いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

茨城県境町一家殺傷事件2

2021年9月17日、水戸地検は埼玉県三郷市・無職岡庭由征(おかにわよしゆき)容疑者(26)を2019年9月に茨城県境町で家族4人を襲った殺人罪などにより起訴した。先立って行われた鑑定留置により刑事責任能力に問えると判断された。

過去エントリで取り上げた事件だが、容疑者逮捕以前に書いた整理されていない内容のため、改めて逮捕・起訴後を焦点に本稿を記している。裁判などの追記は本稿に加える予定である。

 

■概要

2019(令和1)年9月23日0時40分頃、茨城県境町の自宅2階で就寝中だった会社員小林光則さん(48)、妻でパート従業員の美和さん(50)が首や胸を多数切りつけられるなどして殺害された。2階別室にいた中学生の長男は両手足を切られて1か月の重傷、同じ部屋で寝ていた小学生の次女は催涙スプレーのようなものを両手にかけられて痺れなどの軽傷を負った。1階にいた大学生の長女に怪我はなかった。

通報は殺害直前に美和さん本人が110番を掛けたと見られており、1分程の通話で「何者かが侵入してきた」「助けて」「痛い痛い痛い痛い痛い」、救急車は必要ですかとの問いに「いらない」「やっぱりいる」と危険が差し迫っていた様子を窺わせるものだった。その後、警察から掛け直したが応答はなく、通報からおよそ10分で警察が駆け付けるも犯人の姿はなかった。

犯人を目撃した長男らは、帽子にマスク姿、黒いポーチを付けた男性単独犯に襲われたと証言し、サイレンの音を聞いて「ヤバイ」と口走って部屋を去ったと語った。長女は犯人と接触しておらず、「(2階で言い争うような声が聞こえたが)こわくて部屋から出られなかった」と話した。

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小林さん宅の周囲は鬱蒼とした木々に囲まれ、隣の敷地には町営の釣り堀池があり、遠目にはそこに家があるかどうかも分かりづらい。近隣の家までおよそ200メートル離れた孤立した立地から「ポツンと一軒家」と形容されることもある。住居の南側には車での出入りが可能な正面口と、北面には徒歩で釣り堀側へとアプローチできる出入口があった。正面玄関近くにはよく吠える飼い犬が居り、北面出入口は事件前にロープで簡易的に進路を防いであった(侵入は可能)。

捜査の結果、住居1階の浴室脱衣所にある無施錠だった窓から出入りした痕跡が確認された。屋内に土足痕はなく、1階の部屋に立ち寄らず2階に直行したものと見られ、金品を物色した形跡はなかった。屋外で複数の足跡・タイヤ痕が採取されたが、釣り堀の利用客のものと入り混じり、犯人との関連性は不明とされた。

住居北側の藪から血痕の付着した小林さん宅のスリッパが発見され、犯人が逃走の際に捨て去ったものと見られた。スリッパを元に警察犬の追跡捜査も行われたが、屋外ですぐに行方を見失っている。

 

■被疑者

事件当初、夫婦への怨恨が動機と見て交友関係を中心に捜査が進められたが、一家に大きなトラブルは確認されなかった。犯行は雨降りの深夜、周辺は農地が多く防犯カメラや周辺住民も多くない地域ということもあり、犯人につながる有力な情報はなかなか集まらず捜査は難航した。

しかし事件発生から2年で事態は一気に加速した。2020年4月に刑事部長が交替して、捜査方針を転換。流しの犯行を視野に入れ、周辺で発生した過去の類似事件の洗い出しを行い、隣接する埼玉県に網を広げたなかで、6月、被疑者として岡庭の名前が浮上した。犯人を目撃したこどもに確認したところ、複数枚の写真の中から岡庭の写真を選び「特徴的な目が似ている」との趣旨の証言をしていた。『創』編集長篠田博之氏によれば、警察は20年夏から行動監視などのマークを開始していたとされる。

 

2011年、11月に埼玉県三郷市で女子中学生を、12月に千葉県松戸市で女子小学生を刃物で襲う連続通り魔事件を起こし、同12月に銃刀法違反容疑で現行犯逮捕。上記の殺人未遂2件について認め、周辺で放火や動物虐待を繰り返していたこと等も供述し、自動車や倉庫など非現住建造物放火6件、動物愛護法違反2件、器物損壊など合わせて13件の罪に問われた。

事件当時は16歳。以前通っていた私立高校では遅刻や欠席はほとんどなく、おとなしくて目立たない生徒だったが、バイクに放火する様子を友人に撮影させるなど奇行もあった。凶暴なイメージはないとされる一方で、小学校時代の同級生は、補聴器をつけていた男子生徒に飛び膝蹴りを喰らわせるなどの暴力で不登校に追いやったとして「弱い者イジメをする子だなという印象」と語る(『週刊新潮』2021年5月20日号)。

家庭ではインターネットの暴力サイトの閲覧なども制限は殆どなく、保護者は多数のナイフ類を買い与えてコレクションさせていた。事件前の10月、同級生に猫の生首の画像を見せて「動物を殺したので次は人間を殺すつもり」などと吹聴し、「持ってきて」と言われて本当に教室に持ってきた。そのことが学校で問題視され、処置を巡って対立し、退学届を提出。逮捕時に在籍していた通信制高校へは編入したばかりだった。

女性を襲うことに性的興奮を感じると話し、公判では「今のままでは、またやっちゃうと思う」と述べ、罪悪感や反省の色は見られなかった。検察は「殺人への衝動が収まっておらず再犯の恐れが高い」として刑事処分を求めたが、一方で「自分を変えたい」と治療と更生への意思を示したことから、2013年3月、さいたま地裁(田村眞裁判長)は「医療少年院での治療を施すことが再犯防止に最良の手段」として家裁への送致を決定。さいたま家裁は広汎性発達障害との精神鑑定結果から、医療少年院での治療的働きかけに5年程度かそれ以上の処遇を要すると判断した。

2015年、被害女性らが岡庭と両親を相手取り、損害賠償を求める民事訴訟を起こし、さいたま地裁は両親の監督責任を認め、岡庭側に約1900万円の賠償支払いを命じた。

岡庭は2018年に医療少年院を満期出所し、夏から埼玉県深谷市の精神障碍者向けグループホームに入所。しかし年内にはすでに三郷市の実家に戻っていた。

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■逮捕

2020年11月20日、埼玉、茨城両県警は三郷市に住む岡庭容疑者を三郷市火災予防条例違反の疑いで逮捕。約45キロもの硫黄を危険物の取扱基準に反して所持していたことによるもので、20日間の満期拘留後、12月に消防法違反で起訴された。

21年2月15日、茨城県警は警察手帳の記章を偽造したとして公記号偽造容疑で逮捕。酷似した記章3個を制作し、警察手帳を偽造販売した疑いにより、3月に起訴。

押収品600点もの大掛かりな家宅捜索が行われ、その後、境町での殺傷事件との関連を雑誌各社が取り上げた。当初は、爆弾をつくるための薬物を大量購入しているとして殺人予備罪の容疑がかけられる予定だったとされる。

21年5月7日、小林さん夫妻殺害の容疑で逮捕。境署で開かれた逮捕会見では、容疑者は小林さん一家との「面識はない」とし、関係者への聴取、現場の鑑識、押収品の鑑定・解析の結果などから事件への関与の疑いが強まったと説明。動機の特定が急がれた。

 

家宅捜索により押収されたものの中には、刃物類のほか、「猛毒のリシンを含有するトウゴマ」や抽出に使う薬品、フラスコやビーカーなどの実験器具が多数含まれていた。捜査関係者は、母屋とは別棟にあった容疑者の自室は「まるで実験室のようだった」と証言(2021年5月7日、産経)。またトリカブトサリン生成に関する本などが押収されていたことも判明している(2021年5月11日、NNN)。

またスポーツタイプのものを含む複数台の自転車も押収されており、自動車免許を持たない容疑者が約30キロ離れた現場までの移動手段とした可能性があることが報じられた(2021年5月9日、時事通信)。

次女の両手に掛けられた催涙成分のあるスプレーと同一のトウガラシ成分(カプサイシン)の含まれる「熊除けスプレー」を容疑者がインターネットを通じて事件前に購入していたことが明らかとされ、成分内容から犯行に使用されたものと同一のものか関連が調べられた(2021年5月8日、時事通信)。

また現場脱衣所の外壁をよじ登る際に付いたと見られる足跡が採取されており、容疑者が事件前に同種のレインブーツを購入していたことも判明している(2021年5月13日、産経新聞)。

事件当日に現場周辺にいたことを示すGPS(位置情報)記録があったことは20年12月の『週刊現代』で報じられていたが、事件前に現場周辺を撮影した動画も見つかっており、周到に準備した上での犯行を思わせた(2021年5月10日、FNN)。現場周辺の地図情報や天候をインターネットで検索、犯行後には境町の不審者情報を確認した形跡があったことも明らかにされた(2021年5月13日、産経新聞)。地理を調べて自転車で徘徊する行動や事後の通報確認は、過去の通り魔事件でも繰り返していた手法である。雨の日の犯行も、犯行時の物音をかき消したり、逃走時の目撃を避ける狙いがあった計画的な犯行とみられている。

 

5月9日、身柄を水戸地検に移送。取調べには応じるものの、容疑については否認。

5月29日、長男に対する殺人未遂、次女に対する傷害の疑いで再逮捕。

6月7日、刑事責任能力を調べるため鑑定留置を開始し、9月6日まで行われた。

 

下のFNNによる記事では、精神科医井原裕氏が取材に応じ、医療少年院について、また岡庭容疑者について語られている。

www.fnn.jp

井原医師は、医療少年院を少年院や少年刑務所では適切な対応が難しいケースについて高度な専門知識を持った人間が社会復帰をお手伝いする施設とした上で、「医療少年院で行う精神科医療にもできることとできないことがあります」と語る。

「人を殺したいという独特な性癖に対して今の精神医学の中に性的傾向を修正する治療技術自体がありません」「特殊な性癖を持ったケースについては無力です」と精神科医療の「枠」を強調。「治せない。だからこそアフターケアが必要だ」とし、再犯リスクに対処できていない現行の刑法、少年法に警鐘を鳴らしている。

現行法では再犯を唯一予防できる方法が死刑であるため、厳罰主義に陥りやすい状況を生み出している。塀の外に出てから再犯につながらないように見守るアフターケア、社会内処遇の重要性を説く。

www.dailyshincho.jp

上の『週刊新潮』記事では、通り魔事件の被害に遭った少女の父親が「少年法の壁、制度の限界」に言及している。被害者からすればいかような相手であれ受けた傷の痛みや心に負った影響は変わりない。保護や社会復帰を目的とする少年法によって、却ってやり場のない報復感情が残るという側面もあるかもしれない。さらに早期の社会復帰となれば、恐怖心も拭いきれないだろう。通り魔事件の第一被害者となった中学生は、「自分が死ななかったから犯人は満足できず、次の事件を起こしたのではないか。女の子(第二被害者の小学生)に申し訳なかった」とまで証言していた。彼女たちが事件後に味わってきた恐怖心や、現在の心中を思うとやりきれないものがある。

 

6年前に「またやってしまうと思う」と述べた元少年は、いま何を思うのか。水戸地検石井壯治次席検事は「収集した証拠を総合的に判断した。適正かつ的確に捜査を遂行することができた」と述べた。ここまで公開されてきた情報では、被告が事前に事件現場周辺まで足を運んだ事実があるという状況証拠にしかならない。

公判で犯行を裏付ける証拠が明らかとなるのか、現在では黙秘を続けているとされる被告が何を語るのか、進捗を見守りたい。

韓国ホラー映画『コンジアム』感想

三度の飯よりオカルトが好きという好事家であれば、米CNNトラベルが選定した世界十大奇異スポットはご存知かと思う。

 

1.昆地岩精神病院(韓国、京畿道広州市

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コンジアム韓国版

南霊神経精神科病院。本作のメインテーマとなったコンジアム精神病院は「かつて収容施設として使われていた」「患者を放置して院長が自殺した」等の噂が絶えない廃病院。

事故死した娘が現れるとされる忠清北道チェヨン市にあったレストラン・ヌルボムガーデン、6・25韓国戦争の際に学徒兵400名もの遺体が埋葬された跡地に建てられた慶尚北道ヨンドッ郡にあるヨントッヒュンガと並び、韓国三大心霊スポットとされている。

 

2.セドレツ納骨堂(チェコ、セドレツ)

ローマカトリックの小さな教会ながら、約40000人の人骨によって室内が大々的に装飾されており、天井から広がる「人骨シャンデリア」で知られている。

13世紀に修道院長がゴルゴダから土を持ち帰ったことで評判となり、多くの敬虔なカトリック教徒がここに埋葬されることを望んだ。礼拝堂はやがて納骨堂とされ、16世紀に掘り起こされ、埋葬スペース確保のために新たな配置として飾りつけられ、世界でも類を見ない神聖な場所とされている。

 

3.アコデセワ・フェティッシュマーケット(トーゴ、ロメ)

世界最大のブードゥー市場とされ、サルの頭蓋骨やワニや蛇、コウモリといった儀式・呪術・医薬に用いるあらゆる素材が取引されている。

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By Alexander Sarlay - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=51729828

 

4.人形の島(メキシコ、テシュイロ湖)

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ラ・イスラ・デ・ラ・ムネカス。かつてドン・フリアン・サンタナという男性が運河で溺れて亡くなった少女を弔うために数多くの人形で島を飾ったとされ、The Dead doll Islandとして知られているが、佐藤健寿『世界不思議地図』(2017,朝日出版)では人嫌いだったため不気味な人形により他人を追い払おうとした説が唱えられている。周辺は水運で栄えた地域で遊覧船ツアーもある。

 

5.軍艦島(日本、長崎)

端島。明治から戦後にかけて海底炭鉱によって栄え、大正期には移住者向けの鉄筋コンクリートマンションが立てられ「軍艦とみまがふ」などと新聞で記され、その呼称に用いられるようになった。

最盛期の1960年には5000人以上が暮らしたが74年の鉱山閉鎖により無人化。長らく封鎖されたために「地球上でもっとも荒涼とした島」となった。

 

 

6.チェルノブイリ遊園地(ウクライナ、プリピャチ)

 

1986年の原発事故を機に街ごと廃墟と化した。かつては原発関連事業で移り住んだ家族連れで賑わったであろうその場所は、現在ブラックツーリズムに活用されている。

 

7.パリのカタコンベ(フランス、パリ)

18世紀、市内の大規模墓地サン・イノサン教会周辺の衛生状態は耐えがたいものとなっており疫病拡大の危険などから閉鎖されることとなる。そこで砕石に使われた古い地下坑道が納骨堂へと転用され、およそ600万人の遺骨が移納された(新たな遺骨は納められてはいない)。

坑道の一部区間は観光用に開放されているが、地下坑道に至る経路は数多くあり、cataphilesと呼ばれる地下への不法侵入者も絶えない。

 

8.ポヴェリア島(イタリア、ベニス)

1776年、ベニスを行き交う船の検疫のために保健所が出来て以来、いわくつきの島とされてしまった。ペスト患者の隔離施設が設けられ、入院したが最後、島を出ることなく多くの人がこの地で眠りについた。施設は20世紀前半、精神病院となり1968年の閉鎖までロボトミー手術や人体実験を行う研究に使われていたとも噂される。一説ではこの島では16万人が無念のうちに亡くなったとも言われ、「世界一幽霊が出る島」として取りあげられた。

 

 

9.ダルヴァザクレーター(トルクメニスタン、ダルヴァザ)

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Tormod Sandtorv - Flickr: Darvasa gas crater panorama, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18209432による

ラクム砂漠の奥地で溶岩のごとく煮え滾る通称「地獄の門」と呼ばれる天然ガス田。発見当初はガス油田を画策したが、噴出した有毒ガスを終息させるため短期間で燃え尽きることを予想して人為的に点火され、そのまま半世紀以上に渡って燃え続けて止まない。

 

10.ベルウィッチ洞窟(アメリカ、テネシー州

広い農地を求めてテネシー州に移り住んだジョン・ベルは妻子とともに13年ほど暮らし、レッドリバーバプテスト教会の執事となる。1817年の夏、彼らは奇妙な動物がさまよい歩く姿を見掛けたり、深夜にドアや壁を叩く音、鎖を引きずるような音や不審な呼吸音を耳にするなど奇怪な出来事が一年近く続いた。その後、ジョン・ベルは喉に棒が刺さっているような痛みや腫れ、痙攣に悩まされ、3年後に死亡。結婚を控えていたジョンの娘ベッツィーは引っかき傷や髪を引っ張られるなどの被害に遭い、父親の死後、婚約を解消した。

ベル家の怪現象は多くの人に知られることとなり、彼らを不幸に陥れた目に見えない力はケイト・バッツという魔女の仕業だとされた。ケイトは1828年にジョン・ベル・ジュニアの許へ訪れ、多くのことを語らい「ジョン・ベルの死には理由がある」と述べたが、その理由については明かそうとはしなかった。次に訪れるのは107年後だと言い残してケイトは去ったが、不吉な出来事が起こるたびに「ケイトはまだ洞窟に潜んでいるのではないか」と人々を不安に陥れた。

 

 

 

と、前置きが長くなったが、2012年に発表された「七大」でもコンジアム精神病院はノミネートされていた。そんな世界的な心霊スポットを韓国映画界が放っておくはずもなく、本作では体験型ショッキング・スリラーへと見事にパッケージングしている。

gonjiam.net-broadway.com

 

〈あらすじ〉

YouTubeチャンネル「ホラータイムズ」は視聴者参加型の心スポ凸で人気を博し、ライブ配信視聴者数100万人を目指して入念な計画のもと最恐心霊スポット「コンジアム精神病院」への突撃を敢行する。「旧日本軍による処刑施設」「ピンポン玉の怪」「院長の謎の自殺」「封印された402号室」…嘘か真か、様々な噂が渦巻くこの場所で7人の男女が見たものとは。

監督、脚本:チョン・ボムシク(『1942奇談』『Horror Stories』『ワーキングガール』)

脚本:パク・サンミン

出演:ウィ・ハジュン、パク・ジヒョン、オ・アヨン、ムン・イェウォン、パク・ソンフン、ユ・ジェユン、イ・スンウク

 

「怖い映画とは、その時代が象徴している怖さが入っていないといけないという考えが自分にはあります」

ジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ三部作が共産主義者に関する隠喩であることを受けて、ボムシク監督は上のように語っている。本作で言えば、登場人物として「YouTube配信者」を用いることで、視聴者数稼ぎ=目先の金銭によって、安全性や真実をないがしろにして過激な内容を追い求めるように変貌していく様はリアルに怖い。さらに「患者を殺害し失踪した」とされる元院長は史上初めて弾劾・罷免されたかつての大統領・朴槿恵を重ねている。元院長だけが正面を向き、周囲の患者たちはあらぬ方向を向いている、どちらがおかしいのか分からない古写真は滑稽ですらある。

 

韓国に実在する建物を舞台にし、そして若者にとってもはや日常となった動画メディアを組み込むことにより、観客は映画そのものを「ライブ配信」さながらに受容・没入させ、「第八番目のメンバー」となって恐怖の現場へと引きずり込むことに成功している。その結果、本作は公開15日間で観客動員256万人を記録し、韓国ホラー第2位のメガヒット作となった。日本で公開された「村」シリーズ等でも動画配信者は登場するが、臨場感ある映像や物語的リアリズムの醸成、映画構造への活かし方は本作の方がはるかに優れていると思う。

 

メンバーの身体に取り付けられたカメラによる撮影は『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』等でも採用されたPOV;Point Of View手法による登場人物の「主観」視点が特徴とされる。フェイスリアクションを映すCCDカメラはキャスト達の様々な表情を観客に提供し、逃げ惑う様子を克明に描出する小型アクションカメラなどによって不安や恐怖を体感させてくれる。尚、エンドロールの撮影スタッフ欄には実際に多くの映像を撮影することになった出演者たちの名前も加えられており、「演技」だけでなく文字通り「作り手」となっている。

また室内に設置したパノラマショットのカメラや追尾ドローン撮影なども含め、通常の3倍もの映像素材を13カ月かけて編集し、躍動的で隙のない絵面づくりが凝らされている。個人的にはアメリカ・セシルホテルで発生した行方不明事件で“奇妙なエレベーター内での監視カメラ映像”が公開されて世界的に話題となった「エリサ・ラム事件」にも近い恐怖感覚を彷彿とさせる場面も見られた。

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序盤の顔合わせや水上アクティビティ、現場に向かうまでの若者たちの姿は、カジュアルな動画のようにテンポよく紹介。「合コンみたい」なわくわくした様子は、「怖いもの見たさ」で足を運びながらも未だ「恐怖」に出会っていない映画館に訪れる観客の心情さながらである。

いざ現地に着くと「怖いもの見たさ」と「怯え」が半々といった様子で俄かに緊張感が増していく。リーダーのハジュンは屋外テントで配信機器を操作、残る6人が廃病院へと足を踏み入れる。配信が始まり、院長室、実験室、浴室、集団治療室、備品室、開かずの402号室…各部屋を予定通りに紹介していくメンバーたち。一般的な廃屋や森などと違って、それぞれの部屋に役割があり、かつて人々に何があったのかを想像させるという面でも「廃病院」は打ってつけのモチーフである。

段取りに従って降霊術を始めると怪奇現象が発生し、一同は騒然とする事態に。しかしそれはリーダーのハジュンたちが話題集めのために仕掛けた“ヤラセ”だった。多くの心霊スポット巡りを好むシャーロットですら「ここはヤバい」とパニックとなる一方で、ホラータイムズメンバーたちは「リアクションがいい。彼女を中心に映せ」と指示。視聴数も見る見るうちに跳ね上がり、「100万人視聴」達成へのカウントダウンも緊迫感を盛り立てている。

「廃精神病院」「ヤラセ心霊番組」をモチーフとしたモキュメンタリー・ホラーとしてはザ・ヴィシャス・ブラザーズによる『グレイヴ・エンカウンターズ』(2011、カナダ)が先行している。こちらはテレビ番組の撮影クルーが「コリンウッド精神科病院」での撮影で怪現象に見舞われる内容だが、同病院は実在せずブリティッシュコロンビア州にあったリバービュー病院跡(心スポではない)で撮影されたもの。『コンジアム』での「病院の時空が歪む」、「見えない何かに吹き飛ばされる」、「ひとりでに動く車椅子」などのアイデアはこの作品へのオマージュと考えられる(ホラー映画はパクリ/オマージュが多すぎるので本来のネタ元は不明)。

 

行動部隊の先導を担うスンウクは慄くメンバーたちを尻目に人形に触れたり、手術で使用されたといわれる棺桶のような箱に手を差し込んで「中から引っ張られた!」と番組を盛り上げる。怖がらせるためにわざとそうした演技をしていると疑ったジヒョンは怒って自らも手術箱に右腕を突っ込む。すると得体のしれない強い力で引っ張り込まれそうになり、ようやく抜き出した腕には爪痕のような大きな切り傷が。箱の扉がひとりでに開くも中には何もない。シャーロットに続いてジヒョンもパニックに陥り、現場から逃げ出す二人。ボムシク監督はインタビューで単に人が建物にいるのではなく「人と建物との対峙」を描こうとしたと語っているが、メンバーたちが冷静さを失っていくと巨大な構造物の各部屋がまるで生きた「臓器」ででもあるかのような錯覚に陥る。

壁にあった落書きは来たときとは別の文言に変わっている。明らかに何かがおかしい。モニター越しに行動を指揮するハジュンも度重なる機械トラブルやリプレイ映像で不可解な現象を認識していたが、激的に増えていく視聴数を前にここで配信を止める訳にはいかないとスンウク、ソンフンに撮影続行を指示。2人は広告収入の分け前アップを要求して踏みとどまるが、実際に危険な“何か”が迫っていることに耐えかね、402号室の前でスタンバイしていたアヨン、ジェユンに“ヤラセ”があったことを打ち明けて逃走を呼び掛ける。100万人達成目前にして配信続行が危ぶまれ、居ても経ってもいられなくなったハジュンはテントを出て現場へと乗り込もうとする。

 

ホラー映画を見る上で問題となるのが、「怖さ」と「面白さ」の匙加減であり、ホラー映画の「評価」ほど当てにならないものはない。ホラー映画マニアである程、いわゆるB級テイスト(おバカ感)に寛容になる傾向があり、「全然怖くはないけど面白い」といった価値観が存在する。「マニアの評価は当てにならない」という意味ではなく、恐怖表現に対する耐性ができていたり、どんなジャンルにおいても言えることだが作品そのものに対する見方が先鋭化されすぎるきらいがある。

製作費が低予算なことから、チープなCGや滑稽な演出、糞みたいな役者が多くなったり、コアカスタマーは男性に偏るため不必要なエロ要素が盛り込まれるなど、多くのホラー作品に共通する特性が生じやすいこともそうした「恐怖以外の楽しみ方」を誘う要因である。「向こう見ずな筋肉バカ」であったり、車内や心スポですぐにおっぱじめようとする「スケベ用カップル」、あるいは「たまに襲撃に失敗するモンスター」といった登場人物のキャラクター性や「死亡フラグ」「お約束」もマニア的には見どころになっている。

そういった意味では、『コンジアム』における男女7人は一般公募の美女3人、リーダー・ハジュン(若い頃の星野源さんにしか見えない)は個性が立っているが、残るダメンズ3人はやや灰汁が少ないように思う。印象は観客によってだとは思うが、登場人物のキャラクターを薄めることで却ってリアリティは増しており、余計な客体化を省くことで恐怖表現や廃病院のおどろおどろしい環境にストレートに没入することができたように思う。ただ「ホラースポット巡りが好きな帰国子女」というキャラ付けのシャーロットが「おっぱい要員」とされ、山の廃墟にハイヒールという凡ミスをする点は妙に思うが、「なんちゃって上級者」という演出意図があったのかもしれない。おっとり系看護学生アユンと序盤からやたらと彼女をからかうジェユンにも恋愛要素めいた展開を期待してしまうが、拍子抜けするほど何もなく、終盤は恐怖表現が猛威を振るう。

 

韓国ホラー映画最大のヒット作『箪笥』(2003、韓国)は、李氏朝鮮時代の古典文学『薔花紅蓮伝(そうかこうれんでん)』をベースにした物語である。原作は、継母による姉妹への虐待と姉妹による復讐がテーマとなっており、度々舞台や映画とされてきたもので、多くの観客は原作を読んだことがなくても(たとえば日本でいう「四谷怪談」「番町皿屋敷」のように)「怖い話」としておおよその内容を知っている。しかし『箪笥』は原作や過去の作品群が踏襲してきた勧善懲悪的な定石を覆したという意味で画期的な作品である。

舞台となる古い屋敷の豪奢な調度品の数々と冷酷な継母の美しさ、凍てついた家族関係の禍々しさとの映像的対比が鮮烈な印象を残す。また恐怖表現としては、Jホラーでもよく見かける「背景への映り込み」などもあるが映像よりも「音」によるショック演出が多く感じられる。姉のスミは気弱な妹スヨンに、継母に虐められたらすぐに助けを呼ぶようにと言い聞かせており、継母の飼う小鳥のさえずりを嫌う一方で自分は口笛を吹いている。

ボムシク監督は(『箪笥』とは言っていないが)そうした従来の「音」によって驚かせるような恐怖演出は避けたとしているが、ジヒョンが何者かに取り憑かれたシーンでは奇怪な声色を作り出しており印象的である。一方で迫りくる怪異をCCDカメラで再現することで、「単なるチラ見せ」になりがちな通常の映り込みとは違った、耳元で息を吹きかけられているかのような臨場感のある気色の悪さを味わうことができる。

 

日本であれば「霊」は「亡くなった人」がベースとされる古くからの考えや描かれ方により、精神病院でお化けを登場させるとポリコレ的に物議を醸してしまいかねない。霊であっても人体で表現する際にはある程度人権を尊重した描かれ方を要求されるのだ。一方の韓国ではキリスト教がメジャー宗教なためか、死者の亡骸に「悪霊」が乗り移るエクソシズム的な捉え方が見られる。

本作では直接的に死体やモンスターと格闘する様子は多くは描かれないが、402号室に迷い込んだシャーロットが「得体のしれないもの」と対峙してしまい、扉が開かず逃れることのできない恐怖を非情ともいえるほどの長回しによって表現した場面の胸糞の悪い重苦しい空気感は最高に刺激的だった。

廃病院の濁った雰囲気や黴臭いような湿度は玄人向け、それでいてYouTuberという設定によってホラー映画に孕む「障壁」を取り払い、「お約束」に馴染みのないティーンでも素直にワクワクを楽しみ、ワーキャー怖がれる良作に仕上がっている。204号室への導線やあのメンバーはいつ何処へ?といった細かなツッコミは抜きにして、仲間達と集まって五感で楽しむのがよきかな、と思う。非モテ拗らせおじさんが部屋で独りで見ると別の恐怖や将来への不安が襲ってくるかもしれないのでそこは要注意。

 

本国での公開直後、コンジアム精神病院は取り壊され、私たちは永遠に「402号室」に足を踏み入れることはできなくなったものの(不法侵入はダメ絶対!)、今作によっていつでもその恐怖を追体験できるようになったともいえる。記録映画やモキュメンタリー作品ではないものの、映画はひとつの記録媒体であり、過去の物語を残すことこそが文化活動ともいえ、結果的に見れば韓国サブカルチャーの一種の記念碑的作品ともなった。

 

 

■参考

edition.cnn.com

北海道鹿追町老人ホーム殺人事件

1997(平成9)年6月に北海道鹿追町にある特別養護老人ホームで発生した殺人事件について記す。80歳の高齢者がなぜ殺されなければならなかったのか、犯人の目的は何だったのか。十勝平野の長閑な町を襲った悲劇は現在も未解決のままとなっている。

 

 

概要

1997年6月3日午前0時半頃、北海道河東郡鹿追町北町の特別養護老人ホームしゃくなげ荘で「ぼたんの間」入所者の沼倉忠さん(80)がベッドで首から血を流して亡くなっているのを巡回中の施設職員の女性(25)が発見し、すぐに新得署に届け出た。

当然、入所者たちは就寝時間である。遺体はパジャマ姿で布団を胸までかけた仰向けの状態だった。室内には争った形跡や物色された痕跡もなかった。各室の枕元には緊急呼び出し用のブザーがあったが鳴らされることはなく、就寝中に一気に刃物で切りつけられたと見られている。

司法解剖の結果、死因は頸動脈切断による失血死。傷は長さ約5センチ、深さ約1センチ、左の耳下からのど元にかけて鋭利な刃物で切断されていた。死亡推定時刻は午前0時前後と推認されている。現場から凶器とされた刃物類は見つかっていない。

 

状況

老人ホームでは夜間は職員2人と警備員1人の計3人の体制で仮眠を取りながら交代で部屋を巡回している。2日の23時時点で職員が施設内を見回ったときには異常はなかった。巡回と巡回の間、約1時間半の隙を狙って何者かが侵入し、沼倉さんを襲ったのであろうか。
施設の出入り口は玄関や非常口など4か所あり、定期的に施錠点検がされていた。施設内の廊下から沼倉さんの個室にかけての入り口は施錠できるドアではなくアコーディオンカーテンで仕切られているだけなので、中からは誰でも出入りができる。

個室の窓は施錠するようになっているが、沼倉さんは閉め忘れることが多かったとされ、事件発生時にも庭に面した窓は開いたままになっていた。さらに窓枠や室内から枯れ草のついたアメリカ製の高価なスニーカーの足跡が数個見つかったことから、犯人は窓から侵入した可能性が高いと見られている。

また廊下の先の非常口の庇(ひさし)部分には手を掛けていたような跡が見つかった。廊下は一直線で、施設の外から廊下を見渡せる場所にあったため、犯人はここから犯行のタイミングを伺っていたとも考えられた。

イメージ

 

沼倉さんは事件の起きる8年前の1989年11月から入所。4人の息子が独立して同じ町に暮らしていたが、一人暮らしが困難となり施設に預けられた。生来から強情で気性が荒く、大声で怒鳴り散らすこともあり、それに認知症の症状が加わり、家族の手に負えなくなった。

入所当時から足に障害があり、移動に歩行器を使用していた。事件前は1日中ベッドの上に横たわっていることも多く、認知症の症状も進んでいたという。

それに比べて、犯人像は事前に所内を窺う周到さを持ち、スニーカーを履いた身軽な人物は被害者と同年代とは考えにくく、ただ命を奪うためだけに侵入したかのような現場状況は不釣り合いのようにも思われた。

事件前の5月12日(13日?)にも、沼倉さんは左目の下から血を流して2針縫う怪我をしていた。沼倉さんは「30歳くらいの男にやられた」と話していたが、認知症も進んでおり、歩行も困難なことから施設側は何かにぶつけて出来た傷と判断して警察には届け出ていなかった。

また遺体発見直後に部屋から病院への搬送作業などによって、現場保存が適切でなかったことも現場検証など基本捜査が難航した一因とされている。

 

■環境

鹿追町十勝平野北西部に位置する畑作や酪農を主要産業とする人口約6000人(1995年当時)の小さな町である。1960年には約2000世帯、人口10000人を超えて増加のピークを迎えたものの、交通網の整備などにより70年には人口7883人と流出超過が進み、微減傾向が現在まで続いている。

1947年、町と然別湖の間に陸上自衛隊然別演習場が設置され、駐屯地を備える。

十勝平野に位置し、地図で見ても分かる通り、町の周囲は広大な耕作地に囲まれている。最寄り駅は根室本線新得(しんとく)駅で事件現場からは約18キロ、車で25分程の距離にあり、比較的距離がある。付近の都市としては35キロ程離れた帯広市が中心街となる(車移動でおよそ40分)。

しゃくなげ荘は1980(昭和55)年に町立の特別養護老人ホームとして開設。85年に法人化され経営が移管された。平成に入ってから利用者が増加し、事件当時の入所定員は50名、スタッフは28名であった。男性職員は施設長を含めて6名、うち2名が介護担当職員で、残る22名は女性が占める職場であった。専門学校を出て就職した若い女性介護スタッフが多かったという。

1997(平成9)年11月には食堂が増築され、その後、ショートステイ棟、ユニット棟の増築が進められ定床数を増やしていったことからも、ほぼ定員いっぱいの利用者がいたとみられる。

 

気象庁データによれば事件のあった97年6月2日から3日にかけての気象状況は、

〔2日〕降水量0mm、最低気温3.8度-最高気温9.0度、最大風速2m、日照時間0.0h

〔3日〕降水量5mm、 最低気温4.6度-最高気温10.3度、最大風速2m、日照時間0.0h

とされ、5月の平均気温8.7度、6月の平均気温14.0度であるから、厚い雲に覆われて肌寒い日が続いていたと見ることができる。尚、3日の降雨は3時前後である。

事件前に目の下を怪我した5月12日(13日?)についても見ておくと、

〔12日〕降水量1mm、最低気温0.8度-最高気温16.5度、最大風速3m、日照時間9.6h

〔13日〕降水量0mm、最低気温0.9度-最高気温23.2度、最大風速3m、日照時間8.5h

とされ、日中よく晴れて寒暖差が非常に大きく、13日に関しては当年5月の最高気温を記録している。

 

犯人像について

睡眠中の老人の頸動脈を切りつける犯行からは明確な殺意が窺える。その一方で、沼倉さん自身はすでに入居から8年で認知症も進んでいたということから、外部の人間とは長らく交流する機会もなかったにちがいない。

また通常こうした施設では紛失やトラブルの元となるため貴重品を所持させない。荒捜しした形跡がなかったことからも金銭等の強盗目的ではなかったと考えることもできる。

数は少ないと思うが、施設の特性上、退所した元利用者なども高齢者であるため、窓からの侵入や非常口のひさし(数十センチ程度の屋根)に上って様子を窺うといった犯行とは相容れない。もし動機が怨恨にあるとすれば、ホーム職員ら施設関係者、あるいは親類や古い縁故の者に限られてくる。

 

まず施設関係者であれば建物の構造、夜間巡回についての知識もあり、最も犯行に適している立場にあるといえる。日常的な不満やトラブルから殺害に至る動機も充分にありうる。当然、道警の取り調べも最も時間が費やされたと思われる。沼倉さんは認知症もあり突発的に不満をあらわにする場面も多く、着替えやおむつ交換などの際に激しく抵抗し、女性職員では制しきれない力で叩かれたり、蹴られたりしたこともあったという。

親類や古くからの縁者であれば、強い怨恨があったとしてもおかしくはない。だが親族や通常の面会者であれば、施設側でも把握されており、警察の聞き込みも早々に及んだものと思われる。また沼倉さんの死に遺産相続などが絡んでいれば親族は真っ先に疑いが向けられたはずだ。

 

そうすると1か月前に沼倉さんに怪我を負わせたという「30歳くらいの男」という話が引っ掛かるところである。話の出処は不明だが、ホーム職員か治療した医師あたりであろうか。

沼倉さんが複数人に対して直接そのように話していたとすれば重要証言のひとつとなるが、たとえばなじみの担当職員が「沼倉さんがそのように言っている」と他職員に伝えたり、日誌などに記録したり、病院側に説明していたことも考えられる。

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認知症に関して言えば、自分の失敗について理屈の通らない「言い訳」をすることは非常に多い。「30歳くらいの男」発言についてもその信用性は決して高いとはいえず、おそらく警察に通報していても100パーセントは信用してもらえないのではなかろうか。

しかし穿った見方をするならば、被害者が認知症で「信頼できる」状態にないのをよいことに、虐待した施設職員が揉み消すために「30歳くらいの男」発言を捏造したとは考えられないか。日常的な虐待がなかったとしても、急に物を思い切り投げつけられて咄嗟に投げ返す、強い力で腕を掴まれて思い切り突き飛ばしてしまうといった突発的な出来事で怪我をさせてしまい、隠蔽が行われた可能性も脳裏をよぎる。

元警視庁捜査一課長田宮榮一監修『捜査ケイゾク中 未解決殺人事件ファイル』(2001、廣済堂)では、施設側は沼倉さんが窓を開けて物を投げ捨てる奇行に手を焼いており、容態の進行から病院への転室を促したが、一般病院ではトラブルを起こしてホームに戻されたことがあったとされる。事実上、家でも病院でも特養ホームでもお手上げに近い状態だったといえる。

未解決殺人事件ファイル―捜査ケイゾク中

仮に「30歳くらいの男」が事実いたとして、当時80歳だった沼倉さんにとって一般的には「孫世代」に当たる人物となる。直接的に沼倉さんと面識があった、怨恨を抱くような人物となれば、実際の孫(不明)かホームで働く職員以外には考えづらい。

「沼倉さんは窓を施錠し忘れることが多かった」とされているが、はたして本当に沼倉さんが施錠し忘れていたのであろうか。当日夜勤でなくとも、職員であれば密かに解錠しておいて侵入経路を確保することも不可能とまでは言えない。

事件が発生した1997年6月2日は月曜日、3日は火曜日。さらに事件前に目の下を怪我した5月12日は月曜日である。これが偶然の一致なのかは分からないが、当時の施設の勤務状況や出来事と照らし合わせれば何か分かることもあったかもしれない。

一方で、容態は思わしくなく、自立的に寝起きできない「寝たきり」に近い状態で、死期が迫っていたとさえ記されている。

 

別の犯人像

既述の通り、施設関係者や親戚縁者などは真っ先に疑いを向けられる対象である。孫には20代、30代の者もいたが、同居経験はなく、疎遠と言ってよく、殺害に至るような恨みや金銭的なからみもなかった。

警察では、有力な証拠もなく、ほかに容疑者が浮上しないこともあって特養ホームの施設長、現場責任者の生活指導員に追及の矛先が向けられたとされる。しかし長年にわたって対応に苦慮しながらも、受け入れを続けてきた彼らがもはや「死期の迫った」入所者をどうしても殺さなければならない理由というのもどうにも酌みがたい。

十分な調べによって、施設関係者や古くからの縁者の線は排除されたとすれば、はたしてどのような犯人像が想定されるか。被害者に対する個人的な怨恨が動機ではないケースをいくつか挙げて終わりにしたい。

 

ひとつは老人嫌悪による差別的犯行が考えられる。相模原市障碍者福祉施設で起きた連続殺傷事件(植松聖)のように、強烈な差別意識から無力な老人男性や認知症を持つ老人を狙う動機になったのではないか(相模原の場合は障碍者に対する嫌悪・優生思想)。同業他社の介護従事者や自宅での身内の介護ストレスなどによっても、そうした差別感情を拗らせ、その腹いせで犯行に及んだ人物なども想像されないか。

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また鹿追は非常に小さな町であることから、同じ町内で犯行を犯すには大きなリスクを伴う。帯広、芽室、清水といった近郊の市町村に在住していることも考えられる。過去に鹿追在住だった可能性もある。

 

もうひとつは、被害者でなく施設職員に対して恨みを持つ人物による当てつけ的な犯行である。第一発見者の施設職員は25歳女性であり、同僚も女性ばかりという労働環境である。

事件捜査となれば被害者との個人的トラブルについて真っ先に目が向けられるが、28人の職員について、たとえば恋愛関係のもつれ、離婚の有無といった周辺の人間関係やトラブルまで充分な洗い出しきれたのだろうか。そうした職員の身内や知人であれば、施設情報や勤務形態などについてもある程度知る機会はあるだろう。

類推して考えれば、たとえば職員の息子が、責任を負う立場になる親に対する当てつけとしてそうした犯行に至ることもありうるのではないか。だとすれば、事件当日(および5月12日)の施設職員の身辺に恨みを持つ人物はいなかったか。

 

あるいは無知な若者による犯行も当然考えられる。事件の起きた1997年当時、若者の間ではハイテクスニーカーブームが絶頂の時期であった。NIKE社の「エアマックス95」は元々1万5千円程度で販売されたものの、斬新なデザインが人気に異常な拍車をかけ、20万~30万円近い高値で取引されることもあった。当時はまだインターネット黎明期でパソコン通信をする人口はひと握りに限られており、フリーマーケットや個人情報交換雑誌『じゃマ~ル』などを通じて個人間売買も盛んになっていた。その異常人気から、模造品の転売、街中での「マックス狩り」も社会問題となるほどであった。

現場で発見されたスニーカー痕の製品名は明らかにされておらず、模造品の可能性も排除しきれないように思うが、そうした高価なファッションに金をかけるために強盗に押し入る発想は想像できる。親の介護などの経験のない若い世代であれば、入所者は金品を持たされないことなどを知らなかったことも考えられる。侵入したはいいが、金目のものは見当たらず、脅かして聞き出そうとしたが激しく抵抗したため、咄嗟に切りつけ逃げ去ったというのがシンプルな見方かもしれない。

この筋読みであれば、犯人は10代から20代。個人を狙っていた訳ではなく、窓がよく開いている「ぼたんの間」に目を付けていたとすれば相当に近場に住んでいたことも推測される。

 

現在では監視体制の強化や防犯意識の向上により容易にこうした施設を襲撃する事件は起こりづらくはなっている。とはいえ、カメラの外、防犯の隙をついていついかなる凶行が襲ってくるとも限らない。介護従事者の方々だけで防犯するにも限界があるため、今後もより安全で快適な施設づくり、制度設計が求められる。

 

沼倉さんのご冥福と、ご家族の心の安寧をお祈りいたします。

 

自発的失踪の行方—鹿児島市女子高生死体遺棄事件

2019年8月、鹿児島市吉野町の山林で一部が白骨化した身元不明の遺体が発見される。その後、遺体は県内で13年前に行方不明になっていた(当時)高校3年生だった女子生徒と判明。

事件はすでに終結済みだが、毎年、数ある行方不明事案と事件との中間ともいえるケースとして振り返っておきたい。

 

■発見

2019年8月13日午後、鹿児島市吉野町磯地区の山中で作業をしていた男性から「人骨のようなものがある」と警察に通報が入る。

発見現場は、JR鹿児島中央駅から北東約5キロの山林内で、薩摩藩島津家別邸の名勝・仙巌園(せんがんえん)のすぐ近くであった。

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仙巌園錦江湾を大きな池に見立てて桜島を臨むことができる雄大な景色から「磯庭園」とも呼ばれ、島津斉彬が大砲鋳造のために設けた旧集成館反射炉などが「明治日本の産業革命遺産」のひとつとして2015年に世界文化遺産に登録されるなど、鹿児島を代表する歴史観光スポットとして知られる。

また2018年にはNHKで放映された大河ドラマ西郷どん(せご)』のロケ地としても登場しており、当時は特に脚光を浴びていた。一日数百から数千人もの拝観者があり、目の前を通る国道10号は鹿児島市から県東部、宮崎、大分までをつなぐ主要道路で交通量もある。海水浴場にも近く、周囲にコンビニや飲食チェーン店もいくつか存在する。

一方で周辺人口は少なく、発見現場は近隣住民でも滅多に立ち入らない山林であった(下の地図の駐車場北側)。不審車両の出入りがなかったかなど、周辺の防犯カメラ映像の解析が進められた。

 

 

 

 

その後、県警が捜索した結果、8月19日16時25分頃、一部が白骨化した残りの遺体を発見。大半が土に埋められていたことから死体遺棄事件と断定して殺人の可能性も視野に入れて捜査が進められた。

司法解剖の結果、目立った外傷はなく死因は特定されなかったが、発見時点で「死後1年は経過していない」と見られた。8月下旬には遺体着衣の一部のイラストを公開され、身元の特定が急がれた。

 

■特定

 9月25日、鹿児島県警は、遺体のDNA型鑑定、歯型の治療痕によって、2006年4月から志布志市で行方不明となっていたNさん(不明当時17歳)と判明したと発表。

行方不明から約13年ぶりの発見は、最悪の結末を迎えた。

しかし行方不明とされてからすぐに死亡した訳ではなく、10年以上の間、生存していたとみられることから、その間の彼女の足取りや、はたしてだれが遺棄したものか、様々な憶測を呼んだ。

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桜島の左手にあるマークが発見現場、右下が志布志市

志布志市から直通の電車こそ通っていないが、鹿児島市までおよそ80キロメートル、車であれば90分ほどの距離である。

たとえば自発的な家出のほか、誘拐犯による長期監禁や洗脳状態に置かれていた、あるいは暴力団などによる人身売買ルートに流された、などといったことも考えられた。

 

■行方不明

 Nさんは県立高校3年生だった2006年4月初旬に行方が分からなくなった。

当時、父、妹、弟との4人暮らしで、夜中に家から出て行く物音を家族が聞いていた。携帯電話や財布を持って出たことから、自発的に外出したものと考えられた。

しかし、翌日以降もNさんは帰宅せず、高校から「始業式に出席しなかった」と父親に連絡が入り、6日、志布志署に家出人捜索願を提出。犯罪に巻き込まれた可能性がある「特異家出人」として受理されていた。

しかしその後、家族に「元気でいる」という趣旨のメールが複数回届いており、内容の一部に家族だけが知る情報が含まれていたことから、本人が発信したものと考えられた。また離婚して別居した母親にも同様のメールがあったとされている。

 

そのため、家族はNさんが事件に巻き込まれたとは考えておらず「家出」として捉え、親族間で話題にすることは避けて過ごしてきたという。

2019年に発見された遺体がNさんと特定された際、遺族は代理人弁護士を通じ「事件のことを知り、驚きと深い悲しみに包まれています。捜査を見守っていきたい」とのコメントを出した。親族の女性は「おとなしく、勉強もできる子だった。どこかで誰かと一緒に生活していると思っていたのに。こういうことになって苦しい」と語った。

 

 

■時効 

2020年4月22日、鹿児島県警捜査1課は、Nさんの死体遺棄の疑いで、鹿児島市の30代・無職男性を鹿児島地検書類送検したと発表した。つまり被疑者は特定したが、逮捕をしないということである。

 それまで発覚を免れていたものの、死体遺棄事件となったことで捜査が本格化し、当時Nさんの知人だった男性が浮かび上がった。男性は「事実に間違いない。Nさんの家族に申し訳ない」と容疑を認めた。

殺人を含む凶悪犯罪については2010年に公訴時効は廃止されているが、「死体遺棄」であることから「3年」という時効が成立した格好である。無論、殺害についても捜査や任意の事情聴取は進められたと考えられ、その結果、男性は殺害に関与していない(殺人罪に問うことはできない)と判断されたことになる。

 

Nさんは家を出た2006年4月以前にインターネットを介して男性と知り合い、家を出てからすぐに男性が鹿児島市内に借りるアパートで一人で暮らすようになったという。

男性は10年ほどの間、Nさんが暮らすアパートを訪ね、食料や日用品などを届けていたが、2016年5月にアパート内で死亡しているのを発見。「家出人を匿っていたことがばれるのが怖かった」として、数日後、遺体を山林に遺棄したと話している。

県警はNさんの死因が特定できてはいないものの、他殺の可能性は低いとした上で、男性による監禁についても認められないとし、事件を終結させた。

Nさんの遺族は弁護士を通じて、「犯人が処罰されないことは残念としか言いようがありません。今はただそっとしておいてほしいと思います」とコメントを出している。

 

 

 ■“出会い系”からSNS

Nさんと男性がどのようなサイトを通じて知り合ったのか、家出以前に面識はあったのかといったことは明らかにされていない。

ここでは簡単に当時の若者のインターネット事情を確認しておきたい。1999年以降、NTTDoCoMoが提供した携帯電話サービス“iモード”によって、若年層のインターネット利用が爆発的に増加。『魔法のiランド』『スタービーチ』などいわゆる“出会い系”サイトが乱立し、売買春やわいせつ被害の低年齢化が大きく問題となった。2003(平成15)年にはいわゆる出会い系サイト規制法が成立したが、下の表の青線を見ても分かるように青少年の利用状況に大きな影響を与えなかった(出会い系サイトは08年の規制強化で大きく減少に転じている)。若者たちは携帯での出会いを積極的に求め続けていたのである。

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規制強化の流れを受け、2004年には『前略プロフィール』『GREE』『mixi』といった交流サイトが立て続けにサービスを開始し、若い世代を中心に人気を博した。趣味や関心領域、ブログ等を介して、見知らぬ人と知り合うことが当たり前となった。また地域掲示板などを介して連絡を取り合ったり、イベントオフ会なども定着した。

同じ鹿児島県内で同年代の男女が知り合う、それも「家を出たい」という少女がいれば「助けになろう」という男性が現れることはなにも不思議なことではない。2010年代には「ネカフェ難民」や「家出少女」が社会問題化することを私たちは既に知っている。貧困や虐待、家庭内不和、あるいは自分の夢や目標を叶えるためといった様々な事情で家を出たいと考える若者はいつの時代にも一定数いた。

 

■事件について

母親は離婚して別居、弟妹がある家庭で家事の負担や将来への不安感から、一人になりたい、別の人生を歩みたいと考えたのかもしれない。多感な高校生の時期にネット上での協力者との出会いをきっかけに家出が実行されたと見られる。素直に想像するなら、10年間もの間、男性からの支援で生活してきたものの、病気か何かで亡くなってしまったというところだろうか。

男性に殺害の疑いを向けることもできるが、自身やNさんとの将来に向けて思うところもあったには違いないが、家出少女に10年間尽くしてきた男性が急に殺害に転じるとはやや考えにくいものがある。重病者に対してそのまま放置すれば命の危険があると判断できているにもかかわらず病院に連れて行かない保護責任者遺棄致死などの可能性も想像できなくはないが、ほとんど周囲の人も知らない関係性と思え、遺族の意向などもあって立件されなかったのかもしれない。

裁判はおろか逮捕すらされなかった死体遺棄事件であるため、公開されている情報は多くない。そのため穿った見方はいくらでもできてしまうが、これ以上の詮索は自重したい。

 

都会であれば、水商売など金をつくる手立ても探せば見つかる。不良であれば縁故や金になる犯罪への手引きも身近にあるかもしれない。だが田舎の普通の学生が、不意に家出を思い立ったとき、手近にあったのが携帯電話のSNSだった。幸運にも協力者が現れ、彼女は家出を決行し、切ない最期を遂げてしまった。

だがこうした「普通の行方不明者というのは、もしかすると私たちが考えている以上に多く存在しているのかもしれない。若い内は大きな病気もせずに衣食住の心配だけで事足りるが、いざ病気に罹って働けなくなったり、協力者(人によっては交際相手、不倫相手など)との間に軋轢が生じたりすれば、すぐに行き場を失う弱い立場で生きている。

「家にいたくない」「お金が欲しい」といった素朴な感情は、老若男女を問わず誰しも生じる。見ず知らずの他人に一宿を求める家出少女や多額の金銭を法外に得ようとする「パパ活女子」などSNS上で自らの隙を見せるような行為は、犯罪者を増長させる愚行である。

家出少女を狙った栃木連続少女監禁(伊藤仁士)や、自殺志願者を狙った座間連続殺人(白石隆浩)のようなケースにいつ巻き込まれてもおかしくない。どれほど切実に「神待ち」をしていても、本物の神に出会える確率より神の顔をした悪魔の方がはるかに巡り合う機会は多いだろう。そうした自暴自棄にも近い状況に追い込まれた若者を悪魔は待ち構えているのだ。

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 たとえばDV等から逃れてシェルターの保護を受けて救われる人生もある。家出して金のためにと始めた商売で、努力して幸せをつかんだ人もいるだろう。「そのまま家に留まっていれば幸福だった」とは思わないし、家出の判断を強く咎める気もないが、結果的に見ればNさんに必要だったのは「家出に協力してくれるだけの人」ではなかった。自立の道を一緒に探してくれる人、どうすれば家庭生活を立て直せるかアドバイスできる人間が必要だった。

共に笑い苦しみを癒してくれる仲間、親身に寄り添ってくれる親友や近隣住民とのきずな、ときには叱ってたしなめてくれるバイトの先輩などの人間関係を築いていく方が、彼女の生活基盤を支えていくには理に適っていたかもしれない。

相談できる「リア友」、助力してくれる親類縁者、事情を理解して気遣ってくれる教師など頼れる大人はいなかったのだろうか。若さゆえの無謀さ、あまりにも身近になった「メル友」に頼り過ぎたことで外れた道から戻れなくなり、行き場を失った悲劇ともいえる。当初どうやって生きていくつもりだったのか、帰る意志があったのか等は分からないが、家出を支援し続けた知人男性にも大いに非はある。

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生活困窮やDV、ヤングケアラー(若年介護者)、トー横キッズなど、日本のこども・若者を取り巻く社会問題は山積している。保護者の問題、よその家の話と片付けるには忍びないが、一般市民が周囲の声なき声に対してできることはそれほど多くないのも現実である。だが、たとえば近所のこどもたちとの挨拶や他愛ない声掛け、お腹を空かせたこどもがいれば「こども食堂」の場所を教えたり、学校・警察・児相などの公的機関につないだりといった小さな「おせっかい」が彼らの窮地を救う命綱になるかもしれない。

「大人は信用できない」ではなく「信頼できる大人もいる」ことを示す、困ったときに少し頼っていいと気づかせてあげるだけでも、こどもたちの人生はそこから大きく変わる可能性がある。こうした悲劇を生まない社会に変えていくことこそが大人の務めである。

 

亡くなられたNさんのご冥福とご家族の心の安寧をお祈りいたします。

大雪山SOS遭難事件について

  1989年7月、北海道中央部に位置する大雪山系旭岳で発覚した遭難事件について、風化阻止の目的で概要などについて記す。

 山岳レジャーは老若問わず昔から非常に人気があり、夏山登山を楽しむ人も多いかと思う。だが年間3000人ほどの遭難者を出す危険と隣り合わせの娯楽でもある。

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■経緯

1989(昭和62)年7月24日、北海道警航空隊のヘリコプターぎんれい1号は大雪山系・黒岳から旭岳に向かう途中で行方が分からなくなっていた東京都在住の登山者男性(62)ら2名の捜索を行っていた。

登山ルートから大きく外れた旭岳南方の忠別川源流部の湿地帯に、白樺の倒木を組み上げてつくられた「SOS」の文字が発見される。

そこから2~3キロ北の地点で捜索中の登山者2名が発見され、18時50分頃に無事救助された。

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赤色線が主要登山ルート、桃色丸が「SOS」地点(画像・YAMAP)

■概要

道警は登山者たちが「SOS」の文字をつくったものと見て、救助後に事情を確認したところ、救助された両名は文字については知らないと話した。道警は他にも付近に遭難者がいる可能性を鑑み、翌25日午後から救助隊4名が再び現場へと赴いた。

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「SOS」から数十メートルの範囲に白骨化した大小3片の人骨がばらばらに見つかり、さらに70メートル程離れた地点にリュックサックが発見され、中にはポータブルラジオカセット(テープレコーダー機能付き)とカセットテープ、洗面器具などが入っていた。

骨や荷物が散乱していたのはキツネなどの野生動物が漁ったためと見られた。

 

北海道警・旭川東署は当初、「文字は登山者によるいたずらの可能性もある」としていたが、近くに人骨や遺留品が発見されたことから、詳しい鑑定作業を進めるとともに、遺体の見つかっていない過去の遭難者について調査するとした。

 

■初期報道

・「SOS」は一文字が約3~5メートル角の大きさで、長さ2~3メートルほどの倒木を三重に重ねて作られていた。一部は土に埋没し、枯れ草が絡みついている状態などから、少なくとも一冬以上は経たものと見られた。

(28日には、国土地理院林野庁が作成する航空写真にも「SOS」が確認された。撮影は5年毎に行われ、87年9月20日撮影時には文字が存在していた。)

・見つかった人骨3片は骨盤の一部、上腕骨、大腿骨で、発見時にも「死後数年は経過したもの」と報じられた。

 

・骨の鑑定は旭川医大で行われ、そのときの鑑定では骨盤の形状から「年齢20~40歳代(25~35歳との記載もある)」で「身長160センチ前後」の「女性」と推定された。

死後1~3年が経過しており、獣に食われた痕跡が認められた。山中にはヒグマも生息することから、襲われた可能性もあるとされた。

・白骨化した人物が「SOS」の文字をつくったとすれば、遭難時期は1986(昭和61)~87年頃と逆算された。

 

・遺留品のザックは縦27×横25センチ、灰色。録音機能付きのポータブルラジオカセット、カセットテープはポータブルラジカセに入っていたものと合わせて計4本。

山王神社交通安全守護」と記された朱色のお守り(東京日枝神社、山形山王神社、宮崎山王神社で取り扱い)。

石鹼シャンプー歯ブラシチューブ入り歯磨きなど洗面器具一式が入ったビニール袋。プラスチック製の緑色のコップ。

大阪市ー(不明)ー住友生命本社ビル七階小僧寿し本部」と書かれた薄いビニール袋が発見されている。(27日・毎日朝刊)

 

■男と女

 7月27日には遺留品のカセットテープが完全再生された。

ポータブルラジカセに入っていたテープA面の終わりには、およそ2分17秒間にわたって遭難者と思われる音声が吹き込まれていた。男性が声を目いっぱい張り上げたものなのか、一語一語はっきりとした、抑揚のない独特の喋り方で耳に残る。

 

「がけのうえで 身動き取れず

エス・オー・エス 助けてくれ

場所は はじめに ヘリに会ったところ

笹ふかく 上へはいけない

ここから つりあげてくれ」

 その内容からは、身動きが取れない場所にいることが示され、上空のヘリコプターに向けて発信しようと吹き込まれたものと推察された。

一般的に考えれば、テープレコーダーの音量より肉声の方が遠方まで届くのではないかと思われ、声がヘリの乗組員の耳に届くとは考えづらい。遭難してから何度となく叫び続けたが甲斐なく、ヘリを見掛けて「SOS」をつくったが気付いてもらえない。だが頭上を通過していくのを黙って見過ごせないという遭難者の切実な生への執着が吹き込ませた「心の叫び」と言えるかもしれない。

体力の消耗が迫る中で窮余の一策としてテープにありったけの声量を振り絞って録音したものと考えるのが妥当と思われた。

一方で7月28日の毎日新聞朝刊では、旭川東署のコメントとして、「録音するのが目的ではなく、助けを求めて叫んでいる際、何かのはずみでカセットテープのスイッチが入り、声が録音されたことも考えられる」とも報じられている。

 

・カセットテープ4本の内訳は、60分テープには『超時空要塞マクロス』主題歌などアニメソング、46分テープにはマクロスについて語られたディスクジョッキー風の男女の会話(ラジオ番組の録音?)。90分テープ2本の内のひとつはアニメ関係の曲ばかり。

残る1本のA面終わりに音声が吹き込まれ、B面にはテレビアニメ『魔法のプリンセス ミンキーモモ』主題歌などが録音されており、カセットケースにも『ミンキーモモ』の絵柄が使用されていた。(28日・毎日夕刊)

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・1989年当時、東京埼玉連続幼女誘拐殺人(宮崎勤)によって“オタク”カルチャーに注目が集まっていたこともあり、テープの主はアニメオタクだったのではないかと見られた。手塚治虫鉄腕アトム』の話中で、月に不時着してサバイバル生活を送るアトムが地球からの救助を求めて巨大な「SOS」の文字をつくるシーンが登場することから、そうしたエピソードを真似たのではないかとの憶測を呼んだ。

 

・1989年の直近では6月27日に東京の会社員(46)が旭岳に向かったまま行方不明となっており、4月6日に札幌・丘珠空港から網走女満別空港へ向けて立ったまま消息不明となった三人乗りプロペラ単発機のルートも付近上空だったと見られている。

大雪山系での当時の遭難者は、86年に9人(死者1)、87年に7人(死者2)、88年に3人(死者0)が確認されていた。(26日・朝日朝刊)

・それ以前では、84年7月に旭岳で消息不明となった愛知県江南市の会社員Aさん(当時25)がおり、両親に音声テープを聞いてもらったところ、「息子のようにも聞こえるが、そうでもないようにも聞こえ、確認できない」と述べている。

 

・28日の捜索では、新たに「女性らしい一人の頭蓋骨」、「カメラ用三脚」、「サイズ27センチの男性向けバスケットシューズ(左)」、その他Tシャツやトレーナーのような繊維片を発見した。

・女性と見られる白骨は推定25~35歳、死後1~3年が経過しており、身長は160センチ前後と見られ、歯には2か所の治療痕が確認された。血液型はA型。該当する年代に行方不明となっている入山届は確認されず、未提出で入山したものと考えられた。(30日・朝日朝刊)

 

Aさんは宿泊先に身分証などの荷物を残したまま単身で旭岳へ出掛け、夜になっても戻らないことから84年7月に行方不明の届け出が出されていた。発見された遺留物の多くはカメラを愛好し、アニメ文化に嗜みのあった男性会社員Aさんのものと推定され、「SOS」やテープの声もおそらく同一人物によるものと見られたが、白骨の一部が「女性」と推定されたことで、事態は謎めいたものに感じられた。

男女が山道で知り合い、一緒に遭難してしまったのか。はたまた男性と女性は別々のタイミングで遭難していたものなのか。なぜ女性のものらしい遺留品は発見されないのか。当時の鑑定技術や限られた遺留品から状況を把握することは困難を極めた。

 

■地形 

付近に詳しい旭川山岳会会長・速水潔さんによれば、旭岳山頂から約200メートル下方に「金庫岩」と呼ばれる岩があるという。金庫岩を(頂上側から見て)左折し50メートル程行くとまた大きな岩があり、正規ルートであればこの「ニセ金庫」と呼ばれる岩を右折して下山する。SOS遭難者は「おそらくこのニセ金庫岩に騙されて直進してしまい、約4キロ離れた現場まで迷い込んだのではないか」としている。 (28日・毎日夕刊)

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赤色線が正規ルート、桃色矢印は遭難者が進んだと見られる方向(画像YAMAP)

旭岳は標高2291メートルながら1600メートル付近までロープウェイで一気に上ることができ、登山ルートはほぼ一直線で片道3キロにも満たないことから人気の高い山である。山頂から金庫岩付近にかけては見通しがきく状態であれば緩やかな登山道で危険は少ないように見える。

だが足元はガレ場(岩礫地)でもともと登山道(踏跡)が不明瞭なうえ、付近は濃霧が発生しやすく方向感覚を失う恐れもあるとされる。下の『YAMA HACK』記事では、初級者でも挑戦しやすい山ながらも気象条件によって視界が遮られ、「金庫岩」「ニセ金庫」によって遭難するリスクがあることを分かりやすく説明している。

yamahack.com

 

山岳遭難の原因の約40パーセントは「道迷い」であり、「滑落」「転倒」の約15パーセントを大きく上回る。おそらくSOS遭難者もはじめに道に迷ったと思われる。

登山で道に迷ったときは、元の道を引き返して「ルートに戻る」ことが最重要である。しかし下山の際には、疲労により「再び上る」という選択肢が選びづらくなるとされ、「もう少し下れば目印が見えてくるだろう」と進むうちに遭難に繋がりやすい。山頂から遠のくほど周囲のひと気がなくなり、上空救助からも発見しづらくなる。

また暗くなってから行動すると、余計に元来た道や自分が進んでいる方向感覚が定まらなくなり怪我などのリスクも大きい。雨風のしのげる場所へ退避して焦らず夜明けを待つことが肝要とされている。

 

テープの声が示していた「がけ」がどこを指すのかは分からないが、「SOS」地点は川に近い湿地帯、地形図で言えば「谷」に当たり、上空からの捜索には不向きな、目に付きづらい場所に遭難していたことが分かる。

またSOS周辺の「笹」は頂上方向からは掻き分けて下っていけるが、下からは上りづらいものだったとする指摘もある。もしかすると飲み水などを求めて川に近づいたことも考えられるが、沢歩きは体温を奪われるおそれや不十分な装備では怪我のリスクが大きくなるばかりである。

 

■見直し

8月にも再捜索が行われ、人骨、毛髪、腕時計、衣類などが発見された。遺留品は男性会社員Aさんのものと見られたが、毛髪、30点にも及んだ人骨については性別不明とされ旭川医大で関連が調べられた。

8月4日、旭川東署は計4回の捜索で可能な限り調べたこと、現場状況から犯罪性は認められないことなどから、新たな有力情報がない限り捜索を打ち切ることを宣言した。

 

1991年2月28日、旭川東署は「SOS」付近で発見された人骨の全てについて、84年7月に行方不明となった愛知県江南市の会社員Aさんのものと断定。当初、骨盤は「女性」のものと見られていたが再鑑定などにより覆される格好となった。

 

現在であれば毛髪などからDNA型鑑定で個人の特定につながるものと考えられるが、日本での導入開始は89年から、本格運用は92年からとされており、当初は凶悪刑事事件において血痕から被害者を特定するといったもので、本事件は該当しないものと考えられる。再鑑定がどのように行われたのか、どういった経緯で“見直し”が行われたのか充分な詳細は得られていない。

 

2012年11月~12月にかけて、匿名掲示板でAさんの元同僚という「中の人」なる人物がいくつか書き込みを残している。信憑性は分からないがかいつまんで内容を記しておく。

・(失踪当時)勤務先だけでなく全社でカンパを募ったが、民間の捜索ヘリは費用が高額で30分~1時間、2~3回しかチャーターできなかったため十分な捜索ができなかった

・(骨について)遭難者Aさんは「ずっくりむっくり」(腰回りの大きい)体型だったため、社内では「女性に間違われている可能性はある」と考えられていた

・(遺留品について)アニメキャラ、「SOS」の文字、テープ録音などから警察発表より前にAさんで間違いないと社内では皆が確信していた

・(オタクだった?)オタク気質だったが知識欲が旺盛で(宮崎勤のような)反社会的な印象はなかった

・(仕事ぶり)業務では非常に難解なエネルギー関連の熱量計算もやすやすとこなす優秀な人物だった

 

はたして私たちにはAさんの骨格は確かめようがなく、発見された白骨を見ることも適わない。平野部とは異なる極めて過酷な風雪を5年間浴び、野生動物による食害もあったとなれば相当な損壊や風化はあったにちがいなく、骨格から性別を推定することも困難を極めたであろう。

「女性」と断定されていたものがそっくり覆されたというより、当初の「女性」という推定も「どちらかといえば女性の骨盤の形状に近く見える」というような曖昧な判断だったかもしれない。

後から発見された(おそらくは更に細かな)骨片、Aさんの体格から推定される骨格などとの比較、女性ものの遺留品が発見されなかったことから、「男女」の骨ではなく「Aさん」ひとりの骨と見て差し支えないと判断された。

なぜ見直しが行われたのか、女性の骨も混じっているのではないか、と疑い出せばきりはないものの、女性がいたことを指し示すものはそれらしく見える骨の一部しか見つかっておらず、Aさんの存在を示す証拠だけが残されていた。無論、動物がどこからか女性遭難者の遺体や骨の一部を運んできたりした可能性は否定しないが、同時期に「男女が存在した」とするのはやはり難しいと思う。

  

■類似

 本筋とは逸れるが、似たようなエピソードをいくつか記す。 

イギリス南西部に位置するシリー諸島のひとつサムソン島。2004年4月12日、観光客30人の観光客を降ろした船が、ある夫婦を置き去りにして帰ってしまった。

ふたりは砂にSOSを書いて救助を待ち続け、90分後に訓練中だったボートチームに発見されて無事救出された。シリー観光局によれば“置き去り”は滅多にないことだが、30年ほど前に遭難者が火を焚いて助けを求めたこともあったと話した。

置き去りにした船頭はその後二人に謝罪し、許しを得たという。

 

2005年10月、本件と同じ旭岳で帯広市に住む自衛隊員の男性(42)が遭難する事故が起きている。9日、「19時には戻る」と告げて8時に一人で家を出た男性が戻らなかったことから、10日5時20分に妻が通報。ロープウェイ駐車場には男性の車が発見され、山中で遭難したものと見られた。

男性はテントなど宿泊装備は携行しておらず、山頂では最大10センチ程度の積雪があったことから捜索活動は急を要した。13日10時30分頃、遭難男性の携帯電話から断続的に3度の110番通報があり、現在地などを伝えた。はっきりした口調だったが53分を最後に連絡が途絶えた。翌14日にはヘリ8機を動員したが、発見には至らず。移動している可能性もあるとして困惑を示した。

17日9時30分頃、旭岳ロープウェイ姿見駅から約4キロ南、忠別川上流の谷底で男性を発見した。軽い凍傷と肋骨にひびを負っていたが命に別状はなかった。

9日に紅葉を撮影するため入山し、下山中にアイスバーンで30メートル程滑落し、ガスで方向を見失い沢筋に迷い込んだと説明。携帯電話は滑落により使えなくなったという。トレーナーに上下ウインドブレイカー、足元はスニーカーという軽率な装備で食料もごく少量だったが、沢水を飲み、「沢を下れば人里に出る」と考えて一日4~5時間できるだけ歩いたと話した。

男性は88年に隊のレンジャー資格を取得していたというが、下の記事では「体力を過信しているだけのレンジャーで、登山に関しては初心者以下」と辛口な指摘を行っている。事実、通報した地点から動き続けたことは発見の遅れにつながった。現役自衛隊員だったからこそ手厚い捜索を受けられて救出されたが、民間人であればそうはならなかった可能性が高い。

taisetsuzan.web.fc2.com

 

2012年、ロシア・トムスク州で男女3人がコケモモ採集に針葉樹林に入り、そのまま遭難する事件があった。自力での脱出は不可能と判断し、白樺の幹でロシア語のSOSに類する救助信号をつくった。

偶然にも近隣の森林火災の消火活動中だった航空機が発見し、遭難から5日目に救助されている。こちらも不幸中の幸いで救出につながった事例。日本でいえば山菜取りで遭難というところだろうか。

 

珍事件・怪事件ライターで『日本怪奇事件史』等の著者穂積昭雪氏によれば、本事件と似たように最期に「」が残されていた事件として1972年に起きたバス遭難事故を挙げている。

古い事件のためウェブ上では情報は得られなかったが気になる内容である。

 

下は2017年10月19日に旭岳で遭難していた男女4人が救出された様子。横浜市在住の高齢夫婦とマレーシア国籍の男性会社員、シンガポール国籍のデザイナー女性で4人は登山中に知り合いになったという。 

 

 

 

本稿で触れることはできなかったが、2009年7月のトムラウシ山遭難事故も旭岳が縦走ツアーのスタート地だった(旭岳ロープウェイ姿見駅→旭岳→白雲岳→忠別岳→化雲岳→トムラウシ山トムラウシ温泉を目指すルート)。整備されているとはいえ大雪山はその名の通り夏山であっても所々に残雪が見られる厳しい環境だ。

遭難したとき平静でいられる人間はそうはいない。山の掟、登山家の心得、日々の心構えがいざというときに生命を左右する。私たちにできることは絶対に同じ過ちを繰り返さないこと、遭難しないことが犠牲者に対する弔いだと思う。

きれいな景色や季節の花々、トレーニングや撮影目的で各地の山へ赴く人もいると思うが、「最低限の装備」ではなく可能な限りの装備を整え、素人でも経験者でも低山でも人出のある山でも、家路につくまで心して、素敵な山の思い出を増やしていきたいものである。

 

亡くなられたみなさまのご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

ルイジアナ州ナネット・クレンテルさんの不審な死

死亡した主婦が自殺なのか、他殺なのかも定かではない、2017年にアメリカ・ルイジアナ州で発生した極めて不可解な未解決事件である。

事件からすでに4年余りが経過し、新たな情報も途絶えつつあるため、風化阻止の目的で記す。

 

下は被害者の姉ら遺族によって立ち上げられたFacebookページ。

https://www.facebook.com/justice4nan/?ref=page_internal

 

■概要

2017年7月14日、ルイジアナ州ラコンブのコヴィントン北・セントタマニー教区第12地区消防署長スティーブ・クレンテルさん方で母屋が全焼する火災が発生した。

焼け跡から元幼稚園教諭でスティーブさんの妻ナネット・クレンテルNanette Krentelさん(49)と愛犬ハーレーが焼死体となって発見された。しかしナネットさんは火災で死亡したものではなく、頭部には銃撃の跡が残されていた。

警察は、彼女自身が家屋に火を放ってから「自殺」したものと見立てを行ったが、遺族は捜査の不手際や見解に疑問を呈し「事件」であると訴えた。

 

町から離れた田舎にある100エイカーという広々とした土地に立つ3000平方フィートの平屋には9台の監視カメラが設置されていた。夫婦は「射的(ターゲット射撃)」の愛好家でライフルや拳銃など30丁もの銃器を保持し、ナネットさん自身も使い方を熟知していた。

生前彼女は「銃とカメラがあるんですもの、家にいる限り安全よ」と父親ダン・ワトソンさんにも話していたという。

 

■当日

金曜の朝、ナネットさんは普段通り夫スティーブさんに軽食としてピーナッツバターサンドをもたせて7時45分に送り出した。スティーブさんは朝のルーティンとして独り身の母親に電話を掛け、8時過ぎに母の安否をナネットさんにも伝えていた。

そのあと彼女はノースショア大通り近くのマクドナルドで自身の朝食をドライブスルーで購入し(画像は不鮮明であったが、約7ドル相当のカード履歴あり)、9時11分に帰宅。ナネットさんが運転するメルセデスSUVには愛犬のチワワも同乗しており、近隣の監視カメラ映像により確認されている。

10時3分、地元のKマートの薬局へ電話し、常用していた処方薬を補充する注文を行っている。

13時30分頃、彼女は携帯電話から発信したことが判明しており、これを最後に外部の人との接触があった形跡はない。

しかし電話先の相手は、ナネットさんもスティーブさんも知らないと言い、警察の調べでは“間違い電話だった”と家族に説明された。

14時30分頃、近所の少年が火災を発見し、隣人が911(消防局)で通報。

各署から消防隊が集められたが母屋はすでに全焼状態。16時頃に消火活動が落ち着き、現場の調査確認が要請された。

消火活動にも加わっていた夫スティーブさんは、18時37分にアイオワに住むナネットさんの父ダン・ワトソンさんに火災と娘の死を伝えた。

現場から遺体の搬出が行われたのは21時過ぎだった。

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■消防・警察への疑惑

事件当初、セントタマニー教区保安官事務所は死因について一週間明らかにしなかった。

火災についてブッチ・ブラウニング消防本部長は、出火元の特定や原因調査のために時間が必要だとし「現場の状況から見て数日はかかるでしょう」との見解を示した。

 

翌日の検死によって遺体の右こみかみ上に銃創が確認されていたが、捜査当局はその事実をすぐに家族に伝えることをしなかった。

邸内は全焼状態で瓦礫と灰に埋もれて有力な物的な証拠は得られず、警察は「自殺」との線で捜査を進めていた。

その後、正式発表は行われなかったものの捜査筋に近い情報によると、遺体のあった主寝室が先に燃え広がり、監視カメラの映像を記録するデジタルレコーダーに発火促進剤(灯油など延焼の触媒となるもの)が使用され、発火地点が少なくとも2つあることが伝えられた。

 

火災から5日後、捜査当局は現場の瓦礫の中から、ナネットさんが日頃から護身用に身につけていた40口径スプリングフィールド拳銃を発見した。後に凶器の断定こそ避けたものの、「被害者に使用された武器の可能性を否定できない」と説明している。

これについてナネットさんの姉でアイオワ州検事キム・ワトソンさんは、スティーブさんもサイズの異なるバージョンを所持していたと述べている。

 

7月21日、独立系メディアLouisianaVoiceがオンライン記事を通じて遺体に銃創があったことを明らかにし、現場捜査には認定資格を持った火災調査員が派遣されていなかったことを報じた。

LOSFM botches two fire investigations, with one involving suspicious death, aother producing bogus criminal charges | Louisiana Voice

遺体の銃創について非公式情報から知ることになったナネットさんの家族は捜査当局への不信感を顕わにし、郡保安官ランディ・スミスは同日ニュースリリースを発表して、遺族らへの情報公開の遅れについて陳謝した。この日まで現場保管の境界は設けられていなかった。

夫スティーブさんは現場保存や捜査体制に対する疑念から、放火専門の捜査官を外部から雇い入れた。専門捜査が開始されると埋もれていたショットガンや2匹の猫の死骸が新たに発見されるなど、火災直後の捜査体制の甘さ、現場管理の杜撰さが示される格好となった。

 

警察の捜査がナネットさんを「自殺」とする向きへと傾いたことから、遺族は弁護士を雇って捜査の再検証を求めた。

法医解剖で12000件の実績を持つトーマス・ベネット博士は、遺体の肺に火災による炎傷や煤が認められなかったことや血液反応から「自殺ではなく他殺だ」と断言する。博士は過去に飛行機墜落事故など焼死した遺体を数多く見てきている。

 

その後、「自殺」ではなく「殺人事件」として捜査する方針で固まったものの事件は未解決のままである。「事故」「自殺」でないとすればはたしてだれがナネットさんをなきものにしたのか。

 

 

■夫への疑惑

事件から2か月後の9月、夫スティーブが重要参考人として取調べを受けている。スティーブに消防署の女性部下との不倫関係があったことから結婚生活に問題を抱えていたと見て当局は疑いを強めていた。しかし自らポリグラフテストを要求し、潔白を証明し、当局は2017年中に「現時点で容疑者から除外された」と発表している。

 

2018年5月、消防局の内部調査によりスティーブさんが2人の職員と不適切な性的関係があったこと、設備の一部を誤って処分したこと(盗難や流用には当たらないと判断された)が判明し、600ドルの払い戻し命令と60日間の無給処分を受け、降格処分とされている。

合わせて20件の調査申し立てがあり、多くは彼の脅迫的な行動(おそらくパワハラ)に関するものであったが、ほとんどは報復的告発として調査を退けられている。

www.nola.com

本人は不倫の過去(10年前と2年前)を認めた上で、結婚生活においてそうした問題を乗り越えてきたと説明。またスティーブさんは火災同時刻には勤務中で同僚や勤務先のカメラなど確固たるアリバイが存在した。一方で、ナネットさんの家族は、ナネットさんが離婚を考えていたとも述べている。

 

ナネットさんの姉ウェンディさんは捜査当局に対し、「妹の追悼の夜、スティーブは私の兄弟に電話で“捜査当局の考えは『自殺』に傾いている”と言いました。私はそんなわけないじゃないの、妹が自殺なんて絶対にできるはずがない、我が子を賭けてもいい、と言った。なのに、あなた方警察は、女性でも自分自身を撃つことができる、ペットだって撃てるだろう、と言う。それで私はあなた方を信頼できないのです」と語った。

 

たとえばアリバイがあったとて第三者に殺害を委託すれば可能だとする向きもある。しかし彼自身が事故ではなく「事件」として外部調査、真相究明を率先して進めてきたことから見ても依頼者、犯人とは考えづらい。

2018年9月、スティーブさんは消防署行政長官を辞職。第三者による圧力ではなく、かねてから50歳での早期退職を考えており自発的な辞職だと説明した。

 

 

■不審な男

捜査機関によれば、事件の半月前の6月末、ナネットさんは父親に電子メールを送って不安を訴えていた。メールには見知らぬ不審人物の画像が添付され、「郵便物を取りに家を出たら、この男がこっちに近づいてきたの。不気味に見えたわ!」と書かれ、彼女が何者かに尾行されていた可能性を示した。

敷地内でナイフと煙草の吸殻を見つけたと言い、誰かが敷地内に入ってきたと訴えていた。不審人物は特定されていないが、もし脅迫のためにナイフや吸殻を残していったと考えると、夫スティーブさんの職業柄を考えると家族とは無関係な放火犯が一方的に逆恨みしていたのではないかとも考えられた。 

 

■危険な義弟

ナネットさんは長年、義弟に当たるブライアン・クレンテルさんに懸念を示していた。ブライアンさんは飲酒運転や警察官への暴行など大小合わせて36件逮捕歴があり少なくとも15件の有罪判決を受けた荒くれものの常習犯だった。

ナネットさんの友人ロリ・ランドさんはFacebook上で「逮捕の晩にブライアンはスティーブに“出所したらお前らを殺して自殺する”と言っていた」とナネットさんが怯えていたと記している。詳細は不明だが、ナネットさんがブライアンさんの問題に首を突っ込んだことが原因で恨みを買ったとされている。

さらに遡ること6年前の2011年3月には、1年の服役が明ける間際だったことからブライアンさんに「家を出たら火を点けて殺してやるなんて言われたらとても恐ろしいわ」と父親にメールで相談していた。

それを心配する父親に対し、防犯モニターを設置したことを伝え、施錠や銃、唐辛子スプレーもある、と気丈に返信していた。そして「家にいる限り安全」という彼女のセキュリティー意識につながるのである。

しかし彼にもまたアリバイが存在した。出所後は母親に軟禁されており、事件当日にも監視カメラで所在が確認されており、彼もポリグラフテストを志願して合格した。

 

■義理の息子 

また友人ロリ・ランドさんによれば、ナネットさんはスティーブさんの前妻との息子ジャスティンさんにも恐怖を感じていたと明かしている。

ジャスティンは昔も今も反抗期のこども。責任ある大人の行動がとれるとは限りません」とロリさんは言う。

しかしジャスティンさんについても事件当時は州外で生活しており、ナネットさんを脅迫したような証拠もない。

 

people.com

上の記事で夫スティーブさんは、朝食を買いに出掛けていたのは往復30分程度、犯人はその間に家に近づいて待ち伏せていたのではないかと推理している。また邸内には警報システムも設置されていたが、日中の在宅時には起動させていなかっただろうとも語っている。

 

 

アメリカでは郡の住民によって選出されるsheriff郡保安官が裁判所の令状執行権と警察権を握っている。スミス保安官の失敗を受け、2019年の保安官選挙でティム・レンツ候補は30日以内の事件解決を公約に掲げて大きな注目を集めた。スミス氏はそうした未解決事件や被害者を利用した候補者に対して遺憾の意を表明している。

また事件の情報を漏洩した罪で担当刑事が懲戒免職されるなども起きており、現在は厳しい統制のもと事件の進捗はしばらく聞かれていない。現在もスミス氏が再任されているが、次期選挙でも本事件は俎上に上げられると思われる。被害者やその都度意見を求められることになる遺族の身になって考えれば愚劣で嘆かわしいことである。

 

 

■所感

火災当初の捜査の杜撰さ、「自殺」説に傾いたことなどについて、捜査当局は消防局との関係性から夫スティーブさんを擁護しているのではないかとする陰謀説まで挙がった。もはや何を信じ、何を疑えばよいのか分からないほどに繊細な、疑惑だらけの事件である。ここでは他殺だったとした上で、個人的な私説を述べて終わりにしたい。

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放火犯による逆恨みという説は理屈に沿った推理のように思えるが、単なる放火犯が専業主婦に逆恨みして銃殺までするだろうか。通常の放火であれば人目につかない場所、監視カメラの死角を狙って行う「陰湿な」性質であって、監視カメラの存在を知ったうえでレコーダーを燃やしてまで、という大胆不敵な犯行にはかなり飛躍があるように思われる。

日本のデータだが、犯罪のタイプは大きく3つに大別される。ひとつは強姦や恐喝、暴行や強盗といった対人的な「暴力犯罪」、ふたつめは侵入窃盗、放火、器物損壊など「対物犯罪」、みっつめが毒物、偽造、道交法違反など「その他の犯罪」である。たとえば義弟ブライアンさんのようにいずれのタイプも横断的に行っている犯罪経歴の持ち主も多くいるが、連続放火犯に限って見れば87%が対物犯罪の経歴を持ち、暴力犯罪やその他犯罪歴は3割しか持たない。つまり放火犯のほとんどは対物犯罪に向かう傾向が認められるのである。

 

状況について考えてみると、ナネットさんは郵便物を取りに出る際にも携帯電話を手にしていたなど日頃からかなり警戒心が強かった。画像に写り込んだハーフパンツ姿の“不審者”など、筆者にはどう見ても散歩する老人にしか見えない。字面だけ追っていると、主婦は何か被害妄想にとりつかれているのではないか、神経症の昂ぶりによって自殺に及んだのではないかとすら思えてくるが、周囲からそうした声も聞かれないので詮索は止そう。

夫スティーブさんは消防署勤め、ナネットさん自身も射撃経験者となれば、一般的な主婦よりも運動能力や防御力はそれなりに高かったと考えられ、犯人も相当に腕力に自信があったと見てよいのではないか。また遺体状況に刺し傷や骨折などが認められていないとなると、スタンガンのようなもので脅されたか、はじめから銃を突きつけられて何も抵抗できなかったのかもしれない。

こめかみを撃ち抜いていることから逆算すると、主婦は一時的に拘束されていたと推測するのが妥当である。身動きが取れない状態にして金品の所在やカメラのレコーダーについて聞き出していたかもしれない。

広い邸宅で様々なセキュリティを備えていたことは侵入者の目にも明らかであったろうことから、はじめからカメラ対策や放火による証拠隠滅も念頭に置いて近づいたと考えられる。単独の強盗となればリスクの低い侵入を好むと考えられ、筆者としては、あえてリスクの高い物件に目を付けていることから犯人は男性の複数犯で強盗に押し入ったものと考えている。

DNA鑑定の徹底によって、もしかするとこうした痕跡もろとも消去しようとする犯罪は世界的に増える恐れがある。筆者の想定するような複数犯の強盗であれば、他所の地域、全く別のメンバーで再犯に及ぶ可能性もあり、こうした犯罪を跋扈させないためにも今後地道な捜査を実らせてもらいたい。

 

被害に遭われたナネットさんのご冥福とご家族の心の安寧をお祈りします。

 

 

 

■参考

www.stpso.com

www.wwltv.com

www.nola.com

・男性連続放火犯の特徴(2006,科学警察研究所

https://www.jstage.jst.go.jp/article/pacjpa/70/0/70_1EV067/_pdf/-char/ja

母は荒野で踊り出す 映画『母なる証明』感想

これほど印象的な映画のオープニングシーンを見たことがない。

本作の主人公“母”役を演じたのは、韓国MBCで1980年~2002年まで放送回数1088回を数えた最長寿ホームドラマ『田園日記』で姑役を演じ、“国民の母”と呼ばれた大ベテラン女優キム・ヘジャである。

 彼女のことをよく知らない私たちはその突拍子もない幕開け、茫然自失とした不可解な表情(途中、顔を隠して笑っているのか泣いているのかも分からない)と“奇妙な-”としか形容しえないその動きにおかしみと不信感という相反する印象を抱く。いや、たとえ彼女のことをよく知っていたとしても不穏な物語であることを強く予感させるにちがいない。

 

www.youtube.com

 『母なる証明(原題:Mother)』(2009・韓国/129分)

監督:ポン・ジュノ(『殺人の追憶』『パラサイト 半地下の家族』)

脚本:パク・ウンギョ(『ミスにんじん』『ラブ・リミット』)、ポン・ジュノ

出演

母:キム・ヘジャ(『晩秋』『マヨネーズ』)

トジュン:ウォンビン(『ブラザーフッド』『アジョシ』)

ジンテ:チン・グ(『26年』『セシボン』)

ミナ:チョン・ウヒ(『サニー 永遠の仲間たち』『優しい嘘』)

アジョン:チョン・ミソン(『殺人の追憶』『かくれんぼ』)

ジェムン刑事:ユン・ジェムン(『海にかかる霧』『オクジャ』)

廃品回収の男:イ・ヨンソク(『絶対の愛』『感染家族』)

 

あらすじ

静かな田舎町で漢方薬店を営む母は、息子トジュンとふたり暮らし。

トジュンは知的障害があって仕事に就かずふらふらしており、生活は楽ではなかったが、澄んだ瞳と純朴さをもつ彼のことを母親は溺愛していた。

ある日、トジュンが轢き逃げに遭い、友人ジンテと共にゴルフ場まで追いかけて、車の男たち(大学教授ら)に報復する騒ぎを起こす。警察のテキトーなとりなしで車の修理代金で和解することになったものの、ジンテは記憶力の悪いトジュンに濡れ衣を着せる。

母はトジュンにもうジンテと付き合わないよう諫めたが、トジュンは聞き入れない。ジンテと行きつけのパブ・マンハッタンで会う約束をしたが、すっぽかされて暴飲。泥酔して帰りの夜道で女学生アジョンに声を掛けるも岩を投げつけられ、ほうほうのていで帰宅すると母に抱き着くように眠る。

 

翌朝、町の高台にある空き家の屋上にアジョンの遺体が発見される。町では長い間、殺人事件が起きたことなどなく、警察も町民たちもやいのやいのの大騒ぎとなる。現場付近での目撃情報とゴルフ場から持ち逃げしていたゴルフボールが元となり、トジュンは殺人の容疑者として連行されてしまう。バカにされることを極端に嫌う性格が災いして、トジュンは警察がまとめた調書に拇印を押して犯行を認めてしまうのだった。

母は無実を訴えるも、警察には「解決済み」として相手にされず、腕利き弁護士に救済を求めるも乗り気ではなく息子の冤罪を晴らしてくれそうもない。真相を突きとめるため、母は単身でジンテの許を訪れる…

 

 

*****

 

 映画全体としては、ミステリー・サスペンスの手法を用いながらも現代社会への批判的描写、社会弱者の現実をあぶり出すポン・ジュノ監督らしいアプローチが随所に溢れる。

2000年代前半の韓流ブームで日本でも人気の高かったウォンビンが兵役と足の怪我のリハビリを経て5年ぶりとなるスクリーン復帰作としても当時注目を集めた。(ウォンビンの近況を調べたが、モデル・CMの芸能活動自体は継続しているものの俳優業では再び長いブランクが続いているとのこと。)

 

キム・ヘジャとの仕事を切望した監督は5年の歳月をかけて「だれもが共感する母」へと共に肉付けをしていった。ヘジャは極端な状況下で表出する人間の本質を描きたかったとする監督の期待に見事に応える名演を見せ、「演技者として監督は私に新しい服を着せてくれた」と感謝を示した。

今作で「母親」を題材とした理由は、それまでの作品(『殺人の-』『グエムル』)で男性性や「父性」を描くことに注力した反動と説明しており、本作冒頭のシーンについては「観客への宣戦布告」を狙ったものと語る。主人公の母に名前はなく、決まった「だれか」の物語ではなく、だれしもの母親がこの主人公であることを示している。

 

しかし本作は「殺人容疑をかけられた愛息の無実を信じ、真相究明に奔走する母親の強靭な愛を描いたヒューマンサスペンス」では終わらない。むしろサスペンスにしては強引に過ぎ、ヒューマンドラマにしては共感しがたい、何とも形容しがたい後味の悪さを醸している。

 

※以下ネタバレを含むため、作品鑑賞後に読むことをお勧めします。

(個人的には、障碍児を育てる親御さんにはおすすめしません。)

 

 

 

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ネタバレ

幾重にも張り巡らされた伏線によって、その小さな町を覆う停滞感、人々の暮らしの裏表、母子の秘められた物語へと誘う。

映画の前半で、母がトジュンの立ち小便に立ち会う一見すると滑稽なシーンがある。母はその様子を咎めることなくまじまじと見つめ、その痕跡を隠そうとする。言うまでもなく後半の、母が息子の罪を隠蔽しようとする展開を示唆したものである。

母は修理代を捻出するため、封印していた鍼(はり)治療を“闇”で行いながら借金を重ねる。母は漢方だけでなく指圧や鍼など民間療法全般に詳しい。狙いがあったかどうかは分からないが、西洋社会では産婆や民間療法に通じた“変わり者”の女性には、一種の“魔女”的な人物というステレオタイプが存在する。

 

母は川のほとりにあるジンテの家に忍び込み、事件の手掛かりになるものを得ようとする。そこへジンテとパブでトジュンに気のある素振りを見せていたミナが帰宅して、昼間からまぐわいを始める。おそらくジンテに両親はなく、ひとりで釣具屋を営んで貧しい生活を送っているのであろう。「当たり屋」や本格的な犯罪者にはならず、かろうじて「町のごろつき」程度で踏みとどまっている、と見ることもできる。

その後、母は発見したゴルフクラブを手に警察へ訴え出るが、口紅を血痕と見紛うという失態を犯し、疑われたジンテに慰謝料を支払うことになる。しかしジンテはトジュンのことを友達だと言い、母に「誰も信じるな」「その手で犯人を捜すんだ」と真相究明を促す。観客は、母の目を通して事件の解決を目指すとともに、その田舎町の実態を目の当たりにすることになる。

ベンツの教授、弁護士と検察などエリート層を醜く珍妙な人々として蔑み、違法取調べをする田舎警察、その立場にしがみつく公務員の妻などの中間層さえ情けを忘れた人々の滑稽なふるまいとして描いている。このような監督の人物造形の特色はひとによって好みの分かれるところかもしれない。この映画には「映画に出てくるような」善人はだれひとり存在しない。

 

■米餅少女 

町を見渡せる高台の廃屋の屋上という目立つ場所に置かれた女学生の遺体。

記憶力の悪いトジュンがこめかみをぐりぐりしながら「犯人の気持ちになって」考えたところ、被害者アジョンが「血を流していることをみんなに知らせるため」に建物の屋上に移動させたのではないか、という。

母がアジョンについて調べていくと、携帯電話の改造で小遣い稼ぎをする少女と出会う。アルコール依存で認知症の祖母を養うため、今でいうところのヤングケアラー(介護生活をする若者。学業不振や貧困問題と密接につながっている)が生活のために放課後売春を繰り返していたのである。それもいわゆる“パパ活”のような金持ち相手ではなく、同じ高校生や貧乏人を相手に、ときには金の代わりに「米」を受け取るほどの薄利多売ともいえるやり方で糊口をしのいでいた。

(アジョンの祖母は認知症ではなく単にアルコール依存で、アジョンに売春を強制する虐待を行っていたと見ることもできる。)

ジンテの協力によりアジョンを追う男子高生らを捕獲すると、アジョンの携帯電話には売春相手の男たちの写真が数十人分も収められており、だれに狙われてもおかしくない状況だったことが明らかになる。女子高生は自己防衛のために“変態電話”を使っていたのである。

 

■母と子

その一方で、トジュンは収監中にぼこぼこにされたことによって事件以前の重大な事実を記憶から呼び戻す。醜く膨れた顔の右半分を手で隠しながらつぶやく。

「母さんが俺を殺そうとした」「5歳のときだろ」「栄養ドリンクに農薬を入れて」

この演出は人間の表裏・二面性を感じさせるものである。もしかすると実はトジュンは何もかもはっきり認識し記憶しているのではないかと観客は不安に駆られるシーンでもある。

まさか息子に当時の記憶が残っているとは思いもよらなかった母は慄き、「悪い記憶や病気の元になる心のしこりを消してくれるツボがある」と慌てて記憶を消そうとしている。

トジュンの父親についてのエピソードは描かれることはないものの、子どもの頃のトジュンの写真を写真屋へ修整に出す際に一部分を母が破り捨てている描写から、そこには父親が映っており、病死や事故死などではなく家出や円満ではない離婚をしたものと推察される。

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生活に窮し、幼子を育てていく自信を失っていた母は農薬での無理心中を図る。毒性の高いグラモキソンを用いるつもりだったが、母は怖気づいてロンスターに変更したため、先に飲まされたトジュンは死にきれずに2日間下痢と嘔吐が続き、知的な後遺症が残った。悶え苦しむ我が子の姿を見た母は心挫けて心中を思いとどまり、その負い目もあってトジュンを必ずや守り育てると心に誓った経緯が分かるのである。

しかし純粋無垢のこどものような無邪気さを醸すトジュンの発達不全は、本当に農薬の後遺症なのだろうか。心中を図った経緯のひとつとして「息子の発達障害」があったとしてもおかしくはない(監督は否定している)。また妄想に過ぎないが、苦しみ悶える我が子の姿、自身の罪の重さに耐えきれなくなった母は、もしかするとトジュンの記憶を一度消していたのではないかとも思えるのである。

 

■2つの殺害シーン

トジュンはあの晩の記憶を取り戻し、アジョンの携帯電話を入手した母は彼女が撮影した中に犯人がいないかどうか確認させた。アジョンが示した画像には、町はずれの小屋に独居する廃品回収の老人が映っていた。

母は漢方医学のボランティア団体・恵民院(へミンウォン)を騙り、小屋を訪れると、老人はずっと誰かに打ち明けたかったのか「まあ世間話でも」と迎え入れ、徐に事件当夜のことを語り始める。

 「あの晩、俺はたまたまそこにいたんだ」「実はたまにあの家に行くんだ」「空き家だし静かでいい」と言いつつ、回想シーンでは用意してきた「米」がばっちり映っており、老人は当夜にアジョンを買春するつもりだったことが示される。

アジョンの後を追ってきた男は「男は嫌い?」と問いかける。

アジョンは岩を投げて男を追い返そうとし、 「ねえ、私を知ってるの?」と質問する。

「知らない」と答える男に「なのに、なぜ?」と悲し気に訴えるアジョン。

「私は男が嫌い。だから話し掛けないで、バカ野郎」

 “バカ”にされた男は岩を投げ返し、アジョンの後頭部に命中。

男は激しく動揺しどこかに電話を掛けようとするなどしていたが、ほんの僅かな時間でまるで記憶をそっくり失ったかのように「なんでこんなところで寝てるんだ」とアジョンに話し掛けると遺体を屋上へと引きづり上げた。

 母は信じることができず「見間違いよ!トジュンは犯人じゃない。すぐに釈放して再捜査するって刑事が言ったんです」と声を荒げる。

「トジュンに間違いない」 

現場検証のシーン、 「手を振るミナ」の手前で見切れていたが、老人がトジュンの顔を確認しに訪れている。岩を投げた後には、こめかみぐりぐりの「おかしな動き」まではっきり目撃されており、母はもはや言い返す術がなかった。

「ちゃんと捕まえたと思ったのに。ダメだ、俺が通報するしかない」 

老人が警察に電話を掛けようとする背後から母はスパナで一撃を喰らわせ、「違う、絶対に違う」と自分に言い聞かせるように殴り続けた。

やりきったように「息子をバカにするんじゃない」と言い放つと、道路に広がる立小便のように流れ広がる大量の血液を見て正気を取り戻す。

「どうしよう、どうしたらいいのお母さん」

 

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トジュンが殺害直後に電話を掛けようとしていたのは、おそらく警察や悪友ジンテではなく母親であることが推察される。トジュンのアジョン殺しと母による老人殺しを二重写しにすることで、「」の業を描いた名場面である。母が息子を殺人犯にしたくなかった想いの向こうには、心中で我が子を殺そうとした残虐性が息子に引き継がれることを是が非でも否定しようとする想いもあったように感じられる。

 

後日、店からジェムン刑事の来訪に気付いた母は実に複雑な表情をしている。自らの犯行が発覚したのではないかと怯えていたに違いなく、平静を装いつつもどうすればよいのか分からないような所在なさと(当て逃げシーンと同じ)緊張感を醸し出している。

 

祈祷院から脱走したジョンパル

刑事は“真犯人”としてジョンパルが逮捕され、トジュンが釈放されることを伝えた。

「冤罪事件」の解消が新たな冤罪事件を生む、という結末は“どんでん返し”というより逃れがたい“負の連鎖”である。人は善悪・白黒で描かれずすべて“グレー”であり、事件はたくさんのグレーが重なることで次第に“黒”に近づいて見えるようになる。最終的にアジョン殺しの濡れ衣を着せられることとなったジョンパルは、映画の前半で「祈祷院から脱走した」として捜索中であった。

 

映画とはやや逸脱するが、ジョンパルが逃げ出した“祈祷院”について詳しくないので少し調べてみると、孤児院のような場所で保護されていたというより、一種の矯正施設に近い印象を受けた。

韓国では人口の約56パーセントは無宗教ながら、キリスト教徒(プロテスタント系20パーセント、カトリック系8パーセント)が約3割を占めており、宗教人口としては最も多い。

韓国におけるキリスト教日韓併合下での抗日・独立運動の原動力となり、朝鮮戦争による平壌からの流入、米軍の庇護のもとその数を増やした。1970年代以降は民主化運動をリードし、プロテスタントによる仏教への攻撃と積極的な布教活動により急成長を遂げ、90年代以降は仏教徒の数を上回っている。

天道教統一教会といった新宗教も盛んであり、韓国に定着していく折衷の過程でシャーマニズム的影響が色濃く、分派しやすい傾向があるとされ、日本と違い政治運動にも深くコミットする特徴をもつと言われる。信徒引き抜きなどによる他派との対立や洗脳などカルト的新興宗教による社会問題や事件も少なくない。

 

祈祷院は祈祷に集中的に没頭するため、個人やグループで合宿しながら加護を祈る施設であり、教会に併設されている場合が多く、日本国内にも存在している。

シャーマニズムキリスト教における疾病観には、病気の原因は鬼神(不信心によって生じた悪霊)だとする考えがあり、信仰・祈祷によって鬼神を除くことで神の加護により治癒するものとされており、いわゆる“悪魔”や“憑き物”に近いものと認識される。

治療祈祷会では①病患者が一対一で神に祈祷するほか、②断食によって病魔の誘惑(食欲)に打ち克つデトックス法や、③一堂に集めて代表者に神癒的行為(神の加護)を示すことで集団的興奮状態を生み出し、自分にも何か変化が起きた、良くなった、という自己暗示にかける、④牧師が按擦・按摩を施しながら祈祷するといった方法が用いられる。

描かれていないため憶測にはなるが、もしかするとジョンパルのダウン症とみられる症状を祈祷によって除こうとする大人がいたのかもしれない。 

 

「アジョンの恋人」を自称するジョンパルは、実際にダウン症をもつ韓国の役者キム・ホンジプが演じている。血痕が付いたままのシャツを着ていた彼の証言では、行為の最中に彼女が鼻血を出したとしており、鼻血エピソードが絶妙な伏線になっている。

アジョンが携帯電話に撮りためた写真を消そうとしていたこと、写真の一部を現像しようとしていたこと、ジョンパルがトゲ山に逃げ込んだことを合わせて妄想を重ねていくと、もしかするとアジョンとジョンパルは本当に愛し合っており、駆け落ちを考えていたのではないかなどとも思えるが実際のところは分からない。

 

■「母親と寝る」と「女と寝る」、適切なセックスと強姦

下の記事では、ホンジプさんの母オクジャさんが実際の障碍者の恋愛はハードルが高いと話している。障碍者同士のミーティングなどで出会いの機会がない訳ではないが、「女性障害者の親たちは娘の恋愛、(更なる障碍児が生まれることを悲観して)出産を望んでいないようだ」としつつ、彼らにも愛する権利があると語る。

www.seoul.co.kr

日本でも障碍者向けの自慰介助サービスを提供するホワイトハンズなどが知られており、障碍者の性欲をタブー視しない取り組みが求められている。

 

2019年にベストセラーとなった宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』は、少年院での勤務経験から「非行少年」とされた少年たちには「認知」「感情統制」「身体的不器用さ」「対人スキル」「融通の利かなさ」が不足しているとして、「障碍者未満」のいわゆる“ボーダー”が多数含まれていることを指摘している。

現在の矯正施設ではソーシャルスキルレーニングとして認知行動療法が用いられており、他人に不快感を与えたり社会規範にそぐわない行動を社会的に正しい行動へと変えていく方法で、自分や相手、周囲の感情が分かるという前提に立って作成されたものである。しかし、人の話を聞く、言語を理解する、見る、状況や感情を想像する、善悪やTPOの判断といった前提となる条件が伴っていない少年が多いため、(認知行動療法なしに比べれば多少改善するものの)充分な成果が得られていないとしている。

鑑別鑑定で少年たちが様々な問題を抱えていることは指摘されていても、それらを改善するために、再犯を起こさせないために具体的に何をどう支援するか、といった視点が欠け、トレーニングプログラムを履修させるだけで実際身になっていないと危惧する。認知機能が低ければ、“適切な”セックスと強姦の違いを理解することが難しく、対人スキルが改善されていなければ塀の外で同じことを繰り返すことになる。

性犯罪者ははじめから異常性欲者なのではなく“適切な”交際や性交が理解できていない、という視点である。

 

話を戻すと、トジュンはおそらくジンテの真似をして「女と寝る」と意気込んでいたが、正しくセックスを知らないどころか交際相手さえいなかった。ジョンパルはアジョンと出会ったことでもしかするとセックスを経験したかもしれないが、彼にとっては売買春が交際であり「純愛」だった。

ジョンパルは精神薄弱などによって刑期は短くなる可能性もあるが、果たして更生できるかどうかは難しく、彼がトジュンの母に告げた「泣くなよ」の無垢なやさしさが一層「母のしたこと」の罪深さを抉り出す。

 

( 嘆かわしいことだが、ジョンパルは英語字幕などでは「crazy JP」と表記されることから、ダウン症の役者を「キチガイ日本人に見立てており反日的だ」とする非難も散見される。田舎町にわざわざ“親のない日本人のダウン症青年”を唐突に登場させることは文脈的に考えられず、ジョンパルを略してJPとしているにすぎない。被害妄想と嫌韓感情、差別感情による悪質な言いがかりであることは指摘しておきたい。)

 

 ■記憶

長距離バスで踊り出すエンディングはなじみのない人にはそれ自体が異様に見えるかもしれないが、タクシーやバスの運転手が眠気解消の目的で“ポンチャック・ディスコ”と呼ばれるチープなテクノ音楽をかける大衆文化がある。

ポンチャック化した歌謡曲を宴会などでみんなで歌い継いだり、長い道中で盛り上がったりというのは中高年層にはなじみがあるもの。日本では元バスガイドの歌い手・李博士イ・パクサ)が1990年代半ばに脚光を浴び、電気グルーヴ明和電機らと共作をリリースしている。

www.youtube.com

エンディングにはポンチャックディスコに乗って他の乗客たちと狂乱的に踊るシーンが延々と続く。

母親目線ではなく、車外からそれを見つめるカメラ・アイは何を意味するのか。この踊りの意味を監督は観客に投げかける。

シンプルに考えれば、鍼で嫌な記憶をすっかり忘れて、踊ったことになる。

だが、観客は彼女が記憶を忘れる前にも老人殺害後に荒野で踊るシーンを目にしている。老人の小屋に鍼を忘れてきたことから、荒野で踊るシーンの際には記憶は失われていない。自分のしでかした大きな過ち(単なる殺人というではなく、息子の罪を隠蔽するという二重の過ち)から逃れるために、もはや踊るしかない心理状況の忘我の舞であった。

たしかに忘我の舞とポンチャックではかなり踊りのテイストが異なる。しかしこの対比の利いたふたつの踊りが、“同じもの”であった可能性は考えられないだろうか。

何もかも忘れた“フリ”をして踊り狂っていた、すなわち鍼によって「記憶を消す」という母の技術自体が眉唾であり、あくまで気休めに過ぎないのだとしたら。

 

これほどまでに多くの伏線と回収、更なる解釈の余地をまとめあげるポン監督の底知れない才能と意地の悪さに震えが止まらない。

 

 

 

『母なる証明』ウォンビン&ポン・ジュノ監督インタビュー “目”に隠された意味とは | cinemacafe.net 

日本刑事政策研究会:刑事政策関係刊行物

 韓国キリスト教会の信仰治療 現代シャーマニズム社会におけるキリスト教会,渕上恭子

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