感謝祭
オマイマ・アリー、23歳、自称モデル。
1991年秋、オマイマはテキサス出身でカルフォルニア州コスタメサに暮らしていたウィリアム・E・ネルソンさん(56歳)とバーで知り合った。彼も他の男たちと同様に彼女に紳士的に接し、若さに翻弄されながらも甘やかすことを喜んだ。彼女の目にもネルソンさんは「理想的な男性」に映り、出会って1か月で内縁の夫婦関係となる。
フェニックスでエジプト人司祭立ち合いの元、ささやかな式を挙げた。彼はハネムーンがてらテキサスの子どもたちにもオマイマを紹介した。旅の最中、彼女が落馬事故を起こし、周囲の人々はすぐに病院に行くべきだと思ったが、オマイマはアスピリンとウォッカを飲んで痛みを堪えていたという。ネルソンさんの娘は、父はなんてタフな女性を選んだんだと仰天した。
二人はネルソンさんのアパートで新生活を始めることとなる。夫婦として迎えるはじめての感謝祭は特別な一夜になるはずだった。というのもウィリアムさんは他の男性たちよりも昔気質、オールド・スクールな慣習を好み、他の男たちと違って結婚するまで冒険的な肉体関係を望まなかった。
オマイマはそうした彼の気質にもいち早く気づいていたはずで、無闇に誘惑したりはしなかった。人生経験もあり、身長195センチ、体重100キロを超える大柄な彼に対して、オマイマも「いつも」以上に慎重になっていたかもしれない。
ウィリアムさんは元パイロットで、メキシコからのマリファナと電子機器の密輸で前科があった。だがその後は住宅ローン会社に勤め、真っ当な暮らしぶりだったという。5人の子ども、17人の孫をもつ「おじいちゃん」でもあった。赤い革のブーツ、派手な柄シャツを着こなすテキサス男は広大な牧場や彼が手掛ける物件、金回りのよさについてひけらかす迂闊なところがあった。
一方、魅力的な新妻にはあまりにも「余計な経験」がありすぎた。その晩、二人の間にどんな衝突があったのか具体的なことは分かっていないが、明らかなのはオマイマは夫を殴りつけ、ハサミで刺して息の根を止めるだけにとどまらなかったということだ。アパート階下の住人は、フードプロセッサーの轟音を何日も聞き続けねばならなかった。
さらにオマイマは作業に体力的な限界を感じたのか、3日後に元ボーイフレンドであるホセの元を訪れた。一年ぶりに会った元カレに「夫に監禁されて暴力を振るわれた」と被害を訴え、部屋にあったランプで撲殺した、自己防衛だったと涙ながらに夫の殺害を打ち明ける。オマイマは運び出すために遺体の解体作業をしていると話し、7万5000ドルとオートバイ2台と引き換えにその遺棄を手伝ってほしいと彼に助力を求めた。
彼は元カノの頼みに渋々応じ、港に捨てに行くことを決め、「知人からトラックを手配してアパートに向かうから部屋で準備して待っていて」とオマイマに告げた。女の赤いコルベットが走り去るのを確認したホセは慌てて911番に通報した。
待機していた警官がオマイマの車を停めて事情を聞くと、「夫は出張でフロリダにいる」と女は答えた。車内を点検すると、ターキー、エンドウ豆、コーン、マッシュポテト、クランベリーソースなど感謝祭の食事の残りと一緒くたにされた人間の臓器とみられる荷物が発見される。すぐに令状が取られ、家宅捜索が開始された。
寝室のベッドは土台が破壊され、マットレスには凄まじい量の血痕が残されていた。スーツケースにはゴミ袋が詰められており中から削ぎ落された血まみれの人肉が発見される。台所フライヤーの中から男性の手が見つかり、指紋を消すための隠蔽工作と考えられた。バスルームには皮を剥がされ、内臓がくりぬかれた胴体がぶら下がったままだった。冷凍庫の中には他の食品と一緒に大きなホイルの包みが入っていた。開いてみると、すでに油で揚げられた人間の頭部であることが分かった。細胞と髪の毛が付着したままのランプとアイロンが決定的な凶器と断定された。
女は、死体はウィリアムが殺した人間で自分は無関係だと言い張った。
女の事情聴取とウィリアム・ネルソンさんの所在確認がなされ、すぐに女の供述の嘘は明らかとされる。やがてオマイマは死体を彼本人だと認めることになるが、「殺害の記憶はなく、気づいたときには袋の中に遺体があった」「悪魔に命じられてやった」「二人組の女のビジョンが現れて『彼は死ななければならない』と何度も告げるので、仕方なくやった」と供述を変遷させ続けた。
細かな検証の結果、頭部には少なくとも25か所に及ぶ外傷が認められ、それが直接的な死因と考えられた。夫婦は合意の元、ベッドルームで束縛プレイに及び、被害者は四肢をベッドに拘束されていたものと推測された。
問題となったのは、捜査で発見されなかったおよそ180g分の遺体の一部について、オマイマが精神科医に「食べた」と主張したことだった。彼女は精神科医に「肋骨が最高だった」「夫より美味なものはない」と話していた。
過去にデパートの万引き犯で捕まりかけていたことも明らかとなった。オマイマは近づいてきた女性警備員のひとりの股間を蹴り、もう一人の胸元を引き剥がして乳首を噛みちぎろうとしたため取り逃したと報告された。女は罰から逃れるためには手段を択ばない。捜査官たちは精神疾患を偽装していると感じ取った。
スラム育ち
エジプト南部・スーダンとの国境近くで生まれた彼女は、極度の貧困家庭で育った。7歳の時、いわゆる「FGM(female genital mutilation;女性器切除)」が強要され、術後の感染症は避けられたものの、その後の彼女の性生活に苦しみを与えた。父親は家庭内暴力を繰り返す人物で、母親は娘を連れて家出し、カイロの貧民窟での暮らしを始めた。
彼女の暮らしは他のスラム・サバイバーたち同様にみじめで危険で過酷なものだったが、成長するとその美貌から転機を掴むことになる。米国出身の石油労働者に見初められ、1986年にプロポーズを受けたのである。母親は若い娘にアメリカン・ドリームの成功を託し、18歳のオマイマはプロポーズを受け入れてエジプトでの悲惨な少女時代に別れを告げた。
夫婦はテキサスで生活を始めたが、拙速な結婚は長続きせず破綻を迎えた。その原因は明らかではないが、ひょっとすると彼女にとってこの結婚は当初から渡米のために必要な「片道切符」だったのかもしれない。身よりもない彼女がカイロに戻らないためにはとにかく金を手にするしかなかった。ベビーシッターやメイド働きで日銭を稼ぎつつ、パートタイムのモデルの仕事にありつき、部屋代を支払うことができるまでになった。
だが都会でのサバイブが彼女の目的ではなかったはずだ。男性の買い手市場では女性の若さに応じて「値札」が付く。彼女もその美貌は若さの代償であると自覚していた。モデル稼業もいつまでも需要が約束されてはいないため、ストリートやスラムに逆戻りになる強迫観念もあった。安定を手にするためには肉体労働を増やすよりも、「いい男」を捕まえる方が得策に思われた。
オマイマはカルフォルニア州オレンジ郡コスタメサのバーや盛り場に出入りし、周囲の男たちの羨望を集めた。エキゾチックな美貌、フレンドリーな社交性と機転の利く会話、ビリヤードの腕を兼ね備えていた。それらは偶然の産物ではなく、自覚的に男性が望む振る舞いを身につけていったものと見られる。
彼女が夜の相手に選ぶのは金のある年上男性たちだった。彼女が主導権を握ってSMプレイへと持ち込み、手枷・足枷をして相手の自由を奪うと刃物や銃を手に脅迫を加えた。
「金はどこだ、言え!」
それが性的逸脱の演技の一環でないと気づく頃には、素直に金の在処を教える以外に穏便な和解方法は残されていないのである。男たちは自らの失態を隠して面目を保とうとするため、告発しないのが常だった。
そうしてオマイマは男から男へのハニー・トラップで気軽に現金を得る術を身につけ、金が尽きれば店から店、街から街へと渡り鳥のような生活が続いた。そして91年秋、派手好みなテキサス人男性との運命の出会いを迎える。
裁判
1992年12月、検察は前年にオマイマに脅迫を受けた男性被害者から告発を取り付けた。証言台で、彼女とどのように関係し、脅迫を受けて金を奪われそうになったかを語らせ、被告人は男を手玉にとる女ペテン師、計画的略奪犯だと主張した。
弁護側は、彼女は夫からのDV被害者で正当防衛による致死だと主張。連日オーラルセックスの強要を受けており、恐怖のあまり男性が息を吹き返さないように繰り返し殴り続け、混乱とトランス状態に陥り12時間にわたって解体作業を続けたと説明した。
オマイマは夫から「お前には『支払い』を済ませてある」「言うことが聞けないのなら生き埋めにしてやる」と屈辱的な扱いを受けていたと証言した。弁護士はさらに彼女の過去にさかのぼり、虐待下での壮絶な生い立ち、慢性的PTSDが彼女の人生を狂わせていると主張して、情状を訴えた。
一方で、遺体を扱った司法医は、油揚げされた手首から確認することはできなかったものの足首には拘束された痕跡が確認されたと述べ、さらに男性が死亡する前に「去勢されていた」と報告し、女が惨たらしい拷問を与えていたことを印象付けた。オマイマと面談をした精神科医は、彼女が夫を「始末」する前、全裸に赤い靴、赤い帽子、赤い口紅で「ドレスアップした」と述べていたことを紹介した。
前述のように当夜、ベッドルームで男女の間にどんなスキンシップが行われ、何をきっかけとして衝突したのかは判然としない。過去の男性脅迫の手口には確かに計画性を窺わせるものだが、本件のように「殺害」に至るには何か偶発的なトラブルがあったものと考えられた。たとえば拘束紐が解けたり、手足を固定していたベッドが彼の強力によって破壊されたりして、動揺した女が突発的にランプやアイロンを投げつけたといった場面だ。
男性4人女性4人の陪審員たちは、夫による妻への虐待の申し立てを受け入れず、オマイマは夫に対する2級殺人(殺意を持って故意に殺害したが計画性がないもの。「1級殺人」は計画的殺人)および元交際相手に対する監禁、強盗未遂の罪により懲役27年以上の終身刑となる有罪判決が言い渡された。
2006年、2011年には改めて夫の性的虐待に対する「正当防衛」だったとの主張により仮釈放を申請した。オマイマの弁護人テレンス・スコット氏は、エジプト神話の信念に従って、死後の世界で夫と「再会」することを恐怖したあまり、遺体を損壊したと説明した。
検察当局によれば、刑期中で甚大なトラブルは報告されてはいないが、社会復帰に向けた自助プログラムには参加していないこと、他者に対する無関心な傾向が強く、更生している様子はみられないと報告されている。ウィリアムさんの娘マーガレットさんは「命を奪い、遺体さえ消し去る犯罪者にどのような罰が適切なのかは私には分からない。けれどその女を外の世界に出してはいけないということだけは明白です」とオマイマに対する強い憤りを書面で訴えた。
仮釈放委員会では審問により、依然として彼女が予測不能で公共の安全に対する重大な脅威となりうると判断し、仮釈放を認めなかった。
オマイマは90年代に障害を持つ男性(当時70代)と獄中結婚をしている。男性は幾度かの訪問機会を得たがその後亡くなった。「妻」に遺産を残したと伝えられているが2024年現在も手つかずのままである。オマイマ・アリー・ネルソンは現在、カルフォルニア州中部のチャウチラにある女性向け矯正施設に収容されている。次に仮釈放審問の機会を得るのは2026年と見られている。
所感
欧米では住宅事情や体格のちがいなどもあって「女性によるバラバラ殺人」は日本に比べて多くないと言われている。オマイマとしては大柄の遺体をどうやって持ち出すかに苦心していたにちがいないが、前例が限られるだけに余計に犯行の残忍性に注目が集まったと言えるだろう。
食人供述について筆者は事実とはとらえていない。エジプト神話に明るくないので誤解があるかもしれないが、一般的に社会的行為としての骨噛みやカニバリズムは死者への愛着を示し、魂の継承儀式として行われる行為である。一方で部族社会には族外の敵を制圧したことを意味する場合もある。だがこれは部族間闘争での話であり、相手への敬意も含んだ、男性たちの風習である。女の無慈悲な犯行と、風俗的なカニバリズムは対極にある。
当然、その発言には精神疾患をほのめかして責任能力のなさを強調するねらいもあったかもしれない。あるいは遺体を「サンクスギビングの残飯」と遺棄しようとしていたことをメディアがセンセーショナルに報じたことや、警察や医師の執拗な追及に対する趣味の悪いジョークとして、オマイマは「美味しかった」と事実にない証言をしたのではないか。「好奇心」から食人に及ぶケースもあるが、オマイマは猟奇殺人者というよりも女詐欺師というべきだろう。
もちろん若さや美しさを利用した詐欺師は五万と存在するが、外見的美しさや年齢に頼らないサキュバス殺人者、結婚詐欺師たちも少なからず存在する。彼女が塀の外で生きていくためには同じ過ちを繰り返すことは間違いないだろう。あまりにもタフな彼女にとっての安定は矯正施設の中でしか約束されていない。
犠牲者のご冥福をお祈りいたします。