いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

埼玉朝霞少女誘拐監禁事件について

2014年に埼玉県朝霞市で発生した女子中学生の誘拐および約2年に渡る長期監禁事件について、事件の風化阻止と防犯啓蒙の目的で記す。

 

尚、少女を狙った略取誘拐(連れ去り)・監禁事例について、過去エントリーでも取り扱っているので比較参照されたい。

sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com

 

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■概要

2014年3月10日17時ごろ、埼玉県朝霞市でパート勤務から帰宅した母親は、娘の不在と郵便受けに入れられていた“奇妙なメモ”に気付き、20時過ぎ、警察に届けを出した。 

■消えた中学生

行方が分からなくなったのは市内中学1年生のSさん(13)。

メモには「家も学校もちょっと休みたいです。しばらく友達の家です。さがさないでください」と署名入りで書かれており、一見すると、思春期の家出を思わせる内容だった。

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しかしSさんは過去に家出をしたことがなく、当日の朝もそれ以前も普段通りに過ごしており、家族は家出の原因として思い当たる節が全くなかった。

母親によれば、彼女は普段遊びに行くときは「だれと・どこへ」出掛け、「何時までに帰るのか」を必ず伝える習慣があったという。

学校では合唱コンクールの実行委員を務め、習い事のバレエなどにも熱心に取り組む真面目な生徒だった。その日も通常通り授業を受け、15時過ぎに下校していたことが確認された。

また財布や現金、携帯電話は自宅に置かれたままで、私服などを持ち出した形跡すらなかった。素直に考えれば、帰宅することなく下校中に失踪したものと考えられた。家の郵便受けにわざわざメモだけを残して身支度もせずに家出する、というのはどう考えても不可解だった。

 

 埼玉県警は警察犬を導入したが、家から200メートルのところで匂いは途切れた。

近隣から得られた情報では、15時45分頃、自宅付近で見知らぬ男性と会話している姿が目撃されており、道を尋ねているような雰囲気だったという。

事件や事故に巻き込まれた可能性なども視野に入れ「特異行方不明者」扱いで捜査は開始され、13日、Sさんの写真を公開して情報提供を呼び掛けた。

名前や特徴だけでは多くの情報は集まらない、しかし情報公開すれば発見された後の娘の生活に支障が出るかもしれない。また全国手配を知った犯人が動揺して殺害に及ぶかもしれない。Sさんの両親も悩み抜いての決断だった。

14日、学校周辺の河川敷を朝霞署や機動隊隊員ら30名で捜索。行方につながる手掛かりを探した。

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■手紙

3月19日、埼玉県の「上尾郵便局」の消印でSさんからの手紙が自宅に届く。同じ埼玉県内ではあるが、上尾市とSさんとのつながりに心当たりもない。捜索の呼びかけでも情報は何ひとつ出てこなかった。

「元気に過ごしている。迷惑かけてごめんなさい。半年ぐらいで帰ります」

本人の意思で失踪しているかのような文面だった。鑑定により本人の筆跡らしいことも確認された。

「チャットで知り合った高校生といる」と書かれていたことから、県警は自宅パソコンや携帯電話を解析したが、不審人物とのやりとりの形跡は見つからなかった。

 

その後、半年どころか1年経っても音沙汰はなく、警察の捜索活動も次第に規模が縮小されていった。両親は、警察にまで見捨てられたような心細さを感じたという。

しかし、周囲の捜索支援者、Sさんの同級生らとともに、2年間でおよそ30万枚ものビラを配布し情報提供を求め、テレビの公開捜査番組などへも出演して呼びかけを続けた。

番組に登場した専門家は、メモと手紙について「筆圧」や「フルネームで署名されていたこと」などから、だれかに強制的に書かされた可能性を示唆。番組では、周辺で不審な若い男性が徘徊していた情報なども伝えられた。

両親は、周囲から「親のせいで家出した」等のいわれなき中傷を受けることもあったという。娘が生きているか殺されているかも分からない不安や自責の念に終始苛まれた。それでもSさんはどこかで必ず生きていると信じ続けることを諦めなかった。

 
■間違い電話

2016年3月27日正午過ぎ、自宅の電話に出たSさんの母親はしばし言葉を失った。

「お母さん?」

はじめは間違い電話かと思ったが、声の主は、娘の名を名乗った。

Sさん本人からの電話だった。

声に元気はなかったが、Sさんは体調について「大丈夫」と言い、失踪前と変わらない調子で短いやりとりを交わした。

 Sさんが近くに駅員を見つけることができなかったため、母親は警察に通報して保護してもらうように指示した。

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その後、本人と母親からの通報を受けた警察は、東京都の東中野駅構内でSさんを無事保護。怪我などはなく、学生証を所持していたことからすぐにSさん本人と確認。

中野署から埼玉県・新座署に送り届けられ、家族は2年ぶりの再会を果たした。

 

Sさんは失踪時のことを「自宅付近から、面識のない男性に車で無理矢理連れ去られた」と説明。

脱出について「男は秋葉原に行くと言って外出した」「帰りが遅くなりそうだったので、隙を見て逃げ出した」「これまでは外から鍵を掛けられて逃げ出せなかった」と話し、2年間に渡って男性の家に監禁されていたことが明らかになった。

 
■発見当初の報道

15時45分頃、帰宅途中だったSさんは、自宅前で車から降りてきた見知らぬ男にフルネームで呼びかけられる。

「ご両親が離婚することになった。弁護士から話があるので来てほしい」と車に誘導された。同行を拒否すると腕を掴まれて後部座席に無理矢理乗せられた。その際に「さがさないでください」という内容のメモを書かされた。

アイマスクで目隠しされた状態で移送され、男が住む千葉市内のマンションに連れ込まれた。監禁同居を強いられ、そこでまた嘘の手紙を書かされた(Sさん自身は上尾市には出向いていない)。玄関やベランダは外側から施錠されており、共に外出する際も男に腕を掴まれていて逃げ出せなかったという。

 

その間、男からは「両親に捨てられた」と吹き込まれていたが、1年後にインターネットで両親が一生懸命チラシ配りをしている様子、自分を捜索してくれていることを知った。男の説明が嘘だと分かったことで、逃走意欲を回復してその機会を窺っていた。

食事は与えられており、「材料のほとんどは自分がインターネットで買っていた」「(男の分まで)食事を作らされることもあった」と説明した。

 

2016年2月末、男は中野区東中野3丁目のマンションへ転居。秋葉原に出掛けると言って玄関を出た際、普段掛けている外鍵のロック音が聞こえなかった。Sさんは以前に部屋で見つけて隠し持っていた500円硬貨と身分証となる生徒手帳を手にマンションから脱出し、駅で公衆電話を探した。

 

■血まみれの男

3月27日午後、少女の監禁が明らかとなった一方で、犯人の行方が分からなくなっていたことから、警察は未成年者誘拐の容疑で寺内樺風(かぶ)(23)を公開手配。

翌28日の3時半頃、静岡県伊東市内で新聞配達員から「血だらけの男が歩いている」との通報が入る。発見した配達員は、頭から全身血まみれになった男が手を挙げている姿を見て、ひき逃げの被害者だと思った、と述べている。

「死のうとしたが死にきれなかった。警察を呼んでほしい」

発見現場は市内から南に約6キロの山間部で、夜間に人の往来はない地域。駆け付けた警官が男の身元を確認したところ、捜索中の寺内と判明。

 

首などに怪我を負っており自殺を図った可能性があるとして、入院後の回復を待って、31日に逮捕状を執行した。事前に中野区の自宅マンションで進められていた家宅捜索では、Sさんの制服やジャージが発見され、ドアに設置された外鍵が押収されていた。

退院後、捜査本部のある朝霞署へヘリで移送。調べに対し、容疑を認め、「中学生の頃から女の子を誘拐したい願望があった」「ネットの地図アプリで誘拐する場所を探した」などと供述し、Sさんとの面識はなかったと話した。

 

 

■犯人の二重生活

誘拐・監禁という卑劣極まりない犯行は多くの非難を呼び、少女の脱出と犯人の身柄確保の流れに世間の注目が集まった。さらに犯行当時、寺内は大学在学中で、身柄確保となる4日前に卒業証書を授与されたばかりだったことも話題となった。2年もの間、自宅に少女を監禁した状態を誰にも気づかれず、通学やバイト、就職活動までこなしていたことになる。

 ■学生生活

大阪教育大付属池田中学・高校時代は成績優秀で、部活や生徒会には属さず、友達の輪にも加わらずに過ごしていたとされる。当時を知る女性教諭は、面談時の様子を、こちらの問いかけに対して「はい」「いいえ」としか返答せず「少し困惑することもあった」と記憶していた。周囲とトラブルを起こすでも疎外されているという訳でもない、「自分の世界に生きていたのだと思う」と述べている(2016年3月29日、産経新聞)。

2011年に千葉大学工学部情報画像学科に入学。12年後期から1年程の休学期間があったため、大学には延べ5年間在籍した。休学中はカナダへ語学留学し、その後、アメリカ・カリフォルニアのパイロット養成校に通って、13年9月に自家用セスナ機の免許を取得している。留学中、ジェット機のコックピットで撮影した自分の写真などをFacebook上に公開していたが、帰国以降その更新は途絶えた。

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復学しておよそ半年後の14年3月に誘拐を実行。監禁中にあたる平成26年度(2014年4月~15年3月)の履修は11科目、翌27年度は週に一度の演習ゼミだけだった。

学内での行動に異常はなく、演習ゼミではインターネット上の商品評価分析を研究。泊りがけのゼミ合宿や飲み会にも参加し、授業を無断欠席するようなことはなかった。目立って活発な性格ではなかったがコミュニケーション能力に問題は見られず、成績は普通程度。卒業後には消防設備関連の就職も決まっていた。履修状況から見ても学業は十分「良好」にこなしていたと考えられる。

■学位問題

3月27日に寺内の公開手配を受け、千葉大では学内外から卒業認定の再検討や何かしらの処分を求める意見が挙がった。28日午後には公式サイトに徳久剛史学長より「本学卒業生の未成年誘拐について」と題された謝罪文が公開され、会見では渡辺誠理事が卒業取消などの処分も検討すると発表。

学則では、在籍中は「学内外での重大な非違行為を行った場合」に停学措置が可能とされている。しかしこの時点で寺内は正式には「逮捕」されておらず、「学位認定」と事件には関係がない、といった声もあった。在籍は3月末までとされるものの、一度認定した修了資格を取り消すことや遡って停学とする措置は可能かを検討するため、前代未聞の懲罰委員会が開かれた。

31日、寺内逮捕を受け、大学は「社会規範の遵守」に違反した疑いがあるとして、卒業認定の取り消し及び卒業留保(留年)とする裁定を下し、4月以降は休学扱いとした。

 
■“一人暮らし” 

2016年2月まで暮らした千葉市稲毛区内の住居は、大学からすぐそばにある築30年超の古びたマンションの最上階。間取りは2Kで家賃は4~5万円、物音を立てれば周囲の部屋に筒抜けのようなつくりだという。だが級友はおろか隣人さえも監禁されていたSさんの存在に気付くことはなかった。マンション住人によれば、友達などといる様子や騒ぎ声などもなく、買い物も少量だったとされる。近隣で生理用品などの購入歴もあったが、不審に思われることはなかった。

学友に対し、寺内は“彼女がいる素振り”を見せたこともあったが、実際に会うことも追及することもなかったので、それが被害者を示していたのかどうかは分からないという。

大阪池田市の寺内の実家は貸し家だが、父親は防犯グッズの販売会社を経営し、経済的に不自由はなく、教育熱心だったとされている。子どもの頃から学業優秀でまじめとされ、地域行事に参加した際は年下の子たちの面倒見も良かったと評されている。寺内の幼少期を知る人物(68)は、「異性とのトラブルなども聞いたことがない」と語っている。

千葉で一人暮らしを始めてからも大阪の実家、祖父母のもとへ年に2回は顔を出し、妹とは二人で旅行に出掛けるなど、家族関係は良好だったと見られ、祖母は「いつもごく普通の、おとなしくて、優しい子でした。そんな樺風と今回の事件が頭の中でどうしても結び付けられない」と語った。寺内の身柄確保、容疑について概ね認めた報道などを受け、3月末までに父親が営む防犯グッズ販売会社のサイト上では、顧客・取引先に向けた謝罪文と当面の営業自粛が掲載された。

 

比較的恵まれた環境に育ち、外ではそれなりに充実した学生生活を送りながら、自宅で監禁を続けた犯人の特異な二重生活はワイドショーを数日間賑わせた。しかし多くの視聴者には、人並みか、それ以上に恵まれた若者がなぜこんな異常犯罪に手を染めなければならなかったのか、まだ何か釈然としない気持ちが残されたままだった。

 

■裁判

2016年9月27日、さいたま地裁(松原里美裁判長)で初公判が行われた。

罪状は、未成年者誘拐、窃盗、監禁致傷(監禁と心的外傷後ストレス障害PTSDを与えた致傷行為)。

被告は、起訴事実を概ね認めたが、監禁致傷について「数日から数週間、監視したのは事実だが、2年間に渡って監視していた意識はない。彼女を家に置いたまま外出したり、アルバイトに出ていた」と一部について否認した。

弁護側は、起訴内容については争わず、寺内の刑事責任能力に疑いがあるとして、精神鑑定を請求し、その後実施された。

 

■洗脳計画

第一回公判の起訴内容から、事件の流れを改めて整理したい。

 

寺内は親元を離れて一人暮らしを始めることになった2011年頃から、「女子中学生か高校生を誘拐・監禁したい」というかねてからの願望を具体化する準備を進める。CIAの洗脳実験資料、オウム真理教の洗脳ビデオ、新潟県三条市の少女誘拐監禁事件といった過去の犯罪資料などから知識を得、実際の犯行のイメージを膨らませていった。

被験者は自分より弱い女子中高生とし、どうしたら発覚しないか考えた。どうするかは成長した段階で考えればいいと思った」

「監禁して社会から隔離し、抑圧を加えるとどうなるのか観察したかった」

2013年9月、留学から帰国して千葉市のマンションを借りた。12月に東京・神奈川で6組12枚の車輛ナンバープレートを窃盗。犯行車両に付け替えてNシステム(車輛ナンバー読取システム)や監視の目を掻い潜り、捜査のかく乱を狙ったものだ。

土地勘はなかったものの、千葉の自宅から60数キロ離れた朝霞市新座市を「田舎過ぎず都会過ぎずいい場所」として候補地に挙げ、14年2月には周辺の中学校の行事予定などを確認して、決行の段取りを練った。

3月4~6日にかけて両市内を徘徊し、一人で下校する女子生徒を盗撮。Sさんに当たりを付けて自宅を確認した。玄関表札では苗字しか分からなかったが、庭にあった植木鉢には彼女のフルネームが書かれていた。

 

3月10日、下校時刻を見計らってSさんの自宅前で待ち伏せ、誘拐を決行。自発的失踪を偽装するために家族宛てのメモを書かせた。これは「捜索届による事件化を防ぐ」目的で“失踪マニュアル本”に紹介されていた手法を悪用したものだった。

千葉へ戻る車中で、寺内は予め音声合成ソフトで作成していた「臓器売買に関する音声データ」をSさんに聞かせる。「両親が離婚するというのは嘘だ」「あなたの家には借金があり、両親はあなたの臓器を売って金をつくろうとしている」などと言って、少女を困惑させた。犯行で使われた白色の軽自動車は、後に中野区へ引っ越す前に処分している。

千葉県にある自宅マンションで監禁を開始し、またも偽装のためにSさんに“手紙”を書かせた。物理的な暴力行為には及ばなかったが、寺内は嘘で塗り固めた「洗脳」を試みる。「お前は借金のカタとして私に売られたんだ」などと脅迫し、Sさんに「私は捨てられた。帰る場所はない」「私はいらない子」といった文言を繰り返し書かせ、復唱させた。

19、20日頃には飲み物に薬物を混入してSさんに飲ませた。これはアサガオ類の種から抽出したLSA(リゼルグ酸アミド)というLSDリゼルグ酸ジエチルアミド)と似た分子構造を持つ成分で、古来より儀式や民間療法で幻覚剤として使用されたものである。向精神薬としての効用はLSDの1割にも満たず、嘔吐や下痢、ときに激しい拒絶症状などの副作用をもたらす。Sさんも食後に体調不良を訴えていたが、寺内は「寝れば治る」と言って放置した。

21日にはSさんが「逃げたい」と書いたメモが発見されたため、すぐに南京錠などが買い足された。監禁には、外鍵のほか、スマートフォンから室内の様子が見られる監視アプリ、盗撮用のメガネや腕時計なども用いられており、少女との会話を全て文字に起こしたメモも見つかっている。

 
■涙の理由

誘拐から1か月ほど経った14年4月、寺内が「夕方まで出かける」と外出した際、鍵がかかっていなかったため、脱出を試みたこともあった。11時頃に部屋を出ると、近くの公園へとたどり着いたSさんは子連れ女性に「ちょっといいですか。聞きたいことがあるのですが」と声を掛けたが「忙しいから無理」と断られた。自動車に乗った人と目が合って、声を上げようとしたが車はすぐに去ってしまった。周辺に公衆電話は見つからず、一度部屋に戻った。諦めきれず再び公園を訪れ、今度は年配の女性に「ちょっといいですか」と声を掛けたが「無理です」と断られた。

「全く話を聞いてもらえずショックで絶望した。誰も話を聞いてくれくれないんじゃないかと思った」

「捨てられた、帰る場所がないという言葉が頭の中をぐるぐるして、涙は自然と出なくなり、嬉しい悲しいという感情がなくなった」

 寺内が話した通り、誰も自分に味方してくれないのだとSさんは心が折れ、マンションの部屋に戻ったという。結果的に見れば、こうした「人々の拒絶」も少女の逃走意欲を削いでしまったことになる。

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寺内はSさんを連れて外食や買い物をすることもあり、留守中は宅配業者からの荷物の受け取り、一人での買い出しをさせられることもあった。食事のほか、女性誌なども買い与えられ、閲覧制限が掛けられていたもののYouTubeやアニメ番組のサイトなど一部のインターネットの使用も許可されていた。

ときに閲覧履歴もチェックされたが、Sさんは隙を見て「自分を捜してくれている両親の姿」を目にする機会があった。「私たちは味方だよ、ずっと待ってるよ」と訴える両親を見て、涙が溢れた。一度は折れた逃走意欲が、失われていた感情がまた沸沸と呼び覚まされた。絶対に逃げたい、家族のもとに帰りたいと思った。

 

■罪の意識

2016年11月2日、第2回公判で被告人質問が行われた。検察側の「犯行は実験のような感覚だったのか」という問いに、寺内は「完全にそのような認識だった」と答え、「高校、大学を通じ、周りの人間とは、人間ではなく動物というか生物と接している感覚がある」「中学時代の人間関係のこじれから、社会性を培う機会がなく感情が退化した。人の気持ちを知りたいという動機付けができた」と自らを振り返った。

罪の重さについては「車や美術品を盗むより断然軽い罪と思っていた」と述べつつ、傍聴席にいるSさんの母親に向けて「全く行う必要のない行為をしてしまい、身勝手で申し訳ない」と頭を下げた。

 

Sさんの調書の最後では、「刑務所から3~5年で出て来られるのはイヤだ。10年以上入っていてほしい。一生刑務所から出て来られないように、無期懲役にしてほしい」と強い処罰感情を示す言葉もあった。

意見陳述で、Sさんの父親は「被告は一人の少女の人生を、私たち家族の生活を壊しました」「減刑なんてとんでもない。どんなに反省して、罪を償ったところで許しません。被告の両親も許さない。刑期が終わっても許さない」と訴えて厳罰を求めた。

母親は、「いっそ死んでしまえば娘を探しに行けるのにと思った」と捜査当時の苦悩や葛藤を語り、Sさんが外出や入浴に支障をきたしているPTSDの状況に触れ、社会復帰や人間性が回復できるのかといった将来への不安を述べた。寺内に対して「二度と娘の前に現れないで」と激しい憤りをあらわにした。

 

事件発覚以降、寺内のSさんに対する扱いが報じられると、臨床心理や犯罪心理の専門家たちは「ペット=愛玩動物」のようだと評した。寺内の語った「監禁して観察したかった」という興味本位の動機はおそらく事実であり、監禁を「実験」、少女を「被験者」、周囲の人間を「動物」と表現した感覚も、彼の本意だと筆者は考えている。

寺内は、他者への共感性が低く、良心は欠如しており、家族や学校といった社会生活に適応し、必要な場面と判断すれば「謝罪」することもできる性格の持ち主である。事件を通して見る寺内の性質はいわゆる“サイコパス”に当てはまるのではないかという印象を拭いえない。

 

サイコパスは「病気」ではなく“極端な性格”を指している。その気質を生かして社会的成功を収める者も居り、人口の1パーセント以上はサイコパスに当てはまるとされている。生活に支障がある場合にはパーソナリティ障害の一種と解釈されるが、無論、サイコパス全般について、「=障害者」、「=犯罪者」、「=こわい」とイメージさせたい意図はない。

特性に傾向はあるものの、虐待やDVといった反社会性の高まるケースから、社会規範を破ることなく生活を送ることができる範囲まで、その程度にもグラデーションがある。質問方法や採点などに訓練が必要なため専門家以外が「診断」に用いてはならないが、下のPCL-Rチェックリストの項目を見るだけでもその性質を知る参考になるかと思う。

 

  1. 口達者/表面的な魅力
  2.  誇大的な自己価値観
  3. 刺激を求める/退屈しやすい
  4. 病的な虚言
  5. 偽り騙す傾向/操作的(人を操る)
  6. 良心の呵責・罪悪感の欠如
  7. 浅薄な感情
  8. 冷淡で共感性の欠如
  9. 寄生的生活様式
  10. 行動のコントロールができない
  11. 放逸な性行動
  12. 幼少期の問題行動
  13. 現実的・長期的な目標の欠如
  14. 衝動的
  15. 無責任
  16. 自分の行動に対して責任が取れない
  17. 数多くの婚姻関係
  18. 少年非行
  19. 仮釈放の取消
  20. 多種多様な犯罪歴

 

 犯行には虚言や操作的洗脳=マインドコントロールが顕著に見られた。セスナ機の操縦といった趣味も、日常生活では味わえない強い刺激を求めてだったのかもしれない。

 
■不自然な言動

裁判は一時中断され、約半年に及ぶ寺内の精神鑑定が行われた。

鑑定後の第4回公判(2017年7月4日)以降、出廷する寺内の挙動に変化が生じる。薄ら笑いを浮かべたかと思えば急に真顔になったり、奇声を上げる、首をぐるぐると回す仕草、突飛な返答といった不自然な言動が目立つようになった。

「結局、何が悪かったのかよく分からない」

「被害者に勉強をさせようとしたが、させられなかったのは残念」

「いじめを機に社会性を培う機会がなくなり、人の気持ちが理解できなくなった」

「何かしろという指令があった。磁力で動かされるような感じ」

(取り調べで「指令」について説明しなかったことについて)「常識だからみんな知っていると思った。高校の頃から思考が盗み出される経験をしてきた」

 

検察側は「(他人の気持ちが理解できないことは)自閉症スペクトラムの傾向にとどまり、症状は犯行の背景的要因に過ぎない。劣等感の代償として犯行に至った可能性があり、完全責任能力が認められる」と指摘。その際、寺内の“遺書”と題された書面が読み上げられ、「重大な事件を起こし、重い責任を感じている」などと書かれていた。

 

弁護側は、「他者への共感性が乏しく、犯行の乏しい計画性は統合失調症が影響していると考えられる」とした医師の意見書を紹介。証拠調べ中の寺内の発言に、「集団ストーカー被害をやる輩がいなければ本件犯行は起こりえなかったとする主張があったことを挙げ、犯行前から統合失調症に罹患していた可能性を指摘した。

論告求刑の最後に発言の機会を与えられた寺内は「おなかがすきました」と述べた。

 

8月29日の判決公判で、寺内は奇声を挙げながら入廷するや、「私はオオタニケンジでございます」と言いながら着席。

身上確認の質問に対してでたらめの返答に終始し、「私は日本語が分からない」と発言したため、裁判長が問いただすと「私はオオタニケンジでございます」と答えた。職業を「森の妖精です」と答え、ここはどこかの問いに「トイレです。私はお腹が空いています。今なら一個からあげくん増量中」と返した。

 

松原裁判長は、弁護人に「ずっとこの調子なのですか」と尋ね、弁護人は「今朝からこの調子です」と答えた。一時休廷して寺内が落ち着くのを待ったが、回復が見られなかったため、判決言い渡しの延期が宣言された。

 

こうした不自然な言動、「指令」や「集団ストーカー」といった不規則な発言内容は精神性疾患を思わせるものもあり、「森の妖精」「からあげくん」といった寺内の挙動が報じられるとインターネット上では詐病狂言とするバッシングが相次いだ。専門家には、判決が近づいたことで精神的動揺、一種のパニック状態になってそうした行動になったのではないかとする見解もあった。

 

■判決

2018年3月12日、改めて判決公判が行われた。寺内は前回とは違い、落ち着いた様子で質疑にもしっかりと応答した。

 

松原裁判長は、発覚を免れるために行われた偽装工作などから「(被告に)違法性の認識はあった」と完全責任能力を認定した。また監禁の期間について「支配下から脱出することは困難」だったとして起訴内容通り約2年とする判断を示した。

 

「(被害者は)心身共に成長する期間を失われ、想像を絶する大きな打撃を与えた」「同種事案の中でも顕著に長い」と誘拐監禁の卑劣さと悪質さを非難。しかし監禁中の物理的拘束は大半に渡って緩やかで、被告からの暴行・暴言は認められないことなどから量刑への考慮を示した。懲役15年の求刑に対し、「検察の主張する求刑は重過ぎると言わざるを得ない」として、懲役9年の有罪判決を下した。

 

両親は、判決公判前の12日に「法廷での(寺内の)言動を見ると全く反省する様子もなく、犯した罪と向き合うこともないようだ」、13日の判決後に「反省や更生ができるとは思えません。もっと厳しい判決を出してほしかったと思います。残念でなりません」と弁護士を通じてコメントを発表。前年7月の論告求刑後には、刑期上限の引き上げといった「刑法改正の趣旨が反映されていない」と話していた(2018年3月23日、産経ニュース)。

さいたま地検はその判決を不服として、3月20日付で東京高裁に控訴した。

 

2018年10月3日、東京高裁(若園敦雄裁判長)で控訴審初公判が行われた。

弁護側は一審での「完全責任能力の認定」に事実誤認があったとし、対する検察側は「犯行の悪質性を正しく認識していない」として、双方が量刑を不当と主張した。

 

翌19年2月20日の判決公判で、若園裁判長は「洗脳という心理操作で心理的拘束を行ったことを重視すべき」と指摘。少女が一時脱出できたことを「物理的拘束が緩やかだった」と判断し量刑軽減の評価を下した一審判決に対して、「この事件の監禁の特質を見誤っている」「心理的拘束の悪質性について正当に評価されていない」と批判。

情状の余地を認めず、懲役12年を言い渡した。

 

■所感

上掲の「籠の鳥事件」ではストックホルム症候群といわれる犯人への同情や親しみ、愛着にまで変容するなど、人間の心は思いがけない事件に巻き込まれると理性を越えた防衛反応を示すこともある。寺内はそうした人間の心理的動揺を狙って、マインドコントロールを試みた。その“実験”は幸いにも失敗した訳だが、仮に別の少女であれば、あるいは精製された合成ドラッグ等が用いられていれば、また違う結果になっていたかもしれない。一審判決が破棄されたこと、心理的拘束への過小評価を是正した控訴審の判断は、今後につながる重要な判決である。

 

寺内が犯行を具体化し始めたのは北米留学中のことで、帰国後に千葉に2Kの部屋を借りたのは監禁を企図してなのではないかとする見方もある。海外生活やセスナ機操縦といった興奮に飽き足らず、留学中に次なる刺激を求めていたことになる。当然、かねてより女子中高生に対する歪んだ願望を抱いていたものとは思われるが、そこには国外で起きた誘拐監禁事件が直接的な契機になったのではないかと考えられる。

 

ひとつは、先の記事でも触れた“オーストリア少女監禁事件”。1998年に9歳で誘拐されたナターシャ・カンプシュさんはおよそ8年後となる2006年、犯人が電話をしに外へ出た隙に逃亡。逃亡を知った犯人は線路に身を投げて絶命した。

彼女は地下室に閉じ込められ、食事も満足に与えられずに奴隷働きをさせられ、繰り返し強姦を受ける日々を過ごしたが「叫ぶことはありませんでした。私の体が叫べなかったのです。でも無言で叫んでいました」と監禁当時を振り返っている。10年に自伝『3096Tage(3096日)』を出版し、これを映画化したものが寺内の留学中だった2013年2月末に公開されている。

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もうひとつは、2013年5月に発覚したアメリカ・オハイオ州の民家で約10年もの間、3人の女性が監禁されていた“クリーブランド事件”。3人はそれぞれ別の部屋に監禁され、鎖で身体拘束され、食事は一日にハンバーガーをひとつ与えられる日々を過ごした。犯人に度重なる暴行を加えられた上、流産や出産を強いられた凄惨な事件である。

犯人はスクールバスのドライバーで近隣住民には社交的と見られていた反面、DVで1996年に妻子が逃走しており、その後もストーカー行為を繰り返す等していた。禁錮1000年の判決を受けた一か月後に獄中で自ら命を絶った。北米で連日繰り返されたニュース報道を寺内が目にしていてもおかしくはない。

 

根拠のない妄想に過ぎないが、準備段階での念入りな様子から鑑みるに、寺内はSさん逃走のその日、あえて無施錠にして出て行ったような気がしてならない。少なくともマインドコントロールの“実験”が思ったような効果を得られていない、思考操作が不完全な自覚はあっただろう。すでに監禁生活は2年近くを経て、多少の“興味・関心の低下”、“気のゆるみ”もあったかもしれない。

Sさんは(「無駄な抵抗」をせず機を窺っていたことからも)とても慎重さを備えた人柄であり、監禁生活はおそらく表面上は穏やかだった。彼女の今後の人生をどうするつもりか考えがなかった寺内は、その関心を「逃げるかどうか」という“スリリングな実験”にシフトしていたのではないか。「逃げられたらどうする」「発見されたら俺はどうなる」という状態に陶酔していた可能性を感じる。

 

余談にはなるが、事件の記事を読んだり書いたりしていて思うのは、事件の記事や動画等をエゴサーチする元受刑者がいるやもしれないな、ということである。筆者としては、残酷な犯罪行為をした人物だからといって第三者による人格否定や罵詈雑言が許されるとは考えていない。善人ぶるつもりはないが、面白おかしくこき下ろしたり「殺処分」を声高に要求する一部の“ネット市民”の感覚の方が(どういう人なのかな…意外とすぐ近くに居たりして…)と時に恐怖に駆られる。

商業目的ではない単なる雑記なので、私見や憶測、余談を交えながら書くことにはなるが、本人が読んだ時に社会への新たな怒りや憤りを再生産しないような内容を心掛けたいと考えている。希望的観測というよりただの希望でしかないが、本件のような若い年代の受刑者たちには、その後の人生を以て「更生」を信じさせてくれることを願っている。

 

ご両親の懸命な捜索によって娘さんの強い信頼が回復して脱出するに至った極めて貴重な事例ではあるが、希望を捨てずに行方不明者を捜索し続ける不明者家族らにとっては大変勇気づけられることであろう。

被害者の心身の回復とご家族の心の安寧をお祈りいたします。

 

 

・参考

 ■少女を「ペット」のように感じていた寺内樺風の勘違い 洗脳されているフリだった? | デイリー新潮