長谷川博一『殺人者はいかに誕生したか「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く』感想

 凶悪犯の心理については古今を問わず多くの耳目を集め、人物の特異性や犯行の猟奇性がクローズアップされて語り継がれる。コメンテーターたちはセンセーショナルに煽り立てた挙句「闇の深い事件です」「許されることではありません」とラベリングしてやがて振り返られることもない。この本は事件そのものの詳細な描写は少なく、数値や傾向から犯罪者を分類する犯罪学の本でもない。本書の最大の魅力は、裁判では明らかにされない、加害者本人さえも把握しきれない無意識や発達的心理プロセスを導き出す「なぜ」このような事件が起こったかに答えようとするアプローチにあるといえる。いわば殺人者ひとりひとりに対するカウンセリングであり、パーソナリティ形成を読み解こうとする試みである。

 

世間を震撼させた凶悪事件の殺人者たち——。臨床心理士として刑事事件の心理鑑定を数多く手がけてきた著者が、犯人たちの「心の闇」に肉薄する。勾留施設を訪ねて面会を重ね、幾度も書簡をやり取りするうちに、これまで決して明かされなかった閉ざされし幼少期の記憶や壮絶な家庭環境が浮かび上がる。彼らが語った人格形成の過程をたどることで、事件の真相が初めて解き明かされる。(文庫版背表紙より)

 

■著者・長谷川博一氏について

1959年愛知生まれ。南山大学教育学部卒業後、名古屋大学大学院教育学研究科(心理学専攻)博士課程途中退学。東海女子大学在任中、臨床心理士となり、宮崎勤ら多くの被告人の心理鑑定を行うほか、発達心理学や学校問題、児童虐待の予防を促す著書も多数。2012年、東海学院大学退職後、こころぎふ臨床心理センターを設立(施設HPによる略歴)。2020年現在は同センター長、公認心理師(※)として、TwitterYouTube、lineなどでも積極的に情報発信や相談を行っている。

(※臨床心理士民間資格であり研究的業務も含まれている。公認心理師は2017年施行の国家資格であり、より実践的なカウンセリングや情報提供などを行うものとされる)

 

週刊新潮2018年10月4日号で、「被害女性が告発!私が施されたセックス・カウンセリング」との特集記事が組まれた。

www.dailyshincho.jp

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掲載当時、自身のTwitter上でも記事や糾弾者に対して発言された様子だが、過去ログを遡ることができなかった。告発内容について真偽を知る由もないが、2人の告発者の証言は真に迫るものである。本書の慣行は2010年11月、内容については東海学院大学(および前身である東海女子大学)在任中の職権・功績であり、仮に告発が事実であったとしても本書の価値を歪めるものではないと私は判断する。

新潮記事の繰り返しとなるが、クライエントがカウンセラーに対して信頼や尊敬、愛情といった感情を示すことを陽性転移といい、それ自体は決して珍しいことではないが、カウンセラーがクライエントと性的関係に及ぶことは職業倫理上あってはならないことである。その一方で、心に問題を抱えカウンセリングや心療ケアを積極的に必要とする人びとの証言を(インタビュアーや臨床心理の技術さえも持たない私たち)第三者がどこまで真に受けてよいものか、記事そのものの妥当性についても留意が必要である。

 

既に述べたように、著者は教育分野から児童心理学、臨床心理への道をたどり、1988年から始まった臨床心理士の草分け的存在の一人である。

見えにくい虐待も、聞き手の眼差しによっては早期に表舞台に姿を表し、「救われたい手」と「救いたい手」を、つなぐことができるのです。

犯罪のない社会づくりのために、犯罪までの過程を、加害者に一時期寄り添い、その内面に迫りながら解析する。これが先に書いた「理解」の正しい意味なのです。一刻も早く、家庭と社会が手を携えて、犯罪が生み出される仕組みを見極めなくてはなりません。(「はじめに」より)

氏はこうした文章に端的なように、児童虐待の加害者もその多くは元虐待被害者であり、刑事事件についても犯罪被害者のケアと共に“加害者”とされる人物にも支援が必要だとする立場をとる。ときに加害者の訴えに共感や理解を示しながら深層心理を読み解き、同じような悲劇が再び生み出されないために児童虐待問題や教育分野へのフィードバックを実践し、「原因解明」「予防的措置」にタッチしない現行の司法精神医学や司法制度そのものに対しても見直しを提唱している。犯罪者の心の傷を理解しようと努める氏の視点は本書を通して貫かれているため、「犯罪者など理解する必要なし」「殺人者はすべからく死刑に処すべし」と考える方には向かない内容といえるかもしれない。

 

■凶悪犯とは何か

本文では、十人の殺人犯について事件内容ではなく被告人・死刑囚らの内面に焦点を絞って長谷川氏の見解が示されていく。

第一章 大阪教育大学付属池田小学校児童殺傷事件 宅間守

第二章 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 宮崎勤

第三章 大阪自殺サイト連続殺人事件 前上博

第四章 光市母子殺害事件 元少年(犯行時18歳のため匿名)

第五章 同居女性殺人死体遺棄事件 匿名

第六章 秋田連続児童殺害事件 畠山鈴香

第七章 土浦無差別殺傷事件 金川真大

第八章 秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大

第九章 奈良小1女児殺害事件 小林薫

第十章 母親による男児折檻死事件 匿名

これまで十九人の殺人犯と面会したなかで、全てに共通していたのはその人たちが犯罪者になろうとしてなったわけではないという点だと長谷川氏は述べる。池田小事件の宅間をはじめとして、被虐待児や機能不全家族のもとで歪な人格形成を経ており、その苦痛から逃れたい希死念慮や自己否定、罪に対する反省などが複雑に絡み合いながら死刑を望んでいる印象を受ける。

はじめから死刑を望んで犯行に至り、法廷でも傍若無人な態度で侮辱し続けた土浦事件の金川のようなケースであっても、現実世界からの防衛機能として自らの感情を抑え込む「否認」のはたらきによって、反社会的ともいえる表層的振る舞いに至ったとされる。秋葉原事件の加藤のように「いい子」でいなければならないという呪縛によって自分の感情なのか、「いい子」の頭で考えた模範解答なのか分からないまま死刑が確定した者もいる。

第五章は愛知県小牧市の保冷車死体遺棄事件と思われる。加害者Nと被害者女性K子の不幸な生い立ちを背景とした病的な「共依存」を伴なう内縁関係に、K子のアルコール依存の深刻化と次男S君への虐待が引き金になった特殊なケースである。被虐待経験のあったNは虐待されるS君に昔の自分を投影し、何としてでも守らなければと凶行に至る共感-殺人ともいえるものだ。

秋田事件の畠山は、とりわけマスコミと対立した際の怨めしい形相が印象強く、当時事件について詳しく知ろうともしなかった私などは浅ましくも“被害者面したい加害者”という見方をなんとなく抱いていた。これは昨今の道志村女児行方不明事件の母親に対して世間から向けられる同情とともに拭いきれない“やや冷ややかな猜疑心”に近いものかもしれない。だが本作を読むことで畠山以外にも、加害者に対して知らず知らずのうちに抱いていた印象や偏見を再認識させられることとなった。こうした点も、警察、検察、裁判所、記者、報道制作などとは別のベクトルから加害者にアプローチしてきた長谷川氏の大きな功績だと思う。私たちはメディアが「悪人」と報じれば人でなしの「凶悪犯」に仕立て上げてしまいがちだが、同じ世界に暮らす人間なのだ。何がきっかけで道を外れて「悪人」になるか、多くの冤罪事件のようにいつ自分が「凶悪犯」にされるかも分からないのである。

 

■凶悪事件に学ぶ

私たち一般人の多くは事件発覚や犯人逮捕の報道以降、事件やその後について触れる機会は滅多にない。今日の事件報道のあり方や、被告人の有罪無罪と量刑の判断という裁判機能の権限では「真相解明」には程遠く、何かを社会に働きかけることはほとんどない。既述の通り、長谷川氏はカウンセリングの専門家であるためその方法論、技術的枠組みの中で、事件全体が「虐待」「生い立ち」との関連に収斂されてしまうきらいはどうしても感じる。一部の社会学者やルポライター、長谷川氏のような事件の外側から発せられるレポートには、見逃されがちな事件の側面や深層への言及に加え、それぞれの専門的見地から今後の社会で生かされるべき提言が含まれている。凶悪事件を毎日のニュースのひとつとして理解できない他人事のように聞き流すのではなく、たとえば小さな子を持つ親、高齢者を支える側、といったそれぞれの立場でなぜこの事件は起きたのかという社会問題として向き合う機会も必要なことのように思えた。社会に規律が存在すれば規律違反や逸脱が必ず生じる。その意味では長谷川氏の願う「犯罪者を誕生させない社会づくり」が完成することはないのかもしれないが、人間社会を営む上での恒久的課題として事件や問題の本質をとらえ、改善する努力はしていかねばならないだろう。