栃木県日光市フランス人女性行方不明事件

2018年(平成29年)夏、栃木県日光市で発生したフランス人女性の行方不明事件について記す。

日光は東京から約150キロ離れた山間の町ながら日光東照宮などの世界遺産を有し、国内外から年間1200万人(当時)が訪れる観光地として広く知られている。女性は日本語を独学し、単身で来日。日光を皮切りに約半月かけて本州各地を巡る観光計画を練っていた。

現在も行方は分かっておらず、事件に巻き込まれたのか、水難などの事故が起きたのかもはっきりしていない。

 

情報提供は

日光警察署 0288-53-0110 まで

 

■消えた旅人

2018年7月29日(日)、栃木県日光市を観光で訪れたフランス国籍で教員補助Tiphaine Véronベロン・ティフェンヌ・マリー・アリックスさん(36)の行方が分からなくなった。

ベロンさんは27日夜に来日し、成田空港から東北新幹線などを使って28日に日光入り。夕方4時頃、市内のホテルに2泊の予定でチェックインし、スマホアプリで家族へ「神橋」付近で撮ったムービーを送るなどしていた。夜に600メートル離れた大通りのコンビニへ買い出しに行ったことも分かっている(画像右上)。

 

身長162センチで体格は中肉、目はグリーンアイ。髪は茶色で、後頭部で束ねていた。当日の服装(画像右下)は白色系のノースリーブ、ベージュの短パン(バミューダパンツ)の軽装で、普段使用していた靴は薄いピンク色の柄物キャンバススニーカーだった。

 

行方不明当日となる29日にホテルの「食堂」で朝食をとる彼女の姿をフランス人やドイツ人旅行者ら5人が目撃しているが、10時頃に外出して以降、消息が途絶えた。30日のチェックアウト時刻を過ぎても戻らないことから、ホテルのオーナーが警察に通報。8月1日、ベロンさんの家族は在日フランス大使館から連絡を受けて事態を知らされた。

 

■不安

ベロンさんは1982年7月、レンヌ生まれ。84年からポアティエに移り住んだ。美術史の学位を取り、障碍児教育の助手を勤めていた。外国のアートや文化に親しみ、ロシア語や日本語を独学。また発作を伴なう持病(てんかん)があり、薬を服用していた。

 

8月4日、一家が来日。部屋には、キャリーバッグや着替え、パスポート、処方薬など荷物の大部分が残されており、ショルダーバッグ、財布、携帯電話といった手荷物と青色のポンチョだけを身につけていたとみられている。世話になった日本人に渡すつもりで母国から手土産まで持参しており、万が一の発作に備えて持病の説明が付された冊子も部屋に残されたままとなっていた。

8月6日、ポアティエに残っていた母アン・デサートさんはマクロン仏大統領に捜査を懇願する手紙を送る。妹シビルさんはベロンさんの写真を公開して情報提供を求めた(9月9日から付近で撮影した動画等の提供を呼び掛けている)。7日にはローラン・ピック駐日仏大使が栃木県警や県庁を訪れ、捜索への協力を要請した。

 

県警は事件と事故の両面から捜索を開始。10日、80人体制で憾満ヶ渕周辺、ドローンや警察犬を動員して対岸にある鳴虫山での遭難を想定して捜索を行った。13日、滞在した部屋でルミノール反応を検査したが、事件性を示す痕跡は確認されなかった。

ベロンさんは5年前に東京を訪れたことがあり、今回の旅では7月27日から8月15日まで日本に滞在する計画を立てていた。

30日に日光を離れ、青森県弘前市へと北上し、岩手県奥州市宮城県仙台市福島県会津若松市(角館)と東北各地を巡り、そのあと京都、神奈川へ向かう旅程がメモに残されていた。また各ホテルの宿泊代金は事前に支払い済みだったとして、兄は自発的失踪はありえないと話している。

憾満ヶ淵

周辺では危険を冒して写真を撮る旅行者の姿も

宿泊した施設は駅や東照宮から徒歩10分圏内にあるホステルで外国人利用者も多い。大通りからはやや外れた住宅地にあり、谷の麓に位置することから、夏場は木立を隔てて大谷(だいや)川のせせらぎや涼風を味わうことも出来る。

宿泊先のホテルから、地蔵が並ぶ人気スポットの憾満ヶ淵までは大谷川を挟んでおよそ500メートル。ルートは整備されているが付近から岩場や河川敷に降りることも可能で、フェンスなども少ないため転倒・転落事故が危惧されるロケーションである。中には岩場でセルフィ―を撮る旅行者の姿もあった。折しも行方不明当日は台風12号の影響で増水しており、一歩足を滑らせれば流されてしまう危険も考えられた。

 

テレビ朝日系『スーパーJチャンネル 追跡!真実の行方』で、現場を訪れた元兵庫県警の飛松五男氏は、見通しの利く散策ルートの状況などから「流されていれば絶対に分かる。すぐに通報が入る」と断言する。

仮に転落時、周囲に誰もいなかったとしても、下流には一日中多くの人がカメラを構える「神橋」や車が途絶えることのない日光街道があるため必ず人目につく、「発見されていないということは、流された可能性がないと言ってもいい」と述べている。万が一押し流されてしまった場合も、日光街道からさらに下った発電所の取水堰にある格子に引っ掛かるはずだと述べている。

神橋のすぐ下流に取水堰がある

直筆の旅程メモ。利用可能時間や料金が記されている。

ベロンさんのメモに大きく書かれた「影向石(ようごうせき)」は、瀧尾神社にある弘法大師ゆかりの拝み石である。境内入り口には日本語で書かれた掲示があり「案内を口実に女性に近づくものがおります」と不審者への注意を呼び掛けていた。周辺では付きまといや車へ乗せようとする不審者事案が報告されていた。

この不審者に関して「青い車」の目撃証言がある。兄ダミアンさんがSNSで行方不明当時の付近の情報を収集していたところ、29日15時頃にアメリカ人旅行者が撮影した瀧尾神社の写真の中に一角、駐車場の位置に「青い車」が写り込んでいた。

ダミアンさんは「(不審者情報の)看板を見てぞっとしました。妹は日本が安全な国だと思い込んで誰かについていったのかもしれません」と不安を募らせる。

 

また市内各所にベロンさんの情報提供を求めるビラが貼られているが、瀧尾神社に貼られた2枚は人為的に破られたような形跡があった。

現場を訪れた飛松氏は、選挙ポスターが敵陣営によって剥がされることを例に挙げ、「行方不明に関係ある者が剥がした可能性がある」と指摘。「瀧尾神社で連れ去られるなりした可能性がある。事件として捜査すべき」と述べている。

 

■家族による捜索活動

家族は日本の警察が事件捜査に積極的でないことを鑑み、本国に戻ってからも国を動かすべく様々なアピールを行った。

2018年10月17日、訪欧した安倍晋三首相(当時)とマクロン大統領が会談。フリー記者として会見に参加した妹シビルさんは捜査協力を直訴した。

11月2日、家族はアジアを担当する外交副顧問アリス・ルフォ氏と面会し、日仏の捜査連係を求めた。

10日、地元ポアティエで捜査要請を求める街頭行進が行われ、市民500人程が参加した。

ポアティエで捜査要請を求めるシビルさんたち

その後も家族は度々日本を訪れ、支援の要請、警察や大使館との会合、現場調査や周辺での聞き込みを続けてきた。

2018年10月26日に行われた大規模捜索では、水深の浅い一帯を歩き回るダイバー隊や遠巻きに付近を漂うヘリコプター捜索に対して、ダミアンさんは痺れを切らした様子だった。

2019年5月8日、ダミアンさん、シビルさんは山岳救助隊5人を帯同して来日。ダミアンさんは「両親は精神的にかなりつらそう。兄妹だけでもできる限り望みを持つようにしている」と不安と希望の交錯する家族の胸中を語った。

「川で何かがあった可能性を潰したい」と出水前の大谷川を中心に10日間の捜索を行う。これまでの県警の調べや地元住民の協力、励ましの声に感謝を示しつつ、「もう一度新たな視点で見つめ直してもらいたい」と捜査方針の転換を呼びかけた。

 

19年2月、SNS上ではDRAWING FOR TITIキャンペーンによりデザインイラストを募るなど、事件の風化阻止と捜索要請のアピールを続ける支援者たちの熱意をつないだ。

11月、支援団体UNIS POUR TIPHAINE創設。家族は4年間でおよそ7万ユーロ(940万円相当)をかけて日仏の弁護士、私立探偵(元憲兵で多くの難事件を解決に導いたプロファイラーとして知られるJean-François Abgrall氏)らに調査を依頼した。事故の可能性は低いとの見方を強め、日本の警察に積極的な犯罪捜査を要請するために現在フランス司法への働きかけを続けている。

女優ファニー・アルダン氏は捜索に要する渡航費などの支援を募るUNIS POUR TIPHAINEの動画に声の出演で協力している。栃木県内のフランス人留学生らは通訳やビラの配布などで現地サポートを行い、東京のフランス人コミュニティでもガレージセールやチャリティイベントを開催して事件の風化阻止と経済的支援を呼び掛けている。

 

日本でコンサルティングを依頼された小川泰平氏は「自分に直接関係ない情報というのは記憶からどんどん抜け落ちていく。捜査方針によって貴重な証言を得る機会が失われた可能性がある」と事故の見方が強かった初動捜査のミスが長期化を招いていると指摘する。家族の証言通り、事故や自殺の線はないと断言し、拉致監禁されている可能性を示唆した。

日光到着から行方不明までのベロンさんのGPS動線

上は27日から28日にかけてのベロンさんの携帯電話GPS動線。川を渡って一度憾満ヶ淵に立ち寄ったかのようにも見えるが、11時34分に周辺でぷっつりと通信が途切れている。

携帯電話事業Free創設者Xavier Nielの調査協力によれば、ベロンさんの携帯電話はボタン操作による通常の電源切断ではなく、バッテリーが引き裂かれたか、破壊されるなどして「激しく切断された」ものとされた。

 

2021年6月16日、捜索隊50人で行われた6度目の大規模捜索では大谷川にダイバーを投入。河川敷での捜索に加え、上空からヘリコプターも動員した。栃木県警では3年間でのべ6900人を動員して捜索を行ってきたが有力な手掛かりや情報は得られていない。

家族らは誘拐・監禁との見方を強めており、日本の警察が「行方不明」事案として通信記録の開示請求、単なるヒアリングではない事情聴取などの強制捜査を行っていないとして憤りを募らせ、フランス警察による現地捜査を望んでいるとも現地記事は伝えている。

日本のテレビには「日本が好きだったベロンさん」について語り、警察や支援者への協力を感謝する兄妹の真摯な姿が映し出されるが、意思疎通はもちろんのこと、人権意識などの文化的な齟齬、法的に立ちふさがる障壁や日仏間に横たわる外交関係など多くの困難に苦しめられている。

 

フランス人ジャーナリストLénaMaugerと彼女の夫で写真家のStéphaneRemaelによる共著『Les Evaporés du Japon(日本の蒸発)』(2014)の中で、「切腹」が武士の名誉を守る手段として尊重されてきた歴史のごとく、日本人は経済事情による屈辱に甘んじるよりも人生そのものを放棄する「夜逃げ」や自殺を選択する風潮が指摘されている。

そうした文脈から、日本の警察は成人の自発的失踪、蒸発を「尊重」し過ぎるあまり、ヨーロッパ諸国の捜査に比べて極端に消極的だとする主張もある。

 

 

■所感

ベロンさんは慎重な性格で、自ら危険を冒すような真似はしないと家族は主張する。川が増水していれば余計に川縁に近づくことはなかったかもしれない。

一部には宿泊施設の関係者に疑いの目を向ける声もあるようだが、営業時間中に拉致監禁や被害者を移動させることが可能だったとは思えない。

また寺社仏閣、山や自然公園など観光地での声掛け事案は日光に限らず全国的に発生しており、旅行者の警戒心の低さに付け込む不審者も存在する。「車で目的地まで送っていこう」等と声を掛けられ、親切心との誤解を招いて連れ去られたことが危惧される。

本格捜査の拡大、そして一刻も早い女性の発見を願っている。

 

参考:

◆支援団体unis pour tiphaine

https://www.unispourtiphaine.org/