いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

嘘つきな母親——ケイリー・アンソニー殺害事件

「子どもたちの聖地」として知られるフロリダ州オーランドで起きた悲劇。娘に何が起きたか知らないと嘆く母親は殺人の罪に問われ、「毒親」として全米に悪名が知れ渡ったが、深刻な刑罰を免れた。しかし今も尚、母親への疑惑は払拭されず、その法的措置に疑義が唱えられている。

 

事件の発覚

2008年7月15日、フロリダ州オーランド郡郊外のチカソー・オークス地区に夫と暮らすシンディ・アンソニーはその日、2度にわたってオーランド警察に通報した。ひとつは娘に車と金を盗まれたというもの。もうひとつは、まもなく3歳になる孫娘ケイリー・アンソニーが行方不明になっているという内容だった。

夫妻が最後にケイリーの姿を見たのは、6月16日の午後1時前だという。

「なぜ一か月前に連絡してこなかったのですか?」

幼児の行方不明は一刻を争う緊急事案である。911通報を受けた通信司令員は尋ねた。

「娘がケイリーを連れて家出して、どうにかして見つけようと連絡を試みていたのですが…」

シンディは、娘には再会できたがなぜか孫娘ケイリーの所在を明らかにしないと語る。そして娘が使った車両からは「死体のような腐敗臭」を感じ、万が一、殺害されたおそれがあるため通報したと打ち明ける。

 

報せを受けた郡の保安官代理が出向いて夫妻の話を聞いた。シンディによれば、7月になってSNSMySpace」を介して娘とようやく連絡がついたものの、再会を拒絶されていたという。直後の7月7日、娘は「与えられたものは奪われる可能性がある。誰もが嘘をつき、だれしもが死ぬ」と綴り、夫妻に不穏な想像を掻き立てた。

この日、夫妻は家の車がレッカー移動されているとの通知を受け、車両を引き取りに行った。娘が乗っていった車「ポンチャック・サンバード」はガス欠で駐車場に乗り捨てられていたという。その車内には遺骸の腐敗臭のような強烈な匂いが充満しており、祖父母に最悪の事態を直感させた。

車内で見つけた電話番号に連絡してみると、娘の友人とつながり、彼女はボーイフレンドの家にいるという。夫妻はボーイフレンドの家へと押しかけ、ケイリーの母親ケイシー・アンソニー(当時22歳)と一か月ぶりに再会した。しかし連れて行ったはずの幼児の姿はなく、当惑する夫妻の問い掛けにもまともに応じようとしなかった。車の異臭については「ボンネットからリスが潜り込んで死んでいた」と説明した。

保安官代理ユーリ・メリッチ氏がケイシーに直接事情を聴くと、「6月からユニバーサルスタジオで働いていたために実家を離れただけ」「娘は以前から世話になっている乳母の家に預けた」と証言した。二人は乳母のアパートを訪ねることになったが、彼女は住所がはっきりしないとして何箇所か移動を余儀なくされた。最後にたどり着いたアパートの部屋は中から応答がなかった。

するとケイシーは「実は一か月前、乳母に娘を誘拐された」と告白する。「家出中も自力で捜索していたが見つけられなかった」「ユニバーサルの同僚に捜索の手助けをしてもらった」と証言を変遷させたが、携帯電話を紛失して当の「同僚」の連絡先さえ分からないという。

メリッチ氏は彼女と別れた後、乳母のアパートについて再度調査させてみると、5か月も前から空き部屋で前の住人も乳母とは別人だったことが分かった。その後の調べでもケイシーが連れ去りを主張する「乳母ザニ―」(ゼナイダ・フェルナンデス・ゴンザレス)なる人物は実在しないことが濃厚となる。

2008年7月逮捕時のマグショット〔フロリダ州警察〕

翌7月16日、メリッチ氏はユニバーサルスタジオに確認に赴き、ケイシーが2006年4月以来就労していなかったことや同僚として挙げた人物も虚偽と判明した。虚偽証言による捜査妨害、一か月にわたって娘ケイリーの所在不明を通報しなかった育児義務放棄の容疑でケイシー・アンソニーは逮捕される。ケイリーの捜索に加え、殺害の可能性も視野に入れ、ケイシーの家出中の行動の裏取り捜査が開始された。

当局では幼児の早期発見を優先し、捜査協力すれば釈放条件を軽減するとケイシーに提案したが、彼女は「どこにいるか分からない」「娘を殺すはずがない」と嫌疑を否認し続け、審問では「あの子は死んでなんかいない」と生存を仄めかした。名目上は児童福祉法違反を理由に拘留されることになるが、当局は50万ドルもの高額な保釈金を設定して取り調べの時間が確保された。

 

母親への懐疑

ケイシー・アンソニーは高校中退後、19歳で出産したシングルマザーで、娘ケイリーの出生証明書に父親の記載はない。ケイシーの兄リー・アンソニーによれば、出産から約1年後に相手の男性は別の州で交通事故で死亡したという。両親はケイリーの父親を知らず、彼女が妊娠7か月になるまで懐妊にも気付いていなかったとしている。

母子はオーランド郊外の実家でケイシーの両親と同居していた。ケイシーはバー、クラブ、レストランなどで商品の宣伝・売り子として散発的に働き、複数のボーイフレンドがいた。アンソニー夫妻は孫育てを積極的に支援していたと見え、誕生日のプールパーティや失踪直前に曾祖父のお見舞いに訪れたときのものなど多くの写真や動画が公開されている。

ケイシーに犯罪歴はなく、友人たちは「良い母親だった」と口を揃え、児童福祉局から虐待やネグレクトの疑いを持たれることは一度もなかったが、アンソニー夫妻との親娘関係は円満なものとばかりは言えなかった。ケイシーの素行に問題があれば、シンディは「ケイリーの親権を剥奪する」と発言することさえあったとされ、事実、911通報は娘による孫娘の誘拐(ないし殺害)を告発するものだ。

ケイシーの虚言癖に関して、夫妻の育て方に問題があったのではないか、いわゆる愛情不足を指摘する声もあがった。その理論を推し進めると、ケイシーは自分の両親から愛情を注がれて育つわが子を妬ましく思った、あるいは両親への憎しみが転じて彼らが宝物のように扱う孫を奪ったという動機も成り立つのではないかと人々は議論した。

 

ケイシーは妊娠中の2005年1月にジェシー・グランド氏から求婚され、8月にケイリーを出産。12月末までに彼のプロポーズに応諾したが、翌年5月に破局していた。グランド氏によれば、彼女の愛情が自分から離れ、娘のケイリーに向いていったためだとしている。

2022年11月に公開されたドキュメンタリーで、ケイシーはパーティーでレイプされて妊娠したことを自ら告白し、生物学的な父親を明かさないつもりでケイリーを出産し、当時の交際相手ジェシー・グランドに父親であると信じ込ませたと主張している。しかし兄リーの証言も含めて、ケイリーの父親に関する話の真偽はどれも定かではない。

一部の人々は、ケイシーとの駆け落ち、復縁、あるいは復讐のために、彼女の交際遍歴こそ容疑者リストだと考えた。

元フィアンセのジェシー・グランド氏

ケイシーの身辺調査を進めると、6月に知り合ったボーイフレンドの大学生トニー・ラザロ氏や友人の部屋を泊まり歩き、ナイトクラブでパーティを楽しんでいたことやショッピングや飲み会に明け暮れていたことなどが明らかとなる。家出中だったケイシーと交流した友人たちはケイリーが行方不明とは知らされておらず、「乳母とビーチにいる」「乳母とシーワールドに行っている」等と聞かされており、「母から連絡があっても何も言わないで」と口止めさせられていた。更に出先で「Bella Vita(イタリア語で“良い人生”)」のタトゥーを入れていたことも判明する。親の監視と育児の手から離れた母親は自由と若さを謳歌していたのである。

ラザロ氏は「彼女はパーティを楽しみ、困っているようには見えなかった」と証言


父ジョージはガレージからガス缶2本が盗まれていたことや娘がトランク内の荷物を取り出すことを拒んでいたことについて不信感を打ち明けた。隣人は6月にケイシーがシャベルを借りに来たことを思い出し、その用途を不審に思った。

異臭車両は押収され、死体探知犬はトランクに人間の遺体が積載されていた痕跡を検知した。鑑識作業を経て、顕微鏡検査でケイリーとの類似性が見られた人毛サンプルはDNA型鑑定に回されたが、毛根や組織の核DNAは抽出できず人定には至らなかった。母系血統を示すミトコンドリアDNAは一致したが、家族の車両から血縁者の毛髪が出てきただけでは殺害の証拠と認められようはずもない。

子育てを負担に思った“シンママ”がわが子を手に掛けた。捜査当局も、大半のオブザーバーもそう信じて疑わなかった。だがすぐに口を割るだろうと信じて調べに当たった刑事たちも、容疑者が取調中に一度も泣いたり取り乱したりすることなく、常に「平静を保っていた」ことに驚きを示した。その態度や言動は「何の反省も懸念の色も示していなかった」という。

 

ケイシーの逮捕後、アンソニー夫妻は孫娘の捜索のためにただちに基金を立ち上げ、目撃情報や資金提供を募るなど市民社会により広いサポートを求めた。まん丸の瞳、ふっくらとした頬に手を当てる幼女の愛くるしい無垢な表情は人々の胸を打った。

「ケイリーは必ず生きています」

祖母シンディは、車内の異臭はデマだったと前言を撤回し、「若い母親が幼児を虐待した事実はなく、死亡したという証拠は何もありません」「私が彼女を愛してきた以上に、ケイシーは自分の子どもを愛していた」と訴え、ケイリーの3歳の誕生日8月9日までに再会できることを強く望んだ。

行方不明のニュースは、幼児への深い同情の念と母親への不信感を多くの人々に喚起した。そして祖父母との確執や彼らのどこか歪んだ生還への希望、母親の偽証は、アンソニー家に対する好奇や猜疑心をも膨らませ、大きな注目を集めることとなる。地元では捜索活動が広がり、周辺の湖沼などでの潜水捜索も行われたが、発見につながる手掛かりはすぐには浮上しなかった。

当初ネット上では、第三者の介入により幼児が生存している可能性もゼロとは言えないと希望的観測を語る者もいた。しかし殺害を確実視していた捜査班は、車内の空気サンプル鑑定を導入し、8月27日、トランクに人間の遺体があった可能性が極めて高いとの見解を公表した。

ある篤志家と保釈代理人が「ケイリー捜索の一助になれば」と母親の保釈手続きを買って出たが、彼女は代理人とのやりとりに決して乗り気ではなかったという。また渦中の母親の帰宅は地域に緊張関係をもたらすとして、アンソニー家周辺では反対アピールが湧き起こり、早期釈放は頓挫した。アンソニー夫妻が保証金を支払うことを約束し、電子追跡装置を付けた娘の身柄引き受けが実現したのは9月5日になってのことだった。

しかしケイシーはその後も態度を変えず、ケイリー捜索に大きな進展は見られないまま、10月14日、第一級殺人、加重児童虐待、加重過失致死、警察への虚偽申告による4件で大陪審に起訴される(ネグレクトはケイリーが存命の場合にのみ有効になるとして児童放置罪は取り下げられた)。判事は改めて保釈なしの拘留を命じた。28日の罪状認否を受け、ケイシーは全ての容疑について否認し、無実を訴えた。

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一方、通報から1か月と経たない8月11日のこと、公共施設の検針員ロイ・クロンク氏が小用を足そうと雑木林に立ち入ると、奥の窪地に不審な包みと人骨のようなものを目にする。騒動の渦中となっていたアンソニー家から数百メートルしか離れておらず、よもやと思い、保安官事務所に通報。だが事務所ではなく通報窓口に掛け直しを指示され、言われた通り掛けたところ応答が得られなかった。

クロンク氏は12日、13日にも通報し直して、ようやく副保安官が対応に赴いたが、包みを見かけた窪地の辺りは水没してしまって地表が見えない状況になっていた。リチャード・ケイン副保安官は水面を金属棒で揺らすなどして覗き込もうとしたが「何も見えない」と言ってそれ以上の捜索を諦め、現場を離れた。

心残りのあったクロンク氏はその後も現場を訪れ、4か月後の12月11日、人骨の入ったゴミ袋を再び発見。頭蓋骨や髪に付着したダクトテープなどが回収され、さらに山林では散逸した骨が複数発見された。12月19日、郡監察医ヤン・ガラバリアらのDNA型検査によって遺体はケイリーのものと確認された。すでに腐敗が進行しており、死因の特定には至らなかった。

下のストリートビューは発見現場付近に市民が設置したモニュメント。私有地だが現在も雑木林のままとなっている。

 

第一発見者クロンク氏は、過去に元交際相手の誘拐容疑で告発されたこと(起訴には至らず)、また妻と離婚して養育費約1万ドルの未払いがあったことなどから、一部には事件への関与を疑う憶測記事が流れた。2009年1月にABC「グッドモーニングアメリカ」への出演を承諾したクロンク氏は、8月の通報に対して保安当局は責任ある捜査対応をしなかったと批判。

事件関与の噂について「名乗り出た唯一の理由は、自分には隠し立てすることが何もないからだ」と真っ向から反論した。彼の弁護士も「アンソニー事件によって彼の生活も泥沼に引きずり込まれた」と加勢し、誹謗中傷したゴシップ誌に損害賠償を求めると発表した。尚、クロンク氏が犯行に関わった証拠はその後も出ていない。

保安官事務所は、森林が湿地帯になっていたため、現場は立ち入りが困難な状態だったと会見で釈明し、担当したケイン副保安官への内部調査を行うこととした。しかし当局が市民の怒りの矛先をすでに逮捕されていた若い母親に向けるように誘導していることは明らかだった。

「みなさん、肝心なのは、こどもがこんな目に遭うべきではなかったということだ」

 

2009年4月、検察当局は前例を覆して、死刑求刑の見通しを明らかにした。

メディアは家族や周囲の人間たちを次々に俎上に上げて少女の不幸な死をよりスキャンダラスなニュースへと変貌させ、市民の社会正義と野次馬根性は、FacebookTwitterなどで多くの関連報道をバイラルしながら顰蹙や好奇を過熱させていった。母親はなぜ嘘を重ねたのか、通報もせず遊興に耽っていた31日もの間、何を思って行動していたのか、人々はその説明を求めた。

テレビジャーナリストの多くがケイシーを悪魔のように扱い、視聴率競争は激化させていき、その注目度や裁判の経過からしばしばO.J.シンプソン事件と対比された。その後、タイム誌は、その後の裁判に至る人々の反応がダイレクトに可視化された事件の経過をたどり、「世紀のソーシャルメディア裁判」と評することとなる。

 

裁判とその後

2011年5月24日、オーランド郡裁判所(ベルビン・ペリー裁判長)で審理が開始され、検察側・弁護側双方の冒頭陳述が行われた。

検察側は、被告の家出中の遊興行動から見て、殺害の動機は育児負担だったと説明。自宅のPCに「ネックブレイキング」など殺害に関連する検索履歴があったとして、以前より娘の殺害計画があったとした。車両や遺体の髪の毛の鑑定、08年3月に「クロロホルム」を検索していた事実に基づいて、ケイリーを無力化するためクロロホルムが用いられたと主張した。昏睡させた女児をダクトテープで窒息状態に至らしめたかトランク内に放置して殺害し、後日、被告人が近所の雑木林に遺棄したものと陳述した。

被告の弁護人ホセ・バエズ氏は、「母親であればわが子の行方不明を30日も放置できるはずがない、正気の沙汰とは言えないだろう。何かがおかしい。だがその答えは簡単だ」「そもそも行方不明などではなく、6月16日にプールで溺水して死亡していた」と自宅での事故死を主張する。15日、ケイリーは祖父母と自宅のプールで遊んで過ごし、その後、幼児が一人でプールに入らないようにするガード用ハシゴの取り外しを怠ったことが事の発端だとした。

翌日、小さな死体を胸に抱いた祖父ジョージは「お前が何をしでかしたか見てみろ!母親(シンディ)はお前を絶対に許さないぞ!ネグレクトの罪で刑務所に行き、お前の残りの人生は狂わされることになるんだ!」とケイシーを叱責し、事故死の隠蔽を主導したとする。母親としてその行動は過ちではあったが、被告は娘の死をひた隠しにしてこれまで何事もなかったかのように振る舞ってきたという。

彼女のバックグラウンド、機能不全となった家族関係として、「ケイシーへの不適切な接触は8歳から始まった。彼女は父親の性的虐待の被害者だった」と述べ、性虐待を隠して学校生活を過ごしてきた彼女はそうした振る舞いには慣れていたと説明し、「偽証はすなわち有罪の証拠とはならない」と主張した。また兄からも強姦を受けており、ケイリーの父親ではないかと親子鑑定を求めたこともあったとしている。

祖父ジョージは元警官で、罪状認識は当然のこと、捜査手順も念頭にあった。ケイリーの遺体にダクトテープを“あえて”残したのは、ケイシーによる単独犯行と見せかけるため、自分は係わりがないように見せかける偽装だったと指摘。死体の遺棄はクロンク氏によるものと推定。警察は捜査失敗の非難から免れるため、「平凡な溺水事故」ではなく「母親による子殺し」であるかのようにマスコミの熱狂を煽った責任があると批判した。

娘を亡くし、被告人となったケイシー・アンソニーは素っ気ない白シャツ姿で顔をこわばらせ、冒頭陳述の最中はずっと泣いていた。彼女の一挙手一投足に耳目が注がれ、6週に及ぶ公判の間に、ピンク色やレース、フリル付きブラウスを着こなすようになり、ときに目を丸くさせたり表情をほころばせたりするように表情にも変化が見られた。さらに専門家は、椅子を引いて周囲の人よりも体つきを小さく見せていた点に着目し、「人殺しなど出来そうもない、か弱い女性」を演出する見え透いた法廷戦術だと喝破した。

祖母と孫娘

 

シンディはプールのハシゴは外していて孫娘一人で侵入できる状態ではなかったと述べ、ジョージはケイシーへの性的虐待の疑惑や事故死隠蔽の主導など弁護側の主張について全面的に否認した。シンディは自らの911通報時の録音テープを聞いて涙し、車内に孫娘が愛玩していた赤ちゃん人形を見つけたときのことを証言すると嗚咽が止まらず一時休廷を求めた。幼女を何より可愛がった老夫婦は、ともすれば自分たちの娘を死刑に追い詰めるかもしれない微妙な立場にあった。

 

検察側は「死因不明の殺人」を立証するため、車内に遺体があったか否かを重要な争点として、37名もの科学者・研究者を証人に並べた。

最初に腐敗臭を認識したレッカー業務に当たった男性は、過去にも死骸を積んだ放置車に遭遇したことがあり、そのときと同じ「記憶から消せない臭気だった」と証言した。またジョージは刑事、シンディは看護士であったことからも「人間の死体の匂いを知っていた」とも言える。

オークリッジ国立研究所の法医学人類学者アーパド・バスは空気中に含まれるガスや化学物質の鑑定により「クロロホルムの顕著な含有が認められた」と指摘し、「トランクに人間の死体が存在した」と結論付けた。だが臭気鑑定はバス教授独自のデータベースに依存しており学術的に認められておらず、法的根拠とはいえないものであった。弁護人はその耳慣れない新鑑定を「ジャンク・サイエンス」と断じて斥けた。

検察側はウェブ検索履歴と併せて「殺害にクロロホルムの使用があった」根拠とした。しかしケイシーがクロロホルムやその材料を購入したり、所持していた証拠はなく、彼女の恋人が遊びに来ていた際に検索した可能性もありえた。ダクトテープについても同じことで、「事故ではなく殺人が起きた」証拠にはなりうるが、彼女が購入した、所持していた、犯行に用いたという証拠は皆無であった。弁護側は、検察側の主張を「推測の強制であり、憶測にすぎない」と唾棄した。

「先週はクロロホルム、今週はダクトテープと検察は有罪にするために次々に手を変える。だが母親が無実である可能性、事故死という合理的にあり得る仮説に対する反証が全く為されていない」

 

弁護側は、証人のひとりとしてリバー・クルーズことクリスタル・ホロウェイの出廷を求めた。彼女はボランティアたちが懸命の捜索活動に奔走している間、ジョージからアプローチを受けて親密な関係になったと雑誌に暴露していた人物である。

ジョージから事件について聞かされたことはあるかとの問いに対し、まだ行方不明とされている期間に「亡くなっていると聞かされた」とホロウェイ氏は言い、ジョージから「雪だるま式に制御不能になった事故だった」ことを打ち明けられたと証言した。

さらに公判前、ジョージが薬物の過剰摂取とアルコールの併用により自殺未遂を図ったことが法廷で暴露された。攻撃対象とされたジョージは困惑しながらも不倫関係を否認。しかしやっていないことを証明する手立てなど存在しない。弁護側としては、人々にジョージへの不信感を植え付ける戦略だったにちがいない。彼に「娘への性的虐待」と「ボランティア女性に対する不貞行為」「自殺未遂」を印象付けることで、言外に「孫娘の死因」に彼が深く関わっていることを想起させようとしていた。

 

7月5日、12名の陪審員は被告人が第一級殺人、加重児童虐待、加重過失致死について、10対2で最終的に無罪であるとの評決を下した。法執行機関に対して虚偽の情報を提供した4件につき有罪判決とし、7日の量刑審理で懲役4年と罰金4,000ドルが科せられることが決した。

「ケイリーに正義を!ケイリーに正義を!」

静寂に包まれた法廷のはるか上空からは取材ヘリの飛び交う音が響き、屋外からは周囲を取り囲む極刑を信じて疑わなかった500人余の群衆から抗議アピールが押し寄せ、審理の行方を見守っていた数百万の国民にも怒りの声は拡散した。タイム誌は州検察はその物証の乏しさから「事件を根拠に事件を組み立てた」と批判し、多くの専門家は「提示された状況証拠のみでは良識ある人々に死刑を宣告することはできない」「司法制度の欠陥が導いた結果である」と結論付けた。

世論調査ではアメリカ人の約3分の2の割合で、「間違いなく」「おそらく」ケイシーが娘を殺害したと信じているとの結果が出た。また「間違いなく」と回答した男女比は、女性28%男性11%と二倍以上の開きがあった。虐待事案は母性の理想に対する脅威であると捉えられ、感情的な反応が大きかった。

州検事は訴追を断念し、「リトル・ケイリーの遺骨回収の遅れがかなりの不利をもたらした」と悔しさを滲ませた。検察側は「こどもができたら親にとって宝になる」と国民感情に訴えかけ、その親の責任を問う法廷戦術を採った。罪状が過失致死や第二級殺人であったならば、あるいは育児義務違反を基調とした審理がより深まっていれば、死刑でなくとも重罰に至ったであろうとする見方もある。

しかし陪審員や国民世論は、先んじてメディアによって断罪された被告人が実際のところシロなのかクロなのかの答えを求めていた。検察が揺るぎない証拠を提示して犯行の一部始終を解き明かすことを期待していた。ペリー裁判長は陪審員の公表を10月まで控えたが、一部の陪審員はメディアに対し「どのような犯罪があったのか証明されなければ、いかなる罰を下すべきか判断できない」と述べ、別の陪審員は「感情に全面的に委ねれば」ケイシーへの有罪もあり得たとしたが「提示された証拠に基づいて」判断したかったと述べた。数々の情況証拠は「嘘つきな母親」への不信感を強める役割を果たしたが、殺害の合理的な説明というには「パズルの重大なピースが欠けていた」。

後にペリー裁判長は、陪審員の中には検察側の示す動機の弱さを指摘する声もあったと振り返った。また心理学者は国民の関心の高さは犯行動機の不確実性に関係するとの見解を述べた。法医学精神科医は、「メディアによる断罪的な報道が国民の報復感情を過熱させた」「可哀そうな小さな愛らしい子どもが、報復欲求に駆られた暴徒たちのリンチに遭った」と事件を総括し、母親ケイシーについて「殺害云々は別として、彼女も明らかに多くの精神的問題を抱えている」と付け加えた。

 

2011年7月17日、ケイシー釈放。度重なる脅迫のため、矯正局は生命に危険が及ぶと判断し、彼女の仮釈放者データは公表されなかった。

8月11日、フロリダ州児童家族局は、ケイシーに娘の死の責任があったとする報告書を発表。「加害者とされる人物の行動又は不行動が、最終的には悲劇的な子どもの早逝につながったか、或いは死亡の一因になった」と述べている。

州当局は失踪事件の捜査費用51万6,000ドルの償還をケイシーに求めた。ペリー裁判長は、ケイシーに総額21万7,000ドル以上の支払い義務を命じた。

ケイシーは虚偽供述での4件の有罪判決について、ミランダ警告(拘留取調べにおける黙秘権の通知)が為されていなかった不当取り調べに当たるとして控訴。控訴裁判所は、各供述は二度の事情聴取で行われたものであり、「ふたつの犯罪行為」と見なすべきと判断。2013年1月25日、虚偽の情報提供2件について有罪判決を破棄した。

同日、ケイシーは連邦破産法第7章の適用を申請して約80万ドルの負債を放棄した。

 

本件の反応として、子どもの死亡または失踪を法執行機関に通知する保護者への義務を課す「ケイリー法」がフロリダ、オクラホマ、ニューヨーク、ウエスバージニア州で制定された。子どもの安全を守るうえで有用にも思える法制度だが、保護者による過剰遵守や虚偽通報につながり、厳格なあまり弊害や逆効果をもたらすとして批判的な声も聞かれる。たとえば単なる迷子や不可解な事故を原因とした過失死であっても、保護者への社会的責任やメディアの追及、衆人からの疑いの目が無用にエスカレートするおそれがある。

 

テレビからSNSYouTubeへとメディアの拡張・転換期にあって多くの人に消費され尽くした事件の結末は、「犯人なき事件」という抜け殻だけが残された。ケイシーは今世紀最も嫌われた「母親」として記憶され、炎上騒動、社会的報復の端緒ともいえる事件であった。母親や祖父母がその後、どうやって暮らしを立て直していくのかは神のみぞ知るところである。

故人のご冥福をお祈りいたします。

 

ケイリーの検視報告書〔フロリダ中央大学〕