いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

まんのう町・旧琴南町女子高校生殺害事件

1997年(平成9年)、香川県でバイト帰りの女子高生が帰らぬ人となった事件。刑法改正により殺人罪の時効は撤廃されたが、今なお犯人検挙に至っていない長期未解決事件である。

 

香川県警、被害者の会では犯人逮捕に結びつく有力情報の提供者に最大100万円の懸賞金を設置して情報提供を求めている。「犯行をほのめかす人物を知っている」など心当たりがある方は以下の番号に通報をお願いします。

共通フリーダイヤル 香川県警本部刑事部捜査第一課 0120-120-016

琴平署 0877-75-0110

三豊署 0875-72-0110

www.pref.kagawa.lg.jp

事件の概要

1997年3月16日(日)の夕方、香川県仲多度郡満濃町に住む男性(63歳)が琴南町川東焼尾の山林でマネキンのようなものを見かけ、翌朝、現場を訪れた警官により若い女性の遺体と確認された。

 

16日、男性は知人に頼まれて神事に使う榊を採るため、自らの所有する山を訪れた。ついでに不法投棄などがないか確認するため、旧町道焼尾1号線に車を停め、歩いて山道に入った。フェンスの切れ目から下の斜面を覗くと、マネキンのようなものが目に入った。その日はすでに18時を回っていたこともありそのまま家路に着いたが、翌朝、琴平署美合駐在所に通報。17日10時頃、現場に到着した警官は山道から約3メートル下の斜面に雑木に引っかかるような格好の女性の死体を発見した。

Tシャツの柄は2017年になって公開された

 

死体は仰向けの半裸状態で、上はディズニーキャラクター「ドナルドダック」と犬の「グーフィー」がプリントされた白い長そでのTシャツ、下は白い靴下を片方だけ身に着けていた。

現場に争ったような形跡はなく、別の現場で殺害され、山道のフェンスの隙間から遺棄されたものと思われた。琴平署は殺人・死体遺棄事件と断定し、県警との合同捜査本部を設置して捜査を開始した。

17日夕方、香川医大での司法解剖の結果、死亡推定時刻は15日の深夜、首に柔らかいひも状のもので絞められた痕跡があり、絞殺による窒息死と推認された。

翌18日、新聞報道を見た家族から娘ではないかと連絡が入り、亡くなった女性は詫間町松崎に住む観音寺一高の一年生・真鍋和加さん(16歳)と判明。男性が山で見かける前日の15日夜から行方が分からなくなっていた。

 

行動

3月15日(土)、高校の授業は午前中のみで終わり、姉が嫁ぎ先から姪っ子を連れて帰省してくるため、和加さんは午後に予定されていたサークル活動(ギター同好会)には参加せず、13時半前後に帰宅した。姪っ子としばらく遊び、15時過ぎに姉の車に同乗させてもらって本屋などに立ち寄った後、17時前に詫間駅前のコンビニ(旧ローソン詫間駅前店。現店舗とは別の場所にあった)まで送ってもらった。

和加さんはキーボードを購入するため、1月半ばからこの店でバイトを続けており、目標金額に目途がついたため、この日が最終出勤日となっていた。ほぼシフト通りに勤務を終え、タイムカードの退勤時間には「22時1分」と打刻されている。

最終目撃場所の地図〔香川県警HP〕より

店はその時間帯も客の出入りが多かったため、彼女の退店する様子をはっきり確認していた者はいない。最終目撃者となったのは同店のアルバイト仲間で、22時過ぎに車で帰る際、店舗と交差点を跨いで反対側に、小雨の中で傘もささずに立っているのを見かけたという。

 

バイト先から自宅まで2キロ弱で、家族の車を呼ばなくとも徒歩で通うことも可能な距離であった。迎えを呼ぶ電話もなく、帰りが遅くなれば家族は心配するものだが、その日は悪い偶然が重なった。

22時前後にはすでに和加さんの父親、姉は就寝しており、母親はひとり確定申告に備えて帳簿整理をしていたが、孫(和加さんの姪)を寝かしつけてそのまま自分も寝入ってしまっていたという。気づいたときには日付変わって16日朝の5時で、玄関に和加さんの靴はなく部屋にも帰ってきた様子がないことに気づいたのだった。

バイト先に連絡を取ると「昨夜22時ごろ退勤した」とされ、家族もバイト後の用事なども聞かされておらず何が起きたのか見当がつかなかった。まして過去に和加さんが無断外泊するようなことは一度もなかった。家族は手分けして周辺に捜索に向かった。

10時過ぎになって和加さんの友人から家に電話が入り、映画を見る約束で詫間駅で待ち合わせをしていたが彼女が現れないのでどうしているかと心配で連絡したという。家族は知人、友人に片っ端から連絡を取ったが彼女の行方を知る者はだれ一人としていなかった。

当時、携帯電話はまだ中高生に普及しきってはおらず、和加さんはメッセージ通信を主とする「ポケットベル」を携行していた。しかし家族や友人たちが連絡を取ろうとしても、呼び出し音が鳴るばかりで返事はなかった。翌17日も遠方まで捜索したが手掛かりは何もなく、18日の朝刊で若い女性の遺体発見の報を見て娘と直感したという。コンパクトディスクから採られた指紋の照合により本人であることが特定された。

 

遺留品

瀬戸内海に近い詫間駅前のコンビニから、徳島県との県境に近い山間部の遺体発見現場までおよそ40キロ、車で1時間ほどかかる。琴平署の捜査本部は、バイトの同僚による目撃証言や自宅に迎えの電話を寄越していない点などから、交差点で誰かと合流して事件に巻き込まれたと判断する。

連日100人体制で交友関係の洗い出し、現場周辺での聞き込みが続けられた。当時は店や街頭に防犯カメラもなく、駅前とはいえ雨天で遅い時間帯だったこともあり情報は限られた。

3月21日になってバイト先から南東に約12キロ離れた三豊市高瀬町にある朝日山森林公園で和加さんの左足の靴が発見される。公園は標高238メートルの山の頂上付近に位置しており、神社やサクラ、遠く瀬戸大橋や日の出を臨めるスポットとして人気があり、展望台やドライブのために若者たちの「デートの穴場」ともなっている。靴は駐車場脇の植え込みから発見された。遺族確認と警察犬による鑑定で和加さんのものと確認された。

 

上の地図のように、バイト先のコンビニ、靴の見つかった朝日山、遺体の見つかった山林はほぼ直線状と見ることができる。

 

見方

それと聞くと、駅前でナンパされてドライブのように朝日山へと連れていかれ、わいせつ行為に及ぼうとした男が和加さんに抵抗されて首を絞めたようにも思える。

当時の報道には根拠もなしに不良娘のような印象操作が行われたこともあったが、父・宜之さんは「本当に娘はまじめな性格で、知らない人の車に乗るような子ではないんです」と語っており、夜はまだ肌寒い時期に上着も持たずTシャツ姿、財布も携行しておらず小銭しか持たないで出掛けるつもりだったとは考えられないという。

和加さんはバンドX-JAPANのギタリストhideの大ファンで、東京のライブへも足を運んだことがあった。楽曲だけでなく彼の社会貢献にも熱心な姿勢にも共鳴していたという。将来的には音楽大学への進学を志望し、そのためにもキーボード購入を考え、親の承諾のもとアルバイトを始めた。しかしその夢への大きな一歩は寸前のところで叶わなかった。

 

田宮榮一監修『捜査ケイゾク中 未解決殺人事件捜査ファイル』(2001、廣済堂)では、素行不良者や性犯罪前歴者のリストアップはされているはずとの見解とともに、被害者と何らかの「顔見知り」だったのではないかとも検討している。

アルバイトに行く前までの行動から見て、和加さん自身、まっすぐに帰宅するつもりだったことが強く推測される。だがバイト最終日を終え、なぜか交差点で傘もささずに佇んでいた。アルバイト中の17時から22時の間にコンタクトが取られ、人と待ち合わせをしていたのか。相手先などは不明だが、勤務中にも彼女のポケベルが鳴っていたとの証言もある。

恩師や先輩、同級生といった学校関係者からポケベルに連絡があったのか、あるいはバイト仲間や店の客から直接約束がされたのか。あるいは親の知らない異性交遊があっても不思議はない年齢であり、音楽活動やファン活動などを通じてできた仲間なども思い浮かぶ。

ネット掲示板では「マジレスするわ。(あくまで噂やで)」とした上で「犯人は女子高生が勤めていたローソンの店長。自殺したらしい。」といったカキコミが20年前に為されている。それ以降に被害者に対する無責任な誹謗中傷が展開されており、書き込みの目的はそちらだったと見られる。議論するのも不毛だが、こうした怪情報が当たり前に放置されている現状も恐ろしい。

 

景勝地・朝日山はともかくとして、遺体発見現場となった焼尾の廃道はよほど地理に精通していないと立ち入らないような場所で、40キロ離れた詫間駅周辺ではほとんど知る人もいないのではないかと思われる。遺体を確認した駐在署員ですらその場所が分からず、地元の主婦に道案内してもらってようやくたどり着いた極めて辺鄙な場所である。

現場に通った父・宜之さんは、事件から4年後の取材の中で、今でこそ近隣のゴルフ場開発などもあって山道も舗装されたが、当時は細い未舗装路だったと振り返る。「車を運転していると何匹もの野犬が、ドーンとボンネットの上に飛び掛かってくるんです。それはもう怖くて窓も開けられません」「そのときふっと思ったんです、犯人はもしかしたら完全犯罪を狙ったんじゃないかと。発見があと2、3日遅れていたら娘の遺体は野犬に食い千切られて跡形もなかったはず」。食害まで計算に入れていたかは不明だが、犯人は通りがかりに偶々その場所へ棄てたというより、発覚逃れを図って事前に下見してあったようにも思える。

また発見されていない右足の靴、靴下、下着とパンツ、ポケットベルや腕時計といった所持品はその後も発見されていない。警察では朝日山が殺害現場との見方で捜査を進めたが、宜之さんは犯人が捜査かく乱のために靴だけ遺していった偽装工作ではないかと深読みしている。たしかに人通りが皆無に近い死体遺棄現場よりも、人の出入りが多い詫間駅から朝日山周辺に警察の人的ソースが割かれることになった。発見には至らなかったが各地に点在するように棄てられた可能性もないとは言いきれない。

両親が娘の遺体と対面したとき、左足だけ損傷が激しいとして包帯が巻かれていたという。それこそ野犬などの動物に荒らされた痕だったのか、暴行や移送の際にできた怪我だったのか明らかにされてはいない。車両では侵入できない場所まで遺体をどのように運び込んだのかなども解明されていない。

遺体発見現場

現在地

2017年、和加さんが当時着用していたキャラクタープリントの長袖Tシャツが公開された。犯人による証拠隠滅の恐れもなく、目撃情報につながりやすい特徴的なTシャツだったにもかかわらず、県警はなぜ20年も公表を躊躇してきたのか甚だ疑問である。

また失踪直後の3月16日未明に朝日山公園で不審な白い車両が目撃されていたことも伝えられている。車種はトヨタの「エスティマ」「エスティマシーダ」「エスティマエミーナ」のいずれかと見られているという。目撃は午前1時と2時ごろの2回とされ、警察では死亡推定時刻に近いことから同車両が事件に係っている可能性があるとした。

 

事件発生から丸25年が過ぎた2022年4月、遺族のひとり、和加さんの母・明美さんが解決の日を見ることなく、生を閉じた。殺人罪の時効撤廃が為された2010年から街頭でのビラ配りを続け、情報提供を訴えてきた。

犯人検挙を願う一方で、「まだ捕まってないから、自分の子どもや孫は気を付けてって。こういう事件があったっていうのを思ってくれるっていうだけでも。だから忘れてはほしくない」と活動の意志を語っていた。

1月のKSB瀬戸内海放送の取材に対し、「警察の人には悪いけど、捕まえるよりも自分から出てきてほしい。出てきて、手を合わせてほしい。そうしたら私もそれ以上のことは言わない」と話していた明美さん。その思いは、2013年に先立った和加さんの父・宜之さんの意思でもあった。2人は和加さんを失って10数年来、全国の寺に巡礼してきた。宜之さんが亡くなって以降も、「二人の供養」を兼ねて「一緒にお参りしたところ」を思い出参りするのが明美さんの生きがいだったという。

 

長い時間の経過とともに担当する捜査員たちの顔ぶれも事件当初とは変わったが、ベテラン捜査員たちは事件を知らない若手を連れて遺族のもとに挨拶に通った。時間が経っても変わることのない遺族の思いを伝え、解決への熱意をつないでいくためだという。

香川県警捜査一課の最前線で様々な事件解決に当たってきた渡辺耕治氏は、当時の捜査手法や体制に未熟さがあったと後悔を滲ませる。

「防犯カメラであるとか携帯電話であるとか、様々な捜査手法が今できていますけど、当時としてはそういう捜査手法への過渡期」「捜査体制についても、封建的な捜査体制から自由的な捜査体制、意見具申ができるような捜査体制に移る過渡期であったと思います」「そういったところが少しの要因ではあると私は考えております」と長期未解決に至った背景を振り返っている。

 

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渡辺氏の弁に捜査上の具体的なエピソードこそ語られないが、90年代後半には現場を駆けまわる捜査員には意見具申もできないトップダウン式の捜査指揮が執られていたことを滲ませており、以前扱った金沢スイミングコーチ事件の捜査指揮を思い起こさせる。捜査員たちの些細な気付きやアイデアは、上官らの方針にそぐわず大した検討もされずに却下されたこともあったのであろう。

また縦割りの縄張り意識から、失踪現場、遺留品、遺体発見現場のさらに延長線上に位置する徳島県との捜査協力も思うようにならなかったのではないかと推測される。

延べ62000人の捜査員を投入し、200件以上の情報が寄せられるも解決への糸口はいまだ見出せてはいない。

 

被害者のご冥福とご遺族の心の安寧を祈ります。

 

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