いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

マイアミ・ゾンビ事件

人が人を食う行為は有史以来、様々な形で記録に残されている。広くタブー視されながらも、地域・集団における慣行・儀式など習俗としてのカニバリズムのほか、遭難や飢餓のためにやむを得ず捕食する事例は現代でもしばしば聞かれ、猟奇殺人における異常嗜好としても知られている。

世界的に見ても、家族や敬愛する相手の血肉を受け継ぐ、親愛の情を示すといった意味や、勝利を誇ったり恨みを晴らす意味合いでの食人エピソードは多く伝わる。また中国では古くから薬食として人肉や血が漢方に用いられ、日本でも1902年にハンセン病治療の効用を求めて起きた「臀肉事件」など民間療法として迷信は根強く残っていた。

 

本稿では厳密な意味では食人行為に当てはまらないものの、2012年にフロリダ州マイアミで発生した突如相手に襲い掛かり顔の肉を噛み千切った「ゾンビ」を彷彿とさせる事件について記す。

 

■概要

2012年5月26日13時55分頃、フロリダ州マイアミの湾岸を通るマッカーサー・コーズウェイの高架下の歩道で寝そべっていたホームレス男性Ronald Poppoロナルド・ポッポさん(65)が見知らぬ男に襲われた。全裸姿の男はポッポさんに喋りかけ、不意に殴りかかったかと思うと、羽交い絞めにして衣類を剥ぎ取り、左の目玉をえぐり取り出すと一心不乱にその顔に噛みついた。

 

襲撃から約8分後、偶々そこに通りかかったサイクリストLarry Vegaラリー・ベガさんは驚くべき惨状を目の当たりにする。馬乗りになって血まみれの老人の顔面にしゃぶりつく男に「Get off!」と叫んだが聞く耳を持たなかったことから、すぐに911に通報した。

襲撃から約18分後、マイアミ警察Jose Ramirezホセ・ラミレス巡査が現場に駆け付け、男に拳銃を構えて攻撃を止めるよう5度に渡って警告した。男はラミレス巡査に下がれと命じられても唸りながら咀嚼を続けた。1発の威嚇射撃の後も老人への攻撃を執拗に繰り返したことから、警官は危害の拡大を防ぐためその場で射殺する決断を下した。(CBSマイアミ支局によると、ラミレス巡査は過去4年間のキャリアで初めての発砲だった)

被害に遭ったポッポさんは髭の生えた顎周辺を除く、鼻、頬、瞼、眉、額などを食い千切られ、顔面は原形を留めていなかった(当初顔面の75~80%が失われたと警察発表があり、後に約50%と訂正された)。襲撃から約27分後、救急車で搬送された。

下は事件当時、マイアミヘラルド本社ビルの監視カメラから捉えられた映像。年齢による視聴制限あり。

Timeline: Face-eating attack in Miami (with narration) - YouTube

 

その後、射殺された犯人の男はノース・マイアミで自動車販売店の洗車係として働くRudy Eugeneルディ・ユージーン(31)と特定された。警察は過去の事例との比較から、薬物誘発性の精神疾患の疑いが強いとして捜査を続けた。

通報者のベガさんは「男は、ゾンビさながらに血が滴り落ちて、強烈でした。私が知る中では『ウォーキングデッド』に最も近い」と取材で語っており、この白昼の狂気は、Frorida Face-eating Attack、Miami Zombie、Causeway Cannibal等と呼ばれ、米国中を震撼させた。

 

■Church boy

加害者ルディ・ユージーンは1981年生まれのハイチ系移民で、出産直前に両親が離婚し、父親は6歳の時に亡くなった。貧しい農民の娘だった母親は靴工場で働きながら子育てを続け、85年に再婚して新たに2人の息子を授かった。それから毎週のように家族で教会に通った。

高校でフットボールに打ち込むようになると教会通いは辞めてしまったが、8歳の時に母から与えられた聖書は彼にとって「人生の教科書」とされた。卒業後はCD販売、マクドナルド店員、電話勧誘などの職を転々とした。母親は自身の幼いころの貧困経験から、職にあぶれることのない医療系の道に進むことを望んでいたというが実現はしなかった。

高校時代からの交際相手と2005~08年にかけて結婚していたが、家庭内暴力が原因で離婚、夫婦に子どもはいなかった。友人たちはユージーンについてスポーツとヒップホップが好きな普通の若者だと評しており、事件当時は雇われの洗車係だったが、将来的には独立して移動洗車業を興すアイデアを周囲に語っていた。

マイアミ・ヘラルド紙によれば、16歳以降で4件のマリファナ関連の事件を含む計8件の逮捕歴があったが、直近では2009年9月が最後の逮捕だった。2004年には母子喧嘩がエスカレートして、母親に銃を突き付けて脅迫する騒ぎを起こしたこともあった。

彼の母親は、息子について、いつも聖書を持ち歩いている「church boy(教会に通う敬虔な少年)」だったと語った。共に聖書研究をしていた友人ボビー・チェリーさんは、「彼は自分の人生を改めたい、神に近づきたいと願っていました」と述べた。

ユージーンは離婚前の2007年から別の女性と交際を始めたが、彼女に対しては暴力を振るうことはなかった。男は寝る前などに聖書に目を通し、休みの日には教会の番組を一緒に見たりしていた。悩める知人や聖書を知らない仲間に講釈して聞かせることもあったという。

 

事件前夜、男はガールフレンドの家で過ごした。未明に彼女が目を覚ますと、ユージーンはクローゼットを引っ搔き回して部屋中服だらけになっていたという。

「何かを探しているように思いましたが、それが何だったのかはわかりません」

男は彼女に口づけし、何も問題はない、愛してるよ、と伝えた。5時半ごろ、愛用の聖書と聖書研究のノートを携えて部屋を後にした。普段そんな時間帯に外出することはなかったので不審に思い、彼女は恋人の携帯電話に何度も掛けたが連絡がつかず、心配になって正午ごろからマイアミの町へ捜しに出たという。

恋人の部屋を出た後、男は友人に連絡を取り、マイアミ・サウスビーチで開催されているヒップホップやレゲエの大型野外フェス「アーバン・ビーチ・ウィーク」に誘っていた。しかし友人は仕事があることを理由に誘いを断り、ユージーンは一人でビーチに向かったものとみられている。

このフェスは2000年代初頭からメモリアルデーに草の根的に開始され、プロモーターが不詳、自治体からの認可を得ていないが、5日間で計25万人以上の来場者数がある大きなイベントである。

2011年に参加者が警官に暴行し、警官から射殺される事件(警官3名が負傷、傍観者4名が警官の銃撃により負傷)が起きており、地域住民は暴力や犯罪の温床になることを危惧しているが、公共ビーチでのプライベートなイベントのため解散命令などの法的介入は困難とされている。2012年には警官隊の出動を600人近くに増員し、ビーチ周辺地域での厳しい対応を行い、イベント中に431人の逮捕者、25丁の銃が摘発された。

 

紫色の車体をした95年製シボレーはサウスビーチからダウンタウン方面を走行中に何らかのトラブルに見舞われたらしい。運転者ユージーンは数十分間の立ち往生の後、正午頃に車を乗り捨てて西へ向かって歩き始めた。シボレーがレッカー移動されていた位置から逆算すると少なくとも3マイルの距離である。

ポッポさんへの攻撃を開始する直前の1時53分、フロリダ・ハイウェイパトロールに「背の高いアフリカ系アメリカ人男性が全裸でターザンのようにして電柱に登っている」「ハイウェイに衣服が捨ててある」と通報があった。路傍に脱ぎ捨てられた衣服の中には免許証なども含まれていた。

犯行現場近くの路上には聖書の断片が発見された。全裸男は白昼、聖書を破り捨てたり、途中で電柱に登ったりしながら、数マイルにもわたって彷徨いつづけた。事件後、発見された車内から空のペットボトル5本と聖書の切れ端が発見されている。

 

■「バスソルト」と大麻

検死の結果、ユージーンの歯には人肉が詰まっていたが、胃の中からは発見されず、多数の未消化の丸薬が残留していたと報告された。現場には噛み千切られた肉片が吐き出されており、結果的に見れば「食人」行為ではなかったことになる。

http://www.autopsyfiles.org/reports/Other/eugene,%20rudy_report.pdf

胃から発見された「丸薬」について詳細は明らかになっていない。ある医師は警察の見立て通り、当時流行していた「バスソルト」と呼ばれるアンフェタミン・カクテル(合成麻薬)が攻撃の背景にあるのではないかと指摘した。

だが解剖前の予備毒物検査の結果は、事件の数時間前に摂取した大麻の陽性反応だけしか確認されなかった。長らく半同棲状態にあった恋人いよると「ルディはタイレノールアセトアミノフェン系の経口鎮痛薬)を摂取することさえなかった」と語り、友人ボビー・チェリーさんは「長らくマリファナの使用があったことは事実だが、ルディは辞めたいと考えていた。彼に(大量の丸薬や別の薬物の)服用を迫った第三者がいるにちがいない」と私見を述べている。

 

違法薬物は法律の目を搔い潜るために、しばしば香料や洗剤など別の化学製品にダミー化し、「人体への摂取は有害である」と謳って売買されるケースが多い。2000年代はオンライン取引が盛んとなり、そうした脱法的流通・生産が国際的に増加して多くのデザイナードラッグが出回った。

MCAT、「バスソルト」や「モンキーダスト」と呼ばれる合成ドラッグは、21世紀になってから英国、ヨーロッパ諸国で、2010年に米国毒物管理センターに報告がなされた。米国での「入浴剤」に関する通報は2010年に304件だったが、2011年には6138件に激増していた。過剰摂取により興奮状態を起こすと、せん妄や幻覚、過度の運動や発作、高血圧や熱気を帯びて衣類を脱ぎ去ろうとする報告例もある。

 

過去の「バスソルト」事件として、2010年7月にバージニア州ロアノーク郡に住むキャリー・シェーン・パジェット(当時21)は「バスソルト」「合成マリファナ(通称スパイス)」を併用しての誘拐・強姦殺人が知られている。地元高校を卒業したばかりのカーラ・マリー・ホリーさん(18)を誘拐・監禁・強姦の末に殴り殺し、目玉をくり抜いたり、口から胃にかけてタイヤ交換用の工具を突き刺したりした上、遺体を携帯電話で写真撮影していた。

2010年11月にはルイジアナ州マンデビルに住むBMXライダーとして知られたディッキー・サンダース(20)が「クラウド9」と呼ばれるバスソルトの鼻腔吸引で錯乱状態に陥り、自殺した。母親によれば「薬のせいでまともに動けない。もう二度とやるもんか」と言って自分の喉を刃物で裂き、数時間後に銃で自ら命を絶った。いわゆるバッド・トリップ、異常恐怖のせん妄に囚われてしまったものとみられる。

2011年5月、ウェストバージニア州アラムクリークのマーク・トンプソンは隣人のヤギを殺害した容疑で逮捕された。訴状によれば、血塗れの女性服を着た半裸のトンプソンがヤギの死体とともに寝ているところを発見され、その傍らにはポルノ写真が落ちていたという。事件前3日間にわたって「バスソルト」を摂取していたことも明らかになった。性的興奮が昂ってヤギとの性交を試みたものとみられている。

 

国立薬物乱用研究所のデザイナードラッグ・リサーチユニット責任者マイケル・バウマン氏によると、「バスソルト」はコカインやエクスタシー(MDMA)のように作用するといい、快楽物質ドーパミンの生産と吸収を助長するものと説明している。当然、他の違法薬物同様に依存症リスクが高く、人体にとって悪影響を及ぼすものだが、「凶暴性の助長」や「人肉食への渇望」を示す研究結果は示されていない。

上のバージニアの事案などにおいても、薬効によって残虐な犯行に走ったというよりは、元々の反社会的性格、暴虐な性向の持ち主が興奮剤のひとつとして「バスソルト」を使用していたものと捉えられる。

 

2012年6月5日、マイアミでの事件を受けて、デラウェア州上院議員クリス・クーンズ氏は「バスソルト」の全国的な禁止につながる法案を検討するよう求めた。7月、オバマ大統領は薬物政策の修正を決定し、「バスソルト」に含まれる薬物メフェドロン、メチロン、MDPV等が禁止された。規制以降、米国での通報件数は年間500件台にまで急激に減少したが根絶には至っていない。

2013年2月、ダスティン・ミルズ監督は「バスソルト」がもたらす予期せぬ影響として中毒者が人食い人種に変貌するB級ホラー・コメディ映画『Bath Salt Zombies』をDVDでリリースした。筆者は未見だが、本事件からインスパイアされたアイデアであることは火を見るより明らかである。

 

世間一般には、ユージーンの狂った蛮行は得体の知れない薬物によって引き起こされた異常行動と解釈された。専門家の間では、なぜ検査に大麻以外の反応がなかったのかと疑問が呈されたが、検査薬があらゆる新種の合成麻薬に対応するものではないとの見解もあった。

しかし当初から「バスソルト」の使用が疑われる中、相応の化学物質を検知できない検査など行うものだろうか。コカイン、LSDアンフェタミン(MDMA、覚醒剤など)、ヘロイン、フェンシクリジン(PCP、俗称エンジェルダスト)、合成マリファナといった広く普及した違法薬物とは全く異なる新種の違法薬物に手を染めていたとでもいうのだろうか。

胃から「大量の丸薬」が見つかったとの報告書はあるものの、厳密にその成分を示す検証結果は公開されていない。また毒物に関する外部研究機関によって6月27日に提出された追加報告で、「バスソルト」、合成マリファナLSDに相当する合成薬物の使用は明確に除外された。ユージーンの体内から検出された薬物は、2012年11月にワシントン州コロラド州を皮切りに合法化が認められた「大麻」のみであった。

www.cbsnews.com

大麻(ここでは薬物としてのマリファナ)はタバコ、アルコールに次いで最も一般的に使用されている依存性薬物である。葉・茎・種子・樹脂に含まれる化学物質THC(テトラヒドロカンナビノール)によって精神に高揚感などの変容をもたらす。手巻きタバコ(ジョイント)、パイプ、菓子やお茶にしての経口摂取のほか、今日では電子タバコの普及によって手軽にレクリエーション目的で使用する層も多く、米国では高校生の30.5%が使用経験があると答えている。

国立衛生研究所によれば、肺から血流に移行して脳細胞受容体に作用し、正常より過剰に活性化させて以下のような効果をもたらすことが確認されている。

・感覚の変化(より明るい色が見える、など)

・時間感覚の変化

・気分の変化

・体の動きを鈍らせる

・思考と問題解決を困難にする

・記憶障害

・幻覚(高用量)

・妄想(高用量)

・精神病(高用量での定期使用によりリスクが高まる)

10代からの定期使用は学習能力・認知発達への悪影響がある。頻繁な喫煙習慣は呼吸器へのダメージを与えるが、肺がんをはじめがん発生リスクは認められていない。血圧や心拍数を高めるため、心臓発作や脳卒中のリスクが高まる。妊娠中の使用は胎児の発達上の悪影響や早産のリスクを高めることが指摘されている。

多くの場合、その効果は「多幸感」「リラックス」を経験させ、知覚の高まりを感じるほか、笑いや食欲増進といったかたちで現れる。そうした効用は医療用にも広く利用されており、そのほか依存性のない化学物質CBD(カンナビジオール)には皮膚炎の鎮静作用や抗酸化作用があり、化粧品分野などからも注目されている。

経験が乏しい場合や摂取量が多すぎるとバッド・トリップに陥りやすくなると考えられ、幻覚、妄想、アイデンティティーの喪失など急性精神病の症状が現れる。使用者の9~30%がいわゆるマリファナ依存に陥る可能性があるとされる。

マリファナによる興奮・酩酊効果はアルコールに近いものとされ、心身への弛緩効果によって横柄な態度や雑な行動になることは少なくない。摂取後、幻覚・錯乱によって犯罪に手を染めたり、自ら命を絶ったりした者は数知れないが、少なくともマリファナだけの影響で「ゾンビ化」が誘発されたとは到底考えづらいのである。

 

■橋の下のポッポさん

襲撃後、ポッポさんの顔面再建手術が行われ、長らく昏睡と治療を繰り返した。事情聴取は経過を見てから行われることとなった。

事件の翌週、ニュージャージーに住むポッポさんの娘ジャニスさんがニューヨーク・デイリー・ニュースの取材を受けた。彼女が2歳の頃にポッポさん夫婦は離婚して家を出て以来、40年以上会う機会がなく、報道で名前が出て生存を知ったという。

ポッポさんは1947年ニューヨーク・ブルックリン生まれ。マンハッタンの名門校スタイベサント高校から近郊の私立大学に進学したが66年頃に中退し、70年頃に離婚をして家を出たものとみられた。

1976年にも何者かに銃撃されてジャクソン記念病院で5日間を過ごしており、当時の記録によれば、ニューヨークからニューオリンズへ移って、バンドのローディー(楽器の手配・輸送・管理をする職業)などをして暮らしていたとされる。銃撃後はマイアミで30年ほどホームレス生活を送っていた。

下のリンクは、ジャクソン記念病院で撮影された被害から2週間後のポッポさんの写真。すでに幾度かの顔貌形成手術が行われたものだが、目鼻のない傷口や手術痕が生々しい(非常に刺激が強いため閲覧に注意)。

Ronald Poppo Picture (Warning: Extremely Graphic) - CBS Miami

浮浪者の老人を突然襲った悲劇に米国中が憐れみを寄せ、病院によって設立された基金には顔面再建手術やその後の心理ケア等のために10万ドル以上が集められた。

 

■回復

7月19日になって長期療養施設へと転院したポッポさんはマイアミ警察の事情聴取に対し、全裸姿で歩く男をヒッチハイカーだと思っていた、と話し、「はじめは悪い奴には見えなかった」と印象を語った。

1、2分して男はシュープリームスのヒットソング「Lover’s Concerto」を歌いながらポッポさんに近づき、ビーチへ行ったが思ったように楽しめなかったことなどの不満を漏らし始めた。そして男は「死にたい」といった旨のことを打ち明け、老人は「私もだ」と相槌を打った。

ポッポさんは長年の路上生活での経験から、男の神経を刺激するようなことは何も言わなかった。しかし突如「聖書を盗んだのはお前か」等と意味不明な因縁をつけてきたかと思うと老人に襲い掛かり、力づくで顔面を歩道に打ち付けた。鼻は折れ曲がり、苦痛に顔を歪めると、更に全裸男はレスリングホールドのようにして老人の首を絞めつけ、目玉をえぐり出した。

ユージーンの聖書の断片は道に沿って散らばっていたが、ポッポさんは彼の聖書の存在については知らなかったと証言している。

また事件後、メディアの調査によってユージーンがホームレス向けシェルター(保護施設)に従事した経験があり、そこでポッポさんと面識のあった可能性が指摘されていたが、視力を失った老人は「面識がない」と語った。

 

・ポッポさんの供述調書

https://assets1.cbsnewsstatic.com/i/cbslocal/wp-content/uploads/sites/15909786/2012/08/poppo-audio-transcripts.pdf

 

事件から約1年後、ジャクソン記念病院から多くの人々からの支援に感謝を述べるポッポさんの映像が配信された。体は全体的にふっくらとし、盲目となったもののギターを手にして語り掛ける様子は穏やかそうに見える。

A Message from Ronald Poppo | Jackson Health System - YouTube

 

敬虔なクリスチャンが起こした人類の禁忌ともいえる食人行為。天使と悪魔ともいうべき青年のふたつの顔は、宗教の枠組みにおいて完全に理解するのは困難だった。マイアミ・ゾンビと呼ばれた射殺された青年は、4つの教会で葬儀礼拝を断られた。

「人々は彼をゾンビと呼びますが、私はそうでないことを知っています。彼は私の息子です」

「人間の顔を食べたのは自分の知る息子ではない」と嘆き、「彼は何者かに薬物を注射されてゾンビに変えられてしまった」と、幾度も衝突を繰り返しながら育ててきたルディの母親はメディアに訴えた。

 

■所感

ルディ・ユージーンの内なる欲望として、食人的暴力が芽吹いていたのか。それとも友人に誘いを断られ、ビーチでフェスに乗り切れず、大麻のバッド・トリップで「キマっていた」ことで説明がつくのだろうか。

たとえばガールフレンドの部屋で探し物をしていたときには、すでに何か「内なる声」に支配、命令されて…といった精神疾患の影響も考えられはしまいか。「服など脱ぎ捨てろ」「聖書を盗んだのはこいつだ」「噛みつけ、皮を剥ぎ取れ」と命じられ、男は素直にも従ってしまった。大麻の影響下にあった彼は、その声を「」と勘違いしてしまっていたのではないか。

当初の警察の見解には「ゾンビ化」とドラッグの影響を、ドラッグの専門家はとりわけ「バスソルト」と凄惨な事件を結びつけた。人々は「新たな合成麻薬がもたらした悲劇」と推測し、議会で瞬く間に規制法が整備された。しかし彼の体内からは大麻しか検出されてはいない。胃に残された大量の丸薬とは何だったのか。睡眠薬か何かを大量摂取して路上へ飛び出し、自殺を図ったものなのか。

大麻合法化の最中に起きた事件だけに、「バスソルト」説は大いに疑問が残る。陰謀論的な見方をすると、合法化勢力が専門家らに働きかけを行ったり、大麻から目をそらせる世論誘導が行われた可能性を勘繰るのは行き過ぎた妄想であろうか。

www.nbcmiami.com

2019年のリポートでポッポさんの生存は確認されているが、その後はどうなっているか分からない。視力を奪われ、以前の顔は元通りにはならなかったものの、安らかな余生を過ごしていることを願う。

 

 

映画『ノロイ』(2005)感想

白石晃士監督作品、映画『ノロイ』(2005)について記す。

自宅が全焼して妻を亡くし、自身も行方不明となった怪談作家・小林雅文。2004年、彼が最後に発表した映像作品を主軸に構成され、作中で彼が真相を追い求めた怪奇な出来事の因果が、最終的に彼の身にも降りかかったのではないかと言われている。

 

横溝正史作品などに出てくる土着風俗のおどろおどろしい雰囲気が好き

小野不由美原作で竹内結子主演で映画化もされた『残穢』やウェブ作家・雨穴(うけつ)さんのミステリ作品のようにいくつもの謎が連鎖していくサスペンス展開が好き

・ネットフリックスで話題となった映画『呪詛』のように主人公が大きな闇に陥っていく展開が好き

といった方や物語を愉しめる心の清らかな方にオススメ。

ノロイ [DVD]

監督 白石晃士

脚本 白石晃士、横田直幸(『口裂け女』『呪霊 THE MOVIE』『ほんとにあった!呪いのビデオ THE MOVIE』)

製作総指揮 一瀬隆重(『帝都物語』『リング』『呪怨』)

キャスト 村木仁、久我朋乃、松本まりか菅野莉央寺十吾

 

 

以下、忘備録として本編全体をふりかえる。

各場面の区切りとして「■」を付した。

 

■内容

■イントロダクション

1995年デビューの怪奇実話作家・小林雅文

怪奇実話の第一人者として多くの本を執筆し、近年は取材にビデオカメラを取り入れ、怪奇の真相を追究する映像作品も発表する。

 

しかし2004年に新作『ノロイ』を完成させた直後、小林の自宅が全焼。

中から妻の遺体が発見されたものの、小林自身は行方不明となった。

はたして小林の不可解な失踪の原因は何だったのか。

ノロイ』のビデオ冒頭には、怪奇現象に対する小林の信条が記されている。

真実を知りたい。たとえそれが、おぞましいことであっても

 

 

 

■2002年11月12日、東京都小金井市での聞き取り。

主婦・奥井涼子さんは、「赤ちゃんの泣き声」のような気味の悪い声が「2、3か月前から」「お隣の家の方から」聞こえると証言する。

半年前に引っ越してきたとき、隣家に小学校低学年くらいの男の子を見かけたが以来一度も姿を見ていないという。お隣の奥さんも滅多に見掛けず、偶に会っても挨拶も返ってこない。自らも5歳の娘を育てる奥井さんの表情は不安げである。

一通り相談を聞いた小林は撮影スタッフと共に隣家へと向かう。敷地内は雑草の伸びた植木鉢や使わなくなったものが放置されたままになっている。

中から出てきた女性は、小林とカメラを険しい顔で見定めると、「すいません、ちょっとお話を…」と低姿勢に出る小林に「なんでそんな言い方ができるんだよ!言い方っ!」と逆上して扉を閉める。

参ったなぁと退散する小林だったが、去り際に隣家を映したカーテン越しに男児の顔が一瞬写り込む。

その後、取材時の録音を解析にかけると、「人間の赤ん坊特有」の泣き声が確認され、その数は「5人以上あるいはもっと多数」に上るものとみられた。

 

■11月20日、小林が奥井さんの元へ再訪。

隣人は「4、5日前に引っ越した」と言い、以来赤ん坊の声は聞こえてこないという。

小林は再度隣家を訪れ、郵便物から「イシイジュンコ」の名前を確認する。庭先の荷物は放置されたままで、なぜか新しい鳥の死骸がいくつも転がっていた。

その取材の5日後、奥井さんが5歳の娘を乗せて車を運転中、突然中央分離帯を越えて反対車線に飛び出してトラックと衝突し、2人とも死亡した。

警察では「運転ミス」と判断されたが、小林はどこか煮え切らない表情である。

 

■2003年8月3日放映のTV番組『驚異の超能力スペシャル』

実践超能力者・広津宏一がゲスト講師として招かれ、「10人のエスパー小学生による超能力実験」が行われた。ひとつめは、黒いフィルムケースの中にある紙に何が書かれているかを当てる透視実験。東京都・小学6年生の矢野加奈ちゃんは紙に書かれた漢字や記号を5問中4問まで精緻に透視して見せた。つづく栓で密閉した空のフラスコに水を出現させる実験でも、加奈ちゃんは見事フラスコ内に少量の液体を生じさせた。

「頭が痛くなってくる」

鑑定結果によれば、動物性プランクトンを含んでいること等から河川・湖などの淡水である可能性が高いとされた。また黒い繊維状の物質も含まれており、少なくとも「動物の毛」であることが認められ、毛髄質が含まれないことから「新生児の毛髪」の可能性が高いという。

 

■8月27日、東京都府中市。小林は矢野加奈ちゃん自宅へ取材に訪れた。

母・喜美子さんによれば、番組での実験以来、微熱が下がらない状態が続いていると言い、病院でも原因は不明とされたという。

 

■10月23日に撮影された心霊スポットロケ(お蔵入りとなった未公開映像)。

芸人アンガールズと女優松本まりかが心霊スポットを訪れた。

こどもの頃から霊感があるという松本は、到着早々首の不調を訴え、神社に近づくと「こっち、こっち」と急に二人を先導し始める。青々と茂る林の中になぜか2本だけ枯れたような木を見つけ、木に触れてみようとするアンガ田中に「だめ!離れて!」と松本が強く制する。

その場を離れた一行だったが、松本は「何か分からないんだけど、すごいたくさんきた」と怯えだし、「男の人の、低い声が聞こえる」と言うと、急に奇声を上げて卒倒し、撮影は中断される。

 

■11月26日、小林のトークライブ『怪奇実話ナイト』

松本が上述のダビングテープを持ち込んで参加。「なんかすごい低い声で呼ばれてる感じがして…そこから記憶が全くなくて…」と振り返る。

そんな松本を霊視する運びとなり、霊能師ホリミツオが登場。銀紙で全身を覆い、「人類を霊体ミミズから守る活動」を続けているという人物で、明らかに挙動がおかしい。進行役の説明を遮ってホリは松本に飛び掛かり、「お前ヤバいぞ!お前ヤバいぞ!鳩!鳩~っ!」と叫んで半狂乱になり、ライブ会場は騒然となる。

 

■小林は番組ディレクターから心霊スポットロケについて聞き取り。

松本にダビングテープを渡すとき、「怖がらせるといけないと思って、一部分をカットして渡した」と語るD。マスターテープの映像には、松本の遠景、神社の枯れ木の背後に奇妙な人影が写り込んでいた。

小林が奇妙な人影の映像を松本に見せる。松本は「関係あるか分かんないんですけど…」と自身の手帳を開き、いつ書いたものか分からないがおそらく神社での収録後に不可解な絵?記号?が書き込まれていたと伝える。

 

■12月4日、矢野加奈ちゃんの母親から連絡が入る。

母親によると、その後、「誰もいないのに部屋で誰かと話している」様子だという。

小林は加奈ちゃん本人に「話している相手はだれなのか」を尋ねる。

「多分ね、もう全部だめなんだよ」

「それはどういう意味?」小林の問いに加奈ちゃんの返答はない。

その後、矢野家三人で夕飯の場面。

しかし加奈ちゃんは食事に口を付けようとしない。

「いやーーー!」

急に叫んだかと思うと卓上に並んだ食器が吹き飛ばされる。両親に部屋に連れていかれる加奈ちゃん。卓上に残された彼女のスプーンは首の部分で千切れている。

 

■12月9日放映、「高木マリアが最強の霊能力者に熱中レポート」。

ワイドショーのワンコーナーで、レポーターの高木が霊能力者の自宅を訪問する内容。近隣住民にインタビューするが、霊能力者について「キ×××」扱い。玄関には無数の粗大ごみが置かれ、謎の怪文書が掲げてある。家から出てきたのはホリミツオ。

「最強の霊能力者さんですか?お話を伺っても…」と交渉を試みる高木をホリは部屋に招き入れる。部屋中が銀紙に覆われており、何か文言が書かれたチラシが大量に置かれている。

「何年も前から危険な情報が届いてる…」

「宇宙と通じてて…未来も見える」

「悪い奴らがいっぱいいる」

「霊体ミミズ…シューってシュッ、バーン…」

言葉にはならないが、ホリは身振り手振りで霊体ミミズが襲撃する危険を訴えようとする。

 

■矢野加奈ちゃんが行方不明となり、小林が事情を聞きに矢野家へと訪れる。

父・照之さんは「いなくなる一週間くらい前から加奈に会わせろってしつこく訪ねてくる男が居まして…」と明かし、母親も「何を言っているのかよく分からないような男でしたね…アルミを…帽子とコートに貼ってる…」と語る。その特徴はまさしく前述のホリと思われた。

しかし加奈ちゃんは「あの人は大丈夫だから」と父親に話していたという。

いなくなった日、加奈ちゃんの部屋の机の上には意味不明な文言が書かれたチラシが裏返しに置かれていた。裏面にはチラシとは異なる筆致で小さく「たすけて」と書かれ、加奈ちゃんの筆跡とみられた。さらにチラシ裏には松本まりかの手帳にあったものと同じ絵?記号?のようなものが書き込まれていた。

 

■小林はホリの自宅を訪れる。

「矢野加奈ちゃんについてお伺いしたいんですけれども」と言われてもホリは動揺することなく、小林を部屋へ招き入れた。銀紙やチラシについてホリに問うと、「ビリビリを防ぐもの。いま、霊体ミミズが来てるから。」「霊体ミミズは色んな所で現れて、人間を食べて、殖える…」と怯えた様子を見せたかと思うと、「加奈も食われた…」と不穏なことを口にする。

「あんた、加奈ちゃんのこと、何か知ってるんでしょ!?ねぇ」と問いただす小林。

「加奈…加奈―っ!」ホリは急に暴れ始めたかと思うとやおら小林のバッグから「加奈ちゃんの机に置かれていたチラシ」を奪い取ると、ペンを手に取り、何かを「受信」しながら《地図》を描き始める。

「青い…青い建物…」「トタン」「クマ」「駐車場」「霊体ミミズが出てる」「若い男」「霊体ミミズが加奈を連れて行った」。方角を指し示すホリだったが、興奮が収まらず、「カグタバって何だ…カグタバって何だ!?」と叫びながら半狂乱に陥って小林を追い出してしまう。

車内で映像を確認してみると、ホリの発狂前後に無数の髑髏のようなグリッチ(映像のバグ)が生じていた。小林と撮影スタッフは、加奈ちゃんの行方を探そうと試みるもホリの描いた拙い地図と断片的な情報だけではすぐに特定することはできなかった。

 

■松本から小林に「見てほしいものがある」と連絡が入る。

12月26日、目黒区にある松本の自宅マンションを訪問。目覚めると、出した覚えのない毛糸がテーブルの上に置かれており、いくつもの小さな輪をつなげたようなかたちに結ばれていた。寝ている間に何が起きているのか、不安で眠るのが怖いという。

小林は部屋にカメラを設置し、睡眠中に何が起きているかを録画するよう提案する。その晩撮影された映像には、起き出して部屋の電気コードを抜き取り、ベランダに出、再びベッドへ戻る松本の姿があった。

ベランダには「小さな輪をつなげたようなかたち」にした電気コードがぶら下げられていた。

上の階からゴツゴツと物音が響くのが気になった小林。上階には松本と同じ事務所の後輩みどりちゃんが暮らしていたが、物音の心当たりはなく、身辺での変調は何もないという。

 

■ホリの地図に合致するマンションを発見。

小林はマンション3階の「大沢」と表札のある部屋を訪問する。中から物音はするが応対に出てはこない。隣人の男性に確認してみると、大沢は25歳くらいの男性で挨拶をしても一人でぶつぶつ呟いているような人物だと言い、加奈ちゃんらしき女児の出入りも確認されなかった。

 

■1月7日、マンションを張り込むことに。

ベランダにはゴミが放置され、なぜか鳩が何匹もとまっている。しばらくするとベランダに大沢とみられる若い短髪の痩せぎす男が出てきたかと思うと、おもむろに一匹の鳩を素手で掴んでそのまま室内へと戻っていった。

「数日後、男は部屋からいなくなった。」

 

■1月10日、松本の部屋で録画したテープを見直す。

専門家に鑑定を依頼すると、男性と思われる低い声が録音されていた。ノイズを処理してじっくり聞いてみると「かぐ…たば…」と呟いているように聞こえる。

松本に音声を聞かせてみると、神社で聞いた声とよく似ているが、「かぐたば」と聞こえる文言については何の心当たりもないという。小林は「かぐたば」という言葉の意味について調査に乗り出し、各方面の専門家に連絡を取る。

 

■1月15日、昭島大学民俗学研究室・塩屋和秀教授のもとを訪れる。

教授によれば、『長野県渡喜多郡の民俗』という資料に「かぐたば」の記述があるという。かつて渡喜多郡にあった下鹿毛村に「鬼祭(きまつり)」という祭事があり、その鬼のことを「かぐたば」と称したというのだ。

信濃国渡喜田郡風土記』にさかのぼると「禍具魂」の字が宛てられている。曰く、西方から呪術者たちが彼の地に移住し、彼らが興した呪術は「下陰流」と呼ばれた。中でも秘術とされるものが「禍具魂法」といわれ、禍具魂を呼び起こして相手を呪ったのだとされる。しかし呪術師の意を離れて悪さをする禍具魂があったため、祈り続けて彼の地深くに封じ込めたと伝えられており、鬼祭は封じ込めの儀式の継承、鬼の鎮魂が目的とみられた。

だが1978年、下鹿毛村はダムの底に沈み、禍具魂を鎮めるために続けられた鬼祭も途絶えてしまったという。

 

■小林は長野県に向かい「鬼祭」について教えてもらうことに。

地元の郷土史研究家・谷村さんによれば、鬼祭は部外者には非公開で行われていたが、廃村直前となる78年、神官の石井家が業者に記録撮影を依頼していたという。

村人たちは信心深く、家の表にカマを掛ける風習などは移住先でも続けられ、下陰流では犬を使うことが多かった名残で、多くの家で犬が飼われていた。

鬼神社では神具魂の面を被った巫女が荒ぶる舞を踊り、それに神官が鎌を持って立ち向かい、1拝4拍1拝で魂を鎮めるのが通例の儀式であった。

しかし記録されていた78年の儀式では、最後になって禍具魂役の女性が錯乱してしまい、中断されてしまっていた。信心深い人々によってはそれを禍具魂のノロイという者もいたとされる。

 

■三日石での取材。

すでに石井神官と妻は亡くなっており、記録フィルムで「最後の禍具魂」役を演じていた神主の娘が存命だという。小林は谷村さんにお願いして村の者が多く移住した「三日石」に暮らしているという娘の元へ取材に訪れた。

「なんだ、これ!」

小林は、家の周囲に膨大な量の縄やロープが、しかも松本の家で目にしたような「いくつもの小さな輪をつなげたようなかたち」のものが幾重にも張り巡らされているのを見て驚愕する。壁には松本の手帳や、加奈ちゃんの机に置かれていたチラシにあった不可解な絵?記号?が書かれている。

関係ないはずないね

一連の出来事とのつながりを確信する小林だったが、家から出てきた人物は

なんでそんな言い方ができるのかって聞いてるんだ!なんでそんな言い方ができるのかって聞いてんだよ!」と玄関先の小林を突き返す。

一瞬の出来事ではあったが間違えようもない、2002年11月に取材した奥村さん宅の隣に住んでいた「イシイジュンコ」そのひとである。小林は周辺に聞き込みに回るが、多くの村人は口をつぐんだ。

だが下鹿毛村時代はジュンコの友達だったという女性が取材に応じ、家へ招いてくれた。かつてのジュンコはごく普通の少女で、村を出てから東京の看護学校へと進んだという。おかしくなったのは鬼祭での神がかりが影響したのだとその女性は言う。

「禍具魂のノロイだ、なんて噂をちょっと聞いたんですがね」

小林がそういうと女性はやおら立ち上がり、無言で部屋の奥へと去ってしまった。

 

■1月21日、東京都武蔵野市、かつてジュンコが通ったという武蔵看護専門学校

ジュンコは82年に卒業、その後、八王子の産婦人科に勤めていたが、病院自体は2000年に廃業していた。

 

■1月27日、東京都八王子。産婦人科時代のジュンコの同僚を取材。

「真面目に働く人だったが、怖いくらい無口で、仕事以外の話をしたことがない」という。その病院では22週を過ぎての違法な中絶手術を行っており、ジュンコはその胎児の処理を任されていた。ジュンコには「中絶した胎児を自宅へ持ち帰っている」という噂があったという。

胎児を持ち帰ったのが事実なら、なぜ持ち帰ったのか

 

■2月6日、松本からマンションの上階に住んでいた後輩みどりちゃんが亡くなったと報告を受ける。

警察から聞いた話によれば、「公園で知らない人たちと首を吊って自殺した」のだという。松本は自分の所為ではないかと不安になって荷物を持ってマンションを出、その日は、小林の家で世話になることになった。

その日のニュースでは、公園のブランコ上部からロープで首を吊った集団自殺と報じられたが、7人の関連は不明とされる。

 

■2月10日、「集団自殺ミステリー」として週刊誌に顔写真入りで大きく報じられた。関連不明とされる自殺者7人の中には、松本の同僚みどりちゃんのほかに、ホリが指示したマンションで暮らしていた若い痩せぎすの男「大沢」も含まれていた。

 

■翌11日、小林は「大沢」の隣人に再度聞き込み。

当初は明るい普通の若者だったが、去年の夏ぐらいから逆隣りの部屋に怒鳴り込むようになったという。その部屋の住人の中年女性も気が強く、しばらく言い争っていたようだったがはやがて引っ越してしまったという。言い争いの発端は、「赤ちゃんの鳴き声がうるさい」というもの。しかし女性は5、6歳くらいの男の子と暮らしており赤ん坊はいなかった。

もしやと思い、小林が映像から引き伸ばした「ジュンコ」の写真を見せると、隣人は「この人です。間違いない」と答えた。

 

■2月12日のニュース。

府中市のマンションで会社員矢野照之(40)が妻喜美子(36)を包丁で刺したと自ら通報、殺人容疑で逮捕され犯行を認めているが動機については供述していないという。行方不明中の矢野加奈ちゃんのご両親である。

 

■小林宅

小林家での生活で松本はすっかり落ち着きを取り戻していた。その日は和やかなムードで小林夫人に昼食を手作りしていた。

しかし、突然松本が「うーーーーーー」と低い唸り声を上げたかと思うと、そばのガラス窓に立て続けに何かが衝突し、直後に松本も卒倒する。松本は意識を取り戻したもののそのときの記憶がなく、衝突音のした窓の下を確かめてみると複数の鳩の死骸が落ちていた。

「次は私の番だ」

トークライブでホリの叫んでいた「鳩」の発言を思い出し、自らの死を予感して怯える松本。

小林は再度ホリに会って、相談してみようと松本を慰める。

 

■2月13日、ホリ宅。

小林と松本はホリの許を訪れ、イシイジュンコの映像を見せて反応を見る。新たな「受信」のメッセージを求めるも、ホリは極度に怯えて会話にならない。

ホリの自宅を後にした小林と松本。

松本は「ダムで沈んだ村に行って、鬼祭の儀式を自分でやる」と言い出し、小林が止めても、危険は承知の上だが「何もせずに死にたくない」との硬い意志に返す言葉を失う。

長野再訪を決め、何らかを「受信」することを期待してホリにも同行するよう強引に説得した。

 

■鹿見ダムに到着した一行。

ダム湖のかつて神社地点には二人乗りの手漕ぎボートで行く以外手段がなく、小林と松本が乗船。ホリとカメラマンのミヤジマは沖で待つことになった。

近づくにつれ、呼吸が乱れる松本。ボート上、鎌で縄を断ち切る儀式を再現し、続いて1拝4拍1拝を終えると、すぐに松本は「楽になった」と歓喜し、落ち着きを取り戻す。

 

2人が沖へ戻ってみると、今度はホリが変調をきたし、「加奈!加奈!」と山中へ走り出す。慌てて小林が追いかけると、暗い山中には村人が飼っていたと思われる犬の死骸が転がり、先には鳩の羽根と脚を結った結界と思しき紐が張られている。

ミヤジマと松本は車に戻って2人が戻るのを待っていたが、突如松本は何かに憑依され、奇声を上げて車外へ飛び出し、闇の中に走って行ってしまう。イイジマも叫び声を頼りに暗闇の中を追いかける。

 

はたしてホリが向かった先には古い鳥居と崩落した神社のような残骸が。

「加奈!加奈!」夢中で追い求めるホリだったがやがて何かを見つけてその場にへたり込んでしまう。

小林がライトを頼りに周辺を探すと、柱石に彫られた絵?記号?を見つける。へたり込んだホリは絶句したまま失神状態となったことに気付いた小林。その視線の先、鳥居の下には…

 

■イシイジュンコの家に向かった小林。

家から応答はなく、小林とミヤジマは無断で侵入する。

家の中にも人の気配はなく、あちらこちらに鳩が生息している。壁には呪文、床には犬の死骸が転がり、家の周囲同様に無数の輪縄がぶら下げられている。おぞましい空気が充満したその家の奥へ奥へと進んでいくと、真っ赤な服を着たイシイジュンコが首を吊って息絶えていた。

部屋には無数の禍具魂の面が掲げられ、縄には鳩の死骸も括られている。気付けば部屋の角に青白い顔をした男の子が無言で座っており、その足元には行方不明になっていた加奈ちゃんが真っ白な顔で冷たくなっていた。

 

2人は警察に通報し、男児は一命を取り留めた。当初、イシイジュンコの息子かと思われたが戸籍上彼女に息子はいなかった。小林は生き残ったその少年を引き取ることにした。

 

■3月6日。少年は進んで食事を食べるまでになったが、何も語ろうとはしなかった。

■3月8日。松本は異変もなく落ち着いて仕事にも復帰。

■3月13日。ホリは回復せず精神病院に入院。面会できない状態が続いた。

 

■3月17日、長野県の郷土史家谷村さんは祖父の所持していたものの中に禍具魂の呪法を記した絵巻を発見したという。「猿のこども」を生贄にして巫女に食べさせていたようだという。

山中の鳥居の前でホリが腰を抜かして絶句した原因、彼が見てしまったものとはかつて儀式で多くの屍を築いた巫女の姿だったのかもしれない。

 

■小林は「推測に過ぎない」としながらも一連の事件について考えをまとめる。

イシイジュンコは、優れた能力者の片鱗を見せた矢野加奈ちゃんを「巫女」として利用し、中絶で得た胎児たちを「猿のこども」の代用として生贄とし、禍具魂の呪いを現代に蘇らせようとしたのではないか。。。

 

映像作品『ノロイ』はここで終わる。

 

■後日譚

作品完成の2日後、小林の自宅が全焼し、妻ケイコさんが焼死。小林は行方不明となった。

その3日後、精神病院を抜け出し、行方が分からなくなっていたホリミツオが死体で発見される。ダクトにぴったり詰まったような不可解な変死体であった。

 

■2004年5月19日、杉書房へビデオカメラの小包が届けられた。

送り人の名義は行方が分からなくなっている小林。中にはテープが入ったままの状態。テープには撮影する小林本人の肉声が記録され、そして病院から脱走直後とみられるホリの姿が映っていた。

「加奈の声が頭ん中に入って来て…禍具魂は生きてる…」

こぶし大の石を手に、小林家に突入するホリ。

小林の妻を弾き飛ばして、引き取られていた男児を捕まえる。

「冷静に!できることがあったら何でも協力しますから、まずはその子を放して…」と説得を試みる小林。

「ちがーーーーーう!!!」

狂乱したホリは手にした石で男児を殴打する。制止しようとする小林さえも殴り飛ばし、執拗に殴り続ける。

突然ホリが殴打を止めてたじろいだ様子を見せる。立ち上がった男児の血まみれの顔はあろうことか禍具魂の面そのものであった。

妻ケイコは何かに憑依されたように唸り声を上げながら、台所で自らの体に火を点ける。

小林は抵抗を試みるがホリに強か殴りつけられてどうにもできず、そのまま男児を連れ去られてしまう。家中に火が回るなか、テープは途切れた。

その後の小林の安否は知れない。

 

 

■感想

ホラー映画の主人公は、「好奇心」が強く「冒険心」があり、数々の異変に「恐怖」しつつ仲間の危機に立ち向かう「勇敢さ」を備え、生き延びるための「知的さ」が必須条件とされる。本作や『残穢』では「作家」が主人公、舞台回しとなって怪奇事件に巻き込まれていく。2010年代以降は『コンジアム』や『呪詛』のような動画配信者、いわゆるユーチューバーが格好の「標的」として採用されるようになった。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

1999年公開の『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の大ヒットによって、低予算のPOV(主観映像)作品が数多く発表され、本作もその系譜に連なるものといえる。劇中では90年代に人気を博した「実話怪談」や、怪奇小説やホラー動画をメインコンテンツとする「竹書房」などを彷彿とさせるモチーフが登場し、公開当時には登場人物「小林雅文」を実在する作家として扱う「公式ホームページ」「公認ファンサイト」などがメディアミックス広告として制作された。

また映画の原作ノベライズとは異なり、物語世界を補完するため「小林雅文の取材ノートを元に書き起こした」という触れ込みで『ノロイ―小林雅文の取材ノート』(角川ホラー文庫)が映画公開前に妖怪研究家、小説家の林巧氏の名義で発表されている(林先生は実在の作家さんです)。

《小林雅文公式ホームページ》

https://web.archive.org/web/20050618023633/http://koba1964.hp.infoseek.co.jp/

《小林雅文公認ファンサイト》怪奇実話ファン

ノロイ―小林雅文の取材ノート (角川ホラー文庫)

単なるPOV作品と大きく異なる点として、ビデオ作品内で登場するオカルト番組やバラエティなどの再現、「作中作」が豊富に取り扱われており、非常にクオリティが高いこと。本格ブレイク前の松本まりかさんを筆頭に、「号泣。」時代の島田秀平さんや「じゃんがじゃんが」時代のアンガールズらも多くの芸能人(荒俣宏さんまで!)が本人役として登場する。

実在性を謳った宣伝、作品構造が功を奏し過ぎたのか、文庫リリース~映画公開前の期間には以下のような反応もあった。

http://www.tanteifile.com/tamashii/scoop_2005/07/15_01/index.html

http://blog.livedoor.jp/darkaqua/archives/27126138.html

あるいは熱烈なファンによる釣りネタなのかは不明だが、「ヤフー知恵袋」などでは公開から何年も経ってからも「小林雅文さんの事件って本当なんですか?」といった質問も散見される。

DVDでもネタバレなしで小林雅文による特別取材や禍具魂伝説の資料が特典とされるなど、徹底した事件再現を行った。

 

怪奇作家と若手女優と変人とカメラマンのミヤジマくんという実在すれば世にも不可思議なパーティーが作中では絶妙なバランスで成立している。主要な登場人物にM.ナイト・シャマラン監督の『サイン』等でもあったような「毒電波」受信体質のホリ、「なんでそんな言い方ができるのかって聞いてんだよ!」と気迫を見せたイシイジュンコを配した点は極めて挑戦的である。

かつては「5G」と戦う人々をよく目にしたし、今日も新たな電磁波の襲来に怯えたり、見えない敵・聞こえない声との抗戦を続ける人たちは少なくない。古来より心身に異常がある者は、たとえば目が見えないものは聴覚・嗅覚が研ぎ澄まされるといった無類の特殊能力、霊力を兼ね備えると考えられた。幻視・幻聴はときに神がかりの予言や霊界との交信とみなされ、一種のシャーマン(巫女)として祀られる者もあった。

今日の日本社会では「障害者」の括りとされる彼らの使命には、目に見えない世界の出来事・別次元に隠れた事件の真相につながる可能性があることを本作は示唆している。「キ×××」のいうことなんか真に受けていられるか、という人間が現在では大半だが、ひと昔、ふた昔遡れば、巫女や予言者、拝み屋・探し屋は全国に何千何万人とおり、市民社会と密接に関わっていたのは事実である。

シャーマンの人並外れた能力が事実であれ虚像であれ、人々はそうした言葉に真実を垣間見、真と信じることで癒され救われる面も少なからずあったにちがいない。人によっては今日でいうところの“インフルエンサー”や“スピリチュアリスト”と大きな差はないのかもしれない。フィクショナルな存在として悪霊との闘いをする「エクソシスト」や「陰陽師」と異なり、本作の憑依体質まりかさんや電波体質ホリは霊と戦う能力をほとんど持たない。怪奇に対する人並以上の好奇心と勇気を備えた小林ですら帰らぬ人となった今、私たちはこれ以上の詮索を止めておかなければならないのかもしれない。

 

京都精華大生通り魔殺人事件について

平成19年(2007)京都市左京区で発生した刃物による男子大学生殺人事件について記す。事件から15年が経過し、犯人の特徴的な目撃情報を得ながらもいまだ犯人特定につながっていない未解決事件である。

www.pref.kyoto.jp

 

■概要

1月15日19時45分頃、京都市左京区岩倉幡枝町の路上で京都精華大学1回生千葉大作さん(20)が男に刃物で刺されて殺害される事件が起きた。千葉さんは19時40分頃に大学でバイク通いの友人達と別れたばかりで、自身は自転車に乗って友人のアパートへと向かう途中だった。

 

大学キャンパスは、いわゆる「碁盤の目」といわれる京都市の中心街から見て北のはずれに位置する。犯行現場は大学から東へ700m程、叡山電鉄木野駅から100mばかりの歩道で、通行量の多い幹線道路(府道106号)沿いの見通しが良い場所である。周辺は閑静な住宅街の一角で、歩道と車道の境界にはフェンスや植栽が備えられていた。

その時間帯には通学バス(通学時間帯、大学と地下鉄「国際会館駅」間をピストン輸送する)もまだ10分置きに運行されており、人通りが少ない時間とはいえとても「計画的に襲う」ような場所とは思えない。

千葉さんの進行方向から見て右手が車道、左手が畑地になっていた。畑には千葉さんの乗っていた自転車、リュックサック、携帯電話が落ちており、財布はリュックの中に残されたままだった。現場状況から、千葉さんは路面より1.5m程低い畑地に自転車もろとも転落し、犯人に追い回された後、自力で歩道へ這いあがったものと見られた。

大怪我を負った千葉さんは「いっぱい刺された。救急車を呼んでください」と通行人に助けを求めた。19時52分頃に通報し、駆け付けた救急隊員に「犯人は知らない男だった」と伝えており、病院に運ばれたがほどなくして息を引き取った。

 

■目撃情報

事件直前とみられるタイミングで、千葉さんに接触したとみられる不審人物が目撃されていた。体を大きく左右に揺らしながら「あほ、ぼけ」などと大声で怒鳴りつける男の姿が通行人に目撃されている。身長170~180cm、27~28cmの登山靴のような靴を履いた、黒っぽいズボンとスポーツジャンパーといういでたちで、同一人物とみられる男が周辺で複数目撃されており、中には「目の焦点が合っていない」とする証言もあった。

畑には多数の靴跡があり、犯人は逃げる千葉さんを追いかけ回したとみられ、刺し傷は19箇所にも及ぶなど執拗な攻撃性を感じさせる。男は「家庭用自転車」に乗っていたことから生活圏に暮らす住民とみられ、警察は当初、2人が接触した地点が歩道だったこともあり通行トラブルから犯行に至ったと見立てた。だが畑と植栽に挟まれて逃げ場がない歩道ではあるが、自転車のすれ違いが困難なほど狭いという訳でもない。

第一発見者によれば、男が歩道にしゃがみこんでおり、一度はそのまま通り過ぎたが30秒程して何か不審に思い、戻ってみると先程の男は自転車で西方向に移動したらしく姿は見えなくなっており、代わって千葉さんが畑地から助けを求めて歩道に這い上がろうとしていたという。(下は2009年12月時点のストリートビュー)

 

学友らは千葉さんは人から恨まれるような人物ではないと口を揃えた。「近所に住む人物」となれば地取り捜査ですぐに浮上しそうなものだが、75人体制で周辺4.5平方キロ(精華大前~木野~岩倉駅周辺エリア)にわたって徹底した聞き込みが行われたが、その後も被疑者は特定されなかった。

事件から約一年後のワイドショーで、ジャーナリスト大谷昭宏さんは、千葉さん本人には面識がない相手で、喧嘩や恋愛絡みといった人間関係はなく、一方的に恨みを抱いた片識(かたじき)の人物による犯行ではないか、と述べている。

 

■被害者とその後

京都精華大学は芸術系大学の中でも実技科目を中心とした日本唯一の「マンガ学部」を開設していることで広く知られている。2006年には市と共同で日本初のマンガ博物館を開館し、図書館として現代マンガの閲覧ができるだけでなく、明治期の雑誌や戦後の貸本資料、国外の名作などを希少な歴史資料として収蔵しており、「国際マンガ研究センター」が企画展示・研究を行っている。現役のマンガ原作者やクリエイター、出版現場を知る編集者ら多彩な講師を招き、作画力向上の指導だけでなく、マンガを描くために必要な教養、実践的なノウハウを学べる場としており、約7割の卒業生がゲーム、アニメ、マンガ、出版関係、広告、映像関係のクリエイティブ職に進路を決めている。

 

千葉さんは宮城県仙台市で母子家庭の長男として育ち、2005年3月まで通った県立高校では明るく穏やかな人柄で慕われ、水泳部の副部長を務めた。新聞配達をしながらの浪人生活を一年間送り、2006年4月にマンガ学部マンガ学科ストーリーコースに入学。「温厚なオーラ」で周囲を明るくし、だれからも好かれる「純朴な東北少年」だったと大学の同窓生らは語る。マンガ家を志して学友らと日々切磋琢磨し、創作活動のためになればと単身大阪まで取材に出掛けたり、指摘を受ければ苦手克服のために人知れず修練を続ける努力家の一面があった。

 

事件直後、報せを受けた千葉さんの母親淳子さんは新幹線で京都へ駆けつけたが、車中からの祈りも届かず大作さんは帰らぬ人となった。ショックで体調を崩してしまい一時は離職を余儀なくされた。その後、大作さんが遺した鉛筆書きの作品に鉛粉が消えてしまわないよう定着スプレーを吹きかけてファイリングしながら、息子の生きた証を一枚一枚守った。当時は作業に専念することで気が紛れた面もあった、と振り返っている。

家族と最後に過ごしたのは事件の一週間前、1月8日の成人式だった。地元の仲間と遊びたいという思いに後ろ髪を引かれつつも、翌日から授業が再開されるため、夜行バスで京都へ戻っていったという。バス停で見送ったばかりなのに弟は帰りの車で「会いたい」とすすり泣いており、メールでそのことを伝えると「おれも頑張るから頑張ろうね!と伝えておいて」と弟を思いやる返信があった。

淳子さんは仕事に復帰して生活を立て直し、小さかった弟妹らが日々成長していく一方で長らく「心は満たされない」状態が続いたという。だがそんなふとしたとき、「おれも頑張るから」という大作さんの言葉が思い出され、支えになってくれた。淳子さんは、大作さんについて「芯が優しく強い子」でしたと語り、下の子たちの世話や将来についても相談に乗ってくれる「とても大きな存在だった」という。

毎年、命日には京都の現場へ法要に訪れ、出町柳駅などで情報提供を募るビラ配りを続けてきた。10年程経って、弟たちも成人するまでは事件がついこの間のことのように感じられたと振り返る。息子のいなくなった現状を日常と受け入れつつも、「大作が何をしたというのか、なぜ殺されなければならなかったのか。犯人には一日も早く自首してもらい、息絶えるまで心から大作に詫びてほしい」という切実な思いは今も変わらない。

 

事件後、恩師や学友らが寄付を募り、「千葉君との出会いはマンガ」としてマンガ冊子1000部を作成し、千葉さんの人柄や事件の経緯を伝えた。「犯人はどこにいるか分からないので、全国の人に読んでもらいたい」と周辺地域だけでなく京都駅でも配布した。冊子の最後のページでは「犯人は何気ない顔をして日常にとけこんでいるつもりなのだろう」「皆さんのまわりに犯人は潜んでいるかもしれない・・・」「犯人を見つけるのは、あなたなのです」と読者に訴えかけている。

www.daisaku-kyoto.jp

 

https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20211214-OYO1T50012/

千葉さんと同級生だったマンガ家の榎屋克優(かつまさ)さんは、事件解決への願いと風化防止のために共にマンガ家を目指した学生時代をマンガにしてTwitter上で公開した。あえて美化せず、記憶にある等身大の千葉さんを自身の思いと共にありのままに描いた。

<マンガの才能は結局「マンガを好きでいつづける力」だと思う>と榎屋さんは語り、机にかじりついてマンガに打ち込んだ千葉さんの背中を思い出す。

<彼が生きていたらマンガ家になれていたかどうかはわからない>

<でも生きていればもっともっとマンガで喜び、マンガで苦しめるはずだった>

と突然に閉ざされてしまった「マンガ仲間」の将来に思いを馳せる内容となっている。

2021年末には大学で千葉さんが提出した感想文などマンガに対する考えや思いを記した文章が集められ、母許に返された。事件4日前の授業で提出した文章の中には「僕は大友克洋のようなリアルをもとめるマンガ家になりたいと思う。日常が書けるようにこれから努力していきたいと思います」と、夢と決意が綴られていた。母淳子さんは自分の知らない息子の一面に再会できたことを喜びながらも、読了したら長い物語が終わってしまうような寂しさも感じると語った。

 

 

府警によると、2022年まで延べ約6万2千人の捜査員を投入し、約1280件の情報が寄せられた。事件解明につながる通報には、最高300万円を提供する捜査特別報奨金制度が適用されている。

 

捜査本部フリーダイヤル(0120)230663

 

■『ルックバック』

2021年7月19日、『チェンソーマン』等で知られる藤本タツキによる143ページにわたる長編読み切りマンガ『ルックバック』が集英社Webマンガ誌『少年ジャンプ+』で公開された。従来の藤本ファンだけでなく強烈なメッセージ性と同時代性を備えることから多くのクリエイター、著名人らが反応しSNSを中心に大きな論議を巻き起こした(公開当初は全編無料で、2日間で400万PVを記録した)。

shonenjumpplus.com

小学校の学年新聞で毎週4コママンガを描いて周囲から賞賛されてきた4年生の藤野と、不登校の同級生・京本の出会いと別れを描いた作品で、設定は藤子不二雄による『まんが道』のごとく2人の若きマンガ家を主軸とした「マンガ家マンガ」である。登場人物のネーミングからも作者藤本自身の投影を想起させるが、記憶に新しい『京アニ放火殺人事件』(2019)や本事件からモチーフを得たと思わせる描写も数多く指摘されている。

小学校卒業を期に対面した藤野と京本が「藤野キョウ」のペンネームで二人三脚の創作活動をはじめ、アマチュアマンガ家として7本の読み切り掲載など『バクマン。』的な順調な滑り出しを見せたものの、高校卒業を期に2人の進路が分かれてコンビは解消される。藤野はペンネームをそのままに連載を開始してプロマンガ家の道へと邁進し、京本は「一人の力で生きてみたい。もっと絵がうまくなりたい」と山形市美術大学へと進学した。

しかし2016年1月10日、美術大学に侵入した不審者による大量無差別殺人事件が発生し、京本が殺害される。事件を知った藤野はマンガの道へと彼女を導いた自責の念に駆られる。その後の構造としては、京野が殺害された現実の世界と、藤野と京野が出会わなかったifの世界が分岐・並行して描かれ、藤野が連載した作中作『シャークキック』よろしく、「蹴って蹴って生き延びろ!」とリンクするように殺人犯を蹴り飛ばす「あり得たかもしれない未来」を創作する。

シャロン・テート殺人事件の並行世界に設定を置いた映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)での「事実」を創作物によって覆すメタ構造との類似性が指摘されており、繰り返される象徴的な構図や特徴的なコマ運び(時間経過や感情表現)も極めて映画的に描かれている。

タイトル「ルックバック」には、かつて藤野が京本に「私の背中を見て成長するんだな」と語ったように、「背中を見ろ」という直接的な意味合いと、「振り返る、回顧する」というダブルミーニングが含まれている。登場人物・藤野の回顧録の体裁でありながら、自立までの苦悩や努力、競争相手たる仲間たちへの嫉妬や共に過ごし得た喜びは同業者やクリエイターのみならず、多くの大人たちの胸に刺さった。

公開直後、作品について激賞した精神科医斎藤環氏は、犯人の人物描写について「ステレオタイプで済まされた」「アンチスティグマへの配慮を求めたい」と一方で苦言を呈した。通り魔は「元々オレのをパクったんだろ!?」という京アニ事件の犯人・青葉を思わせる台詞を吐いて犯行に及び、逮捕後の供述として、学内の絵から「自分を罵倒する声が聞こえた」と精神疾患を示唆された。「意思疎通が不可能な狂人」とした表現に対して偏見を助長ないし差別を定着させてしまうのではないかといった指摘があったこと等から、後の再配信版には一部修正が加えられた。

(後に「社会の役に立ってねえクセしてさあ!?」という台詞に改変され、こちらも「生産性のない奴は必要ない」と障害者差別を自認する津久井やまゆり園事件の植松聖死刑囚との類似が見られる。コミックスでは再配信とは更に異なる。)

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作者藤本タツキは敬愛する先輩マンガ家沙村弘明(『無限の住人』)との対談で「読み切りの制作」について「怒り」をモチベーションとしていることを公言しており、沙村は藤本の作風として王道的な物語から外れたこの先何が起こるか分からない展開の妙を挙げている。作中では世界的ロックバンド・オアシスの「Don’t Look Back In Anger」の暗喩も示唆されている。藤本本人にそうした実経験があるのかは不明だが、マンガやアニメ業界の先人たちへの敬意と共感、また不幸にして実際にそうした事件に巻き込まれてしまった人たちへの意思表示ともいえる稀有な作品となっている。

 

 

■所感とひらひらさん

本件は衝動制御障害などを抱えた精神病質者による通り魔的犯行だと筆者は考えている。精神障害者がすべからく言葉が通じない狂人だと捉えてはいけないし、合理的な判断力や自己統制機能が低くとも投薬治療をしていれば殺害に結び付くような加害・暴力衝動は制御された状態だとも認識している。しかし本件の特徴から見て、理性に基づいた犯行と考えるのは大いに難しい。

いくつか疑問点を挙げつつ、他の事件を参照しながら見ていきたい。

ひとつは、異常な執着で追い回した犯人の動機・目的である。執拗な攻撃を加えたにもかかわらず、息絶えるまで刺し続けたという訳ではなく、金銭や持ち物を奪ったり隠蔽工作もせずにその場を後にしている。被害者のダイイングメッセージからも見ず知らずの相手であることは明らかで、男は無差別に襲い掛かった。また凶器が刃物であることから、持参してきた可能性が高く、対象は無差別であれ行動に先立って何がしかの攻撃を目論んでいた(攻撃衝動を帯びていた)と捉えることも出来る。

致命傷を負わせながらも、奪う機会のあったリュックサックや金品、携帯電話などもそのまま放置していることから、強盗目的ではなく暴行自体が目的と考えられる。記憶に新しい無差別殺傷として、2021年10月に起きた京王線無差別殺傷では72歳の会社員男性が胸を刺されて重傷を負い、その服部容疑者が参考にしたという8月の小田急線事件では36歳男性が女子大生らを切りつけて10名が重軽傷を負うなど、いわゆる反社会性を暴発させた無差別殺人の場合、こどもや老人、女性や障害者といった「抵抗されるおそれの低い(自分より弱いとみなす)対象を狙う傾向がある。

だが千葉さんは温和な性格とはいえ20歳の男性で、すれちがいざまに殺意を抱く相手としては「難易度が高い」ように感じられる。そうした点でも犯人には理性的判断ができない(殺人犯に理性を求めるのもナンセンスではあるが)、あまりに衝動的に犯行に及んだ印象を抱かざるを得ない。

 

さらに移動手段の自転車である。京都市は観光用レンタルサイクルも普及しているが、目撃情報ではいわゆる「ママチャリ」とされ、おそらくは犯人の私物ないしは盗品と考えられる。1時間での走行距離がおよそ5キロとすれば、警察が聞き込みを行った半径4.5キロ四方という聞き込み範囲も妥当に思われる。周辺は繁華街でもなく時間帯から見ても「目的地」に乏しい。刃物を携帯して「攻撃性を帯びた犯人」が自転車で何十キロも離れた場所からトラブルを起こさずにここまで漕いできたとも思えない。確率的な面からしても、やはり地元の人間による通りがかりの犯行とみてよいのではないか。

 

最たる疑問はこれだけ特徴的な、近くで生活していたと思われる犯人が「なぜ見つからないのか」に尽きる。

たとえば長期未解決となっていた神戸市北区の住宅街で起きた男子高校生刺殺事件では、後に犯人自らが周囲の人間に殺害の過去を匂わせたことから通報・発覚につながって逮捕された。犯人は事件当時17歳の「元少年」で、青森県の高校で「交際相手の女子生徒と喧嘩になった別の女子生徒にカッターの刃を当てて脅す」などのトラブルを起こして退学し、犯行当時は親族の所有する神戸市の現場近くの一軒家に一時的に一人暮らしをしていた。犯行の動機は「男女が一緒にいる様子を見て腹が立った」などと供述。

地縁が薄く、学校や職場など所属する集団のない人物、しかも一人暮らしの未成年であったこと等から捜査の網をすり抜けてしまったと考えられる。犯行後は愛知県に移り、両親と共に生活してパート勤めなどをしており、家族が犯行を知っていたのかや愛知時代の詳しい生活状況は報じられていないが潜伏するでもなく何食わぬ顔で社会生活を送っていた。(ネット上で犯行に類似する内容の文章を公開していたとも報じられている)

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本件でも「引っ越してきたばかり」といったような、地元に「つながりの薄い住人が想像される。また地域住民から全く情報が出てこないとすれば、普段は施設や病院などで生活していて周知されてはいないが事件当時は一時的に帰省していた、あるいは別の地域で暮らしているが事件当時の短期間だけ京都市に滞在していたなどの“盲点”も十分考えられる。

また目撃情報で参考人の男は当時20~30歳代とされており、年齢からすれば親が存命だったとしてもおかしくない。同居する家族がいれば、返り血を浴びて帰宅した犯人を見てすぐにそれと判断し、逃走援助や犯行の隠避を試みてもおかしくはない。

 

どこか類似性を感じさせる犯人像として、2003年に愛知県名古屋市で起きた連続通り魔、いわゆる「ひらひらさん」事件が思い浮かぶ。

3月30日20時頃、北区東水切町の路上で「赤い自転車」に乗った中年女が若い女性二人組に声を掛け、看護師女性(22)が腹部を刺されて死亡し、一緒にいた友人女性のバッグを奪って逃走。

4月1日にも千種区日新通の路上で店員女性(23)が中年女性と揉み合いとなり左腕を切りつけられるなどの重傷を負い、バッグを奪われる事件が起きた。こちらも加害者は30~50歳前後の女で同一犯とみられ、「赤い割烹着」のような姿で派手な化粧をしていたという。

その後、同様の被害は途絶えていたが、8月28日に民家物置への侵入盗で守山区に住む伊田和代(38)が現行犯逮捕された。

伊田ネグリジェのようなドレスにハイヒールという泥棒らしからぬ装いで、自転車で4度も往復しては窃盗を繰り返す不可解な挙動をとっていた。窃盗現場周辺ではバラバラにされた大量の着せ替え人形やぬいぐるみ、ハイヒール、汚れた下着、生理用品などゴミ袋9袋に及ぶ大量の不審な不法投棄が確認されており、後に伊田の犯行と判明。家宅捜索を行ったところ室内は物で溢れかえり、中から血痕の付着した凶器の刃物や被害者の奪われたバッグが発見され、通り魔事件の犯人として再逮捕された。

伊田はクレーマー気質で近隣住民からはいざこざを起こすトラブルメイカーとして知られ、フリルの付いた派手な装いから「ひらひらさん」と呼ばれていた。雑誌などではホステス~ソープ嬢~愛人生活、霊媒師の実父とのトラブルといった彼女の半生がもてはやされて注目を集めた。元々周囲との人間関係に難があった伊田だが93年頃から抑うつ状態が深刻となり、以来投薬治療を続けていた。

伊田が幼い頃に家を出ていった実父は岐阜で霊能師として成功し、10万円の仕送りを続けていた。99年にその実父が体調を崩して入院し、見舞いに訪れた伊田はその後も実父の元へよく通うようになった。

02年8月、実父に愛人がいることが発覚し、実父に甘えられないのはその愛人のせいだとして衣類を燃やす騒ぎを起こした。実父から月30万円の仕送りを増額する代わりに父娘関係を断ち切られた。

一時は父と自分の愛人から併せて月50万円近い金銭援助を受けていた伊田だったが、服飾やアンティーク家具、人形のコレクションなどで散財し、生活に窮していたとされる。実姉とも折り合いが悪くなり、事件前には家族から見放されるようにして孤立を深めていた。

当初の犯行動機は金銭目的とされ、かねてより猟奇映画を好んでいたことなどから、「刺してイライラした気持ちを晴らしたかった」「幸せそうなお嬢ちゃんを狙った。不幸のどん底に落とした方がすっきりすると思った」等と供述した。精神鑑定では人格障害は認められるが善悪の弁識ができ、責任能力に問題はないとされ、裁判で無期懲役が確定した。

精神障害者にとって家族関係は生活するうえで大きな頼り、命綱であり、絶縁や死去といった関係性の変化は著しいストレスとなって症状に影響を与える。投薬や家族の支援等によって無害化された小康状態が保たれていたとしても、環境変化を引き金に暴力衝動へと走ってしまうことも当然ありうることをこの事件は示している。

(ここで言いたいのは「精神障害者は危険性が高い」ということではない。健常者であっても身内の死や関係性の変化は著しいダメージを伴う。どんな人間でもきっかけさえあれば事件の当事者になりうるのである)

 

また片識の犯人像として、名古屋市西区で起きた主婦殺害事件も想起される。現場となった被害者の住むアパート付近で負傷した犯人と思しき女の目撃情報、逃走途中の血痕などが見つかったがこちらは犯人特定・検挙には至っていない。

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本件が神戸市北区、名古屋市西区の事案と異なるのは、犯人の血痕等の採取について報じられていない点である。神戸の事件では裏取りの過程でDNA型が一致したことから逮捕に至ったように、犯人と直結する「指紋」や「DNA型」といった物証の有無が捜査の鍵を握る。仮にそうした犯人性を確定させるような物証が存在しないとすれば、「あほ、ぼけ」と怒鳴り散らすような該当人物がいたとしても検挙への道程は困難となる。

精神薄弱者などに対して強引な逮捕・起訴をしようとすれば、冤罪につながるおそれもある。仮に精神疾患などがあれば心神喪失により刑事責任に問えず、裁判で無罪となる可能性は高い。だがたとえそうであったとしても未解決のままの状態が許されてはならず、犯人特定に向けた府警の捜査・裏取りが地道に続けられていることを信じるばかりである。

あるいは精神疾患に原因を求めないとするならば、ドラッグ等の影響下で一時的な錯乱状態にあった可能性も大いに考えられる。そうした人物であれば日常的には奇行もなく、注意人物とはみなされずに社会生活に溶け込んでいるかもしれない。

 

母淳子さんは2023年の17回忌を一つの区切りとして、命日の法要を最後にすると話している。だがどれほど時間が経とうとも愛息を奪われた親の怒り、家族の悔しさが消える訳でも、夢に向けて走り出した最中突如として命を絶たれる非業の無念が晴れる訳でもない。何としても一日も早い犯人逮捕を願いたい。

 

被害者のご冥福とご遺族の心の安寧をお祈りいたします。

 

 

 

参考

青葉→植松→青葉、二転三転した「ルックバック」の修正とその反応 - 児童向けコラム | 障害者ドットコム

映画『LAMB』(2021)感想

ヴァルディミール・ヨハンソン監督の長編デビュー作『LAMB』について感想など記す。

2021年カンヌ映画祭ある視点部門で話題を集めた、超自然的存在と伝承的なフォーク・ホラーのハイブリッド作品である。ワールドプレミアに先立ち、『ヘレディタリー/継承』や『レディ・バード』などのヒット作をもつA24が配給権を獲得した。

 

 

LAMB』(2021・106min、アイスランドスウェーデンポーランド)

監督ヴァルディミール・ヨハンソン

脚本ショーン、ヴァルディミール・ヨハンソン

出演ノオミ・ラパス(ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女、プロメテウス)

  ヒルミル・スナイル・グズナソン(101レイキャビク、The Sea)

  ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン(The Northman)

 

監督を務めたValdimar Jōhannssonヴァルディミール・ヨハンソンは1978年アイスランド生まれ。『Game Of Thrones』のTVシリーズや映画『オブリビオン』(2013)等で電気技師、『ローグワン』(2016)や『The Tomorrow War』(2021)等では特殊効果技術を担当した。

共同脚本のSjónショーンは、Sigurjón Birgir Sigurðssonが自らのファーストネームから取ったペンネームで英語のsightと同義。ショーンは作家、詩人、作詞家として活動し、80年代からビョークの盟友として音楽活動や作品提供を行っていることでも知られる。

マリアを演じたノオミ・ラパスは、『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』(2009)のリスベット役で評価を高めたスウェーデン生まれの俳優で、本作では製作総指揮としても参加している。

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■あらすじ

第一章

アイスランドの荒涼としたツンドラ地帯、山間の僻地で羊飼いをしながら暮らすイングヴァルとマリアの夫婦。広すぎる家で夫婦は黙々と、憂鬱そうに日々の仕事をこなす。

「タイムマシンは原理的に可能だそうだ」と語りかける夫に、マリアは表情で「過去に戻りたい」とつぶやき、夫婦関係の不調を想像させる。

クリスマスの晩、二人は羊が産んだ「羊ではない何か」にアダと名付け、我が子として育てることを決心する。哺乳瓶や乳児ベッド、幼児服といった育児用品の存在は、かつて夫婦が幼な子を亡くした過去に由来している。

当初イングヴァルの中に受け入れがたい葛藤もあったが、妻が精神的安定を取り戻し、共に生活していく中で、いつしか愛おしさが芽生え、幸せな家族の時間を過ごすようになる。

 

一方、アダを産んだ母羊“3115”は引き離された我が子を探し回る。

あるとき部屋からアダが居なくなり、イングヴァルとマリアが必死になって探し回ると山中に“3115”とアダの姿を発見する。

「あっちへ行け!」

母羊を強く威嚇するマリアだったが、「再び」我が子が連れ去られてしまうのではないかという恐怖心が湧き上がり、ある晩、“3115”を撃ち殺して土に埋めてしまう。

 

 

第二章

そんなある日、借金苦で行き場をなくしたぺトゥールが兄イングヴァルたちを頼って訪ね、しばらく家に逗留することになる。

しかししばらくぶりに再会した夫婦が半人半獣と生活する様子を目の当たりにしてショックを受け、「こどもじゃない、動物だ」とアダの存在を拒絶する。しかしイングヴァルは、アダは(それまでの憂鬱な)夫婦の人生を変える天に与えられた機会であると弟を説得しようとする。

ぺトゥールはアダを夫婦がおかしくなった元凶と考え、夫婦が寝ている隙に、アダを屋外へと連れだす。その手には猟銃が握られていた。銃を構えたぺトゥールだったが、夫婦の気持ちを考えたのか、無抵抗なアダを前にその決心は揺らぎ、共に帰宅することを選ぶ。

 

第三章

丘の上の墓所で拝むマリア。墓標には亡き子の名前として「アダ」と刻まれている。

ぺトゥールはすっかりアダの存在を受け入れて叔父らしく振舞うようになり、漁をしに2人で湖へと出掛けていく。親しくなった2人の様子に安堵したイングヴァルとマリアも、夫婦関係を回復していく。

ラクターが故障し、徒歩で帰宅するぺトゥールとアダ。その夜、大人たち3人は酒を飲みながらハンドボールの試合やぺトゥールのバンドマン時代のビデオを見て大はしゃぎする。

その間、アダが戸外へ出ると「なにか」に出会い、一緒に暮らしていた牧羊犬が殺されてしまう。アダは何を見たのか、何があったのかを夫婦に語ることはない。しかし部屋に戻ると鏡で自分の姿を見つめ、寝室に掛けてある「羊の群れ」の写真を凝視する。

 

イングヴァルが酔って眠りにつくと、ぺトゥールはマリアに肉体関係を迫ろうとする(かつて男女関係であったことが2章で示唆されている)。拒むマリアに「母親が殺されたことをアダは知っているのか」と投げかけるぺトゥール。マリアが母羊を殺した様子を密かに目撃していたのである。しかしマリアはその脅迫に応じるふりをしてぺトゥールを物置に閉じ込める。

一夜が明け、マリアはぺトゥールを起こして車でバス停へと送り届ける。ぺトゥールも自らが夫婦の亀裂となる存在であることを自覚し、謝罪こそ口には出さないが後悔の表情で「出発」を受け入れる。邪魔者がいなくなったことで再び「家族の時間」が過ごせると期待しているのか、帰路でのマリアの表情は明るい。

 

目覚めると妻と弟、牧羊犬までいなくなっていることに気付いたイングヴァルだったが、アダを連れ立って昨日故障したトラクターの修理に出掛ける。

入れ違いに帰宅して、家にイングヴァルとアダの姿がないことに気付くマリア。玄関先に戻るとどこぞより不穏な銃声が鳴り響く。

撃たれたのはイングヴァル、そして彼を撃ったのは得体のしれない、しかし他でもないアダと同じ姿をした「ラムマン」であった。ラムマンはアダの手を引き、イングヴァルは引き留めようとするも適わない。連れ去られていくアダは動けないイングヴァルの方を物悲し気に振り返る。

マリアは草丘に倒れた夫を見つけ、「アダはどこ?何があったの」と叫ぶが返事はない。ひとしきり慟哭し、振り返ってしばし一点を見つめ、「大丈夫、きっと大丈夫よ」と自分に言い聞かせながら夫の遺体を抱きしめる。

白くぼやけた背景の中、マリアがひとり佇んでいるエンディング。物思うように、あるいは何かを決意したように、深くため息をついて物語は幕を閉じる。

 

 

■感想

原題のDÝRIÐはアイスランド語で「動物」の意味。

監督が幼少期に祖父母の許で羊の親子に魅了されていたことと、アイスランドの民間伝承との融合により、2009年にショーンと共同執筆を始める際には何か「生き物」が念頭にあったという。しかし監督自身はどのようにその生き物が生まれたのかは分からないと語る。

 

何も知らず映画を見始めると、アダはイングヴァルと羊との間にできたこどもではないかと誤解してしまう。見終えると、父親は「ラムマン」であったことが明かされるが、彼はどこから来たのか、どこでどんな暮らしをしているのかは作中ではヴェールに包まれたままである。異形でありながら大自然の守護者、神話的存在のようでもある。

ラムマンについて、古代ギリシャ神話に登場する牧神パンとの共通点が指摘されている。パンはアルカディア(牧人の楽園、理想郷)の山岳地に住んだとされる山羊の頭と下半身を備える半人半獣の姿をした自然神で、多淫な性格とされ性質を同じくする群れを形成することができ、「羊飼いにマスターベーションを教えた」「月の神セレーネを誘惑した」等の逸話が残る。

古代ギリシャ・ローマの歴史を記した紀元1世紀の学者プルタルコスによれば、第2代ローマ皇帝ティベリウス・シーザーの治世に「偉大な神パンが死んだ」旨が報告されたと記されている。この報告について現代では、神話的古代秩序の崩壊とキリスト教的新秩序の到来と解釈される。つまりキリスト教的視座からすればパンは「最後の異教徒」とみなすこともできる。

ダフニスを誘惑するパン像

18~19世紀には西ヨーロッパのロマン主義運動(文学・音楽・絵画等で巻き起こった自然の理想化や「反近代」が特徴とされる、直感的な独創性を追求した運動)や20世紀のネオペイガニズム運動(キリスト教以前の、前近代的異教研究・復興の動き)の中で、パン神もリバイバルされ大きな位置を占めた。

象徴派詩人ステファヌ・マラルメが半獣神が森でニンフたちと出会う場面を官能的かつ陶酔的に著した『半獣神の午後』(1876)、この詩に影響を受けたクロード・ドビュッシー管弦楽『牧神の午後』、この曲にバレエのシナリオを演出したヴァツラフ・ニジンスキーの作品は広く知られている。

 

主演のラパスによれば、ディレクターの多くはキャストにまずキャラクターの心理的・感情的視点から伝えようとするが、ヨハンソン監督のやり方はビジュアルから入るという。脚本に取り掛かる前に監督はラパスとビジョンを共有するため、子羊の頭を持った人間のこどものハイブリッドをスケッチして見せ、浮かんだビジョンをつなぎ合わせてストーリーの筋を組み立てていった。

制作段階でアダのコンセプトも当初想定したものとは変わっていった。

「彼女は話したり、もっとたくさんのことをしたりしていましたが、それがアダについての映画ではないことは明白でした。結局、彼女から多くのことを取り除いていき、そしてそれがどういう訳か、彼女の存在をより強くし、物語ははるかに良いものになりました」

ラパスも、アダのキャラクターがあまりないことで観客が「彼女」の余白を埋める効果を期待している。可愛らしいと感じる人もいれば、薄気味悪いと感じる人もいるでしょう、と。また撮影について、過去に子どもや動物と仕事をしたときの感触は好ましくなかったが、本作ではむしろ自分が何か大きなものの一部であるかのように思え、非言語的なリズムの中に没入していったと振り返っている。花冠を捧げるシーンではお互いの呼吸が合い、意思疎通ができているかのような魔法の感覚にあったという。

 

「それはまるでラブストーリーや夏の羽ばたきのようなものです。秋になると終わります」

ラパスは、マリアたちがアダと過ごした短い幸せを「借り物の時間」と表現する。自然の意志に逆らうことに躊躇しなかったマリアは、いつかその報いを受けること、その短い幸せに終わりが来ることを予感していた。だからこそマリアは夫の死体を抱えて遠く一点を見つめながら、以前のように愛するアダを探し出そうとは、夫の命を奪った何者かを追いかけようとはしない。ラスト・シーケンスは「マリアが生き返り、目覚めるまでの時間」だったのだと述べている。

 

本作は、俯瞰的に見れば禁忌を侵したことによる自然界の「業」を描くネイチャー・ホラーであり、人物に焦点を当てればマリアの「2度の喪失」の物語である。「1人目のアダ」の喪失によって、マリアはトラウマを抱え、ある種の精神的な混乱が「2人目のアダ」へとつながっていく。しかしラパスの見解を踏まえれば、いつのことかははっきりしないが「1人目のアダ」喪失からマリアはずっと精神的不調和の状態で生きてきたことになる。

その名の通り、マリアは聖母マリアを表しており、クリスマスに誕生した奇跡の子アダはキリストに由来する。古代ユダヤ教の習慣において「小羊」は生贄である(過越の小羊)ことから、キリストは人間の罪に対する贖いの存在として「神の子羊」と表現される。ヨハネによる福音書1:29では「Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, miserere nobis.(世の罪を除き給う天主の子羊、われらを憐れみ給え)」と祈祷され、ヤン・ファン・エイクによるヘントの祭壇画では、視覚的表象として使徒らに拝まれるキリストを子羊の姿で描かれている。

ぺトゥールが湖上の舟で「水上を歩く子羊」の詩を語り聞かせる場面があるが、ぺトゥールは「信仰の薄い人」ペテロを表している(マタイによる福音書14:27、マルコによる福音書6:48)。12使徒たちが湖の舟上で嵐に見舞われた際、イエスは湖上を歩き「安心しなさい」と語りかけるが、幻かと疑ったペテロは「主よ、あなたでしたら水上を歩いてそちらへ行くように命令してください」と訴える。イエスが湖を歩いて来るように命じ、ペテロは従って近づこうとするが暴風によって一抹の不安が生じ、溺れかける。イエスはペテロの手を取り「信仰の少ない人よ、なぜ疑いに負けたのか」と諭す。信仰の厚い者にとっては湖上を歩くことも、羊頭のこどもを授かることも「奇跡」として現実のものとなる。

 

余談だが中国題の『羊懼』が中国語で「男性器」を意味する「陽具」と同じ発音であることからネットミームとして拡散され、一部にはフロイト理論のエディプスコンプレックスに係わるPenis Envy(男性器羨望)の主張と絡めた考察もなされたという。

フロイトによれば、女性は発達段階で男根の欠如(去勢)を認識し、女性性(母親)への憎悪や価値低下、クリトリスへの諦めと膣性交による受動性の容認を経て、陰茎への羨望を出産への願いに変えるものとした。配給サイドが意図して陰茎とのダブルミーニングを用いたとは到底考えにくいが、映画の見方としては興味深いものがある。

牧歌的と表現するにはあまりに荒涼とした、物質的にミニマムでミニマルな暮らしが想像される僻地において、人間であっても「筋力に優れた牡」と「仔を産む牝」というような生物的な性差がより鮮明になる環境といえるだろう。

 

母羊のナンバリング“3115”は、旧約聖書・三大預言書のひとつエレミヤ書31:15を指している。

 15 主はこう仰おおせられる、「嘆き悲しみ、いたく泣く声がラマで聞こえる。ラケルがその子らのために嘆くのである。子らがもはやいないので、彼女はその子らのことで慰められるのを願わない」

引き離された我が子を探し、喚いていた母羊“3115”は、子を失ってからのマリア自身の姿でもある。続くエレミヤ書31:16では映画のその後の展開が示されている。

16 主はこう仰おおせられる、「あなたは泣く声をとどめ、目から涙をながすことをやめよ。あなたのわざに報いがある。彼らは敵の地から帰ってくると主は言われる。

はたして2度の喪失を受けたマリアは、それからどうしたものかは観客の想像に委ねられている。アダを失い、夫さえ失ってしまったマリア。頼る者もない厳しい環境で以前のような生活を続けるのは困難に思え、夫婦の侵した禁忌を共有するぺトゥールのもとに身を寄せるのが、経緯としては妥当にも思える。

だがマリアは(二者択一という訳ではないにせよ)過去にぺトゥールではなくイングヴァルとの結婚を選んでおり、現在のぺトゥールへの未練はないようにも見える。彼女が結果的に夫と2人のアダを失うことになった経緯を踏まえれば、もはや結婚という方法を選ばないことも充分に考えられる。現実的に見れば別天地での再スタートの方が甲斐性なしとの復縁よりは賢明といえるかもしれない。

しかしエンディングで何かを決意したかのようなその女の胸中は、この地に残り、アダの奪還を期する覚悟を決めたかのように見えなくもない。ヴァルディミール監督がどこまでエレミヤ書との符合を意図しているかは分からないが、続く31:17にはこう記されている。

17 あなたの将来には希望があり、あなたの子供たちは自分の国に帰ってくると主は言われる

 

映画『哭悲/THE SADNESS』感想

台湾発エクストリーム級ホラー映画『哭悲/The Sadness』(2021)のあらすじ、監督・キャスト、感想など。

“ちょっと普通じゃない”脅威的なホラー映画なので、過度の暴力やスプラッター描写が苦手な方は見ないことをおすすめします。自発的にスナッフフィルムを漁っているタイプの方にはおすすめしたい作品であり、簡潔に言えば「大切な人には絶対見てほしくない」タイプの鬼畜映画です(褒め)。

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下は日本版予告。わずか15秒ですが本編の8割がバイオレンスとスプラッターで構成されているので、一見すると極力刺激を排除した「良心的な広告」のようにも思えますが、「へぇ、台湾ホラーか~」と初見の中華料理屋にでも入るような感覚でうっかり劇場を訪れると向う脛をへし折られたり、吐瀉ったりしかねない「危険なトラップ」にもなっています。

 

本作は第48回スイス・ロカルノ国際映画祭、第25回モントリオール・ファンタジア国際映画祭オースティン・ファンタスティックフェスト2021、第54回シッチェス・カタルーニャ国際映画祭など各国のジャンル映画祭を席巻。三池崇監督、寺田心主演『妖怪大戦争ガーディアンズ』とともに2021年のホラー映画界で極めて高い評価を獲得しました。

 

■あらすじ

物語の舞台は、一年以上にもわたって謎の感染症“アルヴィン”ウイルスへの対応に追われてきた台湾。不満を抱えた市民の間では「実はウイルスは存在しない」といった陰謀論まで囁かれ、当初の警戒感が解けてしまっていた。

主人公は台北で同棲中の若いカップル、写真家見習いのジュンジョーと会社勤めのカイティン。ジュンジョーがスマホで眺めるウイルスの動向に関するニュース動画では、研究者が「ウイルスの突然変異」を懸念し、国の防疫体制の遅れを批判している。親しい隣人は「体の具合はよくないが、病院で待たされるのはごめんだ」と院内感染を危惧しているかのように語っている。

 

いつものように朝ジュンジョーがカイティンをバイクで駅へと送る途中、血まみれの事件現場に遭遇する。このとき2人がそれと気付いていたかは分からないが、すでにウイルスの変異と感染爆発は始まっていたのである。

帰りがけにジュンジョーがなじみのファストフード店に立ち寄ってみると、錯乱した老婆が店主に襲い掛かり、目の前で人々が次々と豹変していく。バイクで逃げのびたジュンジョーだったが、部屋に帰ると隣人もすっかり変調をきたしており、植木ばさみでジュンジョーの指を切り落とす。町中で人々が暴徒化し、殺し合いを始めており、愛するカイティンの身にも危険が迫っていることを予感させた。

ウイルスは人の脳に作用して凶暴性を助長し、感染者たちは衝動を抑えられず思いつく限りの残虐な行為を行うようになり、ゾンビのごとくセルフコントロールが効かなくなりレイプを繰り返して増殖を続ける。暴力衝動から逃れられないことに対する罪悪感の表れなのか、嬉々として暴虐のかぎりを尽くす感染者たちの目には涙が溢れている。

 

電車で読書をしていたカイティンは隣席の中年ストーカーに声を掛けられ、不快感に思って席を外す。すると同じ車両にいた男が刃物で次々と乗客たちを刺し殺し始め、襲われた人々もすぐに別の人間に襲い掛かり、たちまち車内は阿鼻叫喚の殺戮が繰り返される。カイティンは目を負傷した女性を支えながら停車駅へと逃げのびるが、そのあとをウイルス感染したストーカー中年が延々と追いかけてくる。

 

狂気に蹂躙された世界で離ればなれとなり、生きて再会を果たそうとする男女。感染者の殺意から辛うじて逃れ、数少ない生き残りの人々と病院に立て籠もるカイティン。連絡を受け取ったジュンジョーは単身で彼女のいる病院を目指す。

 

■監督

監督、脚本はカナダ人のRob Jabbaz(ROB JABBAZrob jabbaz - YouTube)。

独学でアニメーションを学んだといい、初期の公開作品にはホラー要素はほとんど見られません。これまではサウンドクリエイションやアニメーション作品を中心にミュージックビデオなどを発表していました。

Rob Jabbaz - Yamaha Majesty from Rob Jabbaz on Vimeo.

 

Bei Hai / 北海‬ (animation Rob Jabbaz. music Howie Lee) from Rob Jabbaz on Vimeo.

 

ERA from Rob Jabbaz on Vimeo.

 

台湾へ移住後、2020年に発表されたショートSFフィルム『Clearwater』が高い評価を得ます。内容は、人知れない源流へと避暑に訪れた女性が、蚊を媒介として「得体のしれない何者か」と出会ってしまうホラームービー。

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台湾のMachi Xcelsior Studios(『月老 Yue Lao』『複身犯 Plurality』)が同作を高く評価し、初長編実写となる『哭悲』制作へとつながっていきます。

 

映画ドットコムの記事で、ジャバス監督はフェイバリット監督としてクローネンバーグ、日本人では『渇き。』などで知られる中島哲也、『TITANE』で高い評価を得たジュリア・デュクルノー、観客を混沌へと導くサフディ兄弟(『グッド・タイム』『アンカット・ダイヤモンド』)の名前を挙げています。

eiga.com

通りで理性を逆撫でする訳だ・・・といったセンスを感じさせてくれます。

 

■キャスト、予告編

主演を務める雷嘉汭(Regina Lei)は2000年台湾出身の俳優。10代からCMやMV出演などで活躍し、2020年にオンライン小説を原作としたサスペンスホラーのオムニバスドラマ『76号恐怖書店』に小敏役として出演。22年11月にはLing Jing原作のサイキックホラー映画『Antikalpa』が待機しています。

恋人役の朱軒洋(Zhu Xuanyang)は1999年台湾出身の俳優で、同じくCMやMV、TVドラマなどで活躍する気鋭の若手俳優のひとり。高校バスケを舞台とした青春映画『The Second Harf』ではスター選手姜桐豪役を演じ、国内の映画新人賞、助演男優賞を獲得。22年公開を控えている柯震東監督『黒的教育(Black Education)』では主演を務めています。

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台湾版予告。本国での公開は2021年1月22日。

 

下↓は過激な暴力表現が含まれるレッドバンド予告。

 

 

 

■感想

ポストコロナ時代の「感染」をシンプルに「暴力スイッチ」に擬えたノンストップ・ウイルス・ホラーで受け入れやすい導入部でありながら、徹頭徹尾ヴァイオレンス描写極振りの姿勢を貫いたことに最大級の賛辞を送ります。

従来の「ゾンビ映画的」な脆さとして、感染者の知能や運動能力の低さ、そしてホラーマニア以外には意味が分からない数々の「お約束」などがあり、人によってはそれらの醸し出す極限下に似つかわしくない馬鹿馬鹿しさを愉しむ好事家もいるかと思います。ですが『ナイトオブザリビングデッド』誕生から早や半世紀、金字塔へのリスペクトやオマージュの数々、そうした法則性こそがゾンビホラーを「ジャンル化」させてしまう枷、負の側面につながっていることへ個人的には不満を抱いていました。

言うまでもなくゾンビには近代的「大衆」の隠喩が込められており、本作においても感染者たちは「意味もなく」衝動的に殺戮を繰り広げます。一方で、ロメロ的ゾンビに比べると「衆愚性」は薄れ、本作の感染者たちは感染前の記憶や知性が残存しており、暴力や強姦をしながら同時に号泣するという惨憺たる感情を表現しており、文字通り「哭悲」がタイトルとされています。モンスターでもクリーチャーでもなく、「善良な市民」という下敷きの上に「ウイルス」が作用しています。

現代映画における「大衆暴動」「衆愚」の代名詞はもはやゾンビのものではなく『JOKER』に見られるような先鋭化した下層市民、偏向したネット世論に突き動かされた盲目的な陰謀論者たち(Qアノンなど)に代表され、大衆そのものの意味とは解離しています。彼らはその信条を疑うことなく、彼らの頭の中では極めて「理性的に」反社会性を表明して暴力へと加担するのです。

不随意に、自身の記憶や感情とはアンビバレンスなかたちで暴徒化を余儀なくされる本作の感染者たちもまた一般市民ですが、性暴力を併記することでより原始人に近い、「動物的」な生命体として、理性ではどうにもならない感情のやり場のなさを描出することに成功しているといえるでしょう。

「ゾンビ化」は元の理性的人間へと還ることのできない不可逆性を以て、その暗い未来を暗示しており、本作でも俄かに踏襲されています。「涙」という記号的な「感情」は残しつつも、もはや自らの意志では抑制が効かない暴力性は、もはや人間が生まれながらにして背負う「原罪」のようにも感じられました。そうした意味では日常生活やSNS上で何気なく取った自分の行動や発言が、意図せずとも誰かしらを傷つけてしまう(自ずと暴力性を帯びてしまう)ことともどこか重なるような気がします。

延々と繰り返される、逃れることのできない暴力の連鎖の果てにみなさんは何を感じたでしょうか。

 

栃木県日光市フランス人女性行方不明事件

2018年(平成29年)夏、栃木県日光市で発生したフランス人女性の行方不明事件について記す。

日光は東京から約150キロ離れた山間の町ながら日光東照宮などの世界遺産を有し、国内外から年間1200万人(当時)が訪れる観光地として広く知られている。女性は日本語を独学し、単身で来日。日光を皮切りに約半月かけて本州各地を巡る観光計画を練っていた。

現在も行方は分かっておらず、事件に巻き込まれたのか、水難などの事故が起きたのかもはっきりしていない。

 

情報提供は

日光警察署 0288-53-0110 まで

 

■消えた旅人

2018年7月29日(日)、栃木県日光市を観光で訪れたフランス国籍で教員補助Tiphaine Véronベロン・ティフェンヌ・マリー・アリックスさん(36)の行方が分からなくなった。

ベロンさんは27日夜に来日し、成田空港から東北新幹線などを使って28日に日光入り。夕方4時頃、市内のホテルに2泊の予定でチェックインし、スマホアプリで家族へ日光のランドマークである「神橋」付近で撮ったムービーを送るなどしていた。夜に600メートル離れた大通りのコンビニへ買い出しに行ったことも分かっている(画像右上)。

 

身長162センチで体格は中肉、目はグリーンアイ。髪は茶色で、後頭部で束ねていた。当日の服装(画像右下)は白色系のノースリーブ、ベージュの短パン(バミューダパンツ)の軽装で、普段使用していた靴は薄いピンク色の柄物キャンバススニーカーだった。

 

行方不明当日となる29日にホテルの「食堂」で朝食をとる彼女の姿をフランス人やドイツ人旅行者ら5人が目撃しているが、10時頃に外出して以降、消息が途絶えた。30日のチェックアウト時刻を過ぎても戻らないことから、ホテルのオーナーが警察に通報。8月1日、ベロンさんの家族は在日フランス大使館から連絡を受けて事態を知らされた。

 

■不安

ベロンさんは1982年7月、レンヌ生まれ。84年からポアティエに移り住んだ。美術史の学位を取り、障碍児教育の助手を勤めていた。外国のアートや文化に親しみ、ロシア語や日本語を独学。また発作を伴なう持病(てんかん)があり、薬を服用していた。

 

8月4日、一家が来日。部屋には、キャリーバッグや着替え、パスポート、処方薬など荷物の大部分が残されており、ショルダーバッグ、財布、携帯電話といった手荷物と青色のポンチョだけを身につけていたとみられている。世話になった日本人に渡すつもりで母国から手土産まで持参しており、万が一の発作に備えて持病の説明が付された冊子も部屋に残されたままとなっていた。

8月6日、ポアティエに残っていた母アン・デサートさんはマクロン仏大統領に捜査を懇願する手紙を送る。妹シビルさんはベロンさんの写真を公開して情報提供を求めた(9月9日から付近で撮影した動画等の提供を呼び掛けている)。7日にはローラン・ピック駐日仏大使が栃木県警や県庁を訪れ、捜索への協力を要請した。

 

県警は事件と事故の両面から捜索を開始。10日、80人体制で憾満ヶ渕周辺、ドローンや警察犬を動員して対岸にある鳴虫山での遭難を想定して捜索を行った。13日、滞在した部屋でルミノール反応を検査したが、事件性を示す痕跡は確認されなかった。

ベロンさんは5年前に東京を訪れたことがあり、今回の旅では7月27日から8月15日まで日本に滞在する計画を立てていた。

30日に日光を離れ、青森県弘前市へと北上し、岩手県奥州市宮城県仙台市福島県会津若松市(角館)と東北各地を巡り、そのあと京都、神奈川へ向かう旅程がメモに残されていた。また各ホテルの宿泊代金は事前に支払い済みだったとして、兄は自発的失踪はありえないと話している。

憾満ヶ淵

周辺では危険を冒して写真を撮る旅行者の姿も

宿泊した施設は駅や東照宮から徒歩10分圏内にあるホステルで外国人利用者も多い。大通りからはやや外れた住宅地にあり、谷の麓に位置することから、夏場は木立を隔てて大谷(だいや)川のせせらぎや涼風を味わうことも出来る。

宿泊先のホテルから、地蔵が並ぶ人気スポットの憾満ヶ淵までは大谷川を挟んでおよそ500メートル。ルートは整備されているが付近から岩場や河川敷に降りることも可能で、フェンスなども少ないため転倒・転落事故が危惧されるロケーションである。中には岩場でセルフィ―を撮る旅行者の姿もあった。折しも行方不明当日は台風12号の影響で増水しており、一歩足を滑らせれば流されてしまう危険も考えられた。

 

テレビ朝日系『スーパーJチャンネル 追跡!真実の行方』で、現場を訪れた元兵庫県警の飛松五男氏は、見通しの利く散策ルートの状況などから「流されていれば絶対に分かる。すぐに通報が入る」と断言する。

仮に転落時、周囲に誰もいなかったとしても、下流には一日中多くの人がカメラを構える「神橋」や車が途絶えることのない日光街道があるため必ず人目につく、「発見されていないということは、流された可能性がないと言ってもいい」と述べている。万が一押し流されてしまった場合も、日光街道からさらに下った発電所の取水堰にある格子に引っ掛かるはずだと述べている。

神橋のすぐ下流に取水堰がある

直筆の旅程メモ。利用可能時間や料金が記されている。

ベロンさんのメモに大きく書かれた「影向石(ようごうせき)」は、瀧尾神社にある弘法大師ゆかりの拝み石である。境内入り口には日本語で書かれた掲示があり「案内を口実に女性に近づくものがおります」と不審者への注意を呼び掛けていた。周辺では付きまといや車へ乗せようとする不審者事案が報告されていた。

この不審者に関して「青い車」の目撃証言がある。兄ダミアンさんがSNSで行方不明当時の付近の情報を収集していたところ、29日15時頃にアメリカ人旅行者が撮影した瀧尾神社の写真の中に一角、駐車場の位置に「青い車」が写り込んでいた。

ダミアンさんは「(不審者情報の)看板を見てぞっとしました。妹は日本が安全な国だと思い込んで誰かについていったのかもしれません」と不安を募らせる。

 

また市内各所にベロンさんの情報提供を求めるビラが貼られているが、瀧尾神社に貼られた2枚は人為的に破られたような形跡があった。

現場を訪れた飛松氏は、選挙ポスターが敵陣営によって剥がされることを例に挙げ、「行方不明に関係ある者が剥がした可能性がある」と指摘。「瀧尾神社で連れ去られるなりした可能性がある。事件として捜査すべき」と述べている。

 

■家族による捜索活動

家族は日本の警察が事件捜査に積極的でないことを鑑み、本国に戻ってからも国を動かすべく様々なアピールを行った。

2018年10月17日、訪欧した安倍晋三首相(当時)とマクロン大統領が会談。フリー記者として会見に参加した妹シビルさんは捜査協力を直訴した。

11月2日、家族はアジアを担当する外交副顧問アリス・ルフォ氏と面会し、日仏の捜査連係を求めた。

10日、地元ポアティエで捜査要請を求める街頭行進が行われ、市民500人程が参加した。

ポアティエで捜査要請を求めるシビルさんたち

その後も家族は度々日本を訪れ、支援の要請、警察や大使館との会合、現場調査や周辺での聞き込みを続けてきた。

2018年10月26日に行われた大規模捜索では、水深の浅い一帯を歩き回るダイバー隊や遠巻きに付近を漂うヘリコプター捜索に対して、ダミアンさんは痺れを切らした様子だった。

2019年5月8日、ダミアンさん、シビルさんは山岳救助隊5人を帯同して来日。ダミアンさんは「両親は精神的にかなりつらそう。兄妹だけでもできる限り望みを持つようにしている」と不安と希望の交錯する家族の胸中を語った。

「川で何かがあった可能性を潰したい」と出水前の大谷川を中心に10日間の捜索を行う。これまでの県警の調べや地元住民の協力、励ましの声に感謝を示しつつ、「もう一度新たな視点で見つめ直してもらいたい」と捜査方針の転換を呼びかけた。

 

19年2月、SNS上ではDRAWING FOR TITIキャンペーンによりデザインイラストを募るなど、事件の風化阻止と捜索要請のアピールを続ける支援者たちの熱意をつないだ。

11月、支援団体UNIS POUR TIPHAINE創設。家族は4年間でおよそ7万ユーロ(940万円相当)をかけて日仏の弁護士、私立探偵(元憲兵で多くの難事件を解決に導いたプロファイラーとして知られるJean-François Abgrall氏)らに調査を依頼した。事故の可能性は低いとの見方を強め、日本の警察に積極的な犯罪捜査を要請するために現在フランス司法への働きかけを続けている。

女優ファニー・アルダン氏は捜索に要する渡航費などの支援を募るUNIS POUR TIPHAINEの動画に声の出演で協力している。栃木県内のフランス人留学生らは通訳やビラの配布などで現地サポートを行い、東京のフランス人コミュニティでもガレージセールやチャリティイベントを開催して事件の風化阻止と経済的支援を呼び掛けている。

 

日本でコンサルティングを依頼された小川泰平氏は「自分に直接関係ない情報というのは記憶からどんどん抜け落ちていく。捜査方針によって貴重な証言を得る機会が失われた可能性がある」と事故の見方が強かった初動捜査のミスが長期化を招いていると指摘する。家族の証言通り、事故や自殺の線はないと断言し、拉致監禁されている可能性を示唆した。

日光到着から行方不明までのベロンさんのGPS動線

上は27日から28日にかけてのベロンさんの携帯電話GPS動線。川を渡って一度憾満ヶ淵に立ち寄ったかのようにも見えるが、11時34分に周辺でぷっつりと通信が途切れている。

携帯電話事業Free創設者Xavier Nielの調査協力によれば、ベロンさんの携帯電話はボタン操作による通常の電源切断ではなく、バッテリーが引き裂かれたか、破壊されるなどして「激しく切断された」ものとされた。

 

2021年6月16日、捜索隊50人で行われた6度目の大規模捜索では大谷川にダイバーを投入。河川敷での捜索に加え、上空からヘリコプターも動員した。栃木県警では3年間でのべ6900人を動員して捜索を行ってきたが有力な手掛かりや情報は得られていない。

家族らは誘拐・監禁との見方を強めており、日本の警察が「行方不明」事案として通信記録の開示請求、単なるヒアリングではない事情聴取などの強制捜査を行っていないとして憤りを募らせ、フランス警察による現地捜査を望んでいるとも現地記事は伝えている。

日本のテレビには「日本が好きだったベロンさん」について語り、警察や支援者への協力を感謝する兄妹の真摯な姿が映し出されるが、意思疎通はもちろんのこと、人権意識などの文化的な齟齬、法的に立ちふさがる障壁や日仏間に横たわる外交関係など多くの困難に苦しめられている。

 

フランス人ジャーナリストLénaMaugerと彼女の夫で写真家のStéphaneRemaelによる共著『Les Evaporés du Japon(日本の蒸発)』(2014)の中で、「切腹」が武士の名誉を守る手段として尊重されてきた歴史のごとく、日本人は経済事情による屈辱に甘んじるよりも人生そのものを放棄する「夜逃げ」や自殺を選択する風潮が指摘されている。

そうした文脈から、日本の警察は成人の自発的失踪、蒸発を「尊重」し過ぎるあまり、ヨーロッパ諸国の捜査に比べて極端に消極的だとする主張もある。

 

 

■所感

ベロンさんは慎重な性格で、自ら危険を冒すような真似はしないと家族は主張する。川が増水していれば余計に川縁に近づくことはなかったかもしれない。

一部には宿泊施設の関係者に疑いの目を向ける声もあるようだが、営業時間中に拉致監禁や被害者を移動させることが可能だったとは思えない。

また寺社仏閣、山や自然公園など観光地での声掛け事案は日光に限らず全国的に発生しており、旅行者の警戒心の低さに付け込む不審者も存在する。「車で目的地まで送っていこう」等と声を掛けられ、親切心との誤解を招いて連れ去られたことが危惧される。

本格捜査の拡大、そして一刻も早い女性の発見を願っている。

 

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■〔2022年11月追加〕

2022年11月、兄ダミアンさんらが来日。日光署のこれまでの捜索に謝意を示すとともに、改めて今後の捜査協力を要請した。新型ウイルス感染拡大の影響により日本での捜索活動はしばらく中断していたため、今回の来日は3年ぶりのものとなる。

12月15日頃まで滞在し、以前に貼った情報提供を募るチラシが古くなっていることから貼り替えなどを行い、これまで手付かずだった中禅寺湖方面での捜索活動を行うとしている。

 

またFNNでは、事件当日7月29日のベロンさんのスマホの通信記録を入手した。

公開されたデータはフランス語で書かれており、宿泊先のWiFiを使用して接続された11時28分から40分までのグーグルマップの利用データである。フランス語であることからもFNNが記録を採取した訳ではなく、ダミアンさん側からのリークと思われる。

読み取れるところでは、11時30分頃に「仙台駅」「若林区」「仙台駅から山寺(立石寺)のルート」「日光の宿泊先から山寺へのルート」「太白区周辺」「宮城野区周辺」など仙台方面を確認。11時34分には日光の「憾満ヶ淵」、東照宮のある「山内」、宿周辺の「本町」を確認していた(地名はすべてローマ字)。

このデータから分かることは、宿泊先の主人による10時頃に出掛けたという証言は誤りで少なくとも11時40分までベロンさんは宿に残っていた可能性が高いこと。8月6~8日に仙台を訪れる予定だったことを鑑みれば三者による操作ではないと推測される。時間の記憶違いや人違いの可能性も大いにあるため、主人が「嘘をついている」とは断言できない。

 

朝食を終えたベロンさんはすぐに外出しようとはしていなかったことはほぼ間違いない。だがその日に向かう日光周辺の場所やルートを確認するのは分かるが、なぜ1週間後に訪れる仙台方面の地図を確認したのか。

考えられる状況としては、ベロンさんが日本での旅程を総ざらいするように再確認していたが、通信データが公開されていないだけの可能性がある(今回公開されたデータは約12分間の文字列27行のみ)。たしかに来日して間もないことから旅程の組み直しや再確認の必要があったかもしれない。だが各地の宿代は事前に決済しており大幅な変更は難しく、いずれも数秒~数十秒程度の極めて短時間の操作なのである。

 

筆者の憶測を述べれば、ベロンさんはこのとき今後の旅程について第三者に話をしていたのではないかとみている。自室に戻ったのか、あるいは旅館内の別の部屋に行ったのかは分からない。旅行客かスタッフか、「これからどこへ行くんだい?」と声を掛けられマップを見せながら会話を楽しんでいたのではないか。しかし相手は彼女の行き先には興味がなく、「近くを案内するよ」と連れ出した場面が想像される。

今回の捜索で彼女の無事が確認されることを、せめて悪い推測を拭い去る手がかりが発見されることを願っている。

 

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〔2023年7月21日追記〕

前年の中禅寺湖捜索では有力証拠の発見には至らず、依然として安否の知れないまま、行方不明からまもなく5年目を迎える。

兄ダミアンさんと妹シビルさんはフランスで多くのメディアに登場し、日本では失踪者が多く警察は事件捜査をしようとしないこと、携帯電話のデータ収集といった要請を拒否されたことへの不満を語り、私設調査について部分的に結果を公表しながら世論を喚起してきた。

2022年6月、事件発生からそれまでの独自調査をまとめた『Tiphaine où es-tu ? - La vérité sur la disparition de Tiphaine Véron au Japon(ティフェンヌはどこへ?——ティフェンヌ・ベロン日本失踪事件の真相)』を上梓。

ダミアンさんが妹の宿泊先での現場検証に立ち会った際、壁一面に飛散した血痕を思わせるルミノール反応を目にしたが、警察は充分な説明を行わずに血痕とは認めなかったことや、宿泊先の経営者夫婦は挙動不審に見え、自分たちを避けたがっているような印象を記した。既述のように事故の可能性は低く見え、事件性を感じさせる要素があるとして仏ポアティエ当局による日光での捜査を訴える内容である。

Tiphaine où es-tu ?

家族は膠着した捜査状況を解消するため、国連でもスピーチを行ってきた。拉致問題などを扱う強制失踪委員会から日本の警察に対して緊急措置として情報提供などを要請してきたが回答が得られず。2023年春、委員会は日本政府に対して強制失踪条約に基づき、「事件性が疑われる行方不明事案」として犯人特定に向けた事件捜査、家族やフランス当局に情報提供をするなど最大限連携するよう要請した。

令和5年7月19日(水)午後 | 官房長官記者会見 | 首相官邸ホームページ

7月19日午後の定例会見で、松野博一官房長官は委員会からの要請があった事実を認め、「政府としては然るべき回答を行っている。栃木県警において事案の認知当初から事件・事故の両面から不明者の捜索を行っているところであり、引き続き、発見に向けた捜索等が行われると承知している」とコメントした(8分43秒ごろ~)。

事件性に関しては、外務省を通じて4月までに「第三者が関与した情報は今のところ確認されていない」と回答していた。

 

 

参考:

◆支援団体unis pour tiphaine

https://www.unispourtiphaine.org/

 

津山市主婦行方不明事件

2002年(平成14年)、岡山県津山市で発生した主婦の行方不明事件について記す。

事件後、関与が疑われる男女2名が死亡したことから捜査は手詰まりとなり、20年経った現在も不明者は発見されていない。

www.pref.okayama.jp

事件について情報をお持ちの方は以下に提供をお願いします。

津山警察署 0868-25-0110

岡山県警捜査第一課 086-234-0110

 

■妻からの電話

平成14年6月3日(月)昼頃、岡山県津山市弥生町に暮らす主婦・高橋妙子さん(54)の行方が分からなくなった。

夕方17時半頃、夫で医師の幸夫さんが勤務先の病院から帰宅すると妻は不在だった。手付かずの昼食が残されており、テレビは点けっぱなし、風呂場の水道は出しっ放しといった状態に当惑していると、ほどなくして妻・妙子さんから自宅に2度に渡って電話が入る。

「もしもし妙子ですけど」

慌てる幸夫さんに「6時頃までには帰ります。身の危険はないから心配しないでください」と落ち着いた様子で話す妙子さん。

「どこにおるん?」と尋ねると「車でぐるぐる連れ回されて、いまちょっとどこ行っているか分からない。多分岡山くらいだと思います

「連れ回されとん?だれに?」と聞くと、「警察には言わないでください。お願いします」と返答があり、そこで電話は切れてしまう。

はたして妙子さんは帰宅せず、幸夫さんは19時頃に警察に届けを出した。

岡山県警HP〕

同じ3日12時頃、妙子さんは両親に連絡を取っていた。

「お父さんに世話になったという男女2人連れが家に来ている」と話し、「会いたがっているので住所を教えた」と伝えていた。2人について「中年男性」と「若い女性」で「お父さんと娘さんのようだった」と話していたが、その後両親のもとにそうした客人が訪れることはなかった。

また妙子さんの財布は自宅に残されていたが幸夫さん名義のキャッシュカードだけが持ち出されていた可能性が高いとされ、同日中に預金のほぼ全額に近い現金およそ700万円が引き出されていたことも判明する。現金は3日13時半頃に津山市内のJA、夕方に岡山駅周辺のATMから計11回に分けて引き出されていた。

防犯カメラ映像により現金を引き出したのは妙子さんではなく、白いシャツに白いチューリップハットをかぶった若い女と判明する。津山市内で引き出しが行われたキャッシュコーナーは卸売市場の目立たない位置にあることから、女は土地勘のある人物とみられた。津山署は捜査本部を設置し、犯人の特定を急いだ。

 

■疑惑の男女

事件のあった6月3日朝に幸夫さんの勤務先病院に中年男性が訪れ、「高橋先生のお宅はどちらでしょうか」と問い合わせていたことが判明する。受付職員は男に住所を伝えてしまい、後から不審に思って高橋さん宅に電話で確認した際には、客人は来ていないとの返答だった。

6月8日より妙子さんの公開捜索開始。13日には県警HPで防犯カメラに映った女の顔写真を公開して情報提供を呼び掛けた。15日、津山・岡山市内で立て看板の設置やビラ配布、各地域回覧板などによって事件の周知と男女の身元の割り出しを急いだ。

18日、個別の事件としては異例ともいえる緊急署長会議が開かれ、県内23署の署長、犯罪対策官ら55名が出席して捜査の進捗状況などが確認された。緊急性がある事案として、周辺各県へ5万枚のチラシ提供、コンビニへの配布などが要請されることとなる。

21日、女は捜索願が出されていた鳥取県智頭町芦津在住の会社員(「スーパー店員」とも)吉田好江(33)と判明し、窃盗の容疑で引き続き捜査を行った。吉田は事件翌日の4日にもATMから現金の引き出しを行おうとしていたが、盗難届が提出されたことで取引が停止されており、ATM機にカードを回収されていた。カードに残された指紋が吉田のものと一致し、22日に全国に指名手配が行われた。

 

また日頃からパチンコ店などで吉田と一緒に遊興していた岡山県奈義町出身の元タクシー運転手男性(52)がマークされる。22日には任意での事情聴取も行われ、県警による身辺捜査が続けられていた。男は吉田に鳥取県智頭町のアパートを紹介し、吉田の自動車を売却する際にも工場との値段交渉を任されるなど親密な間柄と思われた。しかし男は事件への関与を否定し、周囲には警察に疑われて困っていると話していた。

24日早朝、家族に「仕事に行ってくる」と言い残し、津山市の鶴山(かくざん)公園の桜の木で首を吊って死んでいるところを発見される。同日行われた家宅捜索で、家族に宛てた遺書が複数見つかっている。

男の軽自動車からは微量の血液反応があり、DNA型鑑定の結果、妙子さんのものと一致した(7月)。Nシステムの解析により、妙子さん行方不明後の6月4日、5日に男の車が岡山県の新見インター付近・国道180号を約5時間のブランクを開けて往復走行していたことが分かり、周辺の山林やダム等での捜索も行われたが妙子さん本人につながる手掛かりは発見されていない。

 

■行方

吉田は公開捜査翌日の9日にアパート大家の許を訪れ、契約時に提出した身分証の写しなどを回収。10日、鳥取中央郵便局の消印でアパートの鍵を返送していた。11日には鳥取県内に住む母親の許に手紙が届いており、こちらも9日か10日頃に鳥取県内で投函されたとみられている。「心配かけてすいません。生きる気力がなくなった。お母さん、ごめんなさい」などと追いつめられた心境を語る記述も含まれていた。

公開捜査の写真を見て、心配した家族が警察に届け出た。母親が防犯カメラ映像を確認し、実家から吉田の指紋も採取・押収された。

警察は、吉田が事件当日の午後に津山線から岡山駅に一人で下車していたことを把握。高橋さん宅を離れた後、男が車で移送し、吉田が現金引き出しの別行動を取っていたことは掴んでいた。岡山駅周辺で金を引き出す際に、吉田は捜査かく乱のためかデパートで着替えを行っていたことも判明している。

6月26日には津山から西50キロの新見駅や新見高校付近、市内の飲食店などで目撃情報が相次いだことから、岡山・兵庫・鳥取三県の宿泊施設を一斉捜索。しかしその後の動向は知れぬまま、3か月以上が経過した。

 

9月23日午後、津山市から南西約35キロ離れた岡山市日応寺の山中で通行人が白骨化した遺体を発見。歯型やDNA型鑑定により吉田本人であることが確認された。遺体はロープで木に結ばれた状態で、現場から運動靴やバッグ、「生きることに疲れました」と書かれたメモ等が見つかっている。一方で吉田の所持金はごく僅かで、引き出した現金700万円の使途などは判明していない。

 

■男女について

吉田は1998年に岡山県美作町(現美作市)の会社員と見合いで結婚し、夫婦仲は円満、夫方の家族とも問題はなかった。だが2000年1月に退職して以降、ギャンブルにのめり込み、翌01年になって吉田が消費者金融から多額の借金を重ねていたことが発覚した。吉田は借金について「パチンコと競艇に使った」と言い、総額2200万円以上にも膨れ上がっていたことなどから12月に離婚。家族らが肩代わりして約500万円を返済したが、その後、吉田の行方が分からなくなり家出人捜索願が出されていた。

調べにより、吉田は離婚前の2001年夏から02年5月末まで津山市内にアパートを借りていたことが判明。元夫は事件後、多額の借金についてギャンブル癖だけでなく誰かに騙されていたのではないかと語っている。

男の生活実態は不明だが、30年以上自衛隊に勤務し、同僚とのトラブルから退職してタクシー運転手となったものの、それも一年程で辞め、定職には付いていなかったと見られている。

男女は津山市内で趣味のパチンコなどを介して知り合った可能性が指摘されている。また妙子さんがかつて男が勤めていたタクシー会社を利用したことがある(「男が乗車させた」とも)との情報もあるが、なぜ妙子さんを狙ったのかといった犯行までの筋道は不明のままである。

吉田と男は、拉致や殺害の確たる証拠が出ていないこと等から「窃盗」の容疑で書類送検、被疑者死亡で不起訴処分となっている。妙子さんの安否、行方は現在もようとして知れず、岡山県警は捜査を継続している。

 

■被害者遺族

突然妻を失った幸夫さんは「何とか世間に訴えて妻の行方を捜したい」との思いからメディア取材への対応を続けていた。しかし誤報や根拠のないでまかせを繰り広げるマスコミ報道に精神的被害を受け「一体誰のための報道なのか」と憤りに震えた。

勤務先の病院にも不審な電話が相次ぎ、隣家の敷地に侵入してきた記者もいた。ほぼ一カ月の間、外出することも出来なくなり、心が不安定となって自殺も考えた。しかし熱心な捜査員らが泊まり込みで付き添い、その後も懸命な捜索活動を続けてくれたことが支えとなったという。

事件から2年も経つと過熱したメディアスクラムも沈静化し、「プライバシーを食い散らかして後は知らん顔」。事件のカギを握るとみられた男女が死亡したことで新たな手掛かりは得られぬまま、捜査も手詰まりとなった。その一方で、「事件というもの、事件・事故というものはその場限りではないんだ」という被害者遺族としての葛藤は強まっていった。

 

事件から4年後、独立した子どもたちに近い神戸市へ引っ越した。妻の帰りを待ち続けるため、捜索活動を続けていくためには「妻のいない人生を生きる」覚悟が必要だった。選挙や年金、保険の支払いなどの度に“二人分”の書類や手続きが必要となる。当初は「妻の存在」の証として肯定的に捉えようとしていた。だがかたや国勢調査などでは「いないので書かなくていい」と妻の存在を否定される。事務処理の問題とは分かっていても、なぜ悲しい思いをしている人間に社会はこんな仕打ちを続けるのか。「妻の死」を受け入れたくはなかったが、2009年に失踪宣告の手続きを行い、法的死亡が認められた。

悲しみや怒りを抱え続けて生きていかなければならない苦しい思いを、他の誰にも味わってほしくはない。そうした思いから公的機関における被害者遺族の処遇改善の必要を強く訴えた。全国の犯罪被害者遺族による団体「あすの会」や「被害者サポートセンターおかやま」での活動を通じて、「だれもがある日突然当事者になりうる」という自らの経験を再び人前で語るようになった。犯罪被害者への理解、そして被害者・被害者遺族の生活保護・復帰に向けた公的支援を訴求することに注力した。「報道の自由は社会のためになってこそ。自分たちの報道が社会に貢献できているのか、常に自問自答してほしい」とマスコミにもくぎを刺すことを忘れない。

妻の法要を営むようになり、「自分の人生を生きる」ことになった今も、生活の節々で夫婦一緒にいたかったと感じることがあると幸夫さんは言う。「もし帰ってきたら『いままでどうしとったん。ようがんばった』と声を掛けるだろうな」と語っている。

高橋さん夫婦が結婚したのは1972年。妙子さんは乳がん手術を乗り越え、3人のこどもは無事独立し、老後は夫婦水入らずで旅行に出向く約束をしていたという。

僕の手で妙子の人生を見届けて、最後に閉めてやって、僕も閉める。いまのぼくの願い

事件から20年が経った現在も幸夫さんは妻と再会できることを心待ちにしている。

 

 

■所感

「被疑者死亡」で話を閉じることも出来るが、事件に残る謎、疑問点についてもう少しだけ考えてみたい。

2022年6月3日の山陽新聞は、死亡した岡山県の元タクシー運転手男性が当時捨てたゴミの中から事件につながる資料が見つかっていたことを伝えている。資料の詳細は明らかにされていないが、捜査関係者によれば精査した結果、事前の準備をしていた可能性が窺えたとしている。

まず吉田と元タクシー運転手男性が拉致に係わったことは事実と考えられる。また車内から血痕が見つかっており消息が20年途絶えてしまっていることから、残念ながら被害者の生存は可能性が薄いと見なさざるをえない。おそらくは自宅に電話を掛けてから間を置かずに殺害されたものと推測される。

 

男女の犯行動機は金銭目的が疑われるものの、なぜ妙子さんを狙ったのかについては疑念が残る。単純に考えれば、幸夫さんが医師であることから資産があるものと見込まれたようにも思える。

しかし第一に、犯人は高橋さんの自宅住所を知らなかった。それでいながら幸夫さんの勤め先を知っていたということは、犯人は幸夫さんと何がしかの接点があったか、幸夫さんに関する情報を得ていたことになる。津山市は県下第三規模の都市とはいえ人口10万人程度であるから、街中で本人も気付かぬうちに接点があったとしても不思議はない。あるいは男がタクシー業務で妙子さんを乗せた折に、夫の勤め先を話すなどしていたものか。

あるいは幸夫さんが精神科医であったことから、1994年に起きた「青物横丁医師射殺事件」や2021年に大阪北新地で起きた「メンタルクリニック放火殺人事件」のように医療トラブルや精神疾患などを背景とした「逆恨み」などの線も想像されるが、男女のいづれかに通院歴があったのかは伝えられていない(医療プライバシーに関わるため捜査段階で報じられることはありえないのだが)。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

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第二に、男女は高橋さん方を二度訪れたとみられる点。一度目の「ご両親に世話になっている」といったやりとりは家人の在宅状況の確認、下見のために行ったとみるのが妥当だろうか。一度やりとりを済ませていることから、再訪時には妙子さんも警戒感が薄れていたかもしれない。

 

第三に、犯人は妙子さんをどうするつもりで拉致したのかという点。金銭目的であるならば身代金誘拐ということになるが、妙子さんの入電の際には金銭の要求などを伝えていない。また男女について「親子のようだった」と親に連絡していることからも二人は妙子さんに接触する際、顔を晒していたと考えられる。そうなれば「生きたまま返すわけにはいかない」はずであり、殺害も視野に入れた誘拐だったことになる。

妙子さんの電話内容から考えると、犯人側が電話を掛けるように命じた訳ではなく、おそらくは妙子さん本人が「夫が帰ってくる時刻だから、行方が分からないと警察に通報するかもしれない」などと犯人を説得し、入電の機会を得たものと想像される。すぐ近くに犯人がいる状況下で「たすけて」とは言えなかったものの、夫は妻のSOSを感じ取った。

 

そもそも家すら知らない犯人が高橋さん宅の資産状況を把握しているはずがない。事件を知っている我々からすると、さも犯人ははじめから700万円を狙っていたかのように捉えてしまいがちだが、夫名義のキャッシュカードを妻が管理していることは犯人も犯行に及ぶまで知らなかったのではないか。拉致とともにカードだけを持ち出していること、13時半には津山市内で現金引き出しが開始されていることから高橋さん宅で金銭を要求する脅迫をしてすぐに暗証番号を聞き出したものとみられる。

 

明らかにされていない情報として、妙子さんが自宅に掛けた電話がどこで行われたものか報じられていない。男女いずれかの携帯電話からだったのか、あるいはどこからかの公衆電話だったのか、といった内容は警察も把握しているはずである。

 

元タクシー運転手の男の自殺について、任意聴取で潔白を主張したまま死亡したことから、「冤罪」なのではないか、吉田には「別の共犯男」がいたのではないかとする見方もある。だが逮捕前に「自殺」され、真相解明を永遠に遠ざけたことは言うまでもなく警察の「失態」である。2022年になって「事件につながる資料」の存在を示すことで、死亡した被疑者の犯人性は高まることになる。警察が自らの「失態」を更に裏付けるために状況証拠を捏造しているとは考えづらく、元タクシー運転手の男に関与の疑いが強い点は事実と捉えてよいかと思う。

また自殺の前日にマスコミから男に対する追及があった、いわばマスコミの行き過ぎた報道姿勢が男の自殺を招いたとも噂されるが、遺書の公開等がない以上、追い詰めたのは警察かマスコミかは水掛け論、真相は藪の中といえよう。

 

さらには男女の死が「自殺」ではなく「他殺」なのではないかとする見方も存在する。たとえば反社会勢力が裏で糸を引いていた、用済みとなった男女はそうした「事件の黒幕」によって口封じに殺害されたのではないかといった背景も思い浮かぶ。

たしかに吉田が借りていた2200万円以上もの金額からは一見大きな犯罪が絡んでいるかのような印象を受ける。だが彼女にそれだけの返済能力があったとは考えにくく、消費者金融(2000年で法定上限金利29.2%)だけでそれほど多くの借り入れが可能だったとは思えない。消費者金融での借り入れができない多重債務者らを対象とした「トイチ(10日で1割、金利365%)」「トサン(金利1095%)」「トゴ(金利1825%)」といった法外な高金利での貸し付け、いわゆる「闇金」で膨れ上がったとみてよいだろう。

闇金は原資より多く金を回収することが目的であり、債務者が女性であれば風俗に沈めるなどして返済を求めるのが常套手段である。想像にはなるが、吉田がアパート捜しを男に頼み、親にも告げずに鳥取県智頭町に身を潜めたのはそうした事情が差し迫っていたためと考えられる。

闇金からすれば債務者を殺害することにメリットは存在しない。行き過ぎた脅迫によって債務者を自殺に追い込む、暴行がエスカレートして死亡に至らしめるといった場面は想像できても、わざわざ自殺に見せかける工作までして殺害するとは考えにくい。闇金暴力団と言った「黒幕」から「誘拐や殺害の指示があって男女はそれに従った」とするのは些か無理筋な見方であり、警察が「自殺」と断定した理由には、遺体に第三者による暴行の痕跡等がなかったことも含まれていようはずだ。

 

なぜ侵入窃盗や強盗ではなく拉致だったのか、なぜ妙子さんを狙い、どこへ連れ去ったのかは判然としないが、借金苦に追い詰められた男女がやぶれかぶれに思いついた犯行というのが筆者の見立てである。窃取した金は借金返済に充てるつもりだったのか、2人で別天地を目指すための資金にするつもりだったのかは分からない。

吉田は事件から3週間後に岡山県新見市で目撃されており、おそらくは鳥取~岡山のテリトリーを離れることができなかったものと見受けられる。車がなかった吉田はバスや電車、タクシーを使って自らの死に場所を求め、岡山空港近くの山中へとたどり着いたのか。だが700万円の行方が知れないことを踏まえると、闇金業者に発見されて金を回収されたとも考えられる。吉田が指名手配犯となったことからこれ以上の回収は見込めないとして山に捨てられ、自らの手で幕引きを迫られたのではないか。

 

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犯罪被害者シンポジウム~いのちの大切さを語り継ぐまちづくり(平成19年)

https://www.npa.go.jp/hanzaihigai/local/work2008/s4-5.pdf