いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

広島県府中町主婦失踪事件について

2001年9月、広島県安芸郡府中町のマンションに住む主婦が失踪した事件について、風化防止のために記す。

失踪までの経緯やそのタイミング、失踪後に届いた“駆け落ち”を示唆する不可解な手紙など謎が多く、事件性が囁かれている。

 

また状況などは異なるものの、同じように「主婦」が忽然と姿を消した事案として、「群馬県赤城神社主婦失踪事件」、「大分県日出町主婦失踪事件」についても取り上げているので参照されたい。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

 

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 本稿では事件概要の後、国内の行方不明者についての大枠に触れ、後半で各疑問点について検討する。

 

 

■概要

・不可解なドタキャン

2001(平成13)年9月24日10時頃、広島に住む主婦・田辺信子さん(50)の許に友人のNさんから電話が入り、昼食に出掛けようと誘いがあった。

そのとき信子さんはまだ寝起きで身支度が整っていなかったため、Nさんに「シャワーを浴びたい」「用意ができたら電話する」と返事をした。また信子さんは入院した夫の許へ着替え類を渡しに行くつもりだったため、一緒に昼食を食べてから病院に行くということで了承した。

 

11時20分、信子さんからNさんに「用意ができた」と電話が入り、Nさんは「迎えに行くからマンションに着いたら電話を掛ける」と返答し、信子さんの暮らす安芸郡府中町青崎にあるマンションへ車で向かった。

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11時48分、Nさんの携帯電話に信子さんからの呼び出しが入った。そのときNさんは運転中で既に信子さんの住むマンション付近に差し掛かっていたため、電話に応答せずに運転を続け、そのうちに呼び出し音は切れた。

11時50分、Nさんは信子さんの住むマンションの下に到着。信子さんの携帯電話に掛け直したが、電話先から「あー」とだけ聞こえて数秒ですぐに切れてしまった。

Nさんは不可解に思ったが、電話に出たのだからすぐに出てくるだろうと思い、そのまま車中で待機していた。

12時頃、Nさんは信子さんが降りてこないので、再度電話で呼び出そうとするが、また「あー」「うー」とだけ声が聞こえて、すぐに切れてしまった(※疑問1)。

待てども信子さんは一向に姿を見せず、2,3分おきに呼び出しを試みたが、その後応答はなかった。

12時21分、しびれを切らしたNさんはマンション3階の信子さんの部屋を訪ねるも、玄関は施錠された状態で室内から応答はなかった。

12時30分頃、約束を反故にされたと思ったNさんは立腹してその場を後にした(※疑問2)。

 

・事件の発覚

Nさんはその後も信子さんと連絡が付かず不安に思ったため、19時30分頃、入院中の信子さんの夫に連絡を取り、「信子さんが病院に行っていないか」と確認を取った。だがその日、信子さんは夫の見舞いに訪れていなかった。

20時頃、Nさんと信子さんの夫は、マンションの部屋を訪れた。施錠されており、中から応答はなかった。信子さんの夫はそのとき部屋の鍵を持ち合わせていなかったため、鍵屋を頼んで解錠した。

マンションの隣室には義母(夫の母親)が住んでおり、耳が遠く、足が不自由で移動に車椅子を必要としていた。昼間にNさんが部屋の前に訪れた際には玄関前に車椅子が広げて置いてあった。しかし夜には畳まれた状態で所定の位置に片付けられていた。義母に後で確認したところ、車椅子について知らないと答えた(※疑問3)。

 

20時30分頃、夫とNさんは入室したが、部屋を荒らされたような形跡はなく、洗濯物は干したままの状態で、入院先の夫に届けるために袋に支度してあった着替えがそのまま残されており、「ごく自然な状態」だった。

スリッパは若干乱れていたものの、信子さんが身支度を整えたらしくシャワーを使った形跡が残り、化粧品は部屋に残されたままだった。

しかし信子さんが普段持ち歩いている「ショルダーバッグ」がなくなっており、中身は夫への見舞金など現金25万円程度、夫の障害手帳、携帯電話、その他カード類などが入っていたものとみられた。テーブルの上には着替え袋から出したと思われる夫婦の診察券が残されていた(※疑問4)。

 

その後、親しくしていた女友達8人に連絡を取り、手分けして捜索したが発見されず。22時頃、連絡を受けた信子さんの兄が広島市東警察署に通報した。

 

・「ふたりを探さないで」

翌25日、信子さんの夫とNさんら友人たちは広島市東警察に赴き、事情を話して捜査を依頼するも、警察署員は「こどもではないのだから」と「家出人」扱いの行方不明者として対処。

9時10分、信子さんの携帯電話に掛けると呼び出し音はあったが応答はなし。

その後、警察が電話会社に調査を依頼したところ、21時10分に呉駅付近で携帯電話の反応がなくなったとされた。府中町青崎から呉駅まではおよそ20キロ離れており、車で30分ほどの距離である。

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29日朝、自宅郵便受けに差出人不明の手紙が届いているのが発見される。

私もやっと妻子と別れ、はれて信子と一緒になることが出来ました。ふたりを探さないで下さい。

 とワープロかパソコンを使ってタイピングされた文字で書かれていた(※疑問5)。

消印は9月26日付で福山郵便局とされていた。青崎から福山までは90キロ以上離れている。

 

マンションには2か所の階段があったが、信子さんは心臓病の持病があり、激しい運動を避けるために普段からエレベーターを使用しており、自発的に外出したとすればエレベーターに乗ったと考えられた(※疑問6)。

自宅マンションの防犯ビデオを警備会社に確認するも、「11時から9時」の時間帯にエレベーターを使用して昇り降りしたのは60歳前後の男性ひとりだけだった(別の階で降りたため警察は調査せず)。

 

9月30日、手紙と防犯カメラの画像を持参して、広島市東警察に行き、事件としての捜査を再度依頼。警察が現場検証に訪れたが、自室に争った形跡などは確認されず。

部屋の鍵が掛けられていたこと、送られてきた手紙の内容などから自発的失踪と判断され、夫らの必死の訴えも空しく本格的な捜査に進展することはなかった。

部屋には信子さんの父親が信子さんのために蓄えた1000万円ほどが入った預金通帳が残されたままになっており、その後も出金などの動きは見られなかった。

 

その後、2005年11月14日(月)放映の事件捜査番組『奇跡の扉 テレビのちから』に「50歳妻が謎失踪」と題する特集が組まれたことで広く知られることとなった。

 

■被害者と親族間トラブル

失踪した田辺信子さん(旧姓梶谷)は1951年8月8日生まれの当時50歳。1988年に結婚し、子宝には恵まれなかったが、2人でよく旅行に出掛けるなど「おしどり夫婦」として知られていた。

失踪後に届いた手紙には不倫関係を匂わせる文言があったが、親しくしていた友人らにそうした愛人関係は全く思い当たらなかった。

2001年に夫が癌で倒れて入退院を繰り返し、信子さん失踪時には仕事で指を負傷して入院を余儀なくされていたが、信子さんは毎日夫を見舞うなど甲斐甲斐しく看病していた。

夫によれば、その信子さん自身も心臓病の他、癌と便秘を患っていたと言い、薬は部屋に残されたままだった。

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その後、夫は妻の失踪が解決どころか本格的な捜査さえされないまま、失意のうちに病死。信子さんの兄とその知人らは、インターネット上でホームページを立ち上げ、夫方の親戚との遺産トラブルに巻き込まれたとの「仮説」を示し、失踪の事件性を訴えて再捜査を求めた。

義母の預金管理を信子さんが任されており、夫方の親戚男性から家に押し掛けられて嫌がらせを受けていたという。かつて友人が居合わせていた折にも「殺すぞ」などと怒鳴ったことがあったというのである。そのため信子さんは転居も検討していたとされる(※疑問7)。

すでに義母も高齢で、信子さんの夫も癌を発症して入退院を繰り返していたこともあり、そうした立場の人物がいたとすれば遺産目当てに信子さんをなきものにしようと考えてもおかしくはないように思えた。

信子さんの兄らによる推理では「殺人事件のにおい」がすると疑惑を抱いているが、その夫方の親戚男性には捜査機関によるアリバイ確認すら行われていない。

その後、信子さんの兄が立ち上げたホームページ等の情報は消されており、現在では限られた情報しか伝えられていない(※疑問8)。

 

■日本の行方不明者の状況について

参考として警察庁発表の資料をもとに、近年の国内の行方不明者の状況を簡単に触れておきたい。

平成18(2006)年以降、年間の行方不明者の届出受理数は、ほぼ横ばいで8万人を超えており、男女比はおおよそ男64:女36の割合である。

尚、令和2年度はコロナ禍による外出自粛などの影響により77022人と、前年度より約1万人の大幅減少となった。

 

年代別では20代、続いて10代が多い。また70代・80代以上の高齢者に増加傾向が顕著にみられ、関連して「認知症またはその疑い」があると申し出のあった不明者も全体の2割前後を占めている。9歳以下のこどもの届数も増加しており、背景として離婚率の増加と単独親権制度に抗する親・元親による拉致によるものと考えられる。

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所在確認等数についても、ほぼ横ばいで8万人を超えており、行方不明者の9割以上はその後、所在が確認されている。男女比はおおよそ64:36の割合であり、性別によって所在確認される率が大きく変わる訳ではない。

 

下は過去5年分の【年度ごとの行方不明届出数/所在確認等数】。

H28・・・84850/83865

H29・・・84850/81946

H30・・・87962/84753

R1・・・86933/84362

R2・・・77022/79640

「所在確認等」という表現には、生きて所在が確認されたもの、死亡確認されたもの、その他届け出が取り下げられたものの数が含まれている。行方不明者届を取り下げるには様々な理由が考えられるが、失踪者が戻ってきたり、後になって連絡が付いた場合などがある。

令和元年中では総数84362人の内訳として、所在確認71910人、死亡確認3746人、その他8706人である。

令和2年中では総数79640人の内訳として、所在確認66166人、死亡確認3830人、その他9644人である。

 

 届出人から申告のあった【原因・動機】は以下。

疾病関係(認知症含む):25~30パーセント

家庭関係:16~19パーセント

事業・職業関係:10~13パーセント

学業関係:2~3パーセント

異性関係:1~2パーセント

犯罪関係(会社の金の使い込み、売上金持ち逃げなど):0.5~0.7パーセント

その他(遊び癖、放浪癖など):19~23パーセント

不詳:16~19パーセント

「異性関係」は全体の1~2パーセントと数字の上では少なく、人数にして年間1300~1800人程度である。具体例は不明だが、夫婦やカップル間でのケンカ、結婚に反対されたり不倫などによる駆け落ち、失恋や離婚のショックとみられる蒸発、などが含まれるだろうか。

届出人が申告する動機のため、交際や不倫といったプライベートな事情について把握していないこともあるだろう。また家族やカップル間で虐待やDVがあれば届出人が申告をためらうこと等も考えられ、「不詳」に含まれている数も少なくないように思われる。

 

所在確認等までの期間は、届け出の「受理当日」、「2~7日」が圧倒的に多く、所在が確認される人の70パーセント以上が失踪届出から一週間以内に発見されている。いわゆる徘徊などの事案が全体の5分の1程度と非常に多いためすぐに発見されるケースが多い。また家出人が数日経ってから家族に連絡を寄越すなどが考えられる。

令和元年であれば、所在確認等の総数が84362人に対し、受理当日が34993人、2~7日は26958人。

令和2年であれば、所在確認等の総数が79640人に対し、受理当日が34636人、2~7日は23002人。

「8~14日」「15日~1か月」「1か月~3か月」「3か月~6か月」「6か月~1年」「1年~」の各範囲でばらつきはあるものの概ね各2000~3500人程度。母数は不明ながら、届出をしてから「2年以上」が経過していても、令和元年で4946人、令和2年で5869人と少なくない人数の所在が確認されている(捜索断念などの理由で届出の解消も多くなるため、必ずしも全員が発見されている訳ではない)。

 

■「主婦」の失踪

 経済力がなく行動手段がない子どもの不可解な失踪であれば、「特異行方不明」(事件性がある可能性が高い)事案として早期発見のための大規模捜索や捜査活動が行われる場合もある。

だが成人の場合は、現場に血痕が残されていたり部屋に荒らされた形跡があるといった事件性が明らかでなければ自発的失踪(家出人)として処理されることが多い。

大分県日出町の光永マチ子さん失踪の事案でも自発的失踪として対処され、警察は一度警察犬を連れてきただけで失踪現場と考えられた自宅内の鑑識などは行われなかった。たしかに多くの行方不明者は後に所在確認されてはいるが、何年たっても発見されず「神隠し」「長期失踪」事件化するケースも後を絶たない。

上で見たように、毎年80000人以上もの行方不明者届が申請されることから、ある程度の割り切りも必要というのは理解できる。だが失踪から数週間経過したものは関係者に再聴取し、事件性の有無について再検討の機会を設けるなど、柔軟な運用も併せていければ見つかる行方不明者、解決できる事件もあったのではないかと思われてならない。

 

■検討にあたって

被害者遺族も同様だが「失踪者家族」が顔や名前を晒して積極的に捜索協力を訴えることには大きなリスクを伴う。1994年に起きたつくば母子殺人事件(野本岩男)や2011年に起きた日出町2歳女児失踪/死体遺棄事件(江本優子)のように、実際には身内が捜索願を提出して隠蔽しようとするケースも存在するため、世間から真っ先に疑惑の対象とされてしまうためだ。

赤城神社の事案では「家族の証言しか出てこないのはおかしい」「そもそも法子さんは現地に行ってないのではないか」といった夫方親族による殺害隠蔽説を唱える者もいる。記憶に新しいところでは2019年の山梨キャンプ場女児失踪でもそうした身内を疑う声、いわれなき非難や誹謗中傷も大きな問題となった。社会心理として一定の人々にはそうした主張が受け入れられやすいのかもしれない。

もし仮に身内が「殺人犯」だったとして、テレビ番組に出演したり自ら情報発信したりして失踪の事件性を訴え出るだろうか。自身の関与を否定するための偽装工作だと考えても「失踪」の注目度を高めるのは悪手であり、却って疑いの芽を自ら拡散させることにつながる。警察との係わりにしても、失踪時の届け出や基本的な事情聴取だけで「家出人」扱いにしておいた方が便宜がよく、「特異失踪者」扱いの本格捜査を求める必要性はない。

そのため積極的に捜索活動を行う親族ら(信子さん失踪であれば夫や兄)について、失踪や殺害には関与していないと見るのが妥当だと考える。注目を浴びるために公表したり、捜査を掻い潜ることに快感を覚える倒錯者やソシオパス、心身の喪失で犯行の記憶や意識がない等のケースはゼロとは言わないが極めてレアケースであり、議論の余地もないため本稿では取り扱わない。

  

■ 自発的失踪について

・不倫説・・・専業主婦は勤め人に比べて時間の融通が利きやすいためか、誰にも知られることなく不貞を行っていたのではないか、駆け落ちに走ったのではないかとする推理は主婦失踪案件では多く見受けられる。不倫は、人間関係としての実態を他人と共有しない隠れた交際であるため、第三者からすれば根拠なく「疑惑」にしやすいのである。

不倫の原因としては、配偶者との性的不一致や性格的なすれちがい、家庭生活そのものに対する不満など様々かと思うが、そうしたプライバシーに関わる他人への憶測が多くの人の好奇心を刺激するためでもある(まさしく筆者が行っていることにほかならない)。

だが実際に配偶者と離れて不倫相手と一緒になりたいという心境にまでなれば、(DVなどがあればまた別ではあるが)「駆け落ち」を決意する前に一度は「離婚」を切り出すのが当然のなりゆきのように思われる。

恋愛に年齢は関係ないとは言うものの、一般的な感覚としては赤城神社事案の法子さんのように産まれたばかりのお孫さんがいるような状況ではそうした情熱も下火になると想像される。

府中町の信子さんにしても、以前からの義母の介護に加え、夫の入退院で慌ただしくなり、自身も持病の不安を抱える中で愛人との逢瀬を続け、見捨てるように逃走できるほどのエネルギーがはたしてあったのかは甚だ疑問である。

 

・DV説・・・主婦が姿を消す理由として、夫や家族から妻へのDVがあったのではないか、暴力夫や「家」から逃げ出したのではないかとする憶測も多く囁かれる。たしかに夫は入院中で手元にまとまった現金があるタイミングは逃走に打ってつけに見えなくもない。

だが少なくとも信子さんやマチ子さんには親しい友人達が多くおり、3者とも結婚してからそれなりの期間が経っているのに周囲のだれも気付かないというのも不可思議な話である。

DV被害者によっては第三者に相談・告発できないほどの恐怖におびえて自ら被害を隠蔽するケースも存在する。もしかすると外部には全く隠し伏せられていた家族の軋みやDV等もあるかもしれない。

しかし、さすがにそこまで思い詰めて家出を決意していたとすれば「友人とのランチ」には断りを入れるだろう。

 

体調の不安・・・気に掛かった点として、信子さんは心臓病と癌、赤城神社の法子さんは耳の障害(めまい等の症状からメニエール病とも言われている)といった持病を持ち、日出町のマチ子さんも病名こそないがその日は朝から具合がすぐれなかったことが指摘されている。三者とも予期せぬ体調異変が想定されることは気掛かりな共通点である。

家族関係(介護、育児、親戚付き合い)で心身に負担が掛かっていたことも懸念され、解離性障害(一時的な心神喪失)などの発症も考えられなくはない。また急な発作や昏睡等のおそれも考えられ、何者かに暴行されたとすれば大声を上げたり抵抗することも難しかったかもしれない。

さらに失踪後、医者にかかった記録がない点は留意せねばならない。若い健康体であれば何年も病院にかからずに維持できることもあるだろうが、妙齢で持病持ちともなれば、よほど経済力がなければ無保険診療を受け続けるというのはやや考えにくいものがある。まして信子さんは心臓病と癌であり、薬も持たず家出を企図したとは考えられない。

 

金銭管理・・・注目すべきは、信子さんは25万円ほどの現金がバッグ内にあったとみられているものの、三者とも預金を引き出していない点である。「金に不自由のない不倫相手」が存在し、足が付くと考えて金を引き出さないという可能性は否定しない。また夫が全面的に金銭管理をしていたとすれば、手許に金がなくても逃げ出す可能性はあり、失踪後も手を付けない理由にはなる。

だが若者ならばいざ知らず、家出する身になって考えれば事前に逃走や新生活の資金があるに越したことはない。とりわけ信子さんに関しては、父親がいざというときのために蓄えてくれていた預金にさえ手を付けていない点は理解に苦しむ。

   

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自発的失踪であれば、発覚を遅らせたい意思がはたらくものであり、こうしたタイミング、バッグと25万円という装備で出立を決意するとは一般的な50代の行動として考えにくい。

筆者としては自発的失踪の線は低く、三者による連れ去りなど不測の事態が起きた可能性が高いと考えている。疑問点の確認をしながらどういった状況が想定されるか考えてみたい。

 

■疑問点

※①「呼び出し」と「あー」「うー」

信子さん側からNさんに掛かってきた電話は何だったのか。急な来客など予期せぬ用事が入ってしまい、“ドタキャン”や時間変更の連絡を入れようとしたのか。それとも思わぬトラブルに巻き込まれて助けを求めようとしたのか、急な発作に襲われて意識朦朧の中、リダイアルボタンを押したのか。

 

掛け直してつながった際に聞こえた「あー」「うー」は助けを求めていたのか、苦しみ悶えていたのか。そもそも信子さんが発した声だったのか、別のだれかの声だったのか、はたまた何かの音が電話を通してそのように聞こえていた可能性もある。文字情報からは声量や声色、電話口との距離感などが伝わりづらく様々な想像ができてしまう。

「悲鳴のような」と表現される場合もあるが、電話口でそう思っていれば※②腹を立てて帰宅することもなかったと思われ、失踪状況が明白になった後で「もしかするとあれは悲鳴だったのかもしれない」と思い直したのかもしれない。

 状況が読めないのは、2度の応答があったがともに数秒で切れてしまったという点。いわゆる電波が弱い状況だったのか、誤操作があったのか。

 

※②友人Nさんはなぜ帰ってしまったのか

私たちは事後的に信子さんが失踪することを知っているため、「なぜNさんはしばらく信子さんの部屋に向かわず車で待機していたのか」、「なぜ信子さんの発作を疑ってすぐに通報しなかったのか」と感じがちで、友人を責めたくなる気持ちも理解できなくはない。更には家出を知りながら虚偽の証言をしているのではないかとする友人協力家出説すら存在する。

おそらくNさんと信子さんはこれまでにも一緒にランチに出掛けることが何度かあり、信子さんはどれくらいでNさんが到着するか、どこに車を停めるかも概ね了解済みだったと考えられる。「着いたら電話する」約束であるから、「あー」「うー」と会話にはならなかったが一応、向こうも電話(Nさんの到着)には気付いている。11時50分に到着して30分近く階下で待っていたのは気が長いようにも思えるが、「そのうち来るだろう」という判断自体はおかしくはない。

 

過去に信子さんの発作や苦しんでいる場面に遭遇したことがなく、たとえば「心臓が悪くて、階段だと心拍数上がっちゃうからいつもエレベーターなの」と聞かされていた程度であれば“中高年あるある”ではないがあまり深刻に捉えていなかったことも充分にあり得る。ついさっき電話で話していた相手が「発作」ましてや「誘拐」などとは思い至らず、腹を立てて帰ることも普通にあり得るのではないか。

そのときのNさんの身になって考えてみれば、目の前で人が倒れている訳でもなく、友達が「30分ほど電話に出ない」「部屋から応答がない」だけで救急に通報するというのは相当な判断力、決断力が迫られる場面である。

また逆説的に、朝に電話した際の信子さんには健康上の違和感はなく、「あー」「うー」の声は発作やアクシデントを感じさせる緊迫感はなかったとも捉えられる。

自ら救急や警察に通報した経験のある人がどれほどいるのかは分からないが、身近に発作で倒れた人がいたり、医療従事者や警察など突発的な事態を想定して行動する訓練や経験がなければ、実際にすぐ通報行動を取ることは難しいように思う。

 

Nさんが信子さんの家出を手伝ったとする仮説も考えにくい。家出を協力した直後にわざわざ入院中の夫を呼び出してまで早急に失踪を発覚させる必要がないのである。

また携帯電話の発着信について詳しい時刻が出ている以上、通信記録が残されており、夫や兄らもそれを確認した、午前中の信子さんとの電話のやりとりの事実はあったと推測される。

 

※③義母の車椅子

赤城神社事案では夫の「実家」に訪れ、夫方親族と一緒に出掛けていた先で失踪したことから、親類との間に軋轢があったのではないかといった「家」の問題にフォーカスする説も存在する。

信子さんの夫が長男だったか否かは不明だが、「介護」 を必要としていた義母を引き取って面倒を見ていた。亡くなった義父の遺産は義母に相続されていたが、その預金通帳の管理を信子さんが行っていたことから、義母は自身で金銭管理できない状態、認知症や寝たきりに近い状態だったと推測される。

本来は義母が乗るための車椅子であることから、元の置き場所は信子さん夫婦の部屋ではなく義母の部屋に置かれていたと見るのが妥当。それが一時的に廊下に出ていた、後に元の位置に戻されていたならば、「義母の部屋」に出入りができた人物が動かしたことになる。

 

また通常であれば失踪を知った夫は隣室にいた母親に真っ先に「信子さんの行方を知らないか」「何か異変はなかったか」「誰か部屋に来たか」「車椅子を動かしたか」など状況を詳しく確認しそうなものである。しかし「後日」確認したとされていることからも義母の部屋の鍵が夫婦の部屋になかったか発見できなかった、あるいはすぐに義母に確認したが認知や証言能力が不確かですぐに回答が得られなかったのかもしれない。

車椅子の用途としては、「祖母を室外に出す」「台車代わりに物を載せて運ぶ」ことが考えられ、たとえば義母の部屋に出入りできる第三者信子さんを載せて外に運び出そうとしていた可能性もある。

 

※④テーブルの上の診察券

信子さん自身が支度や確認のために出したものか、第三者が何かを探そうとして出したものかは判然としない。

仮に第三者が探していたとして着替え袋から何を見つけようとするだろうか。これから何かを探そうとしていたがほとんど手つかずのまま中断して診察券だけが出ていたことも考えられるが、金目のものや重要書類を探していたとは少し考えづらい。

あるいは「診察券」そのものに記載された情報(たとえば夫の入院先を確認するため)が必要だったのか。

 

※⑤不倫をほのめかす手紙

たとえば三重県加茂前ゆきちゃん失踪事件で送られてきた怪文書のように、すでに失踪が周知された時点での手紙であれば、無関係者による悪質ないたずらとも考えられる。だが信子さんの場合は失踪初期段階での怪文書であるため、近親者や事情を聞かされた友人ら、警察や病院関係者、もしくは「失踪に関与した人物」でなければ怪文書を送りつけることはできない。

たとえば犯行現場で「置手紙」を用意できず後から偽装工作するのであれば、2014年に発生した埼玉朝霞少女誘拐監禁事件(寺内樺風)のように、信子さん本人に強制して「家出の手紙」を書かせる方が信憑性や説得力が増すものと考えられる。

なぜ本人に書かせなかったのかを考えると、信子さんがどこかに監禁されるなどして誘拐犯とは別々の場所いたため書かせることができなかったか、あるいは信子さんが文字を書くことができない状況だったと考えるのが自然だ。

またワープロ文字であることから、「失踪に関与した人物」本人ではなく、別の協力者、共犯者が代筆して投函したこと等も考えられよう。

 

※⑥エレベーターの謎

エレベーターを使用せずに信子さんが移動したと見られる点でもやはり第三者の介入を窺わせる。第三者が信子さんを攫う目的で昼間にわざわざスーツケース等を持参して階段を上ってくることもやや考えにくいため、信子さんを強制的に階段から降りさせたか、背負って階段から運び去った可能性が高い。

しかし夫らは失踪した24日21時までのエレベーター映像しか確認していないため、可能性としては動けない状態の信子さんを一時的にマンション3階に隠し置き、24日21時以降(たとえば25日未明など)に移動させた可能性もある。

 

※⑦夫方親族への疑惑

ネット上で親戚への疑いを書き込むということ自体がやや信じられないことのように思われるが、それほど信子さんの兄にとっては強烈な疑い、相応の確信を抱かせる人物ということなのであろう。

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その後、癌で闘病する信子さんの夫は親族女性(疑惑の“夫方親族男性”の姉に当たる人物)の介助を受けながら、「信子さんは生きている。夫の友達が、信子さんが男といるのを見たと言っていた」「(信子さんの義母)のところに出入りしている人が『信子さんは男と逃げている』と言っていた」と聞かされていた。

信子さんの兄が夫からその話を聞いて、その証言者を紹介してほしいと親族女性に頼んだが、会わせてもらうことはできなかったという。

また信子さんの兄が夫の見舞いに訪れた際には、机の上に「遺書らしき文書」があったと言い、財産を(行方不明中の)信子さんではなく夫方親族らに相続するよう説得していたのではないか、と推測している。

 

だが親族姉が「信子さんを見た人がいる」と信子さんの夫に話したのは、病床で弱気になった信子さんの夫に希望を持たせるため、「男と逃げている」と話したのは焚きつけて奮起させるために場当たり的についた善意のウソだった、といった見方もできなくはないのではないか。

夫が親族姉を疑ってゼロからそうした嘘をついたとは考えにくいが、たとえば「私の知ってる人で信子さんによく似た人を見たって人がいるのよ。早く良くなって確かめに行きましょう」「(義母のところに来る)訪問介護の人に“信子さんがいなくなっちゃったから訪問介護を頻繁にお願いすることにしたんだ”って話したら『男の人と逃げちゃったのかもね』なんて言うのよ。まったく何考えてるのか、信じらんない」といった話しぶりだったとしたらまた意味が変わってくる。

 

※⑧遺産の行方

 「ふたりを探さないで」の手紙、「男と逃げているのを見た人がいる」といった親族姉の証言が功を奏したのか、まともに取り合わなかったのかは分からないが、警察は親族弟のアリバイ確認すらしないまま真相は明らかにされず、信子さんは所在確認されることはなかった。関係者筋の記述にも明示されてはいないが、義母や夫が亡くなった後、夫方親族らが相続した可能性は高い。

動機としては充分に考えられるものの、夫方親族男性らが信子さん失踪に関与していた証拠はない。過去に信子さんが夫方親族男性の脅迫で警察を呼んだこともあったという話もあり、地元署内では「親族関係に問題あり」と認識されて、却って不可触を決め込まれていた可能性すら感じさせる。

 

私たちが現在得られる情報は、「信子さん本人や友人」→「信子さんの夫」→「信子さんの兄」→「兄の友人」というフィルターを通して伝えられたもののみであり、何人かの伝聞や書き下し作業の中で、聞き手の解釈が加味され、その間に削ぎ落された情報も多いように感じられる。その情報だけを信じれば「親族姉弟が関与している」ようにしか読めないようなバイアスがすでに幾重にも掛かってしまっている。

たとえば親族弟が脅迫した件でも、単刀直入に「殺すぞ」と言いながら部屋に押し入ってくれば恐怖でしかないが、それまでの会話の流れでそうした脅迫めいた文言が出たものと考えられる。説得に応じない信子さんに対して「話にならんのう、いてまうぞ、われ」と言ったり、「わしらが財産管理するけ、あんた早う消えてくれんかのう」等と横暴な要求ではあったにせよ、何がしかの言い回しがあったと推量される。

 

筆者が公正中立だとは思わないし、警察や大手メディアが必ずしも正しい訳でもないが、果たして私たちが知りうる情報のどの部分が事実なのか、どの部分が発信者の解釈なのかは慎重に読み解かなければいけない。

 

■所感

歪な親族関係と遺産相続、介護や重い病といった様々な要素が絡み合う主婦失踪事件である。一応ここでは信子さんの兄の友人が伝えた情報を元に状況を妄想して終わりにする。

 

急なランチの誘い、午後には夫の病院への用もあって、普段より長く家を空けることになる。となれば、出掛ける前に義母の世話をできるだけ済ませておきたかったと考えるのが筋だろう。

自室の戸締りをして義母の部屋を訪れ、おおよその手筈が整ったところで友人に「用意ができた」と連絡を入れる。

だがそこに折悪く男が現れた。入院した夫の話、遺産相続の話といつも以上に主婦を責めたてて話を止めない。夫がいない隙をついて、時間をかけて相続を放棄させんとして現れたのかもしれない。

行けなくなったと連絡するためか、助けを求めてだったのか、主婦は電話を掛けて友人を呼び出そうとするが応答がない。バッグを持って義母の部屋から出ようとすると男は行く手を遮る。

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「お願い、出して」と声を上げると男は咄嗟に主婦の口を覆う。

「おとなしくしろ」

男は抵抗しようとする主婦を押さえつけてテープで口を塞ぎ、後ろ手に拘束する。

「!」

主婦は急に無抵抗になり顔をしかめてうずくまる。

男は主婦の持病までは関知しておらず、その様子を見てパニックに陥ったかもしれない。

「(このまま放置すれば勝手に死ぬかもしれない。夫は入院中ですぐには戻らないし、義母には直接目撃されていない。だが万が一、息を吹き返したら…)」

男は仲間に連絡を取り、どうすべきかを電話で相談。

その間、主婦は息も絶え絶えにバッグから携帯電話を取り出し、手探りで友人のNさんに連絡を取ろうとするがつながらない。

「(このままだと殺される)」

友人からコールバックが入る。「通話ボタン」を押すことができたものの、呼吸もままならず腹に力がこもらず声にならない。拘束された状態での手探りで操作を誤り、通話を切ってしまう。そこで主婦の意識は混濁し、以後電話に応答することもなかった。

 

主婦を部屋に置いたままにすれば男が疑われることになるため、一時的に連れ去り、後で行き倒れなど自然死・突然死を装って遺棄する等が計画された。男は部屋にあった車椅子の支度をし、部屋にいた痕跡が残らないよう確認したあと、昏睡した主婦と荷物を載せてエレベーターへ向かう。

「!」

エレベーターは「1F」に呼び出されており、このままでは鉢合わせになりかねない。男は慌てて義母の部屋に戻り、玄関前に車椅子を放り出して主婦を部屋に押し込む。

玄関で聞き耳を立てると、気配は隣の部屋の前に訪れ、インターホンを鳴らす。

 

 しばらく経って男はだれもいないことを確認し、車椅子を元に戻すと、車を階段出入口付近に回して、主婦とバッグを担いで階段から脱出。すぐに警察が来るおそれもあるため、友人が立ち去って30分以内にはその場を後にしたものと考えられる。

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24日昼に失踪、25日夜には呉駅付近に出向いており、26日には「手紙」を福山で投函しており、男の居住地などは不明だが東進していることから、岡山・兵庫・鳥取方面の山中やダム湖などへと向かったのではないか。

そのように考えると、すぐに警察によるアリバイ捜査が行われていればと思わずにはいられない未解決事件である。

 

 

■参考

行方不明者|警察庁Webサイト

『令和2年における行方不明者の状況』警察庁生活安全局生活安全企画課https://www.npa.go.jp/publications/statistics/safetylife/R02yukuefumeisha.pdf

友人の妹(かぎりなく殺人事件のにおいのする失踪事件)