マドリード郊外の峠道、タンクローリー車の原因不明の事故により乗っていた夫妻が死亡した。しかしなぜか一緒にいたはずの一人息子はどこにも見当たらなかった。
国際刑事警察機構(インターポール)は、20世紀後半のヨーロッパで起きたもっとも奇妙な行方不明事件のひとつと見なしている。
事件の発生
1986年6月25日、スペイン・マドリード州北部の山地ソモシエラを抜ける片側一車線の峠道で不可解な車両事故が起きた。
事故が起きたのは、当時マドリードとスペイン北部を結ぶ主要道路であったマドリード-ブルゴス旧道である。 現在は、並行して走る高速道路A-1の建設により、ほとんど廃道となっている。
午前6時半ごろのこと、峠の長い下り坂で 工業用の高濃度硫酸23,000リットルを積んだボルボF-12トラック(タンクローリー)がスピードをぐんぐんと上げ、1台、また1台と先行くトラックたちを追い越していった。
2台目のトラックは接触してサイドミラーを弾き飛ばされるほどの強引な追い抜きだった。それでもタンクローリーは車線をかえることなく猛然と突き進んできたため、3台目は恐れをなして大慌てで道を譲った。
天候は晴れ、道路状態も良好だった。 他の運転手たちの目から見てもそのタンクローリーの異常運転は明らかで、ブレーキの故障か制御不能状態を予感させたという。
数秒後、タンクローリーは時速110~140kmの猛スピードで反対車線から来た別のトラックを避けきれずに横転し、硫酸入りタンクが破裂。内容物は瞬く間に周囲に溢れ出した。たちまち有毒ガスが周囲一帯を覆い、地獄絵図のような光景が広がった。

他のドライバーから通報を受け、道路救助隊が現場に急行。すでに硫酸を積んだトラックのエンジンは止まっていたが容易に接近できない。
負傷した他の運転手らを先に避難させたが、濃硫酸が目の前を流れるドゥラトン川に流れ込めば甚大な環境災害を引き起こすことが予想された。救助隊員たちは関係各所に協力を要請して砂と石灰を運び込み、酸を中和する作業に全力を注いだ。
3時間後、救助隊員らはタンクローリーのキャビン(貨物車両の運転席部分)から男女の遺体を発見した。
近郊から駆けつけた保安官が、死亡者は成人男女2名、硫酸による腐食の兆候が見られると遺体状況を報告。死亡者はムルシア州フエンテ・アラモ出身のトラック運転手アンドレス・マルティネスと妻カルメン・ゴメスであることがすぐに確認された。
車両はマルティネス個人が所有するものと確認が取れ、後の調べで彼の仕事に時々カルメンも付き添っていたことが分かった。硫酸は前日の夕方にカルタヘナで積載され、その日のうちに対岸のビルバオまで届けられる予定だった。
その日の午後、治安部隊の隊員が電話を取り、ムルシアに住むカルメンの母親マリア・リーガルに訃報を伝えた。
しかし彼女の返事は隊員を驚かせた。
「それで、男の子は?私の孫は?無事だと言ってちょうだい!」
夫妻2人きりではなく一緒に子どもを連れていたはずだというのである。
バスク旅行
同乗していたとみられるフアン・ペドロ・マルティネス少年は10歳で、夫妻の一人息子だった。 過去にも父親のトラックに乗せてもらう機会はあったが、700kmにも及ぶ長旅は人生で初めての経験だった。
地元フエンテ・アラモを含むムルシア地方は乾燥気候で砂漠の多い土地である。少年は学校で、スペイン北部のバスク地方では湿潤な気候で牛が牧草を食み良質なミルクがつくられていることを学んだ。
「緑豊かな別世界」に心揺さぶられた少年は「勉強を頑張るから、ご褒美にバスクの牧場へ連れて行ってよ」と父親におねだりしていた。優れた成績で学年末を迎え、待ちに待った夏休みが始まる。
父アンドレスは息子との約束を守り、次のバスク地方への配達に合わせて、家族揃っての小旅行を計画した。彼が仕事で荷下ろし作業をしている間は妻に子守りを任せることにし、次の日には3人でフアン・ペドロ待望の牧場巡りをする予定であった。
こうして6月24日、アンドレスは発注を受けた工業用薬品を積載したトレーラーをセットし終えると、19時頃に妻子を乗せてフエンテ・アラモから北へ700km離れたビルバオに向けて出発した。
しかし事故が起きたとき、フアン・ペドロは本当にトラックに乗っていたのだろうか?
車内を調べたところ、たしかに後部シートには子ども向けのカセットテープや男の子の服が残されており、同乗していたらしい痕跡は確認できた。半壊した車内で圧死しているおそれがあるとして翌日までに空間をこじ開けてみたが、パッキングされた衣服など荷物が見つかるだけで少年の遺体は出てこなかった。
彼は両親のそばを離れて別の場所にいたのだろうか。
見知らぬ辺鄙な土地で、10歳の少年が?
失踪の謎
可能性として、事故の際に少年はシートベルトを着けておらず車外に転落したことが考えられた。あるいは事故を起こす数km手前から両親はブレーキのトラブルに気づき、絶体絶命の窮地を悟って「わが子だけでも」と奇跡を信じて車外に放出したこともありえなくはなかった。
事故現場一帯では警察からボランティア、学生、軍隊までもが何日もかけて、少年の痕跡を探し回った。しかし道路沿いの捜索で見当たらず、車体の下敷きになったことも考えられたが、クレーンで移動させる際にも巻き込まれた形跡は認められなかった。
捜索隊はバイク、馬、犬を動員してロードサイドや脇を流れる川、付近の山中を駆けまわり、上空からヘリコプターでの捜索も行われた。警察消防が彼を見落としてしまい誤って埋められていないか調べるため、周囲に盛られた土砂や石灰も掘り返された。
半径30km、2か月がかりの大捜索で唯一見つかった人の痕跡はランニングシューズのソール部分だけ。それもフアン・ペドロとはサイズ違いで、事故以前からそこに落ちていたらしいものと考えられた。
トラックが硫酸を運んでいたこと、キャビンにまで硫酸が飛散したこと、両親は絶命し、子どもが行方不明になっていることだけが明確な事実であった。
専門知識のない我々の直感として、子どもは両親よりも多量の硫酸を浴びて溶解してしまったのではないかと不穏な想像を思い描きがちだ。
しかし、法医学者やスペイン高等科学研究院(CSIC)の化学者たちは、フアン・ペドロの遺体が硫酸に完全に溶けて跡形もなくなることを否定している。
人体が消失するには酸のシャワーを皮膚に一時的に浴びるだけでは不十分で、長期間、体ごと完全に酸の中に沈んでいなければならないのだという。
動物や人間の遺体を使ったテストを行ったところ、溝やキャビン内の密閉された空間にはまり込んで「酸の浴槽」のような役割を果たしたとしても、軟部組織がすべて失われるまでに少なくとも24時間、骨に深刻な損傷が出るまでに5日間はそこに浸かっていなければならないことがわかった。たとえ亡くなっていても捜索時に骨は必ず見つかるということだ。
たしかに両親の遺体は原形をとどめたまま残り、後部シートにいたであろう子どもだけが煙のように跡形もなくなるとは俄かに信じがたい。髪の毛、爪、歯など、酸に反応しづらい組織は残り、「そこに人がいた痕跡」があって然るべきである。
しかし現場や車体からはなぜかそういった兆候も見つからなかったため、フアン・ペドロ少年は死亡者扱いではなく、法的には行方不明者と位置付けられた。

トラックのタコメーター(エンジンの回転数を記録する装置)は車体から無傷で回収された。停車時刻の記録と立ち寄り先を照らし合わせていき、その走行ルートが確認された。
Venta del Olivo(ムルシア州シエサ近郊)を出た後、0時12分にLas Pedroñeras(クエンカ)、3時にマドリード近郊のガソリンスタンド、事故の直前、午前5時半から6時頃にかけては峠の始まりのカバニージャス近郊のバー兼宿場「Aragón」(現在は廃業)に立ち寄って小休憩していたことがわかった。
一家の旅路は順調に進んでおり、旅程に大きな無理はなかったように見える。
店のウェイターは家族を思い出すのに苦労はしなかった。両親にはブラックとミルク入りのコーヒーを、真っ赤な服を着た男の子にはケーキを提供していたことをはっきりと記憶していた。彼らが車に乗り込むところは目にしなかったが、まもなく駐車場から出ていくタンクローリーを窓越しに見送ったという。
これが一家の生前最後の目撃情報となる。
奇妙な発見と「2人の羊飼い」
またタコメーターは他にも不可思議な兆候を記録していた。
タンクローリーは峠の上り坂に入って以降、下り坂で事故を起こすまでの約16kmの間で12回、短いものでは1秒足らず、長いものでは最高地点近くで約20秒という極めて短い停止を頻繁に繰り返していた。
熟練ドライバーたちの話では、経験ある運転手であればこの区間ではせいぜい1回のブレーキングで充分なはずで「それ以上は時間の無駄だ」と主張する。
当時、これほどの停車を要するような交通渋滞は起きておらず、ついさっきカバニージャスでコーヒーブレイクしたばかりの運転者の身に何が起きていたのかは見当がつかなかった。
さらにトラック本体を調べたところ、当初の想定とは異なりボルボのブレーキ機構はまったく損傷しておらず、ドライバーが故意に猛スピードを出していたことが判明した。
エンジンが回転しなくなる類の機械の故障であれば、再び加速できるようになるとは構造上考えにくいため、ブレーキング動作だけでなく加速(アクセルの踏み込み)を同時に行っていたことが考えられるという。猛加速と頻繁な短いブレーキングは何を意味するのか。
事故の発生現場に出くわした後続のトラック運転手は、白い日産バネット・バンが自分の車のそばに止まったと証言した。
運転していたのは外国訛りで話す口ひげを生やした男で、ブロンドの女性を伴っていたという。
目の前の大事故に動転していたトラック運転手に対して、口ひげの男は「心配するな」と声を掛け、「彼女は自分の妻で看護婦だ」と伝えた。
女性は一度バンを降りて、ボルボと正面衝突したトラックの様子を見に行ったが重傷の運転手の怪我を簡単に確認しただけで手当てや救助などをする様子はなかったという。
その後、夫婦は再びバンに乗り込むと、路上に倒れていた重症の運転手を轢きかねないほど乱雑な運転で逃げるように北へ去って行き、それきり事故現場に戻ることはなかった。彼らが何をしようとしたのか、現場で何かをしていたのかははっきりしない。
事故現場に現れた謎の夫妻に関するこの証言は、ホラーじみたサイトやオカルティックな番組で頻繁に取り上げられる『2人の羊飼い』という噂・都市伝説の起源となっている。
タンクローリー転倒の大事故が発生して、後続の運転手が立ち往生して助けを待っていた。そこに一台の白いバンが現れ、異常に背の高い、白衣を着た北欧風の男女が降りてきて、転倒したボルボトラックのキャビンから何かしらの荷物を持ち出して消えるようにその場を去っていったというものだ。
この話はインターネットの黎明期になって語られ出したわけではなく、事故発生当時から囁かれてきた。
事故から1か月後の地元紙では、白いチュニックを着た牛飼いの人々(シエラ族と見られる移動牧畜民)が現場を訪れていたとの記載がある。事故との関連や見つからない少年の消息について何か知っている可能性もあるが、その後の詳しい足取りは不明だと報じられている。
また警察は「白いバンに乗った夫婦」を探し出して尋問しようとしており、近郊で3,000台以上のバン所有者を調査した。顔を見れば思い出すだろうと写真付きのバン所有者リストまで作成されたが、該当するような人物・夫婦は浮上せず、追跡の手掛かりとはならなかった。
少年の奇妙な失踪事件は、謎めいた2人組の出現という「尾ひれ」とともにマスコミで有名になり、やがて超能力者、UFO探索家、陰謀論者、目撃談の捏造といったお決まりの「捜査の妨げ」をも引き付けた。
言うまでもなく彼らの「挑戦」は40年近くにわたって成功していない。

トラックの残骸はカルタヘナの倉庫へと移され、念入りな鑑識調査が続けられた。
およそ一年後の87年には、トラックの貯蔵タンク内から微量のヘロインの痕跡が見つかったと全国紙『エル・パイス』が報じた。
Hallada heroína en el camión siniestrado en Somosierra | Noticias de Madrid | EL PAÍS
亡くなった夫妻には麻薬による逮捕歴や濫用の形跡は確認できなかった。
だが長距離トラック運転手は過酷な職務の捌け口として薬物依存に陥りやすいと広く見なされており、そうした密売組織との接点から「運び屋」というサイドビジネスを持ち掛けられても不思議はないように思われた。彼らが目的地としていたビルバオは当時西ヨーロッパのヘロイン流通の玄関口だった。
アンドレスの家族は、数週間前から地元のマフィア連中から麻薬運搬の仕事を手伝うように彼は脅迫を受けていた、と捜査員に語った。そして子どもの進級祝いの小旅行などではなく、実際は二人で子どもを守ろうとしていたのではないか、との見解を付け加えた。
ゴシップ雑誌などではなく硬派な全国紙が取り上げたからには単なる噂や記者の憶測記事とは思えず、ヘロイン情報や家族の証言は人々を混乱させるとともに想像力を一層強く刺激し、事件の見方を大きく変えた。
当局でも方針を転換し、麻薬密売・児童人身売買など国際犯罪組織の関与を視野に捜査を拡大させ、インターポールの協力を仰ぐこととなる。
理論と検討
残された親族は、夫婦の忘れ形見であるファン・ペドロが何者かに連れ去られた、事故車両には同乗していなかったと信じている。
インターネットもない当時、電話番号を公開して情報提供を求めたが、年中24時間体制でかかってくる無言電話や「事故直前に行き違ったトラック運転手の身内」を自称する人物による根も葉もない目撃証言ばかりだったという。
当時20代だった母カルメンの弟や従姉妹らは可能なかぎり多くのメディアに対応し、それまで得られた捜査情報を余さず伝え、マスコミや風評の誤りを指摘し、一家の身に何が起きていたのか、ファン・ペドロがどこに消えたのかといった人々の推論にも積極的にアプローチした。
家族は、前を走る車の挙動不審な動きによって何度もブレーキ操作をせなばならなかったのだろう、と述べ、以下のような児童誘拐説を主張している。
その日、警察の検問があることを察知した麻薬密売組織は、急遽検問逃れをする必要が生じた。そこへ通りがかった輸送トラックの家族連れを脅迫し、車体にヘロインを隠して密輸するように命じた。しかしアンドレスはその要求を拒絶し、怒った組織の連中が少年を誘拐したため、夫妻は追いかけていて事故に遭ったという見立てである。
たしかに愛息を人質に取られたとすれば、神経は著しく高ぶって身震いし、不用意な加速やブレーキ操作を繰り返してもおかしくはない(ひょっとすると暴行を受けて怪我を負い、身体的に制御がおぼつかなかったことも考えられる)。本来ならば減速すべき下り坂で猛スピードを上げていたのも「追跡のため」だとすれば説明が付きやすい。
そのほか、逆に一家は犯罪組織からの追跡を受けており、逃走しようとスピードを上げたが誤って転倒し、最終的にまだ息のあったファン・ペドロ少年だけが口止めのために連れ去られた、といった見方もある。
アンドレス・マルティネスの仕事に関する詳しい調査も行われたが、依頼主や雇用者にやましい点はなく、周辺の人間関係からも麻薬ビジネスやその他の犯罪組織との結びつきは確認できなかった。
もし犯罪組織が偶発的にそうした脅迫行為をする必要が生じた場合、どこでどうやって偽装工作に使えそうな車を探すだろうか。これは私見だが、峠の宿屋兼ドライブインであった「Aragón」が最も接触しやすいポイントではなかったか。
麻薬密売組織はビルバオの港とマドリードを結ぶこのルート上を頻繁に行き来していたにはちがいなく、店の人間が彼らの存在や違法行為を全く関知していなかったとはどうも思えない。その店で「商売」をしていたかまでは不明だが、密輸関係者が移動途中に立ち寄ることもあったと考えるのが妥当ではないか。
店主たちは日頃から面識があり、警察に下手なことを言えば命の危険があると察して、「見ざる言わざる聞かざる」を通したようにも思えてしまう。防犯カメラも普及していない時代のこと、一家が店を訪れた証拠となるものは伝票一枚にすぎず、そのあと彼らの身に何が起きていたかを示す客観的証拠は存在しない。
一方で、ヘロインについて、トラックのタンク内にあった毛布から検出されたという報道内容に疑問を呈する見方もある。現にタンク内に毛布が丸ごと入って硫酸漬けになっていたとすれば繊維が分解されて薬物反応など確かめられようはずがない。
毛布の発見状況は詳らかにされてはいないが、その所有者はマルティネスではないのではないか。事故の直後、現場近くにいた他のドライバーや先に現場に入った救助隊員が目の前で硫酸が漏出しているのを食い止めるために使用した(漏れ口を塞ごうとして毛布を突っ込んだ)とみる方が現実的ではないかと指摘されている。
毛布の本当の所有者がヘロインユーザーでは自ら名乗り出ることもできない。

周辺地図を基にした推論では、幸いにして軽傷で済んだ少年はすぐ近くを流れるドゥラトン川に降りて硫酸や傷口を洗いに行ったのではないか、そこで流れに飲まれてしまい見つからないのでは、といった仮説も挙げられている。しかし現実には川の渇水期に当たり、仮に少年が川沿いまで降りたとしても流されてしまうような状況ではなかった。
この事件に関与したある警官は、善きサマリア人仮説(*)を提案している。彼によると、第三者(たとえば白いバンの夫婦ら)が、重傷ながらもまだ息のあったフアン・ペドロを事故現場から救出し、病院まで運び込もうとしたが、少年が途中で死亡してしまい、責任追及を避けるために別の場所で遺体を処分したのではないかという。
(*善きサマリア人の喩え…善人が為すべき慈悲、隣人愛の喩えを説くルカ書の教え。強盗に襲われ半死半生の人の前を3人の人が通りかかる。祭司や特権階級のレビ族の人は素通りしたが、ユダヤから差別の対象とされたサマリア人は見返りを求めることなく彼を助けた。「やらない善よりやる偽善」)
事故の数日後、旅の終点であるビルバオで少年が目撃されたとの情報が入り、現地調査されたが、発見の糸口にはつながらなかった。彼は善意の第三者などに助けられ、今もどこかの町で暮らしているのだろうか。
1987年5月にマドリードの繁華街でフアン・ペドロらしき少年に会ったと警察に話した自動車教習所の教官もいた。 彼によると、盲目の年老いた外国人女性が、アメリカ大使館の場所を尋ねるために彼の教習所に入ってきたという。 女性はアンダルシア訛りのスペイン語を話す10歳か11歳の少年に案内されていたが戸惑っているように見えた。 教官男性は高齢女性にその少年について尋ねてみたが、彼女は避けるように話題を変えたという。
男性は後にテレビで放映されたフアン・ペドロ・マルティネスの写真を目にして、あのときの少年だと確信したという。フアン・ペドロ少年自身はアンダルシア人ではなかったが、出身地カンポ・デ・カルタヘナの訛りにはアンダルシア訛りと同じく/th/の音がない。男性は、その女性が「食料の支給を受けている」と話していた赤十字のポストまで何度も足を運んだが、彼らは来なかった。
しかし、この主張は警察にもフアン・ペドロの親族にも信じてもらえなかった。
スーパーナチュラルな見方にこだわる「羊飼いたちの話」の信奉者らは、アンドレスのトラックは呪詛やサイキックによって制御不能に陥って事故を引き起こし、バンに乗っていた連中が儀式の生贄のために少年を連れ去ったと主張する。
あるいは地球外生命体によるアブダクションによって少年は車中から忽然と消え去り、夫婦は口止めのために宇宙的電波を用いて事故に見せかけて殺害されたと信じる者もいる。
現実的な犯罪行為と絡めて、小児性愛者、カルト、臓器密売人がフアン・ペドロを誘拐したとする説もあるが、それらを裏付ける証拠は存在しておらず妄想的仮説に留まる。少なくとも筆者の考えでは、逃げ場に乏しい峠道は児童誘拐を目論むのに適した現場とは思えない。
元の目撃情報に含まれていない「トラックから何らかを持ち去った」という噂の核心こそ、ファン・ペドロだと考える者もいる。たしかに事故直後に連れ去りがあれば、現場に少年の痕跡が残っていないことも説明がつく。
原因不明のトラック事故と、説明のつかない少年の失跡との因果関係こそ本事件最大の謎と言えた。

筆者の根拠に欠ける妄想的見解として、一家心中説を挙げて終わりにしたい。
一家は他の親族にもひた隠すような深刻な問題を抱えており、この旅の真の目的は一家心中だった。夫婦は命を絶つ方法に車両事故を選んだが、ためらった母親が息子の生還に一縷の希望を託して山頂付近で窓から遺棄したというものだ。
山頂付近での22秒間の減速、 峠道での12回ものブレーキングと再加速は、父親の躊躇や夫婦間の緊張を物語っているように思えてならない。
重い病気、宗教上の禁忌、あるいは親族との確執など、遺族らもまったく事情を知らされなかったか、祖母などごく少数の人間しか知らなかった。
事情を知る遺族としても、彼ら(3人や残された家族)の名誉や尊厳を守るために公言できない秘密があるのではなかろうか。自殺や一家心中となればカトリックの教えに背く行いであり、厳格な家庭では葬儀やミサさえ憚られるため口外を避ける。
捜査員や記者から諸説を聞かされ、心当たりはないかと問われ続けた家族は、話の内容からヒントを得ながら、麻薬密売組織による誘拐説を思いついた。
ある記者は捜査機関からもたらされた情報ではなく、家族から麻薬密輸説の傍証として聞かされた「警察はヘロインを検出したがなぜか情報を公にしない」といった話を信じ込んで記事にしたのではないか。
息子と最後の団欒のときを過ごした夫婦は最終的に二人で逝くことを決めて息子を峠のドライブインに置き去りにした可能性もある。周辺の遊牧民集団に拾われたか、善きサマリア人に拾われたか、人身売買の手に渡ったのかは天のみぞ知るところだが、少年が生存する可能性は決してゼロとは言い切れない。
ジャーナリストのパコ・ロバトンが複数の行方不明者家族を追った事件ノンフィクション『‘Te buscaré mientras viva’』でもファン・ペドロの失踪が取り上げられている。残された不明者の家族たちは著書タイトルにもある通り「生きている限り、あなたを探します」との思いを胸に長年の捜索活動を探している。
謎めいたソモシエラ事件の発生から40年近くが経った。ひょっとすると夫婦の親たちが秘密を抱えたまま永い眠りにつき、子や孫ら若い世代は真実を知らされないまま「亡き家族の思い」を引き継いでいるのかもしれない。
亡き人のご冥福と、家族の心の平穏をお祈りします。
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Mayka Navarro sobre la desaparición más extraña de Europa: El caso del niño de Somosierra
