いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

八戸女子中学生殺害事件について

1993年(平成5年)に八戸の住宅街で起きた女子中学生殺し。被害者は「早く帰る」と友人たちに言い残し、母親が帰宅するまでの25分間の留守中にこの世を去った。

 

事件の発覚

1993年10月27日(水)午後6時23分頃、青森県八戸市城下4丁目の民家で中学2年の女子生徒が遺体となって発見された。

室内に血まみれで倒れていた被害者は宮古若花菜さん(14歳)で、第一発見者は帰宅してきた母親だった。玄関は鍵が開いており、内側からガラスが割られて外に飛散していた。外に助けを求めた母親から話を聞いた近隣住民が警察に通報。10数分後に救急隊員が駆け付けたが、搬送途中に少女の死亡が確認された。

 

遺体は母親の寝室で仰向けの状態で見つかり、両手首を後ろ手に縛られ、口は粘着テープで塞がれていた。発見時は半裸の状態で、上は紺色の学校指定ジャージの上に白系のパーカー姿、剥ぎ取られたズボンと下着が頭の脇に置かれており、下半身は座布団が被せられただけの状態だったが、性的暴行の痕跡はなかった

玄関のガラス戸は室内側から割られており、寝室以外では廊下に一箇所だけ血痕が見つかった。また廊下には引きずったような痕跡が残されていた。

翌日、弘前大学法医学教室で司法解剖が行われ、死因は心臓を貫通する深い刺し傷が致命傷となった失血死でほぼ即死と見られた。死亡推定時刻は27日午後6時前後と推認されている。左胸部の刺し傷のほか、左頸部、右ふくらはぎ、左膝に切り傷が複数あった。

 

若花菜さんは幼少からモダンバレエの習い事を続けており、この日も午後7時からのレッスンに参加することになっていた。近く発表会が行われることになっており、バレエ教室には当日着る衣装が届いていたという。母親は家政婦の仕事で近くの病院に通っていたが、水曜日は送迎のために普段よりも早めに切り上げさせてもらい、6時50分頃までに車で娘を送迎することになっていた。

学校の友人は若花菜さんが「午後6時までに帰り、20分頃まで家にいないといけない」と話していたのを覚えていたが、その理由を聞かされてはいなかった。5時半頃に陸上部の部活を終えて友人2人と学校を出、いつも立ち寄る食料品店に寄らず「今日は早く帰らなくては」と本八戸駅前で別れていた。

友人たちの帰宅時間から逆算して、駅前で別れた時刻は午後5時53分頃と確認される。午後5時58分に部屋の灯りはついていなかったとする通行人の目撃証言があったこと、駅から自宅まで約500メートルの距離であることから、被害者の帰宅時刻は午後6時頃と推測された。単なる偶然か犯人が意図したものか、少女が留守番していた僅か25分の間に起きた犯行であった。

イメージ

翌28日未明、青森県警は殺人事件と断定し、八戸署に捜査本部を設置。131人の捜査員が夜通し周辺の捜査に当たった。

被害者が「今日は早く帰る」と匂わせていたことから自宅でだれかと会う約束があったとも考えられ、現場状況などと合わせて「顔見知り」による計画的な犯行との見方を強めた。また被害者はまだ中学生で交友関係にも限りがあり、殺害されるにはあまりに理由に乏しい。第一発見者である母親に対しても詳しい事情聴取が半年余りにわたって行われており、警察は母親およびその周辺人物の存在にも疑いを向けていたとみられる。

 

現場状況と遺留品

現場となった自宅は住宅密集地にある一般的な平屋建て民家だった。遺体の見つかった母親の寝室は、玄関出入り口から見て最も奥まった位置にある。玄関等は出勤の際に母親が施錠したものと認識していたが、居間の掃き出し窓、風呂場の脱衣所と玄関脇に施錠されていない窓もあった。鑑識の結果、脱衣所と玄関わきの窓から人が出入りした形跡は認められなかった

寝室の隣にある居間のこたつにはスイッチが入っており、部屋の電灯が点いていた。こたつの上には、犯行に使用された布製粘着テープの残り、灰皿替わりに使用されたコーヒーの空き缶たばこの吸殻2本が残されていた。家族に喫煙者はなく缶コーヒーにも心あたりがないことから、これらは犯人の遺留品と考えられた。

当時、警察庁では全国の科警研DNA型鑑定を導入するように推進していたが、青森県警は95年まで導入されておらず、当時は唾液などの試料は採取されなかった。

被害者の自室には制服や家の鍵などが入ったカバンが置かれていたことから、被害者は帰宅後に一度は自室に入り、その後で襲われたものと考えられた。他の部屋にも物色された形跡や争ったような痕跡は見られなかった。

遺体の脇にはなぜか台所にあるはずの小型出刃包丁が放置されていたが、血痕の付着はなかった。家族の指紋以外は検出されず、凶器として使用された形跡はなかった。殺害に使用された凶器はその後も見つかっていない。

被害者が犯人を威嚇するために包丁を手にした可能性も考えられなくはない。しかし手の自由が利く状態で犯人から逃げ出せたのであれば、台所ではなく脇の玄関に向かうのが自然に思われた。だれが何の目的で出刃包丁を持ち出したのかは判然としなかった。

 

追跡

若花菜さんの家は両親と2人の兄との5人家族だが、父親は年間を通じて関東地方で暮らす半ば単身赴任状態、長男も仕事で県外に暮らしており、事件当時は3人で生活していた。

玄関の鍵は、母親、二男(16歳・高校生)、若花菜さんがそれぞれ合鍵を持っていた。2年ほど前までは合鍵を外の小屋に置いていた時期もあったというが、侵入者がそれだけ時間を置いて合鍵を使用した可能性はやや低い。

玄関は無施錠だったが道路に面しており、居間の掃き出し窓も解錠されていたことから、犯人は人目を避けて窓から逃走したとも考えられた。母親は閉めていたように記憶していたが、うっかり施錠し忘れていたのか、あるいは若花菜さんが帰宅後に窓を開けていた可能性も排除できない。

周辺は混み入った細い路地の住宅密集地で、平日午後6時過ぎという帰宅者も少なくない時間帯であったが犯行は目撃されていなかった。だが現場付近で「不審な中年男が走り去っていった」、「事件後に近くに停まっていた不審車両が見えなくなった」との情報もあり、有力な手掛かりと見て聞き込みを強化する。

当初は周辺住民や学校関係者などを中心に聞き込みが続けられたが、「うちの子を疑っているのか」と保護者に怒鳴られ、捜査員によれば話を聞くだけでも大変なほどだったという。城下地区を中心に1か月で767世帯1785人に聞き込みを行ったものの、事件に結び付く人物情報は浮かんでこなかった。

 

付近で目撃されていた不審車両は、黄色系の三菱製ミニカトッポ(1990-93年型)とみられ、被害者宅の裏にある駐車場に8月頃から無断駐車されていたという。若花菜さんと母親も以前にこの車を見かけていたそうで、「形が可愛らしかったので『次はこんな車がいいね』と話した」という。目撃者によれば、救急車のサイレンが聞こえた午後6時半頃、白いシャツを着たノーネクタイの男がこの車で走り去ったとされる。

車の後部ガラス内側に「赤い唇をかたどったビニール製の飾り」と後部側面の「白い網状のアクセサリー」が目に付いたとされ、事件との関連も視野に、岩手県北部も含めて近郊の登録車両約1900台のうち約680台を捜査したが、車両の特定には至らなかった。

当時はまだ新しい車種で個性的な外観と内装品を備えていたことからも、確認できたのが1/3程度というのは納得しがたい数である。しらみつぶしに辿れば犯人に行きつくとの判断から車両情報の公開はしばし見送られ、車両情報の公開は事件発生の3年後となった。この遅れが無ければ捜査の風向きも変わっていたかもしれない。

セカンドカー需要を受けて人気を博したミニカトッポ

近隣に住む16人がガラスの割れる音を耳にしており、「たすけて」という声があったとも報じられている。時間帯は午後6時12分から20分頃と絞り込まれた。

左ひざの傷は浅く、首やふくらはぎの鋭利な刃物でつけられた切り傷とは異なることから、捜査本部では、両手を拘束された状態の若花菜さんが逃げ延びるために扉を破ろうとして負傷したとの見方をしている。

この読みが正しければ、20分頃まで被害者は存命だったことになり、母親が帰宅する僅か5分前に殺害されたとも考えられる。犯人も母親も間一髪のところでニアミスしていたのである。

また事件前、仕事を早く切り上げた母親は買い物とクリーニング店に立ち寄ってから帰宅していた。「そのまま帰れば若花菜より早く家に入ったと思う」と発言している。そのため、犯人が家で待ち伏せていたとすれば母親が先に接触した可能性があったと見て、警察も母親の交友関係や怨恨の可能性を追及していた。だが母親に心当たりの人物はなく、ポリグラフ検査にまでかけられたが不倫相手のような人物も浮上しなかった。

 

遺留品の粘着テープは、段ボールと同系色で幅約5センチ、「日東電工」社製の布製テープと判明。市販品だが近郊では文具店などでの取り扱いはなく、本八戸駅前のスーパーのみで販売されていた。店のレシートを照合し、店員に確認すると、事件当日の10時50分頃に40歳前後の中年男性がこのテープと「干しがれい」の2品を購入していたことが分かった。

捜査本部は購入者の特定を進めたが、会社員男性(49)が自ら名乗り出て事件と無関係であることが判明した。同店では粘着テープは日に一本売れるかどうかだというが、販売範囲やスーパーの販売記録をどこまで遡れたのかといった詳報は伝えられていない。

 

11月2日までに、犯行時刻ごろに若花菜さん宅に訪問客があったことが判明する。

訪問した男性は彼女と顔見知りで、調べに対し「集金で立ち寄り、若花菜さんと玄関先で1、2分立ち話をし、『母親は早くとも午後6時半でないと帰らない』と言うので帰った。特別変わった様子はなかった」「中に人がいたかどうかは分からない」と話した。

若花菜さんの帰宅は午後6時頃とみられたが、集金男性の訪問時刻は「午後5時半から50分頃」だったと話しており、なぜか時間に食い違いが生じている。

さらに男性の証言によれば、着衣は「紺色のジャージ姿」だったとされる。友人たちとの下校時はジャージの上にパーカーとジャンパーを重ね着しており、遺体となって発見されたときにはジャージの上に白いパーカーを着用していた。すべての証言が正しいとすると、帰宅して一度ジャージ姿になって集金男性に応対した後、再びパーカーを着用したということになる。

 

吸い殻入れとされたコーヒー缶から指紋は検出されず、手袋をはめていたか拭き取ったとの見方が強い。家屋周辺からは複数の足跡、室内からは家族の物とは異なる指紋が数個採取されており、関係者との照合作業が続けられた。また現場で採取された毛髪や繊維片の鑑定も行われた。

たばこの銘柄はマイルドセブンライトとみられ、同製品は八戸市内で販売量がベスト3に入る人気銘柄であった。また吸い殻付着の唾液から血液型が特定されていると言い、何型とは公表されてはいないが、2本とも同じ血液型であったことが報じられている。

 

事件から一か月後、山田寿夫県警刑事部長は会見で「筋が読みにくい難事件」と述べており、初期捜査の難航に苦渋の色を滲ませている。物盗り目的で侵入して鉢合わせた可能性も排除できず、執拗な手口と不自然な切り傷からは彼女に対する怨恨も読み取れた。松尾好将県警本部長も定例記者会見で容疑者特定に結び付く物証に乏しく、動機も特定しづらいと述べて長期化を示唆した。

市内から寄せられた不審人物に関する情報や素行不良者、過去の性犯罪歴などがリストアップされたが確たる容疑者は浮上せず。県警幹部は捜査対象を広げていった結果、「犯人像がどんどんぼやけていった」と振り返っている。

 

青森県警では15年間で捜査員延べ12万人を動員し、調査対象者は延べ1800人、およそ600名から事情聴取したが犯人の割り出しには結びつかなかった。

2008年10月27日、殺人罪の公訴時効を迎え、コールドケースとなった。現場を知る元県警幹部は「犯人の動機が今でも分からない。あの事件だけは心残り。目をつぶるといまだに被害者が倒れていた現場の状況を思い出す」と唇を嚙んだ。若花菜さんの兄は時効に際して、次のようなコメントを発表した。

「15年もの間、靴底を減らして捜査してくださった警察各位の方には感謝しています。しかし、できるなら逮捕して欲しかった。
青森県の皆さん、八戸市の皆さん、私たちを育ててくれた城下4丁目の皆さん、15年の間、宮古若花菜を忘れないでもらってありがとうございます」

 

 

所感

動機や犯人像の見えづらさ、比較的短時間の犯行ながらテープで口を塞ぎ、両手を拘束し、玄関ガラスが割られ、致命傷以外にも複数の切り傷があるなど多くのイベントが立て続けに起きている謎多き事件である。

 

まず筆者が引っ掛かる点は「午後6時までに帰宅し、20分頃までは家にいなければならない」とする友人証言である。それと聞くと誰かと会う約束があったようにも聞こえるが、携帯電話も普及していない当時、午後7時には習い事があり、6時半頃には母親が帰宅すると分かっている状況で誰かと待ち合わせたりするものだろうか。

たとえば恋人のような相手であれば、わざわざ習い事のある水曜日に自宅で会うというのは腑に落ちない。じっくり話したり遊んでいられる時間はなく、顔を合わせるだけ、何か物を渡す用事などがあったにせよ公園やお店の前など「外」で待ち合わせていれば済むことなのだ。

単に「早く帰宅したい」ことを友人に誤魔化しただけではないだろうか。学友らにバレエの習い事を周知していたかは記事などから読み取ることはできない。だが発表会が近かったことを鑑みれば、若花菜さんは気分が昂っており、普段より少し早めに帰宅して、母親が帰着次第すぐにもレッスンに行きたかったのではないか。友人たちにそうした感情を素直に話すのも少し照れ臭く思い、早く帰りたい理由を告げていなかっただけのように思われる。

集金に来た男性のように被害者と面識があり、玄関を開けさせる口実があれば侵入はいともたやすく思われる。当然警察もこの男性には厳しい疑いの目を向けたはずである。

集金男性の証言はやや曖昧な印象を受けるが、仮に「5時半から50分頃」という訪問時刻が正しければ、事件のあった27日よりも前に訪問していた可能性もあるのではないか。集金できていれば何かしら「集金済み」のチェックが記録されるはずだが、未納のままでは「受領日」は記録されていなかったはず。日付を誤解していたとすれば、ジャージとパーカーの謎もクリアできる。

あるいは別の家の集金先と記憶が入り混じっているとは考えられないだろうか。「同じ中学のジャージ姿」で「それらしい年頃の少女が留守番」していた記憶があれば、後から殺害のニュースを見知って「あの家の子が!」と気が動転して誤認が生じてもそれほどおかしなことではない。

 

市街はまだ帰宅者もあり、夕飯の支度時で在宅者も多い時間帯である。不在時を狙った日中や就寝時を狙う深夜の犯行ならばまだしも、侵入窃盗に入る頃合いとしてリスクが高いのではないか。

被害者の学友であれば自宅を知っていても不思議はないが、殺害後ものうのうと学生生活を続けていたのであろうか。近郊の素行不良者などであればやはり動向をマークされるはずで、何かトラブルを起こせば取り調べにかけられる。犯行後も捕まらずに素行をあらためるとも考えにくい。

次兄は高校で応援団長であったため、それなりに目立つ存在であったと考えられる。また2人の兄の交友筋であれば、自宅を知っていたり、妹の存在を知っていてもおかしくはない。兄に対する恨みの報復を妹に向けたり、少女へのわいせつ目的に忍び入ったといった想像もできなくはないが、被害者家族の情報は限られているため妄想の域を出ない。

被害者宅に喫煙者はないことからすれば、おそらく灰皿もなかったであろう。93年当時は男性の喫煙率が年代によって50~60%前後あり、吸い殻の「ポイ捨て」はどこにでも見られる光景だった。犯人は吸い殻入りの空き缶を外から持ち込んだのではなく、「室内で喫煙する」ために缶を用いたと見てよい。

殺害後に気分を落ち着けるために喫煙する心理というのもありうるが、ガラスの割れる音から母親の帰宅までの時間的余裕はない。犯行前に室内でコーヒーを飲み干し、たばこ2本を吸っていたとすると、少なくとも6分から10分程度は滞在したと見込まれる。言わんとしていることは、犯人は「居間でしばし寛いでいた」ということである。そこから浮かび上がる状況は、家族の知人を騙って家に上がり込んだ可能性である。

実際に顔見知りだったか否かは分からない。被害者の連れ合いや友人であれば「習い事があるから」と退けられるところ、家族の知人となればおいそれと追い返すわけにもいかない。夕刻で帰宅も近い頃合いとみられ、被害者が「もうすぐ帰ると思います」と家に上げてしまったのか、「暗いし、ちょっと待たせてもらうわ」と犯人自ら上がり込んだのか。

 

時効前後にインターネット上で囁かれた怪情報のひとつとして、母親の不倫相手を疑う声もあった。確かにそうした旧知の人物であれば、被害者も「母は6時半ごろに帰る」と言って家に上げてもおかしくはない。だがまもなく帰宅すると知らされていながら娘に手を出すような衝動性の高い不倫相手であれば、警察に尻尾を掴まれていはしまいか。

未解決事件では、周知されない密かな人間関係として「不倫相手」犯人説は実しやかに「地元の噂」として流布されやすい。人々の性的好奇心を刺激し、本件では父親らが遠方で生活していたことや母親の聴取が長期に及んだこと、地元での聞き込みが繰り返され、一部に反感を買っていたことなどもそういった想像の補強につながったとみられる。

例えば近年では茨城県境町の一家殺傷事件でも、容疑者が浮上していなかった時期には、両親が殺害されて子どもたちは殺害されなかったことから「不倫相手に襲われた」とする説がネット上で広まった。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

不倫相手が殺傷事件を起こすこともあるが、基本的には不倫相手やその配偶者への攻撃が先んじる。日野不倫OL事件のように言葉も言えない赤ん坊を狙うのであればまだしも、中学生では攻撃対象の範疇には収まらないように思える。当時は偶々不在だったとはいえ、家族構成を知りうる犯人からすれば、被害者や母親より先に二男の兄が帰宅してくることも想定されたはずである。

いずれにせよ実際に親の不倫関係の容疑者が浮上していれば、被害者の兄も捜査機関や周辺住民に前述のような感謝のコメントを出していないのではないか。筆者としては、不倫相手説はデマだと結論付けたい。

 

読売新聞は、犯人は被害者の帰宅前に室内で待ち伏せしていたとする捜査本部の見方を紹介している。

家の構造からして、帰宅した若花菜さんは奥の部屋にいた侵入者に気づかないまま玄関から真っ直ぐ自室に向かうことは充分考えられる。彼女にフラれた男が豹変してストーカー行為に走った可能性も考えられるが、学生であれば「惚れた」「告られた」「フッた」「フラれた」といった恋愛事情は学友たちも比較的知るところであり、すぐに相手が判明しそうなものである。

 

犯人は彼女を待ち構えて潜伏していたというより、窃盗などで侵入したが帰宅に鉢合わせてしまったケースが思い浮かぶが、物色の痕跡もない。

筆者は、被害者の親世代に近い40代半ばのわいせつ犯の仕業ではないかと見ている。

犯人について確実に言えることは、粘着テープや刃物とみられる凶器を持参しており、殺意の確証こそないが何らかの犯意・計画性があったことは事実である。

 

強制わいせつの手口として、玄関からの押し込み事例がある。学生が帰宅時の玄関で解錠動作をしていれば、家族の不在が予測される。不可解な犯行時刻についても、犯人は下校時刻の女子学生を物色して目を付けられたとすれば受け入れやすい。友人と別れて一人で家路を急ぐ少女を「捕獲者」はつけ狙ったものか。

犯人は親の知人を騙るなどして、まんまと部屋に上がり込み、家人の不在を確認した。こたつに居座って煙草を取り出すと「灰皿もらえるかい?」等と言って油断を誘ったのかもしれない。

レッスンを控えているが親の客人を追い返すわけにもいかず、少女は飲み物か茶菓子、あるいは灰皿でも用意するために台所へと向かう。すると背後から男が忍び寄り、密かに持ち込んでいた刃物を彼女に向けた。

「大声を出すな。大人しく言うことを聞け」

逃げ道を塞がれて台所に追い詰められた少女は咄嗟に出刃包丁を取り出して抵抗を試みる。しかし腕力に劣って男に制されると、無理やり奥の寝室まで引きずり込まれた。

「無駄な抵抗はよせ。危ないものを使えなくしてやる」

テープで腕を拘束され、口を塞がれると少女は抵抗を見せなくなった。男は奪った出刃包丁の指紋を拭うと、缶コーヒーなどの指紋を拭き取りに行ったのか、金品でも物色する気になったのか、避妊具でも探そうと思ったのか、その場を離れた。

少女はその隙を見て俄かに立ち上がると玄関へと走り、手が使えないためドアを突き破ろうと体当たりしたがガラスが飛散しただけで逃走は失敗。気づいた男は、少女を引きずり戻して再び寝室へと押し込んだ。

「聞き分けが悪い娘だ。逃げられないようにしてやる」

嫌がる少女のズボンを強引に引きづり下ろした犯人は最後に忠告した。

「警察に何か話せば、最悪の場合、俺は捕まるかもしれない。だがお前は“強姦された”と一生後ろ指を刺されて、家族にも迷惑を掛けることになる。お前さえ黙っていれば、何も起こらなかったことになるんだ」

性犯罪は「親告罪」で被害者からの告訴がなければ起訴されない犯罪とされていた。強制わいせつが非親告罪となるのは2017年の刑法改正からである。以前は世間体や本人の精神的苦痛などを理由として、被害実数に比べて被害届が出された数ははるかに少なかったと見当されている。

しかし少女はその忠告を受け入れることなく、犯人に罵り返し、カッとなった犯人は下心も一瞬で醒め、代わりに刃物を突き立てた。

目的を逸した犯人はすぐに現場を後にし、予期せぬ殺害を犯して気が動転して吸い殻入りの缶を部屋に残して逃走。前歴者の洗い出しに引っかからなかったのは、初犯だったとも考えられるが、前述のようにそれまで「被害届を出されていなかった」累犯者の可能性もある。

 

犯人が「手袋をしていた」可能性も論じられるが、少なくとも缶コーヒーの蓋を開けたり、ビニール製粘着テープを切り貼りした際には「素手」だったと見るのが妥当である。それとも調理や手術など細かい作業で使われるような超薄手のゴム製手袋を93年当時に用いていたのであろうか。あくまで個人の想像に過ぎないが、鑑識、指紋検知において何がしかの不手際があったのではないかと疑っている。

XとYふたつの指紋があったとして、両者の「特徴点」が一致する確率は1/10程度とされる。一致が12点あれば、1/10の12乗(一兆分の一)の確立となり、XとYの合一が認められる「12点原則」というものがある。現場の不慣れなど鑑識の問題で、そうした精緻な鑑定に耐えうる精度の指紋が検出できていなかったのではないかという気がしてならない。指紋に細心の注意を払いながら、吸い殻入りの缶を残していく犯人像は、頭隠して尻隠さずと言うか、どうにも不釣り合いな印象を拭えない。

近くにあったとされる不審車両も犯人のものかは定かではない。車上生活者などだったとしても、事件で近辺にパトカーが出入りし、聞き込みが始まれば、居心地がいいものではないため、滞在場所を移動しただけかもしれない。現場は駅から徒歩10分ほどの近距離で、犯人の移動手段も自動車とは絞り切れない。

もしもを言い出せばきりはないが、現代、せめて2000年代の捜査技術、鑑識精度、DNA型鑑定があれば容疑者特定につながっていたにちがいなく、その無念は殊更に大きいコールドケースである。

 

被害者のご冥福とご家族の心の安寧をお祈りいたします。

 

---

参考

はちのへ今昔: 時効せまる・若花菜さん殺し 1