いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

はやせやすひろ『幸せのおまじない』について

 2020年3月1日2日にかけて、YouTubeで人気のオカルト系ラジオトーク番組THC OCCULT RADIO(通称オカラジ)で“都市ボーイズはやせやすひろさん襲来!”と銘打ったスペシャル回を前・後編の2回を公開した。

 

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 はやせやすひろさんはホラー作家山口敏太郎さんの弟子として、放送作家のほか、岸本誠さんと若手放送作家ユニット“都市ボーイズ”を結成し、怪談・都市伝説研究家として執筆、PODCAST『都市伝説 おかんとぼくと、時々イルミナティ』等でマルチに活躍。カンテレ系の人気番組『稲川淳二の怪談グランプリ2017・2019』で優勝し、怪談界期待の若手として注目を集めている。

 

 はやせさんSP“怪談篇”では、『怪談グランプリ2019』で披露されたはやせさんの母上様の体験談について、当時の放送尺に収まりきらなかった詳細にも触れており、固唾を飲んで聞き入った。

はやせさんは自己紹介などで、岡山県の“津山30人殺し”で有名な津山の出身、とよく語られているが、土地勘がないため2019年放映当時も地図を開いて件の土地への想像を膨らませたものだ。

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 はやせさんの母上様が体験したという“幸せのおまじない”についてざっくり説明しておく。

 

母上様が学生だった頃、高名な霊能力者の許へ相談に通っていた時期があった。その霊能力者は金品を要求せず相談に乗っていて、全国各地から集まる相談者たちには“先生”と慕われていた。 かなりの高齢だった先生は、あるとき10人ほどの老若男女の相談者を一堂に集めた。普段そうしたことはなかったのでその中にいた母上様も不思議に思った。すると先生は、自分は大病で余命いくばくもないこと、自分の死後は相談に乗れないし、これまで施してきたまじないの祟りがあるといけない、災禍を避けるための“幸福のおまじない”を教えるから毎日これこれこういう文言を声に出して唱えなさい、と話した。

 

日が経って、再度集められた一同。見るからに弱って容態の悪くなった先生は、“幸せのおまじない”を言われた通り唱えたか確認する。皆一様に毎日声に出して唱えたと答える。

すると先生は「そしたら、みんな死ぬわ。あれは“幸福のおまじない”じゃなくて狂って死ぬおまじない、自分で自分が死ぬように呪いを毎日かけていたことになる」と言い出した。

「大病で医療費やらお金が必要になって、この中の数名に“お金を貸してほしい”とお願いした」「私はこれまで善意から無償でみんなの相談に乗ってきた。それなのに、だれが貸すかペテン師が、と邪険にされた」「そいつらだけを呼び出しても変に思うだろうから、他の人にも集まってもらって、全員に“幸せのおまじない”と聞かせればそいつらもやると思った。悪いけどみんな道連れで狂い死ぬわ、ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい」「今の私は孤独だが、死んだらお前らも地獄で全員一緒や、ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい」と信じられないほどの大声で狂喜した。

きしくも母上様は家でまじないを唱えてはおらず呪いを被ることはなく、まだ学生だったこともあって他の相談者たちのその後については知らない、という話。

 

また2020年1月、タレント島田秀平さんのYouTubeチャンネル・島田秀平のお怪談巡り#52で都市ボーイズとしてゲスト出演した際にもこの逸話を語っている。

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こちらで母上様はいじめの相談で通っていたこと、先生が1度目の集合をかけた際にいじめっ子を連れてこさせていたこと、さらに先生と同日にいじめっ子が亡くなったことを明らかにしている。母上様は、先生が教えてくれた文言が実は“幸せのおまじない”などではなく恐ろしい“呪い”だと事前に知っていたのだった。

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はやせさんの合格祈願、撮影厳禁タニイシさんの話の舞台はどこなのか、土地勘がないため定かではないものの様々な寺院があるものである。

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“呪われた一族の末裔”から“神の子”に進化しかねない勢いのハヤセさんのご活躍をこれからも注目したい。

 

平成の神隠し・坪野鉱泉肝試し女性失踪事件について

2020年3月4日、富山県警は同県魚津市で消息を絶った同県氷見市の当時19歳の少女2人が乗っていた乗用車が、同県射水市八幡町にある伏木富山港付近の海中で見つかったことを明らかにし、車内にあった複数の人骨を少女2人のものとみて確認を急いでいる、と発表された。

 

「坪野鉱泉」巡り長年憶測 転落目撃者特定が転機 富山新港内で人骨(北日本新聞社

https://webun.jp/item/7642731

 

現代の神隠しのひとつとして知られた『坪野鉱泉肝試し失踪事件』が24年ぶりに大きく進展したのである。ご家族の気持ちを考えると、どこかで生きていてほしかった、あまりに時間がかかり過ぎたとはいえ、ようやく発見されたことにささやかながら安堵するとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

 

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(以下、事件について推論を述べていくが、亡くなられた方を非難したり冒涜する意思はないのでご了承願いたい。ご遺族関係者の方の気分を害してしまったとしたら申し訳ありません。)

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 1996年5月5日午後9時すぎ、氷見市に住む19歳屋敷恵美さんと、高校時代の同級生だった田組育鏡(たくみなるみ)さんの2人が「肝試しに行く」と告げて車で出発。午後10時ごろ、射水市の旧・海王丸パークで友人と会っている。深夜、友人宛にポケットベルで「魚津市にいる」とメッセージを残し、そのまま消息を絶った事件である。

2人が向かった先は、「魚津市」「肝試し」から廃墟・心霊スポットとして有名な通称・坪野鉱泉と呼ばれる廃ホテル(旧・ホテル坪野)ではないかと見られた。

かつてレジャーホテルとして賑わったが、1982年に倒産。市街地から10㎞以上離れた山間部という立地のためなかなか引き取り手がつかず、再建のめどもないまま荒廃。やがて近県からも暴走族が集まる場所(たまり場)として知られるようになり、1990年には敷地内の薬師堂で全焼火災が発生するなど、地域住民の間では治安の悪さが懸念されていた。

ヘリ捜索や山岳捜索隊を動員するなど事件事故の両面から大掛かりな捜査が行われたが発見や有力情報には繋がらず、失踪から1年後(2人の成人を待って)、半公開捜査に踏み切った。今となれば未成年者保護の観点からか、情報公開が遅れたことも事件を長引かせた要因と考えられる。

日本国内では年間8万人超の行方不明者が発生し、多くが10代20代の若者による家出、約1万7000人が高齢者の認知症等疾病に係るケースで、所在や死亡が確認される件数も年間概ね8万人超であるから、ほとんどの事案は遅かれ早かれ「解決」されている。だが少数ながらも未解決、原因不明といった特異なケースは“神隠し”として取り沙汰され、人々の記憶に刻まれる。

なかでも本件は「肝試しに行ったきり行方不明」という怪談話さながらの背景、舞台が心霊スポットという性質も相まって、「地権者に暴力団関係者が絡んでいた」等の噂、北朝鮮による拉致事件との関連など、2人の失踪について様々な憶測を呼んだ。

 

例として下のオカルト系サイトでは拉致説を唱えている。

okakuro.org

 

GoogleマップYouTube等動画サイトでは、近年の坪野鉱泉跡の様子を垣間見ることができる。

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失踪した2人の画像や服装と車種などからイメージされるのは“今どきのフツーの女の子”。

二人の特徴はA子さんが身長154センチ、左利きで八重歯、鼻の横に水疱瘡跡がある。当日の服装は白いブラウス、黒字に白の縦じまのミニスカート、黒のカジュアルシューズだった。

B子さんは身長167センチ、黒のTシャツにうぐいす色の綿パン、黒の革靴で、茶髪に染めていた。
二人の乗っていたB子さんの車は九五年式スバルVIVIOの黒、ナンバーは「富山50 そ 14―02」。 

(読売新聞北陸支社版1997年5月4日17面富山よみうり)

 県警の調べによれば、2人は以前海洋丸パークで知り合った友人から坪野鉱泉が「肝試しの場所」だと聞かされ、失踪前にも訪れたことがあったという。5月5日、勤め先のスーパーで懐中電灯に使う乾電池を購入した屋敷さん(上のB子さん)はバイト仲間に「今晩肝試しに行こう」と誘うが断られ、田組さん(上のA子さん)に電話を掛けたとされる。

デートやナンパのスポットだった海洋丸パークに出入りする社交性や、肝試しに行きたがるような好奇心からして、行動的で活発な印象を受ける。

 

5月5日、2人は地元・氷見市から直接魚津市山中の坪野鉱泉へ直接向かわず、射水市湾岸部の海洋丸パークに立ち寄っている。確認できないが、事前に一緒に肝試しをする「仲間」と待ち合わせていたか、あるいは仲間にふさわしい相手を狩る(ボーイズハント)ために立ち寄ったと見てよいのではないか。「いつものダチと前に入ったことのあるお化け屋敷に入ったって面白さ半減だ、キュンキュンできる相手と一緒にイチャコラしよう!」といったノリで立ち寄ったとしてもおかしくない。

そこで(おそらく偶然に)友人(性別等は確認できず)と会った後、午後10時すぎに国道8号線の富山~滑川の市境で魚津方面へ向かう2人の乗った車が確認されている。目撃証言なのかカメラに収められていたのか定かではないがガソリンの給油が確認されており、2人はこの時点で少なくとも魚津方面には向かっている。はたして“2人きり”で向かったのだろうか。実は同行者、別の車両に乗った「仲間」たちと坪野へ向かっていた可能性もある。

そこからの足取りは途絶えることから、人目につかない山間部、おそらく坪野鉱泉へと向かったと思われる(他の肝試しスポット等に行った可能性もあるが、行動の突発性や時間帯からして過去に行ったことのある場所と考えられる)。実際に建物に侵入したのか、すぐ引き返したのか、「仲間」といたのか、あるいは坪野で別の男性グループと遭遇して「現地調達」したのか、詳細は全くつかめていない。

 

深夜未明、友人へのポケベルを送信。時刻は定かではないが、山間部の電波状況や「魚津にいる」という内容からして、坪野ではなく市街地で送信したのであろう。もしかすると坪野帰りに小休憩でもしていたのかもしれない。また陰謀論的な立場を取りたくはないが、送信したのは本人でない、発信場所が魚津市内でなかった可能性も否定できない。

だが車輛が海洋丸パーク付近で発見されたとなると、自力で運転して戻ってきたと推察される。深夜の山道を乗りなれない(他人の)車で運転するとは考えづらく、坪野鉱泉で何者かに拘束されたり殺されたりしていれば隠蔽するにせよわざわざ市街を通ることなく車ごと崖や山奥で処分するはずだ。

なぜ2人は再び海洋丸パークを訪れたのか。ゴールデンウィークで夜遊びしたかったには違いない。だが数時間前に2人で訪れていたにもかかわらず、わざわざ深夜の海洋丸パークに戻ってくるのは不可解である。そうすると2人きりや坪野で「現地調達」した何者かと再訪した訳ではなく、行きの海洋丸パークから坪野に同行した「仲間」がいた、「仲間」の車が置いてあっりもう少し一緒に遊びたかったなどしてみんなで「戻ってきた」というのが自然な流れではないか。

 

24年前に行方不明、19歳の女性2人乗車か…港の海中から軽発見・車内に人骨 : 国内 : ニュース : 読売新聞オンライン

 上の記事には、2014年にあった“目撃者が複数人いる”という情報提供を基に調査を進め、目撃者3名を特定。今年1月事情聴取を照合して「96年の大型連休の深夜に、旧海王丸パーク付近で、駐車場から女性2人が乗った車が海に転落した」と見通しをつけ、1月下旬から海中捜査開始、3月4日の引き上げにつながった経緯が書かれている。

2014年にあったタレコミから目撃者3名の特定まで6年近く経過していることについては、当初、信ぴょう性の低い情報として扱われていた、詳細ではない匿名文書や匿名電話など消極的捜査協力だった、目撃者特定の裏取りに時間を要した等の要因が想像される。タレコミした人物は何者か、いつどのようなかたちで情報を得たのかは不明だが、身内や事件関係者ではない第三者とすれば、情報を得てからそれほど長く秘匿していたとも思えない。15年以上という時間の経過や環境の変化で、沈黙を守ってきた目撃者が気を緩ませて口を滑らせたと見るのが妥当ではないか。

では目撃者がすぐに警察に証言しなかった、公にできなかったのはなぜか。目の前で人や車が海に落ちれば、普通は公園や港湾の管理者なり警察なりに自発的にすぐに通報する。当時なにか後ろめたいことがあったと考えるのが妥当であろう。2人に直接的に関与していたか、あるいは現場近くで別の違法行為(違法薬物、未成年者の飲酒喫煙など)をしていた、表沙汰にしづらい個人的な事情(職業などの社会的地位、浮気・不倫など)があったとも考えられる。目撃者の男性3名の関係は公表されていないが、3人とも赤の他人ではあるまい。

[追記・富山新聞3/6、捜査関係者によれば、3人は友人関係で、女性たちに声を掛けようと近づいたところ、車がバックで急発進し、海に転落した、責任追及が及ぶことを恐れて通報しなかった旨を証言している、とのこと]

 

 無論、目撃者の男性3名が「彼女たちを車ごと海に落とした」とは断定できない。だが偶然その場に居合わせて「車が海に転落した」様子を見かけただけで3人揃って20年以上秘匿してきたとも到底思えない。

筆者の考えでは、2人は坪野鉱泉に行った、その帰りに自分で友人にポケベルを打った、と見ている。だが帰りに海王丸パークに再訪する行動経路と照らし合わせると他に「仲間」がいたように思えてならない。でなければ辻褄が合わないのだ。思い浮かぶ仮説をふたつだけ書いて終わりにする。

 

ある男性グループが彼女たちの誘いに乗って坪野鉱泉で肝試しに付き合い、海王丸パークに戻って痴情のもつれ等から暴行や殺害に及び、隠蔽のために車ごと海に落とした。目撃者3名はグループの一員か、あるいはグループと交友があって車を沈めるために後から呼び出されたメンバーではないか。

 

ある男性グループが彼女たちの誘いに乗って坪野鉱泉で肝試しに付き合い、海王丸パークに戻り、遊び足りなかったのか駐車場で複数の車(やバイク)で追いかけっこをしていたところ、2人の乗った車が勢い誤って海に転落し、発覚を恐れたグループは逃走。目撃者3名はグループの一員か、その場で意気投合して追いかけっこに参加したギャラリーや別グループという可能性もある。

 

 

事件なのか事故に近いものだったのか、真相が詳らかにされるかは分からないが、静かに進展を見守っていきたい。

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(2021年1月27日追記)

既報の通り、2020年3月、車両と2人の遺体が引き上げされており、その発見は3人の男性が車両の転落を目撃していたことによるものであった。

週刊女性』2021年2月9日号に掲載のノンフィクションライター・水谷竹秀氏による記事によれば、屋敷さんの父親は男性3人の証言について懐疑的だとされ、警察は事件の終息を図りたい様子だと伝えられている。そのほか現在の坪野鉱泉内のようすなども紹介されている。

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 男性3人の証言について、屋敷さんの父親は、週刊女性の取材にこうきっぱり言った。

「全く信用していません。3人が誰かも知りません。警察に聞いたけど、それは教えられないと」

 では捜査継続を希望しているのだろうか。父親は続けた。

「それも警察に伝えたけど、確たる証拠はないから対応できないと。納得するも何も、もう過ぎたことやから、それでよしとせんとあかんのやって。娘はそれだけの人生だったんやなあと……」

 富山県警の担当者は「今後必要に応じて捜査をしていく」と説明している

警察としても、たとえば男性3人が殺害に係った決定的証拠など、証言との明らかな齟齬・追及すべき点が出てこなかった以上、いつまでも人的リソースを割くことはできない。

3人が彼女たちの死因に直接関わっていなかったとしても、「車両の動作トラブル」やタイヤ痕といった事故説特定の証拠が検出されないために、故人の遺族でなくとも「もしかすると…」という事件説への疑念は拭いきれるものではない。

いかなる事件も長期未解決化させてはならないのである。

 

【ネタバレ】最強おじいちゃんは今夜もあの娘の夢を見る 映画『ドント・ブリーズ』感想

 脚本監督フェデ・アルバレスはSF短編『Ataque de Pánico! Panic Attack!』(2009)をサム・ライミに評価され、『死霊のはらわた』リメイク版(2013)の監督に大抜擢されたものの、オリジナルの妙味であったユーモアの趣を排し、凄惨なスプラッター描写に徹した結果、旧来のホラーファンから大ブーイングを食らった前科あり*1。しかし本作では、前作での反省を生かして残酷演出を抑制し、肉迫するリアリティを探求した。一軒の建物に訪れた男女が得も言われぬ恐怖から逃げ惑うコンセプト、主演ジェーン・レヴィは踏襲されており、まさしく“はらわたリベンジ”を期す快作である。製作費10億円の低予算映画ながら160億円以上の興行収入を上げたアルバレス監督は、『ドラゴンタトゥーの女』シリーズをデビッド・フィンチャーから引き継ぎ『蜘蛛の巣を払う女』(2018)の監督脚本を担当した。

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女を引きずる老人の鳥瞰シーンから物語は始まる。

舞台は、荒廃した犯罪都市デトロイト。若い男女3人の窃盗団が、盲目の老人が隠し持つとされる事故死した娘の賠償金数十万ドルに狙いをつける。しかしその老人は驚異的な聴覚で人の気配を嗅ぎつけ、躊躇なく人を殺めることができる元海兵隊員の殺人マシーンだった。

 

窃盗団は、ホラーには定番ともいえる役割分担がなされている。妹を連れて育児放棄の母親からなんとかして逃げ出したいロッキーは“大胆さ”を象徴し、横暴な態度と暴力でロッキーを束縛しようとするマニーは“愚かさ”、悪いことだと理解しながらも犯罪に加担することでしかロッキーへの愛情を示せないアレックスは“臆病さ”を表している。日本でも貧困家庭は社会問題化しているが、即犯罪に結びつける論議が公には憚られることもあり、彼ら“招かれざる者”たちは観客の共感を得られにくい立ち位置でもある。だが貧困の連鎖から抜け出すことへの渇望は、彼女の若さと無垢な幼い妹の存在によって、想像以上に猛々しいものにちがいない。またデトロイトからの、貧困からの脱出こそが“自由”だとする彼女の指針は、そのまま“老人の家”からの脱出、“金庫”からの窃盗と入れ子構造になっている。はたしてロッキーは無事現金を奪い脱出することができるのか、自由を手にすることはできるのか。

 

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物語前半は、幾重にも施錠され、窓も板打ちされた家に閉じ込められて、暗闇の中を逃げ惑い、追い詰められていくシチュエーション・スリラーで、その名の通り観客も息ができなくなる緊迫感。カメラワークも秀逸である。

盲目×犯罪サスペンスという設定は、テレンス・ヤング監督『暗くなるまで待って』(1967)やリチャード・フライシャー監督『見えない恐怖』(1971)でも使われているが、ここではオードリー・ヘップバーンのような麗しい婦人でも、ミア・ファローのようなか弱いレディでもない。リアル・ジョセフ・ジョースターとも称される筋骨紳士スティーブン・ラングが演じる“絶対死なないマン”である。

 

後半、迷路のようになった地下室の奥に、真の恐怖が隠されていた。異様な空間に拘束される女、彼女こそ老人の娘の命を奪い、事故を金でもみ消した張本人・シンディだった。しかしロッキーたちの逃亡劇に巻き込まれ、老人が放った銃弾によって女は絶命。狼狽え、慟哭する老人。いよいよロッキーは捕まえられ、マウントを取られて鈍器のような拳でバチボコ殴打されるシーンなど、観客は擬似レイプされているような無力感と絶望を思い知らされる。老人はシンディへの報復と、それ以上におぞましい、神をも畏れぬ“計画”を託していたのだった。

 

「神などいないと受け入れることが出来れば、人はなんだってできるものだよ」

 

レイプはしない、としながら、倒錯した禍々しい“計画”を今度はロッキーの体で謀ろうとする。レイプという心身に傷を負わせる惨たらしい行為をイメージさせながら、その上を行く惨憺たる行為を是とする老人の発想は狂気以外の何物でもない。しかしそうした思考に至る原因は、最愛の娘を奪われる事件とその罪をだれも償わないことによるモラルの崩壊、神の不平等であり、傷痍軍人である彼自身も社会的立場からいえば“被害者”なのである。貧困の連鎖に陥るロッキーもまた社会が生み落とした“被害者”であり、観客は頼るべき精神的な支え(憎むべき敵)を全て奪われる。

 

アレックスの救出によって、最悪の事態は免れ、ロッキーは単身脱出に成功。外に出れば一安心かと思いきや、まさかのイッヌ!演出もあるだろうが、これだけ獰猛で荒々しい犬を手配したことで盲目の老人に足りないスピード感がプラスされている。

そして冒頭の引きずりシーンに戻ってくる。恐怖には立ち向かうことができても、絶望からは逃れられない。家のリビングへと連れ戻され、アレックスの遺体の横で、今度こそ死を覚悟するロッキー。そのとき彼女の手には、幸運の象徴・テントウ虫が、そしてアレックスの手には…

すかさずセキュリティマシーンを稼働させると、警報音が鳴り響き、間近にいた老人はその超人的聴覚が仇となり大パニック。ロッキーは老人を地下へと転落させ、九死に一生を得るのだった。

 

翌日、妹を連れて空港を訪れたロッキー。そこで目にしたTVニュースで、老人は命に別状なく、すぐに退院すると知って、何か不穏な気持ちがよぎる。ようやく彼女たちがたどり着いた“目的地”には、自由が待っているのだろうか。

 

 

 

つっこみどころは無数にあるものの(冷凍保存庫、切り裂かれたパンツ、セキュリティの意味…)、それを補って余りある恐怖と胸糞を堪能できる濃密な88分間だった。

別名『最恐じじいのホームアローン』は伊達じゃない(嘘)

 

*1:サム・ライミらオリジナル制作陣、ブルース・キャンベル主演によるドラマ版『死霊のはらわたリターンズ』(2015~2018。第3シーズンで終了)がHuluにて配信されており、こちらは主人公の30年後を描くコメディ・ホラーの装い。1stから見比べてみても面白いかも?

アナタハンの女王事件

第二次世界大戦末期の動乱により生じた統治の空白地帯で起こった、島でたった一人の女性を巡って男たちによる殺戮が繰り返された事件である。
1972年にグアム島から横井庄一さん、74年にフィリピン・ルバング島から小野田寛郎(ひろお)さんが帰還し大きなニュースとなったが、軍人としてある種の英雄視さえされた戦争引揚者とは異なる文脈で注目を集めたのが、“アナタハンの女王”こと比嘉和子さんである。
 

■帰国

1951(昭和26)年6月、19人の男たちが米軍の船で帰国した。男たちは戦中に米軍の攻撃を受けてフィリピン海北マリアナ諸島の小島・アナタハン島に漂着した徴用船の船員と乗り組み海兵の生き残りであった。
終戦後、米軍機は拡声器などで投降を呼び掛けたが長らく「敗戦」を受け入れず、彼らは島で自給自足に近い共同生活を送っていた。ようやく達成された7年ぶりとなる奇跡の生還は日本中の耳目を集めた。
 
戦中戦後の動乱にあって帰還者たちを待ち受けていた現実も人それぞれであった。もはや“帰らぬ人”とみなされ墓を建てられており、苦笑いしながら自らの「墓参り」をする者もいれば、内地に残した妻がすでに別の男性と再婚しており悲嘆に暮れる者もあったという。殊更彼らに限った話ではなく、戦後まもなくはそうした事例は少なくなかった。
何より人々を驚かせたのは、「島には当初32人の男と1人の女がいた」が、その1人の女性を奪い合うようにして男たちが殺し合ったという告白である。
 

■日本の南洋諸島統治

地図だけ見ると「なぜこんな遠くに日本人が?」と思う方もいるかもしれない。かつてサイパン島など南洋諸島はドイツ領に属していた。第一次大戦後、国連が接収し日本が委任統治することとなり、次々と内地資本が進出した。しかし折しも世界恐慌のタイミングと重なって初期の進出企業は経営に行き詰まり、1000人規模の移民が取り残され飢餓に苦しんでいた。
1921年、松江春次は移民救済と南洋での製糖事業を見込んで準国策企業「南洋興発」を立ち上げ、沖縄からの入植者を増員してサイパン島テニアン島の開拓とサトウキビ農場経営を推進した。ニューギニア島スラウェシ島パラオポンペイなどへの進出、日本の移民政策と合わせて農業、鉱業、食品加工業、貿易など多岐にわたって事業拡大を続ける。
サイパン島は内地からの玄関口として栄え、南洋開発の一大拠点および太平洋戦線の要衝とされた。1930年代の従業員・家族らは約48000人に及び、南洋群島の全人口の約半数を占めるほどであった。南洋興発は“北の満鉄、南の南興”、“海の満鉄”などとも呼ばれ、1944年6月のアメリカ軍上陸まで継続された。
 

アナタハン

サイパンから北方117キロに位置するアナタハン島でも南洋興発によってヤシ園が営まれていた。上司にあたる比嘉菊一郎、技師の比嘉正一、和子夫妻と原住民従業員50名余が暮らしていた。戦火は周辺諸島にも広がっており、空襲被害をおそれた正一はバカン島へ親族を迎えに行くと言って島を離れたきり戻らなかった。やがて菊一郎と和子は夫婦同然の体裁で暮らすようになる。
44年6月、米軍の爆撃を受けた徴用船3隻の乗組員らが島へ漂着。漂着した漁業者、海兵ら30人は殆どが20歳前後の若い男たちであった。サイパン島アメリカ軍の手に陥落され、南興からの食料供給は絶たれた。米軍機が終戦を報せ、日本の占領を解かれたことを知った原住民らは島を去る。漂着した若者たちと島に居合わせた陸軍兵を合わせた「32人の男と1人の女」だけが投降の呼びかけに応じることなく島での共同生活を続けた。
年間を通じて気温差の少ない“常夏”の熱帯性海洋気候で一年中海に入ることができ、幸いにして海産物やヤシに恵まれ、若い男たちはイモの自作を行うなどにより自給自足を営むことができた。元の船団ごとに寝食を共にし、蛇やトカゲを狩って食べることもあった。明るく人好きな和子は男たちを惹きつけた。そのうち「和子と菊一郎は実の夫婦ではない、空襲で生き別れたらしい」と噂が立った。陸軍二等兵田中秀吉はその噂に危険を察知し、菊一郎と和子を避難させたがそれだけではことは収まらなかった。
 
46年、2人の船員が島に墜落したB29機の残骸から拳銃を発見する。その後、2人と不仲だった男が「木から落ちて」死亡したとされるも、目撃者は件の2人だけで遺体は始末されていた。2人は拳銃を手に菊一郎を脅迫し、和子の引き渡しを要求。和子は従ったが、復讐を恐れてか菊一郎は射殺された。菊一郎を殺した「第3の夫」も「第4の夫」に刺殺された。
しかし「夫」だけが和子と性交渉を持つことが許されていたという訳ではない。後に和子が語るには、夫がいる期間も「望まれれば誰とも密通」したと明かしている。彼女が性に奔放という見方もできるだろうが、それではなぜ奪い合いが起きたのか。はたして男たちの目的は肉欲以外にもあったというのだろうか。
不審死や行方不明が相次ぐ状況を改善しようと思案した秀吉は「会議」で和子の夫を取り決めようとした。しかし統治する権力のない無法地帯で、話し合いによる解決を求められようはずもない。誰しもが少なからず和子を我がものにしたいと思えども、夫になれば「島で唯一の女」を妬まれ命ごと奪われる。やがて彼らは諍いの元凶は和子だとして、究極の解決策「和子殺し」こそ生き延びる術ではないかと考えるに至った。
処刑の前夜、和子の寝床にオオタニワタリの葉に書かれたメモが投げ込まれる。
「スグニゲロ殺される」
和子は逃げのびジャングルへ身を潜める。33日後、米船を発見するとあらん限りに手を振った。1950年8月、和子は単身投降し、グアム島経由で11日に沖縄小禄飛行場へと送られ念願の帰国が叶った。和子の陳情などにより国政も動き、翌年男たちも帰還が実現した。

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帰還前にもサイパン島の引揚者などから、島で30人ほどの男と1人の女がロビンソン・クルーソーさながらの原始生活を送っていると風の噂は漏れ伝わっていた。だが帰還後、太田良博氏らによるインタビュー記事などにより島で男たちの闘争があったことが報じられると、和子は「アナタハン島の女王蜂」、いわば男たちを狂わせた魔性の女として好奇の目に晒されることになる。
帰国した同年には兵助丸一等水兵だった丸山通郎により『アナタハン』が出版され、あとがきの島内での死者への追悼の中に、「ひとりの女をめぐって若い情熱を傾け尽くして花火のように生命を散らしてしまった」といった表現があったこと、他の帰還者らは和子を巡る人間関係について多くを語ろうとしなかったことなどから、人々の関心は島内での男女関係へと向かうこととなった。翌52年、丸山は同じ出版社から海鳳丸乗組みの陸軍二等兵田中秀吉との共著『アナタハンの告白』を出版。世間の期待に応じるがごとく和子をめぐる死闘が多数あったことを伝えた。
戦後、島はアメリカの統治へと移った。戦争末期は文字通りの治外法権とみなされ「女をめぐる死闘」の罪は歴史の空白に埋もれることとなった。そのため犠牲者たちは喧嘩や事故で亡くなったのか、和子の奪い合いで殺しに発展したのかは捜査されておらず、生還者たちの証言しか証拠はない。
“女王蜂”の御姿を一目見んとブロマイドは飛ぶように売れ、和子は一躍時の人となったことを利用して飲食店経営などを行った。53年には自身が主演する映画『アナタハン島の真相はこれだ』が公開されている。内容や演技は酷評だったが、物語に関心を示したジョセフ・フォン・スタンバーグ監督により映画『アナタハン』が制作された。
しかし興行は振るわずブームが沈静化に向かうと、和子はストリップダンサーや仲居を勤めるなどした後、故郷沖縄へ帰り再婚した。子連れの夫とたこ焼き屋を営んだとされ、74(昭和49)年3月、52歳でその数奇な生涯の幕を下ろした。
 

■文学

19世紀に人気を博した冒険小説、似たようなシチュエーションの孤島漂着ものとして、児童文学者にしてSFの父とも称されるフランス人作家ジュール・ヴェルヌによる『十五少年漂流記』が広く知られている。その名の通り、オークランドの寄宿学生ら15人の少年たちが離島で力を合わせての冒険や知恵を絞って自治をしながら共同生活を送る2年間の物語となっている。
その派生形にして対極とされるのがイギリス人作家ウィリアム・ゴールディング『蠅の王』である。1911年、イングランド南端のコーンウォールで生まれたウィリアムは幼い頃から軍事基地を間近に見、教師となった後も海軍の志願兵としてノルマンディー上陸作戦などに参加した。2つの大戦と隣り合わせに生きてきた彼の作品の根底には、人間のもつ本能的な残酷さや倫理、「悪」に対する実存的関心が貫かれている。同作では未来の大戦下における孤島を舞台に少年たちの対立や憎しみ合いが描かれ、破滅的なエンディングを迎える。当然ウィリアムの意図として、物語を次なる「大戦」と重ねることを狙ったと見ることができる。
桐野夏生の小説『東京島』は、『蠅の王』やアナタハン事件をモチーフにした現代風の寓話で、孤島で男たちに求められる女性の生きざま・悲喜を描いている。こうした作品を実験的と捉えるか、リアリティを感じるかは読み手次第である。期せずして孤島に取り残されたとき、男たちの中に女一人になったとき、自分には何ができるのか。はたしてどんな行動が取れるのか。
 

■「女王」は存在したのか

『戦前昭和の猟奇事件』の著者で古今の事件史に詳しいジャーナリスト小池新氏は報道分析的手法により、「アナタハンの女王」の需要と供給のされ方を捉え直す。
小池氏は、和子が自己防衛のためか美化した内容を語っていたことを踏まえつつ、ブームも下火になりつつあった1952年12月10日号サンデー毎日に掲載されたインタビューが「最も彼女の本音に近いように思える」としている。和子はインタビューで、自分のために殺されたのは第三の夫ら「2人しかありません」と語り、「世間に広がっている話には多くの誤解と誇張がある」「自分は被害者」と述べている。
また和子らが「沖縄人」であったことから戦後の内地のニュース需要には沖縄蔑視の感情も含まれていたのではないか、そもそも漂着した男たちの側にも「現地妻に近い意識があったのでは」と述べる。更に女性差別的な視点として、戦争で女こどもを苦しめてきたことに対する男たちの呵責の念、自分たちがしてきたことに対する後ろめたさの表れだったのではないか、と鋭い指摘をしている。
男たち(あるいは「メディア」と言い換えてもよいかもしれない)にくすぶる戦争を止められず敗戦を招いた罪の意識が翻って、心なくも和子を「女王蜂」とすることで“被害者”意識を共有しようとした深層心理が働いていた可能性は大いにあるだろう。「自分は被害者」と訴えた和子の脳裏には、島で男たちに支配される側だった記憶があったのか、誤った報道や偏った需要のされ方による二次被害が思い浮かんでいたのか。
僅かながらの帰国後の顛末を見ても彼女が肉欲を以て男たちを従えた「女王」だったとは些か考えにくい。慰安婦のごとき滅私奉公と生き抜くための器量とが島で彼女の身を守るための唯一の術だった。物珍しい戦争奇談などではなく、その本質はやはり悲話にほかならない。生き延びることは人から非難されるような悪いことでは決してない。
ささやかながら和子さんのご冥福をお祈りしたい。
 

福岡市西区予備校生殺害事件

2016年、福岡県で発生した予備校に通う女性が襲撃された事件について記す。加害者は同予備校に通う少年で、以前女性に交際を申し入れたが断られたことが事件の発端になったとみられている。

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■概要

2016年2月27日20時50分頃、福岡市西区姪の浜6丁目の路上で近くの住人から「女性が男に襲われている」などと110番通報があった。被害に遭ったのは付近に住む予備校生・北川ひかるさん(19)。警官が駆けつけた時点で意識を失って倒れており、手には抵抗した際に掴んだとみられる短い頭髪が握られていた。すぐに病院に搬送されたが3時間後に死亡が確認された。

現場に逃げ回ったような形跡はなく、目撃者は男の唸り声と抵抗する女性の悲鳴を聞いていた。ひかるさんのショルダーバッグには財布などが手付かずで残されていたほか、付近に凶器とみられる全長20数センチのナイフ2本と手斧1本が落ちていた。男は馬乗りになって襲い掛かり、顔や首など上半身を中心に20カ所以上を刺したうえ、手斧で頭部を多数回殴打。防御創を含め全身の傷は59カ所にも上った。死因は出血性ショック死。

 

21時10分頃、現場近くの交番に自称福岡市中央区在住の少年(19)が「知人の女性を刃物で刺した」などと話して自首。少年は犯行直後に近くの川に飛び込んだと話しており、自殺を図ったとみられる。また両手から血を流し、指の付け根まで達する重傷を負っていたため病院で手当てを受けた。

当初、少年は被害者と同じ予備校に通っており「トラブルになった」「バカにされたと思った」などと動機の一部が報じられたため、被害者側にも少年に対してそれだけ強い恨みを抱かせる行動や落ち度があったのではないかとする見方もあった。しかし予備校の知人らによれば男女に交際関係はなく、親しい友人関係でもなかったことが明らかとなる。

 

■浪人生活

ひかるさんは中学時代には剣道部、高校ではダンス同好会で汗を流したほか、学業も優秀で生徒会長を務めたこともあった。学区外から熊本高校へ進学し、現役で九州大学に合格したものの第一志望の学部を目指すために駿台福岡校での浪人生活を選んだ。難関国立クラスを受講しており、センター試験を終えた後も二次試験に向けて集中授業にしっかりと参加していた。

当時は福岡市に住む大学生の兄と一緒に暮らしており、襲われた現場は自宅からわずか50メートルほどの距離だった。事件後の取材で、同居していた兄は「交際関係とか全くなかったので、そういうのじゃない」と語り、加害者とひかるさんとの間に交際関係があったのではないかとする見方を一蹴した。

 

事件当日の27日、ひかるさんは志望していた国立大の二次試験が終わった打ち上げを兼ねて、昼過ぎから予備校の友人ら合わせて6名で福岡市中央区天神の焼き肉店で飲食し、その後、カラオケ店で遊んだ。男4人女2人のグループには加害者となる少年も含まれていた。彼もひかるさんと同じ大学同じ学部を志望して予備校でも同じコースだったためである。

女性宅の最寄り駅である地下鉄姪浜駅(地下鉄天神駅から6駅目)の防犯カメラにはひかるさんよりも先に少年が到着していた様子が映っていた。少年は17時頃にカラオケ店でひかるさんたちとは別れ、先回りして姪浜駅待ち伏せていた。後頭部や背中にも傷があることから、帰宅途中のひかるさんを見つけて後をつけ、駅から北へ800メートル程行った住宅街で背後から襲い掛かったとみられている。

 

前年の2015年4月に二人は予備校で知り合った。同年齢で同じ熊本県出身者、親許から離れての予備校生活だったため共通の話題があったのかもしれない。5~6月頃にかけて、少年はLINEを通じて好意を伝えていたが、ひかるさんから「勉強に専念しよう」「友達でいよう」などと「言葉を濁され」、交際には至らなかった。夏に凶器とされたナイフ1本、年明けにも手斧とナイフ1本をインターネットで購入しており、襲撃の計画性を窺わせた。

後の公判で証人尋問に立った少年と同じ予備校の寮で生活していた友人は、夏頃にナイフを見つけて少年に問いただしたが「自分は頭がおかしい。人とは違う。(女性を)殺したい」と泣き喚き、「自分で捨てる」と言ってナイフを渡さなかったという。

二人に交際関係があった訳ではなく、少年が一方的に好意を募らせ、自分の気持ちを無碍にされたと感じ、一転して殺意に至ったストーカー殺人との見方が強まった。その後の調べにより、少年が自傷行為などを図り、メンタルクリニックに通院していたことも判明した。

ひかるは見事に大阪大法学部に合格しました。

他にも、ひかるは
明治大法学部、同志社大法学部、立命館大法学部の
3校にも合格することができました。

本当によくやってくれました。
ひかるは、とっても親思いの優しい子でした。
ひかるもきっと喜んでくれていると思います。
今回、ひかるが無事に大学に合格できたのも、
ひとえに、これまで
ひかるを支え続けてくれた学校関係者の皆様、
地域の皆様、ひかるのお友達、恩師など、
多数の皆様のおかげだと感謝しております。
本当にありがとうございました。

3月9日、ひかるさんに事件2日前に受験した第一志望をはじめ、各大学から複数の合格通知が届いていたことが公表された。遺族はあくまで合格の報告とねぎらいと感謝に終始した文面だが、合格しても入学できない無念さ、祝ってやれない悔しさを噛み殺しながら絞り出した言葉にちがいなく、読む者の胸を打つ。

 

3月初旬から少年が暮らした予備校の寮を家宅捜索、入院先での事情聴取が開始され、11日に逮捕された。尚、少年は第一志望には不合格だったとされる。予備校は加害者・被害者とも相談などは受けておらずトラブルは把握していないとし、ひかるさんについては「非常にまじめで模範的な生徒」とした一方、加害者については「個人情報」を理由にコメントを控えた。

少年の親は取材に対してノーコメントを通したため、少年に関する情報は多くないが、小・中学時代は野球に打ち込み、高校生になってからは柔道の私塾に通っていたことが伝えられている。取材に対して柔道教室の指導者は「優しい子ですよ。おとなしくて非常に真面目」と答えている。

福岡地検は少年の事件前後の行動から精神面が不安定だった可能性があるとして、3月28日から3か月間の鑑定留置を行い、刑事責任能力の有無などが調べられた(その後、約1カ月の延長が認められた)。7月24日、いくつかの発達障害の兆候は見られるものの刑事責任を問うことは可能との判断が下る。「起訴前」の捜査段階で被疑者だった元少年は20歳になっていたため、家裁送致なく成人として起訴された(新聞報道では留置延長前の6月時点で20歳表記とされている)。

 

2017年2月、被害者遺族は下のコメントを発表した。

「事件から1年となりましたが
 私たち家族の悲しみが癒えることはなく
 犯人を許す日は来ないと思います。
 裁判で一日も早く真実を明らかにしてもらいたい」

 

■裁判

2017年10月12日、福岡地裁(平塚浩司裁判長)で裁判員裁判の初公判。元少年の被告人・甲斐敬英は殺人、銃刀法違反などの罪に問われた。甲斐は罪状認否について間違いありませんと内容を認めた。その声はか細く、目を泳がせ、しきりに瞬きし、着席してからも落ち着かない様子だった。

検察側は、甲斐は被害者に交際を断られて以降、告白したことや自分の秘密を女性に言いふらされたと思い込んで苛立ちを募らせ、勉強に集中できないのは被害者のせいだとする考えから殺害を企てたと主張。事件5日前にも凶器を準備して待ち伏せしていたことや、遺体に59カ所もの傷跡があった執拗な犯行を指摘し、身勝手極まりない動機による計画的な犯行だと糾弾した。

弁護側は、甲斐は2015年夏頃から統合失調症を発症し、周囲からののしられる幻聴が続いて強い被害妄想を抱いていたと説明。犯行当時は心神喪失心神耗弱状態にあったとして量刑の減軽を求めた。起訴前に行われた精神鑑定では不十分だとして、弁護側は再度の鑑定を要請したが、却下されている。

被害者遺族も意見陳述に立ち、「ひかるの夢も家族の夢も、ささいな日常も一瞬で奪った被告を一生許せない。ひかるを返してくれ」「ひかるは合格の知らせを聞けなかった。おめでとうと言ってあげたかった。一生許すことはできない」と突然娘の命を奪われた憤りを訴え、極刑を求めた。甲斐は最終意見陳述で「ご本人やご家族に対して申し訳ない気持ちでいっぱいです」と謝罪を述べた。

 

10月31日、判決審。平塚裁判長は鑑定証言などを元に甲斐に精神障害があったことを認めた上で、犯行への影響は限定的だったとの判断を示した。犯行直後に自首するなど「善悪の判断は保たれていた」とし、数日前には大学入試の二次試験を受験するなど「行動制御の能力にも問題はなかった」ことなどから、犯行当時の完全責任能力を認定した。

「態様は執拗であまりに残忍。被害者の恐怖感、肉体的苦痛は甚大で、無念さは察するに余りある」「被害者は将来のある若さで突如、命を奪われ、遺族が厳しい処罰を望むのも当然。自首し、謝罪の弁を述べたことを考慮しても、同種事案の中でも重い部類に属する」と説明し、求刑懲役22年に対し懲役20年の判決を言い渡した。

控訴期限となる11月14日までに双方とも控訴せず、判決が確定した。

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遺族は代理人を通じて「娘に非がなかったということを認めていただき名誉を守ることはできましたが、娘が帰ってこないことに変わりはなく悲しみがぬぐえません」とコメントを発表。北川さんの友人は「被告には更生する機会があるが、ひかるに「これから」がないと思うとやりきれない。被告にはしっかり罪を償ってほしい」と話した。

 

■所感

熊本県下一の進学校出の才媛が、何の落ち度もなく唐突に命を絶たれた。福岡市中心街の有名予備校を舞台に始まった悲劇は、九州の若者たちを中心に大きな衝撃を与えた。同予備校ではカウンセラーを設置して生徒の心理面でのケアを図るなど対策に追われたという。

当時、加害者が19歳だったことから少年犯罪と見なされて実名・顔出しの報道は行われず、少年の保護者も表舞台に出てこなかったことから、報道は被害者と被害者遺族への同情を誘う内容へと傾いた。却って被害者のプライバシーばかりが晒される状態が続いたことで、「少年法」による加害少年保護への違和感は高まり、風当たりを強くした印象さえある。

 

弁護側が主張した甲斐の「統合失調症」について、一部に詐病を疑う声もある。本件のように殺害の外形事実を覆せない事案の場合、「心神喪失者の行為は罰しない。心神耗弱者の行為はその刑を減軽する」と定められた刑法39条に係わる刑事責任能力の有無が争点となる裁判は非常に多い。それゆえ弁護側の法廷戦術としての側面を感じさせなくもない。

判決では、甲斐に精神障害があることを部分的に認められたが、「幻聴や妄想については、時間が経ってから始めた供述で採用しがたい」と統合失調症を示唆する主張については却下されている。文面だけ見ると、さも統合失調症についての主張は後付けで行われたかのような印象を抱かせるが、逮捕直後から「私は統合失調症でして…」と供述を始める加害者はそうそういない。そもそも甲斐自身にその自覚はあったのだろうか。

メンタルクリニックで診療を受けた時期や当時の診断、適切な処置はあったのか、それとも通院当時は発達障害だけで統合失調症との診断には至らなかったのか。処方薬によってある程度制御された上で犯行が行われたのか、あるいは自らの意思で断薬したのか、熊本から福岡に転居したことを機に通院を辞めてしまった経緯などがあったのか。それらの詳しい事情は一切報じられない。

当然、病歴、薬歴は極めてプライバシーに関わる事柄ではあるが、裁判の争点とされる以上は追及や説明が為されて然るべきとも思う。責任能力の可否判断を下す裁判長だけでなく、症状などの程度が知れないあるいは症例への理解に乏しい裁判員にとっても、被告人の人格、心理状態と犯行を結び付ける上での重要な判断材料である。

仮に裁判の場で「詐病」が実在するならば、弁護人は差別や偏見の助長に加担することになり社会的道義から外れた下衆な法廷戦術だと言わざるを得ない。だが実際に凶悪犯罪を犯す人間の多くは、何かしらの精神障害に陥っている可能性が高いことも事実である。

平成30年度犯罪白書で10万人あたりの検挙率を罪種別に見てみよう。

「窃盗」

健常者86.39人/精神障害者23.01人

「強制性交等・強制わいせつ」

健常者2.96人/精神障害者0.82人

「詐欺」

健常者7.85人/精神障害者2.96人

「傷害・暴行」

健常者36.91人/精神障害者16.12人

と、ここまでは実数としては健常者の方が優に多い。

だが「強盗」では健常者1.35人/精神障害者1.28人と僅差となっており、「殺人」では健常者0.69人/精神障害者2.34人、「放火」では健常者0.46人/精神障害者2.16人と4倍近い差をつけて逆転している。

この結果から見えてくることのひとつは、人口比率から言えば精神障害者の犯罪傾向は高い数値であるということ。また殺人や放火事案でこれだけ多くの精神障害者が認められるのは、起訴前に精神鑑定が行われることが背景といえる。

だが殺人や放火でこれほど精神障害者の比率が高いのであれば、他の罪状では却って「低すぎる」との印象すら抱かせる。検挙者全員が精神鑑定を受けていれば、どの罪状も精神障害者の比率は罪状に偏りなく高まるのではないか、穿った見方をするならば「殺人」「放火」といった死刑に係わる重犯罪では精神鑑定を実施するが、他の罪状では精神障害が疑われる・見込まれる被疑者に対して充分な鑑定が行われていないことも予感させる。

精神障害者は凶悪犯予備軍だから危険だ、といった主張をする気は毛頭ない。本件内容からはやや離れてしまったが、開かれた精神鑑定により事件と精神障害の関連性はもっと論理化される必要があると考えている。先天的な発達障害、慢性的なストレス環境に晒されたことで生じる後天的なもの、強い衝撃により意識や記憶が改変・消失される一時性の症例まで千差万別には違いない。診断や刑事責任能力の線引きは明確に区分できるとは思えないが、一定の目安となる共通認識は構築できないものなのか(何かしらの区分ができればそれがまた新たな差別の助長につながる側面も懸念される)。

もしかすると本件加害者は長らく精神障害を抱えており、現役受検失敗のショックや生活環境の変化で大いに症状を悪化させたとも考えられ、起訴時には「元少年」になっていたが寮生活を認めた保護者の責任も感じざるを得ない。確認する術はないが、精神障害を抱えた少年との生活から逃れるために寮暮らしへと送り出したのではないか、とまで思えてしまうのである。元少年とてはじめから殺すつもりで誰かを好きになった訳ではなく、恋するために予備校を選んだわけではない。少女はなぜ命を奪われなくてはいけなかったのか、殺さずにいられないほど少年が追い詰められていったのはなぜなのか、残念ながら納得できる答えは存在しないように思う。

 

亡くなられたひかるさんのご冥福を祈りますと共に、ご遺族の心の安寧を願います。

石野桜子『同窓会のお知らせ(Yちゃんとの再会)』書き起こし(OKOWAチャンピオンシップ2019開幕戦より)

石野桜子

大阪NSC8期生、吉本天然素材初期メンバー。先輩芸人からのいじめやプライベートのトラブルを契機に2001年ごろ精神疾患を発症し、閉鎖病棟に入院。2011年R-1グランプリで復帰し、現在は活動をセーブしつつ野良の躁鬱病ピン芸人として、ネット番組おちゅーんLIVE、石野桜子の監禁Baby Reboot等に出演中。痔は手術済み。

 

OKOWA:OTUNE KOWAI OHANASHI WORLD ALLIANCE
怪談・都市伝説・講談・落語・裏実話・・・「怖い話」ならジャンルレス&プロ、アマ、性別、国籍、一切不問の1vs1タイマントークバトル!大阪発信のWEB番組・おちゅーんLive!が放つ、最恐王者決定トーナメント。「怖い話」を語る行為を、ひとつの技術と捉え、「話」としての怖さとともに、話者の「話術」「個性」までをも包括的に評価し、「今、最も怖い話を語る者」を明確にし「最恐」の称号とともにチャンピオンベルトを与える為の組織。

youtu.be

 

 私は、ちょっと精神疾患閉鎖病棟に入ってたんですけれども、面会に来るのは母親ぐらいでした。ただ、一人だけ友達がきてくれたんですよ。今日はその友人の話をします。

 

 

 

Yちゃんは、中学時代の同級生で、親友というほどでもなかったんですけども、好きな本とかの種類が一緒で、まぁ、楽しく話をしてたんです。

中学卒業してからは、あんまり連絡を…というか、全く連絡を取らなかったんですが、10年以上ぶりに家の留守番電話に声が入ってました。

“同窓会のお知らせ”でした。

 

入院してますから行けるわけがないんですね。でも折り返して、行けないよ、ってことは言おうと思って電話しました。

そしたらYちゃんがめっちゃ喜んでくれて、

「もうありがたいわぁ。みんな忙しいか知らんけど、あかんてことすら電話してけぇへんねん。ほんま助かるわ」って。

その声がもう朗らかで、言わんでええこと言ってしまったんです。今の私の状況です。重いでしょ、10年以上ぶりにそんなん言われたら。

でも、ほろっと「実は今ちょっと精神病棟に入院してんねん」って。そしたらYちゃん、「お見舞い来たい」って言ってくれて。

 

(いや、それは・・・)

当時私ね、10㎏以上太ってたんです。もちろん綺麗な服も持ってきてない。お化粧もしない。女の見栄もある。人間の見栄もある。

でも、「Yちゃんに会いたい」って気持ちの方が勝ってもうたんです。だから、つい面会の手続きを取りました。

もう当日は、後悔で、

(同窓会の話のタネをただ探りに来るんじゃないんだろうか)

(動物園に来るような気持ちで来るんじゃないのか)

(芸人が落ちぶれて…)

被害妄想で頭がパンパンなんです。

 

 

 

 でもYちゃんは、一瞬でそれを溶かしてくれました。

「石野さん、久しぶりやん」

「同窓会な、みんな忙しいから、なしになったわ」

「昔好きやった本持ってきたで。入院してたら暇やろ」

変に同情することもなくて、すごい助かったんです。

 

だから私、また甘えてしまって、

「私なぁ、自殺したくてここに居んねん。外に居ったら勝手に死んでしまうから、ここに閉じ込めてもらってんねん」て。

そしたらYちゃん、

「“死にたい”なんか私も思うよ。誰かて思うって。思うぐらいはええねんって」

めっっっちゃうれしかったんです。

だってね、みんな言うんですよ、“死にたい”なんて思ったらあかん、って…

だからもうそれが本当にうれしくて。

 

Yちゃんはそう自分が思ったとき、“日記”を書くんですって。もう思ったことをいっぱい書く。

「お父さんお母さん先立つ不孝をお許しください」みたいな、不謹慎かもしれへんけど、死にたい場所ランキング、死ぬときの状況ランキングとか書いてるうちに笑けてくる。

「だから桜子ちゃん、一緒にここで書こうよ」

そっからもう、きゃっきゃきゃっきゃ言いながら書いたんですよ。

そのときのことは、今思い出しても“幸せ”です。

なんか、“放課後”みたいでした。

 

でも、面会室ってそんな長いこと居られないんですね。

「そうや、これな、どうせ自分暇やし、清書して手紙で出してくれへん?」って住所教えてくれて、「これ、私一人暮らししてるから気軽に遊びに来てよ」。

「分かった、行くわ。手紙も出すわ」

 

バイバイって、そのときは楽しく解散しました。

で、私は看護師さんに頼んで、封筒とか買ってきてもらって、手紙を書いて出しました。で、「ありがとう!」ってまた留守電が入ってて。時間が経って、退院して、連絡して、その子のうちに遊びに行けることになったんです。

 

 

 

 昔から頭が良くてしっかり者の人だけあって、シンプルな綺麗な家で、一人暮らしにしては広いんですね。さすがやなぁ、と思って。なんか持っていったお菓子とか食べながら、またきゃっきゃきゃっきゃ言うて。

ああ、このままずっとここに居たいなぁ、って思ってたら、

「今日泊っていったらいいやん」て。

「泊まる!泊まる!」

 

で、トイレ借りたんです。

ドア開けたら、

(…別の部屋やった。ああ、失礼なことした)

って閉めようとしたら、中に、ふと、私の写真が見えたんですよ。

面会室きてくれたときに、2人で2ショットを記念で撮ったんです。

(飾ってくれてる!うれしい)

と思って、ちょっと中まで入って見てしまったんですね。

 

その写真は、2ショットを真ん中から切り取って、“私の方だけ”をボードに貼ってるんです。その隣に私が出した“手紙”が貼ってありました。

(んん~?)

その隣に、全然知らん女の人の写真が。それもどうやら2ショットをトリミングしてる感じ。で、その下にまた手紙。

 

 

 

言いようのない違和感が、腹から湧いてきて…

(いやいや、でも自分の写真を絶対飾りたくないって人は居る。私もどっちかといえばそうやから…)

言っても、拭えなかったんです。

 

だからってずっとそこにいる訳にもいかないんで、トイレ行って、お部屋に帰った。

 

Yちゃんが「遅かったなぁ。どしたん、迷ったん?」

正直に言うたらよかったんですけど、「いや、迷ってないよ」と言っちゃった。

 

そしたら

 

「もしかして、見た?」

 

「…見てないよ」

 

「ふぅ~ん・・・」

 

もう、この家帰らなあかん、て思いました。

もう言葉にできない恐怖感を感じて、(これは病人の妄想であろうと、今日は帰ろう、失礼であろうと…)と思って、

「ごめん、Yちゃん。具合が悪くなってしまった、だから今日は失礼する」

「ええ~、泊まっていってよ」って止めてくれるんです。

「ごめん、今度来たとき“必ず”泊めてもらうから…」って言って、鞄持って帰ろうとしたら、

Yちゃんがその鞄をガッと掴んで、

 

 

「なんでよ!全部!用意!してたのに!」

 

 

 

 

 

逃げるように帰りました。

 

 

 

この話は、これで全部なんです。

これで終わりなんですよ。

 

 

 

ただ、OKOWAに出るに当たって、Yちゃんのことを調べました。何もなかったらボツにすればいい。

そしたら、その時期、Yちゃんから“同窓会のお知らせ”が来た人は一人もいませんでした。

そして、Yちゃんの周りで、自殺者が多数出てました。

 

 

 

それで、やっと気づいたんです。

 

 

 

ああ、私、面会室で、“遺書”を書かされてたわ。

 

 

 

〈了〉

片岡健『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』感想

片岡健『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(2019、笠倉出版社)の感想など記す。

いわゆる死刑囚、無期懲役囚との対話本であり、読み切りやすいコンパクトな文量で8事件を取り上げており、重大殺人犯との距離感なども近すぎず遠すぎずバランスがとれていて、各事件の概略や裁判での争点、社会的影響や疑問点などもつかみやすい良書である。(死刑確定後は面会、手紙のやり取り等が原則禁止されるため、取材は係争中当時のもの)

平成監獄面会記 (サクラBooks)

塚原洋一さんの作画で『マンガ「獄中面会物語」』もリリースされている。(未読)

マンガ 「獄中面会物語」

 

著者・片岡健氏は1971年広島県出身のノンフィクションライター、フリージャーナリストとして新旧様々な事件を取材している。出版社リミアンドテッド代表。編著に『絶望の牢獄から無実を叫ぶ—冤罪死刑囚八人の書画集—』(鹿砦社)、『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』など。

note.com

YouTubeチャンネルdigTVによる連続シリーズ【和歌山毒物カレー事件の真相を追う】などにも出演されている。

www.youtube.com

 

■目次

多くの事件報道は捜査機関や関係者への取材、裁判の傍聴などの客観的な取材が主流であり、「犯人の身勝手な主張をそのまま伝える」では報道にはならない。とはいえ、警察が伝える公式・非公式な情報、家族や近隣住民が知る人物像だけでなく、「凶悪犯」とされる人物の肉声を聞きたいというのも事件の真相究明を願う人々の本望である。

まえがきで片岡氏は「会えるなら、できるだけ会いたいといつも思っている」「だれもが知っているような有名事件であっても、犯人本人に会ってみないと分からないことが必ずあるから」と殺人犯たちの実像に迫る上でのこだわりを述べている。

筆ぶりからは法権力に対して前のめりに疑ってかかるような姿勢は見受けられないが、40名近い面会体験を通じて通常の報道では削ぎ落されてしまう捜査体制の問題点、少年凶悪犯や刑法39条の法倫理的課題、捜査当局や司法の根幹に係わる「冤罪」の疑惑まで丁寧にキャッチアップしている。より真実性を追い求めて犯人と対峙する姿勢は、裏返せば「凶悪な犯人像」を分かりやすく「編集」してお茶の間に提供する類のメディアに対する批判精神をも伴なう。

 

元厚生事務次官宅連続襲撃事件(平成20年)—「愛犬の仇討ち」で3人殺傷

小泉毅

相模原知的障害者施設殺傷事件(平成28年)—19人殺害は戦後最悪の記録

植松聖

兵庫2女性バラバラ殺害事件(平成17年)—警察の不手際も大問題に

高柳和也

加古川7人殺害事件(平成16年)—両隣の2家族を深夜に襲撃

藤城康孝

石巻3人殺傷事件(平成22年)—裁判員裁判で初めて少年に死刑判決

千葉祐太郎

関西連続青酸殺人事件(平成19~25年)—小説「後妻業」との酷似が話題に

筧千佐子

鳥取連続不審死事件(平成16~21年)—太った女の周辺で6男性が次々に…

上田美由紀

横浜・深谷親族殺害事件(平成20~21年)—無実を訴えながら死刑確定

新井竜太

いずれも凶悪事件には違いないのだが、執拗な残酷描写や犯人の偏執的な側面ばかりにクローズアップして貶めるようなこともない。いわゆるゴシップ誌にありがちな金やセックス、犯行の異常性で読み手の妄想を刺激するような煽情的な書き方は抑えられ、書き手の良識やバランス感覚を窺わせる。各事件のブリッジに付されたコラムも短いながらも凝縮された内容で“食後のデザート”のように味わい深いので、事件マニアでない方にも読みやすい一冊かと思う。

以下、忘備録も兼ねて簡単に各事件に触れておきたい。

 

■元厚生事務次官宅連続襲撃事件

2008年11月18日、さいたま市南区で元厚生事務次官だった夫とその妻が自宅で刺殺体となって発見される。その夜、約13キロ離れた東京都中野区で同じく元厚生事務次官の自宅に宅配便を装った男が押し入り、在宅していた妻が包丁で襲われて瀕死の重傷を負った。

当時、社保庁年金記録に膨大なミスがあることや不正流用などが取り沙汰されていたことから、在職時に年金行政改革に携わっていた両氏を立て続けに狙った「年金テロ」ではないかとする見方が強まった。

しかし同晩、凶器の包丁を持参して小泉毅(46)が自首。「34年前、保健所で殺された家族の仇討ちだった」と真相を語った。保健所による動物の殺処分は厚生省管轄の狂犬病予防法が法的根拠になっている。とはいえこどもの頃に愛犬を殺処分されたことの、いわば逆恨みというべき犯行理由は容易には受け入れがたい。

著者は小泉との対話、生い立ちから襲撃計画までを丹念に調べ上げ、その主張は本意であると結論付けている。さらに「私が殺したのは、人ではなく、心の中が邪悪なマモノである」と言い切る小泉の独自の論理に、動物愛護の側面から共鳴する支援者がいることに驚きを滲ませる。社会における善悪の基準とは何なのか考えさせられる事案である。

 

■相模原知的障害者施設殺傷事件

意思疎通のできない障害者を「心失者」と呼び、死刑も覚悟の上で犯行に踏み切ったと語る植松聖。2016年7月26日未明、かつて勤務先であった神奈川県相模原市の知的障碍者施設「津久井やまゆり園」を襲撃し、入所者19名を殺害、施設職員を含む26名に重軽傷を負わせた犯人は、Twitterでの「世界が平和になりますように。beautiful Japan!!!!!!」という犯行声明と自撮り画像の投稿、警察車両で移送される際に映された不敵な微笑みによって、身勝手な論理を振りかざす差別主義者のようなイメージを先行させた。

片田珠美氏の著書『拡大自殺—大量殺人・自爆テロ・無理心中』でも指摘されたように、自分の人生がうまくいかないことに対する社会への恨みを、障害者への差別感情へと投影した「拡大自殺」の側面が極めて強い事件である。また当時ドナルド・トランプ前大統領やイスラム過激派ISILからの強い感化を認めており、「心失者の安楽死」のほか「大麻解禁」「美容整形の促進」など独自のマニフェストのような考えを主張し、犯行直前には政治家の賛同を得ようと直訴していた。

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自己愛性パーソナリティ障害と診断された植松について、片岡氏は「美」に対する執着と自身への強い劣等感を読み取る。肥満や障害者に対して強い差別感情を露わにする一方で、著しく自己評価も低い側面を指摘している。漫画家の母親を持つ植松は個性的な絵画を描くことでも知られる(一時期はタトゥー彫師に憧れていた)が、獄中で描いた「心失者」のイラストは、男が障害者に対していかに強く「醜」を感じ、おぞましいほどに嫌悪していたかが伝わってくる。

 

■兵庫2女性バラバラ殺害事件

2005年1月9日、兵庫県相生市の溶接工・高柳和也(39)は自宅で交際相手の女性(23)と口論になった末にハンマーで頭を殴り、その場に居合わせた女性の友人も口封じのため撲殺した。風呂場で2人の遺体を解体して姫路港や上郡町の山中に遺棄した。当時のメディアは、高柳が2001年に交通事故で母子を死亡させて実刑判決を受けて仮出所からすぐの犯行だったといった凶悪性、事件性を見過ごした姫路署の捜査怠慢や被害者情報に関する虚偽のリークを行った等の対応を糾弾した。

「かんたんなことばだとわかるけど むずかしいことばはわからない(IQ63)」

高柳の手紙は知的障害を窺わせる内容で、会えば発話コミュニケーションにも難がある。実家は汲み取り便所で被害者の実家よりも小さく、女性が「資産家の息子」と言われて信じていたとは考えにくい。判例を具に確認していくと、被害者は「資産家の息子」を騙る高柳に騙されているフリをして金銭を要求し、果てには暴力団員の伯父の名を出して逃げられないよう追い詰めていったと弁護側は情状の余地を求めていた。

高柳は身分の詐称や殺害、死体遺棄については認めながら、知的障害であることを当局に利用され、思うままに調書がつくられてしまったと訴える。滋賀県・湖東記念病院の呼吸器取り外し事件でいわゆる「グレーゾーン」の西山美香さんが取調官に誘導されてやりもしない犯行を認めてしまった冤罪事件と根幹は近しいように思う。「殺人犯は死刑で当たり前」と考える方もいるかと思うが、捜査当局はどんな手を使ってでもホシをあげることに躍起になる。捜査の目的が事件の真相解明ではなく「凶悪犯づくり」になると危惧される。

 

加古川7人殺害事件

2004年8月2日未明、兵庫県加古川市に住む藤城康孝(47)は同じ町内の親族ら2家族7人を金づちと骨すき包丁(牛刀)で次々と殺害し、1人が瀕死の重傷を負った。犯行後、自宅にガソリンや灯油を撒き放火して現場を後にする。車を壁に激突させ、助手席シートに火を放つなど自殺を試みるが、車内のガソリンに引火して驚いて車から飛び出したところを身柄確保される。大やけどの治療後に逮捕という流れは後の京アニ事件を思わせる。

片岡氏が面会したのは事件から9年後の上告中で、「職員からのいじめ」で精神的苦痛を受けており取材は辞退したいと一度断られ、その「いじめ」について聞かせてほしいと願い出てようやく実現した。その内実は職員の通常業務や規範行動が、藤城にとってはいやがらせや監視に感じるらしい、いわば典型的な被害妄想に苛まれている状態だった。そもそもの事件の動機も、藤城が子どもの頃から「本家」にあたる伯母や近隣とのトラブル(盗み聞きや悪口を言われたり、暴力を受けたりした)により「積年の恨みを晴らすため」とされたが、周辺住民からは10数年前から藤城が投石や迷惑行為を繰り返しているとして警察に相談しており、3度の精神鑑定でも妄想性障害を指摘されている。

刑法第39条に照らし合わせれば、「心神喪失者の行為は罰しない、その刑を減軽する」とされ、藤城の状態や鑑定結果を踏まえれば減刑されてもおかしくない。しかし一審神戸地裁・岡田信裁判長は、「精神障害ではなく、人格障害の特徴を有していたにすぎない」と藤城の完全責任能力を認め、死刑判決を下した。責任能力の判断は裁判官による専権事項とされており、精神鑑定の結果と齟齬が生じていても問題がない。裁判員制度導入前の最後の死刑囚となったが、はたして裁判員裁判であればその結末は変わったのであろうか。2021年12月21日死刑執行。

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石巻3人殺傷事件

2010年2月、DV被害のため宮城県石巻市の実家に逃げのびた少女(18)を追って、交際相手の無職少年(18)が連日押しかけ、10日早朝、少女を匿っていた姉、姉の友人女性を牛刀で殺害、姉の交際相手である男性も説き伏せようとしたが重傷を負わされ、少年は交際相手を車に押し込んで逃走。その後、市内で未成年者略取誘拐の現行犯で逮捕され、3人の殺傷についても立件された。逃走中には同伴させていた後輩少年に罪を着せ、少女にも口裏を合わせるよう指示していたとされる。

少年少女とも学校に通っておらず、赤ん坊を授かったが定職に就いてもいなかったこと、少年自身も被害者であり加害者ともなったDV、過去の暴走行為、周囲は交際や出産に難色を示していたことなどから、非行少年の暴発的犯罪としてメディアは報じた。

2014年8月に面会の際、23歳になっていた千葉祐太郎は事件当時の記憶がないと言って片岡氏を驚かせる。しかも知り合って1カ月ほどだった後輩少年に盗んでこさせた「牛刀」は殺害のためではなく抵抗された際に「脅すつもりで」用意した、そもそも殺し目的で向かうのであれば後輩少年だってのこのこ付いてくるはずがない、と主張する。取調べでは当時の状況を語ることができず、被害者遺族の極刑を望む訴えを受けて「殺すつもりで」押し入ったことにされてしまったという。彼の弁護士も殺傷の事実は認めているが、その経緯については大きく事実誤認があると見ている。

千葉いわく、少女の姉に通報された途端に頭が真っ白になったという。2度の精神鑑定では千葉は情動行為(憤怒や不安などから突発的に起こる情動の運動性爆発で、本人の判断の余地なく遂行される)が指摘されており、意識障害による記憶の欠損も認められ、弁護側が行った臨床心理士の鑑定では解離性障害に陥っていたとの意見もあった。

千葉の犯行当時の凶暴性を供述したのは、同伴していた後輩少年だった。しかし彼自身も千葉の控訴審で、捜査官から「被害者の気持ちを考えろ」と圧力を掛けられて一審では事実とは異なる(検察の主張に沿った)証言をしてしまったと内実を明かしている。裁判員裁判における初めての少年事件で死刑が確定したことで知られる本件だが、検察側は裁判員を味方につけるためのある種の印象操作を行ったと言ってもよいのではないか。

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が、当然のことながら一審での「事実」認定が覆るはずもなく、2016年に死刑確定。その後も「事実」認定の見直しを求め再審請求が行われているが、2021年10月、最高裁への特別抗告は棄却された。

 

■関西連続青酸殺人事件

2014年、4人の夫や交際相手らが次々と不審死を遂げ、10億円以上に及ぶ多額の遺産を手にしたとされる女が注目を集めた。取材に対して「私は人を殺すようなアホな女やないです」と言い返す筧千佐子(逮捕当時75)を、メディアは黒川博行が著した小説『後妻業』に擬えて「後妻業の女」と呼んだ。複数の高齢者向け婚活サービスに登録し、年より若く見える装いや貞淑な考え、男心を掴む仕草で多くの同世代男性を手玉に取ったとされる。

京都府警は青酸化合物を用いた3件の殺人および重篤な青酸中毒に陥らせての強盗殺人未遂の疑いで逮捕、起訴。2017年に京都地裁で行われた裁判員裁判ですべて有罪とされ死刑判決が下された。

 

片岡氏が面会を始めたのは死刑判決直後である。逮捕前から筧に取材を続けていた記者からは、逮捕後に認知症が進行したと噂され、公判中も供述に激しく変遷があることが伝えられていた。最初の結婚から20年ほどして夫が病死して失くして以降、大阪で印刷会社を一人で切り盛りしたが50代半ばで廃業。一男一女のこどもたちも巣立った後、婚活に励むようになった、印刷業で使っていた青酸化合物を手元に残して。

認知症患者の記憶は子ども時代のことでもときに鮮明になったり、数分後には全く逆の内容を語り出したり、あるいは全く別の出来事や人間と取り違えていたりと、聞き手を非常に困惑させる。聞き返すとまた別のことを言い出したり、取り繕ってその場しのぎの(すぐばれるような)言い訳をしたりする。しかも詐欺師のように騙そうという意図や、他人の目には自分がこう映るはずだといった深慮もなく、何のてらいもなくそうした言動を行う。

片岡氏の問いに対して、女は「殺したのは筧さん(最後の夫)だけです」と声を荒げ、殺す理由がないとして他の犯行を否定する。それは一見すると認知症による事実誤認のように見える。だが突飛な見方をすれば、彼女にとっては一人目も二人目も三人目も区別がなく、初めの夫とは別の「男」を殺して金を奪うという意味で一度きりのことと認識されていたのかもしれない。同じような犯行を繰り返していたのではなく、いつからか認知症を患った彼女が認識できたのは「筧さん」だけだった可能性もあるのではないか。

片岡氏は「認知症により、これらのこと(筧さん以外に対する犯行)を全部忘れてしまったのか。それとも元々、人を殺すことや嘘をつくことに罪悪感を一切覚えない人間なのか」、「悪人というより何か重篤な精神医学的な問題化、心理学的な問題を抱えた人物なのではないかと思うようになった」と、筧のサイコパシーな性質なのか認知症の影響なのか見定められずに当惑を示している。

 

鳥取連続不審死事件

2009年、「毒婦」と呼ばれた2人の女が注目を浴びた。周囲の4人の男性が不審死した首都圏連続不審死事件の木嶋佳苗(34)と周辺で6人の不審死が疑われた本件の上田美由紀(35)である。ふたりは共に美人とは見なされがたい肥満体で、なぜ男たちが彼女に金を貢いだり騙されていたのかと人々に下世話な関心を抱かせた。

虚飾に塗れた生活をブログで綴っていた木嶋とは対照的に、上田は2度の結婚やいくつかの同棲を経て、内縁の男性(46)と5人のこどもと共に「ゴミ屋敷」状態の平屋アパートで暮らしていた。上田は男と共に働いた多数の詐欺や窃盗と、男性2人の殺害容疑で逮捕、起訴される。殺害については否認したが、2012年12月に全て有罪とされ死刑判決を受けた。

2人の男性は上田との間に金銭トラブルを抱えており、亡くなる直前には現場となる海や川へ上田と一緒に向かったことが確認されていた。遺体からは共に睡眠薬が検出されており、一緒に軽食をとっていたことも明らかにされた。

片岡氏によれば、上田は前項の筧千佐子と趣きがやや異なる意味で自らの冤罪を訴えることが指摘されている。手紙では礼儀正しく、性格がよさそうな文章が綴られ、会えば褒め上手で、とても嘘を言っているとは思えない表情で「息をするように嘘をつく」人物と評され、「嘘をよくつくが、嘘は決してうまくなかった」とたしなめられている。虚言癖は、劣等感が強くプライドの高い性格、努力は続かないが他人に認められたい欲求、孤独や寂しさから周囲に構ってほしい承認欲求などと表裏一体にある。被害に遭った男たちは、女を愛していた訳ではなく、憐れんで捨て置けない気持ちに付け込まれてしまっていたのかもしれない。

 

■横浜・深谷親族殺害事件

2009年8月、埼玉県深谷市に住む男性(69)が一人暮らしの自宅で包丁を刺されて死亡しているのを知人から通報を受けた警察官が発見する。県警は交際相手らの証言から高橋隆宏をマークし別件逮捕で殺害について追及した。半年間に渡って再逮捕と起訴を繰り返し、2010年6月にようやく高橋は自白を開始する。しかし殺害について認めたものの、首謀者は3つ年上の従兄弟・新井竜太だとしたため、殺人容疑で揃って逮捕される。

調べを進めると、2008年3月、戸籍上は高橋の養母にあたる女性(46)が新井の母親が経営する内装工事会社兼自宅の浴室で溺死しており、3600万円の死亡保険を受け取っていたことが判明する。高橋は出会い系サイトで知り合った女性たちに売春などをさせてヒモ暮らしをしており、彼女も「金づる」のひとりだった。高橋は本件についても新井の指示で保険金目的で殺害したと自供。新井は男性殺害に使用された凶器や「事故死」した女性にかけられた保険などに深く関わっており、高橋の「自白」に強く裏打ちされて共犯を確実視されてしまう。

公判で高橋は反省の態度を示して無期懲役となり、対照的に新井は無実の訴えが「不合理な弁解に終始し、責任逃れに汲々としている」と悪印象を招いて死刑判決が下される。詳細は本書や片岡氏の記事でご確認いただきたいが、裁判資料の調べや新井の釈明、高橋からの返事の手紙を踏まえ、高橋が苦し紛れに新井を首謀者にでっち上げた冤罪事件だと氏は確信している。