いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

【トナリ山本】栃木県市貝町 身元不明男性殺害事件

1996(平成8)年、栃木県市貝町の竹やぶで男性の腐乱死体が発見される。状況からみて殺人事件と見られたが、四半世紀経った現在も犯人はおろか被害者の身元の特定すらできていない未解決事件である。

履いていたズボンのタグには「トナリ」「山本」という書き込みがあった。

 

www.pref.tochigi.lg.jp

情報提供は

茂木署捜査本部(電話)0285(63)0110

または 【栃木県電子申請システム】手続き申込:申込 まで

 

 

■発見

1996年4月21日(日)13時20分頃、栃木県芳賀郡市貝町多田羅の竹やぶで布団袋に入れられた人間の遺体が発見された。

見つけたのは近くの中学生で、日頃から竹やぶ脇の町道を通学しており、布団袋自体は2週間以上前から投棄されていたのに気づいていたという。布団袋は空色地に白い小菊の柄が入ったもので、黒い紐で袋の口が縛られていた。

証言によると、17日の学校帰りに友達数人と棒きれで突っついてみたところ、柔らかかったので面白半分に「死体だ」等と言い合っていたが、そのときは中身をはっきりとは確認していなかった。

21日、部活帰りに一人で通りがかって見てみると、袋の二か所に裂け目があり、めくってみると土色の手が見えた。同時に異臭が漂ってきて、怖くなって一度は逃げ出してしまったという。その後、現場に戻ってきたところ他の住民らが気づいて通報した。

通報を受けて警察が中身を確認したところ、遺体は男性だと分かったが見た目では年代の判別もできないほど腐乱が進行していた。県警は殺人の疑いがある死体遺棄事件とみて、茂木署に捜査本部を設置し、行方不明者リストとの照合を進めた。

 

■捜査ー被害者の基本情報

近隣住民などへの調べにより、布団袋は3月下旬にすでに竹やぶに置かれていたという情報が得られた。

解剖所見や鑑定では被害者男性について以下のことが判明した。

「年齢40~50歳代」

「身長182㎝、体重約58㎏でやせ型」

「髪は直毛でやや長め(襟にかかる程度)、白髪や染めた形跡なし」

「血液型O型」

死後一か月以上と見られるが、死因は不詳。目立った外傷や手術痕は確認されなかった。

 

発見時の服装は、次の通り。

「濃い紺色ダブルのブレザー(サイズA体七号)」

「薄い灰色のワイシャツ」

「緑地に柄入りのネクタイ(「ALAIN DELON」ブランド)」

「灰色のズボン(ウエスト79㎝)」

他に「Christian Dior」ブランドのハンカチを所持していた。下着はトランクス(サイズM)。

「靴」は履いておらず、靴下に関する情報は出ていない。

そのほか身元の分かる所持品は見つからなかったが、ズボンのタグ上部に「トナリ」、同じタグの左部に「山本」と読める書き込みがされていた。

ズボンのタグに「トナリ」「山本」

昨今は紙製のタグを付けるなどして管理する店舗が多いが、個人のクリーニング店などでは取り違いなどを防止するために品質表示タグにメモ書きをすることもあった。

筆致からすると両者は別の機会に別人の手で書かれたように素人目には読める。別の店で書かれたのか、同じ店の別人が書いたものか。「トナリ」の方がより薄れているようにも見えるが、どちらが先に書かれたのかは判断できない。少なくとも「山本」の綻び具合からして文字が書かれてから相当の時間経過が窺える。

 

捜査本部は関東全域・東北のクリーニング店数万店に調査を進め、「山本」姓の顧客を洗い出したが被害者特定には至らなかった。しかし千葉県千葉市若葉区のクリーニング店で「うちで書いた」、同じく千葉県の市原市内の店で「そのズボンを扱ったことがある」との情報が得られた。

両店の詳細は報じられていないが、千葉市若葉区市原市は隣接こそしていないものの20km前後と比較的近い距離にある。

2017年6月には、栃木県警は被害者男性が「千葉県内に住んでいた可能性が高い」とし、千葉県警本部で情報提供を呼び掛ける記者会見を開いた。長期未解決事件捜査班も被害者特定の「ラストチャンス」と強い意気込みを見せて会見に臨んだが、その後の進展は聞かれていない。

ブレザー、ズボン、布団袋について流通経路を調査したところ、上のように確認された。販売時期などは公表されていない。

県警情報とズレがあるが、下野新聞はブレザーは東日本を中心とした大型商業施設1社73店舗で33着が販売され、ズボンは東日本の3社57店舗で93本の出荷実績と報じている。

今日的な「大量生産品」に比べれば比較的流通量や販売地域は絞り込まれている。3点がいつどのように入手されたものか、とくに布団袋は被害者所有のものだったのか判然としないが、神奈川県、茨城県新潟県宮城県岩手県では3点とも販売実績がある。そのほかの販売状況から見ても、東日本での居住歴が長かったと推測して差し支えないように思われる。

 

口内は歯茎の炎症跡から「歯槽膿漏」の進行が指摘されており、前歯に隙間があったという。上のチャート表では「健全歯」12本、「欠如」9本、「死後脱落」3本、「残根状態」1本、「インレー●落」3本、「c3」1本と記されている。

「インレー」は詰め物のことで、続く文字が解読できないが「詰め物が剥がれてしまった状態」を表す記載と推測する。

「c3」は虫歯の進行度で「神経に達している状態」を意味しており、簡単に言えば「強い痛み」が予想される。

家庭はあったのか、どんな性格だったのかは定かではないが、彼がデンタル・ケアを疎かにしていたのはほぼ事実と言えそうだ。

 

■地理関係

発見現場について違和感を抱かざるを得ない。

場所は真岡鐡道「多田羅駅」から宇都宮方面へ西へ1kmいった農村部の一角。竹やぶの前後に民家が3軒ある。竹やぶの奥ではなく道路沿いから竹やぶ脇に遺棄されたものとみられ、いわゆる「人目に付きづらい場所」には該当しない

芳賀郡一帯は、山と川と田畑に囲まれた自然豊かな村落の景色がどこまでも続く。車通りが全くないような辺鄙な道でもなく、どこにでもあるような竹やぶと道路の境に布団袋は打ち捨てられていた。

約3km離れた場所には「花王」をはじめ化学工場が複数あるが、人口約1万2000人の小さな町に発展した商業区域はない。自家用車の普及率が高く、多田羅駅は乗車人数が日に100人もない小さな無人駅である。

現場から数十m西には、睡蓮の名所「多田羅沼」があり、隣接する古墳群とともに環境保全地域とされている(下ストリートビュー)。観光客は多くないが、温かくなったこの時期であれば日中は散歩や釣りに訪れる人もいる。

 

更に西に1km程進むと県道123号「宇都宮笠間線」につながる。20km西進すれば栃木県の中心都市・宇都宮市街に、多田羅駅から南東へ25km進めば茨城県笠間市方面へと行きつく。

 

1999年12月に発覚した栃木リンチ殺人では、多田羅駅の東側にあるに伊許山園地周辺の人目に付きづらい山地の一角に穴を掘って遺体を埋め、上から板を敷いて発覚を免れようとしていた。

本件の遺体発見現場は田畑の多い平野部だが、周辺の益子町や茂木町に入れば、人目に付かない山道や近寄れない谷や窪地がいくらでも存在する。

何を指摘したいのかと言えば、周辺地域は人目に付かない隠し場所がいくらでも思いつくエリアながら、犯人は要らなくなった古布団でも不法投棄するかのように、ただ道路脇に車を寄せて竹やぶにポイ捨てしたらしく、要は隠す気がないのである。

 

■検討

地理的検討を続ける。

当時の道路状況を確認する術はないため2022年現在のグーグルマップで計算すると、千葉県千葉市若葉区から市貝町の遺体発見現場までその距離140km前後、車で2時間20分程度。市原市から市貝町の現場まで170km前後、車で2時間半程度を要する。

犯人が越境犯罪を念頭に県を跨いだとしよう。千葉を北上して茨城を越え、更に栃木にまで足を伸ばしたとすれば相当「周到な性格」が窺える。しかし遺棄状況が人目に付きやすい何でもない竹やぶに道路脇からポイでは、「周到な性格」とは相いれない。

2県を縦断するほどの周到さを以てすれば、土地勘がないにしても発覚を免れるためにそれなりの適地を探す。何も栃木の農村部に出向かなくても、房総半島南部には山々や多くのダム湖があり、千葉にも茨城にも東部には海がある。それらをスルーして竹やぶにポイはあり得ない。

「隠す気がない」遺棄状況から逆算すると、犯人は殺害後にそれほど手間を掛けずに遺棄したかったと見るのが妥当ではないか。近所とは言わないまでも、発見現場から車で1時間程度、半径50km圏内が殺害現場候補に挙がる。

注意すべきは、後述する事例でもそうだが、被害者の住所、殺害現場、遺棄現場がそれぞれ離れていることもありうる点だ。

たとえば千葉在住の被害者が茨城で殺害され、栃木に遺棄されたとしてもおかしくはない。また殺害現場が加害者や被害者の関係先か否かも不明である。宿泊した宿や移動中の車内で殺害した可能性もないとはいえない。

 

被害者の検討に移る。

死因不詳」については、おそらく腐敗が進行して推認に足る判断が下せない状況ということかと思う。だが「目立った外傷がない」ということから刺殺や撲殺、交通事故の類ではなかったと考えられる。

また情報提供を求めるチラシには「被害時の服装」としてブレザーを着ていない「シャツ姿」の画像が加えられていることから、逆説的に遺体はブレザーを着用はしておらず、袋に一緒に入れられていたと捉えられる。

犯人は財布や時計などの所持品を奪ったとしても、まで奪ったとは想像しにくい。おそらく犯行は室内で靴を脱いだ状態で行われ、高身長のためバッグやごみ袋などに詰められず、さりとてそのまま車に積むのは憚られたため布団袋に押し込んだと推測される。

 

トナリ」は「隣り」なのか、それ以外の何かを意味するものかは分からない。タグだけ見ると、他の山本さんではなく、「隣り」の「山本」さんの品物というようにも想像できなくもない。

だが「戸成」「都成」「十鳴」「Tonali」など人名の可能性も排除できない。

 

「山本」は人名と考えてよいかと思う。よくある色味の男性用スラックスであることから、別人の類似品と区別する目的で記入されたものと推測される。問題は被害者の名前なのか、被害者より以前の持ち主などを指すものかである。

真新しい品物ではないだけに、可能性だけでいえば「トナリ」さんを経て「山本」さんのものとなったり、クリーニング店の「隣り」の人や「山本」さんを経て被害者の手に渡ったりしていても不思議はないように思われる。

 

体格については、身長180㎝の40歳代、50歳代のBMI(肥満度)平均値が約24、平均体重が約78㎏である。推定とはいえ被害者は182㎝、58㎏でBMI値は17.51。その年代では珍しいくらい長身細身である。

生前、着衣のサイズが全然フィットしていなかった可能性はあるだろうか。だが痩身の人が実寸より太い着衣を着ることはあっても、豊満な人が細いサイズを長年着続けることはない。つまり被害者は長年にわたって細身だった可能性が高く、知人からの譲渡や中古品の購入は可能性としてはかなり低いのではないかと思う。

また犯人が、アシが付きにくいように「衣類を剥ぎ取る」、ジャージやスウェットのような「大量生産品に着せ替える」のならまだ分かるが、わざわざ流通経路が絞られるものやブランド品、ネクタイまで身につけさせる意図は考えにくい。やはり警察の見立て通り、着衣は被害者本人のもので「山本」率は高いのではないか。

 

ブレザーやズボンもオーダーメイドではないが年季が入っており、アラン・ドロン(1970年代に一世を風靡したフランス人俳優アラン・ドロン氏が立ち上げたファッションブランド。東アジアを中心に展開)のネクタイやディオールのハンカチなど、身なりにその人のこだわりを感じさせる。

だが96年当時の流行ではなく一回り二回り古い「時代もの」で、70~80年代前半に30歳代前後で身に着けていたものではないかと推測される。

一般的なサラリーマンや工場勤め、工事作業員などとも異なる一見派手な装いから、個人事業主、不動産や風俗店経営者、料理人など景気に左右されやすい職種を想像させる。失礼を承知で憶測を広げれば、芳しくない口内状況から見て元々の育ちは恵まれたものではなく、若い頃に買った一張羅を長年愛用し続けた印象を受ける。

ホームレスとも思えないが裕福にも思えない被害者は、借金踏み倒しや不義理を働いたことで殺害されたと筆者はみている。被害者が暴力団関係者であれば警察、組織側でも動態は把握しており、身元不明のままにはならないのではないと考えられる。

それならば仕事関係者や身内から「もしかして」と声が挙がらないのはなぜなのか。

 

■なぜ身元が特定されないのか

ひとつめに家族や知人が少ないこと。歯磨き習慣が身についていなかったことを重視するならば、ひとり親や養護施設など身寄りの少ない環境で育ったことも推測される。

 

次に事件のニュースそのものが届いていない可能性だ。

「殺人の疑いのある死体遺棄事件」が当時どこまで大きく取り上げられたか。地元紙は続報を伝えているが、テレビ報道では被害者遺族や手掛かりがないことにはニュース映像にできず、バリューは低下する。

発見当時に栃木県内でのテレビ放映があったのか確認できていないが、扱ったにしても「事件としての情報がない」ためボリュームは極めて限られる。要はニュースにしづらい事件であり、被害者が栃木県外の人物であれば尚のこと関係者の耳に男性の死が伝わっていないことが予想される。

遺体の発見は1996年4月21日で、その3日後には前年5月に逮捕されたオウム真理教元教祖・麻原彰晃こと松本智津夫の初公判が東京地裁で開かれている。全国報道も人々の関心も栃木の片田舎で発見された「名もなき遺体」に向かなかったことは疑いようもない。

 

さらに男性に失踪するような理由があった場合、たとえば多額の負債や周囲とのトラブルを抱えていたりすれば、あえて身内や知人も捜索願を出さない可能性は考えられる。こどもや若者が理由もなく姿を消せばだれしも心配するが、40~50歳代男性となると周囲が「夜逃げ」で納得してしまい届け出すらしていないことも考えられる。

トナリ山本復顔図

かたや捜索願は出されているが、届け出が見逃がされているケースも考えられる。捜査本部は「県内最古の未解決事件」を躍起になって調べていることとは思うが、届け出情報の不足や届出人の誤解・情報の曖昧さによって被害者と一致が確認されない、あるいは確認すべき届出人と連絡が取れなくなったケースなども想像される。

たとえば栃木では次のような「見逃し」事例が存在する。

 

2008(平成20)年6月1日、栃木県塩谷郡塩谷町風見山田の町道脇に捨ててあった旅行用キャリーバッグの中から拘束された若い女性の遺体が発見された。翌年9月に復顔イラストが公開されたものの身元が判明せず、2011年6月に死体遺棄罪の公訴時効が成立。しかし10月に入って捜索届を受理した大阪府警の捜査員が復顔と捜索中の女性が似ていることに気づき、栃木県警と家族に連絡を取った。

DNA型鑑定や歯型の照合により、女性は2007年9月18日に行方が分からなくなった大阪府守口市在住のOさん(失踪当時25歳)と判明。なぜ彼女は大阪から600km以上も離れた栃木県で他殺体となって発見されたのか。

大阪府警と栃木県警は合同捜査本部を設置し、Oさんのパソコンを解析。チャットサイトを通じて栃木県宇都宮市に住む男との交際関係を確認し、2012年1月24日、不動産販売会社社員平垣巨幹(51)を殺人の容疑で逮捕した。平垣には妻子がおり、関係がこじれたため清算したくて殺害したと容疑を認めた。

平垣は2007年9月18日に東京都内で太田さんと待ち合わせ、江東区内のビジネスホテルで首を絞めて殺害。用意していたキャリーバッグに詰め、栃木に運んで遺棄したとされる。

無論、栃木県警も家出人捜索願の照合を行っていたはずである。思うに、発見までの8か月で腐敗が進行し、顔貌はおろか身体的特徴も充分には把握できなかったと想像される。府警捜査員の奇跡的ともいえる気付きがなければ完全にお宮入りとなっていた事件だ。

家出人の届け出にどの程度の情報が含まれるかは人によると思うが、生存者発見につながる情報しか収集されていないはずで、前科などがなければ「DNA型」や「歯型」「指紋」といった個人の身体識別データは含まれない。

だが現実には腐乱や白骨化して発見され、生前の身元すら判明しない行旅死亡人は年間600名を超える。本件のように「不審死」でなければ自殺か他殺かもあやふやなまま詳しい調査が行われないケースも存在する。

年間80000件超の捜索願すべてのDNA型鑑定は現実的ではないにせよ、ケースによって情報調査の追加、家出人捜索の再検証など捜査システムの見直しを行う必要があるのではないか。

 

過去記事の兵庫県千丈寺湖(青野ダム)死体遺棄事件でも被害者は10年以上身元が判明していない。三田署・武田香刑事課長は「知り合いに似ている、10年以上顔を見ていない人がいるなど、ささいな情報でも連絡してほしい」と呼び掛けている。

三田署TEL 079563-0110

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

市貝町の事件に話を戻そう。

身元特定に至らないもうひとつの可能性として、「見せしめ殺人」との見方も考えられはしまいか。

家族を失った独身男性であったとしても、40年50年間だれとも関わりなく生きてきたということはない。今日であれば40歳50歳の引きこもりで長年人間関係をもたない人もいるかもしれないが、1996年はそこまで没交流で生き抜ける時代でもなく、いわんやネクタイを締めた引きこもりなど考えられない。

だとすれば、家族や知人が彼の死や長期失踪に気づいても申告できない事情があるのではないか。男性は生前殺されてもおかしくないような事情を抱えており、犯人は「逆らえばこうなるぞ」「約束を破れば同じ目に遭わせるぞ」と周囲への見せしめに殺害したと考えれば、隠す意思のない遺棄の仕方にも合点がいく。家族や知人は犯人からの報復を恐れて申告を躊躇しているのかもしれない。

 

 

身元が判明すれば捜査は大きく進展する可能性がある。事件の背景ははっきりしないが、今ものうのうと暮らしているかもしれない犯人を野放しにはできない。人知れず第二第三の被害者を生んでいる可能性だって考えられる。市民の気付き、些細な心当たりから凶悪事件の綻びを明るみにし、解決につなげてもらいたい。

被害者のご冥福をお祈りいたします。