真夏の雨の夜に消えた女子大生。事件化の遅れなどによって長年周知が滞り、2010年代から事件性が高いとして捜査が再開された長期未解決の行方不明事案である。
事件について匂わせる人物を知っている、よく似た人物を見かけたことがあるなど心当たりのある方は、以下まで連絡をお寄せください。
警視庁 町田警察署 代表042-722-0110(内線3315)
井出敏一 携帯 080-8543-3772
夏の雨の夜
1999年8月13日(金)18時頃、東京都町田市成瀬に住む多摩美術大学1年の井出真代さん(当時18歳)がJR成瀬駅近くのレンタルビデオ店に立ち寄った姿が見られたのを最後に、その消息が分からなくなった。
井出さん一家は両親と真代さん、双子の弟の5人暮らし。その日、両親と二男は愛知にある母方の実家に帰省するため、早朝5時に家を出た。長男も泊りがけのアルバイトのために朝9時に外出し、真代さんは一人で家で留守番をしていた。
というのも、お盆の帰省は家族の恒例行事で以前から「13日の愛知行き」の話はあったものの、前日になって真代さんが「14日18時に渋谷の歯医者の予約を入れた」と言い出し、帰省には急遽同行しないことになったためだった。父親は自宅近郊の歯科医院を勧めたが、彼女はその提案を拒否したという。
愛知に到着した両親は祖母にせがまれて娘のPHSに電話を掛けたが、応答はなく留守番電話に接続された。自宅に掛けてみても応答はなかった。翌14日、15日も相変わらず電話はつながらず不安が募った。16日に家族は自宅に戻ったが玄関は施錠されており、真代さんの姿はなく、部屋も特段いつもと変わった様子は見られない。
分かるかぎりの友人・知人に連絡を取ったがだれも彼女の行方を知る者はなかった。「14日に行く」と話していた歯科医院にも確認してみたが、実際に予約手続きはされていたものの当日に来院してはいなかった。
17日、家族は行方不明を警察に届け出るが、事件や事故を裏付けるものはないため「特異失踪」ではなく「家出人」と判断され、事件としての本格的な捜索活動は行われなかった。
井出さんは1981年生まれ。171センチの身長とスリムな体型を活かして高校時代にはモデル事務所に所属していた経験もあった。父親が営むデザイン事務所兼自宅は駅から約1キロの距離にある。電車通学だったため、真代さんの生活環境に以前とそれほど大きな変化はなかった。自宅から大学まで電車とバスで概ね片道1時間半かかる。当時、大学では油絵を中心に学んでいた。
読書や絵画、写真や映画などが趣味で、明るい茶色のショートヘアで外見は派手に見られるが、本人は地味でマイペース、穏やかな人柄だったとされる。集中力、物事に没頭する能力があり、性格は明るくて天真爛漫、と父親は語っている。
失踪当時は薄緑色のノースリーブシャツにジーンズ、ピンク色のサンダルといった軽装だった。所持品は、「紀伊国屋」のトートバッグ、数日前に購入した「Giorgio Morandi」の洋書画集、プールに行く際の「水着・タオル類」一式、当時常に持ち歩いていたカメラ、カード、PHS、傘とみられ、所持金は1万5千円程度と推定されている。パスポートや保険証は自宅に残されていた。
過去にアルバイト経験はなく、郵便局にある唯一の口座から出金したのは7月27日の5万円が最後で、残額は「17,574円」であった。失踪を案じた家族は、5万円、さらに2万円と二度振り込んでみたが引き出されることはなかった。
捜査の遅れ
家族は無事帰ることを信じつつ、真代さんが自発的に家出する理由が思い当たらないとして、知人らと協力してできるかぎりの手掛かりを得ようとした。
PHSの発信履歴を開示請求すると失踪の2日前「11日」17時4分が最後だった。誰かと会う約束があったのか、密かに遠出する予定でもあったのか。真代さんの知人たちに片っ端から確認していったが、やはり13日の予定を知る者はなかった。
町田市の気象データがないため、北に隣接する「八王子市」のデータを見ると、行方の分からなくなった13日は最高気温は29.4度、朝5時に1㎜、16時~23時にかけて1㎜から10㎜の降雨を記録している。翌14日は1時~20時にかけて1㎜の「弱い雨」~最大44㎜の「激しい雨」が降り続いていた。
念のため南に隣接する神奈川県「相模原中央」の降雨量で確認すると、13日は朝7時に7㎜、16時~23時にかけて1㎜~12㎜の降雨が続いていた。翌14日も1時~19時にかけて2㎜~最大37㎜の激しい雨が続く一日となった。合わせて考えても、13日16時から町田市内でも夜通し雨が降り続いていたとみえる。
夏場で日が長く、日の入り時刻は18時34分頃だが、夕方からの雨で体感的に暗くなるのは早かったと推測される。
13日17時50分頃には、近所のレンタルビデオショップに借りていたビデオを返却した記録が残っていた。本人が返却に来て(自宅と逆方向の)成瀬駅方面へ向かっていったことを店員も記憶していた。これが確認できた最後の行動記録である。
また家に残っていなかった「水着・タオル類」については家族にも心当たりがあった。井出さんは子どものときから水泳が好きで、前日にも片道約40分かかる町田第一中学校のプール開放日で泳ぎに行っていた。駅から電車で町田市内の市民プールに向かった可能性が考えられたが、これといった目撃証言は得られなかった。
2010年になって「話を聞かせてほしい」と警視庁から家族に打診があり、再捜査が開始された。刑訴法の改正により殺人罪の時効撤廃となったことにより、長期失踪者の中で事件性の高い(殺人事件が疑われる)事案について洗い直しが行われたためと思われる。
この段階で行方不明から10年以上が経過しており、それまで公開捜索が行われてこなかったことが災いし、事件性を示すような証拠は薄くなっており、捜査に大きな進展はなかったとみえる。2015年以来、テレビ番組などでも取り扱われることとなり、ご家族は今も広く情報提供を求めている。
FIND ME
2018年にFNN系列で放映された『特捜!最強FBI緊急捜査』では、元DEA(米司法省麻薬取締局)特別捜査官でアメリカの非営利団体・行方不明者捜索組織「FIND ME」創設者ケリー・スナイダー氏に協力を依頼。団体は2002年に設立され、事件分析・現場保全・情報管理、捜索管理や救助犬による追跡、筆跡・ボディランゲージ・言語・データの分析、検視官、溺死調査、カウンセリング、家族支援のほか、遠隔透視、霊媒、法医学占星術など、現役・退職した捜査官ら160名からなる専門家によりあらゆるリソースを提供し、家族や法執行機関と連携して解決に導くことを使命としている。
スナイダー氏によれば、捜査方針を立てる前にまずやるべきことは「数多くの人達から多くの情報を得ること」と言い、「どんな人たちとよく電話をしていたか」「秘密を打ち明けるような友人がいたのか」「どのような場所に好んで通っていたのか」等、人間性を掴むことで行動パターンを推測することができるという。
スナイダー氏とプロファイラーのペギー氏が来日して捜査に当たる。スナイダー氏が「引っかかること」としてはじめに挙げたのが「歯医者の予約」である。「まるで家族と一緒に帰省したくなかったかのような行動と考えられる」と言い、家出計画の口実ではないかと語る。同行したペギー氏は、「偶然誰かに会い、何かが起きたと感じています」と慎重な見方を示した。
二人ははじめに最終目撃地点となった成瀬駅前を訪れ、駅とレンタルビデオ店とのルートを確認。レンタル店前でペギー氏は「彼女はここを出てから誰かと会ったのかしら。待ち合わせて…」と口を開き、スナイダー氏の「知り合いか?」との問いかけに同意を示す。スナイダー氏は歯科医院の予約がどうしても気になると言い、彼女の行動について「自分の意思があったのではないだろうか?」と述べる。さらに「もうひとつ考えるとすれば、彼女の習慣を知っている顔見知りが声を掛けた」との見解。
続いて両親との面談で、真代さんの身辺状況や人柄について質問を投げかけた。当時彼女に何か悩みがありましたかと問われ、父親は「大学が始まって、今までやってきた絵のことよりも今度は演劇に興味を持ち始めたりとかで悩んでいたことは確かだと思います」と答えた。いなくなる数日前、なにか違い(変化)はありましたかと問われ、母親は「別に気分の高揚も落ち込みも、特別にいつもと違うものを感じてはいませんでした」と答えた。
スナイダー氏の質問はより具体的なものへと変わっていった。「真代さんは仕事をしながら学校に行きたいという意思表示をしたり、もしくはどこかで隠れてアルバイトをしていた可能性はありますか?」。ご両親は「ないよな」「うん」と心当たりが浮かばない様子であった。
夫妻からの聞き取りを終えたスナイダー氏は「真代さんはとてもピュアで真面目な性格だと感じた。将来に向かって色々と興味を持って勉強していたようだし、性格的に自ら家出はしない…と感じたのだがきみの意見はどうだ」とそれまでの自発的な家出説を撤回した。
ペギー氏も同意し、「真代さんはアートの世界に進むか演劇の世界に進むか将来に対するビジョンを持っていた。彼女の絵も見たけど完璧主義者だと思うの。そういう女性が家出をするとすれば、もっと計画的に行動するはず」と分析。「服装から見てもそうで、あまりにも軽装で小さなバッグだけ」と家出説を否定。
さらに「この写真を見て」と真代さんの写真を並べ、「人と会うときにはアクセサリーを身につけているの。ファッションでも自己主張する女性なのよ。他人に対して自分はこういう人間であると目立つ格好をする女性なの。それに比べて失踪した日は近所におつかいに行くような格好にしか見えない。単にビデオ返却の為に家を出たと思う」と行動を分析した。
失踪の2日前最後に通話のあった大学時代の先輩Aさんが捜査に協力。彼は真代さんとの最後のやりとりについて「日時は8月の上旬だったと思います」と語り始め、19年前の記憶を振り返る。
Aさんは「8月20日に一緒に美術館に行きませんか」と誘ったが、そのとき彼女は「行けるかどうかまだわからない」という返答だったという。8月20日はAさんの誕生日だった。真代さんは「ほかに予定が入るかもしれない」と返事を保留。会話の調子にいつもと変わった様子はなかったという。
Aさんも失踪の「原因が全く見当たらない」と言い、「もしかしたら事故に遭ってしまったのかなっていう…」と落ち着きながらも悲しげに語った。「いなくなった次の日に、ずっと町田から横浜の方までずっと(豪雨で増水した)川を歩いて下っていって、もしかしたらと思って」とゲリラ豪雨の影響で河川への転落事故を想像して捜し回ったことも明かしてくれた。
Aさんが訪れたという川の様子を確認したスナイダー氏は「アクシデントでここに落ちるとは思えない」と転落説を即否定。橋には大人の胸の高さまであるしっかりとした欄干があり、川沿いの道路にも3m近い金網が設けられているため、故意に飛び込まなければ転落しようがないように見える。
失踪に関係のないことでも何か気になっていることはありますかと問われた高校時代の同級生Bさんは、「直接関係がなさそうでもいいですか」と留意した上で重い口を開いた。井出さんがいなくなるおよそ1か月前、「成瀬に住んでいた友人の妹(当時高校生)が車に連れ込まれそうになったことがあったみたいで。未遂で済んだのでそのときには警察には届け出なかったと聞かされた」と周辺で連れ去り事案が起きていたことを明かした。相手は悲鳴を上げると逃げていったが、20代で眼鏡を掛け、ぼさぼさ頭の長髪男性だったという。
真代さんの失踪と直接関係があるかは分からないが地域性に関する重要な証言である。
スナイダー氏は得られた情報をFIND MEメンバーにも共有し、意見交換を行った。犯罪・臨床心理学者ジョン・デンボア氏は「現段階で言えることは、レンタルビデオ店を出た後、なにか大変なことが起きた。おそらく誘拐だと思います。彼女のような生活環境をデータベースに当てはめて考えると、かなりの確率で誘拐という答えに近づいていきます」と述べた。では今、真代さんはどうしていると考えるか問われたジョンは、「データベースと比較しても、65~70%の生存率がはじき出されます」と答えた。
元警官のドゥエインも、誘拐されて今も生きているとの考えに同意した。アメリカでのケースを踏まえれば、「どこかで拘束され強制労働させられている。さらに『逃げ出したら家族に危害を加える』と脅され、洗脳されて逃げられない状態なのかもしれません」と見解を述べた。
生還の可能性について問われたジョンは「戻れる可能性はゼロではありませんがかなり低いと思います」と述べ、その理由として「おそらくまだ彼女は役に立っている、役立つ間は手離す理由がない、と犯人は考えるでしょう」との見解を示した。
スナイダー氏はさらに犯人像へとプロファイリングを進めていく。ドゥエイン氏は「19年という時間を考えると“知人”では隠しきれない。見知らぬ人物による犯行だと考えるべきだと思います。彼女は目を付けられていたのではないでしょうか」と知人による犯行には否定的な態度を示した。
再び成瀬駅前を訪れた二人。スナイダー氏は、周辺環境について車通りはあるが人通り自体は少ないとして、駅へ向かう僅か300メートルほどの間で誘拐された可能性を指摘した。人目に付きやすいのではないかというスタッフの質問に対して、氏は「『ちょっと見せたいものがある』など声を掛けて、引っ張っていくだけだ」と駅前であっても車を使った連れ去りは難しくないと主張する。
スナイダー氏は気になる場所があるとして、井出さん宅からおよそ30キロ離れた湖へとスタッフを同行させた。名称は明示されていないが、神奈川県の宮ケ瀬湖、津久井湖、相模湖エリアが含まれる。氏は「行方不明事件では、亡くなっている可能性を踏まえ、遺体を遺棄できる都合のいい場所がないかを調べる」と言い、「経験上、犯人は遺体をそう遠くへは運ばない。湖の周囲には森林も生い茂り、人目にもつかないし、長時間車に放置するようなリスクの高いことは絶対にしないはずだ」と説明する。実際、そうした湖では過去にも遺体が発見された事例は報告されている。
一連の捜索取材を終えたスナイダー氏は、何者かが道を聞くなど声を掛けて路地裏などへ連れて行き、人目を避けて誘拐に至ったという理論を導き出した。「どんなに時間が経っていても遅いということは決してありません」と断言し、「些細なことでも手掛かりにつながることを知っていたらぜひ情報をお寄せください」と呼び掛けた。
歯科医院と夜のプール
渋谷の歯科医院の予約について考えてみよう。
保険証が残されていたことから、8月中の通院がなかったとすれば、どこかに外泊して翌日その足で渋谷の歯科へ行こうとしていた可能性は低い。その日の内に帰宅するつもりでいたとみるのが妥当だろう。
歯科医院で予定されていた施術内容(定期メンテナンス、虫歯治療、美化治療など)は明らかではない。中には「歯科医師と恋愛関係にあった」等の妄想推理もなされているようだが、仮にそうだとしても事件と関係がないのでここでは差し控えたい。
親子関係・家庭環境の良好さや安定は、周囲の大学一年生たちが一人暮らしやバイトなどで苦労する中、恵まれすぎているようにさえ思える。だが真代さんの立場から周りの学友たちはどう見えていただろうか。一人暮らしの新生活を謳歌し、バイトにサークルにと活動の場を広げていくのを横目に、彼女の中の自立心も刺激されていたはずだ。現状の暮らしに不満がある訳ではないが家族と少し離れて一人で過ごせる自由時間がほしかった、大学通いにも慣れて「生活の幅」として変化や刺激を求めていたと考える方が自然ではないか。
無論、市内でも施術そのものは可能だったかもしれないが、大学キャンパスは都心とは逆方向にある。文化芸術に対する彼女の関心領域や「1990年代の渋谷」の文化的隆盛を考慮に入れれば、洋書や音楽、アート映画、ファッションなどが集積される「渋谷」の街そのものに大きな魅力を感じていたのは疑うところがない。人の薦めがあったのか、自分で選んだのかは定かではないが、外出の口実に歯科医院はうってつけだったようにも思える。
家族には彼女の歯科医院へのこだわりが不可思議に感じられたかもしれないが、それほど重大な理由はなかったのではないかと筆者は考えている。長男も泊りのバイトで愛知行きには同行しない、ならば自分も家に残ろうかな、歯医者に行きたいけど折角だし近場じゃなくて渋谷にしちゃおうかな、と本人からしてみれば些細な動機だったかもしれない。
「水着を持ってビデオ返却をしに行った」状況や新たにビデオを借りていった等の情報がないことから見ても、井出さんのその日の優先的な目的はむしろプールに行くことと捉えるのが自然ではないか。前述の番組内では予断を持たず、最終目撃地点とされるレンタルビデオ店や成瀬駅界隈での実地調査を行い、駅前での連れ去りという見解になったが、ここでは電車やバスでプールに向かったケースを検討してみたい。
10年後の再捜査では、駅周辺の防犯カメラ、バスの乗降動向、市民プール利用の有無などを個人単位で裏付けることは不可能に近い。町田駅周辺には東京家政大、相模女子大、淵野辺駅周辺は桜美林大のほか青山学園大、麻布大など学生が多い地域で、駅やバスの車内ではそれほど目立たなかったとも考えられる。当時の記録がなく、記憶が喚起されづらい条件が重なったことを踏まえれば、真代さんがプールを訪れていたことも充分に考えられる。
当時の休館スケジュールや営業時間など詳細は分からないが、2024年現在で照らすと、町田市では図師町にある「町田市立室内プール」が21時まで、市立3中学校の屋内温水プール(町田第一中学校・南中学校・鶴川中学校)が平日は20時半まで市民開放されている。
「午後6時・成瀬駅」を起点とした場合、距離的に最も近いのが南中学校で直線距離にしておよそ1.5キロである。ビデオ店のある成瀬駅の北口からはバスで16分。あるいは駅の南口方面に出れば、バスで10分程度である。南中学校周辺は住宅街でスーパーマーケットなど人の行き来も多い地域である。
鶴川中学校までは電車の乗り換えもあり、除外できるのではないかと考えられる。横浜線で隣の町田駅へ行き(電車で4~5分)、小田急線に乗り換えて鶴川駅へ(6分)。そこからさらにバスで、というルートになり最短でも45分前後かかる。バスのタイミングによっては1時間程度は見積もらねばならず、午後6時から向かうにしては遠すぎる。
町田第一中学までは、横浜線で隣の町田駅へ移動し、駅から徒歩10分強(800m程度)で到着する。町田駅は地下通路があるため途中までは雨も避けられ、アクセスに難はなく最短で22分程度である。成瀬駅からバスで町田駅に向かうこともできるがこちらは30分強かかる。
失踪前日にも訪れており、とくに不満がなければ再び訪れた可能性は高い。そして仮に連日通ったとすれば、前日から目を付けられていた可能性も想像される。町田駅から第一中学までの中間地点には芝生広場があり、車で待機するには都合がよさそうな場所にも見える。しかし広場のすぐ隣には交番があることから犯行現場には思えない。
町田市立室内プールへ向かうルートとしては、電車で隣の町田駅まで行き、バスでプール最寄りの「桜美林学園前」まで向かうか、成瀬駅から3駅離れた淵野辺まで行ってバスで「桜美林学園前」へ向かうかになる。バス停からプールまでさらにおよそ1キロ、徒歩15分程度離れており、こちらもやはり遠すぎる印象を受ける。
町田市立室内プールは町田市と多摩市との間に広がる「多摩丘陵」に位置しており、付近のゴミ処理施設の排熱を利用した温浴施設である。
下のストリートビューは桜美林学園前バス停からプールへと向かう「さくら通り」である。バス停は市街地のはずれに当たり、道路自体はきれいに整備されているが丘陵地に向かっていくその道は人の流れが途絶えた場所である(現在では丘陵にも新興住宅地が拡大している)。
3市立中学校プールは市街地にあり、「ひと気のない場所」には当てはまらない。だが仮に真代さんが前日とは違うプールを求めて遠出したとすれば、この閑散とした夜道は連れ去りの現場を強く予感させる。
お盆時期の学生街は住民の構成比も変わり、普段より更にひと気は少なかったかもしれない。傘で手は塞がり、視界は遮られ、夜の坂道、サンダル履きでは逃走も難しく、悲鳴は雨にかき消される。犯人はそんな好条件を知ってか知らずか、ひと気のない道へと近づく女学生を求めて車で徘徊していたのではないか。最も懸念されるところは、周りに廃棄物処理施設しかないような場所だということである。
所感
上述の『特捜!最強FBI緊急捜査』について気になる点があったので書いておきたい。
大学の先輩だったAさんの「いなくなった次の日に、ずっと町田から横浜の方までずっと川を歩いて下っていって、もしかしたらと思って」と語った純愛男性の悲恋のエピソードとも受け取れる談話についてである。
13日を「いなくなった日」とすると14日には確かにゲリラ豪雨ともいうべき「激しい雨」が降っている。だが家族は愛知に居て彼女の安否に気づいておらず、学友らはどんなに早くとも16日までは真代さんの所在不明を知らされてはいなかった。Aさんが「いなくなった次の日」というのは何日を指しているのかはっきりとは分からない。
番組インタビュー当時は30代後半と思われ、モザイク越しではあるが感情的にならず落ち着いた様子で少し寂しげに語る様子は演技のようにも思えない。それとも7月に都下を襲ったゲリラ豪雨のニュースが強く印象にあったことから、失踪の翌14日も大雨だったことを思い返して、後日、川の捜索に出たということなのだろうか。
揚げ足取りが目的ではなく、Aさんが犯人だと言うつもりはない。どんなに身近であっても愛情があったとしても、人間は精密な記録媒体ではない。時間の経過とともに記憶や情報に狂いが生じることに留意する必要があるということだ。公開捜索そのものの遅れは大いに悔やまれるところであり、Aさんや家族による捜索に協力してくれた人々も、失踪当時にプロの手練手管で話を聴取を受けていれば、より正確な情報や「そういえば…」と別の気づきがあったかも分からない。
家族にも思い当たる節はなく、自宅への身代金要求などもないこと、金品を身につけていた訳でもないことなどから性犯罪を動機とした男性犯と見るのが順当だろうか。スナイダー氏は初期に「彼女の習慣を知っている顔見知り」の可能性を示唆しているが、外出のタイミングは偶発的であり、大学の同級生や先輩が真代さんを狙ったとはやや考えにくい。一方で、中学・高校時代の同級生や先輩などであれば18歳以上ということになり、偶々車で駅近くを通りがかり、真代さんを見かけて「乗せていこうか」となる場面は想像できる。
アメリカと日本では住宅事情や環境が大きく異なることから鑑みれば、クリーブランド事件のように長年にわたって支配隷属させる監禁が継続されている、生還の可能性という見通しは経過した時間の長さに反比例して、どうしても小さく見積もらざるをえない。しかし該当する遺体が出てきていないという事実は、たとえ僅かであれ生存の可能性を失わせない。
一本の情報提供や小さなきっかけから捜査は進展する。当時のことで思い出したことがある、それらしき犯罪について聞かされたことがあるなど心当たりの方は些細なことでも通報されたい。
下の捜索用オフィシャルサイトでは、上の画像のほか8点の警視庁提供想像図が掲載されている。
ご家族との一日も早い再会を願っております。