いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

吉川友梨さん行方不明事件

2003年(平成15年)、大阪府泉南郡で起きた9歳女児の行方不明事件について記す。

ご家族や警察の20年にも及ぶ懸命の捜索にもかかわらず、現在もその行方は露として知れない。ご家族との一日も早い再会を願ってやまない。

www.police.pref.osaka.lg.jp

当時、現場周辺で不審な人物や車両を見かけた、通りがかったり駐車していた記憶がある、事件後に女児らしき人物や犯人らしき人物と接触した、犯行をほのめかすような話を聞いたなど、些細な情報でも通報を求めている。2023年7月1日まで有力情報には最大300万円の捜査特別褒賞金が指定されている。

 

情報提供先は、

大阪府警泉佐野署 電話 072(464)1234 FAX  072(462)0854

 

■概要

2003年5月20日(火)15時ごろ、大阪府泉南郡熊取町七山で町立北小学校に通う4年生・吉川友梨さん(9)が下校途中に行方が分からなくなった。

その日は社会科見学で此花区にある大阪市立下水道科学館へバスで訪れていた。友梨さんはいつもより1時間ほど早起きして「これで準備ばっちりや」と朝から意気込んでいたという。

見学を終えてバスは14時30分頃に小学校へ戻り、通常授業日より30分程早い14時40分頃に解散となった。普段は家の近い同級生と一緒に帰宅していたが、この日は別の同級生3人と一緒に下校した。

友梨さんは学校から1.2km、自宅から約600m離れた七山交差点付近まで差し掛かると、同級生3人に「バイバイ」と言って別れた。

七山交差点で同級生たちと別れた友梨さんは一人で自宅のある北東方向へ

 

友梨さんは交差点から自宅方向(上のストリートビューでは看板の見える右手方向)へと進んでいった。100m程進んだところで、自転車に乗っていた同級生男児とすれ違った。男児は先に帰宅しており、自転車で遊びに向かう途中だった。すれ違いざまに「バイバイ、遅いね」と男児から声を掛けると、友梨さんは笑顔を見せていたという。

目撃地点付近の下のストリートビュー右手には、情報提供を求める看板が映っている。

 

また別の女児を迎えに行く途中だった母親が同じ道を歩いており、友梨さんと自転車に乗った男児の姿を目撃していた。女児の母親の証言から、友梨さんと男児がすれ違った時刻は15時前後と推測された。

すれちがい地点から400m程先、友梨さんの自宅まで数十mの場所には当時バス停があった(下のストリートビュー地点。現在はバス停廃止)。停留時におよそ10分間の時間調整を行う場所とされており、この日は15時15分から25分頃まで停車していたが、運転手や乗客らは友梨さんらしき女児を目撃していなかった。

 

それらの状況から、同級生男児とすれちがってからバス停までの数百mの区間で、15時から15時15分の間に連れ去られてしまったものと考えられた。

 

17時頃、兄が友梨さんが帰宅していないことに気づき、その後、一家総出で周辺や通学路を捜索。19時30分頃、警察に通報した。

泉佐野警察署に捜査本部が設置され、当初は身代金目的の誘拐の可能性もあるとして逆探知やレコーダーを配備して捜査員による張り込みが行われた。しかし身代金の請求はなく翌21日には公開捜査に切り替えられた。

 

当時、地区では集会があり、周辺住民らが一堂に会していたこと等もあり、目撃情報はなく、事故の形跡や物音、叫び声なども聞かれていなかったことから、自動車で一瞬のうちに連れ去られた可能性が高い。

その後も周辺の山林やダム、ため池など広く捜索が行われたが、有力な手掛かりは得られなかった。

 

■情報

熊取町大阪市の中心部から約30km南、関西国際空港のある泉佐野市の東隣、貝塚市の西隣に位置する。大阪市ベッドタウンにも数えられる、当時人口4万3000人ほどの長閑な田舎町である。

だが事件マニアにおいては別の印象を持たれる方もいるかもしれない。1992年(平成4年)4月から僅か2か月半の間に、17歳から22歳の若者7人が相次いで不審な死を遂げた土地としても知られている。シンナー中毒によって誘発された事故死、あるいは自殺として処理されたが、当時人口4万人の小さな町の半径1.2kmという非常に狭い地域で短期間に続いた若者たちの死はその後ネット上で度々話題とされた。

女児行方不明事件のあった2003年には、熊取町の町議員選挙・町長選挙が行われた。2022年現在の町長・藤原敏司氏が町議会議員に当選を果たしたのもこの年からである。

当時の友梨ちゃんの顔写真

当時、 友梨さんの体格は身長135cm、体重25kg。細身だが年齢に比して小柄という訳でもない。身体的特徴として、ふっくらした顔立ち、「右小鼻に1mm大のほくろ」、「右尻下部に1cm大のあざ」が挙げられている。

 

「熊」「北」と書かれた校章

失踪時の服装は小学校の制服で、白色の半そでブラウス(左胸に校章入り)と濃紺色のスカート。

ピンク地の靴下で、白色と濃いピンク色の☆柄。靴はアディダス社の紺地に白色テープ2本留めタイプでサイズは22センチ。

サンリオ社「コロコロクリリン」のリュックサック

持ち物はランドセルではなく「薄黄色系のリュックサック」でサイズは約35×25cm、中に弁当箱や水筒を入れていた。サンリオ社のハムスターのキャラクター図柄に「コロコロクリリン」とカタカナ表記されている。

これら所持品はこれまで何も発見されていない。

 

■車両情報

当初から車での連れ去りが有力視され、当時、七山地区で得られた車両情報として、

・赤色の車両

・白色のバン の2台が路上に駐車されていたとされる。

また

・黒っぽい車両

・白色の乗用車

の情報が挙げられたが、犯行車両との特定はできていない。

 

その後、2018年5月に入り、大阪府警は、事件発生当時、白色の「古いクラウン」が現場近くに止まっていたことを公表し、更なる情報提供を求めた。

大阪府警

トヨタ・クラウン(130系クラウン、白色、黒色ドアミラー、昭和62年~平成3年まで販売)

事件当時としてもかなり使い込まれた車両にはなるが、発売当時は国産高級車の代名詞として「いつかはクラウン」のキャッチコピーと当時のバブル景気も手伝って歴代最高の販売台数を誇ったモデルである。

この車両が自宅から南西へ300~350m地点のT字路に、自宅とは逆向きに止まっているのが目撃されていた。運転席に男が乗っており、助手席に「白い服の小学生くらいの女児」がうつむいて座っていたという。

捜査本部では服装の一致から、友梨さんではないかとしている。白いセダン車について複数の目撃情報が寄せられており、角ばった車体の特徴などから130系クラウンと特定した。

2018年5月時点で、「大阪南部」を対象地域として登録車両900台のうち約550台、形のよく似た旧型(昭和58年~62年)の120系も含めると計約2300台のうち1500台を調べたが有力情報は得られていないという。

NHKによると2022年5月時点で、130系白色クラウン900台のうち770台の所有者を当たって使用状況を確認したとされている。

 

■地理関係

下は2007年の国土地理院地図で、赤いマークは左が同級生男児とのすれちがい地点、右がバス停のあった地点を示している。

警察ではこの区間で誘拐被害に遭ったとみて情報提供を求めている。

すれちがい地点からバス停までの区間は道路も細く、古くからの住宅街で混み入っている。

友梨さんの自宅の正確な位置は分からないが、バス停から数十m、画像右手を南北に流れる見出川を越えない範囲と思われる。

バス停のそばには小さなため池と「七山区公民館」、バス停の南にある巨大な建物は「七山病院」である。

下は周辺の国土地理院地図で、すれちがい地点、バス停、小学校の位置関係を示したもの。周辺地域も住宅街が多く、人目に付きづらい場所というのは限られているように思われる。

赤マーク左上がすれちがい地点、右上がバス停、下が小学校

 

■15年目の手記

事件発生から1年後、藁にも縋る思いで友梨さんの両親は有力情報に対して200万円の私設懸賞金を出すことを発表した。その2か月後、自身も弟を誘拐された経験があるという女が吉川家に電話でコンタクトを取り、そのとき救出してくれたプロを紹介すると友梨さんの父親に持ち掛けた。

人探しのプロだという男は、大体居場所は分かっている、奈良にいる等ともっともらしく振舞い、謝礼や調査費用を要求。更には「見つかったが保護するのに金が要る」「精神的に静養が必要で、生活費が要る」などと言って親の弱みに付け込み、4年間にわたって約470回、計7000万円近くもの金を騙し取った。

男女は内縁関係にあり、2008年に逮捕。男は懲役9年の実刑、女は懲役2年執行猶予4年の判決を受けた。

遺体の発見された殺人事件とは違い、行方不明事案では存命の希望がある。しかしそれだけに時間が経っても気持ちの整理をつけることができず、そこに付け込もうとする霊媒師や占い師、探偵を自称する詐欺が後を絶たない(ブログやYouTubeで「事件調査」や「占星」「交霊」等を発信している輩は、閲覧数が欲しいのではなく罠にかかってくる「カモ」を待ち構えているに過ぎない)。

そうした二次被害を根絶する意味でも、捜査機関や救援団体には被害者家族とのたゆまぬ連携を続けてほしいものである。

 

そうした被害もあり吉川さん家族は表立った行動を長らく控えていたが、事件から15年目となる2018年には父親が手記を公表している。

15年という時間はすべての事柄を過去のものにしてしまう。

 でも、私たち家族や当の本人の友梨にとっては、まったく過去どころか、たった今さっき事件がおこったような感覚です。その感覚のまま、何もできないまま、じりじりと時間だけが過ぎてきました。

 なぜこんなことが起こったのか? しかもそれがなぜ、友梨なのか? まったく私には理解できません。

 怒りを感じようにも、悲しいとかの感情を持つ前に、なぜ? どうしたらあの娘がかえってくるのか? いったい何がどうしたのか、どう気持ちを保っていたらいいのか、気持ちの悪い憂鬱な1日1日が積み重なって、ついに15年なんて、とんでもない時間が過ぎてしまいました。

 こんな想像をしたってなんの意味もないですが、何もなければ、今頃友梨は24歳の普通の社会人。

 でも、その成長した姿を想像することすらできなくて、頭の中では9歳の誕生日のバースデーケーキを目の前にして、嬉しそうな満面の笑みで写真に収まっていた姿しか出てきません。

 そしていつも最後は、私より誰より苦しい思いをしているのは、友梨本人なのだから、それを思うと私の気持ちなんか別にどうでもいいのだと

 どうか、こんな理不尽なことが起こったまま、そのまま15年間もそのまま、というのを感じてみてください。あの子がどんな思いで15年間過ごしているのか、想像してみてください。そして、なにがしか、どんな些細な情報であっても教えてください。なぜ、こんなことになってしまっているのか、教えてください。お願いします。

三者から見れば取り乱したかのような、非常に危うい心理状態であることが伝わってくる痛切極まりない文章である。時間が経過するだけでは解消されない、むしろ時間が経つほどに深刻になり、それでも娘を見つけ出すことも叶わず苦しみが溢れている。

こうした事件を前に、親以上にできることがない私たちには、彼女を忘れずに居続けること、帰りを待ち続けることしかできないのかもしれない。

 

■所感

はたして警察の目星通り、白いクラウンは犯行車両なのだろうか。朝日新聞によると情報が寄せられたのは「2013年5月」とされている。目撃者は自分の車を運転して、止まっていた白いクラウンの右横をゆっくりと追い越し、そのとき運転席の男と目が合い、にらまれたという。産経新聞は男について「目尻のつり上がった細い目の中年の男」と報じている。

事実とすれば運転者の似顔絵もいずれ公開されるかもしれない。だが一方で事件から10年後の情報提供にどれほど信ぴょう性があるのか疑問符も残る。詳しい時間割は分からないが、同じ学校の低学年児童であればすでに帰宅していたと考えられ、制服のまま習い事や買い物などに向かう途中だったとしても不思議はない。

また仮に事件より1日でもずれていれば、友梨さん失踪を受けて保護者が児童の送迎をしていただけといった可能性も浮上する。目撃証言の日付に正確な裏付けがあるのかなどは報じられていない。

当然、警察はこれまでの情報と何重にも照らし合わせて車種を特定して公開に及んだものと考えられる。すでに車両割り出しを8割方終え、この分で行くとおそらく10割を目指して、あるいはその後も府内全域や周囲の県にまで対象範囲を拡大しても白いクラウンの割り出しを進めることだろう。10年を費やしたうえでの方針転換は難しいとはいえ、他の車両の追跡捜査も切り捨ててはいないと信じたい。

目撃証言にある同級生男児とのすれちがい地点からバス停までの道は、車2台がすれちがうのがやっとの道幅で目に留まりやすい。その区間は混み入った古い住宅地で防犯カメラの類はなかったと推測され、死角も多いが、その反面どこから視線を向けられているかも分からない。実際に事件発生の数分前にも同級生が目撃しており、そうした状況下で人さらいを決行しようとするものだろうかと筆者は疑問に思う。

 

周辺をストリートビューで見る限り、一番犯行に適していると感じたのは、病院の駐車場での待ち伏せである。昼間に1時間、2時間駐車していても何ら違和感はない。上のストリートビューで言えば白い車の位置に待機し、下校してくる児童を待ち伏せる。病院側の壁沿いか、ガードレール沿いを歩くかは分からないがいずれも車を寄せれば完全な死角となる。

15時という犯行時刻から見ると、犯人はもっと低学年を狙っていた可能性がある。あるいは、友梨さんの自宅から200mに満たない極めて近距離での犯行から、犯人は以前から友梨さんに狙いを付けていた可能性もある。

またそうなると「女児を狙った犯行」ではなく、警察も重々捜査の上とは思うが「家族に恨みを抱く人物による犯行」や、資産家であったことから「一方的に妬みを買っていた」といった線も容易には捨てがたいものとなる。

事件からおよそ20年が経ち、彼女の成長した風貌はよもや想像もできない。しかしどれだけの歳月を経ても、その無事を願う気持ちが色あせることはない。

 

 

参照

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