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重慶「赤いドレスの少年」怪死事件

2009年、中国重慶市の山村で起きた少年の不審な死を巡り、ネット上では様々な憶測がささやかれた。

 

13歳と13日

2009年11月5日(木)正午ごろ、重慶市巴南区東泉鎮の双星村にある自宅リビングで東泉中学校7年生の匡志均(クアン・ジジュン)さん(13歳)が変わり果てた姿で死んでいるのを、帰宅した彼の両親が発見した。

ジジュンさんはなぜか赤い花柄のドレスを身にまとい、手足を拘束された状態で、天井の梁から縄で吊り下げられていた。

 

クアンさん一家は、両親とジジュンさんの3人家族。

両親は、自宅から数十キロ、長江を越えて重慶市江北区まで出稼ぎに出ており、日頃から家を空けていた。またジジュン少年も、自宅から学校まで2、3キロの距離でそれほど遠くはなかったが、両親と離れて暮らしていることもあり、普段は学校の寄宿舎に入って生活していた。

いつもであればジジュン少年は金曜の授業を終えると寮に帰宅願を届け出て、江北区で働く親の元を訪れ、毎週末を家族で一緒に過ごしていた。だが最後に3人で会った10月24日には「来週(11月1日)は実家で過ごす」と伝え、江北には来ないと話していた。そのため、両親は食費や教材、生活費として、普段より多めに金を渡していた。

父親は携帯電話が故障してしまい、数日来、息子と連絡が取れていなかった。父親はさほど気にしていなかったが、母親がどうしても心配だとせがむので急遽帰宅することになった。

表の玄関と勝手口は施錠されており、中から応答はなかった。家の裏手に回ると、封鎖してあったはずの裏口の木の板と鉄格子が外されていて中に入ることができる状態になっていた。住宅は、裏口のある台所、家族で過ごすリビングと、2つのサイドルームがあった。

ジジュン少年は、リビングに置かれた大型ベッド脇の梁から全身に縄が巻かれて宙吊りの状態で、両脚の間には重りが巻き付けられていた。冷たくなった少年は2週間前にまだ13歳になったばかりだった。

赤いドレスの下には女性物の黒い水着を着用しており、自分の衣類は何も身につけていなかった。水着の下には胸パッドのようなかたちに丸めた服が入れられていた。

異常死と判断され、すぐに巴南区警察と法医チームが現場に急行した。

 

死因と現場状況

11月5日夜に司法解剖が行われたが、殺人の可能性も排除できないとして詳細な検査に回され、精密な死因の特定には時間を要した。予審的解剖により死後48時間以内と推認されたことから、ジジュン少年は11月3日ないし4日に死亡に至ったものと推認された。

ロープで複雑に縛られていたことから、太腿、両手足首、肋骨に非常に深い絞め痕が残っていたが、直接死因となるような目立った外傷はなく、額には針で刺したような傷もあったが原因は特定されなかった。

臓器の一部と所見を専門医に送り、原因究明のための詳しい鑑定・分析作業がおよそ1か月に渡って行われた。死亡登録証明には「その他の異常死」と記載され、最終的な死因は体位窒息(吸気運動の阻害)と判定されることとなる。

発見時の着衣を手にする両親

リビングの床やベッドには、通学鞄、教科書や宿題、電卓、携帯電話、電子時計、DVDプレーヤー、大量の『聖闘士星矢』のDVDディスクなどが散乱していたほか、2パックあったインスタント麺のうち一つを食べていた形跡があった。通学鞄の中には32.5元(当時のレートで400数十円)が残されていた。

また現場検証で「燃えかけのろうそく」と「ライター」が報告されており、梁には古いロープの摩擦痕も確認されている。遺体の70センチ離れた場所にはひっくり返った長椅子があった。

調べにより、着用していた水着は近郊に住む従姉妹のものだったことが分かった。

 

児童の不審死事案では、通例、真っ先に保護者に疑惑が向けられるものだが、遠方で働く両親には完全なアリバイが成立した。クアン夫妻は最後に会ったときもトラブルや変調はなく、息子が自死に至ったとは考えられないと話した。

思春期の少年ゆえ心の奥底にはどんな悩みを秘めていたやもしれないが、自殺であれば全身がんじがらめにしたり、重りを下げるまでもなく、首に縄を掛けるはずだがそれもない。

警察も少年の死亡状況に疑念を持ったが、強盗目的で殺害されたとは思えなかった。室内から第三者の存在を示す指紋や足痕、刃物やハンマーといった特定の凶器を示す外傷など他殺と認められる兆候は浮かんでこず、死亡に至った背景は謎に包まれていた。

 

級友によれば、ジジュンさんの学業成績は平均以下で、クラスでもおしゃべり好きではないとされたが、「10月30日(金)までは普段と変わりない様子だった」と話した。少年は週明けの11月2日(月)から登校していなかった。

隣人女性(70歳)によれば、クアンさん一家は正直で友好的な人たちで周囲とのトラブルもなかったと言い、少年の女装姿なども目にしたことがないと話した。

母親によれば、ジジュン少年は遊ぶのが好きで成績も悪かったが、母や祖父母に似て内気で素行不良な面はなかったという。さらに母親は、前日に「背が高く黒い服を着た見覚えのない」が自宅裏口から侵入する夢を見て心配になったため、夫に無理を言って自宅に戻ってきたのだ、と記者らに証言した。

ネット市民たちも謎めいた死亡経緯から事件に注目し、少年の周囲でいじめやリンチ行為があったのではないかといった見方を示した。また虫の知らせともいうべき「黒い服の男」の話が報じられると、神秘主義めいたカルト集団への参加を疑う声や、実は両親には心当たりはあるが地元暴力団など「表沙汰にしにくい相手」なのではないかといった議論が広まった。

 

当局の見解と家族の決意

1か月後の12月7日、家族は記者会見を開き、5日付で巴南地区警察による死亡鑑定結果が示されたことを明らかにし、「殺人又は自殺の可能性は排除されており、死亡事故であった」とする報告内容を伝えるとともに、強く異議を唱えた。

家族が明らかにした通知書のひとつは、重慶市公安局による「立件不起訴」を伝えるもので、刑事訴訟法第86条規定に基づき、犯罪事実は存在しないと結論付け、立件の見送りを決定した。もうひとつは、犯罪捜査の調査結果で事故死であることが記されていた。

「事故死とは何ですか?他殺でも自死でもないと言われても、私の息子はどのような事故に遭ったというのですか?こんな事故がどうやって起こるっていうのですか?」

地元警察にも市当局にもクアンさん夫妻に死の明確な状況を説明できる者はいなかった。

ある署員は、例えば「何らかのゲームでもしていて」誤って事故死が引き起こされる可能性もある、と口にしたという。両手両足を縛られて、女性物の水着やスカートを着せられるゲームとは何だろうか、ゲームの参加者とはだれなのか。

家族は公安局に再審査を申請し、ジジュンさんが通っていた学校に対して訴える考えを示唆した。

「もし妻があの夢を見て息子に会いに帰るように促していなければ、私たちはずっと異変に気付かないままでした。息子の遺体は腐って変わり果てていたかもしれません」

 

両親は学校側から事件前の息子の「無断欠席」について知らされていなかったとして、強い抗議の構えを見せていた。学校側は、本人から一時帰宅の届けを受けて11月1日(日)の夜までに寄宿舎に戻る予定と心得ていた。担任教諭はジジュンさんが戻ってこないことを把握して校長にも報告していたが、父親の携帯電話は故障中で連絡がつかなかったと説明した。

ジジュンさんの父親は「学校が保護者に連絡を要求するのであれば、つながらなかったからと言って連絡を投げだすのは責任の放棄だ。門限までに戻らないのであればだれか人をやって確認してくれれば救出できていた」と主張した。

たしかに学校から家まではそう遠くない距離だったが、当時はインフルエンザの流行で欠席者が30名以上もおり、自宅訪問までしての安否確認は実質的に不可能だった、と校長は語る。

携帯電話がつながらない状態で学校側に保護責任を求める父親というのも「面の皮が厚い」話に聞こえるのだが、学校を相手取った訴訟について重慶のリダ法律事務所は無償で法的援助をすると名乗り出た。

記者団は何らかのヒントを得ようと、重慶法医傷害検査研究所所長で重慶医大教授の李建波氏に「事故死」のいくつかの考えうる可能性や原因の分析を求めた。しかし李教授は、法医学者によって見解の相違が生じることや、ケースによって固有の死因が考えうるため部外からの分析には応じないと回答した。

 

しかし各方面への要請に対処する意味もあったのか、『法医学ジャーナル』2010年第5号に匿名少年の変死事例として報告され、事故死認定に至った理由として以下の6点が示された。

⑴現場は故人宅で、両親は出稼ぎに出ていてめったに帰宅することはなかった。

⑵死亡者は内向的な性格の中学生だった。

⑶両親の証言で、故人が最近、従姉妹の服を着ていたことを目撃していた。

⑷現場ベッド、着用の水着にはろうそくの滴り痕があり、故人にある程度マゾヒスティックな性向が判明した。

⑸ロープの結束方法、複数の巻きつけ、結び目、吊り下げられた重りなどは、独特である。

⑹解剖の結果は明らかな窒息の兆候が見られ、遺体から精子斑が検出された。

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12月10日、父親は巴南区警察に再審申請を提出したが却下され、区役所の請願事務所での手続きを求められた。しかし窓口業務の終了によって受理されることなく、公的には「事故死」と断定されてクローズした。

 

所感

ネット市民の間では、母親が語った「黒い服の男」の話や、奇妙な死亡状況から注目を集め、幾つかの理論が推理されていた。

ひとつは、謎めいた額の傷、オカルト番組や超常現象に興味があったとする情報から、少年が何らかのカルト宗教にあこがれ、儀式殺人の生贄にされたか、自らそうなったとする仮説である。死亡日時は正確ではないのだが、亡くなったときの年齢「13歳と13日」という不吉さ(陰)を感じさせる日付も人々の関心を引いた。

梁からの宙吊りにすることは「天」を、重りで自由を奪う行為は「地」を表すとして、魂の分散と輪廻の超越を目指したのではないかと語られた。さらに、重り(金)、梁(木)、水着(水)、赤いドレス(火)、石造りの自宅(土)が五大元素に由来するのではないかとこじつける意見まで登場した。

また死因公表以前から、自己性窒息、いわゆる「窒息プレイ」とする仮説も有力視されていた。これは酸欠状態によって神経伝達物質の誤認をあえて引き起こし快楽を促進させるもので、女性器の収縮を引き起こしたり、17世紀から首吊り死の中で勃起・射精を伴うケースが多く見つかっている。

多感な思春期に親の目を忍んで、寄宿舎では憚られるような性的奔放、性的逸脱があったとしても不思議はない。従姉妹という近親者の異性装が少年の性的マゾヒズムに由来するとすれば、縛り、重り、裏口の部分開放(露出プレイ)などにも極めて合理的な解釈が成り立つ。

 

筆者も後者の仮説と同意見で、捜査員某による「何らかのゲーム」という発言の真意も、性的極限ゲームたるマスターベーションをオブラートに包んだ表現だったのではないだろうかと考えている。

捜査結果に納得のいかない遺族感情のたかぶりは、息子の死の真相を受け止められなかった福島県都路村で起きた女性教員宅便槽内の怪死事案ともどこか共通するものを感じさせる。

小さな山村では特殊な性趣向や犯罪歴は末代まで「血筋」として誹りを免れず、家族にとっては極めて不名誉なレッテルとなることも背景にはあるだろう。家族には二重に受け入れがたい現実だったに違いない。

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2016年、北京風雲天開電影電視文化有限公司製作・張博(チャン・ボー)監督により『紅衣男孩(BOY IN RED)』として映画化され、iQiyiでオンライン公開。瞬く間に1300万視聴を越え、再び多くの人々にその関心と議論を再燃させた。

 

少年の安らかなる眠りをお祈りいたします。