いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

岩手17歳女性殺害事件について

岩手~宮城を股に掛けた容疑者は17歳の少女を殺害後、その行方をくらませた。

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警察は現在も指名手配で被害者の元恋人の男を追っているが、元刑事ジャーナリスト黒木昭雄さんの告発が契機となり、容疑者の殺害前後の不可解な行動が伝えられ、単純な恋愛絡みの事件ではないのではないかと疑問がもたれている。

 

事件の発生

2008年(平成20年)7月1日16時半ごろ、岩手県下閉伊(しもへい)郡川井村(現・宮古市)松章沢の山間部、県道171号線に架かる「下鼻井沢橋」を通りがかった近くの道路工事作業員が若い女性の遺体を発見した。

女性は水深10~20センチの浅瀬にうつ伏せ状態で見つかり、死因は扼殺(「手」で首を絞められたことによる窒息)と見られ、橋の上から遺棄されたものとみられた。

 

7月3日に家族が本人確認を行い、被害者は宮城県登米市に住む無職佐藤梢さん(17歳)と特定される。

岩手県警は、同じく7月3日に岩手県田野畑村で消息を絶った無職小原勝幸(26歳)を捜索したが発見できず、梢さんの殺人容疑で指名手配とした。梢さんの死亡推定時刻は6月28日深夜から7月1日までと発表された。

 

事件の翌年、テレビ番組の取材を通じて事件に疑念を抱いた黒木昭雄氏はその後も独自調査を続けた。岩手医科大学による死体検案書では、死後硬直や胃の内容物から6月30日から7月1日を死亡推定としていた。警察はなぜ被害者の死亡推定時刻を2日間も繰り上げなければならなかったのか?

 

 経緯

被害者と小原勝幸について時系列を振り返る。

二人の出会いは2007年2月、宮城県登米市のショッピングセンターで小原と後輩男性が二人組の少女をナンパしたことから始まった。少女二人はともに佐藤梢という同姓同名の同級生だという。後輩たちは親密交際には至らず関係は途絶えたが、小原と佐藤梢さんは交際に発展した。小原たちはすぐに同棲を始め、高校を辞めたこともあってもう一方の佐藤梢さんとは疎遠になっていく。しかし本件で殺害されたのは、容疑者の交際相手ではない“もう一方の”佐藤梢さんだった。

 

以下、便宜上、小原の交際相手を「梢Aさん」、死亡した被害者を「梢Bさん」と表記する。

2007年5月1日、小原は弟(三男)と共に知人男性・Z氏のもとに詫びを入れに行った。小原は前年秋にZ氏から型枠大工の職を世話してもらっていたものの一週間で逃げ出しており、紹介したZ氏は「面子を潰された」として関係が悪化していた。三男の証言によれば、Z氏は以前「家を焼くように言われている」と言って実家に訪れたこともあったという。

立腹したZ氏は小原の口に日本刀を入れ、「出刃包丁で指を詰めろ」と恐喝し、迷惑料として120万円の借用書を請求。さらに「保証人」を求められた小原は交際していた梢Aさんの電話番号を渡す(このとき梢さんAはZ氏と直接会っておらず車で待機していた)。

小原は迷惑料を支払うあてもなく、車中泊生活を送って逃亡することになる。その後、Z氏は人探し専門の携帯掲示板サイト(08年7月閉鎖)に顔写真・実名・身体的特徴などをカキコミして小原の行方を追っていた。尚、後年の黒木氏からの聞き取りに対して、請求した金額は10万円で、日本刀の使用はなく2、3発殴っただけだとして恐喝行為は否定している。

2008年6月3日、掲示板カキコミの存在を知った小原は身の危険を感じ、梢Aさんを伴って岩手県久慈署に被害届を提出して事態の仲裁を求めた。同月22日には、一緒にZ氏の元を訪れた三男も久慈署・千葉警部補から事情聴取を受け、恐喝行為に遭ったことを説明した。 

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事件前後のながれ

2008年6月27日、小原と梢Aさんは盛岡競馬場近辺で寝泊まりしていた。以前から粗暴な小原と別れたいと考えていた梢さんは、28日午前10時ごろ、小原が寝ている隙を見て電車で宮城の実家へ逃げ帰る。小原の残金やガソリンの残りが乏しくすぐに追ってこられないことを事前に確認していたという。このとき小原の右手に怪我はなかった。

小原がいつ梢さんが逃げ帰ったことに気づいたかは分からないが、同日14時すぎ以降、「よりを戻したい」と電話やメールを繰り返した。「被害届を取り下げたい」「一緒じゃないと取り下げができないと言われた。お母さんと一緒でもいいから来てくれ」としつこく食い下がるも、梢さんは自分を呼び出す口実と思い、面会に応じようとはしなかった。

「家に着いたらワン切りしてくれ」という懇願に対して、宮城に戻って親の迎えを待っていた21時頃に小原の携帯にワン切りを入れた(「ワン切り(ワンコール)」は通話目的ではなく携帯電話に「合図」として1~2秒間だけ鳴らして知らせる行為のこと)。

 

時同じくして6月28日21時頃、小原は「恋の悩みについて相談したい」と“もう一方の”佐藤梢Bさんに連絡を取っていた。やりとりの内容は明らかではないが梢Bさんは、このとき同棲していた男性に冗談めかした口調で「私、殺されるかも。そのときは電話するね」と意味深な発言を残していた。

22時頃、梢Bさんは実家に逃げ戻った梢Aさんに久しぶりに電話を入れたという。23時ごろ、小原の呼び出しを受けた梢Bさんが宮城県登米市コンビニの防犯カメラに確認されている。梢さんたちは29日0時半まで電話やメールでやり取りを続けたが、その後、梢Bさんからの返信は途絶え、ここから7月1日に遺体となって発見されるまでの彼女の消息は不明である。

 

6月29日午前2時すぎ、岩手県盛岡市内のガソリンスタンドの防犯カメラに小原の姿が捉えられていた。右手には白い布が巻いてあった。朝7時頃、小原は元交際相手の梢Aさんに対して自撮りメールを送信。このとき右手に白い布を巻いておらず、拳が潰れたような外傷が映り込んでいた。28日朝に彼女が逃げのびる前にはそのような怪我はしていなかったという。

9時頃、小原は地元田野畑村に戻り、弟(次男)宅へ。19時、弟夫妻と岩泉町・済生病院へ往診に訪れて、拳の怪我を診てもらい、怪我の原因を「酔ってコンクリート壁とケンカした」と説明した。担当医師は、右手は機能障害が出るほどの重症(握る・開くことができない状態)とし、専門外科がないため他院での診療を勧めたと証言する。小原の父・一司さんも、息子の右手の様子を人差し指と中指で煙草を挟むこともままならなかったと話している。

30日昼頃、小原は久慈署・千葉警部補に「被害届の取り下げ」を申し出るが退けられる。高校時代の恩師(下の動画、山田さん)宅を訪問し、その夜も次男宅へ戻った。小原は一司さんを説得し、一司さんからも警察へ被害届取り下げを再度求めに行ったが、「あと2、3日で逮捕するから被害届は取り下げないでほしい」「家族の身の安全は保証するから」と要請は却下されてしまう。

 

7月1日、小原は朝から再び恩師のもとへ。同日16時半頃、岩手県川井村の河川で女性の遺体発見される。翌日の朝刊では「10代後半から30代前半の身元不明の女性」と報道されただけで、その時点で犯人以外に梢Bさんと知る術はなかった。

田野畑村から遺体発見現場までは車で約2時間の距離だが、黒木氏によれば、小原が6月29日以降で4時間以上にわたって村を離れた事実はないとされる。

1日17時ごろ、登米市の佐藤梢Bさんの両親が捜索願を届ける。

 

1日21時半頃、羅賀から北山崎に至る県道44号線で小原が乗った車が電柱に正面衝突。偶々車で通りがかった地元男性(下動画、田所さん)が目撃し、小原を実家まで送り届けた。膨れ上がった右手の傷について聞くと「事故じゃない、女を殴った」と答え、酔っ払った状態で「もうおしまいだ、死ぬしかない」と口走っていたという。

また小原から「仙台で裏デリヘルをやっている」「今は仙台に住んでいるが、仕事関係がうまくいっていなくて、いろんな組関係者と揉めている」という発言もあったという(2008年7月12日産経)。男性はその後、小原が指名手配されたことを知って、自ら情報提供に出向いたが、警察の捜査の杜撰さに疑念を抱いている。

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7月2日5時頃、宮古署の警官を名乗る人物から元交際相手・梢Aさん宅に安否確認の電話が入る。まだ遺体の身元が判明する前であり、どういう目的で安否確認がなされたのかは明らかではない。

同7時すぎ、小原は親類に頼んで鵜ノ巣断崖近く(断崖から約3キロ地点)まで送ってもらう。その後、断崖の写真を添付して、梢Aさんに「俺、死ぬから」、弟に「サヨウナラ、迷惑なことばかりでごめんね」等と自殺を匂わせるメールを、友人に「飛び降りる」と電話を掛けていた。知らせを受けて断崖に駆け付けた件の恩師は、正午近くに携帯電話でだれかと談笑している小原の姿を見つけて安心し、缶コーヒーを渡して別れたという。これが最後の小原目撃情報となった。

同17時頃、宮古署・千葉警部補から梢Aさんに「小原が鵜の巣にいるから確認しに行ってほしい」と言われるが、梢さんは赴かず。

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同7月2日の夕方頃、前日発見された女性の遺体の確認を求める連絡が梢Bさんの家族の元に入り、翌3日午前、遺体の身元が特定された。

3日夕方、清掃に訪れた村職員が小原の財布・サンダル・ハンカチ・免許証・タバコ・車のキー・携帯のバッテリーを発見する。当然自殺が真っ先に疑われる状況だが、通報時すでに日没近かったため翌朝からの捜索となった。

しかし、黒木氏の調べによるとサンダルは本人のものではなく、親類によれば2日朝に車で送っていった段階でタバコを所持していなかったとされる。どこかで購入したというのか、それとも誰かと接触し差し入れてもらったのか。

4日、地元警官15人で周辺捜索。父親は警察犬の動員で行方を探せないかと訴えたが、警官からは「警察犬は分単位で金がかかる」と説明されたという。地元男性田所さんの届け出により、事故車両から女性ものの靴、血痕のある発泡酒の缶などが押収された。

だが黒木氏の調べによると、殺害された梢Bさんが履いていたのは「キティちゃんのサンダル」であり発見されたものとは異なるという。共に1年近く車中泊を続けていた梢Aさんのものだったのか。

 

7月5日、遺留品以外に飛び降りの痕跡が発見されず、遺体が上がらないことなどから県警は“偽装自殺“と判断する。

同月29日、小原勝幸を殺人容疑で全国指名手配。情報提供ビラには「17歳の少女を殺害した犯人です」と記載。翌年、家族らの訴えにより犯人と断定する表記が斥けられ、「17歳の少女が殺害された事件です」と表記が変更された。

10月31日、捜査特別報奨金制度で上限100万円と公告される。事件発生から3か月足らずでの報奨金対象は当時としては異例ともいえる早さだった。

 

ジャーナリストの死

2008年9月にテレビ番組の取材で本件と係わりをもった黒木昭雄氏は、翌09年、Yahooブログに『黒木昭雄の「たった一人の捜査本部」』を立ち上げ、警察リリースやマスコミが報じてこなかった独自取材を公開。週刊朝日での執筆、関係者証言をYouTube動画で発信するなどし「警察の誤りと再捜査」を広く世に問うた。

氏は警視庁在籍23年で23回の警視総監賞を受賞した元巡査部長で、探偵業のほか、捜査するジャーナリストとして「栃木リンチ事件」「秋田連続児童殺害事件」などを執筆。『警察はなぜ堕落したのか』など警察組織の隠ぺい体質、裏金問題等を追及し、批判的な立場を貫いた。そうしたポリシーの表れか「俺が死んだら警察に殺されたと思ってくれ」と周囲に口癖のように語っていたという。

 

さらに2009年5月13日、小原の親族・被害者遺族、小原の元交際相手佐藤梢Aさんら関係者8名と岩手県警公安委員会らに対し70枚に及ぶ情報提供書を提出。記者会見を開き、事件の再捜査と真相の究明を訴えた。

2010年5月、『ザ・スクープ』の特集が放映される。同年6月30日、小原の父・一司さんらが県や国に対して指名手配差し止めと賠償を求める訴訟を起こすも、11月1日、捜査特別報奨金の上限が300万円に増額される。

翌11月2日、千葉県市原市の寺院駐車場の車内で黒木氏の遺体が発見される。現場状況から練炭自殺と断定され、司法解剖は行われなかった。

未解決事件には数多の尾ひれがつきもので、2010年11月の黒木氏の自殺も組織や警察による謀殺であるかのように流布されている。 

 

 長い時間、私財を削って警察の不正究明に明け暮れた黒木氏であったが、大手マスコミのバックアップも容易に得られず、リサーチに打ち込むほどに生活は困窮した。どれだけ奔走しても義憤で人は駆られない、真実で組織は動かせない、この世に正しさなんて必要とされていないのではないか。上のtweetは氏の最後のつぶやきであり、公に向けて放たれた最期の言葉である。

黒木氏は、小原の父・一司さんらと共に裁判に立った清水勉弁護士に宛てて遺書を送っている。自分の正義に懸ける思いが家族にも大きな負担を強いてしまっていること、自分の活動が警察組織の前ではなしのつぶてに過ぎないという絶望感によって精神的苦境に陥っていた。おそらく自分の命を懸けることで、人々の事件への関心につながればという予断もどこかで過ったのかも分からない。

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2014年4月11日、盛岡地裁は一司さんらの請求を棄却。指名手配ポスターの小原を「犯人」と決めつけた表記については「無罪推定に反する」と結論付けるも、公開捜査の相当性を認め、現在も指名手配者として公示されている。控訴はされなかった。

 

黒木氏の意志はジャーナリスト長野智子氏ら一部の仲間たちに継承されたが、はたして岩手県警やマスメディア全体を動かす大きな力とはなっておらず、事件の全容はいまだ見えていない。黒木氏の知見が全て詳らかにされている訳ではなく、その見解が事件の真相であったと断定することはできない。しかし氏の活動がなかったとしたら、残された人たちは「警察の描いた絵」を鵜吞みにし、口を閉ざす以外なかった。警察が語る以上のことを私たちは知ることも考えることも許されなかった。

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「梢ちゃんは私とまったく同じ名前だったばっかりに、恐喝事件に巻き込まれて、私の身代わりに殺されてしまったんだと思います」

「彼女がなぜ死ななければならなかったのか。私は真相が知りたいんです」

事件の一年後、小原の元交際相手・佐藤梢さんのことばである。

 

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筆者は、黒木氏が提示した情報にはある程度の信憑性があると考えているが、どこまで全容を掴んでいたのか、推測の域を出て真犯人にたどり着いていたのか等については些かの疑問も抱いている。関係者の証言についても、それまでの黒木氏とのやりとりを踏まえた上での発言(黒木氏の見立てに沿った内容)とも考えられる。だが警察組織の杜撰な捜査は事実であろうと考えている。

以下では、小原は殺害遺棄に関与していなかったのではないかという考えについて記したい。

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下は被害者のプロフサイトのTOP画像である。

f:id:sumiretanpopoaoibara:20200801231128j:plain

「年収 昔のぁたしだったら500万前後」

「前の仕事ゃってたら金に不自由しなかっただろぅな」

唐突にこんなウソをつくとも思えず、レジ打ちなどの一般的なバイトとは考えにくい。明確にされてはいないが、法外な稼ぎ口があったことを仄めかしているように思える。

452 :203:2010/05/27(木) 02:03:41 ID:ui8z3A17 さっき載せたブログからの引用だが

>さらに男は「仙台で裏デリヘルやっている」「今は仙台に住んでるが、仕事がうまくいって
なくて、いろんな組関係者ともめている」などと身の上を話し・・・

と、梢さんの

> ぁたしゎぁんたらの玩具ぢゃなぃょ?誰にでも股開くゎけじゃなぃょ?
 (三月二十六日)
 どうしよ・・・ 今日妊娠検査薬ゃってみたら陽性だた・・・ 
 (四月一日
 苦しいよ~ 昨日結局95錠飲んじゃった リスカリストカット)も
 しちゃった~はぁ~ まぢ具合悪
 (四月二十五日)
 ○○○のぉ父さんと初めて話した ちょっと近づけた気がしたぁ 産婦人
 科行ってくる また注射だ 痛す
 (五月八日)

 が、なんか頭に残ってしまう。

警察はこれチェックしたんでしょうかね?
黒木さんは、この辺どう思っているんだろう?

同姓同名や被害届とはまた別のトラブルがあったのかも。

どちらも、視点が小原或いはZに対して集中しすぎていてる気がす。

こちらは被害者のブログ(現在は閉鎖)を読んだ人物(452)による掲示板カキコミ。

地元男性田所さんの証言も全て鵜呑みにはできないが、自殺未遂にせよ偶発的な事故にせよ、疲労困憊の体で飲酒運転という自暴自棄に近い行動を取り、憔悴しきっていた小原に救いの手を差し伸べてくれた人物に「本音」を漏らした可能性は大いにあるだろう。

07年5月のZ氏恐喝から08年6月被害届提出までの1年間、車中泊での逃亡生活の資金の出処は明言されていないが、小原が“裏デリヘル”の女衒だったとすれば納得は行く。プロフの発言にどれほどの信憑性があるのか、単なる冗談のようにも思えるが、そうした点と点をつなぎ合わせると少女たちの関与していた可能性が浮かび上がる。

だとすれば黒木氏が事件の核心部を語らず、未成年の少女たちの尊厳を守るためにセンセーショナルな話題にせず、「警察の不祥事」として再捜査を訴え続けていたことにも合点がいくのである。

 

根拠のない妄想だが、東北にネットワークを持つ反社会組織等がデリヘルやケータイ向け出会い系サイト(実質的売春サイト)を運営しており、カタギの仕事が続かない小原はその末端としてスカウトや送迎役をしていたのではなかろうか。欲が出たのか、Z氏からの逃走資金捻出のためか、知り合った少女らを動員して個人(闇)で営業を取るようになった。

所持金が尽きた小原は盛岡で客を取った。小原が待機している隙に、元交際相手は実家に逃走。所持金も金づるもなくして万事休した小原は元いた組織の人間に金を借りられないかと連絡を取る。小原の闇営業を把握していた組織は、二度と同じような真似はしないように脅迫。小原の右手を潰し、今までのカタとして「逃げた女」を連れてくるように要求。小原は逃げた元交際相手を誘い出すことができず、タイムリミットが迫って、やむなくもう一人の梢Bさんをコンビニへ呼び出した、というのが筆者の見立てである。

 

 ここで被害者について、452のカキコミと残存する魚拓等の断片的な情報とを照らし合わせてみる。

被害者は、2007年年末に彼氏ができたが08年元日にフラれてリスカ、2月には新彼氏ができてリスカ、36錠服薬(薬種不明)、3月半ばにフラれ、“やり目”の男ばかりで憤慨し「自分って何なんだろ?ぁたしわ体だけの女なのかな?体だけか…」と苦悩。妊娠が発覚。4月半ば、事件当時の交際相手あつしさんと「大事にしたい人ができました 幸せになりたいです」と宣言。その3日後、95錠服薬、リスカ。5月に産婦人科、という流れになる。長らく情緒不安定で自傷傾向にあったことが窺える。交際相手(多くは“やり目”)を立て続けに変えていたことで妊娠の相手が判然としなかったからか、精神的不安もあって堕胎に至ったと推察される。

被害者がいつまで小原と係わっていたかは想像の域を出ないが、下のブログコピペなどは売春に際しての事柄ではないかと思われる。

213 :名無しさん@九周年[]:2008/07/08(火) 10:22:39 ID:nqUimGvo0
被害者ブログより - 塩釜の男に蹴りをいれられた記事

2008/02/02 16:28 痛LI★★
今日ゎ朝から最悪。
塩釜の人が なんか 機嫌悪くなて
ぅちに 「てめ-ぉもて出ろゃ」 って言ってきた-
で 出る前に 階段から落ち 腰と尻負傷。
で 外に出て 口論しながら少し歩ぃた
そして坂を下ってる時 壁に突き飛ばされた
ぶつかった 蹴りが膝に。
流血 内出血
涙,足の震ぇが 止まらなぃ
なんでぁたしが ここまでされなきゃぃけなぃの? って思った。
てか まず女に暴力振る-とかなしだょね-
男として最低だょね-
まぢ 足の震ぇるし
暴力振る-奴ゎ 大嫌ぃだ
ぁあ 痛ぃ
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同棲相手がどのような人物で、どこまで彼女を理解し、行動を容認していたかについては知る由もない。梢Bさんは情緒不安な面があり、そのとき小原の誘いに乗ってしまい、盛岡に拉致されたものと考えられる。小原は少女と引き換えに、ガソリン代とひとときの自由を得た。

小原は身代わりであることがバレないと考えていたのか、だれでもよかったのか。もしかすると人違いと分かれば帰してもらえるものと甘く考えていたかもしれない。組織は少女を風俗に沈めようとしたのか、一時的な人質として預かったのかは分からない。だが別人だと分かってもタダで野放しにすることもできず、口封じに殺害された。あるいは扼殺という殺害方法や野ざらしでの遺棄から、「少女の逃走」「激しい抵抗」などに対する突発的な犯行だったかもしれない。遺体は小原への見せしめとして、田野畑との中間地点である松草沢に遺棄された。

金づるを失った小原はしばらく地元で金を稼がなければならなくなり、これ以上Z氏から逃げ続ける訳にいかず被害届を取り下げようと躍起だった。希望的観測をするならば、金をつくって身代わりの少女を取り戻そうとしていたのかもしれない。

しかし7月1日夕方、小原の元に連絡が入り、翌朝、方々へ自殺をほのめかして急に姿を消すことになる。その「逃げ」の性分を鑑みるに、急に断崖から飛び降りる決意が固まったとは想像しづらいものがあり、仮に殺害遺棄に関与していたとすればこれ以上の「逃走」ではなく「自首」を選ぶように思われる。

1日夕方、組織は梢Bさんの殺害を小原に伝え、代償として小原自身に責任を取らせるために偽装自殺を命じたのではないか。組織側は高飛びや匿うことなどを約束して、遺留品を残して小原を断崖から連れ去った。生きて国内にいれば家族や知人に連絡をとらずにはいられない性分と考えられ、事故や事件によりすでに生存していない可能性は高いと推測する。

 

岩手県田野畑を地図で見ると、東は険しい三陸海岸、周囲は山に囲まれた“陸の孤島”であり、見たところ漁港も小規模で産業に乏しいように思われる。仕事が長続きしない小原は親兄弟や旧友を頼りつつその日暮らし、地元で頼れる相手は10年以上前の地元恩師か、顔の広い先輩(Z氏)。佐藤梢Aさんの地元・宮城県栗原市は地図上だと仙台市などにも近いが、市の半分は栗駒高原、残りは広大な田畑がほとんどを占め、人口統計を見ると人口は急速に減り続けている(大都市が近い分、人口流出が著しい)。

被害者の夢が「大阪でひとりぐらし」だった点を見ても、彼女たちにとってやはり地元は“何もない田舎”だった。2人の梢さんは高校を1年でドロップアウト、いわゆる“ヤンキー”や“ギャル”の風体をしていた。事件後、彼女たちのプロフや画像が流出すると、ネット掲示板等では揶揄や罵倒、自業自得といった非難が相次いだ。

だが当時の彼らに社会不適合者のようなレッテルを張ることはできない。学業や就職でミスマッチが起きたときにやり直せる場所や機会、選択肢、就業支援などの社会的受け皿が充分にないことも事件の背景・遠因だと感じられる。家庭の事情までは分からないが救済できるだけの余裕がなかったのであろう。

都市部であればバンドや演劇といったサークル活動、オタクや引きこもり、フリースクールや短期労働者など、なにか他の選択肢、生き方もあったかもしれない。だが田舎の不自由な、小さな日常から脱出するための手段はヤンキーやギャルになって外に出ることだった。もちろんそうした経歴でも就業して成功したり、平穏な家庭を築いたりといった若者は現在も多く存在する。

地方社会とのミスマッチ、手早く金を稼ぎたいといった共通項が彼らを接近させ、悲劇に向かわせてしまった印象がある。黒木氏の調査や恩師の証言などを聞いても、地元警察とヤンキー(家出少女も含まれる)との係わり方は、監視の目を光らせつつも一人一人に救済の手を差し伸べるでもない、つかず離れずといった特異な“距離・近さ”を保っている。

警察にそれを望むのは間違いかもしれないが、非行少年少女≒犯罪者予備軍として扱うではなく、たとえば就業支援団体や職業訓練施設、シェルター等へつなぐなど、若者が危険に嵌らないような、道標となる支援があれば地域の未来を育むことにもつながる。少年少女が不自由に悶え、将来への不安を抱えたとき、その声を掬い上げられる場所がこれからの社会にはもっと必要になる。

小原が生きていれば加害者・共謀者として大なり小なり事件の責任を問われることになるが、彼もまた社会から見過ごされてきた・見放されてきた被害者といえないだろうか。被害者のご冥福をお祈りします。

 

和歌山毒物カレー事件について

1998年に和歌山県で起きた無差別大量殺人、和歌山毒物カレー事件について記す。

被疑者とされた主婦は無実を訴えたが、2009年に最高裁で死刑が確定。2020年現在も死刑確定囚として再審請求を続けている。

 

■概要

1998年7月25日、和歌山市園部で行われた第14自治会の夏祭りで多数の住民が吐き気や腹痛等の症状を訴えて救急に通報。

当初、大人こども合わせて10名程度の「集団食中毒」と見られたが、その後も被害は拡大。異変を訴えた住民らが共通して口にしていたのが「カレー」だった。味におかしなところはなかったが、食べ進めるうちに腹の具合に異変が生じたという。

 

県科捜研が残っていたカレーや複数人の吐瀉物を調べたところ「青酸化合物」の反応が検出され、翌日の会見で県警は何者かによって混入された事件性を示唆した。急性中毒症状を起こした被害者は合わせて67名に上り、うち自治会長男性(64)、副会長男性(53)、高1女子生徒、小1男子児童の計4名が死亡した。

7月26日、県立医大では死亡した自治会長の胃の内容物などから、死因を「青酸化合物」中毒と判断。しかし他の3人の遺体からは青酸化合物は検出されず。

8月2日、和歌山県警は犠牲者4人の体内から若干の「ヒ素」を検出したと発表。6日には「混入されたヒ素は、亜ヒ酸またはその化合物」と発表された。

警察庁科警研はその後も毒物の特定調査を続け、10月5日、4人の死因は「ヒ素」中毒と変更された。含有していたヒ素は、カレールーを約50g食べれば致死量に達するほど極めて高濃度であることが分かった。

ヒ素は無味無臭だが生物に対する毒性が強い。そのため古くから毒薬や化学兵器に使用され、農薬や殺虫剤、木材の防腐剤に利用されることもあったが人体への影響から事件当時にはほぼ使われなくなっていた。

 

祭りの現場は多くの地域住民が行き交うため、部外者が鍋に近づいて薬品を混入するのは難しい状況にも思われた。不特定多数の住民を毒牙にかけておきながら、犯人は今も住民として平然と過ごしているかもしれない。住民相互の疑心暗鬼を招く中、警察は聞き込みや実況見分を続けた。捜査は難航したが、祭りの約1か月後、ひとりの女に焦点が絞りこまれていった。過去に知人男性をヒ素中毒で入院させて保険金詐欺をした疑いがもたれた林真須美(37)である。

自宅周辺は昼夜を問わずマスコミが囲い込まれ、煩わしい記者たちを嘲笑うかのようにホースで水を掛ける様子が繰り返しワイドショーを賑わせ、過熱報道はエスカレートしていった。視聴者の多くは、不敵な態度をとる元保険外交員の主婦に疑いを強めた。

テレビインタビューに応じた際には、保険金詐欺の疑惑について「自信をもって何もしていない事実がありますので堂々としているんですけれど」と強く否定し、祭り当夜の騒動についても「あくる日の朝まで全然知りませんでした」と述べ、カレー鍋に近づくことはなかったと主張。ヒ素や亜ヒ酸を扱ったり見たことはないと言い、シロアリ駆除業をしていた夫の仕事でも一切扱っていないとしてヒ素事件との関連を否定した。警察発表もされていないのに犯人扱いするマスコミ報道に対して涙ながらに怒りを示し、無実を訴えた。

しかし10月4日、保険金詐欺の容疑で県警による強制捜査のメスが入り、夫・林健司氏とともに逮捕される。その日は長男の小学校の運動会当日だったという。

夫婦は複数の詐欺および詐欺未遂容疑で再逮捕と追起訴が続けられ、取り調べは無論カレーの毒物混入にも及んだ。そして事件発生から138日目となる12月9日、殺人と殺人未遂容疑で林真須美が再逮捕され、ようやく事件の真相が明らかにされるかと思われた。

 

■「決定的な証拠」の曖昧さ

しかし捜査当局は林真須美による犯行を裏付ける「直接証拠」を得られてはおらず、黙秘権の行使により犯行の自供もなかった。彼女が一人で当該のカレー鍋の見張り番をしていた時間帯があり混入する機会を有していたこと、彼女が調理済みの鍋の蓋を開けるなど不審な挙動をしていたとする目撃証言、97年から4度に渡って亜ヒ酸(シロアリ駆除剤)を用いた保険金詐欺を夫婦で繰り返していた類似事実などが逮捕理由とされた。

その後の捜査で林家にあったミルク缶容器に入った薬品と現場に捨てられていた紙コップの付着物、カレーに混入された毒物が同一のものと鑑定されて「決定的な証拠」になったと伝えられた。

 

1999年5月に和歌山地裁で開かれた一審初公判には、5200人以上が傍聴抽選に集まった。検察側は上述のように状況証拠や関連性を積み重ねて林被告の単独犯行の立証を行う。黙秘によって供述が得られなかったことから、それまでのテレビインタビューを転用して証拠とするほど立証の材料は充分とは言えなかった。弁護側は無実を主張した。開廷数95回、一審は約3年7か月の長期に及んだ。2002年12月、和歌山地裁小川育央裁判長は、求刑通り死刑判決を言い渡した。即日控訴。

尚、一審でインタビュー素材が証拠として採用されたことを受け、民放6社とNHKは「国民の知る権利・報道の自由の制約になりかねない」として大阪高検に対して証拠申請の取り下げを要請、大阪高裁に対しても熟慮を求める上申書を提出している。

その間、3件の詐欺で総額約1億6000万円を詐取した罪で起訴された林健司は、2000年10月に懲役6年の実刑判決を下された。双方とも控訴せずに刑が確定し、健治は2005年6月の刑期満了まで滋賀刑務所に服役した。4人の子どもたちは児童養護施設で育った後、それぞれ仕事や家庭を持つなどして自立した。

2004年4月から05年6月まで開かれた控訴審では林真須美自らの言葉で無実を主張したが、証言の信用性を否定される。動機について、検察側は主婦たちから疎外されたことを理由としたが、断定は困難とされた。大阪高裁・白井万久裁判長は「犯人であることに疑いの余地はない」と原審を支持し、控訴を棄却した。即日上告。

2009年4月21日、最高裁は林の上告を棄却して死刑が確定した。

 

だが有罪の決定打とされた東京理科大学・中井泉教授らによる大型放射光施設spring-8での異同識別分析データは、被告人が自宅に隠し持っていたヒ素をカレーに混入したと結びつけるには証拠不十分であった。

その分析結果からわかることは、林家にあった薬品と紙コップ付着物とカレーに混入された毒物が、中国の同一工場で同時期に精製された起源を同じくする亜ヒ酸といって差し支えないという点だけである。専門家でなくても、それらを「同一」といわないことは明白だった。

また中井教授が起訴前に鑑定結果を公表し、悪事を裁くために鑑定した旨を公言するなど鑑定人の中立性、鑑定自体の公正性についても疑問がもたれている。

http://www.process.mtl.kyoto-u.ac.jp/pdf/Shinpo43pp49-87.pdf

分析化学の専門家である京都大学・河合潤教授は、上の論文で鑑定内容を再検証し、中井教授らの証言についても信頼性に疑義を唱えている。

判決が正しかったとすれば、林家で発見された「ミルク缶容器に入った薬品」(亜ヒ酸純度64%。デンプン、セメントまたは砂が混じっていた)よりも、カレーへの混入に使ったとされる「紙コップに付着していた残留物」の方が高純度(99%)となる矛盾を指摘している。

鑑定不正---カレーヒ素事件

純度・成分がほぼ同じか、紙コップの方がやや純度が低いならばまだ理解できるが、ミルク缶から紙コップに移す際に不純物がすっかり除去されたとでもいうのであろうか。

 

■冤罪の問い

2018年7月には歴史社会学者・女性学者の田中ひかる『「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実』(ビジネス社)が発表され、帯文の通り「動機なし、自白なし、物証なし」の冤罪事件として再び注目を集める。

「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実

「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実

  • 作者:田中 ひかる
  • 発売日: 2018/07/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

更に2019年4月、Twitterに和歌山カレー事件 長男@wakayamacurryがアカウントを開設、同年7月に著書『もう逃げない。~いままで黙っていた「家族」のこと~』(ビジネス社)を発表。その名の通り(匿名ではあるが)林死刑囚の長男自らが、世間を騒がせたカレー事件や「母親」について、事件後の自身の生い立ちなどについて語っている。母の手紙を公開し、TV番組へも出演するなど、両親の保険金詐欺は事実と認めつつもカレー事件への関与については冤罪を訴えている。

もう逃げない。

 未解決事件の謎に迫るネット番組・だてレビ【ミステリーアワー】でもこの事件を取り挙げ、spring-8の実験装置の稚拙さ、目撃証言や物証への疑惑など、素人目線ならではの忌憚ない意見が交わされている。

https://www.youtube.com/watch?v=Vj_RvA9y5nA

 

 

「冤罪」といっても、痴漢冤罪のように被害者の訴えで無実の人間が誤認逮捕されてしまうケースとは趣が異なる。警察、検察、裁判所、見方を広げればマスコミや世論もその冤罪に加担したことになるかもしれない。

刑事裁判において裁判官は、被疑者を真犯人かどうか裁いているのではなく、検察が被疑者の犯行を特定する(有罪とするに足る)立証が成り立っているか否かを裁いている。有罪が確定するまで被疑者・被告人であれ「疑わしきは罰せず」、“推定無罪”として扱われるのが近代司法の原則となっている。言い換えれば、検察が立証できなければ被告人は自ら無罪を立証するまでもなく無罪とする考え方だ。

この事件で“冤罪”が指摘されるのは、警察の捜査や検察の立証が明らかに不確か・証拠不十分でありながら、裁判所が「判決の事実認定に合理的な疑いが生じる余地はない」という林眞須美“推定有罪”に固執するかのようなおかしな裁判に対しての疑義なのである。

www.youtube.com

ジャーナリストの神保哲生氏は、証明しようがないため陰謀論的立場はとらないとし、警察も検察も裁判官も「自分が正しいと思って」それぞれの本分を果たしているだけかもしれない、と冤罪問題の難しさを指摘している。

 

現場捜査員たちは被疑者をあぶり出すことに躍起になり、取り調べの段には被疑者から“自白”を引き出すことが手柄とされる。グレーを“クロ”にするための強権的な捜査手法は警察組織に永遠に付きまとう課題と言える。

マスコミによる過熱報道が世論を膨張させ、有罪判決への加担になったともいえなくはない。事件の深刻さだけでなく、国民的注目度の高さも、捜査当局や裁判官を絶対に「失敗」が許されない窮地へと追い込んでいたのではないか。

実態の危うい「最新の科学鑑定」で証拠の不十分さを誤魔化そうと、科学の名のもとに結論ありきの非科学的な検証結果を示してはいまいか。

いくつかの冤罪事件を振り返るたびに悲劇は、歴史は繰り返されるのだと感じる。

 

2020年3月、大阪高裁・樋口裕晃裁判長は「自宅などにあったヒ素が犯行に使われたとするもとの鑑定結果の推認力が、新証拠によって弱まったとしても、その程度は限定的だ。新旧の証拠を総合して検討しても、確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じる余地はない」として、和歌山地裁に続いて再審を棄却。

この決定に対し林死刑囚の弁護団主任弁護人・安田好弘弁護士は「大阪高裁は新たに提出した意見書により捜査段階の鑑定による証拠の価値が弱まることを認めながらも、ほかの事実と合わせれば依然として犯人であることに疑いを差し挟む余地はないという。これは争点を意図的にずらして確定した判決や和歌山地裁の決定を維持しようとしたもので不当だ」と最高裁へ特別抗告する意向を示している。

 

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(2021年6月追記)

2021年6月10日、林真須美死刑囚(59)が新たに和歌山地裁に再審請求を申し立て、5月31日付で受理されていたことが報じられた。

 

ノンフィクションライター・片岡健氏は現在ほど冤罪報道が多くない時期からマスコミの報道姿勢や林冤罪説を記事にしてきた人物である。片岡氏は、いわゆるロス疑惑で冤罪となった三浦和義氏による疑義をきっかけに本事件について調査を進め、直接林と面会して「他に真犯人がいる」という考えに行きついたという。

 下のYouTubeチャンネル・dig TVの動画では、夫・健治さんをはじめ6人に食べ物にヒ素を混ぜるなどしていたものの、うち4人は単なる被害者ではなく保険金を受け取る共犯者でもあったことから、無差別殺人の様相を呈したカレー事件とは根本的に違うと説明。ヒ素に関する知識がそれほどない人物が衝動的にやった可能性を示唆している。

 

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 私見を述べれば、保険金詐欺を繰り返す人間が疑われやすい状況下で金にならない殺生を図るとは些か考えづらく、母親が娘の犯行を庇うとすれば「自分がやりました」と罪を認める自供をするように思われる。

自宅にヒ素が保管されていたのが事実であれば家人による犯行の可能性は当然高くはなるが、他の住民が誰一人としてヒ素を隠し持っていなかったかははたして分からない。極刑に値するだけの十全な立証が為されたのか、検証方法に不備はなかったのか、といった点は不満に思う。

 

名古屋市西区主婦殺害事件について

1999(平成11)年11月13日(土)に発生した愛知県名古屋市西区稲生町5丁目主婦殺人事件(通称・名古屋市主婦殺害事件)について。

 

白昼の自宅アパートで主婦・高羽奈美子さん(当時32歳)が何者かに刃物で首複数箇所を刺され死亡、そばにいた長男の航平さん(当時2歳1か月)は無傷で、部屋が物色された形跡は見られなかった。犯人の血痕や足跡、遺留品や目撃情報があるものの犯人特定には至らず、2020年2月愛知県警は有力情報に対して最大300万円の報奨金をかけると発表した。

www.pref.aichi.jp

 

ながれ・現場の状況

・当日9時頃、夫・悟さん(当時43歳)は普段より少し遅めに出勤

・悟さんを見送りつつ、奈美子さんも出掛ける支度をしていた(悟さんは“図書館に行く”と聞いていた)

・同アパート3階に住むママ友に電話(熱のある航平さんを病院に連れていく話、ママ友の夫に補修してもらう約束の車の話をしていた)

・9時30分付け、宅配便の不在票あり

・午前中に人が争うような音を聞いた、との住民証言あり

・10時すぎ、ママ友が電話するも応答なし

・11時10分、長男・航平さんを連れ、きとう小児科へ来院

・11時40分、奈美子さん帰宅(アパート住人が目撃。正午ごろまで駐車場で車の手入れをしていたが不審者は見ていない)

・正午から13時までの間に、被害者宅から「タンスを引きずるような大きな音」「階段を駆け下りる音」を住民が聞いた

・12時15分、12時20分頃、稲生公園付近で2件の不審な女性の目撃情報

・12時30分から14時頃にかけて、ママ友が3回電話するも応答なし

・14時30分頃、各部屋に柿を配っていた大家さんが来訪。応答なく、無施錠だったため戸を開けると廊下で流血して倒れている奈美子さんを見つける。慌てて大家夫を連れてきて再確認。

・騒ぎに気付いたママ友が大家さんとともに119番通報。救急隊は変死と判断し110番通報。連絡を受けて15分ほどで悟さん到着。遺体はトレーナーにジーンズ姿、着衣の乱れはなかった。

・死因は失血死(死亡推定時刻は正午から13時ごろ)。現場の状況から、玄関右手の洗面所で致命傷を負い、廊下をまたいで居間へ這っていく途中で息絶えたとみられる。

・居間では幼児イスに腰かけた航平さんが玩具で遊んでいた。テーブルには航平さん用のおみそしる、奈美子さんが普段は食べないカップラーメンがのびきった状態で置かれ、掃除機が廊下に出しっぱなし、居間のTVもつけっぱなしの状態。部屋を物色された形跡はなかった。

・悟さんの出勤直後からきとう小児科に行くまでのおよそ2時間の足取りはつかめていない。返却予定だった本が残っていたので図書館に行っていないと考えられている。

 

不審人物・遺留品

・目撃情報やDNA鑑定により、40~50歳代B型女性(現在60~70歳代)、身長160センチ程度、当時黒いコート、肩にかかる黒髪のゆるいパーマ、凶器は発見されていない

・量販品の女性向け韓国製スニーカー24㎝サイズ

・被害者宅から500mほど数m間隔で血痕を残しながら、庄内川方面に北上し、稲生公園で血を洗った痕跡。

・12時15分および12時20分頃、「手を怪我した女性」が、稲生公園付近から東進したとみられる目撃情報2件あり。

 

・その後、長男・航平さんが3歳当時、「ママとおばちゃんが喧嘩してた」、4歳当時「犯人はコンビニのおばちゃんだ」といった証言を残しているが目撃証言としての確証は得られず。

・居間テーブルに乳酸菌飲料ミルミルEが飲みかけのまま放置され、玄関には内容物の一部が吐き出されたかのようにこぼれていた。高羽家では過去に購入したことがないことから犯人の遺留品ではないかとされている。製造番号により30㎞以上離れた西三河地区内で販売されたものと特定。

 

当日の天候は晴れ。アパート付近は密集した住宅街だが犯行が昼時ということもあり往来は多くなかったと思われる。

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血痕が続いていた稲生公園へはアパートから北へ徒歩10分もかからない。『迷宮入り!?未解決殺人事件の真相』(2003,宝島社)柳川文彦氏の記事によると、奈美子さんは稲生公園を何度か訪れたことがあったがなんか感じが悪いんだと話し、あまり立ち入らなかったと夫・悟さんの証言を得ている。また犯人の血痕は、公園への最短ルートを辿ってはおらず、公園を目指して移動していたのか、たまたま公園の水場を見つけて立ち寄ったのかは定かではないものの、土地勘がなかったのではないかとする見方もある。

奈美子さんらが11時過ぎに訪れた「きとう小児科」は、稲生公園方面とは逆方向。アパートの南にある用水路を渡って南東方向に位置する。

 

 夫・悟さんは実家に戻り、事件から20年経ってなおアパートの部屋を当時の状態のままにして借りている。長男・航平さんは母親についての記憶はほとんど薄れ、2019年に親元を離れて就職。犯人特定につながらないまま、時計の針は進んでいく。

www2.ctv.co.jp

 

下の記事では、夫・悟さんが奈美子さんの性格などについて語っている。

憧れだった赤い車を買ったこと、家族揃ってのディズニーランド、母を迎えてマンションに引っ越す予定だったこと、飲食店を営むひとり親の手伝いをしながら育ったため普通の主婦(専業主婦か)に憧れていたこと。

アパートを事件当時のまま維持していることも手伝って、悟さんはメディアにも度々登場して情報提供を求めてきた。その際に提供されるご夫婦や一家の写真は、奈美子さんがレシピのファイリングや航平さんの育児記録とともにまめに整理していたものだという。どの写真も“家族の幸せ”を刻んでおり、奈美子さんの航平さんへの愛情や夫婦・家族の「いま」を大切にしていた気持ちが伝わってくる。

www.jprime.jp

 

部屋を荒らされた形跡もなかったことなどから怨恨の線で捜査は進められ、夫婦の交友関係を念入りに調査されたが、ともに恨みを買うような相手は見つからなかった。

悟さんの前妻にも捜査は及ぶも、静岡在住でアリバイがあり血液型も不一致。目撃された不審な女性の特定は困難を極めた(奈美子さんより一回り以上年長で、悟さんと近い年代と見られたことからして、当初は悟さんの女性関係の線も追及されたであろう)。

 

疑問 

疑問点を抽出してみると、

①奈美子さんの午前中の行動

②犯人の遺留品とみられるミルミル

③犯人とみられる女性の逃走経路 

④犯行動機  などが挙げられる。

 

①午前中の行動について。朝の段階で長男・航平さんが熱だった(奈美子さんは育児を疎かにするタイプではなかった)ことから考えても、「図書館に行く」のは後回しにし、まず病院に向かったとするのが妥当と思われる。9時ごろ悟さんを見送った直後(9:30の宅配前)に家を出たものとすれば、かかりつけの小児科へは自宅から自転車で約5分にも関わらず、病院側の来院記録から「11:10」に来院が確認され、空白の2時間が生じている。9時過ぎに小児科を一度訪れたが混雑していた、どこかで時間潰しをして再訪した等の理由が考えられる。この間にトラブルに巻き込まれた説もあるが、それならば小児科ではなく交番へでも向かうだろう。また付近の公園や店などで2時間近く滞在していれば、目撃情報や接触者がもっとありそうなものである。9時過ぎに小児科の混雑を見て、他の病院を転々としてみたが結局戻ってきた、周囲はその様子を気に留めなかった(ずっと移動中だった)といった可能性も考えられる。

11時40分ごろ奈美子さんの帰宅が目撃されており、そこではだれかと一緒だった様子は認められていない。午前中の宅配の不在通知があったこと、室内が掃除機(個人的に「タンスを引きずるような音」の正体は掃除機だと考えている)やTVなどで慌ただしかったことから、ドアをノックされ、うっかり確認を怠って(あるいは再配達などと勘違いして)慌てて玄関を開けてしまったシチュエーションが想像できる。

 

②ミルミルについては、第三者が渡していた可能性もある。病院は年配者も多く、そうした方にすれば幼子を抱えたお母さんを見れば「どうしたの?お熱?」など声を掛けやすい。製品の特性上、家族の分や数日分をストックする家庭が多く、ペットボトルよりも少量パッケージであるため高齢者が携帯しやすい印象があり、子ども向けなどちょっとしたプレゼントに重宝されると考えられる。チャーミングなネーミングや体に良さそうなイメージから、懐に携帯してきたものを「あげるから飲んで」と好意的にプレゼントしている場面が容易に思い浮かぶのだ。「あれは自分が渡したミルミルかも」と心当たりがあっても黙秘してしまった可能性も大いにあるし、捜査に対して渡した本人ではなく家族の他の者が対応していて捜査線上から消えてしまった可能性もある。当時の航平さんくらいの乳幼児が口に合わずベェッと吐き出す様子ならイメージできるが、「犯人が自ら持ち込んで事後に自ら吐き捨てた」というシチュエーションはなかなかに奇怪である。奈美子さんが病院かどこかで善意の第三者に貰い、帰宅してテーブルに出していたものに犯人が口を付けた、という方が私にはまだ自然に思われる。

 

③の逃走について。現場ドア付近の足跡から、立ち去る前に外の様子を窺っていたとも考えられている。駐車場にいた近隣住人に発見されなかったことも、周囲に警戒しながら忍び寄ったからと考えられる。現場アパートからすぐ東の通りに出て北上すれば最短ルートで公園にたどり着くものの、犯人らしき女性はアパート西側の住宅街を彷徨うようにして公園に向かった。その道筋を示すのは数mおきに血痕があったからだ。その女性は手に大きな怪我を負いながらも、現場で止血しようとはしていない。事件の晩、マスコミの動向を嫌がった県警本部は警察犬による捜査を一時中断し、その後の降雨によって血痕が消されてしまった。目撃情報では公園方面から更に東へ向かっていたともいわれている。移動手段が徒歩であること、駅に向かっていないこと、目撃情報が2件しかないことなどから、徒歩圏内に暮らしていた人物と捉えることはできるが、車で逃亡を協力した者がいた可能性もゼロではない。

また柳沢氏の調査で挙げられた「なんか感じが悪いんだ」という奈美子さんの稲生公園評も気掛かりではある。訪れたときは大きなトラブルには至らなかったが、もしかすると犯人らしき女性が公園に滞在していて遊んでいたら注意を受けたとか、女性が寝ていて騒がしくならないようにしないとならず利用しづらいと感じたのかもしれない。現地の事情に明るくないため、地元の方には不快な思いをさせてしまうかもしれないが、名古屋という大都市圏であることと「川べり」ということから妄想するに、犯人らしき女性が界隈を根城にしていた浮浪者という可能性もあるのではないか。全体の数こそ少ないものの、以下④でも述べるように精神疾患などで社会復帰しづらかったり、男性と離別して行き場をなくした等で浮浪者になる女性はいる。警察は浮浪者の動向もある程度は把握しているはずだが、浮浪者仲間が隠蔽したり逃亡を助けたりといったこともないとは言えない。

 

④犯行動機が非常に見えづらい。当時、新車購入やマンションへの引っ越しも決まっており、「こわいほど幸せ」と知人に話していたことから、(夫や友人が関知していない)交友筋で妬みを買っていた可能性も疑われている。

www.tokai-tv.com

上の記事で、7年間捜査に携わった元愛知県警捜査一課・岡部栄徳さんは「どっかで奈美子さんに逆恨みした人物」ではないかと目星を語っている。セールスの来訪で嫌な経験があった奈美子さんには日頃から来訪者を窓から確認する習慣があったことも“知人”説を裏付けている。

だが一般的思考力のある人間であれば、逆恨みして刃物を手に住宅街の真ん中にある家に押しかけてくるだろうか。知人であれば電話などで、それこそ公園や河原、人目につきにくい場所に呼び出して事を行うのではないか。また家を知っているほどの関係、過去に来訪歴のある人物がいれば、(不倫などやましい関係でなければ)夫やママ友らに「この前こんな人がうちに来て…」と言い伝えていてもいいがそれもない。たとえ恨みを抱いた知人としても、まともな人間であれば相手の頸動脈ではなく人間関係を切ろうとする。またそれ以前に奈美子さんに関する悪口を周囲に漏らしているはずである。

交友関係に怪しい人物が見当たらないとなると、周囲に他言しない人間関係として「不倫」などの可能性も疑われる(たとえば不倫相手の嫁が関係を知って襲撃など)訳だが、航平さんに手がかかる時期だったことや人並み以上に家族への愛情を注いでいることからもこの事件ではその筋はないと考えてよいだろう。

 

 私の考えでは、犯人は奈美子さん個人に恨みを持っていなかった赤の他人、妄執につかれた精神疾患くらいしか想像できない。たとえば「自分よりも若い女性」や「小さな子供のいる母親」に対して強い妄執に駆られ敵愾心を抱く人物が、人通りの少ない昼の街路で奈美子さんを見かけて家までつけていったのではないか。あるいは岡部元警部の言うよう、公園や街角で以前ささいな接触を持っており、次第に妄執が肥大化して凶行に及んだというものかもしれない。とはいえ捜査に行きつくほどの重要情報が集まっていないことから、普段はほとんど外出していない(多くの住民から把握されていない)とも考えられる。

犯人とみられる女性が当時40~50歳前後とすれば、配偶者や高齢の親などと暮らしていた可能性はあり、責任の追及を恐れ身内の凶行を隠蔽しようと考えてもおかしくない。独り者であれば病院や施設に収容されているかもしれないし、すでに人知れず亡くなっている可能性もある(孤独死や自殺、精神疾患持ちとなれば手に大怪我の跡があったとてそれほど気に留められることなく処置されたとしてもおかしくない)。地域の病院利用や保護施設、警察への通報履歴(精神疾患者には「〇〇が嫌がらせをする」等と警察へ頻繁に通報・相談する者も多い)などによって、そうした疾患者の情報はある程度リストアップされていることと思うが、確証が得られず追及できないといったことも懸念される。現場でDNAが採取されていることから、余罪で逮捕されているという可能性は低い。

 

犯人の目星さえつかないまま、遺族は感情のやり場を失っている。夫・悟さんが自らの境遇を語るときに使う「中途半端な被害者」という表現には胸が締め付けられる。記事上でも危惧しておられる通り、犯人とみられる女性も存命であれば70歳代に差し掛かり、現実的にリミットは迫っている。奈美子さんのご冥福を祈るとともに、ご遺族の心の安寧のために一刻も早い犯人特定を願うばかりである。

 

 

 

※心当たりのある方は、愛知県警西警察署へ(電話052-531-0110

 

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[2020年11月12日追記]

週刊女性PRIMEにて週刊女性2020年11月24日号掲載の関連記事。

テレビで被害者・奈美子さんについて人から恨まれる性格だったのではないかという見方を強める報道がされたことに対して、夫・悟さんと奈美子さんの友人が周囲の人間が知る彼女の性格について語っている。

www.jprime.jp

2016年フジテレビ系番組『最強FBI緊急捜査!日本未解決事件完全プロファイル』の中で、友人3人のコメントとして以下のような文言が紹介され、推理は“怨恨”の線へと向かっていく内容だった。

《悪気がなく言ってしまうことがあるので、こっちが落ち込んでいるときにすごく楽しいことを言ってくるんです。ある意味、やっかみはあった》

《赤い車に乗り、派手っぽい感じ。ミニスカートをはいていたりとか、周りからやっかみを買い、誤解される》

《こちらが傷ついちゃうことを言ってくるんです》

そのコメントの使われ方、番組内容が偏向的だとして悟さんは抗議し、局側も「被害者の人物像を描く際に一部配慮に欠ける表現があったため、関係者の皆様にお詫びしました」と認めている。

記事中では、奈美子さんの知人たちから下のような印象や人柄が紹介されている。

「明るくてテキパキと仕事をこなす。スラッとしてスタイルがよく、仕事場で上司から好かれやすかった」(高校時代の友人)

「頑張り屋で情に厚い。何か悩み事があると聞いてくれ、職場でも慕われていた」(会社員時代の後輩)

「奈美子はいつもキラキラしています。背筋がまっすぐで胸を張って歩いている。凛としていて、不平不満がほとんどない。ひょっとしたら苦しいときも、そんなイメージを作ってきたのかな。彼女は他人に見せたい自分があったのかな」(奈美子さんの友人)

「奈美子さんは恨まれるような人ではありません。ママ友やご近所とも仲よかったし、誰かとトラブった話は聞いたことがない」「ただ、お母さんとマンションで暮らせるのを幸せいっぱいに話していたので、人によってはそれが『自慢』に聞こえ、反感を買われてしまったのかな……」(会社員時代の後輩)

 

また以前すでに上に紹介していた2019年の週刊女性プライムの記事で、奈美子さんは「女手一つで育てられ」て店の商売を手伝っていたため、いわゆる“普通の主婦”に対する憧れが強かったと書かれていたが、今回の記事では奈美子さんの生い立ちや母親についても記述がある。

奈美子さんは二人姉妹で、中学時代に両親が離婚。高校卒業後は製造系の会社に就職し、数年勤めたのち歯科助手となり、20歳代前半では母親の営む居酒屋の手伝いもしていた。それから悟さんの勤める不動産会社に就職し、平成7年7月7日に入籍。しかし新婚生活から約一年、市内で一人暮らしをしていた母親が薬事法違反容疑で逮捕。不起訴となり、母親は北海道に転居。毎年夏になると奈美子さんも顔を出しており、航平さんもそちらで生まれた。来春にはその母親を呼んで一緒に暮らせるよう新築マンションを購入した矢先で起きた事件だった。

事件のおよそ3年前、奈美子さんの母親が健康食品会社の販売員として無認可の清涼飲料水を「がんに効く」健康食品と謳って販売したことが明らかにされ、もしかすると奈美子さんが来訪者に対して注意を向けるようになったのはこの件がきっかけだったのではないかとも思われる。おそらく奈美子さんの母親が販売していたのは名古屋市内が中心であろうし、近隣住民や旧知の間柄であれば居酒屋時代などに娘である奈美子さんを見知っていた可能性もなくはない。だがこの件が元で3年経って母親ではなく奈美子さんに矛先が向けられたと考えるのもやや難しく、県警もその筋は当然洗っていることと思うが両事件を結びつけるに足る証拠は何も出ていない。

 

最後に。

筆者もこのような文章を書くにあたって誹謗中傷やむやみな偏見は避けようと注意しているつもりだが、ご遺族や関係者の目に触れればやはり不快な思いをさせかねないという自覚もある。ミステリアスな犯行や加害者・被害者などについて少なからず興味があって執筆するものだが、事件の周知、早期解決、亡くなられた方たちに思いを馳せる内容であるべきと念頭に置いておきたいと思う。

NHKスペシャル未解決事件『尼崎殺人死体遺棄事件』について

2013年にNHKで放映されたNHKスペシャル未解決事件『尼崎殺人死体遺棄事件』の感想など。

 

この番組はNHKで2011年から放映開始した大型シリーズプロジェクトの第3弾であり、どうして事件は起きてしまったのか、なぜ防ぐことができなかったのかという側面をテーマにしている。

内容は主に、作家高村薫さんによる尼崎での取材リポート、関係者の証言、再現ドラマVTRといったパートで構成されている。

 

www.nhk.or.jp

 

尼崎殺人死体遺棄事件(通称・尼崎連続変死事件、尼崎事件)を簡潔に説明することは難しいが、1980年代後半から2012年にかけて兵庫県尼崎市および香川県高松市で起きた複数家族の傷害致死死体遺棄事件であり、そのすべてに角田美代子(逮捕当時64歳)が主犯格として関わったとされる。

2011年11月事件が発覚し、逮捕。しかし翌2012年、美代子は多くを語らないまま兵庫県警留置所内で自殺し、余罪などの全容解明は困難となっている。

 

■人物関係 

逮捕者は、美代子のほか、

角田正則(美代子の戸籍上の従兄弟)

角田三枝子(美代子の義妹)

角田瑠衣(美代子の義子、仲島茉莉子さんの妹)

角田健太郎(美代子の義子、I家四男の息子)

角田優太郎被告(美代子の義子、三枝子が出産したとされる)

東頼太郎(美代子の内縁の夫)ら。

  

事件の特殊性として、美代子が被害者家族を恫喝し、家庭内で虐待を行わせていたことが挙げられる。

逮捕者には、健太郎、瑠衣ら傷害や死体遺棄等に加担した元被害者家族も含まれており、被害者/加害者の単純な線引きが難しく、本文では追及の必要はないため一部だけを明記する。

 

死亡者は、

大江和子さん(尼崎貸倉庫でコンクリート詰めドラム缶で遺棄)

仲島茉莉子さん(瑠衣の実姉、尼崎の住宅床下に遺棄)

谷本隆さん(瑠衣の伯父、尼崎の住宅床下に遺棄)

安藤みつゑさん(尼崎の住宅床下に遺棄)

橋本次郎さん(岡山県沖にコンクリート詰めドラム缶で遺棄)

皆吉ノリさん(茉莉子さんの祖母、高松市の小屋下に遺棄)

その他、角田久芳さん(三枝子の夫)ら、関連するとみられる不審死や失踪も多く起こっている。

 

美代子は、養子縁組や姻戚関係などで戸籍上の家族関係を次々と結んでいる。苗字の変更や複数の家族が関わることによって人間関係が字面上理解しづらくなっている。

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■手口

再現ドラマでは、2000年代に関係を持った谷本家、遠縁にあたり1990年代後半に取り入った門脇家(仮名)・横地家(仮名)(下の相関図における「I家」にあたる)に焦点を当てており、標的となる家族になにがしかの因縁をつけて家庭内に混乱を引き起こして、さも自らが仲裁者であるかのように介入していく様子を描いている。

 

美代子元被告は、暴力団関係者らしき“得体の知れない存在”の影をちらつかせがら「落とし前を付けろ」と因縁をつけて“家族会議”をさせ、家庭内にある各人の不満や綻びをあぶりだす。

恫喝の一方で、ある者に借金があると聞けば「肩代わりしてやる、自分に任せておけ」といった“アメとムチ”を使い分け、次第に家庭内の実権を掌握し、一家全体を主従関係へと導いていった。

 

大人に対しては恫喝で冷静な思考判断を奪い、親子関係・夫婦関係を破綻させていき、こどもは自分の手許に置いて手なずけることで人質にした。

自らの手を汚さず、逆らう者を家族に虐待させること、自分や身内を“加害者”に仕立て上げることで逃走や告発を困難にさせた。逃亡すれば何度でも連れ戻されて見せしめに懲罰を加え、被害者らは抵抗する意欲を一層萎縮させていった。最終的に家族の全資産を収奪し、一家離散へと追い込む一連のながれはどの被害家族にも共通していたとみられている。

家庭内に取り入り、家族同士で虐待し合うよう仕向ける、いわばマインドコントロールともいえる手法から“北九州監禁殺人事件”との類似性を指摘する声もある。

 

■生い立ちとながれ 

美代子元被告の生い立ち、事件の順序を大まかに整理しておく。

・小学生時代に両親は離婚、父母や親戚間を行き来した

・父は手配師(人材斡旋業)で金回りはよく、人心掌握に長じていた

・10代から尼崎でスナックを経営。番組では店の2階で売春斡旋、ヤクザ者にケツモチをさせていたと紹介

・23歳で結婚、20代半ばで離婚し、横浜に移り住む。幼少期から付き合いのあった三枝子とラウンジ(飲食業)や輸入代行業を共同経営

・20代で内縁関係となる東頼太郎と知り合う

・事業に失敗し、1981年、33歳のとき尼崎に戻る。当初は内縁の東、三枝子と3人暮らし。その後、マンションの部屋を増やして10人ほどのとりまきを住まわせていた。

・近隣住民からは、因縁をつけるクレーマー気質・トラブルメイカーとして知られ、とりまきを連れた威圧的な素行や態度から「関わり合いになりたくない」人物と思われていた

 

・1980年代半ばには橋本家に関与

・1998年ごろ、I家に関与

・1998年、三枝子が美代子の母と養子縁組(姉妹となる)

・2001年ごろ、皆吉家、谷本家に関与

・2004年、正則が美代子の叔父と養子縁組(従兄弟となる)

・2007年、優太郎・瑠衣が結婚(瑠衣が義理の娘となる)

・2009年、大江家らに関与

・2011年、大江家長女が大阪府警に出頭。三枝子・瑠衣の供述により事件が大きく明るみとなり逮捕。

・2012年、美代子が留置所内で自殺

 

 

 番組では、美代子元被告の元夫が登場。中学卒業後10年生活を共にし(入籍は23歳、ほどなくして離婚)、子はいなかった。

「気の弱い、腹立ったら怒りよるし、泣くときには泣きよる」

「駅で迷子になって泣いたりする」

元夫から見れば、結婚当時は普通の女性だったと振り返った。

現在の写真の人相を見て、「(一目で当人とは)わからなかった」「鬼になっとる」と自分の記憶とは大きく異なる印象を淋しげに語った。

 

また自殺直前の2週間、同じ留置所で生活した人物が登場。美代子は、あとに入所してきた人物が“子殺し”の犯人だと知ると「あの人と喋ったらあかんで。子ども殺すなんて信じられない」と話しており、彼女の事件をあとで知って驚いたという。

 

インタビューした高村薫さんは、美代子の人物像について「ひとにいえないような罪をやって隠している自分の中に、寂しがり屋の普通の女の子だった自分も残っている。だからあえて切り離して、もう一人の何の心も動かなくなった自分がいたと思う」と語っている。

 

■所感 

美代子の犯行は凶悪だが、自らの手で暴力を加えたり、血を好む、死体を好むといった性格ではなく、もちろん金銭がその目的にはあるが、「よその家族を崩壊させること」を何より好んでいたような印象を受けた。

普段の生活でほとんど意識することはないが、生い立ちや人間関係や法律、社会的続柄といったものが抑制装置・ブレーキとなって、その人を社会的なエラーに至らぬように大体制御してくれている(だから滅多なことで人殺しはしないし、殺してはいけないと思って生きていられる)。

社会契約論ではないが、犯罪行為に身を染めず日常生活を送れているのは多くの人間関係と社会通念が私を束縛してくれているため“暴走”せずに済んでいる。だが彼女について思い巡らせると、親兄弟も友人も恋人も生い立ちも環境も、周囲からのブレーキ効果がなさすぎるあまり、加速し続け、そのまま止まれずに奈落の底まで行ってしまったようではないか。

 

美代子元被告がひとえに執着していたのは「家族」である。

自らが大黒柱とでも言わんばかりにとりまきを引き連れ、標的になる家族を乗っ取って破綻させ、他人と法的な家族になることを喜んだ。だが不幸なことに、理想の家族を夢見た女の子は本物の家族を知らず、自分のいいなりにしかならない“疑似家族”という犯罪集団共同体を生んだのだった。(彼女の父・母の生涯も非常に興味が湧く)

たとえば元夫や内縁の夫との間に子どもを授かっていたとしたら、離婚したり事業に失敗したとしても、我が子を前にしてこんなアホなオカンになる選択肢は選ばなかった(明示されてはいないが肉体的に出産できなかった可能性もある)。

のべ五十件以上の近隣住民からの苦情に対して、警察が“民事不介入”の重すぎる腰を何回か上げていたら、ここまで犠牲者は増えなかった。尼崎という土地柄も、警察の介入や周囲からの“救い”が乏しかった背景の一つである。

もちろん彼女たちが犯した数多くの罪は情状の余地もなく到底許されるものではない。だが同時に、友人や恋人に美代子元被告の“普通の女の子”としての苦しみを親身に分かち合える人物が一人でもいたならば、彼女にとっての悲劇だけで終わらせられたのではないか、とその不幸を哀れまずにはいられない。

 

 

最後に、再現ドラマの角田元被告役・烏丸せつこさんの演技は鬼気迫るものがあり、震え上がるほどの圧倒的存在感だった。他の出演作をググったら、NHKの朝ドラ『スカーレット』で主人公・喜美子を応援する美魔女(失礼!元・女優の)小池アンリ役をなさっているとのこと。機会があれば凶悪事件フリークのみならず、スカーレットファンの方にも是非烏丸さんの熱演をご覧いただきた(?)…いや、胸糞悪い事件なので興味がなければ見ない方がいいと思います、多分。

はやせやすひろ『幸せのおまじない』について

 2020年3月1日2日にかけて、YouTubeで人気のオカルト系ラジオトーク番組THC OCCULT RADIO(通称オカラジ)で“都市ボーイズはやせやすひろさん襲来!”と銘打ったスペシャル回を前・後編の2回を公開した。

 

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 はやせやすひろさんはホラー作家山口敏太郎さんの弟子として、放送作家のほか、岸本誠さんと若手放送作家ユニット“都市ボーイズ”を結成し、怪談・都市伝説研究家として執筆、PODCAST『都市伝説 おかんとぼくと、時々イルミナティ』等でマルチに活躍。カンテレ系の人気番組『稲川淳二の怪談グランプリ2017・2019』で優勝し、怪談界期待の若手として注目を集めている。

 

 はやせさんSP“怪談篇”では、『怪談グランプリ2019』で披露されたはやせさんの母上様の体験談について、当時の放送尺に収まりきらなかった詳細にも触れており、固唾を飲んで聞き入った。

はやせさんは自己紹介などで、岡山県の“津山30人殺し”で有名な津山の出身、とよく語られているが、土地勘がないため2019年放映当時も地図を開いて件の土地への想像を膨らませたものだ。

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 はやせさんの母上様が体験したという“幸せのおまじない”についてざっくり説明しておく。

 

母上様が学生だった頃、高名な霊能力者の許へ相談に通っていた時期があった。その霊能力者は金品を要求せず相談に乗っていて、全国各地から集まる相談者たちには“先生”と慕われていた。 かなりの高齢だった先生は、あるとき10人ほどの老若男女の相談者を一堂に集めた。普段そうしたことはなかったのでその中にいた母上様も不思議に思った。すると先生は、自分は大病で余命いくばくもないこと、自分の死後は相談に乗れないし、これまで施してきたまじないの祟りがあるといけない、災禍を避けるための“幸福のおまじない”を教えるから毎日これこれこういう文言を声に出して唱えなさい、と話した。

 

日が経って、再度集められた一同。見るからに弱って容態の悪くなった先生は、“幸せのおまじない”を言われた通り唱えたか確認する。皆一様に毎日声に出して唱えたと答える。

すると先生は「そしたら、みんな死ぬわ。あれは“幸福のおまじない”じゃなくて狂って死ぬおまじない、自分で自分が死ぬように呪いを毎日かけていたことになる」と言い出した。

「大病で医療費やらお金が必要になって、この中の数名に“お金を貸してほしい”とお願いした」「私はこれまで善意から無償でみんなの相談に乗ってきた。それなのに、だれが貸すかペテン師が、と邪険にされた」「そいつらだけを呼び出しても変に思うだろうから、他の人にも集まってもらって、全員に“幸せのおまじない”と聞かせればそいつらもやると思った。悪いけどみんな道連れで狂い死ぬわ、ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい」「今の私は孤独だが、死んだらお前らも地獄で全員一緒や、ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい」と信じられないほどの大声で狂喜した。

きしくも母上様は家でまじないを唱えてはおらず呪いを被ることはなく、まだ学生だったこともあって他の相談者たちのその後については知らない、という話。

 

また2020年1月、タレント島田秀平さんのYouTubeチャンネル・島田秀平のお怪談巡り#52で都市ボーイズとしてゲスト出演した際にもこの逸話を語っている。

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こちらで母上様はいじめの相談で通っていたこと、先生が1度目の集合をかけた際にいじめっ子を連れてこさせていたこと、さらに先生と同日にいじめっ子が亡くなったことを明らかにしている。母上様は、先生が教えてくれた文言が実は“幸せのおまじない”などではなく恐ろしい“呪い”だと事前に知っていたのだった。

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はやせさんの合格祈願、撮影厳禁タニイシさんの話の舞台はどこなのか、土地勘がないため定かではないものの様々な寺院があるものである。

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“呪われた一族の末裔”から“神の子”に進化しかねない勢いのハヤセさんのご活躍をこれからも注目したい。

 

平成の神隠し・坪野鉱泉肝試し女性失踪事件について

2020年3月4日、富山県警は同県魚津市で消息を絶った同県氷見市の当時19歳の少女2人が乗っていた乗用車が、同県射水市八幡町にある伏木富山港付近の海中で見つかったことを明らかにし、車内にあった複数の人骨を少女2人のものとみて確認を急いでいる、と発表された。

 

「坪野鉱泉」巡り長年憶測 転落目撃者特定が転機 富山新港内で人骨(北日本新聞社

https://webun.jp/item/7642731

 

現代の神隠しのひとつとして知られた『坪野鉱泉肝試し失踪事件』が24年ぶりに大きく進展したのである。ご家族の気持ちを考えると、どこかで生きていてほしかった、あまりに時間がかかり過ぎたとはいえ、ようやく発見されたことにささやかながら安堵するとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

 

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(以下、事件について推論を述べていくが、亡くなられた方を非難したり冒涜する意思はないのでご了承願いたい。ご遺族関係者の方の気分を害してしまったとしたら申し訳ありません。)

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 1996年5月5日午後9時すぎ、氷見市に住む19歳屋敷恵美さんと、高校時代の同級生だった田組育鏡(たくみなるみ)さんの2人が「肝試しに行く」と告げて車で出発。午後10時ごろ、射水市の旧・海王丸パークで友人と会っている。深夜、友人宛にポケットベルで「魚津市にいる」とメッセージを残し、そのまま消息を絶った事件である。

2人が向かった先は、「魚津市」「肝試し」から廃墟・心霊スポットとして有名な通称・坪野鉱泉と呼ばれる廃ホテル(旧・ホテル坪野)ではないかと見られた。

かつてレジャーホテルとして賑わったが、1982年に倒産。市街地から10㎞以上離れた山間部という立地のためなかなか引き取り手がつかず、再建のめどもないまま荒廃。やがて近県からも暴走族が集まる場所(たまり場)として知られるようになり、1990年には敷地内の薬師堂で全焼火災が発生するなど、地域住民の間では治安の悪さが懸念されていた。

ヘリ捜索や山岳捜索隊を動員するなど事件事故の両面から大掛かりな捜査が行われたが発見や有力情報には繋がらず、失踪から1年後(2人の成人を待って)、半公開捜査に踏み切った。今となれば未成年者保護の観点からか、情報公開が遅れたことも事件を長引かせた要因と考えられる。

日本国内では年間8万人超の行方不明者が発生し、多くが10代20代の若者による家出、約1万7000人が高齢者の認知症等疾病に係るケースで、所在や死亡が確認される件数も年間概ね8万人超であるから、ほとんどの事案は遅かれ早かれ「解決」されている。だが少数ながらも未解決、原因不明といった特異なケースは“神隠し”として取り沙汰され、人々の記憶に刻まれる。

なかでも本件は「肝試しに行ったきり行方不明」という怪談話さながらの背景、舞台が心霊スポットという性質も相まって、「地権者に暴力団関係者が絡んでいた」等の噂、北朝鮮による拉致事件との関連など、2人の失踪について様々な憶測を呼んだ。

 

例として下のオカルト系サイトでは拉致説を唱えている。

okakuro.org

 

GoogleマップYouTube等動画サイトでは、近年の坪野鉱泉跡の様子を垣間見ることができる。

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失踪した2人の画像や服装と車種などからイメージされるのは“今どきのフツーの女の子”。

二人の特徴はA子さんが身長154センチ、左利きで八重歯、鼻の横に水疱瘡跡がある。当日の服装は白いブラウス、黒字に白の縦じまのミニスカート、黒のカジュアルシューズだった。

B子さんは身長167センチ、黒のTシャツにうぐいす色の綿パン、黒の革靴で、茶髪に染めていた。
二人の乗っていたB子さんの車は九五年式スバルVIVIOの黒、ナンバーは「富山50 そ 14―02」。 

(読売新聞北陸支社版1997年5月4日17面富山よみうり)

 県警の調べによれば、2人は以前海洋丸パークで知り合った友人から坪野鉱泉が「肝試しの場所」だと聞かされ、失踪前にも訪れたことがあったという。5月5日、勤め先のスーパーで懐中電灯に使う乾電池を購入した屋敷さん(上のB子さん)はバイト仲間に「今晩肝試しに行こう」と誘うが断られ、田組さん(上のA子さん)に電話を掛けたとされる。

デートやナンパのスポットだった海洋丸パークに出入りする社交性や、肝試しに行きたがるような好奇心からして、行動的で活発な印象を受ける。

 

5月5日、2人は地元・氷見市から直接魚津市山中の坪野鉱泉へ直接向かわず、射水市湾岸部の海洋丸パークに立ち寄っている。確認できないが、事前に一緒に肝試しをする「仲間」と待ち合わせていたか、あるいは仲間にふさわしい相手を狩る(ボーイズハント)ために立ち寄ったと見てよいのではないか。「いつものダチと前に入ったことのあるお化け屋敷に入ったって面白さ半減だ、キュンキュンできる相手と一緒にイチャコラしよう!」といったノリで立ち寄ったとしてもおかしくない。

そこで(おそらく偶然に)友人(性別等は確認できず)と会った後、午後10時すぎに国道8号線の富山~滑川の市境で魚津方面へ向かう2人の乗った車が確認されている。目撃証言なのかカメラに収められていたのか定かではないがガソリンの給油が確認されており、2人はこの時点で少なくとも魚津方面には向かっている。はたして“2人きり”で向かったのだろうか。実は同行者、別の車両に乗った「仲間」たちと坪野へ向かっていた可能性もある。

そこからの足取りは途絶えることから、人目につかない山間部、おそらく坪野鉱泉へと向かったと思われる(他の肝試しスポット等に行った可能性もあるが、行動の突発性や時間帯からして過去に行ったことのある場所と考えられる)。実際に建物に侵入したのか、すぐ引き返したのか、「仲間」といたのか、あるいは坪野で別の男性グループと遭遇して「現地調達」したのか、詳細は全くつかめていない。

 

深夜未明、友人へのポケベルを送信。時刻は定かではないが、山間部の電波状況や「魚津にいる」という内容からして、坪野ではなく市街地で送信したのであろう。もしかすると坪野帰りに小休憩でもしていたのかもしれない。また陰謀論的な立場を取りたくはないが、送信したのは本人でない、発信場所が魚津市内でなかった可能性も否定できない。

だが車輛が海洋丸パーク付近で発見されたとなると、自力で運転して戻ってきたと推察される。深夜の山道を乗りなれない(他人の)車で運転するとは考えづらく、坪野鉱泉で何者かに拘束されたり殺されたりしていれば隠蔽するにせよわざわざ市街を通ることなく車ごと崖や山奥で処分するはずだ。

なぜ2人は再び海洋丸パークを訪れたのか。ゴールデンウィークで夜遊びしたかったには違いない。だが数時間前に2人で訪れていたにもかかわらず、わざわざ深夜の海洋丸パークに戻ってくるのは不可解である。そうすると2人きりや坪野で「現地調達」した何者かと再訪した訳ではなく、行きの海洋丸パークから坪野に同行した「仲間」がいた、「仲間」の車が置いてあっりもう少し一緒に遊びたかったなどしてみんなで「戻ってきた」というのが自然な流れではないか。

 

24年前に行方不明、19歳の女性2人乗車か…港の海中から軽発見・車内に人骨 : 国内 : ニュース : 読売新聞オンライン

 上の記事には、2014年にあった“目撃者が複数人いる”という情報提供を基に調査を進め、目撃者3名を特定。今年1月事情聴取を照合して「96年の大型連休の深夜に、旧海王丸パーク付近で、駐車場から女性2人が乗った車が海に転落した」と見通しをつけ、1月下旬から海中捜査開始、3月4日の引き上げにつながった経緯が書かれている。

2014年にあったタレコミから目撃者3名の特定まで6年近く経過していることについては、当初、信ぴょう性の低い情報として扱われていた、詳細ではない匿名文書や匿名電話など消極的捜査協力だった、目撃者特定の裏取りに時間を要した等の要因が想像される。タレコミした人物は何者か、いつどのようなかたちで情報を得たのかは不明だが、身内や事件関係者ではない第三者とすれば、情報を得てからそれほど長く秘匿していたとも思えない。15年以上という時間の経過や環境の変化で、沈黙を守ってきた目撃者が気を緩ませて口を滑らせたと見るのが妥当ではないか。

では目撃者がすぐに警察に証言しなかった、公にできなかったのはなぜか。目の前で人や車が海に落ちれば、普通は公園や港湾の管理者なり警察なりに自発的にすぐに通報する。当時なにか後ろめたいことがあったと考えるのが妥当であろう。2人に直接的に関与していたか、あるいは現場近くで別の違法行為(違法薬物、未成年者の飲酒喫煙など)をしていた、表沙汰にしづらい個人的な事情(職業などの社会的地位、浮気・不倫など)があったとも考えられる。目撃者の男性3名の関係は公表されていないが、3人とも赤の他人ではあるまい。

[追記・富山新聞3/6、捜査関係者によれば、3人は友人関係で、女性たちに声を掛けようと近づいたところ、車がバックで急発進し、海に転落した、責任追及が及ぶことを恐れて通報しなかった旨を証言している、とのこと]

 

 無論、目撃者の男性3名が「彼女たちを車ごと海に落とした」とは断定できない。だが偶然その場に居合わせて「車が海に転落した」様子を見かけただけで3人揃って20年以上秘匿してきたとも到底思えない。

筆者の考えでは、2人は坪野鉱泉に行った、その帰りに自分で友人にポケベルを打った、と見ている。だが帰りに海王丸パークに再訪する行動経路と照らし合わせると他に「仲間」がいたように思えてならない。でなければ辻褄が合わないのだ。思い浮かぶ仮説をふたつだけ書いて終わりにする。

 

ある男性グループが彼女たちの誘いに乗って坪野鉱泉で肝試しに付き合い、海王丸パークに戻って痴情のもつれ等から暴行や殺害に及び、隠蔽のために車ごと海に落とした。目撃者3名はグループの一員か、あるいはグループと交友があって車を沈めるために後から呼び出されたメンバーではないか。

 

ある男性グループが彼女たちの誘いに乗って坪野鉱泉で肝試しに付き合い、海王丸パークに戻り、遊び足りなかったのか駐車場で複数の車(やバイク)で追いかけっこをしていたところ、2人の乗った車が勢い誤って海に転落し、発覚を恐れたグループは逃走。目撃者3名はグループの一員か、その場で意気投合して追いかけっこに参加したギャラリーや別グループという可能性もある。

 

 

事件なのか事故に近いものだったのか、真相が詳らかにされるかは分からないが、静かに進展を見守っていきたい。

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(2021年1月27日追記)

既報の通り、2020年3月、車両と2人の遺体が引き上げされており、その発見は3人の男性が車両の転落を目撃していたことによるものであった。

週刊女性』2021年2月9日号に掲載のノンフィクションライター・水谷竹秀氏による記事によれば、屋敷さんの父親は男性3人の証言について懐疑的だとされ、警察は事件の終息を図りたい様子だと伝えられている。そのほか現在の坪野鉱泉内のようすなども紹介されている。

www.jprime.jp

 男性3人の証言について、屋敷さんの父親は、週刊女性の取材にこうきっぱり言った。

「全く信用していません。3人が誰かも知りません。警察に聞いたけど、それは教えられないと」

 では捜査継続を希望しているのだろうか。父親は続けた。

「それも警察に伝えたけど、確たる証拠はないから対応できないと。納得するも何も、もう過ぎたことやから、それでよしとせんとあかんのやって。娘はそれだけの人生だったんやなあと……」

 富山県警の担当者は「今後必要に応じて捜査をしていく」と説明している

警察としても、たとえば男性3人が殺害に係った決定的証拠など、証言との明らかな齟齬・追及すべき点が出てこなかった以上、いつまでも人的リソースを割くことはできない。

3人が彼女たちの死因に直接関わっていなかったとしても、「車両の動作トラブル」やタイヤ痕といった事故説特定の証拠が検出されないために、故人の遺族でなくとも「もしかすると…」という事件説への疑念は拭いきれるものではない。

いかなる事件も長期未解決化させてはならないのである。

 

【ネタバレ】最強おじいちゃんは今夜もあの娘の夢を見る 映画『ドント・ブリーズ』感想

 脚本監督フェデ・アルバレスはSF短編『Ataque de Pánico! Panic Attack!』(2009)をサム・ライミに評価され、『死霊のはらわた』リメイク版(2013)の監督に大抜擢されたものの、オリジナルの妙味であったユーモアの趣を排し、凄惨なスプラッター描写に徹した結果、旧来のホラーファンから大ブーイングを食らった前科あり*1。しかし本作では、前作での反省を生かして残酷演出を抑制し、肉迫するリアリティを探求した。一軒の建物に訪れた男女が得も言われぬ恐怖から逃げ惑うコンセプト、主演ジェーン・レヴィは踏襲されており、まさしく“はらわたリベンジ”を期す快作である。製作費10億円の低予算映画ながら160億円以上の興行収入を上げたアルバレス監督は、『ドラゴンタトゥーの女』シリーズをデビッド・フィンチャーから引き継ぎ『蜘蛛の巣を払う女』(2018)の監督脚本を担当した。

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女を引きずる老人の鳥瞰シーンから物語は始まる。

舞台は、荒廃した犯罪都市デトロイト。若い男女3人の窃盗団が、盲目の老人が隠し持つとされる事故死した娘の賠償金数十万ドルに狙いをつける。しかしその老人は驚異的な聴覚で人の気配を嗅ぎつけ、躊躇なく人を殺めることができる元海兵隊員の殺人マシーンだった。

 

窃盗団は、ホラーには定番ともいえる役割分担がなされている。妹を連れて育児放棄の母親からなんとかして逃げ出したいロッキーは“大胆さ”を象徴し、横暴な態度と暴力でロッキーを束縛しようとするマニーは“愚かさ”、悪いことだと理解しながらも犯罪に加担することでしかロッキーへの愛情を示せないアレックスは“臆病さ”を表している。日本でも貧困家庭は社会問題化しているが、即犯罪に結びつける論議が公には憚られることもあり、彼ら“招かれざる者”たちは観客の共感を得られにくい立ち位置でもある。だが貧困の連鎖から抜け出すことへの渇望は、彼女の若さと無垢な幼い妹の存在によって、想像以上に猛々しいものにちがいない。またデトロイトからの、貧困からの脱出こそが“自由”だとする彼女の指針は、そのまま“老人の家”からの脱出、“金庫”からの窃盗と入れ子構造になっている。はたしてロッキーは無事現金を奪い脱出することができるのか、自由を手にすることはできるのか。

 

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物語前半は、幾重にも施錠され、窓も板打ちされた家に閉じ込められて、暗闇の中を逃げ惑い、追い詰められていくシチュエーション・スリラーで、その名の通り観客も息ができなくなる緊迫感。カメラワークも秀逸である。

盲目×犯罪サスペンスという設定は、テレンス・ヤング監督『暗くなるまで待って』(1967)やリチャード・フライシャー監督『見えない恐怖』(1971)でも使われているが、ここではオードリー・ヘップバーンのような麗しい婦人でも、ミア・ファローのようなか弱いレディでもない。リアル・ジョセフ・ジョースターとも称される筋骨紳士スティーブン・ラングが演じる“絶対死なないマン”である。

 

後半、迷路のようになった地下室の奥に、真の恐怖が隠されていた。異様な空間に拘束される女、彼女こそ老人の娘の命を奪い、事故を金でもみ消した張本人・シンディだった。しかしロッキーたちの逃亡劇に巻き込まれ、老人が放った銃弾によって女は絶命。狼狽え、慟哭する老人。いよいよロッキーは捕まえられ、マウントを取られて鈍器のような拳でバチボコ殴打されるシーンなど、観客は擬似レイプされているような無力感と絶望を思い知らされる。老人はシンディへの報復と、それ以上におぞましい、神をも畏れぬ“計画”を託していたのだった。

 

「神などいないと受け入れることが出来れば、人はなんだってできるものだよ」

 

レイプはしない、としながら、倒錯した禍々しい“計画”を今度はロッキーの体で謀ろうとする。レイプという心身に傷を負わせる惨たらしい行為をイメージさせながら、その上を行く惨憺たる行為を是とする老人の発想は狂気以外の何物でもない。しかしそうした思考に至る原因は、最愛の娘を奪われる事件とその罪をだれも償わないことによるモラルの崩壊、神の不平等であり、傷痍軍人である彼自身も社会的立場からいえば“被害者”なのである。貧困の連鎖に陥るロッキーもまた社会が生み落とした“被害者”であり、観客は頼るべき精神的な支え(憎むべき敵)を全て奪われる。

 

アレックスの救出によって、最悪の事態は免れ、ロッキーは単身脱出に成功。外に出れば一安心かと思いきや、まさかのイッヌ!演出もあるだろうが、これだけ獰猛で荒々しい犬を手配したことで盲目の老人に足りないスピード感がプラスされている。

そして冒頭の引きずりシーンに戻ってくる。恐怖には立ち向かうことができても、絶望からは逃れられない。家のリビングへと連れ戻され、アレックスの遺体の横で、今度こそ死を覚悟するロッキー。そのとき彼女の手には、幸運の象徴・テントウ虫が、そしてアレックスの手には…

すかさずセキュリティマシーンを稼働させると、警報音が鳴り響き、間近にいた老人はその超人的聴覚が仇となり大パニック。ロッキーは老人を地下へと転落させ、九死に一生を得るのだった。

 

翌日、妹を連れて空港を訪れたロッキー。そこで目にしたTVニュースで、老人は命に別状なく、すぐに退院すると知って、何か不穏な気持ちがよぎる。ようやく彼女たちがたどり着いた“目的地”には、自由が待っているのだろうか。

 

 

 

つっこみどころは無数にあるものの(冷凍保存庫、切り裂かれたパンツ、セキュリティの意味…)、それを補って余りある恐怖と胸糞を堪能できる濃密な88分間だった。

別名『最恐じじいのホームアローン』は伊達じゃない(嘘)

 

*1:サム・ライミらオリジナル制作陣、ブルース・キャンベル主演によるドラマ版『死霊のはらわたリターンズ』(2015~2018。第3シーズンで終了)がHuluにて配信されており、こちらは主人公の30年後を描くコメディ・ホラーの装い。1stから見比べてみても面白いかも?