学校から忽然と姿を消してしまった7歳の少年。彼の身に何が起きたのかは一切が謎に包まれている。
Kyron Horman | Multnomah County Sheriff's Office
科学フェアの朝
2010年6月4日(金)オレゴン州北西部ポートランド郊外マルトノマ郡にあるスカイライン小学校で2年生の男子生徒カイロン・リチャード・ホーマンくん(当時7歳)が行方不明になった。
その日、学校では児童の研究展示のほか、科学者やエンジニアらを招いて科学技術を体験する「科学フェア」が催されていた。
カイロンくんは日頃スクールバスで通学していたが、その日は継母のテリ・モールトン・ホーマンさん(当時40歳)に車で送ってもらった。
8時頃に学校に到着し、テリさんは一緒に作成した「アカメアマガエル」の研究展示の前でご満悦の息子の姿を写真に収め、他の展示物を見て回ったりした。
やがて始業10分前を知らせるベルが鳴り、カイロンくんは「お母さん、教室に戻るね」と告げて自分の教室へと向かった。母テリさんは始業時刻となる8時45分頃に校舎を後にした。
しかしカイロンくんはその後、教室に姿を現すことはなく、学校側では「スクールバスには乗車がなかった」として欠席扱いにしていた。
午後3時半頃、そうとは知らない父ケイン・ホーマンさん(当時36歳)とテリさんは妹キアラちゃん(18か月)を連れて、バス停までカイロンくんを迎えに訪れた。だがバスに少年の姿はなく、学校に所在確認の連絡を入れると、朝から姿が見られず「欠席扱い」にされていたことを知らされた。
テリさんはそんなはずはないと訴えるも埒が明かず、教務から担当教諭に再確認がなされたが、やはり少年はどの授業にも参加していなかった。
午後3時56分、学校事務員から911に行方不明が通報された。学校で行方が分からなくなってからすでに7時間が経とうとしていた。
4時半過ぎ、ポートランド警察局とマルトノマ郡保安官がスカイライン小学校とホーマン家に到着して双方から事情を聞き、校内、邸内、通学ルートや周辺地域での捜索を開始する。
午後7時から周辺地域の捜索救助隊が動員されたが、交通事故などの痕跡なども発見されず、遺留品なども見当たらなかった。

小学校は平常だと午前8時30分にならないと開校しなかったが、その日は科学フェアの展示を観覧に訪れる保護者のために午前8時から開放されていた。生徒たちの動きは普段より流動的で、校内に多くの保護者の目が入る一方で、第三者も大して疑いを持たれずに出入り可能な状態だった。
少年はなぜ、そしてどうやって忽然と姿を消したのか。家族が何よりも危惧したのは、第三者による略取誘拐だった。
鳴らされないアラート
児童略取・誘拐の場合、過去のケースから48時間以内の発見が生存率を大きく分けると言われている。言い換えれば、誘拐犯は逮捕のリスクを考えて2日以上は被害者を生かしたままにしてはおかない可能性が高まるということだ。
長期監禁や奴隷として使役させている事例や、実の子どものように養育する例もないことはないが、ごく稀であり無事発見に至るケースはさらに限られる。
1990年代後半からアメリカやカナダでは児童の連れ去り事案について一斉に情報共有できる「アンバーアラート」システムの導入が進められてきた。地元警察でガイドラインに抵触する事案が認められた場合、FBI、全米行方不明・搾取児童センターなど全国の捜査機関に通達され、さらにラジオ、テレビ局、インターネットを含む各媒体へも一斉に情報が自動送信される。
これにより大規模災害と同等の緊急度で一般の人々も携帯電話などを介してアラートが共有され、犯人や児童の特徴、犯行車両などに注意が向けられる。情報共有が早く広範囲であるほど、目撃情報なども集まりやすく、犯人の行動範囲も絞られる。
また人が多く集まるショッピングモールやスタジアム、病院、遊園地などでは「コード・アダム」という児童行方不明事案に対する行動計画が規定されており、市民生活においても危機意識が浸透している。
日本に比べて児童を標的とする連れ去りや性犯罪などが多いこともその背景にはあるのだが、国民全体で児童の安全を守ろうという自警意識の高さや防犯インフラの構築は見習うべきところが大きい。
日本の小学校でも防犯ブザーが普及したが、いざというときの電池切れや、ランドセルに点けっぱなしで放課後や休みの日には持ち歩かないなど、それだけでは身の安全を守りきれない面も露呈している。犯人に脅かされて大声を上げられないとき、周囲に危険を知らせるために下のようなハンドサインも有効である。

オレゴン州でも2002年からアンバーアラートが導入されていたが、カイロンくんのケースではアラートが鳴らされなかった。司法省の定めるガイドラインでは以下の要件を満たす必要があるためだ。
・法執行機関は誘拐が起こったことを確認しなければならない
・子どもが重傷または死亡する危険に晒されている
・警報発動には、対象児童、誘拐犯、または犯行車両に関する十分な説明情報を要する
・児童は17歳以下であること
過去の警報例ではふたつめの「危険度」については概ね不問のまま発動されている。しかし、カイロンくんの場合、連れ去り場面などをだれも目にしておらず、略取誘拐とは断定しきれない状況にあった。2024年現在も当局は略取誘拐事件ではなく、「行方不明のおそれがある児童」として扱っている。
小学校周辺は民家もまばらな自然豊かな場所ではあるが、7歳児の脚での行動範囲には限りがある。周辺の丘陵地帯、森林地帯での探知犬による嗅覚捜査が繰り返されたが追跡の役には立たなかった。
少年はいたって典型的な小学2年生だが「どちらかといえば臆病」で騒がしい性格ではなく、「他の友達の後ろをついていくタイプ」だったことからも突如一人で「冒険に出掛けた」とは考えづらかった。
ポートランド公立学校の一斉送信により6月4日午後5時半に「カイロン・ホーマンが帰宅していない」旨が保護者の携帯電話などに届けられたが、少年の安否を知らせる応答は得られなかった。
午後8時15分、保安官事務所広報がメディア向けに事案発生を伝えて、地元紙や地元テレビ局には顔写真のデータが送られた。保安官事務所からFBIにも通報がなされ、地元のみならず連邦の各保安局や関連機関に通達され、専門捜査チームも投入されることとなる。
6月6日(日)には家族らは情報提供を求める捜索ビラを刷り、翌日からボランティアらが配布に回った。8日(火)には捜索支援グループMissing Kyron Hormanが報奨金設立とそのためのPayPalでの基金受付を公開し、広くサポートを求めた。
地理的に見れば、ポートランドは海に近く、海路からの遠距離移動や国外への密航も不可能ではなく、陸路で見れば北にはオレゴン州との州境やカナダ国境もある。行方不明の発覚から捜索開始までに時間を要しており、すでに遠方へと連れ去られている可能性も危惧された。
疑い
アラートこそ鳴らされなかったが、小学校構内で起きた児童の行方不明、それも犯人や犯行車両も見られていない神隠しとも言える不可解な状況もあってSNSなどを通じて全国的に周知されることとなった。
それと同時に最終目撃者となった継母に対する疑惑が生じることとなる。
乳児・幼児への殺害、過失致死などは専ら近親者による割合が大きく、行方不明の場合も強い疑いがかかるのは必然であった。
ネット市民などにはアラートが鳴らされなかったことから逆読みして、警察内部ではすでに家族関係で容疑者の目星がついているのではないかとする見方もあった。とりわけ継母テリ・ホーマンさんの最終目撃証言に疑いの目は集まり、保護者として失踪の責任を求める向きは強かった。
ここで家族関係を見ていきたい。ホーマン夫妻にはともに離婚歴があり、子どもたちには産みの親と育ての親がいて面会などのために交流があった。事件後は何人かの家族関係者がメディアに登場した。
オレゴンを拠点とするインテル社でエンジニアをしていたケイン・ホーマンさんは、2000年にデザリー・ヤングさん(当時28歳・事件当時38歳)と結婚。夫婦関係はすぐに悪化し、別居や離婚が検討されていたが、程なく妊娠が分かり、一度は関係の修復が試みられたという。2002年9月には長男カイロンくんが誕生。しかし夫婦は2003年に「和解しがたい不和」を理由として正式に離婚が成立した。
二人は共同親権を有し、主に母デザリーさんがカイロンくんの育児をしていたものの、2004年に腎不全に陥った。治療のためにはカナダに渡る必要があり、彼女は親権を放棄しなくてはならなくなった。そのときカイロンくんはまだ2歳だった。
デザリーさんは術後2か月ほどでオレゴンに戻ることができ、銀行で会計職に就いたが、医療費の負債を抱えており、カイロンくんの親権回復は望めなかった。その後、彼女は行内で起きた詐欺事案を通じて知り合ったメドフォード警察の刑事トニー・ヤングさんと親密になり、再婚することとなる。
ヤング夫妻は月に2日程度カイロンくんとの面会を続けており、彼専用にバットマン柄のシーツを敷いたベッドを自宅に用意するなど愛情を注いでいた。行方不明を知らされたときも真っ先に駆けつけた。
父ケインさんは離婚を控えた2003年頃に赤ん坊の世話人として雇ったテリさんと親しくなり、やがて同居が始まる。テリさん自身も二度離婚を経験しており、当時小学生の長男ジェームズさんがいた。
2007年4月、ケインさんとテリさんはハワイで結婚。夫は新妻の赤い髪と子育てへの敬意を込めて、フォード社製の赤いマスタングGTを贈った。2008年12月には夫婦の間に長女キアラちゃんが誕生した。
一家は絆が強く、ボードゲームをして過ごすこともあれば、友人たちとボーリングや旅行に出掛けることもあった。前年にはフロリダのディズニーワールド、年末には農園体験を家族で楽しみ、春にはオレゴン動物園にも訪れていた。
事情は伝えられていないが、事件当時16歳だった長男ジェームズさんは2010年3月から家を離れて祖父母の元で暮らし、その後、祖父母の家とも近い生物学上の父親ロンさんの元に移ったという。両親の離婚後もジェームズさんは月に一度は実の父親との面会を続けていた。
テリさんは1970年にオレゴン州ローズバーグの教員夫婦の娘として生まれた。高校を卒業後、コミュニティカレッジで最初の夫ロンさんと知り合い、91年に結婚。3年後に長男ジェームズさんを出産した。だが夫婦は翌年離婚し、99年にはロンさんが養育費の未払いが続いて法廷闘争ともなった。
その間、テリさんは96年にリチャードさんと結婚。子育てと並行して大学で学士を取得し、2002年に二度目の離婚をした。リチャードさんはジェームズさんとその後会うことはなかったが、法的な父親として月500ドル以上の養育費を払い続けた。
離婚が具体化し出した2001年から彼女は臨時教員などで複数の小学校に勤め、並行して教育学の修士号も取得した。自身のフェイスブックには目標として学区の教育長を掲げていたが、知人たちには「幼児期のカイロンと一緒にいたい」という希望から教師の道を中断すると話し、近年は専業主婦として過ごしていた。
趣味はビデオゲームとボディビルで、2005年のボディビル大会では35歳以上の部で上位入賞を果たしていた。犯罪歴としては、同じ2005年に車で飲酒運転をしていて捕まり、「酒気帯び」と当時11歳のジェームズさんを乗せていたため「児童への無謀な危険行為」で起訴されていた。それ以外に児童虐待で通報された経験や事件の前科はなかった。
彼女について、最初の夫は「とても気配りのできる母親」、二番目の夫は「学校と子どもたちのためにできるかぎり尽くすことのできる才能のある教師」と評し、ともに「子どもを傷つけるような人間では決してない」と断言する。
キアラちゃんの誕生はテリさんには余程うれしかったらしく、知人たちにメールしたり、フェイスブックでも頻繁に成長の様子を写真で伝えていたが、最初の夫ロンさんはプライバシーに関する警戒感の低さには疑念を抱いたとされる。
テリさんは二児をスイミングスクールにも通わせていたが、スクールの経営者で指導員でもあるアダムさんは、二人は全く馴染んでおり、事件報道で聞くまでカイロンくんがテリさんの継子とは気づかなかったと話している。

テリさんへの疑惑の焦点となったのが、フェイスブックにカイロンくんの画像を投稿したことであった。内容は日常生活に関する単なるブログであったが、そのタイミングの良さは却って自身のアリバイや犯行動機の不在をアピールする偽装工作のように受け取られた。
テリさんの主張によれば、小学校を出た後、地元の食料品店などに立ち寄り、娘キアラちゃんが耳痛を訴えたためしばらく田舎道を移動しながら薬の販売店を探していたという。
その後11時39分、行きつけのフィットネスジムにチェックインして1時間ほど汗を流した。そこからおよそ18キロ離れた自宅へ戻り、午後1時21分にカイロンくんとその友人の画像をフェイスブックに投稿していた。
また普段は赤い愛車を運転したが、その日は夫の白いピックアップトラックに乗っていった。というのも、カイロンくんの展示物を乗せて帰るのにトラックの方が都合がいいと考えてのことだったと彼女は述べた。だが実際にはその日、なぜか展示物を持ち帰らずに帰宅していた。
警察でもテリさんの証言の真偽は重要視されていた。アリバイ確認や証言の裏取りが必要なため、周辺住民らにも目撃情報や防犯カメラ映像の提供を求めた。彼女の友人、元同僚、親類らに対しても、家族に関する不満を漏らしていなかったか等、ポリグラフ検査まで用いた慎重な聞き取りが続けられた。
そんななかテリさんと親しい女友達の一人デデ・スピチャーさん(当時44歳)が捜査協力を拒否するようになった。デデさんは基本的には「朝から造園の仕事をしていた」と主張し、自宅マンションの捜索も承諾していた。だが造園業の雇用主は、彼女が朝9時に現場入りしたのは確認したが、昼食時に見当たらず、「彼女の姿を見なかった時間帯が1~2時間はあった」と説明した。
7月、マルトノマ郡ではテリさんの複数の友人に対して証人召喚(法的強制力をもつ質問請求)が行われたが、デデさんは黙秘権(いかなる者も自身に不利な証人となることを強制されない権利)を行使する。テリさんの写真の特定、夫ケインさんやその元妻でカイロンくんの生みの母親デザリー・ヤングさんを知っているか、カイロンくんとの面識の有無などについて返答を控えたという。
また学校の南側駐車場に停めてあったホーマン家のトラックのそばにテリさんではない見慣れない人物がいたとする情報が2件寄せられると、継母単独ではなく協力者が存在した疑惑が浮上し、デデさんにその疑いが向けられた。捜査員もテリさん、デデさん、白いピックアップトラックの写真を見せて目撃者を募るなどしたため、地域一帯でも継母らへの疑いの色が深まっていく。
わが子が行方不明になればその心労は筆舌に尽くしがたく、混乱のまま対応すれば発言や挙動がさらに新たな疑惑を生み出しかねない。家族はメディア対応を拒否し、結果的にメディア側は疑惑の論調を強めていった。
家族は公にほとんど姿を現さず、弁護士を立てて文書で支援者への感謝や捜索リソースの提供を呼び掛ける声明を発したが、それによって人々の心証が改善することはなかった。テリさんのSNSには、犯人と決めつけてかかる誹謗中傷の嵐が吹き荒れた(6月9日に非公開とされた)。
代わってテリさんへの疑惑を晴らそうと発言したのが彼女の両親だった。テリさんは学校の奉仕活動を頻繁に行っていたこともあり、学校関係者の間で顔が知られていた。朝の始業前、「カイロンくんのクラス担任クリスティーナ教諭や他の教師も校内で母子の姿を認めていた」「他の生徒やPTA会長ら保護者も展示物を観覧する姿を目にしていた」として、両親は世間からのテリさんに対する疑いを払拭しようとした。
10日間に及ぶ一帯の捜索はオレゴン州でも過去最大規模で1300人の捜索隊が参加して行われたが少年の手掛かりは何一つ得られないまま終了を迎えた。
小学校では6月15日で2009-10年度の授業日程が終了していたが、地域の保護者らは不安を抱えたまま夏を迎えることとなった。有力情報に対して当初25000ドルの報奨金が懸けられたが、7月以降には50000ドルまで増額される。
破局とその後
6月28日にはテリさんが送迎に使った白いピックアップトラックの二度目の検証が行われた。取材を受けた彼女の父親は、娘が逮捕されると思うかという問いに対して、目に涙を浮かべながら「五分五分だ」と口にした。少年が父親の車に乗った痕跡はもちろんいくつかは存在したであろうが、犯罪と直接結びつくような証拠は出てこなかった。
行方不明から一か月後、地元新聞オレゴニアン紙は、6月時点で、捜査機関にテリさんに関するタレコミがあったと報じた。少年失踪の半年ほど前に、芝生の手入れなどを専門とするさる造園業者に彼女が夫の殺害依頼を申し出ていたとされる。
捜査関係者は、造園業者に協力を求めて殺害依頼に関する情報をテリさんの口から聞き出そうとしたが、彼女はその会話をすぐに打ち切ったという。その後、捜査員らは直接殺害依頼の有無について問いただしたが、彼女はそれを否定した。
しかし当局は殺害依頼に執着し、6月26日までに夫ケインさんにもその情報を伝えた。詳細については分からないが、ケインさんにはショックが大きかったと見える。27日に幼子を抱いて自宅を離れたケインさんは、新たに弁護士を雇い、離婚と虐待防止法に基づく接見禁止命令の申し立てを申請した。
7月16日、テリさんは共同保有となっていた邸宅を明け渡した。ケインさんとテリさんの離婚等裁判は泥沼化し、双方に相手の非を挙げ連ねるものとなった。
ケインさんの主張によれば、カイロンくんの学校では問題行動等があった場合に色付きのカードで家族に知らせる仕組みを取り入れていたが、「問題なし」の緑カードでなかった日にはテリさんは少年を厳しく𠮟りつけることもあったと述べた。それと聞けば、保護者としては当たり前の対処のようにも思えるし、彼女を疑って見れば「行き過ぎた教育ママ」が爆発して何がしかの「懲罰」に及んだかのような不安も感じられる。テリさん側も幼い娘を人質に取られたとして対立姿勢を深めた。
離婚調停の中で、テリさんに対して元同級生マイケル・クックとの不倫疑惑が取り沙汰され、マイケルの元妻による証言(マイケルの不倫疑惑や彼のコカイン使用の過去など)も公となった。マイケルはケインさんが娘を連れて家を出た後、テリさんにセクスティング(性的なメールやメッセージのやりとり)をした事実を認めたが、彼女との肉体関係については否定した。
ケインさんの離婚騒動の発端は、依頼殺害計画の情報というよりかは、捜査員から突き付けられたであろう妻の携帯電話の残されていた「不倫メッセージ」によるものと見るべきかもしれない。最終的に両者の離婚は認められ、テリさんは娘キアラちゃんとの接見を禁止された。
当初は「新旧の母親」が愛息の無事を祈る様子が報じられていたが、産みの母デザリーさんも次第にテリさんと距離を置くようになっていた。
失踪から2年後、デザリーさんと夫トニー・ヤングさんは、継母テリさんに対して「カイロンくん誘拐」に関する訴訟を起こし、1000万ドルの損害賠償と少年の返還または遺体の所在を明らかにすることを求めた。13か月後、ヤング夫妻は捜査への影響を鑑みるとの理由で告訴を取り下げた。
2016年9月、テリさんは法医学者フィル・マロウ氏が司会を務めるトーク番組『ドクター・フィル』に出演した。行方不明当時について、自分の口で釈明や支援者への感謝を伝えたいと思っていたが、元夫や弁護士からきつく口止めされて「公での発言が許されていなかった」と述べた。
カイロン失踪については関与を否定し、誘拐されたと信じていると語った。さらに「小学校から離れたハイウェイのコンビニで自分が乗っていたものと似たようなフォード製の白いピックアップトラックが目撃されており、運転手の男が店の前でしばらく徘徊していたので店員が話しかけていた」との不審車目撃情報を紹介した。
放映後、生みの母デザリーさんは「彼(フィル博士)は彼女に甘すぎると思いました」と感想を述べ、「彼女はあの日、なにかをしたと思います。6月4日に起こった事実の全てを彼女は明かしていません」と強い疑いを露わにした。
2015年8月、テリさんはカリフォルニア州ユバ郡でルームメイトの銃保管庫から銃を盗んだとして出廷が命じられたが、これを無視したため2016年に逮捕状が出された。7月に保釈金を払い、『ドクター・フィル』に出演した。
また内縁のパートナーとなったジョセフ・クリストバルさんは、彼女にナイフを突き付けられて自分や家族がどうなってもいいのかと脅された家庭内暴力があったとして、接近禁止命令を申請した。
さらに16年12月にサンフランシスコ近郊で薬物の違法摂取と盗難車運転の疑いで逮捕され、マリン郡刑務所に収監され、保釈金を支払った。
デザリーさんは立て続けのテリさんの不祥事について、「彼女の本性」「彼女が犯罪者だということ」と確信を強めており、「私たちはまだその余波に対処するだけで精一杯。けれど彼女はインタビューで嘘をつき続け、毎日答えもなく、カイロンなしで生活を送っている」と苛立ちをあらわにした。
所感
本稿では継母への疑いを中心に書いてきたが、「彼女には犯行時間がなかった」とする意見も多い。
午前中に立ち寄った食品店やキアラちゃんのために痛み止めを探し回った薬局でもテリさんに関する証言はあったが、カイロンくんは目撃されていない。蓋つきトランクや覆いのないピックアップトラックに乗せて移動するのはそもそもリスクが大きい。
当局からの正式発表はないが、携帯電話の電波基地局から彼女の走行ルートが早期に割り出されていたものとみられ、小学校から10キロ近く離れたソービ島(ワシントン州との州境でコロンビア川等に囲まれた内陸の島地)方面でも集中的な大捜索が行われたが、何も発見されなかった。
彼女には7歳児を川に突き落とせる場所まで向かう時間も、穴を掘って埋めている時間もなかった。犯行不可能な程度にはアリバイがあったと言っていい。殺害の意図があればわざわざ学校に出向かずとも可能なタイミングはあったはずだ。
それにもかかわらず証拠の欠如が過ぎるために、却って捜査員や私たち世論は伝聞やよからぬ妄想を基にしてパズルのピースを好き勝手に埋めていき「継母による犯行ストーリー」を強化していったのかもしれない。
アリバイが証明され、少年失踪と無関係とされているが、同時期にカイロンさんの父方の叔父にあたる人物が親類の14歳の少女に性的虐待を行ったとして禁固6か月の有罪判決を受けている。彼がカイロンを連れ去ったとは言わないが、親族関係が広くなれば赤の他人よりも身近に犯罪者を引き寄せてしまう確率も大きくなる。
Kyron Horman's paternal uncle starts sentence for sex abuse - oregonlive.com
そして犯罪者が元々カイロン少年を狙って学校に侵入した訳ではなく、別の児童を狙っていたが失敗するなどして最終的に彼をさらったことも考えられる。性衝動に基づく犯罪であれば30代前後の可能性、すなわち児童たちの親世代である可能性が高い。
カイロンさんの継母テリさん、テリさんの友人デデさん、「殺害依頼があった」とした証言者ははいずれも一度として容疑者になってはおらず、その後、事件に大きな進展は見られていない。
カイロンさんの無事を祈ると共に、一日も早い家族との再会を望むばかりである。
-----