いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

佐賀県唐津男児ひき逃げ放置事件について

佐賀県唐津市で起きた児童の連れ去り放置。その発端は車両との人身事故であった。

動機がはっきりしない行方不明事案において、しばしば交通事故が契機となって連れ去られた疑いが浮上する。

 

事件の概要

2006年5月21日未明、佐賀県唐津市内の山林で厳木小広川分校5年生の男児Iくん(11歳)が意識不明の状態で発見された。

 

少年は前日20日の夕方、唐津市巌木町星領付近にある叔父の家を訪れた後、帰宅の途中で行方が分からなくなっていた。その日の内に、付近の県道三叉路に交通事故とみられる破損部品、ガードレールの外に車両との衝突痕のある男児の自転車が見つかり、路面に血痕が確認された。警察では少年が事故に巻き込まれ連れ去られたものと判断。

家族、警察、消防団員、近隣住民や学校関係者ら150人以上で男児の捜索や該当する事故車両の捜索が続けられた。

 

21日の午前1時頃、消防団員のひとりが現場から約3.2キロ離れた唐津市浜玉町鳥巣付近にある椿山森林公園の管理車道の突き当りに不審な土嚢袋を見つけ、中に血液の付着したタオルなどを確認してすぐに報告した。被害者家族も現場に急行して付近を捜索し、数十メートル離れた杉林の中で仰向けになって倒れている被害者を兄が発見。

体をくの字に曲げて手足をわずかに震わせながら「ウーウー」と唸り声やいびきのような音をさせて息はあった。傍らには被害者のリュックが置かれていた。男児は呼びかけに応じず意識不明に近い状態で病院に緊急搬送。事故から約9時間後に緊急手術が行われ、命に別状はなかったが頭蓋骨骨折や脳挫傷などの重傷を負っていたことが確認された。

 

その後、Iくんは6月13日に入院先の唐津赤十字病院を退院し、集まった報道陣に対して笑顔で手を振った。病院によれば食事や歩行など日常生活に支障はなく、会話などに一部後遺症はみられるものの自宅からの通院療養が見込めるまでに回復したという。

 

逮捕

24日夜9時ごろ、佐賀県警唐津市内で小学生を轢いて重傷を負わせ、林道に放置したとして船宮町に住む土木作業員S(53歳)を業務上過失傷害と道交法違反(ひき逃げ)容疑で逮捕した。

男児が発見された21日の午後3時ごろ、白バイ隊員浜玉町の農道で車体前方に破損のある青いダンプカーを発見し、車内に血痕を見つけたことから運転手の男に職務質問をおこなった。隊員は応援を呼ぶため一時的に目を離した隙に男が逃走したため、その行方を追っていた。23日には男が事件に関与したとみて逮捕状を取り、全国に指名手配が為された。

24日、男は浜玉町付近の男の勤務先近くで発見者に身柄を拘束されて警察に引き渡された。職務質問後、男は山中の穴倉に身を潜めていたが、喫煙者でタバコが吸いたくなり、勤務先近くのタバコ自販機まで出てきたところを偶然上司に見つかったという。

逮捕された男は取り調べに素直に応じ、「子どもが自転車で飛び出してきた。ブレーキをかける前に突っ込んだ」「動かなくなったので即死したと思った。自分の人生は終わったと思った」などと容疑を認めるような供述をしたことが伝えられた。

その後、男児を連れ去って山林内に放置したことに「確定的殺意があった」と見なされ、殺人未遂容疑で再逮捕。検察も同罪で起訴した。

 

裁判

2007年2月5日、佐賀地裁で初公判が開かれ、被告は放置の事実を認めたが、殺意については否認した。

検察側は冒頭陳述で「男児は事故によって重傷を負っており、早期に治療しないと死亡する危険性があった」と指摘し、被告人の行動は事故の責任から逃れるため、男児を人知れず死亡させようとしたものと主張。取り調べ段階で被告人は「男児が死んでも仕方ないと思った」旨の発言を繰り返しており「未必の殺意が生じていた現れ」だとして糾弾した。

弁護側は、自白について、被告人は責任能力に問題はないが性格的に小心さや迎合しやすさがあり、内容の変遷ぶりを見ても「捜査機関による誘導と作文」の疑いがあるとした。また事故自体に関しても自動車側の過失はなく、道交法違反と「適切な治療を受けさせることをしなかった」保護責任者遺棄罪が相当だと主張した。

イメージ

争点は、捜査段階での自白の証拠能力と、「連れ去り後の放置」という一連の行為が殺人未遂に該当するか否か。

公訴事実によれば、県道を走るダンプカーの速度は40~45キロ、被害者は市道の坂道を自転車で下ってきて県道と交わる三叉路に飛び出してきたもので、県道西側はコンクリートで視界が塞がれており、カーブミラーに男児の自転車は映っていなかったとされる。被告人は咄嗟にハンドルを切って避けようとしたが間に合わずに衝突した。

被告人は被害者の頭部に流血を認め、タオルで拭いて「もしもし」と声掛けをしたが、左手の指先と左瞼の表面が僅かに動くだけで応答はなかった。被害者が死んだと思い、車の助手席にタオルを敷いて被害者を乗せ、森林公園方面へと移動。道中でも「もしもし」と声掛けを繰り返したが、左手と左瞼がぴくぴくと動くのみで覚醒しなかった。

午後5時20分頃、被害者を抱えて車を降り、公園の管理道路から隣接する杉林の私有地に50メートルほど入った地面に横たえた。公園管理者も立ち入ることはなく、土地所有者も年に1回ほど山道の草払いを行う程度と言い、周辺はひと気のない山林で、直近の民家まで約1.4キロ離れていた。通常では発見・救出が極めて困難な場所と捉えることができる。

被告人は「ごめんなさい。安らかにお眠りください」と言って何度か拝み、管理車道の突き当りまで行ってタオルや助手席にあった土嚢袋を投棄した後、車で現場を離れた。事故現場から県道を30分ほど走れば病院のある市街地にたどり着き、その所在を被告人も知っていた。

 

当日深夜の現場外気温は摂氏9度前後。地面には枯葉が積もっていたものの寒さによる体力の消耗や、発見の遅れが生じていれば、被害者はより深刻なダメージを負ったり、死に瀕していたことは想像するまでもない。被告人も被害者の負った頭部の重傷、意識不明の重篤な事態は認識しており、山に放置すれば死に至ることは社会通念に照らし合わせても予見しうるものであった。

一審公判で、被告人は事故当時スコップを車載していなかったので、「翌朝に来て被害者を埋めようと思っていた」旨を供述している。あえて時間を置かずに埋めようと考えなかったことは、翌朝までに被害者の死亡を期待したものと捉えることもできる。

検察側は被害者をトラックに載せた時点で山中への遺棄を決したと主張したが、トラックの進路は一度は病院のある市街地方面へと向かっており、しばらくの間、病院へ搬送するかどうかで逡巡があったと思われる。搬送して男児が助かったとしても、仕事や免許資格を失い路頭に迷うことや同棲中の女性に迷惑を掛けること、後々まで慰謝料などを背負うことも脳裏をよぎったにちがいない。

 

佐賀地裁は自白の任意性について、質問に対する混乱や答えの変遷はあれど、取り調べの違法性を疑わせる事情はないとした。録取された自白内容と照らしても、状況的に被告人の隠匿などが疑われる状況について記憶が定まらないことについては「覚えがない」と思うところを主張しており、ほぼ連日、弁護人とも接見が行われて助言を受ける機会は充分にあった。弁護側の推測するような、捜査官が独自に自白調書を作成したような状況は考えづらい。

だが被告人の理解力や表現力の乏しさ、迎合しやすい傾向と照らせば、矛盾点を理詰めで追及され、捜査官の問い掛けによって答えを変遷させた疑いは払拭できない。

たとえば6月6日、殺人未遂容疑による再逮捕の翌日の調書では、「死んでもらうしかないと思った」という供述が録取されている。それと聞けば、さながら殺意に至る強い怨恨でもあったかのような表現である。だが非常に強い独特の方言を話す被告人がそうした表現を使うのはあまりに唐突であり、取調官なりの解釈で標準語表現に改められたものと推測された。はたしてそうした一言一句に被告人の記憶や心情が正確に表れていない可能性は否定できない。

証人尋問では、供述書の作成は本来被告人の意思に任せて自由記述されるところ、捜査官から「男の子に死んでもらうしかないと思った理由」といったテーマを与えて作成されたとの証言もあった。

佐賀地裁若宮利信裁判長は、取り調べ自白以外の客観的証拠から判断。事故の過失は乏しいものの、被害者の死の危険性を確実視されるまでに高めた未必の故意が認められる極めて悪質な行為とし、前科もなく、被害者と家族への謝罪と反省を示していることを酌み、懲役5年6か月を言い渡した。

 

弁護側は即日控訴し、2007年6月6日、福岡高裁で公判が行われた。弁護側は改めて殺人未遂には当たらないと主張。検察側は控訴棄却を求めた。

しかし7月6日の判決審で、一審による未必の故意との認定を破棄し、被告人の連れ去りから山林放置までの一連の行為に対して「確定的な殺意」と判断し、量刑は同じく懲役5年6か月とした。

 

作之助ちゃん事件

類似した事件で真っ先に想起させられるのは、1978年に大阪市で起きた田畑作之助ちゃん連れ去り事件であろう。

3月3日午後4時頃、大阪市住之江区に住む田畑作之助ちゃん(3歳)が自宅近くの路上で5歳の男児と一緒に遊んでいた。通りがかった白色のトヨタ・カローラが作之助ちゃんを轢いた。車から降りてきた運転手の男は「どこの子やろ?救急車を待っていられないから自分で病院へ連れていく」などと言い残し、男児を車に乗せて走り去った。

現場の目撃者によれば、男児に息はあったが頭から血を流してぐったりしており重篤な状態に見えたという。一緒に遊んでいた男児は、作之助ちゃんの家に経緯を伝えに行き、すぐに母親が駆け付けたが男の車はすでに去った後だった。近くの病院に手あたり次第問い合わせてみたが作之助ちゃんとみられる急患はなく、所在不明。母親の通報により、住吉署は翌4日から略取事件として捜査を開始した。

事故現場の検証ではブレーキ痕も残されておらず、犯人の前方不注意が原因と見られた。また目撃証言から、車は接触と同時に停まらず、数十メートルそのまま走ってから停まったとの声もあった。男はそのとき車を操縦できない状況だったのか、あるいは真っ先に「逃走」の二文字が頭をかすめてブレーキを躊躇したのか。男は40代とみられる中年風でスーツ姿ではなかったという。

 

人通りのある住宅街で夕方に発生したこともあり目撃者は複数人いたものの、車両が離れた場所に停まっていたこともあってかナンバープレートの特定に結び付かなかった。

5年後の1983年に、業務上過失致死および略取誘拐での公訴時効が成立し、コールドケースとなった。事故当時は男児に息があり、遺体が発見されたわけでもないため、男が殺人罪に問われることはなかった

男の行動は、はじめから事故の証拠隠滅の目的で計画的に連れ去った可能性と、急いで病院に運ぼうとしていたが途中で気が変わったパターンの二種類が推測される。最悪の想像としては、はじめから連れ去り目的でケガを負わせたことも考えられなくはないが、警察も家族のトラブルや人間関係などは確認したに違いなく、幼児誘拐にわざわざ人目のある場所で交通事故を起こせばリスクの方が高い。事故は偶発的と考えるべきかと思う。

人身事故を起こしたときの精神的ショックは思考を麻痺させ、自分でも思いがけない行動をとる場合もある。8人の目撃者たちもまた目の前の惨事に動揺し、車両や男の特徴にまで気が回らなかったと見え、男の言葉をそのまま鵜呑みにしてしまった。

犯人にどんな事情があったかは定かでないが、車中で死亡を確認して病院への搬送を躊躇したのか、仮釈放中や無免許運転など後ろめたい事情から捕まる訳にはいかなかったなど逃走理由について様々な動機は思い浮かぶ。

 

澁谷美樹ちゃん失踪事件

1983年、宮城県川崎町で起きた澁谷美樹ちゃん(3歳)の失踪でも、事故連れ去り説が強く疑われている。

11月1日午後4時半頃、いつものように祖父が車で保育園までおむかえに訪れ、美樹ちゃんを助手席に乗せて家路についた。帰り道の途中、田圃で作業中の知人を見かけた祖父は路肩に駐車し、美樹ちゃんに待っているように言って知人のいる田圃に下りていった。祖父は都合2、3分ばかり、車から目を離し、田圃の知人と農作業の打ち合わせを交わしていた。車までの距離はわずか20~30メートルで薄暮時とはいえ目の届く距離である。

話しを終えて祖父が車に戻ると、美樹ちゃんの姿が見えない。助手席のドアは40センチほど開いており、鞄と帽子は車内に残されたままだった。田圃では知人が脱穀作業の機械を回しており周囲の音や声は聞きづらい状況で、祖父たちは異変に気付かなかった。すぐに周辺を捜し回ったが見当たらず大河原署に届けた。

 

近くの農婦は美樹ちゃんと思われる幼児が車から降りて祖父の方を見ていたと証言。現場周辺は見通しの利く田園地帯で、可能性としては水路への転落事故が考えられるとして、警察犬を出動させたがそれらしい追跡行動は示さず、周辺で転落したような痕跡も見当たらなかった。

また15メートルほど離れた場所に薄茶色の車が停まっており、そばに30歳前後の男女が経っていたとの目撃情報もあった。近郊では薄茶色の車が猛スピードで走り去ったという目撃もあった。

家族が恨みを買うような覚えもなく、美樹ちゃんは人見知りで無理に連れ去ろうとすれば悲鳴を上げることなども考えられ、直後に身代金要求などはなかった。失踪後に両親らはテレビ出演して広く情報を求め、ときに無言電話や身代金要求めいた電話もあったが便乗犯の可能性が高いとして、誘拐と断定する決め手にも欠いた。

薄茶色の車両に線から、宮城県大河原町で飲食店を経営する男性(当時31歳)が事情聴取を受けている。美樹ちゃんの親と面識があり、美樹ちゃん宅から1キロほどの酒屋に仕入れに通っていたことが伝えられているが、逮捕には至らなかった。

祖父が停車していた近くに6メートルほどのスリップ痕があり、路面から美樹ちゃんと同じO型血痕が見つかっている。車の近くで遊んでいたところ事故に遭い、連れ去られたことも考えられた。上のストリートビューで確認できる事件の看板は、交通事故で一度破損し、家族で立て直したものだという。見通しの利く走りやすそうな道だが、微妙な傾斜や道路事情から事故を引き起こしやすい要因が潜んだスポットなのかも分からない。

1989年8月以降、国立みちのく森の湖畔公園が開園し、周辺のアクセスや人の流れは変わってはいるが、元々は自然豊かな農村地域。町民はほとんどが親類縁者という人間関係もあり、聴き取り捜査は苦労したと捜査関係者も話している。

中には一緒にいた祖父を疑う者もあったであろう。祖父は失意の癒えぬまま2012年に他界されたが、ご家族は今も彼女の帰りを待ちわびている。

 

宮﨑早紀ちゃん事件

2001年に神戸で起きた宮﨑早紀ちゃん事件でも、川で発見された遺体の状況から交通事故での死亡説が有力視されている。

当時、小学3年生8歳だった早紀ちゃんは母親と中1の姉と市営アパートで3人暮らし。身長125~130センチほどのやや小柄な体格で、大きな眼鏡をかけており、近隣住民への挨拶を欠かさず人懐こい性格で知られていた。

神戸・小3女児遺体発見から20年 情報提供途絶え2年、県警が協力呼び掛け|神戸|神戸新聞NEXT

6月3日、母親は仕事、姉は風邪を引いており、早紀ちゃんがひとりで団地の一斉清掃に参加していたという。母親の帰りが遅くなることが多く、夜の改札前で母親の帰りを待つ少女の姿は以前から駅利用者にはよく見られていた。母親にお菓子を買ってもらい、学校や友達の話をしながらの帰り道を楽しみにしていたという。その日も少女は夜10時頃になって一人で500メートルほど離れた最寄りの神戸電鉄唐櫃台(からとだい)駅に向かった。

23時ごろに「一緒に帰ろうか」と声を掛けた女性がいたが、少女は母親を待っていると言って誘いを断った。その後、男性が近くの交番まで連れていったが警官が不在だったため、お巡りさんが戻ってくるまでここで待っているようにと言い聞かせ、その場を去ったという。

その夜、母親は帰りを待ちわびる二女と会うことはなかった。彼女は勤め先を変えたばかりで、通勤に電車を使わなくなっており、まだ娘たちにその話を伝えていなかった

 

その後の少女の足取りは途絶え、6月7日朝、有野川の浅瀬で変わり果てた姿となって発見される。遺体は家を出たときと同じ黄色いワンピースを着ていたが、緑色のジャンパー、眼鏡、靴は発見されなかった。駅から約2.7キロ北の有馬街道沿いの高さ12~13メートルの切畑橋で数十本の毛髪が採取されたことから、橋から川に投下したものと見られている。発見現場は橋から250メートル下流付近であった。

死因は脳挫傷で平らな硬い面状のもので頭部を強打しており、腰や上半身にも複数骨折があった。「カンガルーバー」と呼ばれるバンパーを装着した車高の高い車(ワンボックスやRV車)で轢かれた可能性が高いと推測されているが、事故現場は定かではない。失踪直後の降雨の影響で事故の証拠が洗い流されたことも想像される。

深夜の犯行で目撃情報もほとんどない中、ひき逃げ、死体遺棄の公訴時効が2006年に成立。だが兵庫県警は殺人事件として捜査を継続することを決定し、現在も情報提供の呼びかけを続けている。

 

上述の3事案では、予期せぬ事故からの連れ去りという場面が強く想起される。今日であれば、防犯カメラや車載カメラ、Nシステムの普及などによってより客観的で正確な証拠が得られ、追跡できていた公算が高いと見られている。

 

 

所感

本件では早期発見によって少年の命は助かった訳だが、交通事故後の連れ去り、死体遺棄といった悪質な事例は数多く存在する。その意味でも「未必の故意」ではなく「確定的殺意」と認定した福岡高裁の判決は、その後もなくならないひき逃げ拉致事件に対して有効な意味をもった。

奪われた尊い命が戻る訳ではないが、罪状が殺人罪となれば捜査に割かれるリソースも、その後の民事を含めた司法の対応も、被害者遺族への支援もそれ以外の事件とでは大きく異なる。

イメージ

自発的失踪の線の薄い子どもの行方不明については判明していないだけで事故に起因するものは少なくないと筆者は考えている。また憶測にはなるが、急増の一途をたどる認知症患者を含む高齢者の行方不明事案についても、予期せぬ時間帯、ひと気のない場所での事故との遭遇が想起させられる。自力であれば自宅など失踪現場周辺からそう遠くない場所で見つかるのが道理だが、こうした事故連れ去りケースであれば思わぬ場所に放置、遺棄されて発見に至らないことも想像される。

被害者の救護は当然の義務ながら、だれしも事故で動転すれば平時と異なる判断や行動を選択しかねない。日頃から自動車などを運転する私たち自身もいつ加害者になりかねない重大な責務を負っているとの自覚を持ち、安全な運転を心掛けねばならない。

 

被害者の快復と家族の心の安寧をお祈りいたします。

 

 

参照

事故に遭った男児、林道に放置される | レスポンス(Response.jp)

一審・佐賀地裁判例 平成18(わ)114

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=34635

 

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com