いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

桶川ストーカー殺人事件・ドラマ『ひまわり』感想

2003年12月テレビ朝日系列・土曜ワイド劇場枠で放映されたドラマ『ひまわり』の感想など記す。
原作は同系列の報道番組『ザ・スクープ』に出演していたジャーナリスト鳥越俊太郎・取材班らによる『桶川女子大生ストーカー殺人事件』で、冒頭にもご遺族への取材を基にした物語と表記されたノンフィクションドラマである。

桶川女子大生ストーカー殺人事件

本稿ではドラマでは省略された事件内容についても触れつつ振り返りたい。

■事件概要①出会い

1999年1月、埼玉県大宮市のゲームセンターで猪野詩織さん(21)が女友達と遊んでいると、自動車ディーラーと称する「誠」たちに声を掛けられ、2人はほどなく交際に発展した。
青年実業家らしく羽振りの良い「誠」はバッグや衣類などの高級ブランド品を次々に贈ろうとする。あまりに高額なプレゼントなので詩織さんが受け取りを拒もうとすると、人目もはばからず逆上して怒鳴り散らすなど暴力的な面を見せるようになった。
やがて「誠」が偽名であることや、暴力団員風の男たちと親しくしていることなど男の身辺に不信を抱き、交際に不安を募らせていく。

3月、詩織さんが「誠」のマンションに遊びに行くと、盗撮と思しきビデオカメラが仕掛けられているのを発見。問いただすと男は激怒して、「お前は黙って俺のいうことだけ聞いていればいいんだ」と拳で詩織さんの顔すれすれの壁を何度も殴りつけた。恐怖のあまり別れを切り出そうとすると「俺に逆らうのか」「これまでのプレゼント代100万円を払え」「払えなければ風俗で働け」と脅迫し、交際の継続を強要。以降、携帯電話による束縛や行動監視が激しくなる。
その後も万が一を思って秘かに遺書までしたためて別れを訴えた際、男は伝えていないはずの彼女の家族の身辺について語り始め、「親父をリストラさせてやる」「別れれば家族をめちゃめちゃにしてやる」と脅した。彼女の家族について秘かに調査させていたのである。家族への危害をおそれた詩織さんは男に土下座して許しを請うた。この時期、友人らに「殺されるかもしれない」と身の危険が差し迫っていることを相談していたが、4月半ばには友人との連絡を絶つため男に携帯電話を破壊させられている。

■出演キャストと時代背景

被害者・猪野詩織さん役を内山理名さん、「誠」を名乗った元交際相手・小松和人役を金子賢さんが演じている。細い吊眉で一見するとイマドキの女子大生ながらも奥手な性格だった詩織さん、優し気な笑顔の裏に凶暴性を併せ持つ小松和人ともに優れた配役だと感じた。
詩織さんは父親(渡瀬恒彦さん)、母親(戸田恵子さん)、弟らとも家族仲が良く、作中では演出だとは思うが小松の口から「きみはよく“お父さんの話”をする。ファザコンなんだ」とまで言わせている。この後、激化する小松のストーキングに対抗するために家族一丸となる描写は事実と思われ、父親を身近に感じていたからこそ却って交際関係を打ち明けられずにいた娘心が一層悔やまれる。父親もまた大学生の一人娘がバイトや交友で親離れしていく日々に成長の喜びと戸惑いが交差していたように感じられる。

また当時世間には90年代後半のいわゆるギャル文化や女子高生ブームの余韻があったことも、事件後の二次被害・三次被害に大きな影を落とす。後述するが「厚底ブーツにミニスカート」「ブランドバッグ」といった“ギャル(=派手な若い女性)”像が一般に浸透しており、恣意的なものか意図的なものか警察発表や一部報道は詩織さんをそうした文脈に当てはめて非難した。
男女の出会いの場面では「プリクラ」や「カラオケ」が象徴的に使われ、劇中では宇多田ヒカルの大ヒット曲『First Love』が使用されている。「携帯電話」はすでに広く普及した時代であり、NTTドコモの携帯電話インターネット「iモード」のサービスは(交際時期と重なる)99年1月からなので、いわゆる「出会い系」犯罪が流行する前夜にあたる時期であった。


■事件概要②脅迫と警察

6月、精神的圧迫や嫌がらせに疲弊しきっていた詩織さんは意を決して男に訣別を伝え、それまで隠してきた交際についても家族に打ち明けた。
その夜、「誠」は強面の男たちとともに猪野家に押し掛ける。強面のひとり(小松の兄。演じるのは宇梶剛士さん)が当惑する母娘に「おたくの娘と交際していた男がうちの会社の金を500万円横領して、その金で貢いでいた」「うちの社員(「誠」)が女のせいで精神的におかしくされて病院に通っている。誠意を見せろ」と凄んだ。1時間以上に渡って脅迫は続いたが、その日は父親が帰宅して「警察で話を聞こう」と反論し、押し問答の末にどうにか帰らせることができた。
「私が馬鹿だったの」泣きながら自分の愚かな交際を悔やむ娘。父親は警察への届出を決意する。

家族は所轄の埼玉県警上尾署に被害を訴え、詩織さんは男たちとの前夜のやりとりを録音したテープを持参して相談に臨み、「このままでは何をされるか分かりません」と窮状を訴えた。しかし署員は男女の色恋沙汰、民事不介入として「何かあったら来てください」と訴えを退ける。猪野家には連日連夜の無言電話が続いた。法律相談にも救いを求めたが「娘さんもプレゼントを貰っていい思いしたんでしょ」とぞんざいな扱いを受け、まともに取り合ってはもらえなかった。
小松からの嫌がらせの電話に「警察に相談している」と告げるとすぐに電話は切れた。その後、猪野家は電話番号を変えたがその2日後には新たな番号も知られてしまい電話は鳴り止まなかった。
翌週、父親は上尾署を訪れ、これまでの小松からの贈り物を全て送り返したことを報告した。後に、警察側はこの報告を「問題にすべて片が付いた」と曲解していたと説明する。
一方、6月後半のこの時期、小松から兄を通じて殺害の実行グループに詩織さん襲撃の依頼が行われていた。

■ストーカーと関連作品

「ストーカー、ストーキング」は行き過ぎた「つきまとい」のことを指し、アイドルや著名人の「追っかけ」行為を意味する言葉(ジョン・レノン事件など)で古くから心理学の分野で研究されていたが、独立して犯罪行為として認められるようになったのは比較的近年になってからである。
アメリカではリチャード・ファーレーによる女優レベッカ・シェイファー殺害事件を契機に1990年にカルフォルニア州で初のストーカー防止法が成立した。イギリスではつきまとい行為を規制する「嫌がらせ行為防止法」が97年に制定された。
日本でも90年代からそうした被害が問題視され始め、本件などを契機として2000年5月にストーカー規制法が成立した。

恐怖のメロディ (字幕版)
1971年公開のクリント・イーストウッドによる監督デビュー作『恐怖のメロディ』はストーカー概念が普及する以前にその恐怖が描かれた先進的な作品とされる。イーストウッド演じるラジオDJの熱烈なファンとして接近した女性が、勝手に合鍵をつくったり自殺未遂をしたりと異常性を見せ、彼の元交際相手ら周囲の人間に牙を向けるという内容である。

日本では1997年1月によみうりテレビ系列でドラマ『ストーカー 逃げきれぬ愛』が放映され、女性からの善意を自分への好意とはき違えた男性が異様な支配欲を見せていくというもので渡部篤郎の怪演でも話題となった。同クールにTBS系列で『ストーカー 誘う女』も放映されており、こちらは同じ会社の既婚男性に思いを募らせた女性社員が強引に肉体関係を迫り、想像妊娠して男性の家族に危害を及ぼすというドラマである。
国内でも偏執的な付きまとい行為に対しての「ストーカー」という言葉は次第に知られるようになったが、「恋愛関係のもつれ」に端を発するものと捉えられがちであった。

■事件概要③告訴

プレゼント返送以降、無言電話のみならず、自宅や大学などに誹謗中傷を書いたビラが貼られるなど嫌がらせはエスカレートを辿っていた。
7月、「被害」の事実をもってして一家は上尾署を訪れ、「告訴」を求めた。だが「裁判となれば嫁入り前の娘さんが辛い目に遭いますよ」「(大学の)試験が終わってからでもいいんじゃないですか」とすぐには取り合わず。
その間も「大人の男性募集中」と風俗広告の体裁で顔写真・電話番号入りのカードが配布され、インターネットへの同様のカキコミも行われており、知らない男たちから連絡が入ってくるようになった。7月末、上尾署はようやくビラによる「名誉棄損」の告訴状を受け取りはしたものの、「被疑者不明」として署員らの机を行きつ戻りつするばかりで捜査は放置されていた。

8月に入ると父親の勤め先と親会社宛に八百通もの中傷文が送りつけられた。大量の手紙の束を持参して捜査はどうなっているのかと迫ると、「いい紙使ってますね。郵送だから費用が掛かってますね」等と言ってはぐらかした。
8月末、告訴受理の決裁を出す立場にあった茂木邦英刑事生活安全担当次長は「告訴ではなく被害届でよかったのではないか」と担当署員を𠮟責した。未処理の告訴件数が増えると警察にとっては「成績の低下」を意味する。単なる被害届であれば県警への報告義務はなく、捜査を急ぐ必要がないためである。
とはいえ告訴を取り下げた場合「再告訴」はできない。にもかかわらず、9月に署員が猪野家を訪れ、犯人逮捕後に再告訴ができるかのように母親に説明して告訴の取り下げを要望した。母親は警察の要求には屈しなかったが、詩織さんは男が根回しして告訴取り下げを迫ったのではないか、警察は信用ならないと疑心暗鬼に陥っていった。その後も深夜に車での騒音被害など執拗な嫌がらせは延々と続けられた。家族は苦悶する彼女を支え、励まし、解決のために手を取り合うことを心に決める。
しかし10月26日、事件は起こってしまった。

■群馬一家三人殺害事件

1998年1月に群馬県群馬町(現高崎市)三ツ寺で発生した群馬一家三人殺害事件も規制法成立以前のストーカー犯罪であり、現在も犯人逮捕に至っていない未解決事件である。
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元トラック運転手・小暮洋史(指名手配中)は配送先のドラッグストアに勤める女性に好意を抱き、顔を合わせるたびにデートに誘うようになる。女性が「車の運転が好き」と話したことを受けて、男は新車のスポーツカーを購入するほどの熱の入り様だった。職場で頻繁に顔を合わせなければならないため無碍にもできず、女性は根負けして一度だけ誘いに応じたことがあった。だが彼女には全くその気はなかった。
女性には正式な交際相手が居り、すでに親にも紹介していた。心配を掛けさせたくないため、家族には小暮の執拗な誘いについては相談していなかった。女性のつれない態度をよそに小暮の行動は次第にエスカレートし、車での執拗なつけ回しや自宅への無断訪問、嫌がらせの電話を繰り返した。
職場に相談すると、小暮と顔を合わさなくて済むように配送時の対応は他の同僚が代わる配慮が為され、店長からも小暮本人に彼女が怖がっていることを伝えた。協力の甲斐もあって一時は小暮のストーキングも鳴りを潜めた。

だが平穏も束の間、収まっていた無言電話は再開され、車に「2人で会いたい」旨の手紙が残されるようになる。交際相手はすぐに連絡が取れるよう彼女に携帯電話を持つように勧めた。
1998年1月4日、小暮は運送会社の掲示板に「辞めます」と書いて姿を消し、ドラッグストアにも姿を見せなくなった。安堵した女性は成人式を迎え、家族や交際相手から祝福を受けた。

1月14日、この日は母親の誕生日だった。21時頃に女性が花束を用意して帰宅すると、背後から小暮に襲われて玄関脇の和室へ連れ込まれ暴行を受けそうになった。2時間に及ぶ必死の説得の末、男の危害を免れることはできたが、その間も家族の気配がないことが気に掛かった。男に家族の安否を問いただすと「薬で眠らせている」と言い残し、車で立ち去った。
一緒に暮らしていた両親と祖母の3人は押入や浴室から変わり果てた姿で発見された。両親が勤めに出ている間、祖母が一人で在宅している隙に押し入って絞殺、その後、帰宅した父母も相次いで刺殺されたものとみられている。
家族を奪われた被害女性は「(小暮が)もう死んでいるかもしれないと思うこともある。だが生きているなら罪を償うべきだ」と現在も逮捕を願っている。

■事件概要④事件と報道

10月26日12時53分頃、通学途中だった詩織さんが桶川駅西口の商業施設マイン付近で自転車を降りた際、男にナイフで右わき腹と左胸部を刺された。病院に搬送されたが肺損傷の大量出血により間もなく死亡した。事情聴取の名目で両親は病院に駆けつけることも死に目に会うことも許されなかった。
その日行われた捜査本部による記者会見では、「捜査一課長代理ですから、厳しい質問のないようによろしくお願いします」と含み笑いを浮かべながら事件の説明を行った。
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男は逃走して発見に至らず、その間、マスコミは被害に遭った猪野家をスクラム取材の標的にした。当時、自宅の隣が空き地だったため事件から2か月以上に渡って「張り込み」が続けられていたという。大学受験を控えた長男、小学4年生の次男は学校にも通えず、買い物にも出られないため仕出し弁当で間に合わせていた。フジテレビは侵入取材を掛けようと「父親から許可を得ている」と葬儀場職員を騙そうとするなど手段を択ばず、火葬帰りにも取材陣が待ち受けていたため父親が身を挺して家族を家に帰さなければならなかったという。
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それほど熱烈な取材の一方で、記事には被害者のプライベートに関する憶測があることないこと書き連ねられた。捜査本部が所持品について「厚底ブーツに黒のミニスカート」「リュックはプラダ」「時計はグッチ」などとわざわざブランド名を列挙するなど偏った情報の伝え方が拡大解釈され、被害者が「ブランド狂い」の遊び人のように書き立てられたのである。『FOCUS』記者だった清水潔氏によれば、数点のブランド小物を持っていたにすぎず、実物の見た目からおそらくは大事にしながら長く使い込んだもので、派手だったり身分不相応な印象はないとしている。
加害者の情報と関連付けて「キャバクラ嬢」「風俗店バイト」等とも書かれたが、風俗嬢などをしていた事実はない。「水商売をしていた」といった警察のリークも、友人に付き添いを頼み込まれて2週間スナックの手伝いをしたことはあったが、実情は酒の席にも付いておらず働いた分の給与すらも断っていた。
読者も書き手も年配男性が多い雑誌やスポーツ紙が「今どきの女子大生」像にかこつけて想像力を掻き立て、ワイドショーはそれを種にして「被害者の行動にも非がある」かのような論調をとった。警察はマスコミに撒き餌を与え、「元気で明るい家族思いな普通の女子大生」だった被害者を全くの別人に変えてしまった。
友人たちが彼女との思い出を偲んで現場に供えた写真をマスコミは勝手に持ち去って流した。鍋パーティーの楽しそうな様子を切り抜いて、放映時にはさも「遊び人」であるかのような印象操作に使われた。堪えきれず「被害者遺族の知人」を装って抗議の電話をしたこともあったが、局側はまともに取り合おうとはせず一方的に切られたという。

桶川ストーカー殺人事件―遺言―(新潮文庫)
清水氏は警察発表頼みにしない独自取材を重ね、詩織さんが友人たちに伝えていた「ストーカー被害」に丹念にアプローチを進めていた。ご両親は事件後マスコミへの不信感を募らせていたが、取材姿勢に信頼を寄せた詩織さんの友人は清水氏に会うように勧めた。
清水氏は詩織さんの遺言にあった元交際相手(小松和夫)が自動車ディーラーではなく、兄弟で池袋の違法風俗店を経営していたことを突きとめると、周辺人脈から実行犯の割り出しを進めた。12月、実行犯が逮捕され、依頼・仲介をした「誠」の兄・小松武史、中傷ビラなどに係わった面々も逮捕されたが、肝心の「誠」こと小松和人だけが逮捕を免れていた。
6月後半、2000万円で犯行グループに襲撃を依頼し、7月以降は約3か月沖縄で対立する風俗店への電話による嫌がらせ工作を仕掛けていたが、事件後はその行方をくらませていた。翌2000年1月16日、「名誉棄損容疑」による異例の指名手配が行われたが、27日、北海道屈斜路湖で水死体で発見された。着衣の乱れがないことや遺書、保険金等から警察は自殺と断定。被疑者死亡により起訴猶予処分とされている。

ドラマでは被疑者死亡のニュースを受けて茫然とする父親の姿が痛々しい。事件被害者遺族にとっては「犯人逮捕」「裁判による真相解明」「判決」といったひとつひとつが多大な負担を伴うものの事件を受け止める上では大切なステップなのだ。その主犯、核心たる小松の自死は「最大の目的」が永遠に果たされなくなったことを意味する。

「詩織は2度も3度も殺された。刺した犯人にだけじゃなく、捜査を放棄した警察やデマを流すマスコミにも殺された」

この切実な言葉の意味を警察やマスコミだけではなく私たちも胸に留めておかねばならない。

■事件概要⑤裁判

栃木リンチ殺人事件、新潟少女誘拐監禁事件など、当時は各地で警察による不祥事が取り沙汰されており、警察改革が強く求められていた時期でもあった。
『Focus』紙の清水記事以降、メディア側の風向きは変わりつつあった。報道番組『ザ・スクープ』ディレクターでAPF通信の山路徹氏らは県警への質問状を送り、鳥越俊太郎氏は3月に同番組での検証報道を開始した。放送前、鳥越氏がご両親に宛てた手紙には「男の蛮行を阻止できなかった警察については、このまま何も罰を下されることなく過ごさせる訳には参りません」と強い決意が記されていた。
参院予算委員会、埼玉県議会警察常任委員会でもこの問題は取り上げられ「告訴取り下げ要請」の有無が質問され、「ストーカー規制」に関する議員立法の準備が行われた。追及を受けた警察庁は「そのような誤解を与えるやりとりがあったかもしれないが、告訴取り下げを要請した事実はない」と答弁した。事件直後にも県警側からは「告訴取り下げ要請は“ニセ刑事”の仕業だ」と記者らへのリークが行われていた。

だが県警による内部調査を行った結果、遺族の言う警察の不誠実な対応があったことは大筋で事実と認められた。調書にあった「告訴」を「届出」に書き換えた上、事件後も捜査ミスを隠蔽するための改ざんがあった事実も確認された。西村浩司県警本部長は、猪野家に謝罪の訪問を行い「訴えを真摯に聞き、捜査が全うされていれば、このような結果は避けられた可能性もあると考えると痛恨の極みであります」と涙ながら述べた。
対応に当たった3署員が懲戒免職、幹部ら9人に減給などの処分が下る。9月には虚偽有印公文書作成、行使により3名に執行猶予3年の有罪判決が下された(上尾署元刑事第二課長片桐敏男・懲役1年6か月、同元係長古田裕一・懲役1年6か月、同元巡査長本田剛・懲役1年2か月)。
また余談にはなるが2000年10月7日、事件当時、生活安全担当次長だった茂木邦英警視の住むマンション玄関への放火事件が起きた。元上尾署員で本件の不祥事により左遷された巡査部長の逆恨みによる犯行であった。

事件から1年後の2000年10月26日、遺族は犯行グループ17人に対し、合わせて1億1000万円の損害賠償を求めてさいたま地裁に提訴した。後の刑事裁判で多くの者は服役するものとみられており、支払い能力があるとは思えなかった。しかし逮捕を免れ、刑事裁判で裁かれる機会さえない元交際相手・小松和人の責任を追及せずにはおけなかった。
2006年3月には小松が死亡前に掛けていた保険金の受取人でもあった小松の両親も含めて損害賠償を求め、合わせて1億566万円の支払いが命じられた。被告人側は、殺害は意図されていたものではなく拉致監禁して強姦・撮影するように依頼があった等の主張をしたが、依頼は殺害の結果を容認する含みをもたせた内容だったとして退けられた。
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小松の遺書には「自分に対する疑いはすべて冤罪である」旨の記述もあったが、信用に足りないとして却下。殺害の依頼は小松による指示に基づいてなされたものと推認された。

殺人事件の裁判では、元風俗店店長で実行役となった久保田祥史は懲役18年、犯行グループの運転手役と見張り役はそれぞれ懲役15年、元交際相手の兄で襲撃の依頼・仲介をした主犯の小松武史は一審で無期懲役の判決を受けた。小松は控訴・上告したが棄却されて、2006年に無期懲役が確定した。
当時は被害者遺族に参加制度が認められていなかったため、加害者家族と同じ傍聴席に座った。詩織さんの母親は「全国犯罪被害者の会あすの会)」設立に参加し、被害者参加制度をはじめとする被害者・被害者遺族の権利確立の活動にも精力を注いだ。

2000年12月22日、被害者遺族は埼玉県を相手取り、県警による捜査放置に対する国家賠償請求訴訟を起こした。4月の内部調査報告を受けて県警本部長は謝罪していたが、裁判ではその態度を一変させて責任回避に終始した。「被害者家族に危機感はなかった。それほど危機感があれば友人や親戚に娘を預けるはずだが行っていない」と被害者側の非さえ訴えた。調査報告書についても、県警への批判の中でまとめられたもの、警察庁が書けというから書いたまでで現実的評価になっていないとして証拠価値を公に否認している。
2003年2月26日、さいたま地裁は県警の不誠実な対応、市民の期待と信頼を裏切ったことを批判した上で、計550万円の支払いを命じた。しかし適切な捜査が行われていたとしても犯行を断念させられたとはいえないとして、捜査怠慢と殺害との因果関係は認定されなかった。
ときに「死んだ娘で商売するなんて最低だ」と心ない非難を浴びせられることもあったと言い、娘の無念を晴らす思いはあっても警察相手に先の見えない係争を続けるのは並大抵のことではなかった。

■栃木リンチ事件との関連

同じ1999年に栃木で起きたリンチ殺人事件の遺族は、警察の怠慢に憤る詩織さんのご遺族の姿に意を決して、国家賠償請求の訴訟に踏み切った。両者は「警察の不誠実な対応」によって最悪の被害を招いた事件背景から互いの裁判を傍聴するなど交流を深めていた。

自動車工の青年(19)が行方不明となり、各方面に多額の借金を繰り返していたことから青年の両親が事件性を疑って栃木県警石橋署はじめ各署に捜査を要望していた。しかし警察側は「仲間と一緒に遊んでいるのだろう」「警察は事件にならないと動かないんだよ」と取り合おうとはしなかった。その間、約2か月に渡って犯人グループ4人により青年は壮絶なリンチ被害に遭い、遊興費のために多額の借金をさせられた挙句、警察の捜査を懸念して殺害された事件である。

2006年4月、宇都宮地裁は県警の捜査怠慢と殺害の因果関係を認定し、署員ら被告側の供述を全く信用ならないとして退ける。県警側は「不明者側から捜索願の取り下げがあった」、対応に不備はなく「事件を予見できなかった」等と説明した。
警察側の責任を全面的に認める画期的な判決を受けて、取材に応じた詩織さんの母親は「ちゃんとした判決を出せる裁判長もいることを娘に報告したい」とその報告に励まされ、きたる上告審での最高裁判決に期待をにじませた。

しかし同06年8月、桶川事件の国賠訴訟は上告棄却。
さらに2007年3月、栃木リンチ事件でも東京地裁富越和厚裁判長は「県警の怠慢がなくても、被害者を救出できた可能性は3割程度」として賠償額を大幅に減額し、被害者側にも責任があるとの見方を示した。
2009年3月、最高裁は上告を棄却し、2審判決が確定。
「ちゃんとした判決」は砂上の楼閣のごとく崩れ去った。

■その後

2000年5月18日、詩織さんが生きていれば22歳の誕生日となるはずだったその日にストーカー規制法が成立した(11月24日施行)。それまで個別の微罪に当てはめざるを得ず、対応に苦慮された付きまとい事案だったが現在ではストーカー対応の専門部署ができるまでになっている。
付きまといや待ち伏せ行為、交際の強要だけでなく、インターネット上での名誉棄損、リベンジポルノ規制、GPS機器による不当な位置情報の確認など規制は以前より強化されてはいるが、この10年の相談件数は年間およそ2万件前後の横ばい状態が続いている。相談窓口や支援団体も増えてはいるが、ストーカー被害者は減っていないのが現状である。
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また2000年に行われた警察刷新会議では「民事不介入」の名目によって怠慢とみなされる対応が横行している状況を踏まえ、原則にとらわれなすぎないよう提言が為されている。現在では、夫婦の痴話げんかでも通報があれば駆けつける、と語る警察官もおり、対応変化の表れなのか、DV相談件数は年々増加傾向にあり2021年で8万3000人を突破している。

2001年正月、一通のはがきが猪野家に届けられた。はっきりとした平仮名で「いのしおり より」と書かれていた。

「2001ねんのわたしはどんなひとになっているかな。すてきなおねえさんになっているかな。こいびとはいるかな。たのしみです」

1985年に家族で訪れた「つくば科学万博」でポストカプセルに投函した7歳の詩織さんが21世紀の自分に宛てて書いた手紙だった。両親は涙を堪えきれなかった。

裁判が終わっても詩織さんは戻らない。しかし家族は悲嘆にくれるばかりではいられなかった。相次ぐストーカー事件や絶えない報道被害を憂慮して各地で講演活動を行い、ストーカー規制法改正の検討会にも参加して同様の悲劇をなくすために尽力した。制度や組織、社会のあり方を動かしていくことで再発防止に取り組んできたのである。
2019年には京都府警で講演を行い、「呼ばれれば埼玉県警にも行く」と強い思いを示した。2020年には詩織さんの母校で「現代ジャーナリズム論」のゲスト講師として招聘され、「生命の大切さを一番に考えてください」と学生たちに語った。

ドラマのタイトルとなった「ひまわり」は詩織さんが子どもの頃から大好きな花だった。彼女の遺影の額はたくさんのひまわりで縁取られている。その花が決して色褪せることのないように、私たちは事件から学び、成長していかなくてはいけない。

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