愛知県蟹江町母子三人殺傷事件について

2009年に愛知県蟹江町で起きた母子殺傷事件について、風化阻止の目的で事件概要、犯行までの経緯、裁判などについて記す。

尚、本件では単独で中国籍の元留学生・林振華(りん しんか、リン・ジェンホア)が逮捕・起訴され、すでに死刑判決を受けており、2020年現在、名古屋拘置所に収監されている。

 

 

■事件の発覚

2009年5月2日12時20分ごろ、愛知県蟹江町の山田喜保子さん(57)宅を、次男・雅樹さん(26)の勤めていた洋菓子店の上司らが訪れた。雅樹さんの同僚でもある婚約者が1日夜から連絡が取れなくなっていたことを不審に思い、予め蟹江署員を同行させていた。

外から声掛けをしたところ、三男・勲さん(25)が中から施錠を開けてとび出してきた。保護された勲さんは両手首をコードで拘束された状態で首に怪我を負っていた。このとき「強盗です、助けてください。家の中にまだ二人います。死んでいます。犯人は逃げました」と署員に伝えている。

蟹江署員が南口玄関から中を覗くと、廊下で若い男がうずくまっており、存命の被害者かと思い込み、「出てきてください」と声を掛けていた。無線連絡のため署員が2分間ほど目を離していた隙に、男は勝手口から逃走。

玄関左手の和室には、上半身裸の雅樹さんが背中を刺されてうつぶせになった状態で倒れており、病院に搬送されたが死亡を確認。

翌3日、和室押入の下段に毛布で包まれた喜保子さんの遺体を発見(2日は簡易的な目視のみだったため発見が遅れた)。下半身裸でシャツはまくり上げられ、顔や頭に激しい暴行の痕跡があった。喜保子さんの遺体のそばには飼っていた仔猫が首を絞められて死んでいた。

 

■犯行の概要

住居は近鉄蟹江駅から北西約300mほどの住宅街にある二階建ての一軒家。喜保子さんは夫と十年以上前に死別しており、息子四人の五人家族。当時は、長男・四男が別居していたため、次男・三男との3人暮らしだった。

 

《時系列》

5月1日、20時頃に勲さんが勤務先から一度帰宅したが、すぐに外出。当時、家には喜保子さんしかいなかった。

同日、21時30分頃に雅樹さんは勤務先の洋菓子店を出て、(通例22時前には)帰宅。和室で犯人と鉢合わせとなり襲われたものとみられた。

2日、2時すぎに勲さんが泥酔状態で帰宅し、玄関でブーツを脱いでいたところを背後から襲撃された。首周辺を(クラフトナイフで)刺された勲さんは犯人と刃物を奪い合うもみ合いとなった。説得の末、犯人がナイフを離れた場所に投げた。

約30分後、勲さんの意識が朦朧とする中、頭にパーカーを被せて粘着テープで縛って目隠しし、手首を電気コードで拘束した。以後、度々意識を失う。

拘束中、口の粘着テープが外れた際に退去を懇願したが犯人は「まだやることがある」と居座った。そのほか金品の在りかを尋ねられたり、喜保子さん・雅樹さんの殺害について聞かされた。

同日、早朝、喜保子さんの知人、雅樹さんの同僚が来訪して呼び鈴を鳴らしたが応対はなかった。そのとき勲さんは応対を求めたが犯人は布団をかぶせて制止していた。

同日、12時過ぎ、洋菓子店の上司らが署員を連れて来訪。犯人が近くにいなかったため勲さんが家を飛び出して事件が発覚。男は逃走する。

 保護された勲さんは、犯人と格闘し、その後も殺害を免れて会話を交わしたと証言。犯人の見た目については、帰宅時の酩酊状態、コンタクトレンズがずれて視界が不明瞭だったこと、拘束中に目隠しされていたことなどから「一瞬しか見ていないのでよく分からなかった」「見覚えがない」とし、話し方について「(現場周辺の)海部地域の訛りとは違うイントネーションの日本語」だったと説明。意識が途切れることもあったと言い、記憶が曖昧なことから、警察関係者には「話がつながらない部分もある」とされた。

 

使用された凶器は、犯人が持参した鉄製のモンキーレンチ(警察発表ではホームセンター等で市販されたもの。定価5,010円)、刃渡り6センチのクラフト用押し出し式片刃ナイフ(1979年から販売。定価630円)、被害者宅にあった刃渡り17センチの包丁。モンキーレンチは玄関付近に落ちており、包丁は刃が反れ曲がって柄から外れた状態で洗面所に置かれていた。ともに血痕を除去した形跡があった。

凶器のほか、血の付いたパーカー(2003年製、LLサイズ、約450点販売されており、洗濯をせずに長期間着ていた可能性がある)、不織布マスク、防寒手袋(1,000円程度の市販品)が犯人の遺留品として発見された。

居間の床には大量の血を拭きとった形跡があり、水を張った浴槽や洗濯機に血痕を拭ったとみられる衣類やタオル、毛布が入れられており、証拠隠滅を図っていたものとみられた。現場では手袋を使用した痕跡があり、指紋は検出されなかった。

3人の通帳と財布が発見され、紙幣が全て抜き取られていた。2階にも血液反応はあったが、物色した形跡はなかった(雅樹さんの部屋にあった現金は手付かずだった)。そのほか腕時計とスニーカーが奪われていた。

廊下に置かれていたお椀からは味噌汁に口を付けていた痕跡があった。食器に付着した唾液、遺留品のパーカーなどから犯人の血液型はO型と判明(被害者3人はA型だった)。データベースと照合した時点での適合者は見つからなかった。

 

■不手際と長期化

上述の現場から逃走した「若い男」こそ14時間近く現場にとどまっていた犯人だったが、愛知県警は当初「黒っぽい服装の男」という不審者情報しか公表していなかった。6日後、中日新聞社会部・平田浩二氏の取材によって、県警が「男の逃走を許したこと」「室内で見つかった3つの財布からは紙幣が全て抜き取られていたこと」などを把握していながら「捜査上の秘密」として公にしていなかった事実がスクープされる。

これにより当初、犯行の残忍な手口などから「顔見知りによる怨恨」などの見方も含めて捜査が進められていたが、「見ず知らずの若い男性による犯行」へと方針が転換された。

愛知県警捜査本部・立岩智博捜査一課長は「結果的に犯人かもしれない不審者に逃走されたが、当初は被害者の治療が最優先に行われた。男について重要な目撃情報であるため公表しなかった」「(喜保子さんの)遺体発見の遅れは、(同室内に雅樹さんの遺体が先に発見されていたため)鑑識活動と証拠収集を優先したためで、初動捜査にミスはなかった」とコメントした。

また喜保子さんの遺体発見の遅れ、3日に行われた現場検証での「土足痕」の見落とし(後の再検証で発見)、遺留品であるウインドブレーカー公開の遅れ(一般公表は15日)、警察犬投入の遅れなど、初動捜査について多くの失態が指摘されることとなる。

遺留品の解析からも犯人像・犯行目的が絞り込めず、事件発生から半年で捜査員およそ5500人を動員し、約300件の情報提供が集められ捜査対象者は5400人にも及んだが、犯人特定には至らず事件は長期化。残虐な犯行、多くの物証、居座りや食事といった不可解とも受け取れる行動から“第二の「世田谷事件」”などとも囁かれ、県警への信頼は一層揺らいだ。

愛知県警察|捜査にご協力を!|海部郡蟹江町蟹江本町地内における強盗殺人事件

2009年12月8日付で捜査特別報奨金制度に指定(懸賞金最高300万円)。

 

■逮捕と事件までの経緯

2012年12月7日、本件の強盗殺人容疑で三重県津市に住む中国籍・林振華容疑者(29)が逮捕される。

同年10月19日、三重県鈴鹿署員が当該車を運転中だった林を車両窃盗の容疑で逮捕。窃盗の余罪があったことから任意により唾液を採取しDNA検査を行ったところ(過去には指紋採取のみ)、蟹江町の現場に残されていた犯人のDNA型と一致。本人が蟹江町での殺害を認めたため逮捕へとつながった。逮捕前日の6日、愛知県警は特別報奨金制度の延長見送りを発表していた(翌日の逮捕を見込んでの発表だが、表向きは「情報提供減少」を理由に断念とされた)。

 

林は2008年12月31日に起こした窃盗事件により、20万円の罰金刑を課されており、翌年2月に起した窃盗未遂事件での取り調べの際、「このまま罰金を納めない場合、労役場に留置される可能性がある」との通告を受ける。留置により大学を退学処分になれば、両親への期待を裏切ってしまう等と考えた。

「罰金を支払う金が必要だった」として、当初は名古屋駅周辺での引ったくり・凶器で威嚇しての路上強盗を試みたが断念し、近鉄線急行電車に乗車。ある女性乗客に目を付けると、尾行して近鉄蟹江駅で下車したが、女性は乗用車で立ち去った。

その後も標的を見つけることができず、空き巣狙いに変更して周辺を徘徊していたところ、山田さん宅の玄関がわずかに開いており猫が入って行く姿を見掛ける。リビングは点灯し、テレビも点いていたが、玄関付近にひと気がなかったため侵入を決意する。このときの心境を「見つかったら殺すつもりだった」と供述している。

無点灯の和室で物色していたところを喜保子さんに発見され、思わず逃走を図るが、服を掴まれ、思い直して凶行に及んだ。モンキーレンチで殴打を繰り返していた最中、帰宅した雅樹さんが林に飛び掛かり、リビング・和室でおよそ1時間に及ぶ格闘となった。やがて雅樹さんが体勢を崩すと林は電気コードで両手首を拘束。闘争中にマスクが外れて顔を晒していたため、殺害に及んだ。

それから林は床の血痕の拭き取りや血の付いた衣類などの洗濯など証拠隠滅を図って作業をしていたところ、勲さんが帰宅。当初は殺害を図ったものの、またもや格闘となり、命乞いや顔を見られていないことなどから殺害を思いとどまったとした。

 

 ■生い立ち 

林振華は1983年7月、中国の山東省済南生まれ。父親は地方公務員で、経済的な不自由のない中流家庭の一人っ子。成績優秀で地元の大学にも合格していたが、父親から「日本で先進技術を学んではどうか」と留学を勧められたことから、2003年10月に留学目的で来日。

そして四年制大学への進学をめざし、語学学校の1年6か月コースに入学し、寮生活を送ったが、2004年4月・8月に京都市内で2度にわたって窃盗容疑で逮捕され、不起訴処分となっていた。卒業後、2005年4月にコンピューター専門学校に入学したが、三重大学合格を機に中退。授業料65万円は延滞せずに納めていた。毎日新聞の面会取材に対して「来日した当初は日中間の懸け橋になることを夢見ていたが、生活が困窮したことから万引きを繰り返すようになった」と述べている。

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2006年4月、三重大学に進学し、私費留学生として年間約34万円の授業料を払いつつ、津市内の木造平屋アパート(家賃1万数千円)で一人暮らしをしながら地域文化論を学んだ。しかし学費滞納を繰り返したため大学側から支払いの督促を度々受けており、家賃も滞納するなど、生活費に困窮していた。成績も悪く、授業に来ないことも多くなり、事件を起こした2009年度は2単位しか取得できていなかった。専門学校時代の恩師に対し、「なぜ自分は奨学金を受けられないのか。そのせいで金に困り、コンビニエンスストア廃棄弁当を漁って食べるような生活を送っている」という内容の手紙を送っていた。両親から仕送りと飲食店などでアルバイトをして生計を立てていたが、事件前には体調を崩して働けなくなった。2010年度には必要単位を修得、5年間在学して2011年3月に卒業した。困窮の一報で、腎臓病の治療や内定報告、婚約者と会うといった理由で度々帰国している。

2011年4月から三重県亀山市の自動車部品メーカーに勤め、部品検査・組み立てのほか研修生の通訳を担当。真面目な働きぶりだったとされ、人間関係も良好だった。2012年、結婚を計画し、会社に昇級の要望したが折りが合わず退職。6月に県外の建設関係会社に転職したがすぐに辞めている。同年8月、名古屋市内で窃盗した自転車に乗車中に愛知県警に職務質問されたが微罪処分とされていた。

 

■裁判

起訴後、林は拘置所内で自殺未遂・自傷行為を繰り返すなど、心身に変調をきたした。弁護士は刑事責任能力がないとして2013年に精神鑑定を申請。同年末、責任能力・訴訟能力に問題なしとされた。

 

2015年1月19日、名古屋地裁で初公判が開かれ、検察は強盗殺人罪を求刑したが、弁護人は「侵入当初、殺害の意志はなかった」として強盗殺人に当たらない(殺人罪+窃盗罪)と主張した。

生き残った勲さんは、事件当夜に外出していたことを悔やみつつ、被告人の死刑を訴え、雅樹さんの婚約者は、閉ざされてしまった将来を悲しみつつ、「死刑でもそうでなくてもどちらでもよい、できればずっと自分の犯した罪を反省して償ってほしい」と訴えた。

被告人の父親は、金の心配をしても息子は「必要ない、努力して何とかする」と言い、その言葉を信じていたが、このような事件になったことに責任を感じるとして、被害者遺族らに謝罪。

被告人質問では、被告人に発声障害の症状があったため、声を詰まらせながらも自らの口で「被害者の方…、父、母…、申し訳ない…、気持ち…、いっぱい…」と被害者遺族や自身の両親への謝罪の意を伝えた。

www.courts.go.jp

2月20日の判決公判で、松田俊哉裁判長は検察の求刑通り死刑を言い渡し、「犯行は強固な犯意に基づく冷酷なもので、極刑を回避する特別な事情はない」と述べた。 

その理由として、喜保子さんに遭遇した際に逃走できたにも拘らず殺意を持って暴行に及んだ点、被害者3人に対する確定的な殺意が認められた点などが挙げられる。

量刑については、経済的困窮や相談相手の不在、両親の期待を裏切りたくない感情について「一定程度の理解」を示しつつ、自尊心から親に資金援助の相談もせず犯行に及んだ動機の自己中心性・身勝手さにおいてそれらの経緯は酌量できるものではないと判断。謝罪の言葉はあったものの捜査供述において客観的な事実と反する保身的な証言(喜保子さんに約20か所の外傷が認められたが、「2回振り下ろした」と供述するなど)もあり真摯な反省と認められない点、家人の在宅は予期できたことで侵入に強盗殺害の犯意がなかったとは認めがたいこと、勲さんへの攻撃は中止したものの証拠隠滅に忙しく救護はせず金のありかを聞くなど強盗の犯意を翻したわけではない点などが挙げられた。

 

被告の弁護人・北條政郎弁護士は「死刑ありきとも受け取れる判決」だとして2月25日付で名古屋高裁に控訴。

2015年7月27日に開かれた控訴審で、弁護人は再度「事前計画性のなさ」を強調し、死刑判決の破棄(無期懲役の適用)を訴え、証拠調べ(裁判所による取調べ)を求めたが、名古屋高裁はこれを却下。10月14日、名古屋高裁・石山容示裁判長は第一審判決を支持し、控訴棄却とした。弁護人は同日付で上告。

2015年、被害者遺族3人が損害賠償命令制度に基づき、林被告に対して死亡した2人の逸失利益・慰謝料など約1億7,900万円の損害賠償手続きを申し立てた(その後、勲さん以外の2人は訴訟を取り下げた)。2016年3月24日、名古屋地裁は林に対して約5,600万円の賠償支払い命令を下した。

2018年9月6日、最高裁第一小法廷・木澤克之裁判長は「強固な殺意に基づく無慈悲で残酷な犯行で、刑事責任は極めて重大」として一審、二審の死刑判決を支持し、被告の上告を棄却。被告及び弁護人は訂正を申し立てたが棄却されたため、2018年10月3日付で死刑が確定した。

 

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■所感

犯行に至るきっかけが被害者宅の飼い猫だったという余りに切なく、いたましい事件である。 雅樹さんの元婚約者による訴えは、どんな罪状が下されようとも失われたいのち、失われた未来は元に戻らないという現実を改めて突き付けてくる。人によって意見は分かれるかもしれないが、加害者から実情を知らされていなかった親や婚約者にとってもおそらく降って湧いたような事態に驚愕したことだろう。林死刑囚は犯すべからざる暴力と大いなる裏切りの罪を償わねばならない。

こうした事件について移民排斥を唱えることは、「私は悪くない」というただの言い訳、責任回避・現実逃避の方便でしかない。こうした事件を起こさない・起こさせないために何ができるのか、政策に注視する、戸締りや防犯体制を整える、困っていそうな人に声を掛ける、ひとそれぞれ様々なベクトルでできることはあると思う。捜査についても様々な問題は指摘できるが、たとえば犯罪抑止について重罰化という方向ではなく、微罪でもDNA採取が徹底されれば累犯や凶悪化を食い止めることにつながるのではないかと感じる。教育機関や移民雇用先に移民サポート機関との連携があれば、犯罪や悲劇を生む前に相談を受けたり適切なアドバイスを提供することもできるのではないか。移民だってプロの殺し屋や運び屋でもないかぎり、罪を犯すために入国してくる訳ではない。夢を抱いて学びに、目的をもって働きにくるのだ。

被害に遭われたおふたりのご冥福と関係者のみなさまの心の安寧をお祈り申し上げます。