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気になる事件と考えごと

福岡商業施設内女性殺害事件

2020年、福岡市の大型ショッピングモールで発生した女性刺殺事件。加害者である15歳の少年の壮絶な生い立ちでも話題となり、2023年、被害者遺族が加害者のみならず、国を相手取って矯正施設側の責任を求めて提訴した。

 

事件の概要

2020年8月29日(金)19時半頃、福岡県福岡市の大型商業施設「マークイズ福岡ももち」で客の吉松弥里(みさと)さん (21)が刃物で刺されて死亡した。夏休み最後の休日ということもあり、大勢の買い物客でにぎわう施設には悲痛な叫び声が響き渡った。

         

長さ約18.5センチの包丁を手に、1階女性用トイレから血まみれの姿で出てきたのは15歳の少年だった。取り囲まれた少年はゆっくりと歩きながら周囲を見渡すと、近くにいた母子(39・6)に目を付け、女児を楯にして逃走を図ろうと包丁を向けた。

現場に居合わせた消防局に勤める男性が少年に咄嗟に飛び掛かり、少年は押さえつけられて包丁を奪われ、抵抗をやめた。その後、駆け付けた警察官が銃刀法違反で少年を現行犯逮捕。

 

トイレでは女性が背中、鎖骨、腕などを10数回切りつけられて息も絶え絶えの状態だった。すぐに救急車で済生会福岡総合病院に搬送されたものの、出血性ショックによる死亡が確認された。

殺人容疑で逮捕された少年は、女性とは面識がなかったと言い、「女性に興味があり近づいた」と犯行動機を語った。偶然見かけた女性に性衝動で近づき、トイレに逃げ込まれて咎められたことに逆上して犯行に及んだという。

 

字面だけで見れば、変態かストーカーのようでもあるが、動機の理不尽さ、包丁を手にショッピングモールで滅多刺しといった実際の犯行はあまりにも異様で理解しがたいものであった。

その後、少年の障害や人格形成に関わる過去が詳らかにされていくことになる。

 

加害者の背景

少年は鹿児島県・薩摩半島の南端に位置する海辺の集落で育った。人口300人程で住民の大半は漁師か、かつて漁師だった高齢者ばかり。みんなが顔見知りで互いの家を自由に行き来し、店は小さな雑貨店くらいしかない。

父親は水産高校を卒業後、インドネシアで1年ほど過ごし、帰国してから鮮魚店で働いていた。母親は准看護学校で学び、准看護士として病院に勤めていた。2人が19歳のときに出会って、翌年結婚。99年に長女、2001年に長男、05年に当事件の加害者となる少年が生まれる。

保育所では多動や言語発達の遅れなどが見つかり、療育センターへ通った。他の子を叩いたり、注意した大人に噛みついたりと当時から粗暴性が目立っていたとされる。

 

少年は小学3年生でADHD(注意欠如多動症)の診断を受けた。発達障害と暴力に直接的な因果関係はないが、短気で家庭内暴力をふるう父親の存在が少年の発達心理に影響を与えたと見られている。父親から主に直接的被害に遭うのは母親と長男だったが、不条理な暴力のストレスからか長男は4歳下の弟に危害を加えた。

事件後、福岡拘置所で面会したノンフィクションライター石井光太氏に少年は「俺にとって兄は敵っていう感じです。恨みと怒りしかない」と語った。理由もなく殴る、首を絞める、エアガンで顔を打たれるといった暴力に少年は常日頃から晒されて育った。やがて長男はペニスや肛門を少年に舐めさせて自慰行為を満たす性的暴力へと転じていった。

 

母親にも発達障害があり、父親の暴力から子どもたちを守ってやることもできなかった。料理・洗濯・掃除などの家事ができず室内は足の踏み場もなかった。育児ネグレクトだっただけでなく、その上、自身も子どもに乳房を舐めさせる、自慰を手伝うなどの性的虐待をしていたとされる。

父方の祖父によれば、少年の母親はまともに受け答えもできず、事件を起こした少年よりも障害の程度が深刻だったという。父親は夜明け前から仕事に出、日が暮れてから帰ってくる生活で、家事や子どもたちの問題は放置され、外に愛人をつくって碌に帰らなくなった。

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少年自身の性的・身体的発育も一般より異常に早かったとされる。小学校に上がってすぐに陰毛や腋毛が生え、遅くとも小学校低学年で精通し、3年生のときには人目を気にせず自慰行為をしていたのを自立支援施設の職員が目撃している。

職員は「ちょっと油断すると、トイレとか、廊下とかでいきなり自慰を始めている感じ」だったと振り返り、大人や子どもの別なく性的なちょっかいを出し、叱ると怒って暴れ出すため介入を諦めていたという。

一般的には男児の陰毛の生え始めは小学校高学年頃、自慰行為を覚えるのは12歳前後が平均的とされる。石井氏は、少年の発育についてホルモン異常による制御不能な、ときとして性犯罪を引き起こす一因となりうる色欲異常、「ハイパーセクシュアリティ」ではないかと指摘している。

少年は石井氏に「都合が悪いことがあったら(自慰)していました」と告白している。長男が父からの暴力で貯め込んだストレスを弟に向けてうさを晴らすように、少年は周囲との摩擦で抱え込んだ負の感情を暴力衝動にし、それでも収まらなければ性欲を発散することで心的安定を図ってきたのである。

 

学校運営協議会の会長を務めていた少年の祖父は、小学3年生の頃には同級生も保護者も腫れ物扱いして、誰も好んで少年に近づこうとはしなかったという。田舎の小学校で学年1クラス、特殊学校もなく専門的なケアができる教諭もいなかったため、少年の抱える問題はどんどん悪くなっていったのではないか、と語る。

一方で、元担任教諭はその後の裁判で、少年の父親も、運営協議会会長の祖父もクレーマー気質で「お前の対応が悪いから」と罵声を浴びせられたことを証言している。またそうした家族の言い分を聞いてきたためか、少年も怪我をした際に「先生のせいにして、じいちゃんに辞めさせてもらう」と教諭を脅すような発言があったとしている。

 

少年自身も粗暴さが顕著になったのは小学3年生だった、と振り返る。きっかけは鹿児島市内で父親の愛人に引き合わされて一緒に遊ばされたことだった。それまではちょっと良い子にしておこうといった自制心もあったが、フィリピン人の愛人を目の当たりにして「そんなの意味ない、好き勝手にしようみたいな考えになったんです」と振り返る。石井氏は、父親が家庭に戻ってくることを期待していた少年の夢がその日を境に潰えてしまったのではないかと見ている。

少年は歯止めが利かなくなり、家では長男に逆上して包丁を持ち出し、店で注意を受ければ店員に噛みつき、学校では性的な自慢をしたり、股間を見せびらかすなどするようになり、ときに警察沙汰になることもあった。

 

家族は少年を精神科に連れていき、家では面倒を見切れないとして医療施設に預けることにした。児童心理治療施設、精神病院、児童自立支援施設医療少年院、少年院などをたらい回しにされ、7年ぶりに社会に出た。少年の仮退院に際して、母親は出身地に近い施設での受け入れを求めていたが、教育委員会が「再び人を傷つける恐れが高い」と懸念を示し、20年4月に要請を断念。福岡県内の更生保護施設に入ったが1日で抜け出し、その翌日に殺人事件を起こした。

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トラウマ

少年は福岡家裁から出身地である鹿児島家裁へと移送された。2021年1月に少年審判で刑事処分が相当であるとして、地検に「逆送」され、専門家による情状の鑑定が行われた。

考えを整理するのが苦手で、逮捕当初はコミュニケーションに難があった。弁護人が被害者の母親の供述調書を読むと、内容に聞き入って「読みたい」と言い、反省に向けた意志を示した。弁護人らとの手紙でのやりとりでも被害者や遺族の感情に想像を働かせる一方で、「反省したいが、この気持ちが本当に反省になっているのか分からない」等とも話していたという。

弁護人は起訴事実を認める方針を示し、「再犯は絶対に防がないといけない」とした上で、「被害者の悔しさ、自身の罪の重さに気づくと思う」と述べ、共感性の改善と心からの反省を求めて少年との接見を続けた。

 

吉松さんの母親は、少年の仮退院の経緯説明を少年院に求めたが、少年院側は個人情報を理由にそれを拒否。弁護人から法務省にも説明を求める手続きを取ったが有効な回答は得られず、少年が仮退院とされた改善・矯正の根拠は不明のままであった。

また吉松さんの母親は、少年の社会復帰に向けての見守り策を協議する「処遇ケース検討会」が開かれていなかった事実から、情報が十分に共有されていれば事件は防げたのではないか、と見通しの甘かった行政に対しても憤りを見せた。

 

2022年7月6日から福岡地裁(武林仁美裁判長)で行われた裁判員裁判では、少年が公訴事実をおおむね認めたため、刑事罰を科すべきか、保護処分にするべきかが主な争点とされた。

検察側は、性的行為を目的とした衝動で無差別的に女性を狙って追い詰め、盗んだ包丁で多数回刺した残虐性の高い犯行だと指摘し、「保護処分による更生の見込みは非常に乏しい」として成人と同様の刑事罰を求めた。

 

少年は、スタイルのいい女性を見かけて商業施設に入ったことは認めたが、その女性は見失ったという。包丁を盗んだのは空腹に耐えかねて自殺しようとしたためで殺害目的ではなかったと説明。被害者女性にトイレまで付いていった理由として当初「性的目的」と言っていたのは自暴自棄による発言だったと訂正した。

殺害までの経緯について。少年の悪い癖で相手の気持ちを考えずに自分を受け入れてくれると期待して近づいたが、驚いた被害者が包丁の持ち手を持って自首するように勧めてきた。少年にはその姿が仮退院で自分を受け入れてくれなかった母親の姿と重なったため、衝動的に刺したという。

被害者に対して「自分の勝手な行動で、将来のことなど、色んなものを奪ってしまった事は申し訳ないと思います」と謝罪の意を示した。一方で、拘置所で遺族宛てに謝罪の手紙を2通書こうとしたが、「書いた方がよいかと思って」「形として謝罪文があった方がいいと思って書いた」とも証言している。

被害者の代理弁護人からは「あなたがこの事件に向き合っているとは思えない。変われないからですか?」と問われ、「人間くずはくずのまま変われないと思う」と言い、「更生したい?」と問われると「できないと思う」「人はそんなに変われないと思う」と述べた。

 

弁護側は上述のような少年の過酷な生い立ち、DV、ネグレクト、性的虐待による深刻なトラウマが犯行の動機となった性衝動亢進に大きく影響していると主張し、更なる治療の必要性を訴えた。暴力性や集団行動を苦手とする特性が把握されながらも医療少年院では投薬治療が中心で心的問題が充分に改善されなかったことを原因とし、保護処分が妥当とした。

意見陳述で母親は「娘のことを思い出し、胸が締め付けられる」と沈痛な思いを述べた。遺族らは「可能な限り長く刑務所に入ってほしい」と訴えた。

 

7月25日に行われた判決審で、武林裁判長は「非常に残虐で凶悪な犯行。保護処分は社会的にも許容しがたい」として刑事罰を適用し、不定期刑の上限である「懲役10年から15年」の判決を下した。少年は判決前から、いかなる判決でも受け入れる意向を示しており、最終的な刑期は今後の服役態度などを考慮して決定される。

少年側、検察側双方が控訴しなかったため、2022年8月9日に刑が確定した。

2001年の改正少年法により、刑事罰の対象が「16歳以上」から「14歳以上」に引き下げられていたが、犯行時16歳未満の少年が殺人罪で受けた裁判員裁判は3人目。実刑判決とされたのははじめてのことである。

 

少年を巡る経緯

2019年 第3種少年院(医療少年院)に入る。後、九州の別の少年院に移管

20年2~4月 仮退院に向け、地元・鹿児島の施設に入所する方向で調整されたが受け入れられず

8月26日 少年院を仮退院し、福岡県内の更生保護施設に入所

27日 更生保護施設を抜け出す

28日 事件発生。銃刀法違反容疑の現行犯で逮捕。

9月 殺人容疑で再逮捕。約3か月の鑑定留置

12月 殺人等の非行事実で家裁に送致

21年1月 家裁が少年審判で検察官送致(逆送)を決定。福岡地検殺人罪などで起訴

22年7~8月 福岡地裁が少年に懲役10年以上15年以下の判決

 

投じられた一石

2023年3月、少年院が適切な矯正教育を怠ったとして、遺族は国を相手取り約6170万円の損害賠償を求めて福岡地裁に提訴する意向を明らかにした。少年事件で矯正施設側に責任を問うのは極めて異例である。

遺族は「事件を繰り返さないために、少年院の問題点を明らかにしたい」としている。また同時に少年、母親にも国と同額の賠償を求める訴訟を行うこととしている。

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公判で、弁護側は医療少年院での治療が不充分だったと指摘し、少年自身も「少年院での学びは特になかった」と述べていた。

22年7月、読売新聞が福岡拘置所で行った少年との面会でも「少年院は一言で言うとやさしかった。自分とちゃんと向き合わなかった」「腫物扱いされ、職員は関わってこなかった。口に薬を入れられていた記憶しかない」「事件は感情のままやってしまった。(教育や治療で)治ったかは分からないが、薬で落ち着いたから出られた」等と話していたという。

 

少年院で矯正教育に携わったことがある静岡県立大・津富宏教授は「事件との因果関係を認めるのは難しい面があるが、事件の経緯や矯正教育を広く検証することは必要」とし、「今回の訴訟は、矯正教育の在り方に影響を与える可能性もある」と述べた。

 

遺族側からの提訴には金額には代えがたい価値があり、加害者やその責任の一端を担う者たちは事件の報いとして、奪った人命の尊さを噛みしめる意味でも賠償に応じなければいけない。加害者を殺してやりたいほど憎くともその感情を堪え、それ以外で犠牲者のためにできることは全てしてやりたいと思うのが遺族感情なのである。

加害者の人格形成は家族の責任かもしれないが、その充分な改善を果たせないまま、いわば「薬漬けにして野に放った」かたちの少年院の責任を問うものである。この訴えは、本件のみならず、そうした運用を是認してきた法務省にもその抜本的見直しを突き付ける重大な意義のある訴訟となる。

判決如何ではなく、国、政治家たちはこの訴えに耳を傾けることができるのか、どう捉え、どうかたちにしていくのか。また我々国民に対しても、少年院だけではなく拘置所や更生施設の目指すべきかたち、累犯傾向の強い性犯罪対策を考えていくために投じられた一石といえよう。

被害者の命の輝きが将来の再発防止につながり、そして加害少年のような不幸を再生産しない世の中への道筋となることを願う。

 

被害者のご冥福をお祈りいたします。