いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

青森県八戸母子3人殺害放火事件

2008年、青森県で起きた母子3人が犠牲となった殺人放火事件について記す。

当時18歳の長男が親弟妹を標的にした家庭内殺人であり、当初「小説に書いたことを実現したかった」とする供述をしたことで注目を集めた。彼が過ごした「家庭」とはどんな場所だったのか、彼の記した「小説」とは何だったのか。

 

■概要

2008年1月9日22時40分頃、青森県八戸市根城(ねじょう)西ノ沢にある木造2階建てアパートで火災が発生した。火元となったEさん方は玄関には鍵が掛けられていた。火は40分ほどで消し止められたものの風呂場を中心におよそ36平方メートルが燃え、消火後の室内から3人の遺体が発見される。

居間の布団の上に「川の字」に並べられた遺体に火は回っておらず、住人である母(43)、二男(15)、長女(13)であることが判明。3人は普段着姿で、台所には洗っていない食器が残されていたことなどから夕食後に死亡したものとみられた。遺体には刃物による明らかな殺害の痕跡があったことから、八戸署は殺人事件として捜査本部を設置し、行方が分からなくなっていた同居の長男(18)の捜索を直ちに開始した。

火災からおよそ7時間半後の10日6時頃、長男はアパートから西へ約2.5キロ離れた八戸駅前で徘徊しているところを発見される。警官に「近づくな」と言ってサバイバルナイフを振り回すなどして抵抗したため銃刀法違反の現行犯逮捕となった。母親と弟妹の殺害および放火についても容疑を認めたため、20日、殺人、死体損壊、現住建造物放火等の容疑で再逮捕された。

 

■遺体

3人の死因はいずれも頸動脈を切られたことによる失血死でほぼ即死、正面から首を横一文字に振り抜いたものが致命傷とされた。いずれも煙を吸った形跡はなく、殺害直後に放火されたものとみられた。

母親が飲んでいたとみられるビールの飲み残しからは睡眠薬の成分が検出された。また母の腹部は十文字に切り裂かれており、内臓が一部はみ出た状態で、中にオルゴール式の人形が詰められていた。母と二男の「腕の内側」には死後につけられたとみられる複数の傷が確認された。

 

■殺人小説

一家は事件の5年ほど前に現場アパートに越してきた。母親は定職についておらず稀に朝市の手伝いに出ていたが生活保護で暮らしていた。母親はよく朝から酔っ払っている姿が見られており、長男は引きこもりだった。弟妹は母と仲が良かったが、長男は「母の酔っ払った姿を見るのがすごく嫌だ」と周囲に語っており家庭内暴力に及ぶこともあった。

駅で逮捕された長男は現金数万円のほか、8本のナイフとアニメイラストを所持していた。ナイフ7本は刃渡り10センチ前後の折り畳み式ナイフだったが、犯行に使われたサバイバルナイフは大型で全長48.5センチ、刃渡り約25センチのものだった。2007年10月に県内の専門店で購入したもので、強い殺意と計画性を窺わせた。

逮捕直後、長男は犯行については認めたものの動機については明確にせず、「パソコンを見てくれ」と供述。2007年10月頃、近所の喫茶店の女性経営者(54)に「小説を書き始めた」と話しており、焼け跡に残されていたデスクトップパソコン内には、首を切って人を殺したり、遺体を傷つけたりする内容の文章も発見され、本事件と共通する描写が複数確認された。

当初、新聞記事などでは「小説に書いたことを実現したかった」との供述があったと報じられた。しかしその後、長男は文章を見られたことを恥じるようになり「あれを見ても分かりません」と供述を二転三転させた。

離婚して別居していた父親も長男から小説の執筆については聞かされていた。主人公7人がそれぞれ事件を起こしてから出会い、一緒に破滅に向かっていくというあらすじだったとされる。父親が「赤川次郎みたいな明るい話にしろよ」と言うと、長男は「読んだことがないからわからない」と答えたという。

 

母の首の傷が極めて深かったことに関して、長男は「切断しようとしたが切れなかった」と言い、腹部に異物を詰めたことについて「理由はない」と供述した。2007年10月6日には酩酊状態の母親が「長男の態度を注意したら殴られた。長男が精神的に不安定なので入院させたい」として未明に八戸署まで相談に訪れていた。署員が保健所への相談を勧めたが母親は相談にはいかなかった。

放火については、浴室にマンガなどを持ち込んで灯油をかけてライターで点火したと供述。放火の動機を「小説が犯行の動機だと思われるのが嫌だったから」と証言している(自筆の小説のことか燃やした本の中に似た内容があったのかは不明)。自作の小説にも家族殺しのシーンが含まれていたが、「小説とは関係ない。模倣はしない」と話した。

県警は焼け跡から「人気パソコンゲームを漫画化したミステリー作品」など数種類を押収し、動機解明につながるものか慎重に確認を行った。マンガの中には次々に人を殺していく猟奇的なストーリーのものや、刃物で首を切ったりモデルガンで背中を撃つシーンなど暴力的描写も見られた。殺害された二男の友人によれば、二男は小学生のとき「兄にエアガンで背中を撃たれた」と話していたことが分かった。

2007年9月、京都府京田辺市で16歳の少女が父親を手斧で殺害する事件が発生した際には、事件を連想させかねない内容として「社会的影響に配慮した」結果、アニメ『School Days』『ひぐらしのなく頃に解』が各局で放映見送りや打ち切りとなった。

とりわけ東京埼玉連続幼女誘拐殺(1988-89年)以降、しばしば若年凶悪犯罪と暴力描写のあるマンガやアニメ、ゲームなどを関連付けて語る風潮は強くなっていた。長男は暴力的、猟奇的な内容の作品の愛好があったことから、「マンガやアニメの影響で-」と一括りに論じられ規制を求められる風潮に対して反発したかったのかもしれない。

 

■メディアの影響

京田辺市での斧事件の影響で放送が見送られた『ひぐらしのなく頃に』原作者の竜騎士07(ゼロナナ)氏は自身の制作会社7th Expansionホームページ上の「制作日記」において、2007年9月、ファンへのメッセージと作品についての見解を投稿した。

ひぐらし』の世界では、ひとりで膝を抱えて至った短絡的な発想でハッピーエンドになれることは絶対にありません。それこそが、「短絡的な犯行」に対する明白な否定であるつもりでいます。

暴力や猟奇殺人を描いた作品はゲームやアニメに限らず無数に存在するが、言うまでもなく殺人を誘発させようとしたり、問題解決の手段として暴力を肯定する目的で世に出た訳ではない。竜騎士07氏は物語のテーマを下のように表明し、メディアでの報じられ方や風評による“誤解”を解こうとした。

・ひとりで悩みこんで殺人しかないと考え至るのは、惨劇(バッドエンド)の近道である。

そして、それを打ち破るもっともシンプルな最初の方法として物語が提示したのが、

・ひとりで悩んだら、身近な人(友人・家族)に相談しよう!

ということです。

アニメやゲームが少年たちに「無関係」としたり、「何も影響を与えなかった」というのは語弊がある。受け手になにがしかの影響を与えること、『ひぐらし』であれば「独りよがりになるな、周囲の人を頼ろう」というメッセージを理解してもらうことが作品のもつ意義である。作品で描かれる手法を真似て実際に犯行に移すことは読み手のリテラシー不足や配慮の欠落であり、少年たちはまさしく「短絡的」な思考に陥っていたとしか思えない。

 

アニメやマンガ、ゲームが直ちに青少年の発育上問題がある訳ではない。たとえばそれ以前は小説もそうしたバッシングに晒されてきたし、国外ではヘヴィメタルロック等の音楽との関連を指摘する声も多かった。

1965(昭和40)年10月24日、大阪府吹田市で14歳の男子中学生が近所の主婦(40)を殺害した事件では、推理小説からヒントを得て「完全犯罪の計画書」なるメモを作成して実行に及んでいた。乱暴や殺害方法、死体の切断とコンクリート詰めにして川に遺棄するといったことまで30項目にわたって書かれていた。加害少年は異性に対する興味に悩んでいたと言い、主婦を自室に招こうとしたが拒否されたため犯行に及んだとしている。遺体を全裸にし弄んだ後、自室の押し入れに保管していたが翌日発覚した。

1979(昭和54)年に発生した早稲田大学高等学院生殺人事件は、事件直前に完結した筒井康隆の小説『大いなる助走』(※)の影響下にあったとされ、事件後に著者も『現代思想』昭和54年10月号などで「文学は社会にとっての毒である」としてその影響を認める発言をしている。1月14日正午ごろ、高校1年生の少年が自宅で金づち、ナイフ、錐などを使って祖母を殺害して逃走し、2キロ離れたビルの14階から飛び降りて自殺。部屋からは各新聞社に宛てた大学ノート40ページ(400字詰め原稿用紙90枚以上)に及ぶ長大な遺書と犯行のシナリオが発見された。

少年は祖父母、母親、妹の4人家族。祖父、離婚した父親は共に大学教授で師弟関係にあった。脚本家である母親は自分のやりたいことをするようにという教育方針だったが、祖母や周囲の期待は彼にエリートであり続けることを強いたとする。一方で彼自身は中学2年ごろから成績が降下し、「東大進学コース」から外れてしまったことからエリートであるべき自己イメージとそうでない自身に対する葛藤があったと考えられている。

いずれの事件にしても毒とするか薬とするかは少年次第といえ、彼らが傾倒した作品がいかなる内容であろうともその責任は本人に帰せられるべきである。戦争や人々の罪を聖書やコーランに帰せられるかといえばそうではあるまい。殺人犯にいくつかのインスピレーションや猟奇的発想の“種”を与えうるものではあるが、実際に彼らを行動に走らせるのは貧困や病苦、家族や周囲との軋轢、権力への反発といった現実での不満である。“あの事件”を思い起こさせるから「T社の自動車は生産を中止しろ」という人間はいるだろうか?事件より先に作品や文化に対する不理解、批判、糾弾が前提にあり、そうした関連付けが恣意的に行われる。

(※『大いなる助走』のあらすじは、有名文学賞直木賞がモチーフ)にノミネートされた同人作家が、受賞のためにすべてを捧げて選考委員たちを接待し、いよいよ受賞を確実視されたが、選考委員らに裏切られてしまい、彼らを殺害することを決意するという当時の文壇や業界に対する風刺的な内容である。)

 

放火という犯行について、文学的ロマン趣味からすべてが火に包まれて跡形もなくなればよいという刹那的な衝動に走ったのかも分からないが、2006年6月に起きた奈良エリート少年放火殺人事件などの影響もあったかもしれない。長男は小説執筆の参考になる雑誌を読んでいたとされ、写真週刊誌などで同時代の事件を調べていたものとみられる。同年代のアスリートやアイドルに興味が湧くように、同年代の殺人者やその犯行に惹きつけられてもおかしくはない。

奈良の事件では、名門校に通う16歳の少年が父親不在の晩に自宅に火を放ち、継母・腹違いの弟妹の3人を焼死させた。背景には、父親によるDVが元で、少年が小学1年のとき実母が実妹を連れて別居・離婚に至った過去があり、父親の元で育った少年は母妹と連絡を取ることは禁じられ、父の思い通り医師になることを強要され、成績が期待に沿わなければ精神的・身体的虐待を受けていたことがあった。少年は3人に対する明確な殺意はなかったとし、自分の生活環境すべてを破壊してこの状況から抜け出したいという思いで火を点けたと供述。06年10月、精神鑑定により虐待の影響とみられる後天性の広汎性発達障害と診断され、刑事処分より保護処分が適当とされ中等少年院に送致された。

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■切開

本件についてジャーナリスト大谷昭宏氏は「凶悪犯罪というより異常犯罪。凶器を多数用意し、この凶器がだめなら次がある、といったサバイバルゲーム感覚の異常さを感じる」とコメントを寄せ、長男の人格障害の兆候を指摘した。

腹部の切開については、『School Days』というアニメ(2007年7-9月放映)との関連が取り沙汰されている。Overflow(0verflow)より2005年に発表された同名アダルトゲームを原作とし、主人公の男子高生をめぐってメインヒロイン“言葉”と“世界”の2人が奪い合う三角関係が話の軸として描かれる。アニメ最終話では、妊娠したという恋敵を惨殺し、腹を裂いて「やっぱり嘘だったんじゃないですか、中に誰もいませんよ」というシーンが知られている。

また1998年公開の映画『踊る大捜査線THE MOVIE』に登場した猟奇犯も腹部にぬいぐるみを詰める犯行を行っている。舞台となる湾岸署に隣接する河川で死体が発見され、解剖により胃袋の中から小さな白熊のぬいぐるみが発見される。その後、署を訪れた犯人は不敵な笑みを浮かべ、「あの男も“死にたい”ッて言ったから手術してやった。“最後に何か食いたい”ッて言ったからサ」とその理由を述べる。警察の捜査をあざ笑うかのような純粋な狂気を表す存在として描かれている。

現実に起きた猟奇犯罪でいえば、1988年3月に名古屋市で起きた妊婦殺害事件が想起される。自宅アパートで臨月の主婦が腹を裂かれ、中から胎児が取り出され、代わりに電話の受話器とネズミのキーホルダーが入れられていたのを帰宅した夫が発見した事件である。この事件も主婦を殺害した上で、なぜ腹に「受話器」「ネズミのマスコットキーホルダー」を詰めたのか大きな疑問となった。すでにコールドケースであり、犯人の真意を知ることはできないが、たとえば受話器を「男性器」の象徴と捉える説や、受話器につながった「電話コード」を「へその緒」に見立てたとする説、ネズミのマスコットを「赤ん坊」に擬えたとする説などがある。

女性の腹部はたとえ妊婦でなくとも「命の宿る場所」としての象徴的な意味を持ち、長男にとってみれば自らの出自に直結する。オルゴール付きの人形は、彼の持ち物だったのか、計画の一部として新たに手に入れたものだったのか。証言通り、何の考えもなしに既知の猟奇じみた手口に擬えただけ、自分が愛した猟奇犯に近づけたことへの自己陶酔があったかもしれない。

人形についての詳しい供述がないためその計画性や真意は計りかねる。だが発想の飛躍が許されるのであれば、母親とつながっていた頃の仲たがいのなかった「過去の自分(赤ん坊)」に対する憧れ、あるいは「理想の自分」への生まれ変わりを表象しているようにも思える。

 

■問題家族

長男は父が37歳のときに授かった子で、甘やかすことはなかったが「欲しくてできた子だったからかわいがった」という。父親は民族派団体の構成員として八戸支部長を務めた人物で、長男が生まれてから3度逮捕されている。長男が幼いときは家に友達を連れてくることもあった。しかし小学2年の頃、父親が恐喝未遂で逮捕。周囲の友人は離れ、孤立を深めた。母親はスナック勤めで家計を支えようとしたが子育てとの両立は難しく、きょうだい3人は養護施設に預けられた。施設で少年はいじめに遭っていた。

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父親は母親に、離婚して生活保護を受けてこどもたちと暮らすように説得した。母親は離婚を受け入れたものの、別の男性と交際するようになり、子どもたちを引き取らなかった。3年後には父親が出所し、実家で5人暮らしが再開されるも3か月でまた逮捕されてしまう。現場アパートで暮らし始めた母親は酒に溺れ、男を連れ込むようになる。

どの時点かは定かではないが、二男が小学生の頃、長男からエアガンで撃たれるだけでなく、ナイフを突きつけられることもあった。弟が幼かった時分には長男の暴力衝動の捌け口にされていたと見ることもできる。

2004年7月、長男は自宅に立て籠もって放火未遂騒ぎを起こして警察も出動し、05年1月まで精神科の病院に入院措置を取った。回復して退院したものの、中学の後半を不登校になったまま卒業した。

2005年夏、服役を終えた父親は祭りの露天商を始め、長男は父親のアパートに転がり込んで店の仕事を手伝うようになった。この時期、長男は「父親好きだから」精神的に安定していたと母親は周囲に話していた。親子ともに額に汗しながら商売の苦楽を経験し、父親も少年の成長と情緒不安定から立ち直りつつあることを感じていたが、またしても恐喝未遂容疑で逮捕されてしまう。

長男は母親の元に戻ることになるが、母親と連日のように諍いとなり家庭内暴力を振るうようになった。母親の交際相手と親しくする長女に対する疎ましさ、二男の成長に対する苛立ち、愛情への飢えもさることながらさまざまな葛藤が彼の中で積み重なっていたとみられる。

逮捕後、インタビューに応えた父親は「3度も逮捕されて親子の「空白」をつくってしまった。小さい娘まで殺されて悔しいけれど、息子への憎しみの気持ちはどうしても出てこない。あいつも「被害者」だから」と複雑な胸中を明かした。長男は「小説家」になることを夢見る一方で、もう一度父親と一緒に働く生活も望んでいたとも報じられている。

 

少年法の現状

本事件も少年犯罪として犯行の業態だけでなく加害少年の取扱いや量刑に注目が集まった。本チャプターでは過渡期にある少年法の現状を簡単にまとめておく。

少年法はその名の通り少年を保護するための法律であり、20歳未満を一律「少年」として扱っている。従来は16歳未満を刑事事件として扱うことはできなかった(少年法 | e-Gov法令検索)が、1997年の神戸連続児童殺傷事件、2000年の西鉄バスジャック事件等を受け、2001年に刑事処分可能年齢(刑事責任年齢の制限)を14歳に引き下げる改正が行われた。しかし16~19歳であれば原則逆送となる重犯罪であっても、14~15歳では改正後の15年間で17人しか適用されなかった(殺人27人中2人、傷害致死97件中5人、強盗致死16人中0人など)(2017年5月28日、産経)。

また社会全般の成年年齢の見直しが進み、2007年に憲法改正国民投票では満18歳以上の投票権が認められ、2015年には公職選挙法の選挙権が18歳以上に引き下げられ、2018年には民法改正で成年年齢が18歳に引き下げられることが決定している(施行は2022年4月)。そうした流れを受けて、少年犯罪への厳罰化を求める声も高まっており、少年法は長らく批判の矢面に立たされてきた。

2021年5月、18・19歳を「特定少年」として逆送の対象犯罪を拡大する改正少年法が可決され、22年4月の施行が予定されている。刑罰主義的な立場と少年の社会復帰を重視する立場との折衷案ともいえるかたちである。これまで逆走の対象は、原則的に16歳以上で故意に死亡させた事件のみだったが、「特定少年」については罰則が1年以上の懲役・禁錮にあたる罪(強盗や強制性交など)も含まれることとなる。また本名や顔写真の公開といった報道規制についても成年相当と見なされる。

 

■精神鑑定と逆送

逮捕された少年は青森地検へ送検後、2008年2月に市内の医療施設で2カ月半に及ぶ精神鑑定を経て、人格障害が認められたものの「責任能力に問題はない」とされ、刑事処分が相当として家裁送致。弁護側はこれを不服として都内で鑑定留置が実施される。7月まで続いた2度目の鑑定では、「事件当時の記憶は完全に欠損している」とする少年の証言に基づき、犯行時は心神喪失状態で刑事責任能力はなかったとする結果になった。2度の鑑定結果は責任能力の有無について異なる判断を示したのである。

8月20日、青森家青森家庭裁判所で行われた少年審判で小川理佳裁判長は、少年が資質上の問題を抱えていたことを認めた。しかしその上で、「何らかの契機で飛躍的に高まった殺人衝動が家族に向けられ、空想上で描いていた殺人や死体損壊の行為を実現させるに至った」「犯行態様は残忍で猟奇的とはいえ、書いた文章や空想の内容に照らせば一貫している」として刑事責任能力を認め、検察官送致、いわゆる家裁での保護処分ではなく成年事件と同じく刑事裁判所での裁きが相当とする“逆送”を決定する。

 

■裁判

2009年3月9日の初公判は少年に対して特別な措置が講じられた。通常は傍聴人らが着席してから裁判官が入廷し、被告らは後から入廷して裁判が開始される。だが本件では顔を公に晒さないために被告が着席した状態で傍聴人が入廷し、起訴状についても氏名や生年月日の朗読は避けられた。長男は「記憶はないが、結果的に肯定します」と起訴事実を認めた。

検察側は、父親の3度逮捕、母親の酒癖や男性関係、母親の交際相手に懐く弟妹に憎悪を抱いての犯行と動機付けた。一方の弁護側は、精神障害の影響下にあり動機不明、判断能力や行動制御がままならなかったとし、治療後に再び家裁で審判をし直して医療少年院送致とすべきとしている。

東奥日報では、裁判員裁判に先駆けた短期集中審理との判断から、検察側、弁護側によるそれぞれの事件再現を並列させた「対等報道」の試みを行った。裁判審理の仕組みが変わるタイミングで、裁判報道のあり方にも一石を投じようとした格好である。下の記事では、青森家裁の判断、地裁との分立構造の曖昧さ、裁判の簡易化による弊害にも言及している。

www.asahi.com

当時の状況について、被告は「分からない」「覚えていない」を繰り返し、両親について「憎悪の感情は持っていない」と述べた。調書との齟齬については、取調べから早く解放されたいあまりに事実と異なった内容にも署名したと説明。

犯行については「月」の満ち欠けによる影響だとし、小学6年生から新月の頃になると衝動的な殺意が湧いてくる情動に駆られていたと述べた。彼の特異な感情変化は「普通」「激情」「冷酷」の三段階に分けられるが、犯行時は「冷酷」を超えた道徳的ストッパーの壊れた状態だったという。

多くの人はこうした説明を稚拙な嘘、絵に描いたような“中二病”的な発想のように思うかもしれない。だが精神障害においてはこうした不合理な自己認識・独善的な他者理解が行われることを肝に銘じておかねばならない。私たちに彼の発言を理解・共感することはできないが、同時に彼にとってそれは事実である可能性を排除できない。


父親は当初「死刑にしてほしい、骨は俺が拾う」と発言していたが、公判では「とにかく(被告を)追い込んだのは私たち。悪かったと謝りたい」「私は更生できると信じている。そのために自分の人生を全て捧げる」と長男を見守りたいとする決意を示した。

判決は検察の求刑通り無期懲役となった。すでに重病を抱えた父親は彼の出所後の更生を見守ることは現実的に難しいだろう。

 

■所感

この事件が気になったのは、2021年8月に滋賀県大津市で発生した小1女児殺害事件がきっかけである。家庭環境を比べることこそ愚かだが、複雑な親子関係、きょうだい関係が思いやられる事件である。

 

当時17歳無職の兄が6歳の妹を「公園のジャングルジムから落ちた」として1日朝、近隣住民に救急搬送を求めたが、100カ所以上の皮下出血、右副腎破裂、ろっ骨骨折などが判明したため虚偽通報の疑いが強まり、4日、少年が傷害致死容疑で逮捕された事件である。兄は容疑を認め、動機について「妹の世話がつらかった」「ちょっかいを出され、かっとなってやった」などの趣旨の供述を行った。

兄は小学生頃から、妹は生後間もない頃から大阪、京都の別々の児童施設に預けられていたが、妹が小学校入学となる21年4月から母親が引き取って一緒に生活を始めた。3人で暮らすのは初めてだった。

児相は母親との電話相談のほか、事件前の5~7月に計5回、自宅や妹の通う小学校を訪問。7月20日に妹と最後の面談をしており、そのときけがや家庭内トラブルは確認されていなかった。母親は「兄が妹の面倒を見てくれる」と話し、児相は相談を通じて「子どもと向き合っている」と判断していた。

一方で、母親は7月頃から家を空けることが多くなり、21日未明、兄妹は2人でコンビニ店を訪れた。女児に金を貸してほしいと言われ、不審に思った客の通報で警察に一時保護されたが、そのときもけがは確認されていなかった。県警はネグレクト(育児放棄)の疑いで児相(高島子ども家庭相談センター)に通告。児相は8月4日に母親との面談の約束を決めていた。

www.kyoto-np.co.jp

8月、京都新聞の取材(上リンク)に対して2人の母親は「すべて私が悪い。兄に妹の面倒を見させてしまった」「それをネグレクトと言うならそう。私の責任だと思っている」と自責の念を述べた。

8月25日、大津地検傷害致死の非行内容で大津家裁に送致。家裁は2週間の観護措置を決めた。9月17日、大津家裁(横井裕美裁判長)は少年の家庭環境や公的機関が一時保護などの措置をとらなかった点などを鑑み、「責任を少年のみに負わせるのは酷である」と保護処分が適切と判断。刑事処分を求める「逆送」ではなく少年院に送る決定を下した。少年は幼少期からしつけ名目でDVを受けており、人との深い関係性を築くことが難しかったとされる。また母親は事件前の7日間は帰宅しておらず、その間に暴行が繰り返されていた。

11月、少年の母親(41)が覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕される。8月初旬の家宅捜索で大麻覚せい剤、注射器が発見されていた。調べに対し、女性は容疑を否認していると報じられている。

 

ネグレクト、ヤングケアラー、DV、薬物中毒など少年の家庭ではいくつもの問題が生じていた。児相や警察、周囲との係わりが皆無だった訳でもない。ただそうした救済の手から彼らは零れ落ちてしまった。報道内容を見る限りでも彼らを加害者/被害者にせずに済んだかもしれないという思いが胸を締め付ける。

八戸の少年は小説に救いを求めた。はたして小説のエンディングはどのようなものだったのか二度と日の目を見ることはない。たまたま喫茶店に居合わせ、少年の話を聞いて「面白いじゃん」と言ってくれる人間がそばにいたならば、彼や家族の運命は大きく変わったにちがいない。自分にそんな機会が回ってきたとき、彼にどんな言葉を掛けられるだろうか。