いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

岩手17歳女性殺害事件について

岩手17歳女性殺害事件(2008年7月発生)

 

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◇被害者 佐藤梢(17)…無職。当時若者に人気だったプロフィールサイトではギャル文字で日常を綴っており、蝶と薔薇のタトゥー写真、結婚や自立への願望、リストカットなどの記述がある。

◇容疑者 小原勝幸(28)…無職。田野畑村出身。170センチ、瘦せ型。粗暴な性格。弟2人。

 

概要

2008年7月1日16時半頃、岩手県川井村(現・宮古市)松章沢、県道171号線の下鼻井沢橋の下、水深10~20センチにうつ伏せ状の遺体を道路工事作業員が発見。死因は扼殺(「手」で首を絞められたことによる窒息)で、橋の上から遺棄したとみられる。

岩手県警による死亡推定時刻は6月28日深夜から7月1日までと発表。

岩手医科大学による死体検案書では、死後硬直や胃の内容物から6月30日から7月1日までを死亡推定時間としている。

 

 経緯

2007年2月、宮城県登米市のショッピングセンターで小原と後輩が女性2人組をナンパ。女性2人はともに佐藤梢という同姓同名の同級生。小原と佐藤梢さんは交際に発展した(後輩たちは親密交際には至らず)。小原たちはすぐに同棲を始め、やがてもう一方の佐藤梢さんとは疎遠になっていく。しかし本件で殺害されたのは容疑者の交際相手ではない、“もう一方の”佐藤梢さんだった。

同年5月1日、小原は弟(三男)と共にある男性・Z氏のもとに詫びに行った。前年秋、小原はZ氏に型枠大工の職を世話してもらったものの1週間で逃げ出しており、紹介したZ氏は「面子を潰された」として関係が悪化していた。

立腹したZ氏は小原の口に日本刀を入れ、「出刃包丁で指を詰めろ」と恐喝し、迷惑料として120万円の借用書を請求。さらに「保証人」を求められた小原は交際していた梢さんの電話番号を渡す(このとき梢さんは車中で待機していた)。Z氏は以前「家を焼くように言われている」と実家に訪れたこともあった。(※三男による証言。黒木昭雄氏の調べ)

小原は迷惑料を支払わず、男から逃亡するため車中泊生活を送ることになる。その後、Z氏は人探し専門の携帯掲示板サイト(08年7月閉鎖)に顔写真・実名・身体的特徴などをカキコミして小原の行方を追っていた(その後、黒木昭雄氏の聞き取りに対して、金額は10万円、2・3発殴っただけと恐喝は否定)。

2008年6月3日、カキコミの存在を知った小原は身の危険を感じ、当時交際相手だった梢さんを伴って岩手県久慈署に被害届を提出。同月22日には三男も久慈署・千葉警部補から事情聴取を受けている。 

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事件前後のながれ

2008年6月28日10時頃、小原と梢さんは前日から盛岡競馬場を訪れていた。以前から粗暴な小原と別れたいと考えていた梢さんは、小原が寝ている隙に電車で宮城の実家へ逃げ帰る(残金やガソリンの残りが乏しくすぐに追ってこられないことを事前に確認していた)。このとき小原の右手に怪我はなかった。

同日14時すぎ、小原は「よりを戻したい」「被害届を取り下げたい」「一緒じゃないと取り下げができないと言われた。お母さんと一緒でもいいから来てくれ」と電話やメールでしつこく食い下がるも、梢さんは面会には応じず。「家に着いたらワン切りしてくれ」という懇願に対して21時頃、小原の携帯にワン切りを入れた(ワン切りは携帯電話に通話目的ではなく「合図」として数秒間だけ発信する行為のこと)。

同日21時頃、小原は「恋の悩みについて相談したい」と“もう一方の”佐藤梢さんに連絡を取る。このとき同棲していた男性に冗談めかした口調で「私、殺されるかも。そのときは電話するね」と意味深な発言を残していた。22時頃、梢さんは“小原から逃げた梢さん”に入電し、0時半まで電話やメールでやり取りしている。23時ごろ、小原の呼び出しを受けた佐藤梢さんが宮城県登米市コンビニの防犯カメラに確認されている(ここから7月1日遺体発見まで不明)。

 

6月29日2時すぎ、岩手県盛岡市ガソリンスタンドの防犯カメラに小原が確認。右手には白い布が巻いてあった。7時頃、小原から元交際相手の梢さんに対して自撮りメールを送信(右手に外傷あり)。9時頃、小原は田野畑村に戻り、弟(次男)宅へ。19時、弟夫妻と岩泉町・済生病院へ往診。原因を「酔ってコンクリート壁とケンカした」と説明。担当医師は、右手は機能障害が出るほどの重症(握る・開くことができない状態)とし、専門外科がないため他院での診療を勧めた。

30日昼頃、小原は久慈署・千葉警部補に「被害届の取り下げ」を申し出るが退けられる。高校時代の恩師(下の動画、山田さん)宅を訪問。その夜も次男宅へ。小原は父・一司さんを説得し、一司さんから警察へ被害届取り下げを再度求めるが、「あと2,3日で逮捕するから被害届は取り下げないでほしい」「家族の身の安全は保証するから」と却下。一司さんも、小原の右手の様子を、人差し指と中指で煙草を挟むこともままならなかったと確認していた。

7月1日、小原は朝から再び恩師のもとへ。同日16時半頃、岩手県川井村の河川で女性の遺体発見(翌日の朝刊では「10代後半から30代前半の身元不明の女性」)。田野畑村から遺体発見現場までは車で約2時間かかる距離だが、黒木氏によれば29日以降で小原が4時間以上にわたって村を離れた事実はないとされる。

同17時ごろ、佐藤梢さんの両親が捜索願を届ける。

 

同じく1日21時半頃、羅賀から北山崎に至る県道44号線で小原が乗った車が電柱に正面衝突。車で通りがかった地元男性(下動画、田所さん)が目撃し、小原を実家まで送り届けた。膨れ上がった右手の傷について聞くと「事故じゃない、女を殴った」と答え、酔った状態で「もうおしまいだ、死ぬしかない」と口走ったという。

また小原から「仙台で裏デリヘルをやっている」「今は仙台に住んでいるが、仕事関係がうまくいっていなくて、いろんな組関係者と揉めている」という発言もあったという(2008年7月12日産経)。男性はその後、小原が指名手配されたことを知って、自ら情報提供に出向いたが警察の捜査の杜撰さに疑問を抱いている。

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7月2日5時頃、宮古署警官を名乗る人物から元交際相手・梢さん宅に安否確認の電話が入る。

同7時すぎ、小原は親類に頼んで鵜ノ巣断崖近く(断崖から約3キロ地点)まで送ってもらう。断崖の写真を添付して、元交際相手・梢さんに「俺、死ぬから」、弟に「サヨウナラ、迷惑なことばかりでごめんね」とメール。友人に「飛び降りる」と電話。知らせを受けて断崖に駆け付けた件の恩師は、携帯電話でだれかと談笑している小原の姿を見て安心し、缶コーヒーを渡して別れたという(正午ごろ、最後の小原目撃情報)。

同17時頃、千葉警部補から元交際相手の梢さんに「小原が鵜の巣にいるから確認しに行ってほしい」と言われるが、梢さんは赴かず。

同日夕方頃、前日発見された遺体の確認を求める連絡が家族に入る。

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7月3日午前、遺体の身元判明(被害者の親が確認)。

同日夕方、清掃に訪れた村職員が小原の財布・サンダル・ハンカチ・免許証・タバコ・車のキー・携帯のバッテリーを発見。→黒木氏の調べによるとサンダルは本人のものではなく、親類によれば朝タバコを持っていなかったとされる。日没近かったため翌朝から捜索。

4日、地元警官15人で周辺捜索。「警察犬は分単位で金がかかる」と父親に説明。地元男性の届け出により、事故車両から女性ものの靴、血痕のある発泡酒の缶などを押収。→黒木氏の調べによると、殺害された梢さんが履いていたのは「キティちゃんのサンダル」であり発見されたものと異なる。

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7月5日、遺留品以外に飛び降りの痕跡が発見されず、遺体が上がらないことなどから県警は“偽装自殺“と判断。

同月29日小原を殺人容疑で全国指名手配。情報提供ビラには「17歳の少女を殺害した犯人です」と記載(翌年「17歳の少女が殺害された事件です」に変更)。

10月31日、捜査特別報奨金制度で上限100万円と公告。

2009年5月13日、小原親族・被害者遺族、小原の元交際相手佐藤梢さんら関係者8名が岩手県警公安委員会らに対し70枚に及ぶ情報提供書を提出。記者会見を開き、事件の再捜査と真相の究明を訴えた。

2010年5月、ザ・スクープの特集が放映される。

同年6月30日、小原の父・一司さんらが県や国に対して指名手配差し止めと賠償を求める訴訟を起こす。

同年11月1日、捜査特別報奨金の上限が300万円に増額。

黒木昭雄氏、Twitterで「税金が警察の犯罪隠しに使われています」と投稿。

2010年11月2日、千葉県市原市の寺院駐車場の車内で黒木昭雄氏の遺体が発見される。現場状況から練炭自殺と断定。司法解剖なし。

2014年4月11日、盛岡地裁は一司さんらの請求を棄却。公開捜査の相当性を認めたものの、指名手配ポスターの小原を「犯人」と決めつけた表記について「無罪推定に反する」と結論付けた。控訴せず。

 

 

黒木昭雄氏について

警視庁在籍23年で23回の警視総監賞を受賞した元巡査部長。探偵業のほか、捜査するジャーナリストとして多くの事件について執筆。とくに警察組織の隠ぺい体質、裏金問題等に対して批判的な立場を貫いた。口癖は「俺が死んだら警察に殺されたと思ってくれ」。

2008年9月にテレビ番組の取材で本件とかかわりを持つようになると、09年、Yahooブログに“黒木昭雄の「たった一人の捜査本部」”を立ち上げ、警察リリースやマスコミが報じてこなかった独自取材を公開。週刊朝日での執筆、関係者証言をYouTube動画で発信するなどし「警察の誤りと再捜査」を広く世に問うた。

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未解決事件には数多の尾ひれがつきもので、2010年11月の黒木氏の自殺も組織や警察による謀殺であるかのように流布された(ている)。 

 長い時間、私財と命を削って警察の不正究明に明け暮れた黒木氏であったが、大手マスコミはほとんど氏の主張を相手にせず、リサーチを続けるほどに生活は困窮した。奔走しても義憤で人は駆られない、真実で組織は動かせない、この世に正しさなんて必要とされていないのではないか。上のtweetは氏の最後のつぶやきであり、公に放たれた最期の言葉である。黒木氏が遺書を送った清水勉弁護士は、小原の父・一司さんらと共に裁判に立った人物である。

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「梢ちゃんは私とまったく同じ名前だったばっかりに、恐喝事件に巻き込まれて、私の身代わりに殺されてしまったんだと思います」

「彼女がなぜ死ななければならなかったのか。私は真相が知りたいんです」

事件の一年後、小原の元交際相手・佐藤梢さんのことばである。黒木氏の活動ははたして岩手県警やマスメディアを動かすに至っておらず、その記事が事件の真相であると断定することはできない。

しかし氏の活動がなかったとしたら、残された人たちは「警察の描いた絵」を鵜吞みにする以外なかった。警察が語る以上のことを知ることも考えることも許されなかった。

 

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筆者は、黒木氏が提示した情報にはある程度の信憑性があると考えているが、全容を掴んでいたのか、真犯人にたどり着いていたのかについては些かの疑問も抱いている(明言を避ける意図や誤認などもあったように思う)。関係者の証言についても、それまでの黒木氏とのやりとりを踏まえた上での発言(黒木氏の見立てに沿った内容)とも考えられる。だが警察組織の不審な動き、杜撰な捜査は事実であろうと考えている。

以下で筆者なりの考えを記したい。

 

小原は殺害遺棄に関与していなかったと考えている。

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上は被害者プロフTOP画。

「年収 昔のぁたしだったら500万前後」

「前の仕事ゃってたら金に不自由しなかっただろぅな」

明確にされてはいないが、レジ打ちなどの一般的なバイトとは考えられず、法外な稼ぎ口があったと考えるのが妥当ではないか。

452 :203:2010/05/27(木) 02:03:41 id:ui8z3A17 さっき載せたブログからの引用だが

>さらに男は「仙台で裏デリヘルやっている」「今は仙台に住んでるが、仕事がうまくいって
なくて、いろんな組関係者ともめている」などと身の上を話し・・・

と、梢さんの

> ぁたしゎぁんたらの玩具ぢゃなぃょ?誰にでも股開くゎけじゃなぃょ?
 (三月二十六日)
 どうしよ・・・ 今日妊娠検査薬ゃってみたら陽性だた・・・ 
 (四月一日
 苦しいよ~ 昨日結局95錠飲んじゃった リスカリストカット)も
 しちゃった~はぁ~ まぢ具合悪
 (四月二十五日)
 ○○○のぉ父さんと初めて話した ちょっと近づけた気がしたぁ 産婦人
 科行ってくる また注射だ 痛す
 (五月八日)

 が、なんか頭に残ってしまう。

警察はこれチェックしたんでしょうかね?
黒木さんは、この辺どう思っているんだろう?

同姓同名や被害届とはまた別のトラブルがあったのかも。

どちらも、視点が小原或いはZに対して集中しすぎていてる気がす。

こちらは被害者のブログ(現在は閉鎖)を読んだ人物(452)による掲示板カキコミ。

例によって地元男性の証言も全て鵜呑みにはできないが、自殺にせよ事故にせよ自暴自棄に近い、憔悴しきっていた小原に救いの手を差し伸べてくれた人物に本音を漏らした可能性は大いにあるだろう。

07年5月のZ氏恐喝から08年6月被害届提出までの1年間、車中泊での逃亡生活の資金の出処は明言されていないが、小原が“裏デリヘル”の女衒だったとすれば納得は行く。プロフの発言にどれほどの信憑性があるのか、単なる冗談のようにも思えるが、そうした点と点をつなぎ合わせると2人の少女も関与していた可能性が浮かび上がる。だとすれば黒木氏が事件の核心部に触れず、未成年の少女たちの尊厳を守るためにセンセーショナルな話題とせずに「警察の不祥事」として訴え続けていたことにも合点がいくのである。

 

根拠のない妄想だが、東北にネットワークを持つ反社会組織等がデリヘルやケータイ向け出会い系サイト(実質的売春サイト)を運営しており、カタギの仕事が続かない小原はその末端としてスカウトや送迎役をしていたのではなかろうか。欲が出たのか、Z氏からの逃走資金捻出のためか、知り合った少女らを動員して個人(闇)で営業を取るようになった。

所持金が尽きた小原は、盛岡で客を取った。小原が待機している隙に、元交際相手は実家に逃走。所持金も金づるもなくして万事休した小原は元いた組織に金を借りようと連絡を取る。小原の闇営業を把握していた組織は、二度と同じような真似はしないと約束させるため、小原の右手を潰し、今までのカタとして「逃げた女」を連れてくるように要求。小原は逃げた元交際相手を誘い出せず、やむなくもう一人をコンビニへ呼び出す。

 

 ここで被害者について、452のカキコミと残存する魚拓等の断片的な情報とを照らし合わせてみる。

被害者は、07年年末に彼氏ができたが08年元日にフラれてリスカ、2月には新彼氏ができてリスカ、36錠服薬(薬種不明)、3月半ばにフラれ、“やり目”の男ばかりで憤慨し「自分って何なんだろ?ぁたしわ体だけの女なのかな?体だけか…」と苦悩。妊娠が発覚。4月半ば、事件当時の交際相手あつしさんと「大事にしたい人ができました 幸せになりたいです」と宣言。その3日後、95錠服薬、リスカ。5月に産婦人科、という流れになる。長らく情緒不安定で自傷傾向にあったことが窺える。交際相手(多くは“やり目”)を立て続けに変えていたことで妊娠の相手が判然としなかったからか、精神的不安もあって堕胎に至ったと推察される。

被害者がいつまで小原と係わっていたかは想像の域を出ないが、下のブログコピペなどは売春に際しての事柄ではないかと思われる。

213 :名無しさん@九周年[]:2008/07/08(火) 10:22:39 id:nqUimGvo0
被害者ブログより - 塩釜の男に蹴りをいれられた記事

2008/02/02 16:28 痛LI★★
今日ゎ朝から最悪。
塩釜の人が なんか 機嫌悪くなて
ぅちに 「てめ-ぉもて出ろゃ」 って言ってきた-
で 出る前に 階段から落ち 腰と尻負傷。
で 外に出て 口論しながら少し歩ぃた
そして坂を下ってる時 壁に突き飛ばされた
ぶつかった 蹴りが膝に。
流血 内出血
涙,足の震ぇが 止まらなぃ
なんでぁたしが ここまでされなきゃぃけなぃの? って思った。
てか まず女に暴力振る-とかなしだょね-
男として最低だょね-
まぢ 足の震ぇるし
暴力振る-奴ゎ 大嫌ぃだ
ぁあ 痛ぃ
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同棲相手がどのような人物で、どこまで彼女を理解し、行動を容認していたかについては知る由もない。梢さんは情緒不安な面があり、そのとき小原の誘いに乗ってしまい、盛岡に拉致されたものと考えられる。小原は少女と引き換えに、ガソリン代とひとときの自由を得た。

小原は身代わりであることがバレないと考えていたのか、だれでもよかったのか。もしかすると人違いと分かれば帰してもらえるものと考えていたかもしれない。組織は少女を風俗に沈めようとしたのか、一時的な人質として預かったのかは分からない。だが別人だと発覚すると野放しにもできず、口封じに殺害された。あるいは扼殺という殺害方法や野ざらしでの遺棄から、「少女の逃走」「激しい抵抗」などに対する突発的な犯行だったかもしれない。遺体は小原への見せしめとして、田野畑との中間地点である松草沢に遺棄された。

金づるを失った小原はしばらく地元で金を稼がなければならなくなり、これ以上Z氏から追われ続ける訳にいかず被害届を取り下げようと躍起だった可能性もある。金をつくって身代わりの少女を取り戻そうとしていたのかもしれない。しかし7月1日夕方、小原の元に連絡が入り、翌朝、方々へ自殺をほのめかして急に姿を消すことになる。その性分を鑑みるに、自ら断崖から飛び降りることは想像しづらいものがあり、仮に殺害遺棄に関与していたとすればこれ以上の「逃走」ではなく「自首」を選ぶように思われる。

1日夕方、組織は少女を殺害遺棄したことを小原に告げ、その代償を小原自身で取る(偽装自殺する)ように命じたのではないか。組織は高飛びや匿うことなどを約束して、小原を断崖から連れ去った。生きて国内にいれば家族や知人に連絡をとるものと考えられ、事故や事件によりすでに生存していない可能性もある。

 

岩手県田野畑を地図で見ると、東は険しい三陸海岸、周囲は山に囲まれた“陸の孤島”であり、見たところ漁港も小規模で産業に乏しいように思われる。仕事が長続きしない小原は親兄弟や旧友を頼りつつその日暮らし、地元で頼れる相手は10年以上前の地元恩師か、顔の広い先輩(Z氏)。佐藤梢さんの地元・宮城県栗原市は地図上だと仙台市などにも近いが、市の半分は栗駒高原、残りは広大な田畑がほとんどを占め、人口統計を見ると人口は急速に減り続けている(大都市が近い分、人口流出が著しい)。

被害者の夢が「大阪でひとりぐらし」だった点を見ても、彼女たちにとってやはり地元は“何もない田舎”だった。2人は高校を1年でドロップアウト、いわゆる“ヤンキー”や“ギャル”の風体をしていた。事件後、彼女たちのプロフや画像が流出すると、ネット掲示板等では揶揄や罵倒、自業自得といった非難が相次いだ。

だが当時の彼らに社会不適合者のようなレッテルを張ることはできない。学業や就職でミスマッチが起きたときにやり直せる場所や機会、選択肢、就業支援などの社会的受け皿が充分になかったことも事件の背景・遠因だと感じられるからだ。家庭の事情は分からないが救済できる余裕はなかったのであろう。

都市部であればバンドや演劇といったサークル活動、オタクや引きこもり、フリースクールや短期労働者など他の選択肢もあったかもしれないが、彼らが田舎の不自由な日常から脱出するための手段はヤンキーやギャルになって外に出ることだった。もちろんそうした経歴でも就業して成功したり、平穏な家庭を築いたりといった若者は現在も多く存在する。

地方社会とのミスマッチ、手早く金を稼ぎたいといった共通項が彼らを接近させ、悲劇に向かわせてしまった印象がある。黒木氏の調査や恩師の証言などを聞いても、地元警察とヤンキー(家出少女も含まれる)との係わり方は、監視の目を光らせつつも一人一人に救済の手を差し伸べるでもない、つかず離れずといった特異な“距離・近さ”を保っている。

警察にそれを望むのは間違いかもしれないが、“非行少年少女≒犯罪者予備軍”ではなく、たとえば就業支援団体や職業訓練施設、シェルター等へつなぐなど若者が思わぬ危険に嵌らないような地元の支援があれば、地域の未来を育むことにもつながる。少年少女が不自由に悶え、将来への不安を抱えたとき、その声を掬い上げられる“場所”がこれからの社会にはもっと必要になる。

小原が生きていれば加害者・共謀者として大なり小なり事件の責任を問われることになるが、彼もまた社会から見過ごされてきた・見放されてきた被害者といえないだろうか。

被害に遭われた梢さんのご冥福をお祈りしますとともに、再捜査と真相解明を求める関係者のみなさんの想いが報われることを願います。