いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

坂東市・旧岩井市女子高生殺害事件

早朝、田園地帯の片隅で発見された意識不明の女子高生。その日の彼女の不可解にも見える行動は何を示すのか。

捜査の進展は長年聞かれず、2024年現在も未解決となっている。当時不審な行動をとっていた人物を知っている、噂を耳にしたなど情報をお持ちの方があれば、以下に通報されたい。

フリーダイヤル 0120-006-475

境警察署 0280-86-0110

茨城県警本部捜査第一課 029-301-0110

www.pref.ibaraki.jp

 

朝の田園

2004年6月20日(日)6時52分、茨城県岩井市(現在は合併して坂東市)長須の市道脇で意識不明の若い女が倒れていると通報が入り、市内の病院に搬送されたものの同日午後2時17分に息を引き取った。

第一発見者は車で通りがかった50代男性会社員で市道脇の草むらから足のようなものが出ているのに気づき、異変を知らされた60代男性が119番通報した。

発見当時、女性は青い半袖Tシャツ、黒の半袖ジャケット、紺色ジーンズのハーフパンツを身につけており、うつ伏せ姿勢で着衣の乱れは見られなかった。靴を履いておらず靴下が汚れていないことから車で現場に運ばれてきたものと考えられた。首には携帯電話を吊り下げる赤色のネックストラップが下がっていたが携帯は付属しておらず、周囲にバッグや財布など身元の分かる遺留品も見当たらなかった。

首には絞められたとみられる痣があったほか、鼻から出血があった。死因は窒息死とされ、断定されてはいないがネックストラップで背後から首を絞められた可能性が考えられた。腕には防御痕、首にはストラップを外そうと抵抗してできたいわゆる吉川線も確認されたが、犯人の指紋などは検出できていない。

 

翌日、報道で知った友人の家族から「所在不明の女子学生がいる」と問い合わせがあり、亡くなった女性は発見現場からおよそ13キロ離れた猿島町(現坂東市)逆井(さかさい)に住む岩井西高校1年平田恵里奈さん(16歳)であることが分かった。

平田さんは19日深夜から20日1時半過ぎにかけて発見現場から約3キロ離れたファミリーレストランで滞在。4時頃、レストラン向かいのコンビニエンスストアAに来店し、買い物や雑誌を読む姿が防犯ビデオに映っていた。5時頃には600メートルほど離れた別のコンビニエンスストアB前でも複数の目撃があった。コンビニBは6時~23時営業でまだ営業時間前だったが、店の前に置かれたベンチに寝転がっている姿を新聞配送業者らが目にしていた。

境署に置かれた捜査本部では、平田さんはコンビニBで目撃された直後に何らかのトラブルに巻き込まれ、車内や室内で首を絞められて市道沿いに遺棄されたと見て捜査を開始する。

 

両親は13日から赤ん坊を連れて母親(39歳)の実家のある岐阜に出掛けており、子どもたちが留守を任されていた。事件当時、二男(18歳)が「話すことは何もありません」と困惑した表情でマスコミ対応に追われた。事件を聞かされて茨城に戻った父親(38歳)は「ウソだと思った…うちの子にかぎって」「ショックどころの話ではない。何でこうなったのか考えられない」と語った。

平田さん家族は前年春ごろに引っ越してきたばかりの8人暮らしで、両親、二男18歳、恵里奈さん、下の弟妹3人は0歳から9歳とまだ幼かった。恵里奈さんは2003年3月に岐阜県大野町立大野中学大野分校を卒業後に茨城に移り、周りの生徒より1年遅れで岩井西高に入学。校長らによれば「目立たない普通の生徒」「まじめな生徒で問題はなかった」とされ、所属するバドミントン部には親しい友人がいたという。

近隣に住む主婦によれば、弟と遊ぶ姿がよく見られ「母親代わりのようだった」と言い、「原付バイクを乗り回す元気で活発な子」で挨拶すれば会釈を返すいい子だったという。

 

兆候

自宅から通っていた高校まで自転車で片道約1時間。高校では、事件前週の14日(月)から16日(水)まで欠席、17日(木)は午後2時半頃に登校し、担任が欠席理由を聞いたが「言いにくい」と詳しい事情を明かさなかった。一方で「家に居づらい」などとも口にしていたとされる。18日(金)も学校に姿を見せていたが授業には出席せず、土曜日のバドミントン部の練習にも参加していなかった。

家族は「なんでも打ち明けてくれる明るい子」で「トラブルが起きるような心当たりは全くない」とし、「学校に行かせたことが重荷になったかもしれない。娘は介護の専門学校に通おうかなと言っていた」と語っている。また平田さんが使用していたプリペイド式携帯電話は親が買い与えたものではなく、「交際している県立高3年の男子生徒から2週間前に貰ったようだ」と説明した。

事件前、19日21時頃には猿島町の自宅で弟妹と過ごしているのを兄が目撃していた。テレビが付いていたので在宅していると思っていたと言い、不在に気づいたのは「21日朝8時40分に学校から連絡をもらったとき」と説明した。

 

平田さんは19日の昼間にもバドミントン部の友人2人(AさんCさん)と岩井市ファミリーレストランで過ごし、夕方解散した。Cさんと別れて、帰りに友人Aさん宅に立ち寄り、平田さんは「新しいのを買ったから」と携帯電話の黒色ネックストラップを捨てていった。その後、一度は帰宅したものと見られ、自宅で弟妹の面倒をみている姿が兄に目撃されている。

しかし夜遅くに平田さんは再び昼間と同じファミリーレストランに来店し、友人Bさんを呼び出してピザなどを食べた。1時半頃にファミレスを出た後、友人Cさんと連絡を取り、近くの八坂公園で待ち合わせをする。途中、向かいのコンビニAに立ち寄り、プリペイド式携帯電話のカードを購入しようとしたが取り扱いがなく購入できなかった。平田さんと友人Bさんは公園でCさんが来るのをしばらく待っていたが結局現れず、4時頃に2人は別れた。

その後、平田さんは4時8分から再びコンビニAに出入りし、コーヒーやおにぎり2個を購入してしばらく滞在しているのだが、友人には「今、家に着いたよ」とメールを送っていた。また同店で小さなナイフやはさみ、ライトなどが収納された工具セットを購入したことも報じられている。

工具セットは平田さんの発見時に一緒に見つかっている(1か月後に発見されるバッグの中には入れていなかった)。女子高生が深夜にコンビニで買うもの、身につけるものとしては違和感があり、何か不測の事態に備えての行動とも深読みできる。1年後の取材で母親は「父の日の贈り物だったのではないか」と口にしている。

コンビニA内で座り込んで携帯電話を触っていたのを注意された平田さんは5時頃にA店を離れ、自転車で600メートル離れた別のコンビニBへと移動した。2軒目のコンビニB隣家に住む女性は20日5時半から6時の間に、人がバタバタと走り出す音を聞いて目を覚ましたという。コンビニ方向から住宅の敷地内を通って裏にあるラブホテル方向に駆けていったような様子だったと語っているが、寝起きで時刻や人物の詳細ははっきりしない。

下のストリートビューは2軒目のコンビニB付近。隣に民家が一軒あるだけで、民家の裏隣りがラブホテル、あとは工場があるだけで近隣住民はかぎられている。ジョギングや通行人等であれば国道を跨いだ整備された歩道側を通りそうなもので、コンビニ関係者でもなかったとすれば、少女が追い回されていたか、車に引きずり込まれそうになるのに抵抗して音を立てていた場面なども想像される。

コンビニB店員が6時頃に来た際には、ベンチに平田さんの姿はなく、自転車だけ店の外に残されていた。前かごにはプリペイド式携帯のカード、自転車のチェーンロックが入っており、自転車付属のカギは閉まっており、パンクもしていなかった。カギは平田さんが所持していたことから自分で店の前に停めていたとみられる。そうした状況から警察では顔見知りと待ち合わせをしていたのではないかとして交友関係の洗い出しに追われた。

さらに5時45分と数分後、名前を名乗らなかったが平田さんのプリペイド携帯電話で2度にわたって110番通報していた。通報女性は「財布をすられた」と話し、通信員が場所を尋ねると「岩井市、コンビニの前」と答えた。被害届がなければ臨場できないことから、通信員は管轄署に届けるように教えた。再び入った通報では「岩井署の番号を教えてください」と聞かれ、(「岩井署」は実在しないため)管轄である境署の連絡先を伝えた。口調に緊張感や緊迫性はなく落ち着いていたという。

平田さんは未明から複数人に電話を掛けていたが(「10数人」とも「複数人と10数回」とも報じられている)、境署にスリ被害の通報はなく、この110番通報が最後の発信となった。

バタバタという足音と併せて考えれば現実にスリ被害に遭った可能性も排除できないが、早朝にコンビニのベンチで寝ている少女の財布を奪うスリというのもあまり聞かない。想像にはなるが、彼女は犯人とすでにトラブルになっており、相手を動揺させるために「警察に言ってやる」等と虚偽の通報行動をとったという見方もできる。

 

上のルートマップで、青い線は5時過ぎに目撃されたコンビニBから西に進み発見現場までを単純に結んだルート。コンビニBから「6分/3.5km」ルートは農村部を通過するため車速はやや出しづらい。さらに東に進んだ「7分/4.5km」ルートはコンビニAで右折し、野球場や八坂公園前を通過する。八坂公園より東側の市役所周辺は住宅街が広がっている。

コンビニのあった国道354号は夜間・早朝も車は車通りがほとんど絶えることはない。発見現場周辺は田圃に囲まれており、事件周知の立て看板は県道162号と市道の交差点に設置されている。県道162号を東進すると「下総利根大橋」に至り、千葉県野田市や埼玉県春日部市方面にも通じるため、現在では物流トラックや通勤者などが頻繁に通る道になっているが、当時の橋は有料だったため交通量は今ほど多くなかった。

平田さんが倒れていた現場は県道から200mほど入った「用水路沿い」の市道で、農業関係者や勝手知ったる地元民が抜け道に使うような道である。

 

余談にはなるが、平田さんが発見された長須の現場は、2019年に発生した境町一家殺傷事件の現場と3~4キロしか離れていない。県を跨いだ越境犯罪も充分に起こりうる地域と捉えることもできる。

また本件の前年に発生し、未解決となっている五霞町女子高生殺人と並べて伝える報道や類似性を唱える声も少なくなかった。距離にしておよそ20キロ離れているが、共に高校一年生がひも状のもので首を絞められていた被害状況、水路脇・水路内という発見現場のロケーション、車から無造作にうち捨てられたかに見える状況などにフォーカスすれば確かによく似通っている。計画性が感じられず「カッとなって殺した」とでもいうような犯行の粗雑さも類似点と言えるだろう。

五霞の事件では、被害者が埼玉県谷塚の瀬崎浅間神社の祭りの帰り道、駅近辺で消息を絶った。だが被害者の自宅は東京都足立区で、事件に遭ったのは不慣れな出先でのできごとだった。祭りで多くの人出で賑わっていた界隈での連れ去りで、遺棄現場となった五霞町川妻の用水路までおよそ40キロ離れており、犯人はあえて遠方まで運んだ可能性が高い。

本件ではコンビニBから移動した時刻は5時45分前後(店員の出勤前)ですでに明るくなった「早朝」に起きており、顔見知りによる犯行の可能性が高いことなど、細かくは違いもあり、同一犯と捉えるのは軽率にすぎるだろう。

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周辺人口も少なくはなく、山や海から離れている関東平野の土地柄もある。計画性なしに人目を避けようとすると、川沿いや田園地帯に遺棄されるケースが多くなる。当時ひと気がなかったにせよ、見渡しが利く田園地帯であることから「隠蔽に適した場所」とは言えない。平田さんがとった通報まがいの行動に怒った犯人が衝動的に彼女の首を絞め、意識を失ったことに驚いて慌てて近場に放置したような印象を受けるがはたしてどうだろうか。

 

プリ携の入手とその行方

平田さんは茨城に移ってきて日が浅いことから交友関係はそれほど広くないと考えられていた。だが彼女にプリペイド式携帯電話を買い与えていたのは近郊の三和町に住むスリランカ人男性N(36歳)だったことが判明し、入管難民法違反の現行犯で逮捕された。Nは報道を見て「私は事件とは関係ない」として雇用主に相談し、22日午後6時過ぎに自ら出頭して事件への関与を否定した。

捜査本部の調べによれば、Nは2000年12月に入国し、在留期限を過ぎても出国せずに農業手伝いなどを続けていた不法在留者で、平田さん宅から3キロほど、発見現場から1キロほどにある自動車解体工場2階で仕事仲間数人と暮らしていた。Nは3か月前に岩井市内のコンビニで恵里奈さんと知り合って交際していたと話した。彼女から頼まれて6月11日にプリ携と数千円分のカード(合わせて1万数千円)を買い与えた旨供述した。

農家女性によれば「日本語がうまくないせいか口数が少なく、黙々と働いてくれた」と言い、別の農家男性は「この辺ではスリランカ人は珍しくないよ。不法就労と分かっていても忙しい収穫期には外国人をアルバイトで使うこともある。外国人も『仕事ありませんか』と訪ねてくる。日給5千円から7千円が相場」と話す。それ以外にも周辺地域は工場が多いことから合法・非合法にかかわらず出稼ぎの外国人労働者の姿がよく見られるという。

解体工場で暮らす仲間たちは部品を母国に輸出しているとされる。Nは綺麗なTシャツに着替えて近くのコンビニに買い物に訪れ、決まって8枚切り食パン135円を2~3袋購入し、土曜日は友達が来るようで1,000円くらいのワインを買っていたという。慎ましい食生活に反してプリ携はかなり奮発した贈り物にも思える。

平田さんとNの「交際」がどのようなものだったのか、日本語表現のボキャブラリーの面、警察を介した情報という点でも若干はっきりしない部分がある。双方が恋人同士と認め合う仲だったのか、それとも売買春に類する関係をオブラートに包んだ言い方にしているのか、あるいはNは一方的に恋人だと思っていたが当の平田さんはそう思っていなかった可能性もないとは言えない。今で言う「パパ活」の支援者のような関係だったとすれば、N以外にもそうした人知れない交友関係があったことも想起された。

 

6月23日までに平田さんの自転車が置かれていた2軒目のコンビニで、店の前のベンチで女性が横たわり、そこに中年風の男が乗った車が入ってきたという情報が寄せられていた。寝ていた女性は平田さんである可能性が高く、捜査本部では誰かと待ち合わせをしていた可能性があるとして強い関心を寄せ、通話相手の割り出しを急いでいた。

一方、不法在留で逮捕されたNと平田さんにも過去の通話履歴はあったが、事件のあった20日未明の通話は確認されず、工場の部屋で寝ていたとアリバイを主張した。一緒に寝泊まりしていた仲間は不法在留摘発を恐れてか逃げてしまい、アリバイを証言できる者はなかった。

だがNは運転免許や車を持たず、仕事先の10キロ離れた畑などへの移動も自転車だったことが判明。ポリグラフ検査(嘘発見器)で何の反応も示さず、殺害への関与はなかったものと判断された。24日、入管法違反で水戸地検下妻支部に送致され、事件のおよそ2か月後に強制送還された。

イメージ

事件は日曜早朝ということもあり目撃情報は多くなかった。だが平田さんからの110番通報とほぼ同時刻、自転車の停めてあった2軒目のコンビニB前で、黒い車が入ってくるのが通行人に目撃されていたと一部雑誌が伝えている。またFNNではお姉さんっぽい感じの女性が運転する白色の軽自動車に少女が乗り込んでいたという目撃情報も報じている。少女は黒っぽい服を着ており、恵里奈さん本人だった可能性が高いとしている。

発見現場となった長須の市道では、午前6時頃に白い車が県道方面に走り去るのを散歩中の女性が目撃していた。市道の通行量はほとんどなかったことから、車両の確認が急がれた。

7月11日までに発見現場の水路沿いで左足の赤色スニーカー、紺色のデイパックが発見された。見つけたのは除草作業をしていた地元の土地改良区職員で、スニーカーは現場から東へ800メートル、デイパックは現場から東へ350メートル離れた草むらに落ちていた。デイパックの中からノートが見つかったが、携帯電話や財布、右足のスニーカーは発見されなかった。犯人が車内から投げ捨てたものなのか。

 

プリペイド携帯電話について、当時の製品にメール機能はあったが、WEB機能はなかった。そのため当時流行していたいわゆる「出会い系サイト」への接続はできなかった。

事件翌日、携帯電話の微弱電波を基に追跡が掛けられていた。すると現場周辺ではなく、70キロ近く離れた茨城県央地域の那珂町で電源が途切れていたことが判明する。微弱電波が確認できたのは数時間で、その間の移動はなかったが、精確な位置の特定はできず発見には至らなかった。

犯人の逃走先を示すものなのか、捜査かく乱の目的であえて遠方に運んで遺棄したものか、あるいは長距離移動するトラックなどに投げ捨てる等した可能性も考えられ、携帯電話の捜索とNシステムの解析が続けられた。

 

家族関係

事件からおよそ3か月後、平田さん家族は公開捜索番組『TVのチカラ』に出演して情報提供を広く募った。そこには動揺を隠しきれない義父の姿、涙をこぼす母親の切実な面持ちが映し出された。

番組では、警察の調べを受けたという男性からの匿名電話を紹介。「テレクラの利用」について聞かれたとの情報がもたらされた。匿名情報で信憑性は不確かながら、テレクラや出会い系をきっかけにした事件が多く聞かれた時期でもあり、被害者少女がテレクラを介して不特定多数の男性と関係を持っていたのではないかという先入観を視聴者に抱かせた。またコンビニA駐車場で屯する珍走団の若者にも取材をかけており、いかにも治安のよくない土地柄を印象付けた。

また近くのホテルに宿泊していたという男性会社員の目撃情報が詳しく取り上げられた。早朝、男性は24時間営業だと思ってコンビニBを訪れたが、まだ開いていなかったため時計を見ると5時45分だったという。店の前には白色の軽自動車が横付けに停まっており、助手席に平田さんらしき黒っぽい服装の若い女性が乗っていた。男性によれば、運転席に乗り込んだのは若い女性に見え、上下黒色のジャージに白い靴を履いていたという。

目撃男性は車型について「スズキ・アルト」か「ダイハツ・ミラ」に近いと証言。この目撃は110番通報の時刻とほぼ一致しており、平田さん本人だったとすれば車内から通報していた可能性が高い。またこの番組では、平田さんが110番通報した際、通信員からスリの相手について聞かれ「見覚えのある人」と話したとしている(雑誌記事などにはない)。かなり奇妙な言い回しに感じるが、やはり犯人は顔見知りということなのか。

加えて平田さんと同じ高校に通っていたという女性の匿名情報で、「学校に彼女を送迎する白い軽自動車を見たことがある」という話も匂わされた。運転者ははっきり分からない等、番組内でも真偽不明な取り扱われ方で、家族には彼女が送迎してもらっていた心当たりはないという。

そのほか、透視能力を持つガブリエル・クロフツ氏が来日して超能力捜査を敢行。事件の晩、平田さんは「交際相手の男性を電話で呼び出そうとしていた」が、コンビニに姿を現したのは白い軽自動車に乗った「彼を奪い合う相手」だったと語り、男女の三角関係がトラブルの原因とした。2人は口論となり、平田さんは警察に通報する素振りを見せ、女の家に連れて行かれて殺害されたとしている。

また彼女の透視する犯人像の似顔絵と、目撃された「白い軽自動車の女性」の似顔絵はうり二つともいうべき出来映えとなり、似顔絵制作の専門家をも驚かせた。偶然や奇跡の一致というよりは「TVのチカラ」の介在を感じずにはいられない。

 

番組に出演した兄は「犯人がすべて悪いとは限らないんで、妹もこの事件で何かあったからこういうことになったと思うんで、とりあえずこの機会に犯人には自首してもらいたい」と話した。ネット掲示板などでは、被害者家族にしては妙に弱気な態度とも受け取られた。

同時期の雑誌の取材に対しては「妹は食事や洗濯の手伝いを一生懸命にやるいい子でした。将来は看護士になりたいと1年浪人してまで高校に入ったんです。懸命に生きようとしていた妹がなぜ殺されなければならなかったのか。真実を知りたい」とその憤りを語っていたが、思いは実らず捜査は長期化の様相を呈していった。

また兄は事件当初、「妹は家にいると思っていた」と証言していたが、事件から半年後の雑誌記事では、(夜9時頃に家で見掛けてから)数時間後に「いまどこにいるの」と携帯電話に連絡があったと話している。事件当時の土曜深夜から日曜日にかけて、兄は家を空けていたということなのだろうか。

 

複数の雑誌では、新聞報道では詳らかにされなかった平田家の複雑な家族事情を伝える記事も見られた。

母親と前夫との間に男女4人の子、事件当時の夫との間にも4人の子がおり、恵里奈さんは4番目の子として生まれた。だが夫婦関係の問題や経済的な事情などから前夫の子ども4人は養護施設に入っていたとされる。はっきりとした時期や詳細は伝えられていないが、現夫との再婚を機に子どもたちは家庭に戻されたが、恵里奈さんは事情で児童自立支援施設に移ったという。

当時の恩師は「彼女は頑張り屋でしたが、元々ストレスに強い方ではなく、内にため込んでしまうような子」と語り、「当時から体調の悪い母親に代わって彼女が家庭内のことをかなりカバーしていましたが、周囲にはしんどいと漏らしていたそうです」と言い、「深夜に外を徘徊していたのは、現状から逃れたかったのかもしれません」と見解を述べている。

恵里奈さんが岐阜の施設から茨城の家に移った当時は、母親のおなかの中に一番下の子を宿していた。家庭の事情をとやかく言うつもりはないが、彼女が茨城に呼ばれた背景には妊娠中の家事やまだ幼い弟妹の育児を頼みたかったことも要因のひとつと感じられる。

2年後の朝日新聞記事で、兄は警察への不信感について語っている。ひとつは家族が捜査協力しているにもかかわらず大きな進展もないまま「古い事件は後回し」と捜査規模が次第に縮小されている現状に対して。また事件から1週間後には、刑事から「お前が衝動的に殺したか、義父が保険金目当てでだれかに殺害を依頼したか」と疑いをかけられていたことを暴露している。兄によれば、事件当時は友人と一緒にいてアリバイがあり、恵里奈さんに生命保険は掛かっていなかったとされる。未解決事件ではよく聞かれることだが、捜査の進捗が聞かれず、家族は警察に対する猜疑心を強めていたとみてよいだろう。

 

それから数か月後の2006年10月、強要と傷害、恐喝未遂の疑いで平田さんの兄が逮捕される。詳細は避けるが、当時彼は家の運送業の手伝いをしており、知人女性が借金を申し込んだことがトラブルの発端とされる。

さらに2008年8月には、逆井にあった木造2階建ての店舗兼住宅約63平米が全焼。平田さん家族は外泊中で当時は無人だった。火災後、平田さん家族は岐阜に移ったとみられ、それまで報じられていた地元の祭りでのビラ配りなど捜索活動への参加はこの頃から報じられていない。

家族は岐阜で運転代行業などをしていたとみられるが、2011年に至って両親が詐欺容疑で逮捕される。貧困者の生活支援を名目としたNPO法人を立ち上げ、貸付制度を悪用し、生活再建費として10万円前後の金を返済の目途もなく引き出していた。同様の手口で合わせて4件の詐欺が明らかとなった。実質的には無届の貸金業をしており、相手に「生活再建費」を用立てて、借金返済に充てさせていたものとみられる。

家族の転出に加え、犯罪行為によって警察との信頼関係も損なわれてしまったとみえ、本件の新たな報道や捜査の進捗は10年来全く聞かれなくなってしまった。別件逮捕とまでは言い切れないが、兄の一件では同じ境署で調べを受けており、素行不良から妹の事件との関連も探りを入れられたことが想像される。それだけ疑われる立場にあって逮捕されていないことから裏読みすれば、アリバイなど無実の証拠が出ているのではないか。本稿で家族の関与を疑うつもりはないが、知らず知らずのうちに周囲から悪い縁を招いていた可能性は残る。

さりとて市民にとっても初期報道から「夜遊びしていた女子高生」、スリランカ人男性との不純な異性交遊が想起された上、「家庭環境が悪い」といったマイナスイメージが先行してしまい、事件への関心が失われてしまった面も否めない。

 

現在地

2022年、平田さんの旧友Aさんが再捜査を求める署名活動を開始する。

事実上、捜査は止まっており、専従捜査員もない状況だが、捜査拡充を求めての嘆願を集めて提出したいと協力を募っている。

www.change.org

同じ高校で意気投合し、平田さんと一緒にバドミントン部に入ったAさんだったが、程なくいじめに遭って不登校になってしまったという。周りの友達はみんな離れてしまったが、そんなときもずっとそばにいてくれた、味方でいてくれたのが平田さんだった。登校を無理強いするでもなく、朝夕ほとんど毎日のように他愛のない話をしに通ってくれていたと述べている。

Aさんの生きる支えとなっていた親友が、突然の事件によってその命を永遠に奪われてしまった。事件前日も一緒にファミリーレストランで過ごしたが、いつもと変わらぬ様子だったと言い、明け方近くまで平田さんと一緒に居たBさんからも詳しい話を聞いた。彼女はその晩、しきりに携帯電話を触っていたが、平田さんの兄、公園で待ち合わせをしていたCさん以外の誰と連絡を取り合っていたのかまでははっきり分からないという。

長年離れて暮らしてきたことなどもあってか平田さんは「家族とどう接してよいのか分からない」と口にしていたと言い、Aさん、Bさんとも夜間徘徊の呼び出しを受けたことは過去になかった。彼女がしたかったのは「夜遊び」というよりも、両親が不在だったことから「家に居たくない」思いが強まっての逃避行動のようにに思われる。そう考えると、Aさんと過ごす何気ないひとときが平田さんにとって救いになっていた部分もあるかもしれない。

無二の親友を失ったショックから「出口のない迷路を彷徨っているかのような絶望感」を抱えながらもAさんは今も懸命に生きている。孤独の縁に立たされていたとき救ってくれた16歳の少女の人生をなかったことになんかさせたくない。その強い思いは彼女のもとへも必ずや届いているにちがいない。

 

平田さんのご冥福、ご遺族、関係者様の心の安寧をお祈りいたします。