和歌山毒物カレー事件と冤罪について

 和歌山毒物カレー事件とは、1998年7月25日和歌山市園部で行われた自治会の祭りで住民にふるまわれたカレーに毒物が混入され、67名の中毒被害うち4名の死亡者を出した殺傷事件である。被疑者とされた主婦・林眞須美は無罪を訴えたが2009年最高裁で死刑が確定している。

2020年3月大阪高裁・樋口裕晃裁判長は「自宅などにあったヒ素が犯行に使われたとするもとの鑑定結果の推認力が、新証拠によって弱まったとしても、その程度は限定的だ。新旧の証拠を総合して検討しても、確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じる余地はない」として和歌山地裁に続いて再審棄却。

この決定に対し林死刑囚の弁護団主任弁護人・安田好弘弁護士は「大阪高裁は新たに提出した意見書により捜査段階の鑑定による証拠の価値が弱まることを認めながらも、ほかの事実と合わせれば依然として犯人であることに疑いを差し挟む余地はないという。これは争点を意図的にずらして確定した判決や和歌山地裁の決定を維持しようとしたもので不当だ」と最高裁へ特別抗告する意向を示している。

 

 

 

 事件当時、エスカレートしたマスコミは、小さな祭で起こったこの惨劇と、元保険外交員だった林眞須美と元シロアリ駆除業者(林工芸)だった夫・健治による一連の保険金詐欺の話題をセンセーショナルに結びつけるかたちで2か月余にわたって過熱報道、10月に夫婦が逮捕され、事態は終息するかに見えた。林眞須美が当該のカレー鍋の見張り番だったこと、亜ヒ酸(シロアリ駆除剤)を用いた保険金詐欺を繰り返していたといった状況証拠、その後の捜査で林家にあったミルク缶容器に入った薬品と現場に捨てられていた紙コップの付着物、カレーに混入された毒物が同一のものと鑑定されて決定的な証拠になったと報道された。

 

 だが有罪の決定打とされた東京理科大学・中井泉教授らによる大型放射光施設spring-8での異同識別分析データは、林眞須美が自宅にあったヒ素をカレーに混入したと結びつけるには不十分な証拠であった。その分析結果からわかることは、林家にあった薬品と紙コップ付着物とカレーに混入された毒物が、中国の同一工場で同時期に精製された起源を同じくする亜ヒ酸といって差し支えないという点だけ。専門家でなくても、それらを「同一」といわないことは明白だった。

http://www.process.mtl.kyoto-u.ac.jp/pdf/Shinpo43pp49-87.pdf

分析化学の専門家である京都大学・河合潤教授は、上の論文で中井鑑定を再検証し、中井教授らの証言についても信頼性に疑義を唱えている。さらには判決が正しかったとすれば、林家にあった薬品(亜ヒ酸純度64%。ミルク缶容器に入っておりデンプン、セメントまたは砂が混じっていた)よりも、カレーへの混入に使ったとされる紙コップに付着していた残留物の方が高純度(99%)となり、明らかにおかしいと指摘している。

 

 

 

 2018年7月には歴史社会学者・女性学者の田中ひかる『「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実』(ビジネス社)が発表され、帯文の通り「動機なし、自白なし、物証なし」の冤罪事件として再び注目を集める。

「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実

「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実

  • 作者:田中 ひかる
  • 発売日: 2018/07/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  更に2019年4月、Twitterに和歌山カレー事件 長男@wakayamacurryがアカウントを開設、同年7月に著書『もう逃げない。~いままで黙っていた「家族」のこと~』(ビジネス社)を発表。その名の通り(匿名ではあるが)林死刑囚の長男自らが、世間を騒がせたカレー事件や林死刑囚について、事件後の自身の生い立ちなどについて語っており、母の手紙を公開し、TV番組へも出演するなど、両親の保険金詐欺は認めつつもカレー事件への関与については冤罪だと訴えている。

 未解決事件の謎に迫るネット番組・だてレビ【ミステリーアワー】でもこの事件を取り挙げ、spring-8の実験装置の稚拙さ、目撃証言や物証への疑惑など、素人目線ならではの忌憚ない意見が交わされている。

https://www.youtube.com/watch?v=Vj_RvA9y5nA

 

 

 

 ひとくちに「冤罪」といっても、全く関知していないのに被害者の訴えで誤認逮捕されてしまうケースとは趣が異なる。

刑事裁判において裁判官は、被疑者を真犯人かどうか裁いているのではなく、検察が被疑者の犯行を特定する(有罪とするに足る)立証が成り立っているか否かを裁いている。有罪が確定するまで被疑者・被告人であれ「疑わしきは罰せず」、“推定無罪”として扱われるのが近代司法の原則となっている。言い換えれば、検察が立証できなければ被告人は自ら無罪を立証するまでもなく無罪とする考え方だ。

この事件で“冤罪”が指摘されるのは、警察の捜査や検察の立証が明らかに不確か・証拠不十分でありながら、裁判所が「判決の事実認定に合理的な疑いが生じる余地はない」という林眞須美“推定有罪”に固執するかのようなおかしな裁判に対しての疑義なのである。

www.youtube.com

 

ジャーナリストの神保哲生氏は、証明しようがないため陰謀論的立場はとらないとし、警察も検察も「自分が正しいと思って」それぞれの本分を果たしているだけかもしれない、と冤罪問題の難しさを指摘している。

林眞須美は“シロ”にちがいないという(推定無罪の)立場に立てば、(あやしさの)間接的証拠を手当たり次第集めてホシから“自白”を引き出し“クロ”にする捜査手法が慣例になっていること、マスコミによる過熱報道が世論を誘導し有罪判決への“加担”になったともいえること、専門家にしか真意がくみ取れない科学鑑定が被告の無罪を訴えるためでなく有罪性の証明に使われたこと(非専門家には覆すことができない)など、警察・司法にまたがる現実的な問題点がそこかしこに見え隠れしていることに気付かされる。

 

 事件について私見を述べれば、保険金詐欺を繰り返す人間がこんなにも疑われやすい状況で金にならない殺生をするとは考えにくいし、娘の犯行をかばったとすれば「自分がやりました」と自供するはず。眞須美死刑囚が衝動的にやった可能性は否定できないし、他の住民の犯行だったかもしれない。いずれにせよ、自分がいま間接証拠や科学捜査で固められて罪に問われたとしたら、もはやとっくに諦めて自死か死罪を選ぶであろうと思って気分はしょんぼり。そう考えると科学者、マスコミ、警察、司法といったそれぞれの社会正義を、だれもが我が身のために常に問うていかなければならないのである。