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気になる事件と考えごと

佐賀女性7人連続殺人事件【水曜日の絞殺魔】

1975~89年の間に佐賀市の周辺地域で発生した7件の未解決殺人、いわゆる“佐賀女性7人連続殺人事件”について記す。

すでに公訴時効によりコールドケースとなっているが、7件の関連性を視野にシリアルキラーの可能性を検討してみたい。

主な共通項として、

・被害者が全員女性

佐賀市を中心に見た場合、半径20キロ圏の狭い範囲で発生していること
・犯行日時が1件を除き「水曜の夕方から夜」に集中していること
・死因不明の3件を除き「絞殺か扼殺による窒息死」であること

・金品狙いではないケースが多いこと

が挙げられる。こうした特徴から“水曜日の絞殺魔の存在が囁かれている。

 下の地図の「紫マーク」は行方不明になったと思われる地点、「橙色マーク」は遺棄された現場付近のおおよその位置関係を示したもの(正確な位置を示すものではない)。

 

概要

ここでは事件の発生(行方不明となった)順に、事件①~⑦とし、各被害者をイニシャル表記とする。

①1975(昭和50)年8月27日(水)の夜、杵島(きしま)郡北方町大渡在住の中学生YTさん(12歳)が自宅から失踪した。佐賀市でスナックを経営する母親が28日0時半頃に帰宅してみると留守番をしているはずのYTさんの姿がなかった。

②の遺体発見に関連して、1980年6月27日に自宅からおよそ4km離れた白石町立須古小学校のプール脇トイレの便槽内から白骨遺体となって発見された。死因は不明。

Aさんの母親は離婚して二女のAさんを引き取り、母娘二人暮らしだった。普段は母親が出勤前に学校へ娘を迎えに行き、勤め先のスナックの控え室で勉強させるなどして待機させることが多かったという。この日は夏休みの宿題を片づけるためAさんは職場についていかなかった。

近隣の友人を招いて19時頃までテレビを見るなどして過ごしていたことが確認されており、母親が帰宅するまでの5時間の間に消息を絶っていた。

部屋には布団が敷かれた状態で物色された様子はなく、金品の被害や、Aさんの荷物が持ち出された形跡はなかった。電気やテレビが点けっぱなしになっており、浴室近くに履いていたスカートが落ちていた。YTさんは外出する際、部屋着から外出着に必ず着替える習慣があったため、自発的な外出先での失踪の線は薄いと考えられた。

1980年6月18日、須古小学校ではプール開きに先駆けてプール脇の便槽汲み取り作業が行われていた。このトイレはバキュームカーが便槽外に横付けできない立地にあったため、便槽の外蓋を開けることなく、2年に1度、便器側から汲み取り作業を行っていた。

24日に同校の北川校舎便槽で②の遺体が発見された。教頭はプール脇トイレに関して、先だって衛生作業員から「便槽内に石がいっぱい詰まっていた」との連絡を受けていたことを捜査員に伝え、①の遺体発見に至った。

汲み取り口の蓋を開けて確認すると、約30個(「大小100個」とも)のこぶし大の石や壊れた雨どいの下に白骨化した遺体が発見された。一緒に見つかったシャツの襟やブルマなどから母親により本人確認がなされた。

 

②1980年4月12日(土)深夜、杵島郡大町町(おおまちちょう)福母在住の喫茶店アルバイト従業員HRさん(20歳)が仕事を終えて帰宅し、一人で留守番していたはずの自宅から消息を絶った。

同年6月24日16時頃、自宅から約5キロ離れた須古小学校の北側校舎にある低学年トイレの汲み取り作業中に便槽から全裸の遺体で発見された。

HRさんは6人家族だったが、弟は県外で働いており、父親は建設作業の事故により入院中、母親はその付き添いで家を空けており、姉と妹は知人宅に外泊に出ていたため、たまたまその晩、家にはHRさん一人だった

履物はすべて残されており愛用のネグリジェがなくなっていたことなどから、23時半頃に帰宅して就寝する前後に何者かに連れ去られたと考えられた。その後の調べで3月末に購入したばかりの腕時計がなくなっていたことも判明した。

当初から事件性が疑われ、交友関係を中心に捜査が続いた。失踪後、複数の目撃情報が出ていたものの消息をつかむまでには至らず。

HRさんは明るく真面目で勤務態度は良好。だが店の雑記帳に「考えることすらあの人のことばかり」と書き残すなど恋愛関係で悩みを抱えていた節があったという。過去には睡眠薬による自殺未遂を二度繰り返してもおり、「20歳の誕生日に自殺する」と周囲に漏らしたこともあった。

失踪直後の16日頃には父親宛てに手紙が届き、一部には家族のプライベートに関わる内容が記載されていた(非公表)ほか、「娘ハ帰ラナイダロウ」「苦シメ」といった脅迫めいた文言が記されていた。また無言電話や若い男性の声で「人探しのテレビに出るな」といった脅迫電話も数回掛かってきたという。

遺体は①より先に②が発見されており、二遺体の発見後、県下の学校で便槽内の再検査が実施されたが第三の遺体などは出てきていない。

肺に異物は含まれていなかったことから殺害後に便槽内に遺棄されたと推認された。死後20~60日程度は経過したものと見られ、腐乱状態で顔は判別できず、指紋から本人と特定された。死因は特定されなかったが目立った外傷はなく、絞殺の可能性が指摘されている。

一方で、27日の捜査によれば、便槽付近に血液反応はなかったものの、プールの男子更衣室の床と壁から多量のルミノール反応が検出された(「ごく微量」とする記事もある)。しかし当時の鑑定技術のためか、血液反応と①②事件との関連は明らかになってはいない

汲み取り業者によれば前回の北側校舎トイレの作業は4月21日で、そのとき槽内に異常は確認されていなかったという。また6月10日の大掃除の際、便槽付近で児童が両手に一握りずつの「赤い髪の毛」を発見しており、便槽の蓋にも同様の髪の毛が付着しており、その後の調べで共にHRさんの毛髪と確認された。

①②については同一犯との見方から、大町署、白石署による合同捜査本部が設置された。七事件のうち、本件のみ水曜日ではなく土曜日に失踪している。

 

③1981年10月7日、杵島郡白石町東郷在住の縫製工場Rに勤務する主婦ICさん(27歳)が失踪した。

最終目撃は、退社後の17時半頃に近くのスーパー駐車場で赤茶色の車に乗った30歳代と思しき男性と親し気に話している姿を同僚が目にしている(「警察ではこの車に乗り込んだと見ている」「助手席に乗った」など表記にばらつきがある)。

同月21日、最終目撃地から約40キロ離れた三養基(みやき)郡中原(なかばる)町の空き地で、首に家庭用電気コードを二回余り巻かれたままの絞殺遺体で発見された。

縫製工場Rは従業員およそ230名で、現在のJR北方駅西側、住所で言うと北方町志久にあり、ICさんは9年前から紳士服の縫製などを行っていた。

当日は17時23分に退勤し、近くの食料品店でみかん1kg、クチゾコ2匹、冷凍ミートボール、白菜漬けを購入していた。見つかった遺体近くにこれら総菜とセカンドバッグ、サンダルが散乱しており、財布には現金が残されていた

ICさんはおとなしく質素な人とされ、5年間無欠勤で表彰を受けるなど勤務態度は良好だったが、直前の10月初旬は「体調不良の母親の看病のため」欠勤がちになり、二日しか出勤していなかった。

子ども2人(2歳、6か月)を毎朝親に預けてから出勤していたと報じられている。以前火災に遭い、2年ほど前に夫方の実家近くに越してきたが、彼女の実家は須古地区にあった。だが失踪当日はどちらの親に子どもを預けていたのか、親の体調不良は事実だったのかなど家庭の事情は詳しく伝えられていない。

発見現場は丘陵地につくられていた宅地造成地区の空き地で柵がされており、容易に侵入できる場所ではなかった。遺体はネーム入りの作業着姿のままで、腐乱が進行していたが着衣に乱れはなかった。事件前後に空き地周辺で不審車両や不審な人物が目撃されているが、いずれも特定には至らなかった。

 

④1982年2月17日(水)16時20分過ぎ、三養基郡北茂安町白壁に住む小学生NKさん(11歳)が下校途中に友達と別れたあと行方が分からなくなった。

心配した家族は20時40分頃に警察に届けを出した。警察は当初、身代金目的の誘拐の可能性もあると見て、内密に学校関係者などから聞き取りを行った。

翌18日朝から本格的な捜索が開始され、消防団員ら150人が約3キロの通学路を重点的に捜索。正午前に北茂中学校体育館北側のミカン畑で、ランドセル姿のままストッキングを使用した絞殺遺体となって発見された。

③発見現場の空き地から約2キロと近距離だったことから当初関連が疑われた。

NKさんは普段は別の学年の近所の生徒と一緒に帰るが、その日はたまたまクラスメイトと居残り勉強をしていた。通学路は民家のまばらな丘陵地を通るルートで、級友とは学校近くの交差点で別れていた。

発見現場は中学校の北側で、通学ルートのほぼ中間地点だった。遺体はうつ伏せ、下半身は裸で性的暴行の痕跡があった。警察ではわいせつ犯などを中心にリストアップした。

近隣では白い車に乗った30~40代の不審者が主婦や女児に声を掛けていたという情報が複数寄せられた。主婦が北茂安町内のバス停で待機していると「乗っていかんですか」と声を掛け、しつこかったため警察を呼びますよ(「大きい声出しますよ」とも)と断ったところ睨みつけて去って行った。鼻筋の通った目のきつい細面の男だとされる。

14時30分頃、バス停から約5キロ離れた小学校付近で白い車に乗った男が「ピンクレディーの写真を見せてあげる」と下校途中の女児に声を掛け、女子便所に連れ込もうとしたところ大声で泣かれたため退散した事案が発生していた。

15時10分頃に北茂安町で女子中学生2人に声掛け、15時30分頃には女子小学生3人に「家まで送る」といった声掛け事案が報告されている。

行方不明から2日後の2月19日、北茂安町、学校、保健所に宛てて、誘拐を示唆する手紙が届いたとする情報もある。到着は遺体の発見後のことだが、犯人が殺害直後か翌朝にも投函していなければ間に合わないものと思われるが真偽は分からない。

 

④の事件から7年の間をあけて、1989(平成1)年1月27日18時前、北方町大峠(おおとげ。現在は志久に編入)で3人の女性の遺体が発見された。

隣の大町に住む公務員夫婦が親戚の家を訪れた帰り、山道の途中で「トウゴショウ」の花を見つけ、仏前に生けるのに摘んで帰ろうかと車を停めた。すると町道脇の数m崖下に⑦の遺体を見つけて警察に通報した。

警察が現場を検めると、1~2mの間隔を置いて死亡時期や状態の異なる⑥、⑤の遺体が発見された。付近に下着などが遺棄されていたが、被害者のものとは特定されなかった。またトウゴショウの枝はノコギリ様のもので切断された痕跡があり、遺体の場所を示すかのように町道沿いに置かれていた。

遺体が一緒に見つかった⑤~⑦は「北方事件」と呼ばれ、2002年に容疑者が逮捕・起訴された。

⑤1987年7月8日(水)21時半頃、武雄市武雄町富岡の割烹店仲居FSさん(48歳)が仕事帰りに同僚たちと別れたあと行方が分からなくなった。

1989年1月27日、北方町大峠の崖地雑木林で白骨遺体となって発見された。死因は特定できなかった。

この日は客入りが少なく、20時半頃に仕事が早上がりとなり、同僚とスナックでビールを1~2杯飲みながらカラオケを楽しんだ。21時半頃に店を出、FSさんは「もう一軒行こう」と誘ったが、同僚は電車の時間があるとして近くの西浦通りで別れた。

勤め先は自宅からおよそ1km、同僚たちと別れたのは自宅まで400mほどの距離だった。勤め先で具材の残りをもらって帰っており、人と待ち合わせがあるような素振りや普段と変わった様子は見受けられなかったという。割烹店「U」の上司は「知っている男性でも車に乗るようなことはない」「女将的存在で身持ちは堅い」と話している。

7月9日0時を過ぎても帰宅しない妻を心配して夫は、こどもや同じ勤め先だったFSさんの姉、FSさんの同僚ら、心当たりに連絡を取ったが行方は分からず。割烹店「U」までの経路周辺を探し回ったが見つけられず、捜索願を提出した。

地元住民によれば、FSさんは「過去を言いたがらない人」でバスガイドや芸者、ホステスなどをしていたらしいと言われている。中には「『うちの人は嫉妬深くていつも監視しているの』と漏らしていました。失跡と聞いたらてっきり駆け落ちかと思ったくらい」との声もあるが、男性の存在を裏付ける情報とまではいえない。

1年半後に発見された白骨遺体は歯型によってFSさんと特定された。

 

⑥1988年12月7日(水)夜、杵島郡北方町志久在住の主婦NKさん(50歳)が700~800mほど離れた町立スポーツセンターへ「ミニバレーボールの練習に行く」と家を出たが、到着することなく行方が分からなくなった。

89年1月27日、北方町大峠の崖下雑木林で上半身が腐乱状態で発見された。首回りのほか目立った外傷はなく、死因は扼殺。

NKさんは簡易郵便局を営む夫と3人の娘が居た。長女は嫁いで実家を離れていたが父と同じ郵便局で働いていたため、NKさんが孫の面倒を見ていた。明るく面倒見の良い性格で、町内でも行事の幹事役を務めることもあったが、バレーボールの友人の話ではそうした出しゃばりな面をよく思わない人もいたという。

19時過ぎに次女が仕事の休憩時間となり一時帰宅すると、NKさんは食事を終えてバレーの練習に行く支度をしていた。普段はバレー仲間と2人で練習に通っていたが、この日は友人が休んだため、たまたま一人で歩いて向かった。

その後、仕事を終えた次女が22時50分頃に帰宅すると、母親の姿はなく、あまりに遅いためミニバレー関係者に問い合わせたところ、練習に来ていなかったことが判明する。慌てて家族で探しに出るが見当たらず、翌8日2時過ぎに捜索願を提出した。

スポーツセンターから遺体発見現場まで約3キロ。発見時は腐敗が進んでいたが、胃の内容物が未消化のままであったことなどから、出掛けた直後に殺害されたものと推定されている。頸部に皮下出血と筋肉内出血、骨折が認められたため死因は扼殺とされた。また練習に持参したバッグや運動靴は見つかっているが、常用していた眼鏡は発見されなかった。なぜかバレーのウェアが自宅に残されたままだった。

自宅付近での特異失踪とされ、警察犬が動員されたが、家から200m程の地点で立ち止まった。付近でジョギングをする公務員男性は、アイドリング停車している不審な白い車を何度か見掛けていたが、事件後に見掛けなくなったと話している。

失踪から1週間後の昼間、自宅に不審電話が入る。夫が電話口に出ると、中年男性の声で「奥さん見つかったそうですね」と言われ、どこで見つかったのかと尋ねると「焼米(やきごめ)の方」と答えた。

男性の名前を聞こうとすると「あんたの知った人間だ」と言って通話は途切れた。電話は録音されており、佐賀弁に関西弁が混じっていたとされ、その後も自宅や夫の勤め先には無言電話が数十件も続いた。

1983年にNKさんの夫は町議会議員に当選し、IC関係の事業を興したが数年で倒産して負債を抱え、夫婦喧嘩が絶えなかったと聞いている、と元町議の知人は語っている。

その後、北方中学校付近を車で通りがかった人物から、19時30分頃にNKさんらしき人物と自転車を押している30~40歳くらいの女性が立ち話をしていたとの目撃情報もあった。

 

⑦1989年1月25日(水)夜、杵島郡北方町大崎在住の縫製工場R勤務YTさん(37歳)は夕食中に電話で呼び出しを受け、「友人を送りに行く」と言い残して車で外出したまま行方が分からなくなった。

その日は19時頃に仕事から帰り、長男、実母と夕食をとっていたが、19時20分頃に男性からの電話で呼び出された。食事を済ませると、作業着から白のカーディガンとスカートに着替え、身支度をして赤色の軽自動車で外出。

車は約3km離れた武雄市内のボウリング場駐車場にロックされた状態で発見された。

89年1月27日、北方町大峠の崖下雑木林で遺体となって発見。死因は扼殺。

警察は直近のYTさんの事件に捜査の重点を置き、地域一帯でバッグなどの遺留品が多数遺棄されているのを発見した。

YTさんは③のICさんと同じ北方町志久にある縫製工場Rに勤めていた。

夫は大峠で農業などをしていたが3年前にくも膜下出血で倒れた。夫の実家暮らしが合わず、前年から長男(事件当時10歳)を連れて北方町大崎の両親の元に戻っていた。

呼び出しの電話に出たYTさんは「今どこにいるの」などと話し、20秒ほどで通話を切った。家族には「友達の車がパンクした。山内町まで送ってくる」と伝えていた。

失踪の翌朝26日8時頃、登校途中の小学生がショルダーバッグを発見。翌27日9時頃に祖母が駐在に届けた。財布の中身はほとんど空の状態で、軽自動車の鍵も入っていた。

遺体発見から約1時間後、軽自動車が発見されたが、車内に乱れはなかった。周辺での聞き込みにより、白色のトヨタ・クレスタが駐車場に来てYTさんらしき女性が助手席に乗った、との目撃情報もあった。目撃者はクレスタに関心があったことから有力視され、一円で登録されている120台の車両追跡が行われたものの、該当車両は無関係と判明した(詳細は不明)。

遺棄された大峠周辺2キロ圏内で、YTさんの化粧品店ショッピングカードやメモ帳、商品券、運転免許証入れ(現金4500円が入ったまま)など、バッグの中身とみられる所持品が見つかったが、犯人の指紋は検出されなかった。

同僚らによれば、別居以来、化粧や服装が派手になり、男でもできたのではないかと噂されていたが、当人は否定するでもなく笑っていたという。また下着の窃盗被害に遭ったとも話していた。

行方不明時と同じ服装で発見されており、胃の内容物から食後約1時間以内に死亡したものとされた。また体や下着に付着したO型の精液も検出されており、外出した当日ではなく、前日に付着したものと推定された。衣類に付着した唾液のDNA型が後の容疑者逮捕の決め手とされる。

 

重要参考人U

①②の遺体発見から半年後の1981年3月12日、重要参考人とされた武雄市在住の農業Uさん(当時29歳。「無職」との表記もある)が、3年前に起こした婦女暴行事件により逮捕される。いわゆる別件で拘留して自供を引き出そうという「別件逮捕」である。

Uさんは②HRさんが行方不明となる以前から彼女の姉と交際し。結婚を考えていたが彼女の家族からは反対されていた。HRさんとも面識があり、彼女の勤める喫茶店にもよく出入りしていた。

一方でHRさんが店の電話から「若い男性」に電話を掛けることもあったとされる。先述のように彼女は恋愛絡みの問題を抱えていたとも考えられ、Uさんが姉とHRさんとの二股交際をしていたのではないかとも噂された。

またUさんは①YTさんの母親が過去に勤めていたクラブにも繁く通っていた。YTさんの母親は、娘の失踪当時は思い当たらなかったが、②HRさんの失踪があって店の客で娘やHRさんとも面識のあったUさんを疑ったという(そのほかの詳しい理由は説明されていない)。

両事件では土地勘があり、現場となった自宅に抵抗した痕跡などがなかったことなどから「2人に面識のある人物」が犯人像とされた。遺棄された須古小学校の近くに住み、日頃から素行不良とされていたUさんが追及を受けることとなった。

Uさんは、HRさんの失踪した4月12日は23時頃まで「佐賀市内のバーで酒を飲んでいた」と言い、酒酔い運転で裏道を通ってきたためルートはよく分からないが朝方帰宅したという不明瞭なアリバイだった。

Uさんは別件の婦女暴行容疑についてはあっさりと認めたものの、Bさん殺害については頑なに否定した。家宅捜索により「娘ハ帰ラナイダロウ」の手紙と同じ便箋を発見し、筆跡鑑定によって脅迫の容疑で逮捕したが、Uさんは否認を続けた。
県警はUさんの交友関係も次々と逮捕して情報を引き出そうとしたが、拉致や殺害に直結するような証拠は得られず、Uさんへの脅迫罪での起訴は見送られ、殺人についての追及は断念された。尚、婦女暴行、窃盗などにより1980年12月に懲役5年6か月の有罪判決が下されており、少なくとも③④事件に彼が関与した可能性は皆無である。

①から④の事件については、一度も起訴されることなく殺人罪の公訴時効が成立する。

 

容疑者M

1989(平成1)年11月、覚せい剤取締法違反で服役中のM(当時26歳)が任意の取り調べに対し、⑤~⑦の北方事件について犯行を認める供述を行い、上申書が作成される。しかし直後に否認に転じた。

Mは84年7月20日に窃盗・覚せい剤使用の罪で執行猶予付きの有罪判決を受けたあと、北方町の実家に戻って農業手伝い、12月から鹿島市生コンクリート輸送の運転手の職に就いていた。85年頃には覚せい剤使用を再開し、86年に結婚。実家で母親、妹、嫁と4人で暮らしていたが、浮気やDVがあったとされる。87年10月、覚せい剤使用で再び逮捕され、12月に懲役1年2か月の実刑判決を受け、服役した(88年3月に離婚)。

1988年9月に仮出所し、再び運輸ドライバーの職を再開。12月初旬、⑦YTさんが嫁ぎ先から北方町大崎の実家に戻っていることを知り、連絡を取った。以来YTさんは89年1月にかけて19時頃に電話を受けて、しばしば外出するようになったという。彼女は一緒に住む母親らに事情を語らなかったが、妹にはMさんとの交際関係を打ち明けていた。

公訴時効が迫った2002年6月、佐賀県警は鹿児島刑務所に服役中のMを⑦YTさん殺害の容疑で逮捕する。7月2日に⑤FSさん殺害容疑で、9日に⑥NSさん殺害の容疑で再逮捕した。

 

2002年10月に佐賀地裁で公判が開始され、検察側は死刑を求刑。

しかしM被告による犯行を裏付ける物証の乏しさ、さらに上申書は限度を超えた取調べ(平均12時間35分となる長時間の取調べが17日間連続で行われていた)での取調官による誘導と強制によって作成された違法収集証拠であり、任意性にも疑いがあるとして証拠能力を否定。

2005年5月、無罪判決が下される。 

 

2007年3月、福岡高裁(正木勝彦裁判長)で行われた二審において、検察側は被告の車内にあった写真の付着物から検出したミトコンドリアDNAが⑥NKさんのものと一致したとの鑑定結果を提出し、状況証拠から殺害があったと主張。

弁護側はミトコンドリアDNA鑑定では「同じ型を持つ人は20人以上おり、(被害者)女性の特定にはつながらない」と反論した。有罪を立証する証拠たりえず、一審同様に無罪と判断され控訴棄却。

4月2日、検察側は上告を断念し、Mさんの無罪が確定した。

初動捜査のミスや自白頼みの捜査体質、さらに遺体から採取した証拠品の紛失などが明らかとなった県警は、「判決を真摯に受け止める」としながらも、捜査については「適正だった」「また県民が安心して暮らせるよう捜査を尽くした」と説明。

却って市民の不安を打ち消せないままに捜査終結という最悪の結末を迎えた。

 

DNA型鑑定と冤罪、足利事件飯塚事件

1990年5月、栃木県足利市のパチンコ店から4歳女児が攫われ、近くを流れる渡良瀬川河川敷で翌朝遺体となって発見された。「子ども好きの独身男性」というプロファイリングから、園児の送迎バス運転手をしていた菅家利和さん(事件当時43歳)に疑惑が向けられた。

1991年12月、違法採取された体液のDNA型が被害者の下着に付着していたものと一致したとして逮捕された。

菅家さんは実刑判決を受け服役生活を余儀なくされたが、支援者らの働きかけなどにより、2009年5月にDNA型の再鑑定への道が開かれ、その結果、2010年3月、再審無罪が確定した。再審開始前の09年6月には伊藤鉄男次長検事が「真犯人と思われない人を起訴、服役させ、大変申し訳ない」と無実を前提とした異例の謝罪を行った。

女児殺害の真犯人逮捕には至らず、事件は公訴時効が成立した。

 

足利事件の背景として注目されるのは、DNA型鑑定技術の未熟さと技術導入のために「結果・実績」が求められていた事情、その「実績」を打ち消さないために長らく再鑑定が忌避されてきたことである。

当時の鑑定法は1989年頃に導入された「MCT118型」検査というもので、その精度は「1000分の1.2」の確率で他人と一致する可能性があるものだった。また読み取りに修練が必要なことから鑑定人によって異なる結果が導かれかねない属人的、あるいは科学と呼ぶには危うい手法だった。

当時の見込み捜査の誤り、犯行の実証的な裏付けではなく自白ありきの捜査体制と虚偽供述の強要、捏造の有無については明らかではないものの「科学捜査」偏重によって生み出された冤罪である。尚、現在では「MCT118型」検査の導入は時期尚早だったと評されている。

2003年、血液や汗、皮脂から検出される塩基配列の繰り返しが個人によって異なることから、4個の塩基配列を基本単位とする「STR型」の鑑定法へと切り替わり、自動分析装置フラグメントアナライザー導入により「1100万人に1人」まで精度を向上させた。

2006年以降は「約4兆7千億分の1」の出現頻度で個人識別が可能となる劇的な精度向上を達成。さらに2019年には新たな検査試薬が導入されたことで飛躍的に精度が向上し、「565京分の1」という確率で個人を識別できる(2019年2月28日、日経)。

DNA型鑑定導入開始から20年間で科学的手法として確立され、個人特定の要といえる精度となり、遺留DNA型を基にした事件解決も着々と進んでいる。その一方で、和歌山毒物カレー事件の冤罪疑惑でも取り沙汰されている通り(こちらはDNA型鑑定ではないが)、人的な過誤や科学捜査による冤罪被害に結び付けられないようDNA型採取やその運用により一層の留意が必要となる。

「565京分の1」の精度で犯人だという鑑定結果を示されれば、冤罪被害に遭った一般人にそれを覆す術はないに等しい。

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1992年2月、福岡県飯塚市の小学1年生の女児2人が登校途中で行方不明となり、翌日隣接する甘木市で強姦遺体で発見された。被害者の失踪現場や遺留品が見つかった山間部での「ワゴン車」の目撃情報から福岡県内で127台が該当車両とされ、94年6月、該当ワゴン車の一台を所有していた久間三千年が逮捕された。

一貫して犯行を否認したが、車の目撃証言のほか、被害者に付着していた繊維痕が被告人の車両のシートと酷似していたこと、被害者は失禁しており被告人車両シートに尿痕があったこと、犯人に陰茎出血があり被告人の病状に一致していること、被害者に付着していた犯人の血液型、DNA型が被告人と同一のものと認定され、99年9月に福岡地裁は死刑判決を下した。

2001年10月、福岡高裁は控訴棄却。2006年9月に最高裁は上告を棄却し、久間の死刑が確定した。

この飯塚事件でも「MCT118型」のDNA型鑑定が用いられ、科警研の担当者も足利事件とほぼ同様のメンバーであったことや、目撃証言の不審さなどから、「東の足利、西の飯塚」と冤罪疑惑が取り沙汰されている。

2007年1月以降、日本テレビ報道部・清水潔氏(当時)が中心となって追跡調査を行った。特別番組『ACTION』や『バンキシャ!』などで、1979年以降に群馬・栃木県境で発生したいわゆる北関東連続幼女誘拐殺人事件の再検証キャンペーン報道を張り、足利事件で逮捕された菅家さんの冤罪とDNA型再鑑定の必要性を訴えた。

2008年10月17日、足利事件でDNA型の再鑑定実施の見通しが発表され、逆転の無罪判決が期待された。

しかしその1週間後となる10月24日、森英介法相が死刑執行を命令し、28日、判決確定から約2年で久間の死刑が執行された。

法的には判決確定後、執行までの期間は(心神喪失者や懐胎中の場合を除き)「6か月以内」と規定されており、その裁量は法務大臣にある。一方で、近年では6か月以内に刑が執行されることは極めてまれで、死刑確定から執行まで平均すると5~10年程度であり、執行の遅れに対する批判も強くある。

しかし、冤罪の懸念もあり、マスコミによる大々的な冤罪報道で「MCT118型」鑑定の問題点が浮上している渦中で、久間に対する執行が行われたことについて日本弁護士連合会は「異例の早さ」との表現を用い、「本件の問題点を覆い隠すための死刑執行ではないかとの疑問が指摘されています」と疑義を呈している。

「北方事件」でMさんが(再)逮捕されたのが2002年6月。上の両事件と同じように虚偽供述を強要されていたが、DNA型鑑定の進歩によって当時の技術の拙さが示されるかたちで、公判により紙一重のところで冤罪が回避されたことになる。

 

便槽と事件

現代では下水道処理が人口の約80%にまで普及し、便槽そのものになじみがない世代や地域も多くなった。①の事件が起きた1975(昭和50)年で下水道普及率は23%、1985(昭和60)年で36%であるから汲み取り式便所がまだまだ大半だった。

便槽や浄化槽は定期的に汲み取り作業が行われるものの日頃から好んで中を検めるものではなく人目に付きづらい。そのため多くの事件で「死体遺棄の現場」とされ、現在でも嬰児遺棄事件などの現場となることが多い。

 

1974年に兵庫県の知的障碍者施設で発生した甲山事件では、3月17日夕方、19日夕方と男女2人の園児(ともに12歳)が立て続けに行方不明となり、19日夜になって施設の浄化槽内で揃って溺死体となって発見された。

現場状況や蓋の重さが17kgあったことなどから内部犯による殺人事件との見方が強くなり、勤務状況や園児の証言、遺体発見時や葬儀での取り乱した様子から当時22歳の女性保育士に容疑が掛けられ、1998年3月までの長きにわたってその冤罪を争うこととなった。全容は解明されていないが、園児らが蓋を開けて遊んでいた際の落下事故との見方もある。

 

1989年に発生した福島女性教員宅便槽内怪死事件では、2月末の4.9度という寒空に26歳の成人男性が半裸姿で直径36センチの狭い便槽の中にすっぽりと収まっていた。死後2日程経っており、死因は圧迫による呼吸困難および凍死とされた。

動機としては「覗き目的」で自ら侵入したものと考えられたが、家族や知人たちはそれを否定し、真相究明の再捜査を求める声が根強かった。第三者による強制を疑うものや原発利権との関係までも取り沙汰されたが真相は闇の中である。

事件性は薄いとされるが、2010年5月には新潟県上越市の公園にある公衆トイレの便槽内で、行方不明となっていた同市・男性(42歳)が遺体となって発見されている。司法解剖の結果、死因は溺死や酸欠による呼吸機能障害。男性は身長170cm、マンホールの直径は約35センチ、深さ約1.5mと狭く、外傷や着衣の乱れなどもなかったことから自発的に入った可能性が高いと決着された。

失踪から2週間後の19日11時15分頃、汲み取り業者が遺体を発見。作業は前年8月以来だったという。

2015年12月、愛知県新城市で起きた一人暮らしの女性(71歳)を襲った事件では、住所不定・無職男性(40歳)が顔面を複数回殴るなどの暴行を加えて死亡させ、内縁関係の女性(42歳)と共謀して、被害者宅から150m離れた廃屋の便槽内に遺棄した。

翌2016年1~3月にかけて被害者名義のキャッシュカードで現金約17万6000円を引き出していた。16年10月、遺体は白骨化した状態で発見された。

今や都市部ではほとんど姿を消したように思うが、人の暮らしあるところに便槽はあり、「遺体を隠す」場所としては決して突飛な発想ではない。しかし排泄物の貯め置き施設であることからも、被害者を人とも思わぬ非情さ、ときに凌辱せしめんとする冷酷さを感じさせるものがある。

 

性犯罪か否か

佐賀女性七人の事件に話を戻そう。このなかで明らかな性的暴行の痕跡が残されていたのは、④NKさん(11歳)のみ。⑦YTさんは性交渉の痕跡はあったものの当時の交際相手Mのもので、殺害との関連を示すものとは断定できない。②HRさんも衣類は剥がされていたものの暴行については明らかになっていない。

遺体の腐敗や白骨化によって検証不可能だった側面もあるが、殺害の動機として性的欲動があったのか否かは大部分が判然としていないのである。

性犯罪について考える際にネックとなるのが、我々自身の性的指向である。七件を同一犯と想定したとき、一般的な性情と照らし合わせると、下は11歳から上は50歳という対象年齢は同一人物の性嗜好としては「幅が広い」印象を受ける。

また私たちは、幼女を対象とした犯罪者を即ち小児性愛者と決めつけたり、高齢女性への性的暴行と聞けば「犯人はそういった嗜好の持ち主なのだ」と考えがちである。

しかし、数多ある学校教諭による児童への性的虐待、老人介護施設での高齢者への性的虐待は加害者生来の気質というよりも、肉体的に抵抗力が低い対象で己の肉欲を満たそうとする「代替的な手段」である場合が多い。

下の記事のように、高齢女性が好みというより「身近な弱者」を標的とすることが第一の背景と言えるだろう。

www.afpbb.com

被害者の年齢層が広い性的暴行目的の事件として思い浮かぶのは、1986~91年にかけて韓国・華城(ファソン)で発生した連続殺人事件である。

13~71歳の女性10人が強姦され絞殺された。2006年に公訴時効15年(当時)が成立してコールドケースとなっていたが、DNA型鑑定の進歩に伴い、2019年、重要未解決事件捜査チームが華城事件の証拠を再鑑定した。

その結果、1994年に妻の妹(当時20歳)を暴行・絞殺した罪により釜山刑務所で無期懲役囚となっていたイ・チュンジェのDNA型と一致したことが判明した。イはその後の調べに対し華城10事件に加え、4件の殺人、30件余りの性的暴行の余罪を自白した。

しかし時効の壁により、量刑は変わらず無期懲役とされている。

bunshun.jp

衝撃の真犯人判明によって、「華城8件目の犯人」とされ20年間に渡って投獄されていたユン・ソンヨさんの無罪が確定するとともに、韓国警察による失態、検察による冤罪の実態も明らかとなった。

真相を告白したイ受刑囚は「証拠隠滅もしなかったのですぐに警察が来るだろうと思っていたら来なかった。どうして捜査線上に自分の名前が挙がらないのか不思議だった」と振り返る。三度の尋問を受けていたが、警察側では「血液型が不一致」として追及を免れていたとされる。これも「科学捜査」が裏目に出た一例と言えるだろう。

冤罪が晴れたユンさんは自分が逮捕されることになった理由として「カネも後ろ盾もなく、力もなく無学だから、警察は目を付けたのではないか」と語った。見込み捜査の誤りがその後も真犯人を野放しにし、さらには冤罪をも生み出してしまった最悪のケースである。

 

国内の連続強姦殺人との相似は見られるだろうか。

1945~46年に東京近郊で食料提供や就職斡旋を持ちかけて山林に誘い出し強姦殺人に及んだ小平義雄は40歳前後のときに17~31歳の女性7人を手に掛けた。

1971年、大久保清は36歳のとき、ベレー帽にルパシカ姿の画家を装って真新しいマツダ・クーペで群馬県内を駆け回り、僅か2カ月足らずの間に150人近くの女性をナンパ、うち30人近くが乗車したと言い、10数人と関係を持った。16~21歳の女性8人を殺害し、遺体を造成地等に埋めていた。

2017年8~10月にかけて神奈川県座間市のアパートで白石隆浩(逮捕当時27歳)も殺害した9人のうち1人は男性(行方不明となった女性を探しに来たため発覚をおそれて殺害)だったが、金銭目的と性欲の捌け口として15~26歳の自殺志願女性を標的とし、SNSでコンタクトをとって自宅に招き、酒や睡眠薬などで昏睡させ絞殺。独力で解体し、一部を可燃ゴミとして処理し、残った骨などを収納コンテナに詰めて部屋に保管していた。

上の三者は20歳代前後の女性を標的としていた。

幼女を標的とした事案についても手短に触れておく。

1979年以降、群馬県、栃木県の県境近辺で断続的に発生した北関東連続幼女誘拐事件では犯人は未だ捕まっていないが、4~8歳の女児4人(ないし5人)が標的になったと考えられており、渡良瀬川周辺に遺棄した。

1988~89年に相次いで発生した東京埼玉連続幼女誘拐事件では宮崎勤(当時26歳)が4~7歳の幼女ばかりを狙う卑劣な犯行を繰り返した。その後の精神鑑定によって宮崎は精神分裂病(統合失調症)の疑いや人格障害(解離性同一性障害)が認められた。小児性愛者や死体性愛(死姦の様子をビデオ撮影していた)の疑いもあったが、根本的な性倒錯ではなく「成人女性の代替」として女児を対象としたと指摘されている。

2017年に千葉県松戸市で発生した女児殺害事件では、保護者会元会長男性(逮捕当時46歳、2021年9月現在上告中)がベトナム国籍の9歳女児にわいせつ目的で誘拐殺害した疑いがもたれている。男性は東南アジア系の女性が好みだったとされ、周囲に「若ければ若いほどいい」などとも話していた。遺体は利根川付近に遺棄された。松戸から利根川を跨いで約20km離れた茨城県取手市で2002年に発生したフィリピン国籍の小3女児行方不明事件についての関連も取り沙汰されている。

2004年11月に奈良で発生した小1女児殺害の小林薫(事件当時35歳)、2018年5月に新潟市で発生した小2女児殺害の罪に問われている元会社員(事件当時25歳)らは過去に同様の前科があり小児性愛者と推定されている。

 

関連と犯人像

佐賀の事件に戻ろう。下は各事件に符合する(と考えられる)特徴を色づけした簡易表である。遺棄現場の状況から⑤⑥⑦の北方事件が同一犯によるものとする見方には異論はないかと思う。

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①プール脇便槽に遺棄された死体の上には大量の石が積まれていた。上から見下ろした犯人は、遺体に対する忌避感情からどうにかして底へ沈めたいと考えたに違いない。犯人が汲み取り時期が「2年おき」であることを知っていたかは分からないが、校舎よりはプール脇トイレの方が利用者は少なく、単純に発覚しにくそうな印象を抱く。

2年前、4年前の汲み取り時に異常がなかったかは不明だが、作業員とて内容物を終始確認している訳でもなく、石の混入を単に児童のいたずらか何かと思って報告せずに見過ごしていた等のケースもあるだろう。

時が経ち、遺体の変質や傾き具合により80年になって積み石が崩れて混入が増えたとも考えられる。死亡時期は定かではないが、2年前にはまだ生きていた、2年前までは別の場所に遺体があった(2年以内に改めて便槽に遺棄された)と考えるよりは、蓋を開けなかったことも手伝って「たまたま5年近く発覚を免れていた」と見る方が自然ではないか。

犯行は夏休みの終わりであり、失踪現場から4km余り。まして小学校の最も目立ちにくいと思われる便槽に遺棄していることから考えて、学校職員や卒業生、あるいは被害者の同級生とは言わないまでも近くの中高生が犯人だったとしても不思議はない。

過剰ともいえる「石」での隠蔽は恐怖心の表れや後ろめたさ、犯人の幼さ・未熟さを表すものかもしれない。だが被害者は中学生であることからペドフィリアによる犯行も疑われ、だとすれば「小学校の便槽」という場所も以前から犯人の「のぞき」のテリトリーだった可能性も感じさせる。

 

②HRさんの失踪は80年4月、遺棄現場は北側校舎便槽である。異なる便槽ではあるが①と同一犯と見て間違いないだろう。⑤⑥⑦の北方事件にもいえることだが、犯罪者は一度「首尾よくいったやり方」を踏襲する。

発生は「土曜日」だが、比較的深夜に絞られるため、犯人が夜勤の仕事でなければそれほど曜日にこだわる理由にはならないかもしれない。

「室内に抵抗の跡がなかった」とされるが、素直に玄関をノックされれば家族が帰宅したものかと早合点して解錠する可能性も高いように思う。あるいは玄関先から物音がして確かめるため戸を開けると…といった押し込みのような状況もありうるだろうか。

便槽の異常発生や被害者の髪の毛の発見のタイミングを照らし合わせてみると、4月21日から6月9日までの間に投入されたと考えられる。つまり行方不明となった4月12日から21日までの少なくとも9日間は犯人が別の場所で遺体を管理していた。

自宅近辺に置いていたが腐敗状況から移動を決意したのか、人目につかない作業小屋や廃屋、山林などに「放置」していたものを移したのかもしれない。

二人は8歳の年齢差があり、仮に両事件が同一犯による犯行であればペドフィリアという分類は的外れになる。むしろ2人の知人ということになれば、YTさん殺害時に10代半ば、HRさん殺害時に20歳前後の「同年代」による犯行との見立ての方が当てはまりそうなものだが、そうした該当者は警察も調べていよう。

「土地勘がある」のは間違いなさそうだが、はたして警察の見立て通り被害者二人と面識のある人物だったのか。重要参考人Uさんであれば警戒されずに接触することも容易だったかもしれない。HRさんの思いつめやすい性分と照らし合わせて考えると、姉との離縁を迫られ、自殺をほのめかされるなど口論となり…といった殺害の動機は考えやすい。しかしこの晩、彼女は家に一人になることをUさんに伝えていたのであろうか。密通ともいえる相手をわざわざ自宅に招くものなのか。

Uさんの立場上、HRさんの家族からは「恨まれている相手」として強い疑いを抱かれたものと考えられ、険悪さは一層増していたであろうことから悪質な手紙や電話での嫌がらせについてはUさんの犯行である可能性は高い。だが殺害した当人だったとすればわざわざアシが付くような真似を繰り返したとも思えない。

遺体発見から半年後、Uさんが逮捕されたとき29歳、その5年前となれば24歳前後。①YTさん行方不明時の母親の年齢は定かではないが、仮に20歳のとき産んだ子だったとすれば32歳。年上の女性に熱を上げたり、若い男を手玉に取ったりといった男女関係もありえそうなものだが、Uさんは素行不良者で、母親と険悪になればその場で手を上げたり、店の物を壊したりといった暴挙に出そうなものである。母親にしても控え室に「我が子同伴」の店内で、「一人娘を攫われる」ほどの恨みを買うような出来事があったのかは疑問である。

HRさんの帰宅が23時半と深夜であり、通常であれば「家に人がいる時間帯」である。Uさんのように親しい間柄で本人から「今日は帰ったら一人だ」「家に誰もいない」と直接知らされていなければ家人全員の不在までは想定できないように思う(あるいは彼女が帰宅するまで室内に灯りがないことを見ていた人物となろうか)。

逆にいえば、「HRさんしか家にいない」ことを知るためには、彼女が自ら玄関の鍵を開けたり、帰宅と共にリビングなどの照明が点灯することを見ていた可能性がある。室内を荒らした形跡もないことから、犯人は「だれもいない家」に目を付けていたわけではなく、始めから「女性の連れ去り」が目的だった。とすれば、彼女を尾行してきた人物がいたと考えられる。

YTさんの母親には「スナック勤務」「スナック経営」と情報のブレがある一方で、時期こそ重ならないもののYTさんの母親が勤めていたクラブにHRさんの母親も勤めていたことがあるという。勤務時期は重なっていないが、飲食業のつきあいで顔見知りだったとされる。

家族や店の人間が話したことなのか、Uさん逮捕を目論んで警察がリークした怪情報なのか、Uさんへの疑いを強めるために何者かが植え付けた憶測なのかははっきりと見えてこない。少なくともUさんは地元では「札付きのワル」で通っていた、近隣住民からは煙たがられていた、敵が多かったように思え、警察ほど確信をもってUさん犯人説を採ることはできない。

「覗き」や「侵入」で見つかりそうになったために手を掛けた可能性はどれほど検討されたのだろうか。

 

③は佐賀市をまたいで空き地に遺棄されており、①②とはやや様相が異なる。40km近い移動は何を意味するのか。同一犯がカモフラージュのためにやや遠方への遺棄を選んだのであろうか。

地図を見れば、鳥栖~佐賀~長崎をつなぐ長崎街道を基とした国道34号が通っており、目撃地点から遺棄現場まで車であれば約1時間の道程である。さらにスーパーマーケットでICさんが「赤茶色の車に乗った男性」と会話している姿を目撃されている。見ず知らずの人間が「それらしき女性を見かけた」のではなく、同僚による証言であることからも精度は極めて高い。その男性が彼女を車に乗せて国道を北上したと見るのが妥当であろう。

だが34号以北や武雄市以西に向かえばいくらでも山林が広がっており、北方~武雄周辺は白石平野の稲作地帯に向けて数多くの「溜池」が存在する。単純に人目を避けて遺棄するのであれば、40kmも移動せずともそうした場所の方が発見までの時間稼ぎになりそうなものである。

作業着姿で見つかったことから行方不明当日に手を掛けられ、犯人の「帰り道」かその延長線上に遺棄したように思える。

最終目撃現場と遺棄現場の中間に位置する「佐賀市」は犯人の所在の第一候補となる。みやき町以東に位置する都市圏としては、佐賀県鳥栖市、福岡県久留米市が、更に北上すれば福岡市もおよそ80km、車で2時間の距離である。

また先述の飯塚事件が発生した福岡県飯塚市も車で2時間の距離であり、佐賀の女児被害①④事件と飯塚事件との関連を疑う説も聞かれることがある。

消息を絶ってから発見までに「2週間」のブランクがあるが、買い物の食材とともに散乱していたことから失踪当夜にその場に遺棄されたと考えられる。かたや6か月の赤ん坊と2歳の乳児を親に預け、生ものや冷凍食材、さらにみかん1kgを買った足で不倫をするとは常識的には考えづらい。

 

④NKさんは放課後の下校路での連れ去り事案で、発生時刻が夕方16時過ぎと最も早い。ランドセルを背負った状態で事に及んだのか、遺体にランドセルを背負わせたものかは不明だが、連れ去り場所から遺棄現場まで距離もなく、極めて手際のよい・手慣れた犯行ともいえる。

一方、周辺で多数の声掛けが確認されており、連れ去りに複数失敗もしていると考えられる。失敗が成功の種となってしまったのか。

小学生から主婦まで標的に考えていたとすれば正に手当たり次第である。犯行に使われたストッキングの入手経路は洗い出しが行われたのかといった情報はないが、首を絞めるためにわざわざ買ったとは考えにくく、下着泥棒ないし連続強姦魔の可能性が高い。

①と大きく異なる点として、大胆過ぎるほど人目に付く形で略取を試みていたことが挙げられよう。

①④は被害者の年代が近い。しかし「遺棄現場」に注目すれば、前者は明らかに隠蔽を目論んだプール脇便槽、かたや後者は中学校裏手のみかん畑であり、隠し通そうとする気は毛頭なく犯人はとにかくすぐに遺棄してこの場を去りたかったことを窺わせる。この連れ去りと遺棄の性質のちがいから、①②と、④は別の犯人による事件ではないかと筆者は考えている。

一方で③と④との比較では「発生時期」「遺棄現場」こそ近いものの、大きく異なる点として④は連れ去り現場のすぐ近くで遺棄しており、ほとんど「その場に捨て去った」と言える。性犯罪の場合、自宅近辺での犯行や遺棄とは考えづらく、犯人に土地鑑はそれほどなく、小・中学校を狙った可能性が高い。

 

⑤⑥⑦については遺棄現場の状況から同一犯との見方で捉えている。

①~④、⑤~⑦との共通項を挙げるならば、(②を除いて)犯行が「水曜日」、(①⑤を除いて)「絞殺」「扼殺」の可能性が高いこと、③Cさんと⑦Gさんの勤務先が同じということである。

しかし小さな町で主婦が条件に合う働き口を探すとなると自ずと勤務先は重複するとも考えられ、犯人が縫製工場の関係者であるとは言い切れない。そう考えると逆に共通項はそれほど多くはないのである。

「絞殺」「扼殺」について考えてみれば、刃物と違って事前に購入したりせずとも紐状のもので代用でき、出血が少なくて済む。場当たり的な殺害方法として、強姦殺人鬼の常套手段であり、凶器と犯人が直接結びつきづらいことから、結果的に犯人を絞りづらくする犯行ともいえる。

また刃物であれば強盗などで相手に対して威圧・脅迫的態度を誇示する効果もある一方、「紐」にそうした圧力効果は期待できない。刃物を見た相手が「恐れおののく様子」や相手を「命令に従わせること」よりも、車などに誘い込んで間近で「もだえ苦しむ様子」を好む異常性欲があったのかもしれない。

 

ネット掲示板に立てられたスレッドに興味深い記述があった。転載はしないが、2007年5月14日のハンドルネーム「とろ」氏によるカキコミで、⑤~⑦の北方事件について「3人には小学校に通う子供が居る」との共通点から、犯人として或る「教師」を挙げ、通報したとしている。

たしかに律義に「水曜日」に犯行を繰り返すルーティンがあったとすれば、規則的な働き方をする人物だった可能性は高くなる。また少女から中年主婦という幅のある年齢層についても「生徒」「保護者」の年齢層と重ねて考えれば、にわかに現実味を帯びた推理に思える。

しかし被害者の年齢から鑑みて「3人に小学校に通う子供が居る」という前提が事実かどうかは(筆者には確かめる術もないが)やや信頼が置けない。

③ICさんについて、失踪前に5日間ほど欠勤している点は気掛かりである。この期間に「犯人」と知り合った、急速に親密な関係になったのだろうか。スーパーの駐車場で見ず知らずの男が「ナンパ」したと考えるより、「仕事帰りに待ち合わせしていた」と見る方が自然に思える。

⑤、⑥についてはほとんど連れ去りのような状況が想像されるが、⑦について電話の相手は以前からの不倫関係が疑われる。携帯電話もなかったことから「家の電話」や「アポイントメント」が重要な役割を果たしていた当時、YTさんがMさんとは別の交際相手がいたとしても通信履歴から抽出される可能性は高い。電話の相手はMさんだったのか、それとも彼を犯人に仕立てるために流布された情報なのか判断が付きづらい。捜査当局は当然通話履歴を辿ったはずだが、Mさん逮捕のためにそれ以外の証拠は永遠に闇の中であろう。

だが③と⑦を「知人女性を狙った殺害」と捉えることもできなくはない。③の目撃情報を頼るならば、③当時は30代、その8年後の⑦当時は40代というところか。「主婦を狙った」というより学生や若い女性をナンパしても相手にされないため、年配女性へとシフトしたとも考えられる。

 

半ば強引な道筋ではあるが、筆者は犯人が3人いるものと考えている。

「①②の犯人」は小学校にゆかりのある覗き魔・ストーカー犯、「④遠方から三養基郡へ訪れた小児性愛者」、「③と⑤⑥⑦の異常性欲殺人鬼」の三者である。

とりわけ③と⑤の事件の間には、6年近くのブランクが生じており、地元警察も余罪については念入りにたどったものと考えられる。もちろん鳴りを潜めていたとも考えられるが、むしろ進学や就職で地元を離れてその後Iターンしてきた、窃盗など性犯罪以外の罪で逮捕・収監されていたなどの背景が想像される。

1989年に犯人が40代だったとなれば、いまや既に高齢者。犯行の継続は考えにくいものの、他にも明らかにされていない余罪がいくつかあるかもしれない。犯行の性質上、他言している可能性などは低く、時代と共に生活も様変わりしてしまっていることで発覚を免れている側面もあろう。

未解決事件は住民の警察に対する信用失墜を招く。それは犯罪者にとっても同じことで、触発されて似たような犯罪を後押しするきっかけをもたらしかねない。逆を言えば、「未解決ゼロ」の都道府県があれば犯罪者にとっては大きな抑止効果を生む。警察はもとより私たち市民の側も、犯人の目の黒い内は真相解明への意欲を失ってはならない。

 

犠牲者のご冥福と遺族の心の安寧をお祈り致します。