青物横丁医師射殺事件について

1994年10月、東京都品川区の京浜急行電鉄青物横丁駅構内で発生した医師射殺事件について記す。朝の通勤ラッシュを銃撃が襲うという犯行もさることながら、犯人の理不尽な動機にも戦慄させられるものがあり、その後の医療不信やモンスター・ペイシェント問題にもリンクするように思う。

 

先んじて、被害者のご冥福とご遺族・関係者のみなさまの心の安寧をお祈り致します。

 

■朝の改札口

1994(平成6)年10月25日の8時過ぎ、通勤客で混雑する京浜急行電鉄青物横丁駅の2階改札口付近で、出勤途中だった医師・岡崎武二郎さん(47)が背後から60センチ程の至近距離で銃撃された。銃弾は腹部を貫通し、近くにいた女性の衣服を掠めた後、20メートル離れた改札奥の案内板に当たった。

撃った男は駅近くに止めてあったスクーターを使って現場から逃走。

岡崎さんはすぐに渋谷区の都立病院に搬送され治療を受けたが、同日13時35分頃、肝臓及び下大静脈等の損傷による失血死で亡くなった。

 

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岡崎さんは亡くなる前に、患者の一人であった元会社員・野本正巳(のもとまさみ)(36)の名前を口走っていたことなどから、品川署では病院関係者から詳しい事情を聞いた。

27日夕方には、身体的特徴の記載とともに「拳銃所持」の危険人物として野本を顔写真付きで公開手配した。

28日午後、野本は母親に電話を掛けて犯行を打ち明け、南浦和駅で会う約束をした。母親は警察に通報し、その日の夕方、刑事8人が駅に張り込み、姿を現した野本は逮捕された。野本は容疑を全面的に認めたため、事件発生から4日後に被害を拡大することなく終息した。

 

■大胆過ぎる犯人

銃撃は朝のラッシュアワーを狙った凶行として、各局のワイドショーなどで取り上げられた。当初は病院側も患者のプライバシー保護の観点から情報を出していなかったため、加害者に関する情報は多くは伝えられなかった。

 

逃走中の野本は逐一情報を仕入れており、番組の報道内容に不満を募らせていった。 

28日未明、野本は新宿歌舞伎町のコンビニエンスストアで自らの犯行意図や事の経緯を綴った書面をコピーする。その後、3時頃からタクシーを使ってテレビ局4社(NHK、フジテレビ、日本テレビ、TBS)を周り、偽名を使うなどして警備員に文書を託した。

逮捕前には「撃ったのは俺なんですけど、ちゃんと報道してもらいたい」と日本テレビに抗議の電話を行っている。そのやりとりは放映にも乗り、「出頭する前に病院関係者を撃つ」と新たな犯行予告まで行われた。

 

彼は最終的には自首する心づもりであったが、なんとかして銃撃事件に至るまでの“本当の”経緯を世間に知ってほしかった。 

 

■違和感

野本は高校卒業後、技術系の専門学校を出、都内にある電気機械メーカーに勤めた。仕事の内容は、販売先の機器の保守・点検で、当時の働きぶりは真面目であった。埼玉県浦和市(現・さいたま市)の自宅で母親と二人で暮らしており、別れてしまったが事件前には恋人もいた。

 

1992年8月頃、野本は血尿があったため数か所の病院で診察を受けた。10月3日、鼠径部(太腿の付け根)の痛みを訴え、都立台東病院で泌尿器科医長であった岡崎医師の診察を受け、慢性前立腺炎と診断される。

野本は通院しながら治療を続けたが、腫れなどの違和感は治まらず、93年5月、岡崎医師は鼠経ヘルニアと再診断。6月7日に同医師の執刀で手術を受けることとなった。 

 

術後の経過は客観的に見れば良好だった。しかし野本本人は睾丸に腫れと痛みを感じており、医師や看護師らに症状や原因について説明を求めるようになった。さらに頭痛、不眠、手足のしびれといった心身の不調を訴え、手術から4日後には外出して他院でも診察を受けたが、執刀医でないと分からないとして退けられた。

その後も、体調不良を訴えて退院の延期を求めたが、手術から2週間後に院長の求めにより半ば野本の意に反するかたちで退院させられた。

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7月1日、野本は外出中に倒れ、頭痛や手足のしびれを訴えてT病院に救急搬送され、半月ほど入院。その後も、十数か所の医療機関を周り、主にヘルニア手術後に感じるようになった頭痛、しびれ、腹部の膨張感、睾丸の腫れ等の症状を訴えたが、診察では異常は発見されず。医師からは「手術した医師でないと分からない」と納得のいく説明も得られず、ときに精神科の診療を薦められることもあった。

 

野本は次第に自分の身体の異常について、腹部に「ぐるぐる回転するゴム状のもの」が入っており、「皮膚下にある糸状のものが引っ張られて血管や内臓を絞めつけている」と思い込むようになる。そしてその原因として、岡崎医師に手術で体内に「異物」を混入された、自身は人体実験に使われたのではないかとの考えを強めていった。

野本は手術を受けた台東病院に再三押しかけ、術後の症状を訴えたほか、手術内容についての質問状を作成して岡崎医師に説明を求め、8月には自身の手術録を無断で持ち出してコピーするなどした。

 

93年10月3日、野本は腹部に入っている「異物」を除こうと、カッターで自身の腹部を裂き、ハサミを押し込むなどし、救急搬送される。11月末まで入院したが、退院時の診断は、妄想性障害又は精神分裂病の疑いであった(精神分裂病は2002年から統合失調症に改称された)。

退院後にも、「糸の付いた針」を腹部に刺した状態で受診に訪れ、「腹にピアノ線を引っ掛けて(中の異物を)見えるようにしてあるから取るな」と言って、針を抜こうとする医師に抵抗して暴れる騒ぎもあった。

 

その後、A病院精神科で精神分裂病の投薬治療を受け、症状はかなり軽減されたため、94年3月に復職。5月には友人と旅行に行くなど順調に回復していたかに思えた。

しかし7月頃に野本は再び違和感を覚えるようになり、「術後に溶けずに残った糸が体内を移動している」という考えに囚われ、またしても台東病院に説明を求めた。岡崎医師は、そうした症状は妄想による感覚異常だと説明し、(異物混入などについて)具体的な証拠が示されないかぎり今後相談には応じられないと野本の言い分を退けた。

 

手術から犯行までの約1年の間に、野本は数十か所の医療機関で150回以上受診し、自身の身に起きている異常感覚を執拗に訴え、人体実験されたことを証明しようとした。弁護士、警察、ラジオ人生相談にも相談したが相手にされなかった。

人体実験の証拠となるものはレントゲンにも映らず、違和感の除去には至らなかった。このままでは体調悪化により死んでしまうと焦りを募らせ、死ぬ前に自分をこんな体にした岡崎医師を殺害しようと考えた。

8月末に定期預金を解約し、交際していた女性に750万円を渡しており、9月には会社や顧客に迷惑をかける訳に行かないと考え、自ら退職を願い出ている。

 

トカレフを売った男

94年8月、野本は襲撃のために、スタンガン、ハンマー、包丁、催涙スプレーなどを用意。8月末には、岡崎医師の通勤ルート、帰宅ルートの下見と行動監視を行い、具体的な犯行計画を練った。

しかし9月に接近したところを医師に気付かれて逃走を許してしまったことや体力面で劣ることから、包丁などでは殺害できないおそれがあると考え、拳銃の調達を決意する。

 

あてはなかったが、暴力団員であれば拳銃を持っていると考え、浅草のソープランド従業員から地元の組事務所2軒の場所を教えてもらう。一か所では門前払いの扱いだったが、根岸組組員(29)から「入手できるか分からないが考えておく」という返答を貰い、野本は連絡先を預けた。

事務所の留守を任されていた組員は、面倒な客に対してやはり厄介払いのつもりであしらったのだが、野本はこの返答を“I’ll do my best”と解釈した。

 

野本は翌週も組事務所を訪れたが、欲しいなら先に金を持ってこいとこのときも帰され、数日後、30万円を渡して再度調達を依頼した。

10月半ば、組員から「今日取りに行くので金を用意しろ」と連絡を受けて呼び出された野本は、金を持ち逃げされるのではないかと考え、5万円だけ渡そうとした。怒った組員が破談を言い出したので、慌てて金を下ろしてくるふりをして(実は準備してあった)40万円を渡した。

このとき組員が個人の連絡先を渡したため、今度は野本の側から催促の電話が頻繁に掛かってくるようになる。その後、組員は上野・アメ横で買ったモデルガンと弾丸を用意して、野本から更に70万円を引き出した。野本を騙して終わりにするつもりだったのである。

だが野本は失敗の許されないミッションを前に、試射を行おうとしたが弾倉が回転せず弾を込めることもできなかった。「壊れている」とすぐさまクレームを入れて交換を求めた。

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Tokarev TT33, by Askild Antonsen, CC 

 

10月19日、組員はトカレフと実弾7発を手渡した。別れた後、野本はまた偽物ではないかと疑いを抱いて、組員に連絡を取り、射撃方法を確認して、昼間でもひと気のない川口市内の運動場で一発試射を行った。

トカレフヒョードルトカレフによって1929年に開発され、ロシアの極寒でも作動する単純化された構造(安全装置がない)と耐久性を特徴とし、1950年代まで軍用自動拳銃として普及。ソ連国内では小型化し安全装置が付されたマカロフ銃が後継となったが、独立した中国がソ連から技師を呼び兵器の国産化を図られ、朝鮮戦争などで用いられた。その後、中国での独自生産、海外輸出向けの増産、粗悪品の流通により80年代には暴力団などを通じて日本でも不法流通するようになった。

 

組員は野本の逮捕から2日後に拳銃を譲渡したことを認めて自首。

公判では、当初スタンガンを手に「これよりすごいのないか」と言いながら事務所に現れ、「どうしても射殺しなくてはならない相手がいる」と訴えた野本の印象を「シャブ中が来たのかと思った」と述べている。

トカレフの出処について、組員は自首当初「イラン人から入手した」と供述。その後、「ある人物から80万円で買った」「組員ではないが事務所に出入りのあった人物が借金のカタとして置いていった」等と証言を変転させ、その人物は病気ですでに亡くなったと説明。

「本当に使うとは思わなかった」「(野本を)ガンマニアか何かだと思った」と売買の理由を話した。野本は140万円を支払っていたが、価格変動こそあるものの密売相場は15~30万円程度と推定されている。

 

出処についての供述の曖昧さは信用性に乏しく、私欲に駆られて一市民に対して銃器を売り渡し、もたらされた結果は多くの市民を危険に晒し、恐怖に陥れたとして、懲役6年、罰金80万円の判決が下された。

本人は「服役だけでは済まされない」と臓器提供のドナーバンク登録を申し出、足を洗ってカタギになると宣言。妻は「自分の出産の際も都立病院に世話になって感謝していた」と語り、被害関係者に謝罪の手紙を出したことを述べ、反省の態度を見せた。

 

■犯行

トカレフを手に入れた野本は、その日の内に駅で待ち伏せるが、すぐに見失ってしまう。野本は自宅でスクーターを使用していたが、20日には追跡用として新車を購入。

22日・23日は病院が休業なので医師の待ち伏せはしなかったが、違法駐車で撤去されてはかなわないと考え、駅近くのバイク駐輪場を契約している。

24日の朝は医師を発見できず、夕方は待ち伏せていた飲食店で支払いをしている隙に見失ってしまう。

ホテルに戻った野本は弾倉に4発の弾を込めてスライドを引いた状態のトカレフを紙袋で包んだ。誤射しないようにフロントで青マジックを借り、銃口の位置に矢印を書いた。

25日朝、紙袋を携えてスクーターで青物横丁駅へ向かう。駅の本屋で待ち伏せていると、8時頃、医師の姿を見つけて後を追った。他の人を巻き添えにすることがないように、横から医師の顔を確認した上で、至近距離から引き金を引いた。

 

■逃走

犯行後、スクーターからタクシーに乗り換えて別の駅に向かい、母親に「友達のところにいる。自分が外泊したことは言わないでくれ」と口止めの連絡を入れた。

さらにタクシーで移動したのち、千葉県習志野市にある公園の茂みに、弾3発が装てんされた状態の銃、実弾2発、拳銃を入れていた紙袋をそれぞれ離れた位置に投棄。

駅近くの電器店で携帯ラジオ2台と乾電池を購入して、事件の報道を聞こうとした。逃走資金に不安を覚えたため、750万円を渡していた元交際相手の家に出向き、女性から現金約250万円を借りたが、自身の犯行と逃走中であることについては明かさなかった。

 

衣服を改め、タクシーで駅から駅へと関東各地を細かく移動し、偽名でホテルに宿泊。液晶テレビを購入し、ワイドショーの“誤った”報道に憤りを募らせ、筆をとった。野本にとって医師殺害はもはや私怨にとどまらず、人体実験による新たな“犠牲者”を生まないための決死の告発でもあった。

28日正午ごろ、ホテルでテレビを確認すると、自身が公開手配されたことを知る。自首することを決意し、母親に電話を掛けて南浦和駅で待ち合わせた。タクシーで現地へ向かう途中、手元に残った所持金を女性に郵送する手筈を取った。

 

■判決

1995(平成7)年2月に東京地裁で開始された裁判では、野本に精神分裂病の疑いがあり、刑事責任能力のを問えるか否かが最大の争点とされたため、事前に6人の鑑定人によって1年半に及ぶ精神鑑定が行われていた。

妄想性障害と心神耗弱の状態にはあったが善悪の判断や責任能力を有するとした保崎秀夫鑑定と、妄想型精神分裂病の進行により現実世界から切り離され善悪判断をなす能力を欠いていたとする斎藤正彦鑑定が対立した。

 

三上英昭裁判長は、「妄想自体は奇異で理解困難」としながらも、妄想を抱くに至った経緯や動機形成については了解可能と判断。

犯行そのものはある程度、合理的判断のもと沈着冷静に実行に移されており、計画的で「確定的殺意に基づいた極めて残虐な犯行」と刑事責任能力を認め、検察側の求刑15年に対し、懲役12年の判決を下した。

 

■所感

本件は、それまで暴力団や裏社会のものと考えられてきた銃が、突如として市民社会ラッシュアワーを襲ったことで大きな注目を集め、当時国会でも取り上げられるなどした。この事件を知ったうえで銃社会を求める人間がいたとすれば、筆者は友達になれそうもない。

 

1999年には、横浜市立大学病院での患者取り違え事件、都立広尾病院の医療事件などが国民的議論となり、今日でも患者の医療不信やモンスター・ペイシェント問題につながっている。そうした文脈から解釈すれば、本件は精神疾患の絡んだものではあるが「モンスター患者」の草分けといった見方もできる。

医療関係者からすれば、いくら治療しても「違和感」を取り去ることはできず、精神病治療を薦めても忌避されて、挙句の果てに殺されなければならないとなれば、職業上、最悪の脅威である。

 

興味を惹かれた点は、野本が抱えていた“妄想”である。

身体の異常感覚を奇異な表現で執拗に訴え、客観的身体所見を欠く病的状態は、体感幻覚(セネストパチー)と呼ばれる。統合失調症躁鬱病によく見られる症状として知られており、しばしば体内で「寄生虫のように蠢く」「背骨を抜かれる」といった不安神経症的な表現がなされる特徴がある。

また多く発現する部位は口腔内で、「バネ」「ゴム」「ラップ」などが常にあるような異物感、あるいは「歯茎の間からドロドロしたものが出てくる」「口内をコイルのようなものが走り回っている」「偽物の歯が変形したり移動したりする」等といった表現で報告されており、慢性的な体感異常による不安感と不気味さ、周囲の人間に理解されないことが罹患者に更なる心的苦痛を与える。

高齢者に多いことなどから認知症との関連も指摘されている。客観的な医療ケアで根治されないため、投薬やカウンセリングによる精神病治療、心的負担感を緩和するためのセルフマネージメントで対処することが一般的である。

野本の“再発”の原因は判例などからは分からないが、エリサ・ラム事件のように自ら投薬治療をストップしてしまった断薬があったのではないかと考えられる。ラムさんの場合は親許を離れた長期の一人旅が背景にあるが、野本の場合は壮年であり母親のマネージメントはそもそも薄かったと考えられ、入退院により家庭・職場を一時的に離れたことで生活リズムに狂いが生じたことや、一時的な回復を感じたために「薬なしでも大丈夫かもしれない」といった気の迷いが生じたのかもしれない。

 

また野本の犯行を容認するつもりは全くないが、事件前後の諸々の行動は、計画的であり場当たり的、用意周到で杜撰、凶悪ながらも情念的な側面もあり、妙な人間臭さが感じられた。

仮にトカレフを売った組員に誤認や偽証があったにしても、「シャブ中が来たのかと思った」という野本への第一印象についての証言は信憑性が高いように感じられる。(野本もシャブ中も見たことはないが)犯行を前に極度の緊張と昂ぶりと抑えきれない口角泡立てた野本の様子が思い浮かぶ。

 

余談にはなるが、1995年リリースされたTHE TIMERSのアルバム『不死身のタイマーズ』には本件をモチーフとした楽曲『トカレフ(精神異常者)』が収録されている。その気の抜けたピースフルなスカ・ビートと、常軌を逸したマッドネスな歌詞の世界観が妙に癖になる楽曲である。

ピストルを手に入れて

ヤブ医者を殺すのさ

一発で仕留めるさ

朝の改札口で

THE TIMERSトカレフ(精神異常者)』の冒頭)

 

参考

青物横丁医師射殺事件

ニッポンリポート・青物横丁医師射殺事件

東京地方裁判所 平成7年(合わ)26号 判決 - 大判例

青物横丁医師射殺事件 - クール・スーサン(音楽 芸術 医学 人生 歴史)