発生から約9年、長期未解決となっていた京都市山科区で起きたいわゆる「餃子の王将」社長射殺事件が再び大きく動き出した。
2022年10月28日、別の襲撃事件で懲役10年の罪により服役中の工藤会系幹部の男に逮捕状を執行。また新たに福岡県警との合同捜査本部設置を発表した。
福岡県北九州市を拠点とする工藤会は、指定暴力団の中でも一般市民にも危害を加える恐れがあるとして2012年から全国で唯一「特定危険指定暴力団」に指定されている。2014年以降、福岡県警は組織壊滅に向けて、総裁野村悟ら幹部を一斉検挙する「頂上作戦」に取り組み、現在も裁判が続けられている。
本稿では、事件の概要、これまで報道された捜査状況、疑惑などを整理しておきたい。
■概要
2013(平成25)年12月19日7時ごろ、「王将フードサービス」の大東隆行社長(72)が京都市山科区の本社前駐車場で血を流してうつぶせに倒れているのを出社した従業員が発見した。大東氏は病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された。
推定死亡時刻は6時頃とされ、死因は腹部を3発、胸を1発撃たれたことによる失血死。大東社長は自家用車から約1mの位置に倒れており、周囲に4つの薬きょうが落ちていた。そのため社長が到着して車を降りたところを待ち伏せしていた犯人が至近距離から銃撃した可能性が高いとみられた。薬きょうから指紋が検出されなかったことから、犯人は手袋などをして装填したと推測される。
使用された銃は発見されていないが、自動式の25口径(イタリア製)と判明(当初は「22口径」とする報道もあった)。25口径は、暴力団が一般的に使用する38口径に比べて小型で狙撃精度や殺傷能力が低く、国内での流通量は少ない。海外では入手のしやすさから強盗や殺人に用いられるケースもあるが、基本的には護身用や害獣駆除の目的で使用されることが多い。その一方で、手の平サイズの携行のしやすさ、発砲の音や衝撃が小さく扱いやすいこと、装填弾数が多く連射が可能といった利点もある。そのため当初は暴力団ではない一般人が襲撃した可能性も視野に入れ、捜査が開始された。
現金数十万円が入った財布など大東社長の所持品はその場に残されており、車内にも百数十万円の現金があったことから強盗目的は考えづらかった。携帯電話の通信履歴に不審点はなく、同社や社長の周辺では金銭の要求といった事前の脅迫は確認されていないことなどから、社長個人に対する怨恨が背景とみられた。
大東社長は5時半頃、山科区内の自宅から自家用車で出勤し、5時40分~45分頃に現場となった駐車場に到着したと推測された。早朝に長靴履きで本社前を清掃するのが日課としてよく知られていた。
周囲は住宅街と中小工場が混在する地域。周辺住民は口論するような声や銃撃音を聞いておらず、本社や駐車場に防犯カメラは設置されていなかった。現場南側の倉庫にある1台のカメラも駐車場が死角になっており犯行の様子は直接確認できなかった。しかし出勤した大東社長の車のライトのほか、東向きに動く車輛のライトや人影も映っていた。画像は荒く、顔貌や車のナンバーは識別できなかったが犯人につながる数少ない証拠となった。
捜査本部は犯人が入念に下調べをしたうえで犯行に及んだ可能性があるとし、「プロの仕業」との見方を強めていった。
王将フードサービスでは渡辺直人常務(58)が社長に就任することを事件同日に発表した。渡辺氏は営業畑一筋で、東日本の直営店を統括する第4営業部長を兼務し、北海道や関東への出店で実績を上げてきた人物である。
翌2014年1月6日の会見では「暴力は決して許されることではない。犯人は自首して頂きたい」と事件に対する憤りを見せ、「経験したことのない悲しみ、苦しみを感じた。言葉を頂く間もなく重責を拝命した。大東の遺志を継ぎ、日本一の中華料理チェーン店を目指す」と強い信念を語った。
ネット上では「追悼餃子」と称して来店を表明する現象が相次いだ。渡辺社長は、会社に激励のメールが届き、各店舗にも励ましの声が寄せられ、売り上げも増えたと報告し、愛好客らに感謝を伝えた。
■捜査の進展
事件から半年、京都府警は延べ1万800人の捜査員を動員して周辺2610世帯に聞き込み、役員や取引先数十社の関係者から事情を聴いた。
防犯カメラの映像解析から、映りこんでいた大東社長の車とは異なる車輛のライトについてバイクの可能性が高まったと報じられた。犯人は逃走にバイクを使用したとの見方が強まる。
同じ2014年春、現場から北東約2キロ(NHKでは「1.5キロほど」)にある京都市山科区の共同住宅敷地内で、前年10月に城陽市の住宅街で盗難されていたスーパーカブ(小型オートバイ)が発見される。スーパーカブはカバーに覆われて隠された状態で見つかり、現場に残されていたタイヤ痕とも一致。ハンドル部分からは、銃の使用後に生じる硝煙反応が検出される。カバーの流通経路を調べたところ、九州地方を中心に展開するホームセンターで主に販売されていたものと判明した。
城陽市でのスーパーカブ窃盗と同時期、伏見区の外環状線沿いの飲食店で別のバイクが盗難されていた。飲食店の防犯カメラなどから福岡県の久留米ナンバーの軽乗用車に乗った2人組の男が窃盗していたことが判明する。捜査本部では男たちが逃走用のバイクを事前準備していたと見て調べを進め、軽乗用車は2016年に売却されていたところを発見されたが、事件につながる証拠は残されていなかった。しかし流通経路や使用状況などから福岡の暴力団関係者の存在が浮上する。
また有力な手掛かりとして、現場付近の死角となっている通路で「たばこの吸い殻」が2本採取されていた。燃焼時間を割り出したところ、待ち伏せしていた犯人のものと推測されていた。その後も直前に降った雨の状況などを踏まえて吸い殻の形状などを科学的に検証し、別の場所から持ち込まれた可能性をほぼ排除した。
2015年12月には吸い殻に付着していた唾液のDNA型鑑定により、件の暴力団関係者のものと特定された。2017年7月には乾燥大麻所持の容疑で男は逮捕。2018年6月にも男は福岡市内でゼネコン大手・大林組の車に銃弾を撃ち込んだ(犯行は2008年1月17日)として銃刀法違反等で逮捕され、2019年11月に福岡刑務所へ収監された。しかし王将事件への関与について男は否認を続けた。
たばこの吸い殻だけで事件を立証することはできない、その後も男の行動について慎重な裏付け調査が続けられ、事件から9年目、状況証拠を固めて今回の逮捕に漕ぎつけたとみられる。
■餃子の王将について
王将フードサービスは「餃子の王将」をはじめ国内外約680店舗(当時)を展開する、大手外食チェーンである。
1967年に加藤朝雄さんにより京都・四条大宮で創業された。事件に遭った大東さんは69年から同店に勤め始めた。大東さんは加藤さんの義兄弟(大東さんの姉が加藤さんの妻)として共に店を支え、加藤さんたちは京都を中心に事業を拡大。情に厚く、仕事に厳しく、社員や出入り業者にも信頼された。
※「大阪王将」などをチェーン展開するイートアンドホールディングスとは経営業態が異なる。大阪王将は、オイルショックの影響により繊維業で失職した文野新造氏が親戚の加藤さんの店を手伝い、69年に暖簾分けするかたちで大阪・京橋に出店したことがはじまり。当初は京都と大阪で棲み分けられたが、その後、両社とも出店拡大を続けた結果、混同を避けるため商標を巡って法廷で争われる時期もあった。
77年、加藤さんはアサヒビールの営業本部に勤める望月邦彦氏と知り合う。経理畑も経験し、労組改革も担った人物で、加藤さんのよき相談役として経営に参画。請われてアサヒビールを退社し、副社長に就任した。それまで家業だった中華料理店を「企業」へと脱皮させたといわれる(アサヒは王将の筆頭株主でもあった)。
加藤さんは東京進出を実現するとともに、郊外へも出店計画を拡大していった。望月氏によると、自治体の許認可や水道工事の遅れなどが生じたときに、加藤さんが頼りにした会社経営者A氏がいた。彼に頼むとスムーズに事が進むとして相場よりも多額の報酬を加藤さんは支払っていたという。
89年2月、王将戎橋店で火災が発生し、亡くなった物件所有者遺族から賠償請求を受けた。最終的には97年、王将側が1億5000万円の支払いと戎橋店の土地・建物を9億円で買い取ることで和解となったが、このときの交渉役もA氏が担い、王将側は買収工作資金に1億円を支払っている。
93年に加藤さんが亡くなると、社長職を託された望月氏はA氏に葬儀委員を依頼。A氏は恩義ある加藤さんの御子息たちをわが子と思って世話していきたいと語っていたという。94年に加藤さんの長男潔さんが新社長に、二男欣吾さんが新専務に就任すると、A氏との間で不透明な不動産取引が急速に増えていった。
A氏が経営する企業は旧住専(住宅ローン専門会社)の総合住金から132億円の融資を受けていた。だが95年に旧住専の破綻処理によって資金源が断たれ、返済が必要となる。そこでA氏が頼ったのが王将だったのだという。実際、競売に掛けられたA氏のグループ会社が所有していた物件を王将が取得したこともあった。
この時期に王将がA氏の企業グループと交わした不動産取引の多くは取締役会で諮られることなく、創業家の独断専行で行われた。後の第三者委員会の報告によると、2005年までの10年間で総額約260億円、うち170億円が回収不能という不適正な取引が繰り返されていた。
不適正取引や多角化の失敗などもあり、創業家の2人は辞任となり、2000年に大東氏が4代目社長に就任した。01年3月期には有利子負債452億円を計上し、翌年には金融機関からの融資も受けられない経営危機に陥った。これまでA氏の介入を見てきた大東氏は03年7月、A氏の企業グループとの取引解消の方針を示し、不動産の売却、債権の放棄を進め、06年9月までに清算して難局をどうにか乗り切った。
東証一部上場を目指した際もA氏の企業グループとの不透明な関係が指摘を受け、12年には社内に『再発防止委員会』を設置し、不透明な取引状況を徹底的に究明。その結果、2013年11月13日付報告書で『(A氏について)接点を断たなければならない相手』と結論付けていた。報告書は外部公開されていなかったが、射殺事件発生の1か月ほど前である。
■蝕むもの
2016年1月、王将フードサービスは反社勢力との関係の有無などを調査するコーポレート・ガバナンスに関する第三者委員会を設置。3月29日、調査報告書を公表する。
それに先立つ1月20日、福岡地検が福岡県のゴルフ場運営会社元社長の関係先を家宅捜索したことが報じられた。2015年4月、ゴルフクラブが臨時株主総会で2万株増資したとする虚偽の登記変更をした疑いである。過去には女子プロゴルフツアーの開催などもあった有名クラブで、餃子の王将の取引先で構成される「王将友の会」も91年から93年までに計6回の親睦会をそこで開催している。
ゴルフ場を手掛けたのは84年に京都市で「京都通信機建設工業」を設立した上杉昌也氏。後の「王将友の会」発起人である。上杉氏はバブル期にいわゆる地上げビジネスで成功をおさめ、1990年5月に福岡にゴルフクラブをオープンさせたが、直後にバブルが崩壊。会員預託金の返済に行き詰まり、2011年6月に民事再生法の適用を申請、関連事業と合わせて負債総額は428億円に上った。
1990年代半ば、バブル崩壊の上杉氏の資金難に支援をしていたのが王将創業家の加藤社長たちだった。上杉氏の異母兄は戦後、部落解放同盟に参加し中央執行委員長まで務めた故・上杉佐一郎氏である。最盛期には税金逃れなどで京都の財界人たちは多かれ少なかれ世話になったという顔役である。暴力・利権団体と扱われ喧伝されたとして全解連(全国部落解放運動連合会)、部落問題研究所を相手取り名誉棄損の裁判を起こしたことでも知られる。
2015年に出版された一ノ宮美成・グループK21の著書『京都の裏社会 山口組と王将社長射殺事件の聖域』(宝島社)では、不動産ブローカーの証言として王将のバックにはこの上杉佐一郎氏の存在があり、王将が全国展開に乗り出す際には数百億円とも言われる原資を引っ張ってきたとされる。
上杉佐一郎氏は1919年福岡県三井郡御原村出身で戦中は中国に出征。困窮にあえぐ中、部落解放の父と呼ばれた松本治一郎氏に見いだされ、部落解放運動に邁進し、82年に委員長就任。
王将の創業者加藤さんの出身は1924年福岡県飯塚市で生まれ、家は鮮魚店を営んでいたが家計を助けるため9歳から新聞配達などで働き始め、1941年、山西省で飲食店を営む長兄の許を訪れてはじめて本場の餃子や中華料理に出会った。帰国してアサヒビールが営むビアホールでコック見習いとなり、44年で徴兵。旧満州大連で終戦を迎え、47年に引き揚げ後は王将を成功させるまで職を転々とした。
報告書によれば77年頃に2人は知り合ったとされ、80年の福岡支店開設や85年に阪奈生駒店出店などの際に口利きをしてもらったとされる。ともに福岡出身で、生活の困窮や中国での戦争体験など共通項も多かった王将創業者と上杉氏との間には太いつながりがあったとみてよい。
実行犯と目される工藤会系幹部の男が逮捕された翌日の10月29日、福岡の上杉氏の自宅にも家宅捜索が入り、春日署で参考人聴取が行われた。
デイリー新潮では2016年に上杉氏に取材を行っている。
記事によると、2014年4月に京都府警の刑事が福岡の会社にいた上杉氏を訪ね、開口一番「九州のヤクザが動いとる。九州と言ったらあんたしかおらん」「王将の犯人はあんたしかおらんのや」と迫られたと上杉氏は回想する。射殺事件への関与については言うまでもなく否認している。
住専問題で窮した際に手を差し伸べてくれたのが当時王将の金庫番を担っていた専務・加藤欣吾さんだったと認めている。しかしその後、返済と運転資金の借り入れを繰り返すうちに双方の言い分に食い違いが生じたと説明。その後、潔さん欣吾さんが退陣し、王将が抱えていた莫大な損失を責任転嫁されたのだと主張した。
上杉氏は、2005年から大東社長の指揮で中国・大連など6店舗をオープンさせたが商標権の問題などもあって現地での経営責任者とトラブルとなり失敗に終わったことや、過去に創業者の妻(大東社長の姉。監査役員でもあった)が取引業者にエルメスのバッグをねだり、断ると取引を打ち切られて業者は飛び降り自殺をしたことなど、知っていることを警察に伝えたという。
上杉氏と射殺事件を直接結びつける証拠は明らかにされていない。だが大東社長がその因縁の関係を断ち切り、報告書をまとめていたことが、現状考えうる最も事件につながるトリガーなのではないかと考えられている。
■所感
工藤会系組幹部の男の逮捕後、会見に臨んだ京都府警・中野崇嗣刑事部長は「今回の容疑者は、実行犯という位置付けで考えている。これから捜査するが、共犯者、指示役がいることも視野に入れながら捜査していく」、「当然、原因や動機的なところを捜査するにあたって、大東社長の身分は関連してくる。どのような経営実態があるのかその辺の捜査は進めている。関連性はまさにこれから。被疑者の取り調べを中心に捜査を進め、王将さんにかかわるところは今後の捜査で解明していきたい」と述べた。
10月31日に会見に臨んだ渡辺社長は、「容疑者逮捕の一報を受けて、本当に長かったな、と。まだ全容が解明されたわけじゃないんですが正直に言いましてほっとしている」と話した。
また過去の企業グループとの不適切な取引について質問が及ぶと、「第三者委員会を立ち上げるなど、社内調査を徹底してきました。その中で一部、不適切な取引先との関係があったので、2016年3月30日をもってすべて解消しました。いまは一切、この企業グループとの関係はないとはっきり申し上げます」と述べ、容疑者が工藤会系幹部だったことについては「私どもは反社会的勢力とのつながりは一切ないと確信しています」と強調。「無念の中で命を落とした大東前社長が納得できる解決を見たいです」と事件の真相解明を求めた。
読売新聞では捜査進展の背後に、かつて福岡地検小倉支部で工藤会の「頂上作戦」を指揮した検事が、京都地検を経て大阪高検の刑事部長に異動したことを挙げている。一方では長期化の原因について、一部には京都府警と福岡県警の不協和音があったとも囁かれる。工藤会と王将事件の実情を知る人物がポストに就かなければ、連携した捜査体制が実現しないという警察の体質も由々しき問題である。
公表されている状況証拠では容疑者の犯行を立証できるのかは不透明と言わざるを得ず、全面解決のための更なる糸口を探るために実行犯の「身柄の引き渡し」を求めたという見方が強い。工藤会について過激な団体として知られる一方で、内部は面倒見がよく結束力が強いとされ、簡単に口を割らないと言われている。50代半ば、残り刑期6年の容疑者にはたして口を割るメリットなどないに等しい。
かつては1200人規模と言われた大所帯も現在では構成員300名以下とみられ、その半数は逮捕されている。検挙や殲滅作戦も重要なことだが、締め付けが強くなった今日にあって出所した中高年たちが「元の組」の再興を目指すおそれも今後懸念される。社会からの締め出しと同時に、どういった社会復帰やケアをしていけるのかも試されている。
この事件は実行犯逮捕で終結などではない。はたして捜査のメスがどこまで切り込むことができるのかが本質である。一日でも早く本当の意味での「追悼餃子」を味わえる日が来ることを信じたい。
被害者のご冥福をお祈りしますとともに、ご遺族の心の安寧を願います。
■参考
【深奥-王将社長射殺】㊤捜査3200日、1本の吸い殻が容疑者特定 - 産経ニュース
【深奥-王将社長射殺】㊦背景に200億の「代償」? 事件つなぐキーマンX - 産経ニュース
王将社長射殺事件と福岡センチュリーゴルフクラブの接点|NetIB-News