いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

ソウル・漢江医学生変死事件について

2021年4月、韓国・ソウルを流れる漢江(ハンガン)で起きた医学生の変死事件について記す。

当初は行方不明事案として家族は公開捜索で広く情報提供を求めた。遺体発見後も地元警察の見解に異を唱え、真相解明を訴えて韓国世論を大きく動かした。

 

医学生の死

4月30日(水)15時50分頃、5日前から行方が分からなくなっていたソウル中央大学医学部ソン・ジョンミンSon Jung-minさん(22)の遺体が漢江で発見される。

行方が分からなくなった25日から近隣捜索や防犯カメラの解析、ヘリコプターやドローンを動員しての捜索が続けられていた。

最後の目撃場所となっていた盤浦(パンポ)漢江公園にあるソレナル乗船場水上タクシー乗り場)から20m付近を漂流しているところを、捜索中の民間救助士チャ・ジョンヨクさんと救助犬が発見した。

 

24日夜、ソンさんは同期グループの友人Aから誘いを受けて、大学や自宅からもほど近い盤浦漢江公園で酒を酌み交わし、二人はそのまま酔いつぶれて野外で寝てしまった。

この公園は、盤浦大橋の「レインボー噴水」などで知られ、運動施設のほかチャペルやレストラン、釣り場やキャンプ施設などを備える大型都市公園である。とりわけ当時はコロナ拡大予防のため、飲食店の営業は22時までに制限されていたこともあり、観光客だけでなく夜の余暇を楽しみたいソウル市民にとっても憩いのスポットとなっていた。

25日4時半ごろ、友人Aが目を覚ますと、隣に寝ていたはずのソンさんの姿はなかった。友人Aは、ソンさんが一人で帰ったものと思い、自身もタクシーで帰宅。泥酔状態が続いていたため家で眠り直そうとしたところ、母親から服に入っていた携帯電話がAのものではないと指摘された。記憶にないが、彼はどうした訳か誤ってソンさんの携帯電話を持ち帰っていた。

ソンさんの安否を危惧した友人Aとその両親は公園へと赴いたが見当たらず、ソンさんの家に連絡を取った。青年は自宅へも戻っておらず、6時ごろに家族から捜索願が出された。

 

■遺体発見後

友人Aは23時過ぎに酒宴を始めて以降、悪酔いしたのか記憶を失っており、失踪直前にソンさんとどんなやりとりが交わされていたのか、その後の行動を予測する手がかりになる情報が全く得られなかった。

公開捜索で広く情報提供を募ったが青年の詳しい足取りなどは分からないまま、30日に遺体となって発見される。担当の瑞草(ソチョ)署は、Aの証言や現場状況などから事件性はないと判断し、死因を「溺死」とした。

ソンさんの父親は「息子は水が嫌いだ」「泥酔状態とはいえ一人で川に落ちる訳がない」とブログや会見を通じて警察の見解に強く反発した。またソンさんと友人Aは母親同士も頻繁に会う親しい関係で、ソンさんの母親は「子どもに何かあれば深夜であろうと電話しあえる間柄。友人Aから3時半に連絡があったなら、どうして(Aの母親は)自分に連絡をくれなかったのか」と猜疑心を強めた。

ネット上でも議論が過熱し、真相解明を求める市民の声は急速に拡大した。行方不明当時は、家出か拉致かとネチズンの反応も様々だったが、遺体が発見され、遺族の声が広がるうちに友人Aへの疑惑が主流となる。

橋に掲げられた情報提供を求める垂れ幕

ソンさんの家族は、遺体の左耳の後ろにあった2つの傷や頬の裂傷について、「何者かに襲われてできたものではないか」と疑念を抱き、国立科学捜査研究院に法医解剖を求めた。

所見によると、飲酒後2~3時間後の死亡と推定され、アルコール以外の薬物・毒物による異常反応も確認されなかった。体を引きずられた際に生じる外傷や暴行などによる打撲痕も見られない。通例、他人の力で水中に顔を押し込まれたり、引きずり込まれたりすれば圧迫痕や抵抗の痕跡が残るはずだが、そうした兆候は確認できなかった。顔・頭部にできた裂傷は、落下時に水中の漂流物との衝突などによって生じたものと考えられ、「死因とは考えにくい」と結論付けた。

警察は特別捜査チームを発足し、事件性の有無を焦点にその後も再捜査が続けられた。一緒にいた友人A、Aの父親に再聴取を行い、弁護士立会いのもと韓国初のプロファイラーである犯罪科学研究所ピョ・チャンウォン所長を交えて10時間にも及ぶ入念な聞き取りを行うなどしたが、質疑の内容は公開されていない。

A自身も泥酔状態だったことから記憶は定かではないらしく、なぜソンさんが入水したのか、そのとき何が起きていたのかは誰にも説明がつかなかった。

 

■空白の40分

当局は、周辺の防犯カメラの記録や通信履歴、目撃証言などから当夜のソンさんたちのタイムラインの再現を試みた。

ソンさんと友人Aは22時54分から翌1時45分の間に3度にわたってコンビニへ酒を買いに出かけ、そこで360ml、640mlの焼酎各2本ずつ、清酒2本、マッコリ3本を購入。

電話の通信記録では、ソンさんは深夜1時半ごろまで母親とカカオトークを通じてメッセージをやり取りしていた。1時50分にはインスタグラムに友人Aと一緒に踊っている動画を投稿し、2時以降のインターネット接続はなかった。その後、電波状況の解析を進めた結果、微弱なGPS反応は7時2分に周辺で途絶えており、この時点で完全に電源が落ちたとみられている。

友人Aはというと、母親の携帯電話から3時37分までA自身の携帯電話との間で通話があったことが確認された。弁護士曰く、親に早く帰宅するよう急かされて、Aは「ソンさんが泥酔してしまって起きない」と釈明していたという。警察は聴取の結果を総合的に判断して、その時間まで二人は一緒におり、異変はなかったものと判断した。

4時20分過ぎ、友人Aは三者に起こされて目覚めたが、Aに当時の記憶は全くなかった。起こした人物は酒を飲んではおらず、「斜面で寝転がっている若者を見て危ないと思って直接起こした」旨を説明。しかしそのとき周囲にソンさんらしき姿はなかったと証言している。

4時33分、友人Aが一人で公園のトンネルを抜けて立ち去る様子が監視カメラに残されており、その後タクシーを使って自宅に帰った。運転手によれば降車後のシートは濡れてはいなかったという。その後は上述の通り、Aの家族がソンさんの安否を危惧して5時5分頃、Aと共に公園へと捜索に赴いた。

すべて事実だとすれば、3時37分から4時20分頃までのわずか40分程のうちにソンさんは隣で寝ている友人に気づかれることなく、防犯カメラの死角から忽然と姿を消したことになる。

観光名所となっている盤浦大橋のレインボー噴水

警察は、公園駐車場を出入りした車輛154台から利用者を割り出した。聞き取りを行ったところ、うち7人の釣り人が川の近くで男性の姿を目にしたと証言する。

「二人の男が芝生で横たわっているのを見た」という証言者は、2時18分に付近で写真撮影しており、芝生に横たわり昏睡しているソンさんと中腰姿勢でバッグを背負っている友人Aが映り込んでいた。

3時12分頃「男性がふらついて倒れたり立ち上がったりしている様子を見かけた」、4時40分頃に「水に入っていく男を見た」、「胸元まで水に浸かって気持ちよさそうな声を上げて泳いでいるようだった。(酔っ払いだと思い)緊急事態には見えなかったので通報しなかった」などの証言があったが、いずれも対象人物は特定されていない。

 

■反応

ソンさんの行方不明、更には遺体発見の事態は大きな注目を集め、オンラインコミュニティやSNSを介して真相解明を求める市民集会やデモ行進が開かれ、再捜査を求める請願が集められた。

その中でソンさんの父親は、警察の初動捜査への消極性を指摘し、事実確認や説明責任が納得できるまで果たされていないことを訴え、友人A側の証言に事実と異なる内容があるのではないかと持論を唱えた。警察不信を募らせた民衆はそれに呼応し、メディアはその過熱ぶりを全国へと伝え、瞬く間に国民的関心事となった。大統領府への請願は30万人以上にも膨れ上がり、再捜査や情報公開へとつながった。

 

そうした全国的な過熱ぶりに大きな役割を果たしたのはYouTuberの存在がある。事件現場から配信を行い、ネット世論医学生の死について盛んに議論し、多くの人たちが実際に現地へと足を運び、その場で静かに祈るだけでなく「追悼配信」やデモ行進を行った。

とりわけ行方不明当時からソンさんの両親が友人Aの証言に疑いを提起してきたことから議論の多くは「友人Aによる事件隠蔽説」が主流となる。そして遺体発見から「隠蔽説」は「殺害説」へと発展し、堰を切ったようにAやAの家族への糾弾がエスカレートする。素人探偵のみならず占い師やムーダン(巫堂。朝鮮のシャーマン、霊媒師)たちもAへの疑惑を加速させた。

たとえば川縁で嘔吐している最中に後ろから押されたといった場面はだれにも想像が容易であり、Aが家族を伴って公園へと再訪したことにさえ家族ぐるみによる隠蔽工作の疑いが向けられた。

ソンさんの親が友人A側に不審感を抱く大きな要因となったのは、行方不明から一夜明けて交わされたやり取りだった。ソンさんの親がA側に当日の靴や着衣を見せてほしいと求めたところ、「泥や吐瀉物で汚れたので捨ててしまった」と説明を受けた。前日まで身に着けていた靴とTシャツを、友人が行方不明になった直後に処分したという言い分は、ソンさんの親からしてみれば都合がよすぎるように思われた。

見方によっては血痕の付着等を想起させ、言い逃れのように捉えられる。あるいは現場に残っていたかもしれない下足痕の照合、残土の成分分析等からアシがつく事態をおそれての証拠隠滅であるかのような印象を人々に植え付けた。

尚、A側は5月4日には警察の求めに応じて、当日着用していたジャンパー、靴下、カバンなど残りの所持品を任意提出している。それらは鑑識に回されたが、血液反応など殺害を疑わせる分析結果は何一つ出ていない。

 

そのほかA殺害説の論拠として、20時31分に友人Aの方からソンさんを「外飲み」に誘っていたこと、行方不明直前までソンさんの傍にいたことが判明している点、Aに当時の記憶がないこと等が挙げられる。ソンさんの父親も防犯カメラ映像で「泥酔して記憶がないはずのA」が柵を飛び越えてタクシーで自宅に帰っていく様子を見た際に強い疑念を示していた。

だが友人Aの弁護士は「Aの身に起きた記憶障害や(奇妙にも思われる)行動は、泥酔状態において極めて異例だとは言えない」「彼(A)は都合よく記憶がないように言われているが、実際には彼自身にとって有益な記憶すら覚えていない」と述べ、記憶の欠落が事実であることを強調した。

 

また友人Aがソンさんの携帯電話を「誤って」所持していながら、Aの携帯電話がすぐに発見されなかったことも人々の疑いの芽を大きくした。公開情報の少ない初期段階には、インスタグラムへの動画投稿はAによって操作されたアリバイ工作ではないか、自身の携帯電話に重大な情報が残っていたため破棄したのではないか、といった疑念が相次いだ。

事件のカギを握ると思われた友人AのiPhoneが「再発見」されたのは遺体発見の一か月後となる5月30日のことである。すでに市民集会やデモ行進が盛り上がり、ネット上では怪情報や誹謗中傷が飛び交って、もはや友人Aへの「疑惑」は払拭する術がないほどまでに肥大化していた。

お粗末なことに、5月半ば(10~15日の間)に清掃員が拾得して「遺失物」として専用ロッカーに保管されたままになっていたという。清掃員は発見現場の周りは酒瓶やペットボトルが散乱しており、拾った電話は「電源が入らず、ディスプレイはひび割れていた」「2~3人で酒盛りでもして落としていったのか、よくあることだと思った」と回想する。清掃員曰く、作業中に携帯電話を月3台拾うこともあり、よもや友人Aのものとは思わず、その後、自身の病欠などにより自ずと携帯電話の存在を忘れてしまっていたという。

友人AのiPhoneは充電だけで再稼働し、内部に異常はなかった。6月1日、警察は「携帯電話にはソン・ジョンミンと友人Aの間に不和の兆候は見られず、法医学的にもソン・ジョンミンの死因に関する情報は含まれていなかった」と発表し、事態の鎮静化を図った。

 

さらに変死事件の余波は思わぬ方向にも広がった。5月に蚕室(チャムシル)漢江公園で泥酔者が落水して警察に救助される騒動が起きたことや、6月末から施行予定とされていた健康増進法改正案により各自治体で公共の場での飲酒制限を設けることが可能になることを受けて、漢江周辺の公園を禁酒区域とすべきだとする論議にまで発展した。

変死騒動を憂慮する市民、大学生の子を持つ親らは不安を深め、漢江沿いでの「外飲み」を自発的に辞める動きや飲酒に対する啓蒙を求める声もあった。だがコロナ禍でのストレスフルな行動制限も重なり、レジャーシートを広げてチメク(チキンとビール)を楽しむ「外飲み」はソウル市民がマスクを外すことを許された抜け穴的なレジャーとして定着していた。そのため禁酒区域指定は公共空間での過度な規制だとして反発の声も大きかった。

ソウル市は市民の要請を受けて、安全強化のため園内の防犯カメラ拡張を決定。禁酒指定についても検討委員会を設置し、猶予をもって市民の意見を集め、慎重に審議することとした。翌22年3月、自治体関連施設や都市公園、河川施設、公共交通施設、児童公園や青少年活動施設などを禁酒区域に指定できるよう条例改正に着手することを決定。条例案では違反者に過料10万ウォン(約9800円)を科すことができるものとした。

 

フェイクニュースと「正義」

その間も過熱したYouTube配信者からは虚実ないまぜの情報が「新事実」「独占情報」として過大に発信され、青年の死を悼み、捜査の進展を願う人々の「善意」によってデマを含む情報の拡散が繰り返された。出せばアクセスにつながり、アクセスが稼ぎに直結するため誰しもが事件を取り上げ、「新情報」の再生産は連日繰り返された。

ある者は事件当夜、漢江公園近くでパトカーを複数台目撃していたことから、「警察はすでにソンさん失踪の事実を認識しており、周辺では捜索作業が行われていたのではないか」と疑いを提起した。捜索の遅れをごまかすために、通報時刻を後にずらしたのではないかというのである。だが実際には付近の食堂駐車場で車輛事故があったため出動したまでで、5~6台と思われていたパトカーも2台が出動していただけだった。

また「公園で血痕が発見された」といった真偽不明の情報は、警察が事実を隠蔽しているのではないか、と安易に陰謀論へと結び付けられて語られた。警察は5月8日までに園内広域で鑑識を行い、血液反応は出なかった。しかし警察がいくらそうした「事実」を伝えても、懐疑論者全員がそれで納得するわけではない。様々な情報が医学生の死と絡めて解釈され、過剰に議論されることで、人々の誇大妄想を膨らませていった。

公開された映像に加工を加えて持論を展開したり、警察未公開の防犯カメラ映像を独占入手するとうたって金銭的支援を募ったりする者もあった。警察はそれらをフェイクニュースであるか、公開していないだけですでに確認済みの映像だと説明した。

「偽ニュース」で月3800万ウォン…漢江医大生の死亡で金を儲けるユーチューバー | Joongang Ilbo | 中央日報

友人Aの犯人性を示す証拠がなぜ出てこないのか、A犯人説を唱える者たちはAの家族が法律事務所の大物や大学病院の教授、江南警察署長で捜査当局に政治的圧力をかけている、といったいわゆる「上級国民」説を採用した。配信者の妄想を鵜吞みにした視聴者は、「一人で川に入っていく男を見た」と他殺説とは相容れない証言をした釣り人たちをA擁護のため「上級国民」に雇われた虚偽の証言者だと考えた。そのいずれもが事実無根であることを警察が逐一発表せねばならなかった。

友人Aの代理人であるチョン・ビョンウォン弁護士は、YouTubeを通じたフェイクニュースの拡散はよくあることとしつつ、「フェイクニュースを拡散することは、匿名性の背後に隠れている個人の犯罪に目をつぶっているのと同じことだ」と述べ、拡散に加担した視聴者のモラルにも釘を刺した。

 

一大勢力を誇った「友人A殺害説」を支持する群衆の一部は、オンライン上で暴徒化していった。Aに対する悪辣なデマを量産するばかりでなく、A殺害説を批判する者や異論を唱える者に対して「買収された朝鮮族」とレッテルを貼り、荒らしや誹謗中傷の個人攻撃や徒党を組んでの「集中砲火」を浴びせた。

また早い段階から友人Aを標的としてソンさんの通う大学の同窓生の個人情報がオンライン上に流出し、ソンさんの家族も問題視して自粛を訴えていたが、その被害は友人Aに留まらなかった。友人Aと同じ名前だとして、無関係な第三者がオンライン上で家族の名前と顔など個人情報を公開される「晒し」行為に巻き込まれる事態へと発展した。

人々は「あらゆる可能性」や「正義」の名のもとに、自分の求める「真実」にありつくため、配信者にプライバシーの侵害を求め、相容れない相手への毀誉褒貶を許し、悪質な虚偽情報を氾濫させた。オンライン上での新たな犯罪者を生み出すこととなり、言いがかりに近いクレーム処理や無用な説明を強いることで当局の負担を増やした。結果的に見れば捜査の妨害に加担したことになる。

一方で、ネット上のモラルハザードの背景として国民の根深い警察不信がある。疑い深いことそれ自体に罪はないが、事実を事実と認めることができない人間が自身の「正義」を振りかざすようになっては収拾がつかない。順天郷大学警察行政学のオ・ソンユン教授は、権力犯罪に対して警察が及び腰になる姿を国民は長年見続けてきた反動から「噂が真実のように力を得ている」現状を指摘し、「警察が意味のある成果を挙げなければ無分別な疑惑の拡散に歯止めはかからないだろう」と述べている。

 

無論、テレビ番組でも連日のように捜査の進捗や専門家の声、ソウル市民やネット市民の反応を取り上げた。

30年の歴史を持つSBSの報道ドキュメンタリー番組「それが知りたい(그것이 알고싶다)」では、5月29日に事件について専門家の意見を紹介している。

京畿大学犯罪心理学科イ・スジョン教授は、現場の公園について「24時間人目に触れる場所」であると指摘し、「殺意を持った人間が見通しのきくパノラマ空間で殺害することは難しい」と述べた。

ソウル大学法医学教室ユ・ソンホ教授は、他殺による溺死について判断する場合、「胸・肩・首の部位に降圧によるダメージがあるかが重要である」と述べ、本件では遺体に「抑えつけたり制圧した痕跡がない」と説明。

東国大学クォン・イルヨン兼任教授は、「犯罪は動機が明確でなければならず、殺害は機会を窺って行われるものだが、(友人Aが実行するには)動機も機会も可能性が低い」「犯罪を計画するには適切ではないように思われる」との見解を示した。

番組内容は、ソンさんの死に友人Aの関与した可能性は低いとの見方を主軸としたため、視聴者掲示板には抗議の声が相次いだ。ソンさんの父親も放送について「残念である」と不満を示した。

6月1日、虚偽の情報を流布したとしてYouTubeチャンネル「JikKeumTV」に対して、友人A側が代理人を通じて法的措置を行った。動画では、「友人Aの父親が韓国民放テレビ局SBSのディレクターと取引をし、共謀してAを無実とする内容を捏造した」旨の主張が展開されていた。その後も名誉棄損、侮辱罪などで一部YouTuberを告訴し、グーグル社に対して虚偽事実が含まれる動画の削除依頼を求めた。

ソンさんが履いていた靴下

ソンさんが履いていた靴下には多くの泥が付着していた。科捜研による成分分析の結果、川岸から約10m離れた川底の土砂の成分に類似していることが確認された。周辺の川底の土砂は、5m地点と10m地点のもので土壌に含有される成分比が異なっている。そのため自ら川に降りて沖へと歩いて行ったものが、途中で靴が脱げてしまって溺死したのではないかと推察された。

これまでの強力班(刑事事件担当部署)5チーム35名体制で重点捜査が続けられてきたが6月には大きな進展は見られなかった。結論を言えば、医学生の死について、いくつか不可解に思われる点はあるものの、えてして「事件性を示す証拠は当初から一切見つかっていないのである。

6月23日、ソンさんの遺族が、直前まで一緒にいた友人Aにも死亡の責任があるとして告訴状を提出した。当初から疑念を呈してきた遺族が、Aによる暴行致死や遺棄致死を訴えたものである。

24日、自身のブログで「4時間近く供述してきた」と伝え、「変死事件審議委員会について何も教えてもらえず、私もマスコミを通じて得られる情報のみだ」と実情を明かした。父親は、捜査の過程で疑問点が解消されず、補完捜査を求めるものと説明した。

6月29日、瑞草警察署は内部・外部8人構成による審議委員会を開き、ソンさん変死に関する捜査の終結を決定した。当初24日に開催を予定されていたが、告訴を受けて延期されていたものである。特別捜査チームは解体され、新たな告訴に対する捜査チームのみの編成となる。

7月14日、ソンさんの父親は自身のブログで、「疑惑」と題する記事を掲載。警察は「事件性がない」という結論ありきの捜査だと非難し、自分が抱いた数々の疑念もやがて警察が明らかにしてくれると期待してきたが、無念にも捜査が打ち切られた現状を嘆いた。「事件性を認めれば犯人を捕まえなくてはならないから」警察は事件と認めたくないのだとする考えを述べた。

10月22日、瑞草警察署はソンさんの遺族から友人Aに対する告訴内容について、証拠不十分により不起訴とした。告訴後も4か月にわたり調査は続けられたが新証拠の発見には至らず、これまでの捜査で得られた情報の洗い直し、試料を再鑑定したが容疑を立証するには至らなかった。翌週、遺族側は警察の捜査結果に対して異議申し立て書を提出した。

12月10日、ソウル地下鉄の三成駅、市庁駅構内にソンさんの顔写真とともに「ありがとう、ジョンミン」「愛してる」「君を忘れない」といったメッセージが書かれた大型広告看板が設置された。広告主は明らかにされていないが、まるで人気アイドルの広告看板のように有志らによるカラフルなメッセージシールが数多く寄せられた。半年前に比べれば少数の人々の間でその賛否について議論を呼んだ。

その意図が、事件議論の再燃を意図したものだったのか、ただ青年の不幸を思い起こして追悼する拠り所を求めて設置されたものなのかは定かではない。

 

 

■所感

日本に暮らす身の上としては、ひとつの事件から人々が被害者やその遺族に思いをはせ、世論が自治体や警察組織をも動かした事実は画期的なことに思える。その一方で、狂信的な人々が新たな被害者を生んでしまうことは、山梨のキャンプ場で消息を絶った小倉美咲ちゃんのご家族や池袋暴走事故の被害者遺族・松永拓也さんが被った侮辱など、この国でも御多分に漏れない。掛け違えたボタンをたやすく直せる人もいれば、タガが外れて事件を起こす人もいる。

現在ではどれだけの人がソンさんを悼み、ご遺族の動向を注視しているか、騒動の渦中、そしてその後で友人AやAの家族をどのようにして支えてきたのかを私は知らない。ニュース更新を辞めた記者や配信者たちはこの事件を通して、人々を熱狂させることの恐怖を思い知ったにちがいない。人々は正気であれば、自分は加害者ではないと思い込む。しかし加害者と被害者、第三者との間にそれほど大きな隔たりが存在する訳ではない。

あくまで仮定の話だが、はたして友人Aの殺害が事実と認められたとしたら、そうに違いないと信じていた多くの人たちはすっかり腑に落ちて大団円を迎えられたのであろうか。世の冤罪とはそうして多くの人の汗と固い信念のもと、正義の名のもとに生み落とされてきたのではなかったか。

やり場のない遺族感情を弄んだのは、記者やYouTuberなのか、それとも新たなニュースと「真相」を求めた視聴者たちだったのか。「青年の死」が一過性のエンターテインメントとして花火のように消費されてしまった印象を受ける。本当に必要だったのは世論を動かすマスメディアや関心を焚きつける動画配信者でもなく、ただただ遺族感情に耳を傾け、寄り添うだけの存在だったのではないかという気がしてならない。

 

亡くなられたソンさんのご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族の心の回復、友人Aらに安寧の日々が戻ることを切に願います。