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Zappos元CEO トニー・シェイの死について

靴を中心としたアパレル系ネット通販企業ザッポス(Zappos)を急成長させたカリスマ経営者アンソニー・シェイ(Anthony Hsieh)が電撃辞任し、次はどんなビジネス戦略で人々を驚かせるのかと期待されていた矢先、知人宅の倉庫で火事に遭い命を落とすという悲劇が起きた。

ザッポスは日本で展開していないため、シェイの略歴やZapposの簡単な紹介、そして彼の死について記す。

 

時代背景

Zapposの母体であるShoesite.com創業は1999年だが、先に90年代後半のネット販売の黎明期を振り返っておく。

ジェフ・ベゾスオンライン書店Amazon.com」で正式サービスを開始したのが95年7月、NASDAQへの株式公開が97年5月であった。設立から4~5年は利益が充分ではないとの長期的視野を置き、売上げや利益の最大化ではなくフリーキャッシュフロー(企業が新規事業創出や事業拡大などに自由に使うことのできる事業資金)を増やすことを目指した。

各種ストアの拡大を続けるとともに、98年には音楽配信事業に参入し、国際展開を加速させ、99年には累計ユーザー数が1000万人を超え、多くの人々のライフスタイルを変えた。「1クリック注文」「カスタマーレビュー」「レコメンデーション機能」など顧客の利便性向上と競合との差別化により、ECサイトトップランナーへと上り詰め、今日では21か国にサイトを展開する世界的企業となっている。

 

日本でもインターネット接続機能を標準搭載した「Windows95」がリリースされると、個人のホームページ開設といった動きが広まり始めたが、それでも人口当たりのネット普及率は1割にも満たなかった。本格的なネット環境の普及は、99年のADSLによる接続サービスと、携帯電話によるインターネット接続「iモード」の登場によってもたらされた。

国内のネット販売(EC)事業としては、96年にモール型ショッピングサイト「楽天市場」が開始され、99年に「Yahoo!ショッピング」「Yahoo!オークション」がサービスを開始。「Amazon.co.jp」の書籍販売が始まったのは2000年11月になってからと後発だが、楽天市場に比肩して国内ECシェア全体のおよそ4分の1を占めることとなる。

2000年代前半には、いわゆる「掲示板」「出会い系」「ブログ」など見知らぬ他者とのコミュニケーションツールとしてインターネット利用者のすそ野は爆発的に広がりを見せていたが、非対面式の商慣行には抵抗感を示す人々も依然として多かった。

 

カリスマ経営者

アンソニー・シェイは、1973年、イリノイ大学で出会った台湾人移民リチャードとジュディの間に生を受け、その後2人の弟が生まれた。家族はシェイが5歳の頃、カルフォルニア州マリン郡に引っ越し、父はシェブロン社の化学エンジニア、母親は神経心理学者のソーシャルワーカーだった。

ハーバード大学へと進んだシェイは、95年にコンピューターサイエンスの学位を取得。在学中には、寮で暮らす学生を相手にピザを販売する「クインシーハウス・グリル(クインシーハウスは12ある大学寮のひとつ)」を経営した。以前はハンバーガーやミルクセーキしか販売していなかったが、彼はより利益率の高いチーズピザを販売し、オーブンの初期投資を回収するため2年間営業を続けた。

 

大学卒業後、データベース業界最大手の「オラクル」社に入社するも半年で辞め、サンジェイ・マダンと共同で「インターネット・リンク・エクスチェンジ」社を設立。プログラミングと経営管理に優れたアリ・パートヴィ、「グリル」時代の最優良顧客であったアルフレッド・リンらをビジネスパートナーに加え、インターネットのバナー広告ビジネスを展開した。大学時代、シェイの店の売り上げに貢献したリンは、購入したピザをスライス単位で他の学生に転売していたという逸話を持つ。

ヤフー、エキサイトといった検索会社もバナー広告市場に強い関心を示していた時期で、ベンチャーキャピタルからの資金調達に成功して事業を拡大した。自分のページを通知して検索エンジン順位を上げるマーケティングサービス事業「サブミット・イット」を手掛けたスコット・バニスターと結びつきを強め、98年6月に同社を買収。また初期のクレジットカードアプリ「マーチャント・プラネット」社を立て続けに買収し、宣伝から商品購入までのウェブプロモーションサービスを総合的に取り扱う事業体制を整えた。

1998年11月、マイクロソフトが2億6500万ドルを投じてリンク・エクスチェンジ社を買収。これによりトニー個人は4000万ドルの利益を得たとされる。トニーは同社を2年半で100人を超える規模に成長させたものの、従業員の増加によって企業文化が薄れ、人間関係に課題を感じていたとされ、その教訓が後にザッポスの経営に生かされることとなる。

トニーとリンはベンチャーフロッグス社を立ち上げ、インターネットのスタートアップ事業を後押しする投資家の立場に回った。そこでQ&Aに特化した検索エンジン「Ask.com(Ask Jeeves)」、オンラインレストラン予約サービス「オープンテーブル」、ニック・スウィンマーンによって設立された靴の小売販売「Shoesite.com」などを支援。1999年、Shoesite.comはZapposに社名を変更した。

100 Best Companies to Work For 2009: Full list - from FORTUNE

ニック・スウィンマーンはフットウェア市場は全米で400億ドルあり、当時すでにその5%程度がカタログなどの紙媒体による通販だと主張し、ネット通販にも勝機はあることを主張し、トニーたちに投資を決断させた。

その後、トニーが本格的にザッポス経営に参画すると、1999年から2000年にかけて160万ドルだった総売上が翌年には860万ドルへと躍進した。01年のドットコムバブルの崩壊により、それまでのように資金調達は容易ではなくなっていたが、2004年には総売上1億8400万ドルに達し、本社をネバダヘンダーソンに移転。06年までに黒字化を達成すると、事業範囲をハンドバッグやアイウェア、衣料品、時計、子供向け商品などに拡大していった。

その成長と革新性により、2009年にはフォーチュン誌「働き甲斐のある企業100社」第6位に選出され、内外から高い評価を得る優良企業となった。創業者ではないが大企業への牽引者、新たなビジネスリーダーとしてトニーの発言や動向にも大きな注目が集まった。

「我々は偶々シューズを売っているサービス企業である」と彼は語り、そのフレーズはザッポスそのものを表す標語のように捉えられている。延べ数億足を販売したトニー自身、靴にそれほど興味やこだわりはなく、日常的には4足ほどしか所持していなかったとされる。

2015年、Forbes誌によれば「年間20億ドルを超える収益を上げている」と報告されている。

 

革新的差別化

アパレル業界でも「靴」はメーカーごとにサイズ感の違いがあり、運動などにも用いられるため見た目以上に細かなフィッティングが重視され、購入を決める前に「試着」するのが当たり前だった。つまり「届いてみるまで分からない」という不安感から心的ハードルが大きい、ネット商材に向かないとされる分野だった。

かたやネット小売販売の利点として、店舗維持のコストがかからないこと、店頭販売に比べて人員が少なく済むこと、「あるものを売る」ことで大量の在庫を抱えておくリスクが減らせることが挙げられる。創業当初のShoesite.comもそうした業務形態で好発進を切ったが、中長期的にはいずれ新規参入や大手小売りとの競合が本格化して淘汰されてしまう危険もあった。

経営に参画したシェイは、顧客の購買経験をこれまでのネットショッピングにはない「街中でのショッピング同様に気楽なもの」にしたいとのアイデアから、あえて従来の簡便化したネット販売の業態との決別を図り、カスタマーサービスの充実に精力を注いだ。

「送料・返品無料」「基本翌日配送・4営業日内到着」「365日以内であれば何回でも返品できる」「電話・チャットで24時間対応のコンタクトセンター」など今日では定着したカスタマーサービスだが、それを20年前に時勢と逆行するかたちで先取り、競合他社の半歩先を進んだ。

 

ネット販売では、希望の商品か、他店より価格が安いか、によって購買層が自由に移動を繰り返す。それは店頭販売よりも客離れと過当競争を引き起こすネックでもあった。シェイのブランディング戦略は、差をつけがたい品質や利益の先細りにつながりかねない価格競争ではなく、Zapposでしか得られない付加価値を提供することだった。そもそも対面式販売のロスとみなされていた「接客」により顧客体験の充実を目指した。

ザッポスの中枢とされるCLT(カスタマー・ロイヤル・チーム)の社員たちは、一人一人に権限が委譲されており、マニュアルは存在せず、顧客の喜びの為なら個々の判断で最適のサービスを提供する権限が許されている。

管理職に決定権をもたせる従来のスタイルとは違い、各チームが目標を設定し判断と決定を委ねる「ホラクラシー」と呼ばれる組織運営のスタイルを採っている。導入の際には2割程度の従業員を失ったが、シェイには従業員の自己組織化こそ企業の力だとする信念があった。

CLTと顧客との関係について、信じがたい逸話がいくつも生まれている。

有名なところでは、突然母親を亡くしてしまった女性が母へのプレゼント用に購入していた靴を返品しなくてはならなくなったときのエピソードが知られる。規約では顧客が集配所まで商品を持ち込んで返品を求める必要があったが、対応した社員は彼女の事情に配慮して、家まで集荷業者を手配し、メッセージを添えたお悔やみの花束を届けた。女性はそのときの感動をブログに公開してZapposでの購入を推薦すると大きな話題となり、他のネット小売にはない人的交流やそうした対応を認める背景となった企業ポリシーがひときわ注目された。

別の話では、ある顧客がザッポス本社のあるラスベガスに旅行に訪れた。顧客は以前ザッポスで購入した靴がお気に入りだったが家に置いてきてしまったので新たに購入したいと求めたが、あいにく在庫がなく、今から発注しても旅行期間中に配達することは難しかった。社員は顧客を失望させないために方々の靴屋に連絡を取って同じ商品を探し当て、滞在先のホテルまで届け、その希望を叶えたという。

 

無論、自由放任なサービスなどではなく、他にこういった対処もあるといったコーチングや、モニタリングを通じて顧客を喜ばせる機会を損失していないかといった社内評価も行われている。他のカスタマーセンターと同様に問い合わせ件数や顧客の平均待機時間、売上げなども数値が指標化されてはいるが、「時短」や「効率化」はあくまで「ものさし」のひとつであり、それらの数字が「人事評価」にはつながらない仕組みとなっている。

短時間にどれだけ多くの電話に応対するかではなく、顧客の幸せのために何ができるかを念頭に置くことで、社員たちの仕事に大きなやりがいをもたらしている。だがいわゆる「やりがい搾取」のような事態はなく、デスクは与えられるが好きにデコレーションが許され、オフィスはペットの同伴も可能、本社に設置されたアクアリウムには昼寝推奨のソファが設置されている。

医療費は100%会社側が負担されるなど他の優良企業を見てもほとんど実践できていない手厚い福利厚生が受けられる。遊び心も忘れていない。DOLLERSをモジった「ZALLARS」という社内通貨が月50ドル分付与され、良い行動をした社員に対し、従業員同士でボーナスを送り合うのだという。

またトニーの思い描く法人は社会と地続きであり、奉仕活動にも積極的に貢献することをよしとしている。社員が定期的に小児がん病棟を訪れて読み聞かせを行うといった草の根的なものから地域の音楽イベントを開催するなど多岐にわたる。またトニー自ら私財を投じて小規模事業者や起業家たちに資金援助を行い、本社を置くラスベガスのダウンタウン活性化を推進している。ひとからひとへの幸福のお裾分けは、企業から街へと広がりを見せた。

 

Zapposでは、企業理念を社訓のような単なる「言葉」とせず、理想を叶えるための行動基準として「10のコアバリュー」という指標を社員全員が共有している。その中には「サービスを通じて、WOWを届けよう」というものがある。高級ホテルやデパート、ディズニーのような著名ブランドでもない、非対面式の小売サービス業において顧客の期待を越えるサービス、感動体験を目標とし、実現させているというのは驚くべきことである。

Zappos の 10 のコアバリューは単なる言葉ではありません。それらは生き方なのです。

1.サービスを通じて驚きを届ける

2.変化を受け入れて推進する

3.楽しさとちょっとした奇妙さを生み出す

4.冒険心、創造力、そしてオープンマインドであれ

5.成長と学習を追求する

6.コミュニケーションを通じてオープンで誠実な関係を築く

7.前向きなチームと家族の精神を築く

8.より少ない労力でより多くのことを実現

9.情熱と決意を持ちなさい

10.謙虚であれ

社内公募から選出され、2006年に掲げられたこのコア・バリューをもとに、社員全員が「トニーならどうするか」を考え、その生き方を体現している。社員と顧客、ベンダー(配給元、製造者)や株主のために幸せを想像し、それを届けることを目的とする経営ポリシーは、口コミ効果による新規顧客の開拓につながり(初回客の43%が「友人や知人の勧め」から)、オンライン小売では4~5割程度とされるリピート率でも75%という高い数字に還元された。

この高いリピート率は広告など必要な営業経費の削減にもつながり、目先のコストに囚われないサービスの提供は全体の結果として「経済合理性に見合う」と推測されている。

 

ザッポスにオフィス見学に訪れた者は社員たちが皆笑顔で快活に働く様子に気づかされ、その理由をシェイに尋ねる。

「簡単だよ、笑顔の人しか採用しないからだ」

その採用合格率は1%の狭き門となっている。さらに企業文化の共有と向上へのこだわりから、4週間の新人研修では「自分にはフィットしない」と感じた希望者に気兼ねなく内定辞退することを勧めており、辞退者にも2000ドルが支払われる。実際の辞退者は1~2%というが、それでもチームワークや企業風土の醸成といった面で費用対効果はあると考えられている。

そうした努力により、ザッポス・ファミリーのサービスに魅了されるファンを生み出すことでそれまでのネット小売り業界に不足していた信頼関係とブランドの構築に成功した。システム化による簡便性で多くの支持を集めたアマゾンとは真逆の哲学、アプローチとも言えよう。

www.zappos.com

一方で、ファミリーであることを重視するためしばしば行われる「会議のためのミーティング」に創業者のスウィンマーン氏は辟易し、2006年にザッポスと別れを告げている。

 

買収

2007年1月、「EC界の巨人」としての地位を築きつつあったアマゾンは、サイト内の既存のマーケットプレイスとは独立したかたちで、靴とアクセサリーに特化した「Endless.com」を開設する。この動きは林立する競争相手の芽、とりわけ靴のネット通販を牽引するZappos打倒を念頭にした試みと捉えられている。

それにもかかわらず2008年、ザッポスは総売上10億ドルを達成し、アマゾンの切り崩し攻勢に打ち勝ったことでEC業界にその名を轟かせた。

2009年7月、ザッポスはアマゾンによる買収を発表。アマゾンの業態に吸収合併されるかたちではなく、トニーら経営陣も従業員もそのまま独立体制を維持しながら9億4000万ドル(アマゾン株1000万株と現金4000万ドル)と引き換えに完全子会社化することとなった。ザッポス側から見れば、いわば株主と取締役会がアマゾンに切り替わるかたちであり、長期的に現事業を継続していきたいザッポスにとっても経営が安定するメリットは大きかった。

2013年9月、ザッポスは本社をラスベガスのダウンタウンにある旧市庁舎に移転。街づくりと再活性化を視野に入れたトニーの構想はオスカー・グッドマン市長にも称賛され、「ラスベガスの中核に創造的な人材と仕事を大量に呼び込むことになるだろう」と歓迎を受けた。社員が、その家族が暮らす街に活気を取り戻し、住みやすい街にしていくことはトニーの哲学「Delivering Happiness」を反映するものである。

 

ネバダ砂漠で催される「バーニングマン」にインスピレーションを受けたシェイは、ダウンタウンのエアストリームパークに30台のトレーラーハウスを並べ、そこで愛するアルパカや住人達と半共同生活を送った。

バーニングマンは巨大なアートフェスティバルであると同時に、それ自体が「コミュニティ、芸術、自己表現と自立を重んじる架空都市」という設定で行われる1週間にも及ぶインスタレーションアートでもある。

 

www.nikkei.com

エアストリームパークでは連夜、キャンプファイヤーを囲んでミュージシャンが音楽を奏でたり、屋外スクリーンで映画鑑賞を楽しめたりといったいわゆる「グランピング」に近い環境だが、プライベート空間はトレーラーだけの半定住型コミュニティである。住人達は自分が他の人びとのために何ができるか(演奏や調理、作物や動物の世話かもしれない)を持ち寄り、提供し合う。偶然の出会いによって人々の結びつきを促進させ、よりたくさんの幸せを経験できるというシェイのアイデアを具体化した計画でもあった。

それはかつてのヒッピー・コミューンにも近い理想郷であるかに思われた。

 

カリスマの死

2020年8月、トニー・シェイはザッポスCEOを辞任し、10年来の盟友であったケダール・デシュパンデ氏が後任となった。

リスクテイカーにして型破りな革新者、起業投資家、慈善家として成功を収めたシェイだったが、数年にわたってメンタルヘルスに不調をきたしており、睡眠障害や孤独による発作に苦しめられていた。近親者によれば、彼は元々大酒飲みだっただけでなく、薬物濫用とリハビリを繰り返していたとされる。

亜酸化窒素いわゆる「笑気ガス」を耽溺したとされ、彼は「絶食して生きることができるようになった」と言って100ポンド(45キロ)を下回るまで断食するといった極端な挑戦を繰り返したり、「時間を止める方法を発見した」りした。2020年7月にはリハビリ施設への入居を拒絶し、家族や親しい仲間たちとも距離を置いた。

シェイと親交のあった歌手のジュエル氏は、「率直に言ってあなたの体調やメンタルは正気の状態とは思えない、薬物濫用の影響によるものだ」と苦言を呈し、「あなたのとりまきは、無知か、あなたの自殺を手伝っているに等しい」と手紙で忠告を与えていたが、改善の兆しはなかった。

親会社のアマゾンからしても優れたビジネスリーダーとして影響力を持つシェイを斥けるのは損失にも思われたが、彼の健康リスクとを天秤にかけた取締役会の判断と見られている。

21年に渡ってザッポスを牽引したリーダーとの別れは、外向きの正式発表もなく行われた。外部からはこの人事には多くの疑念が抱かれたが、後を託されたデシュバンデ氏は「ザッポスの文化は一人や二人だけのものではありません」と答え、懸念を取り除こうとした。しかし彼はシェイの後釜にはフィットしきれなかったらしく、翌21年12月に辞任が発表されている(のちグルーポンCEOに就任)。

 

トニーはCEO辞任後、ユタ州パークシティに10件もの住居や空き地を買い漁っており、一部には新事業を打ち出すのかとの憶測を呼んだが、「新たな挑戦」が日の目を見ることはなかった。関係者が指摘する通り、明晰だった判断力が鈍った状態で、取り巻きによって小遣い稼ぎに利用されていたのかもしれない。

Wonder Boy: Tony Hsieh, Zappos, and the Myth of Happiness in Silicon Valley (English Edition)

2021年11月18日未明、コネチカット州ニューロンドンの住宅火災によりトニー・シェイは負傷し、病院で治療を受けたものの27日、息を引き取った。46歳11か月の早すぎる死であった。

元ザッポス幹部のレイチェル・ブラウン氏の邸宅に滞在しており、翌朝にはブラウン氏ら8人でハワイ・マウイ島に旅行する予定だったという。だが前夜にシェイはブラウン氏と口論になり、出発までの間、母屋から出ていくように命じられた。シェイ氏は併設された物置小屋で夜を明かし、その間、内カギをロックしていた。午前3時20分に彼の弟アンディ氏が空港に行くリムジンが到着したことを伝えると、中から「あと5分だ」と返事があった。

しかしその1分後、火災報知器が鳴り響き、小屋に火の手が上がった。すぐに駆け付けた消防隊により、3時38分、小屋からシェイを救出。ローレンス記念病院に搬送して応急処置が為され、火傷と煙による怪我の高度治療のためにヘリでブリッジポート病院に運ばれ、延命治療が続けられたが回復力は残されていなかった。

消防による原因調査は2か月以上にわたって続いたが、事故による火災と結論された。シェイがいた小屋の中には燻ぶった状態のたばこ、マリファナのパイプ、フェルネット(苦みの強い薬用酒)、着火用ガスバーナーとキャニスター瓶に入った亜酸化窒素が見つかっている。捜査官が強調したのは、小屋の内部に使用されたろうそくが大量にあったこと、また夜中に部屋の毛布に火を点けた痕跡であった。

死因は煙の吸引による火事の怪我ではあったが、状況的に見ればかぎりなく自殺に近い、悲しい事故だった。

 

シリコンバレーにおけるドラッグの蔓延は長年にわたって取り沙汰されており、幻覚作用や心身弛緩による「娯楽」目的だけでなく、処方される抗うつ剤が効かないため代替品を求めて様々な薬物に手を染めるケースが多いとされる。

イーロン・マスク氏はうつ病の過剰診断と抗うつ剤の広範な使用を批判しており、「ケタミンを時々摂取する方が良い選択肢だ」とTwitter上で発言している。一部の報告ではケタミングルタミン酸と呼ばれる脳神経伝達物質を増加させ、重病患者の慢性的不安感やうつ病を軽減するとされている。

2015年、シカゴ大学ピーター・ナゲール氏らによる研究では、亜酸化窒素ガスの吸入により抑うつ症状が急速に改善されたことを報告している。

日々過度のストレス負荷を抱えるビジネスパーソンたちは、薬物によって疲労抑うつを「排除できる」「コントロールできる」という夢のような話を無条件に受け入れる。だが薬物の不適切な摂取によって「気分」が良くなるだけではなく、脳神経そのものや思考パターンを歪める可塑性についてはあまり鑑みられない。薬物中毒や依存症と呼ばれるものはそうしたダメージの顕れのひとつにすぎない。

世界的注目を集めるプレッシャーの中で新たな発想を求められ続けたトニー・シェイもまた文字通り身を削ることで、思考力や判断力を自ら損ねる過ちを犯し、命を落とす結果となった。カリスマの孤独と絶望はいかにして救われるべきだったのか、その答えは私には分からない。皮肉にもシリコンバレーやセレブリティたちの倫理観が最後の砦にはなりがたいことが証明されてしまった。

 

故人のご冥福をお祈りいたします。

 

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参考

「笑気ガス」がうつ病治療に役立つ可能性があるとの研究結果 - GIGAZINE

New Details Emerge Of Days Leading Up To Tony Hsieh’s Death

Ex–Zappos CEO Tony Hsieh Is Buying Houses En Masse in Utah

Living small: At Downtown’s Airstream park, home is where the experiment is - Las Vegas Weekly

トニー・シェイとの思い出:第1回トニー・シェイとの出会いー経営戦略の柱は戦略的企業文化の構築 - 一般社団法人コア・バリュー経営協会