事件の発生
2003年11月5日、ソウル中心部から北およそ30キロに位置する京畿道ポチョン市のソイル邑ソンウリで、帰宅途中だった中学2年生オム・ヒョンアさん(15歳)の行方が分からなくなった。
その日午後4時頃に授業を終えたヒョンアさんはすぐには帰宅せず、友人の家に立ち寄って級友4人と放課後の楽しい時間を過ごした。
気づけば午後6時を過ぎて辺りはすっかり暗くなっており、解散して少女たちはそれぞれの家路についた。6時18分、すでに門限を過ぎていたヒョンアさんは慌てて携帯電話を掛けた。
「ああ、お母さん、もうすぐ着くから」
だが一時間待てども帰ってくる気配はなく、彼女の携帯に掛け直してみてもつながらず、折り返しの連絡もない。
母は娘の級友らに連絡を取ったが「6時過ぎに別れたきりだ」と聞かされ、通学路周辺を探し回ってもどこにも姿が見当たらない。家族は午後9時に地元警察署に行方不明を届け出た。
毎日行き来する通学路は800メートルほどの近距離で、本来ならば夜道といえども10分と掛からない。友人宅を出てから自宅に向かう途中で母に電話を掛けていたことはすぐに分かったが、その直後に彼女の身に何が起きたというのだろうか。
家族は警察に徹底的な捜索を期待したものの、年頃の少女の事案ということで真っ先に自発的失踪を疑われ、その動き出しはあまりに鈍く映った。
夜遊びに明け暮れ、悪い大人にたぶらかされるような不良少女などではない。家族仲や円満で友人関係も良好、入学から2年間欠席もしない誠実な生徒に家出する動機など見当たらなかった。
わざわざ「もうすぐ着くから」と親に連絡を入れて寄越し、学校帰りに通学カバンひとつで家出するなど聞いたことがない。家族は不安と捜査機関への憤りを募らせた。
最後に友人と別れて一人になった場所から自宅までは、地元民しか使わないような道幅約2mの細い農道だったが、事故などの痕跡がないのは一目で明らかだった。
営利誘拐などの線も勘案されたが、家族に恨みを買う心当たりはなく、その後も脅迫電話の類は入らなかった。
おそらく電話を切った直後、午後6時20分前後に何者かに連れ去られたものと考えられたが、周辺での目撃や悲鳴を聞いたなどの情報は出なかった。
行方不明者捜索の先陣を切ったのは捜査機関ではなく彼女の通う中学校だった。地域住民らと捜索隊を組み、学区周辺での捜索が開始され、翌年1月まで続けられた。
家族もじっとしてはいられず、情報提供を募るチラシを15万枚刷って各地で配ったほか、立て看板、メディア出演など考えつくかぎりのアピールに奔走して情報提供を求めた。
身長160センチ、体重40キロ、当時は短い髪を後ろで束ね、制服姿に白いスニーカーを着用といった内容で、写真に映るヒョンアさんは見るからにどこの学校にでもいるような真面目で平均的な中学生だった。
彼女のことを直接知らない人々でも、その失踪は家出や夜遊びトラブルなどではなく連れ去り事件にちがいないと思われた。
家族の懸命なアピールや学校の動きは広く報じられ、警察も単なる家出でないと認めるところとなり捜索に人員が割かれた。一帯では遺留品の捜索に全力が注がれていた。
3週間後の11月28日、ヒョンアさんの自宅からおよそ7.4キロ離れた京畿道ウィジョンブ市の民楽洞~楊陽洞付近のごみ収集場で、彼女の通学用カバンや靴下、ネクタイ、手袋、ノート類が発見された。
事件性は決定的となり、行方不明捜査班は「強力犯罪事件」捜査本部へとスライドしたが、指紋など犯人の痕跡はなく、少女の安否や犯人の移動ルートなど事件の全容もつかみきれないままだった。
行方不明から47日目の12月22日、民楽洞の道路工事現場近くに設けられたゴミ穴で彼女の携帯電話とスニーカーが発見される。携帯電話本体から電池パックが外されており、それらは堆積物の山の上にこれ見よがしに置かれていたという。
犯人は地域住民の混乱を、捜査の完全な出遅れを嘲笑しているかのようにも思われた。世論も紛糾し、警察も犯人の特定・検挙に向けて総力を傾注する。
軍部隊出身者のヒョンアさんの父親もポチョンやウィジョンブー地域の部隊に支援を求め、ゴミの山を総ざらいしてさらなる遺留品や証拠の収集が続けられた。
しかし、家族が信じ、人々が願った一縷の望みは潰えた。
2004年2月3日、ウィジョンブ市イドンギョにあるチュクソク釣り場付近の凍てつく農業用排水管で少女の全裸遺体が発見される。
自宅から南へおよそ6キロで、現場からさらに2キロ南下すると遺留品の発見現場とほぼ直線状につながる。
再会の抱擁を心待ちにしてきた両親や友人たちはショックに打ちひしがれた。死体確認のためにソンウリ病院を訪れた母親は気絶して治療を受けたとも伝えられた。
苦しみも悲しみも知ることなく、ただ毎日ともだちと学んで遊んで、ときに悩み、大いに笑いながら過ごす輝かしい青春時代と、その先に開かれた未来を、彼女は完全に奪われてしまった。
排水管の直径はおよそ60センチの円柱型で全長7.6m。発見を遅らせるためなのか、遺体は奥まった中間地点に押し込まれるようにして足を曲げた姿勢で見つかった。
管の入り口の片方は「29インチテレビ」の空の梱包箱で塞がれるように置かれており、犯人が即席の目隠しとして設置したものかと思われた。
排水路近くでは三叉槍状の農具が見つかり、警察は所有者を探し当てたが、数か月前に偶々失くしていたものらしく事件との関連は分からなかった。
テレビの空き箱の流通先を追跡したところ、こちらも配送業者が偶然にも近辺に空き箱だけ捨てていただけだったことが明らかとなり、事件とは無関係と判明した。
見つかった遺体の上半身はひどく損傷していたが(*)、下半身は比較的きれいなままだった。拘束具の痕跡や目立った外傷は見当たらなかったが、頸部は損傷がひどく首を絞められたような痕跡などは確認することができなかった。
発見場所近くでコンドームと精液付着のティッシュ片が見つかったことから性的暴行が強く疑われたが、精液の検出や性的暴行の痕跡は認められなかった。頭部に出血が見られたが死因と直接関連付けることはできず、上半身の状態から詳しい剖検は不可能とされ、死因は特定不能とされた。
(*腐敗だけではなくネズミなどによる毀損もあったと推測されている。)
そんななか本件で最も注目されたのは、手足の爪に赤いマニキュアが塗られた状態で発見されたことであった。
校則でも厳しく禁じられており、ヒョンアさんは普段マニキュアを使用することはなかった。しかもその塗り方は粗雑ではみ出しが多く、通常は爪先から結節部に向かって塗るべきものを横方向に塗られており、不慣れな本人の手によるものかも不審に思われた。
さらに爪の状態を具に確認してみると、驚くことにマニキュアは死後に塗られていたことが分かった。マニキュアが施された後で爪の先端が削られていたのである。
遺留品の多くは発見されているが、ネクタイを除く「制服」「下着」「ストッキング」は依然として見つかっていない。犯人が自らの手で焼却したり、ゴミとして捨てられて発見されずに処分されたりした可能性もあるが、犯人が「記念品」として収集していることも考えられる。
逆に言えば、精子は検出されずDNA型の有無も報じられていないが、「記念品」によって犯人を特定できる希望はほんの僅かではあるがまだ残されている。
ヒョンアさんの葬儀は2月13日に行われ、その後、母校では名誉卒業証書が授与された。
彼女が通った2年7組の教室で追悼式が催され、代表のアン・ソルジさんが「ヒョンア、天国でどうぞ安らかにお眠りください。私たちはあなたのことを決して忘れない」と弔辞を送った。母イ・ナムスンさんは「大好きなヒョンア!」と声をあげ、号泣して気を失い、周囲も心痛な思いに駆られた。
およそ2年後、オム・ヒョンアさんは元軍人のホン・イクソンさんと結婚式を挙げた。
彼女の両親が捜索活動でチラシ配りをしていた際に、早くに子を失った悲しみを持つホンさんの母親が進んで手伝ってくれたことが縁となり、二人はいわゆる冥婚(死後結婚)で結ばれたという。
諸事件
犯行様態、時期や地理条件などからいくつかの事件との関連が疑われた。
①女子中学生強制わいせつ事件
本件発生のおよそ5ヶ月前となる2003年6月7日、ポチョン市ソヒルエプに住む女子中学生2人が帰宅中に乗用車に乗った男性3人に誘拐され、性的暴行を受ける事件があった。
中学生2人はソンウリ市場付近で群青色の乗用車に乗った20代の男性3人から「お父さんをよく知っているよ」と声を掛けられた。犯人たちは2人を車に乗せて拉致した後、性的暴行を加え、ドンドゥチョン市方向に連行してから解放した。少女たちは命に別状はなかった。
警察は2004年2月13日、逮捕した3人のうち、事件当日に現場近くで携帯電話を使用していたパク某(24歳)を対象にヒョンアさん殺害事件との関連性を調査したが手がかりを得られなかった。
②ソウル地下鉄駅連続連れ去り殺人事件
2003年7月17日深夜11時半頃、チェ某さん(29歳女性)は実家に子どもを預けて、自分の誕生日パーティーに行く途中、地下鉄ノウォン駅付近で行方が分からなくなった。
7月29日には勤めの帰りに友人と会ってからリ某さん(24歳女性)が帰宅途中の深夜11時20分頃にヨンダプ駅付近で行方が分からなくなった。
両駅間は10数キロ、車で20分程度の距離があった。それほど遠くない地域で失踪時刻も近かったが、当初、2人の失踪は関連づけられていなかった。
8月1日になって、クリ市葛梅洞の農業用水路で女性の遺体が見つかり、指紋から女性はリさんと特定される。
また8月11日にポチョン市ソイル邑の貯水池の茂みで白骨化した女性の遺体が発見された。翌2004年半ばまで身元不明のままとされていたが、ソウル近郊の行方不明者の遺伝子データ対照により、最終的にノウォン駅で姿を消していたチェさんと特定された。
両者は共通して「胸」と「太腿」に刺し傷の痕跡が認められた。失踪後、ATMによるカードでの引き出しが試みられており、防犯カメラに40代前半とみられる男の顔が記録されていた。男はソウル城北区および京畿道北部に土地鑑があると見られ、特別手配後も依然として捕まっていない。
金銭目的の動機とも捉えられ、被害者の年代も一回り離れているが、行動範囲などから連続被害のひとりであってもおかしくない。
③保険プランナー殺害事件
ポチョン市ソイル邑でヒョンアさん失踪が大きく取り沙汰されていた2004年1月20日午後、保険プランナーのリュウ某さん(47歳)が母親に「昼食を食べに行く」と電話を入れた後、車ごと消息を絶つ事件が起きた。
近場で立て続けに起きた行方不明に耳目が集まり、ネット上では何かしらの関連を疑う声もあった。
警察はリュウさんの交友関係を中心に内偵を続けていたが、2月11日、ソウル市江北区のモーテルで捜査対象者のひとりだったオ某(37)が自殺。
翌12日にはポチョン市郊外でリュウさんの車両が、16日には2キロ離れた場所で通帳11点や小切手帳などの所持品と血まみれのタオルなどが発見された。
自殺に追いやったのは捜査機関の失態だったが、オ某の関係筋からさらに2人の実行犯が浮上し、22日の逮捕にこぎつけた。彼らの供述からリュウさんの遺体が発見された。
リュウさんの羽振りがいいことに目を付けたオ某が商売仲間の2人と共謀して拉致し、拷問でパスワードなどを聞き出して殺害したことを認め、最終的にマニキュア殺人とは無関係だった。
④20代女性わいせつ未遂事案
2004年9月11日午後11時10分頃、ポチョン市宣丹洞(ソンダンドン)で、帰宅途中のキム某さん(24歳)が性的暴行未遂に遭った。
犯人の男は携帯電話で通話中のキムさんに襲い掛かり、20mほど引きずり回した。だが幸いにも通話中だった家族が彼女の悲鳴を聞いてすぐに現場に駆けつけたため難を逃れることができ、男は下着を下ろしたまま逃げ去ったという。
犯人は20代半ばで、身長170cm程度、短髪でサンダル履きだった。キムさんの家族がすぐに警察と救急隊員に通報し、7~8分後に駆けつけたが逃走犯を捕まえるには至らなかった。
ヒョンアさんの遺体発見場所からわずか7kmほどの場所だった。犯人は取り逃してしまったものの、わいせつ目的でマニキュア殺人との関連性は薄いと見られている。
⑤50代女性の変死
2014年11月23日午前7時30分頃、ポチョン市冠仁面タンドン里の農水路で死亡した中年女性の遺体が発見された。胸や首には数十か所もの刺し傷が認められ、身元の分かる所持品などはなく、殺人・死体遺棄などの事件性も疑われた。28日になって身元が特定され、発見された地点から1.8km離れた場所に住むAさん(52歳)であることが判明した。
Aさんは10年前に奇行や鬱病などが原因で離婚を経験して以来、一人で暮らしており、事件直前には経済的な困難を抱えていたことが分かった。警察では、死亡当日、彼女が自ら命を絶つために家から出て凶器で自傷したと結論付けた。また国立科学捜査研究院での剖検の結果、刺し傷の多くに自傷で生じる「ためらい傷」が認められた。Aさんの自宅には、死亡届を出してほしいという旨の遺書も見つかり、Aさん本人の筆跡と確認された。ただ彼女の自傷痕は直接的な死因ではないと考えられ、自傷した後、あちこちを歩き回った挙句、深さ3mの農水路に落ちて溺死したと推定されている。
⓪殉職
本件に関連して、2004年10月16日、担当した捜査班長巡査部長であるユン某氏は、犯人逮捕に至らなかったことに対する罪悪感と責務の重圧に堪えかね、謝罪の意を込めた遺書を残して自死を選択した。その後、同僚警察官たちの長年の闘争によって自殺が「殉職」として認められる事例となった。
事件が全国的に注目されることとなり、マスメディア、さらにネット市民の過熱もあって「警察の初動の遅れ」があらゆる方面から非難の的とされた。嘲笑的な犯行、そして最悪の結果を向かえて警察組織に対する罵詈雑言が容赦なく降りかかった。そして組織内部からの圧力、責任転嫁が捜査を指揮する現場の管理職が被る結末となった。そんな彼の自殺を「無責任」だとは筆者には思えない。あえて言うならば職に殉じた訳ではなく、「殺された」犠牲者のひとりと言えるのではないか。
女子学生を狙った卑劣な連れ去りを思わせたその犯罪は、その特異性から「マニキュア殺人事件」と呼ばれて全国的知名度となった。しかし少女を狙った犯罪は数あれど、類似犯も聞かれず捜査は暗礁に乗り上げた。
2015年8月には韓国でも刑事訴訟法が改正され、殺人や強盗殺人等の凶悪犯罪について「時効の廃止」が認められた(韓国でも時効制度見直しの動きとして2007年改正で最長15年から25年に延長されていた)。これにより長期未解決事件とされていた本件も捜査の再検討が始められた。
糸口
遺留品のヒョンアさんの通学カバンには彼女の塾受講証とノートが残されていたが、氏名の部分が破損した状態で発見されていた。偶発的な破損ではなく、犯人が故意に氏名だけを破り捨てたと考えられている。 そのため専門家の定説として、犯人は早期の発覚を恐れた「被害者の知人」または「面識犯」と指摘されている。
被害者の正確な死因は不明だが、下半身は清潔で、精液検査で陰性反応を示した。そのため犯人はレイプを目的としていなかった可能性がある。一方で、衣服を剥がし、殺害後に手足にマニキュアを施して、削っていた。成果物、記念品として制服などと共に赤い爪の一部を保管している可能性ももちろんありうる。だが犯人の性的欲動に直結する行動と捉えるならば、直接「舐めた」り「齧って食べた」りしたとは考えられまいか。それは性器を介さない屍姦、カニバリズム、性的倒錯の一種と見なすことができる。上半身の損壊部分に関しても唾液等が付着していた可能性は排除できない(齧ったのはネズミだけではなかったかもしれない)。
さらにMBSニュースに出演した捜査関係者は、「惜しむらくは」という言葉と共に、遺体発見当時に起きた状況について述べている。当初、その真っ赤なマニキュアのため大人の女性の遺体だと考え(捜索中の女子中学生とは思わず)、真っ先に身元の特定を急ぐあまり、その場で被害者の両手を沸騰した湯に浸けて指紋を採取したという。もし爪の表面や内側に犯人のDNAが残っていたとすれば、捜査陣が自分たちの手で最も重要な証拠を放棄してしまったことになる。
制服、下着、ストッキングを「記念品」としているならば、いわゆる「制服フェチ」「ロリコン」の趣向が強いことが窺える。被害者に化粧っ気や大人っぽさは感じられず、いわばどこにでもいるような純朴で真面目そうな女子中学生であることも重視されていたのか。年頃の女性であれば、ややもすれば気恥ずかしくなるほどの、むしろ幼児がままごとで塗るような、真っ赤な色で蹂躙したかった犯人の性的未成熟が読み取れる。
当時の携帯電話はGPSのような精度での位置情報を求めることができなかった。だが電源のon/off時、そして通信中に、通信会社の基地局との電波の交信によってある程度の位置関係(どの基地局範囲で使用されたか)の割り出しが可能だった。被害者の携帯電話は母親との通話終了直後、午後6時20分頃にバッテリーが強制的に切断されており、通話の最中にもすでに狙われていた可能性が高い。襲ったり抵抗したりしたとき偶発的に電池パックが外れたのか、犯人が電波追跡に注意を払う周到さを身につけていたのかは明らかではないものの発見時の状態からは犯人が故意に外していたと見なされている。
家路を急ぐヒョンアさんが友達と別れた後に入った路地は、地元民だけが知るような「裏道」だったという。犯行には自転車やバイクではなく、車種の特定はできないが自動車や小型トラック等が使用されたと考えられ、近郊に居住したことがあるか土地鑑のある人物と推定されている。11月、午後6時過ぎの暗い夜道で犯人は性交の相手ではなく生贄を必要としていた。
『それが知りたい』
SBS系列の追跡捜査番組『それが知りたい』では遺体発見前から度々本事件の進捗を伝えてきた。2019年3月30日には事件15年目の特集を組み、独自取材を基にした「容疑者」のモンタージュとプロフィールを作成して公開し、大きな物議を醸した。
警察による捜査は表向き停滞しており、新証拠や新容疑者は長い間更新されてこなかった。番組では「同一犯」と疑われる未遂事件の被害者からの新証言などを基にして構成された。したがって番組独自情報、警察非公認の「容疑者」像である点に留意されたい。
情報提供者Aさんによると、被害に遭ったのはポチョン市に移住して間もない2003年10月31日(金)のできごとで当時大学生だった。夕方、徒歩で帰宅途中に後方から白い乗用車に後をつけられ、運転手が「乗っていけよ」と彼女に同乗を勧めた。近距離なので一度断ったが、運転手の威圧的な態度で拒絶しきれず乗車することになった。
一度年齢を聞いてきたきり、運転手は黙って車を走らせた。だが目的地に着いても車を停めようとせず、男は「自分は独身だ」「お茶を飲みに行こう」等と口にし始めた。そのまま連れて行かれることに恐怖を感じたAさんは、走行中に隙を見て車から脱出。運転手はすぐに車を止めたが、近くの中学校の方向にUターンして姿を消したという。
Aさんはこのとき恐怖心からすぐに通報することができず、1週間後にヒョンアさん捜索を地域に掲げられていた横断幕で知る。「あいつが犯人だろう」と直感したが「すぐに捕まるはずだ」と思い、情報提供に至らなかったと語る。出演を決意したのは自分も娘を持つ親の立場となり、心境に変化があったという。
地理的プロファイリングにより当時のAさんの帰宅ルート上にあった自動車工場に目星が付けられた。かつて存在したその工場では塗装業務も行われており、そこに出入りのあった人物ではないかという。また犯罪心理の専門家は、成人女性を相手に制圧がうまくいかなかったことから対象年齢を下げた可能性を示唆した。
番組ではAさんの記憶を頼りにモンタージュを作成し、催眠療法を駆使していくつかの手がかりを抽出した。車の後部には革製のバッグとカーキ色のジャンパーがあった。体つきは細身で指も細く、男の爪には艶があり透明なマニキュアが塗られていたかのようだった。全体的に男性とは思えないほど化粧をしたように明るい肌だったと語る。
2003年当時「推定20~30代」
2003年前後、京畿道浦川(ポチョン:포천)または議政府(ウチビョン: 의정부)近辺に居住
白い乗用車(ソナタと推定)
当時の車両番号「京畿ナンバー」か?「7357または7359」か?
身長170~175cm、明るい茶色の瞳と茶色の髪型
細長い指、きれいに整頓されたネイル
口ひげ、あごひげがほとんどない
マニキュアの製品情報を入手して周辺の販売店をすべて検索すると、30代男性が同色を購入したとの情報を掴み、従業員にインタビューを行っている。だが当時は精細な防犯カメラも設置されてなく、事件との関連は分からなかった。従業員によれば、男性がマニキュアを買ったのは勤務した3年間で初めてだったと言い、「ガールフレンドや奥さんへの贈り物を買い求めているようには見えなかった」「『どちらの色が濃いのか』と変わった質問をして購入を決めていた」と語る。
後日YouTubeで公開された再編集版の内容によれば、放映後に「通報が一件入った」という。通報者によれば、Aさん連れ去り未遂の容疑者とみられる男性は、ヒョンアさん殺害事件から5~6年後(2009年前後)に自殺したという。
放映内容に対する元捜査員の見解
番組放送の後日、事件担当刑事であったキム・ボクジュン教授はポッドキャスト番組『キム・ボクジュン キム・ユンヒの事件の依頼』の中で放送内容に対する自身の見解や実際の捜査状況などについて語っている。
キム・ボクジュン氏が明らかにしたところによると、周辺地域のマニキュア販売店、購入客に至るまで調査し尽くしており、放送に出た店もチェック済みだと言う。さらに「百貨店から市場まで国内に流通する赤色マニキュアを全部調査したにも関わらず(遺体に塗られていたものと)成分が一致しなかった」と言うのである。
またモンタージュ公開当時、様々なインターネットコミュニティで犯人捜しの動きが再加熱した。その中でも映画『殺人の追憶』などで広く知られ、韓国三大未解決事件に挙げられる華城(ファソン)連続殺人事件の犯人が活動を再開したのではないかとする仮説が大きく取り沙汰された。
日本ではあまり聞きなれないが、韓国では1979年の幼児誘拐事件をきっかけとして「記憶の喚起」を促すために通常の取調とは違う催眠セラピーが捜査の特別手法として用いられるようになった。
実際、ヒョンアさんの遺体発見から1週間後の2004年2月10日、ポチョン警察署は「事件発生当時に通学路で乗用車『トラジェXG』を目撃した」という住民の新証言を受け、催眠捜査を通じてナンバープレートなどを調査することにしたと報じられている。周辺地域およそ2000台余りを調査したが容疑者は浮かんでこなかった。
だがキム・ボクジュン氏は催眠術で導き出された記憶を基に制作されたモンタージュの信憑性に疑問を呈している。マニキュア殺人と華城連続殺人の手口を比較する議論は、2019年3月のモンタージュ放映以前からすでに存在していた。連れ去り未遂からは15年もの時間経過があり、その間、様々な情報を見聞きする内にAさんの記憶が上書き(汚染)されてしまったたおそれがある。
尚、華城連続殺人事件(1986年9月~91年4月にかけて10件の婦女暴行・殺人死体遺棄。2006年4月に全件が公訴時効を迎えた)が精子から採取したDNA型の再鑑定により、真犯人を突きとめたのは上記「それが知りたい」放映から半年後のことであった。真犯人は他の性的暴行および殺人などで服役していた無期懲役囚イ・チュンジェだった。尚、Aさん連れ去り未遂やマニキュア事件当時、彼には「服役中」という完璧なアリバイがあった。
またキム・ボクジュン氏は、そもそも5日前にAさん誘拐未遂に「しくじった」犯人が近隣で再び似たようなマネを繰り返すのはハイリスクだと分析しており、マニキュア事件とは別人の公算が高いとの見解を述べている。
所感
犯行にマニキュアという特徴を残しながらも犯人はその姿を完全に消してしまったのか、それとも今も別の記号をどこかで刻み続けているのか。一般的な性的犯罪の傾向として検挙者は20代半ばから30代にかけてが最も多い。犯人も同様と想定すれば存命との見方は強まるが、転職や転居、病気や事故といった生活環境の変化により犯罪から足を洗って一般市民の「仮面」を手にしているかもしれないし、今頃、車の助手席に赤いマニキュアがよく似合う妻を乗せていることだって考えられる。
国内での議論では犯人像として、「浮き」の自作や改造にマニキュアを用いる釣り師や彩色に用いる造形作家などが挙げられることがある。だが実際の遺体は犯人がマニキュア塗りに「不慣れ」な特徴を示しており、手慣れた人物であれば丁寧かつ精緻に塗りこなすものと考えられる。そのためマニキュアや細かな塗装に手慣れた人物像、女性犯や女装家男性などは除外してよいのではないかと筆者は思う。
キム・ボクジュン氏の「国内に流通するマニキュアは全て調べ尽くした」発言を踏まえれば、おそらくは外国製のマニキュアが使用されたというよりも本来その用途にない塗料(マジックインクやペンキなど)を爪に塗ったと考えるべきであろう。かつての想い人か亡き母親の面影か、犯人はおそらくその鮮やかな赤色が大のお気に入りだったのだ。
発生から20年以上が経ち、謎のマニキュア以外に犯人につながりうる物証はなく、再び事件捜査が大きく動き出す日はいつになるかは分からない。当然犯人検挙に至れば幸いだが自白以外にその活路はないようにも見え、今は類似犯が現れていないことを吉と捉える以外にない。
被害者のご冥福をお祈りいたします。