金沢スイミングコーチ殺人事件

1992年、金沢市のスイミングスクール駐車場で車内に女性インストラクターの絞殺体が見つかった。現場には「生きた化石」と呼ばれる植物メタセコイアをはじめとして事件の手掛かりが比較的残されており、県警は殺人事件として15年間で捜査員延べ6万人を投入したが犯人検挙には至らず。2007年に公訴時効が成立した。

石川県警が最後に許した時効事件の汚名を冠することとなり、その真相についても様々な噂がつきまとった。

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かつて捜査に加わった西村虎男氏は退職後の2011年に『千穂ちゃんごめん』を上梓。「お宮入り」させてしまった後悔と世間に広まる誤った噂を少しでも払拭したいという願い、警察組織を蝕む悪習の浄化を切望した。

これに感銘を受けた村山和也監督がオファーし、実際に事件に携わった元刑事とフィクションとの二重構造によって「化石」となった未解決事件に再び光を照らすセミドキュメンタリー映画『とら男』(2022)の公開でも話題となった。

本稿では西村氏の著書にある捜査状況等に依拠しつつ、事件について考えてみたい。

 

■概要

1992年10月1日(木)0時50分頃、金沢市三十苅町にあるスイミングスクールの職員駐車場に止めてあった車の助手席から若い女性の遺体が発見される。

 

女性は車の所有者で、同スクールでスイミングコーチを務めていた安實(あんじつ)千穂さん(20)。第一発見者は帰りが遅いのを心配して探しにきた母親と姉であった。

千穂さんは助手席のリクライニングシートを倒して眠ったように目を閉じており、助手席側のドアはロックされていた。母親は解錠されていた運転席側のドアを開け、起こそうとしたところで娘の異変に気付いた。反応しないばかりか体は冷たくなっており、車内灯を点けると首には絞められてできたような痕が見えた。

慌てて近くで営業していたスナックに駆け込み、店主が110番通報した。

 

 

■被害者、発見までの経緯

千穂さんは3人姉妹の次女として生まれた。父親が市の水泳協会副会長を務め、姉が水泳選手をしていた影響もあり、高校では水泳部マネージャーを務めた。卒業後はスイミングスクールのインストラクターとして就職。面倒見の良い性格で慕われ、スクール生の保護者からも明るく優しい先生として信望もあった。

千穂さんには同僚や水泳関係で親しい男性はいたが、特定の交際相手はいなかったとみられている。事件より5か月程前にそれまで続けていた日記を辞めていたが理由は不明である。

 

自宅は勤め先のスクールから約7km南に位置する松任市(現白山市)矢頃島町で、車で10分程度の距離。矢頃島町は周囲を田園地帯に囲まれた20世帯ほどの小さな農村集落である。

勤務していたスイミングスクールは金沢市の西部、現在の地図で見ると野々市市(当時は石川郡野々市町)、白山市(当時は石川郡鶴来町)との境に位置していた。金沢駅から南に約9km、観光客の多い兼六園金沢21世紀美術館からは南に約8kmの距離にある住宅密集エリアにあった。

スクールから見ると金沢市の市街地へは自宅方面とは正反対(北東方向)になることもあってか、千穂さんが仕事の後で市街方面に向かうのはショッピングや友人とカラオケに行くといった用事のある場合に限られていた。

中央〇が職場、左下〇が自宅

門限は22時とされており、普段帰りが遅れる際には必ず連絡を寄越すことが習慣となっていたが、事件の晩は23時を回っても何の連絡もなかった。スイミングスクールはとうに終業時刻を過ぎており、母親は同僚コーチら数名に電話をしたが、職場では何事もなく普段通りに帰ったと聞かされる。

父親は同僚と飲みに出掛けて帰宅が遅くなっていた。妻は夫のポケットベルに早く帰ってきてほしい旨の連絡が入れ、一緒にいた同僚もそのことを確認している。

母親は長女と車で捜索に出かけ、はじめに自宅近くにある運動公園「松任グリーンパーク」の駐車場を確認し、そこから勤め先のスイミングスクールへと向かったという。2人はスイミングスクールのバスが止められていた駐車場に見覚えのある黒い車を発見した。

 

■状況と痕跡

について。

車種は三菱の小型乗用車・黒色の「ミラージュ・ファビオ」で、彼女が普段使っていた駐車枠「2」の位置に前向きで止められていた。となりの駐車枠「3」にはみ出す乱雑な止め方で、車の前バンパーは敷地境界の縁石(画像左手)に接触していた。

車は駐車枠「2」に止められていた。画像右マンション1Fの店に駆け込んで通報を求めた。

発見当時、車のエンジンはかかっていなかったがキーが差された状態で、シフトレバーは「ドライブ」に入れられたままだった。音量は絞ってあったがカーステレオのランプが点いており作動したままになっていた。犯人は時間的によほど焦っていたとみられ、千穂さんの車の操作に不慣れな者と考えられた。

ダッシュボード内にあったカセットテープケースに不明の指紋が付着していたが、犯人の可能性は薄いものとされた。同じくダッシュボードからは眉剃り用のカミソリが見つかったが本件で使用された形跡はなかった。

後部座席には、財布などが入った千穂さんのショルダーバッグが置いてあった。

この車は高校卒業後に通勤用として購入したもので、他の家族と同様、農協の保険に加入しており不審な点は見られなかった。だが匿名掲示板などでは、事件前に家族が多額の保険金をかけていた旨の噂が書き込まれ、2022年現在も残存している。

 

遺体の状況について。

発見時、両足に靴を履いておらず、左足の靴は車内にあったが右足の靴は見当たらなかった。

死因は絞殺による窒息死。凶器は最大幅4㎝のやや硬く折り目模様のあるひも状のもの。索条痕は両耳の後ろあたりまで残っていた。犯人は右寄り後方からひもを引っ張って、喉を圧迫したと推測された。

口の中には喉と歯の裏側に、草葉が各一片ずつ入っていた。

左頬、左下あご付近、左腰の部分に皮下出血が見られた。また着衣の前後に付着した失禁痕の状態から、犯人は殺害直後に遺体を裏返したとみられる。車内には尿反応が出なかったことから、屋外で殺害されてから車でスクール駐車場まで運ばれたと考えられた。

爪に犯人の皮膚等の付着はなかったことから、激しい抵抗はしていないものと推測された。

 

被害者の着衣は、黒色の長袖上着の上に紺色デニム地のオーバーオールで背面と臀部には泥が付着していた。

オーバーオールの下腹部が刃物で縦20センチ程に切り裂かれていた。下着に刃が当たった痕跡はあったが切り傷はなし。

下腹部の上には、切り跡を隠すようにして空容器の入ったビニル袋が載せられていた。千穂さんが昼食用に家から持参したスパゲッティを入れていたものである。だがこの日は勤め先で昼食が振舞われたことから、千穂さんは持参した昼ご飯を仕事終わりに食べていたと同僚は証言した。急げばわずか10分ほどの家まで持ち帰らずに食べていたことは、すぐには帰宅できない、仕事の後に何かの用件があっての行動とも推測できる。

 

わいせつ行為の痕跡、いわゆる「着衣の乱れ」もあった。オーバーオールの肩釣りベルトは左側が外れており、胸部に3つあるボタンのひとつは糸が切れてボタンが着衣の内側に紛れ込んでいた。

ブラジャーは定位置より下の位置にずり下げられた痕が残り、ブラの上部と遺体の乳房から(A型の千穂さんとは異なる)AB型ないしB型の唾液の付着が確認された。パンティが一部下方に捲れていたことから、犯人が陰部へ手を入れようとしたものと推測された。姦淫の痕跡はなし。

 

口中と頭髪に針葉樹の葉が付着しており、事件の3日後にメタセコイアの葉であることが分かった。

メタセコイアは長らく北半球では化石でしか発見されず絶滅種とみなされていたが、20世紀半ばに中国四川省の磨刀渓村で「水杉(スイサ)」と呼ばれていた植物と同種であることが確認された。1949年に中国から国・皇室で譲り受け、「生きた化石」と珍重されてその後全国へと広まったが、植栽は学校や公園など公の場所に限られていた。

自宅・松任グリーンパーク・リンゴ園の位置関係。それぞれ300~400m程度しか離れていない。☆印は駐車されていたとみられる位置。

近郊で犯行現場の特定に当たっていた捜査員が、高さ4m程のメタセコイア若木に囲まれたリンゴ園を見つける。松任市矢頃島町にある被害者の自宅から数百m、先述の「松任グリーンパーク」の東隣にある「県農業総合試験場果樹実証圃」である(上の地図は現在のもの。リンゴ園があった場所には工場が建っている)。

リンゴ園の周囲は3m間隔でメタセコイアが植栽されており、当時は敷地に柵なども設けておらず、木々の間から園内に出入りすることができた。東側の農道はかつて用水路で行き止まりとなっていた。その農道奥から被害者の車と一致するタイヤ痕が見つかり、園内に5m程入ったところに千穂さんの右足の靴と頭髪が発見された。頭髪はすべてA型で被害者のものと確認される。

犯人は園内で暴行に及び、殺害後に、被害者を後ろから抱えるようにして足を引きずりながら運び(このとき右足の靴が脱げたと思われる)、農道奥に停めていた車の助手席に乗せたと推測できる。

また遺体の髪などに長さ3.8㎝の白色毛糸2本が付着していた。毛糸は市販のものではない生成りの毛糸で、製造元の割り出し等により、富山県内の業者が製造する帽子の「梵天」に酷似しているとの結果が出たが断定はできなかった。梵天とはニット帽の頭頂部に付属する丸形の玉飾りのことである。発見された毛糸が酷似するこども向けニット帽のものだとすれば、犯人の身近に小さなこどもがいたとも推測できる。

 

■犯行時刻と経路

リンゴ園の農道奥では捨ててあったガソリン給油チケットが発見されており、犯行当夜、千穂さんたちとは別のアベックがその場を訪れていたことが分かった。アベックは21時半から22時ごろまで滞在し、その間は他に車がなかったことを証言した。

スクールと職員駐車場の間には6階建てマンションがあった

スイミングスクールの西側には北陸鉄道石川線の線路が南北に通り、400m北には無人駅の「乙丸駅」がある。周辺地域は住宅街が広がる。スクールの建物脇には利用者向け駐車場が10台分程度あった。車が止められていた職員駐車場まで50mほど離れており、その間に飲食店等のテナントが入った6階建てマンションがある。そのため知らない者では、一見してその場所が職員駐車場とは分からない位置関係である。

さらに職員駐車場は白線で29枠に分かれていた。犯人は千穂さんが普段から「2」番枠に駐車していたことを知っており、通り魔ではなく「顔見知り」の線が濃厚となる。

 

千穂さんのその日の退社時刻は18時45分、同僚の男性コーチは千穂さんの車が19時15分頃に自宅とは逆方向に走り去るのを見たと証言した。駐車場は出入り口が東西2か所あり、普段の帰宅ルートは西に向かう「海側」の出入り口から駐車場を出て踏切を渡り、南西の方角にある自宅方面へ向かう。

だが事件当夜はなぜか逆方向の「山側」に向かっていた。その時点で車内に同伴者があったかは不明だが、自宅とは逆方向に用事があった、一度だれかをピックアップしに向かったとも思える行動だ。

また遅番の同僚コーチ2人から20時50分頃、21時35分頃にも母姉が発見した時と同じような状態で車が止まっていたとの証言もあった。同僚たちは車内の異変には気づいていなかったが、それらの目撃証言が事実とすれば、犯人は19時15分頃から20時50分までの1時間半の間に、被害者の自宅近くのリンゴ園で殺害し、わざわざ車を戻しにきたことになる。

 

■不可思議な目撃情報

前述通り20時50分頃にはスイミングスクールの同僚が職員駐車場で被害者の車を目撃している。つまり犯人はそれまでにリンゴ園からスクールまで移動していたことになる訳だが、その直前の20時40分頃にも被害者の車輛とみられる目撃情報があった。

被害者の車がいずれかの☆印の路地から大通りに左折してきたとみられる

目撃者の女性は大額3丁目を通る大通りを線路方向に向かって走行中(地図の黄色い線を右から左方向へ進んでいた)、前方左側の路地(地図上の☆印のいずれかと推測される)から「黒いミラージュが左折してきた」と証言する。彼女は占いに凝っており、前を走る車のナンバープレートの数字が「足すと19になる凶数」だとして接近しすぎないように注意を払っていたという。

なにやら不可思議な証言だが、被害者の車のナンバーは「1954」であった。また被害者と同型の車種の購入を検討していたこともあり、車の特徴まではっきりと記憶していた。

後方からの目撃だが、運転者は後ろ髪から「若い男」と思われ、助手席は背もたれ部分が見えなかったため「シートが倒されていた」と考えられた。目撃者の女性は線路を越えてすぐのスーパーに立ち寄ったが、前を走っていた車はそのまま直進したという。

車内の状況からはまさしく「遺体を乗せた犯人の運転する車」を示しているかに思われたが、目撃場所がリンゴ園とは逆方向であったため、当時の捜査陣を混乱させる情報でもあった。駐車場に止めようとした際に人がいた等して、一度その場を素通りし遠回りをしていたのではないか、といった解釈しか出てこなかった。

 

■捜査本部と問題点

事件当初、遺体発見現場近くに金沢中警察署が仮設の捜査本部を設置。その後発見された殺害現場方面を管轄する松任警察署にも合同捜査本部が設けられ、半年後、松任署に統合された。捜査陣営が二手に分かれたことで最も重要な捜査初期の基礎情報の共有はうまくいかなかった。

西村氏は金沢中署の特捜係長として発生からおよそ1年にわたって捜査に当たり、約10年後に再び捜査本部に復帰して2年間携わった。未解決に至った要因として、上層部が捜査指揮の一切を取り仕切るトップダウン方式に大きな問題があったと指摘する。

 

ひとつは情報管理の在り方。事件発生直後の上層部はマスコミへの情報漏洩を過剰におそれるあまり、捜査ファイルは現場ではなく署内に移され、管轄捜査員にすら情報共有がなされていない状況だったという。行き過ぎた秘密主義が捜査員の推理判断力を奪い、後々の捜査にまで悪影響を及ぼしたという。

遺体に付着していた「生成りの毛糸」についても存在が伏せられており、事件から1か月経って担当班が製品の特定に行き詰った時点で初めて知らされた。その間にも周辺での地道な聞き込み(ローラー作戦)や基礎捜査はほぼ完了していたが、現場捜査員たちは「生成りの毛糸」に全く関知していない、いわば片手落ちともいうべき状態で奔走させられていたことになる。

毛糸に限った話ではなく、細かな情報共有が末端の捜査員にまで行き渡っていれば掬えた情報ももっとあったかもしれない。西村氏は別の担当事件や異動でしばらく本件からは外れ、10年後に再び縁あって特捜班長として本部に加わる。データの洗い直しの必要と確認作業の簡便化を図るため、捜査対象者の膨大な記録をエクセルデータに落とし込んで分類項目を増やしたという。これも初動捜査時の反省から確認作業の簡易化を目指したといえるだろう。

 

また西村氏は「見込み捜査」についても注意を促している。疑ってかからなければ真相にたどり着けないこともあり、その筋道が間違ってさえいなければ犯人に到達するため、一概に全否定はできない。だが見込み捜査はひとつ間違えれば「松本サリン事件」のように善良な市民を冤罪の不幸に陥れかねない危険とも隣り合わせな面もある。

小都市でのローラー捜査においては、刑事課以外からも捜査経験の浅い署員が駆り出され、いわば「寄せ集めの臨時体制」が組まれる。そこに上層部から「〇〇が犯人に違いないから情報を取ってこい」といった号令がかけられ、捜査班に予断や偏見を与えれば、集められる基礎情報は偏ってしまい、その後の捜査にも大きな影響を与える。

さらに捜査員が聞き方を誤れば「警察は〇〇のことを知りたがっている」「〇〇が怪しい」と地域一帯に偏見を植え付けかねない。よからぬ噂の火種となり、それにマスコミが食いつけば惨事を引き起こしかねない。後に警察が容疑者リストから外したとて、一度根付いてしまった地域住民たちの疑いの芽を完全に取り除くことは難しくなる。「地元住民の情報」は初期捜査やマスコミによって汚染されるリスクを孕んでいる。現代では「地元の噂」としてインターネット上で全世界に拡散される。

 

事件の10年後、西村氏が捜査本部に戻った当時も、首を絞めた凶器は依然特定されないままになっていた。解剖所見を基に推理推論を重ねるうち、西村氏は索溝の角度などから被害者が着ていたオーバーオールの肩ひもではないかと考えた。保管庫にあった現物を確認し、体格が近しい人間に着せて再現実験を行った。見込んだ通り、ベルトの幅や長さ、金具の位置まで解剖時に撮影された索条痕と合致した。

灯台下暗しとでもいうべき失態にも聞こえるが、「書類上」は見落とされるに足る事情もあったという。証拠品は紛失や変質防止のため厳重に管理されており、捜査指揮を執る幹部か証拠品の取り扱い担当者しか現物に触れることはない。そのため通常であれば一般捜査員向けに証拠品の「写真台帳」を作成して、現物に触れることなく確認しやすいようにしている。それが本件では「過剰な情報統制」のため証拠写真を見ることすら禁じられていたのだからそうした気付きに至らなかったのも無理はない。

解剖所見では「1㎝位ないし4㎝位までのやや強固で、表面に細かな織り目様が認められる索状物」と記述されていた。一方、鑑識係はオーバーオールの肩ひもを実寸より5㎜足りない「3.5㎝」と調書に記していた。僅か5㎜の誤りから、10年近く凶器から除外され、見過ごされてしまっていたのである。

調書の記載を訂正させ、凶器を特定した捜査報告書を作成。再現実験をまとめた実況見分調書も署長から決裁が下りた。凶器が予め準備されていたものではなく「被害者の着衣の一部」となったことで、念入りに仕組まれた殺害計画ではなく突発的な状況下で衝動的に犯行に及んだ可能性が強まった。実験結果から犯人は「右利き」と推測された。

西村氏は異動により本件捜査から再び離れ、2007年に事件は時効を迎える。地元紙には事件の関連記事が掲載されたが、「着衣のひもで絞殺か」との見出しに対して「捜査本部は凶器を特定しておらず、『ベルトのようなひも状のもの』としている」との会見内容が記されていた。県警の上層部は、凶器特定を最後まで是とはしなかったのかと西村氏は悔しさをにじませた。とりわけ指揮を執った歴代の前任者、上司たちは長年凶器を特定できなかったことが「失態」につながりかねないと考えたのではあるまいか。

 

■容疑適格者

西村氏が再登板するまでの10年間でリストアップされた関係者は5,583人にまで膨れ上がっていたが、氏は犯行状況などから犯人は被害者と「身近な人物」と見立てていた。年若い彼女の交友関係がそれほど広範なはずもなく(現在とちがって不特定多数と交流できる出会い系サイトやSNSライブ配信等もない時代である)、被害者と関連性の高い人物から優先して約1500人分の分析をした時点で異動となった。

そのため100%とは断定しないまでも、彼女と近しい人物の中に「六、七0パーセント犯人に間違いない」と言えるまで状況証拠をつかんだ容疑適格者がいたと西村氏は述べている(ご本人からすれば「ほぼ100%」と言いたいところなのだと思われる)。捜査途中で任を解かれ、物証がなかったことから起訴しても勝算があった訳ではない。本人から自白を得るための徹底的な裏付け捜査と新証拠が必要なことには変わりない。

今日では容疑者特定などに「DNA型鑑定」が活用されることもあるが、1992年当時は宮城、東京、大阪、広島、福岡で運用が始まったばかりで石川では導入されていなかった。また証拠品として認められるためには適法の管理手続きが必要となる。本件でいえば「犯人のものとみられる唾液」という重要な証拠が残されていながら、DNA型鑑定を見越した管理がなされていなかったため、そこから犯人特定にたどり着くことは実質的に不可能と言えた。

西村氏は後任者による継続捜査に一縷の望みを託し、本部に捜査途中のファイルを残してきたが、それもどうやら闇に葬られたという。氏に倣ってその疑惑の人物を「山田太一(仮名)」として簡単に確認しておきたい。

千穂ちゃんごめん!

公務における守秘義務や捜査上の特殊な事情があることから、読者には人物の特定ができないかたちで犯行可能性が述べられている。そのため随所に具体的理由は省かれており、被害者と山田との関係性や、山田の細かな人物像や生活背景までは窺い知ることは叶わない。西村氏は、不可解ともとれる行動の裏にも犯人なりの理由が存在するとして、持論を組み立てている。

・山田は事件から半年後の1993年5月14日時点で「アリバイ」が確認され、捜査線上から一度消えている。

・だが1994年6月の捜査検討会資料には、「血液型ABまたはB型の男」を対象とした容疑適格者リスト19名の一人に名を連ねている。山田はB型で、検討欄には「捜査済」と印刷されていたが、他の18名は空欄とされていた。

・山田には「アリバイあり」と見なされていたが、予想犯行時刻(19時15分~20時50分の間)よりも「前」と「後」で同じ場所にいたことが第三者によって確認されていただけで、実際には「途中抜け出しの可能性」は裏付けを欠いていた。

・それまで不可解に思われていたスイミングスクールより北での車の目撃証言についても、山田の行動範囲と照合すれば矛盾がないという。

・検証の結果、途中抜け出しがあったとすればその間に犯行や移動は時間的に可能、つまり犯行時刻における「アリバイ崩し」が確認された。

・犯行の発端は、モーテルに連れ込もうとしたが拒否され、リンゴ園まで連れてきたものの逃げられたため、と推測。

・リンゴ園からスイミングスクールまで被害者の車を自ら運転していったのは、事件発覚を早めて、自らのアリバイを確保するためだったと西村氏は推理している。

千穂さんは仕事を終えた後、普段とは違う「山側」に向かい、金沢市街地方面へ車を走らせた。西村氏は、山田の日常行動から、スイミングスクールから北東およそ2kmの場所にある「レストランA」の駐車場付近で待ち合わせをしていた可能性が高いという。山田は自分の車を駐車場に残してミラージュ・ファビオに同乗し、その際に千穂さんが助手席に移って男が運転役になったとみている。

これは19時30分頃にスイミングスクールから北東約5kmに位置する「有松交差点」でミラージュ・ファビオが左折したという目撃情報に基づいており、男性が運転席、女性が助手席に乗っていたという。目撃地点がリンゴ園とは真逆方向であるため、捜査本部はこの情報を重要視していなかったのではないかと西村氏は言う。

国道8号からモーテル街道へ南進

西村氏曰く、車の進行方向から必然的に見えてくるのは、犯人が国道8号から被害者宅のある矢頃島方面へ抜ける県道174号、通称「モーテル街道」を通って、被害者をモーテルへ連れ込む魂胆があったのではないかという。ちょうど都市部と農村部の境に当たり、当時は6軒のモーテルが点在していたと言い、現在もそのいくつかは存営している。

被害者はモーテルへの誘いを拒み、車は街道を抜けて矢頃島町へと至るも、山田はグリーンパーク方面へと曲がり、リンゴ園脇の農道へと進入。ひと気がないのをよいことに山田は車内でわいせつ行為に及ぼうとするも、被害者は拒絶して車を降りてしまう。リンゴ園を抜けて自宅に向かおうとする被害者に山田は背後から襲い掛かった。

 

アリバイ工作の必要に迫られるが、矢頃島では何もできない。夜の農村部では戻る交通手段もないため、遺体を車に乗せてスイミングスクール方面へ移動する。変質者に襲われたように偽装するため、山田はスイミングスクールを通り越した場所で刃物を調達し、オーバーオールの下腹部を切り裂く。再びスイミングスクールへと車を戻しに向かう途中、20時40分頃に「占いに凝った女性」に目撃されたとみられる。

 

西村氏の論を踏まえて考えれば、山田はスイミングスクールの同僚であろう。犯行後にアリバイを作ろうとしたのは知人宅か、別のアルバイト先などであろうか。

だがおそらく西村氏は情報から犯人を絞り込んだだけでなく、何度もその人物と様々なかたちでコミットを重ねて疑いを深め、男のアリバイ崩しや金沢周辺の土地勘などを踏まえた上で情報を抽出し尽くしたはずである。当たり前のことだが本に書かれたことだけが事件のすべてではない。

たとえば当時の報道状況は分からないが「占いに凝った女」がテレビ報道等を通じて被害者の車両情報を目にしていた可能性はなかったのか等、本を読むだけでは計り知れない、疑問に思う部分も散見される。

実際の事件はドラマやミステリー小説のように「終わり」を迎えればすっきりするものではない。ましてや本件は未解決のままだ。事件発生から30年、時効成立から15年が経った。その間も数多くの警察不祥事や冤罪が世間を騒がせ、新たな未解決事件が生み落とされてきた。警察組織の抱える悪しき体質は一向に改善されていないようにさえ思える。

すでにスイミングスクールも更地となり、リンゴ園も失われ、事件の記憶そのものが世の中から失われつつある。そんななか、気骨ある元刑事が「正解」にたどりつけない謎を情熱をもって追い続ける姿には僅かながら勇気づけられるような思いがする。それは男の執念といった泥臭いものではなく、事件を通じて被害者と向き合った人間にだけできる一種の弔いなのだと強く感じた。

 

千穂さんのご冥福とご遺族の心の安寧をお祈りいたします。

 

 

参考

https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/862551