いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

マイソールの黒熊/ペトロパブロフスク羆事件/秋田八幡平クマ牧場事件

本稿では、インド「マイソールの黒熊」、ロシア・カムチャッカ半島で起きた「ペトロパブロフスク羆事件」、「秋田八幡平クマ牧場事件」ほか、熊によるいくつかの襲撃事件などを見ていきたい。

 

近年、日本国内では熊の遭遇事案は増加傾向とも言われ、被害防止目的での捕獲頭数も増えている。環境省によれば、熊類による死亡者数は公開されている1980年~2007年までの27年間で28件と「稀」ではあるが、年度によって増減はあるものの人身被害は1990年代半ばからやや増加傾向にある。

生息数の多い北海道、東北地方に限らず、近年では東北地方以外での出没や人身被害が増える年も見られる。主食の凶作などによって生息地を移動したり、山を下りて人里へ接近するためと考えられる。

また河川を導線としながら市街地にまで出没するケースや、熊類が警戒する狼や野犬が里山から消失したこと、春先に行われる一斉駆除が禁止された地域などで個体数が増えていることなど、旧来との環境の変化が熊の動態に影響を与えているとの指摘もある。

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近年の熊類による人身被害件数[環境省

国内では、山菜取りや茸狩り、タケノコ狩りや渓流釣りといった場面で遭遇するケースが多数を占める。普段は立ち入らない場所であっても、春や秋には山の恵みを求めて人々が近づくようになる。それもまた自然の営みといえ、危険に身を晒す行為と非難することはできない。

たとえ都会暮らしであっても、キャンプや登山などレジャーで山奥へ訪れることもあれば、霊場や温泉巡り、知床や紀伊といった世界遺産などへ旅行する機会もあるかもしれない。実際に熊に殺害される人は多くないかもしれないが、接近するリスクというのは存外に多いように思われる。

熊について何も知らないでは済まされない。いくつか過去に起きた人身被害から危険性だけでなく、その習性を知っておくことも無益ではないだろう。 

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マイソールの黒熊

世界有数の被害を出したシリアルキラーとして、1957年、インドで報告されたナマケグマによる襲撃が知られている。

ナマケグマはインド、ネパール、バングラディシュ等南アジアに生息する種で、体長140~190センチ、体重80~145キロ(メスは55~90キロ)程と、熊としてはやや小柄な部類に属する。草原や湿地の常緑樹林などに生息し、低木にぶら下がる姿がナマケモノに似ていたことがその名の由来である。

シロアリを主食とし、採食のために顎や口・舌、蟻塚を掘るための長く湾曲した硬い爪が発達している。昆虫や動物の死骸、花や果実、蜂蜜なども食べる雑食性。環境変化等により現在は絶滅の危険が増大している(絶滅危惧Ⅱ類)。

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Melursus ursinus[by JudaM, via Pixabay]

インド生まれの英国人作家兼ハンターであるケネス・アンダーソンが討伐の依頼を受け、『Man-Eaters and Jungle Killers』(1957)にその追跡記を残している(ナマケグマのほかに、42人を襲った豹、虎、象などさまざまなマンイーター達との出会いやジャングルでの冒険生活を綴っている)。

 

インド南部に位置するマイソール州アルシケア近郊の岩場の丘にナマケグマが巣穴をつくり、日没とともに村の落花生畑や牧草地へ頻繁に出没するようになった。夜21時頃、男性(22)が神社近くの道でナマケグマの襲撃に遭い絶命した。

通りにはイチジクの木が植えられており、ナマケグマがその倒木を漁っていたと見られ、男性は気付かずに接近して襲われたと考えられた。長く強靭な爪によって、顔を砕かれていた。アンダーソンは周辺の畑や丘の巣穴を捜索したが熊を発見することができなかった。

1か月後、サクレパトナの町で薪割りの職人2人が襲撃され、1人は殺害された。チクマガルル地区の森林官はアンダーソンに討伐を要請。彼が到着するまでの間にも、森林警備隊や牛の放牧者らに被害は拡大していた。ヘルパーたちに同行を拒否されるも、アンダーソンはジャングルの奥地へと捜索を続け、更なる犠牲者を発見することになる。

アンダーソンはナマケグマの性格について「興奮しやすく、警戒心が強く、気性が荒い」と説明している。その名に反して夜間の行動範囲は広く、調査によれば周辺で少なくとも36人が次々と襲撃されており、12人が殺害され、内3人は食害にあっていた。ほとんどの犠牲者が、強靭な爪と歯で顔面を削り取られて損傷を負い、生き延びた者も目や鼻を失った。

かつてナマケグマは大道芸に用いられるなど、人に危害を与える習性はない温厚な生き物と考えられてきた。地元民たちは“かつて人間に奪われた仔熊を取り返そうと復讐しにきた”と考え、襲撃を恐れたが、アンダーソンはかつて人間から危害を受けたことがある個体ではないかと推察した。

ジャングルで負傷したアンダーソンは、しばしの休養を要したがその間も被害は続いた。しかし「最新の捕食地」が把握できたことによって、新たな策を講じる。捕食地一帯を見渡せる位置に身を隠し、6時間もの待ち伏せの末、ナマケグマを仕留めることに成功したのだった。

 

36人襲撃が単一個体による犯行かについて明確な証拠はなく、アンダーソンの調査報告に頼るほかないものの、複数頭であったとしても甚大な被害である。背景としては生息する岩場の周囲に人々が開放農地を広げたことで熊の安定的餌場となってしまったことや、小柄な体格で人目に付きづらいことも不用意な接近につながったと考えられる。

ナマケグマにとって見れば「自分の餌場にヒトが頻繁に近寄ってくる」ように映っていたのかもしれない。

*****

 

■近年の国内での事案

羅臼・お姉ちゃんには手を出すな!

2008年7月、知床国立公園の内陸部にある野営場で発生した羆襲撃事件である。野営場とは、自然の醍醐味を味わえるキャンプ地のこと。レジャーキャンプ施設とは異なり、トイレと水場だけといった簡素な設備、管理人は常駐せず夜間不在か点検見回りのみの野営場もある。

 

7月20日午前4時ごろ、北海道羅臼町にある羅臼温泉野営場に羆が現れ、北見市から来ていた家族のテントを襲った。

羆はテントを外から押し続けたが、テント内で就寝中だった女子中学生(12)は寝ぼけて、それを「妹(10)のいたずら」と勘違い。内側から手で押し返したがあまりにしつこいのでキックで応戦すると、羆は笹薮に逃亡した。

テントは裂けたが、中学生らに怪我はなかった。そばにいた母(40)には幕の向こうに羆の影が見えていた。

当時は場内にテント二十数張り、約50人が利用しており、目撃者もいた。最初は鹿の親子を追っていたが、匂いを嗅ぐような仕草でテントに接近したという。体重70キロ前後の若い羆とみられる(2008年7月21日、朝日新聞)。

 

羅臼イヌ連続襲撃

知床は世界自然遺産にも登録され、多くの観光客が訪れる。周辺部には漁業や観光に携わって生活する人々の暮らしもある。

2018年以降、同じ羅臼町内の4か所(20キロ圏内)で5匹の外飼いされていた犬が食い殺される連続被害も起きている。なかには犬用の鎖が引きちぎられて連れ去れら埋められていたものもあった。残された糞のDNAから同一の雄羆による襲撃と断定。三毛別事件ではないが、吠えられて反射的に殺めた「犬の味」を「学習」してしまい、偏食しているようにも見受けられる。

羆は狼のように獲物を追いかけて狩猟する習性はあまりないが、優れた嗅覚によって動物の死骸を見つけて捕食することは知られている。自然死した動物だけでなく、他の獣が捕食した残骸やハンターが撃ち落としてその場に残したものも彼らの糧となる。狩猟犬であれば抗戦できたやもしれないが、鎖につながれた飼い犬では羆にとっては赤子同然であろう。

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[by Jerzy Górecki via Pixabay]
・池田町・ヒツジ連続襲撃

飼い犬だけではない。道東の十勝地方、池田町にある羊牧場では、2018年6月から8月末にかけて放牧地(様舞)に放したメス480頭のうち70頭がいなくなり、その後に放したオス10頭も姿を消した。

喉を抉られた死骸や鼻血を出して泥まみれとなった羊のほか、羆の足跡も見つかった。牧場の社長は「首のあたりの骨も嚙みくだかれていた」「狐とかではない、熊の被害ではないか」と話した。

池田町はハンターに駆除を要請し、放牧地近くの林道に2.5メートル四方、高さ0.8メートルの箱罠を設置。9月5日から鹿肉や蜂蜜などを置いておびき寄せ、8日、体長170センチ重さ157キロの5歳前後の雄が捕獲され、駆除された。現場に残された足跡ともほぼ一致したが、襲撃が一頭によるものかは不明。その後も警戒が続けられた。

 

 ・上高地・キャンプ場襲撃

同じくキャンプ場で起きた襲撃事件として、2020年8月には長野県上高地でのツキノワグマによる危害が報告されている。本州・四国に生息するツキノワグマは羆に比べて小柄で、雑食ではあるがやや草食性が高いといわれる。

事件のあった小梨平野営場はビジターセンターや宿泊施設、バーベキュー場等も備える人気施設であり、シーズンには多くの利用者で賑わう。日本アルプス観光の玄関口でもあり、周囲には古くから続くホテルや食堂も多い、いわば人間にとっては観光地といえる場所である。

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河童橋周辺には多くの人が訪れる [by kasahariman via Pixabay]

被害に遭ったのは松本市から来た50歳代女性。キャンプ場で山仲間と合流し、翌朝には登山をする予定で、8日18時頃にソロテントで就寝した。23時半ごろ、テントを引っ張る気配に目を覚ますと、幕の向こうに大きな影が立ち上がった。一瞬にしてテントが引き裂かれ、女性の右膝に衝撃が走った。

物凄い力でテントごと20メートルほど引きづられた後、静かになったことを確認し、女性は自力でテントから近くのトイレに逃げ込み、助けを呼んだという。爪で引っ掛かれたような約8センチの裂傷が2列あり、縫合手術を受けた。片付けをした山仲間によれば、ザックや衣類が荒らされ、レトルトカレーなど持参した食料がきれいに食べられていたという。

13日、女性を襲ったと見られるツキノワグマは捕獲された(2020年8月21日、朝日新聞)。連日の雨によって餌が不足がちとなっていたこと、若熊で警戒心が低かったことなどが背景と見られている。

 

こうした人や動物の群れを恐れない熊の襲撃に対して対処の取りようはあるのだろうか。他のキャンパーではなく就寝中の彼女たちを襲ったことに理由はあったのか。たとえ周囲に人がいるキャンプ場であってもそこが熊の生息地である以上、常に接触するリスクが伴うことを忘れてはならない。

犬や羊にしても、その手口からして食料にするためだけに襲った訳ではなく、きっかけは「ワンダーフォーゲル部事件」のように、逃げる相手を追いかけた、悲鳴を聞いて反射的に攻撃したような背景があったものと推察される。一度“獲物”と見なすとそればかりを襲う羆の偏食的習性が被害を拡大させたケースである。

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ペトロパブロフスク羆事件

2011年8月13日、ロシア・カムチャッカ半島東部にあるペトロパブロフスク郊外のパラトゥンカ川周辺で発生した凄惨な事件。

前記事、カムチャッカ半島南端部のクリル湖での襲撃事件でも触れたが、カムチャッカ半島は世界有数の羆生息圏とされており、その個体数は半島全域でおよそ18000頭にも上る。

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音楽学校を卒業し、数日前に運転免許も取得したオルガ・モスカヨワさん(19)は、継父イゴール・ツィガネンコフさん(45)と一緒に記念のキャンプ旅行に訪れていた。
正午頃、河原でイゴールさんが休んでいると、突然、背の高く生い茂った葦の中から巨大な羆が襲いかかって来た。イゴールさんは抵抗する間もなく一撃で首の骨を折られ、さらに頭蓋骨を圧し割られて即死。

その様子を近くで目撃したオルガさんは、直ぐにその場から逃げようと試みたが、彼女の存在に気付いた羆の反応の方が素早かった(最大速度は時速50キロ程)。70ヤード程逃げた地点で、彼女は足を攻撃され身動きが取れなくなった。そして羆はまだ生きている彼女の体を下半身から喰い始める。

 

絶望的な状況下で、彼女は手持ちの携帯電話で母親に助けを求めた。
母タティアナさんが電話に出ると、娘の声。
『ママ!羆が私を食べている!ひどく痛い!たすけて!』
当初、母親は娘の悪いジョークだと思ったものの、近くで獣の息遣いと咀嚼音が聞こえたことで現実と理解し、気が動転しながらも夫イゴールさんの携帯電話に掛けた。

しかしイゴールさんは既に息絶えており、応答はない。

タティアナさんは直ぐにキャンプ地近くのテルマルニーの警察に通報。通報の最中、オルガさんからタティアナさんに二度目の電話が掛かってきた。
「羆が戻ってきた・・・3頭の仔熊を連れて・・・彼らが私を食べている・・・」
と弱々しい声で自身の差し迫った状況を語り、一度は去った羆に再び襲われていることを知らせ、電話が途切れてしまった。

タティアナさんは警察に事情を伝え、救援を急ぐよう要請し、夫の親族にも様子を見に行って欲しい旨を連絡した。


それから数分後、タティアナさんの許へオルガさんから三度目の着信。はじめの電話からすでに一時間近くが経過していた。
「もう噛まれていない・・・痛みも感じなくなった・・・今までごめんなさい。愛してる」
と自らの死を悟ったかのように慈悲を求め、それが母親が最後に聞いた娘の声となった。

最後の電話から約30分後、イゴールさんの兄アンドレイさんは現地に到着。彼が目にした物は、羆に貪られる兄の亡骸と、食害され無惨にも亡骸と化した姪の姿だった。
直ぐに、警察と救急を呼び、地元レンジャーに羆退治を要請。翌14日、ハンター6人が猟犬を連れて到着し、母羆1頭と小熊3頭は射殺された。

タティアナさんは娘について「娘はとても元気な子でした。陽気で、親しみやすく、温かい人でした」「恋人のステパンともうまくいっていて、順風満帆に思えたのに」と語った。9月からは幼稚園の仕事に就くことが決まっていた。

亡くなったオルガさんとイゴールさんは17日に埋葬された。

 

なぜ母羆がイゴールさんを襲ったのかははっきりしていないが、仔熊を連れていたことから警戒心が極めて強かったと推察され、あるいは2人が立ち入った場所は「石狩沼田幌新事件」のように羆が“保存食”を埋めていたエリアだったのかもしれない。

カムチャッカ地方では、毎年数多くの遭遇・熊害は報告されるものの羆の襲撃による死者は平均すると年間1人ほどとされる。

*****

 

■秋田八幡平クマ牧場事件

2012年4月、秋田県鹿角市の秋田八幡平クマ牧場で従業員2人が熊に襲われて死亡した事件。これまで幾度か「熊害」という語句を用いてきたが、この事件は人災であり、熊も犠牲者・被害者と言えるケースである。

八幡平クマ牧場は1987年に開業され、当時はエゾヒグマのほかツキノワグマ、コディアックヒグマなど合わせて29頭の熊類が飼育されており、利用者が餌付け体験などを行うこともできる施設だった。

4月20日8時頃、冬期閉鎖中のクマ牧場では、春の営業再開に向けて3名の従業員が作業中だった。

クマ牧場内は自由に動ける運動場3区画と「冬眠房」に区切られていた。女性従業員は餌場に餌を置き、熊を運動場に放つ為に冬眠房を開けた。運動場の壁は高さが4.5メートルあり、熊が登れないようになっていた。

しかしこのとき、運動場の1区画の壁際に処理しきれず堆積したままの雪が残っていた。9時頃、運動場に放たれた羆のうち6頭が雪山を利用して脱走。雪山は高さ約3.3メートルにもなっていた。
餌場で作業していた従業員・舘花タケさん(75)は、羆の脱走に気付いて「熊が逃げ出した」と除雪作業中の男性従業員に叫び知らせた。男性従業員はタケさんの叫び声で瞬時に事態を把握したが、駆け付けたときには羆がタケさんを押し倒し、噛み付いている状態だった。しかしそんな状況にも奥通路で作業中のはずのもう一名の従業員・舘花タチさん(69)は姿を見せず、最悪の事態も想定された。

男性従業員は、急ぎ事務所に戻り、牧場経営者に電話連絡。その足で近隣に住む鹿角市猟友会・青澤さん宅へ事態を知らせに向かった。
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10時5分頃、牧場経営者は警察と救急に通報し、現場に到着。その後、男性従業員、青澤さんとも合流したが、熊がどこにいるか分からないため迂闊に場内に立ち入ることができない。やや高台に位置する国道側に上った青澤さんが場内を見渡すと、2頭の羆を発見。餌でも奪い合うかのように2つの遺体を引っ張り合っていた。

その後、警察隊も到着したが危険と判断し、猟友会に緊急救助を要請。脱走熊に対する射殺許可要請も行われた。
11時半頃、猟友会の熊撃ちの名人・斉藤良悦さん(57)らも現地に到着。猟友会メンバーの多くも自然のツキノワグマを相手にしたことはあれど、人に慣れている羆などと対するのは初めてで戸惑いがあったという。正午頃に射殺許可が発令、猟友会メンバーは駆除に奔走する。

一匹目は、脱走原因になったとされる雪山近くの外通路におり、体長は約1.5メートル、体重は約250キロ程の大きさだった。
体長約2メートル、重さ300キロ近くと見られる羆2頭を発見。
手摺で銃身を支えながら銃弾を放って一匹の射殺に成功するも、もう一方の羆が仁王立ちの態勢で威嚇。急ぎ、斉藤さんは装弾し、頭部を一撃、3匹目を仕留めた。

餌場付近に4匹目の羆を確認。一斉射撃では眩暈などのリスクが起こるため、数人が一拍置きに連続して銃弾を浴びせ、これを駆除。
同様に5匹目も一拍置きに銃弾を浴びせ、手応えを感じたが、羆は踵を返して餌場に隠れた。
そこで、斉藤さんらは餌場を包囲したが、羆は中から出て来ない。無理に進むことは危険と判断し、斉藤さんがショベルカーを動員して餌場の外壁を強引に剥がした。中では5匹目が既に絶命していた。
しかしその亡骸の近くに、6匹目の羆が潜んでおり、近づいた斉藤さんを威嚇。その距離、5メートル程だった。
斉藤さんが目を見開き睨みを利かせると、羆は一瞬怯み、後ずさる様子からすぐに飛び掛かっては来ないと判断した斉藤さんは、急いでショベルカーに乗込み、半身を乗り出す姿勢でライフルを構えると、一閃で決着をつけた。

脱走した6頭の駆除が終わる頃には16時近くとなっていた。

襲撃を受けた従業員2名は病院に搬送されたがすでに絶命。死因は頸椎損傷、外傷性ショックとされた。
22日に羆が解体解剖され、胃中からは、握り拳程度の肉片、毛髪、捲れた皮膚、胃液で黄濁したタイツなどが確認された。

 

事件後、クマ牧場は経営難で秋には閉園が決まっていたことが判明。

現地視察を行ったNPO団体の報告などによれば、牧場では個体管理がなされておらず、譲渡先を探すにしても困難な状況だとされた。

給餌量自体に問題なかったが、群れの中で強い個体が弱い個体の採餌を妨害するなど虐げていたことも観察され、著しく痩せた個体も数頭見られたという。全体に老朽化が進み、給水の循環がないため汚れた箇所や汚水溜まりも見られ、獣舎の一部には破壊された痕跡もあった。閉園予定にも拘らず避妊薬等の繁殖制限はされておらず、無計画に繁殖させていたと見られる。管理責任者は、熊の生態を知らず、個体の健康管理・福祉という概念がなかったとされ、いわば“ネグレクト”に近いような状態だった。

特定動物の管轄は県であるため、市に立入権限はなく状況把握に乏しかったこと、また飼養許可基準の甘さや今回のような「廃業」や脱走といった事態に備えた取り決めがなされていない点も問題視された。

 

6月9日、秋田県警は牧場経営者・長崎貞之進容疑者(68)と元従業員・舘花清美容疑者(69)を業務上過失致死の疑いで逮捕。

管理者による適切な業務指示が行われず、安全措置を怠ったために事故を招いたとして刑事事件となったが、被害者遺族が厳罰を求めなかったことから略式起訴とされた。元従業員は雪山の放置について、「熊のプールの近くだからすぐに解けるものと思った」と話した。
業務上過失致死により罰金50万円の略式命令が下され、共に即日納付して釈放された。

 

クマ牧場は閉園が6月に早まり、引取手探しは難航したが、自然保護団体等により支援金・物資が集められ、県非常勤職員の派遣により飼育は継続された。

2014年、秋田県は3億円超を出資し、北秋田市・阿仁マタギの里内の熊牧場を「くまくま園」として拡充リニューアルし、引き取り手に苦慮した熊たちも移送され、大切に飼養されている。

 

飼養された熊たちは山で生きることができない。2004年に閉園した札幌市・定山渓クマ牧場では引取手のない羆がそのまま残され、その後、衛生管理も施されない劣悪な飼育環境が発覚して問題視されていた。動物の生存権をも考えさせられる事件である。

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■参考

ヒグマの会Top

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Косолапые людоеды — Блоги — Эхо Москвы, 16.08.2011