茨城県境町一家殺傷事件2

2021年9月17日、水戸地検は埼玉県三郷市・無職岡庭由征(おかにわよしゆき)容疑者(26)を2019年9月に茨城県境町で家族4人を襲った殺人罪などにより起訴した。先立って行われた鑑定留置により刑事責任能力に問えると判断された。

過去エントリで取り上げた事件だが、容疑者逮捕以前に書いた整理されていない内容のため、改めて逮捕・起訴後を焦点に本稿を記している。裁判などの追記は本稿に加える予定である。

 

■概要

2019(令和1)年9月23日0時40分頃、茨城県境町の自宅2階で就寝中だった会社員小林光則さん(48)、妻でパート従業員の美和さん(50)が首や胸を多数切りつけられるなどして殺害された。2階別室にいた中学生の長男は両手足を切られて1か月の重傷、同じ部屋で寝ていた小学生の次女は催涙スプレーのようなものを両手にかけられて痺れなどの軽傷を負った。1階にいた大学生の長女に怪我はなかった。

通報は殺害直前に美和さん本人が110番を掛けたと見られており、1分程の通話で「何者かが侵入してきた」「助けて」「痛い痛い痛い痛い痛い」、救急車は必要ですかとの問いに「いらない」「やっぱりいる」と危険が差し迫っていた様子を窺わせるものだった。その後、警察から掛け直したが応答はなく、通報からおよそ10分で警察が駆け付けるも犯人の姿はなかった。

犯人を目撃した長男らは、帽子にマスク姿、黒いポーチを付けた男性単独犯に襲われたと証言し、サイレンの音を聞いて「ヤバイ」と口走って部屋を去ったと語った。長女は犯人と接触しておらず、「(2階で言い争うような声が聞こえたが)こわくて部屋から出られなかった」と話した。

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小林さん宅の周囲は鬱蒼とした木々に囲まれ、隣の敷地には町営の釣り堀池があり、遠目にはそこに家があるかどうかも分かりづらい。近隣の家までおよそ200メートル離れた孤立した立地から「ポツンと一軒家」と形容されることもある。住居の南側には車での出入りが可能な正面口と、北面には徒歩で釣り堀側へとアプローチできる出入口があった。正面玄関近くにはよく吠える飼い犬が居り、北面出入口は事件前にロープで簡易的に進路を防いであった(侵入は可能)。

捜査の結果、住居1階の浴室脱衣所にある無施錠だった窓から出入りした痕跡が確認された。屋内に土足痕はなく、1階の部屋に立ち寄らず2階に直行したものと見られ、金品を物色した形跡はなかった。屋外で複数の足跡・タイヤ痕が採取されたが、釣り堀の利用客のものと入り混じり、犯人との関連性は不明とされた。

住居北側の藪から血痕の付着した小林さん宅のスリッパが発見され、犯人が逃走の際に捨て去ったものと見られた。スリッパを元に警察犬の追跡捜査も行われたが、屋外ですぐに行方を見失っている。

 

■被疑者

事件当初、夫婦への怨恨が動機と見て交友関係を中心に捜査が進められたが、一家に大きなトラブルは確認されなかった。犯行は雨降りの深夜、周辺は農地が多く防犯カメラや周辺住民も多くない地域ということもあり、犯人につながる有力な情報はなかなか集まらず捜査は難航した。

しかし事件発生から2年で事態は一気に加速した。2020年4月に刑事部長が交替して、捜査方針を転換。流しの犯行を視野に入れ、周辺で発生した過去の類似事件の洗い出しを行い、隣接する埼玉県に網を広げたなかで、6月、被疑者として岡庭の名前が浮上した。犯人を目撃したこどもに確認したところ、複数枚の写真の中から岡庭の写真を選び「特徴的な目が似ている」との趣旨の証言をしていた。『創』編集長篠田博之氏によれば、警察は20年夏から行動監視などのマークを開始していたとされる。

 

2011年、11月に埼玉県三郷市で女子中学生を、12月に千葉県松戸市で女子小学生を刃物で襲う連続通り魔事件を起こし、同12月に銃刀法違反容疑で現行犯逮捕。上記の殺人未遂2件について認め、周辺で放火や動物虐待を繰り返していたこと等も供述し、自動車や倉庫など非現住建造物放火6件、動物愛護法違反2件、器物損壊など合わせて13件の罪に問われた。

事件当時は16歳。以前通っていた私立高校では遅刻や欠席はほとんどなく、おとなしくて目立たない生徒だったが、バイクに放火する様子を友人に撮影させるなど奇行もあった。凶暴なイメージはないとされる一方で、小学校時代の同級生は、補聴器をつけていた男子生徒に飛び膝蹴りを喰らわせるなどの暴力で不登校に追いやったとして「弱い者イジメをする子だなという印象」と語る(『週刊新潮』2021年5月20日号)。

家庭ではインターネットの暴力サイトの閲覧なども制限は殆どなく、保護者は多数のナイフ類を買い与えてコレクションさせていた。事件前の10月、同級生に猫の生首の画像を見せて「動物を殺したので次は人間を殺すつもり」などと吹聴し、「持ってきて」と言われて本当に教室に持ってきた。そのことが学校で問題視され、処置を巡って対立し、退学届を提出。逮捕時に在籍していた通信制高校へは編入したばかりだった。

女性を襲うことに性的興奮を感じると話し、公判では「今のままでは、またやっちゃうと思う」と述べ、罪悪感や反省の色は見られなかった。検察は「殺人への衝動が収まっておらず再犯の恐れが高い」として刑事処分を求めたが、一方で「自分を変えたい」と治療と更生への意思を示したことから、2013年3月、さいたま地裁(田村眞裁判長)は「医療少年院での治療を施すことが再犯防止に最良の手段」として家裁への送致を決定。さいたま家裁は広汎性発達障害との精神鑑定結果から、医療少年院での治療的働きかけに5年程度かそれ以上の処遇を要すると判断した。

2015年、被害女性らが岡庭と両親を相手取り、損害賠償を求める民事訴訟を起こし、さいたま地裁は両親の監督責任を認め、岡庭側に約1900万円の賠償支払いを命じた。

岡庭は2018年に医療少年院を満期出所し、夏から埼玉県深谷市の精神障碍者向けグループホームに入所。しかし年内にはすでに三郷市の実家に戻っていた。

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■逮捕

2020年11月20日、埼玉、茨城両県警は三郷市に住む岡庭容疑者を三郷市火災予防条例違反の疑いで逮捕。約45キロもの硫黄を危険物の取扱基準に反して所持していたことによるもので、20日間の満期拘留後、12月に消防法違反で起訴された。

21年2月15日、茨城県警は警察手帳の記章を偽造したとして公記号偽造容疑で逮捕。酷似した記章3個を制作し、警察手帳を偽造販売した疑いにより、3月に起訴。

押収品600点もの大掛かりな家宅捜索が行われ、その後、境町での殺傷事件との関連を雑誌各社が取り上げた。当初は、爆弾をつくるための薬物を大量購入しているとして殺人予備罪の容疑がかけられる予定だったとされる。

21年5月7日、小林さん夫妻殺害の容疑で逮捕。境署で開かれた逮捕会見では、容疑者は小林さん一家との「面識はない」とし、関係者への聴取、現場の鑑識、押収品の鑑定・解析の結果などから事件への関与の疑いが強まったと説明。動機の特定が急がれた。

 

家宅捜索により押収されたものの中には、刃物類のほか、「猛毒のリシンを含有するトウゴマ」や抽出に使う薬品、フラスコやビーカーなどの実験器具が多数含まれていた。捜査関係者は、母屋とは別棟にあった容疑者の自室は「まるで実験室のようだった」と証言(2021年5月7日、産経)。またトリカブトサリン生成に関する本などが押収されていたことも判明している(2021年5月11日、NNN)。

またスポーツタイプのものを含む複数台の自転車も押収されており、自動車免許を持たない容疑者が約30キロ離れた現場までの移動手段とした可能性があることが報じられた(2021年5月9日、時事通信)。

次女の両手に掛けられた催涙成分のあるスプレーと同一のトウガラシ成分(カプサイシン)の含まれる「熊除けスプレー」を容疑者がインターネットを通じて事件前に購入していたことが明らかとされ、成分内容から犯行に使用されたものと同一のものか関連が調べられた(2021年5月8日、時事通信)。

また現場脱衣所の外壁をよじ登る際に付いたと見られる足跡が採取されており、容疑者が事件前に同種のレインブーツを購入していたことも判明している(2021年5月13日、産経新聞)。

事件当日に現場周辺にいたことを示すGPS(位置情報)記録があったことは20年12月の『週刊現代』で報じられていたが、事件前に現場周辺を撮影した動画も見つかっており、周到に準備した上での犯行を思わせた(2021年5月10日、FNN)。現場周辺の地図情報や天候をインターネットで検索、犯行後には境町の不審者情報を確認した形跡があったことも明らかにされた(2021年5月13日、産経新聞)。地理を調べて自転車で徘徊する行動や事後の通報確認は、過去の通り魔事件でも繰り返していた手法である。雨の日の犯行も、犯行時の物音をかき消したり、逃走時の目撃を避ける狙いがあった計画的な犯行とみられている。

 

5月9日、身柄を水戸地検に移送。取調べには応じるものの、容疑については否認。

5月29日、長男に対する殺人未遂、次女に対する傷害の疑いで再逮捕。

6月7日、刑事責任能力を調べるため鑑定留置を開始し、9月6日まで行われた。

 

下のFNNによる記事では、精神科医井原裕氏が取材に応じ、医療少年院について、また岡庭容疑者について語られている。

www.fnn.jp

井原医師は、医療少年院を少年院や少年刑務所では適切な対応が難しいケースについて高度な専門知識を持った人間が社会復帰をお手伝いする施設とした上で、「医療少年院で行う精神科医療にもできることとできないことがあります」と語る。

「人を殺したいという独特な性癖に対して今の精神医学の中に性的傾向を修正する治療技術自体がありません」「特殊な性癖を持ったケースについては無力です」と精神科医療の「枠」を強調。「治せない。だからこそアフターケアが必要だ」とし、再犯リスクに対処できていない現行の刑法、少年法に警鐘を鳴らしている。

現行法では再犯を唯一予防できる方法が死刑であるため、厳罰主義に陥りやすい状況を生み出している。塀の外に出てから再犯につながらないように見守るアフターケア、社会内処遇の重要性を説く。

www.dailyshincho.jp

上の『週刊新潮』記事では、通り魔事件の被害に遭った少女の父親が「少年法の壁、制度の限界」に言及している。被害者からすればいかような相手であれ受けた傷の痛みや心に負った影響は変わりない。保護や社会復帰を目的とする少年法によって、却ってやり場のない報復感情が残るという側面もあるかもしれない。さらに早期の社会復帰となれば、恐怖心も拭いきれないだろう。通り魔事件の第一被害者となった中学生は、「自分が死ななかったから犯人は満足できず、次の事件を起こしたのではないか。女の子(第二被害者の小学生)に申し訳なかった」とまで証言していた。彼女たちが事件後に味わってきた恐怖心や、現在の心中を思うとやりきれないものがある。

 

6年前に「またやってしまうと思う」と述べた元少年は、いま何を思うのか。水戸地検石井壯治次席検事は「収集した証拠を総合的に判断した。適正かつ的確に捜査を遂行することができた」と述べた。ここまで公開されてきた情報では、被告が事前に事件現場周辺まで足を運んだ事実があるという状況証拠にしかならない。

公判で犯行を裏付ける証拠が明らかとなるのか、現在では黙秘を続けているとされる被告が何を語るのか、進捗を見守りたい。