が合併の翌々日だったこともあり、島内では「西隣の五箇村」という共通認識が強く残っていたためこうした語りになったものと考えられる。

 

 さらに、注目したいのは、その娘が淵の主となり、樵の前に姿を現した場面で、「ここにはガイ(大きくて凶悪)な蟹が住んじょって、わしはその蟹に、夜な夜な虐められ苦しめられて暮らしてきた」と、老いた樵に追撃を依頼する。柳田版のように「夜も昼も」虐められるというのなら、一日中悪さをされて困っている印象だったが、「夜な夜な」となると性的虐待のニュアンスを感じ取ってしまう。

またしめくくりでは、蟹を退治したお礼に、娘は「困りごとができたら開けてみよ」と「巻物」を渡している。蟹淵で雨乞いをすれば雨が降ることや老樵が裕福になることに加えて、喧嘩やもめごとが起きても巻物にその解決策が書いてあったという。つまり旱の心配を除き、樵に繁栄をもたらしただけでなく「村の秩序」さえ救ったことになる。

 

■所感

隠岐島の蟹淵に関するいくつかのバージョンを見てきたが、表現や構造上の細かな違いをあげればきりがなく、筆者自身は成立年代や話の確かさにさほど関心はない。話し手と聞き手がつなぐ伝言ゲーム的な認識の差や解像度のちがい、曖昧さが生じることも昔話の楽しみだと考えている。ひとはテープレコーダーではない。聞き手が様々な人生経験を積み、やがて子や孫、あるいは藤野さんのように育児施設や出雲かんべの里のような公共の場で話して聞かせるとき、そこには新たな意味が重ねられている。

 

「蟹」と「姫」について述べ、筆者の一解釈にて終わりとしたい。

①蟹とはなにか

 かつて谷川や水路で得ることができた沢蟹はこどもにもなじみ深い生物だった。そのせいもあってか昔話の類型として、蟹の報恩譚(蟹の恩返し)というものが各地に存在する。代表的な類型としては、「娘が日頃から蟹に米つぶをやるなどして可愛がっていた。あるとき蛇が現れて娘を脅かす。そこに蟹が現れて蛇をずたずたと切り裂き、娘を救う」というようなものだ。

このとき「蛇」は「男根」や「刀」を象徴していることは明白である。棒状でうねうねと動く無足の蛇に対して、多脚(サワガニは十脚)で硬い甲羅とハサミ(「盾」と「矛」)を持つ蟹は対概念として娘を救う側として描かれるため、多くの報恩譚のモチーフに起用されたと考えられる。

対照的に『蟹淵』では姫を虐める悪者として描かれている。たしかに現代人の感覚では、双ハサミを持つ蟹はカマキリのように狂暴なイメージを持つかもしれない。だが蟹=沢蟹に対する古くからの考え方では、こどもでも捕まえられるたんぱく源、ひとがつかまえようとこそこそ逃げ回ることから、『猿蟹合戦』のように軟弱者のイメージも重ねられていた。

だが蟹淵の魔蟹は2~3メートルともされる巨大さを誇るとされ、よもや捕らえたひとも食いちぎるのではないかとすら想像させる。はたしてなぜ蟹淵の蟹は「救世主」にはなれず「魔蟹」として伝えられたのか。民話としては忘れ去られているが、蟹の背後に、やはり対概念としての蛇が存在したのではないか、と筆者は考えている。

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いずれの話でも樵に名前がないことは共通しているが、茶山版だけ蟹に「マエニケ」という名前が付されている。マエニケがどんな意味を内包しているのか想像もつかないが、語り手が物語の筋に無関係な脚色をしたとも考え難い。方言や言語学の知識がないので単なる妄想になるが、たとえば「マエニ家」や「マエニイケ」が変容したものであったり、なにかしら物語の起源に由来した語なのではないかとも思われる。

 

②安長姫は実在したか

昭和初期に採集された民話と平成の半ばに採集されたものでは、古くに語られたものの方がなんとなくオリジンに近い要素が濃いようにも思われる。また藤野ミヨコ氏が保育士をなさっていたことから、一種の“昔話のプロ”であり、他の先生方や年配の方たちに繁く教えてもらったり、子どもたちに語り聞かせるために推敲して面白く脚色した(脚色されたものを教えてもらった)可能性もあるだろう。 

だが“神隠しにあった花嫁”の物語は、大変に興味深く筆者の心を刺激してやまない。“長者の娘・某=姫”は霊的存在としての神ではなく、実在した人物と考えると、前述の「蛇」は結婚が決まった五箇村の若者であり、対となる「蟹」は娘が好いた駆け落ち相手だったのではないか。

藤野氏の意図や物語の起源から外れた拡大解釈になってしまうかもしれず不愉快に感じる方もいるかもしれないが、インスパイアされて生まれた二次創作だと思ってお許し願いたい。

 

元屋の長者に美しい娘がおりました。

年頃になると、方々から縁談の話が舞い込んできました。

 なかなか首を縦に振らなかったのですが、ようやく西隣の五箇村の若者との間に縁談が整ったのです。

ある日、

五箇村へ行って来ます”

と言いおいて出かけたまま、再び姿を現すことはありませんでした。

“ああ、あの娘さんも神隠しにあったのだろう”

村の人たちは、やはりかつて同じように縁談を控えた若い娘が姿を消したことがあったのを思い出して噂し合いました。

 

はたして以前に消えた娘はどうなってしまったのでしょうか。

結婚が嫌で海へ身を投げてしまったのか、はたまた島の外へ自由を求めて渡ったのか。生きていようと帰るに帰れぬ事情があるのでしょう。

長者の娘もやはり同じ思いでした。

ぐずぐずと渋る娘に業を煮やした父親が五箇村の良家との縁談を取り決めてしまったのです。

長者の娘にはすでに心に決めた想い人がありました。

しかし父親が貧しい樵との結婚を許してくれるはずもありませんでした。

娘は樵と駆け落ちすることを決め、人目を忍んで当てどなく山へ入ります。

あるときは娘の婚約者が探しにきましたが、樵は娘が見つからないように追い払って守りました。あるときは山賊まがいに食い物や荷を奪うこともありました。

そんなことを繰り返せば、山奥に入る村人もいなくなります。

“もう長くはもつまいね”

“ならばいっそ、添い遂げましょう”

2人は滝壺へと身を投げました。

きっと幸せになると誓い合ったのに、その望みは自ずと絶たれてしまいました。

それからどれほど経ったか、ある老いた樵は、他の樵の寄り付かないという山奥へ杉を求めて入ります。

そこで樵が見たものは、淵に打ち上げられた若い女と滝壺にはまったままの青く膨れあがった...

 

やがて村人たちの知るところとなり、娘を水神、男を神使いの蟹に擬えて丁重に祀った。

 

 

 

 参考;

蛸島 直『蟹に化した人間たち』愛知学院大学 大学紀要人間文化 第27号

http://kiyou.lib.agu.ac.jp/pdf/kiyou_02F/02__27F/02__27_98.pdf

 

5都府県連続強姦・放火事件について

1998年ごろから2003年にかけて5都府県で起きた単独犯による女児への強姦(未遂)および連続放火事件について、加害者はすでに逮捕・服役中の事案であるが、風化阻止・予防啓発を目的として概要や所感などを記す。

また「女児強姦」「放火」はともに凶悪な重犯罪であり、反復されやすい特徴があるともいわれる。犯罪の性質や背景を知ることで、防止に向けて何ができるのか(何が行われているのか)を確認してみたい。

 

尚、強姦罪については2017年の刑法改正に伴って「強制性交等罪」と変更された。該当行為の範囲が拡大され、「3年以上」の有期懲役から「5年以上」へと厳罰化された。また重要な変更点として、強姦・強制わいせつの「非親告化」と「性差の撤廃」が挙げられる。これにより被害届がない事案についても捜査・起訴が可能となり、それまでは男性から女性に対しての強姦のみが認められる犯罪だったものが、性差に関係なく成立する犯罪と認められた。本件は改正前の事柄なので、特に断りのない場合は「強姦」「強姦罪」と記す。

 

■概略

2003年7月22日、岡山県警大阪府高槻市牧田町に住む無職・尾上力(おうえ ちから・34)を住居侵入、傷害等の容疑で逮捕した。

同年6月19日16時ごろ、岡山市内で帰宅途中の女児(10)の後をつけて訪問客を装って男が家に押し入り、「殺さんから言うことをきけ」と女児を脅迫、押し倒すなどの暴行をした。母親の帰宅により姦淫は免れたものの女児は後頭部打撲などの怪我を負った。当日、付近で尾上が貸し自転車を利用していたことから捜査線上に浮かびあがり逮捕につながった。

調べに対し、「99年ごろから大阪、岡山、兵庫、京都、東京で女子小中学生を襲った」と余罪の供述をし、その数は40件近くにも上り、警察は裏付け捜査を急いだ。

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はたして強姦致傷・未遂等合わせて15件について起訴され、2004年9月、大阪地裁における公判で検察側は懲役20年を求刑した。

しかし、判決前の11月、尾上は大阪拘置所から警察・検察関係者に宛てて手紙で「もっと多くの事件を起こしている。もう一度警察で調べてほしい」と更なる余罪を自ら示唆。大阪府近辺における116件をはじめ、1都2府13県をまたいでおよそ200件もの放火を自供した。

検察側は尾上を「空前絶後の放火・強姦魔」と糾弾し、求刑のやり直しを求めたため、公判は一時中断。あとになって放火を自供した理由については「黙っているつもりだったが、拘置所でいじめられて耐えられず、余罪を自供すれば拘置所から出られると思った」と述べた。

 

■犯行について

尾上は大阪府高槻市に生まれ、高校卒業後、私鉄会社に就職するも、奈良県で少女強姦未遂事件を起こして解雇。2002年、勤務先の配達ピザ店で売上金の着服が発覚して職を失っている。強姦目的に遠方まで赴いて女児を探し回ることもあれば、勤務中の外出先で偶然見かけた女児を襲うこともあった。強姦・強制わいせつ以外にも下着の窃盗や放火が常習化しており、「いたずら目的で子どもを探しながら、ゲーム感覚で火を点けた」と供述している。

 強姦致傷・未遂の被害者は7歳から13歳までの女児15名。立件された中で既遂は1件で、9歳女児に対して姦淫を行い、処女膜裂傷やPTSD心的外傷後ストレス障害)を負わせた。犯行後も度々電話を掛けて被害者や母親に対して卑猥な暴言を浴びせたり、被害者宅付近にいることを伝えるなど執拗な追い打ちを加えている。また別の1件では、女児が大声を出して暴れたため首を絞めて殺害を目論んだが、無抵抗になったため殺害を中止したとする殺人未遂を認めている。

おおよその手口としては、気に入った女児を見つけると家まで後をつけていき、女児自らが玄関を解錠する様子から家族の不在を確認して侵入し、刃物をちらつかせるなどして脅迫し服を脱がせ、陰部を押し当てるなどしたものとされる。ときに親の知り合いを騙って、予め行き先や帰宅時間を聞き出し、犯行に費やせる時間を逆算する狡猾さもあった。

被害者側が裁判の影響などを鑑みて親告せず泣き寝入りしたケースも考えられるが、未遂の14件では「大声や泣きながら抵抗する」「家族が帰宅する」「(加害者の)職場から呼出がかかる」などによって目的を遂げず逃走していることから、野蛮な犯行でありながらも極めて小心だったことが窺える。体格や腕力の面で御しやすい女児を狙う卑劣さも尾上のそうした性質が影響していたと考えられる。

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参考:強制性交等 認知・検挙件数・検挙率の推移/令和2年版犯罪白書

再開された取調べでは放火およそ200件について道路地図に書き込むなどして詳述したが、すでに「煙草の不始末」「出火原因不明」などとして処理されていた事案も多く、立件されたものは13件にとどまった。被害損額は3億円近くに上るとされる。

2001年9月25日、東京都墨田区八広の木造二階建てアパートが全焼した火事では、2階に住んでいた植田敏夫さん(60)が逃げ場を失って飛び降りた際に死亡。02年2月10日未明、同区京島では民家など3棟、延べ約345平米が全焼し、小西アイさん(80)が全身にやけどを負って間もなく死亡した。そのほか板橋区男性(70)、大阪府高槻市女性(62)、同市女性(74)の合わせて5名の犠牲者が出ている。周辺にも多くの延焼被害が生じ、合わせて40人以上が避難を余儀なくされた。

 調べに対し、「野次馬が集まったり、消防隊員が必死に火を消したりしている様子を見て満足感を得た」などと供述。趣味の「アマチュア無線」で消防無線を聞きつけて現場に駆け付けるようになったことがきっかけとなり、やがて自ら火付けに手を染めるようになったという。手口は、納屋や空き家に侵入して着火することもあれば、現に人がいるアパートや戸建て家屋で見つけた段ボールや衣類に放火することもあった。

消火活動の規模が大きくなることを狙って住宅密集地を選び、空き家の押し入れに着火物を入れて発覚の遅れを狙った隠蔽工作や、被害の拡大を企図してプロパンガスのゴムホースに着火するなど、次第に悪辣で手の込んだ犯行へとエスカレートしていった。翌日の新聞で放火先から死者が出たことを知っても悔い改めることはなく、その後も平然と放火を繰り返し、やじ馬に紛れて消火活動の様子を眺めていた。

 

■判決

検察側は現住建造物等放火13件などを加え、改めて無期懲役を求刑。

「死刑と思っていた。罪を軽くしてくれというつもりはない」(最終意見陳述)

 

2007年2月19日、大阪地裁で判決公判が行われた。中川博之裁判長は、「被告人の性格、性癖の深刻な問題性に根ざす犯行であり、被告人の社会規範を全く意に介さず、他人の尊厳を踏みにじる人格態度には人間性の片鱗さえ見出しがたい」と犯行の凶悪さを厳しく諫めた。刑事責任は非常に重大で「死刑選択の余地もないとはいえない状況」だとした上で、捜査・公判において犯行のすべてを認めており、強姦未遂と全ての放火について「自首」とみなし、「更生にはなお多大の困難を伴うとしても、その可能性がないとまでは言えない」と酌量の余地を示し、求刑通り無期懲役を言い渡した。

 

■放火と殺人

尾上の放火行為から結果的に5人の犠牲者を出しているが殺人罪には問われない。一般感覚では、人がいる家に放火したら殺人と同じようにも思えてしまうが、放火行為そのものがどれだけの被害を生むかは不確定であることから火付け人に殺意があったと立証することが難しいとされ、両者は法的に区別されている。殺害を目的として、その手段に放火を用いた場合には「放火殺人」として殺人罪に問われるものの、本件ではその犯行は場当たり的で動機が「一種の気晴らし」とされており、新聞を見て後から犠牲者のあったことに気付くなど、殺意の証明はやはり困難と言える。

刑法第108条・現住建造物等放火の罪は「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役」とされており、2004年の刑法改正以前には当時下限が「3年以上の有期懲役」とされていた殺人罪よりも重刑とされてきた。だが戦後の放火事件で、殺人罪・致死罪の適用なく死刑とされた事件は1957年に起きた昭和郷アパート放火事件(死者8名を出しているが現住建造物等放火と保険金詐欺で起訴)のみである。たとえば同じ放火でも、2019年7月に起きた京都アニメーション放火殺人事件では、容疑者が「死ね」と言いながら社員に直接ガソリンを浴びせたことから、明確な殺意が認められるため殺人罪に問われることが考えられる。

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火付け人の殺意の証明については、裁く側の考えによって結果主義(行為と結果との因果関係に基づいて処罰を決めること)とするか、責任主義(責任なければ刑罰なし)とするかで裁量にぶれが生じるといわれる。

結果主義的な判決が下された事例には、2003年に起きた「館山市一家4人放火殺人事件」がある。12月18日深夜3時過ぎ、一軒家の玄関に積まれていた古新聞に放火され全焼、住民の一家4人が焼死体で発見された(長男は仕事で外出中、祖母は入院中だった。強風により周辺7軒も全焼)。2005年2月千葉地裁(土屋靖之裁判長)は、焼死を高尾康司被告による「未必の故意」(確定的ではないが行為によって犯罪的結果を引き起こすかもしれないと認容しつつ行為に及ぶ心理状態)による殺人罪を認定し、死刑判決を下した。弁護側は「結果の重大性から逆算して“未必の故意“を認めてしまった判決で、放火と殺人の線引きがされていない」と主張し、無期懲役が相当として控訴。2006年9月東京高裁(須田賢裁判長)は控訴棄却、2010年9月最高裁(横田尤孝裁判長)は上告を棄却し、死刑が確定した。“未必の故意”は確定的故意に対する概念だが、裁判官の推量に任せられる部分が大きく、心象が判断を左右する裁判員制度や死刑確定の是非などをめぐっての問題も孕んでいる。

(本筋とはずれるが、1998年に起きた和歌山毒物カレー事件の裁判も物証や動機の解明もないまま“未必の故意”が認められ、林眞須美被告に対し死刑判決が下された。現在でもヒ素鑑定などの証拠能力への疑義が呈されており冤罪とする説もある。)

 

放火行為は、復讐などを動機とした計画性が高いケースもあるが、尾上のように感情の解放(憂さ晴らし)が動機となることも多い。以前扱った埼玉・千葉連続通り魔事件でもあったように腕力の備わらない未成年であっても繰り返されるおそれがある上、焼け跡から犯人に結び付く証拠を得づらい。 その場合、被害者や放火対象などの手口から類似性を見極めることが難しく、犯人像のプロファイリングに時間がかかり、本件のように常習化させてしまうケースもある。だが犯行期間の間隔が短いことで、犯行の類似度が高まるとの研究結果も出ている(Canter, D. , Fritzon, K. 『Differntiating arsonists:A model of firesetting actions and characteristics』1998)。

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尾上が自白した放火事案に「煙草の不始末」「出火元不明」がどれほど含まれていたのかは不明だが、同じように警察の見込み違いや初期段階での調査力不足によって闇に埋もれてしまった犯罪、犯行の特徴が見過ごされてしまうことも実際にある。国内の放火事件は、2000年前後に認知件数およそ2000件程度だったものの近年はおよそ1000件程度にまで減少しているが、検挙率についてはおよそ75パーセント程度の横ばい状況が続いている。放火にかぎらず、今後も犯罪のデータベース化や犯罪傾向の解析が進めば、より現場地域や被害者からもたらされる一つ一つの一次情報の重要性が増すことからも、その任に当たる派出所の“お巡りさん”たちの一層の捜査力が期待される。

 

■こどもへの性犯罪と再犯

13歳未満のこどもを対象とした強制わいせつ犯の再犯率は84.6パーセントと極めて高い(平成27年版犯罪白書・性犯罪者の実態に関する特別調査について)。性犯罪の多くは、対象者の年齢・容姿などに加害者の好みやこだわりが現れる特徴がある。なかでも年少者を対象とした性犯罪者には、他の犯罪者(成人対象の性犯罪を含む)とは異なり、自らの犯罪を正当化し継続するような認知的歪みが特徴とされる。

たとえば広島県で元教諭・森田直樹が児童に行った46件もの連続強姦事件では、犯行中にも女児に「先生」と呼ばせ命令に従わせていた。十分な知識を習得していないこどもに対しては強気に振舞えるということだろうか。尾上にも、年齢・立場・体格差などによって相手をコントロールできる状態に快感を得る偏った思考が見受けられる。

 

日本では、2006年から性犯罪再犯防止指導(R3)が行われており加害者は認知行動療法に基づく再犯防止プログラムの受講が義務付けられ、仮出所後も保護観察所に通って指導を受ける。受講者は自らの犯行に至ったプロセスと歪んだ認知を見直し、感情統制の仕方を考えながらライフスタイルやコミュニケーションの改善により社会への適合を目指すものであり、被害者感情への理解も促す。

再犯防止プログラム受講者は非受講者に比べ再犯率が低いとされる一方で、刑務所という特殊環境での受講では、実際に社会に出てからの再犯抑止効果は薄くなるとの見方もある。下の2つの記事では元性犯罪加害者(累犯者)による生々しい証言で治したくても治まらない「更生の難しさ」が語られている。

www.bengo4.com

www.fnn.jp

警察では、法務省からの情報提供を受け、13歳未満への性犯罪を犯した出所者については所在確認が行われており、必要に応じて本人同意のうえで面談を行うものとしている。

児童への性犯罪に関連して、2017年の刑法改正で、新たに監護者わいせつ罪・監護者性交等罪が加えられたことも重要である。刑罰としてはそれぞれ「懲役6か月から10年」・「懲役5年から20年」で強制わいせつ罪・強制性交等罪と同等となる。監護者とは、親や養護施設職員といった児童(18歳未満)が経済的・心理的に依存せざるをえない相手のことで、通常の学校教員や習い事の指導員などは含まれない。だが、これまで監護者から児童への性的虐待児童福祉法違反(最高刑で懲役10年)が適用されていたことと照らし合わせれば、児童福祉保護の観点や性犯罪の厳罰化が読み取れる改正である。

 

刑罰については、旧強姦罪であれば3年以上20年以下の有期刑、現行の強制性交等罪では5年以上20年以下の懲役が科される。こうした卑劣な性犯罪が繰り返されることや累犯の多さに対し、インターネット上では「去勢を義務付けよ」「体にICチップを埋めて監視しろ」といった意見も多く聞かれる。だが 憲法第36では「拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」と定められており、刑法第9条において、刑罰は死刑、懲役、禁固、拘留、罰金、科料、没収による7種類しか認められていない。

被害当事者であれば復讐心から直情的な主張になってしまうことも理解できるし、それは正しい反応だと思う。だが、はたして「黥(げい)」「入墨刑」のように生涯レッテルを貼ることで回避できる犯罪なのだろうか。言うまでもなく強制性交等は非人道的な行為であり、被害者のその後の人生にも大きな影響を及ぼすことを考えれば、筆者も性犯罪に対する量刑は軽すぎるように感じる。たとえば10歳で強姦被害に遭ったとして30歳になる頃には加害者が世に放たれる、と想像すると相手が何歳であろうと恐ろしくて身の毛がよだつ。相手が監護者であれば尚のこと被害者は逃げ場のない恐怖感や憎しみを抱えて生きていくことになるだろう。だが極端な重罰化や、制裁的な意味合いに偏った発想に至る昨今の風潮についても筆者はやや疑問に感じる。

 

■各国の対応と化学的去勢 

 

世界における性犯罪の再犯抑止の動きとして、そもそもの性衝動を除去するために物理的去勢(精巣摘出などの外科手術)のほか、薬物による化学的去勢を採用する国や地域もある。物理的去勢については人権侵害に当たる残酷な処置との見方から反対意見が多く、趨勢としては多くの国で化学的去勢(薬物療法とする国もある)へと移行しているとされる。化学的去勢の現状と課題については、国立国会図書館の発行するレファレンス誌824号掲載の小沢春希氏によるレポート『性犯罪者の科学的去勢をめぐる現状と課題』に詳しく紹介されている。

化学的去勢の代表的なものは、定期的な薬剤投与によってアンドロゲン(男性ホルモン) をコントロールし、性的興奮を引き起こすテストステロンのはたらきを思春期前の状態にまで抑えるというものである。定期的な投薬を中断すればテストステロンのはたらきは回復されるため、恒久的に性機能を損失させることを目的とした物理的去勢とちがい、可逆的な措置ともいえる。

女性蔑視が激しいとされるインドでは、2012年にデリーでバスに乗車中の女性が集団レイプされた事件を受けて国の性犯罪対策見直しを求めるデモが激化し、翌13年にムカルジー大統領は取り締まり強化を掲げ、強姦罪の死刑適用を認める大統領令を発布。2020年に加害者4名(6名が逮捕されたが、1名は収容中に死亡し、公式には「自殺」とされた。1名は未成年ですでに釈放)が死刑執行された。

絞首刑が行われた刑務所の前には、死刑支持派の人々が手に国旗を持って祝賀行事を行い、カウントダウンや歓声が上がった。事件後に被害届を出す人が増えたこともあり、性暴力に関する被害届の数は減っていない。2018年の認知件数は3万3356件に上り、10年間で約55パーセント増加しており、およそ16分に1回の割合でレイプ事件の通報があった計算になる。処刑前に行われた執行者クマールさんへのAFPによるインタビューでは「死ぬことになっている連中は獣のようなものだ。人間ではない」「残虐な人間だから、命を失うことになる」「家族を含め周囲の人々はいつも私によくしてくれるが、今回の処刑後は、私に対する尊敬の念が高まると確信している」と語っている。

www.afpbb.com

一方、別の強姦事件では、その発覚をおそれて女児の目を潰して犯行に及んだり、口止めのために姦通後殺害にまで至るケースも確認されており、被害者の父親が加害者の手首を切り落とすといった私刑が行われる事案も発生した。重罰化によって抑制された犯行もあったかもしれないが、これらは却ってより凶悪化に走らせたり被害を拡大させる“負の側面”ともいえるかもしれない。

 

インドネシアでは、2016年にスマトラ島で発生した14歳女児に対する10代少年グループによる集団強姦事件を受けて、ジョコ・ウィドド大統領は未成年者に対する性犯罪の罰則を強化する大統領令を発し、強制的な化学的去勢のほか、行動確認用チップの埋め込み、死刑適用も可能とした。2020年にフランス人男性による300人以上に上る少女への強姦事件が発覚し、死刑適用も取り沙汰されたが獄中で自殺を図り、その後死亡した。 

アメリカではカルフォルニア州など複数の州で、有罪判決を受けた小児性愛犯罪者の公表や、仮出所者に対しての化学的去勢を義務付けている(憲法修正第8条「残酷で異常な刑罰の禁止」に抵触するとして反発もある)。

フランスやドイツでは化学的措置は、医学的見地からの判断としてパラフィリア障害(異常性欲により自身や相手に苦痛を与え、害となる可能性が高いもの)が認められた場合、「治療」行為として提案され、実施には本人の同意が必要とされている。

 

一見すると、フランスやドイツのような仕組みであれば再犯を望まない受刑者の人権にも配慮され、本人の将来のためにもよい仕組みのようにも思われる。だが欧州拷問等防止委員会による報告によれば、受刑者は化学的去勢に同意しなければ仮釈放の見込みはないという暗黙のメッセージを受けていたという。真に「自主的」な任意ではないとされ、化学的去勢は性犯罪者の釈放条件であるべきではない、と提言している。

 また化学的去勢には性的興奮を抑える効力が認められるものの、性犯罪者釈放時の実施件数はそれほど多くはなく、性犯罪抑止の有効性・再犯率低下にどれほど効果があるのかを示す比較データが不足しているとされる。また生物的な介入によって、体重増加・血圧増加・女性化乳房・骨密度現象などさまざまな副作用が報告されている。一部には投薬停止後に、投薬以前よりもテストステロンの水準と再犯率が増加したとの報告もある。万が一にも再犯の可能性が高まるのであれば、投薬を停止する措置を行えないのと同じではないだろうか。

アメリカでの性犯罪者への対応について、弁護士ザカリー・E・オズワルドは、男性は女性より厳格な基準で訴追されていること、化学的去勢を宣告する裁判官の裁量が性別バイアスに基づいているため、男性は女性より高い比率で化学的去勢を宣告される格差が生じていると主張している。また刑法学者マーク・レンゼマによる2005年のレポートによれば、電子モニタリングによる犯罪抑止効果は期待できないとしている。

 

■所感

筆者自身、なぜ性犯罪の有期刑はこれほど短いのか、と以前から感じていた(いる)。刑法学や心療医学の専門家ではないため、本稿後半の、どういった再犯防止対策がなされているのか、各国の刑罰事情や具体的な化学的去勢の運用上の課題について、調べて初めて知るようなことばかりであった。裏を返せば、それだけ被害者に向けた同情と感情論ばかりで事件の根幹である加害者を傍観してきたということでもある。無論、「罪を憎んで人を憎まず」では許されないが、繰り返されないため・繰り返させないための支援を考え、これ以上の悲劇を生まない社会をつくることが加害者でも被害者でもない人間に課された使命でもある。法整備の見直し状況や元加害者たちのその後、社会復帰と更生を直接サポートする人たちについて知ることも冷静な議論をしていく上で大切だと感じた。

最後になりましたが、被害にあわれたみなさまの回復と心の安寧を願っております。

 

 

参考:

■性犯罪者処遇プログラム研究会報告書(平成18年3月)

 http://www.moj.go.jp/content/000002036.pdf

■内田亜也子『被害の実態に即した性犯罪背策の課題』立法と調査2020.7

https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2020pdf/20200708051.pdf

根強い女性蔑視 厳罰下でレイプ増加 インド 5年ぶり男4人を絞首刑 - SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイト

新潟女児殺害のような犯罪が「刑罰」では防げないエビデンスを示そう(原田 隆之) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

韓国三大未解決・カエル少年事件について

1991年、大韓民国大邱(テグ)市で起きた男子小学生5人の失踪事件、韓国三大未解決事件のひとつとされている通称“カエル少年事件”について、風化防止と文化理解の目的で概要等を記す。

尚、筆者は韓国になじみが薄くハングル語を解さないため、本稿では漢字やカタカナ表記と用いること、また内容に誤解の生じるおそれもあるが調べて書く行為を通じて文化理解を深める目的も兼ねているためご容赦願いたい。

 

■事件の流れ

1991年3月26日、この日は地方選挙により臨時の祝日だった。

韓国・大邱直轄市達西区の城西(ソンソ)国民学校に通う9歳から13歳の5人の少年が「臥竜山(ワリョンサン)にサンショウウオの卵を拾いに行く」といって朝8時半ごろに家を出たきり戻らなかった(*)。夜になっても帰らないため保護者らは連絡を取り合ったがだれも消息がつかめない。一晩待ってもだれひとり帰宅しないことから、27日午前、警察に5人の失踪を通報した。

のちに“サンショウウオの卵を拾いに行く”という少年らの言葉が“カエルを捕まえに行く”と歪曲されて伝えられたため「カエル少年失踪事件」という呼称で広く知られるようになった神隠し事件である。

(*現在の大邱広域市。金泳三(キム・ヨンサム)元大統領はそれまでの軍事政権による中央集権的体制からの脱却を図り、国軍や行政改革に着手した。1995年の行政区分見直しに伴い「直轄市」から「広域市」に改称された(広域市は全6都市。なお首都ソウルは「特別市」)。大邱慶尚北道の内陸部に位置し、およそ100万世帯・人口250万人が暮らす国内第4の大都市。/国民学校、クンミンハッキョ。現在の初等学校、小学校のこと。学制も1995年に改正された。)

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事件当初、家族や地元警察による山中や付近の捜索で何も発見されなかったことから、警察は「貯水池付近で遊んでいた」「市街で信号待ちしている5人を見掛けた」などの目撃証言を重視し、下山して市内に潜伏している可能性が高いとして、空き家やビニールハウス、宿泊施設やゲームセンターなどの一斉点検を行った(家出説)。

やがてニュースで5人の顔写真が公開されると「新聞売りの少年に似ていた」「チョコレート売りの少年2人と印象が近い」など全国から浮浪少年などの目撃情報が集まり、特集番組には外国人グループ等による拉致・凶悪犯による誘拐を懸念する声なども寄せられた(拉致・誘拐説)。

早期解決を目指す盧泰愚(ノ・テウ)大統領の号令により、警察は捜査範囲を全国に広げ、各地の駅前やバスターミナル周辺などでの聞き取り調査にも乗り出した。失踪から約7か月後、軍を動員した大規模捜索も行われたが少年たちの足取りはつかめなかった。企業各社は協力して最大4200万ウォンという破格の懸賞金を設置。またテレフォンカード(公衆電話カード)、菓子などの食料品、タバコ、ハガキといった様々な商品に広告がつけられるなど国家総出の大捜査キャンペーンを行い、映画製作や歌、小説のテーマに扱われるなど、老若男女を問わず全国民の関心事となった。

その反面、ハンセン病患者の治療に少年らの遺体が用いられ施設内に埋葬されているといった悪質な通報も行われ(人体生薬説)、実際に強制捜査に及んだ警察の強引な手法も問題視された。また96年1月の捜索番組では、心理学博士のプロファイリングにより少年の保護者のひとりに疑惑の目が向けられ、床板を剥がすなど行き過ぎた追及が騒ぎとなった(保護者説)。

1993年9月、懸命な捜索活動を続けてきた少年らの親たちが記者会見を開き、事件の長期化による生計のひっ迫から生業への復帰を宣言。これまでの捜査協力への感謝と共に「今後は警察の捜査と国民の情報提供に依存するしかない」と涙ながらに語った。

その後、新たに男児を授かった家族などもある一方で、息子との再会を果たせぬまま父親が病没するなど、時の流れを感じさせた。捜索は延べ32万人が動員されたが依然として膠着状態が続いた。

 

失踪から11年6か月余が経過した2002年9月26日、臥竜山中腹へとドングリ拾いに訪れた付近の住民が地面から露出した子供靴と人骨らしきものを発見。その日のうちに照会されると、5家族が抱いていた微かな希望は脆くも砕け散り、事件名から“失踪”の二文字が消えることとなった。カエル少年の遺骨発見直後、警察は“遭難事故”との推察を示したが、遺体の状況や鑑定から他殺の疑いが強まり“犯人捜し”の再捜査が行われた。

 

新情報も出たものの犯人特定に結びつくことはなく、2006年3月25日に15年の公訴時効を迎えて事件は迷宮入りを余儀なくされた。所轄の城西署では時効満了後もカエル少年事件担当チームが置かれ捜査が継続されている。

 

少年たちが遊びに向かったとされる臥竜山は達西区の北/西区西部に位置し、北面に琴湖江を臨む標高300メートルほどの緩やかな低山。当時は南面に4~5つの谷があり、西面には3つの貯水池があった。“サンショウウオの卵”がどこにあったのかは分からないが、少年らの通っていた城西小学校から北へ2~3キロメートルほどの距離で非常に近場である。子どもたちにとって臥竜山は大人たちの目の届きにくい、格好の遊び場だった。

 

■遺骨発見と再捜査

遺体発見現場周辺では大々的な発掘捜査が行われ、遺骨と衣類や靴のほか、弾頭や実弾など12点(遺骨近接は2個。その後の発掘により周囲から100数十点に及んだ)、あんパンの袋が発見された。上空では再びマスコミ各社による取材合戦が行われた。失踪当時は低山の周囲を桑畑と田んぼが並ぶ農村地域で“村の裏山”といった風情であったが、その後、龍山地区などの周辺開発により市街化が進んだ。発見当時も臥竜山周辺は学校新設工事や新たな墓地の改葬工事が行われていた。

発見直後の会見で、警察は「常識的に見て他殺の痕跡は薄い」として、遭難後の低体温症による自然死とする見解が述べられたが、ジョンシク君の叔父は「山を知り尽くしている子どもたちが迷子になるなんて考えられない」と強く否定。OhMyNewsの記事によれば、失踪当時、遺骨発見現場から5、600メートル地点に40世帯規模の村があり、200メートルほどの場所にも5世帯ほどが暮らしていたとされる。古くからの周辺住民は「射撃場の悪影響や山火事の影響でハゲ山が多かった」「村の灯や近くの高速道路が目に入るだろう」と遭難説に否定的な見解を述べている。

また発見された体操服の上着の左右の袖が結ばれており、警察はこれを「寒さを紛らわせるため」としたが、“拘束された”ともとれるかたちだったことから他殺説を提起する保護者もあった(少年自身や子ども同士でふざけて縛っていた可能性も否定はできない)。

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                                                 (wikimedia

キム・ヨンギュ(11)

キム・ジョンシク(9)…腕に防御創と見られる骨折

パク・チャンイン(10)

ウ・チョルウォン(13)…頭蓋骨の左右に1センチ、4センチ程度の穿孔

ジョ・ホヨン(12)

警察は、発見現場から300メートルほどの場所に1994年11月まで大邱第50師団の予備軍射撃場があったことから、打ち損じの実弾を少年が拾った可能性を示唆。また過去に臥竜山で赤鹿の猟師が出没していたとの住民証言もあったことから近隣の猟銃所持者らへの聞き込みを行うとした(猟師説)。

 

30日夕刊『文化日報』は、白骨発見直前の25日に「臥竜山にカエル少年5人は埋まっている」と電話でタレコミがあったと報道。「当時の政権や社会状況を正すための政治信念からの犯行」などとされ注目を集めたが、その後、警察の調べで当該人物による推測情報だったことが明らかになった。

聯合ニュース』では、遺体発見前の2002年8月に関連が疑われる情報提供があったと発表。旧達西区役所付近で靴磨きをしていたハン氏によれば、7月に「軍に服役していた当時、突然現れた5人の少年に向けて誤射し、一人が死亡、一人にけがを負わせてしまったため、隠蔽のため別の場所で絞首・銃殺した」と少年殺害を匂わせる三十歳程の客がいたと報じた(元軍人説)。

警察はこうしたマスコミの過干渉・翻弄させるような報道に対して不満を示した。

 

遺骨を鑑定した慶北(キョンブク)大学法医学チームは、生前に外傷を受けていたと見られる痕跡が10か所認められたとし、死因について「頭蓋骨内部の出血」によるものと推定、「精神異常者や性格異常者が鋭いドライバー等凶器で殺害した可能性がある」という所見を提示した。

尚、頭蓋骨左右に穿孔がある遺骨について「銃創ではないか」とする意見に対しては「通常、被弾による貫通による骨折は、内側と外側で形状が異なるため、この頭蓋骨の穴を弾丸によるものとみなすことは難しい」と説明された。

 

他殺説を裏付ける証言として、失踪同日に山に入っていた別の少年グループの一人が「10秒間隔で2回、悲鳴を聞いた」というものがすでにあった。

また少年の旧友から「射撃場近くで“弾頭拾い”をしてよく遊んでいた。いっしょに行く予定だったが、自分は途中で引き返した」との証言が得られ、別の同級生からも「自分は彼らとそれほど親しくなかったが、当日10時頃に射撃場へ行くと言って山に入るのを見た」との裏付けがなされた。

カエル少年失踪より以前に“弾頭拾い”をしたことがあるという近隣住民は、「射撃が始まるときサイレンが鳴り、警告放送があるので近寄らなかった」「しかし訓練終了後を見計らって訓練場標識を越えて拾うこともあった」と少年時代の体験談を語っている。

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疑惑を向けられることとなった陸軍当局は50歩兵師団の調査を実施し、会見を行った。射撃位置と発見場所の位置関係について、250メートルの距離、射撃方向から45度ずれているとした上で、当時、高さおよそ150メートルの尾根に遮蔽された地形であったとし、仮に射撃訓練があっても直接被弾した可能性はないと説明した。

施設敷地の購入年度が56年・71年・81年と段階的に拡張されてきたことから、81年度購入(失踪当時の施設)より以前の防護設備が乏しい状態での流れ弾や、一時的な簡易射撃場があった等して現場周囲に散乱していた可能性を示唆した。

また少年らが(遺骨発見現場ではなく)射撃場周辺で弾頭拾いをした可能性もあるとし、根拠となる記録日誌類は保存期限3年で処分されているが職員らに聞き取りした結果、事件当日は(選挙による)臨時祝日で射撃訓練を実施していないと推定されることを説明した。

使用の弾丸についても岩やコンクリートに当たった場合は弾頭形が崩れることを指摘し、発見された弾頭と軍が無関係であることを示し、非公式射撃の可能性については「銃器携行での領内離脱は武装脱営になるため、そのようなことはあり得ない」とした。

しかし当時、在韓米兵も施設を利用していたことや、当該記録の早期抹消の可能性、非公式射撃などに関する疑念のすべてが拭い去られた訳ではなかった(軍隠蔽説)。

 

■その後 

ヨンギュ君の父は「決して家出するような子どもたちではなかった。警察は目撃者の証言をもとに見当はずれの捜査に集中し、方向性をずらしてしまった」と当初の警察の見立てに対する不満を露わにした(東亞日報)。また遺族らは「通報を受けて到着時にはすでに発掘が終わった段階だった。なぜ遺骨発見初期の状態のまま見せてくれなかったのか」と、これまでの捜査過程で警察への不信感を募らせている様子も窺わせた。2005年8月、少年たちの遺族らは「全国迷児・失踪家族を捜すための市民の集い」とともに、国を相手取って4億5000万ウォンの損害賠償請求訴訟をソウル中央地裁に起こした。

 

上の動画はKBSニュースがカエル少年事件の報道をまとめたダイジェスト版で、失踪時の捜索キャンペーンの様子や遺骨発見時の報道を見ることができる。

再び報道が活発化し新たな情報提供もある一方で、根拠に乏しい情報や「犯人は吸血して生きるモンスターである」「神の啓示によって少年の埋葬場所を警察に通報していたが無視された」といった合理性を著しく欠く通報者(霊媒師など)も相次いだ。しかし“初動捜査の失敗”に対する批判を受けて、警察はそうした虚偽情報に対しても慎重な確認の手続きを踏まざるをえなくなっていた。

他殺説として様々な憶測が飛び交ったものの、警察は「あらゆる可能性を視野に入れて」対処した結果、犯人像を絞り込むことさえ難しくなり、真相解明の糸口をつかむまでに至らなかった。 

 

■時効とのたたかい

1954年に成立した韓国刑法は当時の日本法を参考にしたもので、殺人罪時効は15年とされていた。時効成立を前に遺族からは「犯罪として罰することはできなくなる。だが、たとえ犯人がすでに死んでいたとしても霊に化けてでも、息子たちを殺した理由を教えてほしい」という悲痛な声もあった。2006年3月の慰霊集会では「時効を過ぎればたとえ犯人が検挙されても罪には問えない。このような悔しいことが二度と繰り返されることのないように」と時効の延長・撤廃を訴えた。

同じく三大未解決事件とされる1991年1月にソウルで発生した“イ・ヒョンホ君誘拐殺人事件”、86年から連続強姦魔によって繰り返された“華城連続殺人事件”も本件と同じ2006年にすべての公訴時効が成立することになっていた。2005年に日本では公訴時効改正(最長15年から25年に延長された)が成立し、韓国内でも時効期限見直しを期待する世論は高まっていた。2005年8月にもウリ党議員から殺人罪時効を20年に延長する刑事訴訟法改正案が提出されていたが、政局に左右されて国会での法案審議は足止めされ、はたして改正が果たされたのは三大事件の時効成立後、2007年のことだった。

 

2011年11月、障碍者と13歳未満の児童を対象とした性的暴力犯罪に対する時効撤廃を盛り込んだ「ドガ二(坩堝)法」を制定。

2015年7月、殺人罪の時効を廃止する刑訴法改正案「テワニ法」が成立した。1999年、大邱でキム・テワンくん(6)が何者かに硫酸を掛けられ49日の闘病後に死亡した事件が2014年に時効を迎えてしまったことにより発議されたものである(2007年改正は遡及して適用されなかったため、テワンくん事件の時効期間は15年のままだった)。

 

2019年10月、華城連続殺人事件の現場に残されていたDNAを最新手法により再鑑定した結果、5件目(1987年)で採取されたものと別の強姦殺人事件ですでに釜山に収監中のイ・チュンジェ受刑者(56)のものとが適合したことが京畿南部地方警察庁の捜査本部より明らかにされた。受刑者は義妹に対する強姦殺人で無期懲役刑となっておりすでに25年間服役していた。11月2日、水原(スウォン)地裁において開かれた8次事件(ユン・ソンヨ被告再審裁判)にイ受刑者が「証人」として出廷し、義妹のほか14人の殺害と30件の強姦事件について公開自白した。しかしすでに全件で時効が成立していることから新たな罪状が付されることはない。

上の動画では華城事件の真犯人解明にDNA鑑定が大きな役割を果たしたこと、迷宮入りしたイ・ヒョンホくん事件・カエル少年事件でも再鑑定が進められていることなどを伝えている。

 

■所感と妄想

イ・ヒョンホくん誘拐事件の悲劇の直後に起きた謎の集団失踪に国民の不安が高まり一層関心が寄せられた本事件。いくつもの家族がメディアに登場したためヒューマンドラマ的な受容を喚起した側面や、家出・浮浪少年という社会問題との接合も注目を集めた背景かもしれない。

日本の失踪事件と照らし合わせても保護者に対して向けられる疑惑や外国人による拉致説、トンデモ説、警察による初動捜査に対して家族が抱く違和感など、似たような問題点がいくつも見受けられて興味深い。登場人物ばかりを執拗に疑っていても真犯人を見失うことにつながりかねない。

遺体発見後の警察の対応は「遺骨発見」で事件の幕引きを図ったような印象は拭えないし、軍についても報告書然としすぎていて噛み合わない。とはいえ、弾丸の種類が6種類かそれ以上あったとみられることから、かつて敷地外で非公式に臨時射撃が行われていたものと考えてよいと思う(普通の猟師であればそれほど複数種の銃器を用いないし狭い範囲で百数十発も打ちまくることは考えづらい)し、カエル少年たちが薬莢拾いに訪れたことも事実であろう。

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筆者が妄想する犯人像は、二十歳前後の男性である。軍人かもしれないし、かつての村の若者かもしれない。山で出会ったカエル少年たちと気さくに語らい、「もっと薬莢が見つかる場所がある」とか「こっそり銃に触らせてやる」とかひと気のない場所へとおびき寄せて、次々と手に掛けた。金銭目当てでないこと、レイプや誘拐目的であれば単独・少数行動を狙うと考えられることから、反社会性の発露、興味本位の突発的な犯行だったと考えられる。

山から5人を移動させたとはやや考えづらく、その日のうちに5人を埋められる穴を掘ったものと考えられる。スコップは下山して家まで取りに戻ったか、あるいは近場の農作業小屋から失敬したものか、いずれにせよ田舎の野山で犯行に及ぶのだから近隣の事情に通じた者の犯行だ。いつ捜索隊が現れるやもしれず、その晩のうちに撤収。幸いすぐには発見されなかったものの、捜索キャンペーンが始まる。

しかし世間の目は“殺人事件”ではなく“浮浪少年”へと向かい、また若者が村を離れるのは奇妙なこととも思われず、ひょっとすると程なく開発の余波を受けて一家丸ごと転居したかもしれない。軍人であれば何年も経たないうちに退役や転任していよう。あるいはキャンペーンの拡大がプレッシャーとなり、発覚をおそれていつしか自殺した可能性などもあるが、他言しなければ真相は闇の中だ。

 

時効問題もあるため犯人逮捕・真相解明が被害者・遺族への報いになることもない悲しく罪深い事件である。皮肉なことだが“サンショウウオの卵少年”ではなく、キャッチーでどこか愛らしい、そしてサンショウウオよりはるかに身近で親しみやすい“カエル少年”というネーミングが付された偶然は運命的なことのように思える。私たちは毎年カエルのなく季節が来るたび、切なくも5人の少年たちが生きていたことを思い出すことができるのだから。カエル少年たちのご冥福とご遺族の心の安寧をお祈り申し上げます。

 

 

■参考

OhMyNews

東亞日報

・KBS

・the hankyoreh

・国民日報

岡山県倉敷市老夫婦殺害放火事件について

1995年、岡山県倉敷市児島で起きた老夫婦殺害および放火事件について、風化阻止の目的で概要等を記す。また関連事項として死体損壊(いわゆるバラバラ殺人)や公訴時効についても触れる。

 

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■概要

1995年4月28日(金)未明、倉敷市児島上の町にある民家から火の手が上がり、木造2階建ての母屋など4棟が全焼。焼け跡となった母屋一階から、この家の住人で農業を営む角南(すなみ)春彦さん(70)と妻・翠さん(66)の遺体が発見された。

春彦さんは玄関付近、翠さんは台所付近で見つかっており、遺体には無数の刺し傷があり、腹部には凶器に使われた包丁や登山用ピッケルが刺さったままとなっていた。いずれも首から頭部が切断されて持ち去られていたこと、火災状況から灯油をまいて火を点けたとみられることなどから、岡山県警殺人・放火事件と断定し捜査を開始した。

 

岡山市大医学部による司法解剖の結果、春彦さんは左胸部と右わき腹に刺し傷があり死因は心臓損傷、翠さんは右胸部と腹部を刺されたことによる失血死。死亡推定時刻は27日17時から21時頃とされた。

 

児島地域は倉敷市南部に位置し、地形的には周囲を山と海に囲まれた小都市で、香川県とつながる瀬戸大橋の北端・交通の要所としても知られる。上の地図でも分かる通り、角南さん宅はJR上の町駅からそれほど離れていない。だが市街地からは外れており、敷地西側を山林に囲まれた閑静な立地といえ、県道268号白尾塩生線を東に進むと広い山地が広がる。

 

執拗な手口から「交友関係とのトラブル」との見方を強め捜査が進められた。自宅金庫は手付かずで、所有する付近の山林の境界問題、土地や金銭をめぐって数十件のトラブルを抱えていたとの情報があったものの、家屋の全焼によって得られる物証に乏しく、犯人に迫る有力な証拠は得られなかった。

事件発生から25年となる2020年4月の段階で延べ15万人ほどの捜査員が動員され、捜査本部に寄せられた情報は262件(2010年4月時点では230件。19年度の情報提供は僅かに2件だった)。現在も専従8人を含む19人態勢で過去に浮上した人物や他事件との関連といった情報の洗い直しを行っている。

 

■犯行について

以下、事件内容や犯行動機について検討していく。証拠がある訳ではないので筆者の妄想となってしまうが、被害者を冒涜する意図はないのでご了承願いたい。

事件について最も引っ掛かりを感じるのは、首の切断と持ち去りである。たとえば切断された頭部が現場に残っていれば、解体を途中で諦めた可能性なども出てくる訳だがそうしていない。合理的に考えれば、凶器を捨て置いてなぜ処分に手間のかかる頭部をわざわざ持ち去るリスクを負ったのかは疑問に感じられる。

死体を損壊する理由としては、次のようなものが挙げられる。

・防衛的動機

①遺棄・隠蔽のため(井の頭公園江東区マンション)

②運搬のため(玉の井、大阪民泊女性)

③身元の特定を遅らせるため(江戸川区篠崎ポンプ所)

・攻撃的動機

④強い怨恨(練馬一家)

⑤報復・見せしめ(マフィア、過激派などによる組織犯罪)

 ・猟奇的・倒錯的とみなされる動機

⑥自己顕示・挑発(東京・埼玉連続幼女誘拐、神戸連続児童殺傷)

⑦食人(臀肉、パリ人肉)

⑧性愛(若松湯ホルマリン漬け、阿部定

⑨関心・その他(佐世保高校生、会津若松母親)

 欧米ではバラバラ殺人はシリアルキラーによる異常犯罪とみなされる傾向が強いが、日本の場合、住環境や生活環境のちがいなどから防衛型①~③の動機がその9割以上を占めるとされる。DNA型鑑定法が普及する以前は身元不明の故人の特定に指紋や歯型の治療痕が用いられることもあった。だが本件では胴体はそのまま残しており、被害者はその家の家人であるため、防衛型に当てはまらない。④は殺害の動機にはなるが損壊そのものの動機とはいいづらいかもしれない。⑤は組織の制裁や武力誇示として特定の人物や対立集団などに向けられたメッセージ的意味合いが強い。

国内では⑥~⑨は数としてはやや希少なケースであり、重複する場合もある。⑥は社会に向けた自己顕示といった意味での分類でいわゆる「劇場型」犯罪者にみられる傾向だが、本件ではいまだ頭部が発見されないことから除外される。⑦については(野口男三郎などは目玉をくりぬいたとされるが)「脳みそ」目的であれば話は別だが、口に運びづら可食部が少ない頭部を食用とするのはやや考えづらい。⑧については本件では二体とも持ち去られているため除外してよいかと思う。⑨興味殺人の一環として解剖・解体にまで及んだ、あるいはエド・ゲインのように人体の一部を創作に用いたケースもある。単なる骨片ではなく頭蓋骨という象徴的部位であることからも考えられなくはない。


殺害した上での“放火”については、当然、証拠隠滅の狙いがあったと考えられる。また頭部切断の上に放火という執拗さは恨みの強さを感じさせる。事件前後の邸宅の様子などが分からないので憶測にはなるが、撒かれた灯油や付け火が母屋以外にも及んでいたとすればより多くの注目を集めるための“見せしめ”だった可能性が強くなる。

凶器にしても、製品についての公開情報はないため、どこまで絞り込みができているのか分からないが、購入が容易でどこの家にもある「包丁」、冬場であればほとんどの家に備蓄されており足の付きにくい「灯油」に対し、雪山登山で用いる「ピッケル」は利用者・購入者が特定されやすい代物に思われる。身内に聞けば角南さんの所持品だったのか否かはすぐに判明しているだろう。もし凶器のつもりで持ち込むのであれば、特定を避ける意味でバールなどの工具の方が向いているように思われる。登山に全く関係のない犯人がかく乱を狙って残していった可能性も否定できないが、もし角南さん宅の物でなかったとすれば犯人個人の属性を示すアイテムとして現場にあえて残された、やはり周囲に対する“見せしめ”だった可能性を感じさせるのである。

 

部外者の一仮説、こじつけにすぎないが、たとえば土地関係で揉めた暴力組織あるいは地元有力者が実行犯1・2名に依頼した犯行と考えることはできまいか。殺害の証拠としては手指や耳など切断しやすそうな部位を持ち去ればよい気もするが、「首」を求めたとすればそれだけ強い恨み・怒りだったのかもしれない。そうした“見せしめ”が功を奏するかたちで周囲の人間も“報復”を恐れて捜査協力におよび腰となり、追及が難しいのではないか。

 

■公訴時効とのたたかい

“公訴時効”は、時間的経過による証拠の散逸(不確かさ)により事実認定が困難になることや社会的な処罰感情の希薄化などを理由として、一定期間を過ぎると起訴できなくなる訴訟法上の概念である。国によって採用・運用の状況は異なるが、日本の刑法205条では法定刑上限(罪の軽重)によって時効の期間は区切られている。

 

2004年、刑法改正により法定刑の重罰化が行われ、付随して刑事訴訟法の公訴時効期間についても見直されて時効の延長が行われた。

2009年、殺人事件被害者遺族らによる“宙の会”が結成され「遺族の被害感情は時間の経過によって薄れることがない」とする意見表明などによって公訴時効制度の見直しを後押しした。

2010年4月27日に公布・施行された改正刑事訴訟法により、重大犯罪に関する公訴時効期間の延長と一部撤廃が実現し、1995年4月27日に起きた本件も時効撤廃が適用された(改正前は25年で時効とされていた)。こうした時効見直しの動きはDNA鑑定など捜査技術の進歩による証拠能力の向上などを踏まえたものだが、関係者の記憶やあらゆる証拠が保全されるわけでもなく、改正前の旧時効を過ぎてから容疑者が摘発された例はあまり多くない。

岡山大法学部の原田和往教授は「改正法の趣旨は時効成立後に犯人が判明した際、立件できない事態を回避するためで、未解決は仕方がない面もある」と解説。「現実的に解決が難しい事件はあるし、その一方で未解決という現実に納得できない遺族もいる。これにどう折り合いを付けるか。今後、捜査当局は難しい判断を迫られることになる」と指摘する(山陽新聞)。

 

公訴時効撤廃後に逮捕されたケースには、1997年に起きた三重県上野市(現伊賀市)のホテル従業員が刺殺され売上金約160万円が奪われた強盗殺人事件などがある。この事件は、発生から16年後の2013年2月、DNAの再鑑定から現場となったホテルの元従業員・久木野信寛容疑者が逮捕された。裁判では、時効撤廃について憲法第39条・遡及処罰の禁止をめぐって争われた(改正前であれば15年で時効とされていた)が、2015年12月、最高裁桜井龍子裁判長)は「容疑者や被告になる可能性のある人物の、すでに生じていた法律上の地位を著しく不安定にする改正ではない」として上告棄却。1審津地裁,2審名古屋高裁の判決を支持し、被告の無期懲役が確定した。

 

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検挙されたが罪に問われなかったケースもある。1999年に福岡県田川市で発生した建設作業員男性水死事件では、2014年に情報提供があり、白骨遺体が発見されたことから捜査が進展。翌15年、建設会社役員、従業員ら3名が殺人罪の容疑で逮捕され、当時「しつけ」と称して被害男性に体罰・暴力行為が日常的に行われていた事実が判明。当初は3人が彦山川に突き落として溺死させ、遺体を川崎町の池沼に運んだものと報道された。

だが17年、福岡地裁で行われた裁判(足立勉裁判長)では、加害者が突き落としたのではなく高さ1~2メートルのコンクリート護岸から「入水を迫った」ことが明らかにされ、3人の「明確な殺意の有無」が最大の争点となった。入水の強要に被害者は抵抗できなかったこととそれに起因する溺死は明らかだが、当時の懲罰行為の一環として行われていたこと、被害者が泳ぐことができないことを認識していなかった可能性もあること、被害者の転落後に捜索を試みたことなどから被告人らの殺意は認定されず、「傷害致死罪」が適用された。2004年以前の事件については改正前の刑訴法が適用され、当時の公訴時効が10年のため、本件の公訴提起が行われた2015年10月30日時点ですでに時効が成立していたとして「免訴」が言い渡されている。

 

 

■所感

上述の2010年4月27日の改正刑事訴訟法可決は、本件が“時効成立”を迎えようとするわずか半日前だった。筆者の期待的憶測では、異例ともいえる同改正法が即日施行された背景には、本件の時効撤廃を求める警察や地元関係者からの後押しがあったのではないかと考えている。捜査幹部の「容疑者を逮捕してもこれだけ時間がたつと証拠を固めるのが難しい」(共同通信社)との声も報じられたが、裏を返せば、検挙に結びつく確証を抑えられていないがすでに目星はついているという意味にも捉えられる。上で見立てたように、暴力組織や地元有力者といった首謀者が健在であれば事件は容易に進展しないかもしれないが、事件からすでに20年が経ち関係者も高齢となっていようことからも、いつどんなかたちでリークがあるかも分からない。凶悪な未解決事件がひとつでも減ることを、首謀者の息があるうちにその時が来ることを祈っている。

 

 

■参考:

山陽新聞(2020年4月26日)時効廃止10年、解決糸口見えず

https://www.sanyonews.jp/article/1007275

警察庁/公訴時効制度の見直しについて

https://www.npa.go.jp/hanzaihigai/whitepaper/w-2011/html/zenbun/part2/s2_3_1c5.html

・国会国立図書館『調査と情報』No.679/越田崇夫、公訴時効の見直し(2010年4月22日)

https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3050383_po_0679.pdf?contentNo=1

 

茨城県美浦村女子大生殺害事件について

 2004年、茨城県美浦村で起きた女性殺害死体遺棄事件、いわゆる茨城女子大生殺害事件について、風化阻止の目的で概要等について記す。

尚、本件は加害者3名のうち2名が検挙されている。主犯格とされる男性はすでに無期懲役で服役中。もう一人の元少年(当時18歳)についても2021年1月から水戸地裁(結城剛行裁判長)において公判が行われ、2月3日、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。

残る一名についても現在、国際手配中である。

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www.pref.ibaraki.jp

 

■概要 

「マネキンだと思いました。長い髪が水面に広がっていて…でも堤防(土手)に血の跡が見えたから死体だと気づいたんです」

2004年1月31日9時頃、美浦村舟子の清明川河口付近で散歩をしていた近隣に住む五十代男性が、水面にうつぶせの体勢で浮かぶ女性の遺体を発見し通報する。

同日午後、同じ大学に通う交際相手・男性(21)の届け出により、女性は30日深夜に外出したまま所在が分からなくなっていた阿見町在住の茨城大学農学部2年生・原田実里(みさと)さん(21)と判明。遺体状況から他殺と断定し、「顔見知りによる怨恨」と「行きずりによる犯行」の両面から捜査が進められた。

 

発見時は全裸姿で、血痕の付いた黒色のジャージズボンは付近に浮かんでいたが、当時着用していた黒色のセーターは発見されなかった。

死亡推定時刻は31日0時から2時ごろとされ、死因は首を絞められたこと(絞殺または扼殺)による窒息死。腕や太ももに圧迫による内出血、首や左肩には殺害後に刃物で切りつけた複数の傷、左胸に心臓にまで達する深い刺創があり、複数の凶器が使われたものとみられた。

大学付近にある実里さんの自宅アパートから発見現場までは約7キロ、車で10数分の距離。現場の護岸コンクリート斜面に点々と血痕が残されていたが、付近に争ったような痕跡はなく、遺体の足裏は汚れていなかったことなどから、別の場所で殺害され現場周辺で遺棄されたものと見られた。 

2月4日、所在の分からなくなっていた実里さんの自転車(サイモト自転車シティサイクル)が、自宅から約4キロ、遺体発見現場からはおよそ9キロ離れた土浦市古岩田西1丁目の空き地で、スタンドが立てられ鍵が点いたままの状態で発見された。後の調べで自転車の鍵と一緒に付けていた実里さんのアパートの鍵が所在不明とされた。

 

被害者アパート周辺は市街地で、周囲には0時まで営業するスーパーやコンビニ、夜間営業の飲食店なども多い地域で、茨城大学農学部のほか陸上自衛隊駐屯地や2つの大学病院や医大関連施設などがあり、人口は多い。

遺体の発見された清明川河口から霞ヶ浦湖岸にかけては広い田園地帯で、最も近い民家でも300メートルほど離れている。日中であれば河口付近は多くの釣り客でにぎわうスポットだが、夜間には全くひと気が途絶える。

自転車発見現場周辺は住宅街で、被害者が訪れて自ら乗り捨てたとは考えにくい場所であった。

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■長期化する捜査

30日21時頃、実里さんが自宅アパートに帰宅し、自宅で待っていた交際相手と飲酒・食事をする。

深夜0時頃、男性がうたた寝をしていると「部屋を出る物音を聞いた」が、「風呂かトイレ」に行ったものと思った。

31日8時頃、起床した男性が外出を伝えるメモ書きを発見。しかし実里さんが不在なことから、友人らに電話で消息を確認する。

15時頃、自宅に戻った男性が近隣での若い女性の遺体発見の報道を知って警察に届け出。

 実里さんは視力が0.1程度で日ごろコンタクトレンズか眼鏡を着用していたが、どちらも家に残されており、財布、携帯電話も部屋に置かれたまま。夜間に裸眼のまま自転車で外出することは困難と思われた。また男性との飲食時に着ていた部屋着(寝間着)から着替えて外出したとされ、携帯電話には帰宅した21時以降の発着信・メールの送受信はなく(交際男性による18時の通話記録が最後)、自家用車は置かれたままで、外出の理由は不明とされた。

また部屋から交際男性の水色のダウンジャケット、白いスニーカーが紛失しており、おそらく実里さんが着用して外出したものとみられたが発見に至らなかった。

事件発生から一週間後、メモの存在が公表された。報道によってブレがあるものの、外出することと帰りが遅くなる旨が記されていたとされた。当初、「友人に会いにでかける。遅くなる」との報道もあったことから、「他にも交際相手がいたのではないか」といった憶測も囁かれた。(後の裁判により「散歩にでかける。朝までには戻る」といった内容が書かれていたとされた。「散歩」は交際男性との間でケンカした際などに「頭をクールダウンするために家を出る」「一時的に距離を置くための外出」という意味合いで使うことがあった。)

 

 

31日3時頃、新聞配達員から遺体発見現場付近にあまり大きくない白っぽいワゴン車の目撃証言。

5時半頃、自転車発見現場付近に見慣れない白いステーションワゴンかワンボックスカーが停車していた目撃証言。作業員の履くようなズボンを履いた男性2人が荷台から自転車を下ろしていた。

また土浦市内で発見された実里さんの自転車は、空き地(資材置き場)入口に倒れていたものを作業員(上の目撃証言とは無関係)が脇にスタンドを立てた状態に直していたことが判明。1月31日8時頃にはその場に置かれていたという。

 

事件当初、アリバイもなかったことから交際男性による狂言ではないかとも疑いの目を向けられ、周囲には離れていった人もいたとされる。

実里さんは学業のほかに飲食店でのアルバイト、トライアスロンクラブのマネージャーをしており30日日中も渋谷で学連の全国大会の打ち合わせに出席するなど学外の交友関係が広かったこと、一年時のキャンパスは水戸であることなどもあって調査対象が拡大。捜査が絞り込めなかったことなどから事件は長期化した。

 

 ■逮捕まで

 2007年、実里さんの両親が情報提供者に最大で200万円の私設懸賞金設置を公表。

2008年から2014年にかけて公的懸賞金制度が適用されることとなる。

2010年の公訴時効撤廃を受けて11年より未解決事件専従の捜査班を設置。

2011年1月、遺体に付着したDNAを解析の結果、複数の男性のものと判明。

2013年、自転車発見現場付近の県道に停めたワゴン車から「作業ズボン姿の男性2人」が発見されたものとよく似た自転車を下ろしていたとの目撃証言。

2015年頃、事件の関与をほのめかす人物についての情報が寄せられ、実里さんとの接点は「不明」とされたが、捜査線上に事件当時十代から二十代で土浦市在住だった「フィリピン国籍の男性」が浮上した。

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2017年9月2日、茨城県稲敷署捜査本部は、任意によりDNA採取をし鑑定したところ遺体に付着していたものとほぼ一致したことから、岐阜県瑞穂市に住む工員・ランパノ・ジェリコ・モリ容疑者(逮捕時35歳)を強姦致死と殺人罪の疑いで逮捕した(同日、妹ら男女3名についても不正に在留資格を取得したなどとして逮捕)。

ランパノ容疑者らは、2007年に共犯者の母親に犯行を打ち明けたところ、フィリピンへの帰国を薦められたため同年3月ごろ出国。事件に関与した3人のうち、ランパノ容疑者だけが日本に戻り、2010年頃から瑞穂市で家族と暮らすようになった。残る2人はフィリピンにとどまっており、同国と日本との間に刑事共助協定がないため国際手配には更なる時間を要した。

投入された捜査員は延べ約3万4千人、約360件の情報提供を精査した末でのようやくの逮捕であったが、事件発生から13年以上もの月日が流れていた。

 

2018年末、共謀した元少年(事件当時18歳)が出頭の意思を示したとの情報が入り、捜査員を派遣。翌19年1月24日、成田空港から入国後に逮捕された。出頭には親族の薦めがあったとされ、逮捕直前のJNNによる取材に「本当にごめんなさい。こんな事件になると思わなかった。私は共犯者の車で連れて行かれただけ」と答えていた。

 

*****

 いささか余談にはなるが、同時期に発生した長期未解決事件、若い女性を狙った犯行などから、以下2つの事件との関連性も噂された。

ひとつは2004年6月20日、茨城岩井市長須(合併により現在は坂東市)の利根川沿いにある排水路脇の草むらで携帯ストラップによる窒息状態で倒れているところを発見され搬送先の病院で死亡した高校1年生・平田恵理奈さん(16)の事件(通称・岩井市女子高生殺害事件)。

もうひとつが2003年7月6日、埼玉県草加市にある瀬崎浅間神社の夏祭りで行方不明となり、その3日後に茨城県五霞町の用水路で遺体となって発見された足立区在住の高校1年生・佐藤麻衣さん(15)の事件(通称・五霞町女子高生殺害事件)である。

尚、『週刊実話』2018年1月24日増刊号掲載のノンフィクションライター・八木澤高明氏によれば、かつて上記2件の関連性について当時の境署副署長について尋ねたところ、「2つの事件に関連性はないと思います」ときっぱりと否定されたという。

筆者としても、遺棄現場として「人目につかないこと」を考慮した結果として川や田園に囲まれた場所が選択され、また茨城県西部は群馬県・埼玉県・栃木県・千葉県とも比較的近いため捜査を遅らせる意図で「越境」を狙ったなどの条件が重なったものと考えている。自動車を所持していて隠蔽や逃走を企てる累犯者であればあえて同じ轍は踏まないと見るのが妥当ではないか。

ほかにも2004年10月にあった埼玉県の同じ運送会社に勤める19歳から22歳の男性4人グループによる殺害未遂事件も類似点が多い。男性たちは春日部市内の私鉄駅前コンビニでナンパした女子高生2人を車に乗せ、埼玉・千葉・茨城を連れ回した末に、わいせつ行為や現金を強奪。女性が勤務先の作業服に付いていた社名を見て「覚えたからな」と発言したことで男性らは殺意を抱き、水面までおよそ18メートルの高さがある下総利根大橋の中央部から突き落とした。少女2人は重傷を負ったが幸い千葉県側の岸に流れ着き一命をとりとめ、同年11月にこの男性グループは逮捕された。彼らの犯行に使用された車両はシボレーアストロという白いワンボックスカーだった。

*****

 

■裁判

2018年7月17日、裁判員裁判による初公判が水戸地裁で開かれ、ランパノ被告は実里さんの殺害について「間違いありません」と起訴内容を認めた。

証人喚問で、被告の妻が「夫は真面目で、3人の子供をとてもかわいがっていた」と語ると被告はうつむいて涙ぐむ様子を見せた。

 「事件当時は若く、先のことを考えることができなかった」「娘が生まれて事件のことを思い出し後悔するようになった」と心境の変化を語り、「被害者や遺族に申し訳ない。子供を持って遺族の苦しみが分かるようになった」と反省の弁を述べた。

また弁護側は、被告の謝罪の意思として、被害者遺族への謝罪金として100万円の準備があることを伝えた。

 

ランパノ被告は事件当時21歳で美浦村内の電器部品加工会社に勤務。同僚だった元少年2人と酒を飲んでいた際、暴行を提案されたことが犯行のきっかけだとした。車で徘徊しながら自転車に乗った実里さんに目星を付けると、背後から車で近付き、進路を妨害。一人が回り込んで押し込み、もう一人が中から引っ張り込んだ。31日0時頃から6時30分頃(日の出前)の間、車内に連れ込んで強姦に及んだ後、絞殺。口封じ(告発回避)の目的で、暴行前から殺害までを計画していたことを明かした。被告らは過去に実里さんとの面識はなかった。

かつて交際していた男性は「遺族の意思を尊重した罰を与えてほしい」と述べ、 実里さんの父親は、検察官を通じて「幼いころから明るく優しい子だった。話したくてもあの頃には戻れない。悲しく、むなしく、残念」と語った。

被告は、共犯2人に車内にあったカッターナイフ等を渡したこと、川への遺棄を提案したこと、また犯行後、口止めを行っていたことを認めた。絞殺後に刃物を用いたことについて、川に遺棄する前に「とどめをさすつもりだった」とし、首の切りつけについては「一度だけ」、胸は「刺していない」と一部関与を否定した。詳細に関する質問では「分からない」「覚えていない」を繰り返し、裁判長から「よく思い出して答えてください」と注意される場面もあった。

フィリピンへ帰国後も日本に戻った理由について、「家族のために日本の方がお金が稼げるから」と説明。出頭しなかった理由として「家族に見捨てられるのが怖かったから」と述べた。

 

検察側は論告で「強固な殺意に基づく、執拗で残虐な犯行」と指摘し、「動機に酌量の余地はない」として無期懲役を求刑。弁護側は「若年の共犯者との共謀、飲酒の影響で思慮分別が乏しかったことで犯行がエスカレートするに至った」「現在は後悔し、反省している」として有期刑が相当すると主張。

7月25日、判決公判で水戸地裁・小笠原義泰裁判長は求刑通り無期懲役を下した。「被害者の人格・尊厳を踏みにじる卑劣な犯行。被害者の屈辱や恐怖、苦しみは筆舌に尽くしがたい」と述べ、殺害への主体性や共犯者の「兄貴分」的立場だったことなどから「有期刑を選択すべきような事情はない」と結論付けた。

 

2018年12月12日、控訴審初公判が東京地裁で開かれた。弁護側は、一審の無期刑が重すぎると主張。検察側は控訴棄却を請求し、即日結審した。

被告人質問では「被害者に申し訳ない。罪を償い、社会に出られたらきちんと生活したい」と更生の機会を訴えた。

2019年1月16日、東京地裁における控訴審判決で、栃木力裁判長は、被害者の人格を踏みにじる卑劣な犯行で、殺害態様も残虐と指摘したうえで、「被告が反省していることを踏まえても、無期懲役が相当」として第一審判決を支持し控訴を棄却。被告の無期懲役が確定した。

 

*****

2021年1月18日、共犯とされ自ら出頭した元少年(35)の裁判員裁判による初公判が、水戸地裁で開かれた。

 罪状認否に対し、元少年は「間違いありません」と起訴内容を認めた。証人尋問にはランパノ受刑者も出廷し、以前より元少年らと「日本人女性を味見したい」といった発言が交わされ、事件当日も元少年から「女を探しに行こうか」と襲撃を提案していたことを明かした。

検察側は「自らの性的欲求を満たし、死因に直結する首を絞める行為を担った」「被害者の尊厳を踏みにじり、命を奪った犯行様態は非常に悪質」と指摘。また元少年がフィリピンに逃亡する前に母親に宛てたメモに「首謀者は共犯の2人だ」とする内容があったことを明らかにした。「自己保身のために納得して殺害を行った、まさに鬼の所業」と糾弾し、被告の無期懲役を求刑した。

弁護側は、加害者3名のうち元少年が最年少で従属的な立場にあり、「殺害に積極的ではなく、殺害には少なくとも2度反対した」「共犯者に凶器を渡されて促されたことが殺害の決め手だった」「罪を償うためにフィリピンから再入国し、出頭するなど反省している」と訴え寛大な裁きを求めた。

 

2021年2月3日、水戸地裁・結城剛行裁判長は「抵抗も闘争もできない被害者を蹂躙した上で、執拗に攻撃を加えた」「無差別で暴力的な犯行により被害者の生命や性的な自由を軽視した」と犯行の悪質性を指摘した上で、当初は殺害に反対したものの最終的に「殺害の重要な行為を自ら行っており、“従属的な立場”にはなかった」とし、再入国・出頭を踏まえても無期懲役が相当すると判決を下した。

 

 

■所感

みぞれ交じりの夜更けに彼女はなぜ1人で出歩いたのか、男性との間にトラブルがあったのか、はたまた男性を驚かせるために意味深なメモを残しただけだったのかは分からない。

だが真相に近づいた現在にしてみれば、3人の乱雑とも思える犯行が発覚するまでになぜここまで時間を要したかといえば、やはり初動捜査での見当違いが発端と言わざるを得ない。逮捕の発端はランパノ容疑者が口外していたことによるもので、決して「地道な捜査が実を結んだ」わけでもない。国外逃亡を許しながらも犯人の一人が舞い戻ってくるという非常にレアなケースだった。

現在コロナ禍においても、帰国困難や強制解雇・研修打ち切りによる窮乏、あるいは「感染対策」として収監している不法在留者に対する事実上の締め出し(不法滞在者、積極的に仮放免 入管収容施設の「3密」防止:時事ドットコム)などを背景として、多くの外国人犯罪が取り沙汰されている。国民への支援も当然大切なことだが、不法在留者や農業研修生、留学生らの救済は人権だけでなく国際関係や治安維持の観点からも必要とされる。起きてしまった事件に対しては国外逃亡となる前の早期対応が迫られている。

また本件で活用されたDNA型鑑定にしても、初期段階で複数犯との見方が整っていればもっと早期に解決できたのではないか。日本では1989年に本格導入されたものの、データベース化は事件発生と同じ2004年からで標本数は少なく、活用方法は欧米ほど積極的ではないとされている。主に遺体の身元照合(井の頭公園バラバラ事件など)や血痕の特定(月ヶ瀬村女子中学生事件など)で用いられ、刑事事件の犯人捜査や裁判の証拠として用いるには慎重論も多い。科学捜査はその結果を否定することが難しく、冤罪を生む可能性もゼロではないため、有効性を過信することは危ういが、そうした知見が一般に広まれば一定の犯罪抑止には繋がっていくだろう。

被害者の恐怖は筆舌に尽くしがたく、加害者らがいかなる刑に裁かれようとその悔しさは晴らされるものではないが、残るひとりの加害者の一刻も早い逮捕を切望してやまない。

 

 

 

参考:

産経新聞、2018年7月24日

【衝撃事件の核心】茨城女子学生はなぜ命を奪われたのか 14年越しに被告が話した理由 判決は25日(1/5ページ) - 産経ニュース

 

愛知県蟹江町母子三人殺傷事件について

2009年に愛知県蟹江町で起きた母子殺傷事件について、風化阻止の目的で事件概要、犯行までの経緯、裁判などについて記す。

尚、本件では単独で中国籍の元留学生・林振華(りん しんか、リン・ジェンホア)が逮捕・起訴され、すでに死刑判決を受けており、2020年現在、名古屋拘置所に収監されている。

 

 

■事件の発覚

2009年5月2日12時20分ごろ、愛知県蟹江町の山田喜保子さん(57)宅を、次男・雅樹さん(26)の勤めていた洋菓子店の上司らが訪れた。雅樹さんの同僚でもある婚約者が1日夜から連絡が取れなくなっていたことを不審に思い、予め蟹江署員を同行させていた。

外から声掛けをしたところ、三男・勲さん(25)が中から施錠を開けてとび出してきた。保護された勲さんは両手首をコードで拘束された状態で首に怪我を負っていた。このとき「強盗です、助けてください。家の中にまだ二人います。死んでいます。犯人は逃げました」と署員に伝えている。

蟹江署員が南口玄関から中を覗くと、廊下で若い男がうずくまっており、存命の被害者かと思い込み、「出てきてください」と声を掛けていた。無線連絡のため署員が2分間ほど目を離していた隙に、男は勝手口から逃走。

玄関左手の和室には、上半身裸の雅樹さんが背中を刺されてうつぶせになった状態で倒れており、病院に搬送されたが死亡を確認。

翌3日、和室押入の下段に毛布で包まれた喜保子さんの遺体を発見(2日は簡易的な目視のみだったため発見が遅れた)。下半身裸でシャツはまくり上げられ、顔や頭に激しい暴行の痕跡があった。喜保子さんの遺体のそばには飼っていた仔猫が首を絞められて死んでいた。

 

■犯行の概要

住居は近鉄蟹江駅から北西約300mほどの住宅街にある二階建ての一軒家。喜保子さんは夫と十年以上前に死別しており、息子四人の五人家族。当時は、長男・四男が別居していたため、次男・三男との3人暮らしだった。

 

《時系列》

5月1日、20時頃に勲さんが勤務先から一度帰宅したが、すぐに外出。当時、家には喜保子さんしかいなかった。

同日、21時30分頃に雅樹さんは勤務先の洋菓子店を出て、(通例22時前には)帰宅。和室で犯人と鉢合わせとなり襲われたものとみられた。

2日、2時すぎに勲さんが泥酔状態で帰宅し、玄関でブーツを脱いでいたところを背後から襲撃された。首周辺を(クラフトナイフで)刺された勲さんは犯人と刃物を奪い合うもみ合いとなった。説得の末、犯人がナイフを離れた場所に投げた。

約30分後、勲さんの意識が朦朧とする中、頭にパーカーを被せて粘着テープで縛って目隠しし、手首を電気コードで拘束した。以後、度々意識を失う。

拘束中、口の粘着テープが外れた際に退去を懇願したが犯人は「まだやることがある」と居座った。そのほか金品の在りかを尋ねられたり、喜保子さん・雅樹さんの殺害について聞かされた。

同日、早朝、喜保子さんの知人、雅樹さんの同僚が来訪して呼び鈴を鳴らしたが応対はなかった。そのとき勲さんは応対を求めたが犯人は布団をかぶせて制止していた。

同日、12時過ぎ、洋菓子店の上司らが署員を連れて来訪。犯人が近くにいなかったため勲さんが家を飛び出して事件が発覚。男は逃走する。

 保護された勲さんは、犯人と格闘し、その後も殺害を免れて会話を交わしたと証言。犯人の見た目については、帰宅時の酩酊状態、コンタクトレンズがずれて視界が不明瞭だったこと、拘束中に目隠しされていたことなどから「一瞬しか見ていないのでよく分からなかった」「見覚えがない」とし、話し方について「(現場周辺の)海部地域の訛りとは違うイントネーションの日本語」だったと説明。意識が途切れることもあったと言い、記憶が曖昧なことから、警察関係者には「話がつながらない部分もある」とされた。

 

使用された凶器は、犯人が持参した鉄製のモンキーレンチ(警察発表ではホームセンター等で市販されたもの。定価5,010円)、刃渡り6センチのクラフト用押し出し式片刃ナイフ(1979年から販売。定価630円)、被害者宅にあった刃渡り17センチの包丁。モンキーレンチは玄関付近に落ちており、包丁は刃が反れ曲がって柄から外れた状態で洗面所に置かれていた。ともに血痕を除去した形跡があった。

凶器のほか、血の付いたパーカー(2003年製、LLサイズ、約450点販売されており、洗濯をせずに長期間着ていた可能性がある)、不織布マスク、防寒手袋(1,000円程度の市販品)が犯人の遺留品として発見された。

居間の床には大量の血を拭きとった形跡があり、水を張った浴槽や洗濯機に血痕を拭ったとみられる衣類やタオル、毛布が入れられており、証拠隠滅を図っていたものとみられた。現場では手袋を使用した痕跡があり、指紋は検出されなかった。

3人の通帳と財布が発見され、紙幣が全て抜き取られていた。2階にも血液反応はあったが、物色した形跡はなかった(雅樹さんの部屋にあった現金は手付かずだった)。そのほか腕時計とスニーカーが奪われていた。

廊下に置かれていたお椀からは味噌汁に口を付けていた痕跡があった。食器に付着した唾液、遺留品のパーカーなどから犯人の血液型はO型と判明(被害者3人はA型だった)。データベースと照合した時点での適合者は見つからなかった。

 

■不手際と長期化

上述の現場から逃走した「若い男」こそ14時間近く現場にとどまっていた犯人だったが、愛知県警は当初「黒っぽい服装の男」という不審者情報しか公表していなかった。6日後、中日新聞社会部・平田浩二氏の取材によって、県警が「男の逃走を許したこと」「室内で見つかった3つの財布からは紙幣が全て抜き取られていたこと」などを把握していながら「捜査上の秘密」として公にしていなかった事実がスクープされる。

これにより当初、犯行の残忍な手口などから「顔見知りによる怨恨」などの見方も含めて捜査が進められていたが、「見ず知らずの若い男性による犯行」へと方針が転換された。

愛知県警捜査本部・立岩智博捜査一課長は「結果的に犯人かもしれない不審者に逃走されたが、当初は被害者の治療が最優先に行われた。男について重要な目撃情報であるため公表しなかった」「(喜保子さんの)遺体発見の遅れは、(同室内に雅樹さんの遺体が先に発見されていたため)鑑識活動と証拠収集を優先したためで、初動捜査にミスはなかった」とコメントした。

また喜保子さんの遺体発見の遅れ、3日に行われた現場検証での「土足痕」の見落とし(後の再検証で発見)、遺留品であるウインドブレーカー公開の遅れ(一般公表は15日)、警察犬投入の遅れなど、初動捜査について多くの失態が指摘されることとなる。

遺留品の解析からも犯人像・犯行目的が絞り込めず、事件発生から半年で捜査員およそ5500人を動員し、約300件の情報提供が集められ捜査対象者は5400人にも及んだが、犯人特定には至らず事件は長期化。残虐な犯行、多くの物証、居座りや食事といった不可解とも受け取れる行動から“第二の「世田谷事件」”などとも囁かれ、県警への信頼は一層揺らいだ。

愛知県警察|捜査にご協力を!|海部郡蟹江町蟹江本町地内における強盗殺人事件

2009年12月8日付で捜査特別報奨金制度に指定(懸賞金最高300万円)。

 

■逮捕と事件までの経緯

2012年12月7日、本件の強盗殺人容疑で三重県津市に住む中国籍・林振華容疑者(29)が逮捕される。

同年10月19日、三重県鈴鹿署員が当該車を運転中だった林を車両窃盗の容疑で逮捕。窃盗の余罪があったことから任意により唾液を採取しDNA検査を行ったところ(過去には指紋採取のみ)、蟹江町の現場に残されていた犯人のDNA型と一致。本人が蟹江町での殺害を認めたため逮捕へとつながった。逮捕前日の6日、愛知県警は特別報奨金制度の延長見送りを発表していた(翌日の逮捕を見込んでの発表だが、表向きは「情報提供減少」を理由に断念とされた)。

 

林は2008年12月31日に起こした窃盗事件により、20万円の罰金刑を課されており、翌年2月に起した窃盗未遂事件での取り調べの際、「このまま罰金を納めない場合、労役場に留置される可能性がある」との通告を受ける。留置により大学を退学処分になれば、両親への期待を裏切ってしまう等と考えた。

「罰金を支払う金が必要だった」として、当初は名古屋駅周辺での引ったくり・凶器で威嚇しての路上強盗を試みたが断念し、近鉄線急行電車に乗車。ある女性乗客に目を付けると、尾行して近鉄蟹江駅で下車したが、女性は乗用車で立ち去った。

その後も標的を見つけることができず、空き巣狙いに変更して周辺を徘徊していたところ、山田さん宅の玄関がわずかに開いており猫が入って行く姿を見掛ける。リビングは点灯し、テレビも点いていたが、玄関付近にひと気がなかったため侵入を決意する。このときの心境を「見つかったら殺すつもりだった」と供述している。

無点灯の和室で物色していたところを喜保子さんに発見され、思わず逃走を図るが、服を掴まれ、思い直して凶行に及んだ。モンキーレンチで殴打を繰り返していた最中、帰宅した雅樹さんが林に飛び掛かり、リビング・和室でおよそ1時間に及ぶ格闘となった。やがて雅樹さんが体勢を崩すと林は電気コードで両手首を拘束。闘争中にマスクが外れて顔を晒していたため、殺害に及んだ。

それから林は床の血痕の拭き取りや血の付いた衣類などの洗濯など証拠隠滅を図って作業をしていたところ、勲さんが帰宅。当初は殺害を図ったものの、またもや格闘となり、命乞いや顔を見られていないことなどから殺害を思いとどまったとした。

 

 ■生い立ち 

林振華は1983年7月、中国の山東省済南生まれ。父親は地方公務員で、経済的な不自由のない中流家庭の一人っ子。成績優秀で地元の大学にも合格していたが、父親から「日本で先進技術を学んではどうか」と留学を勧められたことから、2003年10月に留学目的で来日。

そして四年制大学への進学をめざし、語学学校の1年6か月コースに入学し、寮生活を送ったが、2004年4月・8月に京都市内で2度にわたって窃盗容疑で逮捕され、不起訴処分となっていた。卒業後、2005年4月にコンピューター専門学校に入学したが、三重大学合格を機に中退。授業料65万円は延滞せずに納めていた。毎日新聞の面会取材に対して「来日した当初は日中間の懸け橋になることを夢見ていたが、生活が困窮したことから万引きを繰り返すようになった」と述べている。

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2006年4月、三重大学に進学し、私費留学生として年間約34万円の授業料を払いつつ、津市内の木造平屋アパート(家賃1万数千円)で一人暮らしをしながら地域文化論を学んだ。しかし学費滞納を繰り返したため大学側から支払いの督促を度々受けており、家賃も滞納するなど、生活費に困窮していた。成績も悪く、授業に来ないことも多くなり、事件を起こした2009年度は2単位しか取得できていなかった。専門学校時代の恩師に対し、「なぜ自分は奨学金を受けられないのか。そのせいで金に困り、コンビニエンスストア廃棄弁当を漁って食べるような生活を送っている」という内容の手紙を送っていた。両親から仕送りと飲食店などでアルバイトをして生計を立てていたが、事件前には体調を崩して働けなくなった。2010年度には必要単位を修得、5年間在学して2011年3月に卒業した。困窮の一報で、腎臓病の治療や内定報告、婚約者と会うといった理由で度々帰国している。

2011年4月から三重県亀山市の自動車部品メーカーに勤め、部品検査・組み立てのほか研修生の通訳を担当。真面目な働きぶりだったとされ、人間関係も良好だった。2012年、結婚を計画し、会社に昇級の要望したが折りが合わず退職。6月に県外の建設関係会社に転職したがすぐに辞めている。同年8月、名古屋市内で窃盗した自転車に乗車中に愛知県警に職務質問されたが微罪処分とされていた。

 

■裁判

起訴後、林は拘置所内で自殺未遂・自傷行為を繰り返すなど、心身に変調をきたした。弁護士は刑事責任能力がないとして2013年に精神鑑定を申請。同年末、責任能力・訴訟能力に問題なしとされた。

 

2015年1月19日、名古屋地裁で初公判が開かれ、検察は強盗殺人罪を求刑したが、弁護人は「侵入当初、殺害の意志はなかった」として強盗殺人に当たらない(殺人罪+窃盗罪)と主張した。

生き残った勲さんは、事件当夜に外出していたことを悔やみつつ、被告人の死刑を訴え、雅樹さんの婚約者は、閉ざされてしまった将来を悲しみつつ、「死刑でもそうでなくてもどちらでもよい、できればずっと自分の犯した罪を反省して償ってほしい」と訴えた。

被告人の父親は、金の心配をしても息子は「必要ない、努力して何とかする」と言い、その言葉を信じていたが、このような事件になったことに責任を感じるとして、被害者遺族らに謝罪。

被告人質問では、被告人に発声障害の症状があったため、声を詰まらせながらも自らの口で「被害者の方…、父、母…、申し訳ない…、気持ち…、いっぱい…」と被害者遺族や自身の両親への謝罪の意を伝えた。

www.courts.go.jp

2月20日の判決公判で、松田俊哉裁判長は検察の求刑通り死刑を言い渡し、「犯行は強固な犯意に基づく冷酷なもので、極刑を回避する特別な事情はない」と述べた。 

その理由として、喜保子さんに遭遇した際に逃走できたにも拘らず殺意を持って暴行に及んだ点、被害者3人に対する確定的な殺意が認められた点などが挙げられる。

量刑については、経済的困窮や相談相手の不在、両親の期待を裏切りたくない感情について「一定程度の理解」を示しつつ、自尊心から親に資金援助の相談もせず犯行に及んだ動機の自己中心性・身勝手さにおいてそれらの経緯は酌量できるものではないと判断。謝罪の言葉はあったものの捜査供述において客観的な事実と反する保身的な証言(喜保子さんに約20か所の外傷が認められたが、「2回振り下ろした」と供述するなど)もあり真摯な反省と認められない点、家人の在宅は予期できたことで侵入に強盗殺害の犯意がなかったとは認めがたいこと、勲さんへの攻撃は中止したものの証拠隠滅に忙しく救護はせず金のありかを聞くなど強盗の犯意を翻したわけではない点などが挙げられた。

 

被告の弁護人・北條政郎弁護士は「死刑ありきとも受け取れる判決」だとして2月25日付で名古屋高裁に控訴。

2015年7月27日に開かれた控訴審で、弁護人は再度「事前計画性のなさ」を強調し、死刑判決の破棄(無期懲役の適用)を訴え、証拠調べ(裁判所による取調べ)を求めたが、名古屋高裁はこれを却下。10月14日、名古屋高裁・石山容示裁判長は第一審判決を支持し、控訴棄却とした。弁護人は同日付で上告。

2015年、被害者遺族3人が損害賠償命令制度に基づき、林被告に対して死亡した2人の逸失利益・慰謝料など約1億7,900万円の損害賠償手続きを申し立てた(その後、勲さん以外の2人は訴訟を取り下げた)。2016年3月24日、名古屋地裁は林に対して約5,600万円の賠償支払い命令を下した。

2018年9月6日、最高裁第一小法廷・木澤克之裁判長は「強固な殺意に基づく無慈悲で残酷な犯行で、刑事責任は極めて重大」として一審、二審の死刑判決を支持し、被告の上告を棄却。被告及び弁護人は訂正を申し立てたが棄却されたため、2018年10月3日付で死刑が確定した。

 

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■所感

犯行に至るきっかけが被害者宅の飼い猫だったという余りに切なく、いたましい事件である。 雅樹さんの元婚約者による訴えは、どんな罪状が下されようとも失われたいのち、失われた未来は元に戻らないという現実を改めて突き付けてくる。人によって意見は分かれるかもしれないが、加害者から実情を知らされていなかった親や婚約者にとってもおそらく降って湧いたような事態に驚愕したことだろう。林死刑囚は犯すべからざる暴力と大いなる裏切りの罪を償わねばならない。

こうした事件について移民排斥を唱えることは、「私は悪くない」というただの言い訳、責任回避・現実逃避の方便でしかない。こうした事件を起こさない・起こさせないために何ができるのか、政策に注視する、戸締りや防犯体制を整える、困っていそうな人に声を掛ける、ひとそれぞれ様々なベクトルでできることはあると思う。捜査についても様々な問題は指摘できるが、たとえば犯罪抑止について重罰化という方向ではなく、微罪でもDNA採取が徹底されれば累犯や凶悪化を食い止めることにつながるのではないかと感じる。教育機関や移民雇用先に移民サポート機関との連携があれば、犯罪や悲劇を生む前に相談を受けたり適切なアドバイスを提供することもできるのではないか。移民だってプロの殺し屋や運び屋でもないかぎり、罪を犯すために入国してくる訳ではない。夢を抱いて学びに、目的をもって働きにくるのだ。

被害に遭われたおふたりのご冥福と関係者のみなさまの心の安寧をお祈り申し上げます。

 

肝を潰せ!Netflix映画『ザ・コール』感想【ネタバレ】

Netflixで配信されているサスペンス映画『ザ・コール(콜、THE CALL)(2020、韓国、1時間52分)について、内容+感想など徒然なるままに記します。一言でいえば、 胸糞映画ファンにはたまらない刺激に満ちた傑作なので万が一見ていないのなら「読む前に見ろ」の一択です。

 
■公式紹介文

古い電話の向こうから聞こえてくるのは、運命を変えようとする連続殺人犯の声。20年という時間をこえ、同じ家に暮らす2人の女の人生がいま大きくゆがみ始める。

■日本版キャッチコピー

過去からの電話

目覚める殺意

彼女の標的は、私の過去

www.youtube.com

出演:パク・シネ、チョン・ジョンソ、キム・ソンリョン

製作:シド・リム(『お嬢さん』『オールドボーイ』)

監督・脚本:イ・チュンヒョン(『バーゲン』)

撮影:チョ・ヨンジク

 

主演のパク・シネさん(박신혜)は、日本では『美男(イケメン)ですね』(2009)や『オレのことスキでしょ。』(2011)などの恋愛ドラマでご存知の方も多いかもしれません。美貌と愛嬌を併せ持つ人気俳優さんです。チョン・ジョンソさん(전종서)は村上春樹原作の短編小説を映画化したイ・チャンドン監督作品『バーニング』(2018)で鮮烈なデビューを飾り、多くの映画祭で新人賞などの高い評価を受けています。クールな目元が印象的で、パクさんとはまた違った魅力の持ち主です。

20年のときを超えて交差する二人の女性、その対照性を見事に演じ切っています。

 

■イントロダクション

主人公ソヨン(パク・シネ)はかつて家族で暮らした田舎の古い洋館に移り住む。母親は脳腫瘍で入院しており、手術には莫大な費用がかかるため、死を受け入れる覚悟をしている。父親は1999年11月に焼死しており、ソヨンはその原因をつくった母親(キム・ソンリョン)を憎んでいた。スマホを失くしたソヨンは仕方なく屋敷にあった古いコードレスフォンを使い始めるが、ある女性から度々間違い電話が掛かってくるようになる。

スマホ”は実用的な反面、ドラマや小説などで「いや、スマホ使えや」「ググればすぐやん」と無粋なツッコミを入れたくなってしまうアイテムとなって久しいですが、現代の舞台で90年代式コードレスフォンを使うことの必然性をうまく持たせていると感じました。

そして主な舞台となる「宣教師が住んでいた」とされる田舎の洋館も、人口の約3割がキリスト教徒という韓国のお国柄が表れていて興味深いところです(CIAワールドファクトブック2015によれば無宗教56.9%、キリスト教27.6%、仏教15.5%)。説明はありませんが、忌まわしい記憶が残るこの家にソヨンが越してきた理由は母の看護のためでしょうか。

 

■地下室

 ある晩、ソヨンは壁裏に「地下室」が存在していることに気付く。そこで「1999年」の日記と写真を見つけ、そこには「霊を撃退するためだといってお母さんが私に火を点ける」と書かれていた。自分たち家族が越してくる直前に書かれたものと知ったソヨンは前の住人によって書かれた日記ではないかと察しをつけ、近所のイチゴ農家・ソンホおじさん(オ・ジョンセ)に尋ねる。だがソンホは、写真に映った女性の名を「ヨンスク」、その母親は「霊媒師」とだけ言って口ごもってしまう。

ソヨンは間違い電話の主・ヨンスク(チョン・ジョンソ)とコミュニケーションを図り、生きる時代は違いながらも同い年で同じ家に暮らす2人は親睦を深めたのだった。

地下室発見に至るシチュエーション、これは怪談好きにはよく知られている伊集院光さんの創作怪談『青いクレヨン』を彷彿とさせるものがあり、非常に恐怖心を掻き立てられます。いわゆる隠された“開かずの間”です。

また地下室といえば、ジャック・ケッチャムの“胸クソ”小説『隣の家の少女(The Girl Next Door)』(1989)、その元となったアメリカ・インディアナ州最悪の事件とされるシルヴィア・ライケンス殺害事件(バニシェフスキー事件とも)などとも繋がり、日本でいうところの「座敷牢」のように監禁虐待を想起させます。当然、『パラサイト 半地下の家族』のように、地上より下の世界はすなわち“地獄”のメタファーとも捉えられるでしょう。なお、ポン・ジュノ監督は高台に暮らす金持ち、半地下に暮らす貧困層を、黒澤明監督の『天国と地獄』からインスパイアされたと語っています。

 

本作では28歳の女性ヨンスクが義母からの被害に苦しめられています(さすがに児童虐待で描いたら世界配信できませんよね)。のちに明かされるよう彼女は境界性人格障害による入院歴があり、実の母親も精神病院にいるとされています。この障害は、衝動的行動や二極思考、極端な対人関係(他者を巻き込み混乱させるケース、対人恐怖のケース)、自己破壊行動(自傷、自殺、薬物の過剰摂取、過食、性的逸脱など)など、双極性障害(いわゆる躁鬱)に近しい特徴をもちます。統合失調症のように幻覚や幻聴は顕著ではありませんが、強い思い込みと過剰な自己愛によって、相手に対して一方的に「裏切り」「失望」を感じることが多いとされています。

義母はなぜヨンソクを引き取ったのか経緯がいまいち分かりませんが、ヨンソクの症状を独自の“悪魔祓い”メソッドによって克服させようとしている訳です。その点でもキリスト教的世界観-エクソシズムが用いられており、よいアクセントになっています。こちらも日本であればファンタジーとして見なされがち、描かれがちの設定で、宗教的素地の違いを感じさせます。『プリースト 悪魔を葬る者(原題:黒い司祭たち)』(2016)というエクソシスト映画が500万人を動員するメガヒットを放つ等、韓国はエクソシズムとの親和性が高いようです。

 旧エントリで、別のローマ・カトリックエクソシスト映画についても書いているのでよろしければご覧ください。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

 

 ヨンスクが好きな音楽グループをソヨンがYouTubeや本で学び、電話越しに“ダビング”することで親密になっていきますが、時間的跳躍という超常現象の渦中にあって、友好の築かれ方がまるで古きよき中高生の営みのように素朴に描かれているのが印象的です。

彼女たちが聞いていたのは、90年代の韓国音楽を代表するソテジワアイドゥルというアーティスト。彼らはグループとしての活動期間が92年から96年と長くはありませんでしたが、ダンスと韓国語ラップの融合、伝統音楽やヘヴィメタルへの転換など、ミリオンセラー連発の商業的成功だけでなくそれまでの韓国音楽界にはなかった革新性も高く評価されています。筆者は初めて聞きましたが、韓国文化に詳しい方には懐かしさや違った面白さがあるかもしれません。

 

■世界の再構築

不動産仲介業者が家族を引き連れてヨンスクと義母の暮らす家を訪れる。ヨンスクはそれがソヨンの家族だと察し、電話越しに“今は亡き父親の肉声”をソヨンに聞かせる。喜びに咽び泣くソヨンに対して、ヨンスクは父親を亡くすことになった火事を未然に防ぐことを提案する。

11月27日、20年前、火事のあった日。

ソヨンのスマホに着信が入る。着信?スマホは失くしたまま戻っていないのに?

すると火事で負った脚の古傷が消え、みるみるうちに時空が歪み、家の中がまるっきり現代風のものに切り替わっていく。片付いた部屋には暖炉が焚かれ、クリスマスの飾り付けがされている。庭の温室には病院にいるはずの母と、亡くなったはずの父の姿が。

ソヨンは家族との時間を取り戻したことでヨンスクの電話になかなか出られなくなっていった。かたやヨンスクは電話や外出していたことを義母に咎められ、地下室での更なる仕打ちの日々が続くのだった。

ヨンスクが“過去”の火事を食い止めたことで“現在”のソヨンの世界が歪み、新たな世界に再構築されるという新たな局面が提示されます。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズや『バタフライ・エフェクト』などでもおなじみのスタイルですが、「親殺しのパラドックス」に説明を求める性質の方には向いていない映画かもしれません。

私たちが目にするのは映画というひとつの世界にすぎませんし、今まさに直面している(「当ブログを読んでいる」という)世界そのものも無限の可能性から選択された現存在という係わり方しかありえません。Don't think, Feelのマインドで今を生き、映画を楽しみましょう。

余談ですが、過去に戻ることはできてもその帰結を変更することはできない、とする研究も存在するそうです。

タイムトラベルは理論的には可能…しかし過去を変えられるわけではない(BUSINESS INSIDER JAPAN) - Yahoo!ニュース

 

 

 ソヨンとヨンスクの時間を越えた通信を可能としているのが古びたコードレスフォンですが、2016年tvNで放映された韓国ドラマ『シグナル』でも非常によく似たギミックが用いられています(こちらもNetflixで見ることができます。また2018年、関西テレビ系列で坂口健太郎さん主演により日本版がリメイクされています)。ちなみに『シグナル』では無線機を使って現代のプロファイラーが過去の刑事と共に未解決事件を解決に導く物語でした。

が、本作はヨンスク(過去)側からしか掛けることができない制約があり、そううまくはいかないようです…(※エンディングに関わってきます)

 

■ヨンスクの死

電話でのすれちがいでヨンスクの変調に不安を覚えたソヨンは、現在のヨンスクについてインターネットで調べる。やがて明らかになったのは、1999年11月27日、ヨンスクは義母に殺害されているという事実だった。

そのことをヨンスクに知らせると、殺しに現れた義母を返り討ちに殺害。ソヨンには「解決した」「生まれ変わった気分」と語り、義母殺害を知らせることはなかった。

虐待義母の束縛から解き放たれ、街に出たヨンスクは派手な服を大量に買い込んで帰宅。近所の農夫が訪ねてきたところを強引に家に上げて、ファッションショーを始めようとする。しかし偶然、冷蔵庫内の遺体が発見され、ヨンスクは更なる凶行に及ぶのだった。

 義母殺害の後、ヨンスクが貪り食っていたお店は“ペリカナチキン”、食べていたのはおそらくヤンニョム・チキンといわれるたれ付きチキンでしょうか。韓国の定番ファーストフードで、ヨンスクが家で義母との食事中にテレビ・コマーシャルが流れていましたね(「金浦空港で離陸失敗事故」のニュースが流れる前のシーン)。義母が用意した薬膳(「こんなの食えるかよ」)とは対照的で、抑圧からの解放によってすっかり人格が変わったことの暗喩にもなっています。

 

ソヨンとヨンスク、それぞれの家にイチゴ農家のソンホおじさんが採れたてのイチゴをもって訪ねてくるという絶妙なリンクが起こります。20年のときを隔ててもイチゴの収穫時期とソンホおじさんの心遣いは変わらない、悲しき符合です。

 

 

■発覚

来宅していたソンホおじさんが突如消失したことに不安を覚えたソヨン。かつてヨンスクと交友があった商店主ソニ(序盤でヨンスクが電話を掛けようとしていた相手)に話を聞くと、かつて彼女もヨンスクに殺されかけていたと打ち明ける。地元警察では、ヨンスクが義母とソンホおじさん殺害で捕まっていた事実が明らかになる。

警官(イ・ドンフィ)の聞き込みをはぐらかしたヨンスクだったが、ソヨンから自分が無期懲役になる未来を聞かされ、「一生刑務所暮らしってこと?やっと自由になれたのに」と激昂。いつ逮捕されるのかナーバスになるヨンスクのもとに、幼いソヨンを連れた父親が来訪する。

ソヨンは父親と共にドライブ中だったが、再び世界が歪み、再構成が始まる。父親が目の前から消失し、家は崩壊していたのだった。

 世界の再構築シーンや新旧の洋館(外観だけでも相当なバリエーション)に用いられたCGは、物語世界の表現として過不足なく効果的に使われていたのが印象的です。たとえば近年ヒットした『犬〇村』があれほど惨めなモンスター映画になったことを思うと、生身で表現する部分とCG表現とのバランスや、恐怖の対象をどこまで・どのように可視化させるのか、といった面で考えさせられました。

後の伏線にもなってきますが、このときすでに視聴者はヨンスクの恐ろしさ・醜い側面を見知っているため、「ソヨンとヨンスクの時を超えた友情」から「何も知らないソヨンと凶悪なヨンスク」という認識の転換が起きています。私たちはソヨン目線で物語を追いかけており、“世界の再構成”“父親の消失”を即座に1999年に殺害されたと結び付けて想像することができます。視聴者の想像による“補正力”にうまく頼ることで、殺害や虐待の場面をさまざまな見せ方で提示する監督のセンスに脱帽します。

 

 ■復讐

ヨンスクが父親を殺したことを知ったソヨンもまた激昂する。自分自身が「過去」に戻って復讐することもできない。さらにヨンスクの許には幼き日の自分が人質にとられている。ヨンスクは「どうして捕まったのか調べろ」とソヨンに命令する。

ソヨンは当時の情報を調べ上げ、ヨンスクに「ある古物商が凶器を発見する」から彼の住むビニールハウスに行くようにと告げる。だがこれは17時に起こる「爆発事故」にヨンスクを巻き込むための、亡きものにしようという計画だった。

 ■“復讐”への復讐

荒廃した真っ暗な屋敷で、ヨンスクの死を、そして“世界再編”のときを祈るように待つソヨン。

だがそこに鳴り響く電話は命拾いしたヨンスクからだった。嘘をついた報いとして幼いソヨンに“悪霊払い”をするという。

ソヨンの全身はみるみる焼けただれていき、激しい痛みに悶絶する。

「今からだれが来るか分かる?」

ソヨンの父親の携帯電話に残された「今からそちらに行く」と告げる彼女の“母親”の声を聞かされるのであった。

 怒涛の展開、ヨンソクの冷酷非道さと悪運の強さが際立ち、打って変わってソヨンが劣勢に置かれてしまいます。

■記憶

そしてヨンスクは火事を防いだ際に見た“真相”をソヨンに伝える。

火事が起きた原因、あのとき父親を殺したのは、テレビの真似事をしてコンロを点けようとしたソヨン自身による過失だった、「母親のせい」にしたのはソヨン自身である、と。 

 ソヨンは警察署に侵入し、担当警官の手帳を盗み出す。しかしそこに書きのこされていたメモは書き換わり、ヨンスクの逮捕写真が消えていく。

またしても世界が更新され、家の中は“冷蔵庫”だらけの異様な光景へと変貌する。

物語もいよいよ佳境というところで、主人公による「虚偽記憶」の叙述トリックと、母親による子庇いという素晴らしい合わせ技が炸裂します。「子庇い」というと、日本テレビ系ドラマ『知らなくていいコト』(2020)で息子の過失によって引き起こされた大量殺人の罪を父親・乃十阿徹が被るといった内容も記憶に新しいところ。

論語子路第十三・十八にあるように、「父爲子隠」「父は子のために隠し、子は父のために隠す」という考えが存在しています。

 葉公語孔子曰。吾黨有直躬者。其父攘羊。而子證之、孔子曰、吾黨之直者異於是、父爲子隱、子爲父隱、直在其中矣。


葉公、孔子に語りて曰わく、吾が党に直躬なる者あり。其の父、羊を攘(ぬす)みて。而して子これを証す。

孔子曰わく、吾が党の直(なお)き者は是れに異なり。父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の内に在り。

(葉県の知事は孔子に「私どもの村には感心な正直者がおります。父親が羊を盗んだのですが、子が自らそのことを明るみに出しました」と語る。

孔子は、「それはわが村の正直さとは趣が異なります。父親は我が子の罪を隠し、子は父のために隠す。正直な親子の情愛はそのようなものにあると思います」と答えた。)

日本の刑法第七章「犯人蔵匿及び証拠隠滅」においても、犯人蔵匿と証拠隠滅については「犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益のために犯したときは、その刑を免除することができる」という親族特例が存在しています。

そのため東北アジア的には母親の心情が理解されやすいかと思いますが、そのほかの地域でもそういった概念や社会通念はあるのでしょうか?気になるところです。

 

ソヨンは冷蔵庫の中身について知りませんが、見ている私たちには何が入っているのか察しが付くというブラックボックスによる演出が見事。義母とソンホおじさんだけでなく、ヨンスクがこの20年の間に多くの人を殺め続けたことが想像されるおぞましい内容を異様なビジュアルで巧みに伝えています。

 

■ふたつの戦い

ヨンスクが存命であることを察して思わず家から逃げ出したソヨンだったが、スマホを破損。警官の手帳には「コードレスフォンの使用」が記されていたことから、一縷の望みにかけて再び家に戻る。

2000年、ミレニアムを迎えるタイミングで、警官はソヨンの母親と共にヨンスクの家に聞き込みに訪れていた。来ていた痕跡はあるが、父親も幼いソヨンの姿もない。

「もう一度、夫に電話を掛けてみます」母親がコードレスフォンを借りると受話器から女の声が「今すぐ逃げて」と訴える。が、その瞬間、母/娘にヨンスクが牙を剝く。

警官が殺され、逃げる母親。追いかけるヨンスク。

かたや電話を奪いに襲い掛かり、ソヨンを追い詰めていくヨンスク。

幼いソヨンの呼ぶ声に部屋を出る母親。待ち構えていたヨンスクが鉈を奮う。しかし大切な娘を守るために母親は毅然と立ち向かう。命懸けの格闘の末、母親とヨンスクは階下へと転落した。

母/娘に迫りくるヨンスクの迫力は凄まじいものがあります(まさに時をかけるヨンスク)。どちらの肉弾戦も、決して強靭な体格ではない、いわば普通の女性同士が死に物狂いになって行う血生臭い取っ組み合いは、日常で目にすることもないため別の意味で目を背けたくなる怖さ・痛々しさを感じました。

 

■エンディング

目前に迫っていたはずのヨンスクが忽然と居なくなり、“世界の再編”があったと察したソヨン。

だが病院に母親の姿はなく、警察署でも行方が知れない。墓を訪れてみると、「1999年12月11日」と刻まれている。

墓の前で泣き崩れるソヨンだったが、そこに母親が姿を見せる。その体には痛々しい古傷が。

「いつまで親に世話を焼かせるつもり?困った子ね」

父親は還らなかったものの、母がヨンスクとの戦いを生還してくれたこと、命懸けで自分を守ってくれたこと、今こうして生きていられることにソヨンは喜びを噛みしめるのだった。

 

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■エンドロール

去り行く母娘の後姿。

電話の音。

「よく聞いて。もうすぐ警察とソヨンの母親が来る」

「電話は絶対に手放さないで。変えられなくなるから」

転落したヨンスクが目を覚ます。

“去り行く母娘の後姿”から母親が消失。

拘束されたソヨン。

いわゆるマルチエンディング、素晴らしいどんでん返しです。

 はじめ筆者は、コードレスフォンを「過去から現在にしか通じない」制約のある一方通行のアイテムなのだと思って見ていました。しかし、エンドロールを見れば分かる通り、“現在”のヨンスクが“過去(ミレニアム直前)”のヨンスクに電話を掛けています。韓国の電話番号事情に詳しくないので憶測になりますが、おそらく“過去”に使われていた電話の番号をソヨンは知らなかっただけ、ということなのでしょう。

エンドロールを素直に、エンディングと直列的に解釈すると、息を吹き返した“過去”のヨンスクが母親を殺害したことを示しています。

“世界の再編”で消失したかに思われていた“現在”のヨンスクはどこかに身を潜めていたということでしょうか。

 

ラストカットでは母親をも失ったばかりか、今まさに絶命の危機に瀕したソヨンの姿が映し出されます。

頭から白いシーツを被せられて目隠しされていた様は、幼いソヨンに対してヨンスクがやっていたものと同じ。つまり1999年から20年間、ずっとこの日のためにヨンスクがソヨンを生かしてきたこと、おそらくソヨンはヨンスクさながらの虐待を受けてきたのではないかとさえ想像されます。筆者の考えでは、母娘で帰途につく「エンディング」はソヨンの虚偽記憶、記憶の捏造です。

思い返せば、母親とヨンスクとの格闘で娘の前から姿を消した瞬間がありました。あのとき既に事切れていたのでしょうか。いや、もしかするとあのとき…と遡って考えていくと、110分余りの全編が丸ごとソヨンの脳内に存在する絵空事であるようにも思えてくるのです。

何しろ視聴者にはソヨンがそれまでどこでどのような20年間を過ごしてきたのかは与えられた情報から想像して再構築せざるを得ないわけです。「母親と折が悪いから離れて暮らして、都会で会社勤めでもしていたのかな、と想像すること」もいわば仮想現実でしかありません。

虐待の日々にいよいよ死を覚悟したソヨンによる走馬灯のような“仮の記憶”を私たちは目にしただけかもしれません。目の前で父を、母を殺められた幼子が日々の虐待に耐え続けなければならない。防衛本能からアナザーストーリーの世界に入り浸ったり、自分と似たような境遇の“ともだち”を空想して自分を慰めていたとしても不思議なことではありません。

ソヨンが殺されることははじめから決まっている、きしくもタイムトラベルの項で触れた「過去に戻ることはできてもその帰結を変更することはできない」ことの証明のようにも感じます。

 

本作の正解は殆どないといってもよいですし、無限にあるといってもよいでしょう。この虚構の仕掛けに引っ掛かった居心地の悪さと監督の底意地の悪さ(褒めています)を存分に楽しむことに致しましょう。筆者は幾度となく絶頂を迎えました。

もちろんフィクションですから「境界性人格障害は怖い」「サイコパスやばい」といった表層的観念に囚われてはなりませんし、ヨンスクが狂気に満ちて機転に優れた魅力的なキャラクターだという認識を持つべきですが、チョン・ジョンソさんのまさしく憑りつかれたかのような名演技と存在感にはみなさんも度肝を抜かれたのではないでしょうか。次に彼女を見るときにはどんな演技を見せてくれるのか非常に楽しみです。また彼女を第一にキャストに決定し、脚本も担当した若き才能・イ・チュンホン監督は本作が長編デビュー作。韓国映画界の進化にも肝を潰されます。