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三重県・北山結子さん行方不明事件について

伊勢市と松坂市に挟まれた三重県明和町で起きた女子高生失踪事件について。少女の遺留品を所持した人物が検挙されるも証拠不十分として釈放されている。

 

初期の捜査から目立った進展はなく、松坂警察署では引き続き情報提供を求めている。事件の関与をほのめかす人物を知っているなど、心当たりのある方はご一報されたい。

三重県警松坂警察署 代表0598-53-0110

www.police.pref.mie.jp

 

事件の発生

1997年(平成9年)6月13日(金)20時30分頃、三重県多気明和町で学習塾のアルバイト勤務を終えた松坂工業高校3年生の北山結子さん(当時17歳)の行方が分からなくなった。

 

結子さんがバイトしていた斎宮(さいくう)駅近くの学習塾には、3歳下の弟も塾生として通っていた。母親は普段軽トラックで弟を塾に送り、ついでに結子さんの自転車を荷台に積んで自宅に運び、20時頃に乗用車で迎えに来て3人で帰宅するというのが常となっていた。

いつも片道10分程の車内で学校や友達の話を聞くのが楽しみだったと母親は振り返る。

しかし失踪当日は軽トラックのガソリンに余裕がなかったため、母親は普通車で弟を送っていくこととなり、結子さんの自転車を持ち帰ることができなかった。そのためこの日は結子さんだけ自転車で帰宅することになった。

友人に電話を掛けた役場近くの公衆電話

また結子さんはこの日、すぐに帰宅せず、近くに住む友人宅でテスト勉強をする約束をしており、家族もその旨を聞かされていた。バイトを終えた彼女は、塾から200メートルほど離れた町役場近くの公衆電話から友人に「あと10分くらいで着く」と連絡を入れている。

しかし23時を過ぎても結子さんが現れず、心配した友人は彼女の自宅に連絡を入れた。

友人宅にいるものとばかり思っていた家族は驚いて、友人と共に周辺を探し回るも結子さんは見当たらず、14日2時過ぎに三重県警に届け出た。

家族や行方不明を聞かされた友人たちは彼女のポケベルにメッセージを入れて応答を待ったが、彼女からの返信はなかった。

髪型は短髪で、身長150センチ程の中肉体型だった。

当時の服装は、白い半袖ブラウスに制服の黒色ベスト、黒色のプリーツスカート、白いルーズソックスに黒色の布製靴(23.5センチ)を履いていた。高2から所持していたポケベルは、日頃ベストの内ポケットにしまっていたという。

乗っていた紺色系の自転車はブリジストン社製のT字型ハンドルで、防犯登録があったほか、サドル下に連絡先と名前も明記されていた。通学用の黒色のショルダーバッグには水色の財布や定期入れ、黄色い弁当箱、櫛、ハサミ、鏡などが入っていた。

周辺での捜索はその後も続けられたが、着衣、自転車、バッグは見つかっていない。

 

疑惑の男

失踪翌日の6月14日の夜、21時頃と22時頃に結子さんの自宅に不審な電話が2度続いた。いずれも出た瞬間に切れてしまったと言い、事件との関連は定かではないが、家族は警察に相談して逆探知を行うこととなった。

当初、友人たちは連絡先が分かるように自宅の電話番号を添えてポケベルにメッセージを送っていたが、周辺で事故の痕跡などがないことが確認され、結子さんが事件に巻き込まれた可能性もあるとして、連絡先を伝えないように周知された。

 

そんな中、どうしても連絡がほしいと学友の一人は変わらず自宅の番号を添えてメッセージを送信していた。6月16日以降、その友人宅にも不可解な無言電話が続いた。その友人は電話の相手が結子さん宛てのメッセージを見て無言電話をしているのではないかと考え、会話を試みたがはじめのうちは返答がなかった。

だがあるとき「結子はどこ?」と尋ねると、「知らない」と男の声で返事があり、「どうして結子のポケベルを持っているの」と尋ねると、電話の男は「拾った」と答えた。

つまり男は偶々拾ったポケベルに入ってくるメッセージを見て、電話を掛けてきたということになる。携帯電話を拾った/紛失したことのある人なら、似たような経験があるかもしれない。

 

しかしその後の電話で男はなぜか態度を変え、「彼女を駅まで送った」「金がないというので彼女に5万円貸した」「そのとき担保としてポケベルを預かった」などとはじめとは異なる言い分を主張し始めた。

さらに男は結子さんの友人に接触を持ち掛け、松坂市内にあるショッピングセンター「MARM」に呼び出した。友人は男の誘いに応諾し、警察に事情を伝えた。

6月20日、密かに警察が配備された中、友人と結子さんの母親が指定場所に向かった。しかし男はなぜか姿を見せなかった。

6月25日、男は「ポケットベルを返す」として、三雲町にあるバス停に取りに来るよう指示。行ってみると確かに結子さんのポケベルは置かれていたが、なぜか彼女が装着していた金色の鈴と「ハローキティ」のキーホルダーは付いていない状態だった。

 

6月27日、「ポケットベルは受け取ったのか」と男から友人宅に電話が入る。警察の逆探知によって三重県嬉野町内の公衆電話が特定され、近くにいた松坂市茶与(ちゃよ)町に住む自称露天商手伝いの男T(当時46歳)が任意同行を求められた。その日は朝から雨が降ったり止んだりの天気で気温は20度前後、しかし男は薄着に手袋をした不自然ないでたちだったという。

声紋鑑定により、Tと電話の男の声が一致。またポケットから出てきた白地に青い柄の入ったハンカチは、家族により結子さんの所持品と似ていることが確認され、翌日、緊急逮捕された。

男の身辺を調べてみると、事件当日のアリバイは定かではなかった。また婦女暴行、強盗などで12年の刑期を経た前科者だった。その手口は自転車に乗る女性を狙って車をぶつけ、わいせつ行為や所持品を奪う卑劣な犯行であった。

男のワゴン車を確認すると、左ウインカーの一部が破損、バンパーにも衝突でできたと見られる凹み痕があった。車内からは結子さんのものとみられる漢和辞典が見つかり、友人のポケベル番号が書き込まれていた。警察は犯行車両との見方を強め、車内から100本あまりの毛髪、繊維片などが採取された。

また車内から、結子さん失踪以降に有料道路「伊勢二見鳥羽ライン」を利用した領収書も発見され、証拠隠滅などのために長距離移動をしていたことも疑われた。男は以前から週に1回ペースで松坂市内のガソリンスタンドを利用していたが、結子さんの失踪前後には6月12日、15日、17日と頻繁に給油していたことも判明している。

結子さんは以前友人に「怪しい男につけ回されてこわい」と漏らしていたこともあった。失踪前に利用した公衆電話横に「白いワゴン車が停まっていた」との目撃情報も得られ、ますます男による関与はほぼ決定的かに思われた。

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しかし男は取り調べに対し、ポケベルはあくまで拾得物だと主張。連絡先の相手が女子高生と知って何度も電話をしただけだとし、結子さんへの略取誘拐などの嫌疑については否認と黙秘を続けた。

7月18日で勾留期限を迎え、男は証拠不十分で釈放された。

 

事件から26年余で警察は延べ4万8000人以上の捜査員を投入したが、今のところ有力な手掛かりは得られていない。

 

 

所感

Tはあまりにも犯人像に当てはまっており、状況証拠も揃っているかに見える。この事件は、巷間には「犯人が分かっているのに捕まっていない事件」等とも言われる。

夜間に公衆電話をかける制服姿の少女を見かけた犯人が、ワゴン車でぶつかるなどして自転車ごと拉致し、強制わいせつや殺害などの後、遠方に遺棄したと推察されている。過去の逮捕経験から証拠隠滅や完全黙秘を貫くつもりで犯行に当たったとも考えられているが、場当たり的ともいえる犯行手口で完全犯罪などなしうるものだろうか。

周到な犯人であれば、わざわざ被害者の友人に連絡をとったり、律儀に遺留品のポケベルを返却するといったリスクを冒さないのではないか。だが供述のように、女子高生と知り合いたくなりリスクを冒したのも事実かもしれない。二匹目、三匹目のどじょうを狙ってポケベルを遺棄していなかったとすれば、狡猾な性欲異常者である。

時代状況から見て、毛髪やハンカチのDNA型鑑定も行われたと想定されるが、証拠不十分としていることから逆算すれば、結子さん由来のDNA型は検出されなかったと捉えられる。行けると踏んで、マスコミにTの情報を漏らしていたが、予期せぬ鑑定結果に捜査当局の腰が引けてしまったのか。

憶測にはなるが、何らかの重大な捜査ミスによって立件できない状況をつくってしまった可能性もないとは言い切れない。たとえば取調官が誤って暴行を振るうなどして逆に弱みを握られたり、裏付けの中で完全なアリバイがあると誤認してしまい、公判に耐えられないと判断されたりといったことも考えられる。

 

本件と同じ1997年に発生し、大きな話題となった東電OL事件では、遺体発見の2か月後、不法在留ネパール人のゴビンダ・マイナリさん(当時30歳)が逮捕された。現場近くに住み、被害者の売春相手のひとりだったことから犯行を疑われたが、一貫して無実を主張。公判では一審無罪、二審では逆転有罪で無期懲役、上告棄却となり一度は有罪が確定する。

しかし再審請求で、遺留体液や体毛が被告人とは異なる第三者に由来するという鑑定が提示され、東京高裁は「被告人以外が犯人であることを否定できない」として無罪判決を下し、ただちに確定した。

警察側から出される情報などにより、世間では2011年の再審まで「不法在留の外国人による犯罪」と信じられてきた。しかし専門家による慎重な再捜査やDNA鑑定による裏付けによって、冤罪が明らかにされたのである。

 

何が言いたいのかといえば、どれほどクロに見えたとしても私たちは決定的な証拠ひとつでシロと手の平を返すということ。つまり警察が不起訴とした理由を明かさないために、「推定有罪」の証拠だけが晒されている状況だということだ。警察はクロと踏めば、不当逮捕や自白の強要も辞さないことは数多くの冤罪事件が示している。その警察が起訴を躊躇したということは、逆説的に反証しがたいほどのシロの証拠もあるということではないか。

Tとは異なる三者による犯行の可能性を排除することはできない。そして当局は不起訴の正当な理由があるのであれば、いつまでも「疑惑の人物」を放置せず、情報を開示してほしいものである。

 

同じく1997年の11月28日、東京都世田谷区の横断歩道で青信号を歩行中だった小学2年生・片山隼くん(当時8歳)がダンプカーにはねられて死亡した。車両はそのまま逃走したが、業務上過失致死と道交法違反(ひき逃げ)の容疑で、運転手はすぐに現行犯逮捕された。

隼くんを失った家族は憔悴したが、翌98年1月になって運転手の公判予定を確認しようと地裁を訪れると、不起訴処分で12月28日にすでに釈放されていることを知らされた。何も聞き知らなかった家族は検察に問い合わせて処分理由の説明を求めた。だが刑訴法では処分内容や理由を通知するのは「告訴人、告発人」に限られるとして、東京地検は被害者や遺族に「説明する義務はない」と回答。警察からは「運転手には謝罪に行くよう伝えてある。来ていないのか」と言われた。

2月、遺族は警察から男の連絡先を聞き、直接面会を申し込んだ。片山家に現れた男は玄関先で土下座していたという。男は「大切な命を奪って申し訳ない」と遺族に直接謝罪し、事故当時は業務無線に気を取られていたことを明かした。家族は堪えきれない感情を相手にぶつけることもあったが、運転手の男にも隼くんと同い年の息子が居り、子を思う両親の気持ちを理解し、深い反省を示した。ひき逃げの理由を尋ねても、男は「記憶がはっきりしない」と繰り返した。

後年、隼くんの父親は「息子を奪ったのは『怪物』ではなく『自分の立場を守ろうとする、弱くて小さな普通の人間』だった」と語っている。

一方で、嫌疑不十分とした警察の捜査の甘さ、検察の対応への憤りは晴れなかった。5月、遺族らは検察審査会に審査を請求し、被害者にさえ情報公開されない実情を世に訴えた。報道、国会でも取り上げられ、全国から20万筆を超える共感の署名が届けられた。

検察は異例の再捜査を実施し、新たな目撃者の出現もあり、運転手は業務上過失致死で在宅起訴された。公判では「人を轢いたとは思わなかった」と無罪を主張したが、東京地裁は求刑通り禁固2年執行猶予4年の判決を下す。民事訴訟では、被害者に過失は一切認められないとして、運転手と会社に総額3200万円の支払いが命じられた。

また検察庁の対応を改める必要があるとして、1999年4月より「被害者等通知制度」が実施され、被害者、親族、目撃者などの参考人の通知希望や照会に応じることとなった。

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結子さんのご家族らはその後の捜査状況や元被疑者男性の動向について、情報にアクセスできているだろうか。失踪からどれほど月日が経とうとも生存を信じ、帰りを待つ家族の思いが消えることはない。捜査の進展を願っている。

 

 

参考

息子を奪った「怪物」は弱くて小さな人間だった…事故遺族の挑戦(1/2ページ) - 産経ニュース