いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

過去を捨てた男——ピーター・バーグマンの死

アイルランドの浜辺で見つかった男性行旅死亡人。その死の直前の行動は不可解な謎に包まれていた。

後半では、後に身元が判明した「ライル・ステヴィク」の事例を参考に取り上げる。

 

不可解な遺体

2009年6月16日、アイルランド西岸の町スライゴ近郊の「ロセッスポイントビーチ」で、トライアスロンの早朝トレーニングに訪れていた地元住民のキンセラさん父子は、浜辺に倒れた男性の遺体を発見する。

半裸姿の男性は年の頃50代半ばから60歳代、身長1.79メートルの痩身の白人で、白髪は短く刈り込まれていた。紫色のSpeedo社製競泳パンツの上に下着を履き、その中にネイビーのTシャツを詰め込んでいた。

目立った損傷はなく、一見して遊泳中に溺れて岸に打ち上げられたものかに見え、父子は祈りを捧げると、すぐにアイルランド警察(ガルダイ)に通報する。8時10分には医師により男性の死亡が確認され、身元不明の遺体は検視局へと移送された。

警察は周辺捜索により、遺体発見現場から約300メートルの場所で男性の所持品とみられる遺留品を発見する。黒革のジャケットやネイビー色のチノパンツ、「トミー・ヒルフィガー」の黒系ベスト、紺色の靴下、「KeyWest」と打刻された黒革のベルト、サイズ44の黒色の靴、ポケットティッシュ、小銭、白紙、絆創膏、アスピリン錠、腕時計、ホテルの石鹼。衣類のタグは全て切り取られており、財布や身元特定につながるものは何も出てなかった。

男性は「事故」ではなく、自らの命を絶つために海岸を訪れていたのだろうか。身元確認を急いだが、同定される失踪者情報は届いておらず、旅行者と推定して近郊の交通機関、宿泊施設などに捜査範囲を広げた。

 

遺体は検視にかけられたが、肺は海水に浸潤されておらず「典型的な溺死」の兆候が窺えないばかりか、「殺人」を疑わせる兆候も見当たらず、司法医クライヴ・キレルガンを困惑させた。

歯の状態は良好で、ブリッジやクラウン、差し歯、金歯や銀の詰め物など頻繁な治療の痕も見受けられた。だが整った外見に反して健康状態は悪く、進行した前立腺がんと骨腫瘍が確認され、過去には心臓発作を起こした兆候もあり、腎臓は片方が切除されていた。

深刻な病状からはアスピリンやアヘン系の鎮痛剤、何らかの治療薬の服用が想像された。検視官は毒物や過剰摂取などによる「薬物死」の可能性を疑ってあらゆる検査を行ったが、どういう訳か市販の鎮痛剤を含め、いかなる薬物反応も検出されなかった。検死解剖や検査は5か月にも及んだが、男性の死因は特定されることなく、遺体はスライゴタウン墓地に埋葬された。

 

追跡

スライゴは大西洋に面した入江の小さな町で、ホテルや市街地には防犯カメラが点在し、いくつかの行動履歴をキャッチすることができた。男性は遺体となって発見された現場から約9キロ離れた町の中心部にある「スライゴシティホテル」の宿泊客と判明する。

赤色ポイントがホテル、☆が発見現場となったビーチ[googlemap]

6月12日(金)にはじめてホテルを訪ねた彼は予約を入れておらず、フロントで「3日間の滞在」を希望。宿泊にパスポートや身分証の提示は不要だった。名簿には氏名「Peter Bergman」、住所に「Ainstettersn 15, 4472, Vienna, Austria」と記入し、支払いは現金での先払いだった。

捜査員はオーストリア警察へ問い合わせを行ったが、長年そのような住所は存在していないことが分かった。その後、ヨーロッパやアメリカ全土、可能な限り問い合わせてみたものの、「ピーター・バーグマン」に該当する失踪の届け出などはなく、男性は偽名を使用していたことが判明する。その後も、彼の指紋とDNAは国外の捜査機関でもデータベース照合に掛けられたが、一致するものは見つからなかった。

タグの切り取られた着衣のいくつかは、多国籍衣料チェーン「C&A」で販売された量産品と判明したが、ヨーロッパ内だけで1300近い数の小売店舗があり、オンラインショッピングもできることから購入先の特定は不可能だった。

 

6月12日、男は黒い鞄を手にホテルを訪れた

その顔貌はゲルマン人風で、ドイツ訛りの英語だったとされ、立ち振る舞いはまともな職業人に見えた。バーグマンは会話を避けていたのか、物静かな旅行者と認識されていた。従業員が記憶していた彼の発言は、外での朝食から戻ったときに答えた「美味しかった」という感想くらいのものだった。

滞在中は喫煙室に出入りする姿が頻繁に見られ、部屋ではインターネットを使用していたとみられるが、他の通信トラフィックと入り乱れてその履歴を詳らかに解析することはできなかった。清掃係の女性がマスターキーを使って彼の部屋を訪れたとき、中にいた彼はひどく驚いて緊張した面持ちとなり、その場に固まってしまったことがあった。女性が「自分はホテルの従業員で片づけにきただけだ」と説明すると、ようやく彼は安堵の色を見せたという。

喫煙習慣が彼の体を蝕んだのか[missingdoe.com]

13日(土)、バーグマンは郵便局を訪れ、「82セント切手」と「エアメールのステッカー」を購入。その場で国際郵便を投函したとみられるが、彼がどこの誰にどんな内容の手紙を送ったのかは明らかではない。ただひとつ言えることは、その時点で彼にはアイルランド国外の家族か友人か誰かに通信する意志があったということだけだ。

14日(日)、彼が町のタクシー運転手に声を掛けていたことも分かった。バーグマンは「静かなビーチで泳ぎたい」と伝え、近郊の地図を差し向けた。運転手は、それなら10数分で行けるロセッスポイントビーチがよいと提案して車を走らせた。ビーチを見渡した彼は、ほどなく満足したような表情でタクシーに戻り、町まで帰るようにと運転手に指示した。

バーグマンの行動で最も注目すべきは、何かを詰めた「紫色の小袋」を携えてしばしば宿から出歩き、いつも手ぶらで帰着していたという点だ。街頭カメラは至る所で一人で散策する男の姿を捉えていたが、「袋の中身」をどうしていたのかは分かっていない。彼は人知れず「私物を捨てる」ために町を散策していたと想定された。カメラ映像の解析作業のほか、地元住民のゴミ捨て場、公園や不動産、私有地の庭や駐車場など、地元警察は男性の身元を明らかにする手掛かりを捜し求めたが、全て徒労に終わった。

私物の遺棄がカメラの死角で行われていたことははたして偶然なのだろうか。その遂行は細心の注意を払って監視の目を免れているかのようにさえ見えた。彼はとくに変装もせず、街頭カメラや人々の目を積極的に避けようとしていた訳ではないにもかかわらず、なぜか彼自身の痕跡を少しずつ、だが着実に消去しようとしていた。見えざる力が彼の「任務」を後押しでもしているかのように。

紫色の小袋を手にした姿[missingdoe.com]

15日(月)、その日チェックアウトする予定だったバーグマンは、フロントで「滞在時間を1時間伸ばしたい」と滞在の延長を訴えた。裏を返せば、彼は少し遅い時刻の電車やバスに乗ろうとしていたことが考えられる。彼には取るべき行動があり、明確な目的があった。最終的に13時6分にホテルを離れるが、その時点で彼は黒色のショルダーバッグ、黒色の手提げ鞄、紫色の小袋を手にしていた。

その後、ホテルからショッピングセンターに向かい、店の出入り口付近で何か躊躇するように立ちすくんでいる姿がカメラに捉えられていた。10分程してバスターミナルに向かったことが特定できたが、ショッピングセンターからバスターミナルまでの区間で、黒色の手提げカバンは人知れず処分されていた。ターミナルで軽食をとったあとバーグマンはその場で何かメモを書いたか、メモを眺めていたようだが破って捨てた。カメラの映像を確認できたのは、彼の死から34日後だったためメモは回収できず、そこに何が書いてあったのかは分かっていない。

13時40分頃、コーヒーショップでカプチーノとハムチーズサンドを食した

6月15日の午後、少なくとも10数人が彼の姿を目撃していた。何に追われるでも隠れるでもなく、彼は自身の意志に従って動いているように見えた。運転手の記憶にはなかったが、バーグマンはおそらく14時20分発のバスに乗り、その最後の目的地を訪れた。

ビーチに人影はまばらだったが、散歩に訪れていた地元民が彼の姿を記憶していた。長身で上下黒づくめの男の装いは目を引いたという。小脇に新聞を抱えていたが、その姿はほとんど場違いに思われた。婦人たちが30分程で散歩を切り上げて戻ってきたときにも男の姿はまだその場にあり、奇妙に感じたと振り返る。

ある夫婦は、足元をたくし上げて手を後ろに組みながらビーチと平行に水際を歩いていく男の姿を見たという。夕日を背景に、鮮烈に輝く海原とそこに浮かび上がる彼のシルエットが印象的だったと語る。

夜10時半頃、恋人とビーチを訪れた男性も、黒革のジャケットを着た白髪の男性とすれ違った。彼は若者たちにそっと会釈しただけで、何を語るでもなく通り過ぎていった。翌朝、ランニング中の親子が遺体を発見するまでの8時間の間に、バーグマンはこの世を去った。

 

残された謎

バーグマンはおそらく自分の過去をすべて捨て、私たちにいくつかの謎を残してその生涯を閉じた。多くの人は、彼が深刻な病状を憂いて、自らの命を絶つために見知らぬ町の海岸を選んだのだと推測する。ベッドに縛られて最期を迎えるよりはその人にとって自由を感じられる選択だったかもしれない。だがなぜ名前や住所を偽ってまで能動的な孤独死を遂行しなくてはならなかったのか。

ある人は、彼は自尊心や相手への思いやりの気持ちから、周囲の人間に苦悶や嘆き、その死に行く様を見せたくなかったのだと主張した。ある人は、生命保険の制約から「自殺」の判定を避けるために、行方不明による「緩慢な死」を選んだのではないかと唱えた。彼が最期に宛てたエアメールは相手に無事届いているのだろうか。

遺体に激しいショックや加害の兆候はなく、体内から何らの薬物も検出されないにも関わらず、彼は自分の死期を悟って宿をとり、その瞬間を迎えるためにバスに乗ったとでもいうのだろうか。知らない町の、思い入れもない静かな海辺で、水着姿になって?

Rebecca Giosによる復顔図, 2019 [missingdoe.com]

男性はどこからこの海辺の町を訪れたのか。スライゴにも小さな空港はあるが、首都ダブリンとの直通便が日に数本という限られた航行で、該当するような乗降客はなかった。となれば陸路より他ないが、200キロ離れたダブリンから終点スライゴ駅までの12駅でもその姿は確認されなかった。

スライゴでのバーグマンの姿は、12日午後6時半近くにバスターミナルで確認されており、そこからタクシーで町の中心部へと向かった。一軒目で宿泊を断られ、たどり着いたのが「スライゴシティホテル」だった。彼は130キロ離れた島の北部、イギリス・北アイルランドのロンドンデリー市からを長距離バスでスライゴへ移動してきたことまで遡ることができている。しかし管轄から外れてしまうことや国外の空港の情報セキュリティの問題もあってか、デリー以前の行動履歴について詳細は得られていない。なぜバーグマンは宿も決めずにふらりとその地を訪れ、最期の地としたのか。

Webフォーラムのロンドンデリー出身者は、バーグマンのデリー以前の行動が充分調べられていれば、身元特定につながったはずだと嘆く。ロンドンデリーは北アイルランド第2の都市だが、都市圏人口は10万人程度。空港はあるが国際アクセスポイントではなく、2009年当時の年間乗客は35万人に満たない。空港と聞くと巨大な国際線ターミナルを想像しがちだが、日本の旅客数で単純比較すれば丘珠、佐賀、岩国、静岡空港と同程度(国内40位前後)の地方空港にすぎず、当時はライアンエアー航空によりロンドン、リバプールマンチェスターグラスゴーなどの都市につながっていた。イギリス政府、北アイルランド捜査当局が努力を惜しまなければ彼の足取りを追うことはできたのではないか。

 

あるいはバーグマンは常日頃から個人情報を持たずに行動する人種だったのではないかとする声もある。軍や諜報機関で鍛えられ、町では目立たずに闊歩しながらも、いざというときは監視カメラを逃れる優れた洞察力を備えていたのではないか。あるいは人目に付かないどこかのポイントで何かの任務を遂行していた、誰かに荷物を渡していたとは考えられないか。特命をこなしつつも、致命的な失敗を犯し、謎の手段で命をとられた高齢のエージェント。それとも重大な犯罪行為に加担した過去から、病院に通うことができなくなった逃走犯。被害者か仲間たちの報復を恐れて高飛びでもしてきたのだろうか。

“過去を捨てた男”の最期は人々の感性を刺激し、想像力を喚起した。キアラン・キャシディ監督は19分の短編ドキュメンタリー『ピーター・バーグマンの最期の日々』でその謎を広く提起し、世界中の人々を答えの出ない迷宮へと誘い込んだ。前衛的な観客の一人は「手の込んだでっちあげだ」と発言したが、残念ながらこれは真実である。インスパイアされた舞台脚本家トレサ・ニーロンは戯曲『A Story Of Dying』でその謎多き男の「正体」のひとつを描出して見せた。

www.youtube.com

アイルランド警察は2019年、2021年と、死亡した男性の身元確認の協力を国民に度々呼びかけている。2023年、身元不明・行方不明者の捜索活動を支える英国の非営利団体「Locate International」は新たに動画を作成し、以下の事柄を呼び掛けた。

・ウィーンの偽の住所に何か心当たりはありませんか?

・この時期にスライゴからの郵便を受け取った人を知りませんか?

・警察、軍隊、ドイツNVA(東ドイツ軍)、または諜報機関などの訓練で、彼と似たような男性と一緒になった経験は?

・歯科医の方で、2009年以前に金歯を施した男性との係わりは記憶にありませんか?

・ 2000年代後半に、報告に一致するガン治療をした人を知りませんか?

・ドイツまたはオーストリア出身者で、スライゴ、デリー、アイルランド西海岸とかかわりをもつ人を知りませんか?

・突然失踪した人、連絡が取れなくなった人は彼と似ていませんか?

単なる行旅死亡人ではなく、その行動の背後にそこはかとない思慮深さを感じさせる男、通称「ピーター・バーグマン」の捜査は今も続けられている。

 

行旅死亡人の特定;「ライル・ステヴィク」のケース

参考までに、長期間、行旅死亡人とされていたが特定された事例、「ライル・ステヴィク」と呼ばれたアメリカのJohn Doe(身元不明男性)のケースについて見ておこう。

 

2001年9月17日、ワシントン州アマンダ・パークという小さな避暑地の湖畔モーテル「レイク・クイノールト・イン」で、滞在日数を確認しに部屋を訪れたメイドがコート掛けに首を吊った宿泊客の遺体を発見する。

緊急通報を受けたグレイス・ハーバー郡当局は、室内ゴミ箱から白地に「suicide(自殺)」と書かれたくしゃくしゃのメモと、寝台の照明脇に「for the room(部屋代として)」と書かれた160ドルを発見し、現場状況からすぐに自殺と判断した。

現場(青色◎)は都市部から離れた山間部のモーテル [googlemap]

男性は身分証明書を携行しておらず、所持品は歯ブラシと歯磨き粉、残りの小銭だけで身元特定につながるものは出てこない。宿の台帳には、アイダホ州メリディアンの住所と「ライル・ステヴィク」という名前が記されていた。だが確認を取ってみると、住所は別の宿の所在地と分かり、宿泊施設側は男性について何も関知していなかった。該当する住民登録も存在しないことから偽名であったと判明する。

男性の身体的特徴は身長約188センチ、体重63.5キロ、黒髪にヘーゼル色の瞳。司法解剖虫垂炎手術の痕跡、歯列矯正痕があった。また捜査員は、男性のベルト・ホールに着目し、彼が以前よりもきつく締めるようになっていた、死亡前には体重が以前よりも13-18キロ程度減少していた可能性を示唆した。20-30歳代、白人/ヒスパニック系ないしネイティブアメリカンとの混血とみられる行旅死亡人として報道され、復顔図も公表されたが、身内や知人からの連絡もない。

法医Diana Trepkovによる復顔図、Washington 2001

適合するような家出捜索者の届けが出されることもなく、指紋やDNA型もデータベースとの照合が行われたが登録されてはいなかった。都市部や犯罪多発地域であれば防犯カメラも普及していた時期だが、現場周辺にはほとんどなく、おそらくはバスで現地入りしたと見られたが運転手たちも記憶しておらず、行動履歴さえ謎に包まれていた。男に関する唯一の情報は「僅かなカナダ訛りがあった」という店員の証言だけだった。身元調査はすぐに暗礁に乗り上げ、氏名不詳者「John Doe」として捜査は事実上凍結した。

グレイズハーバー郡保安局で捜査に当たった元刑事レーン・ユーマンズ氏によれば、「ライル・ステヴィク」の偽名はジョイス・キャロル・オーツの著書『You Must Remember This』(1987)からの引用ではないかとしている(綴りは若干異なる)。作品の舞台は1950年代マッカーシズム下のアメリカの家族が描かれ、全体を通して自殺未遂が多発する内容である。中古家具店を営む登場人物ライル・ステヴィクもある晩、垂木にロープを括りつけ自殺を図る場面が描かれている。

You Must Remember This

ウェブ上のフォーラムでは、殺人事件ではないこともあり、「おそらく彼の身内は名乗り出たくない、身元を明かしたくないのではないか」と危惧する者もあった。メキシコやカナダからの不法入国者ではないかとの見方もあり、何かから逃走していたか逃亡犯などのケースが想定された。しばしば社会問題となる「先住民の自殺」を感じ取る者もあった。なぜ彼は偽の住所を書くことができたのか、宿泊施設の元滞在者、元従業員や出入り業者にも思われたが、施設側はどれほど協力的だったのか、警察はどこまで把握できたのか。

中には「荷物を何者かに奪われたのではないか」という見方から偽装自殺、つまりは現場となったモーテル関係者や彼の部屋を訪れた第三者による殺人説を唱える声もあった。たしかにシーズンオフの湖畔や森林地帯で人知れずトラブルに巻き込まれた可能性は排除できない。また彼が命を絶つ5日前にはいわゆる「9・11」同時多発テロが発生し、被害当事者や家族でなくても多くのアメリカ市民がうつ状態に駆り立てられていた時期であることや、当時のテロ対策の一環としての国境封鎖の影響も何かしらの関連を予感させた。

『このことを忘れないで』と題された本からの引用が事実とすれば、それは周囲の人間関係から分断されたライルの最期のメッセージのようでもあった。続報が絶えてからも10数年にわたって安楽椅子探偵たちは細々とその推理を重ねた。

2015年には「瘦せる前」の復顔図も作成された

しかし2018年1月、DNA型鑑定や遺伝家系調査を行う非営利団体「DNA Doe Project」による調査が始まると事態は一変した。翌2月には「ライル」のDNA型がニューメキシコ州北部をルーツにもつ母系集団と適合することが発表された。

団体はマーガレット・プレスとコリーン・フィッツパトリックによって創設され、20人のボランティアが調査に当たり、費用は掲示板フォーラムに集う有志などからの寄付によって賄われる。もちろんあらゆるケースで身元特定が期待できるわけではないが、血縁の逆引きから地縁を追跡し、不明者家族の特定に導くという画期的な試みである。

調査の進捗は団体のフェイスブックページや各掲示板のフォーラムで報告され、彼のDNA型の抽出成功、遺伝系統から得られた特徴が明らかにされ、系統樹のパズルを埋めるピースが徐々に埋まっていくこと、一歩一歩「彼」のルーツへと近づいていく進展に人々は歓喜した。

更にこの「続報」が注目を浴びたことで「ライル」を名乗ったJohn Doeの再周知につながり、新たに「生き別れた自分の弟かもしれない」といった人々も現れた。電子フォーラムの人々は、尋ね人か否かは判断できないが、その努力が報われることを願い、捜索者にエールを送った。遺伝的ルーツとそうした新たな情報の集積などによって、4月にはいくつかの家系へと焦点が絞り込まれていった。

日本ではなじみが薄いが、奴隷制の歴史があり、養子縁組が多く、人種のるつぼである北米では、自らの生物学的な両親や先祖、家系図をたどるために「GEDmatch」などの商用サイトにDNA型情報を登録する人たちが少なくない。そうした登録情報の解析と紐づけによって民間にもDNA型データは集積されており、身元不明者「John Doe」「Jane Doe」の絞り込みや追跡に役立てられる。

ほとんどの州では、事件性のない個人情報は法的に保護されるため、特定できたとしてもその実名や家族関係が公にされることはない。それでも長年事件を追ってきた者たちは、名前を失くした彼らがアイデンティティを取り戻す日を願い続ける。

 

5月8日、「ライル・ステヴィク」を名乗ったJohn Doeの身元が特定されたことが報告された。DDPの鑑定グループは、カルフォルニア出身の男性登録者との一致の可能性を導き出し、警察を通じてその親戚に連絡を取り、最終的には家族から提供された「指紋」によって死亡男性との一致が確認された。

家族は、男性が亡くなっているとは思っておらず家族と関わりたくないのだろうと思い込んでおり、捜索届を出していなかった。彼の実名等は公表されていないが、16年半ぶりにその偽名を捨てる日が訪れたのである。

 

所感

日本は欧米と比較して自発的失踪—家出、蒸発—を容認する文化があると見なされている。島国という地勢、治安が良い国という幻想から、拉致などに対する強制失踪への危機感の薄さは少なからず働いているかもしれない。警察の民事不介入や、個人・地域も「家庭」の問題に口を挟むことは憚られることなど理由はさまざまである。

人によっては「理由があって自殺したのだろうからそっとしておいてやれ」という見方もあるかもしれない。だがその遺体は本当に知人や家族から見放されてしまった、自ら命を絶ったといえるのだろうか。それこそ価値観の押し付けに他ならない。死後何年も経過して死因さえも分からない人々が毎年津々浦々で発見されており、全てに事件性がないとは言いきれないのが実情である。社会全体が行方不明者を放置し続ければ、死刑囚が告発するまで事件性が取り沙汰されてもいなかった茨城上申書事件のような事例が当たり前に起こるかもしれない。

「ライル」のように家族が彼の死の事実を知らずにいるだけの場合や、見つけ出したいが警察の厄介にはなりたくない、大事にはしたくないという家族や、不明者の親族ではないために捜索届が認められないケースもあるだろう。キリスト教に限らず信仰によって自殺の禁忌の戒律意識は強い。「バーグマン」のように身元を能動的に伏せながら、あるいは、現金3400万円を遺して孤独死し大きな話題となった『ある行旅死亡人の物語』(2022, 毎日新聞出版)のように注目を集めるケースというのは極めてまれである。

ある行旅死亡人の物語

行旅死亡人の多くは、発見時にわずかに地元紙が取り扱うだけで人知れずその存在を忘れられてしまう。現状すぐにそうなるとは思わないが、DNA型登録の義務化などによってそうした名もなき死者は過去の遺物となる日が来るかもしれない。どこかで彼を探す人、彼女の帰りを待つ人がいる可能性があるうちは、見ず知らずの人たちの手で見送る手伝いをしてもよいのではないか。

 

死者のご冥福をお祈りいたします。

 

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Sligo Man — Locate International

UM-0075 – MISSING DOE EUROPE

Lyle Stevik Article Links - DNA Doe Project