いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

茨城元美容師女性殺害事件

1993(平成5)年、茨城県南部に位置する筑波山麓の峠道で女性の全裸遺体が発見された。殺人事件として捜査が進められたが、2008年1月に公訴時効を迎えて迷宮入りした未解決事件である。

だが時効の迫った2007年、ある別の凶悪事件と共通点が多いなどとして再び注目が集まった。2005年12月に栃木県今市市で起きた小学1年生吉田有希ちゃん殺害事件、いわゆる「今市事件」と同一犯なのではないかとするものである。

 

93事件

時効まで残り半年を切った2007年8月19日、匿名掲示板の今市事件議論スレッドで「茨城の未解決事件なんだが、遺体の様子が似てないか?」と投稿があり、改めて注目を集めた。

法医学事件ファイル 変死体・殺人捜査―被曝死、焼死、事故死、薬物死…法医学が明かす死体の真実

カキコミが「93」投稿目にあたり、事件発生が1993年でもあったことから通称「93事件」と呼ばれることとなる。

「93」はその後も三澤章吾『法医学事件ファイル 変死体・殺人捜査』(2001、日本文芸社)を引きつつ、以下のような殺害方法に共通点を指摘。

①遺体が洗ったようにきれいだったこと

②10か所以上の鋭利な刺し傷による失血死

③凶器は幅1~1.5㎝、長さ10㎝以上の鋭利なノミ、あるいはヘラのようなものが推測されたこと

④遺棄現場が峠の林道だったこと

⑤発見現場に血痕が残っていないこと

インターネット普及前に発生した事件で検索しても情報が得られないことなどから、当初は事件の存在自体を疑う者もあったが、本や新聞記事で実在する事件と確認され、「偶然とは思えない」「似ているというより同一犯ではないか」との声が挙がった。

 

■身元の判明

1993年1月13日(水)16時ごろ、新治郡八郷町(現石岡市)柴内にある「朝日峠」近くの林道脇で女性の遺体が発見される。第一発見者は筑波山に遊びに来ていた会社員で、車で峠道を下っていたところ右斜面に全裸の女性が仰向けに倒れていたという。

事件から30年近くが経過し、その間に道路整備も行われ、公開されている情報からは正確な遺棄地点を掴むことができなかった。下のストリートビューは「朝日峠より北へ1.2キロ」との記載から推測される位置である。

勾配の急な地点で停車して遺棄したとは考えにくく、発見者も減速していたであろう「カーブの入り口」などではないかと推測する。

かつて筑波山周辺は「ローリング族」と呼ばれる走り屋たちが集まることでも知られ、「暴走禁止」の看板や事故などで損壊したガードレールも多く見られる。現在では同区間にトンネルが開通しているが、逆説的にかつての峠道がそれだけ難路、悪路だったともいえるのではないだろうか。

 

発見された遺体の胸や首に多数の刺し傷があり、石岡署と県警捜査一課は殺人事件として捜査本部を設置。捜査員150人を動員して周辺での聞き込みを行う一方、女性の身元の割り出しのため似顔絵を作成して公開した。

 

女性は身長159㎝、体重45㎏。血液型B型、足のサイズ21㎝。右下腹部に盲腸の手術痕があり、上の前歯2本が差し歯だった。差し歯は3年以上経過しており、歯並びから年齢は20歳代前半と推定された。

 

特徴として、着衣がないにもかかわらず、複数の装飾品を身に着けていた。首には長さ40㎝、51㎝の2本のネックレス。左耳には直径3㎝のイヤリング。右手中指には葉っぱが重なり合うようなモチーフの18金リング、右手薬指には8角形で4本の斜線が入ったシルバーリングがはめられていた。

 

現場には争った痕跡や血痕がなかったことから、別の場所で殺害され山道に運ばれて遺棄されたものと断定された。また当時の山道は車一台がやっと通れるような狭い道で、県外の人間ではなかなか気づきづらい場所だったことから、犯人は当地の地理に詳しい人間ではないかとみられた。

 

似顔絵を公開すると「知人女性に似ている」として下館市に住む会社員男性(21)から連絡が入り、1月15日、該当の家族に確認を求めたところ、顔貌や指紋などから結城郡石毛町で以前美容師をしていた谷嶋美智子さん(22)と特定される。谷嶋さんは12日早朝に自宅アパートで通報を入れたこの男性と会っていたという。

捜査本部は谷嶋さんのその後の足取りや交友関係を中心に情報の洗い出しを進めた。

 

■初期捜査

谷嶋さんの暮らすアパートは関東鉄道常総線・石毛駅から約400mの新興住宅地にあり、92年3月に完成してすぐに入居。トラック運転手をする若い男性と暮らしており、「夫婦かと思っていた」と話す近隣住民もいた。

谷嶋さんは91年8月から知人の紹介で石下町にある美容室に勤め始めたが、92年11月末に「自動車学校に通うため」に仕事を辞めたという。悲報を聞かされた店の経営者は「なぜ。どうして」と動揺を見せ、彼女の人柄について「美人で腕もいい。お客さんの中にはお嫁さんに欲しいという人もいたくらい。おととしの町のカラオケ大会に参加して歌うなど社交性もあった」と話し、別れを惜しんだ。

 

谷嶋さんは92年11月28日に自宅から約1km離れた町営自動車学校(現在は廃校)に入校し、ほぼ毎日通っていたという。

93年1月12日、谷嶋さんは早朝に知人男性と会った後、いつものようにタクシーに乗って自動車学校に向かい、卒業検定を受検していた。試験は9時頃から始められ、10時頃に終わった。

合格者は午後にも講習も受ける必要があったため、谷嶋さんも午後のスケジュールは空けていたと推測されるが、試験は不合格。翌日の予約を入れ、10時半頃に学校を出ていく姿を職員が目撃していた。自動車学校の送迎サービスやタクシーの利用は確認されず、その後の足取りが途絶える。

捜査本部は解剖結果と合わせ、死亡推定時刻は学校を出たとみられる12日10時半から13日16時の間とした。

 

詳しい鑑定の結果、死因は心臓損傷による失血死とされた。遺体の頭部に2か所の皮下出血、胸部に13か所(うち4か所が心臓に達していた)と首に2か所の刺し傷、右足大腿部に1か所大きな切創があった。

また首に幅1㎝程度の「ビニールコードのようなもの」で絞められた痕跡が確認された。抵抗した痕跡がないことから、犯人は首を絞めて意識を失わせたうえで刃物を使ってめった刺しにしたと考えられた。

体内の血液は半分以上が流出しており、遺体を浴槽につけるなどして血痕を洗い流した可能性が指摘されている。

殺害のされ方が、1992年に公開されて大きな話題となったサスペンス映画『氷の微笑』に似ているとして、レンタルビデオ店の顧客名簿が確認されたが、容疑者には結びつかなかった。尚、映画では被害者がアイスピックで31か所めった刺しにされる。

 

■捜査方針

谷嶋さんは筑波山の北部、真壁郡真壁町(現桜川市)で生まれたが、中学時代に両親が離婚し、一度弟妹とともに実母に引き取られた。1年ほどして谷嶋さんだけが真壁の実家に戻り、父親と一緒に暮らした。高校卒業後は石岡市内の美容室で住み込みで勤め、その後、石下町の店に移った。

※本件との類似性はないが、1981年5月に真壁町内の隣接する小学校区で酒寄はるみちゃん(9)の行方不明事件も発生しており、こちらも未解決である。

 

1月16日に執り行われた通夜には親類や旧友ら数十名が集まり、突然の別れに心を痛めつつ、彼女の冥福を祈った。父親は憔悴しており、伯父が親族挨拶を務めたという。

弔問に訪れた旧友女性によると、11月中頃に谷嶋さんから電話があったという。彼女は恋人との別れ話で悩んでいたとし、石毛町内のアパートを出て、下館市内に部屋を借りると話していたという。

1月18日の朝日新聞でも、石岡署捜査本部は「原因は交友関係のトラブルではないかとの見方を強め、谷嶋さんの周辺に浮かんでいる十数人の男性を中心に、捜査を進める方針を固めた」と伝えられている。

 

その後、遺体のあった斜面付近から靴跡、複数のタイヤ痕を採取したとも報じられている。靴跡は遺体から20㎝~1mにあった3か所で、斜面には靴が滑ったような跡があった。サイズは25~28㎝、靴底は平らだった。タイヤ痕は軽トラックのものと乗用車のものなど数種類。

また谷嶋さんについて、自動車学校を出て以降の情報は得られず、自宅に帰った様子が確認できないことから、捜査関係者の談話として「誰かの車に乗ったのではないか」と記事は伝えている。

 

自宅周辺、発見現場、元勤務先のある石岡市つくば市などを対象に聞き込み捜査が続けられ、発生から1か月で約2000戸、1年間で約3500世帯に聞き込みを広げた。交友関係のあった456人からも事情を聴き、遺棄現場付近で見られた不審車両についても666台を調べたが容疑者特定には結びつかず。

目撃情報の乏しさからその後は大きな進展も聞かれず、時効が目前に迫った。

 

■時効の壁

県警は15年間で延べ3万8千人の捜査員を動員し、約3万3000人に聞き込みを行ったとしている。目撃情報の収集に全力を挙げたが、「浮かんでは消えての繰り返し。容疑者につながる情報は得られなかった」と捜査員は悔しさをにじませた。

 

谷嶋さんの伯母は、自分の娘の結婚式に列席してくれたことを思い出しながら「『次はみっちゃんの番よ』と楽しみにしていたのに、もう花嫁姿を見ることができない」と語り、正月に集まったときにこたつでもうすぐ新車が納入されると嬉しそうに話す姿をよく覚えていると振り返る。伯父は「実家で寝たきりになっていた祖母を気遣う優しい子だった。夢が叶ったと聞いてみんなが喜んだんだよ」と懐かしむ。

谷嶋さんの父親は犯人逮捕の報せを待ち続けながら、2006年1月に亡くなった。その後、実家隣に住む伯父と伯母が墓や仏壇を守り、2008年1月、公訴時効の手続きにサインをした。

 

事件の前月まで働いていた美容室の店主は、「仕事ぶりはまじめだった」としつつ、「よく男の子が迎えに来ていた。交友関係が多かったからか、欠勤しがちだった」とも述べている。

高校時代、陸上部で一緒だったという一年先輩の男性は、高校卒業後、美容業界の道に進んだ谷嶋さんについて「手に職をつけて早く独立したいと話していた。男友達も多かったが、寂しさの裏返しだったのかな」と述べ、事件の半年前に電話があったがそのとき話を聞けずじまいだったことを後悔していると話した。かつて「先輩の髪を切ってあげるからね」と言われたのが最後の会話となってしまった。

 

2010年4月、刑事訴訟法改正に伴い、殺人罪など凶悪事件の公訴時効の廃止・期間延長が行われ、1995年4月27日以降の殺人事件の時効が撤廃された。

これにより前述の今市事件のほか、

・1999年(平成11)に筑波山の山林(つくば市高田)で他殺体となって発見された川俣智美さん(19)の事件

・2003年発生の都立高生・佐藤麻衣さん(15)が殺害され五霞町に遺棄された事件

・2004年に美浦村清明川河口に全裸で殺害・遺棄された茨城大学・原田実里さん(21)の事件

・同じく2004年に坂東市の農道脇で首を絞められた状態で発見され後に死亡した県立高生・平田恵理奈さん(16)の事件

など多くの長期未解決事件で時効がなくなった。

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谷嶋さんの事件で公訴時効の手続きを行った伯母は、新聞の取材に対し、「ひとつひとつサインするたびに『ああ、もう終わってしまったんだな、もう事実を知ることはないんだな』って。美智子ごめんねって謝りながらサインしました」と時効当時の心境を明かしている。

時効廃止に一定の評価を示しつつ、「同じ殺人事件なのに、この日を過ぎたら捜査は終わり、と日にちで区切るのはおかしい。時効は犯人にとって自由になる区切りであり許せない。もっと早くしてくれればよかったのに」と改正の遅れに不満を述べた。

 

■今市事件との相違

筆者は本件と今市事件の犯人が同一犯とは考えていない。

だが「93」氏が驚いて書き込んだのも無理はない。氏が今市事件との類似性を見出したテキストは、かつて筑波大学法医学を専門としてきた三澤章吾氏による『法医学事件ファイル 変死体・殺人捜査』で、自ずと事件の周辺情報よりも遺体状況に主軸が置かれる。

とりわけ遺体の「傷」はプロファイリングの大きな要素となる。凶器の刃物がナイフや包丁ではなく「鋭利なノミやヘラのようなもの」と記されている。

はっきりした凶器が特定されなかった今市事件の「幅2㎝程度」の「細長い」刺創とも符合しないではない。今市事件では傷跡から推定される凶器のひとつとして、一般的になじみは薄いが木工職人などが使用する「繰(くり)小刀」の名が挙がったこともあり、特徴的な刃物が用いられたとみられていた。

繰小刀

更に著者の三澤氏は、書き出しから(半ば驚きをもって)遺体がきれいだったことを印象的に述べている。

今でもはっきり覚えているのは、死体がとてもきれいだったことである。
血もきれいに拭き取られていて、全身を洗い清められているようであった。
犯人の被害者に対する特別な心情がそこからうかがい知れる。

何千ものご遺体を扱ってきたプロの目から見て、多数の刺傷と照らし合わせても異例の状態だったことが分かる。

今市事件でも、口と傷口からの出血は少量で、血液をふき取ったか水などで洗い流した可能性が指摘されている。遺体に血液がほとんど残っていなかったことから考えれば、水場で流した可能性が高いと私個人は見ている。

だが三澤氏はこうも述べている。

しかも傷口には繊維やごみなどの付着物がまったくない。
これは裸の状態で殺したという可能性が高いことを意味する。

胸に10か所以上の刺し傷を負っているのは同じだが、今市事件では遺体は全裸であったが服の上から刺された可能性も指摘されている。

また細かい部分だがその表現にも注目されたい。

おそらく犯人は谷嶋さんの頭をまず殴りつけ、首を絞めて意識を失わせてから胸、首などを刃物でめった刺しにしたのではないだろうかーー。

単に「多数回刺すこと」を簡略化して「めった刺し」と表現したのかも分からないが、字面から受ける印象でいえば犯人がやみくもに素早く連続して刺したように読める。

一方、今市事件ではその独特の刺創にフォーカスした情報は多く、きれいなかたちで揃っていたと伝えるメディアもある。「刃物を胸に突き立てて押し込んでいった」「創洞の長さも三か所ほど深いものがあったが、あとはほとんど同じ長さだった」(週刊文春)、「感触を楽しむかのような刺し方」「一度刺した刃を止め、そのあと、さらに力を込めて深く刺しこんだとみられる傷もあった」(アサヒ芸能)といった特異性を指摘する鑑識関係者証言を伝える記事もあり、捜査関係者の「幾何学模様のように」「まるで何かのメッセージか、儀式のようだ」といった見方も紹介されている。

『死体は語る』の著者でも知られる元東京都監察医務院長・上野正彦氏は今市事件について「普通、傷口は刃物を刺すときと抜くときでずれてしまうものですが、創縁がきれいということはそのずれがないということ」と述べている。

実際に傷を見た専門家ではないため断定はできないが、字義通り「めった刺し」であれば、今市事件とは異なり、傷をつける角度や深さにばらつきがあったのではないか

 

刺し傷以外でも、やや異なる外傷がある。

死体には足の裏にもいくつかの傷があったが、これらは鑑定の結果、死亡後に首や胸を刺した凶器とは別のものによる傷だとわかった。

よく調べると、頭には殴られたような跡もあった。さらに首には細い紐のようなもので絞められた跡も見つけることができた。非常に猟奇的である。プロの感が強い。

頭に殴られたような傷があったのは今市事件でも同じだが、本件では「足の裏」にも別の凶器によってできた傷、首を絞めた痕跡が確認されている。三澤氏が何をもってして「プロの感が強い」と評したものかは不明だが、頭を殴り、首を絞め上げ、十数回も刺した犯人は、一撃で仕留められず何度もとどめを刺そうとした印象を受ける。

 

発見現場に関して、山の「林道」という表現上では一致するものの、本件の峠道は車一台通るのがやっとの細い旧道ながら舗装路で、山を越えるための生活道路である。今市事件の遺棄現場は未舗装路で、通常ならば山林の管理車輛が入るばかりの文字通りの林道である(第一発見者は野鳥捕獲の下見に偶々訪れていたとされる)。

日中に被害者を車に乗せて移動し、どこかで殺害してから山間部に遺棄する点は共通している。だが北関東では交通網や住宅環境などからいわゆる「車社会」であり、自動車保有率は非常に高い。

2007年の世帯当たり台数でいえば、全国3位群馬県1.695台/世帯、6位栃木県1.653台/世帯、7位茨城県1.633台/世帯となっている。死体遺棄にバスや電車、飛行機を使う事件もないわけではないが、移動や運送手段として車を用いるのは当たり前と言えば当たり前である。

 

地理的側面について。おそらく両事件とも殺害現場は遺棄現場とは異なるが、犯人の行動範囲や位置関係を押さえておきたい。

本件の最終目撃地点となった自動車学校から発見現場まで東北東に約27kmの距離、自動車で直接移動すれば40分という距離である。筑波山の山間部を通過していれば1時間以上要したかもしれない。

今市事件では行方不明となった「Y字路」から発見現場まで単純直線距離で東南東へ「60km」「65km」といった表記が多いもののナビルート検索では最短72.5kmである。ナビ最短で1時間半と算出されるが、実際には途中で宇都宮市街地や起伏のある山間部も通過するため2時間程度は要する道程とみてよい。

あまつさえ本件は茨城県の人間が県内で遺棄された事件であり、かたや今市事件は栃木から茨城へと県を跨いだ越境事件である。仮に同一犯だった場合、かつて30km程度離れた場所に遺棄して発覚を免れたという成功体験があれば、今市事件であえて2倍以上も離れた場所へと遺棄するものだろうか。

 

また同一犯による連続殺人だとすれば、本件を起こした1993年から2005年の今市事件までのブランクをどうやって過ごしていたのか。

無論、12年間我慢してきた、人知れず多数の事件を起こしてきたが発覚していない、といった想像は可能であり、別件で逮捕されてその間は実害が増えなかった、精神や体調面で異常をきたして長期療養を強いられた、と想像することもできる。

両事件の最大の違いは被害者の年齢層である。被害者が中学生と高校生であれば発達段階として「近い」と捉えられるかもしれないが、本件被害者は22歳の成人女性、今市事件の吉田有希ちゃんは7歳。容貌、体格、知的発達や運動能力も当然大きく異なる。

犯人の特別な感度から両者には共通項があったと言われてしまえばそれまでだが、少なくとも筆者には「女性」である以外に共通性を導き出す方が難しい。たとえば第一の事件で女児、その後の事件で成人女性に害を為すというのであれば、「犯行に慣れて難易度の高い標的を襲った」「当初少年だった犯人が成長した」等とも捉えることは可能かもしれない。しかしそれほど広い嗜好の持ち主であれば、事件はもっと頻発していてもおかしくはない。

遺体の着衣が見つかっていないことや性的被害が確認されていないことなどの共通点はある。腐敗を早めようと画策したのか、身元判明を遅らせるためか、裸を見たり触れたりというかたちの猥褻が目的だったのか、血糊を強く嫌ったためか、犯人の目論見はいずれもはっきりしない。とはいえ性的被害のない女性殺害事件は無数に存在し、同一犯とまでは言い難い。

犯人も12年間のうちに理想とする対象の変化や何かしらの方向転換があってもおかしくはないのかもしれない。だが殺害方法については12年前の事件を踏襲しながらも、全く性質の異なる女性を殺めるというアンビバレンスな犯人像を許容するのはあまりにご都合主義的、「同一犯」説に縛られた見方だと私は思う。

 

よほどのシリアルキラーでなければ自宅に死体を置きたがらない。死体を遺棄する行為は、発覚を恐れることのほか、「自分の領域から死体を遠ざけたい」「視界から事件を消し去りたい」という意志の表れでもある。

本件も今市事件も、土中に埋めたり、損壊したりといった隠蔽工作は見られず、山中とはいえ道端に遺棄していることからも発覚逃れの意図より遠ざけたい心理の表れだと捉えることができる。

地理的に見て、本件は「筑波山」の西側から東側へと被害者を追いやった、心理的境界の裏側に遺体を隠したかったと考えるのが自然ではないか。すなわち犯人は筑波山より西側の人間ということになる。

今市事件でも、西に向かえば日光、北に鬼怒川、南に大芦など、周辺には1時間圏内で行ける山地が無数にあるにも関わらず、犯人は東進して茨城県常陸大宮市に向かっている点は疑問がもたれた。犯人は茨城県に帰る途中で捨て置いたのだろうか。むしろ越境捜査は警察の連携が取りづらくなることを知っていたか、栃木県内の山々では不安が拭いきれず遠く県境を越えることを選択したと考えられる。

そのほか本件被害者は装飾品を身に着けた状態で発見されたこと、今市事件では手や口に粘着テープの拘束痕が残るなどの違いもある。犯行の手口、とくに「10数か所の刺し傷」といった情報に注目すれば似た事件に思えるが、被害者や地理的関係に視点を向ければ同一犯を疑うほど酷似した事件とも思えない。

 

■どのような事件か

ここでは今市事件を無視して、本件を追っていきたい。

捜査方針通り、まずは「男女関係のもつれ」として見ていくのが順当であろう。既述の内容を踏まえつつ、以下、事件の見取り図を描いてみよう。

被害女性は石下町のアパートで会社員男性と同棲をしていた。免許を持たない彼女は僅か1km離れた自動車学校へ通うにもタクシーを頻繁に使っている。田舎町の若手美容師でそれほど高給取りだったとも思われず、普段から同棲相手や知人たちの車に頼って生活していたと想像される。

会社員と美容師。生活時間や休みが合いづらく、アパートは男性名義だったが半同棲とみられている。田舎の新興住宅街での暮らし、谷嶋さんは地元周辺で自由の利く友人たちに遊びに連れて行ってもらうことで心の隙間を埋める日々が続いたのではないか。

アパート周辺の聞き込み調査をすると、若い男性としばしば出かけている谷嶋さんが目撃されていたが、男性はいつも帽子を目深にかぶっており、表情などがわからなかったという証言を得た。

11月末というキリの悪い時期に「年内に免許を取得したい」と言って夢見てきた美容師の職場を離れた。12月には不動産屋に「1月10~12日頃」に転居する相談をしており、おそらくはその頃を「免許取得のタイミング」と考えていたと推測できる。

当然、同棲相手との別離が念頭にあったはずである。彼女は石下での仕事に一旦見切りをつけ、免許を取って新しい生活をスタートさせようとしていたのである。祖父と父親が暮らす真壁町にある実家に戻るつもりだったのか、それとも「別の相手」の家に転がり込むつもりだったのか。

同棲相手は事件当日の早朝に彼女と会い、事件直後、似顔絵を見て「谷嶋さんではないか」と通報した。彼は25kmと決して近くない距離に暮らしていたが、どうして完全な同棲に踏み切らなかったのかは伝えられていない。

当初は交友関係のもつれによる犯行と踏んで、早い解決が予想されたのだが、暴走族、変質者の犯行の可能性も浮上、結局、今現在、容疑者に結びつく有力な情報、手がかりは得られていないようだ。

本の出版が2001年であるから、事件発生から7、8年後に執筆された内容と推測される。新聞には「暴走族、変質者の犯行の可能性」に関する記載は発見できない。暴走族や変質者による犯行を推認させる証拠が出てきた訳ではなく、「交友関係」から犯人が挙げられず、消去法的に「族か変態の仕業かもしれない」とお茶を濁そうとする警察の態度が透けて見える。

同棲相手か、それとも他にできた別の男か、おそらく捜査陣営としてはほとんど始めから2択に絞られていたにちがいない。だが凶器も出ず、犯行現場も特定されず、何かしらの崩しがたいアリバイなどもあったのかも分からない。

だがもちろん連絡を取ればすぐに来てくれるような相手が複数人いた可能性も否定できない。90年前後には女性が恋愛感情のない男性に対して「アッシーくん」「メッシーくん」と序列をつける流行語もあった時代である。

 

■なぜ犯人に迫り切れなかったのか

操作が暗礁に乗り上げた要因を想像するに、捜査機関は一か八か、血痕や凶器等が出ると見込んでかなり強引なやり方で家宅捜索などを行ったのではないか。しかし当てが外れて、殺害の証拠は得られなかった。そのためそれ以上の追及が困難となってしまい、捜査が尻すぼみになった。決定的新証拠が得られないまま、捜査方針の見直しを余儀なくされ、暴走族や変質者へと視野を広げるかたちで形ばかりの捜査が続けられた、と推測する。

 

またDNA型鑑定による犯人特定が黎明期であったことも挙げられる。1989年には科警研でDNA型鑑定の捜査応用が開始されたが、当初は犯行現場や物証から検出された血液が被害者本人のものかどうかを照合するといったものであった。

92年にはDNA鑑定による容疑者特定に向けた活用が指針として示され、各都道府県の科捜研でも順次導入が進んだ。後に冤罪が発覚する足利事件、死刑執行後も再審請求が続けられている飯塚事件のDNA型鑑定(MCT118型検査法)は科警研によってこの時期に行われた。茨城県警や筑波大学等での鑑定技術導入の正確な時期は不明だが、地元紙や三澤氏の著書では「DNA型鑑定」を示唆する描写は出てこない。

「布で拭いたような形跡はない」「全身を洗い清められているようであった」と記されているが、文飾的レトリックなのか、水道水や河川の水の成分が検出されたといった記述もない。

順当に考えるならば、捜査本部は谷嶋さんの同棲相手に真っ先に疑惑を向ける。関係は破局に大きく傾いており、「免許が取れたら出ていく」等のやりとりがあれば、卒業試験のあったこの日に犯行を決意していたとしてもおかしくない。

だが同棲先のアパートには「帰宅した様子はない」、つまり浴室なども手つかずで血痕なども残されていなかったと解してよいだろう。ほかに犯行現場となりうる場所はどこだろうか。同棲相手の実家、知人宅、周辺のラブホテルなどは当然捜査員たちも洗ったはずだ。通常血抜きというと浴室の使用が思い浮かぶが、もしかすると筑波山周辺の清流などで血を流し浄めた可能性も考えられなくはない。

会社員の浮気相手は早朝に谷嶋さんと会っていながら、9時の卒業検定に送り届けてはいない。とすれば出勤していたと考えてよいだろう。業務内容が分からないので「中抜け」が可能な会社なのかは分からないが、被害者を車に乗せたのはこの人物ではなかった可能性が高い

卒業検定に通っていれば17時頃まで講義を受ける必要があった。つまり試験前に「10時過ぎに迎えに来て」と待ち合わせることはできなかったはずなのだ。とすると試験後に交友関係のあった人物を急遽呼び出したのだろうか。彼女の交友関係が広かったとはいえ「水曜10時半」の呼び出しに応えてくれる人物であれば、さすがにすぐ絞り込まれそうなものではあるが…

 

(1月15日の地元紙は第一報として身元不明の段階で「死後3日から一週間」と報じているものの、胃の残留物については情報が出ていない。10時半に失踪して翌日16時ごろに遺体となって発見されるまでの間に「食事」を摂らなかったのであろうか。)

 

以下、警察の見立てである「顔見知り」「交友関係」ではなかったケースを想像してみよう。

 

自動車学校の道路を跨いで正面には墓地を備えた寺院と、参拝客向けに10数台ほど駐車できるスペースがある。見るからに待ち合わせに適している。そこで自動車学校に通う友人を待っていた第三者が、一人で帰ろうとする彼女に声を掛けたとは考えられないか。

「今日、卒検なんでしょ?早いね、もう終わったの?」

駐車場に車を停めていた若い男が彼女に声を掛ける。

「試験に落ちたから早いんだよ、悪かったね」

機嫌を悪くして自宅へ歩いて帰ろうとする女性。

「ごめんごめん、じゃあ俺の友達は合格したのかな…送っていこうか?」

「いい」

「ご飯でも一緒にどう?」

「まだお店どこも空いてないよ」

「じゃあ、ドライブしよう、車ないんでしょ?送るよ、俺、時間空いちゃって」

 

捜査関係者も事件当日に卒業検定や講習を受けていた自動車学校生徒・学校関係者には彼女の交友関係や足取りを知らないかを充分聞き込みしたはずだ。

当然彼らには確たるアリバイがあり、基本的には疑惑の対象とはならない。捜査員にとって交際相手や交友関係が目下の疑惑の対象であり、自動車学校生徒の兄弟や知人、学校卒業生にまではそれほど注意を向けなかったのではないか。

卒検というイレギュラーな状況から推察するに、時間的に自由が利きやすい学生、不定職の若者、夜の仕事をする人物などが自動車学校周りで待ちぼうけていたとしても不思議はない。

筆者の見解としては、17時まで予定を開けていたはずの谷嶋さんが見知らぬ男に声を掛けられてうっかり車に乗ってしまい、わいせつ目的で連れ去られたと考えている。

一度車内でトラブルとなり、首を絞められ気絶した状態で連行されたのではないか。刺殺現場は分からないが、ノミのような工具が凶器とすればアパート内やラブホテルではなく、一軒家のガレージや農家の蔵のような場所が想像され、服を脱がされたところで息を吹き返し、逃げ出そうとしたが攻撃を受けた。男は車での遺棄を考えるが、車内に血糊が付くことを嫌って、しばらく屋外で水を浴びせて血抜きしたのではないか。

自動車学校は学生も短期で入れ替わり、周辺農村部の若者は転出も多い。後年になってから交友関係以外の洗い出し捜査をするにも困難と想像する。

 

千葉県千葉市若葉区で起きた中学生・佐久間奈々ちゃん誘拐事件でも、犯人とみられる男が自動車教習所周辺に出没していた情報もある。若者の比率が多く、自動車を持たないことから不審者にとっても標的としやすい側面はあるだろう。

卒業検定に合格してさえいれば、全くちがう将来が彼女を待っていたはずだった。それを思うだに悔しさの募る事件である。

 

谷嶋さんのご冥福とご遺族の心の安寧をお祈りいたします。