いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

愛知県豊明母子4人殺人放火事件

2004年9月、愛知県豊明市で母子4人が殺害され、住宅ごと放火された豊明母子4人殺人放火事件について風化阻止の目的で記す。

2010年4月の刑法改正により殺人罪などの時効が撤廃されたため、公訴時効は免れたものの、捜査は解決の糸口を見出せぬまま現在も未解決のままである。

www.pref.aichi.jp

犯行をほのめかす人物を知っているなど、情報や心当たりがある方は愛知県警までご連絡ください。 

愛知警察署特別捜査本部 電話番号:(0561)39-0110(代)

 

 

概要

2004(平成16)年9月9日4時25分頃、愛知県豊明市沓掛町石畑で民家の火災が発生していると近隣住民から119番に通報が入った。出火元は加藤博人さん方の鉄骨二階建て住居で、建物の構造こそかたちを留めたものの内部は全焼。焼け跡から住人の加藤利代さん(38)と3人のこどもたち(長男15・長女13・次男9)の4人の遺体が発見された。博人さん(当時45)は仕事で不在だった。

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次男の遺体は寝室ではなく居間にあった。23時半までサッカー日本代表の試合が放送されていたため、居間でTV観戦しながら寝入ってしまったとみられている。残る3人は2階寝室で発見された。各部屋から灯油の成分が大量に検出され、マッチや灯油を浸した新聞紙、蚊取り線香による「時限発火装置」のような痕跡もあり、殺害から発火までのアリバイ工作をしたと見られている。屋内にファンヒーター類もあったが、中の灯油が抜き取られた形跡はなく犯人が持ち込んだものと見られた。

4人の遺体に防御創など抵抗した痕跡はなく、就寝中に襲われたと考えられた。母親と長女は刃渡り約20センチの刃物で顔や背中など十数か所を刺されたことによる出血性・外傷性ショック死で、利代さんの背中には肺にせまるほどの深い傷もあった。長男と次男はバールなどの金属製鈍器による一撃で頭部を損傷したことによる急性くも膜下出血脳挫傷が死因とされた。男児には繰り返し殴打した形跡や刃物による傷はなかった。肺に吸い込んだ煤の状況から、息絶える前に火が放たれた可能性があるとされる。

4人の遺体の損傷状態、凶行後の遺体に布団を掛けられた現場状況等から、愛知県警は殺人放火事件と断定して特別捜査本部を設置。被害者宅から見つかった財布に現金は入っておらず、犯人に抜き取られたものかは不明。貴金属類や預金通帳などは手付かずのままだった。県警は当初から家族の殺害と証拠隠滅のために火災を計画していたとの見方を強め、捜査を進めた。

 

立地など

現場となった加藤さん一家の自宅は、名古屋市中心部から南東およそ25キロ、豊明市役所から約3キロ北東に位置する。すぐ近くに大府市瀬戸市をつなぐ県道57号が南北に通っている。自宅建物は事件から2年後の2008年9月に解体され、現在は更地となっている。

 

 

周辺は、農村地域ではあるが純農村という訳でもない、家々は「孤立」も「密集」もしていない閑静な住宅地。周囲に店舗は少なく、街灯や防犯カメラもほとんどない。外飼いの柴犬ジャッキーは普段はよく吠える番犬だったが、犯行当夜に鳴き声は聞かれていなかった。首輪は外されており、利代さんの車の下で身を潜めて難を逃れていた。

玄関、勝手口は施錠されており、窓は(一部変形などにより確認できないものを除き)鍵が掛けられていた。唯一、2階長男の部屋の窓は開放されて網戸状態だったため出入り自体は可能だが、2階に上がるためにハシゴなどが用いられた形跡はなく、侵入経路は明らかにされていない。

8日23時頃までに、博人さんから利代さんへ「帰りが遅くなる」「鍵を置いておいて」とメールと電話で伝えていた。博人さんは自宅の鍵を持ち歩く習慣がなく、帰宅が遅くなる際は利代さんに連絡して「勝手口の鍵」を車庫物置に置いておいてもらうことになっていた。「置き鍵」は同場所で発見されたが、それを犯人が使用したかは不明である。

 

夫への疑惑

博人さんは損益計画書の締め切りが10日に迫っており、9日の次男の誕生日を家で祝うため、事件の晩にはじめて日を跨いで残業していた。4時5分頃、近所に住む博人さんの兄が火災に気づき、博人さんの会社に電話を掛けて知らせている。無論、自宅に掛けて繋がらなかったためと推測できる。報せを受けて自宅に戻った博人さんは自力で立っていることもままならずお兄さんに支えてもらっていた、と近隣住民が語っている。

しかし事件から半年後の2005年3月11日、機械器具製造販売会社に勤務していた博人さんが不正転売目的に現金520万円を騙し取ったとして、詐欺容疑で逮捕。取引業者から水増し発注して余分にパソコンを購入させ、古物商に横流しして現金を得ていた。

また5月6日には、名古屋市内の取引先の社長と共謀して水増し請求を行い、勤務先の会社から約束手形を騙し取ったとして再逮捕。2001~04年まで3回に渡って額面計約5560万円相当を振り出させて、取引先からキックバックを受けていた。

それら騙し取った金の使途は、消費者金融への借金返済のためであった。博人さんは一家5人で生活するに足るだけの収入はあったものの、数年前から名古屋市の高級クラブに頻繁に通うようになった。そうした遊興費、交際相手との同棲資金、生活費が必要となり、借金を重ねるようになったと言い、事件の数年前から夫婦間にも離婚問題が生じていたとされる。

8月31日、名古屋地裁の判決審では懲役3年執行猶予4年を言い渡された。公判後、博人さんは愛知県弁護士会館で記者会見に臨み、殺人放火事件への関与を全面的に否定した上で、「犯人として厳しい取調べを受けた。嫌だと言っても拒むことができず、警察のやり方に納得ができない」と別件逮捕であった趣旨を発言。また「一部マスコミに、あたかも関与しているような報道をされた」とメディアへの強い不信感を示した。

その後も博人さんは現場近くに住んでいるがメディア取材には応じず、事件の5年後から毎年自宅跡地で行われている献花式には参加していない。その後の取材や遺族会への参加、ビラ配りなどの捜索活動は名古屋市に住む利代さんの姉が先陣に立って行っている。

 

状況からして、ひとり生き残った夫に対して不信感を抱くのは感情的には理解できる。不倫交際という家族に対する裏切りはモラルに欠ける行為であり、仕事上の立場を利用して詐欺犯罪に手を染めるなど法規範からも逸脱していたと見なさざるを得ない。別件逮捕が明るみに出ていなかったとしても、身内による保険金殺人などが真っ先に思い当たるケースである。

兄からの電話を会社で受けた段階で、博人さん自身にはアリバイが成立する。しかし明らかにされている情報だけをつなぎ合わせていくと、「残業を口実に深夜にアリバイを講じて…」「依頼した人物に鍵の所在を伝え…」といった状況が想像できてしまう。

徹底追及のために任意聴取ではなく時間をかけて追及したい、という事件解決への熱意が県警を別件での逮捕に走らせた。しかし別件逮捕による追及は人権侵害にほかならない。仮に供述などから逮捕に結びついたとしても、その後の裁判において「違法証拠」として証拠能力が否認され、冤罪に陥る危険性もある。火災によって現場の残留物の検証機会が失われたことによる焦りもあったとは思われるが、それでも逮捕までには犯行に結び付く直接的な証拠が不可欠である。

事件当初からおそらく最重要人物としてマークされてきたこと、また「厳しい取調べ」に転ばなかったばかりか、警察やメディアの対応に強い憤りを表明し、その後も態度を崩していないことからも、本稿では「夫ではない真犯人がいる」との見方で検討していきたい。

警察としても当たりを付けて情報を小出しにしていたことから、報道を通しての心象は「夫への疑惑」に傾いてしまうことにも留意しておきたい。「事件に直接結びつく証拠は得られなかった」ことこそが、現在までの警察の捜査から得られた事実にほかならない。

 

不審情報

事件との直接的な関連は定かではないものの、前年から気になる出来事があったとされている。

2003年7月下旬の夜、利代さんが子どもたちを家に置いたまま地域の防犯パトロールに出掛けた。すると20時半頃に留守番中の次男から母親の携帯電話に「誰かがドアをガチャガチャしてる」と連絡が入った。利代さんは「絶対に開けちゃダメ」と命じてそのままパトロールを終えて帰宅。そのときは被害はなかったものの、その後も自宅の様子を窺う不審者の存在を周囲に漏らしていた。

「甘えん坊」な性格だったという8歳の次男だが、母親に早く戻ってきてほしいからとわざわざそんな手の込んだ嘘を言うとは考えにくい。「ガチャガチャ」が鍵を持たず家に入れなかった博人さんによるものではなかったとすれば、犯罪性が疑われる出来事である。比較的大きい道路57号(瀬戸大府東海線)にアクセスしやすい立地は窃盗・強盗犯などに以前から目を付けられていたとしても不思議はない。

 

また事件直後の9日4時40分頃、地元消防団が加藤さん方から約100メートル西の三差路にポンプ車を止めていたところ、南方から見慣れないワゴン車が近づいてきたのを団員や近隣住民らが目撃していた。ワゴン車はポンプ車の手前で方向を変え、南西方向へ遠ざかった。

車は尾張小牧ナンバーで、緑っぽい色(トヨタハイエースのスーパーGLとされる)。運転手は30~40代の男性で、「近所の人ではなかった」という。豊明市は「名古屋ナンバー」管区であり、県警も最低限の車両の照合は行ったと思われ、ワゴン車の持ち主は近隣住民ではなかったと見てよいかと思う。

余程近所であれば心配で野次馬に集まってくることもあろうし、県道57号を通ってくれば闇夜に火柱や煙が目に付いたかも分からない。だが4時40分に消火活動が行われている最中、車でわざわざ現場の目の前まで近づいてくる行動は不審に思われても仕方がない。「犯人は現場に戻る」といった通説もあるが消火の様子が気に掛かって戻ってきたというより、付近に車を停めて家屋が炎上する様子を窺っていたのではないかという気がしてならない。

 

他の事件との比較

他の事件と比較することで、動機や犯人像などに結び付くものはないか。

過去に取り上げた殺人放火事件では、1995年4月に発生した岡山県倉敷市の老夫婦殺人がある。2人の遺体には無数の刺し傷のほか、腹部には包丁と登山用ピッケルが刺さった状態、さらには首から頭部が切断されて持ち去られており、強烈な怨恨を窺わせる犯行であった。自宅は市街地からは外れており、山林に隣接する立地。金庫は手付かずだったが、所有する山林の境界問題、土地や金銭を巡って数十件のトラブルを抱えていたとされる。

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放火には灯油が使用されており、出処は不明。遺体のあった木造2階建ての母屋ほか敷地内4棟が全焼している。通常であれば処理に困る「頭部」を持ち去るという異様な犯行から、単純な強盗殺人などではないことは明白である。

 

殺人放火で有名な事件を挙げると、1996年9月、東京都葛飾区で起きた柴又女子大生殺人放火が想起される。16時ごろ、母親が出勤した直後、被害者が自宅に一人でいたところ、何者かが侵入したと見られている。遺体は2階の両親の寝室で布団を頭から被せられた状態で発見され、口と両手を粘着テープで、足をストッキングで縛って拘束されていた。小型ナイフのような刃物が凶器と見られ、死因は首の右側の6か所の刺し傷からの出血多量。手には抵抗してできた傷が数か所確認された。

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1階居間の引き出しに物色された跡が見られ、保管してあった旧紙幣の1万円札が紛失していた。火元は1階和室押入、パソコン付近と見られ、2階仏壇近くにあったマッチ箱が玄関に落ちており、家族のものとは異なる(犯人のものと思われる)血痕が付着していた。流しによる物盗りか顔見知りによる怨恨か、動機ははっきりしていないが、被害者は2日後に留学を控えていたことから偏執的ストーカー説も噂される。

 

2002年8月5日15時ごろ、千葉県松戸市常盤平駅から約1キロの閑静な住宅街でマブチモーター社長・馬渕隆一さん方に宅配業者を装った男性2人が押し入り、妻(66)、長女(40)を殺害し、現金数十万円と1千万円相当の貴金属類などを奪って2階建て家屋を半焼させて逃走。夫婦は恨みを買うような人物ではなく、社員からの信望もあり、周囲の人間関係にもトラブルはなかった。被害者の顔には粘着テープ、首にネクタイが巻かれ、殺害直後に周囲に混合ガソリンを撒いて点火したものと見られ、犯行に執拗さが感じられるた。その一方で、奪われたものの他にも多額の金品が残されていたことから、動機は「怨恨」「金品目当て」の両面から捜査が続けられた。

手掛かりが得られないまま3年が過ぎた05年9月、群馬県警で逮捕された連続窃盗犯小田島鉄男(のち畠山)、守田克実について、かつて2人が服役していた宮城刑務所にいた人物ら複数人がタレコミを行い、マブチモーター事件への関与が明らかとなる。2人は強盗殺人や窃盗でまとまった金が手に入ると、不正パスポートを使い、フィリピンへの渡航を繰り返して捜査を免れていた。小田島がそもそもの首謀と見られ、獄中で雑誌などから資産家・実業家について情報収集を行っており、守田や他の囚人に出所後に共犯するよう働きかけていた。また放火も証拠隠滅の目的で当初から準備していたものだった。

 

殺害後の放火について、倉敷老夫婦事件では、推定死亡時刻27日17時から21時頃でありながら火災の発生は28日未明となっており、犯人は数時間の間、首の切断や放火準備のために居座っていたことになる。長時間居座ってでも首の切断や放火が必要だったとすれば「逆らうとこうなるぞ」といった周囲への「見せしめ」のようにも捉えられる。

柴又女子大生事件での放火理由はやはり判然としないが、マッチ箱に付着した血痕から、切りつけの際に犯人も怪我を負ったと考えられている。もし室内に血痕を残していたならば、家ごと痕跡を焼却しようと火を放ったかもしれない。あるいは偏執的ストーカー説に乗じて考えるならば、強い怨恨や、遺体の焼却によって「彼女を永遠に自分だけのものにしたい」といった儀式的な願望が含まれていたとも考えられる。

豊明母子殺害のケースとの類似性で言えば、マブチモーター事件のように「証拠隠滅」を放火の動機と見るのが自然ではないか。とりわけ毛髪や血痕といったDNA型鑑定、微細な繊維片や下足痕といった残留物から犯人を絞り込む科学捜査は理性的な犯人からすれば脅威である。また住人が在宅・就寝時を狙っての侵入、さらに着火装置や灯油の持ち込みがあったことから、殺害と放火は折り込み済みの犯行だったと捉えられる。

 

混成強盗団

筆者の考えでは、本件の実行犯は複数人、更に当時の犯罪傾向と照らし合わせて考えるに、日本人と外国人の混成強盗団による犯行ではないかと見立てている。

混成強盗団とは、主に暴力団組織などが手引き・指揮役となり、情報収集、凶器などの調達、現地への送迎などを分業で行い、犯行の度に金に困っている外国人留学生・労働者らを集めて実行犯を任せる強盗の形態である。

今で言うところの「闇バイト」のようにその都度メンバーを招集するため、現場や被害者にゆかりがないため足がつきづらく、犯行の手口も一致しづらくなるため検挙につながりにくいとされる。日本人に比べ捜査が容易ではない外国人を集めることで、グループの実態を捉えづらくしたものである。都市部を拠点にしながら、犯行は地方へ出向いて行うことも多く、犯行に加わった外国人らは検挙される前に出国するヒットアンドアウェー式も大きな特徴である。

1990年代以降、日本へ訪れる外国人だけでなく不法在留者も大幅に増えていることや、天安門事件後の1990年代から2000年代はじめにかけて蛇頭をはじめとする密入国ブローカー、そして密入国者から金を吸い上げる密入国ビジネスが定着したことも混成強盗団活発化の背景とされる。

また1991年に成立した暴対法やその後、各自治体で進んだ暴力団排除条例の締め付けにより、暴力団のしのぎが制限され、組織の担い手不足や構成員の高齢化が一気に加速した。その影響もあって2000年代には「半グレ」などと呼ばれる準暴力団組織が幅を利かせることともなり、それまでとは異質な犯罪行為が助長される結果となった。いずれの構成員が加担したものかは定かではないが、元締めは実行役を離れ、「情報を売る」「手引きをする」という犯罪アウトソーシングが効率的だったことも拡大に一役買ったとみられている。

 

混成強盗団に関して広く知られることとなった事件のひとつに「板橋資産家殺人放火事件」がある。2009年5月、東京都板橋区弥生町で不動産賃貸業を営む瀬田英一さん(74)方で火災が発生。周辺に80件近くの土地・物件を所有、3代続く大地主の資産家として知られ、敷地には建物が6棟あった。その内、夫婦が住居として使用していた家屋が全焼し、英一さんと妻・千枝子さん(69)が頭部を鈍器で執拗に殴られ、刃物で胸部・腹部を刺されて死亡しているのが発見された。現場には物色された痕跡があり、現金2千数百万円分の札束が残されていた。

 

夫婦は周辺住民とあまり接点がなく、連日パチンコ店に通い、英一さんは夜毎スーツを身にまとって池袋界隈のネオン街で豪遊する暮らしだった。英一さんは「金融機関は信用できない」が口癖で、ホステス相手に自宅に多額の現金があることを匂わせる発言もしていたという。敷地内の出入口4か所は常に施錠されており、敷地内の赤外線センサーは異常があれば室内に警報で知らせる仕組みになっていたため、当初は家に上がることのできた顔見知りによる単独犯との見方が強かった。

しかし大阪、愛知で別事件の逮捕者からこの事件の「犯行に誘われた」とする供述が挙がった。さらに09年9月に別事件で静岡県警に逮捕された暴力団員が上申書を提出し、日中混成強盗団による犯行であるとしてメンバー十数人を告発。ライター李策氏の記事によれば、メンバーの一部は別の窃盗や強盗事件で逮捕されたが、現場の火災により物証が得られずいずれも立件に至らなかったとしている。2021年現在も未解決のままである。

 

また1995年7月に東京都八王子市で起きたスーパーナンペイ事件でも、犯行の大胆さなどから外国人犯行説が根強い。閉店作業を終えたパート女性、アルバイト高校生2人の合わせて3人が、スーパー店舗2階の事務所内で射殺されているのを、迎えに来た知人男性らが発見した。高校生2人は粘着テープで口を塞がれ、手をつなぎ合わせるように拘束され、それぞれ至近距離から頭部を撃ち抜かれていた。パート女性は拘束されていなかったが銃把で殴られたような跡があり、頭部を2発撃たれていた(うち一発は未貫通)。傍にあった金庫の隅には弾痕が付いていたが、こじ開けられた様子はなく中にあった売上金約526万円は残っていた。

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犯行時間は2~3分の間と見られ、立て続けに女性3名を射殺していたことから、銃の扱いに長けた冷酷な犯人像が想定され、外国人犯罪も疑われた。事件は長期化したが、2009年になって思わぬ動きがあった。中国で覚せい剤密輸によって日本人男性4人が死刑判決を受けており、60代死刑囚から「(死刑囚の一人が)八王子の事件について事情を知っているかもしれない」と公安当局に供述していたことが判明。捜査員を派遣し、かつて日本で日中混成強盗団のリーダー格をしていた40代死刑囚に聴取を行うと、「(自分は知らないが)強盗団で関係した福建省出身の男性Kが実行犯を知っているかもしれない」と話した。

2013年になってようやくKを移住先のカナダから日本へ移送することができたが、八王子事件について「犯人を知っていたら死刑になってもいい」と関連を否定。カナダに強制送還された。しかし2020年7月の報道で、暴力団関係者の男性が強盗団のリーダー格だった04年頃、Kから預かっていた中国人男性が「八王子でデカいヤマをやってしまった。未解決の強盗殺人だ」と話していた、とも伝えている。しかしこの中国人男性のその後の行方は判明せず、事件は今も未解決である。

 

上の両事件の犯人が混成強盗団と確定している訳ではないが、はじめから「殺害は織り込み済み」とでもいうべき犯行態度が窺える点は豊明母子事件とも共通する。下の図表は平成19年警察白書から来日外国人刑法犯の検挙数をおおよその発生地域別に分けたものである。左図の桃色が中部地方、事件が起きたのは2004(平成16)年であるから外国人犯罪が急増していた時期であり、2005(平成17)年には関東地方(左図の青紫色)に肉薄する検挙数であった。

検挙数がそのまま事件数となる訳ではないが、中部地方でも外国人犯罪が活発化していた時期と言ってよい。

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平成19(2007)年警察白書より

来日外国人犯罪を罪種別にみると、窃盗犯全体では2002年が20604件、03年が22830件、04年が27521件、05年が28525件と高い伸び率を示していた時期である。

当時は中国からの来日者数が最も多く、外国人総検挙件数で3割強を、「侵入盗」に限ってみれば6割以上を中国人が占めていた。一方で、自動車盗についてはブラジル人が53%を占めるなど、国やネットワークのちがいから犯罪傾向を読み取ることもできるかもしれない。例えば日本人の侵入窃盗や強盗犯は、外国人犯罪に比べて単独で行われるケースが多いといった特徴がある。

 

以下に2004(平成16)年警察庁資料に記載された外国人窃盗・強盗事件を抜き出してみよう。

「2月13日中国人による強盗殺人等事件検挙(警視庁)」

「2月20日ロシア人グループによる連続自動車盗事件検挙(山形)」

「3月12日中国人による空き巣当事件検挙(愛知)」

「4月26日中国人グループによるエステ店等を対象とした緊縛強盗事件解決(警視庁、埼玉、神奈川、愛知、三重)」

「6月11日コロンビア人グループによる広域空き巣事件検挙(岩手)」

「7月15日 トルコ人によるドリル等を使用した広域にわたる自動販売機ねらい事件解決(富山、石川、福井)」

「7月28日暴力団組員と中国人グループによる資産家宅を対象とした広域連続緊縛強盗事件解決(警視庁、静岡、福井、愛知、滋賀、和歌山、福岡、大分)」

「9月1日中国人グループによるピッキングサムターン回しにより侵入する広域空き巣事件解決(京都、大阪、和歌山、兵庫、滋賀、奈良、三重、警視庁) 」

「9月8日ブラジル人グループによる広域にわたる特定郵便局対象の持凶器強盗事件検挙(福島、茨城、栃木、群馬、長野)」

「9月11日コロンビア人等グループによる空き巣事件検挙(警視庁)」

「9月13日ブラジル人グループによるコンビニエンスストア対象の連続持凶器強盗事件検挙(静岡、愛知)」

「9月17日台湾人犯罪組織による高級大型オートバイ盗・不正輸出事件(茨城)、台湾警察による逃亡被疑者の検挙」

「9月17日長野・愛知県にまたがる広域連続持凶器強盗殺人事件検挙(長野、愛知)」

「10月17日台湾人窃盗グループによる高級大型オートバイ盗事件検挙(警視庁)」

「10月27日ペルー人を首魁とする南米系外国人等による広域空き巣事件解決(神奈川)」

「10月29日中国人グループによる屋内緊縛強盗事件検挙(埼玉、千葉、神奈川) 」

「11月5日中国人らによる強盗・窃盗等事件解決(大阪、兵庫、奈良)」

「11月26日韓国人による組織的暴力すり事件検挙(警視庁) 」

「12月2日ブラジル人グループによる事務所荒し事件検挙(滋賀)」

「12月4日中国人によるけん銃及び刃物使用による屋内緊縛強盗事件検挙(警視庁) 」

 

そのほか密入国や不法滞在ビジネスなどに関連した事件は以下。

「5月12日旭川空港における中国人7人による集団密航事件検挙(北海道)」

「5月30日中国人による外国人登録証明書等偽造工場を摘発(愛知)」

「7月29日中国人による外国人登録証明書等偽造工場を摘発(愛知)」

「8月4日在日蛇頭による日本語学校不正経営並びに中国人大量不正入国事件解決(埼玉)」

「11月9日元暴力団員、中国人らグループによるクレジットカード不正作出・供用・詐欺事件検挙(岩手、警視庁、静岡、石川、兵庫、福岡)」

 

1年間に摘発・検挙された主だった来日外国人組織犯罪だけでもこれだけ全国各地で多数発生していることにまず驚かされる。しかもそれぞれのグループが1件や2件で捕まえられたわけでもない。数十件と繰り返し行われ、何百人と被害者が居り、被害額は数千万~何億円にも上るだろう。

混成強盗団は90年代半ばには各地で暗躍していたとみられ、警察でもプロファイリングの難しさや越境犯罪による情報共有の障害があって捜査対応が難しい側面もあったと考えられる。ヒットアンドアウェーが成功して未解決となっている事案や逃げおおせている犯人もいた一方で、中には計画段階での見込みが外れて大金が得られなかったケースも含まれていることだろう。

 

東へ西へ

豊明に話を戻そう。博人さんの年収は当時1千万円以上とされ、子どもたちの教育費のために利代さんは事務仕事などで働くこともあった。周辺は高級住宅街という訳でもなく、家屋を外から見ただけでは狙われるほど豪奢な暮らしぶりとは見受けられず、「なぜこの家が狙われたのか」は一見わかりづらい。

だが博人さんは高級クラブ通いにのめり込み、愛人を囲い込みといった生活を何年も続けたことで、多額の借金を重ねてそれでも夜の街から抜け出すことも家庭を顧みることもできなかった。夜の街での目立った振る舞い、金回りのよさはすぐに噂となり、ホステスやスタッフから裏社会の面々へと共有されていく。混成強盗団の情報屋や調査役へと漏れ伝わり、目を付けられることになったのではないか。

 

単独犯が凶器と大量の灯油を抱えて侵入してくるとは到底考えにくく、バールと刃物、2種類の凶器を途中で入れ替えるというのも不可解である。刃物を持った男、バールを握る男、灯油を抱えた男、金品を探す男、送迎兼見張り役といった犯行グループ像が思い浮かぶ。侵入経路は不明だが、入念な下見があったとすれば「置き鍵」を知っていた可能性もなくはない。

4時40分、消火活動中に自宅近くまで接近してきた尾張小牧ナンバーのワゴン車。「中に犯人が乗っていた」とすれば相当に悠長な話だが、遂行を見守って上役に報告などを行う「見張り役」のようにも思える。計画的犯行であれば盗品か偽造の「見せナンバー」であろう。

彼らが本件でどれだけ利益を得たかは分からないが、家から奪えた金品は期待されたほど多くはなかったかもしれない。

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実行犯たちは次の現場、また次の現場へと凶行を繰り返し、何年かのうちに入れ替わるように本国へ帰って行く。指揮役も愛知の人間なのか、はたまた情報を仕入れて指南しただけの余所者なのか。すでに別件で捕まっているが、本件では「犯人に直結する物証がない」ため追及を免れている可能性もある。

それとも今もどこかの繁華街で夜な夜な金になりそうな獲物の情報を漁る日々を送っているかも分からない。

 

 

亡くなられた4人のご冥福とご遺族の心の安寧をお祈りいたします。