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遺体なき殺人——フランス邦人留学生行方不明事件

フランス留学中だった筑波大生・黒崎愛海(なるみ)さんの失踪事件。現地捜査当局は“遺体なき殺人事件”と断定して元交際相手のチリ人男性を逮捕し、2023年12月に控訴審が行われた。

 

事件の発生

2016年12月5日、フランス東部ブザンソンで留学中だった筑波大学学生・黒崎愛海さん(当時21歳)がその消息を絶った。

5日未明から早朝にかけて寮で寝起きする学生10数名が、彼女の暮らす106号室付近から叫び声やドスンという何かを叩くような音を耳にしていた。

「甲高い女性の叫び声が響いて、最初はホラー映画かと思ったけど、しばらく続いたので不安になりました」

女性の悲鳴は1分か2分近く続いたとされ、驚いて廊下に飛び出した学生もいたが異変の発生源を特定するには至らなかった。変事を察した学生は少なくなかったにもかかわらず、そのときは警察への通報はされなかった。

愛海さんは8月末に渡仏し、9月からブザンソンにあるフランシュコンテ大学に留学していた。同大学は3万人近い学生の12%を外国人学生が占め、フランス語およびフランス言語学では世界有数の教育機関である。彼女は寮で生活しながら1月の経済学部への編入に向けて、応用言語学センターでフランス語を受講していた。

 

クラスメイトたちはそれまで休んだことのなかった彼女の突然の無断欠席を心配し、寮生たちも異変に気付いてSNS等でメッセージを送り続けたが、ほとんど返事はなく12日以降は完全に音信不通となる。

最後のメッセージは日本で暮らす愛海さんの母親や妹たちの元に届いていた。「新しいボーイフレンドができた」「一週間ルクセンブルクに行く」「ひとりで行く」と一方的に告げる内容だった。ブザンソンの友人たちは度々彼女の部屋を訪ねたがずっと不在が続いていた。その後、友人と寮の管理人によって106号室の様子が確認され、14日、応用言語学センターから行方不明者として警察に届け出がなされた。

翌15日夕方に警察は彼女が暮らす学生寮の立ち入り調査を行い、自発的失踪とは結びつかない状況を把握した。前述のように住人たちは不審な叫び声や物音を聞いたと証言し、室内に血痕や争った形跡などはなく整理整頓されて見えたが、いつもはもっと雑然としていると違和感を示した。

降雪も近い時季だというのに、彼女の唯一のコートやスカーフは残されたままとなっていた。現金565ユーロや交通カードの入った財布やラップトップPCも置きっぱなしで、旅行や家出とは考えにくい。その一方で、パスポート、携帯電話、毛布、スーツケースが部屋から紛失していることが判明する。

隣室には同じく日本人留学生が暮らしていたが、5日未明の騒音以降は生活音さえ聞いていないという。詳しい聞き取りの結果、悲鳴を聞いた寮生のひとりがグループチャットに「誰か殺されてるっぽい」と投稿していたことが確認される。投稿は午前3時21分であった。

 

疑われた恋人

警察は当初、愛海さんの当時の交際相手に疑いの目を向けた。同じ地区に暮らし、国立機械マイクロテクノロジー高等学校に通うアルトゥール・デル・ピッコロさんである。

「12月4日の午前11時半まで一緒にいたが、午後には通っていたダンスクラスに行ったと思います。夕方に少し見かけて以来、会っていません」

4日夜にメッセージを送ったが返信はなく、心配して5日夜には彼女の部屋を訪れたが応答はなかった。毎日顔を合わせていた恋人の予期せぬ失踪に心配した彼は無事を信じて「直接会って話がしたい」とメッセージを送り続けた。ようやく6日深夜にになって「後日にしてほしい」と返信があった。ピッコロさんは恋人が無事だったことを知って多少安堵したものの、“失踪”の説明を求めた。

「メールには“ある男性と出会い、その人と一日を過ごした”と書かれていました。私が“戻ってくるつもりはあるか”と尋ねると、ノーと返信があり、私は彼女に裏切られたように思いました」

メッセージには、男性への感情は一時的な、恋愛ともいえないようなものだが、どうしたらよいのか自分でもよく分からない、と記されていた。ピッコロさんは、悲しみと怒りがないまぜになった、とその時の心情を振り返る。

「12月6日(火)に“パスポートの手続きのためリヨンに行く”というメールを受け取りました。変だと思いましたが、彼女には一人になって考える猶予が必要なのだと思い、私はその気持ちを理解しようと努めました」

ピッコロさんは交際自体は順調で、今後に向けて二人で様々な計画を立てていたと語る。クリスマスには彼女を家族に紹介する約束をしており、すでに飛行機のチケットも準備していた。

「しかし8日の木曜日に送られてきた最後のメッセージには“独占欲”という単語が繰り返し使われていて、何かがおかしいと思いました」

ブザンソンに来てからの彼女の周囲で敵になる人間はいませんでした。私の知るかぎり、有害と思われたのは彼女の過去の関係でした」

 

二人が知り合ったのは愛海さんが来日したばかりの9月初旬で、ピッコロさんは「交際相手との遠距離恋愛がうまくいっていないことで折角の留学が台無しにされている」と彼女から相談を受けていた。愛海さんが関係を解消した10月初旬に二人は交際を開始したが、“元カレ”が関係修復を求めて11月に来仏する意向だという話も耳にしていた。

取り調べを求められたピッコロさんは“元カレ”への捜査を訴えたが、地理的な問題があることから警察はすぐにはその言い分を聞き入れなかった。しかし、いざ裏付け捜査が始まるとすぐにピッコロさんへの疑いは晴れた。あらゆる捜査結果がその“元カレ”による犯行を裏付けており、直接証拠は得られていなかったがすでに行方不明者は殺害されているとの見方が強まり、逮捕状が請求されることとなる。

 

嫉妬と征服

愛海さんは両親と2人の妹の5人家族で、東京都江戸川区の出身。都立国際高校を卒業後、2014年に茨城県筑波大学国際総合学類へと進学した。

同年10月、同じ筑波大学に留学中で経営管理を学ぶ5歳年上のチリ大学学生ニコラス・ゼペダ・コントレラス氏と知り合い、2015年2月頃から男女は交際関係に発展した。

愛海さんは結婚を前提としない非公式なかたちで家族にもゼペダ氏を紹介している。その年の9月から約1か月にわたってチリに旅行し、彼の家族とも面識を持った。彼の留学期間が終わると、二人は日本とチリでの遠距離恋愛となった。

 

Querido Nicolás, mi amor, estoy muy feliz... Eres un compañero extraordinario. Muchas gracias por tu apoyo, gracias por la forma en que me apoyan y la forma en que te comportas conmigo. Intento merecerte. Te amo con tu corazón, soy tuya para siempre. ❤️

(親愛なるニコラス、私の愛しい人、とても幸せです...。あなたは素晴らしいパートナーです。私を支えてくれてありがとう。私はあなたにふさわしい存在でありたい。私は永遠にあなたのものです。)

 

もともと愛海さんは貧困問題に関心を持っており、母子家庭の支援事業を立ち上げることを目標として学業に励んでいた。交換留学制度を利用して他の先進国の現状を理解したいと考え、社会保障制度が充実していることからフランスへの留学を志した。

ゼペダ氏は2016年に再来日し、彼女との生活を夢見て就職活動をしていたが、学内とは勝手の違う生活になじめず、就職もうまくいかなかった。結局、愛海さんは渡仏し、彼も10月にチリへの帰国を余儀なくされ、再び離れ離れとなった。

 

部屋の鑑識捜査によって、カップから指紋が検出され、遺伝子サンプルの分析により、水筒、Tシャツ、壁、バスルームの床、シンクの隅からも同一男性のDNA型が確認された。フランス当局のデータベースから一致するサンプルは見当たらなかったが、後にそれはゼペダ氏のものと照合されることとなる。

ピッコロさんの証言の裏取りも進められた。愛海さんの銀行口座の動きからは、12月6日にリヨン行きの片道列車の購入履歴が確認される。割り当てられた購入座席から同じ客車の乗客たちに確認を取ったが、なぜか彼女と一致するような日本人女性の目撃は皆無だった。またメッセージにあった通り、実際に彼女がパスポートに問題を抱えていたとすれば目的地とすべきはリヨンではなく、日本領事館のあるストラスブールと考えられた。

携帯電話の位置情報を解析したところ、12月4日の夜、寮から約20キロ離れたオルナンにある宿屋兼レストラン「ラ・ターブル・ド・ギュスターブ」を訪れていたことが判明。午後9時57分に愛海さんとゼペダ氏が店を出る姿が記録されており、その約1時間後、学生寮正面玄関の防犯カメラでも元恋人同士が寮に入っていく姿が捉えられていた。

彼らは何の目的で会い、何を語らったのか。二人が寮に到着して4時間半後に悲鳴や騒音が聞かれたが、表玄関から二人が外出する様子は記録されていなかった。代わりに裏の非常口から一人で出ていくゼペダ氏の姿が捉えられていた。

愛海さん失踪前後のゼペダ氏の足取りを辿ってみると、マドリードジュネーブを経由して11月30日(水)にフランス・ディジョンに到着。2週間前にチリ・サンティアゴから予約していたルノー・メガーヌ車に乗り込み、市内のショッピングセンターでプリペイド式携帯電話をチャージすると、その足で愛海さんの暮らすブザンソンへと向かっていた。

翌12月1日、昼過ぎにディジョンに戻り、スーパーマーケットで9.80ユーロの買い物をしている。その中には5リットルの燃料入りキャニスター(蓋つき保存容器)、Winflamm社製のスプレー式塩素入り洗剤、ゴミ袋、マッチが含まれていた。

レンタカーの走行記録によれば、翌2日はジュラ地区にある森林地帯を徘徊。ハイキングや観光に適した場所ではなく、森林地帯を横断するひと気のない林道である。2日と3日は前述の「ラ・ターブル・ド・ギュスターブ」に宿をとっていた。だが愛海さんと同じ寮で暮らすイギリス人のレイチェルとアルジェリア人のナディアは、2日夜それぞれ別の時間に不審な男性が寮の台所に隠れていたと証言し、写真でゼペダ氏であることを確認した。

3日、ブザンソンのH&M(衣料品店)で青いジャケットと白いシャツを購入し、翌日の愛海さんとのディナーの場で着用したことも確認された。愛海さんの失踪前、ゼペダ氏は寮に忍び込んだり、旅人らしからぬ不可解な物品や着替えを手に入れて、ひと気のない森をさまよっていたことになる。

 

レンタカーの返却は12月7日(水)正午ごろで、5日、6日には愛海さんの寮に駐車されていたとの目撃情報もある。返却された車は8日間で延べ776キロを走行し、運転席とトランクは「非常に汚れていた」とレンタカー従業員は記憶していた。

午後にはジュネーブ行きのバスに乗り、そこからバルセロナ行きの飛行機に乗ったゼペダ氏は、従兄弟で医学生のラミレスさんの元を訪れていた。ラミレスさんの供述によれば、ゼペダ氏は「ジュネーブの学会に出席するため渡欧してきた」と語り、以前交際していた愛海さんの話題を振ると「9月以来会っていない」と答えたという。また10日(土)の会話で、ゼペダ氏が窒息死について関心を示し、死に至る原理や要する時間、生死の判断について問われたという。

別の機会には「ナルミは海がとても好きだった」となぜか過去形で話していたことを従兄弟は不審に思ったという。またバルセロナでの滞在をだれにも話さないように口止めされたことも奇妙に思われた。1月になってフランス当局から連絡を受けた直後にゼペダ氏から連絡が入り、「困ったときは家族で助け合うべきだ」と言われたと証言する。

そうした不可解な行動履歴は到底旅行者らしくはない。ブザンソン地方検察は、犯罪のための下準備や隠蔽工作だったにちがいないとの確信を深め、警察犬なども動員して周辺での捜索活動を急がせた。

一方で彼女のラップトップでの通信履歴を照会してみると、8月28日から10月8日までの間にゼペダ氏との間で981通に上る破局までの激しいやりとりが明らかとなった。フランス当局はその内容から男の性格を「嫉妬深く独占欲が強い」と判断。

ゼペダ氏は愛海さんが来仏後にできた男友達に嫉妬し、SNS上での絶縁と実際の交友関係の解消を求めていた。「きみの誠意を見せてください。私はきみの決意が知りたい」「きみのパートナーは私だと彼らにメッセージを送って、これ以上つきまとわれないようにしてほしい」と主張していた。彼が愛海さんに関係を切るよう求めていた相手のひとりが、後に彼女の新恋人となるピッコロさんであった。

ゼペダ氏は彼女に自分の意に背かないよう説得を繰り返していたが、愛海さんも無抵抗に追従する性格ではなかったと見え、横暴な執着を続ける彼に対して「警察に通報する」と相手を脅すことさえあった。男性のこれまでの行いを非難し、最後には「くたばりやがれ」と吐き捨ててやりとりを終えていた。

彼女が男の要望を拒絶すると「もはや我慢の限界だよ、ナルミ。きみは私をゴミのように扱うんだね」と告げ、その2日後に動画投稿サイトDailyMotionに動画メッセージを公開した。

「きみはいい子になるんだ、これからはもっといい子になれる」

「ナルミは悪い子なので、この関係を維持するためにはある条件に従ってもらわねばならない」

「彼女は約束を守ると同時に信頼関係を再構築し、自分のしたことの代償を支払わねばならない。自分を愛してくれる人にそのような過ちを犯すのであれば、責任をとらなければいけない。期限は、そう、2週間だ」

10月9日、日本から帰国した“元カレ”はチリ・サンティアゴに戻り、行動療法センターに通うようになった。

 

指名手配

2016年12月23日、行方不明者が殺害されたことを確実視したブザンソンの捜査当局は、インターポールを通じて誘拐・拘禁などの容疑で国際指名手配を開始することを発表した。欧州を発ったゼペダ氏はすでに13日にチリに再入国していた。

国際指名手配の報道を受け、12月29日、潜伏していたゼペダ氏はチリ刑事警察庁(PDI)に文書を提出。愛海さんから過去の交際を後悔するメッセージを受け取ったため、「友好的な関係を取り戻したいと考えてブザンソンを訪れた」だけだとして殺害を否認した。交際の破局は「合意の上」だったため、「こうなっても不思議はありませんでした」と言い、自発的失踪や自殺の可能性を示唆した。

文書では、4日夜の会食の場で二人はまだ愛し合っていることに気づき、「親密になる」ために彼女の部屋に入ったことを認め、その晩は「うめき声」をあげるほど夢中に愛し合ったと説明。彼女は(交際相手ピッコロさんに対して)浮気による罪悪感を抱いたらしくひどく動揺し、彼に立ち去るように言い、非常口から帰った。現地に数日滞在したが彼女と再び接触する機会はなかった、と綴られていた。

 

翌2017年の1月4日、チリ検察当局はフランスの捜査当局からゼペダ氏の身柄引き渡し要請があったことを発表。5日にはチリ中部サンティアゴの実家周辺にいることが伝えられた。

チリの報道によれば、ゼペタ氏の父親は中南米の大手通信プロバイダー「モビスター」の幹部を務める。マスコミの詮索を避けるため、海岸沿いのリゾート地ラ・セレナの短期滞在型コンドミニアムの部屋を契約して妻を住まわせ、1月2日(月)に父親の車でマンションに入るゼペダ氏の姿も目撃されていた。父親は勤め先で1月3日から約10日間の休暇を取得しており、一緒に行動していると報じられた。

 

2017年3月、フランスの捜査当局は日本に捜査協力を要請し、ゼペダ氏の友人サカマキリナさんとスギハラメグミさんに事情聴取を行った。

彼女たちは愛海さんの失踪直後の時期にゼペダ氏から連絡を受け、「新しいボーイフレンドができた」などいくつかのフレーズについて日本語に口語訳してほしいと頼まれていた。数週間後、知人伝いに愛海さんの失踪を知らされ、愛海さんの家族宛ての最後のメッセージを目にした。LINE上で使われていた文言は自分が翻訳したものであり、ゼペダ氏によって失踪の隠蔽工作に使われたと直感した。

また彼は二人にメッセンジャーアプリでのやりとりを消去するように求めていた。サカマキさんはそのとき愛海さん失踪を知らなかったこともあり、言われるまま削除に応じたという。スギハラさんは後に「なぜ削除させたのか」と彼に問い詰めると「私が元交際相手だったからと言って、失踪の容疑者にはなりたくない」「心配しないで。彼女は別の男性と楽しくしているでしょう」と応答があったという。

 

身柄引き渡しと裁判

ニコラス・ゼペダ氏とその家族はフランス当局による取調や身柄引き渡しを拒絶。検察局は粘り強い交渉を続け、チリ司法においてその可否を決することとなった。

2020年1月13日、3年間沈黙を守っていた愛海さんの母親と妹たちは「家族の気持ち」と題した嘆願書を在チリ日本大使館に送付。在チリ日本領事から検察庁に照会され、チリ最高裁で行われる身柄引き渡し審問に提出される。

私は24時間、愛海の写真を胸に抱き、『どこにいるの、帰ってきて』と祈り続けています。毎日が地獄で、身も心もボロボロです。走行中の車から身を投げたこともある。——

―—ニコラスがフランスで捜査されることを祈ります。愛海の命を奪ったニコラスを、そして彼女が一番大切にしてきた家族全員の人生を奪ったニコラスを、私たちは絶対に許すことはありません。たとえ命が尽きようとも、この恨みが失われることはありません。

母親は失職し、妹たちも学業に励むことに苦労したという。愛海さんの身に何が起こったのかを正確に知ることもできないまま、家族はただ毎日を生きるのみだった。フランスに渡って愛海さんの捜索活動をすることも考えた。しかし母親は沈黙を続ける娘の“元カレ”が真相を、彼女の居場所を知っていると確信し、チリに渡って面会を要求したが結局実現は果たされなかった。

5月18日、チリ最高裁はゼペダ氏の身柄引き渡しを承認。自宅軟禁に置かれた後、チリ捜査警察によりフランス当局へと引き渡されることとなる。7月24日、パリ・シャルル・ド・ゴール空港に到着した容疑者は予審判事の許へと連行され、ブザンソン公判前拘置所に収容された。

 

2022年3月から4月にかけて、ブザンソン裁判所で一審刑事裁判が行われ、フランスのほか日本、チリ、スコットランドの証人が中継で参加し、日本語とスペイン語の同時通訳で傍聴が可能となった。各国のジャーナリストや市民が詰めかけ、2つの法廷が解放されてスクリーンモニターで審理の様子を見守った。

ゼペダ氏の弁護を担当したのは、サルコジ元大統領の盗聴事件などで知られるパリ弁護士会ジャクリーヌ・ラフォン弁護士でゼペダ被告の無実を主張した。

愛海さんの母親、妹のクルミさんも2週間の審理を傍聴し、証言台にも立った。ブザンソン弁護士会のシルヴィ・ガレー氏が家族の代理人として手続きをサポートしている。

公判の中で、ゼペダ氏が参加していたSmule、last.fmDeviantArtなどのオンライン上でのやりとりが参照され、様々な日本風のイラストがあったほか、実際の彼の行動さながらに「元パートナーと再会するためにチリから米国へと旅する男の物語」の投稿も見られた。

失踪後の12月10日にも愛海さんのFacebookアカウントはログインが報告されており、IPアドレスはゼペダ氏がバルセロナ滞在中に使用したものと一致。また交際していたピッコロさんのSNSアカウントへゼペダ氏からの攻撃があったことも証言された。

エマニュエル・マントー検事総長は、通信履歴や各種投稿の内容から被告の嫉妬深く独占欲の強いストーカー気質を示した上で、ブザンソンへの訪問は「復縁の説得」のためと推測されるが、二人が再開する12月4日より前の行動履歴と照らせば、彼女の対応如何によっては殺害することも事前に想定されていたと主張した。

現状“遺体なき殺人”であることから「最も可能性の高い仮説」として、彼女は自室で窒息死させられ、遺体はスーツケースで車に積まれてジュラ地区の森林地帯に運ばれ、森林地帯に埋められたかドゥ川に遺棄されたとする公訴事実を述べた。

4月12日、マチュー・ユッソン刑事裁判所長官は懲役28年の有罪判決を下した。

ゼペダ被告は判決を不服として控訴。2023年2月に控訴審が開始されたが、公判途中で法定代理人(ジュリアン・アサンジの弁護で知られるアントワーヌ・ヴェイ弁護士)との間でトラブルが生じ、ルノー・ボルトジョワ弁護士、シルヴァン・コーミエ弁護士が新たに担当することとなった。

 

〔2023年12月22日・二審判決加筆〕

2023年12月4日からヴズール控訴裁判所で改めて控訴審が開始された。

33歳になったセペダ被告は、尋問に対し、「プレッシャーやストレスを感じながらも、ようやくこの瞬間を迎えることができた。無実の罪でひどい非難を浴びている。質問に答える準備はできている」と口を開いた。

彼は2014年に日本で出会った愛海さんについて「尊敬」と「思いやり」に基づくパートナーシップだったと振り返り、「私はこの失踪とは関係がない」「私も何が起こったのか知りたい」と元恋人の安否を危惧した。彼女から「一生一緒にいるのか」と問われ、「僕はそう望んでいると答えた」と交際当時を振り返った。

それに対し、ピッコロさんの代理人である弁護士は「彼の物語は“ディズニーランド化”された架空の話だ」と喝破し、「被告は身の安全を図ろうとしている」と指弾する。被告は自分の言葉で証言を続けるものの、質問が細部に及ぶと答えに窮する場面も見られた。

 

証人として出廷した愛海さんの母親は、娘から紹介されたチリ人のボーイフレンドに対して「事件前から不信感を抱いていた」と明かした。

そもそもチリは話題にもしない遠い異国という認識だったため、娘から交際の事実を聞かされたときは驚かされたという。被告と初めて会ったのは愛海さんがアパートの引っ越しをしようとしていた時期だった。見た目は「ハンサムで優しそうな子」という印象だったが、彼は初対面の母親に挨拶ひとつしなかった。

引っ越しを手伝う約束をしていたが、当日、彼は姿を現さなかった。日本では信用を失うため守れない約束事はするべきではないとされている。一緒に食事をした際に家族の話題となり、青年は「スペイン系で、母親は裕福な家の出身だ」と紹介した。日本では「裕福な家柄である」と自称することは、品性の観点からあまりよい行いとはみなされない。家族はゼペダ氏の性格や対応に違和感や不安を感じていたが、娘のためにも「文化の違い」と寛容な理解に努めてきた。

男への不信感が決定的となったのは、愛海さんからチリ滞在時の出来事を聞かされたときだった。愛海さんは彼とスキーに出かけた際に雪道で遭難してしまい、叫び声をあげて助けを求めて命からがらの思いをして救助されたことがあったという。しかしゼペダ氏は「遭難についてだれにも言わないでほしい」と彼女に口止めしたというのである。なぜ人命が掛かったそんな大事をひた隠そうとするのか、その人間性に疑いを抱くのも当然である。

 

愛海さん家族の代理人シルヴィ・ガレー弁護士は、被告が送った“きみはいい子になるんだ、これからもっといい子になる”との動画メッセージについて言及する。関係修復のやりとりの中で、彼が元恋人に出した条件、その意味するところは、決して問題を起こさず、決して怒ることなく、決して意地悪をせず、決して悪口を言わず、決して歯向かったりしない、という絶対的な服従関係の要求であった。

彼女は生理の遅れから妊娠を危惧してクリニックを訪れていたとみられ、2016年10月には「あなたは私の体を傷つけ、大金を奪い、私から未来の子どもを奪った」と厳しい口調で男の不誠実な態度をなじっていた。彼女は完全にパートナーの言いなりになる女性ではなく、そうした過去の出来事も破局の引き金になっていたと考えられる。説明を求められたゼペダ被告は「妊娠検査薬の反応を疑って彼女は病院へ行ったが結局妊娠の事実はなかった」と述べているが、彼女のメッセージを字義どおりに捉えれば(男が関知していなかったとしても)堕胎手術があったようにも解釈できる。

筆者の憶測になるが、2016年に彼女を追って来日した恋人は自分を差し置いてフランス留学する彼女の決断を快くは思っていなかったに違いない。就職活動は不調に終わったが、地球の裏側から恋人との生活を求めて駆けつけた愛情は疑いようがない。「一生一緒にいよう」と願ったのは愛海さんではなく、男の方ではなかったか。彼女の留学は第一義には学業のためであれ、彼の支配や束縛、性的暴力などから逃れたい、早く離れ離れになって関係を終わらせたいとの気持ちも念頭にあったのではないか。

被告は一審判決後の収監について言及し、メディアの悪意ある報道と彼がフランス語を話せなかったことから「問題を抱えている」と見なされ、他の囚人とは一切交流できない境遇に置かれていたと語った。隣室の囚人の自殺や聴覚障害をもつ囚人への虐待も目にしたと獄中生活の過酷さを振り返った。ブザンソンでの勾留期間中にも看守から数回の殴打を受けたと報告すると、被告は嗚咽し始めた。ゼペダ被告の母親は立ち上がり、「息子の人権はどこにあるのですか」「私の息子を犬のように扱って」と叫んだ。公聴会は15分間中断した。

 

ギャレー弁護士は、マッチ、洗剤、燃料入りキャニスターの購入について説明を求めた。被告はマッチや洗剤は日用品として、キャニスターは燃料を携行するためではなく容器のデザインが気に入っていたためと購入理由を述べた。検察側は「あなたの証言は信用できない。カルフール(マーケット店)では空の容器も販売されていた」と語気を強めた。

被告の言い分が変わったのは、12月4日にブザンソン二人が“再会”した経緯である。これまでGPSに導かれてたどり着いたとしていたが、彼女の暮らす寮は事前に知っていたと述べ、否認していた学生寮周辺での事前の徘徊を告白した。

「一緒に過ごした時間よりも、私にとって重要なのは出会いだった」

遠くチリ・サンティアゴからフランス・ブザンソン学生寮までたどり着いたものの途方に暮れたゼペダ氏は、車の後部にA4用紙を挟んで彼女が気づくことを信じて待った。紙には、二人にだけわかる「暗号」として、ニコラスとナルミの名前を縮めてつくった「ニコミ」という恋人時代に考案した二人の愛称を日本語で書き添えていた。

気づくと「ニコミ」の紙が抜き取られており、車を降りてみると目の前に元恋人の姿があった。涙ながらに「もう会えないと思っていたのに」と再会に驚く彼女を車に乗せて食事に向かい、そこで両者の愛情が失われてしまった訳ではないことを確認し合ったという。

その晩から5日明け方にかけて二人は彼女の部屋で肉体関係に及んだ。避妊具をどうしたかは記憶にないとしている。また5日早朝に追い出されたとの証言を覆し、翌6日まで彼女の部屋に留まり、6日に二人で外出したと述べた。検察側が愛海さんの生存を匂わせる偽装工作だと位置づける「リヨン行きの鉄道切符の購入」について、被告は彼女から頼まれて購入したものだと説明した。

ゼペダ被告の父親は「愛海さんが今現在死亡していることを断言できる人は存在しない」と述べて、死体なき殺人の犯人にされかけている息子を擁護した。弁護団は「部屋の暖房器具に頭をぶつけて亡くなったとすれば…」と、彼女の失踪について計画殺人以外の解釈をする余地がない訳ではないことを陪審員に訴えた。

 

2023年12月21日、控訴審裁判所フランソワ・アルノ―裁判長は陪審員ら12人での5時間に及ぶ審議の末、前年の一審判決を支持し、被告に懲役28年の判決を言い渡した。尚、刑期満了とともにゼペダ氏には国外退去が命じられるとともに、黒崎さん家族に22万ユーロ、ボーイフレンドだったピッコロさんに5000ユーロの賠償金の支払いも命じられている。

「私は殺人者ではない!ナルミを殺していない!」

無表情で判決を聞き入っていた被告は泣き崩れ、通訳を通して判決内容を知らされた父親は息子の頭をなでて慰めようとした。結審後、記者団に囲まれた父親は「具体的かつ直接的な証拠」を提出していないとして検察側を非難し、「今日、フランスで無実の人が有罪判決を受けたことをだれもが目撃することになった」と判決への不服を露わにした。

約3週間の公判を終えた愛海さんの家族と代理人シルヴィ・ガレー弁護士は、判決そのものに不服はないとしたが、ゼペダ被告が真相を語ろうとしなかったことは遺憾であると述べた。

被告側の弁護団は、上告も含めて慎重に検討すると述べ、裁判所を後にした。