西浦和也『獄の墓』書き起こし

MUGENJU CHANNEL 月刊怖い話PV獄の墓


こういう話をやっていると、いろんなことが起きるというのはありまして。皆さんもご存知の通り、身内を亡くすということもよくある訳です。
“獄の墓”という話、皆さんもご存知のやつ、があると思うのですけど、これ、なかなかね、全部ちゃんと話す機会というのがないので、ここでしばらくぶりにちゃんと話してみようかな、と思ってます。





そもそものはじまりというのが、僕が高校生に上がったころから始まってまして。
中学の頃からオカルトが大好きで、友達とかともつるんでんでいたのですけれども。高校に入って、家から近い高校ではあったんですけれども、残念ながらその中学時代のオカルト仲間がだれも同じ高校に来なかったものですから、一人どうしたらいいんだろうなー、みたいなことを思っていたんですね。何することもなく、中学生時代はバスケットとかをずーっとやっていて、結構まぁ強くて、高校来るときにもスカウトとかも来たんですが、なんかそこまで本気になる気がなくて、高校に入っても別にバスケをあんまりやる気もなく、何をやりたいのかもわからず…みたいな状態のときに、フラ〜ッと入ったのが“生徒会”だったんですよ。
生徒会で、後に文化祭実行委員会に入るんですけども、そこでたまたま一つ上の“先輩”に出会うんですね。この方が非常にオカルト大好きな先輩で。僕のことをよく引きずりまわしては、「ここはなぁ、ここらへんの地元では怖いとこなんだよ」「ここほら、ここの看板があるだろ、ここはなぁ幽霊が出るって意味なんだよ」とかって色々連れまわしてくれる訳ですよ。僕も自転車でくっついてっては、ああそうなんですね、こうなんですね、っていうので、結構学校の七不思議とか学校の周りとかっていうのを回っていたんですね。



まぁ、思い出深いのは何個かあって、文化祭直前のときに、その方と…先輩と2人で…ここでは仮に、ハンドルネームで“月夜野さん”と呼びましょうか。
月夜野さんと一緒に泊りこんで、学校の文化祭の準備をしていたときに、トイレが校舎内のは使えないんですよ、鍵閉められちゃうから。なので、体育館の脇にある、外からも入れるトイレってのがある訳ですよね。そこに、夜になるとみんなツッカケ履いて行く訳です。
僕と月夜野さんが2人で、ずーっと歩いてトイレの方に向かって行く。トイレの方に行くには体育館の脇を通っていく。
ずっと歩いていくと、体育館の中から
(ド〜ンド〜ン、ドンドン、ド〜ン、ド〜ン…)
太鼓のような音がするんですよ。それも、一定のリズムとかじゃなくて、不規則に鳴る訳です。
(ド〜ンド〜ン、ドンドン、ド〜ン、ドーン)
(なんだろう?)
僕らは実行委員ですから、今、機材が何が入っているか大体分かる訳です。吹奏楽部が明日朝一で練習するので、吹奏楽部の楽器が入っているのが分かっている。言い換えれば、結構“金目のもの”が中に入っている訳ですよ。
(だれか、中に入っているのかな?)
慌てて、僕ら、トイレもそこそこに、体育館の扉をガチャガチャガチャ、ガチャガチャガチャと調べるんですけど、全部中から鍵掛かってるんですね。一応、普通の鉄扉の他に入れるところと言ったら、上の窓を開けて入るとかもあるんですけど、そこも閉まってる。体育教官室ってのがあって、そこの鍵を開けて入ることもできるんだけど、そこも閉まっている。
でも中からは相変わらず(ド〜ンド〜ン、ドンドン、ド〜ン…)と音がする。
(なんだろう?)
とりあえず、ずっとだれか見てよう、てことで、僕と月夜野さんと、あともう一人くらいかな、交代で、体育館の辺りからだれか出てこないかと見張っていた。ちょっと距離離れてるからそんなに音は大きくは聞こえないんですけれど、遠くから(ド〜ン…ド〜ン、ドンドン、ド〜ン…)て音がする。

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だんだん明るくなるにつれ、音が聞こえてこなくなる。
当然、機械警備ってのが入ってるので、人が入っていればセンサーが鳴るはずなので、おかしいね、おかしいね、って言いながらずっと待ってた。
朝になって、7時くらいになって、体育の先生が一人、近くの先生がやってきて。
「先生!先生!ごめんなさい、今、朝方までだれか体育館の中でずっと太鼓の音みたいのがしてたんで、誰か入ってるかもしれない」
「え!なんで連絡しないんだ!」
「いや、連絡先知らないから先生!」
じゃぁ、ってことで先生とついて中に入って。
もちろん中も全部カギが閉まっている訳です。
音は、もうしていない。
みんなでわーって中に入って、見てったら、ステージの上のところに吹奏楽部の楽器が全部並べてある。見たら、そこに大きいティンパニーが置いてあるんです。ほかに太鼓はない。
あれだよ!鳴ってたの、ティンパニーだよ、きっと。と言って、たたたたっと行ってステージに上がってバッと見た。ティンパニーの上には、分厚い布が被せてあるんですよ、音鳴らないように。上から叩いてもボコ、ボコしかいわないで、ド〜ンド〜ンなんて鳴らない。
何が鳴ってたんだろうって話になって、怖いねぇ…と。



そんなような体育館絡みで怖いことが、何回か毎年起きてたんですね。
僕もそうやって月夜野さんと一緒に「ここも怖いよね」「なんかあるよね」「だって他の子たちは、体育館の上のバルコニーをだれか走ってる、って話してましたよね」とかって話をしてた。
学校のできたときの何かないのかな、って話をしているうちに、月夜野さんが
「ここは元は田圃だからそんな怖くないんだけど。俺が通ってた小学校って、すげー怖いんだぜ」って言う。
「なんすか?」って言ったら、
「実はさ、うちのそばって旧中山道のそばじゃん。昔はな、街道の大きい宿場町の手前とかって、必ず処刑場があったんだよ。ここも多分じゃなくて、大きい宿場町の手前に、結構有名な処刑場があった。そこで処刑はするんだけど、晒すのはそこじゃない。街道筋の途中に晒したりするお仕置き場が別にあって、そこで晒すんだよ。それがどうも小学校の場所で、昔はそこで晒してたっていう記録があるんだよね。
「そうなんすか!」
「子どもの頃とかってさ、校舎の窓を見ていると廊下のところを金髪の首が飛んでいくのが見えた。はじめ女の子かなと思っていたけど、それ生首なんだよ。あとさ、音楽室とかだと、手が机の上に這ってるのを見た、とか、階段の途中で、はだしの足が上っていくのが見えた、とか、結構多かったんだぜ。しかも不思議なことにやっぱり“切り刻んだあとのものを晒す場所”だろ?だから、全部“部品”しか出てこない。手だけ、足だけ、首だけ、っていうものしかなくてさ。結構子どもの頃から幽霊で有名でさ。お前ほら俺んちよく寄るじゃん、あそこだよ!」
「ええ!あそこですか」
「んん、あそこだよ」
「ぼくね、こないだ、女の子を送ってくときに先輩ん家の前でしばらく喋ってたんですよ。ほら、あそこ、坂の下だから学校見上げる感じじゃないですか、すぐ横、学校で。
そしたら彼女が突然「綺麗な花ね」って言いだしたんですよ。でも文化祭の準備中、つまり秋口ですよ。花なんか咲く訳ないじゃないですか。何言ってんだろう、と思ってふっと見たら、木のところに白い花が沢山咲いてる。
(ああ、本当だ。花だ)
咲いてる花は、風にそよぐように、ふらふら揺れてるんですよ。ああ、きれいだね、とか言って、よく見てみたら違うんですよ、それ。花じゃない。校舎の窓ガラスに張り付いた“手首”なんです。ガラスいっぱいに張り付いた手首がもぞもぞしてるのが、手前の木を越して見えてるんです。2人でびっくりして逃げたばっかりなんですよ」
「だろ?あそこそんなんばっかりなんだよ」っていう話を高校時代にされたんですね。





昔のことですから、卒業しちゃうと、連絡つかないわけですよ。つまり卒業名簿くらいしかなくて。でも大体卒業すると、専門学校に通うからって下宿して実家出ちゃうとか、すぐに就職しちゃって別のところに住み始めちゃうとかってあるんで、今みたいにケータイがあったり、インターネットがあれば、すぐに検索したり、昔のつながりで、“今どーしてる?なう”みたいなこともできるんですけど。昔はできないので、卒業しちゃうとそれっきりになっちゃう、ってことが結構多かったわけですね。



案の定、僕と先輩も卒業してからしばらくは連絡とり合ってたんですけれども、僕も1年遅れで卒業して、専門学校に通って、就職してって流れの中で、
先輩も先に専門学校卒業して、就職して、結婚してって流れの中で、結局とうとう連絡が取れなくなった。
もう30歳になってからですよ、僕がインターネットとかで怪談を発表して、少しずつやり取りをし始めたりしたときに、突然メールが来て。
「おお、シンヤか!」って。僕(西浦和)、本名シンヤって言うんで。
「久しぶりだな。お前いま何してるの」って。
「ゲームメーカーで働きながら、こんなことしてるんですよ・・・」
「ああ、そうなんだ、俺いま結婚してさ、子どもがいてさ、こんなことやってんだ・・・お前相変わらず幽霊好きだなぁ」
「いやぁ、先輩も好きそうですね」
「いや、俺もいま集めててさ。結婚してね、子どもが生まれてひと段落するまではそんなことできなかったんだけど。子どもが上の子6歳下の子3歳になったんで、まぁ、ようやく自分の時間みたいなのができるようになったから、始めてんだよね、またね」
「今丁度僕イベントとかにレギュラーでずっと出てるんで、今度またやるんで、来てもらえませんか」
「おおいいよ、いくいく」という訳で来てもらったんですね。
僕らがロフト+1てトコでイベントをやってるのに来てもらって、見てもらった。
終わった後に「先輩どうでしたか」って聞いたら「面白いな、お前面白いのやってんだな」と。
「たまたま今こんなことやってるんですけど非常に面白いんですよ。先輩もどうですか、今度ゲストとかできませんか」
「そうだなぁ、面白いんだったらやりたいなぁ」



で、何度か来てもらっているうちに、「次回やりたい」と。
「ああそうですか、じゃぁちょっと紹介しますから、最後壇上上がってください」というのでイベントの最後に、
「今日たまたま次回のゲストの方、月夜野さんが来ていただいてるんでちょっと上がってもらいます。ぼくの先輩で・・・」みたいな紹介したあと、
「次回ゲスト来ていただけますか」
「おう、お願いします」
「どんなのやれます?」って聞いたら「実は今、地元のことを調べてて、その話をやりたいなぁと思ってるんだよ」
「ああ、そうなんですか。そういえば先輩のとこの家のそばって、処刑場があったり、晒し場があったり、不思議でしたよね。ぼくもあそこでこんなことがあって…花みたいなの見たこともありましたし」
「そうそうそう、それなんだよ。実は・・・」って言いながらごそごそッてカバンの中から取り出したのがいちまいの古地図なんです。
で、その古地図には、旧中山道が書いてあって、あと川が書いてあって、線が何本か引いてあって…
昔の本当ザクっとした地図なんで、縮尺とか何も関係ないし、辻堂の曲がり角んとこにも“お地蔵様”とかって、今じゃ分からない目印が書いてあるんですね。川も“何川”と書いてあるのとは違って、ただ単に線が引いてあって“川”って書いてあるだけなんですね。
「この地図が図書館で手に入ったんだけど、これ見てくれると分かるんだけどさ、ここに川があるだろ、川のここに、な、“獄の墓”って書いてある」
地獄の“獄”と書いて、“獄の墓”。
「これなんですか?晒し場のことですか?」
「ちがうんだよ。これ地図で言うと、学校がここらへんだから違うんだよ。多分俺はな、獄の墓っていうのは、処刑しました、で、処刑した時に、首とかは晒したりするし、場合によっては京都に運んだりするわけ。でも胴体とかさ、いらない部分ていうのはわざわざ埋めたりするのは面倒くさいだろ?大概川沿いに捨てたりとか、川っぺりに軽く簡単に埋めたりとかするんだよ。多分俺はそういうんじゃないかなと思う」
「そうなんですか」
「たださ、今これがどこなのかが分からないんだよ。大概の場所っていうのは、そういう場所がありましたっていう記録が残ってるんだけど、これは残ってないから、これを今調べてるから、次回のイベントでやりたい」お客さんもああ面白い、お願いしますって話になって。
「次回12月14日のイベント、月夜野さん、よろしくお願いします」って言って終わるんですね。





しばらくして、月夜野さんの方から連絡があった。
「もしもし、シンヤ?」
「おお、どうもどうも」
「あのさ、、、ちょっとさ、、、ネタ替えたいんだよな」っていう風に言うんですよ。
「え、どうしたんですか。“獄の墓”見つからないんですか」
「いや、そういうことじゃないんだけど、、、ちょっと、嫌なことがあってさ」
「何があったんすか」
「こないださ、かみさんと子ども連れて、ファミレス行ったんだよ。ご飯を食べていたら、3歳の娘がさ、窓の外見てさ「ブドー、ブドー」って指さす。え、何処?って言うと、自分の車の方を指して「ブドー、ブドー」って言う。見てもないんだよ、そんなの。えー?って言ってると、上の6歳の長男も「パパ、ブドー!ブドー!ブドーが浮いてる」と窓の方を見つめる。えーっ?て言って、同じように車の方さしてるんだけど何もない。ブドーって食べるやつか?って聞くと、そう、ブドーっていう」見るんだけど分からない。
(なんだろうな?)
そのうちに家にいるときも、ときどき娘が「ブドー」、窓の外見て、「ママ、ブドー」とかって言う。
それからも母親と外で歩いていても「ママ、うしろからブドーきてるよ」
何か気持ち悪いこと言うな、この子たちと思っていたとき、家に帰って、仕事終わって、ああ、疲れた、と思って、自分の書斎に入ったら、いつも閉まっているはずの書斎の戸が開いてるんですよ。
(あれ?おかしい)
中に行くと、6歳の子が部屋の真ん中に座って、机の引き出しのものを全部広げて見てるんです。
「こら、なにやってんだ。お父さんの部屋入っちゃダメだって言ったじゃないか。しかもお父さんの机の中から色々出しちゃって」
「ちがうよ」
「お前じゃなきゃ入らないし、こんなんならないだろ」
「入るときからこうなってたよ!カギ開いてたもん」
「そんなはずないだろう」
「ちがうほんとだって。こうなってたんだもん!」
あんまり言うんで「じゃぁさっさと出なさい」
出ようとしたとき、「あっ、パパ。これ、ブドーだからね」って言う。

床に散らばってる資料の中の一枚、明治時代の初期に撮られた絵葉書があるんですね。これってお土産物用に、海外に輸出用につくられたやつで、モノクロ写真で写真を撮って、手で色を塗って、絵葉書として配るって中に、日本の資料としてなのかどうか分からないんですけど、その中に処刑場を撮ったものがあるんですよ。その一枚って言うのが、例の、彼の小学校の、お仕置き場の、晒し場の写真だったんですよ。
それは門の前に門番が立っているんですけど。ちょっとしたベストみたいな着物を着てふんどし一丁なんですね。その脇に平台があって、平台の上に生首が並んでるんですけど。その生首が、手前に1こ・2こ・3こ、つまり逆三角形に、ちょうどブドウのかたちのように、生首が並べてある写真なんです。

〇〇〇
 〇〇
  〇

「パパ、これがブドーだからね」



「シンヤさぁ、俺それ聞いたときにゾッとしちゃってさ。それ調べちゃまずいのかなと思って、ネタ替えていいかって聞いたんだよ」
「それは、さすがにまずいっすよね。いいですよ、ちょっと変えたってお客さん怒る訳じゃないから。やめときましょう、今回は」
「そうだよな・・・」ということで止めることになった。





いよいよイベントが近づいて、イベントまであと2日。明後日の夜12時からイベント。大体その時のイベントってのは夜の12時スタートで朝6時に終わるみたいな、ちょっとイカれた時間帯のイベントなんですけど、その前々日の夜に電話がきました。

「シンヤ、シンヤ、明後日の夜12時だよな」
「はい、正確に言うと明後日の24時からです」
「じゃぁ、その時間までに行けばいいんだよね」
「そうです。先輩、やるネタは決まったんですか」って聞いたら、
「んん、“獄の墓”をやることにしたよ」
「ええ?だって、あんなことがあったばっかりじゃないですか。ちょっとまずいんじゃないですか」
「うん、いいんだよ。大体の場所も分かったし。これ一発やったら俺終わりにするから、これ一回だけやる。大体の場所も分かった。結構すごい場所で、これは!と思うような場所」
「そうなんですか。先輩、どこなんですか」って聞いたら、
「それは、お前にだって教えらんねぇわ。当日になったら教えてやるから、楽しみにしとけよ」と言われて、「分かりました」と電話を切った。





翌日、いつもの通り仕事をしていたら、電話が鳴ったんです。
「はい、もしもし」と電話に出たら、
「あの・・・月夜野の家内ですが、今お時間ありますか」
「はい、どうしたんすか」
「ちょっと主人が倒れたので・・・申し訳ないんですけど、こちらに来てもらえますか」
「今日、出張中なんで戻らないんですよ。今晩はちょっと戻れないので、明日朝一で行きますよ」
「申し訳ないです。どこどこにあるなんて言う病院なんで、そこまで来てもらえますか」って言って、電話を切る。

翌日になって朝一で都内に戻る。
奥さんに電話して
「病院の近くまで来てるんですけど、病室は何号室ですか」と聞こうとすると、
「ごめんなさい、申し訳ないです。もう病院にはいないんですよ」
「ああ、退院されたんですか」
「いま葬祭場の方に運んでるんです」
「ええ!?」
「昨日あのまま亡くなりまして。今夜お通夜なんです」

慌ててその足で斎場に行くと、もう棺に入って、祭壇が組まれている状態。
「どうしたんですか」って聞いたら、
「実は、朝方倒れまして。突然家の中でばたっと倒れて。救急車を呼んで病院まで私付き添って行ったんです。原因が分からないんで色々と処置して、MRIを撮るってストレッチャーで運ばれてる時に、私をわざわざ呼び止めて、シンヤに伝えなくてはいけないことがあるから連絡を取ってくれ、と言ったんです。それで昨日、電話させていただいたんです。それが、最期の言葉だったんですよ」って言う。
「大体、私、何のことか知ってます」



その夜、知り合いに連絡をしてお通夜に行って、その足で12時からのイベントに行って。
「実は、今日のゲストの方が亡くなりになりました…皆さん、黙とうをお願いします…」ということで、黙とうしまして。
翌日、告別式にそのまままた行きました。告別式に行って、すっと見てるうちに段々僕もつらくなってきまして、で、もう焼き場に入るのが耐えられなくて、焼く前に帰ろうと思いまして帰ろうとしていたら奥さんに呼び止められまして。

西浦和さん。あの人が何を調べていて、何を発表しようとしていたのか、私は知ってましたし、止められなかったです。ただ今、子どもたちにこれ以上災いが来るのは嫌なので、あの人が持ってた資料、ブドーの映った写真なんかを、全部貰っていただけますか」と紙袋で渡されました。
断れないですよ。
それを受け取って、僕は葬儀場を後にします。



でも、さすがに家に持って帰る勇気はなくて、当時、和光市の方に大きなレンタルのコンテナを僕借りてまして、そこに入れて、そのまんま蓋を閉めて帰ってきました。
その後、そこのおうちのお子さんたちは無事に元気に育って、大きくなられまして。もうあれから10…13年、14年経ちまして、みなさん元気ですけども。
僕の方は資料を何度か見ることになってしまいまして。というのも、倉庫がなくなるので移動してください、ということがあって、持ち帰った時に引っくり返しまして、中味が見えてしまったんですね。十何年ていう歳月は、僕にも多少の知識を与えてくれたので、その場所が、僕も見えてしまいました。つまり、月夜野さんがたどり着いた“答え”に僕もたどり着いたわけですね。

まぁ、ひどい場所です。ちょっと口に出すと騒ぎなるような場所だったりするのでなかなか言えないですけども。今は大きな施設になっている場所、だったりします。
それを調べに行ったときに、目から血を出したとかっていうトラブルがあったので、もう僕自身はそこには触れようとは思っていないのですが、そういう場所って言うのがあったっていうのが。
怪奇とか心霊って言うのは、すごく面白いし興味も湧かせてくれるんですけれども、たまに掘ってはいけない場所とか知っちゃいけないことっていうのがあるんですよね。
ビリビリくるとか、コレは悪いっていう感覚は、そのときに初めて分かった気がするんですが、触れなきゃいけない商売ではあるんですけれども、触れる怖さというのを改めて知った事件だと思います。

なぜこの話を僕が今してるかと言うと、月夜野さんの活躍とか、この月夜野さんがやってきたこと、というのを僕が語らないと、月夜野さんを知る人がいなくなってしまうということもあって、こうやって彼のことも含めて語っているような状態です。
ネットでは、場所はどこだとかっていうのは書かれていますが、言わないようにしています。皆さんもあまり深入りしないようにしてください。<了>