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気になる事件と考えごと

鹿児島ひき逃げ偽装事件

鹿児島県の県道脇のサツマイモ畑で発見された男性の遺体とオートバイ。一見すると単純なひき逃げのようにも思われたがその状況には疑問がもたれた。

 

事件の発覚

1991年(平成3年)7月10日、鹿児島県曽於郡松山町(現在の志布志市松山町)を通る県道109号脇のサツマイモ畑でうつ伏せに倒れた男性の遺体を近くの農婦が発見した。男性の5メートル手前の草むらにはヘッドライトが壊れ、血の付いたオートバイが転倒していた。

その状況は緩やかな県道のカーブで起きたひき逃げ事件を思わせた。だがオートバイ本体の損傷は少なく、道路にそれと見られるスリップ痕がないこと、顔面の損傷に対して血痕の量が僅かなこと、普段着用していたヘルメットが見当たらないこなど不審な点が少なくなかった。

 

捜査に当たった大隅署では、別の現場から運ばれた可能性があると見て、周辺での聞き取り調査に回った。県道は宮崎県都城市と鹿児島県志布志市に南北に跨り、周辺地域は田畑が広がる、養鶏、牧畜の盛んな純農地域であった。

 

10日深夜、遺体が発見された現場から約1キロ離れた町道に事故現場と見られる場所を発見した。血痕を消そうと上から多量の砂が撒かれていたのである。調査の結果、この血痕は遺体の血液型と一致するものと判明した。

男性は、遺体発見現場から約2キロ離れた場所に住む農業谷口忠美さん(56歳)と判明する。9日朝、家族に「畑に行ってくる」と告げて外出したまま帰宅していなかった。

11日、鹿児島大法医学教室での司法解剖により、死因は前頭部打撲による脳挫創と判明。額から両目にかけて陥没する激しい損傷だった。

事件か事故の両面から捜査を行ったが、有力な手掛かりや遺留品などは見つからず、同月26日、捜査本部は「交通事故を装った殺人」事件と断定した。上述のように遺体発見現場やオートバイに事故の痕跡が薄く、顔面の損傷が事故でできたとは推認しがたく、鈍器で殴られた可能性が指摘されたことによる。また被害者の身辺捜査により、単純なひき逃げとは別の事件性を疑わせる状況も浮かび上がっていた。

 

前夜の逢引き

遺体発見前日の7月9日夜、谷口さんはある女性と行動を共にしていた。女性は40歳手前で「男好きのするようなタイプ」と伝えられる。谷口さんには妻子があったが、この女性と不倫関係にあった。

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18時頃に山中の待ち合わせ場所で合流した谷口さんは、オートバイから女性の車に乗り換えて移動し、町内の数か所で目撃されていた。20時まで大隈町の病院で知人男性と会った後、知人宅に立ち寄っており、21時頃にはラーメン店にいたと目撃情報も得られた。

22時頃にオートバイを置いていた元の待ち合わせ場所に戻ったとされるが、この場所から殺害現場と見られる血痕隠蔽の地点まで僅か400メートル、つまり二人が別れた直後に殺害された可能性が高い。

下のマップはおおよその位置関係を示したもので厳密な座標ではない。

 下世話な想像力は、この女性に不倫関係のもつれなど殺害の動機があったのではないかと思わせる。

離婚や関係の清算を求めるといった男女間のトラブル、あるいは女性の「別の交際相手」などから恨みを買ったとしてもおかしくはない。付き合いが長ければ、借金や手切れ金など金銭絡みのトラブルを抱えていても不思議はない。彼女に犯行が不可能でも第三者に依頼した可能性も排除できない。

だが警察の事情聴取に女性は悪びれることなくはきはきと素直に応答し、被害者と明日も合う約束をしていたと証言。証言の裏取りや背後の人間関係まで洗ったとみえ、彼女への嫌疑は晴れている。

 

状況の不可解

地図を見れば明らかなように、現場周辺は田畑とともに山林も多く、遺体やオートバイの発見を遅らせることはできたはずである。合理的な発想であれば、人目に付きづらい場所に隠したり、現場からより遠ざけようとするのではないか。しかし発見現場は交通量のある県道そばで人目を避けるために移動させたとは思えず、距離的にも歩いて移動させたとも思えないが、車であれば数分の距離である。犯人の意図が見えてこない。

下のストリートビューは、発見現場周辺のサツマイモ畑。見通しの利く緩やかなカーブで、暗い深夜でも事故が起こりやすい場所のようには見えない。

 

被害者は体重およそ70キロ、オートバイも70キロで女性一人で移動させたと見るのはなかなかに難しく、また不可能ではないが乗用車にオートバイを積み込んだとも考えづらい。

農業関係者であれば、軽トラックは一家に一台のように備えており、重機などを荷台に載せる際に使う「道板」を積んでいることが多い。そうした人物が「移動」に関わった可能性はあるが、農業人口の多い同地では絞り込みの材料には足りない。県警は軽トラックを中心として1万5千台近い車両確認も行っているが、犯行に使われたとみられる車両は特定されなかった。

 

殺害現場と見られる町道は、当時は細い農道で拡幅工事が行われている最中だった。血痕は舗装部分から工事中の方向に、道路中央からやや左1メートル四方に広がっていた。工事のため道路沿いに置かれていた土嚢袋3袋に加え、大量の白い砂が撒かれていたのが現場発見のきっかけとなった。砂の総量は200キロ、土嚢にして10袋以上と推定された。

近くに一軒だけ民家があるが、夜間に事故や作業の物音、不審な声などは聞かれていない。夜間の農村地域、現場周辺は店や街灯すらないこともあって、目撃情報はあまりにも少なかった。田宮榮一監修『捜査ケイゾク中 未解決殺人事件ファイル』(廣済堂、2001)では、地域みんなが顔見知りという閉鎖社会が情報提供を阻んでいる可能性さえ指摘している。2000年までに被害者の交友関係など約85人が事情聴取を受けたが、容疑者は浮かび上がらなかった。

 

現場に撒かれた大量の砂は、公園の砂場などでみられるような「川砂」ではなく、桜島の噴火によってできた「シラス」砂とよばれる白く粒子の細かいものだが、鹿児島県内ではどこでも採取されるとあって調達先の特定には至らなかった。犯人が予め車に積んでいたものか、それとも夜の間に運び込んだものかは判然としない。

男女の待ち合わせ場所や事件があったとみられる現場の一帯は、山林の勾配と水田の間を細い農道が複雑に入り組み、土地鑑のある人間でなければ通りがかることは考えづらい。犯人は不倫相手との密会を知っており、人目の少ない場所で凶行に及びながらも、あえて発見されやすい県道脇まで運ぶことで見せしめとしたのであろうか。

 

谷口さんは農業を本職としながら、山林などの土地取引、電気関係やミシン販売の仲介なども手広く行っていたとされる。地元農業関係者以外にも、県外も含めて、交友関係が広かったことで捜査がぼやけてしまったのか。折しも時節はバブル崩壊の直後、金銭や事業に絡んで恨みを買った可能性もないとはいえない。

 

鹿児島県警は延べ6万5千人の捜査員を投入したが2006年7月9日、殺人罪での公訴時効が成立し、コールドケースとなった。

 

 

所感

書籍を通じて得られる感触として、犯人のシルエットが非常に曖昧な事件である。

本件の特徴として、遺体発見現場と事件現場と見られる場所がやや離れていることがある。更に事件現場には隠蔽するかのようにシラス砂が撒かれていた。はたしてそこに合理的な理由があったのか。

解剖所見や当時の現場状況などの情報に乏しいため、以下、妄想に頼らざるをえない。

 

谷口さんは女性と別れ、真っ暗な曲がりくねった農道を抜けて幹線道路に向かっていた。血痕があったとされる現場は、拡幅工事の最中にあり、以前からの細い農道の舗装路とこれから舗装される部分が半々だった。真夜中のオートバイ運転、帰宅を急ぎ、路面への注意もそぞろとなれば勝手知ったる道であっても事故が発生する条件は揃っていた

交通事故などに遭った際、ひとはアドレナリンの大量分泌によって一時的に交感神経を麻痺させ、痛みに鈍感になることが知られている。オートバイがダメになったものの谷口さんは何とか意識を取り戻し、幹線道路まで出て通りがかる車に助けを求めようとしたのではないか。

しかし深夜の田舎の一本道、まさか人が出てくるとは思わずスピードを出した車が気付かずに轢いてしまう。見に行けば人が倒れており、近くにオートバイが転倒している。まずいと思った運転手らは、事故現場に残っていた血痕を砂で覆い隠し、別の場所へと運ぼうと荷台に積んだ。

シラス砂の代表的な用途は、コンクリートや道路など土木資材への利用である。拡幅工事で使用されていなかったとしても、それなりの量であることから一般市民ではなく土木業者や採石場の輸送業者が想像される。トラックの利用もあり、遺体やバイクの移動も可能だった。大量のシラス砂であることから、複数人が乗っていたかもしれない。

だが仲間内で意見の衝突があったか、あるいは遅れられない予定があって、遺体の埋没などに時間はかけられず、すぐに降ろしてその場を去ることになった。

夜間移動していたのであれば遠方の業者の可能性もあり、3キロも北上すれば、すぐ隣が宮崎県都城市となる。縦割りの縄張り意識が強い当時のこと、県外の捜査協力は充分には得られなかったと推測される。

 

 

被害者のご冥福をお祈りいたします。

 

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〔参照〕