いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

福島女性教員宅便槽内怪死事件について

30年以上経った現在も日本有数の「不気味な事件」として語られる福島県の女性教員宅便槽で起きた怪死のミステリーについて記す。

新聞、雑誌の報道やネット上で出回る諸説、また青年の怪死と福島原発とのつながりを謳った映画『罵詈雑言』について検討しながら、はたしてどういう事件なのか考えてみたい。

 

■概要

1989(平成1)年2月28日(火)、福島県田村郡都路村古道(ふるみち)の教員住宅に住む小学校教諭Aさん(23)が学校から17時10分頃に帰宅し、和式トイレの便器奥に「靴のようなもの」を見かけた。

不審に思い、外の便槽汲取り口に回ると鉄製の蓋が開いており、穴の中に人間の足のようなものが見えた。

すぐに教頭らに連絡を取り、同僚教職員らが駆けつけ18時20分頃、近くの古道駐在所へ通報した。

 

約30キロ離れた三春署員が到着する頃には既にバキュームカー2台が停まっており、村の消防団員も召集されていた。便槽内の人間を外から引っ張り出すことができず、重機で便槽ごと掘り出して破壊することになった。

便槽は「凹字型(U字型)」で、汲取り口の内径36センチ、深さ107センチ、底面の奥行きが125センチ。槽内は成人男性が入るにはぎりぎりの狭さだった。

中の男性はすでに息がなく、真冬にもかかわらず上半身は裸で、衣類(フード付きジャンパー、トレーナー、下着2枚)を胸に抱えるようにして膝を折った姿勢で発見された。発見現場と、近くの消防団の屯所で2度洗浄された。

 

男性は、車で10分ほどの岩井沢地区に住む村民Kさん(25)と確認された。24日10時頃に自宅を出たまま行方が分からず、家族から捜索願が出されていた。

地元診療所の医師により、死因は凍え兼胸部循環障害とされ、硬直状態などから死亡したのは26日頃と推定された。ひじ、膝の擦り傷は見られたものの目立った外傷はなかった。

 

警察も当初は「変死」事案として捜査を始めたが、現場周辺に争った形跡などはなく「自らの意思で入ろうとしないと入れない」と事件性なしの見方を強めた。

はたして自ら入って動けなくなりそのまま凍死したものとして「事故死」と判断され、地元の新聞報道では「誤って転落したのではないかとみている」等の表現がされている。

 

Aさんは24日から27日にかけて休暇をとって県内の実家に帰省しており、男性が転落した当時は留守だった。

 

■事実関係

Kさんは両親、祖母との4人暮らし。

原発プラントの保守点検業務も手掛けるUバルブサービス社で営業主任として勤めていた。元野球部のスポーツマンで、中学時代にはギターを始め、高校時代にはバンドを組んで活躍。

独身で死亡当時も特定の交際相手がいた訳ではなかったが、祖母いわく「電話が鳴りやまないくらい」モテていたと言う。青年団ではレクリエーション部長を務め、友人たちからは結婚式の司会を頼まれるなど周囲の信望も厚かった。

3月末、Kさんの同僚や友人らが怪死の真相解明を求めて、再捜査を嘆願する署名活動を行い、1か月足らずの間に3800人ほどの村の人口を大きく上回る4300筆を集めた。

しかし三春署は「犯罪の匂いが出てくれば捜査もできるが、何ひとつ犯罪に結びつくような材料はない」として再捜査を拒否した。

 

19日(日) 村長選挙

23日(木) 先輩の送別会

24日(金) 大喪の礼(1月に亡くなった昭和天皇国葬につき休日)

       10時頃、Kさんが自宅を出る(父親談)

       Aさん、実家へ帰省する

26日(日) 死亡推定

27日(月) 現場近くの農協駐車場でKさんの車が発見される

28日(火) 18時頃、Kさんの遺体発見

事件の9日前には、2月19日には村長選挙が行われており、4選を期す原発推進派の現職候補と対立候補が争った。Kさんは現職候補支持の立場で応援演説などにも参加していた。一票2万円ともいわれる「実弾」が飛び交う熱戦となり、投票率95.33%、1976対745の差で現職村長が勝利した。

後のAERAの取材に対して、村長は「たしかにいい男で、本当に残念だと思う。選挙も応援してもらって、一生懸命やってもらった。これからの青年だったのに、惜しいことをしたと思います。あんなことする男じゃないと思う。憶測でいろんな話が出ることは困ったことだなと思っている」とコメントを寄せた。

都路村は、郡山市双葉町へとつながる国道288号が東西に通っているものの、駅や都市部からは隔絶された「山間の小村」である。かつて周辺は葉たばこの生産や養蚕が盛んな土地柄だったが、1970年代には過疎地域に指定された。

県東岸部に位置する双葉郡福島原発が稼働すると、約半数近くの世帯が原発関連の仕事と何らかのつながりをもつようになった。村から双葉郡大熊町福島第一原発までおよそ25キロ、楢葉町の第二原発までおよそ35キロの距離にあり“お膝元”とまでは言えないまでも、山々と太平洋に囲まれて産業基盤に乏しい周辺地域における超一大産業である。

 

事件と同じ1989年の1月4日、東電の原発運転管理責任者が上野駅で飛び込み自殺をしたことが報じられた。東京本社での仕事始めの帰路での出来事である。

しかし1月6日、福島第二原発3号機で再循環ポンプ内の回転翼が破損し、金属片が炉心に流出する事故が発覚したことで、管理責任者の自殺が改めて注目を集めることになる。

すでに前年の暮れから警告アラームが鳴っていたにもかかわらず運転を続けていた事実が判明し、東電職員は責任追及を恐れて命を絶ったものとみられている。

 

■怪死図

現在でもネット上ではKさんの死の真相について様々な議論が為される。

その要因のひとつは、AERA1989年7月4日号掲載の略図である。一見すると、何をどうやったらこれほど狭い場所に入ることができたのか想像できず、禍々しい力によって無理矢理閉じ込められてしまったかのような印象を見る者に抱かせる。

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だが付された便槽の実寸の数値と照らし合わせてみると、そもそもの縮尺が大きく異なっていることが分かる。深さ107(60+47)センチ、底面の奥行き125センチとされているが、図像を計測すると比率は概ね72:64と縦方向が実際より長く、横方向が短く図示されてしまっている。おそらく紙面構成上の問題で、縮尺バランスを変更してしまったためと考えられる。

 

■便槽とのぞき

今日では東京、神奈川、大阪などの大都市、政令指定都市は下水道整備が完了し、「便槽」を知らない世代も少なくない。

普及率の推移は地域差が大きいものの、事件当時は全国で45パーセント程度とまだ汲み取り式トイレが多かった(なお2020年現在は全国でおよそ8割の普及が達成している)。

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国土交通省

佐賀女性7人連続殺人事件などでも見られたように、身近にあって汲み取りの場面以外では人目に触れにくいことなどから、「死体遺棄」の現場とされることもある。当時の都路村であればほぼ全域が汲み取り式だったと想像される。

便槽に死体を遺棄する理由として「発覚までの時間稼ぎ」のほか、尋常ならざる怨恨や報復感情などから相手に「凌辱的な死に場所」を望んだケースが思い浮かぶ。あるいは「凄惨な死にざま」を周囲の人間や対抗勢力に対して見せつけることで、自らの力を誇示するため「見せしめ」の意図をもって残酷な手法をとったとも受け取れる。

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便槽内に自らの意思で入ったとすれば、第一に考えられることは「のぞき目的」である。Kさんの人柄を知る遺族や友人らはそんなはずがないと死亡理由に強い疑いを抱き、真相解明を求めた。

以下、「のぞき目的」とされる他の便槽事件と比較してその実現可能性について考えてみたい。

①1990年4月17日、東京都足立区西新井の諏訪木東公園の公衆トイレの便槽内で、汲み取り作業員が男性の死体があるのを発見した。遺体は槽内に横向きに倒れており、遺体の真上にマンホールの蓋があった。年齢は30~50歳、身長165センチ、死後1~2カ月が経過しており、セーター、ズボンの上にジャンパー2枚を重ね着し、上から雨がっぱを着込んでおり、サンダル履き。目立った外傷はなく、死因は溺死とされ、槽内に溜まったメタンガスを吸って気分が悪くなり、汚物に顔を突っ込んだものとみられている。

②1999年6月13日、秋田市下浜海水浴場の公衆トイレで女性客から「物音がして様子がおかしい」と通報があり、槽内から自動車代行運転手の男性(42)が発見されて逮捕された。便槽は「大人一人が入れる程度の大きさ」とされ、男女兼用の個室トイレ3つとつながっていた。工具を使って便器を取り外して侵入したと言い、釣り用の長靴(腰まで防水されるウェーダー)を着用していた。「10人くらい入ってきたが半分は男だった。匂いがひどくて死ぬかと思った」等と供述している。

③2010年5月19日11時過ぎ、新潟県上越市稲田の上稲田公園で、清掃業者が便槽内に死体があるのを発見した。遺体は市内に住む無職男性(42)で、外出先で友人と別れて以降2週間ほど行方が分からなくなっており、家族が捜索願を出していた。便槽は縦横1メートル、深さ1.5メートル。目立った外傷はなく、食道や胃から糞尿が見つかっており、存命中に自ら槽内に入った可能性が強いとされた。死因は糞尿を吸い込んだことによる水死か、酸欠による呼吸機能障害とされた。

近郊の田村市で2月の平均気温はマイナス0.4度、最低気温はマイナス4.7度にもなる厳寒期に侵入しようと思うものだろうか。

先に挙げた3事案はいずれも季節は春から初夏で、亡くなっている方も含めてそれなりに防水・防寒対策を施した上で侵入している。真夏はガスによる悪臭や有害性が増すため、素人考えでも春や秋の方がハードルは低いだろうと分かる。

のぞき目的の視点に立って考えれば、「便槽に入る」以前にいくつかの性犯罪のステップを踏んできたものと考えられる。たとえば住宅の浴室のぞき、温泉やプールといった場所での不特定多数に対するのぞきなどである。山間部の小村で「公衆トイレ」はほとんどなかったであろうし、海まで片道1時間、公衆浴場や温泉も近場にはない。そもそも「のぞき」に不向きな土地と言ってよい。

便槽に入ってまでもという場合、のぞきよりも「排泄行為」や「排泄物」への執着、いわゆるスカトロ趣味の性向が強いと考えられる。前段階としては、下着類の窃盗や生理用品、オムツの収集などであろうか(よく分からない)。過去には便槽に貯め置かれた排泄物を盗み取ることもあったかも分からないが、便槽に入るほどということは排泄行為を直接見たい、さらには「浴尿」や「糞食」が目的と考えられる。古い便は細菌が繁殖しているため塗ったり食べたりすると非常に危険とされ、新鮮なものが求められる。

 

■侵入といくつもの謎

Kさんの父親は重機で壊された便槽現物の一部を持ち帰り、Kさんの勤め先の協力により復元してもらって自宅に所持していた。

「身長169.2センチ」「体重69.5キロ」で、野球やギターで鳴らした筋肉質なKさんの肩幅や体躯は決して小さくはなかったと考えられ、25~29歳男性の平均的な肩幅は40.4センチとされることからも物理的な困難が想像される。

現場写真などは残されていないが、警察は当然Aさん宅に侵入した痕跡についても確認したと思われる。便器を外した形跡等がないこと等から、「外部からの侵入」と判断したとみるのが妥当である。閉肩姿勢での侵入は困難であるため、腕から先に入ったものと考えられ、事実として内部に収まっていた。

他殺説を唱える人のなかには、「警察も信用できない、村ぐるみで事件を事故に見せかけている」「便槽に入っていたこと自体が捏造である」といった主張も見受けられる。

しかし先に偶発的な殺人が起きていた場合、はたして奥まで人が入れるものかも分からない便槽に無理矢理押し込もうと考えるだろうか。周囲は山々に囲まれており、山中で遭難して凍死してしまったように見せかけることも、崖道から車ごと転落させることも出来る。少なくとも汲み取り作業時には見つかってしまう便槽に遺棄するするという発想には通常であれば至るまいと思う。

 

また小村ゆえに、村人たちは事件の真相を「口止め」されている、村ぐるみの隠蔽があるのではないかと疑う意見もなくはない。

しかし転勤の多い学校教諭や、消防団員の若者たちも便槽の解体に立ち会っており、だれも村から離れなかったとは考えられない。

もし「便槽に入っていたこと自体が捏造」であれば、村を出た後も20年30年と経った今日に至るまで全員が「口止め」されていると考える方が難しい。

 

便槽のレプリカには、便槽の内径36センチよりさらに狭い直系約30センチのマンホール受けの金枠が付いていた。

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これについても相当無理をすれば成人男性でも通ることができる。下は1994年に放映されたレプリカ便槽での検証キャプチャ。

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ほら。

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あれ?

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金枠が外れてしまった。

元々現物はコンクリ部分に固定されていたがレプリカに接合することができなかったので上に載せていたのか、あるいは現物も経年劣化などで蓋受け部分の金枠自体が外れていたものかは不明である。

 

そもそもAさんと親交のあったKさんであれば、当時彼女の不在を知っていた可能性がある。もし仮にのぞき目的だったとしても何日も前から裸で張り込むとは思えず、はたして入れるかどうかもギリギリの槽内からどうやって地上に戻るつもりだったのか等、合点のいかない状況が多々見受けられる。

片方が「便器の奥に見えた」とされ、もう片方が「家の近くの土手」にあったとされるKさんの靴は不可解である。左右とも便槽の外にあった、あるいは中にあったのならば不思議はないが、なぜ別々に発見されたのか。理由は判然としないが、何者かが便器側から片方の靴を落としたシチュエーションなどが思い浮かび、にわかに事件性を疑わせる。

また近くの農協駐車場で発見されたKさんの車は未施錠で、キーを差した状態で残されていた。しかし着替えやタオル類、石鹼類、抗生物質などのぞきに結びつくものが発見されたという情報はない。

 

衣類をどこで脱いだものかについても判然としない。仮に第三者に脱がされて入れられたのならば、Kさんを内部に押し込んでから足元に投げ捨てるようなことはあっても、わざわざ手に持たせて入るよう強要はしないだろう。

地上で自ら脱いで、置き去りにはできずに持ち込んだ可能性もある。上で見たように侵入口は非常に狭く、侵入が困難だったために脱いだものかもしれない。

仮説として、1902年1月に起きた八甲田山雪中行軍遭難事件、1959年2月に起きたディアトロフ峠事件のごとく「矛盾脱衣」が生じたのではないかとする声もある。矛盾脱衣とは、極寒状態に長時間いることで体内で熱をつくろうとする代謝の働きが強まり、外気温と体感の温度差に大きなギャップが生じて「燃えるような暑さ」と錯覚を引き起こして脱衣する現象である(アドレナリン酸化物による幻覚作用、体温調節中枢の麻痺とされる場合もある)。

便槽内で脱げるスペースがあったのかは分からない。しかしKさんが24~26日にかけて存命だったとすれば、極寒状態に長時間身を置いて、槽内に溜まったアンモニアやメタンガス、暗所閉所による恐怖感、呼吸器圧迫による酸欠や昏睡などによって、脱衣に至るほどの著しい変調をきたしたとしてもあながち不思議ではないように思える。

 

■事件説

無論Kさんに「のぞき」などの性犯罪歴はなく、スカトロ趣味などにつながる性向も知られていない。だからこそ余計に「便槽でのぞき」という警察判断は彼をよく知る人々には受け入れがたかった。周囲からは到底そんなことをするとは考えられない「明るく真面目な」青年と映っていたのである。

1994年、Kさんの父親はフジテレビ系番組『超常現象を見た』に出演し、息子の怪死について真相究明の糸口を求めた。警察が「単独事故」と決着したこと、世間から「のぞき目的」扱いされた愛息の不名誉、無念の思いを晴らさんがためである。

番組内で霊能力者・木村藤子氏は「息子さんは殺されたんじゃないか」「詰め込んでぎゅうぎゅう詰めにしている姿が見えるから、これは違う場所で亡くなったんじゃないか」との霊視結果を示した。

番組後半でKさんの父親は、夜2時から2時半の決まった時間に「おやじッ、俺は何にもやってねぇんだ。悪いことなんてやってねぇ、おやじ分かるだろ」と亡き息子が夢枕に現れると語っている。

 

江戸川乱歩賞受賞のほか1980年『文藝春秋』8月号で近藤昭二とともに三億円事件モンタージュ偽造問題を指摘したことでも知られる推理作家・小林久三氏(上の番組テロップでは「久二」と表示されている)も出演しており、「悪戯心はあったと思う」「槽内の糞便でつるっと滑って身動きが取れなくなったんじゃないか」「警察の事故死という判断は間違ってないだろうと思う」と警察の見立てを追認している。

 

だが朝倉喬司氏の『都市伝説と犯罪 ——津山三十人殺しから秋葉原通り魔事件』(現代書館)では、Kさんの父親が青森県のさる有名な祈祷師を訪ねたエピソードが記されている。まだ何も言っていないのに、祈祷師の体を通して“おやじッ、俺は殺されたんだ、俺は殺された”というKさんの無念の声を聞かされたというのである。

本文に名前は載っていないが、その祈祷師こそ青森県むつ市を拠点として当時注目を集めていた木村氏そのひとではないかと思われる。上の番組だけを見ると、両者の関係は分かりづらいが「先生!」と呼ぶ熱のこもった父親の声には強い信頼関係が透けて見える。

木村氏は偶然キャスティングされた訳ではなく、番組制作サイドが他殺説を盛り上げるための演出意図があったと考えられる。

 

事件だとすると疑問になるのが、腕の擦り傷などのほか目立った外傷がなかった点である。集団リンチ等があれば上着の上からでも相応の打撲痕などは負うにちがいない。

たとえば刃物などで脅迫されて服を脱ぎ、槽内に入らされたにしても、Kさんとて言われるがまま「はい、わかりました」と全く無抵抗に入ったとは思えない。声を上げるなり、衣類に血痕や切り跡が残るなり、抵抗した痕跡が見当たらず、周囲で暮らしている教諭らも全く気付かなかったというのは奇妙としか言いようがない。

また他殺であれば、汲み取りで発覚するにせよ「マンホールの蓋」を閉じておくのが自然な流れに思える。それとも隠す意図はなく、早期に家主のAさんによって発見されることを狙ったものであろうか。だとすれば、俄然Aさんとの関係が深い人物が絡んでいた可能性が浮上する。

一部にはAさんが家を空けていた理由が明らかにされていないこと、すぐに警察へ通報せず同僚らを先に呼び出していることなどから、「遺体があることを知っていた」など殺害に協力していたのではないかとする見方もある。だが借り物とはいえ自宅を死体遺棄現場に提供する人間がどこにいるだろう。

都路村は殺人はおろか交通事故も年に数件という平和な村で、地元の駐在は事件捜査に不慣れだったと考えられる。便槽に人がいると聞いてすぐに不審死や事件性を疑わず、とにかく人手を集めて引っ張り出そうとした。そのため多くの村人が現場に出入りしており、適切な現場対応や指揮が取れていたとは言いがたい。三春署員が到着した時刻は19時前後としても、証拠保全や鑑識が機能しなかった可能性は大いにあるだろう。

 

■バリゾーゴン

もうひとつ「事件性」を感じさせる大きな要因の一つに、渡辺文樹監督の映画『バリゾーゴン』(1996)がある。

■映画のつくりについて

映画を見たことがない方でも、この強烈なメインビジュアルでご存知の方も多いのではないだろうか。事件を考える上で避けて通れないのが本作である。

映画パンフレット バリゾーゴン 渡邊文樹・監督

渡辺監督は「87年に『家庭教師』で衝撃的デビューを飾り、『島国根性』『ザザンボ』と過激な題材と大胆な手法で大きな反響を巻き起こしてきた」と評され、本作が4作目に当たる。

デビュー作『家庭教師』では、監督自身のキャリアを基に、問題児や落ちこぼれ、登校拒否児に対して暴力も辞さないやり方で人間関係を築き、ときに女生徒に恋をしたり教え子の母親と不倫する破天荒な家庭教師を自ら演じている。

2作目『島国根性』も家庭教師・教材販売を営む主人公が息子の片思いの相手である女子生徒と関係を持ち、それが相手の親に発覚して…というスキャンダラスな内容を踏襲している。

3作目『ザザンボ』は1976年実際に福島県で起きた少年の自殺をモチーフに、事件の背景をさぐり真実を追求しようとするドキュメント・タッチな内容だが、監督は少年に体罰を加えていた教師役としてストーリーテラーとなり少年の死の真相を突きとめようとする。

 

本作誕生のきっかけは地元・福島で映画を自主公開中にKさんの父親が訪れ、息子の変死と事件性を訴えたことによるものとされる。映画冒頭では「真相解明を求める人たちの協力によりつくられた」と銘打たれ、Kさんの両親と祖母、他にも勤務先の社長、Kさんと付き合いのあった元村会議員、村長や反原発派ら多くの人物が登場する。

内容の多くは監督が思い描く事件の再現ドラマだが、実在の人物とフィクションの人物のインタビュー場面、三春署、選挙関係者、村医、Aさんの勤め先や実家への突撃取材といった場面が度々挿入される。

たとえばKさんの父親のように顔が知られていれば、観客も「現実のKさんの父親」と認識できるが、ほとんどの登場人物が実在の人物か否かは不明である。また役者なのか制作に協力している一般人なのかも、巧妙な芝居なのか下手な演技なのか現実のドキュメンタリーなのかさえ見分けがつかない部分も多い。

フィクションとノンフィクションに明確な区別をつけず、意図的に混在させているように見える。ある意味で、どの場面、どの人物を「真実」と読み取るかは「観客任せ」に制作されているのである。

渡辺監督は誰かの役を演じている訳ではなく、真相解明を求める取材者、リポーターとしてフィルム内に登場する。相手に対して「俺が調べたところあんたの言ってることがおかしい」「〇〇はこう言ってる、あんたは嘘をついている」と独善的にも見える半ば言いがかりに近い取材攻勢をかける。

監督自身は調べがついているのかもしれないがどのような調べを重ねてきたのかは示されておらず、観客は監督の言葉が信憑性のあるものなのか見当がつかない

 

カメラを向けられて「止めろ撮るな」と抵抗する人々。私たちはかつてのワイドショーでカメラを退けようとしたり、怒鳴ったり、カメラマンに向けて水を撒いたりといった似たような態度を示す「犯人」たちの姿を数多く目にしている。さも取材に難色を示しているように、言いたくないことがあるかのように映し出されるが、突然職場に押しかけられて捲し立てながらカメラを向けられればだれでも同じ反応をする。

また顔出しせず「村長」や「Aさんの親」に取材を行う場面も存在する。素直に見ればさも実際に取材したかのように見えるが、顔も声も知らない相手の「顔を直接映さない」ことが真実の証明にはなりえない。断言はできないが、監督がメディアの常套手段を逆手にとって「ドキュメンタリーに見える」ように仕立てたシーンである可能性も否定できない。構成・演出はすっきりと見やすいものではなく、観客は114分の間、「だれが嘘をついているのか」「何を信じるべきか」といった観点に頭を悩ませる。

罵詈雑言のタイトルは、亡くなったKさんや遺族に浴びせられたものか、それとも観客を試し続けるような挑発的な作品にしたことで罵詈雑言を浴びることを覚悟して付されたものかは分からない。事実なのか、はたまたそれ自体も仕込みの演出だったのかは不明だが、全国各地の公民館や小ホールなどで自主公開された本作は不評と顰蹙を買ったとされる。

 

■映画の内容

物語の大まかな内容としては、いわゆる原発村で推進派村長を支持していた青年が、実在の福二原発でのトラブルと関係者の不審死や、ばらまき選挙の実態に触れて嫌気がさし、告発しようとしていたが村長陣営に勘付かれて殺害され、便槽に遺棄されたという流れである。警察の買収や村民への口止めについては村長陣営が取り仕切り、検死結果の捏造など背後には原発利権を握る国政代議士の関与を示唆している。

たしかに当時としては、電力会社とのパイプ役を担う大物国政議員、つながりのある行政首長らを通じて地方への「金の流れ」は裏に表にあったにはちがいない。村長選で買収紛いのやり方がまかり通る現実を目にした青年は、仕事に対する誇りや情熱を踏みにじられたように感じても不思議はない。だが自殺した東電の運転責任者とは異なり、Kさんは下請け孫請けの営業主任であり、告発する程の重要機密をつかんでいた証拠はない。

 

新聞記事では、死亡したKさん、現場となった女性教諭Aさんしか具体的な人物は登場していない。ワイドショーでも珍事件のような扱いで報じられたとされるが、当時の映像を今日では目にすることができないため、現在ネット上で語られる人間関係や背景は概ね本作に依拠したものと考えられる。映画でKさんの死に関する不審な点されている情報を確認しておきたい。

・Kさんは選挙前日の応援演説に呼ばれていたが、演説にはいかなかった。選挙に対する不満がある様子だった。

・職場では信頼されており、(反原発的な)偏ったことを言わない人物として原発関連の取材対応を任されていた。

・23日の送別会について出席者に確認すると、Kさんは「自分の車で帰った」「酔っていたので別の車に乗せてもらって帰った」とする食い違う証言があった。また送別会は「村長選の打ち上げ」だったとも噂される。

作中の再現シーンでは、送別会の席でKさんが選挙への不満や原発推進への不信感を顕わにしたことで青年会から集団暴行を受けたように描かれている。

・24日10時頃、父親がテレビを見ていた際に、ドアの向こうから「ちょっと行ってくる」とKさんの声を聞いた。はっきりKさんの姿を見た訳ではなく、普段Kさんは行き先を伝える習慣があった。

上のフジテレビ系番組では、Kさんの行方不明は「24日10時」ではなく「23日深夜」以降としている。

・Aさんはかねて嫌がらせ電話を受けており、相談を受けたKさんは犯人をほぼ特定していたとされる(映画では過去に性犯罪歴のある人物としてインタビューを受けている。「顔も見たことがない」とは言うものの「遠くから見て男が好きそうな体型だった」等と発言)。

朝倉氏の著書によれば、Aさんの婚約者とともに録音をとって三春署に提出したが捜査に動いてもらえなかったという。

・Aさんには同校教諭の婚約者(村長の選挙参謀Fの二男)がいたが、男性関係が多いと噂される人物だった。元村会議員なる人物いわく、AさんはKさんとも男女関係の噂があり、Kさんがのぞきに入る理由はないとしている。

Aさんに婚約者がいたこと、嫌がらせ電話を受けていてKさんと婚約者が犯人を突きとめようとしていたことは具体性があり、事実と考えられる。作中では触れられていないが、Aさんを巡ってKさんと婚約者がトラブルに発展した可能性なども勘繰ってしまう。

 

しかしAさんの男女関係の噂についてはやや疑問符が付く。Aさんは23歳であるから赴任して2年前後、村外から来て教員住宅に暮らしていた。4棟並んでいた教員住宅には他の女性教諭らが暮らしており、それとは別棟で校長の住居もすぐ近くに存在した。新任の教諭が短期間のうちに片や職場には婚約者がありながら、人目をはばからず村の男たちと情事に耽っていたとはいささか考えづらいのである。

想像にはなるが、村民からすればAさんはいわば余所者であり、事件後に「Kさんとも関係があったんでないか」「親元から離れて、若いから村中からチヤホヤされて浮かれてた部分もあったんでないか」と根も葉もない風説が流布した可能性もあるのではないか。

・遺体発見前日の27日に農協でKさんの車が発見される。車の発見者である農協職員が「気になることがある」と発言していたが、翌日確認すると「なかったことにしてくれ」と撤回。車体は斜めに停められており、普段は施錠する習慣があったが鍵は差しっぱなしの状態だった。

・家族がKさんの友人に連絡すると「自分たちで探すから今日一日待ってほしい」と通報を遅らせたいような発言をした。

選挙参謀H(村長の従兄弟)は、妻からKさんの遺体発見の連絡を受けた後も行方が分からないかのように振舞っていた。

選挙参謀Fの長男は、事業所が営業時間外にも関わらずバキュームカーを手配していた。

こうした事件後の村内の人々の動向についてはご遺族が集めた情報がベースになっていると考えられる。小さな村で地縁や血縁のあるご遺族では表沙汰にできずにいた様々な疑問や疑惑について、監督が代弁者として追及していったと捉えられる。

 

・もう片方の靴は「家の近くの土手に落ちていた」。

Kさんの父親が発言しているため、まるで遺体発見現場から7キロ以上離れた「Kさんの自宅付近の土手」で見つかったかのようにミスリードされがちだが、靴が発見されたのは「Aさんの家(教員住宅)の近くの土手」である。詳細な位置は不明だが、小学校と中学校の敷地の間に高低差があるため近辺だと推測される。他殺説の根拠として「片方の靴が脱げた状態で能動的に長距離移動するはずがない」「自宅付近で拉致された」といった発想につながりがちである。

 

・担当した医師は事件直後に34年間勤めていた監察医を辞めている。

上のフジテレビの番組によれば、当初解剖が行われなかったという。家族側で要望して解剖が行われ、結果は変わらず凍死とされた。

医師の年齢や村内の医療事情は不明だが、60歳定年制が一般的だった当時であればリタイアしても年齢だったのではないか。後継者や後任が決まっていれば、2月の事件後、3月を区切りとして退職しても不思議はない。

 

・その後Aさんの実家が新築された際、電力会社主宰のモデル住宅コンテストで県知事賞を受賞した。

監督は、電力会社からの「口止め」であったかのように追及している。

 

■映画の真意

監督の意図は何だったのかについて個人的な憶測を述べる。

ひとつの見方としては、上述の通り、Kさんの父親の「息子の無念を晴らしたい」という思いに突き動かされて、監督なりに「怪死」を事件として捉えた結果、「村長選挙」さらには「原発問題」といったテーマに行きついたとも考えられる。「事件」として捉えた場合、まず若者同士のいざこざ、三角関係のもつれといったことが思い浮かぶが、ジャーナリスト精神や反権力を志向する作家性の強い監督であるため、あえて「巨悪」を対立軸に挙げたとも考えられる。

また監督はそもそも一福島県民として「反原発」をテーマにした作品を描こうとしていたのかもしれない。山間の小さな村全体を覆う原発産業と政界の闇を炙り出すための切り口として青年の怪死をモチーフにしたようにも見える。皮肉なことに映画よりだいぶ後になるが「3・11」東日本大震災以降、それは日本全域が抱える問題として再注目されることになった。

実際、作中の再現シーンでは青年団に便槽に担ぎ込まれるだけで、「便槽内に閉じ込められた」かのようなシーンを描いてはいない。監督にとってはいかにして槽内で絶命したかは問題ではなく、「自ら便槽内で死んだ」かのように事実を捻じ曲げた「勢力」を問題視している。

権力によって閉じられた蓋を開くこと、声なき声を拾い世に問いただすことがジャーナリズムの使命である。監督が描いたように原発問題が青年の怪死の背景にあったか否かは別として、見る者を非常に刺激し、一度は決着したはずの「怪死の謎」を再び俎上に上げたことは間違いない。

 

■所感

私見では、青年の怪死は「未解決事件」ではなく「事故」だと確信している。

ひとつは、自分の意志で入ろうとしなければ服を抱えた姿勢は取れないこと。つまり槽内に入った時点でKさんは意識があったことが最大の証左である。口を塞がれていた痕跡はなく、呼ぼうと思えば助けを呼べたはずであり、Aさんは不在だったにせよ周囲の住民がだれ一人気付かないとは考えづらい。物理的に声を出すことができても「自ら助けを呼べない理由」があったのである。

 

さらに「他殺説」はその根拠の多くを『バリゾーゴン』に依拠していること。上述のように、映画は監督の一考察とでもいうべき体裁であり、反原発説を唱えるための情報を並べて物語を成している。すべての情報が「嘘」だとは思わないが、必ずしも出処は確かとはいえず、そのほとんどは「他殺説」を信じて疑わないKさんの父親による言説である。

筆者は、藁をもすがる思いで霊能力者に頼らざるを得ないKさんの父親の訴えを目にして悲哀と同情を禁じ得ない一方で、明らかに「冷静さを失っている」印象を強くした。冷酷に思われるやもしれないが、ただでさえ情報収集や捜査のプロではないご遺族が取り乱した心理状態では(たとえ本人が意図していなくとも)バイアスのかかった証言に傾く。素直に鵜呑みにはできないと感じてしまったのである。

 

そうしたご遺族を間近に見れば、親密なつながりのあった村の人々、Kさんと親交のあった人々は「いやいや、のぞきかもしれないぞ」等とは口が裂けても言えるはずがない。事件直後、周囲の人々はご遺族の無念を晴らすつもりで署名活動に尽力し、納得のいく決着を見ようとしたのである。しかし再捜査は行われず、ご遺族は無念をずっと抱えたまま、それどころか警察への不信感や他殺への疑念を一層強め、映画まで撮ったが再捜査の機運にはつながることなく、やがて失意のもと村を去った。

署名に賛同した人々の全員がKさんの知り合いという訳ではないだろう。「絶対にKさんはやっていない」「事件に巻き込まれたに違いない」といった確信よりは、ご遺族のショックを聞いて「励ましのエール」の気持ちとして協力を惜しまなかったのだと思う。青年の怪死を「事件」と結びつけたのは、山間の小村の「闇」などではなく、「父親の息子への思い」と、助け合って支え合って励まし合って生き抜こうとする「人々の思いやり」だったのだと私は思う。

 

亡くなられたKさんのご冥福と、ご遺族の心の安寧をお祈りいたします。