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寝屋川4乳児コンクリート詰め事件について

事件の概要

2017年(平成29年)11月20日午前9時30分頃、大阪府寝屋川市西部にある寝屋川署高柳交番に50代の女が出頭し、「4人の乳児を自宅でコンクリート詰めにした」「段ボールに入れて自宅に保管している」などと申告した。

 

警察が捜索令状を取り、女の自宅マンションを捜索したところ、供述通り押し入れからコンクリート詰めされたバケツが見つかった。押収してX線照射によるCT(コンピュータ断層撮影)検査などにかけて内容物の確認を行い、画像診断の結果、4つのバケツにそれぞれ乳児とみられる遺体が確認された。

大阪府警死体遺棄事件として寝屋川署に捜査本部を設置し、女から詳しい動機や経緯を調べることとし、21日未明に死体遺棄容疑で女を逮捕した。

 

逮捕されたのはアルバイト斎藤真由美(53歳)。2015年夏ごろに高柳7丁目の集合住宅の3階に越してきて逮捕当時は10代の息子と二人暮らしだった。場所は寝屋川市駅の西約1.7キロにある混み入った住宅密集地で、7月以降は家賃を滞納していた。斎藤は町内会にも入っておらず、住民らとの付き合いはなかった。

なぜ20年経ってから唐突に自首したのか経緯ははっきりしなかったが、「なぜか、今日打ち明けようと思った」と語り始め、「これまでずっと悩んでいた。死のうとも考えたが、育ててきた子供もいるので一人で死ねなかった。相談できる相手もいなかった」と話した。

4人の子どもは「1992~97年の間に市内の別の場所で出産し、産んですぐにバケツに入れた」と言い、「金銭的に余裕がなく、育てられないと思った」などと説明した。発見されたとき、段ボール内のバケツには蓋がされてポリ袋で包まれ、厳重にテープで巻かれていた。

「こどもを死なせてしまった」との自責の発言もあったが、「生まれたときに泣いたり動いたりしなかった」と死産をほのめかす供述もあり、出産時の状況について慎重な調べが必要とされた。

11月21日、捜査本部は死体遺棄容疑で斎藤容疑者を逮捕。翌22日、同容疑で送検した。

 

偶然

亡くなった乳児の父親は、斎藤容疑者が20~30代頃の元交際相手と見られた。同じ職場で交際関係となり、同居していた時期もあった。だが府警が任意で男性に事情を聞いたところ、4人について「妊娠も出産も知らなかった」と説明した。

斎藤が乳児たちを生んだ当時は寝屋川市池田旭町の住宅で暮らしており、バケツは敷地内に放置していたものとされ、高柳に転居する際に一緒に持ち込まれた。

斉藤容疑者も「もし妊娠を知られたら育てるしかないと思った」と供述し、だれにも打ち明けないまま孤立出産し、「全部自分一人で」犯行に及んだことを認めた。

11月23日の東スポWEBでは、かつて近隣で暮らした住民の証言として「24歳と17歳になる男の子どもが2人」いて、登校時の見送りや外食する姿などが見られていたと報じている。斎藤は遺棄した理由として経済的事情を述べていたが、その一方でパチンコ店通いやそこで知り合った男と交遊があったとする声も取り上げている。

また斎藤は若い頃から生活保護を受給しており、過去には50~60代男性と子育てしていたという。育てていた二児は彼の子どもなのか、父親知らずだったのか。だが受給資格の関係から結婚せずに内縁関係にあったのではないか、と住民は語る。年配の交際相手と別れてからも、「男の出入り」はあったとしている。

 

11月28日公開の週刊女性PRIMEでは、斎藤が以前暮らした池田旭町での様子を伝えている。

斎藤の母親は近くで居酒屋を営んでいたが、10年ほど前に他界。生前は弟と共に斎藤の暮らすアパートにも出入りしていたという。東スポの記事では、斎藤の親が営む「店の常連」が年配の元交際相手だったとしている。

家族仲がよく、礼や挨拶もかかさず、他人の子どもにも「うわぁ、かわいいなぁ」と頭をなでてやるなど、愛想のいい子ども好きだと思われていた。近所の認知症の老人を労わったり、自治会役員になった知人にも「困ったことがあったら何でも聞いてや」と声を掛けるなど面倒見のよい側面もあったが、自治会費や子ども会費は支払えていなかったという。

 

元々、肥満気味の体型だったこともあり、不幸なことに4人の妊娠は周囲からも父親からも見過ごされてしまったのであろうか。育てた2人の子どもについて斎藤被告は「周囲が妊娠に気づいたため育てた」と供述した。偶然が彼らの命を救ったのか。

産経新聞によれば、4児出産当時は銭湯通いだったと言い、近隣女性の話として「妊娠していたはずなのに、おなかが突然へこんでいたということが3回くらい続いた」という証言を伝えている。赤ん坊もいないしおかしいなと思ったが、それ以上詮索しなかったという。

 

不作為の遺棄

20年以上前の、その存在すら気づかれていなかった乳児の殺害を立件することは事実上不可能に思われた。骨だけでは死産だったのか、実際には手を掛けていたのかの判別、正確な死亡時期や死因は特定できなかった。

だが罪悪感に苛まれながらも4人もの被害を出したことは紛れもない事実であった。斎藤被告は取調の中で、「ティッシュを口に詰めた」と一人の殺害を認めるような供述もしており、2つのバケツからティッシュ片が検出されたが産後に「体を拭いたものが入ってしまったかもしれない」と話した。

しかし20年後の自首で嘘を語るとは考えづらく、斎藤は4児の出産日も記憶していた。

そこで殺人罪ではなく、死体遺棄罪が適用されることとなった。

第190条
死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の拘禁刑に処する。

通常であれば、死体遺棄の公訴時効は3年でとうの昔に成立していることとなる。しかし検察は2年半前の高柳への転居の際にも隠蔽の意志を伴う「第2の死体遺棄」ないし「不作為の遺棄」が成立するとした。

 

週刊女性プライムの取材に答えた東京未来大学こども心理学部長出口保行教授は、斎藤の犯行について「外に遺棄すれば発覚するかもしれない。いつかバレてしまうかもしれないという強い恐怖を感じていたのでしょう」と指摘。一方で強い罪悪感も持ち続けていたから「贖罪したい気持ちがあったのでは」と話した。

自首直前の時期に座間9人連続殺人の逮捕劇が大きな話題となっており、「遺体を自宅に隠していても何かのきっかけで踏み込まれるかもしれないと自分に重ねるところがあったのだと思います」と述べている。

また別の乳児殺害遺棄事件を起こした女性の事案も踏まえ、「共通するのは時間的な展望がないまま出産に至ってしまうこと。つまり自分の先々を予想してそれに対処する行動をとることができない。容疑者(取材当時)も社会生活を営むうえで十分な社会設計ができない人のように感じます」と見解を示した。

 

死体遺棄

2018年6月4日、大阪地裁で初公判が開かれた。

被告人質問によると、乳児4人の父親は当時の職場の同僚とされ、いずれの相手にも妊娠の事実を知らせていなかったとしている。4児は産後すぐに死亡し、被告は金銭的な理由で葬祭を上げることができなかった。しかしわが子をそのままの形で残しておきたかったとして、バケツにコンクリート詰めしたとし、中には一緒に数珠も入れていた。

「私の子どもなので、自分が死ぬ時まで一緒に暮らすつもりだった」として転居先にもバケツを持ち運んだが、将来に悲観して自殺を考えるようになり、「自分が死んでしまったら4人のことを知っている人がいなくなる」と自責の念に駆られて警察に打ち明ける決意をしたという。

弁護側も事実関係については認め、死体遺棄の時効成立の可否が争点とされた。

 

過去エントリ『ベトナム人技能実習生乳児死体遺棄事件』でも触れたように、孤立出産での死産において葬祭を行う責務は出産した母親にある。遺体を放置したり、死亡届を出さないまま手前勝手な埋葬をすれば、死者を敬う心情を害するおそれから罪に問われることとなる。

2020年に熊本のみかん農園で働く農業技能実習生リンさんが逮捕された事案では、孤立出産で双子を死産し、部屋の段ボール箱に遺棄していたとして起訴された。技能実習生の間では妊娠が発覚すれば強制的に帰国させられると言われており(過去にそうした事例も起きていた)、彼女は雇用主や監督者らに相談することもできなかった。

公判では、自身の体力回復を待ってベトナム式の土葬をするつもりで居室内に一時的に安置していた状態で出産が発覚したことから「死体遺棄」へと事態が大きくこじれていたことが判明した。

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過去の大阪地裁の判例を見ると、2016年5月、吹田市のアパートで衣装ケースから乳児の遺体が見つかった事件で、4年前から乳児の遺体を遺棄していたとして両親に死体遺棄罪が認定されていた。

一方、2013年3月、乳児の殺人と死体遺棄に問われた母親の裁判では、産後に娘を殺害した事実は有罪とされたが、知人宅からスポーツバッグに入れて自宅に持ち運び転居の度に移動させていた行為は死体遺棄罪の時効を認めて免訴とされていた。同地裁は、バッグに入れて自宅に持ち帰る隠蔽行為は死体遺棄に当たるとしながらも、バッグを自宅に放置したことは葬祭義務違反ではあるが、死者に対する宗教的感情を害しているとまではいえないと判断し、死体遺棄罪の構成とは認定しなかった。

寝屋川の事件に話を戻そう。弁護側は、コンクリ詰めした時点で遺棄行為は完了しているとして公訴時効による無罪を主張。自宅での放置が遺棄行為の継続と見なされれば、半永久的に死体遺棄の時効が完成しないことになると主張した。

対する検察側は「乳児の存在をだれにも知らせずに自身の支配下に置き続けたこと」は葬祭義務違反の遺棄行為が続いていたに等しいとして時効の成立を否認した。更に「遺体を長期間放置したことを違法行為としなければ、正確な死亡日時が分からない事件ではいくらでも罪を免れることができてしまう」と指摘した。

たしかに事件発覚の遅れで腐敗や白骨化した遺体について殺人罪で争うことが難しいケースというのはまれに聞かれる。本件のようにコンクリ詰めして長期間持ち運べば殺害の立証は困難となり、罪に問われない判例を示してしまえば今後の社会的影響も大きい。

かたや被告人は両陣営の時効論争には言及することなく、「4人の子どもに対して申し訳ない気持ちでいっぱい。これから罪を償いたい。申し訳ありませんでした」と謝罪した。

大阪地裁・増田啓祐裁判長は「(手元に残しておきたかったという)動機は身勝手に他ならない。極めて長期間放置した」として、検察側の求刑懲役3年に対し、懲役3年執行猶予4年の判決を下した。

死体遺棄罪の罰則規定は「3年以上の懲役」であるから、自首や謝罪等の情状が酌量された内容である。

 

孤立出産

4人もの赤ん坊を見殺しにするばかりかコンクリ詰めして引っ越し先まで持ち運んでいたと聞けば、事件隠蔽の毒女という印象を受けるが、裁判の行方まで踏まえれば後悔の念に苛まれながらの20年余を過ごしてきたのは嘘ではなかったようにも思える。

そしてこうした嬰児殺しの悲惨なニュースや裁判を受けて思うのは、父親の責任はどこに行ったのかということである。本件では4人のこどもの父親が不特定のまま報道され、メディアは「男にも金銭にもだらしのないシングルマザー」像を肥大化させた。彼女について詳しく知る術はないが、思い浮かぶ人物像としては秋田児童連続殺人の畠山鈴香受刑者のような、子どもへの愛情が全くない訳ではないが、結婚や出産保育には向かず本人も経済的・社会的に自立しきれていない女性、法的な責任能力に問題はないが境界知能などの「訳アリ」なのではないかという気がしてならない。

貧困などにより立場が弱い女性たちは男性に経済的・精神的に依存していたり、あるいは結婚していても避妊してもらえないなどDVに晒されていることが危惧される。女性は男性との関係を簡単に断ち切ることができず、妊娠を告げても女性を捨てて逃亡するおそれもある。

望まない妊娠は女性の孤立出産を招き、直接的に赤ん坊の生命にかかわり、更には女性のその後の人生をも台無しにする。母親側にすべての責任が押し付けられている現状がある。その手で殺めることがなくとも、道端や山中に置き去りにするなど保護責任者遺棄罪に問われれば最高で懲役5年の罰則と受けることとなる。父親の「逃げ得」を許していてよいものか。

望まない妊娠に関して、2023年11月28日から処方箋なしの緊急避妊薬・アフターピルの市販が試験的に開始された。女性向け相談窓口は増えてはいるものの、経済的事情や男性、家族との関係性、堕胎や出産までの「期限」は彼女たちの判断を混乱させることが多い。

最後の頼みの綱として親が育てきれない赤ん坊を匿名で預かる、いわゆる「赤ちゃんポスト」は医療機関では熊本市の慈恵病院のみ(2007年設置)である。新生児を想定しての設置だったが、約3年間で預けられたこどもは155名、うち早期の新生児は85人だった。一人目は3歳男児、二例目三例目も生後2か月程度の男児だった。こどもたちは産まれる場所を選べない。人生は平等ではないが、生命は公平に守られてほしい。

先日、墨田区の賛育会病院で2024年度に赤ちゃんポスト設置の方針を明らかにした。実現すれば国内の医療機関としては2例目となる。

 

もし大阪に赤ちゃんポストがあったならば4人の赤ん坊の命は助かり、母親は罪を犯すことにはならなかっただろうか。死産であれば届け出せずにコンクリート詰めした可能性は大いにある。だが何人かの命は救われていたかもしれないと考えるだけでも、この社会に赤ちゃんポストは必要だと思う。

住民証言の中には、犯行当時の女の様子について「妊娠していたと思ったらいつの間にか腹が引っ込んでいたようなことが何度かあった」という声があった。また周囲から金を借りて返さない、子ども会費を着服したといった声も聞かれている。何より当時の住民たちは女の身の上や貧困ぶり、男との関係性をよく知っていたことが妙に気にかかる。

これは筆者の想像であり、もし事実であったとしてもそれを非難する意図もないが、住民たちは彼女がしたことを薄々知っていたのではないかと思う。妊娠していたこと、赤ん坊を産んだことに周囲は気づいていたが、出産費用はどう工面したのか、赤ん坊がどうなったのかなど、面倒ごとを避けるためにあえて事情を聞くことをしなかったのではないか。薄々その不幸な末路が想像できていながらも、口に出すことが憚られたのではないか、と。

 

4児のご冥福とともに、同じような過ちが二度と繰り返されない日がくることをお祈りいたします。

 

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【衝撃事件の核心】「きょう打ち明けようと思った」バケツにコンクリ詰めの乳児4遺体、出産から20年後に自首した母親の罪業(1/4ページ) - 産経ニュース