いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

京都アニメーション放火殺人事件

京アニ」の愛称で知られるアニメ制作会社「京都アニメーション」のスタジオが放火され、社員ら68名もの死傷者を出した事件。戦後最悪の犠牲者を出した未曽有の惨事は国外にも知れ渡り、人々を震撼させた。

www.kyotoanimation.co.jp

 

事件の発生

2019年7月18日(木)午前10時半頃、京都市伏見区桃山町にあるアニメ制作会社・京都アニメーション第1スタジオでドーンという爆発の轟音が響いた。近隣住民がすぐに消防に通報。10分後には第一放水が開始され、周囲一帯は煙に包まれた。

建物の周囲には負傷した社員ら35人が退避しており、生存者は「出火当時、社内に70人はいた」と説明。放水開始から12分後、救助隊員が内部捜索と救助に向かった。

スタジオは三階建てで、一階が事務所、二階と三階が制作フロアになっていた。一階では2人、二階で11人の遺体を発見。しかし吹き抜けの螺旋階段は高熱のガスや煙が充満しており、すぐに三階へ上がることはできなかった。後の現場検証で、一階の螺旋階段近くで起きた爆発により高温のガスが一気に上階へと充満して燃え広がる「煙突効果」が発生していたとされる。

ようやく三階に入れたのは約1時間後で、螺旋階段の屋上付近で折り重なるように20人が息絶えていた。人々は階段を下りることができず、上に向かったが屋上に出る扉が何らかの事情で開かなかったため取り残されたものと見られている。

3フロア延べ約700平方メートルが全焼し、搬送後に亡くなった犠牲者を含め、最終的に死者36名、重軽傷者33名の大惨事となった。全員の救助・搬出が完了したのは21時12分。完全な火災の鎮火が確認されたのは翌19日6時20分であった。

火災発生直後、スタジオから100メートル離れた民家のチャイムを押して、玄関先で倒れている男が発見された。赤いTシャツにジーンズ姿、裸足で手足は皮がただれて血まみれだった。

男は火を放ったことを認める供述をし、全身やけどで瀕死の状況ではあったが警官に問い質されると僅かに応答した。男は、埼玉県見沼区に住む職業不詳、青葉真司(当時41歳)。

警察「なんでやった?言わなあかんで、頑張って言え」

青葉「パクられた

警察「何を?」

青葉「小説

警察「何で火を点けたんや?」

青葉「ガソリン」

----

警察「あそこは知っているか?火を点けたところ」

青葉「知らねえよ」

警察「全く関係ない所やらんやろ」

青葉「お前ら知ってるだろ」

警察「頑張って言え!言う責任がある」

青葉「お前らがパクりまくったからだろ、小説

警察「何人も怪我している。言わなあかん」

青葉「全部知ってるだろ…」

男は市内の病院に搬送されたが重篤な状態に陥り、直接の取り調べは打ち切られた。

その後、男が京アニの内部関係者ではないこと、2016年に小説コンクール「京アニ大賞」に2回応募して落選していたことなどが判明。携帯電話を解析したところ、2016年から約2年半で「京アニ」について少なくとも2539回もの検索履歴が確認され、掲示板サイトや京アニのサイト上に殺害予告などを繰り返していたことが明らかとなる。

京都府警は、落選した男が作品の内容を盗用されたと思い込むようになった筋違いの逆恨みが放火事件の動機だったと見て調べを続け、容疑者の回復を待った。

 

「死に逃げはさせない」

火災発生当初からガソリンを使用した放火が疑われたが、男の目的や被害状況がはっきりせず、国民は報道を待つより他なかった。とりわけ全国の京アニファンは、生存者・犠牲者がはっきりと伝えられない事態に一層の不安と焦燥感を募らせていた。

 

7月20日、青葉は大阪・近畿大学病院へと救急ヘリで移送された。同院は高度熱傷治療に対応できるとして、被害者の転院受け入れが可能である旨を伝えていた。しかし被害者の転院依頼はなく、唯一「診てほしい人間がいる」と頼まれたのが全身の93%に火傷を負い、意識不明に陥っていた容疑者・青葉真司だった。

主治医となる重度熱傷治療のスペシャリスト・上田敬博教授は、19日に青葉の話を聞かされたときのことを「人としての原形をとどめておらず、『こいつがたくさんの命を奪った犯人か』という陰性感情はなく、もうすぐ絶命するだろう…それしか感じなかった」と手記に綴っていた。予め京都府警にも「ご期待には応えられないと思います」と伝えていたという。

だが同時に上田教授の胸中には「助かる見込みは薄いが、この人を助けないといけない」という思いも湧き上がっていた。犯人をそのまま死なせてしまえば事件の真相は闇になる、犠牲者や存命の被害者、その家族のためにも犯人を「死に逃げ」させないという強い使命感が去来した。深刻なダメージから導かれた当初の予測死亡率は97.45%と試算されるなか、担当する医療チームを鼓舞し、懸命の治療を施した。

血流障害で壊死した皮下組織をそのままにすれば全身に毒が回ってしまう。まず壊死した組織を除き、コラーゲンなどでできた人工真皮を被せる。その後、更に表皮の部分にはわずかに残った正常の皮膚から自家培養させてできた表皮を被せなければならない。男が腰に巻いていたウエストポーチが奇跡的に「8センチ四方」の健常な皮膚を保護しており、そこから急ぎ表皮培養が行われた。

患者の体力を考えると一日にできる作業は3時間。血圧や体温の低下を避けるため、「28度の温室状態」で手術に臨まねばならず、医療チームはその熱さで集中力の限界だった。表皮の培養まで3~4週間かかり、その間も血圧の維持や感染症対策など常に気を配らねばならない切迫した状況が続いた。

取材陣も殺到し、上田教授自身も平時の大手術とも異なる精神的重圧が重なったに違いない。絶え間ない極度の緊張と疲れから強迫神経症や錯覚症状を起こし、気づけば部屋とICUを2時間おきに往復する不眠症の日々が続いていたという。

だが予後のトラブルを持ちこたえ、皮膚の培養、移植手術も成功し、患者は快方へと向かった。しばらくして呼吸器具を発声可能なものに付け替えると、包帯だらけの男は「もう二度と声が出せないと思っていた」と言いながら一日中泣いていたという。男ははじめから自死の覚悟をもって犯行に及んだわけではなかったのである。

一方で、リハビリが開始されると「意味がない」「どうせ死刑」などと投げやりな態度を見せるようになり、食事にも不平を漏らした。だが主治医に「私たちは懸命に治療した。君も罪に向き合いなさい」と諭されると、医療スタッフへの感謝を述べたり、「道に外れたことをしてしまった」と事件への後悔を語ることもあったという。

 

11月14日、緊急医療処置を一通り終え、当初の入院先だった京都第一赤十字病院へと転院。見送りに来た上田教授が「もう自暴自棄になったらあかんで」と青葉に声を掛けると「今までのことを考え直さないといけないと思っています。すみませんでした」と反省の色を見せたという。

上田教授は青葉にあくまで一患者として向き合い、己の人生を卑下することなく生きることを求めた。「事件を起こさずに済んだかもしれない」可能性に気付かせ、「後悔させる」ことこそ悔い改めさせることにつながるのではないかと語る。

「助かった命のありがたさを感じると同時に、迫りくる死の恐怖に日々おびえることになるだろう。それがさらに命の尊さを認識させるに違いない」〔青葉転院後の手記〕

 

容態悪化やコロナ禍の影響によって予定はずれ込んだが、緊急事態宣言の対象から外れた2020年5月27日、一定程度に回復して取り調べにも耐えられるとの判断から、京都府警は現住建造物等放火・殺人罪などの容疑で青葉を逮捕し、身柄は伏見署に移送された。事前の任意聴取で、青葉は「一番人が多い第1スタジオを狙った」「自宅を出たときから殺意があった」などと計画的犯行を認める供述をした。

勾留手続きを終えると、医療設備の充実した大阪拘置所へと移送された。

 

報道と反応

巷間では、多くの犠牲を生んだ加害者に特例的な延命治療を施すことに対して大いに異論が湧き起こった。多くの被害者が命を落とし、加害者が「奇跡的な延命」を果たすことに人々は報復感情をむき出しにした。正式な逮捕を待たずして極刑を望む声も盛んに聞かれた。「犯罪者を優遇するな」「自爆覚悟の“無敵の人”を助けてどうなる?」「生かす価値などない」と。

そうした声は医療スタッフ内にも動揺を与え、自分たちの治療行為が何の役に立つのか、人々が望まないことをしているのではないかと自問自答が繰り返された。

 

府警は従来の殺人事件と同様に、被害者の実名公表を原則とした。しかし京アニ側は24日までに、報道により被害者や遺族のプライバシーが侵害されるおそれがあるとして実名公表を控えてほしいと要望した。府警によれば、当初21遺族が実名公表を拒否していたとされる。

府警は遺族、警察庁とも話し合いを行い、公表時期を慎重に検討。先に公表を承諾した10名の実名を8月2日に公表する。残る25名については、全員の葬儀終了を待って8月27日の公表となった。

突然もたらされる信じがたい家族の訃報によって犠牲者の家族が受ける心痛は計り知れない。「遺族」としてカメラの前でその胸中を晒すことなど思ってもみないことであり、事件の大小にかかわらず、現実を受け容れるために心の整理はつけるのは難しい。

 

注目度の高さによりメディアスクラムが懸念される中、報道各社も事前に対策や自主規制を協議していた。取材拒否の場合にはその意向を共有・尊重する配慮や、なるべく各社まとめたかたちで代表者による取材を行う方針を確認。NHKや全国紙各社は実名公表を行った。マスコミ各社は実名報道の理由として、事件の重大性、事実関係の正確性を期すことや、失われた命の重さを説明した。

一部スポーツ紙などでは実名・匿名の対応が分かれ、立場の異なるジャーナリストたちもその賛否について考えを求められた。1985年に起きた日航ジャンボ機墜落事故では、死者520名、生存者4名の実名・年齢・顔写真などを公開され、後に亡くなった方々との思い出が語られる報道も多くあった。その一方で、たとえば山梨キャンプ場女児行方不明などでは不明女児の家族がネット上で「私的な」冤罪被害に遭ったことは記憶に新しい。

元通信社記者の浅野健一氏はさる冤罪事件をきっかけに実名報道に疑問を持ち、日本では警察発表をそのまま報じているだけで、マスコミは報道基準を丸投げしており、そもそも実名を伝える必要はないと主張している。たとえばスウェーデンでは、被害者、容疑者とも一般市民は原則匿名で報道しており、かたや公人や大企業役員などの不正などでは実名報道を基調とし、メディアの権力監視の役割に支障はないという。報道の基準はメディアが負っている。

インターネット上の市民からも匿名を求める遺族の意志も尊重されるべきだとする声が上がり、署名サイト「Change.org」では「犠牲者の身元公表を求めない」署名活動も行われた。一方では死者を悼む意味でも名前が公表されることを望む人々の声もあり、マスコミの実名報道は物議を醸した。

遺族で唯一会見に臨み、実名を公表した石田敦志さん(享年31歳)の父親は、「決して“35分の1”ではなく、ちゃんと名前があり、毎日頑張っていた。“石田敦志”というアニメーターが確かにいたということを、どうか、どうか忘れないでください」と語った。

その後、読売テレビで組まれた報道ドキュメント番組では、公表を拒否していた遺族の「心を落ち着けようとしているときに、むやみに扉をノックするのは辞めてほしい。そっとしておいてほしい気持ちが分かっているならばどうして実名報道をしたのか」とマスコミに対して批判的コメントを取り上げた。

また2004年に長崎で起きた佐世保小6同級生殺害事件では、被害者の父親が当時支局長でもあった。父親は「(普段は)会見を求める立場だから、逃げられないと思った」と会見に臨んだ際の板挟みになった心境を吐露しており、社内の人々もその胸中を察して家族を支えたという。父親は事件後の手記に「ニュースや記事で名前や写真が出ると、事件のことを突き付けられるような感覚になります。勝手なことなのですが、『もう名前や写真を出さなくてもニュースや記事として成り立つのでは』と思ってしまいます」と、「遺族」の思いを綴っていた。

 

被害者遺族の感情やプライバシーは当然守られるべきであり、こうした大事件における報道取材に対して弁護士や専門家が仲介に入って対応に当たることが妥協策と思われる。報道には事件の事実を正確に伝え、より深く社会の教訓としていく責務があることも確かだが、故人のプライバシーや家庭内の事情は公に伝えられる必要はないため、遺族から直接コメントを引き出す必要はないはずだ。

何が報じられ、何が報じられないべきなのか、ケースによってその対応を変えるべきか否か。警察やマスコミの「一貫性のある」対応にはたして問題はあったのか。一方で「非公開」によって誤った憶測を招き、無関係の人間が不利益を被るおそれもある。

筆者としては、実名公表はあってもなくてもよいものだと考えている。名前や顔が明らかで、家族がメッセージを発してくれるのならば耳を傾け、感謝を胸に刻みたい。とにかくそっとしておいてほしいと言うのなら無理に構わず忘れていく。事件がなければ知る由もない方々について根掘り葉掘り知る必要はない。それもひとつの弔いとして認められるべきだ。私たち市民の側も事件報道の意義を問い続けること、無用な詮索は避けるなど常に社会的配慮を心掛けたい。

 

成育歴

裁判では、動機の背景となる「自己愛的で他責的なパーソナリティ」形成に果たした役割が大きいとされていることから、青葉の成育歴を見ておきたい。

 

青葉真司は1978年、埼玉県浦和市(現さいたま市)生まれ。トラック運転手の父親と専業主婦の母親、2学年上の兄、1学年下の妹の5人家族で育った。

子どもの頃は元気で活発、とくに兄と仲が良く、スーパーファミコンで遊んだり、「ドラゴンボール」に熱中した。生活水準は「中の下くらい」と語ったものの、ディズニーランドや軽井沢への旅行などへ出掛けており、家族仲も良好だったとみられる。

だが育児の手が離れて母親がミシン販売の営業の仕事を始めると、家族関係に軋みが生じた。好調な営業成績を上げる母親に対して父親が嫉妬のような態度を見せ、外回りでの浮気を疑うようになって母親への暴力、DVが始まった。警察沙汰になることもあり、母親は子どもたちを連れて家出したが、父親は知人宅を見回るなどの執着を続けた。1987年、逃げ場がなくなった母親は離婚を決意し、父親が3人の子どもの親権をもった。

離婚後、父親は糖尿病を悪化させて運転手を辞め、一家はたちまち貧困に陥り、DVの矛先は兄弟へと向けられた。暴言は「日常茶飯事過ぎて覚えていない」ほどで、暴行や正座の強要、裸での締め出しなどは兄弟が大きくなるまで続いた。2人は相談して母の許へ助けを求めに行ったこともあったが、祖母から「もううちの子ではない」として会わせてもらえなかった。

小学校当時は内向的というより冗談も通じる活発な子だった、と同級生は語り、同級生の母親も「今の姿を見るととてもお答えできませんが、いい子でしたよ」と振り返る。1円でも安い食材を求めてスーパーを周る生活を送ってきた反動もあってか、卒業アルバムには「夢は大金持ち」と書かれていた。

中学で柔道部に入り、青葉は準優勝したこともあったが、父親は理由もなく「賞の盾を燃やしてこい」と命じ、彼は言いつけに従った。行くなと言われて体育祭も休まされた。父親は青葉にとって問答無用に強権的で理不尽な人間だった。また彼は幼い頃から「やればできる人間だ」「大物になるか乞食になるかのどっちかだ」と青葉に言って聞かせ、好きなものを徹底的にやれという教育方針だったという。後に小説を書く動機の背景にその教えがあったことを認めている。

家賃が払えなくなり2度転居を余儀なくされ、中学は2年の2学期以来、不登校となった。その後、通ったフリースクールでは心のおける先生と出会う。定時制高校に進学し、昼は県庁で郵便物仕分けのアルバイトに励み、仕事は言われた以上にちゃんとやっていたという。高校へはしっかり通い、同世代の友人と遊ぶこともあった。体調が悪いときも兄にバイクでの送迎を頼み、休もうとはしなかった。

当時を知る妹によれば、「仕事が楽しい」と生き生きとしている様子で、音楽スピーカーを買って悦に入っていたこともあったという。カラオケでは女性キャラや声優のアニメソングを好んで歌った。またこの時期に高校の友人から京アニ作品の関連ゲームを推薦されたことをきっかけに『涼宮ハルヒ』などの京アニ作品を愛好するようになった。

定時制高校4年の頃、父親は交通事故で寝たきりとなり衰弱。青葉は音楽を学ぶために専門学校に進学したが、1年も持たずに中退。妹には「あそこで学ぶことはない」と大口を叩いた。1999年、コンビニで働きながら春日部市内で一人暮らしを始めた時期、青葉の父が亡くなった。実家で母親と10年ぶりの再会を果たしたが、本人は「今更出てくるのはありえないだろうという感じだった」と振り返る。生前の父に告げた「お前の葬式には絶対に出ない」という意志を青葉は貫いた。

 

2006年、就寝中の女性宅に侵入する事件を起こして逮捕。妹が母親を連れていくと面会を拒み、その後面会が叶わなくなった。だが翌年、執行猶予付きの有罪判決が下り、母親とその再婚相手の家で暮らすこととなる。再婚相手が「お前に夢はないのか」と問うと、「罪を犯した身で夢なんて持っていない」と大声で反発し、引きこもるようになった。工場勤めを始めたが、「周りの作業員のスピードが遅くて嫌になった」と言い訳をして数か月で辞めてしまった。母親は、青葉の他責傾向を「元夫譲り」と表現している。

2008年頃はリーマンショックの影響で「“派遣切り”に遭うと分かっていたので自分から辞めた」などとして工場の派遣仕事を3度にわたって辞めていた。郵便局の勤めも辞めてしまい、生活保護を受けて昼夜逆転した生活を送るようになった。SFや学園系ライトノベルを自ら書き始めたのもこの時期であった。京アニ大賞が立ち上がったばかりだったこと、「手に職を付けねば」という必要と、「全力を出せば」という願望が男を創作に向かわせた。大賞を取れば憧れの京アニでアニメ化される。公判では「下りではなく、上りのエスカレーターに乗りたいと思った」と当時の心境を明かしている。

住む家を失い、茨城県へ流れ着いた。すぐに家賃滞納となり、住民から騒音の苦情が入るなど男の生活は明らかに荒んでいた。またこの時期、青葉はインターネット上で「京アニの女性監督」と掲示板でやりとりをしており、一方的に恋愛感情を抱いていたという。しかし「監督」から『レイプ魔』と言われた。犯罪歴が知られていては小説も応募できないと思い、一層のこと刑務所へ行った方がいいと思い、2012年、「したくなかったが」コンビニ強盗を起こした。部屋は食べ残しで腐敗臭が充満し、壁には穴が開けられ、金づちでパソコンが破壊されていたという。

刑務所に収容され、期せずして塀の中京アニ作品の『けいおん!』を見る機会があり、涙を流したという。2013年7月以降、青葉は幻聴・幻覚・不眠などに悩まされ、自殺リスクのある「要注意者」に指定された。不審行動で注意され、職員に強く反発するなどして10回以上懲罰を受け、2015年10月には「統合失調症」の診断を受けた。2016年1月の出所の際のアンケートでは「1年後に作家デビュー、5年後に家を買う、10年後は大御所」と夢を新たにしていた。

MBSが入手した当時の精神鑑定資料によれば、京アニ事件の予兆とも取れる発言が記録されていた。「無差別殺人を考えたりするが、最後で歯止めがあり」という発言に、検察官が「最後の歯止めとは何か」と質問すると、青葉は「小説だと思います。小説への思いがどこかにあり、つっかえ棒となっていたと思います」と答えていた。仕事をクビになったときの心情について「母を、兄も含めて、ガソリンを撒いて燃やしてやろうかと」と自暴自棄な発言をし、「まじめにやっていても邪魔しか入ってこないので」と話していた。

出所後、執筆を再開し、京アニ大賞に応募することとなる。だが京アニ作品を見返していると、自分の小説の内容と似ているシーンが度々目に付くようになった。落選後も小説家志望者が集うサイトで応募した小説を公開したが、読者はなく退会する。希望の持てない人生の中で、男にとって小説は「一筋の希望」だった。全身全霊を捧げた小説から訣別することは「失恋」のように難儀することだったという。10年前から書き溜めていた小説のネタ帳を自ら焼却したとき、「何かしらつっかえ棒がなくなった感じはしました」と語っている。

青葉を担当した訪問看護の記録によれば、薬の服用漏れや不眠などの影響で精神状態が常に不安定だったとされ、2018年5月にはアパートを訪れたスタッフに「付きまとうのを辞めないなら殺すぞ」「今のままでは人を殺してしまう。人間は足を引っ張る人間ばかりで信用できない」と包丁を向けて脅すこともあったという。「ハッキングされている」と訴え、室内にはパソコンやゲーム機が破壊され、切り刻まれた革ジャンパーや布団などと共に散らばっていた。

2019年3月から突然連絡が取れなくなり、スタッフは薬の服用ができていないことから対人トラブルに発展することも懸念していたという。

 

 

裁判

事件の発生から4年が経った2023年9月5日、厳重な警備態勢が敷かれるなか、京都地裁で初公判が始まった。

車いすに座って出廷した青葉被告は、スタジオへの放火の起訴内容について「間違いありません」と認め、「事件当時はそうするしかなかったと思っていた」「たくさんの人が亡くなるとは思わなかった」と述べた。

弁護側は、事実について争わないとしたうえで、被告の心神喪失による無罪、あるいは心神耗弱状態にあったとして刑の減軽を求めた。加えて、本人の予想を超える凄惨な火災を招いた背景に建物の構造に問題があった可能性もあると主張した。

検察側は、被告に完全責任能力があるとした上で、その動機を「筋違いの恨みによる復讐」と指摘した。

 

検察側は被告の来歴に触れ、両親の離婚、父親による虐待、貧困による転居、中学時代に引きこもりを経験し、「独りよがりで疑り深いパーソナリティ」になったと主張。また定時制高校を皆勤で卒業した「成功体験」により「努力して成功した」との思いを強くしたことが後の作家志望につながったとする。また30歳までコンビニでアルバイトなどをしたが、店長への恨みから「うまくいかないことを他人のせいにしやすいパーソナリティ」が形成されていったと指摘。その後、京アニ制作アニメに感銘を受けて、ライトノベル小説の執筆に励み、37~39歳で京アニ大賞に長・短編小説2作を応募するも“渾身の力作”が落選。挙句に「作品の一部アイデアを盗用された」と一方的に恨みを抱き、監督や他の従業員も巻き添えにする殺害計画を立てたとした。

弁護側は、何をやってもうまくいかない鬱積した思いから精神を病み、妄想に支配された被告にとって「この事件は起こすしかなかった事件」だったとし、自分の人生を翻弄し、スターダムの道を駆け上がっていった監督に対する「対抗手段、反撃だった」と反論。検察側は、精神状態が犯行に影響したのではなく、被告のパーソナリティが現れたもので完全責任能力があると対抗した。

涼宮ハルヒの憂鬱』『響け!ユーフォニアム』等の作画で知られた池田晶子(しょうこ)さんも犠牲者のひとりだった。初公判を迎えた心境を聞かれた晶子さんの夫は、「なぜか、涙が出てきました。なぜかわからないです。かなしいのか、うれしいのか、分からないけど涙が出てきた」と整理のつかない感情を打ち明けた。被害者たちの名前や死因が読み上げられるとあまりの被害の大きさに辛さがこみ上げたという。それに対し、被告の犯行動機については「妄想の一言では片付かないでしょ、納得できない」と述べ、量刑判断よりも動機の解明、被告本人からの納得のいく言葉を求めた。

 

検察側は、被告が動機に挙げる小説から「パクられた」とするアイデアを探し当て、3作品に“かろうじて似ている”と解釈できる場面があると述べた。

ひとつは、社会現象ともなった女子高生バンドのアニメ『けいおん!』の中で、主人公が後輩に「私留年したよ。これからは同級生だよ」と語る場面がある。青葉が京アニ大賞に応募した長編小説では、男子高生が先生から「このままだと留年だぞ」と言われる場面があった。

高校の弓道部を舞台にしたアニメ『ツルネ』の中では、2割引きの肉を買うシーンが描かれており、青葉の小説では、晩御飯の総菜を買うときに、50%引きになった総菜を買い漁る場面があるという。

高校で水泳部を立ち上げる男子学生たちの青春もの『Free!』では、校舎に垂れ幕が掛かっているシーンが描かれているが、青葉の小説では、学校に期限の切れた垂れ幕が下がっている描写があるとされる。

 

また弁護側は、犯行動機について、「被告の人生をもてあそぶ“闇の人物”が京アニと一体となって嫌がらせしてきた」と説明していた。被告人質問で青葉は、“闇の人物”について「強盗事件で服役していたときに刑務所で出会った」「名前は『ナンバーツー』」と述べ、「ハリウッドやシリコンバレー、官僚などにも人脈のある闇の世界に生きるフィクサーみたいな人」と説明した。

青葉は、ナンバーツーから指示を受けた警察の公安部から尾行や盗聴されている気がしたと述べ、事件で身柄確保された際の「お前ら知ってるだろ」といった発言も、すでに思考盗聴されているとの考えから出た言葉だった。

自分が京アニ大賞に落選したのはナンバーツーの仕業だと信じており、受賞は出来なくとも何かしらの依頼はあるのではないかと考えていたという。だが期待した連絡もなく「がっかりしたし、裏切られたと思った」男は、京アニが「ナンバーツーの実行部隊」だと考えるようになっていた。

青葉は「監視を続ける公安」や「パクるのを辞めない京アニ」に対して、これ以上危害を加えるべきではないと分からせる必要があると考え、京アニ事件の1か月前にも大宮駅前での無差別殺傷を企てていた。これは秋葉原通り魔事件を参考にしたもので、男は人生に悲観していた加藤智大元死刑囚の境遇に「他人事とは思えなかった」と共感を抱いていた。刃物6本を購入したものの、実際に駅に向かうと想定していたより人が少なく、だれかを刺してもすぐに逃げられて大事件にならないと考えなおし、実行には至らなかった。

 

動機の一部には明らかな統合失調症の影響が見て取れるが、犯行に際してはそれなりの下準備が行われており、筆者は心神喪失とは言えないと考えている。全財産5万7000円を口座から引き出し、事件の3日前、7月15日に京都を訪れた青葉は、その後、第1スタジオの下見にも訪れていた。

2001年に弘前で起きた消費者金融武富士」での強盗放火殺人を参考とし、ガソリンでの放火が念頭にあったが、道を尋ねると証拠が残ると考え、人との接触を避けて行動していた。初日には場所が見つけられず、翌16日にネットカフェでスタジオの場所を検索して出向いたという。

前日にはホームセンターでガソリンの携行缶や台車などを購入。入り口が閉鎖されていた場合に備えてハンマーまで用意した。所持金も底をつき、容器や凶器などを抱えて電車に乗るのもためらわれたため、事件前夜は現場近くの公園で野宿した。

武富士事件では強盗に入った小林光弘元死刑囚が店内に混合油を撒いて金銭を要求し、店側は速やかに通報したため火を放って逃走。従業員5人死亡・4人重傷の大惨事をもたらした。

 

「よからぬことをする前、熟睡できるほど神経は太くない」

男は京都に来て以来まともに眠れなかったという。犯行時刻は午前10時半を予定していた。通勤したばかりや昼休みだと社員たちは出歩いていると思い、座って作業しているであろうその時間に決めた。容器からバケツにガソリンを移し替えるには時間を要さなかったが、10数分の間、逡巡や躊躇が頭をよぎった。

「自分みたいな悪党でも小さな良心があった。でも自分の半生、1999年からの20年間はあまりにも暗い」

「どうしても許せなかったのが京都アニメーションだったということになります」

「ここまで来たら『やろう』と思った」

入り口は施錠されておらず、被告の記憶では、右手に持ったバケツを振り上げる感じで一面にガソリンを撒いた。社員たちがなんだなんだと見やるのを横目に、「死ね!」と叫ぶと、入ってものの30秒と経たぬうちに火をつけ、即座にその場を飛び出した。自分の体にも引火しており、慌てて地面に寝っ転がって消した。

 

しかし検察側の被告人質問では、「ナンバーツーは小説の盗用に関わっていないのではないか」「監督が成功の階段を上りつめていき、あなたはどんどん下がる一方だったと振り返っているが、ナンバーツーは関係していないのではないか」と、ナンバーツーと京アニが無関係ではないかとする見方を提示し、青葉被告を困惑させた。

「捜査段階では公安に関する話は『作り話』と話していたのではないか」と矛盾を指摘すると、被告は「そうです」と認めた。京都に着いてからも監視はなく、監視があったら犯行に至らなかったと述べている。

長編小説『リアリスティックウェポン』で使用したペンネームは、昔一緒にクリエイターを目指していた人がスクウェア・エニックスでCGグラフィッカーとなり、自分が夢破れたことに納得いかず、その知人の名前を1文字変えて自分の名前にしたという。そこはかとなく男の嫉妬深さが窺われる。

小説との訣別により憎しみの感情は急速に肥大化していった。また前科が付いたことでもそれまで自分を支配していた良心がなくなったように「タガが外れて」いったと口にする。すでにコンビニ強盗の後にも「小説がつっかえ棒になっている」と自覚していたことからも、自ら誤った方向へと、階段を下へ下へと向かっていったことになる。

19日の被告人質問で、青葉は自身も「やりすぎた」という事件を振り返り、「本当に火をつけるってことは行き過ぎだと思っていて、30人以上なくなられる事件ということを鑑みると、いくら何でも『小説ひとつでここまでしなきゃいけなかったのか』というのが、今の自分の正直な思いとしてあります」と述べた。

 

青葉は特定の誰かを標的にしていた訳ではないとし、遺族から「犯行直前にためらいや良心の呵責」について質問されると、「それなりの人が死ぬだろうと」思うとためらいもあったが「自分の10年間のことで頭がいっぱい」だったと言い、「被害者のこと」には考えが及ばなかったと述べた。

「被害者の立場では考えなかったということですね」との遺族からの質問に、被告は不満の色を見せ「逆にお聞きしますが、僕がパクられたとき、京都アニメーションは何か感じたんでしょうか」と質問で返し、裁判長から「今はあなたが質問される立場です」と制止される場面もあった。謝罪などはなく、「自分はこの立場なので罰は受けなければなりませんが、京都アニメーションが私にしたことは不問なのですか」と一方的に言葉を続けた。

依然として京都アニメーションから受けた「仕打ち」に対して「憤りはございます」と主張したものの、「もう少し『やってやった』と思うのかと思っていたが、意外となんか悩むこともたまに結構あるし、そんなことしか残らなかった」と犯行後も手応えや達成感のようなものはなかったとしている。

焼死した社員の中には、青葉が「盗作された」と主張するアニメが制作されて以降に入社した新人社員も含まれていた。新入社員の遺族からその点を問われると、「すみません、そこまでは考えておりませんでした」と詫びた。一方で、「京アニがパクっていることや社風を知らずには行って、金を貰って稼いでいる時点で、知らずにいるのは『どういうことなのか』と思う」と不満を述べた。

「あなたがハルヒをパクるのと、京アニがパクるのとは何が違うのか」との質問に、被告は「ハルヒは教科書として使っており、書いていく過程でパクったが、最終的に別の作品をつくっている」「京アニは、小説を落選させておきながら、著作権を自分のものとしてパクって放映しているのでいかがなものか」と持論を展開し、知る努力を怠った全員を同罪とする主張を行った。無論、先に指摘された似ていると解釈できなくもない箇所のような、学校や日常生活における一般的ともいえる表現に著作権が生じるとは考えられない。

裁判員からの犯行後の心境に関する質問に対して、「ある種、やけくそという気持ちじゃないとできない。一言で言えばやけくそでした」と答えた。また裁判員の「京アニでは各部署で専門が違っていて、(盗作されたとする)内容について知らない方もたくさんいたと思う。被告自身はそのことを知ろうとはしなかったのか」との問いに、言葉を窮しながら「知ろうとしなかった部分はあります」と述べ、「被告自身が知ろうとしなかったことは罪にならないのか」と問い詰められると、「至らない部分で、努力が必要な部分だと思います」とか弱い声で回答した。

青葉は被告人質問の最後に、事件について「多大に申し訳ないという気持ちはある」と初めて遺族や被害者に謝罪をした。

 

 

所感

裁判では、青葉被告の著しい他責傾向や犯行の計画性が判明した。背景には受け入れがたい苦しい暮らしがあったかもしれない、精神に異常性がなかったとは言えない。だが生きづらさを抱えているからこそ、「つっかえ棒」に思われた小説が男の生きる支えになっていた。それに気づかせてくれたのが『ハルヒ』であり京アニだったはずで、感謝こそすれ恨むべき相手などでは決してなかった。おそらくそのことを男自身が一番よく分かっていた。大賞を取って一発逆転を狙う賭けではなく、書き続けるために這いつくばってでも生きることをやめない発想の転換が必要だった。

青葉は強固な殺意を維持しながら犯行準備を重ねていたことからも、完全責任能力はあったと筆者は考えている。被害者に何らの落ち度もなく、犯行様態も甚大な被害が予測される危険性、残虐性の高い手段であり、社会や遺族からの処罰感情は免れがたい。何より青葉が加藤智大や小林光弘のフォロワーであったことから危惧されるように、本件が事件史に刻まれることでまた新たな類似犯を生み出す恐れがある。

 

2024年1月25日、京都地裁・増田啓祐裁判長は死刑判決を下した。

妄想性障害が犯行動機の形成に影響したと指摘する一方、犯行様態は性格の傾向や考え方、知識に基づいて被告自らの意思で選択しており、犯行前に逡巡するなど善悪の判断はでき、行動が制約されるほどの影響はなく責任能力はあったと認定された。

量刑理由として、36名もの尊い命が奪われた結果はあまりに重大で、その苦痛や恐怖は計り知れず、希望ある前途を絶たれた人々の無念さ、遺族の被害感情も著しく「極刑を望むことも当然」と指摘した。

被害者や犠牲者の家族からは、被告が後悔や反省の色を示さなかったことから、事件の重大さを理解できているのか、死刑判決をどのように認識するのかといった懸念も聞かれた。

京都アニメーション八田英明社長は「法の定めるところに従い、しかるべき対応と判断をいただきました」と捜査・司法等関係者の尽力に感謝し、スタッフ一同の精魂込めた作品を大切にし、これからもその遺志をつないで作品作りに努力していくと述べた。

1月26日、青葉被告の弁護士は判決を不服として控訴。今後、大阪高裁で審理が行われる見通しとなっている。

 

被害者のご冥福と関係者のみなさまの心の安寧をお祈りいたします。

 

京アニ事件が残したメディアの「実名報道」は、是か非か? » Lmaga.jp