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気になる事件と考えごと

キリストを模した男——ムンギョン十字架怪死事件

韓国で物議を醸したミステリアスな男性怪死事件について記す。

 

十字架と遺体

2011年5月1日、慶尚北道・聞慶(ムンギョン)市郊外の篭岩面(ノンアムミョン)、鈍徳山の廃砕石場で養蜂家Aさんが死亡している男性を発見し、警察に届け出た。

死亡していた男性は、慶尚南道昌原市で個人タクシー運転手をするキム某さん(57歳)と判明。調べによれば、キムさんは90年代に離婚して以来一人暮らしで元妻や娘と連絡は取っていなかった。先月9日から車で聞慶市を訪れており、山中にテントを張って寝泊まりしていたとみられる。4月10日に弟に電話を入れており、「教会には行ったのか」といった会話が家族との最後のやりとりとなった。

 

その死亡状況はあまりに奇妙だった。遺体は白いパンツ一枚きりの全裸に近い姿で、木製の“十字架”に磔(はりつけ)になった状態で見つかった。磔になっていた大きな十字架は、縦180センチ、横187センチの2本の角材で組まれており、その足元には板の土台が付随して転倒しないようになっていた。設置されていたのは地表から1.57メートルほど高台になった岩場で、左右には細い角材でできた小さな十字架が立てられ、片方には鏡がぶら下げられていた。

左右の足は土台の板に長さ15センチ程の釘で打ちつけられており、両腕はループ帯で拘束され、両手首にも釘が貫通していた。腰と首に中細のナイロンロープが巻かれていたため、膝はやや折れていたものの立ったままの姿勢で絶命していた。頭には「茨の冠」が付けられ、右脇腹には刃物による刺し傷があった。腐敗により正確な死亡推定時刻は分からなかったが、死因は首元のロープによる窒息死と報告されている。

荒涼とした廃砕石場は「ゴルゴダの丘」を、そして男性の死は「エス磔刑」を、脇腹の傷はローマ兵士ロンギヌスが槍を刺してその死を確認したことを模しているのは明白だった。

Jan van Eyck『キリストの受難(左)』(1440), [Metropolitan museum]

 

常識に照らせば、自分で両手足に釘を打ちつけるというのは考えにくい。一般的な自殺志願者は自らの最期にふさわしい場面について様々な考えが頭に過ったとしても、精神的に疲弊しており、最終的には飛び降りや首吊りといった比較的シンプルで確実性の高い手段で遂行するのが常だ。その目的は知れないが「三者の介入があった」と見るのが自然に思われた。

仮に自殺と想定した場合、先に左右の足を打ちつけて固定したまま、両手を打ちつけたことになる。キムさんは身長167~8センチで体重70~80キロ、腹が出た小太り体型で、かかとは角材ににピタリと接しており、釘は足の甲のつま先近くに刺さっていた。実際にかかとを壁に付けたままの状態で足に釘を打つ姿勢を再現しようとすると、前のめりにバランスを崩して岩場から転落するのが自然に思える。

不審死体発見の初報時点では、聞慶警察署もこうした自殺は容易ではないとして、自殺と他殺両面から捜査を行うことを言明した。ニュースを聞いた多くの市民もこれは猟奇殺人の一種だと疑ったにちがいない。

発見された図面と計画書〔『それが知りたい』第804回より〕

 

しかし遺体付近にはハンマーや手動のドリル工具、腹部を刺した刃物が落ちていた。事件であれば、犯人が凶器をそのまま残しておくのは却って不自然にも思われる。またテント内に遺書こそなかったが、ノコギリや十字架制作で生じた木切れ、制作図面や体を固定する手順などを記した「計画書」が見つかっていた。

手の釘は「十字架」の裏から表に突き出ていた〔『それが知りたい』第804回より〕

解剖所見では、腹部の刺創はキムさん自らの手による可能性が大きいと推認された。さらに鑑識官は、足の釘は上方向から打ち込まれていたが、手の釘は「頭」が角材の背面から打ち込まれていた点を指摘する。

聞慶警察署は、現場に第三者の存在を示す痕跡はなく、手動のドリルを使って手に穴を開けてから、体格に合わせて十字架にあらかじめ打っておいた釘を「穴」に通せば「磔」は可能だったとし、キムさん単独での自死とする判断をもって捜査終結とした。

 

第一発見者への疑い

キムさんの死が複雑さを帯びるのは、単純な自死ではなく、宗教的性格に由来するためだ。具体的な教団名などは報じられていないが、調べによりキムさんは日頃からキリスト教に心酔していた(メディアによっては「狂信的」とも表現されている)とされ、近年はインターネットの宗教関連コミュニティで積極的に活動していたことが伝えられていた。

朝鮮日報の報じるところでは、第一発見者Aさんは元牧師で2002年から複数のインターネットコミュニティを運営し、キムさんが参加していたのもそのひとつだったという。さらに記事では、遺体発見前の4月24日がその年のイースター(復活祭。磔刑から3日後にイエスが復活したことを祝するキリスト教の祭日)に当たることから、イエス磔刑を模した自殺幇助の可能性にも触れている。

韓国基督教放送CBSでは、およそ2年前にキムさんがAさんの運営する宗教関連カフェを訪ねたことがあり、調べに対し「そのとき宗教的談話を交わしたが、それ以来会っていない」と話したことを伝えている。

Aさんは朝鮮日報の取材に対し、「キムさんは日頃からキリストになりたいと言っていたが、本当にキリストのようなことをするとは思わなかった。彼が足に釘を打ち込んでいるのを見て、この人の信仰を尊重しなければと思った」と話した。Aさんは生前最後にキムさんと落ち合い、「儀式」を目にしていたことになる。

そもそもキムさんに「自殺」の意志はあったのか、それとも自らの「復活」を本心から信じて疑わなかったのか、あるいは宗教的な「洗脳」状態にあったのか。そのとき傍にいたAさんは、はたしてどこまでキムさんの死に関わっていたのか。

 

韓国では憲法第16条等により、基本的人権のひとつとして信仰の自由が保障されている。2015年の韓国人口統計によれば、総人口は5101万人で、うち43.1%が特定の宗教を信仰している。総人口比での内訳はプロテスタント19.7%、仏教15.5%、カトリック7.9%、その他1%未満とされる(宗教別の割合だとプロテスタント45%、仏教35%、カトリック18%、その他2%となる)神道と仏教がおよそ半々でキリスト教徒は国民の1%程度とされる日本に比べて、韓国では18世紀に宣教師によりもたらされたカトリック李氏朝鮮末期に普及したプロテスタントが広く根付いている。

歴史的には、李氏朝鮮下での長期にわたる仏教弾圧、近代化のための欧化政策により宣教師の活動が支援されたこと、さらに日本による併合で神道教化に抵抗した人々がキリスト教を韓国ナショナリズムと同化させたことが背景に挙げられる。また第二次世界大戦後には、南北分裂に伴って半島北部から100万人近いキリスト教徒たちが韓国に流入したと推計されている。近年では20~30歳代を中心として無宗派層が増加しており、非科学的な教義を掲げて非倫理的犯罪をおかすカルト(サイビー)の増長も懸念されている。

京畿大学犯罪心理学科のイ・スジョン教授は「宗教に心酔していたキムさんの自殺を手助けした協力者がいるなら、必ずや見つけ出さねばならない。さもなければ同様の宗教的な自殺幇助が再発するおそれがある」と捜査の早期終結に警鐘を鳴らした。

 

男性の胃に内容物は残っていなかったが、遺留品から強心剤の一種で多量服用により幻覚や麻痺作用のある医薬品の小瓶が見つかっており、捜査員は医師の助言を踏まえた上で激痛を薬効で紛らわせていたのではないかとの見解を述べている。120錠入りの瓶に残されていたのは僅か5粒だけだった。

警察の主張する自殺説では、衰弱と意識の混濁でやがて自重によって膝から崩れ、首に巻かれたロープが食い込んで窒息死に至ったと推測されている。遺体にはためらい傷や失敗の跡は見られなかった。両足を釘で打ちつけ、腹をナイフで刺し、手動のドリルで手に穴を開け、釘を穴に通すという荒業を感覚が麻痺した状態で遂行することができるものだろうか。むしろ麻酔状態にあったとすれば、第三者が作業を遂行しやすくするためと見る方が自然に思われる。

しかし後の薬物検査ではアルコールや薬物の反応は一切検出されなかった。

 

韓国SBS、2011年6月4日放映の追跡報道番組『それが知りたい』では、科捜研に移管された十字架や遺体状況をCGで忠実に再現し、捜査員の証言を基にした自殺説の検証が行われている。

死亡状況の再現CG〔SBS『それが知りたい』より〕

4月初旬、キムさんは聞慶市を訪れる前に、弟を同行させて新車を購入していた。弟によれば、このときのキムさんは以前と様変わりしており、教会に通わない人間だったのに「教会に必ず行け」と命じたり、「空に行けば楽に暮らせる」などと話し、近々聞慶に行くことも伝えていた。

また車の販売スタッフは、商談中にしばしばキムさんの携帯電話が鳴らされ、第三者と何かを相談している様子だったと証言する。また「山岳会の会長を新車に乗せる」と繰り返し話していたという。だがキムさんが山岳サークルに属していたといった情報はなく、だれを乗せるつもりだったのかははっきりしない。

また奇妙なことにキムさんは自宅や自動車販売店への入庫ではなく、「自分が一番最初から乗る」と言って聞かず、250キロ離れた平沢(ピョンテク)の工場まで自ら車を引き取りに行ったという。彼はその足で昌原市の自宅へは戻らず、聞慶へと向かった。新車購入時点でキムさんはすでに死に場所へと向かっていたことになる。

キムさんは弟を車に乗せる際、シートに直接坐らずに、タオルを敷いてから座ってほしいと頼んだという。これはルカ福音第19章29-36でエルサレムへ向かうイエス一行がオリブ山にさしかかった場面の描写をなぞらえたのではないかと神学者は指摘する。

鈍徳山の廃砕石場は確かに我々がイメージする荒涼とした処刑場・ゴルゴダの丘のイメージに近いものだ。だが捜査員の一人は、地理的に離れており部外者は立ち寄らない、学術的な研究対象でも“聖地”でもないあの場所を選んだこと自体に疑問符を投げかける。聖書をなぞらえて儀式を遂行するのであれば、「最後の晩餐」を共にする弟子たちや処刑を見守るギャラリー、完全なる風化ではなく「復活」を見届ける人間が介在せねばならない。

だが発見前の4月末に彼の地は30ミリ以上の大雨に2度見舞われていた。そのせいで第三者の痕跡が現場から消失したのではないかと番組は推論する。届けを受けて出動した捜査員たちは道が水没していたため、現場まで歩かなくてはならなかったという。そんな過酷な状況下で養蜂業者が廃採石場を訪れることなど不自然であり、断定することは避けるが、Aさんはキムさんの「復活」、あるいは現場の状況確認をしに来たように思えてならない。

 

キムさんは2000年頃に息子から肝移植を受け、自身は健康を取り戻したが、その手術が元で息子が死亡したことを聞かされて著しくショックを受けていたという。息子の命と引き換えに自分が生きながらえ、文字通り「原罪」を背負ってしまったその心中は想像を絶するものがある。その後、頼みの綱を、道標を求めた先が宗教だった。一般的な宗教では答えが得られず、最後に彼がのめり込んでいたのがキリスト教に仏教や道教がハイブリットされたサイビーの一種だった。周囲の知人たちは彼から離れ、話し相手はネットのコミュニティだけだった。

番組は最後にキムさんの姉への取材場面を伝えたが、クルーに聞かされるまで弟の死について何も知らなかったという。宗教が元できょうだいは絶縁状態にあった。

 

所感

法医学者ユ・ソンホ教授は著書『毎週死体を見に行く』の中で本件についても触れており、遺体と接した専門家たちは誰一人として「自殺は不可能」とは唱えなかったという。

心酔していたサイビーがキムさんを死に誘ったのか、本当のところは分からない。だが既存の宗教を否定し続けたキムさん自身、ひょっとするとコミュニティの欺瞞に半ば気づいていたかもしれない。キリスト教では自殺は禁じられているため、その手段として「キリストの受難」の場面を模すことを思いついたのか、それとも精神的に追い詰められた結果、イエスとの自己同一化という誇大妄想に憑りつかれてしまったのかはもはやだれにも分からない。

悲しいことに彼にできたのは奇跡や慈愛といったキリストの行いではなく、聖書の物語を表面的になぞるだけのことだった。自ら宗教指導者になることも、復活することもできなかったのである。

 

故人のご冥福をお祈りいたします。